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【ゆっくり解説】 爆増と激減 人口の中国古代史 あと飢饉 人口の中国史① 【殷 周 春秋戦国 秦 前漢 新 後漢 三国 晋】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 9 ก.ย. 2023
- 古代中国のダイナミックな人口の変遷を、飢饉に注目しつつ語っていきます。
※隋の609年(大業5年)の人口統計は戸数8,907,546 口数46,019,956人 戸数約900万 口数約4600万
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第二次世界大戦のときでも世界の人口はほとんど減らなかったはずなので、歴史を通じた飢饉や疫病の影響がいかに凄まじかったかがわかりますね。ありがとうございます。
中国史に限らず大戦争なく飢えない時代に生まれただけでもラッキーなのを嚙み締められる良い動画
歴史学において、どの時代でもスタメン「飢饉」「戦争」
中世(ヨーロッパ)ならこれに「伝染病」が加わりますね。
災害も戦争もほとんどないのに人口が減っていく希有な時代だけどね。
@@user-rs6cx8jf3v 疫病は?ペスト、天然痘、インフルエンザは確実に歴史を大きく変えたと思う。
@@Taka18782 戦争や異常気象による不作となった場合、食料自給率が低い日本は大量の餓死者が出ると警鐘を鳴らしている学者もいるけどな。
某チャンネルの同テーマの動画で、中国歴代王朝の戸籍数の推移をそのまま人口の推移と捉えてしまっているのを見た覚えが実は何度かあるんですが、さすが鳥人間さん。この統計を見る際の注意点もちゃんと解説してくださってありがたいです。
武帝が飢饉に当たって移住の許可を出したというのは興味深いですね。アイルランドのジャガイモ飢饉の研究では、餓死者の多くは不作そのものよりも、移住の自由がないため飢餓に対する対応がとれなかったのが原因だとされています。この知見を古代王朝の行政家が持っていたのは派手さはないですが何気に凄いことだ。
移住させると言うことは年貢を含めた債権債務を放棄させることなので、飢餓や貧困対策としては結構大胆ではありますね。
武帝の様々な事績から移住の許可を出したのは「辺境での兵役」が込みであったのでは?と勘ぐってしまいます。移住の「自由」とは動画中では表現されていなかったので。
宣帝あたりであるなら、違和感なく民のための「撫民」政策として移住の自由があったのではないかと受け止めてしまいそうです。
外征のための兵役や役務を中断して、穀物備蓄の輸送を行わなかったことで、一般に批判されてます。
中国史にハマりかけのころ、(春秋時代)晋分裂のきっかけとなった晋陽の戦い(水攻めされた籠城戦)の描写で「子を代えて喰う」というのが出てきて、〇玉がキュッとなった思い出があります。
こうして人口と言う側面から歴史を見ると、名を知られている英雄の時代よりも、マニアしか知らない君主の治世の方が、庶民にとってはずっと望ましい時代だった、ということがわかりますね。
地球規模で見ると洋の東西で戦乱の時代は一致する傾向があって、それを占星術の惑星のサイクルとかで説明したりしますが、気候変動のせいじゃないか、という説が説得力のある説として語られていますね。
興味深く、そして、綿密な考証の内容に感服しました!
テーマの選択に、中国史を愛する方ならではのセンスを感じます。
翻って鑑みて、現今のかの国が、美国、露国...などから多くの穀物を輸入し、危険回避が出来ているのは、歴史的な僥倖なのですね!
面白い視点からの歴史探訪
良かったです
楽しい一時をありがとうございます
三国志の時代の人口減少の勢い、凄いですね。三国志ファンの方に怒られそうですが、魏の曹操は屯田制を行ったり生産性を上げる事をした逸話を聞きますが、他国で生産性を上げたとか、民を労わる政策を行ったなんて話しは少ない気がしていました。偶然、魏の逸話だけ残っただけかもしれませんが、戦時体制が続くと、大変な事になると感じますね。お話し面白かったです。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、感謝!感激!雨霰です!!
ご期待にお応えできるよう、一層精進いたします~~~!!
