ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
チャンネル登録1万人突破、おめでとうございます。古代日本はどんな様子だったのだろうといつも好奇心がうずいているのですが、結城屋さんの動画で当時の想像(妄想)が膨らみます。ありがとうございます。
いつもご視聴ありがとう御座います!こんな更新頻度の遅いゆとりチャンネルが1万人に到達できたのは、偏に皆さんの支えのおかげです!ありがとう御座います!!僕も妄想を膨らませるお手伝いができて、嬉しいです笑今後ともよろしくお願いいたします!!
古代史に関して詳しいサイトや動画は少ないので、こういう動画は凄く勉強になります。だいたい、古代史に関するモノは、オカルトや都市伝説的なモノが幅を利かせているので。。。
@@usa7006 さまそう言って下さると嬉しいです!古代史は都市伝説の宝庫ですからね。エンタメとしては面白いのですが、歴史とごっちゃになってしまうと、ちょっと違うんですよね。笑これからも、考察を重ねながら新しい説を考え出しながらも、決して突飛にならないように気を付けながら動画を作ってく来ますので、応援をよろしくお願いいたします!
今回も大変参考になりました。有難うございました。
いつもご視聴ありがとう御座います!こちらこそ、そう言って下さると嬉しいです!久々のダイジェスト動画を作って、超大変だったので、そう言ってくださる事で救われます笑
主は、凄すぎますわ。良く調べましたね。動画有難う御座います。今後の動画‼️ワクワクします。👍
いつもご視聴ありがとう御座います!そう言って下さると、嬉しいです!!この動画、14分と比較的短いわりに、凄く苦労しました笑地図を作るのが途方に暮れそうでした笑今後とも、頑張って動画をアップしますので、更新遅いのは見逃してください!笑
@@nihonshi 様。だと思いましたよ。シャア風に言うと、結城屋の動画は、化け物か‼️です。回りの知り合いにも、口頭でお薦めしています👍爺なもんで😭
@@pleasure5458 さまありがとう御座います!お薦めしてくださるとは、感激です!今後ともよろしくお願いいたします!
すごい!チャンネル登録一万人おめでとうございますっ!!今回もまたまた勉強になる回で、歴史にうとい私は本当に、毎度助かっています。結城屋様のおっしゃる通り、なんだかヤマト王権を俯瞰できてしまう、目の付け所がすげーっ!十年ほど前に出雲国造・千家家を調べた時以来、またちょっと深掘りしたくなってきてしまいました!結城屋様の次の動画は、なにかなー、楽しみだなー!!😋
いつもご視聴ありがとう御座います!一万人の最初期の視聴者様である皆様に支えられて、不相応な登録者数にしてもらえました!ありがとう御座います!全然歴史に疎くないじゃないですか!笑出雲国造考察、ぜひ動画でアップしてください!これからも色々なアドバイスをお願いいたします!
先代旧事本紀の国造本紀に国造がずらっと載っててますよね〜〜評督については、「常陸国風土記」が特に有名で 難波朝廷(孝徳朝)の頃に始まった郡制前の地方制度ですね!国(国造のクニ)評(のちの郡)五十戸(のちの里)天武朝の国境画定を経て国(中央派遣の国司が統括する令制国)の下に郡里 とおなじみの国郡里制になるのが 複雑ですが面白いですよね〜
素晴らしい動画ありがとうございます!
ご視聴ありがとう御座います!こちらこそ、そう言って下さると嬉しいです!今後ともよろしくお願いいたします!
奈良時代の文献には、系図を初め史実とは異なる記述がかなりあると考える。旧家伝承も深掘りして見ると、より真実の古代史に近づけるのでは?
国造のご高察とても楽しく参考になりました。初期の国造は大和王権にとっての重要地域または直轄地域で、他の地域は外様大名のような日和見的立場の印象を受けました。対馬地域も大陸への中継点かつ一次防衛拠点としてとても大切なので直轄というか中央に近い国造が駐留していたように思います。この方法は後の鎌倉幕府や徳川幕府運営のひな型にもなった感もあり、徳川初期において実質的に関東平野は譜代、遠方は有力外様でしたが反乱やその対応としての監視拠点も飛び地の国造が担っていた感じはあります。地方豪族が土着の武装勢力と強力に主従関係を深めないように国替えや国造の適度な交代なども必要だったように思えます。また国造は中央から役人が派遣されることで文化の拡散や地方産品の中央への浸透も担っていたと思います。
今回もとても楽しかったです。七支刀が副葬品とされたことなども、大和王権の地方への影響力(支配)の証なのでしょうか?古代に思いをはせる楽しさいっぱいです。
いつもご視聴ありがとう御座います!古代に思いを馳せるのは楽しいですよね!七支刀については多くの研究が為されており、様々な説が混在しています。ですのでいずれ深掘ってみようと思うので、その際にまたご意見を頂戴できれば嬉しいです!
