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梅本弘さんの詳細な研究によると、昭和18年7月前後に行われたレンドヴァ島・ブーゲンヴィル島での戦闘で、日本軍は零戦59機と隼3機、米軍は71機の戦闘機を失ったとされています。人的被害は、日本軍55名、米軍40名でした。運用方法やパイロットの技量が戦局に大きく影響する中で、米軍は撃墜されても経験を活かして運用を改善し、半数近くのパイロットがさらに強力になって復帰できたのに対し、日本軍は一度撃墜されると復帰がほぼ不可能だったようです。
しかも工業力の違いで物的損害は即補充できたアメリカとどんどんジリ貧になる日本同じくらい消耗しても国力差で少しずつでも確実に差が開くのが悲惨
作りっぱなしの動画が多い中で丁寧に作られている事に敬意いだきます
今は、当時の兵士世代が寿命で「新刊」は出なくなったけど、戦後50年ブームで積極的に取材が行われた時期は、ちょうど定年退職を迎えており、中身の濃い証言を得られた貴重な時代だった。カタログスペックや定説化した話を基盤にしたものではなく、例えば、零戦は五二型が決定版だったという意見が多く出たり、データしか触れられない我々と異なる実体験による肌感覚は、もう得られない貴重な「歴史」なんだと思う。
零戦を知らないと言う日本人は少ないでしょうが、大戦中の軍用機は全部零戦と思ってる日本人はたくさん居ます。
実際的外れじゃなく、戦争に影響あるほど役に立ったのはゼロ戦だけ。隼もまともになる頃には防御側になってたし。他は軒並みエンジンに振り回されてる
爆撃も雷撃も地上攻撃も零戦がしてくれたら新機種の開発苦労はないのよな〜
Fw190なんかは零戦と同じ色で塗装しちゃえば知らない人は騙せると思う
他所の国の報道は知らないけど、日本の報道だと、攻撃機も戦闘爆撃機もすべて「戦闘機」って表現だよね。特別興味のない人には、無理に区別してもかえって意味不明になるのかも
零戦がP38に負けたと思う人が多いが、P38が撃墜した「単葉」「戦闘機」と言うのは史実では殆どない。と言うか、複葉機は空母から出現する艦載機にはむしろ圧倒的に不利である。
零戦乗りの人たちの証言には、「P-38やP-51やF4Uは一撃離脱に徹する事が多かったので、よく見張っていれば回避できたが、F6Fは高速域での格闘戦も挑んでくるので厄介な相手だった」というのが多かったまた、飛燕や疾風、紫電11型の搭乗員は、F6Fの方が高速域での運動性に優れており、格闘戦にも強いと評価している(雷電は論外で海軍でも対爆撃機専用という認識、普段は雷電に乗っていた搭乗員も、対戦闘機の迎撃戦では零戦に乗り換えて出撃する事が多かった)あと、超々ジュラルミンが使われたのは零戦の主翼桁だけ、他の部位は従来の超ジュラルミン製
「相手より低出力のエンジンを使って優速で運動性能の良い機体を作れ」というのは無茶振りの極み。一部で人命軽視とも評価されるけど、凡作機を配備すれば空戦に参加したパイロットはほぼ生還できないが、生還できるチャンスを作った機体と考えると案外人命軽視というわけでもない。
・ミニ四駆の軽量化のように穴もあけていた 外から見えないところで肉抜き(穴をあける)による軽量化を徹底していた。 最も小さな穴は直径3ミリほどだったと言われている。・増槽(ドロップタンク) 航続距離を稼ぐために胴体下部に増槽を装備。・沈頭鋲 空気抵抗低減のために頭が出っ張らないリベットを使った。・超々ジュラルミンのカドからひび 肉抜きなどで部品に四角く肉抜きをしてしまうと角からひびが出来ることがテスト機で判明。 直線ではなく角を曲線にすることでひびを予防。・お姉さんが(おそらくわざと)解説しなかった昇降舵 昇降舵の操作系の剛性を下げて速度にかかわらず一定の危機になるようにした。 この設計を取り入れるために軍の基準を変えさせた。 のちに堀越はこの設計を論文にして博士資格を取った。 酒井三郎はこの性能を活かした「左捻り込み戦法」を使った。・鹵獲した零戦のテストで米軍が困ったこと 計器が読めない、ブレーキの特性が悪い、無線機がショボい ー>米国製に交換 当時の日本人に合わせたサイズの操縦席 ー>小柄な男性もしくは女性パイロットを探した・隼が零戦と区別できていなかった連合軍 エンジンが同じで機体サイズも似ていたため連合軍は区別できていなかった。 胴体の幅が違うので上または下から見たシルエットで分かるはずなのですが・・ 零戦が沈頭鋲を使ったのに対して隼は胴体を補足設計して空気抵抗を下げた。
なお三菱製零戦で多数開けられていた肉抜き穴は、中島製では生産性向上の為、省略され数が減っています
零戦と隼の簡単な見分け方…零戦の尻尾は尖っている。隼の尻尾は丸まっている。
零戦パイロットが言っていました。「鎧兜ではなく浴衣を着て戦っていたようなものだ。」
外板は薄いところで0.5mm 浴衣は誇張じゃないんだよなぁ
当時の状況を知る本物のパイロットはそんな事言いませんよ零戦が登場した当時は防弾板を装備した戦闘機は無く、当時は世界中の戦闘機でそれが普通なんですが、零戦は他に欠点が無いのでけなしたい人が指摘しているだけです2000㎞の航続距離の違えば燃料搭載量も違います、零戦は帰りの燃料を積んで空戦で勝っていたという事ですこの燃料と防弾版の重量を推定すれば、欠点ではなく性能の選択という事です運動性で攻撃を躱せる性能がある零戦は、国力の制限で基地数が少ない日本では航続距離を優先するのは当然です後に開発された機体がより高性能なのは当たり前です
@@imagine.h-w2z 零戦も52型はそこそこの防弾装備をしていた。それと連合国も人のことは言えない、第二次世界大戦中最強といわれているP-51ムスタングも零戦同様航続距離を稼ぐためコクピット周りの装甲の薄さは大概だし、もっとも燃料タンク周りは防弾がしっかりしていたけど、だから一部パイロットからは搭乗拒否もあった模様。
@@中村浩章-k4r アメリカの場合はグラマン鉄鋼の話が目立つからなあ・・・
@@麦チョコ豆乳航空機の外板は薄いのが当たり前頑丈で有名なF6Fだって外板自体はそんなに厚くない(とはいえ零戦よりは厚いが)問題はパイロット防護の防弾板と燃料タンクの防護
高価な素材を使い防御はもちろん生産性まで犠牲にした極端な軽量設計ですが、全ては非力なエンジンしか無いのにスペックは世界一を目指す…というところに発しているんですよね。エンジン開発についてほとんど語られないのがもどかしいです。
ゼロ戦の設計段階では栄エンジンは非力なエンジンではありませんでした。むしろ、世界最先端のエンジン開発に成功したことで世界一のスペックの戦闘機をめざすことができたと言えるでしょう。ただ、相当に背伸びをしたのは間違いないところ。特にプロペラ制御に関してはアメリカのライセンス生産だったため欧米よりひと世代古いもので効率が悪く、同じ馬力のエンジンに比べ不利だった可能性が大きいです。
マスタングより高価だから金かかる公式のチューニング飛行機という扱いになったな
まあ誉とハ43の開発がずっこけた上に、三菱設計2課がゼロ以降まともに機能してなかったですからね。後継の烈風や雷電の設計遅延にしても、戦線の移動に伴うゼロの不具合改修で手一杯だったようです。栄については、十二試艦上戦闘機(のちのゼロ戦です)設計時点では他国にそれほど見劣りはしないです。堀越氏は本当はより改良余地のある金星を選択したかったらしい。ただ、大きいんですよね。。艦上機ゆえの着艦時下方視界確保&陸軍より輪をかけて格闘戦志向の強い搭乗員が前方視界低下を嫌ったため、栄を選択せざるを得なかった。それに金星の生産だってそれほど余裕あった訳じゃないから、栄採用は覆らなかったでしょうね。
大馬力エンジンの開発でネックになったのは何だったのでしょうね。クランクシャフト?冷却系?キャブレター?ピストンリング?コンロッドの強度?それとも、「作れるんだけど、燃料バカ喰いするからなぁ〜、どうします?」という感じ?
@@nyanco-teacherさん色々やってはいるんですよね。ボア径を増やすと燃焼が不安定化する、ストローク増やすと発動機自体が大型化する、回転数を増やすと潤滑が問題になる、過給圧を上げると異常燃焼が起きる。クランク軸ももちろん問題で軸受強度の問題もあるけど、大馬力化で顕著に起きたこととして振動は外せないと思う。直線-回転運動の変換である以上どうしてもバランスが取り切れず各国色々苦労していてグリフォンスピットなんかは「オンボロ車みたい」と言われたりしてました。米国はこの辺り上手く解決していて例えばP&WのR2800のwikiには見開きのページにダイナミックバランサーの話が書いてある。現代風に言うとバランスシャフト。こういうのが国産発動機にはなかったんです。それなりにやったのは「誉」くらい。
自分のじいちゃんも零戦乗りだった。生前は相棒を駆ってアメリカ軍相手に大空を命懸けで、追い駆けっこしてたと自慢してました。機体が被弾して片翼と片腕失くしても維持で帰投、戦傷兵として退役も出来たけど「敵さんに一矢報いてやらんと死にきれん」とそのまま特攻隊員に志願するくらいに頭ブッ飛んでました。まあー 出撃せず、死なずに済んだところで、じいちゃんの戦争は終わりとなりました。
戦傷兵にもう一度飛べと言うほど上官も鬼ではなかったか
@@早川眠人 逆に戦傷兵側から帰れないラストフライト志願するというのはすごく脳内鎌倉武士がキマってる
ドイツには片足失くしても出撃してソ連戦車撃破してた人も居ましたけどね・・・
@@tomoyukiikeda4984 あの魔王は出撃禁止してもいつの間にか勝手に空飛んでヒャハってるからw
@@tomoyukiikeda4984 さん:日本にも、302空の森岡寛大尉という、左手が義手の零戦パイロットがおられますよ。
零式艦上戦闘機の最大の武器は徹底した軽量化に依って獲得した卓越した上昇性能。敵機と会敵すると一気に急上昇を掛け敵機に有利な位置を占位。急降下しながら攻撃を加える事で戦果を挙げています。低速での旋回性能が抜群だった為に運動性重視であり格闘戦で戦果を挙げた、と誤った認識が蔓延していますが零戦を駆ったベテラン搭乗員は上昇性能と加速性能を駆使し一撃離脱戦法を用いる事で有利に戦いました。
実は第一次大戦後半から戦闘機戦術のメインは一撃離脱。
零戦はとても頑丈とは言えない戦闘機です。極限まで軽量化しているので上昇性能は優秀でしたが強度が足りないので急降下性能は極端に悪く、急降下で逃げる敵機には追い付けません。無理をすると空中分解します。
ゼロ戦が劣勢に転じた理由は敵の新鋭機の登場と同時に「現役が長すぎた」ことによる相対的な性能低下がイチバンの原因である幾度かのアップデートはあったものの性能の底上げというより特性チェンジの様なもので、速度を出せば扱いにくくなったりと、あちら立てればこちら立たず状態。他にも、ほぼ無傷で鹵獲されたの痛恨で、それにより弱点が暴かれ、そこからアメリカ軍の戦術は大きく変わったとも言われるスティーブ・ヒントンによれば「1対1なら第二次大戦機のどの機体にも勝てただろう」とのことだが実際の戦闘時にそのような状況はむしろ稀だったと推測されるゼロ戦はその高い格闘能力と引き換えに防御力が殆どゼロになってしまったため乱戦時の流れ弾一発でも撃墜されてしまうほど打たれ弱かった
序盤の躍進は、機体性能というよりは、パイロットの熟練度かな…と。99艦爆なんか、恐ろしい爆撃命中率出していたし。そんな化け物搭乗員がたくさんいたのよ。
多少の機体性能差と埋めようのない差のイカれたパイロットありきよなあ性能も追いつき追い越され、肝心のパイロットもどんどん損耗すりゃヘルモードである
その様に練度の高さが重要な貴重なパイロットを消耗させ最後は特攻機に乗せ大半を戦死させねばならなかった。戦争は無情です。英霊たちに感謝。
海軍が全力で挑む艦隊決戦で航空優勢を確保する為の艦上戦闘機だから、生産性よりも性能重視したんだろう。真珠湾で敵戦艦を半身不随にして、南大平洋で長期間の航空消耗戦を戦っって消耗後、マリアナやレイテで決戦する頃には……
飛行機云々よりアメリカにやられたのは編隊空戦だった。編隊で常に戦う米軍とほとんど単機同士て回りあうしかない日本とで差が出まくった。343は欠陥機の紫電改を使ってまで相手と同じ編隊空戦をしたい為に作った部隊
日本軍とドイツ軍は強かったでもそれ以上に国力差が違い過ぎた上層部のやらかしが無くても土台無理だったと思う
ミッドウエイで空母4隻が沈められ、熟練操縦士の多くを失ったのが致命的というのは他の人も書くだろうけど、長所として挙げられる長大な航続距離。見渡す限り何も目印もない太平洋で、計器に頼って何千キロも飛んで、行った先で戦闘してまた帰ってくるなんて、操縦者の負担がどれほどだっただろうかと恐ろしくなりますね。人間だから生理現象もある訳で。
実は、ミッドウェー海戦で気体は失っているが、パイロットは不時着して駆逐艦が回収している。ただ、その後の戦闘で使い潰してしまったのだ。
永遠の0でもラバウル編で航続の長さを宮部が指摘していましたね…あれも心に刺さるセリフでした。
@sabirotatami4100 本当は航続距離というより、戦艦の上空を守る飛行時間確保だったんだけどね。
