ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
沖縄在住のフルコン空手経験者ですが、フルコン空手は確かに同じルールの中でしか戦えないと痛感しております。なぜ沖縄の空手をやらなかったのか後悔しているくらいです。正直言うと中国武術もちょっとバカにしていたのですが、中国武術に対する見方が180度変わりました。こんなすごい先生が沖縄にいらしたとは知りませんでした。勉強します!
宮平先生の言葉はまさにリアリストの言葉だなぁ。
日本の武術界に宮平先生が存在してくれてることがまず感謝!!!
スポーツ格闘技はスポーツマンシップにのっとり安全に正々堂々と戦う技術を競う場であってほしい。伝統武術は相手の体に致命傷を負わせるような危ない技術を正確に伝えるものであってほしい。どちらもとても美しい技術だと思います。
実際の動作の動画も良いけど、武術家の思考に触れる良い回だな~
宮平先生の武術の説得力は、きっと普通ではない宮平先生ご自身の体験から来るものだと以前より感じておりました。中国に行って只習ったとかの次元ではなく、沖縄空手から入り、いろいろ感じられ体験され覚悟を持って中国に行かれ、表演種目や散打競技ではない現代の中国でも抜けている部分をフォーカスして極められた稀有の武術家だと思います。
すごく言葉を選びながら話されていますね、素晴らしいです。格闘競技の良さも充分話されながら実戦との違いを説明されています。聞きながら宮平先生ご自身も格闘競技が好きで尊重されているのも伝わりますし、しかし本当の実戦とは別次元であるという言いにくい部分もあえて格闘競技支持派からの批判受ける覚悟の上で語られているように見えました。きっと誰かが話さないといけないとの認識からでしょう。ともかく宮平先生にはこれからもご自身の信念の道を進まれてほしいと願っています。
何にでも言えますが、技術や道を追求していくと、自然と哲学的な思想が芽生えるんですかね。ホントに素敵です。
最後の壷の話がとても心に響きました。
武術って楽しいですよねー見るのも聞くのも体験するのも。護身の概念が宮平先生から聞いてビックリしました。中国の考え方は合理的で素晴らしいですね。
老子と壺のお話、大変感銘を受けました。普通の人からすれば武術というのはおっかない壺ですが、宮平先生の壺には綺麗な水が入っているような感じがします。人生の大切な事を考えさせられました…お話の威力もすごい!
深い考えを持たれた人だと思う。経験で学んでいると感じた。
競技とは違う世界を伝えるために宮平先生が居るのだと思いますね。習うことで危険な世界に近づきがちな武術の世界を文化として伝えようとしてるのかなと思いました。
老師の壺と空洞の話、すごく良かったです。考えて選びながら発する言葉に重みを感じました。
一生使わないで生活することって本当に名言だと思う。これだけ強いのにその強さをひけらかすこともない。本当の意味での強さを持った人です。素晴らしいインタビューで感動しました。
あらためて格闘競技と武術は、というか宮平保先生の武術は別物だと思います!!! 何がいいとか悪いとかじゃなくて。
今回の宮平先生への質問は個人的にも聞いてみたいことだったんでとてもありがたい!!!!
やはり本物の武術家の言葉や思想は深い感銘を受けますね。武術とは戦争の中から生まれ、敵を倒し生き残るための技術。格闘技は見世物から始まり、スポーツとして昇華されて来た。お互いにベクトルは違うけれど、相互理解かわあれば尚良しだと思います。宮平先生の仰る通り武術は使う事がない方が安全、平和な人生を送れると思います。しかし、強盗や通り魔等に遭遇するかもしれない時の用心として武術を習得する価値はありますね。
宮平先生の考え方は基本武器あり多人数ありという印象が凄くありますので、その意味で技術を紹介されている動画も理解した上で見ないと解りにくいとは感じました。
宮平先生の持つ緊張感、警戒の雰囲気がどこから来ているのか少し垣間見えた というか納得がいきました。 なるほど。使うことによって誰も幸せにならない それはまさに核に近いですね しかし持つことで意味を成す 考えさせられます。
カンフー映画好きだったんで宮平さんが出るようになってkuro-obi worldにハマってもう3年😊
こういう対話は凄く貴重だし嬉しいです(^^)武道と格闘技の違いを体現されてる方の言葉で語って下さるのは本当に貴重な対話だと思いました(^^)
聞いていてズシッと私には響き、唸りました。同時に言葉というのは面白いもので誰がこのセリフを言っても唸るかと言えば、おそらくあり得ず、宮平先生のように人生をかけて武術と向き合われ、明らかに身体を簡単に壊しえるであろう実力を有しているゆえに重い説得力を持つんだと感じた次第です。
格闘技との違いは表現によってはコメ欄荒れそうだけど、これは宮平先生にしか話せない内容だなと。今回の動画はう~んと唸りながら見入ってしまった。やっぱり凄いよね。
深い! もう、とにかく聞き入ってしまいました。素晴らしい動画をありがとうございます!!
