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懐かしい景色です😶宇野港は「うのこう」と読みます😅6~7年前、直島に赴任した時は宇野駅はICOCA非対応で、みどりの窓口がありました。当時は、国道フェリーに乗れば直接、高松へ行けましたが、高速道路の値下げに圧迫されて無くなってしまいましたね。今でも四国汽船に乗れば、直島経由で、高松まで行けますよ⛴️
茶屋町~宇野は宇野みなと線という愛称かもしれないが、宇野港を「うのみなと」と読んでいるのは、連絡船を利用した者からすると、かなり違和感を覚える。
瀬戸大橋線ユーザーですが、日中はほんまに普通児島行しか見なくなってます妹尾、茶屋町のかなり利用者の多い駅はマリンライナーを使うので、宇野線はなかなか使わないし、宇野港は今では香川の島に行くためにしか使わないですちなみに宇野港はうのこうと読みます
宇野港は「うのみなと」と呼ばれるようになったんですね。他の方も書いていましたがJRの宇高連絡船が就航していた時は「うのこう」でした。ホバークラフトもありましたね。
17:11件の路線バスは料金・所要時間で宇野線と殆ど変わらない特急バスで、リクライニングシートの専用車両(新型車はUSBポート付き)が使用されるというかなり力の入った路線となっております
ただし渋滞がひどいときは特急バスよりもJRのほうが早いです
茶屋町駅のホームが、大阪環状線の西九条のような配置ですね。
幼稚園児の頃に母の郷里に帰省した時に、当時まだ夜行急行だった「瀬戸」に乗り、鉄道連絡船に乗り換えた「宇野駅」なんだけど帰路は桟橋から全力で走って、電車急行「鷲羽」に乗ったのも「宇野駅」でしたね。中学時代に一人旅で利用した時に、その記憶から 高松桟橋で「猛ダッシュ」したんだけど、接続の特急「南風」は指定席だったので走る必要が無かったってのも、今では懐かしい思い出です。
昔四国にある田舎に帰る時には寝台特急瀬戸号宇野行きを使ってました。あの頃は宇野駅の周りにはものすごい数の線路があった記憶がありますが、こんなにも変わったんですね😢
特急うずしお 瀬戸 急行鷲羽 母親が倉敷なのでよく岡山まで急行ともを利用しました。山陽本線から宇野線が別れる風景を不思議そうに眺めていました?何処へ向かって電車は走りるのか子供の頃の記憶を思い出しました。
地元民(元玉野市民 現岡山市民)です。読み方ですが「うのみなと」ではなくて「うのこう」です。「うのみなと」って呼び方は聞いたことないです。宇野駅はかつて物凄い賑やかな駅でした。大量の貨車、ブルートレイン瀬戸や関東が終着駅の電車がいっぱい止まっていました。
「オマーン港」で災害があり、報道するアナウンサーが【オマーンみなとの現状は…】と言ってるのに違和感…神戸港を【神戸みなと】、横浜港を【横浜みなと】なんて言わない…大きな声で正しく言おう!オマーン……………言えるか!ってな感じのネタを嘉門達夫がやってましたな…(^^;
今は瀬戸大橋で四国に行けるけど、瀬戸大橋開業前は宇高連絡船が主役だった宇高連絡船知ってる人は何人いるのだろう?
若い人はどうだろう?橋が架かる前はとにかく時間がかかった。
18:37ちなみに国道30号はここから高松まで海上区間になっている
ああ宇高航路は全て無くなりましたね。何か寂しさを感じます。
宇野駅かな?宇野駅だった
もう宇野から高松への船は廃止になってしまいました。18きっぷで初の九州乗り鉄をした際、寄り道して岡山から琴平まで往復したのですが、往きはJR,帰りはことでんとフェリーを乗り継いで宇野に上陸した。あのころと変わってないな。
四国には完全鉄道連絡船が宇高の他に、仁堀航路を除いてもう1つありました。(仁堀航路は駅構内に港乗換施設がないので除きました。)南海和歌山港と国鉄小松島線小松島港駅間です。珍しいのは、私鉄の南海と国鉄線の完全鉄道連絡線だったのですが、やはり神戸淡路鳴門道の開通予定などで、まず1985年に小松島線の廃止。南海の徳島港へ変更で、かつての賑やかだった四国の東の玄関口・小松島港の今は玉野市よりさらに見る影もありません。
昭和45年、初めて四国へ行ったときに利用しました。当時は新幹線も新大阪までしか走っておらず、新大阪・宇野間に急行「鷲羽」と特急「うずしお」が走ってました。四国内もまだ特急が存在せず、急行と普通だけが走ってました。四国に特急が登場したのが、新幹線が岡山まで延伸した時に予讃線「しおかぜ」土讃線「南風」が設定されました。同時に昼行の鷲羽とうずしおが廃止され、辛うじて夜行急行として鷲羽が残りました。宇野駅で当時の事が脳裏に蘇ってきました。
宇野は瀬戸大橋開通前の24系25形時代の寝台特急瀬戸の終点だった今の瀬戸大橋線はその当時、岡山〜茶屋町は宇野線になっていた
「うの」のイントネーションに違和感
昔の時刻表の記憶を紐解くと、宇野線は岡山~宇野間の路線で、茶屋町は一ローカル駅にすぎませんでした。それが、瀬戸大橋開通とともに、瀬戸大橋線(宇野線・本四備讃線)の表記となり、茶屋町はターミナル駅の様相に様変わり。もちろん、開通までに駅改装や線路敷設に点検など様々な工程を経て今の姿があるんですけど。青函、宇高、宮島の国鉄JR運営の各航路の中で、ホバークラフトは異質でしたね。浮かせるという意味では、リニアモーターカーにも通じることですからね。
宮島航路がJR的に生き残ってるのも異質ですね仁堀航路ってのも痕跡あるんですかね
鉄道無縁だけど宇野から行ける小豆島良いよ👍️連絡船時代ですら複線化しなかったのか宇野線😥本四交流の動脈やのに
四国ワイド周遊券で小豆島行ったことあります。JRの周遊券で行ける離島の1つだったんですよね。
今日も動画最高でした!!
岡山県も珍しい。
宇野線は昔12両の快速が行き交っていたのに...
