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大変申し訳ないけど、絵の先生がいなくなって本当に見やすくなりました。やはりお二人で進めるのがいいと思います。
中村先生がおられると、加来先生が大人しくなってしまいますしね笑教えて加来先生のコーナーもありませんから、私も正直こっちの方が好きです
お二人のトークを聞いてるだけでも十分毎回楽しいです。
なによりも奥州藤原氏はミイラが残っているのがすごいわ
義経はなぜあんなに強かったのか、とても不思議です。
確かに時代の節目節目にはその時代の要請する傑出した人物が現れるものですね。
藤原秀衡が義経を頼朝のもとへ行かせなかったら、東国の源氏、西国の平家、奥州の藤原氏で、三国鼎立状態になって平泉はもっと長く続いたでしょうね。
義経が居ようが居まいが平家は滅びるし、鎌倉は奥州を討ちにかかるよ英雄の存在を課題に見積もりすぎ
@@einsfia義経と頼朝の間のトラブルが無ければ鎌倉が奥州を攻める口実が無いでしょ。
楽しみです😊
奥州藤原氏が滅んで伊達氏や南部氏が領地を与えられて、関東から入植してきた人も相当数いた。奥州藤原氏が存続していれば街も人も今とは別の東北になっているね。
奥州に落ち延びた源義経を総大将に、奥州20万騎の軍勢を率いて鎌倉軍との戦を見てみたかった。
勝てないだろう。ただ義経&秀ヒラが健在ならまず木曽義仲残党や佐竹秀義更に平家残党に早く声をかけるなり強く味方になるように促すだろう。後は天才戦術家義経の出番。攻めてくる鎌倉軍を撃退を何回か繰り返してるうちに厭戦ムードになると思う。秀ヒラが秘かに朝廷に手を回して和睦を強く勧めてもらう。後は頼朝が和睦に応じれば奥州は史実より10年位は守り抜けると思う。あとは頼朝の死ぬのを待つしかない。
史実では目立たなかったけど、実績を遺した人がたくさんいる。悪役で描かれてるが実は立派な人だった。そんなアプローチが好きなとこですが、現代でもよくあることですよね。
木曾義仲は西方の戦線では負けてますからね。義経居なかったら平家は滅ぼせ無かったかも。
[藤原秀衡] 冷静沈着で豪放な人物として、登場するほとんどの作品で英傑な君主として描写されることが多い。砂金産出や大陸(沿海州)との交易などで莫大な経済力を積み、京都の宇治·兵動院の鳳凰堂を真似て無量光院という大寺院を建てるなど、北方の地に王道が具現される楽土を再現しようと努めた。経済力を基に、朝廷や平家政権とも友好的な関係を保ちながらも、源義経を隠して源氏とのつながりも築き、平家の没落後も頼朝との平和的な関係を築こうと努め、また頼朝に追われてきた義経を受け入れて、頼朝の襲撃に備えるなど、優れた政治的取り組みを示した。義父の藤原基成はもともと仁の近臣で、後白河法皇の側近に親戚が多数存在し、義経の生母である常盤御前の再婚相手である一条長成もその一人であった。彼の死からわずか2年で奥州藤原氏が滅亡し、奥州藤原氏の最全盛期を築いた人物と評価される権時堂に祀られた秀衡藤原秀衡の遺体は、先代奥州藤原氏当主と同様に三井として処理され、中尊寺権時堂の須弥壇の下に葬られた。 昭和25年3月に奥州藤原氏三代の美らに対する学術調査が行われたが[3]これまで、権時堂の西北(堂から見ると右側)が元平の段であり、西南(堂から見ると左側)が秀平の段とされていたのとは異なり、最終報告では元平と秀平の幼体が入れ替わっていることが判明した。 1994年(平成6年)7月の『中尊寺幽体学術調査最終報告』において、秀平の血液型はA型で身長は167cm(これは先代の当主たちよりも大きい)、大小の首に丸い顔をしていた。 よく発達した肩と胸に比べて腰の下は比較的体が小さかった。 肥満体質に虫歯も確認され、右側に半身不随を患っていた跡が見え、脳溢血ないしは脳全色で急逝したことが明らかになった。