どちらかと言えば、その後のソロモン諸島を巡る戦闘での消耗が酷い、戦闘機だけでなく、艦爆や艦攻も
仮にミッドウェーで負けなくてもどこかでジリ貧になって負けていたと思う
お疲れさまでした! とても面白いです。まとめの内容ががすべてですね。早期に終わらせられなかった+後継機が続かなかった。公平にみてゼロは恐るべき機体だと思います
「いいか、敵機に後ろに付かれたらレバーをガチャガチャするんだ。どうなると思う?」「ガチャガチャ・・・・わかりません」「そうだ、敵もわからんのだ」「????」マジであった日本航空隊の教育
レバーって操縦レバーとスロットルのレバーだったりするんですかね?そうだとしたら太平洋戦争で零戦がどんどん簡単に撃墜された理由が分かる気がする…。
@@karbonard ホントそれ
偏差射撃って難しいんだよ。予測位置に来ないと無駄弾をばらまくだけになるから、意外と有効かもしれない。
@@kywry486大戦末期になってp38とかいう零戦キラーが登場して、速度を活かして倒されてるってことにさえ気づいていればある程度マシな航空機作って戦えたんじゃないかって思いますねw
@@FLAKPANZER2000しかも零戦の20ミリ機関砲は低初速で命中率が悪かったとか
マリオカートで言うノコノコキノピオ枠。最高速度やロール性能云々言われるけど単純旋回しながら撃つだけでそこそこ強いっていうのはやっぱ正義よ。
零戦はザク。大戦の初期に大活躍して戦局を作り、数々のエースパイロット名を馳せ、派生型たくさん作られ、相手の新型が登場するとやられメカになるも大戦末期まで主戦力として使われ、戦後も戦争の象徴として愛され続ける。
コードネームZEKEとか緑の機体に赤丸のモノアイとか色々彷彿とさせますよね
空母の搭載機数が限られている艦上戦闘機だから数をそろえる必要は無い(ここは正論)として複雑な工程を許容してしまった点でザクとは違う・・・・
@@ほえほえ-w3xのはずの零戦の製造工数は隼や飛燕よりも少なかったという記録が残ってる
動画一覧にこれだけ「最強」が踊るチャンネルも珍しい
最強って言えば、視聴数増えるからな。何でも最強最強って言うって事は、最強ではない事実。
超々ジュラルミンって、日本の住金が開発していたのね、誇らしい。
なお経年劣化し易く、残骸の腐食した超々ジュラルミン=A7075製主翼桁は、木材のような繊維状にボロボロになってます
住友金属って言えば最初に成功したロータリーエンジンのカーボンアペックスシールは住金製。マツダの株主は住友銀行だから。カーボンにアルミを染み込ませてある。
アルコア社のA7075と比べると帝国海軍が強度を求めすぎたから時期割れや腐食の問題で主桁にしか使えない実用性には欠ける物になってる
真珠湾攻撃とほぼ同時に行われたフィリピン攻略戦では、計画段階の最初は空母を使う予定だったのが、航続距離が長かったので、台湾から飛び立って直接攻撃したそうですね。で、アメリカ軍は、そんな事が出来るとは思っていなかったので、空母を探したとか。
子供の頃は零戦と言うと濃緑色と推力式単排気管の52型が代表的なイメージでした。しかし52型は実戦では高性能な米軍機に押され苦戦したと言う悲しき現実。実戦では明灰色の21型がゼロファイターとして活躍したと知ったのはずっと後からでしたね。
52は鈍重になってかえって撃墜されやすくなって21型をそのまま生産してたほうがマシという説もある
@@ニシノフラワー0さんこれはちょっと極論であって過給器一速かつロールの鈍い二一型が優れるということは流石にないです。ラバウルで主力を張っていた204空が二一型の補給を拒否する事態なども実際に起こっていました。
メッサーのエンジンが1940年で1400馬力ってどういうことや。1940年ごろのDB601は1000馬力すら出ないぞ。それよりしばらく先に登場したDB605Aでやっと1400馬力
まあ、語りだしたらキリが無い機体。誉の搭載はやろうと思えば可能だったようですが、積んだらまず2000馬力級のパワーに対して機体強度が足りないという結論に達したそうで。それ以前に誉は紫電や疾風に回すので精一杯だったからそもそも無理だったんですが。零戦に金星エンジンを搭載してみたのも、百式司偵に行くはずだった金星が余剰になったから試作することが出来たという経緯もありましたので。
力を入れていただけあり最後まで息つく暇もなくおもしろかった
疾風の設計者が、零戦の軽量化のことを「バカ穴を開けるバカ」と揶揄していたって書いた書籍もありましたね。後継機の遅れは思うに、烈風の仕様が海軍内でも議論百出で定め切れていなかったことと、堀越二郎氏が零戦の改良型に手を取られ過ぎてしまったことじゃないのかな。強力なエンジンもなしで。
烈風は”十七試”艦戦ですよ。戦争に間に合うわけがないんです。海軍は零戦の次の艦戦なんて重視してないし期待もしてないのではないですか。
@@underhat-gc4ru さま。コメントの意味がよくわからなかったのですが、「間に合うわけがない」っていった時系列の類いのことは後世の我々だから知っている事なので、当事者がそう考えていたと断定は難しいと思うのです。期待していないのに要求書が出るのも変だし。とり急ぎ後付けで調べました。ウイキペディアによると(ウイキペディアが正しいかは議論の余地があるとはいえ)、元々は十六試艦上戦闘機として内示が出ているらしいんです。ところが、堀越氏は零戦の改良型と十四試局地戦闘機雷電の立ち上げとで余裕がなかった。それで、改めて十七試艦上戦闘機として要求書が出ているんですが、この際も速度重視か格闘性能重視か激論を交わしていたらしく、しかもエンジン開発は遅れるわ、翼面荷重は指定されるわで、設計陣の足を引っ張りまくったのが目に見えるようです。海軍は設計者のリソース配分をよく考えるべきでしたね。
そもそも末期の航空本部は戦闘機不要論で、出来るだけ多くの攻撃機を敵艦に向わせて、僅かでも弾が当れば良いという飽和攻撃論に傾いていた。
@@ty7251 さま。なるほど。それは存じ上げませんが、無謀な戦術だと思いました。でも、計画段階の話とは無関係だと思うのですが。
@@underhat-gc4ru さん:十四試辺りで次期艦戦を開発していなくては間に合わないのに、三菱に十四試局戦(雷電)を指定した時点で勝負ありなんですよ。
陸と違って下が海だから自力で帰ってくるなんてそうそうできないからな撃墜≒パイロットの喪失なのは痛すぎた
同じ「下が海」でも米海軍の被撃墜パイロットの生還率とは差が大きすぎます。
お疲れ様でした❤簡潔にまとめられていい動画だと思います。F6Fのキルレシオは2対1以上の零戦が数的な劣勢での結果といえるでしょう。
「日本は格闘戦性能を重視し、欧米は一撃離脱戦法のためスピードを重視」というステレオタイプの見方がありますが、それは恐らく誤解だと思います。欧米が最高速度重視なのは、「爆撃機万能・戦闘機不要論」の影響を受け、戦闘機は、高速でやってくる爆撃機に追いつけるようにしなければならない、ということで速度一辺倒の設計になっているのです。ゼロ戦も実はその影響を受けて速度は非常に重視されています。1000馬力エンジンの戦闘機では非常に速度の出る部類になります。ゼロ戦の相手も恐らく日本の艦艇を狙ってくる米軍の大型・高速の爆撃機だと考えていたので、速度・上昇力及び20mm機関砲の装備にこだわった設計になっています。格闘戦性能は、空母への着艦性能のため翼面荷重を低く抑える必要があったこと、そして航続距離や上昇性能の面でも低翼面荷重が有利だったため、たまたまそういう特性になったのです。本当に格闘戦重視というのなら96艦戦を引き込み脚にしたような戦闘機になっていたはずです。航続距離性能は、海軍のアウトレンジ戦法の思想に沿ったものでした。いざ戦争が始まってみると、戦前に各国が考えていたものと全く違った様相になります。もはや起こらないと考えていた戦闘機対戦闘機の戦闘、いらないと思っていたけど実は必須だった爆撃機の護衛。だけどそう簡単に戦闘機は一から設計して作るなんてことはできない、大戦中に活躍した戦闘機はすべて戦前に基本設計がされたものばかりなのです。それぞれが今ある戦闘機の改良でなんとかしのいだというのが本当のところでしょう。実戦での格闘戦は禁じ手、それは第一次世界大戦の頃から言われていたことだそうです。かのリヒトホーフェンも1対1の格闘戦で戦果を上げていたわけではなく、主に編隊戦闘の工夫で戦果をあげていたそうです。日本軍でも格闘戦性能にこだわっていたのは内地で訓練ばかりしていた教官連中で、第一線で活躍していたパイロットはそうではなかったょうです。軍の上層部も同じ、なので取ってつけたような空戦フラップなどで格闘戦にこだわるパイロットを納得させていたのでしょう。
遂に出ましたな…この尺で良くまとめているが、零戦の本当の功績は”史上初の戦略戦闘機”だったこと。実は零戦開発のその直前に、世界各国で双発戦闘機ブームが起きた。理由は簡単で、双発にすれば強い武器が積める、パワーが上がるのでより多く燃料が積める=航続距離が延びる、更に当時のエンジンは信頼性が低かったので、片発停止でもなんとか帰ってこられる可能性が高い…そういうトレンドで造られたのが、アメリカのロッキードP-38、ドイツのBf110、日本のキ45(二式複戦屠龍)十三試双発陸上戦闘機(二式陸偵/月光)。これらの機体はP-38以外は悉く討ち死にしてしまった…ということがあった。これらの機体は爆撃機に随伴して、敵地深く進攻し、敵機を排除しながら爆撃ミッションを成功させる…という目標があったのだが、ドイツがその目的でBf110を投入したら、(当たり前だが)身軽な単発単座戦闘機にいいようにやられて大失敗…それを零戦が実現してしまったのだから、その技術史における影響は計り知れない。動画中に出てくる胴体の構造も、のちにグラマンがF8Fで、エドガー・シュミードがF-5で、エド・ハイネマンがA-4スカイホークでこのアイデアをパクっているwそれだけ凄い飛行機だということ…
皆さん、おねえさん、お久しぶりでした。楽しい時間をご一緒できてウレシかったです😂😂有難うございました。
零戦の高速時の運動性能が低かったのは軽量化の為・・・・というよりも高速時の羽布の挙動を知らなかった為に動翼を羽布製にしてしまった為。戦後に欧米の技術情報が再び入るまで鹵獲機の金属製動翼の意味が理解できなかった。(設計で一部技術で背伸びしても、まだまだ技術格差が大きかった)・高速になるとその風圧で羽布が押されて変形して動翼としての機能が損なわれると知ったのは戦後の事。
F6FもF4Uも羽布張り。出来なかったと言うよりやらなかった。舵面が大きくそもそもの抵抗が大きいから。なので高速域での横転性能が悪い。でも低速域での横転率は各国戦闘機中でトップレベル。NACAの実測レポートが残ってます。
先日、中島カラーのプリウスとすれ違った…
たしかに、時間が長かったけど、長く感じ無かったぐらい、充実した内容でした。面白かったです😊ありがとうございました。
よく言われるのが、空戦では先に相手を見つけた方がより優位なポジションを獲得して奇襲することで趨勢を決してから余勢で格闘戦に突入する。かなりリアルに書かれている架空戦記であるラバウル烈風空戦録でも大戦初期の圧倒的キルレシオは搭乗員の技量によるもので、零戦を無敵のようには書いてはいない。
零戦の序盤の戦果はアジアに配備されていた欧米パイロットが『左遷組やキャリアアップ目的』な訳ありだったからって説もあります増援要請に『まともなや使える』パイロットって文言が入っていたとか
一番好きな海軍機紹介嬉しいな~大戦中期以降はP51やF6F、F4Uに苦戦したけどそれでも最後まで活躍してたもんなあ、、まあこれは後継機の烈風や紫電21型開発が遅れたのが原因だろうけど。それでも坂井さんや岩本さん、菅野さんなどが使いこなしてたの凄い、、
エースコンバットでも、自分遅い機体で速い相手にヒットアンドアウェイされると、なんも出来ないもんな・・・ 向かってくる時に正面向けるしか無いけど、これはレーダーあるから出来る事だし、目視戦闘してたら無理ゲーだったろうな・・・
軽くよく回る機体を中国戦線で練度を上げた選りすぐりの搭乗員達が操って、2線級装備と人員の米英と戦ったらそりゃ伝説になるくらい強いよ。搭乗員が消耗したタイミングで、新型機が投入されて、物量で押されてて終わったけどさ。
フライングタイガースが居るよ。P-40を旧式とは可哀想だ。
最終的に勝てば旧式機だから仕方ないと擁護され、負ければ旧式機を使い続けてる奴が悪いと罵倒されるこれが敗戦か
40年程前スミソニアン博物館で家族と零戦を観ました。父は観るなり興奮してましたが、当時技術の進化というものを知らない子供の私にはただの緑色のプロペラ機としか思ってませんでした。家族がしばらく零戦を観ている時、通りすがりのアメリカ人の方が「写真撮ってあげるよ。」と言って零戦をバックに写真を撮って頂きました。当時の私にはこの好意が普通な感じだったのでわかってませんでしたが、今思えばこれは大変な好意だったのだとわかりました。
詳しく解説しだすとキリがないやつに果敢に挑むお姉さん(の中の人)!