以前瀬戸大橋線が強風で運転取り止めた時はマリンライナーが宇野へ行きフェリーにて代行輸送してました
大学入試の日は宇高連絡船、入学式は瀬戸大橋でした🚃🚋💭その頃は何も考えずに載ってましたね🚢結構歩いた記憶が。
僕は席を取るため、走りました。
宇野駅は瀬戸大橋が完成するまでは四国への連絡駅でしたが、瀬戸大橋開通後はフェリーも鉄道も本数が減り続き、更には両備バスが岡山から宇野を経由して渋川まで結ぶ特急バスを走らせ、宇野と高松を結ぶフェリーも2019年12月15日で運航休止しました。現在は四国汽船を利用して宇野から直島を経由して高松まで行けますが、あくまでも直島へのアクセスであるため宇高航路と呼べるかどうかは微妙です。
利用していました。茶屋町駅からの宇野行きは、初代マリンライナーです。宇高連絡船最終便は沢山の人々で、臨時便が出ました。高松では、瀬戸大橋を渡る最初のマリンライナーを待つ人々が列を成していました。今は違う土地にいるのでたまに茶屋町駅までしか利用していませんが、かつての賑わいの面影ないですね・・寂しいものです。
茶屋町はその昔、下津井電鉄の接続駅で児島を通って下津井まで延びてたんだよね。
寝台特急瀬戸ですな。客車特急時代の終点で、宇高連絡船との接続設定が1988年4月まで組まれていました。
他の方もおっしゃられてますが、宇野港は「うのこう」ですね。現在の駅舎は、もともと線路のなかったところに建て直され、移築ではなく新築でした。現駅前の丁字路を渡られていますが、その辺りが旧の駅前広場で、渡った先に旧駅舎がありました。白を基調としたデザインで現在とはまったく異なります。二階建てですがかなり大きかったです。駅内の客扱いホームも複数島があり、跨線橋で渡っていました。その跨線橋の奥が、連絡船行きでさらに南下して桟橋に繋がっていました。改札内です。線路はかなり山側まであり、さらに昔はSL用のターンテーブルもありました。SLに水を入れる給水塔や、たくさんのポイントをワイヤーで繋いで一ヶ所にレバーを集めた施設の遺構も30年ほど前まではありました。宇野港の、海外からの船の施設に驚かれていましたが、いちおう岡山県の重要湾港、特定港なので税関が設置されかつては「宇野税関」となっていました。なので、岡山空港の税関もかつては「神戸税関宇野税関支署岡山空港出張所」と、この宇野の管轄だったのですがやはり見ての通り縮小されたので数年前から役割は水島税関支所へ移り、宇野出張所となっています。岡山空港のは、神戸税関の岡山空港税関支所となって宇野はきえてゆきます。余談になりましたが、さびしいものです。
子供の頃、里帰りで盆暮に利用していました。かつての賑わいが夢の様ですね。かつては寝台特急が来ていた駅だったとは信じられない姿に変わっていて驚きです。そういえば新幹線で岡山駅に行き四国へ渡ると、かつては四国の玄関口だった高松の役割は岡山駅に取って変わられている事に気付かされます。高松駅もその性格が激変してしまいましたね。
特急瀬戸、急行鷲羽の他にかつては特急うずしお(初代、大阪ー宇野)もありました。また、急行砂丘も当初は宇野が始発でした...
茶屋町はJR西の駅名標としては珍しく2段になって次駅が表示されてますねぇ !!
一コメ!かんのさんが岡山駅に来ていたとは、。
お疲れ様です。先の人がコメントしてましたが宇野港(うのこう)からの高松行きのフェリーは、廃止されました。フェリーの行き先看板の一番上が消されていたのはそのせいです。
宇高連絡船は子供~学生の頃によく利用していました。連絡船で食べた讃岐うどんが懐かしいです。東京から宇野までのブルートレインも利用したことがありますが、その際に高松までホバークラフトに乗れたのも良い思い出です。
高松行きはなくなりました
昔、高校の修学旅行で使いました。帰路でここで列車に乗り換え新大阪から新幹線で帰って来ました。因みに、行きは昼行の『金星』でした。〆
ヘディング事件…あっ、宇野違い😅
珍プレー好プレー
茶屋町駅の0キロポストは本四備讃線のものですね。今でも正式には岡山〜宇野は宇野線で、宇野みなと線は愛称瀬戸大橋線も正式路線名ではなく岡山〜茶屋町 宇野線茶屋町〜宇多津 本四備讃線宇多津〜高松 予讃線をまとめた愛称ですね。
玉野市はいしいひさいち氏の出身地であり4コマ「ののちゃん」の舞台でもあり(たまのの市)😊関連施設も有るが宇野駅の旧駅舎の駅表示がひらがなの妙に愛嬌あるw書体「うのえき」だったのでののちゃんの世界観にピッタリだなあ、 と😂 残っていれば😭
そうだったんですね。 いしい氏の漫画で、-玉野市は三井造船で有名だ、-そんなの誰も知らないよ、というやり取りがあったのが、一応少しこの地域を知っている私の記憶にあるのですが、そんなネタを使った理由が分かりました。
何度も利用した宇高連絡船、ホバークラフトも乗りました。寝台列車も。懐かしい場所をありがとうございます。連絡船は国鉄、その後JR四国が運営していて、高松側にも遺構は残っているはず。ぜひ、そちらも動画にしていただけると嬉しいです。旧駅舎の模型がどこかに展示されていたと思いましたが、今はなくなってしまったのでしょうか。ちなみに、『うのこう』ですね。
懐かしいです。宇野と高松を結ぶ国鉄時代の連絡船を乗らなければ本州にはいけない宇野駅。人が多くて大変でした。
連絡船時代の旧宇野駅は、国道30号線と第2バース遺構を基準に考えると・国道30号線の両側(昔は駅に突き当たり)、今の駅前広場から女神像辺りが旧駅舎、駅舎の西側が旧駅前広場で東側が普通列車が発着する旧1番線・第2バース遺構から100m南に第1バース、第1・第2バースの西側に連絡船への乗換通路(南北)、さらに西側に長距離列車や岡山から(へ)の連絡快速が発着する旧2番線・旧3番線の島式ホーム・跨線橋は第2バースの前に(旧1番線・旧2・3番線・連絡線乗換通路)を結ぶものと、第1バースの前に(旧2・3番線・連絡線乗換通路)を結ぶものがありました(^O^)19:46の映像で言うと、撮影してる辺りが旧駅舎で、都市計画道路辺りが旧2・3番線(島式ホーム)、さらに向こう側に連絡線乗換通路と第2・第1バースがあるイメージでしょうか
かつての交通の要所と言えば空港ではアンカレッジ空港を思い出します。
確かにアンカレッジ空港は旅客輸送では「嘗ての〜」ですが、貨物輸送では未だに(と言うよりは旅客便が減った分、今の方が盛ん)交通の要所です。
「アンカレッジ」て日本語にしたら「錨の下ろし場」ですからね。
ヨーロッパ方面に行く際のポーラーショートカットルートでの給油地ですね。確かニューヨーク便も昔はここで給油してたんでしたっけ?