チャンネル主は就学前から三国志を身に付けてらっしゃったのか…すごい…
当時の人からしたら戦争も病気も災害も無いのに人口が勝手に減ってゆく国々が出てくるなんて絶対予想できないだろうな。しかもそれらの国々は比較的強国だという。
兵馬俑にしても、初期王朝は出来ていた殉葬が戦争による人口減少で贅沢になってしまい、人形に代用せざるを得なくなりましたからね。
大量に死ぬことを知ってるから本能的の繁殖しようとするのでしょう。
一方、人が死ななくなり、繁殖するモチベーションが無くなると(先進国)、生きる苦しみに目が行きがちになり、繁殖を控えるようになるのでしょう。
ローマ帝国などでも人口が勝手に減る現象はあった。資本主義的な発展とかの観点だけでは人口減は語れないのだろうなと思う。
ローマ帝国もか。他の大帝国も時代によらず同じ現象が起きてたのかもなぁ。@@user-hk2rh2oq6n
一夫一婦制を採用していればいつか減少期が来ます
車に携帯つないで音だけ聞いてたから「I have」「I have」と中国史なのに何言ってるんだろうと思ってみたら「相食む」だったでござる
「ちゃんとした数字が出てくるのはガチガチの郡県制をしいた秦から」「流民がカウントされないので数字に誤差が出る」「三国志の人口減少はすさまじい」などなど、ディープな人口増減情報がずらり!個人的にはこのあとの五胡十六国時代以降も見てみたいです。個人的には五代十国の減り方に注目。他の乱世にはいないタイプの人物・馮道がいます。彼の活躍が大まかながら数字で出ているかも?
三国志国淵伝に、曹操と国淵の会話で賊軍を破ったとき10倍の量で文書に記載するとあるので、これを春秋戦国時代に当てはめてなおかつ諸侯同士が互いに賊と見なし合っていれば、兵数や人口が案外いい線をいきそうですね。
投稿お疲れさまです❕
お疲れ様です。今回も素晴らしい動画をありがとうございました。中国の人口の推移は以前から気になっていたため、大変興味深く拝見しました。凄まじい人口減からみなんが大好き三国時代は、当時を生きた人々にとってはまさに地獄だったということですね。私はあの時代に生きたくないなあ。😓 あと『史記』『漢書』を読んでいると、漢の武帝は明らかに暴君だと思えてなりません。蛇足ながら、新型コロナの世界的大流行が起きた現代も、疫病は過去の事、他人事ではないと思います。
清の時代の人口爆発にしても、それまで口数当たりの人口把握に熱心では無かったからと分かってきています。実際の人口は記録よりも多かったと考えるべきです。中国の人口激減については今まで流民がよく言われていましたが、今では小作化が大きかったと見られています。中国の王朝は世帯課税が長かったので小作化が進むとその人口が把握されません。日本では乱取りが日常的行われた戦国時代でも人口が増え続けました。戦乱の時代は死ぬ数も多いですが、死が身近にある世界は産む数も増えます。近現代のアフリカは戦乱と飢餓が続いても人口が増え続けました。それでも中華民国の動乱時代も千万人規模の飢餓死が記録されるので死ぬ数も多かったと見られますが。
戸籍は徴税と徴兵のベースとなる統計資料ですからね。
税金払いたくない、徴兵されたくない、という時代には戸籍逃れも増えるわけで。
大地主とかも「戦乱で死なせたくない」という人道的な理由ではなく「労働力を奪われたくない」という理由で、小作人(農奴)の戸籍逃れをしてたんだろう、という想像はできますね。
ただ戦乱で食料生産力が大きなダメージを受けてしまうと人口保持力が不足して、キャパオーバーとなった人間は飢えるしかない、ということでしょうね。
時代によって違うのですが、秦・漢代は奴隷にも口算(人頭税)が科せられたので、奴隷込みの数値だと思います。また、奴隷も徭役(兵役含む)の対象でした。
実際発掘されてる戸籍からは、奴隷の記載もあります。