国造の変遷、とても面白かったです!✨気のせいかな…?開拓困難(?)で人があんまり住んでなさそうな地域から順に国造が配置されていってる様に見えるんですが?👀必ずしも奈良を中心に綺麗に円を広げて行ったわけでもなく、かなり遠距離にポンッと国造が現れる辺り、大和王権による日本統一の未来が見える様ですね😲
いつもご視聴ありがとう御座います!気のせいではないと思います。恐らく人の住みやすい場所には、既に力のある部族が住んでいて、初期のヤマト王権にはなかなか服さなかったのではないでしょうか。それと、王族が直轄した場所は、国造になるのが遅かったのかもしれません。例えば淡海・若狭などや。上毛野・下毛野などがそうなのではないかと考えられます。そうした王族支配の土地は、ヤマト王権にとって臣下扱いは避けていたのではないでしょうか。時代がながれて、徐々に臣籍降下して、やがて国造になってゆくのかもしれません。この辺りも、「国造」第二弾で掘り下げたいテーマですね!
@@nihonshi さん王族の直轄地は国造の配置を避けた説!良いですね✨日向や熊野、神武東征に縁の地が遅めなのが気になりましたが、既に王族の支配地だったから?それに淡海や“若いサホ”疑惑?の若狹や三丹、吉備。大陸との交易ルートの辺りとの交流が途絶えてたのならば、これ以降の大和王朝の発展もなかったはず。豪族やら、お役人やら、あんまり取り上げてくれる配信者さんいないんで、結城屋さんの目の付け所のセンスが有難いです💓やっぱり、この地味な部分を掘り下げないと!歴史にリアリティ湧かないですしね✨🤗
@@雨の菫 さま淡海は我らが日子坐王がいますし、丹波はその子道主命が地場と結びついていますから、なかなか臣籍降下させるにに時間が掛かったんだと推測します。毛野も垂仁天皇の兄・豊城入彦の支配地ですし、ヤマト王権の兄弟国といった権勢を誇って関東最大の豪族へ成長するのだと思います。古代史考察は大半が「都市伝説系」になってしまっている現状がありますよね。都市伝説と妄想の線引きは難しいのでしょうが笑エンターテイメントとしては、都市伝説の方がキャッチ―なんですけどね!むしろこうした地味な歴史考察動画を支持してくださって、皆様には感謝に絶えません!
@@nihonshi さん個人的には、この国造の変遷が『99%の日本人が知らない衝撃の事実』だと思います。大和王権のあまり旨味がなさそうな土地から地道に攻めてく辺り、かなり気に入りました。古代の王が覇権を取る条件なんて、かなり絞られてくる筈。大勢の民を集めるカリスマ性、生産性を上げる技術開発。それに民が増えれば言葉の問題も有りそう。人が移動してる痕跡がある事から、各地の王族は元々同じ言葉を話してた血族の可能性は高いと思います。兄弟は他人の始まりと言いますから、我らが日子坐王が名君で、末裔が自治権を譲ろうとせず、後世に敵対するような関係になったのかも知れないですね。記紀にそんな話が無いのが謎ですが…次回の配信、楽しみにお待ちしております!🤗
@@雨の菫 さま言葉の問題に関してなんですが、ここで文字が大きな役割を果たしたのではないかと思っているんです。僕は弥生時代まで日本には統一的な「文字言語」は無かったと思っているのですが、ヤマト王権の統一事業で漢字・漢語を布教いていったのではないかと。文字の成立には他言語同士の交流と言った条件が必要ですが、弥生以前の日本は石器時代から頻繁に交流を重ねているため、翻訳が必要なほどの違いが無かったと考えています。ですので大陸や半島と交流を始めて、漢字を翻訳のために採用したのだと思いますが、その後公用語として漢字・漢語を採用した最大の理由は、法令発布のためだと考えたからです。文字の役割として。・翻訳・記録を重要視していたのですが。「同じ内容を多くの人に伝える」ということも、文字の大きな役割だと気づいたのです。ヤマト王権は被支配国に漢字・和製漢語を覚えさせ、遠隔での指令や伝達に使用したのではないでしょうか。そして漢字・和製漢語を使用できることがヤマト王権のステイタスというか、条件にしたのではないかと。ちょっと長くなってしましました笑このテーマもいずれ掘り下げてみます!