アンカレジ空港が吹雪等で離発着出来ない場合は、臨時でフェアバンクス空港が使用されるというのを、小学校の国語の時間の教科書で何故か出て来た(アラスカ便がアンカレジ空港に着陸する時の、パイロットのドキュメンタリーみたいな話でした)のを覚えています。
懐かしいですね。宇高連絡船がある頃、深夜0時高松発徳島、松山、高知へそれぞれ走る夜行(普通列車) があり、宿がわりにして18切符で色々行きました。連絡船は最終日、最終の定期便に乗って、翌日マリンライナーで帰ってきたのですが、もう30年ですか。歴史になりつつあるんですね…
幼少期に神戸駅から祖父母に連れられて23時過ぎの急行鷲羽に揺られたことを思い出しました。宇野駅は夜中でも、かなり混雑していて活気がありました。
宇野港(うのこう)から高松港直通のフェリーは去年無くなって全て直島経由になってる駅前広場の所に昔は駅舎があった駅前広場から道路渡った広場のとこはホバークラフトの乗り場だったホバークラフトなら30分くらいで高松行けたけど宇高連絡船のうどんが美味しくてホバークラフトでなく宇高連絡船を選ぶ人が多かった
10年くらいに前四国へ行く際に、瀬戸大橋ではなく船で渡ろうと思い宇野駅を使いました。その時点で1面2線のローカルな駅で、かつての大ターミナルの面影は全く無くなってました。今は高松へ渡る船は全て廃止されてしまい寂しい限りです。
連絡船の時代は宇野駅も高松駅も着いたらダッシュする人結構いましたね。どっちの駅も元の位置からはかなり移動してますけど当時結構な距離走ってたんですかね。小学生時代に修学旅行での乗換えの練習とかさせられた記憶がありますね。四国の学校だったもんで(笑)
宇野、高松、窪川が「三大走り」と呼ばれたようですな。
「うの」のイントネーションが…
岡山地区223系5000番台です高松方面は5000系です❗
高校の修学旅行で、宇高連絡船を使いました。物凄く変わりましたね。
線路は無くなっているんですね。青森は残っているのですが。。。
「うのこう」ですねぇ20:14奥に映ってるビルの1階にかつての宇野駅のジオラマが展示されてます。昔に比べると寂しくなりましたが瀬戸内国際芸術祭で直島や小豆島などを訪れる外国人観光客が増えて最近はホテルや温泉、駅の改修などで活気が戻ってきているようです。ちなみに宇野駅がメルヘンな造りなのはかつて線路の遺構の上にスペイン村を誘致する予定だったのでそれに合わせてそのような見た目になりました。(黒い模様は瀬戸内国際芸術祭の一環で後から塗られました)
5:35 交通の要塞ではなくて、交通の要所が正しいのではないでしょうか。
「要所」、若しくは「要衝」が正しいですね。
私は45歳で今は岡山市内に住んでますが幼少の頃は宇野駅の近くに住んでました。幼き頃の記憶ですが瀬戸大橋ができるまでの宇野駅の光景は強く覚えてます。祖父母の家からの帰りは、連絡船が着く前に電車に乗れ❗が合言葉でした。そのくらい連絡船からの乗り換えの方々の数が半端じゃなかったんです。書き込みたいことはまだまだ沢山ありますが駅舎に平仮名で、うのえきって書いてた頃が本当に懐かしいです。
宇野駅は30年前まで本州(宇野線)と四国(宇高連絡船)を結ぶ重要な役割として栄えていましたが今は瀬戸大橋ができてしまったので終着駅としての機能を持つようになりましたね
玉野市民です。宇野港までお越しくださり、ありがとうございました。「宇野港」は「うのみなと」ではなく「うのこう」です。あと、高松へのフェリーの航路は廃止となり、今は、直島や小豆島へ行くフェリーのみとなっています。
結構コメがあったり動画でも話があったので、動画やコメに出ていない古い話で捕捉をします。宇野みなと線に乗車された車両は初代マリンライナーで使われていました。一部山陽本線、伯備線、赤穂線でも現在使われています。1988年3月のダイヤ改正までは湘南色車両で名前は単なる快速だけでしたがダイヤ改正日~瀬戸大橋開業の前日まで初代マリンの車両で快速備讃(びさん)ライナーと言う名前が付き、瀬戸大橋開業と同時に快速が高松行になったのに合わせてマリンライナーに改名しました。かんのさんもちょこっと言われていましたが、通勤通学ラッシュ時は岡山~宇野直通の普通電車があるのですが、それ以外は岡山~児島の普通電車に接続する形で茶屋町~宇野間の普通電車が走っているので、かんのさんがマリンライナーに乗らずに児島行普通電車に乗車されていれば2~3分の接続乗換で行けますね。ただ撮影の時間を取られたと思うので、そうなるとマリンライナー乗車が正解になると思います。話は前後しますが、ようこそ岡山へ。かんのさんにオフでお会い出来たのが個室旅時の岡山駅でしたので、またかんのさんの来岡を楽しみにしています。
「要所」でも誤りではないですけれど、交通の、に続ける場合は「要衝」が、より適切かと思います。
岡山は今でも東西南北交通の要所東西は新幹線南の四国へは松山へは「しおかぜ」が一時間に1本の起点高松へ「快速マリンライナー出雲行「やくも」鳥取行スーパーいなばこれの何処がターミナルでから外れた?
