ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
国鉄(日本国有鉄板焼店)が誇る香ばしいメニューです。
なるほど、国鉄の鉄は「鉄板焼」の鉄と……w国営事業の鉄板焼き、なんかすごいメニュー出てきそうですねw
ホントにそういう匂いがしてましたよ。なんだか樹脂が焦げるような。
中央・総武緩行線店と常磐緩行線店があるのですね。
それぞれ千代田線と東西線に出張販売をやっていたという、なかなかのサービス展開
ま ず そ う
編集お疲れ様でした。常磐快速線を走る103系の動画をどこかで見て、当時は固定10両編成に限り快速線と緩行線共通運用かと思って動画を見たら納得しました。関西に転属させられるのは民営化する前だからこそなのかもしれませんよね。今回もありがとうございました。
301系を増備する予算がないから 仕様変更した103系で間に合わせた。105系を増備する予算がないから その103系を改造した4扉車で間に合わせた。この車両には常に『予算がないから』というワードがついて回ったと思います。105系改造の話がなければ 老朽化した武蔵野線101系1000番台の置き換え第一候補でもありました。ドアが閉まる時 0番台のような『シッ!』という応荷重装置のセンサーが引っ込むエア音がしなかった事 ブレーキ緩解時の音も0番台のような『フコ〜』ではなく『ピシュゥ〜』という高い音だったのも特徴でした。
安物買いの銭失い……とは言い過ぎかもしれませんが、元々が資金不足で生まれた列車。電気代も含め、お金の事情に振り回されるのは運命なのでしょうかね……。
@@tourin_205 さまごめん。またいただいた♥が消えちゃいました🙇💦しかし次回 大事な部品を付けるのを忘れた話とか 流石よくリサーチしてますね☺️
@@toriri-service ありがとうございます(*^^*)一応公式な文献から、噂程度のツイートまで色々見てます……wもう乗れない車両なので、できるだけ当時を感じることが出来ればなぁ、と思って調査していたら、色々小ネタの知識がつきましたw
301系は営団5000系アルミ車と構体の設計が共通だったりして試作的な要素が強い車両だったのでしょう。1000/1200番台は主制御器もバーニア制御で一般形と別物でしたね(その割には発車時の衝動が半端でなかった)。
・人間焼肉・走る鉄板・走るサウナ・ファラリスの雄牛すげぇあだ名ばっかりやな
ファラリスの雄牛は初めて聞きましたよwマジで笑いましたw
マジでファラリスの雄牛やんけ…
これらの七難を経て生まれたのがIGBT-VVVFインバータ制御6M4T、TIMS、開閉可能窓かつ冷房装備のE233系2000番台だったってワケですね。やっぱりE233系はどの路線・番台も乗り心地いいし、故障も少なくて安心ですね😢
E233系は、汎用性を保ちつつ様々な路線の状況に対応する……現代の技術力の高さを感じる車両になっていますね……!
奈良線の大和高田から王寺まで、この元103系1000番台こと105系1000番台車に乗りました。ワンマン化改造で運転台後ろに料金箱が設置されており、ふと扉の上の路線図を見ると、転属前の首都圏路線図がそのまま貼ってあって驚いた事があります。
転属前の路線図がそのまま……それは驚きますね!オタク的には「その車両の歴史を感じられる」ので、そういうの大好きです笑
鉄オタ「この車両, なんか匂う(迷要素の香り)」乗客「この車両, なんか臭う(物理的に焦げ臭い)」
ホントにそういう焦げ臭い匂いがしてました。ノッチオフでLBが『スコン!』というと同時に 青白い火花がトンネル内に飛んでました。
迷要素の匂いって、どんな匂いなんやろう(ソウイウコトジャナイ)……なんてw当時は焦げ臭いのが常態化していたから、まだ良かったものの、現代でそんな匂いがすれば即非常停止モンですね💦
東武8000系のレジン匂とはまた違うのかな…
@@にーに-v9f レジン臭は回生失効常習者の営団6000系。
12:59 懐かしき「僕アルバイトオオオオオ」想像を絶する事態に、想像を絶しました203系登場にも繋がったのですねえ
想像を絶するということは、想像をはるかに超えていたということです。www
このおかけで常磐快速線103系の15両編成で貫通扉+非貫通という編成が誕生した。懐かしい。
常磐線快速の103系には3パターンありましたね😅
非貫通の生え抜き0番台、千代田線からの1000番台、そして転属組1200番台……カオスやなぁ……と思いますw
1000番代をムゲに扱えなかった使い倒しを選択
103系1000番台千代田線のホームに到着するとホームと車両の隙間からゆらゆら陽炎が湧き立ち、その暑さはまるでロウリュウのサウナみたいな暑さだったなぁ。アラフィフ世代懐かしい思い出に浸らせて頂きましたwww
編集お疲れ様でした!すごく完成度が高い動画で物凄く勉強になりました!次回も楽しみにしています。編集頑張って下さい😊
ありがとうございます!励みになりますm(_ _)m
快速線転用後、組成によっては12M3Tになることがあるから「力行回路だけ」切ってた付属編成とかいましたね...
6ユニット……wどう考えても運転台のユニット表示灯が足りないですねw(表示灯、多くても5ユニット分だったはずなんですよね、確か……)
15:00 もはや恒例のwindows起動音
「鉄板」ネタになってきておりますw
@@tourin_205 まさに103系のあれにも繋がる……🤔
動画のアップありがとうございます😀このようなトラブルがあったとは知らず、幼少の頃千代田線に乗る機会が何度かあり、当車両のカラーリング、グレーにエメラルドグリーンが格好良く見えて、これが来るのが嬉しかった記憶があります😅
最後のやつは私も初めて知りました…結局、最後まで営団は103系に振り回される羽目になる形になっちゃいましたね。
東西線系統も、千代田線系統も振り回されっぱなしですw迷惑乗入れ、電気バカ食い、変な仕様の車両ぶっ込み……営団が可哀想になってきますw
当時、短い距離でしたが千代田線を利用していました。前面に通過扉(非常用)をもった国鉄103系がくると騒音も大きく、乗りごちも(コイルバネ:営団の車両は空気バネ)悪かった。地下内では最高速度75㎞/h出していたと思う。加速は確かに良かったが・・・ただし、電車が到着するとホームと車両の「間」から「モワー」とした熱気が・・・ その後、203系になったが。・・・懐かしい思い出です。
根津〜町屋にかけての二段単線トンネル区間は線形がよく、ATC信号も75km/h現示だったという話を聞きます。あの区間をフルノッチで加速し、75km/hから減速し……そんなことを繰り返していたら、やはり床が焦げるというのも容易に想像できますね💦
@@tourin_205 そもそも、地下鉄に103系と投入すること自体が国鉄の断末魔だったのかと思います。でもあの爆走ぶりは今の上品で軽量、ハイテクな地下鉄車両では経験できませんけれどネ!
乗客A「車内でお好み焼き作ってみた」乗客B「BBQしてみた」103系「自分焼いてみた」ホームの客「あぢぃ~🫠やってきた電車マグマ並にまっかっか。溶鉱炉かここは😧」地下鉄といえば徐々に音が近づいて、ひんやりとした風も徐々に強まってきますが、こいつがきたら誰もが「あっ(察し)」になったのが容易に想像つくwwかつて私の地元にも元こいつらの105系がいましたが随所に地下鉄時代の装備跡や、塗装に国鉄マーク跡がうっすら見えるやつもいました
車掌「車内でのお料理は、他のお客様のご迷惑にもなりますので御遠慮下さい🙇♀️」国鉄マークが浮き出ていた……地下鉄時代を感じれるというのも、転属車の良い所ですね。
国鉄の103系もそうだけど 実は小田急9000も営団より電気食っていて差額を営団に払う事をしていたらしい
どれだけ6000系が省エネ車だったか、よくわかるエピソードですよねぇ、それ。
安価な界磁チョッパ制御と高価な電機子チョッパ制御の違いですね、やっぱり営団はすごい!