康熙帝以降は間違いなく爆発的に人口増えてるでしょ
@@hal8079 人頭税廃止ですね。税制も人口に影響してきます。
把握されてない割合をどう見積もるかは大きなネックですね。
現代ほど人口爆発した時代に、世界的な飢饉が来ようものなら地獄だろうな。
古代では長江と黄河を結ぶ大運河がまだ完成していなかったので飢饉が悪化していたのかもしれないですね
その大運河も干ばつが起こると水位が下がり、大型船での食糧輸送ができなくなったみたいです
義和団の乱はエルニーニョによる華北の干ばつ、それによる飢饉が原因とも言われているので異常気象が中国史にもたらしてきた影響を考えるのも面白いかもしれません
岡田英弘氏の説によれば、南北朝時代に中原の漢民族はもはや民族としての存続が危うくなるところまで人口が激減し、中原に入植した鮮卑人が漢化して置き換わったそうですね。
中国語の発音も南北朝時代の前後で大きく変わっているそうです。
隋の人口統計を見ると地獄のような南北朝時代でもそれほど減少してないように見えるけど
五胡が流入してその数字なんですよね
北魏が建国され、南北朝時代が始まってから回復傾向にはありますね。
525年(孝武帝正光年)で、500万戸、3,200万人(通典・食貨七)
Y染色体の研究はこの仮説を支持していません
どの北方民族も、全民皆兵で兵力は多くても、人口そのものは少ないです。
中原に入ってからも、漢人のほうが圧倒的に人口が多く、農業に従事してるのも漢人で人口増加率も多かったわけです。
いくつかの民族は独自文化を維持しようとしましたが、結局、漢人に同化する道を辿りました。最後の清(満州族)に至るまでそうです。清朝末期、人口は約4億いましたが、満州八旗は105万人しかいませんでした。現在では約1千万いますが、これは漢人八旗(満族として認定)を含めた数字です。
例外は自ら中原を去ったモンゴルくらいでしょうか。
岡田先生は素晴らしい研究者だけど専門外ではトンチキなこと言ってるので、全部真に受けたらいけないのは中国史好きでは常識
焚書が起きたり、項羽が秦の都焼いた影響もあり、どうしても漢代以前の記録は不足気味になってきますね…。
三国志・注『魏略』で諸葛亮が「荊州は人が少なくないのに戸籍に乗っている人は少しだけ」って言って、戸籍をしっかり登録させることで兵を増やす策を献上する話がありますし、飢餓や戦乱による人口減もあったでしょうが、それによる人の移住、隠れ潜む人々の多くは戸籍登録してる間もなく放置されてるケースもあったんでしょうね。
ここから五胡十六国に入ってよく戦乱が続けられたよねって思うけど、異民族の流入も多かったからなんだろうな。
フェルミ推定さん大活躍回!
どんな猛将とて絶対に勝てないのが飢餓よなぁ……
東洋史家の故岡田英弘は後漢末から三国時代の人口減で漢族がほぼ滅亡寸前で、後の北方遊牧民の流入によって民族構成が大きく変化したと言ってたが、多少疑問に思ってた。
古代日本では徴税逃れのために豪族の私有民になったり、戸籍を女子供ばかりにして税率を少なくしてた節があったので、三国時代も似たような状況があり得そうだとは思ってた。
ただし人口が激減したことは確かで、今もお世話になってる葛根湯や麻黄湯が記載されてる「傷寒論」が著わされるほど疫病が流行っていたようで、太平道や五斗米道が病気平癒を掲げて教勢拡大させたのも疫病の影響が大きそう。
三国時代だと、魏は逃亡者が出ても、取りっぱぐれがないように戸単位で課税してました。その結果、他の2国に比して大家族になってます。
魏が1戸当たり5.6人、呉は4.3人、蜀は4.7人です。
岡田氏の推論は漢字の読みの変化からその時代には言語そのものが入れ替わっていることも
論証されていて説得力がある
読みが変わった=言語そのものが入れ替わった
意味不明な理論
@@igj68438なぜ(?_?)
