こんにちは。私は東方正教クリスチャンです。🌸🌼プロテスタントである小林さんとカトリックのシメオンさんのやり取りを興味深く拝見させていただきました。それぞれの立場で意見交換ができるこのような貴重な場を提供してくださり本当にありがとうございます!クリス・モモセ師の著書に関するシメオンさんのブログ最新記事を読みました。 「何よりも、資料の扱い方以上に、基本的な立場の違いを理解できていないのは大きな問題です。ボクシングの選手が空手の選手に「空手は蹴り技があるので間違っている」と言うことができないのと同じです。そう主張したいなら、「格闘技は蹴ってはいけない」ことを証明すべきです。それと同じで、彼らは「聖書と聖伝」を信仰の基準にするカトリック教会を、「聖書のみ」の立場で批判する無意味さを理解する必要があるでしょう。まず「キリスト教は聖書のみでなければいけない」理由を証明するべきではないかと思います。誰がいつ決めたのでしょうか。」(「シメオンの回廊」ブログ3月11日付より引用) 私はシメオンさんのこのご指摘に共感しました。たしかにカトリックとプロテスタントでは解釈パラダイム自体が異なっていると思います。しかも現代プロテスタントの聖書の捉え方には、SOLA ScripturaとSOLO Scripturaの二つの異なる立場があります。(小林さんはSOLAとSOLOとどちらの立場ですか?)参:Bryan Cross, Solo Scriptura, Sola Scriptura, and the Question of Interpretive Authority, Called to Communion blog, 2009.これからもよろしくお願いします。🌷☘
追伸)それから、SOLAとSOLOのことでは、ジェイソンという元カルバリー・チャペル牧師で後に改革派牧師になり、最終的にカトリックに改宗された方がJourney Homeという人生の証し動画の中でいろいろと考えさせられることを言っていました。The Journey Home - 2013-12-09 - Jason Stellman - Former Presbyterian ministerで検索すると動画がでてきます。
カト教の物です。 Maria さんは Iesus に近い存在なので、つて、つながり がある、 自分で直接たのむよりも 効果がある、でしょうね。 聖書の中でどこかの結婚式で 水を Maria が Iesus に頼んで Wine にしてもらう表記がありますが、 カト教の人は これは良く出す例ですね。 ロザリオ Rosary は Maria 様を経由してするお祈りですね。 ロザリオ の 祈りは Ave Maria が 53回 含まれていますね。 また、 Exorcist、Exorcism などの 悪い霊を追い出すときは Maria 様がかかわると聞いていますね。 Maria の 別名は Queen of Angels 、悪魔もAngles の 一人だった。アメリカの 大きな 町に Los Angeles ロサンゼルス という町がありますが、その正式名称は El Pueblo de Nuestra Señora la Reina de los Ángeles del Río Porciúncula で まあ、 Maria は 天使の 女王だと 言う内容ですね。
カトリックでは・なぜ・聖母マリア像・あるいは聖画像等を拝むのか?
ハッキリしなかったんですが、明確に理解できました。感謝します。
コメントありがとうございます
まあ、昔は 文字を読めない人が多かったので、音楽、きれいな教会、偶像などで、神の世界を表そうとした結果でしょうね。
カトリックですが、これをキリスト教と呼べるのかについて、真の神と真理を求める者として各々が考えるのに役立つ良い内容と思いました。主の道を目指す方もそうでない方にも広く知って欲しいカトリックの実態です。
私も数年前に、この動画でご紹介くださったような公式文書のカトリックの教義がもはやキリスト教ではなく中身のすり替わった「なりすましキリスト教」と言ってもよいものだということに気付いてしまいました。洗礼を受けた当時、マリア信仰は気になったものの、まさか主を信仰対象第三位としているなど知りませんでした。唯一無二の真の神だけに従おうと「キリスト教」の洗礼を受けたはずでした。
これでは真理どころではない、栄光を帰すどころか組織のトップが主の栄光と権威を奪い、マリアや無数の聖人たちを崇めさせるなど最早多神教なのではないか、そんな思いにまで至りました。私のように、カトリックの方でこの公式文書を知らずに洗礼を受けている方が多いのではないかと感じます。人を崇拝、崇敬させ、神のみぞ知るところの死後の領域のことまで、勝手に会議で決めてしまうなどとは、神への冒涜と言えるのではないかと思います。
ただでさえ宗教組織と真の信仰が混同されキリスト教が誤解されている日本で、更に、「それはおかしい」と思える真理とも主への信仰とも関係ないこの公式文書があれば、誤解が深まり救いの道も遠ざかってしまうのはないかと思います。「キリスト教」の正しい認識による福音がなされるように祈ります。
勉強になります!カソリックとプロテスタントの違いというと、多くの場合組織や用語の違いなど表面的な話が多く、あるいは歴史の話に終始してしまいがちなので、価値ある動画だと思います。
ありがとうございます! 今回は教義の違いに全フリして動画を作ってみました!
こちらの動画内容、間違った情報源を採用してしまいましたね。正しいと信じて間違えることは人間として起こりうること、出発点は異なっても向かう先はカトもプロテも同じなんです。置かれた立場で祈りましょう。
とてもわかりやすい動画でした。プロテスタントとカトリックの違いがよくわかりました。私の友人もカトリックの方がおられるのです。何か違うと思っていたのですがはっきりと言えず、もどかしく思っていた時期がありました。でもその方は自分で聖書をしっかり読む方で、信仰もプロテスタントのような考えをしていました。でも教会はカトリックの教会に行っています。しばらく前、聖書をもっと勉強したいということで、うちのプロテスタントの教会にしばらく通って一緒に勉強しました。皆さん、自分では聖書を読まないそうです。
再投稿しましたが、何度やってもダメですね。
ご紹介したのは、クリス・モモセ氏の本の評価でした。これに関しては拙ブログ「シメオンの回廊」の最新記事で書きました。
また、教皇の不可謬性の意味についても、同ブログでは詳細に説明しています(「ローマ教皇の不可謬性とは」)。ともによかったら、ご参照ください。
さらに、十戒の区分についてですが、『新聖書注解/旧約1』(いのちのことば社)の354~357頁に「十戒の区分」についての説明があります。
「聖書はこの戒律を第一、第二というようには区別していない。…その結果、種々の分け方が採用されてきた」として、ユダヤ教、カトリック、正教会、ルーテル派、改革派などのそれぞれの区切り方が表にされています。問題の「第2戒」については、ユダヤ教とカトリックとルーテルは同じ考え方です。ご参考までに。
リンクを削除して少し短くしたら、大丈夫でした。
ご質問があれば、この欄でも、私のブログでも、あるいはいただいたメールにでもお願いいたします。
リンクがダメなんですね(T_T) 情報提供ありがとうございます!!
