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女子系統含めても、ここまで血筋が残らない大名家も珍しいね。
子孫が早死して、江戸時代に蒲生家が存続しなかったことが、大河ドラマにならない理由の一つ山内が大河になって、長宗我部がならないのも同じ理由わが町のお殿様ってのは、大抵江戸時代の大名家だから、滅んだ家をわざわざ地元が推さないそれでも、近江日野、松坂、会津で慕われているんだから、蒲生氏郷はスゴイよ
よくね会津に移るって損とか秀吉が追いやったとかいう人いるんだけど、ネガティブな面ばかりではないのよ。会津って当時主要な街道が六個もあって、商人や人が通る道は東方から関東へそのまた逆も然りで、船以外は基本的会津通るのね。そうやって人の出入りが活発になると国が潤うし、そこは織田系大名だから信長の下、商業政策は学んでる。あと秀吉が追いやったという点だけど、煩わしいならわざわざ追いやるない。天下統一した秀吉には改易するだけの権力があるんだから。実際に丹羽家やなにより旧筋で主家だった織田信雄が改易させられてる以上、出来ないって理屈は無い。なにより秀吉が天下統一していく中で、占領した地方には豊臣系大名を置いてるなかで、東北地方は誰もいない中で(同時期に木村吉清)東北で一番経済的に発展してた旧蘆名領を中心に会津92万石という元の領地の倍近く与えられてる点は信頼の証だと思う。
有難うございます!
松阪市在中です。功績をたたえて、氏郷まつりがあります、今はコロナでここ数年中止になってますが
蒲生氏郷氏の句!!!限りあらば、吹かねど花は散るものを、心みじかき春の山風!!!亡くなる前に、読んだ句でしょう。
子孫でなく、逆にご先祖は、氏郷の600余年前に平将門の乱を平らげた、田原ノ藤太秀郷。(『風と雲と虹と』では、山さんこと露口茂さん)
とても参考になりました。
すせ
会津では今でも尊敬の対象(会津の殿様=蒲生氏郷のイメージ) ここまで連続早死されるとマジで何があったの?と、思わずにはいられない…
それな((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
忠知と郷喜のあたり、家系図的なものの画像があるとなお分かりやすかったと思いました。
それにしても後継ぎが早死にするとは、悲劇以外の何物でもありませんね。側室を持ち、子作りした方が良いのは分かりますが、今度は異母兄弟同士の争いもあるだろうから、難しいと思いますが。
格上の信長、家康の娘を妻に迎えたのもあって余計に側室を作るのも難しかったでしょうね。
信康の悲劇も、妻が信長の娘だったことも影響しているのでしょうか?
@@伊藤まさし-z9j 信康事件については妻が誰であれ起きていましたし、むしろ信長の娘婿だったからこそあそこまでの悲劇にいく前の救済ルートがいくつかあったので、信長の娘婿=悲劇とはならないかと思います。
なるほどですね。有難うございました
残念ですよね。何冊か本読みましたが…。
忠郷かその弟の代に松平忠吉の子ができたらもらい受けたいという書状を出しているようですが、忠吉にも子ができず実現しなかったようです
お歯黒、白粉とかの鉛、水銀中毒で本人や子供への影響があったと思います。
ちなみに最後の当主の正室の実家の内藤家も又、早逝のしやすい家系で20才で当主が亡くなった後、長く見ても生年8ヶ月の藩主が就任したりしてる一門がいたとか。
あの人達は大丈夫かなあ
ホント、短命すぎますね😢
側室つくらないからこうなる
新参の蒲生郷安に蒲生姓と出羽置賜郡七万石を与えた氏郷。結果的にその郷安と古参の家臣が対立(蒲生騒動)するので、氏郷の家臣思いが仇になりましたね(>_
4:08 蒲生家が没落したから三成が召し抱えた事になっているけど疑わしい。実際は蒲生家を没落させる為に潜入させていた工作員では?
それは難癖つけすぎでしょ。理由1.蒲生家から三成の家臣となった主なメンバーは、蒲生郷舎(今回の騒動の一方の発端となった蒲生左門郷可の次男)、蒲生大膳、北川平左衛門、蒲生大宅炊助、蒲生頼郷等は三成が権勢を誇る前から蒲生家に使えているし、三成と接点がない。2.関ヶ原後、蒲生秀行は筆頭奉行に岡氏を起用してるけど岡氏は三成の娘婿。三成が蒲生家を陥れ蒲生減封を画策したとという疑わしきものあれば、筆頭奉行まで抜擢しない点。3.スパイであるならスパイで潜入させた方を召し抱えればいいのに、対立した両家老の当事者や息子を召し抱えてる点。4.対立した両家老は氏郷が生きてるうちからの対立があったと記録されており、両方とも氏郷が若い頃からの家臣で三成が送り込むのは難しい点。
蒲生のその後を知ったのが30年以上前、中村、堀尾、田中、堀、欲を言えば大和大納言家、関白秀次家、、、残っていてほしかった。
蒲生氏郷と言えば辞世の句。この人と伊達政宗、近藤勇の辞世の句は必見。
蒲生家で岡って聞くと岡左内を思い出すけど、重政も同族かな?