同じチョッパでも車体素材がね
因みに103系1000番台は『鉄板焼き電車』小田急9000形は『ガイコツ電車』営団6000系の窓の小さい1〜3次車は 小田急ユーザーから『監獄電車』と呼ばれ 千代田線走行車両は皆 何らかのあだ名が付いてましたね。
それでも、小田急9000形は、チョッパであるだけ103系よりはマシだった。
71-000はガチで相鉄直通の可能性を考えてる。70-000は拡幅車体、最高速度、ドア位置と違いが多すぎて乗り入れ出来ないのはわかるが、新型車両で全て解消されると予想。この縛りのせいで相鉄直通開始以降埼京線内は70-000だらけになった‥‥。日中の新宿の系統分離も無くならないかなぁと思ってます。新宿〜渋谷が山手線の乗り換えの遠さもあって割と不便。少なくとも平日朝の上り列車に拡幅車体のE233系しか入れない縛りが解消されて朝ラッシュにりんかい車が見れるようになるのは確実だと思います。って、コメントする動画を間違えた気がす
105系になってここ最近まで残ってたのがすごい
あれだけ地下鉄で酷使されたにもかかわらず、よく残りましたよねぇ。
関東残留組よりも20年近く長生きしたことになるね。
関西民にとっては馴染みのある105系の元をたどるとこんな迷車だったとは......東西線の301系、103-1200と千代田線の103をまとめてトレードするという方法はなかったんですかね....個人的にクリーム色に赤帯の塗装が懐かしい.....
恐らく、東西線の301・103を千代田線に持っていっても、結局メカニズム同じなので焦げるだけになるので、もう新車を入れることにしたのでしょう……。
@@tourin_205 結局は、おそらく国鉄側が千代田線の構造を軽視した結果こうなったんですかね…
因みに105系転属改造後も妻面に営団用誘導無線アンテナが残っていたそうです。
他のコメントにありましたが、車内の首都圏路線図も車両によっては残っていたようで……地下鉄時代を感じられる、貴重な証ですね!
103系1000番台は、利用者が音で判別できたという伝説がありますね。あと北千住・綾瀬間は国鉄線の扱いでしたで運賃計算されるはずでしたが、実際には営団の自販機での発券となっていました(料金を営団に合わせるため?)(今も運賃計算の特例区間)この区間が舞台にになる某ラノベは表現をあいまいにしていましたね・・。これで九州向け1500番台を新規製造したのだから、鬼畜の所業と思います。
補足しますと 綾瀬以北から北千住(或いは北千住以南の国鉄線)迄を乗った場合 同区間が国鉄線の扱いとなっていました。綾瀬-北千住間のみの利用は 路線の戸籍から営団扱いとなりますが 同区間は国鉄・営団を比べて安い方の運賃を採用していました。これらの扱いは JR・メトロとなった現在でも続いています。当時の千代田線は MT55の爆音と『ピシュ〜ピシュ〜!』と喧しいブレーキ音が103系。『シュワッシュ!』というブレーキ音と『ミイィィィ〜ン』というチョッパ音が6000系。『ウミョオオオオォ〜ン』というAR2ロータリーコンプレッサーの回転音が轟くのが5000系と 確かに各系列 音にも個性がありました。尚 九州の1500番台は 顔は105系 性能は103系 内装は201系という電車ですね。
綾瀬駅は千代田線開通まで国鉄駅でしたが、開通後、営団管理になった経緯もあって運賃特例が続いています。ちなみに、半蔵門線の渋谷駅は東急→営団→東急の管理で、副都心線は東横線開通前から東急管理のままです。
ミツK8編成『僕は快速線に転属したけど東西線の車両不足により冷房化改造の後に東西線に転属してそのまま余生を過ごしたよ』
そのお話は……次回しまっせ!おたのしみに!
@@tourin_205 楽しみダァ
次回が楽しみな内容だなぁ地下直顔の105系クハは可部線に来たのがJR化後で広島地区最後の4ドア通勤型として長らく走ってたのがやっぱり印象に残ってて好きですね模型も持ってますししれっと103系1200番台がエメラルドグリーンに塗られて常磐線走った事例もあるからあの辺めちゃくちゃですよねぇ
ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます🙇♂️これからも面白い動画、お届けできるように励みます!
103系1000番代の地下直塗装、自分は好きですけど、当時の乗客は「うわっ、今日も蒸し風呂か...」ってなっていたんですかね...105系になった車両に広島と宇部で乗ったことありますが、多分、地方に転属してからのほうが、幸せな車生を送る事ができていたんでしょうね...
私も見る分は好きですが、この非冷房灼熱地獄に毎日乗って通勤しろと言われたら……1本見送りますw地方に左遷されてからの時代の方が、結果的に長くなっていましたからね。運命とは分からぬものです。
床下から漏れてくる超多段制御のせわしい動作音は楽しかった。特に停止直前には鬼のような進段速度だったw
こいつに高校3年間お世話になりました、降りる時にホームとの隙間から猛烈な熱気を感じるんですよね。
電車とホームの間は、広く空いております。隙間から立ちのぼる熱気にご注意ください(?)と言うやつですね(?????)
熱烈歓迎「ようこそ千葉県へ」
同感です私も学生の時、良く乗っていましたが、駅に着くたびホームと車両の間からの強烈な熱気と騒音と乗り心地の悪さに閉口していました。6000系とは雲泥の差でしたね。103系はひゃくさんけいと言ってもらったほうが、古い年代にはしっくりきますね。
いくら優秀な人でも専門外の部署に配置されればポンコツ化してしまいますが、通勤電車として優秀な103系も専門外の地下鉄には対応できなかったんですね。部署(路線)が変われば大活躍(?)できた訳ですから、「適材適所」の大切さを改めて感じました。
本当に「適材適所」という言葉がピッタリですね。ちなみに、CS40は松戸・三鷹でしか手に負えなかったようで、これも「専門」の匠が必要だったのでしょうか……。これが、105系改造車を除き、他線区へ1000番台が転出しなかった原因、と言われてましたね……。
103系1000番台、103系1200番台、301系といえば、地下鉄乗り入れ車という意味では、まさに武蔵野線が最適路線でしたが(難燃車体でM車比率が高く、先頭車に貫通扉があること)、いかんせん、地下鉄用の特殊な制御器に豊田電車区が対応できなくて、203系投入後、常磐線快速に1000番台を回し、ノーマルの103系を武蔵野線に回すという二度手間を招きました。ちなみに、1000番台は多くの車両が電化開業のため、西日本各線に105系改造の素としてバラまかれることになりますが、こちらは電化開業という0からのスタートとなるため、かえって受け入れられやすかったのかもしれないですね。
@@かわかみたかし-y9u 105系500番台化改造の時に、CS40はボッシュートされて1M制御用の安物CS51に載せ替えていたような。
最後のやらかしについて一言。エメグリ一色塗装車の営団直通は、中間のモハ車は地下鉄直通色で、両端のクハ車だけエメグリ一色塗り。当時の国鉄、この編成で、快速、地下鉄直通の共通運用を狙っていたらしい。
共通運用狙ってたんですか……!?その話は初めて聞きました……何をどう考えたら、そんな発想に至るのかw
@@tourin_205 さんRM MODELS134号に元常磐線の乗務員が記事載せているから間違いないでしょう。ちなみにこの134号は、「モデルネタ無尽蔵!103系」ってタイトルの鉄道模型雑誌です。
常磐線ユーザーなので懐かしい…快速線に転用された子たちは回復運転時はとんでもない爆音を立てながら爆走してましたよ。他の路線とは明らかに音と速度が恐ろしいほど違っていて好きだった。
103系は逆に東西線には相性が良く、2003年まで使用されたかと思います。
配信間に合わなかったーーー!!!(泣)某豆腐でも鉄板焼き電車取り上げられてたけど路線の特徴に合わせることは重要ですね…(かと言って合わせれば良いわけじゃ無いけど)
いつも投稿時間のお知らせが直前ですみません💦路線特性に合わせた車両作り、というのは重要なことではありますが、汎用性と言うのも大切なわけで……そこが難しいところですよね。
301系を増備出来なくて安定の103系……を送った結果が散々な事になってしまいましたね。改めてこの電車の何がヤバかったのかの解説が分かりやすくて良かったです👏🏻👏🏻👏🏻しかもエメラルドグリーン1色になってからもわずか2日間、地下鉄直通に返り咲き……営団から怒られるのはそうですよね(ネットで検索してもさすがに画像は出ませんでした、雑誌で目撃した記事があれば見てみたいです)。東武9101Fの直通復帰も車両不足が重なって緊急登板でしたが、既にホームドアが付いていた小竹向原駅はホームドア分離で対応させたとはいえ、当時はメトロ7000系・西武6000系の副都心線対応改造未了だった事が幸いしての直通でした(とはいえメトロから怒られて、数年後には東武側の車両不足でとうとう「運休」を出す事態になってしまいますが)。そして1000番台が地上に追い出されてから、まさかの地下鉄直通返り咲きとその後……は次回のお楽しみという事で、1200番台の内容も楽しみにしています。
確か2005年辺りの鉄道ファンで、103系特集の中に画像出てたと思います
9101fの無理やり乗り入れは、よくよく考えるととんでも無い事態ですよねwあの運休事件も、東上線の車両の不足っぷりが如実に現れた出来事でしたね.......。1200番台、そして1000番台のその後も色々ととんでも無いことになっているので.....是非是非お楽しみにして頂ければと思います!