こんにちは。私は東方正教クリスチャンです。🌸🌼プロテスタントである小林さんとカトリックのシメオンさんのやり取りを興味深く拝見させていただきました。それぞれの立場で意見交換ができるこのような貴重な場を提供してくださり本当にありがとうございます!クリス・モモセ師の著書に関するシメオンさんのブログ最新記事を読みました。
「何よりも、資料の扱い方以上に、基本的な立場の違いを理解できていないのは大きな問題です。ボクシングの選手が空手の選手に「空手は蹴り技があるので間違っている」と言うことができないのと同じです。そう主張したいなら、「格闘技は蹴ってはいけない」ことを証明すべきです。それと同じで、彼らは「聖書と聖伝」を信仰の基準にするカトリック教会を、「聖書のみ」の立場で批判する無意味さを理解する必要があるでしょう。まず「キリスト教は聖書のみでなければいけない」理由を証明するべきではないかと思います。誰がいつ決めたのでしょうか。」(「シメオンの回廊」ブログ3月11日付より引用)
私はシメオンさんのこのご指摘に共感しました。たしかにカトリックとプロテスタントでは解釈パラダイム自体が異なっていると思います。しかも現代プロテスタントの聖書の捉え方には、SOLA ScripturaとSOLO Scripturaの二つの異なる立場があります。(小林さんはSOLAとSOLOとどちらの立場ですか?)参:Bryan Cross, Solo Scriptura, Sola Scriptura, and the Question of Interpretive Authority, Called to Communion blog, 2009.これからもよろしくお願いします。🌷☘
追伸)それから、SOLAとSOLOのことでは、ジェイソンという元カルバリー・チャペル牧師で後に改革派牧師になり、最終的にカトリックに改宗された方がJourney Homeという人生の証し動画の中でいろいろと考えさせられることを言っていました。The Journey Home - 2013-12-09 - Jason Stellman - Former Presbyterian ministerで検索すると動画がでてきます。
@@user-zx1sm8bg3c 様 拙ブログにご訪問下さったようで、感謝します。小林さんの寛容さもありがたく思っています。Journey Home、見てみます。ありがとうございました。
今回も、大変勉強になりました。
私はプロテスタントですが、SNSでカトリックの方とも交流しているので、教義に関係すような深い話は避けています。
でもそれほど違いはないもとの思っていました。でも、マリア様に祈ったりすることも違和感はありましたが公式文書で決められていたというのは驚きです。
十戒まで違っていたとは。。。。
タイトルにもあるように別の宗教と考えた方が良さそうですね。
コメントありがとうございます。「違う信仰・宗教」として関わる方がいいなというのが僕の結論でした!
到底、聴いていられないー間違った説明です。プロテスタントには多くの教派があって、決められた一つの見解があるわけではありません。私は福音派に、散々、痛め付けられたので、コメントすら聴きたくありません。
聖書もプロテスタントの物はアメリカでは数 Chapter 少ないですね、Baruch, Judith, 1 and 2 Maccabees, Sirach, Tobit and Wisdom などは入っていないですね。
私はプロテスタント信者ですが、カトリックとの違いを明確に知りませんでした。マリア様を拝まない、偶像礼拝しない、賛美歌が違う、教皇に権威を置かない、くらいかな、と思いましたが十戒が違うとは!驚きでした。
動画配信ありがとうございます。勉強になりました。
旅先で教会を訪ねるときはカトリックを選ぶ、と言っていた人がいました。カトリックはどの国に行ってもミサの手順が同じだが、プロテスタントの協会は国ごとどころか教会によって日曜の礼拝のやり方が違うからとまどう、というのです。教理の違いより礼拝のやり方の違いでカトリックの方がいい、という意見でした。
話は変わりますが、エスペラントを話す人たちの世界大会では、プログラムの中にエキュメニカルな礼拝(ekumena diservo)があります。カトリックもプロテスタントも正教会の信者も参加して、いっしょにお祈りをするのだそうです。
情報ありがとうございます。カトリックはどの国でも基本的に変わらないところも、プロテスタントとの大きな違いですね。
昔 カトリック教会は 1970年以前では どの国でも ミサは すべて ラテン語 だったのですがね。 日本でもそうでしたね。 ちなみに私は ラテン語のミサに行っています。 そのミサでは 昔の ラテン語で歌われる Gregorian Chant 、パイプ オルガン、 彫刻、絵画 などの飾り物がたくさんありますね。
25:56 マリアはイエスよりも憐れみ深く救いの源である、なんてどこに載っていましたか?教皇不可謬説については、信仰や道徳についてエクス・カテドラ(教皇座)から厳かに宣言されたものに限定されます。
コメントありがとうございます。
【マリアはイエスよりも憐れみ深い】
→ 「聖母マリアの栄光」p.167-168に「ときおりは、救い主イエズスのみ名を呼んで祈るよりは、マリアのみ名を呼んで祈った方が、もっと早く聞きとどけられる。……私たちは、多くのことを神に祈っても与えられず、マリアに祈れば与えられる」「私たちがイエズス・キリストによりたのむときは、イエズスが私たちの審判者であり、私たちの忘恩を罰する任務をおもちの御方であることを、忘れることができない。ところが、マリアの任務は、ただあわれみだけである。マリアは私たちの弁護者であり……それゆえ、私たちはもっと安心し、もっと深く信頼することができるのである」などの記述があります。他にも、同趣旨の文言が同書p.246にも見られます。
【マリアは救いの源】
→ こちらも「聖母マリアの栄光」p.197などに「私たちがマリアを天の門とお呼びするのは、天の門なるマリアを通らなければ、だれも、天国にはいることができないからである」など、多数の記述から「マリアは救いの源」と表現しました。
【教皇不可謬説】
→ そうなんですか! どこかに記述がありますでしょうか? 第1バチカン公会議の第4総会、キリストの教会に関する第1教義憲章、第1章「聖ペトロにおける使徒座の首位権の制定」条文の中に「神の助力によって不可謬性が与えられている。そのため、教皇の定義は……改正できないものである」と書いてありますが、これは限定的なものだということでしょうか? 違う言い方をすれば、教皇もエクス・カテドラから出した発言でなければ間違うこともあり得るという認識で良いでしょうか? 教えてください!
@@cloud_church
【マリアはイエスより憐れみ深い】
マリアとイエスを比較してどっちが憐れみ深いとやるのは神とマリアに対して失礼に当たるからしませんが、イエスとマリアは深い所で一致しているといえるでしょう。聖書には、カナの婚礼で、「私の時はまだきていません。」と断るイエスに対し、マリアは信頼をもってとりなしたとあるでしょう?それはどのように解釈しますか?
【マリアは救いの源】源は言いすぎです。救いの仲介者でいいんじゃないでしょうか?
【教皇の不可謬】私の持っている青年向けカテキズム「YOUCAT」によるとカテキズム888-892に書いてあるとあります。英語ならカテキズムのサイトで、カテキズム番号で検索できます>教皇もエクス・カテドラから出した発言でなければ間違うこともあり得るという認識で良いでしょうか?
