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私達の仲間内では「あしゅら男爵カラー」と言われてましたね。右京さんがゲスト解説者で呼ばれていたときに「キカイダー」と発言されてみんなで「そっちかよ!」と笑ってましたね。
このクソマシンで度々予選でトップ10に食らいついてた(スペインGPでは一時3位を走行)ヴィルヌーブはなんだかんだでチャンピオンを獲れるだけの逸材だったと思う
個人的には相当ヴィルヌーヴが頑張っていた(サンマリノGP予選5位、スペインGP予選6位、ヨーロッパGPも決勝で5位まで粘り続けた)と思うので、ベストタイミングで最良のマシンに乗れず、常に苦戦を強いられていた事が本当に悔やまれます。
デビュー開幕戦でヴィルヌーヴのリヤウィング吹っ飛んだのは驚いた
ジャック個人は1番脂の乗ってる時期だったのになぁ。BARを選んだのは本当に勿体無い。
BARの保守的な思想はチーム設立当初からだったんだと知ることができて良かった(ホンダがBARに開発の提案を10個出しても、2、3個しかやらなかった(確実に速くなるものだけ)という話しを聞いたことがあります)
個人的には、1チーム2カラーの世界線は見たいな。ドライバー毎にカラーリングを変えられるなら個人スポンサーも付きやすくなるから若手のスポンサー探しが楽になるだろうし、今のアルピーヌみたいな事例も全部青のマシンと全部ピンクのマシンで対応できる。
1977年にロータス78がその年の最終戦の日本グランプリ限定でカーナンバー6のグンナー・ニルソンのマシンのみ黒のJPSカラーではなく、赤い「インペリアル・タバコ」のカラーリングで参戦したというのが過去にはある。
この年のBARといえばベルギーGPにおけるミカ・ハッキネンのスーパーオーバーテイクの引き立て役になった・・・程度ですかね。あの当時ですら冷ややかに見ていました。厳しく言うなら、それまで曲がりなりにもF1を走ってきた旧ティレルのスタッフを全て解雇した時に大失敗は保証されていたようなもんだったんですけど。F1を走る上での勘所やレースマネジメントなど、例え最下位のチームだったとしてもノウハウの蓄積はあったのに、それをスパッと捨ててしまったんですから。スーパーテックエンジンも開発を終了したエンジンで、既に重量面でハンデがあるという点すら見落としている点もF1でのノウハウの無さですね。ハーヴェイ先生がもしBARに参加していたら結果は少しは違ったかも。この手の乗っ取り屋が作ったチームが大抵初年度でコケる典型なんですが、まあホンダと組めた事で翌年以降に望みを繋いだのは事実ですね。
ハッキネンのオーバーテイクは2000年では?こいつは1999年ですよ?
@@鈴木光-n9o すみません、記憶違いでした。
同感です。データ豊富にあるティレルのスタッフ全て入れてたら違ってたかもしれません。
リアルタイムでオートスポーツ等で見ていましたが、スポンサーの関係からかとはいえ、車体真ん中にファスナーの表現で2ブランドのタバコを施したのは、後にも先にも出てこないでしょうし、翌2000年に単独復帰を画策していたものの、テクニカルディレクターだったハーベイ・ポスルスウェイト氏の急死等により、エンジンサプライヤーとしての復帰となった第三期ホンダとのタッグが取り沙汰された時、オートスポーツでの合成によるイメージがこのカラーリングにホンダマークを取り付けたものを今だに覚えてます。
BARやトヨタを見ると、F1で初年度から結果を出す難しさがわかりますね。そう考えるとジョーダンは凄い。
時代が違うから比較できない
トヨタは最後まで結果を出せなかったがビーエーアールは
確かにジョーダンは凄かった。というのも後に出てきたチーム、このB・A・R以外にもザウバー、スチュワート、トヨタとかはジョーダンと同じく1からチーム興して初年度からポイント取ってるけど予算とバックアップの規模が違う。ジョーダンは開幕時10億もない状態でよくあそこまでやったと思う。