如果练习过书道,就会知道汉字从秦汉开始一直发展演变的“隶变”,“楷书”也是一样。考虑汉语和汉字的变化也更要考虑古文字学。
こんばんは。今日はまさかの魔理沙アナウンス。絶対誤魔化そうとしてる。後の話が恐いww
人口の増えたり減ったりが激しいですよね。大陸って。そういう運命になっているかって程に。ある意味恐ろしいね。
やっぱ天下を統一するまでが大変じゃなく王朝を長続きさせるのが一番むずかしいと教えてくれるなあ。「人相食む」もう頭から離れなさそうww
この動画を見ていてふと、疫病の流行りには衛生状態は人口のファクターとして一定程度の要素を含むだろうし、トイレ及び食事の衛生の歴史なども面白そうだなと感じる次第です。
おそらくそのような文献は少ないかもしれないですがいずれそのようなテーマを見れたらというリクエストとなりますが烏滸がましいかな。
人口の振れ幅が凄すぎですね
生きることの難易度が高すぎです
鳥人間は今回の動画で何枚の飢饉/Famineを唱えたんだろうか?
そして三国時代が終わるとさらなる地獄が幕を開けるというね…。
動画公開お疲れ様です。食べ物の神様にお参りに行く道中で聴かせていただきます🙇
ちょくちょくmtgのカード出してくれるのすき
人々が自らの行為に恐怖しまくってそうな中国古代死
今回の戸籍と人口増減の話面白かったです。
結局、奴婢や流民はカウントされないから数がアバウトになってしまうんだなー、と思う次第。
でも戸籍は納税や徴兵とかの基本台帳なわけだから、それを上手いこと活用できた国が強くなったのは当然かもしれないなー
戸籍把握は結局税搾り取るのが全てですからね(カラカラ帝の万民法制定は、ローマ全土から税を取るためとも言われる)。
諸葛亮なんかも戸籍登録しっかりして兵数増やそうとしてましたしね。
@@user-hi8px1oy7v さん
なるほど。
しかし、鳥人間さんの紹介した諸葛亮の便宜十六策の内容を考慮すると確かにその通りだと思います。
確かその書物は兵法書であり、内政に関する書でもあったとのことだったので、富国強兵を勧めるにはどうすれば良いか諸葛亮が考えた方法が戸籍の整備だとしてもおかしくはないと考えられます。
@@user-ly6wt9xm1c 一応諸葛亮伝に書かれてますね。新野の劉備に赴いて行って「荊州は人が少なくないのに戸籍登録されている人は少ない。戸籍をしっかり登録させることで兵を増やすことができます」っていう話が。
無論これ以降も実行したかは不明ですが、おそらくは諸葛亮の富国強兵策の一つになったでしょうね。
@@user-hi8px1oy7v さん
ありがとうございます。
なるほど。そのような話があるんですね。
ただ、後に北伐を実施していることを考慮すると戸籍の整備はしていた可能性は高いと考えられます。
また、諸葛亮の実績としては国内のインフラ整備で長江の切り立った崖に穴を掘って木を組んで通路を作りましたが、それを行うにしても人夫や材料の徴用は必要なことですし、おっしゃる通りその話以降も実行したか、或いはどの程度の間隔で改製していたかは分かりかねますが、少なくとも戸籍の整備は続いていたのではないかと思います。
人口の増減の大きさだけで中国がいかに壮大な国って実感する
当たり前のように相食むが起こる中華史、過酷すぎんよぉ
「…だからエゲつない話の時にアタシを連れ出して来るな…」
「そう言うな、今回は現在のSDGsにも関わる材料だ。一見すると一面に広がる田畑が広がる風景ってそこがいかに豊かな土地か、そしてそれに応じた国力を持つと思うだろ」
「それはそうだけど…。米って潅漑や人手に手間はかかるけど、得られるカロリー数が麦より大きいから人口増加には好都合な穀物だって聞いているけど」
「お、詳しいな。しかしそういう田園風景に違和感を感じないか?」
「いや特に。飢饉や戦乱が起きず平和の姿が続くことを希望するよ」
「ほう、ならジャングルと較べて見たらどうだ?」
「え、あれ……。多様性が乏しい…」
「そういうことだ。ちょいとした環境変化で纏めて全滅してしまう、酷く脆弱な生態系システムだ。日本でも何度も飢饉が起きたが、そういう際、農民は山に入って獣を狩ったり、山菜で命を繋いでいた。日本は耕作不適地な広葉樹林帯が列島を横断しているし、サンカのような、そこでネットワークを築いている人々もいた。色々農民と対立する場合もあったが一応コミュニケーション関係は維持されたはいた」
「でも中国にも山岳民族みたいな人たちはいたでしょ」
「そこは日本ほど調査が行き届いていないところもあるが、地勢的にかなり孤立した状態で交流は乏しかったようだが。いずれにせよ中国の地形では万一の際に『山』に逃げ込むというのはかなりハードルが高かったろう。だからちょっとした異変ですぐに飢饉が起きるんで、地方で民俗学的な調査をすると、人肉処理法のノウハウが飛び出してくるという…」
「…結局グロになっているじゃんか!」
……中国資料の数値は1/10で読めと世界史講義で習いました!