深掘り、知識、考察、いつもわかりやすく、面白いです!勉強になります。允恭天皇絵の表記が仁徳天皇になってます。
いつもご視聴ありがとう御座います!お褒め頂き、光栄です!またやっちゃいましたね笑允恭天皇、せっかく新しく描き下ろしたのに笑毎回毎回へまをしてしまいますが、今後とも懲りずによろしくお願いいたします!
若狭に住んでますが、若狭の国造設置が遅いこととその考察、面白いです。たしかに九州、瀬戸内周辺を完全に掌握した後、若狭、淡海、丹波、山城あたりの直営がとかれて国造が設置されたようにも見えますね
ご視聴ありがとう御座います!直営が取れて国造が設置されたという見方も一理ありますね!
想像力が素晴らしいですね。
ご視聴ありがとう御座います!ありがとう御座いますw
国分寺、国分尼寺が近所にあります。国府台、本八幡。仏教と国家的政治システムの始まり。やはり神社からお寺に。
ご視聴ありがとう御座います!全国の国分寺も、動画にしたら面白そうですね。でも大変そう。。。
ヤマト他きっちり場所が決まってますが本編は想像(妄想)上の話?元ネタの問題でしょうか。
いわゆる欠史八代について、系譜伝承と后妃およびその出身豪族と皇子を祖とする氏族名そして各代の宮城(皇居)と陵墓という『帝紀』的記事しか無いため架空だけではなく研究の参考にする価値もないという考えが日本古代史学界と在野研究で常識となっている。しかしながら、裏を返せばその『帝紀』的記事も「残っている」、それらも「記されている」という考えも出てくるべきである。
「国造」のみならず、永い間「漠」としていた、他の肩書の区別も、なんとなくできました。
ご視聴ありがとう御座います!少しでもお役に立てたなら嬉しいです!
磐井の乱のような国造の反乱が各地で起こりそうなものですが権力を徐々に奪われ反発みたいなものは無かったんですかね?
いつもご視聴ありがとう御座います!恐らくですが、最初期の統合には反発より恐れで従う国が多かったのではないでしょうか。特に東国などは、抗う選択肢は無かったのかもしれません。しかし九州などの大陸との交流も盛んな大国たちは、服する国と対抗する国があったようで、景行天皇の九州征伐まではまだまだヤマト王権の支配下とは言えない地域だったと思います。また、抗った国は皆殺しになって歴史から消滅したとも考えられますね。そうした事象を裏付ける遺跡も幾つか発見されているので、服するか滅亡かの選択肢だったのかもしれません。磐井の乱は九州勢の反乱ではありますが、当時の筑紫君の一族は大彦命の末とも言われています。ですので原住筑紫勢と言うよりも、王族が治める旧大国勢と新しい大王である継体天皇の争いのようにも思えるので、ことは単純ではない気がしています。いずれ磐井の乱も深掘りしたいですね!
19代が仁徳天皇になっている
ご視聴ありがとう御座います!はい、ごめんなさい汗完全にミスです。これは以前にも指摘されました!もっと気を付けます!