F1ほど皮肉なスポーツはない。 スパで2台とも大クラッシュした時はマシンの根本的欠陥があるんじゃないかと思ったよ。 当時はBARが好きになれなかったし、ホンダが組むと知った時は複雑な気分だった。
左右対象のカラーリングで登場してリタイアの連続はヤバイ…ただ凄いのは代打で乗ったサロが後にシューマッハの代打でフェラーリに乗った事。
BARの参戦初年度ジャックは開幕から11戦連続リタイアの不名誉記録を達成。ゾンタは母国で予選でクラッシュし欠場代役のミカサロは3戦ゾンタの代役で出場し、サンマリノで7位。サロの7位がチーム初年度の最高位とレギュラードライバーが最高位のチーム最高位獲得できないと結果。10:51 あとベルギーは第12戦です。
結局ローンチver.仕様が一番格好いいカラーリングだった。
ヒルやシューマッハは移籍で自らの実力を証明した一方、ヴィルヌーヴはこの移籍で「マシンのおかげでチャンピオンになれた」ことを証明してしまった感
ホントですね〜後のルノーやザウバー時代でもそうで、マシンに対する理解力や開発力が欠けてましたよね。まぁ時代が違えば…って話になるのかもしれませんが…
いや、ジャックを落としたいのは分かるけど、ヒルでもミハエルでも完走もできないマシンで実力なんて証明できないと思うけど?
@@hiroyuki05052002 そこに対する姿勢というか、仕事の進め方?がジャックとヒルやシューマッハとは違うと思います。『完走が出来ないようなマシン』という意味では97年にヒルが移籍したアロウズ ヤマハも(F1での経験が違うとは言え、あの時のアロウズも悲惨だった)シーズン序盤は酷かったけど、中盤から全然違かった。ジョン・バーナードが加入してチームの方針が変わったにせよ、あれはヒルの開発能力抜きには語れないですね。
ほぼほぼワンメイクなインディでチャンピオンになってるので「マシンのおかげでチャンピオンになれた」は如何なものか?
@@buffaloR325 マッサはワールドチャンピオンにはなってません
BARとジャックヴィルヌーヴをダメにした クレイグポラックの罪は大きい。
あとは利用されるだけされて経歴に傷を付けられたリカルドロセットも、被害者と言ってもいいかもしれないですね。
マシンの色に合わせて左右のホイールの色も変えているのはこだわりがありますよね
カラーリングはカッコ良かったなあ。紆余曲折でたどり着いたスティッキーフィンガーズは秀逸だと思った。
カラーリングを強引にまとめざるをえなかったのはほんと残念ラッキーストライクと555それぞれのカラーリングが見たかった…
F1のカレンダーに中国GPが加わってようやくレースで555カラーが見れましたね👍
CARTでも99年もレイナードシャーシーはレイナードホンダファイヤーストーンが最強モントーヤがルーキーでチャンピオン。CARTとF-1ではレース運びが違うのでレイナードの力が発揮出来なかったのでしょうかね
F1を知りつくしていたティレルのスタッフを追い出したのが一番の失敗。いくら成功したマシンのいいとこどりしても、エンジン、サス、空力上手くまとめ上げるテクニカルディレクターがいないと。カラーの事もだけど金だけじゃどうにもならないのよね。
ロータス78は、JPSとインペリアルの別々のカラーで日本グランプリに登場して驚きました当時は大丈夫だったんでしょうね
あの頃はマクラーレンも同じマルボロだけど赤じゃ無いのを走らせたりしてたからOKだったんだろうね。
レイナードに対する期待とティレルを踏みにじったことへの敵意入り交じる気持ちで参戦準備を眺めてました。やっぱりF1のレベルの違いをレイナードの“伝説”が逆に証明したような感じはありました。それにしてもカラーリングはヤケクソにしか思えませんでした。長いF1の歴史を振り返っても最悪。別に2台違ってもええやんか、と思いますけどね〜MotoGPのLCRホンダは全くカラーリングの違う2台を長く走らせてますが、何かこれに起因する不具合があったとは思えませんけどねー、4輪やと都合悪い?って、結局ついついカラーリングの話をしてしまいますね、この年のBARと言えば。