宮平先生の物腰の柔らかさは武道を極めたことに無関係ではないでしょう。人を屈服させようとかいう発想でいる限りは、本当の強さは得られないのかもしれない。
日本で言う剣術は今現在なぜならうのかと同じ世界ですね。
宮平先生は言葉をかなり選ばれてますが、かなりの修羅場を経験なされていらっしゃるのでしょうね。
これは重要な動画です。とてもよく今の問題が、整理され、語られ、結論を出してくれている。「ノックアウトや判定勝利を目指す、ルールを基本にした格闘”競技”と、殺傷を必須とする護身武術」「いくら格闘技の世界で強くて、人気があっても、通り魔に対しては、全然ジャンルが違う。通り魔は、警察が担当する。護身術は、そこまでをカバーする」「日常生活でほとんど使わない殺傷武術だが、それを学んでいく段階で、身につくことがある。それを大切な”実り”としたい」
最強になればなるほど大人しくなるってガチで怖いよ
ありがたいお言葉です!最近宮平先生に心酔しております。誠にもって現代における武術とはなにか?さらにはそもそも武とはなんなのか?ということに深いお考えを持たれていて、人格も尊敬しております。時間とお金があれば沖縄に住み込みでご教授願いたいほどです。仕事も家庭もあるのでそうはいきませんが、どうにか宮平先生の発されるもの全てを吸収できたらなと考えておりますので、こういった映像は大変有難いです。将来的に可能であれば、全国各地に定期的に指導をされる会を開かれればとても嬉しいです。私も沖縄に伺いたいです。
今他の方のコメントを拝見して、やはり現代日本人の感覚と、伝統武術を探究する人の感覚のズレを感じますね。使わない=必要ないという方がやはり多数なんだと思います。日本では兵役もありませんし、みんな他の国に比べればかなり裕福ですので、そういった身を守ることに関してセンサーが麻痺してしまってるのだと思います。人生においてその様なことがなければ使わなくてすむもの。しかし万が一にでも、自分や守るべき人に最悪の事態が起きた場合に、自分はどうするのかという話だと思います。それは仕方ないとあきらめて、楽しく好きな趣味を楽しむのも1つだと思いますし、武術と縁がないことも普通だと思います。しかし、宮平先生のおっしゃられている領域というのは、本当に生きるということを根底から考えたときに、かなり核心となる部分だと思いますし、哲学的にも避けられない部分だと思います。人類の歴史は闘争の歴史でもあります。自分のなかに揺るぎないものを持ち、磨き続けることにより、覚悟を決め物事に取り組むことができれば、きっと素晴らしい人生がおくれると思います。宮平先生の存在を知るのが今になったことが悔やまれますが、逆に今こそ知るべき時だったのだと思います。長々とバカな考えを書き連ね失礼致します。あくまで私個人の解釈であり、宮平先生の意図されていることとは違うかもしれませんのでご容赦ください。おかしな点はご指摘ください。
オウ先生の静止画からでも醸し出される圧倒的なオーラが凄い。しなやかなのに力強く、およそ普通に生きてたらとらない姿勢なのに重心が安定していて美しいです。先人から積み重ねてきたシリアスな怖さ・重みと美が両立していて傑作彫刻作品のよう
このインタビュー内容はゾクッとするような宮平先生の凄さを感じました・・・
人を殺傷する技術にルールはなく、格闘技はルールに守られながらのスポーツということですね。宮平先生のあまりにも深いお話に感動しました。悟りの世界。
空手にもたくさんの武器がありますからね相手を斃してナンボなんですよね、昔の武術って途中からの宮平先生の言葉を一番具体的に体現しているのが自衛隊だと思いました日本を守るために技術や装備を充実するけど、使われないのが一番だという
尊敬します。
宮平先生のような本物の武術と格闘競技は似て異なる全く別物というのがよく解る動画です。
TH-cam動画でこんなに聞き入ったの初めてかも。
宮平保先生のひと言ひと言は深いし重みがすごい
この動画はたくさんの人が見るべきだな
深すぎる…カッコ良すぎるよ
少林拳をご縁があり2年間ですが学びましたが、学ぶ意味が分からなくなり今は学んでいませんが、学ぶ意味を知る事も大切だと思いました。その時は、全く分かってなかった自分の考えの甘さに残念に思っています…。
武術を追求し極めた先に居る佇まい穏やかで紳士的なのに溢れ出す恐ろしいオーラよ
宮平先生道場に興味持って動画探しまくったら警察署でも教えてたんですね、納得ですわ
格闘技系はオタク古武術系に対して「使えねーよ。そもそも殴り合ったことあんのか??」。オタク系は格闘技系に「ルールに守られてる。俺らは急所攻撃も刀とか武器も想定してるぞ」と、以前はこんな両者になんかスッキリしないとこあったけど、この動画見てすごくスッキリしている。現代という時代だけとかにとどまらない時間?時代?も超えたお話が聞けたと思う。感謝。
普通レベルであれば、力が強くなれば試したくなる、力を誇示したくなるけれど、達人レベルになるとむしろ己の力を封印する精神力の方が大事になるのだろう「戦わずして勝つ」そんなレベルに行けたら、心がいつでも穏やかにいられるのだろう
武術とスポーツ格闘技の違いは、最高を想定するのがスポーツ格闘技、最悪を想定するのが武術だと思います。時間・場所・相手・ルールそれら全てが最高の状態でいい試合をするのがスポーツ格闘技です、当然最高の対戦が見れるのですから素晴らしいものだと思います。逆に武術は自分が怪我病気をしていても、相手が複数で武器を持っていても、足場天候が悪くとも戦い生き残れるようにするのが武術と考えます。壺のお話大変興味深く思いました、五輪の書でも似たような話があると思います、兵法を学ぶことは生き方を学ぶことと同じと書いてあったと思います。敵を倒す目的で考えたことでも人生で生きていくことに役立つと知りました。
武術を修めてる側から見れば武術は不測の事態に備える為の生活に根差した生活必需品で、格闘技や競技武道は見て触れて楽しむ娯楽だと思う。
これ見て宮平先生と格闘家とのコラボ見たいなーと思ってた自分の浅はかさに気づいた感じがしてる
浅はかでしたね
言葉も見た目もカッコよ過ぎる
先生が人格者なのですごく納得行った言葉だった。
護身術とか手習い程度の中途半端な技術で相手を逆上させるのが一番怖いと思ってて、危機に直面した場合は即逃げるっていうのが最善なんでしょうね武術の実践というのは本当に慎重にならないといけない
でも「正論」では500m離れた場所の女性の危機すら救えないとも思いますがね。どうすれば身を守れるか?を知りたい女性に何が必要か、学べる場はやはり必要だと思います。
本当にそうらしいですね。ある人たちは護身の為に格闘技を習う習慣が有るそうですが黒帯は絶対に取らないそうです。実際に使った場合法律の適用が厳しくなるからです。そして何よりも第一に逃げることを最初に考えるそうです。実際にその技術を使うのは最後の手段になるそうです。
自分も格闘技に触れていますが、武器を持った相手や複数相手だと全くイメージも変わり、フィジカルな部分だけではなく戦略の部分、昔でいう兵法に近い感覚が必要だとは思います!