今でも宇野港は(うのこう)と呼ぶんではないですか?「うのみなと」なんて聞いたことがないんですが、今はそう呼んでいるんですか?私も60年ぐらい前から使ってましたが、ずっと宇野港(うのこう)だったと思います。
モニュメントがあるとかつて栄えていた歴史を感じる。
気になって国土地理院の過去の航空写真見てみたら、沢山の線路が海に伸びてましたね。
宇野港(うのこう)のはず、宇高航路は全て廃止しましたよ。うのみなみは、違和感しかない。地元は、(うのこう)でしか 話さない。宇野駅のカラーは、La Malle de Bois になってるはずです。鉄道チャンネルなので 知ってるとは思いますが。
宇野駅は瀬戸大橋が開通しる前は客車時代の瀬戸号の始発駅でした。カニ24を除くと21メートル級の車両の14両編成の長大編成でした。広大な貨物ヤードがありました。宇野と高松は瀬戸大橋が開通後約20年間は24時間体制でフェリー会社3社で1日120往復してました。廃止される10年前から減便しました。宇野高松フェリーが2019年に廃止されました。今は高松から直島経由で宇野行きになりました。高松宇野を一時間かけてフェリーで通勤通学する人もいました。児島付近に軽便鉄道の下津井電鉄もありました。平成初期に廃線になりました。倉敷も瀬戸大橋が開通して児島駅ができ倉敷の市の中心駅は倉敷駅で児島駅茶屋町駅へマリンライナーが全て停車します。b
四国に帰省する時、立ち寄った駅です。宇野はコンパクトになりました。家電品の店もかつては駅構内で、駅前のセブンイレブンで言うとビックリされました。指定席券売機があるだけましです。茶屋町、児島は下津井電鉄の乗り換え駅でした。茶屋町は分かったけど、児島は見つからず、警察署まで行きました。1キロほどあります。活性化を模索したと思いますが都会ならまだしもあの場所では廃線やむを得ないと思います。
時の流れとはいえ、宇高航路が無くなるのはさみしい。コストがかかるのは理解できますが。
宇高連絡船の遺構の動画🎦ありがとう〜🎵
昔は東京から特急瀬戸、大阪からは準急鷲羽が発着していましたね。今は1面2線の単純な構成になっていますが、宇高連絡船全盛期の頃はどんな感じだったんでしょうね。
元々地元が、瀬戸大橋線の会社変わりの近くに居て、宇野線(宇野みなと線)の事は、両親から聞いてました。茶屋町の時点で、「間違えないな。」って(瀬戸大橋線乗場から)。かんのさんも言ってた通り、岡山方面は、路線バスですが、一度児島でしたが、この路線バスも、会社も、路線も、分離させられました……
昔の寝台特急瀬戸は何両だっけ
昔から宇野線では無いんでしょうか?宇野港線の名称だったのには、びっくり‼️しました
JRバスじゃないんですか?他社のやつ勧めてたらそれはすごい。
船を係留するキノコみたいなのはビットと言います。
宇高連絡船の歴史を感じるとても良い動画でした。宇野の雰囲気も良く、1度訪れてみたいと思いました。5:00 宇野行はワンマンと表示してあるのに、車掌さんが乗っているような。。。
宇高連絡船の他に、宇高(うたか)国道フェリーも就航していましたね。
宇高連絡船、乗ったことあるよ。その時のグリーン船室券も自宅にありますよ。もちろん硬券です。
大阪から(半)夜行急行で「鷲羽」で深夜にこの駅に着き、眠い目をこすって連絡船に乗り込んだことを思い出します。
ネタバレ宇野かな?と思ったらそうだった。玉野市の野は宇野から
名鉄名古屋駅は3面2線だから 逆だよw
字幕で訂正してるんですが、「厳密には」というのに違和感しか感じません。明らかな間違いですけど。
115系がそんなにすぐ見れてビックリしました2ドアなら211ではなくて213系では?
今回はこないだの「伊勢志摩ライナー」以来の関西の動画ですね。宇野駅もすごい歴史がありますね。岡山県は私も祖父母がいるためいつか行ってみたいです。
今日岡山居ました!
連絡船の名物、うどんをまた食べたい…
いつも素晴らしい動画ありがとうございます😊
宇高の直通航路はもう廃止されてしまったんですね…直島で乗り継ぎする形になるんですが、直島で切符を買い直す必要がありますまた、高松や宇野で乗り継ぎや直通が出来る旨聞くとあまりいい顔されないようなので、気を付けてください…
瀬戸大橋線ができる前、ブルートレインの「瀬戸」号が、確か宇野行きだったような……
そうです。宇野駅はまさに交通の要衝だったのです。
本州四国を結ぶ国鉄連絡航路は宇高連絡船の他に仁堀連絡船(仁方-堀江)がありました。人を運ぶだけで貨車を運ぶことは出来ませんでしたが国鉄の航路でした。国鉄の一筆書き長距離切符を作る場合に四国を含める事ができる貴重な航路でした。
サンライズ瀬戸の前身とも言える寝台特急瀬戸の終着駅ですね!今も昔も瀬戸で四国を目指したのは変わりないですね。
宇野駅の接近メロディーと発車メロディー好き
分かる、その気持ち。
動画の趣旨とはだいぶ外れるけど車両の呼び方が色々あるんだなぁって
以前仕事で高松に行った時瀬戸大橋はまだ工事中で連絡船で高松に行きました。その頃の宇野駅は現在より規模が大きく待避線も多く寝台特急「瀬戸」も待機していました。今は本四連絡の役割を終えローカル線の駅と成りましたね。この動画に限らず新幹線が開通し て特急が停車しなくなった在来線の駅とその周辺も同様に閑散としてますよね。
宇野駅の正面にある玉野産業振興ビルの1階に旧宇野駅の鉄道模型があります
"交通の要衝"…
一時期、鉄道車両(客車)数両直接船(客載渡船紫雲丸)に積んで四国に車両を直通させていましたね。その頃は現在よりも賑わっていたかも、ですね。
キノコ=ドック
駅の見た目は桜木町やけどwww
民間の高松行フェリーさえも廃止されたんは痛手やったね。
鉄道連絡船の初乗りは、1982年3月に宇野から高松まででした。宇野港で連絡船の乗り場は、乗船口ではなく「バース(berth)」と案内されてました。 二年後に青函航路に初乗りした時はバースとは呼ばれていなかったので、管理局によって違うのだな、と感じたものです。