動画を見てふと思ったのですが、日本は中国や朝鮮よりも技術者が比較的尊重されていると言われます。それは国造と伴造の関係からも来ていたとするなら面白いなと妄想しましたw
国造が置けなかった所は大和朝廷が来る前から王朝や王国があって国が栄えていた。それなりに小国様の統治システムがあったのでは?食料管理し農作計画があったと思う
昔の日本は、小国が沢山あったと思われるから 皆、一緒になるのは大変ですね大陸の話で恐縮ですが、滅ぼした国の暦は使用せず 新しい国のトップは、天文官に新暦を作らせて公布したと言われています。(暦法は、そうそう変えられませんが) 日本で頒暦(官暦を各国に分ける与える)の作業が整うのは、推古天皇の時代と思われます。しかし渡来人が作っていました(百済とか) 水時計で官人の出退勤を管理してい初見は、中臣鎌足天武帝に陰陽寮が新設され 大春日家が宣明暦法とその前の暦法を官暦に推奨。大春日家は、暦道の大家で陰陽頭を歴任 そこに賀茂家が進出してくる。因みにこの頃の天文博士には、大中臣家の方がいます。大春日家って春日氏とか和邇?氏とか春日大社とか関係ありますか?
ご視聴ありがとう御座います!素晴らしい見識をお持ちで、暦を考察のテーマにするのは素晴らしいと感じ入りました。春日氏に関しては、時代によって血脈が違うんじゃないかと思っています。それほど重要な場所だったのだと思いますが、春日の地を押さえると、「春日殿」的に尊称されたのかもしれません。いずれにせよ、ある時期に旧来の沙穂春日氏は失脚し、和珥氏に吸収合併されていますね。お隣さんですし、そもそも外戚なので。その後、和珥氏から分家のような形で春日氏が出てきます。大春日氏となると平安時代の姓ですのでなんとも言えないのですが、春日氏には色々な謎が隠されていると思っていますので、いずれ深掘りしてみます。僕の動画で春日沙穂について取り上げている動画も御座いますので、ぜひ観てみてください!
ためになる動画をありがとうございます。登録させて頂きました。リクエストをしたいです。宜しくお願い致します。イザナギの禊で産まれた、綿津見三神と住吉三神が気になっています。私の地元の福岡市には志賀海神社と住吉神社がありますが、赴きが全く違います。穂積氏と住吉氏についての動画をお願い出来たら幸いです。
ご視聴ありがとう御座います!楽しんで頂けたなら、僕も嬉しいです!綿津見三神と住吉三神については、いずれ深掘りする予定です。超古代の信仰が関連していると思うので、複雑な地域です。ですので慎重に調べているので、少し時間を頂戴できればと思います!
@@nihonshi ありがとうございます。楽しみです!!
神社の成り立ちや広がり方も気になります。
ご視聴ありがとう御座います!神社の広がり方も、面白そうですね!纏めるのに一苦労しそうですが、いずれトライしてみたいと思います!
今で言う知事のような役職ただ大和朝廷から派遣されている役人、今みたいに選挙などない時代だから大和朝廷の方針が地域性に合わせて民を治めたと思う官職の位置でしょう
京都が空白地のままのなのが、気になってしまいます。
ご視聴ありがとう御座います!そこなんですよね。早くからヤマト王権との関りも深く、出雲とも日向とも関わりのある鴨族がいる土地なのと、日子坐王とも関わりの深い土地なので、やはり王権にとっては特別な地位にあったのではないでしょうか。その辺も掘り下げてみたいですね!
九州を吸収する・・・とな
ご視聴ありがとう御座います!まだまだ後ろ漏れしまくりですけどね!
いやー、中高生の時この動画を見れてたら😂
ご視聴ありがとうございます!返信が遅くなって申し訳ありません!!そう言って頂けると光栄です!!ぜひ他の動画も楽しんで頂ければ幸いです!!
「思います」が多いのが気になります。
アンニョンハセヨ アンタの気のせいよ!マザームーン鶴子!
ご視聴ありがとう御座います!古代史考察なので、あくまで「思う」になってしまうのはご高察くだされば幸いです。歴史的事実は新たな発見にて上書きされるのが常なので、僕の考察も全くの的外れな可能性も大いにあります。ですので現在調べ得た情報による、僕なりの「思う」をお伝えしているのがこのチャンネルです。歴史は事実を元に、想像と言う接着剤で形を整えるものだと、僕は考えています。僕なりにロジカルに想像しているつもりなのですが、皆さん千差万別の想像や考察があるでしょうから、そこはお互いディスカッションできるとまた楽しいですね!今後ともよろしくお願いいたします!
チャンネル登録1万人突破、おめでとうございます。
古代日本はどんな様子だったのだろうといつも好奇心がうずいているのですが、
結城屋さんの動画で当時の想像(妄想)が膨らみます。ありがとうございます。
いつもご視聴ありがとう御座います!