このチャンネル観てると時間軸がメチャクチャバグるけど、それが病みつきになるのよねー
中国は清の康熙帝の時代1700年ごろ人口1億人を超えたが1800年乾隆帝の薨去直後に人口は3億人を超えていた。僅か100年で3倍になった。一方日本は1700年代に入って人口は3100万人徳川吉宗の享保の改革が始まり1800年の頃は人口3300万人と100年で人口がほとんど増えていない。同じ時期になぜこれほどの違いが生じたか本当に興味深い。
食料生産がどれだけできたかで大分人口の推計にブレが出る、個人的には紀元前だと2000万くらいじゃなかろうかと考えている。
この統計情報からしても、三国志の時代とかで言われる「○○軍100万!!」と言うのは誇張だったんやなって。
以前にもコメントしたかもだけど、相手の戦意を挫く目的で誇張するのも作戦の一つとしてありだと思うよ、うん。
知ってるとは思うけど三国志の兵力100万って演義のフィクションの話で正史とは別物だかね
一応史実でも赤壁の時は曹操が孫権に八十万の兵とか文書送って言ってる。
まぁ周瑜の言ってる通りあくまで恫喝目的の誇張表現だが。
@@user-hi8px1oy7v その書状の記述は東晋になってからの物にしか出てこないので史実なのかは疑問ですがコメントさた方はそういった物について言われたのかもしれませんね。
@@user-dn2oc3fn5k 一応裴松之:注の物ですね。
ただ東晋代はまだ100年程度でそんなに時間が経ってないし、参考する文献もまだまだ多い時代。比較的信用できる範囲かと。
これが何百年と経ち、逸文が増えた上で出る新規エピソードとかだと怪しめですが。
あと少しで登録者数10万人ですね😊
飢えないだけで儲けものと強く生きよう
Thanks!
いつも応援していただき、本当に感謝しております!!
ありがたや……ありがたや……!
この動画でピックアップされた時代で、特に武帝の時代は天災だけでなく、銅臭政治の弊害、巫蠱の獄による最凶最悪の人災などもあり、この時代には絶対に産まれたくないと心底思いました。
当時の王朝が把握できない人々もかなりあったのではないかと思いますね。流民になって地方へ彷徨った人々とか、桃源郷の話みたいに。
後漢末期から呉滅亡まで(三国志)の頃と、八王の乱から北魏の華北統一まで(五胡十六国)の頃と、華北統一から隋の中華統一まで(南北朝)。
民草にとってどの時代が一番悲惨でどの時代が一番マシだったのだろうか?