高校生時代、西日暮里から日比谷まで乗りました。とにかく床下からの熱気が凄まじいく、乗ったら乗ったで床から異様な熱気を感じ、床下も変色してました。当時は冷房は無く(小田急9000は冷房をオフ)、更に窓が開かない。とにかく地獄でした。
常磐線ユーザーとして、JR車とメトロ車のVVVFの技術がMT比に現れてて面白いです
技術の進歩というものを感じますね……。
初コメ失礼します。リクエストでエイダン編が終わったら迷鉄編(名鉄)とかをやって欲しいです!
数年前アドベンチャーワールドに行こうとしたら紀伊田辺で最後の1000番台顔だったSW009を見つけたので、乗る予定だったくろしおの特急券を無駄にしてそっちに乗ってしまいました。しかも帰る時今度は両側改造先頭車のSW004が来たのが良い思い出です。
特急券捨てても、乗る価値はありますね(^_^;)行きも帰りも当たるなんて、羨ましい限りです✨
営団地下鉄6000系は40年以上、走っていました。子どもの頃は103系の緩行線、快速列車ともに使っていましたが……
103系に地下鉄直通用の車両があるのは知ってましたがまさか珍車だったとは驚きでした!
ここからこの車両、どんどん泥沼化していくんですよね……お楽しみにw
楽しみにしてますw😂
その後常磐快速に渡った103系12M3Tという電気爆食い編成を組むことになる...※実は1ユニットカットしていたらしいけど因みに床が焦げた103系はネットに写真がいくつかありますね
6ユニットになると、恐らく運転台のユニット表示灯が足りない(確か最大5ユニット分)だったので、恐らくカットされてたんでしょうね……12Mって、銀1000じゃないんだから💦
ちなみに103系1000番台(及び1200番台)に搭載された制御器CS40もかなりのくせ者ですよね。同じ103系なのに乗務員訓練の再講習が必要だから結局松戸と三鷹に封じ込め……。そういえばその試作車が山手線にいたような気がするのですが(910)。
203系共々、小田急と直通運転してる姿を見てみたかったなぁ
一昔前の千代田線系統の直通、車種が結構多彩&レア車の嵐で色々楽しそうですよねw
17:50 「ハッピーエンドでおわらない」ではなく「ハッピーエンドでおわならい」になっちゃってます
ホンマですね、すみません!(よく気付きましたね、今聞いてみると違和感マシマシですがチェックで見逃してましたw)
千代田線に直通運転していた1000番台を含め103系電車は全て電力消費が多かったなと想像が私はついていました。今武蔵野線に移り走っている209系500番台の車内のステッカーを見た所、209系の消費電力が従来の103系の47%だと書かれていた事を知り得て漸く納得がいった次第です。2024.10.12
SNSで焼けて床が黒くなってしまった画像が出ていたのを最近見ましたけど、想像以上に酷かったです…
これが何も知らなければ「床が色変わってんなぁ…」で済みますが、焦げてると大々的に知られたら、現代なら恐ろしくて一般利用客からクレームきそうw
12:56 僕アルバイトォォォォォ‼︎で吹いたw
16:15 今後数十年どころか令和まで活躍しましたとさ今となっては混雑率ワーストの可部線はこの車両のままでよかったのではと思う
当時、千代田線に乗って国鉄車がきてしまった時は、主抵抗器のあるモハ103を避けてモハ102の方に乗ってました。モハ103は誇張なく鉄板焼きで、靴底の材質によってはベタベタしてくるものでした。
あの頃の千代田線は103系を避けるために営団6000に集中したという話は聞いたことがありますね
12:50 進次郎構文で草
製作中にビビッときて、ネタを突っ込みましたw
良いじゃない、鉄板焼き。秋の味覚だ(錯乱
自分自身がこんがり炙られて秋の味覚になってしまうw
国鉄も東武の9000と同じようなことしてたんやなぁ…プレミア公開の最初のやつ設定で変えられますよ
プレミア公開のカウントダウンの設定、次から変えてみます!ありがとうございます🙇♂️
7:51 なんか好きやわ
電車が入場する際のあの焦げ臭いにおい好きだったなあ
乗客=お好み焼きか焼売なのは気のせい?
当時の熱気を体感することはもう出来ませんが、「本当に調理されてる」レベルの暑さだったんだろうな……とは容易に想像できますw
ニシーツヌに乗務したさい乗り心地が悪くモハ車は、床下から熱風がありましたね。
地上区間でも熱気を感じるほどだったんですねw地下区間、非冷房となったらもう恐ろしいw
「年中暖房車♪」
弱冷房車、のようなノリでとんでもないことを言っているw
@@tourin_205 さん実際、冬は暖かくて良い電車でした。
エメグリ1色の103系が千代田線走っていたのは以外…。
編成全部がエメグリという訳ではなく、一部車両のみだったようですが、それでも両先頭車は確実にエメグリだったはずです。利用者はギョッとしたでしょうね笑
逆に快速用ながら、全車が地下鉄グレーという1000番台もありました(もちろん塗り変えが間に合わなかったため)。
クハだけエメグリにして緩行と快速で共用しようとしたけど2日で営団から苦情が来て緩行用と快速用に分けられたってRMMODELS134号にありますね。ちなみに車号はクハ1025、1026だそうです。その本に写真も出ています。
まるで50050系みたいなトラブルを起こしまくっていましたな、103系1000番台。でも50050の方がかなりよっぽどマシですが…
50050、やはり田園都市線内での無理が祟っているのでしょう、50070はあまり故障の話を聞きませんし……。
@tourin_205 そうですね。そもそも50000系列自体元々東上線専用車のつもりで設計して導入する予定でした。よって駅間の長い区間が多い路線用の性能のまま無理矢理駅間の距離が短すぎる区間が多い田園都市線各停にも運用しているような感じなのでそれが主な原因でしょうね。
@@ヨクンヨクン逆に東急8500は、駅間距離の短い田園都市線向けのため、駅間距離が長く、優等列車で高速で飛ばす東武ではとてつもない轟音を撒き散らすこととなります。まあ、8500の設計当時、高速で飛ばすなんて想定もしていなかったから無理もないですが、これが、ある層にとってはドツボにハマることになるんですよね。
営団が国鉄にブチギレた様に東急が東武に現在進行形でブチギレ続けてる…
俺の親父、鉄なんだけど。ちょうど103系1000番台地下直運用があったとき学生で、確かに当時は嫌な車両だったけど、今となっては思い出だなって言ってた。
やはり当時を知る方からしても、印象深い車両ですよね……。
小中高大を北柏近辺で過ごした鉄オタとしては忘れられない車両です203系の登場が高校3年でした。103-1000が短命だったとは感じなかったですが、子供の目には当たり前すぎて空気のような車両でした。時々目撃する5000系は地味だけど珍しかった。これまた当たり前のように見ていたEF80とともに心のふるさとのような車両です
103系1000番台も半分以上で綾瀬ー我孫子間の地上を走っていましたよ、千代田線ないはアップダウン区間が多い事と駅にエアコンは付いていたが性能が悪くトンネル内の空調も弱々しかった為に地下内の空気が外に逃がすことが出来ずにトンネル無いに熱がこもって、次から次へと電車が来るから抵抗器も冷えなくなるのと非冷房も重なって車内も冷えずに床がフライパン状態になってしまったんです、駅にエアコン、冷房車で作られていたら多少は長持ちしたと思います
10:00 窓のストッパーはがどのあたりまでかはわからないですが和歌山線105系転用後はなくなってたっぽいですね。とはいえ末期105は上段下段窓は下段窓が1/2で止まってしまい全開にはできませんでした。しかし末期関西地区103シリーズでも原型に近い窓・側面は貴重でした。和歌山線でも面白い車でしたね
