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貴重な情報の提供に感謝します。とても勉強になりました。 小生の両親(母:昭和2年,父:昭和3年生まれ)は、尋常高等小学校卒業でした。 父が病のため早逝しました。そのため私は、中学校卒業後直ちに社会人となりました。有難いことに仕事がありました。 お陰様で働きながら学び、アルバイトから国家公務員を経て数学教師の端くれとなりました。感謝しています。 万年少年より 2021.9.27
「儲かる副業」今と変わってないじゃないかw
儲かる副業はあるんだよ。でも儲かるためには努力が必要なんよ。正しい努力を継続すれば誰でも儲かる副業はある。
@@gwdapwd16766 マルチポストやめろよ貴様は昭和12年から1mmも成長してないな
@@gwdapwd16766そんなのがあるんだったら本業にしてるわボケ
普通に「レジ係」って言葉が出てて昭和12年を少し身近に感じた
でも、レジの機械みたら・・・何コレ!?と思うと思うw
とても面白い内容でした。童謡「赤とんぼ」(1921) の歌詞を見ると15歳で嫁に行くような時代だと分かるから、14歳に求人というのも納得ですね。
8:06 「お前やっぱり満州いってこいよ」 狂おしいほどすきwwwwwwwwww
千代崎橋の珈琲商店ですが、現在の千代崎橋の側にある老舗の喫茶店の事かな?実家の近所にある喫茶店なんですが、明治からある老舗で千代崎橋の東詰から西詰に移転して来たなど聞いた話に酷似してます。ポポって名前の喫茶店だったと思います。まだ営業してると思います!
当時の新聞の役割は実に大きかったんだなと思いました。ニュースだけでなく、求人広告や人探しまで兼ねていたんですね。現代で言えばTwitterに近いですかね。
儲かる副業マジで笑った歴史ありすぎだろ
昭和12年にレジという言葉があったのが驚きだわ
今と変わらない詐欺広告まであってワロタ😂
あの有名なドモ〇ルンリンクルの雫が落ちてくるのを見るだけの仕事って最初は いいなぁ~って思った。でも、たぶんそのうち発狂しそうで怖い・・・。
あれは機械が正常に動いているかわかる技術者でないと務まらない仕事のような気がする。さらなるところを言えば、機械の内部に取り付けられているフィルターの目の粗さや熱処理時の温度とかの判断ができなければ見る意味がない。そして、その生産品を抜き取り調査ということで化学分析する部署へ送り、結果に基づいて機械を設定変更、改良しているはず。機械のド素人がボーっと見ているだけでは務まらない、一流の技術者が就く目的を見失ったら発狂する仕事。
イラチだから、ギュッと絞ってしまうわw
藤岡弘、氏がドモ〇ルンリンクルの雫が落ちてくるのを見てる仕事をしたら・・・・「ガンバレ!~ドモ〇ルンリンクル~!」とうるさいだろうね
@@762forest_railway落ちてこなかったらショッカーのせいにしそう
儲かる副業が現代でも通用するのマジおもろい
儲かるかは自分次第なのに他人に依存して何もしなかった奴が「騙された!詐欺だ!」ってキレてるケースもあるよ。
自由結婚が少ない時代だったから、婚活する人がいたのが意外だね。
多分時代背景から考えられるのは40以上かと仕事や家庭内でなかなか結婚できず看取る人を探す比較的裕福な人が婚活してたかもなにせこの当たりの未婚率が10%いたらしいですよこの時代でも
けっこうアレな息子を無知なお嬢さんにあてがってこき使おうと考えてる親の姿が目に浮かぶ。実際お金はあるが息子の頭がアレで騙された女が同じようなアレな子供を産まされて逃げられなくなった例を知っています。昔はそういうの施設がなくて野放しだから近所ならぜったい来ないけど、知らない土地からやってきた人が騙されて玉の輿とか言って結婚になることがたまにあったらしい。
当時の「見合い婚」ってのは、結婚間近の二人が形式として仲人に立ち会ってもらうという方法もかなり多かったし、今で言う「共通の友人の紹介」というのも場合によっては「見合い婚」に含まれていたよ
「13歳のハローワーク」ガチ編w
戦前も現在も怪しい募集は変わらないって事ですね
多産ウズラ出現の字面が面白すぎる
昭和12年といえば、戦前最後の辛うじて民主主義が残って時代やな。新聞記事も翌年あたりから雰囲気変わってくる。
そうだったんすか?。翌年から戦争に巻き込まれて行くって事すか?。
@@渡邉伸之 昭和13年には国家総動員法が出たり観光に制限がついたり一般人が戦争体制に組み込まれていきます。盧溝橋事件に端を発する日中戦争自体は昭和12年夏からですね
13:30ユーチューブの広告かよ。胡散臭い広告って、この頃から有ったのか。
15:48 家を出て両親を心配させた子も、だれかの親になり祖父母になり、ひいおばあちゃんになり、今は既に亡くなってると思うと胸が苦しくなる。
そのためにも、数年後の関西大空襲をまず生き延びなければ。
ほのぼのしていい時代じゃないですか!あんな戦争さえしなければ…
話の流れを全部律儀に紙面から持って来るのすごい
すごい、この頃から手かざしってあったんだね。しかも、自宅独習新職業。
『心婚(ここん)は、「心が通い合う婚活」をポリシーとした結婚相談所です。 ... 心婚(ここん)とは心を交わらせ通わせるという意味の造語です。 心を通わせにご来店ください。』らしいですね〜。
お見合い結婚が当たり前で仕方なく結婚してる時代だと思ってたけど、ご本人たちはできるだけ良い相手をみつけたかったんだろうなぁ、当たり前かもだけど。
勉強になります🙇♂️
接客業って、出会ったことないようなアレな人意外と多くてビビりますよね。
毎日一体どこからあんなに沢山アレな客がわいてくるのか、いつも不思議です
儲かる副業ってこの時代から会ったんだな、、、、
どの仕事も待遇が書いてないの、恐ろしいwww
労働基準法なんてないですからね
冒頭部の『14歳から始める問屋の店員』は大体が住み込みの仕事で朝起きて朝飯食って店が閉まって晩飯までずーっと仕事で月給が月10円(現在の3万円~5万円)程度衣食住は雇い主もちで実家に帰れるのは盆と正月の年数日程度だったそうよ…
@@Mr1988910 あの頃って藪入りってなかった?もっと酷い所だと藪入りの日だけ(休日年2日)という所もあったみたい。
@@三角-v2l 一応、工場法ってのがあったけど、今の基準からしたら相当ブラックでザルな法律。所定労働時間は最低11時間だからね。
邦文タイピスト45円というと、そこそこの高級取りでは?思います。……あ、大正時代の45円と昭和10年代の45円とでは、貨幣価値が違う?