古代中国の人口推移、まるで雲を攫む様なあまたの文献資料の数々から1本の動画に纏め上げるなんて、興味は有っても途中でわけ解らなさ過ぎて病んでしまいそう(>_
三国時代が目立つせいでほとんど知られてないけど、後漢は桓帝の頃から烏丸が徐州まで攻め込んできたり、荊州で反乱が起きたり、(ここでの王朝側の関係者に「劉度」って名前がある。三国志にも出ているあの劉度の可能性がワンチャン)羗族の大反乱が相次いで涼州放棄論まで出るなどすでに戦乱がやばい。そら人口も減るわ。
三国志の時代は官渡の戦いが西暦200年。翌年から3世紀に突入。地球全土の大寒冷化でローマ帝国ではフン族(匈奴?)に追われたゲルマン民族が侵入してきて大混乱。
日本でも東北地方で稲作ができなくなって一瞬で出土する土器の形状が変わるレベルで民族移動があった模様(この時東北に住み着いたのがいわゆる蝦夷のようだ)
217年の疫病では曹操に仕えていた建安七子が全滅(この時に、7人中孔融ら2名はこれ以前に死亡)するという、奈良時代の藤原四兄弟全滅に匹敵するヤバさだったんでしょうね。魏の人口に曹操が採用した屯田兵は果たして含まれているのかどうか
原末明初とか明末清初とかどうなるんだろうと今から楽しみです(暗黒微笑)
部曲になった人も良民と数えられないので、貴族の荘園が増えると人口が減るという現象はありますね。
所謂桓霊の間って寒冷の間でもあったんですねえ。
三国時代から南北朝まではおそらく中世ヨーロッパに近い人口動態だったのではないかと予測
小国が乱立するとかえって大規模紛争が起こりにくくなり人口は低位安定になる傾向があるので
(ただし中世ヨーロッパの場合は小氷期の影響もあったようだが)
キングダムの感想で兵士は畑から生えるのか?ってのがあるが、
本当にそういうノリで増減してるな。
実際には、兵士が畑から生えるのは秦国側ですけどね。
趙側は、勝ってるのにどんどん消耗していく。
いや21世紀にもそんな国が…
殷の滅亡は紂王の暴政だけじゃなかったんだねえ(ToT)
三国時代以前と隋唐以降では、大陸における人口の民族構成も、遺伝子も、大きく変わってしまったと言えるでしょうね。
貴族、豪族の勢力が強い時期とかは保有農奴や荘園の面積なんかの過少申告がまかり通ってそうですし
有力者が所得隠しと蓄財可能になる安定期に入った国家の中弛み期間とかは、再度検地と戸籍調査が徹底されるまでは戸籍に残ってる額面の人口と実数では相当開きがありそうですね
辣腕宰相の登場と国政改革による中興って改革と再度の検地に戸籍調査の徹底がセットになってるイメージありますし
平安末期から鎌倉の日本ならそれが公家や武士で横行しましたね(寺社仏閣や有力公家に寄進する事で所領安堵を狙う)
武帝…ここまで苛烈だったとは
苛政は虎よりも猛し
司馬遼太郎は戦時中と文革時代に中国を訪れたコトあるらしいが、文革時代の中国は戦時中の瀕死の状態からは回復していたらしい‼️😁👍
文革時代ですら戦時中よりマシってコトは逆にそれまでの中国はどれほど悲惨な目に遭ってたか⁉️🤔
ご支援いただきまことにありがとうございます~!!
ぜひ司馬遼先生のその時の話、読んでみたいものです!
@@c-history Googleで司馬遼太郎 毛沢東と検索すると日本経済新聞の記事に出て来ます‼️
ありがとうございます!@@tadano1zinnminn
そりゃあ張角支持されるわ🙏
それだけ人口が減っても、権力争い・領土争いをやめないところに人間の業の深さを感じさせますね。
冒頭右画の画像から行ったらトリスケリオン人間とかだったらよかった・・・
戸籍人口はあくまで国家が把握している人口だから、減った分がそのまま犠牲になった訳ではないとは言うけど、悲惨なのには変わりないよね。
国の統治という面は勿論、戸籍外になった人たちからしても、生きながらえているとはいえ国家が把握できないというのは統治や秩序の外で暮らしているという訳だし。
あと、古代の兵数と人口については、昔から兵士一人を養うのに労働者が三人必要と言われているから、人口の五分の一が兵士と考えるのは時代や当時の情勢から、わりと理にかなっていると思う。
唐突なドラムロール笑ったわw
若いときに横山三国志を読んだとき民間人がまるでいない世界なイメージだったなあ
飢饉(ポータル三国志版)懐かしい。
中国の人口減少っぷりは、いかにも黒って感じの酷薄さですねぇ。
カナシイタケ。でも、董卓→銅鐸でお茶噴いた!🎉
逃げちゃって把握出来なかった人口もあるんだろうな
人口増減ネタ待ってました。
為政者のなかには、たまたま異常気象が起こって割を食ってる人とか、たまたま何もなかったから評価されている人もいるんでしょうね。この動画はとてもおもしろかったです。続きはあるのでしょうか?なにしろ中国はこのあと10億人の国になるわけですから。いったい何があったんでしょうか