小さい頃松戸から都内のばあちゃんちに行くのによく乗りましたが、地下は本当に灼熱地獄&爆音地獄でした。とはいえ203が導入されてもしばらくは綾瀬で冷房オフされてたので、暑い&窓開けるからうるさいで103と大差ありませんでしたが…。
7:23 もし鉄板焼きを避けるために強制痛風式を採用していたら、爆音電車待ったなしですねMT比が高い上に密閉された地下鉄なので、その被害は他の爆音電車など目じゃないでしょう
日根野の105系は良い車両やったな。14:47まさかのナイアガラ行きw
ナイアガラ……臨時列車ですねw関西の105、関東時代を感じられてさぞ乗ったら楽しかったのでしょう。
ああああああああ風呂はいってたらまた見そびれたあああああああ
毎度毎度、公開時刻のお知らせが直前でごめんなさい🙏
@@tourin_205 いえいえ、風呂はいるのが遅い僕が悪いですから…
103系自体がそもそも高加減速を頻繁に使用する線区に向いてないんですよね()現代においては、高加減速だろうが高速運転だろうがVVVFの大出力で解決できますが、当時はそうもいかなかったはず。地下鉄専用の床下機器を設計するほどのお金すらなかったのか……
ちなみにソ連では1970年代から2000年代まで(もっと長い間作ってるかも)81-717形を製造していたので、日本で表現すると無茶苦茶カオスなことになりますよ
203系って 空☆転☆大☆魔☆王 って変なあだ名あったような…
マジっすかw そんなに空転してた覚えは無いのですが……そこまで私も203の乗車経験が無いので分かりません💦
私も乗ったこと無いですが、ニコ動のコメにあったので💦
車体色灰色は、絶対ステンレスやアルミ車を意識しているんだろうね。山陽のにせアルミカーみたいだな。S60頃までは、灰色のまま地上線で働いてた車両もあった記憶が。末期の常磐線快速運用では貫通顔、低運転台、高運転台三種の顔が拝めたが、一番カッコ良かったのは1000番台だったね😊
爆音、爆熱
12:48 総理になりかけた人が見えた希ガス…
総理になりかけたという事は、総理になったと言うことではありません。
似たような車両として名鉄(迷鉄?)100系が上げられるだろう。鶴舞線開業の少し前から走り始めたが地下区間では床下機器が発熱して夏場は冷房の効きが悪いと言う…。ただその冷房のおかげでこの千代田線よりはマシだったかと。今は界磁化されたので発熱は収まった模様。
電車が焦げるぅ!?一度は乗ってみたかったなぁ…
乗ったら乗ったで、夏場は地獄なんでしょうけど……1度は体感してみたかったと私も思いますw
小田急の直通車9000形には常磐無線を取付ける台座が準備されていましたという事は必然的に国鉄103系1000番台の小田急乗入れも検討はされたのでしょうが当時小田急がこれを嫌がったのでは?という憶測が流れたものです
複々線化前だった当時 並行ダイヤでノロノロ運転になる程 線路が電車でいっぱいだった朝のラッシュ時に乗り入れたら 変電所がパンクしたかも。実際に乗り入れたら 利用客から「2400形を超える 超ヒーター車」と言われたかもしれませんね。因みに営団6000系の1〜3次車は 側窓や戸窓が小さく戸袋窓もなく 採光部が少ない事から 小田急ユーザーから『監獄電車』と呼ばれていました。
まぁ冷房積んでる小田急9000形が乗客にとっては当たり車両ですね…乗客にとっては…
でも昭和63年(88年)迄は トンネル内では冷房を切っていました。
@@toriri-service確かトンネルの温度を上げたくないとかで営団が渋ってたんですよね。だからトンネル内に冷房をつけるという行為を行なってたわけですが…
トンネル冷房推進時代、9000の冷房も代々木上原を境に止められた……という話もありますね💦
@@tourin_205そうそううちの父がなんで代々木上原で冷房を切るんだよといつも営団に対してキレていたそうですし…なんてったて小田急は当時としては冷房付きの車両が多かったですし…
@@toriri-service様 88年というと,既に1000形が登場し,2年後には完全に千代田線を追われるというところ... 特殊なブレーキ機構が注目される裏で,ちょっぴり哀しいエピソ-ドですね。
まだまだネタが尽きないとは…103系1000番代恐るべし😅8М2Tで回生ブレーキ付いてないってそりゃあ電気代も馬鹿にならないだろうに…なんか興味出てきたので次のネタも楽しみにしています😊
1000番台・301系をはじめ、第一世代の国鉄型地下直射、どれも非常に面白い要素を抱えているんですよね。興味を持って頂いたようで、嬉しいです!
これが本当の、「電子レンジ」
さすがレジェンド103系
当時、営団6000系の車両使用料は、国鉄103系1000番台のそれよりも単価が高くなっていた、と聞いたことがありますが、電気代を上乗せするためだったんですね。
103系1000番台、顔が個人的に好きな形だからNゲージも買っちゃった
TOMIXのHGですかね?色々バリ展されてて驚いた覚えがありますw(三鷹転属後の黄帯1000をピンポイントでやるとは……)
103-1000→105-500に改造されても6年前の3月まで走ってたの化け物やなぁ
1000番台塗装がなんとなくいいんだけな。
塗装はカッコイイですよね、私もエメグリ1色、地下鉄直通塗装、どちらも大変好みです。
面白い
17:34 こんなやつおったんかw流石国鉄の骨董品代表なだけあるわ
この車両のお話は、来週しますのでお楽しみに!
千代田線が代々木上原まで延伸開業初日に行ったけど、営団6000系と小田急9000系と並んだ国鉄103-1000がデザインも性能も貧相で哀しさすら感じたな...
こんばんは、今回は今まで以上にはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ??なエピソードでした。昔は非冷房が当たり前でしたが、窓を開けても地獄・・・・当時のサラリーマンだった皆さん、ご苦労様でした。千代田線を追い出されて105系になった車両はハッピーエンドな感じですね。残りの車両は快速線ですか・・・元地下鉄仕様だった103系が常磐快速線を8M2Tで・・・・103系の低速ギアのままでは少し無意味では・・・・・。
んで、この熱気が構内やトンネルに籠もったままなんですよ。窓を開けても熱風しか入ってこないから、当時駅の冷房化を進めていた営団がトンネル部分まで冷房化して少しでも涼しくしようと頑張ってくれていたように憶えています。
21:21 第陸話では?
ホンマですね……前回に引き続きミスってます、すみません!
30年位前に成田線で乗った事ある。元々有った車両に比べて貫通ドアがあって「面白いデザインだなぁ」位の印象。
103系って本来山手線を始めとした駅間距離の短い線区に適してるんですよね明らかに常磐快速線の相性が良くないような...
1000番台を、他の路線に転属させる話は無きにしも非ずだったようですが、CS40の面倒を見れる区所が、松戸か三鷹のみだったらしく……快速線に転用し、押し出した車両を武蔵野線の101-1000置き換えに回す、という流れだったかと思います……。
103-1000って何度聞いてもおもろいんよな
営団6000系がいかに優れた車両なのかがわかる動画であった…
抵抗器の香ばしい匂いがして美味しいんですよこれが(?)
食べたら飛ぶぞォ!(あの世に)
最終的には正に適材適所 … と思ったらっ。とんでもない落ちが待っていた!?