トレードオフという言葉がそのまま形となった戦闘機、だと思う。高速での舵の効きも、低速域での舵の効きを優先して面積を増やした弊害だし。防御もパワーに余力がないのはわかりきってたし。ただ、防御に関しては捨てたというか、要求書に無かったから優先順位がすごく低かっただけとも取れるかと。とにもかくにも、民間会社の三菱としては要求性能を満たして制式採用されないとね、、、ビジネスだもん。
真珠湾攻撃前のアメリカは戦争嫌いでヨーロッパで始まった第二次大戦で劣勢のイギリスからの再三にわたる参戦要請も金銭や物資の援助でお茶を濁してたくらいだから常備軍を持たず、当然、兵器開発の予算も割り当てられなかったから、参戦当初は米軍は質、量、ともに弱かったしかし、真珠湾攻撃で眠れる獅子を起こしちゃったもんだから、アメリカが本格的に兵器開発に着手したら、あっという間に形勢逆転してしまったしかも、第二次大戦でアメリカが投入したのは間に合わせの急造兵器であり、終戦頃には次々と次世代兵器が完成したものの終戦で出る幕がなかったという
海軍軍縮条約のお陰で、アメリカがフィリピン防衛を放棄していたのも一因。
F6FもF4Uも1938年には開発スタートしてる。 実際には 40年6月のパリ陥落を受けて戦艦7、空母18、航空機1万5千の両洋艦隊法が通過して海軍大拡張は既に始まってるので41年12月の真珠湾きっかけとは言えないのでは?
オンタイム乗り遅れました! 只今鑑賞中です。(戦技:横滑りあるかな?ww)
零戦みてるとホンダのクルマそのまんまと思う。軽くて速くて操縦性も良く燃費も良い。しかし被弾(事故)したらそこでお終い。ワンダーシビックで街路樹に衝突して(街路樹は折れなかった)ドアが開かなくなって発火、生きたまま火葬されたJD2人はウチの嫁の同級生。
あなたの道徳観凄まじいですね
チャイナのEVみたいですね笑
三菱製なのに 中島製迷彩カラーリングの方が 有名
何ですか中島製カラーって。
@underhat-gc4ru 水平尾翼の下の塗り分け方 中島製は 濃緑色を塗らないで 曲線的三菱製は 濃緑色を水平尾翼下を塗っている雷電·疾風みたいに 胴体下まで塗るあとは ググって 画像で 確認してください
生産機数では中島が圧倒してるもんな
@@l.d.v7064 ああ、なるほど。てっきり三菱製と中島製の機では暗緑色D2の色味が違うという説の話かと思いました。失礼しました。
チビッ子の頃に三二型だけはコレジャナイ感が否めなかった…
米軍に新型機と思われてコードネームが別に与えられた…
担当が、本庄季郎氏なので感じが違いますね
TPぼんに描かれてるのが角端翼なのはF先生に何か拘りがあったのだろうか。
分かる!他の零戦は主翼が丸いのに三二型だけ米軍機のような四角形で違和感しかない
後継機は開発が間に合わなかったのではなく、開発する意思が元々薄かったんだと思います。短期決戦で講和、しか勝つ道がなかったですからね🤔
米国の心を折る作戦ですね。山本長官は在米経験が長いので、良くご存知だったそうですが。
烈風の開発着手は結構早いよ。単に高出力エンジンの開発に失敗しただけ。
@@ryuumiya8343 制式採用名が九六艦戦→零式艦戦だから4年後。試作名が十二試艦戦(零戦)→十六試艦戦(烈風)だからやはり4年後。計画としては順当です。十六試が十七試に後倒しになったのは開発リソースが足りなかった(適正分配できなかった)。エンジンについては史実では間に合わなかった金星搭載零戦が存在しますが、実は試作機の時期に瑞星か金星か、という選択肢がありました。堀越氏は軽量ということで瑞星を選び、「これが痛恨の選択だった」とのちに著書で述べています。その後、大きさ・重さがあまり変わらず、より高出力な栄に巡り合えたのは幸運でした。でも誉は小型軽量高出力を狙った設計にそもそも無理があり、試作機はうまくいっても量産現場では材料や精度が対応できなかった。
今回は、気合入ってますね☺陸軍機の『隼』も、一緒に検討して欲しかったです😁
f2「僕のじっちゃん!」
父ちゃん誰だよ
@@緑茶-l1r F-1かな?
養子っぽい
@@YAMA-san009血統的にはF-16ですね
@@小山新-u1p 設計変更は80%ですけど
日本機全般に言えるのは、熟練度高いパイロットが乗ってナンボなんだよな
それはどの戦闘機も一緒。アメリカでは充実した教育システムで優秀なパイロットを輩出しています。
日本の育成システムがパイロットをとにかく篩いにかけて技量A級まで行くか、途中で死ぬかなのに対して、アメリカでは大量の技量B級のパイロットを安定して育成できて、その中から極小数が技量A級に至る感じよね。
五大湖に練習用の空母を浮かべて燃料も使い放題。国民もある程度自動車運転してたり猟銃が普及してたりして射撃のセンスが良かったらしいです。
@comete5d361 日本は、車の運転手よりパイロットの方が多かったらしい。
アメリカは開戦した時から搭乗員の大量育成を始めた。日本が体制を改めたのはミッドウェーの後から半年のタイムラグ。
「栄」エンジンから「金星」エンジンへの換装型の試作・採用があと後回しになったのが最初の失敗😢
エンジンパワーに耐える補強をすると、却って性能が悪化する可能性が高かったから、中々踏み切れなかった。飛燕のように初めから必要な強度があった機体とは異なるよ。
金星に換装した結果、戦闘機動が難しくなった(耐Gが7G→6.5G)ので一概に金星零戦凄い、では無いのですよ
Bf109と同じように、後継機に恵まれなかったのが、残念なところです。まぁ、ドイツも日本も、WWⅡに負けてしまったので…。でも、零戦には坂井三郎や岩本徹三といった、エースパイロットを数多く誕生させたから、すごかったです。まぁ、中島は当時、陸軍機で手一杯だったので…😅。
ゲームの話にはなるけど零戦の20ミリはめちゃくちゃ弾が垂れるから当てづらいんだよなぁ…
おねえさんの『ちょうちょう』の言い方好き
岩本徹三さんが乗られると、まさに無敵でしたね。
あまりに軽量なため、エルロンやラダーの駆動伝達にロッド(棒)を使用したら挙動が激しすぎたため柔軟なワイヤーに変えたところ空戦での操縦性も向上したようです。そのため高速飛行時の操縦性が厳しくなったということです。
零戦に搭載されていた栄エンジンは1500馬力化の計画があったのに、2000馬力の誉の開発を優先して栄1500馬力化の計画が流れたのは痛い。この計画が実現していたら、少なくても零戦はF6Fとは互角、他の米軍機には勝てないまでも負けない性能を獲得できたのに…単純計算しても最高速度が600km/hくらいになるので、速度的にはF6Fと互角。防弾性能も米軍機ほどではないけど五ニ型では考慮されていたから、史実よりも戦えた戦闘機になっていた筈。色んな事を犠牲にして開発した誉エンジンは、性能こそは良かったものの信頼性が低く、スペック通りの性能が発揮出来ない事が多かった。当時の日本の工業力を考えたら、栄の1500馬力化の方が現実的だった。1500馬力化された栄さえあれば、マリアナの七面鳥撃ちは無かったのに(泣)
無理です。マーリンやダイムラーベンツは液冷。耐熱合金作る技術も資源もない。仮に無理矢理に実現させても寿命150時間とか使い捨てエンジンのような代物になると思う。
日本軍機は総じて欧米より気筒圧が弱い欠点・特徴があった。現代の中韓エンジンほど完全な周回遅れではないかもしれないが、日本機である以上どうしようもない。火星のような高馬力エンジンを爆撃機に使った事が失敗だと個人的には思う。ただ、雷電が爆撃機エンジンを使ったため使い難い機体になったし、根本的な解決法はない。
と言うか、マリアナの七面鳥撃ちは全く真実ではない。40mmVT管の幻想だよ。実際は艦隊空で航空戦力に対抗できるコスパの兵器は現れるどころか、圧倒的に航空戦力が中心となってきてる百年となった。VT管のコストは高価で数量も少なく、撃墜においてコスパが見合う兵器ではない。P38のような陸戦機には空母ある限り絶対に負けないし、単葉機が複葉機に負ける事は稀。マリアナの七面鳥撃ちとは、F6Fに「限られた空母」「新型機の欠如」で対抗した結果だよ。
金星積めば600km/h出せてF6Fと互角?ギャグにしても出来が悪すぎる冗談だな1945年4月に完成した五四型/六四型ですら572km/hしか出せなかった事位ググればすぐ出て来るだろうに。あと、この手の妄想って金星エンジンの性能を1945年頃の安定性が1943年頃から発揮できると勘違いしてるよね実際金星六二型を搭載した百式司偵Ⅲ型は1945年初頭くらいまでエンジントラブルの頻発に悩まされてんだけど。
夢物語は零戦54型の諸元や金星62型を早期に搭載した百式司令部偵察機Ⅲ型の稼働率とか調べてから言ってくれ。
一方順調に発展機を出していって堅実かつ優秀な飛行機を出し続けた陸軍航空。防弾板もあったし、帰ってきたら海軍もそうだけど、歌にもあるよう涙莞爾と部隊長だった。私はヘリパイでもない歩兵科(国民にわかりづらく言うと普通科)の人間でしたけど、やっぱり知らん奴らが語るな!みたいな、その場所で生きてきた者にしかわからない世界というのはあるんですね。私は同期の為なら簡単に生命を投げ出せましたし、みんなそうでしたよ。運良く部隊の団結が殊更に固いであろう部隊にいましたので、そういう気持ちはありました。うだうだ抜かす前に任期制自衛官になればいいんです。補給軽視の話だって別に軽視してる軍隊なんかどこにもないですよ。スパイを送って兵站基地を破壊した日本軍みたいに邪魔しなくちゃいけないんです。根こそぎ動員前と後の記録見てりゃわかること。見ないでほざく奴がいる。そいつはオタクではない。酔った失言を許してほしいけど、兵隊さんは「知ってて征く」んです。だから世界中で尊敬されるんじゃないですか中国とアメリカ、ロシアなんか極端にそうですよ。ポーランドの友人はナチスと戦闘して足が無い祖父がおられますが祖国愛が強い。自己犠牲を問わないのはクリスチャンやイスラームの殉教なんかわかりやすいし特攻なんか特別でもなんでもない。
戦時中私の父は半年だけ陸軍にいた。輜重隊に配属された。自動車の操作の名称は全て日本化だったと言ってた。ゼロ戦は零戦と言わずゼロ戦だった。らしい。
零戦は火力の高さが長所として挙げられていますが実際は海軍側がゴリ押しで搭載させた20ミリ機関砲は地上でのテストでは十分すぎる火力だったものの実際の空戦においては零戦のエースパイロットとして知られる坂井三郎さん曰く「20ミリは小便玉」というほど弾速が遅く全く使えなかったようですね。(搭載弾数も多く見積もっても120発ぐらいだったこともその要因)実際には弾速が速く搭載弾数も多い7.7ミリ機銃でエンジンなどの急所を狙うしか戦い方がなかったようです。機種のバリエーションも豊富ですが大出力エンジンに換装できる発展性がなかったのも零戦の欠点ですね・・・Bf109やスピットファイアはこの辺が優れていたので大戦初期から終戦まで活躍できましたしね。零戦はもっと早く後継機にスイッチするべき戦闘機でしたが海軍側が「後継機に零戦と同じだけの格闘戦能力をもたせよ」と時代が一対一の空中戦から一撃離脱などの高速戦へと移行しつつあった中時代錯誤な要求をしてきたせいで後継機の開発が遅れに遅れた為終戦まで使われた悲運の機体です。とはいえ登場当時に零戦に叶う戦闘機がなかったのも事実で日本のみならず海外にもファンの多い機体で私も大好きな戦闘機です!(ちなみに私は22型が好きです)
パイロットの意見だと、7.7mmメイン派が多いけど、20mmメイン派もいらっしゃったようですね。
坂井三郎が20ミリは小便弾と言うようになったのは戦後かなりたってからでそれまでは特に問題視してませんでした中国大陸での零戦初陣の時海軍はパイロットに綿密に聞き取り調査をしてるんですが20ミリ機銃はGがかかった時の給弾不良と装弾数の少なさについては言及されてますが威力や命中率について褒める人はいても問題ありとした人はいません
海軍は零戦が完成した時点で機体の欠陥に気がついていたが空中分解を避ける為空戦での禁止事項をパイロットに伝えるだけで一切改修等を行わなかった事が後に仇となり米軍にほぼ無傷機体が接収分析され海軍がひた隠しにしていた弱点を突かれ次々撃墜されていった