そういう事だと思います。あと、公会議の決定にも不可謬性はあります。
「YOUCAT」では、聖母を崇敬しても、礼拝してはいけない、とはっきり書いてあります。
カトリックの事を真摯にお知りになりたいなら、青年向けカテキズム「YOUCAT」をお勧めします。見やすくてとっつきやすい、前教皇監修の公式本です。amazonでも買えます
@@cloud_church 【マリアはイエスよりも憐れみ深い】【マリアは救いの源】という「根拠」があってのマリア崇拝だったのですね!ただ、これは完全にイエス様本人の御言葉を否定していますね。。。
どうりで、カトリック法王は世界統一政府を目論む反キリストのリーダー格(天皇家がトップ!)だとスピリチュアルで教えているわけだ。。。イエス様を形骸化して実質偶像崇拝をさせて内部崩壊をたくらむ敵の策略でしょうかと個人的に捉えてしまわざるを得ないです。。
@@cloud_church 教皇が発言した内容が、一聖公の使徒伝来と古来よりのカテキズム的な内容と十戒から外れるような異端と思われる時は、キリスト信者は受け入れなくても大丈夫ですし、また司教も、異議を唱える事ができると思います。カトリックは奥深く知るほど恵みは本当に凄いです。第2バチカン公会議から悪魔の煙により、プロテスタント主義と手による聖体拝領が入りましたが、基本はいけません。プロテスタントと違い、それは本物のキリストの身体に聖変化するので祝福された司祭以外が触ってはいけないのですが、現在は手による聖体拝領が一般的になっています。
しかし予言者幻視者のメッセージと同じく、天は認めてないのが問題です。
カトリックの中にはSSPXのピオ10世会のように古来よりの美しく荘厳な伝統ミサの基本を完全に護るトリエントミサを受けてる方達もいますし、また手の拝領がいけないと知ってる方達は未だに舌で拝領してます。
画像で見るカトリック
th-cam.com/video/-v3RL5i6sWQ/w-d-xo.htmlsi=e2TotA-pc_JLIqoh
キリスト教を学ぶには聖書を、カトリック教を学ぶにはカテキズム(公的教理)をが必要
ゆえに聖書を学んでもカトリックの確信にはたどり着けない、聖書をしっかりと学ぶとキリスト教になる
ありがとうございます!
スパチャ、ありがとうございます!!!
詳しい解説をありがとうございます✨
よく理解出来ました!!! アーメン
ありがとうございます。とても勉強になります。
正教会や聖公会の比較もお願いします
カトリックとプロテスタントの違いが良くわかりました。
ありがとうございます。
とても参考になりました。
私はカトリックの幼児洗礼を受けていて、カトリックかプロテスタントかを選ぶという事なく今まで来ました。
改めてカトリックの教えを知るとプロテスタントの教えに納得のいくことばかりのように感じました(苦笑い)この動画の出会いをきっかけに自分でも勉強してみたいと思いました。ありがとうございました。
カトリックの出鱈目ぶりがよく理解できました、ありがとうございます
マリアについての記載は何という公文書にあるのでしょうか?自分で確認したいです!!
Westminster Standards みたいに。。
死後の行き先が違っても、プロテスタント→天国、カトリック→煉獄経由?からの天国でも同じ宗教・信仰なのでしょうか?
なんとなく違いは知っていたけど、びっくりしたので概要欄リンク先からこの本を購入して読んでみることにしました!私は聖書をそのまま信じてこの先も生きていきたいです。神から守るよう言われたことは守りたいし、、、死んだら何百万年も煉獄に繋がれるなんて、予定外です!笑
ぜひ本をお読みになってください!
私と息子はプロテスタントですが 先祖代々カトリックの所から お嫁さんが来てくださり お嫁さんはプロテスタントで今洗礼準備中です。カトリックの神父さんとお会いしお話しした事もあります。お嫁さんのご家族も プロテスタントの洗礼に賛成して頂いてます。
市民クリスマスでは カトリックもプロテスタントも一緒にイエス・キリストを救い主の御降誕をお祝いしますよ😊❤❤
ハレルヤ❣❣アーメン❢❢
小林さん、あなたが反論や情報提供をこばむのでなければ、コメント欄をお借りして、10数行の文面をお送りしたいのですが、よろしいでしょうか。
是非コメントお願いしたいです。
@@hirosean 様 あなたのコメントに応じる形で、私の投稿をこの部分に貼付したのですが、また削除されました。信じられませんが。
@@s.katori8203 様々なコメントを聞きたかったので残念です。
@@hirosean 「シメオンの回廊」というアメブロを見てみてください。近日中に続編も書く予定です。
@@s.katori8203 ありがとうございます。
偶像礼拝はプロテスタントでも常習化しており厳密には守られていない。それが礼拝堂の正面に掲げられている十字架。この十字架を見上げてキリストを思い描き、祈りをささげている。十字架にキリスト像はないとは言え十字架を象徴するものは神を視覚化した偶像そのもの。
おっしゃる通りでして、私は個人的に十字架を掲げることに抵抗があります。クラウドチャーチのロゴにも十字架を採用していないのはそのためです。
十字架がないと、モルモン教やものみの塔、キリスト集会所の様な、ヤバさしか感じない。
教会にある十字架を見上げて想い描いてないよ。それではカトリックだ。プロテスタントはいつでもどこでも祈る事ができる。十字架にかかったイエスを思い描いてない。
イエスは十字架から降りて復活した。
十字架かはキリストとすぐに判別できる。印みたいなもの。
取り敢えずシンプルな目印ぐらいはあったほうが良いと思います
私はカトリック信者です。確かに、カトリックは公式文書だけ読むとメチャクチャ厳しい宗教のように思えるのですが、日常生活はあまり厳しくなく、プロテスタントの信者さんのほうがストイックな生活をされている方が多く、敬意を感じます。「教皇の誤謬性」というのは、あまり最近言われていません。教皇の指針と違うことを違うことをしていても、今は破門されたりすることはありません。一般信者が神ががって教会の聖職者以上に権威を持ってしまい破門された事例が数年前韓国でありました(羅州の聖母事件)。赦しは教会の秘蹟を通じて与えられる、というのがカトリックの特徴だと思いますが、今は自分で考えて福音的な生き方をすることが信者に求められています。しかし、伝統的には教会の権威も重視され、中には教皇の社会的な発言で、自分の政治主張に合う部分だけを取り出し、教皇の権利を利用して、自分の政治主張に反する人を裁いている方がたまにいるので、そういう方にはちょっと違和感を感じています。
お〜〜〜! 詳細な解説ありがとうございます! 実態と公式文書が違うことがほかのコメントからも伝わってきました。そういった場合は、誰が言うことが正しいと判断されるのでしょうか?
私もカト教ですが、アメリカでは確かに Protestant 厳しい人が多いですね。 カト教は 見かけは厳しそうだが実際は 緩い。 プロテスタント は 逆で 見かけは ゆるいようだが、実は厳しいですね。 日曜日の買い物ダメとか、酒ダメとか 聞きますね。
@@cloud_church さん、誰が言うことが正しいとされるかは、難しい問題です。ヒエラルキーから言って、最終的にはローマ教皇になるのかもしれませんが、教皇はあまり具体的な信仰生活には言及しません。それをしたら信者の信仰生活を支配することになるでしょう。一応「公教要理」と言う、カトリックの決まりはこんなものです、みたいなものを、洗礼を受ける前に学ぶのですが、どこまでその決まり通りに生きるかどうかはここの信者によって違います。また、信者を導く司教や司祭によっても考え方が違う場合があります。20世紀後半に行われた第二バチカン公会議以降は、決まり通りに生きるよりは、福音的な生き方をするほうが大切だとも言われています。
ただ、カトリックは長年位階制が敷かれていたことから、ヒラの信者が他宗派の人から、カトリックの教えはどのようなものですか?と聞かれた場合、「私は答える資格が無いものです」と言って逃げてしまう人が多いような気がします。
@@cloud_church まあ、カトリックは 特にアメリカでは一枚岩ではないからね、非常に多様性のある宗教だと思いますね。 公式な文書も、新しいものから 古いもの、新しいやつはだめという人もいれば、古いのは時代遅れでだめだという人もいますね。 まあ、少しでもカトリックを信じている、マリア像を持っているだけで、あなたは立派なカトリック教徒ですと言う感じでもありますね。
@@Porco_Utah
プロテスタントですが日曜日の買い物駄目なんて聞いたことはありません。
めっちゃよく理解できました。
受け売りさせていただきます😅
主の栄光に感謝します。
外典はいつできたんですか?