BAR初年度あしゅら男爵チックなタバコスポンサー2ブランドのマシンカラーリングだけが印象に残ってる。
キカイダーとか言われてた記憶もありますな
@@じの-w4p開幕戦で解説の片山右京が言ってましたね。
BARの船出を振り返ると26年からの参戦を予定してるアンドレッティのようだね。ビッグネームが揃って入るけどその実…というね。そこにHONDAがエンジン供給するかも知れないってとこも含めてのデジャヴ感。
カラーリングもリタイア数も目立った💦翌年の車体もやや改造され見た目はカラーリング以外はそのままに近いがホンダのエンジンを手に入れて再スタート。ただその後も七転び八起き💦
リアウイング脱落なんて恐ろしすぎる
ブレーキングでサスアーム折れるのもありえない。
2種類のカラーリングの話が出た時は面白いアイディアだと思ったんだけどなあ。ノーズやウイングをチームで共通のカラーリングにすれば他の部分はドライバーごとに変えてもOK、みたいな融通をきかせたルールにするのは…難しいかな。
シーズンの前半と後半でカラーリングを代えたらよかったのに。
当時ジャックヴィルヌーヴでブリティッシュアメリカンタバコならラッキーストライクじゃなくてKOOLだろ!と思っていた
BAR001結構好きだったけどなーカラーリング酷評されているけど
派手なカラーリングの割にはダメでしたね。
予選結果を考えれば、速さはそこそこあったし、前の年よりは良かったと思うんだけどね…
ヴィルヌーブがBARに移籍と知った時、レイナードが設計した国際F3000やったかな?INDYでマイケル・アンドレッティが初戦で優勝。しかしF1は甘くねえぞ正気かと思った。HONDAのエンジン供給が決まってたからやろう。しかしエマーソン・フィッティパルディと同じ轍を踏んでしもうた。
そもそも完走率が悲惨すぎた
レイナードも後に破産してしまいましたね。
マーチとローラに続いての破産でしたね。
『世紀末の👻』になってしまったんですねBAR。
参戦前はマクラーレンとフェラーリの2強が終わるか!思ったがシーズン始まったら期待外れやったな。。まぁ。。エンジンがね。
マクラーレンとフェラーリじゃなくて?
@@liketrulli7668すまぬ。最初、ウィリアムズ書いたがよく考えたらウィリアムズは98の時点で没落始まってマクラーレンが強かったなと思い出して編集しました。失礼しました
@@じの-w4p BAR参戦前年の1998年はマクラーレン・フェラーリの2強時代に入ったからね。旧ルノー勢のウイリアムズやベネトンは既に低迷。
散々でした。逆にヒルの辛抱&努力が身に染みました。あっ、BARのブルーのテストカー、二色刷の本戦マシン、ミニカー持ってます(笑) ジャックのインディカーも(笑)
もしミカ・サロがレギュラーだったらポイントは獲れていただろうな。フェラーリの活躍があったので今更願わないけど・・・
ティレルの買収ではなく、参戦権の買収と、聞きました。
レイナードシャシーの割に走らず空回り
保守的なマシンで信頼性無かったらそりゃ酷いシーズンになるよね。
チーム名見た時、BRMにあやかったのかな?って思った
阿修羅男爵!?覚えてない!🤔😁
カラーリングがだめだなぁと当時は思った。555カラーだけ、で良いんでない? と思った記憶。ラッキーストライク・カラーなんて、簡単に想像できますじゃん? 事実、後にそーなったし。ハーフ&ハーフ、正直、記憶に残らない。テールランプに意匠を魅せてる乗用車みたいで、普通にしてくれよ見づれーわそんなとこに意匠を入れんな、ハタからすると逆にこえぇわ、みたいな。広告としては失敗、じゃないですかね
クレイグ・ポロックとニック・フライが大嫌い
ひとこと「ザマみろ」と当時思いましたね。特にジャックが嫌いでしたので。
サーキットを走るキカイダーでしたね。
BARキライなチームだバトンを優遇 琢磨は二の次 挙句の果て放出全てフライのせい。SAF1でも邪魔してきた。
チーム立上げ初年度こそ、経験豊富な、デーモン・ヒルを人選しておけば、よかったのにね。😭😭😭