12:10 自宅独習、新職業。手の平から冷熱放射し、難病効果。無資本、無試験で開業できる新式霊感透熱療法→ペテン臭全開で草。
今日、こんな素敵なテーマを扱うチャンネルに出会えた事を、自分新聞の1面に載せたい。
このチャンネルに出会う数週間前から近所の図書館にて昭和12年の朝日新聞記事の保存版を読み漁ってたので なんか不思議な縁を感じます
社会がどれだけ変化しても、根っこの部分は変わらないんだなぁと
心婚って戦前もネカマ的なモノに騙し騙されってあったのかなぁと思うと胸熱
このチャンネルマジで面白いな
昭和12年3月といえば、まだ盧溝橋事件もなく平和な時代ですね('ω')工場(こうば)とかがメインかと思ってましたが、喫茶店とかもあったのですね('ω')
朝ドラエールでは喫茶店が主人公の家の近くにあったので想像してみました。
帝国主義時代でしたよ差別、暴力酷い時代でしたまあ1番最低の時代は江戸時代ですがね←検索すれば出て来ます
昭和12年は、戦前で最高に豊かさがピークの時代でしたね。
もうちょい言えば日中戦争の戦時好景気がピークに達していた1938年か39年あたりがもっと豊かな時代でしたね…近衛文麿が朝日新聞の尾崎秀実の口車なんぞに乗って南進してアメリカを挑発せずに北進政策を採用してりゃよかったのに…
@@Mr1988910 昭和13、4年は戦時中で物不足だったのではないですか?
戦争の足音が近づいてくる…
@@虎色の脳細胞現在日本も戦争が近づいてるどころか玄関の前で足踏みしてる危険度😂
@@パク-e2o 早めにお引き取り願いたいものです。
この時代に情報商材みたいなものもあったのですね。
霊夢がたまにするとんでもない変顔が好きすぎるwwwwww
戦前は田んぼや畑といった農地の価値が現在以上に高価で坪5円(1円が現在の4000円位)位が相場だったとのこと…土地が豊かなところでは10円というところもあった。なのでもし仮に戦前の貧乏農家の代名詞『五反百姓』の家の一人息子として生まれたあなたは相続したらとっとと親から相続した5反の田んぼを売り飛ばせば1反=300坪なので7500円のお金が手に入りました。しかも加えて戦前は国債や預金の利率が年利5%~10%というのも珍しくなかったので7500円のうち7000円位を預金して手を付けずにいれば年に350円~600円位の金が入ってくるので贅沢さえしなけりゃ十分に都会でのニート暮らしが満喫できたとのこと。
16:15 これは、当時でも現在でも、ものすごい体力・精神力を必要とする業務です。霊夢様にとってはおそらく、筋金入りの3Kでしょう。いまさらですが、床の間の掛け軸は、なかなか意味深長ですね。
返信有難う御座います。長谷川鉄工所は現在、大阪市港区波除に本社を構えグローバルに活躍されておられるようですね。この業務の事がお詳しいとは、もしかして貴殿は長谷川鉄工所の回し者ですか?www
今も昔も怪しい情報商材みたいなのは謳い文句も変わってないんだな
超おもしれーなんか戦前の日本の社会ってなんとなく堅苦しいイメージだったけど、そんなことないんだななんか安心したあとchannel登録した
政治と軍隊と皇室を批判さえしなければかなり自由だったと思います。
この当時の求人の文章の書き方が「履歴書送れ」と言う感じの命令なのが興味深い。
三行広告なので、掲載できる文字数が限られているという事情もありそうです。
当時はこれが一般的だと思う。昔の文体を現代の感性で読むのって明治文学とか読んだ事ないのかな?原作ドラえもんも現代の感性で読んで「上から目線」って言ってる人いたな。
@@mizutansan594 逆に日本語からこれまでに命令形がなくなったのっていつころなんやろ
今は取り調べの刑事が終始敬語で話す時代だからなぁ。逆に当時は拷問デッチ上げが多かったと思われる。
命令形ではなく已然形の説
あーだこーだ理由つけて働く気全くない感が〜🤣😂爆笑
ほかの求人広告とかお見合い募集の日本語は読んでもよく分からんのに、副業のやつだけは頭にスッと入ってくる
満洲と霊と名がつく霊夢が笑えた😆笑える動画もたまには良いね😀
バブル期のアルバイトマガジン分厚かったよ。