宇野駅と言うより宇野港で覚えてたな(連絡船の乗り換え)瀬戸大橋が出来て連絡船が廃止になるまでお世話になりました帰省の時、宇野に着いたら走って連絡船に乗ってうどんを食べてたのが懐かしい
下関駅かと、思ってました。(景色から、青森じゃ無いな,と)W
宇野港懐かしい・・・昔は連絡船降りたらすぐ駅のホーム改札を通ることなく列車に乗れてた。高松駅も連絡船降りたらすぐホームに行けてたなあ~
懐かしいのをありがとう。
懐かしい景色です😶
宇野港は「うのこう」と読みます😅
6~7年前、直島に赴任した時は宇野駅はICOCA非対応で、みどりの窓口がありました。
当時は、国道フェリーに乗れば直接、高松へ行けましたが、高速道路の値下げに圧迫されて無くなってしまいましたね。
今でも四国汽船に乗れば、直島経由で、高松まで行けますよ⛴️
茶屋町~宇野は宇野みなと線という愛称かもしれないが、宇野港を「うのみなと」と読んでいるのは、連絡船を利用した者からすると、かなり違和感を覚える。
瀬戸大橋線ユーザーですが、日中はほんまに普通児島行しか見なくなってます
妹尾、茶屋町のかなり利用者の多い駅はマリンライナーを使うので、宇野線はなかなか使わないし、宇野港は今では香川の島に行くためにしか使わないです
ちなみに宇野港はうのこうと読みます
宇野港は「うのみなと」と呼ばれるようになったんですね。
他の方も書いていましたがJRの宇高連絡船が就航していた時は「うのこう」でした。
ホバークラフトもありましたね。
17:11
件の路線バスは料金・所要時間で宇野線と殆ど変わらない特急バスで、
リクライニングシートの専用車両(新型車はUSBポート付き)が使用されるという
かなり力の入った路線となっております
ただし渋滞がひどいときは特急バスよりもJRのほうが早いです
茶屋町駅のホームが、大阪環状線の西九条のような配置ですね。
幼稚園児の頃に母の郷里に帰省した時に、当時まだ夜行急行だった「瀬戸」に乗り、鉄道連絡船に乗り換えた「宇野駅」なんだけど
帰路は桟橋から全力で走って、電車急行「鷲羽」に乗ったのも「宇野駅」でしたね。
中学時代に一人旅で利用した時に、その記憶から 高松桟橋で「猛ダッシュ」したんだけど、接続の特急「南風」は指定席だったので
走る必要が無かったってのも、今では懐かしい思い出です。
昔四国にある田舎に帰る時には寝台特急瀬戸号宇野行きを使ってました。
あの頃は宇野駅の周りにはものすごい数の線路があった記憶がありますが、こんなにも変わったんですね😢
特急うずしお 瀬戸 急行鷲羽
母親が倉敷なのでよく岡山まで急行ともを利用しました。山陽本線から宇野線が別れる風景を不思議そうに眺めていました?
何処へ向かって電車は走りるのか子供の頃の記憶を思い出しました。
地元民(元玉野市民 現岡山市民)です。読み方ですが「うのみなと」ではなくて「うのこう」です。「うのみなと」って呼び方は聞いたことないです。宇野駅はかつて物凄い賑やかな駅でした。大量の貨車、ブルートレイン瀬戸や関東が終着駅の電車がいっぱい止まっていました。
「オマーン港」で災害があり、報道するアナウンサーが【オマーンみなとの現状は…】と言ってるのに違和感…
神戸港を【神戸みなと】、横浜港を【横浜みなと】なんて言わない…大きな声で正しく言おう!
オマーン……………
言えるか!ってな感じのネタを嘉門達夫がやってましたな…(^^;
今は瀬戸大橋で四国に行けるけど、瀬戸大橋開業前は宇高連絡船が主役だった
宇高連絡船知ってる人は何人いるのだろう?
若い人はどうだろう?橋が架かる前はとにかく時間がかかった。
18:37
ちなみに国道30号はここから高松まで海上区間になっている
ああ宇高航路は全て無くなりましたね。
何か寂しさを感じます。
宇野駅かな?宇野駅だった
もう宇野から高松への船は廃止になってしまいました。18きっぷで初の九州乗り鉄をした際、寄り道して岡山から琴平まで往復したのですが、往きはJR,帰りはことでんとフェリーを乗り継いで宇野に上陸した。あのころと変わってないな。
四国には完全鉄道連絡船が宇高の他に、仁堀航路を除いてもう1つありました。
(仁堀航路は駅構内に港乗換施設がないので除きました。)
南海和歌山港と国鉄小松島線小松島港駅間です。
珍しいのは、私鉄の南海と国鉄線の完全鉄道連絡線だったのですが、やはり
神戸淡路鳴門道の開通予定などで、まず1985年に小松島線の廃止。南海の徳島港へ変更で、
かつての賑やかだった四国の東の玄関口・小松島港の今は玉野市よりさらに見る影もありません。
昭和45年、初めて四国へ行ったときに利用しました。当時は新幹線も新大阪までしか走っておらず、新大阪・宇野間に急行「鷲羽」と特急「うずしお」が走ってました。四国内もまだ特急が存在せず、急行と普通だけが走ってました。四国に特急が登場したのが、新幹線が岡山まで延伸した時に予讃線「しおかぜ」土讃線「南風」が設定されました。同時に昼行の鷲羽とうずしおが廃止され、辛うじて夜行急行として鷲羽が残りました。宇野駅で当時の事が脳裏に蘇ってきました。
宇野は瀬戸大橋開通前の24系25形時代の寝台特急瀬戸の終点だった
今の瀬戸大橋線はその当時、岡山〜茶屋町は宇野線になっていた
「うの」のイントネーションに違和感
昔の時刻表の記憶を紐解くと、宇野線は岡山~宇野間の路線で、茶屋町は一ローカル駅にすぎませんでした。それが、瀬戸大橋開通とともに、瀬戸大橋線(宇野線・本四備讃線)の表記となり、茶屋町はターミナル駅の様相に様変わり。もちろん、開通までに駅改装や線路敷設に点検など様々な工程を経て今の姿があるんですけど。
青函、宇高、宮島の国鉄JR運営の各航路の中で、ホバークラフトは異質でしたね。浮かせるという意味では、リニアモーターカーにも通じることですからね。
宮島航路がJR的に生き残ってるのも異質ですね
仁堀航路ってのも痕跡あるんですかね
鉄道無縁だけど宇野から行ける小豆島良いよ👍️
連絡船時代ですら複線化しなかったのか宇野線😥本四交流の動脈やのに
四国ワイド周遊券で小豆島行ったことあります。
JRの周遊券で行ける離島の1つだったんですよね。
今日も動画最高でした!!
岡山県も珍しい。
宇野線は昔12両の快速が行き交っていたのに...
