ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
【訂正】22:46 fouth→fourth【参考文献のリンク】〇『数の発明――私たちは数をつくり、数につくられた』amzn.to/2VRiRUp今回の種本。ピダハン語研究で知られるダニエル・L・エヴェレットの息子による著作。数の発明にフォーカスする。〇『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』amzn.to/3yI9bKH『数の発明』の著者ケイレブ・エヴェレットの父による、アマゾンの少数民族ピダハンのフィールドワーク記。キリスト教を布教しにいこうとしたら価値観揺さぶられすぎて結果的に神を信じられなくなり、妻とも離婚する羽目になった。〇『人体-失敗の進化史』amzn.to/2UeKaYD耳の話はここから引いた。それ以外にも「出産は二足歩行と相容れないのでヤバい」みたいな話が出てきて楽しい。〇『兄ふんじゃった!』amzn.to/3AIm4VKヤンキーくんが登場するマンガ。深読みオジサンはどうぞ。
そういえば日本語でも2人なら対談、3人なら鼎談と単語だけで人数が特定できるのに4人以上なら会談とか座談みたいなざっくりした人数表現しかできないなぁと見てて思いました
保育士です。2歳ぐらいまでのこども達はよく「1.2.3.いっぱい」と言います…納得❗️
カービーのアニメでもワドルデュー隊長がそう数えてたな
ワドルドゥ定期
錦鯉の漫才でもまさのりさんがそう数えててこの動画見てから高度なボケだなと思ったw
かわいい錦鯉が可愛いわけじゃない
22:00 ローマ数字で4はIVですが、時計の文字盤で使われる場合だけIIIIというのが使われています理由として、14世紀のフランス王シャルルV世が、自分の称号であるVからIを引くのは自らの治世がすぐに終わるようで縁起が悪い、と時計職人に指示をしたのが始まりだそうですしかしそれが未だに採用され続けている理由は別にあって、枕元に置いた腕時計や、目覚まし時計を上下逆さまに見た時にIV(4)とVI(6)がわからなくなることを防げる為、今でもその形式が使われているらしいですね
ニカラグア手話は70-80年代に聾の児童をひとつの学校に集めたら学校内で独自の手話が自然発生し、それが独立した言語として体系をなしている「世界で最も新しく誕生した自然言語」ですね。これだけで動画一本作れる激アツテーマでは。
これ結構前にテレビ(確か世界丸見えとか)でやってましたね。前に雑談回で話してた「言語の起源」に絡めた水野さんの見解聞いてみたいですね。
「それ、聞いちゃいます? 話せば長くなるんですけど」となるかと思ったんですが、知らない分野のようでしたね。
それはやっぱり、言語は本能ということを示唆しているんでしょうか。
1000(ゼロ3つ)までは認識楽だけど10000とかになると途端に難しく感じるのこれか
ナルホド、だから3桁毎にカンマを打つのか。
@@早川眠人 天才
日本のナンバープレート4桁がXX-XXで区切られているのも、4桁は判読が難しくなるかららしいですね。
すげえ
少し昔までは、日本は4桁ごと単位が変わる際にカンマをうっていたようです。(万、億、兆)3桁ずつカンマを置くようになったのは、外国語の単位が3桁ずつで変化することに由来するものみたいです。英語だとカンマより一番左側が1桁から3桁のうちどれか(one かtenかhundred)と、カンマが何個あるのか(thousandかmillionかtrillion)を見れば楽に理解できる仕組みになっていますね。例えば、25,600,000は25million-600thousandと簡単に読めますよね。
個人的に、「拝」の右側に違和感を感じていましたが、それは3までしか本能的に数えられないからかなとも思ったり
わかります!3本よりさらに一本多いという覚え方しかできませんでしたw
同じく、「 華 」の下部分が何本なのかいつも迷います
龍の右下も2画なのか3画なのか迷います
人がLogの感覚で認知する話は聞いたことある。ライオンが1匹から2匹になると威脅の変化を感じるが、100匹から101匹になったとしても威脅の変化が前者よりは増えない。だから倍数(Log、対数)の感覚で認知する…
そもそも人の感覚器官(視覚・聴覚等)の感度が対数なので、認知も対数なのは自然では?