そう言えば、戦前の学制ってどうなってるのか知らないですね。まず、男子と女子で違う?男子 尋常小学校6年→高等小学校2年→中学校?年→高等学校?年→大学?年女子 〃 →高等女学校5年→このあとは??当時、中学校に進学する子は秀才で経済的に豊かな家庭でないと無理ですよね?だから、ほとんどの子が高等小学校を卒業したらどこかに就職してた時代。子だくさんでも何とかなった?今では、どこでもいいから大学と名の付く学校を卒業してないと就職できないというのを考えたら、親の経済的負担が大きいし、未婚・少子化になるのは必然かと…。
当時の女性はハイティーンで結婚、数え年20で複数児の母親なんてケースも珍しくなかったと思います。
16:24 無条件ニ許スでちょっと吹いた
ドラ息子なりニートなりを怒鳴り散らして追い出したものの、音信不通で両親とも心配になり最後の手段に出たんだろうな。ドラ息子は帰ってきたんだろうか。泣いてる母ちゃんと困り果てた父ちゃんの姿が目に浮かぶようだ、、、
この手の新聞での求人広告って昭和の終わり頃までありましたね。現在の様なネットなんか無い時代ですし、「アルバイトニュース」の様な求人雑誌がまだ普及してない頃でした。個人営業の商店や会社が主に出していましたね。この頃は月給〇〇万円とは必ず出していました。求人はあればラッキー位な感じだったらしいですけど。
前職が印刷会社勤務だったので西暦2000年頃に過去百年の新聞の縮刻版を何度か印刷しましたが女性向けの求人で容姿端麗なんで文字がこの時代普通に使われてるんですよね。
ピンマルさん明治時代、現在のJR四国の前身に当たる「山陽鉄道」高松ー琴平間の列車に「喫茶室」(食堂車)を連結した時の「女性給仕」(ウエイトレス)の募集条件一.品行方正処女タルモノ一.容姿醜悪ナラザルモノ今こんな求人出したら、大炎上確実ですなぁ😅😅😅😅😅😅😅
霊のつくものにロクなものが無いっていう件腹よじれるwww
昭和12年か・・例え引きこもっていたとしても徴兵制があるからなぁ。無理矢理軍隊に送り込まれて体力もなく要領も悪く人付き合いも出来ないとなると・・イジメ地獄どころじゃなかったかもなぁ・・
体力知力のないものは徴兵検査で落とされたから戦地には行かなかったけど、相当な恥だったみたいよ。
安心と信頼の稼げる副業。お陰さまで100周年‼️
何本か拝見させていただきました。いろいろ面白く興味深いですね。チャンネル登録させていただきました!!
私は今の会社に新聞広告で転職しました。18年前の話。
ウチの親父も高小→大工 しかし10人兄弟姉妹で最初に自分家を建てた。増築を重ね現在7LDK。まぁ工賃はタダなんだろうが今もって尊敬している。
素晴らしいチャンネルに感動しました。チャンネル登録と高評価しました。
死んだひい婆さんが美人で気立ていいから怖い人の掃除番料理とかしていたらしいから、戦前は一般人と裏社会の方が普通に繋がっていたらしいまあ自警団みたいなもんだから裏社会の人はそこまで怖くないらしいあとは奉公がまだまだ色濃く残っていたらしいですわ
やっぱ新聞は写植だよな~ いい味出してる。
大阪の求人で今もある地名なので興味深い
以前の職場の近くの薬局のおばさんから、「純喫茶って知ってる?」って聞かれた事があり、「聞いた事がない。」と言い返したら、「そっか。。。聞いた事がないか。。。」と普段性格がキツそうな女性が、ふと寂しそうな表情をしたんだ。 純喫茶の意味を初めて知った。
林芙美子の放浪記は大正時代の事が綴られてるが、三行広告にも求人欄が又、今の職安に行って事務員ですっですって女中じゃいけないのなんて件が
高等小学校は、今で言えば中学校に当たります。ウィキペディアで高等小学校を調べたら、昭和11年の統計によれば尋常小学校の卒業生の66%が高等小学校に進学しました。
最後の二人の笑い声、いつぞやの センター試験の国語の問題を思い出した😂
着眼点が凄く面白かったし、造りも手が込んでいました!
ニッチなネタでがんばってますが、今回はまとめ方が良くてとっても面白かったです。
3行広告、懐かしい!小学生のころ近所のヤクザに3行広告の見方を教えてもらって一緒に笑ってた。味噌も糞も混ぜこぜな良い時代やった。
文字数が限られているから、略語とかいっぱい出てきそう。
文学者の故・井上ひさしさんは、新聞を入手すると真っ先に三行広告欄へ目を通すことを習慣にしていたそうです。
内外タイムスの風俗三行広告は楽しみでしたね!😅
hiroki1898さんネタは、「東〇ポ」や「日〇ゲ〇ダイ」ですか?