弁慶おらんかったのか!?小説のなかの人物、びっくりしましたね。😮
中西優里さんの声は〜心に〜染みますね〜また、加来先生は詳しい〜ですね〜
藤原秀衡が自ら率先して動かなかったことが、当時の政治情勢下では致命的で、奥州藤原氏の栄華を終わらせることになった、という指摘に大いに納得しました。2:20の真面目で良識ある人ほど自分の考えを相手もわかってくれると過信してしまうというのも、うなずけます。他の方もおっしゃっていますが、以前のように質問コーナーが戻って来て、とても良かったです。特に、今回の質問は良質でした。先週の17日の本編”偉人、素顔の履歴書”はアップされていないのでしょうか?毎週楽しみにしているので、残念です。
16:33頃にテロップとしても出てくる『義経と牛若丸が戦ったとされる「五条の橋」はまだ存在しない』ですが、義経と牛若丸は同じ人物です。言い間違いはあると思いますが、テロップを入れる段階で気がつかなかったのでしょうか?。
昭和ですけど、大勢集まるとマジで石投げ合って「合戦」してました。本能なのでしょうか。大きな怪我はなかったけど、今考えたらあり得ないね。
大河ドラマ亀の前事件は、頼朝自身がそこまでやるかというくらい徹底的に焼き払って、驚いていましたね。
この先生の解説なら面白い。全部この人にしてください
3代目で大きくなる。山口組の事も言うてるんだろう!
個人的に秀衡役は高橋英樹の方がしっくりきてる。
安倍川の石合戦を人質時代の家康がどちらが勝つか見据えていたという逸話もありましたね
大河を見ていれば清衡が悲しみの果てに平泉を築いたと分かる。寺社建立を奨めて黄金楽土を極めたのが秀衡
相変わらず、フィクションと史実の違いを話すときは熱くなるなでも、加来先生はフィクションが嫌いというわけじゃない、史実と混同して、フィクションのものを史実だと言ってしまうことが許せないだけの人だどうしても僕らは親しんだイメージの方を優先しちゃうけどね
田中泯さんには松永弾正久秀を是非演じてほしい!
解説する偉人は毎回誰が選んでるんだろう?人気のある戦国武将や三国志、あとはナポレオンとかやったら一気に伸びそうだけど、知らない人とかを紹介してくれる所に、いゃ〜歴史番組だなぁって感じます😊(もちろんとてもいい意味で)有名な人さもちろん見たいけど、知らない人物も知るキッカケになって面白いです。歴史に興味を持つキッカケをくれた番組。今でも充分人気だと思うけど、もっともっと人気出て欲しい^ ^ps. 歴史に全く興味なかった彼女に勧めたらハマったらしく、TH-camに上がってるやつ全部見たと言ってました笑
武蔵坊弁慶さんは一応、歴史書である吾妻鏡に名前だけ登場しているみたいです~吾妻鏡に名前も無い完全な創作上の人物となると、物語で義経さんに出生の秘密を告げる鎌田さんですかね~逆に実在の人物で存在感の薄い人物というと~例えば、義経さんの父親違いの弟である一条能成さんの存在ってあまり語られていませんが~その実、義経さんが京都でウケが良かった理由に彼の宮廷での支えが大きかった気がします~この一条能成さん、義経さんが木曽義仲さんを倒し上京すると再会を果たし、それ以来京都に疎い義経さんを兄弟としていろいろと助けてあげていたらしいのですが~義経さんが頼朝さんと仲違いすると、共に京都を追われてしまい自らの官位まで剥奪されてしまったそうです~義経さんが亡くなった後も不遇の時代は長く、頼朝さん、頼家さんが亡くなって三代将軍実朝さんとなるまで日陰の身は続きます~なんとか19年越しに許されて政界に復帰すると、最期は苦労が実ったか念願だった従三位、公卿昇進を果たして、75才の人生を送ったそうです~
田辺の方「弁慶の生誕地とされる一つ」すらいなかったていってたし‼️
逆転を好むテヨンが好きそうな番組だね。人は石垣人は城石垣も積み上げる石次第。