様々です。紀元前3世紀頃の書物もあれば、紀元2世紀頃の書物もあります。
@@cloud_church ありがとうございます。すいません、私の質問の仕方がない不十分でした。カトリックが外典を聖書の一部としたのはいつからですか?
プロテスタントができた後ですか?
@@kyoninmiyamoto1914 最初に 聖書 となるものを集めて 編集したころ Council of Hippo (393 AD -- Anno Domini Nostri Iesu Christi ) ころ。 キリストの時代は口伝えで 、書き残されたのははだいぶん後になってからですね。
プロテスタントの初見さん対する、「今日教会にいらっしゃった◯◯さんですー」「初めましてー、どちらからいらっしゃったんですか?」というスタンスが苦手です。
初見さんに対してもクールで、来る者は拒まず去る者は追わず的なカトリックが、私には合っています。
この動画の元ネタの本をチェックしてみました。これが神からくる本ではないことがよくわかりました
どのへんがそう思われた根拠なのでしょうか? 教えて下さい!
まさしく、この番組が、カトリックが誤った教会であることを主張していることが、よく分かりました。
@@cloud_church お教えしても、私がされたようにコメントが消されてしまうんじゃないの?
must item多いですね!自分はそういうの無理です。プロテスタント界でのんびりやっていきますわ❤
①十戒の捉え方も同じです。元々私はプロテスタントだったので同じだと断言できます。
②マリア様を祈る事はしません。プロテスタントでも、皆さん一緒に祈ってくださいということがあるでしょ。
それと同じで信者の先輩であるマリア様に一緒に神にお祈りして下さいと言う感じです。
通常は神に祈ります、たまにマリア様に一緒に祈ってもらうという感じです。
それと聖書以外の教えも話されたことはありませんので公文書なるものは知りませんし。教皇の教え、名前も話に出てきた事もありません。
③煉獄ってそこにいる期間はイエス様が天国に行けるか地獄に行くかの振り分けをされるまで待っているの状態なのででそれに速い遅いはないですよ。
煉獄って焼かれるのではなく清めの苦しみを受ける状態なので、そもそも煉獄の期間が短く出来るなら浄化(清め)されてない状態なので地獄行になりますよね?
献金関係に関してはカトリックはプロテスタントのように多くの金額は求めてませんよ
そもそも11献金のような教えもありませんし。
コメント感謝です!
① 十戒
→ 区分けが違うのですが、偶像礼拝の規定はカトリックではどこに行ってしまったのでしょうか?
②マリア
→ 感覚は分かりました。でも、プロテスタントの立場としては、故人に祈ってもらうというのがあまりしっくりきません。
→ 現場ではあまり教皇や文書の教えが出てこないのですね。参考になります
③煉獄
→ そうなんですね? 公式文書によると、短くなったり、長くなったりすると書いてあるのですが、それは間違っているのでしょうか?
→ 私は個人的にプロテスタントの10分の1献金の規定はやりすぎだと思っています
@@cloud_church 横レス失礼。偶像礼拝の説明は『カトリックのカテキズム』、昔の『カトリック要理』に書かれています。
「偶像規定はどこに行ったのか」という疑問は、「第2戒」の扱いがカトリックと同じユダや教やルーテル教会にも感じますか?
お忙しそうなので恐縮ですが、先日お教えした拙ブログの「カトリックが改竄した「十戒」?」という記事を参照してみてください。
ご質問があれば、すべてお答えします。
ユダヤ教はカトリックと同じではなく、一般的なプロテスタントと同様ですよ!
ルター派は個人的に準カトリックだと捉えています。その意味で同様に疑問に思います!
ブログ、すみません、まだ読んでないんですがしっかり読んでみます!
@@cloud_church ユダヤ教とカトリックの【「第二戒」の部分の分け方】は同じです!「偶像を拝むことなかれ」を数えていません。拙ブログでは、いのちのことば社の注解などを使ってそれを説明しています。
区分分けも内容も聖書の内容も司祭(牧師)の説明もカトリックプロテスタント全くおなじです。偶像崇拝の説明も同じですでてきますよ。どこからそんな話が出てきたのかわかりかねます。@@cloud_church
後ろに、ダビデの星があるのは、なぜですか?
僕は2012年-2013年に1年間イスラエルに留学したので、その時に記念に買った国旗です! その時の思い出に、帰国以来、部屋にはっています。
両者の違いを明確に調べていただき感謝いたします。これからも与えられた賜物を生かして私たちに真実のメッセージを提供ください。
宗教改革において、ルターが聖書に帰れという趣旨のもとに、信仰義認を 打ち立てたにもかかわらず、人間というものは自分たちの中で規則を作り、聖書よりも自分たちの規則を優先してしまう愚かさを改めて知らされました。
しかし、聖書だけを拠り所としている者であっても、聖霊に導かれ、キリストに留まらず、聖められた良心を無視するなら、私たちは同じ過ちに陥ってしまいますね。😅
コメント感謝です。おっしゃる通りです。今は聖霊の時代。聖霊に聞かなければいけませんね。ルターの宗教改革も、聖霊を忘れる不完全なものでした。
カトリックとプロテスタントの違いで触れられていない事でカトリックは奇跡を認めるというのがあるのですが、ファチマの聖母とか色々ありますがこの事についてどういう見解なのか教えて頂ければ幸いです。
完全に意見が一致してうれしいです。
また、はっきりと明言してくれて感謝します。
明言を避けているクリスチャンは多いです。
カトリックだけでなく、正教(オーソドックス)も完全に違います。
コメント感謝します。正教も、勉強して動画を作ってみたいですね。
10:59 都合が悪いから削除しちゃえってそれやばいですね
とても勉強になりました。
最近クラウドチャーチの動画を見るようになり、聖書を深く知ることができるようになりました。
大変感謝です。
因みに、教会史でプロテスタントができる前も信仰による救いを受けていた人はいたのでしょうか?
前から少し気になっております。
このことは日本人にも言えますね。
ザビエル以前でも、日本人で救われていた人はいたのでしょうか?という質問にも応用できるかもしれませんね。
コメント感謝です。面白いですね! そのご質問は突き詰めると、「イエスが地上に来る前の人はどうなったのか?」という問いにもつながると思います。
以下、私個人の意見ですが、まず救いを受ける受けないは神の主権なので、人間が客観的に「あなたは救われていない」と宣言することはできません。しかし、救いの条件はただひとつ「イエスを主と告白すること」に尽きます。これは聖書で何度も明らかに説明されていることです。そして、その告白は「聖霊が働かないとできない」ということも書かれています。
ですから、聖霊によりイエスを主と告白した人は、どのような宗教的枠組み(原始キリスト教、カトリック、正教、プロテスタント、他)でも「ありえる」と私個人は考えます。しかし、ひとたび聖霊が働いた人は、とても間違った教えや文化をそのまま組織の中で実行できないと思います。逆にプロテスタントだからといって必ず救われているとも限りません。
将軍ナアマンのように、目立たない、静かな抵抗をしていた信者はいたのではないかと想像します。
@@cloud_church コメントありがとうございます。
救いを受ける、受けないは神の主権ということですね。
・・・・ということはたくま先生は、アルミニウス主義よりもカルバン主義ということになりますか?