「純喫茶」というのは、当時の「カフェ」(女給が男性客をもてなす、後のキャバレーの原型)と区別する為につけられた店名ですね。
永井荷風の墨東綺譚を読む限りだと当時の喫茶店って若い女の子が客引きしてて、今で言うガールズバーとかメイド喫茶に近い感じだと思ってた
@@ならはなたや さんそれは、私が説明した「カフェ」の事だと思いますよ。
ゆたぼん(馬鹿)「好きなことして生きていく」
なお15才で高卒認定試験7科目合格した模様(天才?)
朝ドラを見てると売れない芸術家、小説家もニート扱いにされていると思われる。
戦前の文豪・芸術家だとほぼそれに近い人、結構多いよ。
@@てっちゃん-t1k さん代表的なのは、「永井荷風」(「墨東奇譚」等で知られる、大正・昭和の作家)
霊夢のクズっぷりにむっちゃ笑ったwwwいつの時代も怪しい募集ってあるんだなあまあ、それに騙される人が大勢いるからこそ成り立ってるんだろうけど
早川タダノリの戦前・戦中の研究本にも、「怪しげな資格商法の広告」ってあったよ。資格自体は種類がたくさんあって、申し込み先(郵送先)の住所が3つしかない、とか。
最後の紙面の霊夢の隣の芳雄さん「話ツイタ居所知ラセ」って何やらかして逃げ回ってるんだよw
午前中は小学校に行き、午後に夜まで働く小学生もいましたね。商店で住み込みで。
子供の労働…とは思うけど、子供の稼ぎを掠めに来る毒親から守ってくれる雇い主もいたみたいだね。
いつの時代も胡散臭いんはあるんやな。
この頃の「純」じゃないカフェーは女給さんのサービスがエスカレートして、今で言うクラブとかホステス、風俗店みたいなものになってたんだよね
ぺんさん東京・銀座に平成以降も存在した、グランドキャバレー「白バラ」は「カフェー」がルーツだったそうですよ。
これより少し後の時代になるが、ニートに赤紙が送られるのは納得がいく。
天皇陛下の為に逝って来い
衣食住完備、給料も出るし素晴らしいじゃないか。命掛けることになるけど
@@58タタキ アドルフ・ヒトラー閣下も戦場で男から漢に磨きをかけたんだ男から漢になれ!
ニートは戦えません即やられます盾にもなりませんただ飯を食べるのがいなくなるので資源や経済の無駄の排除にはなります
@@もふもふ信者 「お国の為に戦ったエライ」→実際は米食い虫の駆除
多産ウズラ出現昭和の怪獣映画でありそう
13歳で働いてお金を稼ぐという感覚を早めに身につけて、その上で高校や大学に進んでもいいかも。
どこの家も親から言われることは同じようなものですねwもっと有名になって自慢の子供になってください。応援しています。
募集している会社で今も存在している所はあるのかな?
あると思います。
意外と名前を変えて、別業種でしぶとく残ってるかも。
儲かる副業って…一体いつからあるのやら
そういえば、「高等遊民」という言葉がありましたね。
申し訳ない、どなたかがすでにコメントしておられましたね。もっとも、この広告から数年と経たないうちに戦局が厳しくなり、高等遊民たちは漸次、兵隊として出征させられるようになります。
霊夢のパパとママが『あはははははおほほほほほ』って笑ってるとこ、いつかのセンター試験の現代文の問題が思い出される🤣
『ようつべ座』って、おい…。
素晴らしいチャンネルですね!登録しましたよー!追記ちなみに226事件の中心人物の1人、磯部浅一はニート。
12:34 のくだりマジで好きwwww
最初と最後の茶番が草過ぎるw
霊夢、「15でねえやは嫁」に行くんだぜ
オチが秀逸今も昔もかわらないんだな
この頃から出会い系あったんか…… 時代は変われど人が思いつくことって変わらないんだなあ
江戸時代はもっと凄いぜ!それよか戦後日本の現在の上場企業の工場の工員はほとんど中卒採用だぜ❗派遣じゃないぜよ❗
高等教育受けた優秀な人材少ない貧乏と貧困と中進国の罠がいけないわ
金の卵と言われた人達だね。
多分ほとんどの日本の若者が金の卵だったと思いますよ
ソフトバンクの雑誌求人も凄かった>パソコンオタク求む
この年の7月に、ヤバい事件が起こるし、気候風土もいろいろ違うだろうから、大陸に渡りたくないのは分かる…。このあと、中国大陸で起こる出来事を思うと…。求人広告も、新聞なんだな。求人雑誌なんて存在しないんだろう
いつの時代も朝10時に起きてカフェでランチ…1〜2時間ラインで仕事をしてお給料はOL時代の3倍なんていうのがあるのですね…。こわいこわい…😱
懐かしい‼️俗に言う『三行広告』ポルノ映画館のは今でも健在ですね。
「山小屋でジジイと山羊でも飼ってりゃいいさ。」
実家暮らしニートの自分冒頭で突き刺さる
達郎くんは何をやらかしたんや…
トンネルの壁に埋め込まれる時代
出会い系みたいなのってこの頃からあったんだね勉強になりました
伊藤虎商店の左にある博信社は玉造駅そばに同じ名前の会社あり。モカ珈琲商會は十三駅前に同じ名前の会社あり。真相は知らんけど!w
何気なく、そっと照会されてみては。案外、それぞれの会社が実際に出した広告かも知れませんよ。