大変申し訳ないけど、絵の先生がいなくなって本当に見やすくなりました。やはりお二人で進めるのがいいと思います。
中村先生がおられると、加来先生が大人しくなってしまいますしね笑
教えて加来先生のコーナーもありませんから、私も正直こっちの方が好きです
お二人のトークを聞いてるだけでも十分毎回楽しいです。
なによりも奥州藤原氏はミイラが残っているのがすごいわ
義経はなぜあんなに強かったのか、とても不思議です。
確かに時代の節目節目にはその時代の要請する傑出した人物が現れるものですね。
藤原秀衡が義経を頼朝のもとへ行かせなかったら、東国の源氏、西国の平家、奥州の藤原氏で、三国鼎立状態になって平泉はもっと長く続いたでしょうね。
義経が居ようが居まいが平家は滅びるし、鎌倉は奥州を討ちにかかるよ
英雄の存在を課題に見積もりすぎ
@@einsfia
義経と頼朝の間のトラブルが無ければ鎌倉が奥州を攻める口実が無いでしょ。
楽しみです😊
奥州藤原氏が滅んで伊達氏や南部氏が領地を与えられて、関東から入植してきた人も相当数いた。
奥州藤原氏が存続していれば街も人も今とは別の東北になっているね。
奥州に落ち延びた源義経を総大将に、奥州20万騎の軍勢を率いて鎌倉軍との戦を見てみたかった。
勝てないだろう。ただ義経&秀ヒラが健在ならまず木曽義仲残党や佐竹秀義更に平家残党に早く声をかけるなり強く味方になるように促すだろう。後は天才戦術家義経の出番。攻めてくる鎌倉軍を撃退を何回か繰り返してるうちに厭戦ムードになると思う。秀ヒラが秘かに朝廷に手を回して和睦を強く勧めてもらう。後は頼朝が和睦に応じれば奥州は史実より10年位は守り抜けると思う。あとは頼朝の死ぬのを待つしかない。
史実では目立たなかったけど、実績を遺した人がたくさんいる。悪役で描かれてるが実は立派な人だった。そんなアプローチが好きなとこですが、現代でもよくあることですよね。
木曾義仲は西方の戦線では負けてますからね。義経居なかったら平家は滅ぼせ無かったかも。
[藤原秀衡] 冷静沈着で豪放な人物として、登場するほとんどの作品で英傑な君主として描写されることが多い。
砂金産出や大陸(沿海州)との交易などで莫大な経済力を積み、京都の宇治·兵動院の鳳凰堂を真似て無量光院という大寺院を建てるなど、北方の地に王道が具現される楽土を再現しようと努めた。
経済力を基に、朝廷や平家政権とも友好的な関係を保ちながらも、源義経を隠して源氏とのつながりも築き、平家の没落後も頼朝との平和的な関係を築こうと努め、また頼朝に追われてきた義経を受け入れて、頼朝の襲撃に備えるなど、優れた政治的取り組みを示した。
義父の藤原基成はもともと仁の近臣で、後白河法皇の側近に親戚が多数存在し、義経の生母である常盤御前の再婚相手である一条長成もその一人であった。
彼の死からわずか2年で奥州藤原氏が滅亡し、奥州藤原氏の最全盛期を築いた人物と評価される
権時堂に祀られた秀衡
藤原秀衡の遺体は、先代奥州藤原氏当主と同様に三井として処理され、中尊寺権時堂の須弥壇の下に葬られた。 昭和25年3月に奥州藤原氏三代の美らに対する学術調査が行われたが[3]これまで、権時堂の西北(堂から見ると右側)が元平の段であり、西南(堂から見ると左側)が秀平の段とされていたのとは異なり、最終報告では元平と秀平の幼体が入れ替わっていることが判明した。 1994年(平成6年)7月の『中尊寺幽体学術調査最終報告』において、秀平の血液型はA型で身長は167cm(これは先代の当主たちよりも大きい)、大小の首に丸い顔をしていた。 よく発達した肩と胸に比べて腰の下は比較的体が小さかった。 肥満体質に虫歯も確認され、右側に半身不随を患っていた跡が見え、脳溢血ないしは脳全色で急逝したことが明らかになった。
弁慶おらんかったのか!?小説のなかの人物、びっくりしましたね。😮
