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平和な現代に産まれただけでラッキー、日本に産まれりゃ勝ち組ですよ。
江戸時代は小氷期だったから現在よりも寒かったのに、ろくな暖房器具は無かったんだな。
今より気温が低く風通しのいい夏仕様の家屋で暖房は火鉢のみ。真冬には室内でも0℃近い寒さだったと思われます。
自分はまだまだ幸せなんだなあって思えました。
仕事帰りに一杯は今も昔も変わらないんですね😅
冬でもわらじ履きは、キツイですね。わらの長靴は、文明開化以降でしょうか。暖かいんですよね。ドテラは江戸時代からですか。冬の寒さに苦労したんですね
江戸時代の布団の高額さは驚きます。これはきっと棉花が多くの肥料を要したためで、江戸中期以降は北海道でニシンが獲れるようになったため綿の値段が下がりました。それまで庶民はありったけの衣類を掛け布団として用いていたようです。
いつもありがとうございます。
厳しい環境を生き抜いてくれた、我々のご先祖に感謝です。
火鉢や長火鉢は歌舞伎の小道具としてよく見ます
江戸時代は小氷期に該当し、ロンドンのテムズ川やパリのセーヌ川は何ヶ月も凍結して、人々は氷結した川を歩いて渡っていました。それ位、江戸の街も寒かったのです。
江戸時代だったら田舎住まいで白川郷みたいな住居がベストだったんですね
他所の動画でも同じコメをしたことがありますが、高校の頃の古典の先生の余談で「あの時代は寝る時は薄っぺらいせんべい布団しかなかったんです。そこで彼らは寒さをしのぐために何をしたと思いますか?それは・・ガマン!ガマンをしたんですよ。」
敗戦後子供だった私の住んでた東京の下町も同じ様な生活だった。冬は火鉢と湯たんぽ夏は扇風機もなくウチワだけ夜はカヤを吊って汗だくで寝てた記憶が有る。
落語のねぎまの殿様ききたくなりました
江戸時代の人々に感謝しますーたくましい人々文化を生み出した庶民ーこの人々がいなかったら今の時代はないだろう~たくましさー礼儀ありーものを大切にする習慣ーやさしさー思いやりー耐え忍ぶ精神ー何もかもが教科書だー逆に現代より人間らしいいや人間だ‼️
自分の地元、筑前福岡藩は江戸時代から豊富にとれる石炭を惜しげもなく燃やしていたようです。(石炭利権で結構イザコザ起きてる)今でも福岡都市圏東部の旧産炭地(筑豊ではない)跡付近でも石炭がゴロゴロしているので拾って帰って火をつけると凄い火力で燃える。当時は普通に露天で石炭が採集されたと思われ、一足早く明治時代のような石炭利用していたから、一口に江戸時代と言っても地域によってずいぶん違う。江戸は最盛期100万人と言われて、それぞれが薪や焚物、炭を利用するとなると膨大な量が必要であるにもかかわらず薪炭生産地から大八車等で運んでいることを考えると、一人当たりの使用量は最低限にならざるを得ないと思う。
圧倒的に物がない中でも慎ましく生活していたのだと思いました。
江戸は、まだマシでしょ。国土交通省東北地方整備局のHPから資料文献を借りると明治時代以前の東北地方では、数年に一度の割合で凶作の年があったことが、歴史文献から分かります。そして、中でも宝暦(1750頃)、天明(1780頃)、天保(1830頃)の飢饉はとても悲惨で、仙台藩の『三大飢饉』として語り継がれてきました。胆江地区でも、「牛馬の肉を食するのはふつうで、人肉を食する者さえあり、老母の死体を五百文で売買し、嬰児(えいじ)を食う母親もあり…(胆沢町史より)」とある。
まったく。田舎のネズミと都会のネズミっていう童話があるけど、どちらにもいい所もあれば悪いところもあるということではなく、いい事ばかりじゃないという教訓としてとらえてます。
オレなら火鉢でたき火かな。(笑)オフクロは、和裁、洋裁が普通に出来たな。昔の人は普通だったんだな。
ん、今の半島にある将軍ランドみたいじゃんか😆
布団が高級品だったんですよねそれは昭和に入ってからもで、震災や空襲の時に荷車に布団を入れて逃げるのは高級品だった為なんで。庶民の家も寒かっただろうけど、それは旗本なども同じだったんじゃないですね。和式建築の木造建屋は底冷えする寒さだったでしょう。令和に生きる日本人でよかった。今日も暖かい羽毛布団でエアコン25℃にして寝よう。
江戸時代は小氷河期だったらしい。
猫がカイロ代わりに。