こんな更新頻度の遅いゆとりチャンネルが1万人に到達できたのは、偏に皆さんの支えのおかげです!
ありがとう御座います!!
僕も妄想を膨らませるお手伝いができて、嬉しいです笑
今後ともよろしくお願いいたします!!
古代史に関して詳しいサイトや動画は少ないので、こういう動画は凄く勉強になります。だいたい、古代史に関するモノは、オカルトや都市伝説的なモノが幅を利かせているので。。。
@@usa7006 さま
そう言って下さると嬉しいです!
古代史は都市伝説の宝庫ですからね。
エンタメとしては面白いのですが、歴史とごっちゃになってしまうと、ちょっと違うんですよね。笑
これからも、考察を重ねながら新しい説を考え出しながらも、決して突飛にならないように気を付けながら動画を作ってく来ますので、応援をよろしくお願いいたします!
今回も大変参考になりました。有難うございました。
いつもご視聴ありがとう御座います!
こちらこそ、そう言って下さると嬉しいです!
久々のダイジェスト動画を作って、超大変だったので、そう言ってくださる事で救われます笑
主は、凄すぎますわ。
良く調べましたね。
動画有難う御座います。
今後の動画‼️ワクワクします。👍
いつもご視聴ありがとう御座います!
そう言って下さると、嬉しいです!!
この動画、14分と比較的短いわりに、凄く苦労しました笑
地図を作るのが途方に暮れそうでした笑
今後とも、頑張って動画をアップしますので、更新遅いのは見逃してください!笑
@@nihonshi 様。だと思いましたよ。
シャア風に言うと、
結城屋の動画は、化け物か‼️です。
回りの知り合いにも、口頭でお薦めしています👍
爺なもんで😭
@@pleasure5458 さま
ありがとう御座います!
お薦めしてくださるとは、感激です!
今後ともよろしくお願いいたします!
すごい!チャンネル登録一万人おめでとうございますっ!!
今回もまたまた勉強になる回で、歴史にうとい私は本当に、毎度助かっています。
結城屋様のおっしゃる通り、なんだかヤマト王権を俯瞰できてしまう、目の付け所がすげーっ!
十年ほど前に出雲国造・千家家を調べた時以来、またちょっと深掘りしたくなってきてしまいました!
結城屋様の次の動画は、なにかなー、楽しみだなー!!😋
いつもご視聴ありがとう御座います!
一万人の最初期の視聴者様である皆様に支えられて、不相応な登録者数にしてもらえました!
ありがとう御座います!
全然歴史に疎くないじゃないですか!笑
出雲国造考察、ぜひ動画でアップしてください!
これからも色々なアドバイスをお願いいたします!
先代旧事本紀の国造本紀に国造がずらっと載っててますよね〜〜
評督については、「常陸国風土記」が特に有名で 難波朝廷(孝徳朝)の頃に始まった郡制前の地方制度ですね!
国(国造のクニ)評(のちの郡)五十戸(のちの里)
天武朝の国境画定を経て
国(中央派遣の国司が統括する令制国)の下に郡里 とおなじみの国郡里制になるのが 複雑ですが面白いですよね〜
素晴らしい動画ありがとうございます!
ご視聴ありがとう御座います!
こちらこそ、そう言って下さると嬉しいです!
今後ともよろしくお願いいたします!
奈良時代の文献には、系図を初め史実とは異なる記述がかなりあると考える。旧家伝承も深掘りして見ると、より真実の古代史に近づけるのでは?
国造のご高察とても楽しく参考になりました。
初期の国造は大和王権にとっての重要地域または直轄地域で、他の地域は外様大名のような日和見的立場の印象を受けました。
対馬地域も大陸への中継点かつ一次防衛拠点としてとても大切なので直轄というか中央に近い国造が駐留していたように思います。
この方法は後の鎌倉幕府や徳川幕府運営のひな型にもなった感もあり、徳川初期において実質的に関東平野は譜代、遠方は有力外様でしたが反乱やその対応としての監視拠点も飛び地の国造が担っていた感じはあります。
地方豪族が土着の武装勢力と強力に主従関係を深めないように国替えや国造の適度な交代なども必要だったように思えます。
また国造は中央から役人が派遣されることで文化の拡散や地方産品の中央への浸透も担っていたと思います。
今回もとても楽しかったです。七支刀が副葬品とされたことなども、大和王権の地方への影響力(支配)の証なのでしょうか?古代に思いをはせる楽しさいっぱいです。
いつもご視聴ありがとう御座います!