0:29: 📚 今回の動画では、中国の古代史における人口減少と災害について語られています。
4:22: 📚 中国最古の詩篇についての断片的な記事があり、基金の意味も異なることが分かる。
8:24: 📊 戦国時代の兵力の計算方法と総人口は大雑把であるが、専門家の計算によると戦国時代の総人口は約2000万から3000万人である。
23:22: 😮 五感王朝の人口は創始から100年で回復したと考えられる。
13:31: 😢 戦争と災害により人口が激減し、全巻の初めには総人口が1500万から1800万程度になってしまった。
17:26: 😮 武帝の死後、間王朝の人口は再び増え始め、統治に関しては安定していたが、アイハム大飢饉が数度発生した。
26:44: 😷 召喚論を表体制として名高い互換の意志長期の中で、いったこの時代の生産力の破壊と人口急減の理由は殺戮、略奪、飢餓、疫病の蔓延によるものであった。
Tammy AIで要約できました!ご参考になれば幸いです…
「聞いて」
「はい」
かわいい^ ^
王莽の功績(?)の一つが2000年前に戸別訪問で人口を調べようとしたことなんだよな。
まあ21世紀の日本ですら国勢調査で苦労してるわけで、国家への負担が大きすぎだけど。
後は帝政ローマと江戸時代の日本くらいしか無いですよね。
ohもう❤とアイハム🥺が強烈ワード🤩過ぎてーーーーーーー
愛ハム王莽しか認識出来ません😂
まりっぺも霊夢んもさいこが過ぎますぞ❤
開幕PTKの画像でMTG民俺氏大興奮
五胡十六国時代・南北朝時代の人口増減が気になりますね……
27:25 建安七子の陳琳、王粲も亡くなったりした。
魏の兵戸(税の代わりに永続的な兵役を課された家)のように普通の戸籍に載せられなかった家もあった。
異民族による征服王朝だと、二重の統治体系採ってることが多いですね。
北魏(鮮卑)のムーランなんかがそうです。武具や馬なんかは全部自弁になります。
現代日本に生まれて良かったですなあ…
そもそも古今東西、国家の人口と動態を把握しないことには収入(税収)が予測できないのだから、戸籍を組みなおすのは新王朝としても最優先課題なわけ。で災害・反乱等で社会が混乱し、流民(戸籍から外れる)が発生するので書類上の人口は減っていくのは必然なんですね。人口減→税収減→増税→流民化という衰退のループが止められなくなる。
日本においても国家の節目では戸籍の整備をきちんと行っているのです(壬申戸籍・太閤検地・明治維新の地租改正とか)。戦国時代ですら家臣に収入を明示して領地に封じなければいけなかったので戦国大名も正確に領内の人口を把握していたと思います(まぁもちろん戦争時には兵士は何人、弓鉄砲は何丁用意しなさいってことだし、戦死した場合の補償金を無視するわけにもいかないだろうし)。日本の場合は土地に縛られ流民化する人が少ない(災害は多いけど、戦乱は中国に比べたら圧倒的に少ないし)ので、どんな時代でも正確な人口は計算しやすいですね。
とはいえ現在の共産中国ですら正確な人口が判っていないんだから、中国って伝統的にその辺は結構いい加減なところなんだろうな、って思います。
古代は兵役や税から逃れるために戸籍逃れとかがけっこう起こっていたと思うので、三国時代の人口減少も戦乱や疫病・飢饉などで亡くなった人たちや難民として中華領域の外へ逃れて行った人たちの他にも戸籍逃れによるものが大きかったんじゃないかと思います。凄まじい人口減少ぶりに「この時代はそれ以前からいた漢民族は絶滅した」とか言われていますが、さすがにそこまでは行かなかったんじゃないかと思います。ただ、人がバタバタ死んでそこら中死体だらけみたいな光景があちこちにできていたのは確かでしょうし、さらに漢民族兵士の数が足りなくなってきていたのは確かだと思います。そういった事が要因で魏呉蜀の三国や西晋などが周辺異民族を兵士として雇ったり徴兵したりするようになり、さらに異民族の中華領域への移住にもつながっていったんじゃないかと思います。
ちなみに、人口が6千万に達するのは宋王朝の時代らしい。中華史の黄金期の一つである唐王朝の時代でも漢代の人口には届かなかったようだ…。
なお、現在の中華大陸は「人口増えすぎ」状態だと思う。(ただ、一人っ子政策の影響でかなり歪な形で人口減少が始まっているようで、この先どうなる事か…。)
まってた
世界的なネットワークを持つ華僑もこう言う激動の時代を
生き抜いてきた知恵なんだろうなぁ。
厳しい環境に対して、ネットワーク組んで対抗するのって
ユダヤ人コミュニティーとかに似てる気がする。
だから今のグローバリゼーションに対応できているのかも
しれない。
国家や人種の壁を諸ともしない強みだと思う。
華僑はもっと後(唐あたり?)ですよ。
推計に推計を重ねた周代の人口…。
ウォーズマンの1200万パワー理論みたいだ!