猫なんてこの時代にはないよ
平和な現代に産まれただけでラッキー、日本に産まれりゃ勝ち組ですよ。
江戸時代は小氷期だったから現在よりも寒かったのに、ろくな暖房器具は無かったんだな。
今より気温が低く風通しのいい夏仕様の家屋で暖房は火鉢のみ。
真冬には室内でも0℃近い寒さだったと思われます。
自分はまだまだ幸せなんだなあって思えました。
仕事帰りに一杯は今も昔も変わらないんですね😅
冬でもわらじ履きは、キツイですね。わらの長靴は、文明開化以降でしょうか。暖かいんですよね。ドテラは江戸時代からですか。冬の寒さに苦労したんですね
江戸時代の布団の高額さは驚きます。これはきっと棉花が多くの肥料を要したためで、江戸中期以降は北海道でニシンが獲れるようになったため綿の値段が下がりました。それまで庶民はありったけの衣類を掛け布団として用いていたようです。
いつもありがとうございます。
厳しい環境を生き抜いてくれた、我々のご先祖に感謝です。
火鉢や長火鉢は歌舞伎の小道具としてよく見ます
江戸時代は小氷期に該当し、ロンドンのテムズ川やパリのセーヌ川は何ヶ月も凍結して、人々は氷結した川を歩いて渡っていました。
それ位、江戸の街も寒かったのです。
江戸時代だったら
田舎住まいで
白川郷みたいな住居が
ベストだったんですね
他所の動画でも同じコメをしたことがありますが、高校の頃の古典の先生の余談で「あの時代は寝る時は薄っぺらいせんべい布団しかなかったんです。そこで彼らは寒さをしのぐために何をしたと思いますか?それは・・ガマン!ガマンをしたんですよ。」
敗戦後子供だった私の住んでた東京の下町も同じ様な生活だった。冬は火鉢と湯たんぽ夏は扇風機もなくウチワだけ夜はカヤを吊って汗だくで寝てた記憶が有る。
落語のねぎまの殿様ききたくなりました
江戸時代の人々に感謝しますーたくましい人々文化を生み出した庶民ーこの人々がいなかったら今の時代はないだろう~たくましさー礼儀ありーものを大切にする習慣ーやさしさー思いやりー耐え忍ぶ精神ー何もかもが教科書だー逆に現代より人間らしいいや人間だ‼️
自分の地元、筑前福岡藩は江戸時代から豊富にとれる石炭を惜しげもなく燃やしていたようです。(石炭利権で結構イザコザ起きてる)
今でも福岡都市圏東部の旧産炭地(筑豊ではない)跡付近でも石炭がゴロゴロしているので拾って帰って火をつけると凄い火力で燃える。
当時は普通に露天で石炭が採集されたと思われ、一足早く明治時代のような石炭利用していたから、一口に江戸時代と言っても地域によってずいぶん違う。江戸は最盛期100万人と言われて、それぞれが薪や焚物、炭を利用するとなると膨大な量が必要であるにもかかわらず薪炭生産地から大八車等で運んでいることを考えると、一人当たりの使用量は最低限にならざるを得ないと思う。
圧倒的に物がない中でも慎ましく生活していたのだと思いました。
江戸は、まだマシでしょ。
国土交通省東北地方整備局のHPから資料文献を借りると
明治時代以前の東北地方では、数年に一度の割合で凶作の年があったことが、歴史文献から分かります。そして、中でも宝暦(1750頃)、天明(1780頃)、天保(1830頃)の飢饉はとても悲惨で、仙台藩の『三大飢饉』として語り継がれてきました。
胆江地区でも、「牛馬の肉を食するのはふつうで、人肉を食する者さえあり、老母の死体を五百文で売買し、嬰児(えいじ)を食う母親もあり…(胆沢町史より)」とある。
まったく。田舎のネズミと都会のネズミっていう童話があるけど、どちらにも
いい所もあれば悪いところもあるということではなく、いい事ばかりじゃない
という教訓としてとらえてます。
オレなら火鉢でたき火かな。(笑)
オフクロは、和裁、洋裁が普通に出来たな。
昔の人は普通だったんだな。
ん、今の半島にある
将軍ランドみたいじゃんか😆
布団が高級品だったんですよね
それは昭和に入ってからもで、震災や空襲の時に荷車に布団を入れて逃げるのは高級品だった為なんで。
庶民の家も寒かっただろうけど、それは旗本なども同じだったんじゃないですね。
和式建築の木造建屋は底冷えする寒さだったでしょう。
令和に生きる日本人でよかった。今日も暖かい羽毛布団でエアコン25℃にして寝よう。
江戸時代は小氷河期だったらしい。
猫がカイロ代わりに。
猫なんてこの時代にはないよ