ティレルのスタッフをある程度残して、ドライバーラインナップがヒル&サロとかなら初年度から結果出たかもね。
タイトルを見たら、トヨタのことだと思いました。
どちらかのカラーリングにすればカッコいいカラーリングなのに1+1=2ではないカラーリングでした😅
BARだけでなく「HONDAさんほどの資金を使えるならウチなら2年で勝てる」と豪語して、HONDA以上の莫大な資金を投入して1勝もできなかったTOYOTAも扱うべきだ。ドメスティックな話題に触れない…では偏った知識になるしな。
正直ジャック嫌いだったからザマァと思った。ホンダもこんなチームと組んだのは良かったのか?2004年だけは輝けたけどね。
厳しい現実を知らないヴィルヌーヴとBAR。結局、ヴィルヌーヴはホンダからクビになりチームスタッフもクビになりホンダが最終的にチームを買収した。
さすがに1年目優勝はナイ!!まさかのノーポイントだし…キカイダーカラーもだが強い、速いマシンはデザインもカラーリングもカッコイイだけに真逆…琢磨やホンダ在りし頃もだが、間違いなくトップの器でない!!しかし最終のブラウンGPはまさかの論外…
現在はメルセデス。よってブラウンGPが最終ではない。
まああんなウォルターウルフレーシングが走ってた時代とは状況が全然違ったというわけで。
まぁまぁ戦えてた印象だけどな
今見ても微妙なカラーリング
私達の仲間内では「あしゅら男爵カラー」と言われてましたね。
右京さんがゲスト解説者で呼ばれていたときに
「キカイダー」と発言されてみんなで「そっちかよ!」と笑ってましたね。
このクソマシンで度々予選でトップ10に食らいついてた(スペインGPでは一時3位を走行)ヴィルヌーブはなんだかんだでチャンピオンを獲れるだけの逸材だったと思う
個人的には相当ヴィルヌーヴが頑張っていた(サンマリノGP予選5位、スペインGP予選6位、ヨーロッパGPも決勝で5位まで粘り続けた)と思うので、ベストタイミングで最良のマシンに乗れず、常に苦戦を強いられていた事が本当に悔やまれます。
デビュー開幕戦でヴィルヌーヴのリヤウィング吹っ飛んだのは驚いた
ジャック個人は1番脂の乗ってる時期だったのになぁ。BARを選んだのは本当に勿体無い。
BARの保守的な思想はチーム設立当初からだったんだと知ることができて良かった(ホンダがBARに開発の提案を10個出しても、2、3個しかやらなかった(確実に速くなるものだけ)という話しを聞いたことがあります)
個人的には、1チーム2カラーの世界線は見たいな。ドライバー毎にカラーリングを変えられるなら個人スポンサーも付きやすくなるから若手のスポンサー探しが楽になるだろうし、今のアルピーヌみたいな事例も全部青のマシンと全部ピンクのマシンで対応できる。
1977年にロータス78がその年の最終戦の日本グランプリ限定でカーナンバー6のグンナー・ニルソンのマシンのみ黒のJPSカラーではなく、赤い「インペリアル・タバコ」のカラーリングで参戦したというのが過去にはある。
この年のBARといえばベルギーGPにおけるミカ・ハッキネンのスーパーオーバーテイクの引き立て役になった・・・程度ですかね。あの当時ですら冷ややかに見ていました。
厳しく言うなら、それまで曲がりなりにもF1を走ってきた旧ティレルのスタッフを全て解雇した時に大失敗は保証されていたようなもんだったんですけど。F1を走る上での勘所やレースマネジメントなど、例え最下位のチームだったとしてもノウハウの蓄積はあったのに、それをスパッと捨ててしまったんですから。スーパーテックエンジンも開発を終了したエンジンで、既に重量面でハンデがあるという点すら見落としている点もF1でのノウハウの無さですね。ハーヴェイ先生がもしBARに参加していたら結果は少しは違ったかも。
この手の乗っ取り屋が作ったチームが大抵初年度でコケる典型なんですが、まあホンダと組めた事で翌年以降に望みを繋いだのは事実ですね。
ハッキネンのオーバーテイクは2000年では?