にしても、劉徹という人間は、安定期の後に皇位についたからいいものの、二代めあたりだったら、やはり煬帝化してそうですね。
人口調査の目的によって激動するって話聞いたことがあるんだが・・・
税金取る目的だと激減し、飢饉対策のためだと激増する、なんてことが・・・
彭越「I Ham」
確かに実際の人口でいえば、悪政暴政下では逃げ出す人が多くなる分もかなりあるでしょうね。
三国志がなんで英雄の活躍が目立つのかわかった気がする。人が少なすぎて、一人一人が目立ったんだ
そりゃ人口が半分以上減った三国時代じゃなかなか決着つかんわなとなる
国土に対して人口が少なすぎてどの国も決定力不足なるよね
悲し殷
そういえば、殷周秦他各国の埋葬文化あれこれとかやってないですね😊(楚の動画が遠退く一因)
相食む大飢饉起こりすぎじゃない…?
中華では民衆は「苛政は虎より猛し」善政が施されていれば虎に居てもても逃げなかった。
税金逃れで戸籍から隠す人が相当数いただろうな
春秋戦国時代や三国時代等の分裂の時代だと一国の飢饉に対してその国だけで対応するしかないけれど統一王朝時代だと他の地域から輸送して対応できるのでまだマシだったら良いなぁと思う。
飢饉に疫病のコンボだと体力が落ちてるせいで死亡率UPの文字通りの死体蹴りで草も生えないし。
ただ、ここでは過去の歴史として扱ってるけれど今の中国は14億で食料輸入も多分世界トップで核保有国なのを考えるとこれが世界規模の未来の予定になりそうだから困る。
ローマ時代が最も豊かな気がする。
中世ヨーロッパと古代中国はハードモードすぎる。
ローマが豊かで安全だったのもほぼイタリア本土かつパクス・ロマーナ時代のみ…
21世紀でもローマ超えの生活水準を維持してるのはせいぜい第一諸国だけという
三国志は面白いけどやっぱり平和な時代と比べると地獄ですね
五胡十六国も修羅な世界だから異民族が中国に入ってきてても人口は少なそう
五胡十六国も大変な時代だけど、三国志の頃ほどは酷くないので
緩やかながらも人口回復期になってますね。
五胡十六国の人口回復は多分北方のほとんどが異民族政権だったこと考えても他国、多民族の流入が多いと思うよ。元の人口回復したわけじゃないと思う。
演義で孔明が火計やったり水計やったりする度に人口がさらにガリガリ減っていくという・・・。
なんとも恐ろしい時代ですわ。
その後の五胡十六国時代とかどれだけの修羅場だったんだろう。
三國志の時代が終わってすぐに分裂してまた統一するのに300年以上かかるとか、
そりゃ中国人達はたくましくもなりますわ。
なんだかんだ記録がちゃんと残ってるのは、さすが古代中華☺
日本も江戸期ですら相食むですが、中華ほど人口増減がむちゃくちゃではないのが不思議
実は日本も人口半減してたのかしら?
あと
骨って薪のかわりにならんやろw
当然ながら薪にする木も無いからですよ。
隋初の人口楽しみにしてたのに。ググるか
相食む…カユ…ウマ
趙の英雄武霊王が息子の軍に囲まれた時の悲惨な場面を思い出してしまった
明末の李自成の乱の時代や清朝末期の太平天国の乱も人口が増えすぎて国家が養えなくなった感あるから多すぎても問題あるんよな〜🤔