実は予定論のことで、いろいろTH-camを見たりしていますが、ハーベストタイムの中川先生はバリバリ予定論支持者ですが、ソウザ・チアゴ先生は予定論を反対しておられます。これからクリスチャンとして生きていこうと考えている者ですが、どっちの主張が正しいのか教えていただけますか?
ディスペンセーション主義と契約進学にとても同じです。
失礼ですが 牧師以外に牧仕というお役職があるのですか? キリスト教に詳しくないので御教示くださいませ。
@@田中一雄-q6z
横から失礼致します。
カトリック神父は、司祭とも呼ばれ神からの特別な権利を引き継いだ使徒伝来の叙階制度があり、プロテスタントの牧師は、カトリック側から言うと、同じキリスト信者で、牧師として、宗教法人等をして未信者に教える人だと思います。
「司牧」はカトリックでも、羊の群れを
(信者)導くと言う意味で司祭達の仕事にあたります。プロテスタントでの
未信者を導く事を同じように「司牧」として使用してるかもしれませんが
十戒の区分では、プロテスタントのルター派はロマカトと同じですよ。お調べいただきたくお願いします。
カトリックもプロテスタントも教義に差はあれど、瑕疵と言えるほどの誤りはないように思ひます。「同じ方向に向いている」「信仰のベクトルは同じ」と感じています。複雑な双方の教義の違いを簡潔に整理、分析、理路整然と解説されており、本当に驚きました。繰り返し視聴したい。
そうなんですね。私は個人的に、特に聖書の考え方、偶像礼拝の捉え方、マリアの捉え方が完全に異なり、ベクトルが違うと感じてしまいました。
(1)偶像を偶像と理解しない祈りと(2)偶像を偶像と理解しての祈り(正統ではないが瑕疵はない)は異なるとカトリック教会は考えていると思ひます。プロテスタントの立場が「正統」でガチだと思ひます。自分は(2)を好みます。カトリックの教義は(個人の意見ですが)「人の弱点」を考慮しての修正であり、しかしその修正も「決して『聖書の正統』を害するものであってはならない」との鉄則があると推察致します@@cloud_church
長崎ウエスレヤン大学講師の加藤久雄は「当時(明治初期の禁教令廃止の頃)のカトリックの教義が厳格であったこと、そして信仰するにあたって様々な負担もあって、なかなかカトリックには入って行けなかった。しかし、1960年代の第2バチカン公会議以降、日本語ミサや地域への順応など教義が寛容になった。もし、明治初頭の禁教令廃止の際に今のような寛容な教義だったら、潜伏キリシタンは皆カトリックになっていたと思います。」と述べている(ウィキペディアより引用)
@@cloud_church
気をつけろヨ!全部、インチキだヨ!
カトリックとプロテスタントは別の宗教だとよく耳にしていたけど、同じ神様を信じてるんだから、そんな事ないだろうと思っていたけど、あまりの違いに衝撃を受けました。
私はプロテスタントなのですが、もしカトリック教会に行っていたら、毎日罪の不安と罪悪感を背負い、どんなにがんばっても救われるのか分からない不安と、煉獄の恐怖を抱えて、心が休まる事のない人生を送るのではないかと思いゾッとしてしまいました。
ありがとうございました。とても勉強になりました。神の言葉に、付け足しをしたり、さしひいたりして別物にして、神のことば、権威の上に、これらの自らの考えをおいて人々をまどわした、パリサイ主義にどこか似ていると思いました。
コメントありがとうございます。「伝承」を大切にする姿勢は、ユダヤ教の「口伝律法」に似ている部分がありますよね。
思ったより結構違うなぁ。。
詳しい解説ありがとうございます。たいへん勉強になります。これでは小林さんの仰る通り、別な宗教のようですね。
カトリックはキリスト教というより、カトリック教が近い、経典は聖書を参考にしたカテキズムを用いる
こんなにも違うのですね。有名なあのキリスト教のラジオでは、カトリックの司祭も出演していますが、そもそも教えが違うのに一緒にできるのかなと感じました。
もう一つ宗教画の考え方として、江戸時代にキリシタンかどうかを見分けるために、踏み絵を踏ませたというのがありましたよね。当時はカトリックでしたから深い意味があったのでしょうね。
私は個人的に完全に違う宗教だと感じました。ありがとうございます。
@@cloud_church
最近、宗教について目を向ける様になりました。完全に違う宗教だと感じたという考え方は参考にしたいと思いました。同じ聖書を教典としていますが、捉え方が違うことでこうも違ってくるのですね。
ありがとうございました。
素晴らしいご説明です。
元カトリックです。今は福音派です。その通り完全に別の宗教で、信じているものが違いますね。
コメントありがとうございます! そうなんですね! お話うかがってみたいです。
プロテスタントにも色々教派があり異なる解釈もあるということでしたので、「〜プロテスタントの違い」とプロテスタントをひとくくりにしないで、あえて言うならば、「〜プロテスタント何々派との違い」とされた方が良いと思います。あと、この手のトピックスはプロテスタントの方の発信が多く見受けられ、カトリックをさりげなく曲解されてる方が多く残念です。大きなくくりのキリスト者として、ポジティブに語りたいですね。
コメント感謝します。動画で話していますが、あくまでもプロテスタントの「福音派」、特に私の考えとの違いだという視点でお話しております。
@@cloud_church 福音派の方々は基本的にカトリックに対してかなりネガティブだということがわかりました。返信ありがとうございました!
やりとりありがとうございます!
“へーボタン”を100回くらい押したいです!亡くなった母にはカトリックの親友がいて、マリア像のグッズをその方からもらって大切にしていました。カトリックではマリアがそんなに大きな存在だったなんて!では三位一体の考えはプロテスタントだけなのでしょうか?
コメントありがとうございます。詳しくは分かりませんが、一応建前としてはカトリックも三位一体だと思います。ただ、事実上マリアもそこに入っているような、、、というのが個人の感想です。
三位一体 、Trinity は カトリックでもありますね。 十字を切るとき、父と子と聖霊のみ名によって。アーメン と言いますね。
カトリック信者ですが、まず、
①カトリックの使う聖書にも偶像のくだりは出てきます。
②カトリックも聖書の内容しか教えないです。
公式文書ですか?
それにかかれているような教えは聞いたことがないです。
③免罪符売ってないです。
コメントありがとうございます。
①カトリックとプロテスタントの聖書に違いはありませんよね。今回の動画の十戒の主旨は、何を十戒と捉えているかが異なるというお話でした。
②公式文書にかかれていることと、現場で教えていることが異なる場合、どちらの教義が正しいと考えればいいのでしょうか?