以前瀬戸大橋線が強風で運転取り止めた時はマリンライナーが宇野へ行きフェリーにて代行輸送してました
大学入試の日は宇高連絡船、入学式は瀬戸大橋でした🚃🚋💭
その頃は何も考えずに載ってましたね🚢
結構歩いた記憶が。
僕は席を取るため、走りました。
宇野駅は瀬戸大橋が完成するまでは四国への連絡駅でしたが、瀬戸大橋開通後はフェリーも鉄道も本数が減り続き、更には両備バスが岡山から宇野を経由して渋川まで結ぶ特急バスを走らせ、宇野と高松を結ぶフェリーも2019年12月15日で運航休止しました。現在は四国汽船を利用して宇野から直島を経由して高松まで行けますが、あくまでも直島へのアクセスであるため宇高航路と呼べるかどうかは微妙です。
利用していました。
茶屋町駅からの宇野行きは、初代マリンライナーです。
宇高連絡船最終便は沢山の人々で、臨時便が出ました。
高松では、瀬戸大橋を渡る最初のマリンライナーを待つ人々が列を成していました。
今は違う土地にいるのでたまに茶屋町駅までしか利用していませんが、
かつての賑わいの面影ないですね・・
寂しいものです。
茶屋町はその昔、下津井電鉄の接続駅で児島を通って下津井まで延びてたんだよね。
寝台特急瀬戸ですな。客車特急時代の終点で、宇高連絡船との接続設定が1988年4月まで組まれていました。
他の方もおっしゃられてますが、宇野港は「うのこう」ですね。
現在の駅舎は、もともと線路のなかったところに建て直され、移築ではなく新築でした。
現駅前の丁字路を渡られていますが、その辺りが旧の駅前広場で、渡った先に旧駅舎がありました。白を基調としたデザインで現在とはまったく異なります。
二階建てですがかなり大きかったです。
駅内の客扱いホームも複数島があり、跨線橋で渡っていました。
その跨線橋の奥が、連絡船行きでさらに南下して桟橋に繋がっていました。改札内です。
線路はかなり山側まであり、さらに昔はSL用のターンテーブルもありました。
SLに水を入れる給水塔や、たくさんのポイントをワイヤーで繋いで一ヶ所にレバーを集めた施設の遺構も30年ほど前まではありました。
宇野港の、海外からの船の施設に驚かれていましたが、いちおう岡山県の重要湾港、特定港なので税関が設置されかつては「宇野税関」となっていました。
なので、岡山空港の税関もかつては
「神戸税関宇野税関支署岡山空港出張所」と、この宇野の管轄だったのですがやはり見ての通り縮小されたので数年前から役割は水島税関支所へ移り、宇野出張所となっています。
岡山空港のは、神戸税関の岡山空港税関支所となって宇野はきえてゆきます。
余談になりましたが、さびしいものです。
子供の頃、里帰りで盆暮に利用していました。かつての賑わいが夢の様ですね。かつては寝台特急が来ていた駅だったとは信じられない姿に変わっていて驚きです。
そういえば新幹線で岡山駅に行き四国へ渡ると、かつては四国の玄関口だった高松の役割は岡山駅に取って変わられている事に気付かされます。高松駅もその性格が激変してしまいましたね。
特急瀬戸、急行鷲羽の他にかつては特急うずしお(初代、大阪ー宇野)もありました。また、急行砂丘も当初は宇野が始発でした...
茶屋町はJR西の駅名標としては珍しく2段になって次駅が表示されてますねぇ !!
一コメ!
かんのさんが岡山駅に来ていたとは、。
お疲れ様です。
先の人がコメントしてましたが
宇野港(うのこう)からの高松行きのフェリーは、廃止されました。
フェリーの行き先看板の一番上が消されていたのはそのせいです。
宇高連絡船は子供~学生の頃によく利用していました。
連絡船で食べた讃岐うどんが懐かしいです。
東京から宇野までのブルートレインも利用したことがありますが、
その際に高松までホバークラフトに乗れたのも良い思い出です。
高松行きはなくなりました
昔、高校の修学旅行で使いました。
帰路でここで列車に乗り換え新大阪から新幹線で帰って来ました。
因みに、行きは昼行の『金星』でした。〆
ヘディング事件…
あっ、宇野違い😅
珍プレー好プレー
茶屋町駅の0キロポストは本四備讃線のものですね。
今でも正式には岡山〜宇野は宇野線で、宇野みなと線は愛称
瀬戸大橋線も正式路線名ではなく
岡山〜茶屋町 宇野線
茶屋町〜宇多津 本四備讃線
宇多津〜高松 予讃線
をまとめた愛称ですね。
玉野市はいしいひさいち氏の出身地であり4コマ「ののちゃん」の舞台でもあり(たまのの市)😊関連施設も有るが宇野駅の旧駅舎の駅表示がひらがなの妙に愛嬌あるw書体「うのえき」だったのでののちゃんの世界観にピッタリだなあ、 と😂 残っていれば😭
そうだったんですね。 いしい氏の漫画で、-玉野市は三井造船で有名だ、-そんなの誰も知らないよ、というやり取りがあったのが、一応少しこの地域を知っている私の記憶にあるのですが、そんなネタを使った理由が分かりました。
何度も利用した宇高連絡船、ホバークラフトも乗りました。寝台列車も。懐かしい場所をありがとうございます。
連絡船は国鉄、その後JR四国が運営していて、高松側にも遺構は残っているはず。
ぜひ、そちらも動画にしていただけると嬉しいです。
旧駅舎の模型がどこかに展示されていたと思いましたが、今はなくなってしまったのでしょうか。
ちなみに、『うのこう』ですね。
懐かしいです。宇野と高松を結ぶ国鉄時代の連絡船を乗らなければ本州にはいけない宇野駅。人が多くて大変でした。
連絡船時代の旧宇野駅は、国道30号線と第2バース遺構を基準に考えると
・国道30号線の両側(昔は駅に突き当たり)、今の駅前広場から女神像辺りが旧駅舎、駅舎の西側が旧駅前広場で東側が普通列車が発着する旧1番線
・第2バース遺構から100m南に第1バース、第1・第2バースの西側に連絡船への乗換通路(南北)、さらに西側に長距離列車や岡山から(へ)の連絡快速が発着する旧2番線・旧3番線の島式ホーム
・跨線橋は第2バースの前に(旧1番線・旧2・3番線・連絡線乗換通路)を結ぶものと、第1バースの前に(旧2・3番線・連絡線乗換通路)を結ぶもの
がありました(^O^)
19:46の映像で言うと、撮影してる辺りが旧駅舎で、都市計画道路辺りが旧2・3番線(島式ホーム)、さらに向こう側に連絡線乗換通路と第2・第1バースがあるイメージでしょうか
かつての交通の要所と言えば空港ではアンカレッジ空港を思い出します。
確かにアンカレッジ空港は旅客輸送では「嘗ての〜」ですが、貨物輸送では未だに(と言うよりは旅客便が減った分、今の方が盛ん)交通の要所です。
「アンカレッジ」て日本語にしたら「錨の下ろし場」ですからね。
ヨーロッパ方面に行く際のポーラーショートカットルートでの給油地ですね。確かニューヨーク便も昔はここで給油してたんでしたっけ?
