ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
懐かしい話です
JPSカラーのLotus好きだったなー、プロストが引退した後、アラン君が居なくて寂しくいよ、胸が熱くなった。
セナは、プロストを追い掛ける事の方がシューマッハに追い掛けられる事よりも大事だったのですね‼️🤗だから先に引退して現役から退いたプロストの事を懐かしく思っていた(出来る事なら再び戻って来て欲しいと願っていた)
プロストが引退してセナが孤独感になったのは偽り無く本心だったと思いますね‼️🤗セナには家族に実姉や実弟が居たけれども実兄は居なかった?プロストも家族に実兄(ガンで亡くなった)だけで実弟は居なかった?本当に沈着冷静な兄プロストとやんちゃな弟セナの兄弟って雰囲気でしたね‼️🤗
ディレック・ワーウィックF1界の二谷英明と古舘伊知郎が言ってたな。JPSロータスカラーリングがカッコよかった。キャメルと共にセナのチームメイトは納豆走法の人になった。
ロータス時代のセナって、「銭ゲバ」「勘違い野郎」「神を本気で信じる奴」と酷評されていたよね❗🤣🤣🤣
セナといえばモナコF3で初めてその存在を知った頃からロータスの初期まで、国内のレース誌には「A・S・ダ・シルバ」って表記されてたっけなあ
イギリスF3時代に連勝して、他のドライバーが勝てない時期に、セナの名前を使う事に何かしらの事情で使えなかった時があって。一時期セナからダ・シルバに変更した時、他のドライバー達がセナが出場しないと喜んだのもつかの間、出場するマシンに乗っていたのがセナだと知って、絶望感を覚えたという逸話がありました。
あの頃のオートスポーツには「ダ・シルバ連勝」なんて書かれていましたね❗🤗
外人ドライバーがライセンスと本名が違うことがよくあったなあとか思い出します。内緒で出たル・マンで優勝したら両親が眼の前にいたとかエピソードに事欠かないですね。
自分のヒーロージムクラークと同じロータスに入れて嬉しかったでしょうね😊
アイルトンのロータス時代は、ルノーの燃費とアクティブサスに悩まされた
ロータス/ルノー時代は絶対的ナンバーの立場をフルに活用事故や故障時の予備の車のtカーを予選の時間だけ持ってくれればいい特製スペシャルエンジンを載せたセッティングも含めて予選専用車としてポールを狙い決勝では温存しておいた信頼性の高いシャシに乗り換えるそれでも故障等でリタイヤが多いのが辛いというのが当時のチームの状況
プロストの自叙伝「F1に懸ける人生」で、ロータスのマシンについて解説有りましたが、セナが予選で使うルノーV6ツインターボエンジンは排気口(ウェイストゲートバルブ)を塞いで過給圧をどんどん溜め込みパワーを上げてからタイムアップを計りピットインした時に排気解放して過給圧を下げる事で壊れる一歩手前エンジン寿命を回復させると言うトリック手段を取ったと書かれていました。プロストもマクラーレンが使っているTAGポルシェV6ツインターボに同じ試みをしたところ、見事にエンジンが壊れてしまったそうです‼️🤗ホンダV6ツインターボエンジンに、そんな真似をさせるような行為は無いでしょうね?
中嶋さんのコメントから見る、セナの真実。流石です・・・・速くて強いのには、それなりの理由がある・・・・
でも中嶋もモナコのトンネル区間ではセナより速かったそうです。
これはあくまでも個人的意見ですが、セナにはマールボロカラーのマクラーレンよりJPSロータスにイエローのヘルメットの方がカッコいい気がするんだよね🤔そりゃあ伝説を作ったのはマールボロカラーのマクラーレンだけど👍ただ87年のキャメルカラーはあんまり良くなかったね。中嶋悟さんのデビューマシンだけどね🤠
トールマンは後のベネトン
さらに言えば現在のアルピーヌ
黒のロータスカッコいい!
セナは真の天才だと思う。マクラーレンホンダに移籍した初年度にきっちりとタイトルを決めた。人気と実力も兼ね備えたスーパースターでした。バブル期にホンダのエースドライバーだったので日本での人気は抜群でした、亡くなった時は特番が組まれましたからね。いつまでも記憶に残る天才ドライバーです😢ジョニーダンフリーズとか懐かしい
ラウダも、ピケも、セナも、家の稼業を継がずモータースポーツで身を経てて独立するなら荷物まとめて出て行け!と勘当絶縁に近い状況に追い込まれていた(ラウダはともかくピケもセナも親からモータースポーツに情熱注ぐ事に賛同応援は無かった)でもセナのパパであるミルトンは影ながら息子アイルトンをバックアップしていたでしょうね‼️🤗母のセナは、息子が危ないモータースポーツの世界に居る事を大変心配していた。
当時マシンは好きだったけど特別ドライバーで好きなのは居なかったなぁ。セナは寧ろ嫌いな方だったかな。。。。ワガママなイメージしかなかった。
ロータス、トールマンでのセナのチームメイトのほとんどの成績が酷かったな(アンジェリスのぞく)!それだけ若いころから異次元だったか!6:57アルボレートや!