やはり哲学だったんですね!嬉しく感じました!
格闘技と武術が似て非なるものであることがよくわかりました。もともと道教と老師が好きなこともあり、最後の壺の話には非常に含蓄を感じました。
競技格闘のフィジカルの強さ、技術や痛みへの免疫も大きな武器ですけどね。「急所攻撃さえすればいい」と思い込んで未熟な武術幻想で止まってしまうことを常に警戒しなければならないと思います。稽古の中で「おい、いま死んだぞ」と言われると、必死に向上しようという気持ちになるわけです。死にたくないから。武器術の方が実感しやすいですね。真剣に死を考えるからこそ、生きているありがたさを実感できる。そして「戦わないのが一番楽でいい」と実感し、礼儀作法や平素の危機管理に行き着くのだと思います。武術は安心材料のひとつであり、不要であることをありがたいと実感できる。宮平先生のお言葉は争いを知らない暴力を否定する平和主義の方と似ていますが、経験からくる重みが段違いですね。
使わないために、稽古すると言った言葉の奥が深い。流石に重みがある。
色々異論があるテーマだとは思いますが、老荘の壺の例え話の所で、なるほどと思わされる面はありました。その作った壺の形が歪にも成りかねませんが、適切な思想的経過を経るなら、その出来た壺の空洞、中のフォルムは、他の技芸では収まらない状況も、その身に納めることが出来る、大きさと独特な形の空間をその身に宿すことが出来るかも知れません。
宮平先生はあまり細かく話されませんが、端々に出る中国時代のエピソードがとてつもなくヤバそう(^_^;)
人は心一つで鬼にも仏にもなりまするby安倍晴明ってとこかなぁマジックのテクニックも出来ないってのと出来るけどやらないってのはまったく違うことじゃもんなぁ演技するために練習したテクニックばかりじゃないのはやっぱり演技の幅が増えたり表現力がついたり宮平先生のおっしゃる練習して身についていく過程でたくさん学ぶことがあるけんなんよなぁ・・・
中国武術は絶対なる一を求めた後、個を捨て全となるという思想もあるそうだし、最終的にはみんなと仲良くなるためという話もありますね。
宮平先生は日本人武術家の中でも特殊な感じがしますね。。。
相手に殺傷出来るのにしない、それすなわち一歩引けるようになる、色んなことに対して余裕を持って、周りを傷つける事ない様に工夫する。あるいは工夫する心を得る、それが武術を使う以上の意味があると思いますね。平たく言えば体ではなく心を鍛える為?
中先生や井上先生もそうだが一生使わないのが理想と言う宮平先生の言葉にも重みがありますナイフで後ろから斬りつける。銃で射殺するのは勿論弾が尽きたり白兵戦では銃剣で刺殺だけでなく身の回りにある棒でも何でも使って撲殺するこんな訓練するのも実際に使う事態が起きない為にですだったら税金で何でそんな訓練するのって思う人もいるしょうがそれが本当の防衛だと代々の先輩達が受け継いで後輩達に申し送りしてきたことです宮平先生の言葉に僕達が青春かけてしてきた事が無駄ではなかったと思いましたいざとなったら普段から磨ぎすました刀を抜けるそんな備えているからこそ刀を抜く事態を防げると若い頃言われた言葉と一緒です
無理な話だとは思うけど、ぜひ宮平先生と桜井章一会長と甲野義則先生の対談を聞いてみたい、とてつもなく人生の勉強にさせていただける期待感が止まらない
この動画と『身の危険を感じた時に武術は使えるのか?中国武術の宮平保が本音を語る Kung-Fu, Tamotsu Miyahira ' s thought of Self Defense』は併せて武道格闘技関係ない方々でもぜひ見たほうがいい動画ですね。
達人ならではの悟りの境地ですね。
たしかに、ゼロ格闘術の稲川先生もこういった殺人術が一生使われないのが理想って話してましたもんね。格闘技は相手を失神させるか、戦意を喪失させるのが目的だけど、武術は基本防御といいながら、その先には相手を殺傷するのが目的ですからね。考え方からして全く違うのです。だから、やたら喧嘩に使うつもりで、武術を習いにきた人に教えると、きちがいに凶器をもたせる様なことになりかねない。だから、教えるにあたり宮平先生は心の部分を教えていると思いますし、その人を見て教えてよい武術とそうでない武術をわけてるかもしれませんね。
宮平先生が想定されているのは対格闘技選手とかではなく、対暴力、って書いたら当たってるかな??
