ไม่สามารถเล่นวิดีโอนี้
ขออภัยในความไม่สะดวก
関ヶ原で西軍についた大名たちの大坂の陣
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 15 ส.ค. 2024
- 今回の歴史の細道は、『関ヶ原で西軍についた大名たちの大坂の陣』について紹介していこうと思います。
~目次~
0:00 オープニング
1:23 多くの大名が『徳川側』として参戦
3:23 豊臣方には比較的多くの関ヶ原経験者がいる
4:35 西軍から徳川方についた大名たちの思い
5:30 大名たちの思惑
6:47 大坂の陣が初陣だった武士も多い
7:24 家康としてもいろいろとみていた部分がある
9:08 まとめ
【関連動画】
関ヶ原西軍の首謀者は実は…?その説を追う
• 関ヶ原西軍の首謀者は実は…?その説を追う
関ヶ原で東軍についたのに減封させられた大名
• 関ヶ原で東軍についたのに減封させられた大名
実はグダグダだった関ヶ原合戦 天下分け目の一戦ではなかった?
• 実はグダグダだった関ヶ原合戦 天下分け目の一...
ナレーション:真加藤沙織
脚本・監修:歴史の細道
#歴史の細道
~画像~
663highland - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, commons.wikime...
大坂の陣って何かパート・アルバイトvs会社員て感じがする。
正社員が徳川方ですね😂
さおりさん、いつみても可愛すぎます😊今回も動画面白かったです
さおりさんとこのBGMが最高ですね✨✨
さおりさん、久しぶりのナレーション、ありがとうございます。
同じ内容でもナレーション技術の違いで、聞き取りがこんなに違うのかと、改めてさおりさんの魅力がよくわかった動画でした。
さおりさんじゃないとシックリ来ませんね😊✨
質問コーナーやってほしいです! これからも動画投稿頑張って
確かに、徳川方の諸将はご褒美期待出来ないからモチベーション低かったそうですね。
関ヶ原の戦いは内紛、大阪の陣は対大名同士の争いと考えるのはじつに整然としていて納得できました。
ただ、関ヶ原の場合、家康が反乱を起こしたのではなく、約束事を守らない家康を懲らしめようとした三成からの制裁。
西軍についた武将の多くがその意を汲んでの参戦だったのだと思います。
ところが、秀次の粛清や朝鮮出兵など、心に一物を抱いていた武将が多く、その拠り所が家康だったと考えると、むしろ大阪の陣よりもどちらに着くべきか判断に悩んだでしょうね。
威光なら豊臣、信頼なら徳川。
だからこそ途中から寝返ったり動かなかったりした武将が出てきたのでしょう。
しかし、西軍に着いた武将達は、負けて尚豊臣を支えるという心を持たなかった。
関ヶ原は三成が毛利を担いで行った制裁であるが故、戦いに破れた、あるいは制裁に失敗したことによって、豊臣家の威光が無くなってしまったことは言うまでもない。
佐野道可ってもう動画ありますかね?
なければおねがいします
あと風雲児たち特集やっていただければ幸せです
関ケ原の場合は秀忠の遅参もあり、西軍が全員、総攻撃できていれば勝つ可能性はありました。
しかし動画の冒頭にあったように東軍vs西軍ではなく、実質家康vs三成だったから西軍が敗北
したんだと思います。でも大阪夏の陣は堀を埋めた大阪城で浪人を集めた大阪方は奮戦したとは
思うけど、実際に勝利できる可能性は1%も無かったように思う。
さおりさん、お久しぶりでーす🎵
判りやすい解説ありがとうございます💕
賤ヶ岳の七本槍で実戦経験の豊富な、
片桐且元に対する切り崩し工作も意外と大きい。
寝返る可能性の無い武将を引き抜いたのだから。
かつて徳川家康は重臣の石川数正を豊臣秀吉に引き抜かれたが、
それをついにやり返したのだ。
自分で言わず、大蔵卿にも伝えず、片桐にだけ3か条を秀頼に伝えるようにしたなら家康はかなりの策士ですよね。