アンカレジ空港が吹雪等で離発着出来ない場合は、臨時でフェアバンクス空港が使用されるというのを、小学校の国語の時間の教科書で何故か出て来た(アラスカ便がアンカレジ空港に着陸する時の、パイロットのドキュメンタリーみたいな話でした)のを覚えています。
懐かしいですね。
宇高連絡船がある頃、深夜0時高松発徳島、松山、高知へそれぞれ走る夜行(普通列車) があり、
宿がわりにして18切符で色々行きました。
連絡船は最終日、最終の定期便に乗って、翌日マリンライナーで帰ってきたのですが、
もう30年ですか。歴史になりつつあるんですね…
幼少期に神戸駅から祖父母に
連れられて23時過ぎの急行鷲羽に
揺られたことを思い出しました。
宇野駅は夜中でも、かなり混雑してい
て活気がありました。
宇野港(うのこう)から高松港直通のフェリーは去年無くなって全て直島経由になってる
駅前広場の所に昔は駅舎があった
駅前広場から道路渡った広場のとこはホバークラフトの乗り場だった
ホバークラフトなら30分くらいで高松行けたけど宇高連絡船のうどんが美味しくてホバークラフトでなく宇高連絡船を選ぶ人が多かった
10年くらいに前四国へ行く際に、瀬戸大橋ではなく船で渡ろうと思い宇野駅を使いました。
その時点で1面2線のローカルな駅で、かつての大ターミナルの面影は全く無くなってました。
今は高松へ渡る船は全て廃止されてしまい寂しい限りです。
連絡船の時代は宇野駅も高松駅も着いたらダッシュする人結構いましたね。
どっちの駅も元の位置からはかなり移動してますけど当時結構な距離走ってたんですかね。
小学生時代に修学旅行での乗換えの練習とかさせられた記憶がありますね。四国の学校だったもんで(笑)
宇野、高松、窪川が
「三大走り」と呼ばれたようですな。
「うの」のイントネーションが…
岡山地区223系5000番台です高松方面は5000系です❗
高校の修学旅行で、宇高連絡船を使いました。物凄く変わりましたね。
線路は無くなっているんですね。
青森は残っているのですが。。。
「うのこう」ですねぇ
20:14奥に映ってるビルの1階にかつての宇野駅のジオラマが展示されてます。
昔に比べると寂しくなりましたが瀬戸内国際芸術祭で直島や小豆島などを訪れる外国人観光客が増えて最近はホテルや温泉、駅の改修などで活気が戻ってきているようです。
ちなみに宇野駅がメルヘンな造りなのはかつて線路の遺構の上にスペイン村を誘致する予定だったのでそれに合わせてそのような見た目になりました。(黒い模様は瀬戸内国際芸術祭の一環で後から塗られました)
5:35 交通の要塞ではなくて、交通の要所が正しいのではないでしょうか。
「要所」、若しくは「要衝」が正しいですね。
私は45歳で今は岡山市内に住んでますが幼少の頃は宇野駅の近くに住んでました。
幼き頃の記憶ですが瀬戸大橋ができるまでの宇野駅の光景は強く覚えてます。
祖父母の家からの帰りは、連絡船が着く前に電車に乗れ❗が合言葉でした。
そのくらい連絡船からの乗り換えの方々の数が半端じゃなかったんです。
書き込みたいことはまだまだ沢山ありますが
駅舎に平仮名で、うのえきって書いてた頃が本当に懐かしいです。
宇野駅は30年前まで本州(宇野線)と四国(宇高連絡船)を結ぶ重要な役割として栄えていましたが今は瀬戸大橋ができてしまったので終着駅としての機能を持つようになりましたね
玉野市民です。宇野港までお越しくださり、ありがとうございました。
「宇野港」は「うのみなと」ではなく「うのこう」です。
あと、高松へのフェリーの航路は廃止となり、今は、直島や小豆島へ行くフェリーのみとなっています。
結構コメがあったり動画でも話があったので、動画やコメに出ていない古い話で捕捉をします。宇野みなと線に乗車された車両は初代マリンライナーで使われていました。一部山陽本線、伯備線、赤穂線でも現在使われています。1988年3月のダイヤ改正までは湘南色車両で名前は単なる快速だけでしたがダイヤ改正日~瀬戸大橋開業の前日まで初代マリンの車両で快速備讃(びさん)ライナーと言う名前が付き、瀬戸大橋開業と同時に快速が高松行になったのに合わせてマリンライナーに改名しました。
かんのさんもちょこっと言われていましたが、通勤通学ラッシュ時は岡山~宇野直通の普通電車があるのですが、それ以外は岡山~児島の普通電車に接続する形で茶屋町~宇野間の普通電車が走っているので、かんのさんがマリンライナーに乗らずに児島行普通電車に乗車されていれば2~3分の接続乗換で行けますね。ただ撮影の時間を取られたと思うので、そうなるとマリンライナー乗車が正解になると思います。
話は前後しますが、ようこそ岡山へ。かんのさんにオフでお会い出来たのが個室旅時の岡山駅でしたので、またかんのさんの来岡を楽しみにしています。
「要所」でも誤りではないですけれど、交通の、に続ける場合は「要衝」が、より適切かと思います。
岡山は今でも東西南北交通の要所
東西は新幹線南の四国へは
松山へは「しおかぜ」が一時間に1本の
起点
高松へ「快速マリンライナー
出雲行「やくも」
鳥取行
スーパーいなば
これの何処が
ターミナルでから外れた?