幼稚園の時、私は100まで数えられるようになり、「じゃあ」と、続けて199まで数え、その次は1000だと勘違いしてました。200という概念がなかった。そしてそれを教わった時、1000まで数えるという道のりの長さに絶望した。
ウェーバー・フェヒナーの法則ですね。
照明の明るさの感知、音量の聞こえ方もそうだと教わったことがあります。
たしかに、視覚や聴覚みたいな数値的に認識できない感覚は対数感覚だって知識はあったけど、概念的に数としてはっきりするはずの数量についての感覚も線形ではないのかもしれないですね。興味深い。
うちの息子は1〜20まで言葉で順番に数えられるのですが、目の前に並ぶ個数やサイコロの目の数を聞くと1,2,3は即答なのですが、4以降は「ろく」「なな」「はち」などあてずっぽうに答えます。なんとなく4の壁があるのだなぁと感じていました。
左 ← ここ → 右前 ← ここ → 後上 ← ここ →下過去 ← ここ → 未来って感じで3は本能的に認識できるのではないか
それは凄い発見かも!
「ここ」を認識できること自体が「ゼロの発明」みたいに画期的な気もします!
臥薪嘗胆のもとになった漢文で「三戦三北」って表現が出てくるんですけど、これは「3度戦って3度敗れる」という意味ではなく「何度も戦って何度も敗れる」という訳し方をするらしく、これは三をたくさんという意味でとらえてるんじゃないかなーと思いました
これ!高校のときにそう習いました。三には何度もという意味もあるよと。
再三とかですね
「烽火三月に連なり」
一日三秋もね。
「野生状態の人間が生涯で出産できる子供の数は3人が限界だと言われており、それ以上の数を認識する必要がなかったのかもしれない(尚、他の生物は多産多死か嗅覚や聴覚でカバーする)」というのが、生物学ガチ勢だった妻の立てた仮説です。
テレビゲームが好きなんですが、ゲームの開発者が複数人で協力するゲームを開発するためにデータを集めてたら、どうも多くの人は、味方が3人までならどこにいて何をやっているのか把握出来るけどそれが4人になると一気に全部わからなくなるという結果が出たという話を思いだしました
だからスマブラの4人対戦はあんなにエキサイティングなんですね
この前ボンバーマン3人でやったらクソつまらなかったのはそれのせいかもw
8人対決はもはやカオスの領域だったのだな…
東西南北・前後左右までは慣れれば大丈夫かも。ただ、自分を入れて4人までの認知が限界だと思う。
ワールドトリガーのチームも4人チームは少ないのはオペレーターの負担が大きいから…
漢字でも数の表現として、1は「単」「独」、2は「対」「双」、3は「鼎」がありますが、4以降は寡聞にして存じません。また、勝手な妄想ですが、それぞれ1,2,3を表す漢字の種類は1が最も多く3が少なかったりしそうです。
『妻を帽子と間違えた男』というノンフィクションの中で発達障害で算数もろくにできないのに落としたマッチ棒の数を一瞬で把握して勝つそれを因数分解した数の組み合わせで表現した人が出てきて作者がそれを「数を見る」と表現していました。数は見ることができないものというよりも私たちに数を見る能力がないのではないでしょうか。
尿道ゆるいラジオでも僕は聴き続けます!!
1:52 尿道ゆるいというか、うれしょん する感じなのかな?