平成初期までは「怪しくありません稼がせます」ってのもたくさんあったなもうめちゃくちゃ怪しい笑
貴重な情報の提供に感謝します。とても勉強になりました。
小生の両親(母:昭和2年,父:昭和3年生まれ)は、尋常高等小学校卒業でした。
父が病のため早逝しました。そのため私は、中学校卒業後直ちに社会人となりました。有難いことに仕事がありました。
お陰様で働きながら学び、アルバイトから国家公務員を経て数学教師の端くれとなりました。感謝しています。
万年少年より 2021.9.27
「儲かる副業」今と変わってないじゃないかw
儲かる副業はあるんだよ。
でも儲かるためには努力が必要なんよ。
正しい努力を継続すれば誰でも儲かる副業はある。
@@gwdapwd16766 マルチポストやめろよ
貴様は昭和12年から1mmも成長してないな
@@gwdapwd16766そんなのがあるんだったら本業にしてるわボケ
普通に「レジ係」って言葉が出てて昭和12年を少し身近に感じた
でも、レジの機械みたら・・・何コレ!?と思うと思うw
とても面白い内容でした。
童謡「赤とんぼ」(1921) の歌詞を見ると15歳で嫁に行くような時代だと分かるから、14歳に求人というのも納得ですね。
8:06 「お前やっぱり満州いってこいよ」 狂おしいほどすきwwwwwwwwww
千代崎橋の珈琲商店ですが、
現在の千代崎橋の側にある老舗の喫茶店の事かな?
実家の近所にある喫茶店なんですが、
明治からある老舗で千代崎橋の東詰から西詰に移転して来たなど聞いた話に酷似してます。
ポポって名前の喫茶店だったと思います。まだ営業してると思います!
当時の新聞の役割は実に大きかったんだなと思いました。
ニュースだけでなく、求人広告や人探しまで兼ねていたんですね。
現代で言えばTwitterに近いですかね。
儲かる副業マジで笑った
歴史ありすぎだろ
昭和12年にレジという言葉があったのが驚きだわ
今と変わらない詐欺広告まであってワロタ😂
あの有名なドモ〇ルンリンクルの雫が落ちてくるのを見るだけの仕事って
最初は いいなぁ~って思った。
でも、たぶんそのうち発狂しそうで怖い・・・。
あれは機械が正常に動いているかわかる技術者でないと務まらない仕事のような気がする。
さらなるところを言えば、機械の内部に取り付けられているフィルターの目の粗さや熱処理時の温度とかの判断ができなければ見る意味がない。
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機械のド素人がボーっと見ているだけでは務まらない、一流の技術者が就く目的を見失ったら発狂する仕事。
イラチだから、ギュッと絞ってしまうわw
藤岡弘、氏がドモ〇ルンリンクルの雫が落ちてくるのを見てる仕事をしたら・・・・
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儲かるかは自分次第なのに他人に依存して何もしなかった奴が「騙された!詐欺だ!」ってキレてるケースもあるよ。
自由結婚が少ない時代だったから、婚活する人がいたのが意外だね。
多分時代背景から考えられるのは40以上かと
仕事や家庭内でなかなか結婚できず看取る人を探す比較的裕福な人が婚活してたかも
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けっこうアレな息子を無知なお嬢さんにあてがってこき使おうと考えてる親の姿が目に浮かぶ。
実際お金はあるが息子の頭がアレで騙された女が同じようなアレな子供を産まされて逃げられなくなった例を知っています。
昔はそういうの施設がなくて野放しだから近所ならぜったい来ないけど、知らない土地からやってきた人が騙されて玉の輿とか言って結婚になることがたまにあったらしい。
当時の「見合い婚」ってのは、結婚間近の二人が形式として仲人に立ち会ってもらうという方法もかなり多かったし、今で言う「共通の友人の紹介」というのも場合によっては「見合い婚」に含まれていたよ
「13歳のハローワーク」ガチ編w
戦前も現在も怪しい募集は変わらないって事ですね
多産ウズラ出現の字面が面白すぎる
昭和12年といえば、戦前最後の辛うじて民主主義が残って時代やな。新聞記事も翌年あたりから雰囲気変わってくる。
そうだったんすか?。
翌年から戦争に巻き込まれて行くって事すか?。
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13:30
ユーチューブの広告かよ。
胡散臭い広告って、この頃から有ったのか。
15:48 家を出て両親を心配させた子も、だれかの親になり祖父母になり、ひいおばあちゃんになり、今は既に亡くなってると思うと胸が苦しくなる。
そのためにも、数年後の関西大空襲をまず生き延びなければ。
ほのぼのしていい時代じゃないですか!