例えば、マリアに祈ることは教えていませんか? それは聖書には書かれていないことなので、「聖書の内容しか教えない」ということにはならないかと思いますが、いかがお考えでしょうか。
③免罪符という名前では売っていませんが、本によると煉獄の期間を短くするための有料のお守りを現在でも販売していると書いてありました。
この番組が言っていることは、全てデタラメです
免罪符 Indulgence は 売っているというよりも、一定の額を寄付するともらえる習慣でしたね。 お金でなくても、 今でも、一定の行動、11月に何回かミサに行って、Confession に行って、墓参りをすなどで、 もらえますね。
@@cloud_church
煉獄の期間短縮について、そのような物が売ってる場所は見た事ないですが••何か準秘跡と呼ばれているメダイ等や、特別な赦しが死の時に頂ける十字架の間違いでは?と思ってしまいましたが。
基本煉獄では償いが出来ないので、生きている信者の祈りの他に(公教会祈祷文の中にある祈りが特別に何年の免罪を得られるとありますからそれを譲る)ミサ及び
犠牲やら償いを変わりに捧げてあげる事で短縮されます。
この動画をアップしてくださって感謝です。カトリック教会の違いを知っているつもりでしたが、知らないことがたくさんあったのでびっくりしました。特に10戒で2戒がなくなっていて10 戒が二つに分けられているのは知りませんでした。ありがとうございます。
わたしの主観的な結論はカトリック教はキリスト教にはあたらない です。
そうですね。韓国ではカトリックは天主教、プロテスタントは基督教と呼ばれています。そのように、別の宗教と捉えた方がよりフラットだと私も思います。
私はカトリックですが、彼の話は当たっていますね。 よく説明してますね。 日本からのカトリック教徒で、今、アメリカに住んでいる物ですが、プロテスタントの人はカトリックは 厳格だと思っている人が多いですね、 実際は、規則、見た目、修道女、神父さんなどは厳格な人が多いですが、一般人はそうではないですね。 逆に プロテスタントの人のほうが毎週教会にも行くし、厳格な人が多いと思いますね。プロテスタントは見た目、外観は 軟そうだが頑固な人が多い。 カトリックは 見た目は頑固そうだが、実際は かなりいい加減かな。
コメント感謝です。リアルな声をありがとうございます
カトリックの信者ですが、モモセさんのカトリックに対する捉え方がすごい悪意があるなぁと感じました。カトリックについて色々ご説明いただきましたが、果たして何人のカトリック信者が共感、納得してくれるかどうか?ほとんどの方が共感しないだろうと思う動画でした。
コメントありがとうございます。今回の動画やクリスさんの著作は、すべてカトリックの公式文書をベースにしています。教皇の権威の認可が下りている公会議などの表記をもとにお話しているので、もし間違っているのであれば大変なことです。具体的にどの部分が共感できないのか、それはなぜなのか、教えていただけると理解が深まります! ぜひよろしくお願いいたします!
同感です。悪意と敵意に満ちた非常に歪んだカトリック理解で、とてもがっかりしました。
肝心な話、マリア様は常に私たちにイエスを指し示します。人類の救いは受胎告知の時のマリアの「フィアット(そのようになりますように)」から始まったことをプロテスタントは過小評価しすぎです。聖書で目立たないほど神の母は謙遜ですが、初代教会成立時からマリアは教会の核にいました。(聖霊降臨の時もいましたね。)イエスの幼少期の事を一体だれが証言したのでしょう。ヨハネに「あなたの母です」といわれたのは私たちにも言われているのです。イエスの誕生、死、復活すべてをマリアは信仰をもって受け止めたのです。それゆえマリアは天の位の高みにあげられ、私たちへのとりなし手、信仰の鑑として恵みを仲介しておられるのです。@@cloud_church
めちゃくちゃな解説です。わたしが知る牧師さんはそのような解説はしませんよ。本当に貴方はプロテスタントですか?ツッコミどころが満載すぎて悪意さえ感じます。その情報源がやば過ぎです。
どこ情報だよソレ。😂
なぜ第二戒をスキップしたのか気になります。
なぜマリアを崇敬しているのか謎でしたがちょっと分かりました。神に命令できるというのが腑に落ちませんが…
カトリックの信者に聞いてみたいですね
気になりますよね。個人的な立場から申し上げれば、やはり聖画やマリア像、イエス像を使用することを偶像礼拝と指摘されることを避けるため、と思えてしまいます。ただ部外者なので本当の経緯は存じ上げません。
カト教の物です。 Maria さんは Iesus に近い存在なので、つて、つながり がある、 自分で直接たのむよりも 効果がある、でしょうね。 聖書の中でどこかの結婚式で 水を Maria が Iesus に頼んで Wine にしてもらう表記がありますが、 カト教の人は これは良く出す例ですね。 ロザリオ Rosary は Maria 様を経由してするお祈りですね。 ロザリオ の 祈りは Ave Maria が 53回 含まれていますね。 また、 Exorcist、Exorcism などの 悪い霊を追い出すときは Maria 様がかかわると聞いていますね。 Maria の 別名は Queen of Angels 、悪魔もAngles の 一人だった。アメリカの 大きな 町に Los Angeles ロサンゼルス という町がありますが、その正式名称は El Pueblo de Nuestra Señora la Reina de los Ángeles del Río Porciúncula で まあ、 Maria は 天使の 女王だと 言う内容ですね。
あー、だから新共同訳には続編があるんですね〜
私はプロテスタントです😊
コメント感謝です。共同訳には、続編付きのものと、そうでないものがあります。カトリックへの配慮ですね。
50年近くプロテスタントのクリスチャンでしたが、自分がカソリックについて何も知らなかったということを初めて知りました。確かにカソリックとはプロテスタントは異なる信仰を持っているということが明白になりました。最も驚いたことは救いの確信は生存中は持つことがないというご意見でしたが、プロテスタントでは救いの確信がない場合は自分をキリスト者とかクリスチャンと呼ばないのではないかと思いますが、驚きですね。
プロテスタント信者です。ヒェ~!不勉強でお恥ずかしいのですが、こんなに違うとは思っていませんでした。勉強になりました。まさに違う宗教です。クリスチャンは偶像崇拝を忌み嫌うと思っていたのに…💦。ショックです。御利益宗教のように思えてきます。
煉獄、というなら、でたらめ魔女裁判で市民を苦しめた時の、ローマ教皇の罪はどうなるのだろうか?