古代に思いを馳せるのは楽しいですよね!
七支刀については多くの研究が為されており、様々な説が混在しています。
ですのでいずれ深掘ってみようと思うので、その際にまたご意見を頂戴できれば嬉しいです!
国造の変遷、とても面白かったです!✨
気のせいかな…?開拓困難(?)で人があんまり住んでなさそうな地域から順に国造が配置されていってる様に見えるんですが?👀
必ずしも奈良を中心に綺麗に円を広げて行ったわけでもなく、かなり遠距離にポンッと国造が現れる辺り、大和王権による日本統一の未来が見える様ですね😲
いつもご視聴ありがとう御座います!
気のせいではないと思います。
恐らく人の住みやすい場所には、既に力のある部族が住んでいて、初期のヤマト王権にはなかなか服さなかったのではないでしょうか。
それと、王族が直轄した場所は、国造になるのが遅かったのかもしれません。
例えば淡海・若狭などや。上毛野・下毛野などがそうなのではないかと考えられます。
そうした王族支配の土地は、ヤマト王権にとって臣下扱いは避けていたのではないでしょうか。
時代がながれて、徐々に臣籍降下して、やがて国造になってゆくのかもしれません。
この辺りも、「国造」第二弾で掘り下げたいテーマですね!
@@nihonshi さん
王族の直轄地は国造の配置を避けた説!良いですね✨
日向や熊野、神武東征に縁の地が遅めなのが気になりましたが、既に王族の支配地だったから?
それに淡海や“若いサホ”疑惑?の若狹や三丹、吉備。大陸との交易ルートの辺りとの交流が途絶えてたのならば、これ以降の大和王朝の発展もなかったはず。
豪族やら、お役人やら、あんまり取り上げてくれる配信者さんいないんで、結城屋さんの目の付け所のセンスが有難いです💓
やっぱり、この地味な部分を掘り下げないと!歴史にリアリティ湧かないですしね✨🤗
@@雨の菫 さま
淡海は我らが日子坐王がいますし、丹波はその子道主命が地場と結びついていますから、なかなか臣籍降下させるにに時間が掛かったんだと推測します。
毛野も垂仁天皇の兄・豊城入彦の支配地ですし、ヤマト王権の兄弟国といった権勢を誇って関東最大の豪族へ成長するのだと思います。
古代史考察は大半が「都市伝説系」になってしまっている現状がありますよね。
都市伝説と妄想の線引きは難しいのでしょうが笑
エンターテイメントとしては、都市伝説の方がキャッチ―なんですけどね!
むしろこうした地味な歴史考察動画を支持してくださって、皆様には感謝に絶えません!
@@nihonshi さん
個人的には、この国造の変遷が『99%の日本人が知らない衝撃の事実』だと思います。
大和王権のあまり旨味がなさそうな土地から地道に攻めてく辺り、かなり気に入りました。
古代の王が覇権を取る条件なんて、かなり絞られてくる筈。
大勢の民を集めるカリスマ性、生産性を上げる技術開発。それに民が増えれば言葉の問題も有りそう。人が移動してる痕跡がある事から、各地の王族は元々同じ言葉を話してた血族の可能性は高いと思います。
兄弟は他人の始まりと言いますから、我らが日子坐王が名君で、末裔が自治権を譲ろうとせず、後世に敵対するような関係になったのかも知れないですね。
記紀にそんな話が無いのが謎ですが…
次回の配信、楽しみにお待ちしております!🤗
@@雨の菫 さま
言葉の問題に関してなんですが、ここで文字が大きな役割を果たしたのではないかと思っているんです。
僕は弥生時代まで日本には統一的な「文字言語」は無かったと思っているのですが、ヤマト王権の統一事業で漢字・漢語を布教いていったのではないかと。
文字の成立には他言語同士の交流と言った条件が必要ですが、弥生以前の日本は石器時代から頻繁に交流を重ねているため、翻訳が必要なほどの違いが無かったと考えています。
ですので大陸や半島と交流を始めて、漢字を翻訳のために採用したのだと思いますが、その後公用語として漢字・漢語を採用した最大の理由は、法令発布のためだと考えたからです。
文字の役割として。
・翻訳
・記録
を重要視していたのですが。
「同じ内容を多くの人に伝える」ということも、文字の大きな役割だと気づいたのです。
ヤマト王権は被支配国に漢字・和製漢語を覚えさせ、遠隔での指令や伝達に使用したのではないでしょうか。
そして漢字・和製漢語を使用できることがヤマト王権のステイタスというか、条件にしたのではないかと。
ちょっと長くなってしましました笑
このテーマもいずれ掘り下げてみます!