人間にとって戦いの表の顔になっている格闘競技と裏の顔になっている武術。現代では社会的にも求められている格闘競技を見る機会はいくらでもあると思うが、必要とあれば殺傷というところにも踏みこむんであろう裏の顔の実戦武術をこうして目にすることができるというのは実はすごく貴重で、ありがたいことなのでは思ったりもした。。。
老子の言葉、深いですね。素晴らしい。
どんな理由があってもきっと武術を本気で使うことは許されないでしょうね自分は格闘技経験はないですけど映画や格闘技観戦は好きですこのチャンネルで見ただけでも武術は動きが独特で美しい映画だと特に見栄えがいいですしこれだけでも継承する意味が有ると思います
この先生すごい。
届きました。
とても素晴らしい動画でした。
めっちゃ強いのに絶対使わないってのがカッコいい!いろんな意味で武術は勉強なのですね。
とにかく、かっけぇーなー😊
宮平先生が実際より15位若く見えるのはファッションが若いのもあるな
MMAで縦肘と後頭部・背中への打撃が禁止されてなかったらタックルは誰もしなくなる。相手を壊す技はスポーツ(格闘技)では禁止である。
自衛隊の在り方と共通する気がしますね。自衛の力としていかなる外敵が相手でもそれから国民や国土を守れるだけの力を持たなくてはならない。しかしそれはあくまでも大切なものを守る時、本当に武力に頼る以外選択肢が無い時の最後の手段。そうでない限り永遠に実践されないことが理想。
全くその通りですだから災害派遣ではきつければきつい程隊員は立ち向かって行くのですそれを外国武官達は見て自衛隊の士気は高いし規律も守られている。こりゃあ日本に攻め入ったら手痛い仕返しされるから止めた方が良いぞと
ありがとうございました
1:18 こんなとこに体験してみないとわからない感触があるんだと思う。人間が無意識に取ってしまう防御本能とかを利用したうえでやってると思うので。
素晴らしいと思う。
自分の学生時代の鍼の先生が20年程前に中国の湖南で鍼の勉強で留学し南拳系の武術も学んでいたそうですが武門の中での序列?メンツ?みたいのが日本では想像付かない程強く同輩の外に遅れを取るのは死に値するくらいの問題らしく組手等でも壁に頭を叩きつける様な荒々しい稽古で歓迎されたと聞いた事がありますね
躰道の中野先生も哲学っていってたなぁ
いざとなれば力でどうとでもなるから優しいし物腰が柔らかくなるのかな?
綺麗な八極拳です!シェアしてくれありがとう!👊
宮平先生はまだ若いし、その経験から得た真理を後世に伝えて欲しい。稀代の武術家です。
宮平先生の今の武術に至った話はズシリと重みがすごいです。たまーにいるケンカ自慢の人の聞き苦しい話とは真逆の世界。だからこそ武術というのは生半可な気持ちでは出来ないなとあらためて感じる
この先生は日本の国宝だと思う
琉球と中国の国宝でもあるね〜
抑止力として武術を身に付けると良いということね
中国の友人の格闘技トップ選手が武器ありのケンカでは全く格闘技の技術を使わなかった(使えなかった?)ってのは生々しくてコワいw
私ごときが言うのもなんですが今じゃ数少ない武人って感じました、武を極める、なんか憧れます男として
相当危ない体験されたことは察せられるね。あと散打が始まった頃にムエタイ、フルコン、マーシャルアーツの資料を協力とかの隠れた逸話もなんかいいなー(^^) インタビューグッドジョブ👍
KOと殺傷の違い、壺と空洞の違い、なるほどと唸らされた。
武術は一生使わない方がいいって、剣術の達人無刀流山岡鉄舟翁と同じ事仰ってるね。達人の言葉。
一生使わない生活を送れること。自衛隊の考えと一緒ですね。本物はやはり違いますね、凄さを感じました。
僕が35年間で分かった事がそうですいざとなればどの国にも負けない戦闘能力を養うのは戦争をする為でなくさせないため税金泥棒と言われようが良いではないか頼りにされる時は国民が不幸な時だからあってはならないしさせてはならない為にも訓練で汗と涙流せこれこそ本当の反戦なのだと
真の意味でノールールだと銃だったり核ミサイルの発射ボタンと言う話になってしまうのですが、そうではなくて武術をすなるうえで正しい姿勢が一番威力を発揮するかの如く、仕事・私生活等に於いても正しい姿勢で物事に取り組むことが結果として自分の身を守ることになったりします。それこそが武術をする最大の効能ではないでしょうか。正しい姿勢とは自分に嘘をつかないことなのかなぁと思います。宮平先生のお話を聴いてそんなことを考えました。
言いたかったこと全部言ってくれた!
浅山一伝流の関先生と対談してほしいですね。
なんでだろうな ズシリと響く言葉だね!