ここまで違うとはね
カトリックとプロテスタントの違いは教義が異なるので自然と色々でてきますね。
少し視点を変えて民族にフォーカスしてみますと
カトリック=ラテン民族
プロテスタント=ゲルマン民族
ここのコメ欄見ても
日本人以前にその民族の気質や考え方や性格的な部分などその特徴が表れていると思いました。
このような見方も面白いかもしれません。
初めて書き込ませて頂きます 私は2001年にカトリック教会で受洗しました 今回の動画を拝見してびっくりした事が幾つかありました 思いつくままにですが幾つか書かせて頂きますね
父と子と聖霊、三位一体の神のみを信仰し救いが与えられると信じています
教皇様も不完全な人間なので定期的に赦しの秘蹟を受ける必要があります
免罪符とか、それに似たものを私は見聞きした事がないです
使徒信条はプロテスタントの方と殆ど同じです
(1箇所、普遍のって言葉が違うかと)
死後は復活の希望を持って眠りに就く、と教わっています
マリア様が聖霊によって孕ったのはイエス様だけで他の兄弟は人として妊娠出産なさいました
(天に挙げられ人間の中で最初に無原罪とされた、って所はプロテスタントと違ってます)
文章めちゃくちゃですけど、私の認識はこんな感じです
ロマカトとプロテスタントの基本信仰信条(アタナシウス信条・ニケア信条・使徒信条)は同じですが、解釈が違うということですか?あと、超教派の祈りの集いの中にロマカトの方もおられますが、これらの方は自由祈祷はされませんが、成文祈祷で祈ります。しかし、最後の結びはイエス・キリストの御名で、お祈りいたしますとか、おさげしますとか、と祈りますが彼ら彼女の祈りには、ローマの教令に逆らっているということでしょうか?ちなみに私は、改革長老系のプロテスタント会員です。
プロテスタントは組織も小さいし、誰でも明日から1人で教会を作ることは可能(宗教法人に登録できるかはまた別問題として)。だから批判のしようがないんですね。
聖書には救われていない人は死後、永遠の地獄に行くという概念は無いように思うのですが~
私のコメント、消してますか?(4回投稿しました)
反論はいけないという投稿規定があるなら、仕方ないですが。でも、あなたのブログで相手が牧師であっても意見があれば「指摘」は必要だ、と言っていましたよね。
削除はまずいですね。
@@hirosean様 この欄にそのコメントを貼ったら、削除されました。
こんにちは。クラウドチャーチの小林拓馬です。コメントが消えてしまい、申し訳ありません。当方では削除した記憶がなく、おそらくTH-cam側の自動判定で削除されたものだと思われます。お手数ですが、再度コメントしていただくことは可能でしょうか。よろしくお願いします。
TH-cam は AI が判断して勝手に消す場合があるからね。 その場合は TH-cam の Account の持ち主はComment があったこともわからないそうですね。
@@Porco_Utah 様 なるほど、よくわかりました。AIは何を基準に決めているんですかね。結局、ご本人には直接メールを差し上げました。
マリア様、聖母マリア様と様付けでいう,片や,神、イエスと呼び捨てにしている、どちらが尊いのだろうか?
約500年前、カトリックの考え方ややり方はおかしいといって分裂し、教義などを作り変えたがのがプロテスタントだから違うのは当然だけど、ちかごろのカトリックは異端としていたプロテスタントを枝分かれした兄弟だといっているね。
カトリックとプロテスタントの違いは神と信者の間に司祭が介入するかどうかの違い。
プロテスタントでもマリア信仰を認めるところが多い。
イエスではなくマリアを信仰している地域というのはかなりある。信者を失わないためにはマリアを認めるしかない。
マリアを認めないのはネストリウス派とアリウス派、そしてエホバの証人でいずれも過去に異端とされている。
プロテスタントですがマリヤ信仰を認める教会は少ないですよ。
@@ハクタカ-e5c 自分も同意です。プロテスタントなのにマリヤ信仰をする人々はほぼ皆無かと・・・
とすれば、プロテスタントから変わっていったパターンかもしれません。
酷い教え😢考えられませんね! 真理が明らかになりますように🙏 彼らをお救い下さい。
(T_T)
「マリノ・レストレポ氏の証言」がいいかもね。読んでみてください。
情報ありがとうございます!
@@cloud_church さま、聖ファウスティナの慈しみのイエスさまについてもお読みいただけると嬉しいです😊神さまは素晴らしいですね。出発地点は異なっても向かう先は同じだから、置かれた場所で祈りましょう
有益な情報ありがとうございます。キリスト教のイースト菌、毒麦の存在を感じました。聖書では母マリアは祝福された女性とあります。しかしイエス様は、マルコ3:32-35 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」ここでは、母子の関係から救い主がイエスで救われる側が母マリア、肉親であると語られています。
そして、神の御母は選ばれた婦人でもあり、キリストを最も深く愛して理解した、一番弟子でも有り、
神の御心のままに、いつでも
「フィアット」はい、と応えていました。
不思議なことにカトリック圏の国々はグルメが豊富です。フランス料理、スペイン料理、イタリアンですね~ イギリスやドイツ料理より豊富。第2にカトリック圏の自殺率はプロテスタント圏より遥かに少ない。告解という制度で許されたという確信がありますからね。
個人的にカトリックの皆さんはワイン好きですね。ヨハネによる福音書2章のカナの婚礼への解釈は全然違います。
コメントありがとうございます!
不思議な事にカトリックの国は経済が不安定で貧しい国や途上国が多い(スペインイタリアポルトガルフィリピンラテンアメリカの国々等)
一方でプロテスタントの国は先進国で経済が発展してる国(アメリカイギリスドイツオランダ北欧の国々OGNZ等)が多い
例外はフランスだけど、フランスはカトリックだけどユグノーの人達がいてプロテスタント寄りの部分もある
カトリックとプロテスタントの違いについて、文書からすると、現実離れしていることが多いので、驚きます。カトリックでは、神様は人間の理解を超えたミステリアスなものであり、罪を認め恐れを抱いて儀式を重んじて崇拝し祈る。プロテスタントは、いろいろな宗派があり聖書にもいろいろありますが、聖書にどう書いてあるかが大事で、一生懸命解釈して、実行しようとするというのが私の感覚です。
同じですよ。
人間には全てを完全に理解することは出来ないのだから、結局はどれだけ心を尽くして神を愛するか、それだけでしょう。
プロテスタントは聖書のみ、カトリックは聖なる伝承--聖伝ーーカテキズム(日本名、公的教理)で聖書はカテキズムを構成する一部としている、カトリックは、神父,司教からローマ教皇まで神様から選ばれた階層で信徒は、平信徒という階層がある、イエス様と聖母マリアが存在しているという、
驚きました! カトリックとプロテスタントがこれほど違うとは知らなかったです。もう別の宗教ですね。
カトリックの教義は、神の権威をないがしろにしていると思いました。
反キリストと言う言葉が黙示録には出てきますが、反キリスト教です、その実。
コメント感謝です。ご自身の感想を大切になさってください。
この番組は、全てデタラメです!インチキです。気をつけてください!😂
th-cam.com/video/EjhlBO4aB1A/w-d-xo.html
聖伝で最初に思い出されるのが「使徒信条」。私は使徒信条を信じない人をクリスチャンとは認めません。
ありがとうございました。勉強になりました。昔、クリスチャンの友達が、”私は仏壇を拝まない。お墓参りにも行かない。偶像礼拝だから”と言っていました。それを聞きながら、私は、”おかしいなあ、カソリック教会にはイエス様の像もマリア様の像もあるのに”と考えていました。私はカソリックでもなくプロテスタントでもなく皆様が考えているカルト団体に属しているものですが仏壇を拝むなどの行為を悪いものとは考えていません。旧約時代の偶像礼拝には生贄を捧げる時の儀式のようなものはあったとは思いますが教えを持って人々を霊的に善に導く教義のようなものはなかったのではないかと思っています。可視的なものを心の拠り所とし信仰の対象とすることを偶像礼拝と言うならば旧約時代のイスラエル民族の幕屋も神殿もそうであるといえるのではないでしょうか?