零戦を1万機作らざるを得なかったのが大誤算ですねぇ…三菱の開発陣的には96艦戦のように約1000機生産(実戦用500機、訓練・予備500機)して後継機に場を譲る想定だったようです。強力なエンジンはできず、実質1つしかない三菱の戦闘機の開発チームがもともとギリギリを攻めていた零戦改造を優先させられ、後に局戦である雷電に着手、軍は他社に開発打診せず…と結果的に艦戦の開発空白期間ができて零戦しかなかった。
欠点もあった零戦ですが終戦まで零戦で戦い抜き、諸説ありますが約80機の敵機を叩き墜したエースパイロット、岩本徹三氏の天才さを改めて感じました。
当たらなければをじでいく機体設計者も言ったとかゴムなどの資源無いから無理とかも設計者は改良より新機体をとも思ってたとかバージョンアップに多忙で新機体を設計できないと嘆いてたとかエンジンが適合出来ずそこも泣きどころで信頼性も満足とは言えず妥協😅動画お疲れ様です😊
次は「フォッケウルフFw190&Ta152」と「一式隼」も紹介して欲しい。
あたらなければ、どうということはない!非力なエンジンでも防御を捨てて巨大な敵に挑む所が日本人が愛してやまない理由だと思っています
何か一発だけスゴイのを作ると、勝ったも同然と思い込むのが、古来からの日本人の悪い癖じゃないかと思われます。
杉田二等飛行曹(戦4後2階級特進で少尉)曰く「ロッキード(ライトニング)と戦うには、先ず急降下して逃げる。追尾してきたロッキードを躱し、後ろに回り込んで撃墜する。」帝国海軍No.2(又はNo.3❓)の戦い方でした😃
どんなに高性能な戦闘機を作っても無線機があれじゃどうにもならないね。
米国の技術専門誌「ポピュラーメカニクス」の「史上最強の軍用機ベスト6」と言う企画で零戦は2位に入っているが、それだけ開戦当初に米軍パイロットに与えた衝撃が大きかったのだろう。ちなみに1位は世界で初めてプロペラ同調式機銃を搭載したフォッカーE.Ⅲで、3位がB-29だった。
操縦するパイロットの立場として見りゃゼロ戦をスポーツカーとすればグラマンとかカーチスは納屋に置いてあるトラック位操縦感覚の繊細さが違ったようだ。ただ常に相手の方がエンジンパワーあるから主導権は握れないよね
当時の戦闘機は歩兵同様防御を捨てていました。1000馬力未満のエンジンで速力500キロ以上 20ミリ機銃装備 防弾性能完備 急降下制限800キロ以上に高い運動性を実現した戦闘機なら存在します。ただ航続距離が1200キロ台ですが・・・
防御を捨てているのは零戦だけ。隼は、ちゃんと防御も考慮されている。
実は零戦が採用された1940年のBoB以前は、欧米の戦闘機でも防弾板や防漏タンクを採用している戦闘機は少なかった例えばフランスに侵攻したドイツ軍を迎え撃った頃のイギリスのホーカー・ハリケーンにはまだ防弾板が無く、不時着したバトル軽爆撃機の物を剥ぎ取って現地で移植改造しており、その後BoBの最中に標準装備となっていった
歩兵は防御能力の高い兵科だぞ
@@謎の戦士 蛸壺掘ったらね。
当時の日本は真空管の性能が不安定で無線機での連携が取りにくく、零戦に限らず組織戦闘で弱かった。というの情報があるけど確証が持てない。米軍は、優れた操縦士は教官にして温存しつつ、戦線の操縦士全体のレベルの向上を重視。対して日本軍は、防弾板無しの零戦に象徴されるように歴戦の操縦士を失っていったのでジリ貧に。
無線機が聞こえにくいため、取り外して軽量化したパイロットもいたらしい。
何年か前に日本航空機搭載の20mm機銃のリクエストしましたが、取材に時間が必要だったのですね。ご苦労様です、当時のパイロットの話ですと20mm機銃は弾数が少なく、初速が遅いので当たりにくく、機首の7,7mm機銃に頼っていたと言う話がありました。
最初一丁当たり60発だもんな。のちに100発、ベルト給弾にしてやっと125発。初速に至っては、垂れ落ちる弾道をションベン弾って自嘲していた。
誕生した時から改良を拒む設計だったのが痛かったですなあ。みんな海軍の要望が高すぎたならイケメンや
誰も話題にしないWOWPだと30mm搭載型に初心者時代に世話になった思い出ただゲーム中でも当てるのがちょっとしんどいのに現実で運用するのは無理だったろうなあ
軽装、高火力はロマン的には非常にかっこいいんだけど…当たらなければどうということはないって感じで。でも熟練パイロットはどんなに工業力あっても量産できない超重要な構成要素なんだよな
ムスタングやスピットファイアは結構残っているのに、ゼロ戦は残ってなさすぎる
陸さんはチャンと後継機開発してたけど・・・零戦に固執して派生型しか作らんかったからなぁ~海軍さんは・・・時系列で調べるとおもしろいかもよっ!!!
9:52 実際、穴(肉抜き穴)だらけです。海軍に審査のルール(強度)を変えさせたという追記もしておきます。高速域での舵の効きについて強調してたので高評価します。
設計計算を徹底することで一部部材の安全率を1.8→1.6にした話。でもドイツもイギリスもやっていたし、何なら航空業界は全体として皆この方向性となり、戦後は1.5が標準になってます。
てことは、次は紫電改だな。楽しみぃ~♬
めっちゃ強いというわけではなかったけど技術後進国の日本が最初の方だけでも世界最強の戦闘機作れたということが凄いね
「ゼロ戦は傑作機だった。でも傑作機すぎて後継機の必要がなかったのが敗因。」という百田氏の小説のゼロ戦評が、解説観ていてすごく納得しました。意外なことにまだゼロ戦を取り上げてなかったんですね。いずれゴジラにも出てきたロマン戦闘機の震電も観てみたいです、
実際の後継機の烈風は比較的早い段階から開発が始まってたらしい、でもエンジンがオワコンだったから結局終戦まで渋々零戦を使い続けてたらしい。
昭和16年に16試艦上戦闘機の計画は三菱に提示してはいたものの、三菱の戦闘機開発チームが堀越二郎のチームしかなかったこともあり一旦棚上げとなっています。翌年に後の烈風となる17試艦上戦闘機の計画が始まりました。仮に16試艦上戦闘機の開発が即時スタートしていたとしても、良いエンジンが無いのでどうにもならなかったと思いますが。
誉が安定しなかったからなあ。ハイオク飲ませないといけないし、潤滑油はないし。
傑作機零戦のもう一つの弱点としてあまりに洗練された設計だったために拡張性が無さ過ぎてアップデートに限界があったみたいですね、まあ、肉削りまくっているから余裕が無いって話なんですけどね
@yoshiookuda1721 その逆が飛燕ですね。
旧日本軍の戦闘機と言えば零戦性能だけでなく浪漫もあるのが大きいかく言う自分も零戦が大好き
航続距離は、まごう事無きオーパーツなんだよなぁ
空母艦載機なんて陸上機に比べて制約の多くて量産に向かない機体がWW2における日本の最多生産機体だなんて、ただでさえ生産力で遥かにアメリカに劣る状態なのに生産数の差が広がる一方じゃないか。堀越技師も空母艦載機だから生産数は少数だろうと量産性のことは度返しで性能全振りで設計したそうだし。
日本軍のガソリン、オイルの質の悪さも要因ですね、アメリカ軍が使用していた良質なガソリン、オイルを使用したら、零戦の性能は20〜25%UPしたとの、報告が有ります。(故障の回避もUP)
日本海軍の栄光と凋落、両方の原因となった機体ですからね。自分はマニアとまでは言えないが、零戦は知れば知るほど泣けてくる、そんな機体だと思ってます。
20mmのションベン弾の評価は1号銃の話なので、2号銃を使用しての評価とは違うと思います零戦だと52型以降ですね20mmは頼もしい、と評価されているパイロットの方もいらっしゃるので
初陣の中国戦線で、ひねって逃げる敵機の主翼が20mmの命中で折れて吹っ飛んだとの報告が出ていたはず。
零戦は、当時からゼロ戦と呼ばれてます。海軍では、20ミリは機銃と種別され陸軍では機関砲に種別されます。当時搭乗員だった方の体験談を読むと燃料満載時、もしくは残量が多い時に被弾しても発火しづらく残量が少ない時は簡単に発火したそうです。タンク内にガソリンの揮発ガスが多くあるのが原因だとか。元々、零戦はベテラン向けの戦闘機で新米や経験不足の搭乗員には扱いづらかったそうです。因みに陸軍の一式戦闘機、通称名隼は新米からベテランまで扱いやすい様に作ってあるとか。零戦の速度が遅いのは艦上戦闘機だから。航続距離の対比を陸軍機を織り交ぜるのはどうだろうか。使用場所が根本的に違うのだから。メッサーシュミットの航続距離が短いのはヨーロッパは地続きなので飛行場が作りやすいため、だそうです。異論は認めます。🤣
零戦に関しては多大な情報量と異様に詳しい一般識者まで居るので手も抜けんから制作時間超過やむ無し
試作機だけで終わりましたが、エンジンを爆撃機用の金星に換装してパワーアップする計画もありました。
航続距離めっちゃ低下してて零戦の長所がなくなってた気が
アクタン島で捕獲された零戦が研究し尽くされて米軍の新型機が開発された話は有名ですね。あと、硫黄島でもう少し補給があって踏ん張ったら、米軍は予算が付きていたとも言われています。心を折る直前まで行っていたんだと思います。
鹵獲零戦を研究して対抗戦術が考えられたが、しかし新型機開発は既に進んでおり、例えばグラマンF6Fの試作機の初飛行は零戦鹵獲の半月ほど後のことで、全く設計の参考にはされていない更に後継のF8Fが零戦に対抗して小型軽量化したなどと書かれているのは日本語の記事だけで、実際の開発のきっかけは、英軍が鹵獲したFw190Aに試乗したグラマン社パイロットが、小型の機体と大馬力エンジンの組み合わせを提唱した事から
海軍の要求は航続距離では無く滞空時間ですよね。防御について海軍からの要求は無く、優先順位の問題の旨言っていましたよね。防御が重視されるのは零戦が登場してからだと思いますよ。それでも初期には翼内タンクの消化器が、後期には防弾ガラスや防漏タンク等が装備されています。当時の資材や技術不足もあり十分なものでは無かったみたいですけど。設計強度が保てるまで徹底した肉抜き(孔あけ)がされていますよ。20mm機銃は大型爆撃機の撃墜用に要求されたもので、7.7mm機銃とは弾道が大きく違うので命中率は悪かったみたいですね。弾数も初期は60発後期ででも125発しか無く直ぐに撃ち尽くしてしまった様です。
あの航続距離って中国戦線で中攻の援護をする為。あと軽量化のための工数が多いのは元々量産を考えてない(艦載機だから空母の定数+α)からって話し聞いたよ。
零戦についていつも思うのがどうせマニュファクチュールなんだから1機毎にカスタムすれば良かったのに。急降下型とか防弾型とか火力型とか。
無駄に仕様を増やすのは馬鹿のやること。現場が混乱するだけ。
仕方無し……安定した継戦能力という過酷とも言える部分を高めた1つの解であり末路。低スペックエンジンと言われがちやが部品点数減らしや素材や造りの工夫もあり。で燃費は段違い😊
誕生した瞬間は……『世界の常識』を破る航続距離を誇る戦闘機でした昭和16年12月時点で、日本海軍機動部隊と互角に戦える水上艦隊は世界中のどこの海にも存在しなかったのです (*´∀`)
梅本弘さんの詳細な研究によると、昭和18年7月前後に行われたレンドヴァ島・ブーゲンヴィル島での戦闘で、日本軍は零戦59機と隼3機、米軍は71機の戦闘機を失ったとされています。人的被害は、日本軍55名、米軍40名でした。
運用方法やパイロットの技量が戦局に大きく影響する中で、米軍は撃墜されても経験を活かして運用を改善し、半数近くのパイロットがさらに強力になって復帰できたのに対し、日本軍は一度撃墜されると復帰がほぼ不可能だったようです。
しかも工業力の違いで物的損害は即補充できたアメリカとどんどんジリ貧になる日本
同じくらい消耗しても国力差で少しずつでも確実に差が開くのが悲惨
作りっぱなしの動画が多い中で丁寧に作られている事に敬意いだきます
今は、当時の兵士世代が寿命で「新刊」は出なくなったけど、戦後50年ブームで積極的に取材が行われた時期は、ちょうど定年退職を迎えており、中身の濃い証言を得られた貴重な時代だった。
カタログスペックや定説化した話を基盤にしたものではなく、例えば、零戦は五二型が決定版だったという意見が多く出たり、データしか触れられない我々と異なる実体験による肌感覚は、もう得られない貴重な「歴史」なんだと思う。
零戦を知らないと言う日本人は少ないでしょうが、大戦中の軍用機は全部零戦と思ってる日本人はたくさん居ます。
実際的外れじゃなく、戦争に影響あるほど役に立ったのはゼロ戦だけ。隼もまともになる頃には防御側になってたし。他は軒並みエンジンに振り回されてる
爆撃も雷撃も地上攻撃も零戦がしてくれたら新機種の開発苦労はないのよな〜