毎日焦熱地獄はザ・ニンジャの先輩ですな。
しかし、203系に置き換えられたら、今度は営団側の冷房問題が起きましたね。夏場、常磐緩行線を冷房で快適な通勤をしていた乗客は、綾瀬到着後、冷房車なのにスイッチが切られ、乗客は窓を開けるという状況に陥った。
もう聞きたくない・・・勘弁してくれ・・・聞いているこっちまで暑くて暑くて汗かきまくりやわ。ちなみにかの日本No2の大都市の大阪。その中の天下の御堂筋線ではナント1993年頃?まで非冷房車が走ってました!!「大阪市交30系」でググってみて下さい。当時僕は塾通いの小学生でしたが、あの灼熱地獄・・・今でも忘れられません。
灼熱地獄千代田線直通車…!?(常磐線では乗ったかも知れませんが、千代田線では乗った記憶無いです。うろ覚えでしかないですのではっきりとした事は言えないですが…。今で言う所の、真夏には、「猛暑」の様な状態が地下で連日繰り返されていたんですね。まさに地獄絵図ですか…)。
国鉄(日本国有鉄板焼店)が誇る香ばしいメニューです。
なるほど、国鉄の鉄は「鉄板焼」の鉄と……w
国営事業の鉄板焼き、なんかすごいメニュー出てきそうですねw
ホントにそういう匂いがしてましたよ。
なんだか樹脂が焦げるような。
中央・総武緩行線店と常磐緩行線店があるのですね。
それぞれ千代田線と東西線に出張販売をやっていたという、なかなかのサービス展開
ま ず そ う
編集お疲れ様でした。常磐快速線を走る103系の動画をどこかで見て、当時は固定10両編成に限り快速線と緩行線共通運用かと思って動画を見たら納得しました。関西に転属させられるのは民営化する前だからこそなのかもしれませんよね。今回もありがとうございました。
301系を増備する予算がないから 仕様変更した103系で間に合わせた。
105系を増備する予算がないから その103系を改造した4扉車で間に合わせた。
この車両には常に『予算がないから』というワードがついて回ったと思います。
105系改造の話がなければ 老朽化した武蔵野線101系1000番台の置き換え第一候補でもありました。
ドアが閉まる時 0番台のような『シッ!』という応荷重装置のセンサーが引っ込むエア音がしなかった事 ブレーキ緩解時の音も0番台のような『フコ〜』ではなく『ピシュゥ〜』という高い音だったのも特徴でした。
安物買いの銭失い……とは言い過ぎかもしれませんが、元々が資金不足で生まれた列車。電気代も含め、お金の事情に振り回されるのは運命なのでしょうかね……。
@@tourin_205 さま
ごめん。またいただいた♥が消えちゃいました🙇💦
しかし次回 大事な部品を付けるのを忘れた話とか 流石よくリサーチしてますね☺️
@@toriri-service ありがとうございます(*^^*)
一応公式な文献から、噂程度のツイートまで色々見てます……w
もう乗れない車両なので、できるだけ当時を感じることが出来ればなぁ、と思って調査していたら、色々小ネタの知識がつきましたw
301系は営団5000系アルミ車と構体の設計が共通だったりして試作的な要素が強い車両だったのでしょう。1000/1200番台は主制御器もバーニア制御で一般形と別物でしたね(その割には発車時の衝動が半端でなかった)。
・人間焼肉
・走る鉄板
・走るサウナ
・ファラリスの雄牛
すげぇあだ名ばっかりやな
ファラリスの雄牛は初めて聞きましたよw
マジで笑いましたw
マジでファラリスの雄牛やんけ…
これらの七難を経て生まれたのがIGBT-VVVFインバータ制御6M4T、TIMS、開閉可能窓かつ冷房装備のE233系2000番台だったってワケですね。やっぱりE233系はどの路線・番台も乗り心地いいし、故障も少なくて安心ですね😢
E233系は、汎用性を保ちつつ様々な路線の状況に対応する……現代の技術力の高さを感じる車両になっていますね……!
奈良線の大和高田から王寺まで、この元103系1000番台こと105系1000番台車に乗りました。ワンマン化改造で運転台後ろに料金箱が設置されており、ふと扉の上の路線図を見ると、転属前の首都圏路線図がそのまま貼ってあって驚いた事があります。
転属前の路線図がそのまま……それは驚きますね!オタク的には「その車両の歴史を感じられる」ので、そういうの大好きです笑
鉄オタ「この車両, なんか匂う(迷要素の香り)」
乗客「この車両, なんか臭う(物理的に焦げ臭い)」
ホントにそういう焦げ臭い匂いがしてました。
ノッチオフでLBが『スコン!』というと同時に 青白い火花がトンネル内に飛んでました。
迷要素の匂いって、どんな匂いなんやろう(ソウイウコトジャナイ)……なんてw
当時は焦げ臭いのが常態化していたから、まだ良かったものの、現代でそんな匂いがすれば即非常停止モンですね💦
東武8000系のレジン匂とはまた違うのかな…
@@にーに-v9f レジン臭は回生失効常習者の営団6000系。
12:59 懐かしき「僕アルバイトオオオオオ」
想像を絶する事態に、想像を絶しました
203系登場にも繋がったのですねえ
想像を絶するということは、想像をはるかに超えていたということです。www
このおかけで常磐快速線103系の15両編成で貫通扉+非貫通という編成が誕生した。
懐かしい。
常磐線快速の103系には3パターンありましたね😅
非貫通の生え抜き0番台、千代田線からの1000番台、そして転属組1200番台……カオスやなぁ……と思いますw
1000番代をムゲに扱えなかった
使い倒しを選択
103系1000番台千代田線のホームに到着するとホームと車両の隙間からゆらゆら陽炎が湧き立ち、その暑さはまるでロウリュウのサウナみたいな暑さだったなぁ。アラフィフ世代懐かしい思い出に浸らせて頂きましたwww
編集お疲れ様でした!
すごく完成度が高い動画で物凄く勉強になりました!
次回も楽しみにしています。編集頑張って下さい😊
ありがとうございます!励みになりますm(_ _)m
快速線転用後、組成によっては12M3Tになることがあるから「力行回路だけ」切ってた付属編成とかいましたね...
6ユニット……w
どう考えても運転台のユニット表示灯が足りないですねw(表示灯、多くても5ユニット分だったはずなんですよね、確か……)
15:00 もはや恒例のwindows起動音
「鉄板」ネタになってきておりますw
@@tourin_205 まさに103系のあれにも繋がる……🤔
動画のアップありがとうございます😀
このようなトラブルがあったとは知らず、幼少の頃千代田線に乗る機会が何度かあり、当車両のカラーリング、グレーにエメラルドグリーンが格好良く見えて、これが来るのが嬉しかった記憶があります😅
最後のやつは私も初めて知りました…
結局、最後まで営団は103系に振り回される羽目になる形になっちゃいましたね。
東西線系統も、千代田線系統も振り回されっぱなしですw
迷惑乗入れ、電気バカ食い、変な仕様の車両ぶっ込み……営団が可哀想になってきますw
当時、短い距離でしたが千代田線を利用していました。前面に通過扉(非常用)をもった国鉄103系がくると騒音も大きく、乗りごちも(コイルバネ:営団の車両は空気バネ)悪かった。地下内では最高速度75㎞/h出していたと思う。加速は確かに良かったが・・・
ただし、電車が到着するとホームと車両の「間」から「モワー」とした熱気が・・・ その後、203系になったが。
・・・懐かしい思い出です。
根津〜町屋にかけての二段単線トンネル区間は線形がよく、ATC信号も75km/h現示だったという話を聞きます。
あの区間をフルノッチで加速し、75km/hから減速し……そんなことを繰り返していたら、やはり床が焦げるというのも容易に想像できますね💦
@@tourin_205 そもそも、地下鉄に103系と投入すること自体が国鉄の断末魔だったのかと思います。でもあの爆走ぶりは今の上品で軽量、ハイテクな地下鉄車両では経験できませんけれどネ!
乗客A「車内でお好み焼き作ってみた」
乗客B「BBQしてみた」
103系「自分焼いてみた」
ホームの客「あぢぃ~🫠やってきた電車マグマ並にまっかっか。溶鉱炉かここは😧」
地下鉄といえば徐々に音が近づいて、ひんやりとした風も徐々に強まってきますが、こいつがきたら誰もが「あっ(察し)」になったのが容易に想像つくww
かつて私の地元にも元こいつらの105系がいましたが随所に地下鉄時代の装備跡や、塗装に国鉄マーク跡がうっすら見えるやつもいました
車掌「車内でのお料理は、他のお客様のご迷惑にもなりますので御遠慮下さい🙇♀️」
国鉄マークが浮き出ていた……地下鉄時代を感じれるというのも、転属車の良い所ですね。
国鉄の103系もそうだけど 実は小田急9000も営団より電気食っていて差額を営団に払う事をしていたらしい
どれだけ6000系が省エネ車だったか、よくわかるエピソードですよねぇ、それ。
安価な界磁チョッパ制御と高価な電機子チョッパ制御の違いですね、やっぱり営団はすごい!