酷かったのではなく、格下ドライバーを望んだから‼️😅
@@義朗青木 それを加味しても中嶋、ダンフリーズ、トールマンのジョニーチェコットはひどすぎた!
@@やさしい日本語-k9s さん、ダンフリーズは貴族の家系、チェコットはセオドールに続いてペイドライバー、中嶋はエンジン持ち込みと確かに実力以外の選定でしたね❗😅😩
@@義朗青木 キャリア的にはチェコットはセオドールでポイント取ってるからまだまし。ダンフリーズは論外!中嶋は相手が悪かったにしてもティレルでもチームメイトに惨敗!
88年鈴鹿で99Tの展示車をつぶさに見ました。レース車両かどうかはわかりませんでしたが、それはそれは酷い制作精度でした。フロアも左右で見た目形状が違い、カウルは隙間だらけ。ホンダの桜井さんの回顧録みたいな本を読んだときにそういうことが書いてあったので、程度こそあれ、セナはそんな車で戦っていたのかと。翌年ホンダ青山で見たマクラーレンの作りがとても綺麗だったのは衝撃的でもありました。
セナが、エリオ・デ・アンジェリスに代わってロータスのエースNo.1ドライバー昇格してチームメイト予定だったワーウィックを拒否した話は有名ですね‼️🤗それと似たような状況が1995年F1でベネトンのエースNo.1ドライバーだったシューマッハが、チームメイトのジョニー・ハーバートを恐れて自分の手の内は明かさない(マシンセットアップの情報を共有しない?)事が起こりました。セナとシューマッハの違いは、自分の脅威ライバルとなる相手をチームメイトとして受け入れるか?受け入れ無いか?ですね‼️🤗セナは先手打ってワーウィックを拒否した。シューマッハはハーバートを受け入れて一切口を聞かなかった。
この動画の敵役のプロスト、ピケ、マンセルも素晴らしいドライバーなので少しはリスペクトがあればよかったのだが、残念ながらこの動画にはそれがないね。
エリオ デ アンジェリスだろ?
ロータス時代のセナは劣るマシンできっちり2勝は毎年上げていたからやはり優秀だったな。マクラーレン移籍後にチャンピオン三度だから。
旧態然のフロントスポイラー形状のトールマンTG183かな?で前半2回入賞とかTG184投入前から才能は発揮していたと。セナとマンセルが殴り合いをする間から親友になるまでの話も取り上げて欲しいですね。でも差別者ワーイックは本当にこの時期を根に持っているとしか思えんな。
ロータスのマシンも1988年100T(ジェラール・ドカルージュが設計デザインした最後のマシン)までカーボンファイバーモノコック(マクラーレンMP4と同じようにオス型成形でセパレートカウルを被せる)に独特の丸いリベットが多数打ち込まれていたのが特徴でしたね‼️🤗1987年初めてホンダターボエンジン(シーズン最初はウィリアムズが使っていた仕様よりも1年型落ち)を搭載したロータス99Tは、元々1986年ルノーターボを搭載したロータス98Tを土台ベースにしていたのでマシン外観が全く同じでした(たばこスポンサーが黒色のJPSから黄色のキャメルに変更なったけれども)1988年ロータス100Tは、同じ仕様のホンダターボエンジンを使うマクラーレンMP4/4と比べて車体も大きく高いのでドラッグ抵抗も大きくて性能劣っていた?待望のホンダエンジンを手に入れたセナだけどもロータスのマシンでは世界王者にはなれ無いと悟ったのでマクラーレンに移籍しましたね‼️🤗セナと入れ替わってウィリアムズで3度目の世界王者となったピケがロータスに加入したけれども全く勝てずに最高3位を3回獲得しただけで精一杯だった。セナがマクラーレンでプロストのチームメイトに決まっていたけれども、セナの他にピケやベルガーも候補リストに挙がっていました。セナを1番に推薦したのは紛れも無く、あのプロスト自身でしたね‼️🤗
鈴鹿でセナにサイン貰った😀それを親に勝手に売られた😨10万で売れたからパチンコの軍資金にしたって言われて泣いた😭
ひでー親だなー😨
私は青山ホンダで貰ったサインは大事に取ってあるよ‼️
モザイク掛けんなよ
ほそ
懐かしい話です
JPSカラーのLotus好きだったなー、プロストが引退した後、アラン君が居なくて寂しくいよ、胸が熱くなった。
セナは、プロストを追い掛ける事の方がシューマッハに追い掛けられる事よりも大事だったのですね‼️🤗
だから先に引退して現役から退いたプロストの事を懐かしく思っていた(出来る事なら再び戻って来て欲しいと願っていた)
プロストが引退してセナが孤独感になったのは偽り無く本心だったと思いますね‼️🤗
セナには家族に実姉や実弟が居たけれども実兄は居なかった?