Fw190なんかは零戦と同じ色で塗装しちゃえば知らない人は騙せると思う
他所の国の報道は知らないけど、日本の報道だと、攻撃機も戦闘爆撃機もすべて「戦闘機」って表現だよね。特別興味のない人には、無理に区別してもかえって意味不明になるのかも
零戦がP38に負けたと思う人が多いが、P38が撃墜した「単葉」「戦闘機」と言うのは史実では殆どない。
と言うか、複葉機は空母から出現する艦載機にはむしろ圧倒的に不利である。
零戦乗りの人たちの証言には、「P-38やP-51やF4Uは一撃離脱に徹する事が多かったので、よく見張っていれば回避できたが、F6Fは高速域での格闘戦も挑んでくるので厄介な相手だった」というのが多かった
また、飛燕や疾風、紫電11型の搭乗員は、F6Fの方が高速域での運動性に優れており、格闘戦にも強いと評価している
(雷電は論外で海軍でも対爆撃機専用という認識、普段は雷電に乗っていた搭乗員も、対戦闘機の迎撃戦では零戦に乗り換えて出撃する事が多かった)
あと、超々ジュラルミンが使われたのは零戦の主翼桁だけ、他の部位は従来の超ジュラルミン製
「相手より低出力のエンジンを使って優速で運動性能の良い機体を作れ」というのは無茶振りの極み。一部で人命軽視とも評価されるけど、凡作機を配備すれば空戦に参加したパイロットはほぼ生還できないが、生還できるチャンスを作った機体と考えると案外人命軽視というわけでもない。
・ミニ四駆の軽量化のように穴もあけていた
外から見えないところで肉抜き(穴をあける)による軽量化を徹底していた。
最も小さな穴は直径3ミリほどだったと言われている。
・増槽(ドロップタンク)
航続距離を稼ぐために胴体下部に増槽を装備。
・沈頭鋲
空気抵抗低減のために頭が出っ張らないリベットを使った。
・超々ジュラルミンのカドからひび
肉抜きなどで部品に四角く肉抜きをしてしまうと角からひびが出来ることがテスト機で判明。
直線ではなく角を曲線にすることでひびを予防。
・お姉さんが(おそらくわざと)解説しなかった昇降舵
昇降舵の操作系の剛性を下げて速度にかかわらず一定の危機になるようにした。
この設計を取り入れるために軍の基準を変えさせた。
のちに堀越はこの設計を論文にして博士資格を取った。
酒井三郎はこの性能を活かした「左捻り込み戦法」を使った。
・鹵獲した零戦のテストで米軍が困ったこと
計器が読めない、ブレーキの特性が悪い、無線機がショボい
ー>米国製に交換
当時の日本人に合わせたサイズの操縦席
ー>小柄な男性もしくは女性パイロットを探した
・隼が零戦と区別できていなかった連合軍
エンジンが同じで機体サイズも似ていたため連合軍は区別できていなかった。
胴体の幅が違うので上または下から見たシルエットで分かるはずなのですが・・
零戦が沈頭鋲を使ったのに対して隼は胴体を補足設計して空気抵抗を下げた。
なお三菱製零戦で多数開けられていた肉抜き穴は、中島製では生産性向上の為、省略され数が減っています
零戦と隼の簡単な見分け方…零戦の尻尾は尖っている。隼の尻尾は丸まっている。
零戦パイロットが言っていました。「鎧兜ではなく浴衣を着て戦っていたようなものだ。」
外板は薄いところで0.5mm 浴衣は誇張じゃないんだよなぁ
当時の状況を知る本物のパイロットはそんな事言いませんよ
零戦が登場した当時は防弾板を装備した戦闘機は無く、
当時は世界中の戦闘機でそれが普通なんですが、零戦は他に欠点が無いのでけなしたい人が指摘しているだけです
2000㎞の航続距離の違えば燃料搭載量も違います、零戦は帰りの燃料を積んで空戦で勝っていたという事です
この燃料と防弾版の重量を推定すれば、欠点ではなく性能の選択という事です
運動性で攻撃を躱せる性能がある零戦は、国力の制限で基地数が少ない日本では航続距離を優先するのは当然です
後に開発された機体がより高性能なのは当たり前です
@@imagine.h-w2z 零戦も52型はそこそこの防弾装備をしていた。
それと連合国も人のことは言えない、第二次世界大戦中最強といわれているP-51ムスタングも零戦同様航続距離を稼ぐためコクピット周りの装甲の薄さは大概だし、もっとも燃料タンク周りは防弾がしっかりしていたけど、だから一部パイロットからは搭乗拒否もあった模様。
@@中村浩章-k4r
アメリカの場合はグラマン鉄鋼の話が目立つからなあ・・・
@@麦チョコ豆乳
航空機の外板は薄いのが当たり前
頑丈で有名なF6Fだって外板自体はそんなに厚くない(とはいえ零戦よりは厚いが)
問題はパイロット防護の防弾板と燃料タンクの防護
高価な素材を使い防御はもちろん生産性まで犠牲にした極端な軽量設計ですが、全ては非力なエンジンしか無いのにスペックは世界一を目指す…というところに発しているんですよね。エンジン開発についてほとんど語られないのがもどかしいです。
ゼロ戦の設計段階では栄エンジンは非力なエンジンではありませんでした。むしろ、世界最先端のエンジン開発に成功したことで世界一のスペックの戦闘機をめざすことができたと言えるでしょう。ただ、相当に背伸びをしたのは間違いないところ。特にプロペラ制御に関してはアメリカのライセンス生産だったため欧米よりひと世代古いもので効率が悪く、同じ馬力のエンジンに比べ不利だった可能性が大きいです。
マスタングより高価だから金かかる公式のチューニング飛行機という扱いになったな
まあ誉とハ43の開発がずっこけた上に、三菱設計2課がゼロ以降まともに機能してなかったですからね。後継の烈風や雷電の設計遅延にしても、戦線の移動に伴うゼロの不具合改修で手一杯だったようです。栄については、十二試艦上戦闘機(のちのゼロ戦です)設計時点では他国にそれほど見劣りはしないです。堀越氏は本当はより改良余地のある金星を選択したかったらしい。ただ、大きいんですよね。。艦上機ゆえの着艦時下方視界確保&陸軍より輪をかけて格闘戦志向の強い搭乗員が前方視界低下を嫌ったため、栄を選択せざるを得なかった。それに金星の生産だってそれほど余裕あった訳じゃないから、栄採用は覆らなかったでしょうね。
大馬力エンジンの開発でネックになったのは何だったのでしょうね。クランクシャフト?冷却系?キャブレター?ピストンリング?コンロッドの強度?
それとも、「作れるんだけど、燃料バカ喰いするからなぁ〜、どうします?」という感じ?
@@nyanco-teacherさん
色々やってはいるんですよね。
ボア径を増やすと燃焼が不安定化する、ストローク増やすと発動機自体が大型化する、回転数を増やすと潤滑が問題になる、過給圧を上げると異常燃焼が起きる。クランク軸ももちろん問題で軸受強度の問題もあるけど、大馬力化で顕著に起きたこととして振動は外せないと思う。
直線-回転運動の変換である以上どうしてもバランスが取り切れず各国色々苦労していてグリフォンスピットなんかは「オンボロ車みたい」と言われたりしてました。米国はこの辺り上手く解決していて例えばP&WのR2800のwikiには見開きのページにダイナミックバランサーの話が書いてある。現代風に言うとバランスシャフト。こういうのが国産発動機にはなかったんです。それなりにやったのは「誉」くらい。
自分のじいちゃんも零戦乗りだった。生前は相棒を駆ってアメリカ軍相手に大空を命懸けで、追い駆けっこしてたと自慢してました。
機体が被弾して片翼と片腕失くしても維持で帰投、戦傷兵として退役も出来たけど「敵さんに一矢報いてやらんと死にきれん」とそのまま特攻隊員に志願するくらいに頭ブッ飛んでました。
まあー 出撃せず、死なずに済んだところで、じいちゃんの戦争は終わりとなりました。
戦傷兵にもう一度飛べと言うほど上官も鬼ではなかったか
@@早川眠人 逆に戦傷兵側から帰れないラストフライト志願するというのはすごく脳内鎌倉武士がキマってる
ドイツには片足失くしても出撃してソ連戦車撃破してた人も居ましたけどね・・・
@@tomoyukiikeda4984 あの魔王は出撃禁止してもいつの間にか勝手に空飛んでヒャハってるからw
@@tomoyukiikeda4984 さん:日本にも、302空の森岡寛大尉という、左手が義手の零戦パイロットがおられますよ。
零式艦上戦闘機の最大の武器は徹底した軽量化に依って獲得した卓越した上昇性能。敵機と会敵すると一気に急上昇を掛け敵機に有利な位置を占位。急降下しながら攻撃を加える事で戦果を挙げています。低速での旋回性能が抜群だった為に運動性重視であり格闘戦で戦果を挙げた、と誤った認識が蔓延していますが零戦を駆ったベテラン搭乗員は上昇性能と加速性能を駆使し一撃離脱戦法を用いる事で有利に戦いました。
実は第一次大戦後半から戦闘機戦術のメインは一撃離脱。
零戦はとても頑丈とは言えない戦闘機です。
極限まで軽量化しているので上昇性能は優秀でしたが強度が足りないので急降下性能は極端に悪く、急降下で逃げる敵機には追い付けません。
無理をすると空中分解します。
ゼロ戦が劣勢に転じた理由は敵の新鋭機の登場と同時に「現役が長すぎた」ことによる相対的な性能低下がイチバンの原因である
幾度かのアップデートはあったものの性能の底上げというより特性チェンジの様なもので、速度を出せば扱いにくくなったりと、あちら立てればこちら立たず状態。
他にも、ほぼ無傷で鹵獲されたの痛恨で、それにより弱点が暴かれ、そこからアメリカ軍の戦術は大きく変わったとも言われる
スティーブ・ヒントンによれば「1対1なら第二次大戦機のどの機体にも勝てただろう」とのことだが実際の戦闘時にそのような状況はむしろ稀だったと推測される
ゼロ戦はその高い格闘能力と引き換えに防御力が殆どゼロになってしまったため乱戦時の流れ弾一発でも撃墜されてしまうほど打たれ弱かった
序盤の躍進は、機体性能というよりは、パイロットの熟練度かな…と。
99艦爆なんか、恐ろしい爆撃命中率出していたし。そんな化け物搭乗員がたくさんいたのよ。
多少の機体性能差と埋めようのない差のイカれたパイロットありきよなあ
性能も追いつき追い越され、肝心のパイロットもどんどん損耗すりゃヘルモードである
その様に練度の高さが重要な貴重なパイロットを消耗させ最後は特攻機に乗せ大半を戦死させねばならなかった。戦争は無情です。英霊たちに感謝。
海軍が全力で挑む艦隊決戦で航空優勢を確保する為の艦上戦闘機だから、生産性よりも性能重視したんだろう。
真珠湾で敵戦艦を半身不随にして、南大平洋で長期間の航空消耗戦を戦っって消耗後、マリアナやレイテで決戦する頃には……
飛行機云々よりアメリカにやられたのは編隊空戦だった。編隊で常に戦う米軍とほとんど単機同士て回りあうしかない日本とで差が出まくった。343は欠陥機の紫電改を使ってまで相手と同じ編隊空戦をしたい為に作った部隊
日本軍とドイツ軍は強かった
でもそれ以上に国力差が違い過ぎた
上層部のやらかしが無くても土台無理だったと思う
ミッドウエイで空母4隻が沈められ、熟練操縦士の多くを失ったのが致命的というのは他の人も書くだろうけど、長所として挙げられる長大な航続距離。見渡す限り何も目印もない太平洋で、計器に頼って何千キロも飛んで、行った先で戦闘してまた帰ってくるなんて、操縦者の負担がどれほどだっただろうかと恐ろしくなりますね。人間だから生理現象もある訳で。
実は、ミッドウェー海戦で気体は失っているが、パイロットは不時着して駆逐艦が回収している。
ただ、その後の戦闘で使い潰してしまったのだ。
永遠の0でもラバウル編で航続の長さを宮部が指摘していましたね…あれも心に刺さるセリフでした。
@sabirotatami4100 本当は航続距離というより、戦艦の上空を守る飛行時間確保だったんだけどね。
どちらかと言えば、その後のソロモン諸島を巡る戦闘での消耗が酷い、戦闘機だけでなく、艦爆や艦攻も
仮にミッドウェーで負けなくてもどこかでジリ貧になって負けていたと思う
お疲れさまでした! とても面白いです。
まとめの内容ががすべてですね。早期に終わらせられなかった+後継機が続かなかった。
公平にみてゼロは恐るべき機体だと思います
「いいか、敵機に後ろに付かれたらレバーをガチャガチャするんだ。どうなると思う?」
「ガチャガチャ・・・・わかりません」
「そうだ、敵もわからんのだ」
「????」
マジであった日本航空隊の教育
レバーって操縦レバーとスロットルのレバーだったりするんですかね?そうだとしたら太平洋戦争で零戦がどんどん簡単に撃墜された理由が分かる気がする…。
@@karbonard ホントそれ