沖縄在住のフルコン空手経験者ですが、フルコン空手は確かに同じルールの中でしか戦えないと痛感しております。なぜ沖縄の空手をやらなかったのか後悔しているくらいです。
正直言うと中国武術もちょっとバカにしていたのですが、中国武術に対する見方が180度変わりました。こんなすごい先生が沖縄にいらしたとは知りませんでした。勉強します!
宮平先生の言葉はまさに
リアリストの言葉だなぁ。
日本の武術界に宮平先生が存在してくれてることがまず感謝!!!
スポーツ格闘技はスポーツマンシップにのっとり安全に正々堂々と戦う技術を競う場であってほしい。
伝統武術は相手の体に致命傷を負わせるような危ない技術を正確に伝えるものであってほしい。
どちらもとても美しい技術だと思います。
実際の動作の動画も良いけど、武術家の思考に触れる良い回だな~
宮平先生の武術の説得力は、きっと普通ではない宮平先生ご自身の体験から来るものだと以前より感じておりました。中国に行って只習ったとかの次元ではなく、沖縄空手から入り、いろいろ感じられ体験され覚悟を持って中国に行かれ、表演種目や散打競技ではない現代の中国でも抜けている部分をフォーカスして極められた稀有の武術家だと思います。
すごく言葉を選びながら話されていますね、素晴らしいです。格闘競技の良さも充分話されながら実戦との違いを説明されています。聞きながら宮平先生ご自身も格闘競技が好きで尊重されているのも伝わりますし、しかし本当の実戦とは別次元であるという言いにくい部分もあえて格闘競技支持派からの批判受ける覚悟の上で語られているように見えました。きっと誰かが話さないといけないとの認識からでしょう。ともかく宮平先生にはこれからもご自身の信念の道を進まれてほしいと願っています。
何にでも言えますが、技術や道を追求していくと、自然と哲学的な思想が芽生えるんですかね。ホントに素敵です。
最後の壷の話がとても心に響きました。
武術って楽しいですよねー
見るのも聞くのも体験するのも。
護身の概念が宮平先生から聞いてビックリしました。
中国の考え方は合理的で素晴らしいですね。
老子と壺のお話、大変感銘を受けました。
普通の人からすれば武術というのはおっかない壺ですが、
宮平先生の壺には綺麗な水が入っているような感じがします。
人生の大切な事を考えさせられました…お話の威力もすごい!
深い考えを持たれた人だと思う。
経験で学んでいると感じた。
競技とは違う世界を伝えるために宮平先生が居るのだと思いますね。習うことで危険な世界に近づきがちな武術の世界を文化として伝えようとしてるのかなと思いました。
老師の壺と空洞の話、すごく良かったです。
考えて選びながら発する言葉に重みを感じました。
一生使わないで生活すること
って本当に名言だと思う。
これだけ強いのにその強さをひけらかすこともない。
本当の意味での強さを持った人です。
素晴らしいインタビューで感動しました。
あらためて格闘競技と武術は、というか宮平保先生の武術は別物だと思います!!! 何がいいとか悪いとかじゃなくて。
今回の宮平先生への質問は個人的にも聞いてみたいことだったんでとてもありがたい!!!!
やはり本物の武術家の言葉や思想は深い感銘を受けますね。
武術とは戦争の中から生まれ、敵を倒し生き残るための技術。
格闘技は見世物から始まり、スポーツとして昇華されて来た。
お互いにベクトルは違うけれど、相互理解かわあれば尚良しだと思います。
宮平先生の仰る通り武術は使う事がない方が安全、平和な人生を送れると思います。
しかし、強盗や通り魔等に遭遇するかもしれない時の用心として武術を習得する価値はありますね。
宮平先生の考え方は基本武器あり多人数ありという印象が凄くありますので、その意味で技術を紹介されている動画も理解した上で見ないと解りにくいとは感じました。
宮平先生の持つ緊張感、警戒の雰囲気がどこから来ているのか少し垣間見えた というか納得がいきました。 なるほど。使うことによって誰も幸せにならない それはまさに核に近いですね しかし持つことで意味を成す 考えさせられます。
カンフー映画好きだったんで宮平さんが出るようになってkuro-obi worldにハマってもう3年😊
こういう対話は凄く貴重だし嬉しいです(^^)
武道と格闘技の違いを体現されてる方の言葉で語って下さるのは本当に貴重な対話だと思いました(^^)
聞いていてズシッと私には響き、唸りました。同時に言葉というのは面白いもので誰がこのセリフを言っても唸るかと言えば、おそらくあり得ず、宮平先生のように人生をかけて武術と向き合われ、明らかに身体を簡単に壊しえるであろう実力を有しているゆえに重い説得力を持つんだと感じた次第です。
格闘技との違いは表現によってはコメ欄荒れそうだけど、これは宮平先生にしか話せない内容だなと。今回の動画はう~んと唸りながら見入ってしまった。やっぱり凄いよね。
深い! もう、とにかく聞き入ってしまいました。素晴らしい動画をありがとうございます!!
宮平先生の物腰の柔らかさは武道を極めたことに無関係ではないでしょう。
人を屈服させようとかいう発想でいる限りは、本当の強さは得られないのかもしれない。
日本で言う剣術は今現在なぜならうのかと同じ世界ですね。
宮平先生は言葉をかなり選ばれてますが、かなりの修羅場を経験なされていらっしゃるのでしょうね。
これは重要な動画です。とてもよく今の問題が、整理され、語られ、結論を出してくれている。
「ノックアウトや判定勝利を目指す、ルールを基本にした格闘”競技”と、殺傷を必須とする護身武術」
「いくら格闘技の世界で強くて、人気があっても、通り魔に対しては、全然ジャンルが違う。通り魔は、警察が担当する。護身術は、そこまでをカバーする」
「日常生活でほとんど使わない殺傷武術だが、それを学んでいく段階で、身につくことがある。それを大切な”実り”としたい」
最強になればなるほど大人しくなるってガチで怖いよ
ありがたいお言葉です!