こいつは1999年ですよ?
@@鈴木光-n9o
すみません、記憶違いでした。
同感です。データ豊富にあるティレルのスタッフ全て入れてたら違ってたかもしれません。
リアルタイムでオートスポーツ等で見ていましたが、スポンサーの関係からかとはいえ、車体真ん中にファスナーの表現で2ブランドのタバコを施したのは、後にも先にも出てこないでしょうし、翌2000年に単独復帰を画策していたものの、テクニカルディレクターだったハーベイ・ポスルスウェイト氏の急死等により、エンジンサプライヤーとしての復帰となった第三期ホンダとのタッグが取り沙汰された時、オートスポーツでの合成によるイメージがこのカラーリングにホンダマークを取り付けたものを今だに覚えてます。
BARやトヨタを見ると、F1で初年度から結果を出す難しさがわかりますね。そう考えるとジョーダンは凄い。
時代が違うから比較できない
トヨタは最後まで結果を出せなかったがビーエーアールは
確かにジョーダンは凄かった。
というのも後に出てきたチーム、このB・A・R以外にもザウバー、スチュワート、トヨタとかはジョーダンと同じく1からチーム興して初年度からポイント取ってるけど予算とバックアップの規模が違う。
ジョーダンは開幕時10億もない状態でよくあそこまでやったと思う。
F1ほど皮肉なスポーツはない。
スパで2台とも大クラッシュした時はマシンの根本的欠陥があるんじゃないかと思ったよ。 当時はBARが好きになれなかったし、ホンダが組むと知った時は複雑な気分だった。
左右対象のカラーリングで登場してリタイアの連続はヤバイ…ただ凄いのは代打で乗ったサロが後にシューマッハの代打でフェラーリに乗った事。
BARの参戦初年度
ジャックは開幕から11戦連続リタイアの不名誉記録を達成。
ゾンタは母国で予選でクラッシュし欠場
代役のミカサロは3戦ゾンタの代役で出場し、サンマリノで7位。サロの7位がチーム初年度の最高位とレギュラードライバーが最高位のチーム最高位獲得できないと結果。
10:51 あとベルギーは第12戦です。
結局ローンチver.仕様が一番格好いいカラーリングだった。
ヒルやシューマッハは移籍で自らの実力を証明した一方、ヴィルヌーヴはこの移籍で「マシンのおかげでチャンピオンになれた」ことを証明してしまった感
ホントですね〜
後のルノーやザウバー時代でもそうで、マシンに対する理解力や開発力が欠けてましたよね。
まぁ時代が違えば…って話になるのかもしれませんが…
いや、ジャックを落としたいのは分かるけど、ヒルでもミハエルでも完走もできないマシンで実力なんて証明できないと思うけど?
@@hiroyuki05052002 そこに対する姿勢というか、仕事の進め方?がジャックとヒルやシューマッハとは違うと思います。
『完走が出来ないようなマシン』という意味では97年にヒルが移籍したアロウズ ヤマハも(F1での経験が違うとは言え、あの時のアロウズも悲惨だった)シーズン序盤は酷かったけど、中盤から全然違かった。
ジョン・バーナードが加入してチームの方針が変わったにせよ、あれはヒルの開発能力抜きには語れないですね。
ほぼほぼワンメイクなインディでチャンピオンになってるので「マシンのおかげでチャンピオンになれた」は如何なものか?