深掘り、知識、考察、いつもわかりやすく、面白いです!勉強になります。
允恭天皇絵の表記が仁徳天皇になってます。
いつもご視聴ありがとう御座います!
お褒め頂き、光栄です!
またやっちゃいましたね笑
允恭天皇、せっかく新しく描き下ろしたのに笑
毎回毎回へまをしてしまいますが、今後とも懲りずによろしくお願いいたします!
若狭に住んでますが、若狭の国造設置が遅いこととその考察、面白いです。
たしかに九州、瀬戸内周辺を完全に掌握した後、若狭、淡海、丹波、山城あたりの直営がとかれて国造が設置されたようにも見えますね
ご視聴ありがとう御座います!
直営が取れて国造が設置されたという見方も一理ありますね!
想像力が素晴らしいですね。
ご視聴ありがとう御座います!
ありがとう御座いますw
国分寺、国分尼寺が近所にあります。国府台、本八幡。仏教と国家的政治システムの始まり。やはり神社からお寺に。
ご視聴ありがとう御座います!
全国の国分寺も、動画にしたら面白そうですね。
でも大変そう。。。
ヤマト他きっちり場所が決まってますが本編は想像(妄想)上の話?元ネタの問題でしょうか。
いわゆる欠史八代について、系譜伝承と后妃およびその出身豪族と皇子を祖とする氏族名そして各代の宮城(皇居)と陵墓という『帝紀』的記事しか無いため架空だけではなく研究の参考にする価値もないという考えが日本古代史学界と在野研究で常識となっている。
しかしながら、裏を返せばその『帝紀』的記事も「残っている」、それらも「記されている」という考えも出てくるべきである。
「国造」のみならず、永い間「漠」としていた、他の肩書の区別も、なんとなくできました。
ご視聴ありがとう御座います!
少しでもお役に立てたなら嬉しいです!
磐井の乱のような国造の反乱が各地で起こりそうなものですが権力を徐々に奪われ反発みたいなものは無かったんですかね?
いつもご視聴ありがとう御座います!
恐らくですが、最初期の統合には反発より恐れで従う国が多かったのではないでしょうか。
特に東国などは、抗う選択肢は無かったのかもしれません。
しかし九州などの大陸との交流も盛んな大国たちは、服する国と対抗する国があったようで、景行天皇の九州征伐まではまだまだヤマト王権の支配下とは言えない地域だったと思います。
また、抗った国は皆殺しになって歴史から消滅したとも考えられますね。
そうした事象を裏付ける遺跡も幾つか発見されているので、服するか滅亡かの選択肢だったのかもしれません。
磐井の乱は九州勢の反乱ではありますが、当時の筑紫君の一族は大彦命の末とも言われています。
ですので原住筑紫勢と言うよりも、王族が治める旧大国勢と新しい大王である継体天皇の争いのようにも思えるので、ことは単純ではない気がしています。
いずれ磐井の乱も深掘りしたいですね!
19代が仁徳天皇になっている
ご視聴ありがとう御座います!
はい、ごめんなさい汗
完全にミスです。
これは以前にも指摘されました!
もっと気を付けます!