中西優里さんの
声は〜心に〜
染みますね〜
また、加来先生は
詳しい〜ですね〜
藤原秀衡が自ら率先して動かなかったことが、当時の政治情勢下では致命的で、奥州藤原氏の栄華を終わらせることになった、という指摘に大いに納得しました。2:20の真面目で良識ある人ほど自分の考えを相手もわかってくれると過信してしまうというのも、うなずけます。
他の方もおっしゃっていますが、以前のように質問コーナーが戻って来て、とても良かったです。特に、今回の質問は良質でした。
先週の17日の本編”偉人、素顔の履歴書”はアップされていないのでしょうか?毎週楽しみにしているので、残念です。
16:33頃にテロップとしても出てくる
『義経と牛若丸が戦ったとされる「五条の橋」はまだ存在しない』ですが、
義経と牛若丸は同じ人物です。言い間違いはあると思いますが、
テロップを入れる段階で気がつかなかったのでしょうか?。
昭和ですけど、大勢集まるとマジで石投げ合って「合戦」してました。本能なのでしょうか。大きな怪我はなかったけど、今考えたらあり得ないね。
大河ドラマ亀の前事件は、頼朝自身がそこまでやるかというくらい徹底的に焼き払って、驚いていましたね。
この先生の解説なら面白い。全部この人にしてください
3代目で大きくなる。山口組の事も言うてるんだろう!
個人的に
秀衡役は高橋英樹の方がしっくりきてる。
安倍川の石合戦を人質時代の家康がどちらが勝つか見据えていたという逸話もありましたね
大河を見ていれば清衡が悲しみの果てに平泉を築いたと分かる。
寺社建立を奨めて黄金楽土を極めたのが秀衡
相変わらず、フィクションと史実の違いを話すときは熱くなるな
でも、加来先生はフィクションが嫌いというわけじゃない、史実と混同して、フィクションのものを史実だと言ってしまうことが許せないだけの人だ
どうしても僕らは親しんだイメージの方を優先しちゃうけどね
田中泯さんには松永弾正久秀を是非演じてほしい!
解説する偉人は毎回誰が選んでるんだろう?
人気のある戦国武将や三国志、あとはナポレオンとかやったら一気に伸びそうだけど、
知らない人とかを紹介してくれる所に、いゃ〜歴史番組だなぁって感じます😊(もちろんとてもいい意味で)
有名な人さもちろん見たいけど、
知らない人物も知るキッカケになって面白いです。
歴史に興味を持つキッカケをくれた番組。
今でも充分人気だと思うけど、
もっともっと人気出て欲しい^ ^
ps. 歴史に全く興味なかった彼女に勧めたらハマったらしく、TH-camに上がってるやつ全部見たと言ってました笑
武蔵坊弁慶さんは一応、歴史書である吾妻鏡に名前だけ登場しているみたいです~
吾妻鏡に名前も無い完全な創作上の人物となると、物語で義経さんに出生の秘密を告げる鎌田さんですかね~
逆に実在の人物で存在感の薄い人物というと~
例えば、義経さんの父親違いの弟である一条能成さんの存在ってあまり語られていませんが~
その実、義経さんが京都でウケが良かった理由に彼の宮廷での支えが大きかった気がします~
この一条能成さん、義経さんが木曽義仲さんを倒し上京すると再会を果たし、それ以来京都に疎い義経さんを兄弟としていろいろと助けてあげていたらしいのですが~
義経さんが頼朝さんと仲違いすると、共に京都を追われてしまい自らの官位まで剥奪されてしまったそうです~
義経さんが亡くなった後も不遇の時代は長く、頼朝さん、頼家さんが亡くなって三代将軍実朝さんとなるまで日陰の身は続きます~
なんとか19年越しに許されて政界に復帰すると、最期は苦労が実ったか念願だった従三位、公卿昇進を果たして、75才の人生を送ったそうです~
田辺の方「弁慶の生誕地とされる一つ」すらいなかったていってたし‼️
逆転を好むテヨンが好きそうな番組だね。
人は石垣人は城
石垣も積み上げる石次第。