@@buffaloR325
マッサはワールドチャンピオンにはなってません
BARとジャックヴィルヌーヴをダメにした クレイグポラックの罪は大きい。
あとは利用されるだけされて経歴に傷を付けられたリカルドロセットも、被害者と言ってもいいかもしれないですね。
マシンの色に合わせて左右のホイールの色も変えているのはこだわりがありますよね
カラーリングはカッコ良かったなあ。
紆余曲折でたどり着いたスティッキーフィンガーズは秀逸だと思った。
カラーリングを強引にまとめざるをえなかったのはほんと残念
ラッキーストライクと555それぞれのカラーリングが見たかった…
F1のカレンダーに中国GPが加わってようやくレースで555カラーが
見れましたね👍
CARTでも99年もレイナードシャーシーはレイナードホンダファイヤーストーンが最強モントーヤがルーキーでチャンピオン。CARTとF-1ではレース運びが
違うのでレイナードの力が発揮出来なかったのでしょうかね
F1を知りつくしていたティレルのスタッフを追い出したのが一番の失敗。いくら成功したマシンのいいとこどりしても、エンジン、サス、空力上手くまとめ上げるテクニカルディレクターがいないと。
カラーの事もだけど金だけじゃどうにもならないのよね。
ロータス78は、JPSとインペリアルの別々のカラーで日本グランプリに登場して驚きました
当時は大丈夫だったんでしょうね
あの頃はマクラーレンも同じマルボロだけど赤じゃ無いのを走らせたりしてたからOKだったんだろうね。
レイナードに対する期待とティレルを踏みにじったことへの敵意入り交じる気持ちで参戦準備を眺めてました。やっぱりF1のレベルの違いをレイナードの“伝説”が逆に証明したような感じはありました。
それにしてもカラーリングはヤケクソにしか思えませんでした。長いF1の歴史を振り返っても最悪。別に2台違ってもええやんか、と思いますけどね〜MotoGPのLCRホンダは全くカラーリングの違う2台を長く走らせてますが、何かこれに起因する不具合があったとは思えませんけどねー、4輪やと都合悪い?
って、結局ついついカラーリングの話をしてしまいますね、この年のBARと言えば。
BAR初年度
あしゅら男爵チックなタバコスポンサー2ブランドのマシンカラーリングだけが印象に残ってる。
キカイダーとか言われてた記憶もありますな
@@じの-w4p
開幕戦で解説の片山右京が言ってましたね。
BARの船出を振り返ると26年からの参戦を予定してるアンドレッティのようだね。
ビッグネームが揃って入るけどその実…というね。そこにHONDAがエンジン供給するかも知れないってとこも含めてのデジャヴ感。
カラーリングもリタイア数も目立った💦
翌年の車体もやや改造され見た目はカラーリング以外はそのままに近いがホンダのエンジンを手に入れて再スタート。
ただその後も
七転び八起き💦
リアウイング脱落なんて恐ろしすぎる
ブレーキングでサスアーム折れるのもありえない。
2種類のカラーリングの話が出た時は面白いアイディアだと思ったんだけどなあ。
ノーズやウイングをチームで共通のカラーリングにすれば他の部分はドライバーごとに変えてもOK、みたいな融通をきかせたルールにするのは…難しいかな。
シーズンの前半と後半でカラーリングを代えたらよかったのに。
当時ジャックヴィルヌーヴでブリティッシュアメリカンタバコならラッキーストライクじゃなくてKOOLだろ!と思っていた
BAR001結構好きだったけどなー
カラーリング酷評されているけど
派手なカラーリングの割にはダメでしたね。
予選結果を考えれば、速さはそこそこあったし、前の年よりは良かったと思うんだけどね…
ヴィルヌーブがBARに移籍と知った時、レイナードが設計した国際F3000やったかな?INDYでマイケル・アンドレッティが初戦で優勝。しかしF1は甘くねえぞ正気かと思った。
HONDAのエンジン供給が決まってたからやろう。しかしエマーソン・フィッティパルディと同じ轍を踏んでしもうた。
そもそも完走率が悲惨すぎた
レイナードも後に破産してしまいましたね。
マーチとローラに続いての破産でしたね。
『世紀末の👻』になってしまったんですねBAR。
参戦前はマクラーレンとフェラーリの2強が終わるか!思ったがシーズン始まったら期待外れやったな。。
まぁ。。エンジンがね。
マクラーレンとフェラーリじゃなくて?