偏差射撃って難しいんだよ。
予測位置に来ないと無駄弾をばらまくだけになるから、意外と有効かもしれない。
@@kywry486大戦末期になってp38とかいう零戦キラーが登場して、速度を活かして倒されてるってことにさえ気づいていればある程度マシな航空機作って戦えたんじゃないかって思いますねw
@@FLAKPANZER2000
しかも零戦の20ミリ機関砲は低初速で命中率が悪かったとか
マリオカートで言うノコノコキノピオ枠。
最高速度やロール性能云々言われるけど単純旋回しながら撃つだけでそこそこ強いっていうのはやっぱ正義よ。
零戦はザク。大戦の初期に大活躍して戦局を作り、数々のエースパイロット名を馳せ、派生型たくさん作られ、相手の新型が登場するとやられメカになるも大戦末期まで主戦力として使われ、戦後も戦争の象徴として愛され続ける。
コードネームZEKEとか緑の機体に赤丸のモノアイとか色々彷彿とさせますよね
空母の搭載機数が限られている艦上戦闘機だから数をそろえる必要は無い(ここは正論)として複雑な工程を許容してしまった点でザクとは違う・・・・
@@ほえほえ-w3x
のはずの零戦の製造工数は隼や飛燕よりも少なかったという記録が残ってる
動画一覧にこれだけ「最強」が踊るチャンネルも珍しい
最強って言えば、
視聴数増えるからな。
何でも最強最強って言うって事は、最強ではない事実。
超々ジュラルミンって、日本の住金が開発していたのね、誇らしい。
なお経年劣化し易く、残骸の腐食した超々ジュラルミン=A7075製主翼桁は、木材のような繊維状にボロボロになってます
住友金属って言えば最初に成功したロータリーエンジンのカーボンアペックスシールは住金製。マツダの株主は住友銀行だから。
カーボンにアルミを染み込ませてある。
アルコア社のA7075と比べると帝国海軍が強度を求めすぎたから時期割れや腐食の問題で主桁にしか使えない実用性には欠ける物になってる
真珠湾攻撃とほぼ同時に行われたフィリピン攻略戦では、計画段階の最初は空母を使う予定だったのが、航続距離が長かったので、台湾から飛び立って直接攻撃したそうですね。
で、アメリカ軍は、そんな事が出来るとは思っていなかったので、空母を探したとか。
子供の頃は零戦と言うと濃緑色と推力式単排気管の52型が代表的なイメージでした。
しかし52型は実戦では高性能な米軍機に押され苦戦したと言う悲しき現実。
実戦では明灰色の21型がゼロファイターとして活躍したと知ったのはずっと後からでしたね。
52は鈍重になってかえって撃墜されやすくなって21型をそのまま生産してたほうがマシという説もある
@@ニシノフラワー0さん
これはちょっと極論であって過給器一速かつロールの鈍い二一型が優れるということは流石にないです。ラバウルで主力を張っていた204空が二一型の補給を拒否する事態なども実際に起こっていました。
メッサーのエンジンが1940年で1400馬力ってどういうことや。1940年ごろのDB601は1000馬力すら出ないぞ。それよりしばらく先に登場したDB605Aでやっと1400馬力
まあ、語りだしたらキリが無い機体。誉の搭載はやろうと思えば可能だったようですが、積んだらまず2000馬力級のパワーに対して機体強度が足りないという結論に達したそうで。それ以前に誉は紫電や疾風に回すので精一杯だったからそもそも無理だったんですが。零戦に金星エンジンを搭載してみたのも、百式司偵に行くはずだった金星が余剰になったから試作することが出来たという経緯もありましたので。
力を入れていただけあり最後まで息つく暇もなくおもしろかった
疾風の設計者が、零戦の軽量化のことを「バカ穴を開けるバカ」と揶揄していたって書いた書籍もありましたね。
後継機の遅れは思うに、烈風の仕様が海軍内でも議論百出で定め切れていなかったことと、堀越二郎氏が零戦の改良型に手を取られ過ぎてしまったことじゃないのかな。強力なエンジンもなしで。
烈風は”十七試”艦戦ですよ。戦争に間に合うわけがないんです。海軍は零戦の次の艦戦なんて重視してないし期待もしてないのではないですか。
@@underhat-gc4ru さま。
コメントの意味がよくわからなかったのですが、「間に合うわけがない」っていった時系列の類いのことは後世の我々だから知っている事なので、当事者がそう考えていたと断定は難しいと思うのです。期待していないのに要求書が出るのも変だし。
とり急ぎ後付けで調べました。
ウイキペディアによると(ウイキペディアが正しいかは議論の余地があるとはいえ)、元々は十六試艦上戦闘機として内示が出ているらしいんです。ところが、堀越氏は零戦の改良型と十四試局地戦闘機雷電の立ち上げとで余裕がなかった。それで、改めて十七試艦上戦闘機として要求書が出ているんですが、この際も速度重視か格闘性能重視か激論を交わしていたらしく、しかもエンジン開発は遅れるわ、翼面荷重は指定されるわで、設計陣の足を引っ張りまくったのが目に見えるようです。
海軍は設計者のリソース配分をよく考えるべきでしたね。
そもそも末期の航空本部は戦闘機不要論で、出来るだけ多くの攻撃機を敵艦に向わせて、僅かでも弾が当れば良いという飽和攻撃論に傾いていた。
@@ty7251 さま。
なるほど。それは存じ上げませんが、無謀な戦術だと思いました。
でも、計画段階の話とは無関係だと思うのですが。
@@underhat-gc4ru さん:十四試辺りで次期艦戦を開発していなくては間に合わないのに、三菱に十四試局戦(雷電)を指定した時点で勝負ありなんですよ。
陸と違って下が海だから自力で帰ってくるなんてそうそうできないからな
撃墜≒パイロットの喪失なのは痛すぎた
同じ「下が海」でも米海軍の被撃墜パイロットの生還率とは差が大きすぎます。
お疲れ様でした❤
簡潔にまとめられていい動画だと思います。
F6Fのキルレシオは2対1以上の零戦が数的な劣勢での結果といえるでしょう。
「日本は格闘戦性能を重視し、欧米は一撃離脱戦法のためスピードを重視」というステレオタイプの見方がありますが、それは恐らく誤解だと思います。欧米が最高速度重視なのは、「爆撃機万能・戦闘機不要論」の影響を受け、戦闘機は、高速でやってくる爆撃機に追いつけるようにしなければならない、ということで速度一辺倒の設計になっているのです。ゼロ戦も実はその影響を受けて速度は非常に重視されています。1000馬力エンジンの戦闘機では非常に速度の出る部類になります。
ゼロ戦の相手も恐らく日本の艦艇を狙ってくる米軍の大型・高速の爆撃機だと考えていたので、速度・上昇力及び20mm機関砲の装備にこだわった設計になっています。格闘戦性能は、空母への着艦性能のため翼面荷重を低く抑える必要があったこと、そして航続距離や上昇性能の面でも低翼面荷重が有利だったため、たまたまそういう特性になったのです。本当に格闘戦重視というのなら96艦戦を引き込み脚にしたような戦闘機になっていたはずです。航続距離性能は、海軍のアウトレンジ戦法の思想に沿ったものでした。
いざ戦争が始まってみると、戦前に各国が考えていたものと全く違った様相になります。もはや起こらないと考えていた戦闘機対戦闘機の戦闘、いらないと思っていたけど実は必須だった爆撃機の護衛。だけどそう簡単に戦闘機は一から設計して作るなんてことはできない、大戦中に活躍した戦闘機はすべて戦前に基本設計がされたものばかりなのです。それぞれが今ある戦闘機の改良でなんとかしのいだというのが本当のところでしょう。
実戦での格闘戦は禁じ手、それは第一次世界大戦の頃から言われていたことだそうです。かのリヒトホーフェンも1対1の格闘戦で戦果を上げていたわけではなく、主に編隊戦闘の工夫で戦果をあげていたそうです。日本軍でも格闘戦性能にこだわっていたのは内地で訓練ばかりしていた教官連中で、第一線で活躍していたパイロットはそうではなかったょうです。軍の上層部も同じ、なので取ってつけたような空戦フラップなどで格闘戦にこだわるパイロットを納得させていたのでしょう。
遂に出ましたな…
この尺で良くまとめているが、零戦の本当の功績は”史上初の戦略戦闘機”だったこと。
実は零戦開発のその直前に、世界各国で双発戦闘機ブームが起きた。
理由は簡単で、双発にすれば強い武器が積める、パワーが上がるのでより多く燃料が積める=航続距離が延びる、更に当時のエンジンは信頼性が低かったので、片発停止でもなんとか帰ってこられる可能性が高い…
そういうトレンドで造られたのが、アメリカのロッキードP-38、ドイツのBf110、日本のキ45(二式複戦屠龍)十三試双発陸上戦闘機(二式陸偵/月光)。
これらの機体はP-38以外は悉く討ち死にしてしまった…ということがあった。
これらの機体は爆撃機に随伴して、敵地深く進攻し、敵機を排除しながら爆撃ミッションを成功させる…という目標があったのだが、ドイツがその目的でBf110を投入したら、(当たり前だが)身軽な単発単座戦闘機にいいようにやられて大失敗…
それを零戦が実現してしまったのだから、その技術史における影響は計り知れない。
動画中に出てくる胴体の構造も、のちにグラマンがF8Fで、エドガー・シュミードがF-5で、エド・ハイネマンがA-4スカイホークでこのアイデアをパクっているw
それだけ凄い飛行機だということ…
皆さん、おねえさん、お久しぶりでした。
楽しい時間をご一緒できてウレシかったです😂😂
有難うございました。
零戦の高速時の運動性能が低かったのは軽量化の為・・・・というよりも高速時の羽布の挙動を知らなかった為に動翼を羽布製にしてしまった為。
戦後に欧米の技術情報が再び入るまで鹵獲機の金属製動翼の意味が理解できなかった。
(設計で一部技術で背伸びしても、まだまだ技術格差が大きかった)
・
高速になるとその風圧で羽布が押されて変形して動翼としての機能が損なわれると知ったのは戦後の事。
F6FもF4Uも羽布張り。出来なかったと言うよりやらなかった。舵面が大きくそもそもの抵抗が大きいから。なので高速域での横転性能が悪い。でも低速域での横転率は各国戦闘機中でトップレベル。NACAの実測レポートが残ってます。
先日、中島カラーのプリウスとすれ違った…
たしかに、時間が長かったけど、長く感じ無かったぐらい、充実した内容でした。面白かったです😊ありがとうございました。
よく言われるのが、空戦では先に相手を見つけた方がより優位なポジションを獲得して奇襲することで趨勢を決してから余勢で格闘戦に突入する。
かなりリアルに書かれている架空戦記であるラバウル烈風空戦録でも大戦初期の圧倒的キルレシオは搭乗員の技量によるもので、零戦を無敵のようには書いてはいない。
零戦の序盤の戦果はアジアに配備されていた欧米パイロットが『左遷組やキャリアアップ目的』な訳ありだったからって説もあります
増援要請に『まともなや使える』パイロットって文言が入っていたとか
一番好きな海軍機紹介嬉しいな~大戦中期以降はP51やF6F、F4Uに苦戦したけどそれでも最後まで活躍してたもんなあ、、まあこれは後継機の烈風や紫電21型開発が遅れたのが原因だろうけど。それでも坂井さんや岩本さん、菅野さんなどが使いこなしてたの凄い、、
エースコンバットでも、自分遅い機体で速い相手にヒットアンドアウェイされると、なんも出来ないもんな・・・ 向かってくる時に正面向けるしか無いけど、これはレーダーあるから出来る事だし、目視戦闘してたら無理ゲーだったろうな・・・
軽くよく回る機体を中国戦線で練度を上げた選りすぐりの搭乗員達が操って、2線級装備と人員の米英と戦ったらそりゃ伝説になるくらい強いよ。
搭乗員が消耗したタイミングで、新型機が投入されて、物量で押されてて終わったけどさ。
フライングタイガースが居るよ。P-40を旧式とは可哀想だ。
最終的に勝てば旧式機だから仕方ないと擁護され、負ければ旧式機を使い続けてる奴が悪いと罵倒されるこれが敗戦か
40年程前スミソニアン博物館で家族と零戦を観ました。父は観るなり興奮してましたが、当時技術の進化というものを知らない子供の私にはただの緑色のプロペラ機としか思ってませんでした。
家族がしばらく零戦を観ている時、通りすがりのアメリカ人の方が「写真撮ってあげるよ。」と言って零戦をバックに写真を撮って頂きました。
当時の私にはこの好意が普通な感じだったのでわかってませんでしたが、今思えばこれは大変な好意だったのだとわかりました。
詳しく解説しだすとキリがないやつに果敢に挑むお姉さん(の中の人)!