同じチョッパでも車体素材がね
因みに103系1000番台は『鉄板焼き電車』
小田急9000形は『ガイコツ電車』
営団6000系の窓の小さい1〜3次車は 小田急ユーザーから『監獄電車』と呼ばれ 千代田線走行車両は皆 何らかのあだ名が付いてましたね。
それでも、小田急9000形は、チョッパであるだけ103系よりはマシだった。
71-000はガチで相鉄直通の可能性を考えてる。
70-000は拡幅車体、最高速度、ドア位置と違いが多すぎて乗り入れ出来ないのはわかるが、新型車両で全て解消されると予想。
この縛りのせいで相鉄直通開始以降埼京線内は70-000だらけになった‥‥。
日中の新宿の系統分離も無くならないかなぁと思ってます。新宿〜渋谷が山手線の乗り換えの遠さもあって割と不便。
少なくとも平日朝の上り列車に拡幅車体のE233系しか入れない縛りが解消されて朝ラッシュにりんかい車が見れるようになるのは確実だと思います。
って、コメントする動画を間違えた気がす
105系になってここ最近まで残ってたのがすごい
あれだけ地下鉄で酷使されたにもかかわらず、よく残りましたよねぇ。
関東残留組よりも20年近く長生きしたことになるね。
関西民にとっては馴染みのある105系の元をたどるとこんな迷車だったとは......
東西線の301系、103-1200と千代田線の103をまとめてトレードするという方法はなかったんですかね....
個人的にクリーム色に赤帯の塗装が懐かしい.....
恐らく、東西線の301・103を千代田線に持っていっても、結局メカニズム同じなので焦げるだけになるので、もう新車を入れることにしたのでしょう……。
@@tourin_205
結局は、おそらく国鉄側が千代田線の構造を軽視した結果
こうなったんですかね…
因みに105系転属改造後も妻面に営団用誘導無線アンテナが残っていたそうです。
他のコメントにありましたが、車内の首都圏路線図も車両によっては残っていたようで……地下鉄時代を感じられる、貴重な証ですね!
103系1000番台は、利用者が音で判別できたという伝説がありますね。あと北千住・綾瀬間は国鉄線の扱いでしたで運賃計算されるはずでしたが、実際には営団の自販機での発券となっていました(料金を営団に合わせるため?)(今も運賃計算の特例区間)
この区間が舞台にになる某ラノベは表現をあいまいにしていましたね・・。
これで九州向け1500番台を新規製造したのだから、鬼畜の所業と思います。
補足しますと 綾瀬以北から北千住(或いは北千住以南の国鉄線)迄を乗った場合 同区間が国鉄線の扱いとなっていました。
綾瀬-北千住間のみの利用は 路線の戸籍から営団扱いとなりますが 同区間は国鉄・営団を比べて安い方の運賃を採用していました。
これらの扱いは JR・メトロとなった現在でも続いています。
当時の千代田線は MT55の爆音と『ピシュ〜ピシュ〜!』と喧しいブレーキ音が103系。
『シュワッシュ!』というブレーキ音と『ミイィィィ〜ン』というチョッパ音が6000系。
『ウミョオオオオォ〜ン』というAR2ロータリーコンプレッサーの回転音が轟くのが5000系と 確かに各系列 音にも個性がありました。
尚 九州の1500番台は 顔は105系 性能は103系 内装は201系という電車ですね。
綾瀬駅は千代田線開通まで国鉄駅でしたが、開通後、営団管理になった経緯もあって運賃特例が続いています。
ちなみに、半蔵門線の渋谷駅は東急→営団→東急の管理で、副都心線は東横線開通前から東急管理のままです。
ミツK8編成『僕は快速線に転属したけど東西線の車両不足により冷房化改造の後に東西線に転属してそのまま余生を過ごしたよ』
そのお話は……次回しまっせ!おたのしみに!
@@tourin_205 楽しみダァ
次回が楽しみな内容だなぁ
地下直顔の105系クハは可部線に来たのがJR化後で
広島地区最後の4ドア通勤型として長らく走ってたのがやっぱり印象に残ってて好きですね
模型も持ってますし
しれっと103系1200番台がエメラルドグリーンに塗られて常磐線走った事例もあるから
あの辺めちゃくちゃですよねぇ
ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます🙇♂️
これからも面白い動画、お届けできるように励みます!
103系1000番代の地下直塗装、自分は好きですけど、当時の乗客は「うわっ、今日も蒸し風呂か...」ってなっていたんですかね...
105系になった車両に広島と宇部で乗ったことありますが、多分、地方に転属してからのほうが、幸せな車生を送る事ができていたんでしょうね...
私も見る分は好きですが、この非冷房灼熱地獄に毎日乗って通勤しろと言われたら……1本見送りますw
地方に左遷されてからの時代の方が、結果的に長くなっていましたからね。運命とは分からぬものです。
床下から漏れてくる超多段制御のせわしい動作音は楽しかった。特に停止直前には鬼のような進段速度だったw
こいつに高校3年間お世話になりました、降りる時にホームとの隙間から猛烈な熱気を感じるんですよね。
電車とホームの間は、広く空いております。隙間から立ちのぼる熱気にご注意ください(?)と言うやつですね(?????)
熱烈歓迎「ようこそ千葉県へ」
同感です
私も学生の時、良く乗っていましたが、駅に着くたびホームと車両の間からの強烈な熱気と騒音と乗り心地の悪さに閉口していました。
6000系とは雲泥の差でしたね。
103系はひゃくさんけいと言ってもらったほうが、古い年代にはしっくりきますね。
いくら優秀な人でも専門外の部署に配置されればポンコツ化してしまいますが、通勤電車として優秀な103系も専門外の地下鉄には対応できなかったんですね。
部署(路線)が変われば大活躍(?)できた訳ですから、「適材適所」の大切さを改めて感じました。
本当に「適材適所」という言葉がピッタリですね。ちなみに、CS40は松戸・三鷹でしか手に負えなかったようで、これも「専門」の匠が必要だったのでしょうか……。
これが、105系改造車を除き、他線区へ1000番台が転出しなかった原因、と言われてましたね……。
103系1000番台、103系1200番台、301系といえば、地下鉄乗り入れ車という意味では、まさに武蔵野線が最適路線でしたが(難燃車体でM車比率が高く、先頭車に貫通扉があること)、いかんせん、地下鉄用の特殊な制御器に豊田電車区が対応できなくて、203系投入後、常磐線快速に1000番台を回し、ノーマルの103系を武蔵野線に回すという二度手間を招きました。
ちなみに、1000番台は多くの車両が電化開業のため、西日本各線に105系改造の素としてバラまかれることになりますが、こちらは電化開業という0からのスタートとなるため、かえって受け入れられやすかったのかもしれないですね。
@@かわかみたかし-y9u 105系500番台化改造の時に、CS40はボッシュートされて1M制御用の安物CS51に載せ替えていたような。
最後のやらかしについて一言。
エメグリ一色塗装車の営団直通は、中間のモハ車は地下鉄直通色で、両端のクハ車だけエメグリ一色塗り。
当時の国鉄、この編成で、快速、地下鉄直通の共通運用を狙っていたらしい。
共通運用狙ってたんですか……!?その話は初めて聞きました……何をどう考えたら、そんな発想に至るのかw
@@tourin_205 さん
RM MODELS134号に元常磐線の乗務員が記事載せているから間違いないでしょう。
ちなみにこの134号は、「モデルネタ無尽蔵!103系」ってタイトルの鉄道模型雑誌です。
常磐線ユーザーなので懐かしい…
快速線に転用された子たちは回復運転時はとんでもない爆音を立てながら爆走してましたよ。他の路線とは明らかに音と速度が恐ろしいほど違っていて好きだった。
103系は逆に東西線には相性が良く、2003年まで使用されたかと思います。
配信間に合わなかったーーー!!!(泣)
某豆腐でも鉄板焼き電車取り上げられてたけど路線の特徴に合わせることは重要ですね…(かと言って合わせれば良いわけじゃ無いけど)
いつも投稿時間のお知らせが直前ですみません💦
路線特性に合わせた車両作り、というのは重要なことではありますが、汎用性と言うのも大切なわけで……そこが難しいところですよね。
301系を増備出来なくて安定の103系……を送った結果が散々な事になってしまいましたね。
改めてこの電車の何がヤバかったのかの解説が分かりやすくて良かったです👏🏻👏🏻👏🏻
しかもエメラルドグリーン1色になってからもわずか2日間、地下鉄直通に返り咲き……営団から怒られるのはそうですよね(ネットで検索してもさすがに画像は出ませんでした、雑誌で目撃した記事があれば見てみたいです)。
東武9101Fの直通復帰も車両不足が重なって緊急登板でしたが、既にホームドアが付いていた小竹向原駅はホームドア分離で対応させたとはいえ、当時はメトロ7000系・西武6000系の副都心線対応改造未了だった事が幸いしての直通でした(とはいえメトロから怒られて、数年後には東武側の車両不足でとうとう「運休」を出す事態になってしまいますが)。
そして1000番台が地上に追い出されてから、まさかの地下鉄直通返り咲きとその後……は次回のお楽しみという事で、1200番台の内容も楽しみにしています。
確か2005年辺りの鉄道ファンで、103系特集の中に画像出てたと思います
9101fの無理やり乗り入れは、よくよく考えるととんでも無い事態ですよねw
あの運休事件も、東上線の車両の不足っぷりが如実に現れた出来事でしたね.......。
1200番台、そして1000番台のその後も色々ととんでも無いことになっているので.....是非是非お楽しみにして頂ければと思います!