蒲生氏郷は織田家、豊臣家、前田家、徳川家と縁戚関係だったからこそ妬まれて毒殺かも?とか、それとも病か?て考えるけれど、キーマンはミステリアスな奥方の信長の娘な気がする。蒲生は滅びたけれど、氏郷の娘で前田利政の妻である籍が儲けた娘の嫁ぎ先である角倉で受け継がれていたらありがたい😂
側室を持たなかった理由は信仰によるものです。
確かキリシタン大名として”レオン”という洗礼名を名乗っておりましたね。キリスト教の教えでは側室はNGという事だったため氏郷はこれを遵守していました。しかしむしろこれが一族・お家を残す事が重要となる武家にとっては致命傷となってしまいましたが…。
ガモウひろしは違うのか
蒲生家と長宗我部家の存在は遅かれ早かれ豊臣政権にとっては邪魔になるし、徳川政権に至ってはなおさらでもし、関ヶ原の戦直前の段階で氏郷が健在だったら、伊達家並びに佐竹家が黙って指を加えているとは思えず、大規模な内乱が勃発していたのは明らかです。一応上杉家は応援の為に加勢してくる可能性は否めないが、しかし積極的に関わった場合は沙汰が下される可能性があるので、史実に沿った流れでゆくと短期間のうちに終結した経緯で、上杉家&蒲生家は大幅に石高が減らされて 上杉家は米沢30万石に、蒲生家は常陸45万石に配置転換することになるので、両家カツカツ状態に。長期戦で徳川方の勝利となったら伊達家に漁夫の利がもたらされ、仙台から新たに配置転換される格好で郡山120万石を拝領される可能性が出てきて、あとはそのまま安堵され豊臣政権での発言権が強まることは確実になりますね。そうなったら蒲生家は😫😫😫か⁉️
女子系統含めても、ここまで血筋が残らない大名家も珍しいね。
子孫が早死して、江戸時代に蒲生家が存続しなかったことが、大河ドラマにならない理由の一つ
山内が大河になって、長宗我部がならないのも同じ理由
わが町のお殿様ってのは、大抵江戸時代の大名家だから、滅んだ家をわざわざ地元が推さない
それでも、近江日野、松坂、会津で慕われているんだから、蒲生氏郷はスゴイよ
よくね会津に移るって損とか秀吉が追いやったとかいう人いるんだけど、ネガティブな面ばかりではないのよ。
会津って当時主要な街道が六個もあって、商人や人が通る道は東方から関東へそのまた逆も然りで、船以外は基本的会津通るのね。そうやって人の出入りが活発になると国が潤うし、そこは織田系大名だから信長の下、商業政策は学んでる。あと秀吉が追いやったという点だけど、煩わしいならわざわざ追いやるない。天下統一した秀吉には改易するだけの権力があるんだから。実際に丹羽家やなにより旧筋で主家だった織田信雄が改易させられてる以上、出来ないって理屈は無い。
なにより秀吉が天下統一していく中で、占領した地方には豊臣系大名を置いてるなかで、東北地方は誰もいない中で(同時期に木村吉清)東北で一番経済的に発展してた旧蘆名領を中心に会津92万石という元の領地の倍近く与えられてる点は信頼の証だと思う。
有難うございます!
松阪市在中です。
功績をたたえて、氏郷まつりがあります、今はコロナでここ数年中止になってますが
蒲生氏郷氏の句!!!限りあらば、吹かねど花は散るものを、心みじかき春の山風!!!亡くなる前に、読んだ句でしょう。
子孫でなく、逆にご先祖は、氏郷の600余年前に平将門の乱を平らげた、田原ノ藤太秀郷。(『風と雲と虹と』では、山さんこと露口茂さん)
とても参考になりました。
すせ
会津では今でも尊敬の対象(会津の殿様=蒲生氏郷のイメージ) ここまで連続早死されるとマジで何があったの?
と、思わずにはいられない…
それな((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
忠知と郷喜のあたり、家系図的なものの画像があるとなお分かりやすかったと思いました。
それにしても後継ぎが早死にするとは、悲劇以外の何物でもありませんね。
側室を持ち、子作りした方が良いのは分かりますが、今度は異母兄弟同士の争いもあるだろうから、難しいと思いますが。
格上の信長、家康の娘を妻に迎えたのもあって余計に側室を作るのも難しかったでしょうね。
信康の悲劇も、妻が信長の娘だったことも影響しているのでしょうか?