あんな戦争さえしなければ…
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お見合い結婚が当たり前で仕方なく結婚してる時代だと思ってたけど、ご本人たちはできるだけ良い相手をみつけたかったんだろうなぁ、当たり前かもだけど。
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接客業って、出会ったことないようなアレな人意外と多くてビビりますよね。
毎日一体どこからあんなに沢山アレな客がわいてくるのか、いつも不思議です
儲かる副業ってこの時代から会ったんだな、、、、
どの仕事も待遇が書いてないの、恐ろしいwww
労働基準法なんてないですからね
冒頭部の『14歳から始める問屋の店員』は大体が住み込みの仕事で朝起きて朝飯食って店が閉まって晩飯までずーっと仕事で月給が月10円(現在の3万円~5万円)程度衣食住は雇い主もちで実家に帰れるのは盆と正月の年数日程度だったそうよ…
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あの頃って藪入りってなかった?
もっと酷い所だと藪入りの日だけ(休日年2日)という所もあったみたい。
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一応、工場法ってのがあったけど、今の基準からしたら相当ブラックでザルな法律。
所定労働時間は最低11時間だからね。
邦文タイピスト45円というと、そこそこの高級取りでは?思います。……あ、大正時代の45円と昭和10年代の45円とでは、貨幣価値が違う?
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今日、こんな素敵なテーマを扱うチャンネルに出会えた事を、自分新聞の1面に載せたい。
このチャンネルに出会う数週間前から近所の図書館にて
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心婚って戦前もネカマ的なモノに騙し騙されってあったのかなぁと思うと胸熱
このチャンネルマジで面白いな
昭和12年3月といえば、まだ盧溝橋事件もなく平和な時代ですね('ω')
工場(こうば)とかがメインかと思ってましたが、喫茶店とかもあったのですね('ω')
朝ドラエールでは喫茶店が主人公の家の近くにあったので想像してみました。
帝国主義時代でしたよ
差別、暴力
酷い時代でした
まあ1番最低の時代は江戸時代ですがね←検索すれば出て来ます
昭和12年は、戦前で最高に豊かさがピークの時代でしたね。
もうちょい言えば日中戦争の戦時好景気がピークに達していた1938年か39年あたりがもっと豊かな時代でしたね…近衛文麿が朝日新聞の尾崎秀実の口車なんぞに乗って南進してアメリカを挑発せずに北進政策を採用してりゃよかったのに…
@@Mr1988910 昭和13、4年は戦時中で物不足だったのではないですか?
戦争の足音が近づいてくる…
@@虎色の脳細胞現在日本も戦争が近づいてるどころか玄関の前で足踏みしてる危険度😂
@@パク-e2o 早めにお引き取り願いたいものです。
この時代に情報商材みたいなものもあったのですね。
霊夢がたまにするとんでもない変顔が好きすぎるwwwwww
戦前は田んぼや畑といった農地の価値が現在以上に高価で坪5円(1円が現在の4000円位)位が相場だったとのこと…土地が豊かなところでは10円というところもあった。
なのでもし仮に戦前の貧乏農家の代名詞『五反百姓』の家の一人息子として生まれたあなたは相続したらとっとと親から相続した5反の田んぼを売り飛ばせば1反=300坪なので7500円のお金が手に入りました。
しかも加えて戦前は国債や預金の利率が年利5%~10%というのも珍しくなかったので7500円のうち7000円位を預金して手を付けずにいれば年に350円~600円位の金が入ってくるので贅沢さえしなけりゃ十分に都会でのニート暮らしが満喫できたとのこと。
16:15 これは、当時でも現在でも、ものすごい体力・精神力を必要とする業務です。霊夢様にとってはおそらく、筋金入りの3Kでしょう。
いまさらですが、床の間の掛け軸は、なかなか意味深長ですね。
返信有難う御座います。
長谷川鉄工所は現在、大阪市港区波除に本社を構えグローバルに活躍されておられるようですね。
この業務の事がお詳しいとは、もしかして貴殿は長谷川鉄工所の回し者ですか?www
今も昔も怪しい情報商材みたいなのは謳い文句も変わってないんだな
超おもしれー
なんか戦前の日本の社会ってなんとなく堅苦しいイメージだったけど、そんなことないんだな
なんか安心した
あとchannel登録した
政治と軍隊と皇室を批判さえしなければかなり自由だったと思います。
この当時の求人の文章の書き方が「履歴書送れ」と言う感じの命令なのが興味深い。
三行広告なので、掲載できる文字数が限られているという事情もありそうです。
当時はこれが一般的だと思う。昔の文体を現代の感性で読むのって明治文学とか読んだ事ないのかな?原作ドラえもんも現代の感性で読んで「上から目線」って言ってる人いたな。
@@mizutansan594 逆に日本語からこれまでに命令形がなくなったのっていつころなんやろ
今は取り調べの刑事が終始敬語で話す時代だからなぁ。逆に当時は拷問デッチ上げが多かったと思われる。
命令形ではなく已然形の説
あーだこーだ理由つけて働く気全くない感が〜🤣😂爆笑
ほかの求人広告とかお見合い募集の日本語は読んでもよく分からんのに、副業のやつだけは頭にスッと入ってくる
満洲と霊と名がつく霊夢が笑えた😆
笑える動画もたまには良いね😀
バブル期のアルバイトマガジン分厚かったよ。
そう言えば、戦前の学制ってどうなってるのか知らないですね。
まず、男子と女子で違う?