トレードオフという言葉がそのまま形となった戦闘機、だと思う。
高速での舵の効きも、低速域での舵の効きを優先して面積を増やした弊害だし。
防御もパワーに余力がないのはわかりきってたし。
ただ、防御に関しては捨てたというか、要求書に無かったから優先順位がすごく低かっただけとも取れるかと。
とにもかくにも、民間会社の三菱としては要求性能を満たして制式採用されないとね、、、ビジネスだもん。
真珠湾攻撃前のアメリカは戦争嫌いでヨーロッパで始まった第二次大戦で劣勢のイギリスからの再三にわたる参戦要請も金銭や物資の援助でお茶を濁してたくらい
だから常備軍を持たず、当然、兵器開発の予算も割り当てられなかったから、参戦当初は米軍は質、量、ともに弱かった
しかし、真珠湾攻撃で眠れる獅子を起こしちゃったもんだから、アメリカが本格的に兵器開発に着手したら、あっという間に形勢逆転してしまった
しかも、第二次大戦でアメリカが投入したのは間に合わせの急造兵器であり、終戦頃には次々と次世代兵器が完成したものの終戦で出る幕がなかったという
海軍軍縮条約のお陰で、アメリカがフィリピン防衛を放棄していたのも一因。
F6FもF4Uも1938年には開発スタートしてる。 実際には 40年6月のパリ陥落を受けて戦艦7、空母18、航空機1万5千の両洋艦隊法が通過して海軍大拡張は既に始まってるので41年12月の真珠湾きっかけとは言えないのでは?
オンタイム乗り遅れました! 只今鑑賞中です。(戦技:横滑りあるかな?ww)
零戦みてるとホンダのクルマそのまんまと思う。軽くて速くて操縦性も良く燃費も良い。しかし被弾(事故)したらそこでお終い。ワンダーシビックで街路樹に衝突して(街路樹は折れなかった)ドアが開かなくなって発火、生きたまま火葬されたJD2人はウチの嫁の同級生。
あなたの道徳観凄まじいですね
チャイナのEVみたいですね笑
三菱製なのに 中島製迷彩カラーリングの方が 有名
何ですか中島製カラーって。
@underhat-gc4ru 水平尾翼の下の塗り分け方
中島製は 濃緑色を塗らないで 曲線的
三菱製は 濃緑色を水平尾翼下を塗っている
雷電·疾風みたいに 胴体下まで塗る
あとは ググって 画像で 確認してください
生産機数では中島が圧倒してるもんな
@@l.d.v7064 ああ、なるほど。てっきり三菱製と中島製の機では暗緑色D2の色味が違うという説の話かと思いました。失礼しました。
チビッ子の頃に三二型だけはコレジャナイ感が否めなかった…
米軍に新型機と思われてコードネームが別に与えられた…
担当が、本庄季郎氏なので感じが違いますね
TPぼんに描かれてるのが角端翼なのはF先生に何か拘りがあったのだろうか。
分かる!他の零戦は主翼が丸いのに三二型だけ米軍機のような四角形で違和感しかない
後継機は開発が間に合わなかったのではなく、開発する意思が元々薄かったんだと思います。短期決戦で講和、しか勝つ道がなかったですからね🤔
米国の心を折る作戦ですね。
山本長官は在米経験が長いので、良くご存知だったそうですが。
烈風の開発着手は結構早いよ。単に高出力エンジンの開発に失敗しただけ。
@@ryuumiya8343 制式採用名が九六艦戦→零式艦戦だから4年後。試作名が十二試艦戦(零戦)→十六試艦戦(烈風)だからやはり4年後。計画としては順当です。十六試が十七試に後倒しになったのは開発リソースが足りなかった(適正分配できなかった)。エンジンについては史実では間に合わなかった金星搭載零戦が存在しますが、実は試作機の時期に瑞星か金星か、という選択肢がありました。堀越氏は軽量ということで瑞星を選び、「これが痛恨の選択だった」とのちに著書で述べています。その後、大きさ・重さがあまり変わらず、より高出力な栄に巡り合えたのは幸運でした。でも誉は小型軽量高出力を狙った設計にそもそも無理があり、試作機はうまくいっても量産現場では材料や精度が対応できなかった。
今回は、気合入ってますね☺陸軍機の『隼』も、一緒に検討して欲しかったです😁
f2「僕のじっちゃん!」
父ちゃん誰だよ
@@緑茶-l1r F-1かな?
養子っぽい
@@YAMA-san009
血統的にはF-16ですね
@@小山新-u1p 設計変更は80%ですけど
日本機全般に言えるのは、熟練度高いパイロットが乗ってナンボなんだよな
それはどの戦闘機も一緒。アメリカでは充実した教育システムで優秀なパイロットを輩出しています。
日本の育成システムがパイロットをとにかく篩いにかけて技量A級まで行くか、途中で死ぬかなのに対して、アメリカでは大量の技量B級のパイロットを安定して育成できて、その中から極小数が技量A級に至る感じよね。
五大湖に練習用の空母を浮かべて燃料も使い放題。国民もある程度自動車運転してたり猟銃が普及してたりして射撃のセンスが良かったらしいです。
@comete5d361 日本は、車の運転手よりパイロットの方が多かったらしい。
アメリカは開戦した時から搭乗員の大量育成を始めた。日本が体制を改めたのはミッドウェーの後から
半年のタイムラグ。
「栄」エンジンから「金星」エンジンへの換装型の試作・採用があと後回しになったのが最初の失敗😢
エンジンパワーに耐える補強をすると、却って性能が悪化する可能性が高かったから、中々踏み切れなかった。
飛燕のように初めから必要な強度があった機体とは異なるよ。
金星に換装した結果、戦闘機動が難しくなった(耐Gが7G→6.5G)ので一概に金星零戦凄い、では無いのですよ
Bf109と同じように、後継機に恵まれなかったのが、残念なところです。まぁ、ドイツも日本も、WWⅡに負けてしまったので…。でも、零戦には坂井三郎や岩本徹三といった、エースパイロットを数多く誕生させたから、すごかったです。まぁ、中島は当時、陸軍機で手一杯だったので…😅。
ゲームの話にはなるけど零戦の20ミリはめちゃくちゃ弾が垂れるから当てづらいんだよなぁ…
おねえさんの『ちょうちょう』の言い方好き
岩本徹三さんが乗られると、まさに無敵でしたね。
あまりに軽量なため、エルロンやラダーの駆動伝達にロッド(棒)を使用したら挙動が激しすぎたため柔軟なワイヤーに変えたところ空戦での操縦性も向上したようです。そのため高速飛行時の操縦性が厳しくなったということです。
零戦に搭載されていた栄エンジンは1500馬力化の計画があったのに、2000馬力の誉の開発を優先して栄1500馬力化の計画が流れたのは痛い。
この計画が実現していたら、少なくても零戦はF6Fとは互角、他の米軍機には勝てないまでも負けない性能を獲得できたのに…
単純計算しても最高速度が600km/hくらいになるので、速度的にはF6Fと互角。防弾性能も米軍機ほどではないけど五ニ型では考慮されていたから、史実よりも戦えた戦闘機になっていた筈。
色んな事を犠牲にして開発した誉エンジンは、性能こそは良かったものの信頼性が低く、スペック通りの性能が発揮出来ない事が多かった。
当時の日本の工業力を考えたら、栄の1500馬力化の方が現実的だった。
1500馬力化された栄さえあれば、マリアナの七面鳥撃ちは無かったのに(泣)
無理です。
マーリンやダイムラーベンツは液冷。
耐熱合金作る技術も資源もない。
仮に無理矢理に実現させても寿命150時間とか使い捨てエンジンのような代物になると思う。
日本軍機は総じて欧米より気筒圧が弱い欠点・特徴があった。
現代の中韓エンジンほど完全な周回遅れではないかもしれないが、日本機である以上どうしようもない。
火星のような高馬力エンジンを爆撃機に使った事が失敗だと個人的には思う。
ただ、雷電が爆撃機エンジンを使ったため使い難い機体になったし、根本的な解決法はない。
と言うか、マリアナの七面鳥撃ちは全く真実ではない。
40mmVT管の幻想だよ。
実際は艦隊空で航空戦力に対抗できるコスパの兵器は現れるどころか、圧倒的に航空戦力が中心となってきてる百年となった。
VT管のコストは高価で数量も少なく、撃墜においてコスパが見合う兵器ではない。
P38のような陸戦機には空母ある限り絶対に負けないし、単葉機が複葉機に負ける事は稀。
マリアナの七面鳥撃ちとは、F6Fに「限られた空母」「新型機の欠如」で対抗した結果だよ。
金星積めば600km/h出せてF6Fと互角?ギャグにしても出来が悪すぎる冗談だな
1945年4月に完成した五四型/六四型ですら572km/hしか出せなかった事位ググればすぐ出て来るだろうに。
あと、この手の妄想って金星エンジンの性能を1945年頃の安定性が1943年頃から発揮できると勘違いしてるよね
実際金星六二型を搭載した百式司偵Ⅲ型は1945年初頭くらいまでエンジントラブルの頻発に悩まされてんだけど。
夢物語は零戦54型の諸元や金星62型を早期に搭載した百式司令部偵察機Ⅲ型の稼働率とか調べてから言ってくれ。
一方順調に発展機を出していって堅実かつ優秀な飛行機を出し続けた陸軍航空。防弾板もあったし、帰ってきたら海軍もそうだけど、歌にもあるよう涙莞爾と部隊長だった。私はヘリパイでもない歩兵科(国民にわかりづらく言うと普通科)の人間でしたけど、やっぱり知らん奴らが語るな!みたいな、その場所で生きてきた者にしかわからない世界というのはあるんですね。私は同期の為なら簡単に生命を投げ出せましたし、みんなそうでしたよ。運良く部隊の団結が殊更に固いであろう部隊にいましたので、そういう気持ちはありました。うだうだ抜かす前に任期制自衛官になればいいんです。補給軽視の話だって別に軽視してる軍隊なんかどこにもないですよ。スパイを送って兵站基地を破壊した日本軍みたいに邪魔しなくちゃいけないんです。根こそぎ動員前と後の記録見てりゃわかること。見ないでほざく奴がいる。そいつはオタクではない。酔った失言を許してほしいけど、兵隊さんは「知ってて征く」んです。だから世界中で尊敬されるんじゃないですか中国とアメリカ、ロシアなんか極端にそうですよ。ポーランドの友人はナチスと戦闘して足が無い祖父がおられますが祖国愛が強い。自己犠牲を問わないのはクリスチャンやイスラームの殉教なんかわかりやすいし特攻なんか特別でもなんでもない。
戦時中私の父は半年だけ陸軍にいた。輜重隊に配属された。自動車の操作の名称は全て日本化だったと言ってた。ゼロ戦は零戦と言わずゼロ戦だった。らしい。
零戦は火力の高さが長所として挙げられていますが実際は海軍側がゴリ押しで搭載させた20ミリ機関砲は地上でのテストでは十分すぎる火力だったものの実際の空戦においては零戦のエースパイロットとして知られる坂井三郎さん曰く「20ミリは小便玉」というほど弾速が遅く全く使えなかったようですね。(搭載弾数も多く見積もっても120発ぐらいだったこともその要因)
実際には弾速が速く搭載弾数も多い7.7ミリ機銃でエンジンなどの急所を狙うしか戦い方がなかったようです。
機種のバリエーションも豊富ですが大出力エンジンに換装できる発展性がなかったのも零戦の欠点ですね・・・Bf109やスピットファイアはこの辺が優れていたので大戦初期から終戦まで活躍できましたしね。
零戦はもっと早く後継機にスイッチするべき戦闘機でしたが海軍側が「後継機に零戦と同じだけの格闘戦能力をもたせよ」と時代が一対一の空中戦から一撃離脱などの高速戦へと移行しつつあった中時代錯誤な要求をしてきたせいで後継機の開発が遅れに遅れた為終戦まで使われた悲運の機体です。
とはいえ登場当時に零戦に叶う戦闘機がなかったのも事実で日本のみならず海外にもファンの多い機体で私も大好きな戦闘機です!(ちなみに私は22型が好きです)
パイロットの意見だと、7.7mmメイン派が多いけど、20mmメイン派もいらっしゃったようですね。
坂井三郎が20ミリは小便弾と言うようになったのは戦後かなりたってからでそれまでは特に問題視してませんでした