今でも宇野港は(うのこう)と呼ぶんではないですか?「うのみなと」なんて聞いたことがないんですが、今はそう呼んでいるんですか?私も60年ぐらい前から使ってましたが、ずっと宇野港(うのこう)だったと思います。
モニュメントがあるとかつて栄えていた歴史を感じる。
気になって国土地理院の過去の航空写真見てみたら、沢山の線路が海に伸びてましたね。
宇野港(うのこう)のはず、宇高航路は全て廃止しましたよ。うのみなみは、違和感しかない。地元は、(うのこう)でしか 話さない。
宇野駅のカラーは、La Malle de Bois になってるはずです。鉄道チャンネルなので 知ってるとは思いますが。
宇野駅は瀬戸大橋が開通しる前は客車時代の瀬戸号の始発駅でした。カニ24を除くと21メートル級の車両の14両編成の長大編成でした。広大な貨物ヤードがありました。宇野と高松は瀬戸大橋が開通後約20年間は24時間体制でフェリー会社3社で1日120往復してました。廃止される10年前から減便しました。宇野高松フェリーが2019年に廃止されました。今は高松から直島経由で宇野行きになりました。高松宇野を一時間かけてフェリーで通勤通学する人もいました。児島付近に軽便鉄道の下津井電鉄もありました。平成初期に廃線になりました。倉敷も瀬戸大橋が開通して児島駅ができ倉敷の市の中心駅は倉敷駅で児島駅茶屋町駅へマリンライナーが全て停車します。b
四国に帰省する時、立ち寄った駅です。宇野はコンパクトになりました。家電品の店もかつては駅構内で、駅前のセブンイレブンで言うとビックリされました。指定席券売機があるだけましです。茶屋町、児島は下津井電鉄の乗り換え駅でした。茶屋町は分かったけど、児島は見つからず、警察署まで行きました。1キロほどあります。活性化を模索したと思いますが都会ならまだしもあの場所では廃線やむを得ないと思います。
時の流れとはいえ、宇高航路が無くなるのはさみしい。コストがかかるのは理解できますが。
宇高連絡船の遺構の動画🎦ありがとう〜🎵
昔は東京から特急瀬戸、大阪からは準急鷲羽が発着していましたね。
今は1面2線の単純な構成になっていますが、宇高連絡船全盛期の頃はどんな感じだったんでしょうね。
元々地元が、瀬戸大橋線の会社変わりの近くに居て、宇野線(宇野みなと線)の事は、両親から聞いてました。
茶屋町の時点で、「間違えないな。」って(瀬戸大橋線乗場から)。
かんのさんも言ってた通り、岡山方面は、路線バスですが、一度児島でしたが、この路線バスも、会社も、路線も、分離させられました……
昔の寝台特急瀬戸は何両だっけ
昔から宇野線では無いんでしょうか?
宇野港線の名称だったのには、びっくり‼️しました
JRバスじゃないんですか?
他社のやつ勧めてたらそれはすごい。
船を係留するキノコみたいなのはビットと言います。
宇高連絡船の歴史を感じるとても良い動画でした。
宇野の雰囲気も良く、1度訪れてみたいと思いました。
5:00 宇野行はワンマンと表示してあるのに、車掌さんが乗っているような。。。
宇高連絡船の他に、宇高(うたか)国道フェリーも就航していましたね。
宇高連絡船、乗ったことあるよ。
その時のグリーン船室券も自宅にありますよ。
もちろん硬券です。
大阪から(半)夜行急行で「鷲羽」で深夜にこの駅に着き、眠い目をこすって連絡船に乗り込んだことを思い出します。
ネタバレ
宇野かな?
と思ったらそうだった。
玉野市の野は宇野から
名鉄名古屋駅は3面2線だから 逆だよw
字幕で訂正してるんですが、「厳密には」というのに違和感しか感じません。
明らかな間違いですけど。
115系がそんなにすぐ見れてビックリしました
2ドアなら211ではなくて213系では?
今回はこないだの「伊勢志摩ライナー」以来の関西の動画ですね。宇野駅もすごい歴史がありますね。岡山県は私も祖父母がいるためいつか行ってみたいです。
今日岡山居ました!
連絡船の名物、
うどんをまた食べたい…
いつも素晴らしい動画ありがとうございます😊
宇高の直通航路はもう廃止されてしまったんですね…
直島で乗り継ぎする形になるんですが、直島で切符を買い直す必要があります
また、高松や宇野で乗り継ぎや直通が出来る旨聞くとあまりいい顔されないようなので、気を付けてください…
瀬戸大橋線ができる前、ブルートレインの「瀬戸」号が、確か宇野行きだったような……
そうです。宇野駅はまさに交通の要衝だったのです。
本州四国を結ぶ国鉄連絡航路は宇高連絡船の他に仁堀連絡船(仁方-堀江)がありました。
人を運ぶだけで貨車を運ぶことは出来ませんでしたが国鉄の航路でした。
国鉄の一筆書き長距離切符を作る場合に四国を含める事ができる貴重な航路でした。
サンライズ瀬戸の前身とも言える寝台特急瀬戸の終着駅ですね!今も昔も瀬戸で四国を目指したのは変わりないですね。
宇野駅の接近メロディーと発車メロディー好き
分かる、その気持ち。
動画の趣旨とはだいぶ外れるけど車両の呼び方が色々あるんだなぁって
以前仕事で高松に行った時瀬戸大橋はまだ工事中で連絡船で高松に行きました。その頃の宇野駅は現在より規模が大きく待避線も多く寝台特急「瀬戸」も待機していました。今は本四連絡の役割を終えローカル線の駅と成りましたね。この動画に限らず新幹線が開通し て特急が停車しなくなった在来線の駅とその周辺も同様に閑散としてますよね。
宇野駅の正面にある玉野産業振興ビルの1階に旧宇野駅の鉄道模型があります
"交通の要衝"…
一時期、鉄道車両(客車)数両直接船(客載渡船紫雲丸)に積んで四国に車両を直通させていましたね。その頃は現在よりも賑わっていたかも、ですね。
キノコ=ドック
駅の見た目は桜木町やけどwww
民間の高松行フェリーさえも廃止されたんは痛手やったね。
鉄道連絡船の初乗りは、1982年3月に宇野から高松まででした。宇野港で連絡船の乗り場は、乗船口ではなく「バース(berth)」と案内されてました。
二年後に青函航路に初乗りした時はバースとは呼ばれていなかったので、管理局によって違うのだな、と感じたものです。
宇野駅と言うより宇野港で覚えてたな(連絡船の乗り換え)
瀬戸大橋が出来て連絡船が廃止になるまでお世話になりました
帰省の時、宇野に着いたら走って連絡船に乗ってうどんを食べてたのが懐かしい
下関駅かと、思ってました。(景色から、青森じゃ無いな,と)W
宇野港懐かしい・・・昔は連絡船降りたらすぐ駅のホーム改札を通ることなく列車に乗れてた。高松駅も連絡船降りたらすぐホームに行けてたなあ~
懐かしいのをありがとう。