最近宮平先生に心酔しております。
誠にもって現代における武術とはなにか?
さらにはそもそも武とはなんなのか?
ということに深いお考えを持たれていて、
人格も尊敬しております。
時間とお金があれば沖縄に住み込みでご教授願いたいほどです。
仕事も家庭もあるのでそうはいきませんが、
どうにか宮平先生の発されるもの全てを吸収できたらなと考えておりますので、
こういった映像は大変有難いです。
将来的に可能であれば、
全国各地に定期的に指導をされる会を開かれればとても嬉しいです。
私も沖縄に伺いたいです。
今他の方のコメントを拝見して、
やはり現代日本人の感覚と、伝統武術を探究する人の感覚のズレを感じますね。
使わない=必要ない
という方がやはり多数なんだと思います。
日本では兵役もありませんし、みんな他の国に比べればかなり裕福ですので、そういった身を守ることに関してセンサーが麻痺してしまってるのだと思います。
人生においてその様なことがなければ使わなくてすむもの。
しかし万が一にでも、自分や守るべき人に最悪の事態が起きた場合に、自分はどうするのかという話だと思います。
それは仕方ないとあきらめて、楽しく好きな趣味を楽しむのも1つだと思いますし、武術と縁がないことも普通だと思います。
しかし、宮平先生のおっしゃられている領域というのは、本当に生きるということを根底から考えたときに、かなり核心となる部分だと思いますし、哲学的にも避けられない部分だと思います。
人類の歴史は闘争の歴史でもあります。
自分のなかに揺るぎないものを持ち、磨き続けることにより、覚悟を決め物事に取り組むことができれば、きっと素晴らしい人生がおくれると思います。
宮平先生の存在を知るのが今になったことが悔やまれますが、逆に今こそ知るべき時だったのだと思います。
長々とバカな考えを書き連ね失礼致します。
あくまで私個人の解釈であり、宮平先生の意図されていることとは違うかもしれませんのでご容赦ください。
おかしな点はご指摘ください。
オウ先生の静止画からでも醸し出される圧倒的なオーラが凄い。
しなやかなのに力強く、およそ普通に生きてたらとらない姿勢なのに重心が安定していて美しいです。
先人から積み重ねてきたシリアスな怖さ・重みと美が両立していて傑作彫刻作品のよう
このインタビュー内容はゾクッとするような宮平先生の凄さを感じました・・・
人を殺傷する技術にルールはなく、格闘技はルールに守られながらのスポーツということですね。
宮平先生のあまりにも深いお話に感動しました。
悟りの世界。
空手にもたくさんの武器がありますからね
相手を斃してナンボなんですよね、昔の武術って
途中からの宮平先生の言葉を一番具体的に体現しているのが自衛隊だと思いました
日本を守るために技術や装備を充実するけど、使われないのが一番だという
尊敬します。
宮平先生のような本物の武術と格闘競技は似て異なる全く別物というのがよく解る動画です。
TH-cam動画でこんなに聞き入ったの初めてかも。
宮平保先生のひと言ひと言は深いし重みがすごい
この動画はたくさんの人が見るべきだな
深すぎる…
カッコ良すぎるよ
少林拳をご縁があり2年間ですが学びましたが、学ぶ意味が分からなくなり
今は学んでいませんが、学ぶ意味を知る事も大切だと思いました。
その時は、全く分かってなかった自分の考えの甘さに
残念に思っています…。
武術を追求し極めた先に居る佇まい
穏やかで紳士的なのに溢れ出す恐ろしいオーラよ
宮平先生道場に興味持って動画探しまくったら警察署でも教えてたんですね、納得ですわ
格闘技系はオタク古武術系に対して「使えねーよ。そもそも殴り合ったことあんのか??」。オタク系は格闘技系に「ルールに守られてる。俺らは急所攻撃も刀とか武器も想定してるぞ」と、以前はこんな両者になんかスッキリしないとこあったけど、この動画見てすごくスッキリしている。現代という時代だけとかにとどまらない時間?時代?も超えたお話が聞けたと思う。感謝。
普通レベルであれば、力が強くなれば試したくなる、力を誇示したくなる
けれど、達人レベルになるとむしろ己の力を封印する精神力の方が大事になるのだろう
「戦わずして勝つ」
そんなレベルに行けたら、心がいつでも穏やかにいられるのだろう
武術とスポーツ格闘技の違いは、最高を想定するのがスポーツ格闘技、最悪を想定するのが武術だと思います。時間・場所・相手・ルールそれら全てが最高の状態でいい試合をするのがスポーツ格闘技です、当然最高の対戦が見れるのですから素晴らしいものだと思います。逆に武術は自分が怪我病気をしていても、相手が複数で武器を持っていても、足場天候が悪くとも戦い生き残れるようにするのが武術と考えます。壺のお話大変興味深く思いました、五輪の書でも似たような話があると思います、兵法を学ぶことは生き方を学ぶことと同じと書いてあったと思います。敵を倒す目的で考えたことでも人生で生きていくことに役立つと知りました。
武術を修めてる側から見れば武術は不測の事態に備える為の生活に根差した生活必需品で、格闘技や競技武道は見て触れて楽しむ娯楽だと思う。
これ見て宮平先生と格闘家とのコラボ見たいなーと思ってた自分の浅はかさに気づいた感じがしてる
浅はかでしたね
言葉も見た目もカッコよ過ぎる
先生が人格者なのですごく納得行った言葉だった。
護身術とか手習い程度の中途半端な技術で相手を逆上させるのが一番怖いと思ってて、危機に直面した場合は即逃げるっていうのが最善なんでしょうね
武術の実践というのは本当に慎重にならないといけない
でも「正論」では500m離れた場所の女性の危機すら救えないとも思いますがね。
どうすれば身を守れるか?を知りたい女性に何が必要か、学べる場はやはり必要だと思います。
本当にそうらしいですね。ある人たちは護身の為に格闘技を習う習慣が有るそうですが黒帯は絶対に取らないそうです。実際に使った場合法律の適用が厳しくなるからです。そして何よりも第一に逃げることを最初に考えるそうです。実際にその技術を使うのは最後の手段になるそうです。
自分も格闘技に触れていますが、武器を持った相手や複数相手だと全くイメージも変わり、フィジカルな部分だけではなく戦略の部分、昔でいう兵法に近い感覚が必要だとは思います!