コメントありがとうございます。プロテスタントとカトリックは偶像をどう捉えるかの面で大きく異なりますね。旧約時代の幕屋や神殿が偶像礼拝ではないか? という指摘は鋭くて、まさにその通りです。
しかし、「幕屋」は神が約束の地に入るまでの間、限定的に作ることを命じたものであることを留意すべきかと思います。実際、ヒゼキヤ王はモーセの時代に神の命令でつくった「青銅の蛇」を打ち砕きました。それが偶像礼拝に使われていたからです。神の命令でつくったものでも、人間がどう用いるかによって悪いものになってしまう良い例だと思います(参考:民数記21章、列王記第二 18章)。
ちなみに「神殿」は神が命じたのではなく、当初は必要ないと言っていたのですが、ダビデがそれでもどうしても作りたいと神に懇願し、「許容」されたものであることにも留意すべきです(参照:サムエル記第二 7章)。
そうね、カトリック教会 特に バチカン 2 以前は ほかの教会、仏教の寺などに行くこと禁止されていましたからね。 今でも、それを持続している人はいますね。 私も、仏教の寺とかには行かないですね。
いや、普通に神以外を拝むなと何度も書いてありますよね、、旧約聖書にこれでもかというほど。。どのあたりをお読みになったんですか??
要は本物の神を拝めること。
教皇は神の代理だから、間違いはない?---なら,ガリレオが主張した地動説ではなく、天動説を権力で決めた当時の教皇も間違いはなかったのかねえ? なんと弁明するか、当時のローマ教皇の言い訳を聞いてみたいもんだ
耳には良く聞こえる反キリストの霊大きな門広い道
教皇様は、罪深いと三浦朱門が言っていました。
カトリックと統一教会が、同じ仲間に見えてきた!ローマ法皇が、携挙されなかったら何てコメントするか聞いてみたい!
教皇に罪はあるのか、聞いてみたいですね。
まあ、 教皇 Pope は 基本的に Bishop、 司教 ですからね、 そのたくさんいる 司教の中で Roma の司教が優先的に扱われている、司教のなかで一番優先順位上。 つまり 日本では教皇と呼ばれている。
@@cloud_church 地獄に行ったのではないかと噂をされる 教皇もいましたね。
世界統一宗教を推進宣言している以上、クリスチャンではないですからなあ。。。がっつり残されるでしょう。
ご質問させてください
トランプの母体は福音派だと思いますが、トランプは携挙されると思いますか?
今の状況では、秋の大統領選挙では、不正選挙や大きなアクシデントがない限り、トランプが返り咲きだと思います。
もしトランプが大統領になると、アメリカにある程度の力が戻り、ロシアイラン中国に対して「睨み」が効くようになると思いますので、エゼキエル戦争阻止に向けた力が働くようになると思います。
ですが、聖書預言は絶対でエゼキエル戦争はいつか起こる確定事項なので、トランプが大統領になる前か、あるいは大統領になった直後に携挙が起こり、アメリカの国力がガタ落ちし、これを機としてエゼキエル戦争に突入するのではないかと思います。
素人の長文、失礼しました
コメント感謝です。面白い洞察ですね! トランプ氏の個人の信仰は私には分かりません。氏だけでなく、他の人の信仰は判断できないものだと思っています。ただ、エゼキエル戦争とアメリカのリーダーの関係は深そうですよね(仮に今の世界情勢で起こるとするならば)。
マリア信仰の意味がよくわかりました。
コメントありがとうございます。
@@cloud_church ラファエロの聖母像とイエス様の肖像画などもマリア信仰を理解していないと迫力が違って見えるのかもしれません。カソリックの歴史の積み重ねを考えると教義も継承せざるを得ないのかと思いました。
私はカトリックの神父からマリアは女神ではないとハッキリと話てるのを聞きました。ここ5年から20年位でカトリックは大きく変わってきましたよ!。
@@ミズ-e5h
聖母は女神ではないのはカトリックでもそうです。ただし、彼女はキリストの御母としての特別な原罪無き状態であらゆる苦しい贖いにキリストと参与したので、天高く挙げられ神の次に置かれる程
尊く聖なる方です。
聖母の連祷(れんとう)という祈りには、聖母の力ある別の呼び名がありますよ
ありがとうございます。衝撃的でした。モーゼの十戒の改変、マリア様の神格化、教皇様の絶対的権限、外典や口頭伝承の存在。
韓国ではキリスト教といえばプロテスタントのことで、カトリックは別の宗教という認識だと聞いています。
素晴らしい投稿ありがとうございます。
カトリックのローマ法王とエホバの証人のgovernment body(統治体)同じやり方に感じました。。
煉獄説は。何でできてるの
カソリックは9戒として、プロテスタントは10戒として認識すればよいですね。
そのように言えるかもしれません
救いにそんな違いがあるなんて!
私飯山さんの本読んでますが…あの方は中東研究者ですよね。
しかも煉獄って、鬼滅の刃に出てきますよね😮
私も驚きでした。煉獄さん!
確かにおっしゃる通り、カトリックとプロテスタントは違う宗教ですね。
次は正教会(オーソドックス)もよろしくお願いします。あと無教会も。
ありがとうございます。勉強が必要なので、しっかり勉強してからまた動画を出します! よろしくお願いします!
福音派で育った、自称バリ福音派の教会員です。少なくとも、カトリックの兄姉を、当然ながら兄貴分だと思っています。
小林さんは有能な牧仕ですが、福音派の代表ではありません。
誰が救われてるか主にしかわからない、どの宗派も同じだと思っています。
カトリックは行いが必要なんでね
つまり、ローマ教皇に忠実に生きるなら、と、イエス様に忠実に生きるなら、の、違いですか!
プロテスタント経由のカトリック信徒です。
プロテスタントの時に教えられていたカトリックと実際のカトリックは随分違いましたね。
このビデオの話は少し違うね。
例えば、ミサをさぼるのは大罪では無いですね。
殺人とか大罪を犯す人はあんまりいないから、告解は現実的には生活指導みたいな感じです。
コメントありがとうございます。この動画は、紹介した書籍の内容に基づいています。そして、書籍の内容はカトリックの「公式文書」に基づいています。カトリックの公式文書では「大罪」だと書かれているので、それに対して反論するのであれば、カトリックの公式文書で否定されていないといけないのですが、ソースは何ですか? ご自身の体験ですか?
@@cloud_church 確かに、貴方の言う通りに書いてあるね。驚いた。現代の少なくとも日本のカトリック信徒は、強迫観念にかられた様に、ミサをサボるのが大罪とか思っていないだろうね。高校時代の福音派では、日曜礼拝を守る為に神経症的に学校行事を欠席したり、欠席にするのは信教の自由の侵害として裁判している人もいたね。カトリックに来たら、日曜午前中のミサに来れない人の為に土曜夕方や日曜夜にもやっていたから、窮屈な世界から解放された気がしたもんだ。
そのカトリックの解釈は正しいんですか?全く違う宗教のように思ってしまいます。
私はプロテスタントの信者として、カトリックは全く違う宗教だと思っています。私はカトリックの教義が正しくないと思っているので、プロテスタントの信者になっています。
全く 違う宗教と言ってもいいでしょうね、カト教と プロ教は
わたしはプロテスタントです
なんか冒頭のロゴがCCじゃなくて66に見えるの、
ちょっと失敗かもしれない。
666はキリスト教的に良くない数字って聞いた。
聖書は66巻です。