プロストも家族に実兄(ガンで亡くなった)だけで実弟は居なかった?
本当に沈着冷静な兄プロストとやんちゃな弟セナの兄弟って雰囲気でしたね‼️🤗
ディレック・ワーウィック
F1界の二谷英明と古舘伊知郎が言ってたな。
JPSロータスカラーリングがカッコよかった。
キャメルと共にセナのチームメイトは納豆走法の人になった。
ロータス時代のセナって、「銭ゲバ」「勘違い野郎」「神を本気で信じる奴」と酷評されていたよね❗🤣🤣🤣
セナといえばモナコF3で初めてその存在を知った頃からロータスの初期まで、国内のレース誌には「A・S・ダ・シルバ」って表記されてたっけなあ
イギリスF3時代に連勝して、他のドライバーが勝てない時期に、セナの名前を使う事に何かしらの事情で使えなかった時があって。
一時期セナからダ・シルバに変更した時、他のドライバー達がセナが出場しないと喜んだのもつかの間、出場するマシンに乗っていたのがセナだと知って、絶望感を覚えたという逸話がありました。
あの頃のオートスポーツには「ダ・シルバ連勝」なんて書かれていましたね❗🤗
外人ドライバーがライセンスと本名が違うことがよくあったなあとか思い出します。内緒で出たル・マンで優勝したら両親が眼の前にいたとかエピソードに事欠かないですね。
自分のヒーロージムクラークと同じロータスに入れて嬉しかったでしょうね😊
アイルトンのロータス時代は、ルノーの燃費とアクティブサスに悩まされた
ロータス/ルノー時代は絶対的ナンバーの立場をフルに活用
事故や故障時の予備の車のtカーを予選の時間だけ持ってくれればいい特製スペシャルエンジンを載せたセッティングも含めて予選専用車としてポールを狙い
決勝では温存しておいた信頼性の高いシャシに乗り換える
それでも故障等でリタイヤが多いのが辛いというのが当時のチームの状況
プロストの自叙伝「F1に懸ける人生」で、ロータスのマシンについて解説有りましたが、
セナが予選で使うルノーV6ツインターボエンジンは排気口(ウェイストゲートバルブ)を塞いで過給圧をどんどん溜め込みパワーを上げてからタイムアップを計りピットインした時に排気解放して過給圧を下げる事で壊れる一歩手前エンジン寿命を回復させると言うトリック手段を取ったと書かれていました。
プロストもマクラーレンが使っているTAGポルシェV6ツインターボに同じ試みをしたところ、見事にエンジンが壊れてしまったそうです‼️🤗
ホンダV6ツインターボエンジンに、そんな真似をさせるような行為は無いでしょうね?
中嶋さんのコメントから見る、セナの真実。
流石です・・・・
速くて強いのには、それなりの理由がある・・・・
でも中嶋もモナコのトンネル区間ではセナより速かったそうです。
これはあくまでも個人的意見ですが、セナにはマールボロカラーのマクラーレンよりJPSロータスにイエローのヘルメットの方がカッコいい気がするんだよね🤔
そりゃあ伝説を作ったのはマールボロカラーのマクラーレンだけど👍
ただ87年のキャメルカラーはあんまり良くなかったね。
中嶋悟さんのデビューマシンだけどね🤠
トールマンは後のベネトン
さらに言えば現在のアルピーヌ
黒のロータスカッコいい!
セナは真の天才だと思う。マクラーレンホンダに移籍した初年度にきっちりとタイトルを決めた。人気と実力も兼ね備えたスーパースターでした。バブル期にホンダのエースドライバーだったので日本での人気は抜群でした、亡くなった時は特番が組まれましたからね。いつまでも記憶に残る天才ドライバーです😢
ジョニーダンフリーズとか懐かしい
ラウダも、ピケも、セナも、家の稼業を継がずモータースポーツで身を経てて独立するなら荷物まとめて出て行け!と勘当絶縁に近い状況に追い込まれていた(ラウダはともかくピケもセナも親からモータースポーツに情熱注ぐ事に賛同応援は無かった)
でもセナのパパであるミルトンは影ながら息子アイルトンをバックアップしていたでしょうね‼️🤗
母のセナは、息子が危ないモータースポーツの世界に居る事を大変心配していた。
当時マシンは好きだったけど特別ドライバーで好きなのは居なかったなぁ。セナは寧ろ嫌いな方だったかな。。。。ワガママなイメージしかなかった。
ロータス、トールマンでのセナのチームメイトのほとんどの成績が酷かったな(アンジェリスのぞく)!