やはり哲学だったんですね!
嬉しく感じました!
格闘技と武術が似て非なるものであることがよくわかりました。
もともと道教と老師が好きなこともあり、最後の壺の話には非常に含蓄を感じました。
競技格闘のフィジカルの強さ、技術や痛みへの免疫も大きな武器ですけどね。
「急所攻撃さえすればいい」と思い込んで未熟な武術幻想で止まってしまうことを常に警戒しなければならないと思います。
稽古の中で「おい、いま死んだぞ」と言われると、必死に向上しようという気持ちになるわけです。死にたくないから。
武器術の方が実感しやすいですね。
真剣に死を考えるからこそ、生きているありがたさを実感できる。
そして「戦わないのが一番楽でいい」と実感し、礼儀作法や平素の危機管理に行き着くのだと思います。
武術は安心材料のひとつであり、不要であることをありがたいと実感できる。
宮平先生のお言葉は争いを知らない暴力を否定する平和主義の方と似ていますが、経験からくる重みが段違いですね。
使わないために、稽古すると言った言葉の奥が深い。流石に重みがある。
色々異論があるテーマだとは思いますが、老荘の壺の例え話の所で、なるほどと思わされる面はありました。
その作った壺の形が歪にも成りかねませんが、適切な思想的経過を経るなら、その出来た壺の空洞、中のフォルムは、
他の技芸では収まらない状況も、その身に納めることが出来る、大きさと独特な形の空間をその身に宿すことが出来るかも知れません。
宮平先生はあまり細かく話されませんが、端々に出る中国時代のエピソードがとてつもなくヤバそう(^_^;)
人は心一つで鬼にも仏にもなりまする
by安倍晴明
ってとこかなぁ
マジックのテクニックも出来ないってのと出来るけどやらないってのはまったく違うことじゃもんなぁ
演技するために練習したテクニックばかりじゃないのはやっぱり演技の幅が増えたり表現力がついたり
宮平先生のおっしゃる練習して身についていく過程でたくさん学ぶことがあるけんなんよなぁ・・・
中国武術は絶対なる一を求めた後、個を捨て全となるという思想もあるそうだし、最終的にはみんなと仲良くなるためという話もありますね。
宮平先生は日本人武術家の中でも特殊な感じがしますね。。。
相手に殺傷出来るのにしない、それすなわち一歩引けるようになる、色んなことに対して余裕を持って、周りを傷つける事ない様に工夫する。あるいは工夫する心を得る、それが武術を使う以上の意味があると思いますね。平たく言えば体ではなく心を鍛える為?
中先生や井上先生もそうだが一生使わないのが
理想と言う宮平先生の言葉にも重みがあります
ナイフで後ろから斬りつける。銃で射殺するのは
勿論弾が尽きたり白兵戦では銃剣で刺殺だけでなく
身の回りにある棒でも何でも使って撲殺する
こんな訓練するのも実際に使う事態が起きない為にです
だったら税金で何でそんな訓練するのって思う人も
いるしょうがそれが本当の防衛だと代々の先輩達が
受け継いで後輩達に申し送りしてきたことです
宮平先生の言葉に僕達が青春かけてしてきた事が
無駄ではなかったと思いました
いざとなったら普段から磨ぎすました刀を抜ける
そんな備えているからこそ刀を抜く事態を防げると
若い頃言われた言葉と一緒です
無理な話だとは思うけど、ぜひ宮平先生と桜井章一会長と甲野義則先生の対談を聞いてみたい、とてつもなく人生の勉強にさせていただける期待感が止まらない
この動画と『身の危険を感じた時に武術は使えるのか?中国武術の宮平保が本音を語る Kung-Fu, Tamotsu Miyahira ' s thought of Self Defense』は併せて武道格闘技関係ない方々でもぜひ見たほうがいい動画ですね。
達人ならではの悟りの境地ですね。
たしかに、ゼロ格闘術の稲川先生もこういった殺人術が一生使われないのが理想って話してましたもんね。格闘技は相手を失神させるか、戦意を喪失させるのが目的だけど、武術は基本防御といいながら、その先には相手を殺傷するのが目的ですからね。考え方からして全く違うのです。だから、やたら喧嘩に使うつもりで、武術を習いにきた人に教えると、きちがいに凶器をもたせる様なことになりかねない。だから、教えるにあたり宮平先生は心の部分を教えていると思いますし、その人を見て教えてよい武術とそうでない武術をわけてるかもしれませんね。
宮平先生が想定されているのは対格闘技選手とかではなく、対暴力、って書いたら当たってるかな??