男子 尋常小学校6年→高等小学校2年→中学校?年→高等学校?年→大学?年
女子 〃 →高等女学校5年→このあとは??
当時、中学校に進学する子は秀才で経済的に豊かな家庭でないと無理ですよね?だから、ほとんどの子が高等小学校を卒業したらどこかに就職してた時代。
子だくさんでも何とかなった?
今では、どこでもいいから大学と名の付く学校を卒業してないと就職できないというのを考えたら、親の経済的負担が大きいし、未婚・少子化になるのは必然かと…。
当時の女性はハイティーンで結婚、数え年20で複数児の母親なんてケースも珍しくなかったと思います。
16:24 無条件ニ許スでちょっと吹いた
ドラ息子なりニートなりを怒鳴り散らして追い出したものの、音信不通で両親とも心配になり最後の手段に出たんだろうな。ドラ息子は帰ってきたんだろうか。泣いてる母ちゃんと困り果てた父ちゃんの姿が目に浮かぶようだ、、、
この手の新聞での求人広告って昭和の終わり頃までありましたね。
現在の様なネットなんか無い時代ですし、「アルバイトニュース」の様な求人雑誌がまだ普及してない頃でした。
個人営業の商店や会社が主に出していましたね。この頃は月給〇〇万円とは必ず出していました。
求人はあればラッキー位な感じだったらしいですけど。
前職が印刷会社勤務だったので西暦2000年頃に過去百年の新聞の縮刻版を何度か印刷しましたが女性向けの求人で容姿端麗なんで文字がこの時代普通に使われてるんですよね。
ピンマルさん
明治時代、現在のJR四国の前身に当たる「山陽鉄道」高松ー琴平間の列車に「喫茶室」(食堂車)を連結した時の「女性給仕」(ウエイトレス)の募集条件
一.品行方正処女タルモノ
一.容姿醜悪ナラザルモノ
今こんな求人出したら、大炎上確実ですなぁ😅😅😅😅😅😅😅
霊のつくものにロクなものが無いっていう件
腹よじれるwww
昭和12年か・・例え引きこもっていたとしても徴兵制があるからなぁ。無理矢理軍隊に送り込まれて体力もなく要領も悪く人付き合いも出来ないとなると・・イジメ地獄どころじゃなかったかもなぁ・・
体力知力のないものは徴兵検査で落とされたから戦地には行かなかったけど、相当な恥だったみたいよ。
安心と信頼の稼げる副業。お陰さまで100周年‼️
何本か拝見させていただきました。
いろいろ面白く興味深いですね。
チャンネル登録させていただきました!!
私は今の会社に新聞広告で転職しました。
18年前の話。
ウチの親父も高小→大工 しかし10人兄弟姉妹で最初に自分家を建てた。増築を重ね現在7LDK。まぁ工賃はタダなんだろうが今もって尊敬している。
素晴らしいチャンネルに感動しました。チャンネル登録と高評価しました。
死んだひい婆さんが美人で気立ていいから怖い人の掃除番料理とかしていたらしいから、戦前は一般人と裏社会の方が普通に繋がっていたらしい
まあ自警団みたいなもんだから裏社会の人はそこまで怖くないらしい
あとは奉公がまだまだ色濃く残っていたらしいですわ
やっぱ新聞は写植だよな~ いい味出してる。
大阪の求人で今もある地名なので興味深い
以前の職場の近くの薬局のおばさんから、「純喫茶って知ってる?」って聞かれた事があり、「聞いた事がない。」と言い返したら、「そっか。。。聞いた事がないか。。。」と普段性格がキツそうな女性が、ふと寂しそうな表情をしたんだ。 純喫茶の意味を初めて知った。
林芙美子の放浪記は大正時代の事が綴られてるが、三行広告にも求人欄が又、今の職安に行って事務員ですっですって女中じゃいけないのなんて件が
高等小学校は、今で言えば中学校に当たります。ウィキペディアで高等小学校を調べたら、昭和11年の統計によれば尋常小学校の卒業生の66%が高等小学校に進学しました。
最後の二人の笑い声、いつぞやの センター試験の国語の問題を思い出した😂
着眼点が凄く面白かったし、造りも手が込んでいました!
ニッチなネタでがんばってますが、今回はまとめ方が良くてとっても面白かったです。
3行広告、懐かしい!
小学生のころ近所のヤクザに3行広告の見方を教えてもらって一緒に笑ってた。味噌も糞も混ぜこぜな良い時代やった。
文字数が限られているから、略語とかいっぱい出てきそう。
文学者の故・井上ひさしさんは、新聞を入手すると真っ先に三行広告欄へ目を通すことを習慣にしていたそうです。
内外タイムスの風俗三行広告は楽しみでしたね!😅
hiroki1898さん
ネタは、「東〇ポ」や「日〇ゲ〇ダイ」ですか?
「純喫茶」というのは、当時の「カフェ」(女給が男性客をもてなす、後のキャバレーの原型)と区別する為につけられた店名ですね。
永井荷風の墨東綺譚を読む限りだと当時の喫茶店って若い女の子が客引きしてて、今で言うガールズバーとかメイド喫茶に近い感じだと思ってた
@@ならはなたや さん
それは、私が説明した「カフェ」の事だと思いますよ。
ゆたぼん(馬鹿)「好きなことして生きていく」
なお15才で高卒認定試験7科目合格した模様(天才?)