@@伊藤まさし-z9j 信康事件については妻が誰であれ起きていましたし、むしろ信長の娘婿だったからこそあそこまでの悲劇にいく前の救済ルートがいくつかあったので、信長の娘婿=悲劇とはならないかと思います。
なるほどですね。有難うございました
残念ですよね。何冊か本読みましたが…。
忠郷かその弟の代に松平忠吉の子ができたらもらい受けたいという書状を出しているようですが、忠吉にも子ができず実現しなかったようです
お歯黒、白粉とかの鉛、水銀中毒で本人や子供への影響があったと思います。
ちなみに最後の当主の正室の実家の内藤家も又、早逝のしやすい家系で20才で当主が亡くなった後、長く見ても生年8ヶ月の藩主が就任したりしてる一門がいたとか。
あの人達は大丈夫かなあ
ホント、短命すぎますね😢
側室つくらないからこうなる
新参の蒲生郷安に蒲生姓と出羽置賜郡七万石を与えた氏郷。
結果的にその郷安と古参の家臣が対立(蒲生騒動)するので、氏郷の家臣思いが仇になりましたね(>_
4:08 蒲生家が没落したから三成が召し抱えた事になっているけど疑わしい。実際は蒲生家を没落させる為に潜入させていた工作員では?
それは難癖つけすぎでしょ。
理由1.
蒲生家から三成の家臣となった主なメンバーは、蒲生郷舎(今回の騒動の一方の発端となった蒲生左門郷可の次男)、蒲生大膳、北川平左衛門、蒲生大宅炊助、蒲生頼郷等は三成が権勢を誇る前から蒲生家に使えているし、三成と接点がない。
2.関ヶ原後、蒲生秀行は筆頭奉行に岡氏を起用してるけど岡氏は三成の娘婿。三成が蒲生家を陥れ蒲生減封を画策したとという疑わしきものあれば、筆頭奉行まで抜擢しない点。
3.スパイであるならスパイで潜入させた方を召し抱えればいいのに、対立した両家老の当事者や息子を召し抱えてる点。
4.対立した両家老は氏郷が生きてるうちからの対立があったと記録されており、両方とも氏郷が若い頃からの家臣で三成が送り込むのは難しい点。
蒲生のその後を知ったのが30年以上前、中村、堀尾、田中、堀、欲を言えば大和大納言家、関白秀次家、、、残っていてほしかった。
蒲生氏郷と言えば辞世の句。
この人と伊達政宗、近藤勇の辞世の句は必見。
蒲生家で岡って聞くと岡左内を思い出すけど、重政も同族かな?
蒲生氏郷は織田家、豊臣家、前田家、徳川家と縁戚関係だったからこそ妬まれて毒殺かも?とか、それとも病か?て考えるけれど、キーマンはミステリアスな奥方の信長の娘な気がする。蒲生は滅びたけれど、氏郷の娘で前田利政の妻である籍が儲けた娘の嫁ぎ先である角倉で受け継がれていたらありがたい😂
側室を持たなかった理由は信仰によるものです。
確かキリシタン大名として”レオン”という洗礼名を名乗っておりましたね。
キリスト教の教えでは側室はNGという事だったため氏郷はこれを遵守していました。
しかしむしろこれが一族・お家を残す事が重要となる武家にとっては致命傷となってしまいましたが…。
ガモウひろしは違うのか
蒲生家と長宗我部家の存在は
遅かれ早かれ豊臣政権にとっては
邪魔になるし、徳川政権に至ってはなおさらでもし、関ヶ原の戦直前の
段階で氏郷が健在だったら、伊達家並びに佐竹家が黙って指を加えて
いるとは思えず、大規模な内乱が
勃発していたのは明らかです。
一応上杉家は応援の為に加勢して
くる可能性は否めないが、しかし
積極的に関わった場合は沙汰が
下される可能性があるので、
史実に沿った流れでゆくと短期間のうちに終結した経緯で、上杉家&
蒲生家は大幅に石高が減らされて
上杉家は米沢30万石に、蒲生家は
常陸45万石に配置転換することに
なるので、両家カツカツ状態に。
長期戦で徳川方の勝利となったら
伊達家に漁夫の利がもたらされ、
仙台から新たに配置転換される
格好で郡山120万石を拝領される
可能性が出てきて、あとはそのまま安堵され豊臣政権での発言権が
強まることは確実になりますね。
そうなったら蒲生家は😫😫😫か⁉️