中国大陸での零戦初陣の時海軍はパイロットに綿密に聞き取り調査をしてるんですが
20ミリ機銃はGがかかった時の給弾不良と装弾数の少なさについては言及されてますが威力や命中率について褒める人はいても問題ありとした人はいません
海軍は零戦が完成した時点で機体の欠陥に気がついていたが空中分解を避ける為空戦での禁止事項をパイロットに伝えるだけで一切改修等を行わなかった事が後に仇となり米軍にほぼ無傷機体が接収分析され海軍がひた隠しにしていた弱点を突かれ次々撃墜されていった
零戦を1万機作らざるを得なかったのが大誤算ですねぇ…
三菱の開発陣的には96艦戦のように約1000機生産(実戦用500機、訓練・予備500機)して後継機に場を譲る想定だったようです。
強力なエンジンはできず、実質1つしかない三菱の戦闘機の開発チームがもともとギリギリを攻めていた零戦改造を優先させられ、後に局戦である雷電に着手、軍は他社に開発打診せず…と
結果的に艦戦の開発空白期間ができて零戦しかなかった。
欠点もあった零戦ですが終戦まで零戦で戦い抜き、諸説ありますが約80機の敵機を叩き墜したエースパイロット、岩本徹三氏の天才さを改めて感じました。
当たらなければをじでいく機体
設計者も言ったとか
ゴムなどの資源無いから無理とかも
設計者は改良より新機体をとも思ってたとか
バージョンアップに多忙で新機体を設計できないと嘆いてたとか
エンジンが適合出来ずそこも泣きどころで信頼性も満足とは言えず妥協
😅
動画お疲れ様です😊
次は「フォッケウルフFw190&Ta152」と「一式隼」も紹介して欲しい。
あたらなければ、どうということはない!非力なエンジンでも防御を捨てて巨大な敵に挑む所が日本人が愛してやまない理由だと思っています
何か一発だけスゴイのを作ると、勝ったも同然と思い込むのが、古来からの日本人の悪い癖じゃないかと思われます。
杉田二等飛行曹(戦4後2階級特進で少尉)曰く
「ロッキード(ライトニング)と戦うには、先ず急降下して逃げる。追尾してきたロッキードを躱し、後ろに回り込んで撃墜する。」
帝国海軍No.2(又はNo.3❓)の戦い方でした😃
どんなに高性能な戦闘機を作っても無線機があれじゃどうにもならないね。
米国の技術専門誌「ポピュラーメカニクス」の「史上最強の軍用機ベスト6」と言う企画で零戦は2位に入っているが、それだけ開戦当初に米軍パイロットに与えた衝撃が大きかったのだろう。ちなみに1位は世界で初めてプロペラ同調式機銃を搭載したフォッカーE.Ⅲで、3位がB-29だった。
操縦するパイロットの立場として見りゃゼロ戦をスポーツカーとすればグラマンとかカーチスは納屋に置いてあるトラック位操縦感覚の繊細さが違ったようだ。ただ常に相手の方がエンジンパワーあるから主導権は握れないよね
当時の戦闘機は歩兵同様防御を捨てていました。
1000馬力未満のエンジンで速力500キロ以上 20ミリ機銃装備 防弾性能完備 急降下制限800キロ以上に高い運動性を実現した戦闘機なら存在します。
ただ航続距離が1200キロ台ですが・・・
防御を捨てているのは零戦だけ。隼は、ちゃんと防御も考慮されている。
実は零戦が採用された1940年のBoB以前は、欧米の戦闘機でも防弾板や防漏タンクを採用している戦闘機は少なかった
例えばフランスに侵攻したドイツ軍を迎え撃った頃のイギリスのホーカー・ハリケーンにはまだ防弾板が無く、不時着したバトル軽爆撃機の物を剥ぎ取って現地で移植改造しており、その後BoBの最中に標準装備となっていった
歩兵は防御能力の高い兵科だぞ
@@謎の戦士 蛸壺掘ったらね。
当時の日本は真空管の性能が不安定で無線機での連携が取りにくく、零戦に限らず組織戦闘で弱かった。というの情報があるけど確証が持てない。米軍は、優れた操縦士は教官にして温存しつつ、戦線の操縦士全体のレベルの向上を重視。対して日本軍は、防弾板無しの零戦に象徴されるように歴戦の操縦士を失っていったのでジリ貧に。
無線機が聞こえにくいため、取り外して軽量化したパイロットもいたらしい。
何年か前に日本航空機搭載の20mm機銃のリクエストしましたが、
取材に時間が必要だったのですね。ご苦労様です、当時のパイロットの
話ですと20mm機銃は弾数が少なく、初速が遅いので当たりにくく、
機首の7,7mm機銃に頼っていたと言う話がありました。
最初一丁当たり60発だもんな。のちに100発、ベルト給弾にしてやっと125発。
初速に至っては、垂れ落ちる弾道をションベン弾って自嘲していた。
誕生した時から改良を拒む設計だったのが痛かったですなあ。みんな海軍の要望が高すぎたならイケメンや
誰も話題にしないWOWPだと30mm搭載型に初心者時代に世話になった思い出
ただゲーム中でも当てるのがちょっとしんどいのに現実で運用するのは無理だったろうなあ
軽装、高火力はロマン的には非常にかっこいいんだけど…当たらなければどうということはないって感じで。でも熟練パイロットはどんなに工業力あっても量産できない超重要な構成要素なんだよな
ムスタングやスピットファイアは結構残っているのに、ゼロ戦は残ってなさすぎる
陸さんはチャンと後継機開発してたけど・・・
零戦に固執して派生型しか作らんかったからなぁ~海軍さんは・・・
時系列で調べるとおもしろいかもよっ!!!
9:52 実際、穴(肉抜き穴)だらけです。
海軍に審査のルール(強度)を変えさせたという追記もしておきます。
高速域での舵の効きについて強調してたので高評価します。
設計計算を徹底することで一部部材の安全率を1.8→1.6にした話。でもドイツもイギリスもやっていたし、何なら航空業界は全体として皆この方向性となり、戦後は1.5が標準になってます。
てことは、次は紫電改だな。
楽しみぃ~♬
めっちゃ強いというわけではなかったけど技術後進国の日本が最初の方だけでも世界最強の戦闘機作れたということが凄いね
「ゼロ戦は傑作機だった。でも傑作機すぎて後継機の必要がなかったのが敗因。」という百田氏の小説のゼロ戦評が、解説観ていてすごく納得しました。
意外なことにまだゼロ戦を取り上げてなかったんですね。いずれゴジラにも出てきたロマン戦闘機の震電も観てみたいです、
実際の後継機の烈風は比較的早い段階から開発が始まってたらしい、でもエンジンがオワコンだったから結局終戦まで渋々零戦を使い続けてたらしい。
昭和16年に16試艦上戦闘機の計画は三菱に提示してはいたものの、三菱の戦闘機開発チームが堀越二郎のチームしかなかったこともあり一旦棚上げとなっています。
翌年に後の烈風となる17試艦上戦闘機の計画が始まりました。
仮に16試艦上戦闘機の開発が即時スタートしていたとしても、良いエンジンが無いのでどうにもならなかったと思いますが。
誉が安定しなかったからなあ。
ハイオク飲ませないといけないし、潤滑油はないし。
傑作機零戦のもう一つの弱点としてあまりに洗練された設計だったために拡張性が無さ過ぎてアップデートに限界があったみたいですね、
まあ、肉削りまくっているから余裕が無いって話なんですけどね
@yoshiookuda1721 その逆が飛燕ですね。
旧日本軍の戦闘機と言えば零戦
性能だけでなく浪漫もあるのが大きい
かく言う自分も零戦が大好き
航続距離は、まごう事無きオーパーツなんだよなぁ
空母艦載機なんて陸上機に比べて制約の多くて量産に向かない機体がWW2における日本の最多生産機体だなんて、ただでさえ生産力で遥かにアメリカに劣る状態なのに生産数の差が広がる一方じゃないか。堀越技師も空母艦載機だから生産数は少数だろうと量産性のことは度返しで性能全振りで設計したそうだし。
日本軍のガソリン、オイルの質の悪さも要因ですね、アメリカ軍が使用していた良質なガソリン、オイルを使用したら、零戦の性能は20〜25%UPしたとの、報告が有ります。(故障の回避もUP)
日本海軍の栄光と凋落、両方の原因となった機体ですからね。自分はマニアとまでは言えないが、零戦は知れば知るほど泣けてくる、そんな機体だと思ってます。
20mmのションベン弾の評価は1号銃の話なので、2号銃を使用しての評価とは違うと思います
零戦だと52型以降ですね
20mmは頼もしい、と評価されているパイロットの方もいらっしゃるので
初陣の中国戦線で、ひねって逃げる敵機の主翼が20mmの命中で折れて吹っ飛んだとの報告が出ていたはず。
零戦は、当時からゼロ戦と呼ばれてます。
海軍では、20ミリは機銃と種別され
陸軍では機関砲に種別されます。
当時搭乗員だった方の体験談を読むと
燃料満載時、もしくは残量が多い時に被弾しても発火しづらく
残量が少ない時は簡単に発火したそうです。
タンク内にガソリンの揮発ガスが多くあるのが原因だとか。
元々、零戦はベテラン向けの戦闘機で新米や経験不足の搭乗員には扱いづらかったそうです。
因みに
陸軍の一式戦闘機、通称名隼は新米からベテランまで扱いやすい様に作ってあるとか。
零戦の速度が遅いのは艦上戦闘機だから。
航続距離の対比を陸軍機を織り交ぜるのはどうだろうか。
使用場所が根本的に違うのだから。
メッサーシュミットの航続距離が短いのは
ヨーロッパは地続きなので飛行場が作りやすいため、だそうです。
異論は認めます。🤣
零戦に関しては多大な情報量と異様に詳しい一般識者まで居るので手も抜けんから制作時間超過やむ無し
試作機だけで終わりましたが、エンジンを爆撃機用の金星に換装してパワーアップする計画もありました。
航続距離めっちゃ低下してて零戦の長所がなくなってた気が
アクタン島で捕獲された零戦が研究し尽くされて米軍の新型機が開発された話は有名ですね。
あと、硫黄島でもう少し補給があって踏ん張ったら、米軍は予算が付きていたとも言われています。
心を折る直前まで行っていたんだと思います。
鹵獲零戦を研究して対抗戦術が考えられたが、しかし新型機開発は既に進んでおり、例えばグラマンF6Fの試作機の初飛行は零戦鹵獲の半月ほど後のことで、全く設計の参考にはされていない
更に後継のF8Fが零戦に対抗して小型軽量化したなどと書かれているのは日本語の記事だけで、実際の開発のきっかけは、英軍が鹵獲したFw190Aに試乗したグラマン社パイロットが、小型の機体と大馬力エンジンの組み合わせを提唱した事から
海軍の要求は航続距離では無く滞空時間ですよね。
防御について海軍からの要求は無く、優先順位の問題の旨言っていましたよね。
防御が重視されるのは零戦が登場してからだと思いますよ。
それでも初期には翼内タンクの消化器が、後期には防弾ガラスや防漏タンク等が装備されています。当時の資材や技術不足もあり十分なものでは無かったみたいですけど。
設計強度が保てるまで徹底した肉抜き(孔あけ)がされていますよ。
20mm機銃は大型爆撃機の撃墜用に要求されたもので、7.7mm機銃とは弾道が大きく違うので命中率は悪かったみたいですね。弾数も初期は60発後期ででも125発しか無く直ぐに撃ち尽くしてしまった様です。
あの航続距離って中国戦線で中攻の援護をする為。あと軽量化のための工数が多いのは元々量産を考えてない(艦載機だから空母の定数+α)からって話し聞いたよ。
零戦についていつも思うのがどうせマニュファクチュールなんだから1機毎にカスタムすれば良かったのに。急降下型とか防弾型とか火力型とか。
無駄に仕様を増やすのは馬鹿のやること。
現場が混乱するだけ。
仕方無し……安定した継戦能力
という過酷とも言える部分を高めた1つの解であり末路。
低スペックエンジンと言われがちやが
部品点数減らしや素材や造りの工夫もあり。で燃費は段違い😊
誕生した瞬間は……『世界の常識』を破る航続距離を誇る戦闘機でした
昭和16年12月時点で、日本海軍機動部隊と互角に戦える水上艦隊は世界中のどこの海にも存在しなかったのです
(*´∀`)