それだけ若いころから異次元だったか!
6:57アルボレートや!
酷かったのではなく、格下ドライバーを望んだから‼️😅
@@義朗青木 それを加味しても中嶋、ダンフリーズ、トールマンのジョニーチェコットはひどすぎた!
@@やさしい日本語-k9s さん、ダンフリーズは貴族の家系、チェコットはセオドールに続いてペイドライバー、中嶋はエンジン持ち込みと確かに実力以外の選定でしたね❗😅😩
@@義朗青木 キャリア的にはチェコットはセオドールでポイント取ってるからまだまし。ダンフリーズは論外!中嶋は相手が悪かったにしてもティレルでもチームメイトに惨敗!
88年鈴鹿で99Tの展示車をつぶさに見ました。レース車両かどうかはわかりませんでしたが、それはそれは酷い制作精度でした。フロアも左右で見た目形状が違い、カウルは隙間だらけ。
ホンダの桜井さんの回顧録みたいな本を読んだときにそういうことが書いてあったので、程度こそあれ、セナはそんな車で戦っていたのかと。翌年ホンダ青山で見たマクラーレンの作りがとても綺麗だったのは衝撃的でもありました。
セナが、エリオ・デ・アンジェリスに代わってロータスのエースNo.1ドライバー昇格してチームメイト予定だったワーウィックを拒否した話は有名ですね‼️🤗
それと似たような状況が1995年F1でベネトンのエースNo.1ドライバーだったシューマッハが、チームメイトのジョニー・ハーバートを恐れて自分の手の内は明かさない(マシンセットアップの情報を共有しない?)事が起こりました。
セナとシューマッハの違いは、自分の脅威ライバルとなる相手をチームメイトとして受け入れるか?受け入れ無いか?ですね‼️🤗
セナは先手打ってワーウィックを拒否した。シューマッハはハーバートを受け入れて一切口を聞かなかった。
この動画の敵役のプロスト、ピケ、マンセルも素晴らしいドライバーなので少しはリスペクトがあればよかったのだが、残念ながらこの動画にはそれがないね。
エリオ デ アンジェリスだろ?
ロータス時代のセナは劣るマシンできっちり2勝は毎年上げていたから
やはり優秀だったな。マクラーレン移籍後にチャンピオン三度だから。
旧態然のフロントスポイラー形状のトールマンTG183かな?で前半2回入賞とかTG184投入前から才能は発揮していたと。
セナとマンセルが殴り合いをする間から親友になるまでの話も取り上げて欲しいですね。
でも差別者ワーイックは本当にこの時期を根に持っているとしか思えんな。
ロータスのマシンも1988年100T(ジェラール・ドカルージュが設計デザインした最後のマシン)までカーボンファイバーモノコック(マクラーレンMP4と同じようにオス型成形でセパレートカウルを被せる)に独特の丸いリベットが多数打ち込まれていたのが特徴でしたね‼️🤗
1987年初めてホンダターボエンジン(シーズン最初はウィリアムズが使っていた仕様よりも1年型落ち)を搭載したロータス99Tは、元々1986年ルノーターボを搭載したロータス98Tを土台ベースにしていたのでマシン外観が全く同じでした(たばこスポンサーが黒色のJPSから黄色のキャメルに変更なったけれども)
1988年ロータス100Tは、同じ仕様のホンダターボエンジンを使うマクラーレンMP4/4と比べて車体も大きく高いのでドラッグ抵抗も大きくて性能劣っていた?
待望のホンダエンジンを手に入れたセナだけどもロータスのマシンでは世界王者にはなれ無いと悟ったのでマクラーレンに移籍しましたね‼️🤗
セナと入れ替わってウィリアムズで3度目の世界王者となったピケがロータスに加入したけれども全く勝てずに最高3位を3回獲得しただけで精一杯だった。
セナがマクラーレンでプロストのチームメイトに決まっていたけれども、セナの他にピケやベルガーも候補リストに挙がっていました。
セナを1番に推薦したのは紛れも無く、あのプロスト自身でしたね‼️🤗
鈴鹿でセナにサイン貰った😀
それを親に勝手に売られた😨
10万で売れたからパチンコの軍資金にしたって言われて泣いた😭
ひでー親だなー😨
私は青山ホンダで貰ったサインは大事に取ってあるよ‼️
モザイク掛けんなよ
ほそ