動画を見てふと思ったのですが、日本は中国や朝鮮よりも技術者が比較的尊重されていると言われます。それは国造と伴造の関係からも来ていたとするなら面白いなと妄想しましたw
国造が置けなかった所は大和朝廷が来る前から王朝や王国があって国が栄えていた。それなりに小国様の統治システムがあったのでは?食料管理し農作計画があったと思う
昔の日本は、小国が沢山あったと思われるから 皆、一緒になるのは大変ですね大陸の話で恐縮ですが、滅ぼした国の暦は使用せず 新しい国のトップは、天文官に新暦を作らせて公布したと言われています。(暦法は、そうそう変えられませんが) 日本で頒暦(官暦を各国に分ける与える)の作業が整うのは、推古天皇の時代と思われます。しかし渡来人が作っていました(百済とか) 水時計で官人の出退勤を管理してい初見は、中臣鎌足天武帝に陰陽寮が新設され 大春日家が宣明暦法とその前の暦法を官暦に推奨。大春日家は、暦道の大家で陰陽頭を歴任 そこに賀茂家が進出してくる。因みにこの頃の天文博士には、大中臣家の方がいます。大春日家って春日氏とか和邇?氏とか春日大社とか関係ありますか?
ご視聴ありがとう御座います!
素晴らしい見識をお持ちで、暦を考察のテーマにするのは素晴らしいと感じ入りました。
春日氏に関しては、時代によって血脈が違うんじゃないかと思っています。
それほど重要な場所だったのだと思いますが、春日の地を押さえると、「春日殿」的に尊称されたのかもしれません。
いずれにせよ、ある時期に旧来の沙穂春日氏は失脚し、和珥氏に吸収合併されていますね。
お隣さんですし、そもそも外戚なので。
その後、和珥氏から分家のような形で春日氏が出てきます。
大春日氏となると平安時代の姓ですのでなんとも言えないのですが、春日氏には色々な謎が隠されていると思っていますので、いずれ深掘りしてみます。
僕の動画で春日沙穂について取り上げている動画も御座いますので、ぜひ観てみてください!
ためになる動画をありがとうございます。登録させて頂きました。
リクエストをしたいです。宜しくお願い致します。
イザナギの禊で産まれた、綿津見三神と住吉三神が気になっています。
私の地元の福岡市には志賀海神社と住吉神社がありますが、赴きが全く違います。
穂積氏と住吉氏についての動画をお願い出来たら幸いです。
ご視聴ありがとう御座います!
楽しんで頂けたなら、僕も嬉しいです!
綿津見三神と住吉三神については、いずれ深掘りする予定です。
超古代の信仰が関連していると思うので、複雑な地域です。
ですので慎重に調べているので、少し時間を頂戴できればと思います!
@@nihonshi ありがとうございます。
楽しみです!!
神社の成り立ちや広がり方も気になります。
ご視聴ありがとう御座います!
神社の広がり方も、面白そうですね!
纏めるのに一苦労しそうですが、いずれトライしてみたいと思います!
今で言う知事のような役職
ただ大和朝廷から派遣されている役人、
今みたいに選挙などない時代だから大和朝廷の方針が地域性に合わせて民を治めたと思う官職の位置でしょう
京都が空白地のままのなのが、気になってしまいます。
ご視聴ありがとう御座います!
そこなんですよね。
早くからヤマト王権との関りも深く、出雲とも日向とも関わりのある鴨族がいる土地なのと、日子坐王とも関わりの深い土地なので、やはり王権にとっては特別な地位にあったのではないでしょうか。
その辺も掘り下げてみたいですね!
九州を吸収する・・・とな
ご視聴ありがとう御座います!
まだまだ後ろ漏れしまくりですけどね!
いやー、中高生の時この動画を見れてたら😂
ご視聴ありがとうございます!
返信が遅くなって申し訳ありません!!
そう言って頂けると光栄です!!
ぜひ他の動画も楽しんで頂ければ幸いです!!
「思います」が多いのが気になります。
アンニョンハセヨ アンタの気のせいよ!マザームーン鶴子!
ご視聴ありがとう御座います!
古代史考察なので、あくまで「思う」になってしまうのはご高察くだされば幸いです。
歴史的事実は新たな発見にて上書きされるのが常なので、僕の考察も全くの的外れな可能性も大いにあります。
ですので現在調べ得た情報による、僕なりの「思う」をお伝えしているのがこのチャンネルです。
歴史は事実を元に、想像と言う接着剤で形を整えるものだと、僕は考えています。
僕なりにロジカルに想像しているつもりなのですが、皆さん千差万別の想像や考察があるでしょうから、そこはお互いディスカッションできるとまた楽しいですね!
今後ともよろしくお願いいたします!