高校生時代、西日暮里から日比谷まで乗りました。とにかく床下からの熱気が凄まじいく、乗ったら乗ったで床から異様な熱気を感じ、床下も変色してました。当時は冷房は無く(小田急9000は冷房をオフ)、更に窓が開かない。とにかく地獄でした。
常磐線ユーザーとして、JR車とメトロ車のVVVFの技術がMT比に現れてて面白いです
技術の進歩というものを感じますね……。
初コメ失礼します。リクエストでエイダン編が終わったら迷鉄編(名鉄)とかをやって欲しいです!
数年前アドベンチャーワールドに行こうとしたら紀伊田辺で最後の1000番台顔だったSW009を見つけたので、乗る予定だったくろしおの特急券を無駄にしてそっちに乗ってしまいました。
しかも帰る時今度は両側改造先頭車のSW004が来たのが良い思い出です。
特急券捨てても、乗る価値はありますね(^_^;)
行きも帰りも当たるなんて、羨ましい限りです✨
営団地下鉄6000系は40年以上、走っていました。子どもの頃は103系の緩行線、快速列車ともに使っていましたが……
103系に地下鉄直通用の車両があるのは知ってましたがまさか珍車だったとは驚きでした!
ここからこの車両、どんどん泥沼化していくんですよね……お楽しみにw
楽しみにしてますw😂
その後常磐快速に渡った103系
12M3Tという電気爆食い編成を組むことになる...
※実は1ユニットカットしていたらしいけど
因みに床が焦げた103系はネットに写真がいくつかありますね
6ユニットになると、恐らく運転台のユニット表示灯が足りない(確か最大5ユニット分)だったので、恐らくカットされてたんでしょうね……12Mって、銀1000じゃないんだから💦
ちなみに103系1000番台(及び1200番台)に搭載された制御器CS40もかなりのくせ者ですよね。
同じ103系なのに乗務員訓練の再講習が必要だから結局松戸と三鷹に封じ込め……。
そういえばその試作車が山手線にいたような気がするのですが(910)。
203系共々、小田急と直通運転してる姿を見てみたかったなぁ
一昔前の千代田線系統の直通、車種が結構多彩&レア車の嵐で色々楽しそうですよねw
17:50 「ハッピーエンドでおわらない」ではなく「ハッピーエンドでおわならい」になっちゃってます
ホンマですね、すみません!(よく気付きましたね、今聞いてみると違和感マシマシですがチェックで見逃してましたw)
千代田線に直通運転していた1000番台を含め103系電車は全て電力消費が多かったなと想像が私はついていました。
今武蔵野線に移り走っている209系500番台の車内のステッカーを見た所、209系の消費電力が従来の103系の47%だと書かれていた事を知り得て漸く納得がいった次第です。
2024.10.12
SNSで焼けて床が黒くなってしまった画像が出ていたのを最近見ましたけど、想像以上に酷かったです…
これが何も知らなければ「床が色変わってんなぁ…」で済みますが、焦げてると大々的に知られたら、現代なら恐ろしくて一般利用客からクレームきそうw
12:56 僕アルバイトォォォォォ‼︎で吹いたw
16:15 今後数十年どころか令和まで活躍しましたとさ
今となっては混雑率ワーストの可部線はこの車両のままでよかったのではと思う
当時、千代田線に乗って国鉄車がきてしまった時は、主抵抗器のあるモハ103を避けてモハ102の方に乗ってました。モハ103は誇張なく鉄板焼きで、靴底の材質によってはベタベタしてくるものでした。
あの頃の千代田線は103系を避けるために営団6000に集中したという話は聞いたことがありますね
12:50 進次郎構文で草
製作中にビビッときて、ネタを突っ込みましたw
良いじゃない、鉄板焼き。
秋の味覚だ(錯乱
自分自身がこんがり炙られて秋の味覚になってしまうw
国鉄も東武の9000と同じようなことしてたんやなぁ…
プレミア公開の最初のやつ設定で変えられますよ
プレミア公開のカウントダウンの設定、次から変えてみます!ありがとうございます🙇♂️
7:51 なんか好きやわ
電車が入場する際のあの焦げ臭いにおい好きだったなあ
乗客=お好み焼きか焼売なのは気のせい?
当時の熱気を体感することはもう出来ませんが、「本当に調理されてる」レベルの暑さだったんだろうな……とは容易に想像できますw
ニシーツヌに乗務したさい乗り心地が悪くモハ車は、床下から熱風がありましたね。
地上区間でも熱気を感じるほどだったんですねw
地下区間、非冷房となったらもう恐ろしいw
「年中暖房車♪」
弱冷房車、のようなノリでとんでもないことを言っているw
@@tourin_205 さん
実際、冬は暖かくて良い電車でした。
エメグリ1色の103系が千代田線走っていたのは以外…。
編成全部がエメグリという訳ではなく、一部車両のみだったようですが、それでも両先頭車は確実にエメグリだったはずです。利用者はギョッとしたでしょうね笑
逆に快速用ながら、全車が地下鉄グレーという1000番台もありました(もちろん塗り変えが間に合わなかったため)。
クハだけエメグリにして緩行と快速で共用しようとしたけど2日で営団から苦情が来て緩行用と快速用に分けられたってRMMODELS134号にありますね。ちなみに車号はクハ1025、1026だそうです。
その本に写真も出ています。
まるで50050系みたいなトラブルを起こしまくっていましたな、103系1000番台。でも50050の方がかなりよっぽどマシですが…
50050、やはり田園都市線内での無理が祟っているのでしょう、50070はあまり故障の話を聞きませんし……。
@tourin_205 そうですね。そもそも50000系列自体元々東上線専用車のつもりで設計して導入する予定でした。よって駅間の長い区間が多い路線用の性能のまま無理矢理駅間の距離が短すぎる区間が多い田園都市線各停にも運用しているような感じなのでそれが主な原因でしょうね。
@@ヨクンヨクン
逆に東急8500は、駅間距離の短い田園都市線向けのため、駅間距離が長く、優等列車で高速で飛ばす東武ではとてつもない轟音を撒き散らすこととなります。
まあ、8500の設計当時、高速で飛ばすなんて想定もしていなかったから無理もないですが、これが、ある層にとってはドツボにハマることになるんですよね。
営団が国鉄にブチギレた様に東急が東武に現在進行形でブチギレ続けてる…
俺の親父、鉄なんだけど。ちょうど103系1000番台地下直運用があったとき学生で、確かに当時は嫌な車両だったけど、今となっては思い出だなって言ってた。
やはり当時を知る方からしても、印象深い車両ですよね……。
小中高大を北柏近辺で過ごした鉄オタとしては忘れられない車両です203系の登場が高校3年でした。103-1000が短命だったとは感じなかったですが、子供の目には当たり前すぎて空気のような車両でした。時々目撃する5000系は地味だけど珍しかった。これまた当たり前のように見ていたEF80とともに心のふるさとのような車両です
103系1000番台も半分以上で綾瀬ー我孫子間の地上を走っていましたよ、千代田線ないはアップダウン区間が多い事と駅にエアコンは付いていたが性能が悪くトンネル内の空調も弱々しかった為に地下内の空気が外に逃がすことが出来ずにトンネル無いに熱がこもって、次から次へと電車が来るから抵抗器も冷えなくなるのと非冷房も重なって車内も冷えずに床がフライパン状態になってしまったんです、駅にエアコン、冷房車で作られていたら多少は長持ちしたと思います
10:00 窓のストッパーはがどのあたりまでかはわからないですが和歌山線105系転用後はなくなってたっぽいですね。とはいえ末期105は上段下段窓は下段窓が1/2で止まってしまい全開にはできませんでした。しかし末期関西地区103シリーズでも原型に近い窓・側面は貴重でした。和歌山線でも面白い車でしたね
小さい頃松戸から都内のばあちゃんちに行くのによく乗りましたが、地下は本当に灼熱地獄&爆音地獄でした。
とはいえ203が導入されてもしばらくは綾瀬で冷房オフされてたので、暑い&窓開けるからうるさいで103と大差ありませんでしたが…。
7:23 もし鉄板焼きを避けるために強制痛風式を採用していたら、爆音電車待ったなしですね
MT比が高い上に密閉された地下鉄なので、その被害は他の爆音電車など目じゃないでしょう
日根野の105系は良い車両やったな。
14:47まさかのナイアガラ行きw
ナイアガラ……臨時列車ですねw
関西の105、関東時代を感じられてさぞ乗ったら楽しかったのでしょう。
ああああああああ風呂はいってたらまた見そびれたあああああああ
毎度毎度、公開時刻のお知らせが直前でごめんなさい🙏
@@tourin_205 いえいえ、風呂はいるのが遅い僕が悪いですから…
103系自体がそもそも高加減速を頻繁に使用する線区に向いてないんですよね()
現代においては、高加減速だろうが高速運転だろうがVVVFの大出力で解決できますが、当時はそうもいかなかったはず。地下鉄専用の床下機器を設計するほどのお金すらなかったのか……
ちなみにソ連では1970年代から2000年代まで(もっと長い間作ってるかも)81-717形を製造していたので、日本で表現すると無茶苦茶カオスなことになりますよ
203系って 空☆転☆大☆魔☆王 って変なあだ名あったような…
マジっすかw そんなに空転してた覚えは無いのですが……そこまで私も203の乗車経験が無いので分かりません💦
私も乗ったこと無いですが、ニコ動のコメにあったので💦
車体色灰色は、絶対ステンレスやアルミ車を意識しているんだろうね。山陽のにせアルミカーみたいだな。S60頃までは、灰色のまま地上線で働いてた車両もあった記憶が。末期の常磐線快速運用では貫通顔、低運転台、高運転台三種の顔が拝めたが、一番カッコ良かったのは1000番台だったね😊
爆音、爆熱
12:48 総理になりかけた人が見えた希ガス…
総理になりかけたという事は、総理になったと言うことではありません。
似たような車両として名鉄(迷鉄?)100系が上げられるだろう。鶴舞線開業の少し前から走り始めたが地下区間では床下機器が発熱して夏場は冷房の効きが悪いと言う…。ただその冷房のおかげでこの千代田線よりはマシだったかと。今は界磁化されたので発熱は収まった模様。
電車が焦げるぅ!?