朝ドラを見てると売れない芸術家、小説家もニート扱いにされていると思われる。
戦前の文豪・芸術家だとほぼそれに近い人、結構多いよ。
@@てっちゃん-t1k さん
代表的なのは、「永井荷風」(「墨東奇譚」等で知られる、大正・昭和の作家)
霊夢のクズっぷりにむっちゃ笑ったwww
いつの時代も怪しい募集ってあるんだなあ
まあ、それに騙される人が大勢いるからこそ成り立ってるんだろうけど
早川タダノリの戦前・戦中の研究本にも、
「怪しげな資格商法の広告」ってあったよ。
資格自体は種類がたくさんあって、
申し込み先(郵送先)の住所が
3つしかない、とか。
最後の紙面の霊夢の隣の芳雄さん「話ツイタ居所知ラセ」って何やらかして逃げ回ってるんだよw
午前中は小学校に行き、午後に夜まで働く小学生もいましたね。商店で住み込みで。
子供の労働…とは思うけど、子供の稼ぎを掠めに来る毒親から守ってくれる雇い主もいたみたいだね。
いつの時代も胡散臭いんはあるんやな。
この頃の「純」じゃないカフェーは女給さんのサービスがエスカレートして、今で言うクラブとかホステス、風俗店みたいなものになってたんだよね
ぺんさん
東京・銀座に平成以降も存在した、グランドキャバレー「白バラ」は「カフェー」がルーツだったそうですよ。
これより少し後の時代になるが、ニートに赤紙が送られるのは納得がいく。
天皇陛下の為に逝って来い
衣食住完備、給料も出るし素晴らしいじゃないか。
命掛けることになるけど
@@58タタキ
アドルフ・ヒトラー閣下も戦場で男から漢に磨きをかけたんだ
男から漢になれ!
ニートは戦えません
即やられます
盾にもなりません
ただ
飯を食べるのが
いなくなるので
資源や経済の無駄の排除にはなります
@@もふもふ信者 「お国の為に戦ったエライ」→実際は米食い虫の駆除
多産ウズラ出現
昭和の怪獣映画でありそう
13歳で働いてお金を稼ぐという感覚を早めに身につけて、その上で高校や大学に進んでもいいかも。
どこの家も親から言われることは同じようなものですねwもっと有名になって自慢の子供になってください。応援しています。
募集している会社で今も存在している所はあるのかな?
あると思います。
意外と名前を変えて、別業種でしぶとく残ってるかも。
儲かる副業って…一体いつからあるのやら
そういえば、「高等遊民」という言葉がありましたね。
申し訳ない、どなたかがすでにコメントしておられましたね。もっとも、この広告から数年と経たないうちに戦局が厳しくなり、高等遊民たちは漸次、兵隊として出征させられるようになります。
霊夢のパパとママが『あはははははおほほほほほ』って笑ってるとこ、いつかのセンター試験の現代文の問題が思い出される🤣
『ようつべ座』って、おい…。
素晴らしいチャンネルですね!
登録しましたよー!
追記
ちなみに226事件の中心人物の1人、磯部浅一はニート。
12:34 のくだりマジで好きwwww
最初と最後の茶番が草過ぎるw
霊夢、「15でねえやは嫁」に行くんだぜ
オチが秀逸
今も昔もかわらないんだな
この頃から出会い系あったんか…… 時代は変われど人が思いつくことって変わらないんだなあ
江戸時代はもっと凄いぜ!それよか戦後日本の現在の上場企業の工場の工員はほとんど中卒採用だぜ❗派遣じゃないぜよ❗
高等教育受けた優秀な人材少ない
貧乏と貧困と中進国の罠がいけないわ
金の卵と言われた人達だね。
多分ほとんどの日本の若者が金の卵だったと思いますよ
ソフトバンクの雑誌求人も凄かった>パソコンオタク求む
この年の7月に、ヤバい事件が起こるし、気候風土もいろいろ違うだろうから、大陸に渡りたくないのは分かる…。
このあと、中国大陸で起こる出来事を思うと…。
求人広告も、新聞なんだな。求人雑誌なんて存在しないんだろう
いつの時代も朝10時に起きてカフェでランチ…1〜2時間ラインで仕事をしてお給料はOL時代の3倍なんていうのがあるのですね…。こわいこわい…😱
懐かしい‼️
俗に言う『三行広告』
ポルノ映画館のは今でも健在ですね。
「山小屋でジジイと山羊でも飼ってりゃいいさ。」
実家暮らしニートの自分
冒頭で突き刺さる
達郎くんは何をやらかしたんや…
トンネルの壁に埋め込まれる時代
出会い系みたいなのって
この頃からあったんだね
勉強になりました
伊藤虎商店の左にある博信社は玉造駅そばに同じ名前の会社あり。
モカ珈琲商會は十三駅前に同じ名前の会社あり。
真相は知らんけど!w
何気なく、そっと照会されてみては。案外、それぞれの会社が実際に出した広告かも知れませんよ。
平成初期までは「怪しくありません稼がせます」ってのもたくさんあったな
もうめちゃくちゃ怪しい笑