結局、片桐の追放が大坂の陣の決定打になりましたし、最初から切り崩しを狙ってたのなら凄いとしか言いようがありません。
木村重成は父親が秀次事件によって消されて自分も消されかけたのにそれでも秀頼についていくんだから良く言えば斜陽の豊臣家に忠を尽くした男だけど、悪く言えば片桐且元追放に加担して一大名か一貴族として豊臣を延命させる道を塞いじゃった男ともいえる 戦前の道徳の教科書にも載ってたとか…
内容はたいしたことないけど、さおりさんをみてるだけで価値ありますね。内容のある、ゆっくり系動画より観る価値があります。
大名・武将の思惑もありますが、徳川方とすれば大坂の陣は「どうやったって勝つ戦」
となれば、下級兵士・足軽に至るまで、「勝ち戦で命を落とすのは愚かなこと」と思うのは当然。
戦闘では及び腰にどうしてもなってしまう。一方で大坂方はもう後がないので文字通り「必死」で戦う。
この違いが局地戦では大きな差となって現れ、結果家康本陣への強襲を許すことになってしまう。
後、浪人達にとって
何かしら武功を立てたら
何処かの大名に雇って貰える
最後のチャンスですから、
必死になって戦ってたかも知れませんね。
実際、藤堂高虎隊と戦ってた
長宗我部盛親隊の旧長宗我部家臣は
藤堂家に雇用されてますし。
秀吉の小田原の陣の因果応報でまんま返された感じが
さおりさん相変わらずお綺麗です!
相変わらずさおりさん美人☺️✨
僕は石田三成へのリスペクトが強いので、あの時代に生きていたら西軍についていたと思いますが、だからといって徳川家康アンチでもありません。むしろ関ヶ原の戦いから15年も機を待っていた気の長さには感服します。
関ヶ原の戦いは家臣同士の争い。
だけど今回は幕府と豊臣はっきり
くっきり分けられました。もう勝ち目は
ありません。
大阪城の天守閣に、大砲載せてぶっ放せば徳川の大砲破壊出来たかも。
色白美人のさおりさん、今回も、魅力的だよ!!
長宗我部盛親、親の長宗我部元親が豊臣秀吉に土佐一国に減封されたのに、何で、そこまで、豊臣に義理を返したのか?
長宗我部は大坂から脱出出来たんだから逃げれば良かったのに。
毛利隊にいた淀の弟(浅井長政の息子)は大坂からもその後の幕府の追及からも逃れきっています。(姉の初が助けたとか)
家康撃ったとしてももう恩賞など貰えないので、名声目当てだったのでしょうか?
というか浅井や朝倉や武田滅亡の時と違って、誰もネームド武将裏切ってないのもすごいな。
幕府側と豊臣側の視点で見ると面白いですね
堀北真希?
さおりさんお疲れさまです。ありがとうございます。♥♥♥
木村重成は生まれる時代がもっと早ければ…と惜しまれます。
毛利勝永もそうだよね❗❗もっと活躍するところを見たかった🤗
大坂の陣は
豊臣家VS幕府軍VS浪人衆の構図で見ないとダメだと思う
豊臣家の目的は家康、秀忠を倒して勝利し
再び豊臣の天下を取り戻す事だったのに対して
浪人衆の目的は勝利は二の次で家康を討つ事だったから
豊臣方についた武将の思惑は、「一矢報いたい」よりも「ダメ元でもワンチャン大名復帰を狙いたい」というところにあるような気がする。
あと本当に困窮していた浪人は、寝床と食事を求めて、金をばらまいていた大阪方に与せざるを得なかった部分もあるのではないかと。
牙を徳川に向けたら大名に戻るにはどうすればいいですか?
@@cecilehonda2234 さん。
徳川勢を完全にぶちのめして、家康と秀忠を討ち取って、豊臣家から領地貰わないと…まぁ無理でしょうが…
わたしも同じく。❤️
さおりさんこんばんは
今回もためになる動画のナレーションありがとうm(_ _)m
さおりさん大好きです。
戦争で勝っても、行政の把握と継承がスムーズにいかないと、国は統治出来ませんその調整把握をある程度画策できる人と長年の策略の裏部隊が必要なので家康は、確信を得て先に進んでいて、大阪などもう手の内薩摩など、情報力あるから家康に内通だろう。
さおり様、おはようございます。
直江状だしてるのに、家康につかないといけない…
さおり〜❤️いつ見ても美女や
なんで顔さらして名乗るんですか?