@@liketrulli7668
すまぬ。最初、ウィリアムズ書いたがよく考えたらウィリアムズは98の時点で没落始まってマクラーレンが強かったなと思い出して編集しました。
失礼しました
@@じの-w4p
BAR参戦前年の1998年はマクラーレン・フェラーリの2強時代に入ったからね。旧ルノー勢のウイリアムズやベネトンは既に低迷。
散々でした。逆にヒルの辛抱&努力が身に染みました。あっ、BARのブルーのテストカー、二色刷の本戦マシン、ミニカー持ってます(笑) ジャックのインディカーも(笑)
もしミカ・サロがレギュラーだったらポイントは獲れていただろうな。
フェラーリの活躍があったので今更願わないけど・・・
ティレルの買収ではなく、参戦権の買収と、聞きました。
レイナードシャシーの割に走らず空回り
保守的なマシンで信頼性無かったらそりゃ酷いシーズンになるよね。
チーム名見た時、BRMにあやかったのかな?って思った
阿修羅男爵!?覚えてない!🤔😁
カラーリングがだめだなぁと当時は思った。555カラーだけ、で良いんでない? と思った記憶。ラッキーストライク・カラーなんて、簡単に想像できますじゃん? 事実、後にそーなったし。ハーフ&ハーフ、正直、記憶に残らない。テールランプに意匠を魅せてる乗用車みたいで、普通にしてくれよ見づれーわそんなとこに意匠を入れんな、ハタからすると逆にこえぇわ、みたいな。
広告としては失敗、じゃないですかね
クレイグ・ポロックとニック・フライが大嫌い
ひとこと「ザマみろ」と当時思いましたね。特にジャックが嫌いでしたので。
サーキットを走るキカイダーでしたね。
BARキライなチームだ
バトンを優遇 琢磨は二の次 挙句の果て放出
全てフライのせい。
SAF1でも邪魔してきた。
チーム立上げ初年度こそ、経験豊富な、デーモン・ヒルを人選しておけば、よかったのにね。😭😭😭
ティレルのスタッフをある程度残して、ドライバーラインナップがヒル&サロとかなら初年度から結果出たかもね。
タイトルを見たら、トヨタのことだと思いました。
どちらかのカラーリングにすればカッコいいカラーリングなのに1+1=2ではないカラーリングでした😅
BARだけでなく「HONDAさんほどの資金を使えるならウチなら2年で勝てる」と豪語して、HONDA以上の莫大な資金を投入して1勝もできなかったTOYOTAも扱うべきだ。ドメスティックな話題に触れない…では偏った知識になるしな。
正直ジャック嫌いだったからザマァと思った。
ホンダもこんなチームと組んだのは良かったのか?2004年だけは輝けたけどね。
厳しい現実を知らないヴィルヌーヴとBAR。結局、ヴィルヌーヴはホンダからクビになりチームスタッフもクビになりホンダが最終的にチームを買収した。
さすがに1年目優勝はナイ!!
まさかのノーポイントだし…
キカイダーカラーもだが強い、速いマシンはデザインもカラーリングもカッコイイだけに真逆…
琢磨やホンダ在りし頃もだが、間違いなくトップの器でない!!
しかし最終のブラウンGPはまさかの論外…
現在はメルセデス。よってブラウンGPが最終ではない。
まああんなウォルターウルフレーシングが走ってた時代とは状況が全然違ったというわけで。
まぁまぁ戦えてた印象だけどな
今見ても微妙なカラーリング