人間にとって戦いの表の顔になっている格闘競技と裏の顔になっている武術。現代では社会的にも求められている格闘競技を見る機会はいくらでもあると思うが、必要とあれば殺傷というところにも踏みこむんであろう裏の顔の実戦武術をこうして目にすることができるというのは実はすごく貴重で、ありがたいことなのでは思ったりもした。。。
老子の言葉、深いですね。素晴らしい。
どんな理由があってもきっと武術を本気で使うことは許されないでしょうね
自分は格闘技経験はないですけど映画や格闘技観戦は好きです
このチャンネルで見ただけでも武術は動きが独特で美しい
映画だと特に見栄えがいいですし
これだけでも継承する意味が有ると思います
この先生すごい。
届きました。
とても素晴らしい動画でした。
めっちゃ強いのに絶対使わないってのが
カッコいい!いろんな意味で武術は
勉強なのですね。
とにかく、かっけぇーなー😊
宮平先生が実際より15位若く見えるのは
ファッションが若いのもあるな
MMAで縦肘と後頭部・背中への打撃が禁止されてなかったらタックルは誰もしなくなる。
相手を壊す技はスポーツ(格闘技)では禁止である。
自衛隊の在り方と共通する気がしますね。
自衛の力としていかなる外敵が相手でもそれから国民や国土を守れるだけの力を持たなくてはならない。
しかしそれはあくまでも大切なものを守る時、本当に武力に頼る以外選択肢が無い時の最後の手段。
そうでない限り永遠に実践されないことが理想。
全くその通りです
だから災害派遣ではきつければきつい程
隊員は立ち向かって行くのです
それを外国武官達は見て自衛隊の士気は高いし規律も
守られている。こりゃあ日本に攻め入ったら
手痛い仕返しされるから止めた方が良いぞと
ありがとうございました
1:18 こんなとこに体験してみないとわからない感触があるんだと思う。人間が無意識に取ってしまう防御本能とかを利用したうえでやってると思うので。
素晴らしいと思う。
自分の学生時代の鍼の先生が20年程前に中国の湖南で鍼の勉強で留学し南拳系の武術も学んでいたそうですが
武門の中での序列?メンツ?みたいのが日本では想像付かない程強く同輩の外に遅れを取るのは死に値するくらいの問題らしく
組手等でも壁に頭を叩きつける様な荒々しい稽古で歓迎されたと聞いた事がありますね
躰道の中野先生も哲学っていってたなぁ
いざとなれば力でどうとでもなるから優しいし物腰が柔らかくなるのかな?
綺麗な八極拳です!シェアしてくれありがとう!👊
宮平先生はまだ若いし、その経験から得た真理を後世に伝えて欲しい。稀代の武術家です。
宮平先生の今の武術に至った話はズシリと重みがすごいです。たまーにいるケンカ自慢の人の聞き苦しい話とは真逆の世界。だからこそ武術というのは生半可な気持ちでは出来ないなとあらためて感じる
この先生は日本の国宝だと思う
琉球と中国の国宝でもあるね〜
抑止力として武術を身に付けると良いということね
中国の友人の格闘技トップ選手が武器ありのケンカでは全く格闘技の技術を使わなかった(使えなかった?)ってのは生々しくてコワいw
私ごときが言うのもなんですが今じゃ数少ない武人って感じました、武を極める、なんか憧れます男として
相当危ない体験されたことは察せられるね。あと散打が始まった頃にムエタイ、フルコン、マーシャルアーツの資料を協力とかの隠れた逸話もなんかいいなー(^^) インタビューグッドジョブ👍
KOと殺傷の違い、
壺と空洞の違い、
なるほどと唸らされた。
武術は一生使わない方がいいって、剣術の達人無刀流山岡鉄舟翁と同じ事仰ってるね。達人の言葉。
一生使わない生活を送れること。
自衛隊の考えと一緒ですね。
本物はやはり違いますね、凄さを感じました。
僕が35年間で分かった事がそうです
いざとなればどの国にも負けない戦闘能力を養うのは戦争をする為でなくさせないため
税金泥棒と言われようが良いではないか
頼りにされる時は国民が不幸な時だからあってはならないし
させてはならない為にも訓練で汗と涙流せ
これこそ本当の反戦なのだと
真の意味でノールールだと銃だったり核ミサイルの発射ボタンと言う話になってしまうのですが、そうではなくて武術をすなるうえで正しい姿勢が一番威力を発揮するかの如く、仕事・私生活等に於いても正しい姿勢で物事に取り組むことが結果として自分の身を守ることになったりします。それこそが武術をする最大の効能ではないでしょうか。正しい姿勢とは自分に嘘をつかないことなのかなぁと思います。宮平先生のお話を聴いてそんなことを考えました。
言いたかったこと全部言ってくれた!
浅山一伝流の関先生と対談してほしいですね。
なんでだろうな ズシリと響く言葉だね!