一度は乗ってみたかったなぁ…
乗ったら乗ったで、夏場は地獄なんでしょうけど……1度は体感してみたかったと私も思いますw
小田急の直通車9000形には常磐無線を取付ける台座が準備されていました
という事は必然的に国鉄103系1000番台の小田急乗入れも検討はされたのでしょうが
当時小田急がこれを嫌がったのでは?という憶測が流れたものです
複々線化前だった当時 並行ダイヤでノロノロ運転になる程 線路が電車でいっぱいだった朝のラッシュ時に乗り入れたら 変電所がパンクしたかも。
実際に乗り入れたら 利用客から「2400形を超える 超ヒーター車」と言われたかもしれませんね。
因みに営団6000系の1〜3次車は 側窓や戸窓が小さく戸袋窓もなく 採光部が少ない事から 小田急ユーザーから『監獄電車』と呼ばれていました。
まぁ冷房積んでる小田急9000形が乗客にとっては当たり車両ですね…乗客にとっては…
でも昭和63年(88年)迄は トンネル内では冷房を切っていました。
@@toriri-service
確かトンネルの温度を上げたくないとかで営団が渋ってたんですよね。だからトンネル内に冷房をつけるという行為を行なってたわけですが…
トンネル冷房推進時代、9000の冷房も代々木上原を境に止められた……という話もありますね💦
@@tourin_205そうそううちの父がなんで代々木上原で冷房を切るんだよといつも営団に対してキレていたそうですし…なんてったて小田急は当時としては冷房付きの車両が多かったですし…
@@toriri-service様 88年というと,既に1000形が
登場し,2年後には完全に千代田線を追われるという
ところ... 特殊なブレーキ機構が注目される裏で,
ちょっぴり哀しいエピソ-ドですね。
まだまだネタが尽きないとは…
103系1000番代恐るべし😅
8М2Tで回生ブレーキ付いてないってそりゃあ電気代も馬鹿にならないだろうに…
なんか興味出てきたので次のネタも楽しみにしています😊
1000番台・301系をはじめ、第一世代の国鉄型地下直射、どれも非常に面白い要素を抱えているんですよね。興味を持って頂いたようで、嬉しいです!
これが本当の、「電子レンジ」
さすがレジェンド103系
当時、営団6000系の車両使用料は、国鉄103系1000番台のそれよりも単価が高くなっていた、と聞いたことがありますが、電気代を上乗せするためだったんですね。
103系1000番台、顔が個人的に好きな形だからNゲージも買っちゃった
TOMIXのHGですかね?色々バリ展されてて驚いた覚えがありますw(三鷹転属後の黄帯1000をピンポイントでやるとは……)
103-1000→105-500に改造されても6年前の3月まで走ってたの化け物やなぁ
1000番台塗装がなんとなくいいんだけな。
塗装はカッコイイですよね、私もエメグリ1色、地下鉄直通塗装、どちらも大変好みです。
面白い
17:34 こんなやつおったんかw流石国鉄の骨董品代表なだけあるわ
この車両のお話は、来週しますのでお楽しみに!
千代田線が代々木上原まで延伸開業初日に行ったけど、営団6000系と小田急9000系と並んだ国鉄103-1000がデザインも性能も貧相で哀しさすら感じたな...
こんばんは、今回は今まで以上に
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ??なエピソードでした。
昔は非冷房が当たり前でしたが、窓を開けても地獄・・・・
当時のサラリーマンだった皆さん、ご苦労様でした。
千代田線を追い出されて105系になった車両はハッピーエンドな感じですね。
残りの車両は快速線ですか・・・元地下鉄仕様だった103系が常磐快速線を8M2Tで・・・・
103系の低速ギアのままでは少し無意味では・・・・・。
んで、この熱気が構内やトンネルに籠もったままなんですよ。窓を開けても熱風しか入ってこないから、当時駅の冷房化を進めていた営団がトンネル部分まで冷房化して少しでも涼しくしようと頑張ってくれていたように憶えています。
21:21 第陸話では?
ホンマですね……前回に引き続きミスってます、すみません!
30年位前に成田線で乗った事ある。
元々有った車両に比べて貫通ドアがあって「面白いデザインだなぁ」位の印象。
103系って本来山手線を始めとした駅間距離の短い線区に適してるんですよね
明らかに常磐快速線の相性が良くないような...
1000番台を、他の路線に転属させる話は無きにしも非ずだったようですが、CS40の面倒を見れる区所が、松戸か三鷹のみだったらしく……快速線に転用し、押し出した車両を武蔵野線の101-1000置き換えに回す、という流れだったかと思います……。
103-1000って何度聞いてもおもろいんよな
営団6000系がいかに優れた車両なのかがわかる動画であった…
抵抗器の香ばしい匂いがして美味しいんですよこれが(?)
食べたら飛ぶぞォ!(あの世に)
最終的には正に適材適所 … と思ったらっ。
とんでもない落ちが待っていた!?
毎日焦熱地獄はザ・ニンジャの先輩ですな。
しかし、203系に置き換えられたら、今度は営団側の冷房問題が起きましたね。
夏場、常磐緩行線を冷房で快適な通勤をしていた乗客は、綾瀬到着後、冷房車なのにスイッチが切られ、乗客は窓を開けるという
状況に陥った。
もう聞きたくない・・・勘弁してくれ・・・聞いているこっちまで暑くて暑くて汗かきまくりやわ。ちなみにかの日本No2の大都市の大阪。その中の天下の御堂筋線ではナント1993年頃?まで非冷房車が走ってました!!「大阪市交30系」でググってみて下さい。当時僕は塾通いの小学生でしたが、あの灼熱地獄・・・今でも忘れられません。
灼熱地獄千代田線直通車…!?(常磐線では乗ったかも知れませんが、千代田線では乗った記憶無いです。うろ覚えでしかないですのではっきりとした事は言えないですが…。今で言う所の、真夏には、「猛暑」の様な状態が地下で連日繰り返されていたんですね。まさに地獄絵図ですか…)。