どんなラジオだ…。尿道を先にするから変になるのだ。本来ならば、ゆるい尿道ラジオだろ。…ヤバwwwwゆるい尿道ラジオっていう名のラジオの視聴率ってめちゃくちゃ高くなりそうで困る…
「赤ちゃんビビらす実験」の語感がいい
ポーランド語を学んでいた者です。ポーランド語でものを数えるときは1+単数形2.3.4+複数形5以上+生格(イメージ的にはいっぱい)と4までが別扱いになります。3までルールとちょっと外れていて、おっ!となりました。ポーランド語はロシア語と似ているのでロシア語系はもしかしたら4で区切りをつけているかもしれないですね。
漢数字とローマ数字の下りでそういえばアラビア数字を描く時の位取りのカンマも3桁づつだよなと思いましたもちろん印欧語の桁の上がり方が10^3ごとにだから何でしょうが人間の認知としても3桁づつで区切ったほうがわかりやすいというのも根本にはあるかもしれないですね
16:08 「少数を疎に並べたもの」と「多数を密に並べたもの」だと、多い方を選んでいるのか、密な方を選んでいるのかわからない疑惑。
私も「疎らな5個 vs 密な3個」も試したかどうかが気になってしまいました。
ニカラグア手話は言語の発生としてアツいから是非取り上げてください!音声言語を持たない手話話者は別の言語体系を頭の中に持ってというのもおふたりに取り上げてもらうと楽しそうです。
【新語・流行語】(私選・加除歓迎)0:11 エヴェレット1:52 失禁しかけました13:31 赤ちゃんビビらす実験18:19 あの、全く関係ないんですけど18:45 やべ「いぬまるだしっ」が干渉してくる19:05 「兄ふんじゃった!だ」「兄ふんじゃった!!!」21:00 深読みオジサン21:35 「4は?」「スゲェ!」21:44 「ホントだ!」「説明してあげて」25:23 今ちょっと僕上の空だったんですけど25:27 ポケットモンスターピダハン27:48 もう次が気になってしょうがない
人間が「本質」を追い求める作用は、案外言葉通り本質に迫りたいのではなくて、単に大量の情報を処理するのが面倒くさいから単一の情報に収束させたいだけなのではないか、とかそんな事を思いました
コンテストや競技会なんかで表彰されるのも3位迄っていうのが結構ありますよね。1位が表彰されるのはわかるとして、2位と3位が特別視される理由が不明瞭なのに、何故かあまり疑問に思ったこと無いんですよ。3迄が自然に理解できるのって、3点を結ぶと初めて平面(三角形)ができて、4点になると立体(三角錐)が出来るなんてのも関係あったりするんでしょうか。案外人間が空間を処理する時も三角形の平面を連ねた形状を計測しているのかも……なんて感じの妄想が出来て個人的に楽しい回でした。
おみやげか何かでお菓子を買う場合、1ホールのケーキではなく4つのショートケーキセットの方が、たくさん買ってきたように見えてウケがいいからそうしなさいと、昔ばあちゃんが言ってたのを思い出しました。根拠のないおばあちゃんの知恵袋ではなくちゃんと人間の本能に基づいた知恵だったんですね。
4は縁起が悪いので、3か5にしなさいともいわれました。
@@block1948 4が死を連想させて縁起悪いという突拍子もない論はどこで生じたんでしょうね。
5:00RGBは256の数で表されてるけど、例えば220と221の間の色だって存在するだから例えば(100,120,150)というふうに“ピンポイント”で指定したとしても、それは厳密にはピンポイントではない
「220と221の間の色」は物理的に存在しますが、24bit色は人間の色識別能力よりもはるかに細かいので、堀元さんが「ピンポイント」という言葉を使うのは特にツッコむようなところではないような。
@@minami_alinko なるほど確かにそうですね!
水野さん:色の形容や単語の選択には恣意性があり、同じモノをみんなが同じ単語で表すわけじゃない↑ミスターホリモト:RBG数を指定でいえばズレない(キリッ ↑ピダハン:RBG何それ?イビピーオじゃないから分からない。
数の概念は直感的には整数10までは理解できると思ってました(指が10本なので)。first、second、thirdの下りは1、2、3、沢山を聞いたときに最初に思いました!追記昔、バイトでレジをやってるときに4~6千円までのお札のお釣りは、3・3、3・2、2・2に分けて見せると目の前で数えなくてもスムーズに進むってのを習いました。これも、パッと見では3までが限界ってのを示唆してる気がしますね。
出典どこだか忘れたが、人類が獣を追い回していた時代から「3」という数字が深く関わっていたと聞いたことがある。基本狙うのは体格の小さい子どもだが、その親(雄親、雌親)に襲われないよう狩りをしていたため、標的+親2頭の計3頭の動きはしっかり認識できるようになった。しかし4頭以上は「群れ」の可能性が高く、親以外の成獣に襲われるリスクが高くなるから相手にしなかった。うろ覚えだが、「3」と「4」の認識の違いはここから生じているかも。
なるほどつまり3以下は区別する利点があったが、4以上は特になかったということですかね
@@めな-j9i 4頭だろうと5頭だろうと10頭だろうと、自分が死ぬ可能性が高いから狙わないと線引きしていたのかもしれませんね。まさに「1,2,3,たくさん」の感覚ですね。
元麻雀プロですが、昔は相手3人との点差を暗算・暗記しなくてはならず、空想電光板でやってました。相手が3人までは何とかできるみたいです。
昔どこかで断片的に少しだけ聞いたか読んだかしたことのある話でしたが、体系的なお話を聞けたのは初めてです。非常に興味深い内容で勉強になりました。そこである考えが浮かびました。人間にとって、1から3までの概念は生得的だが、4以上の概念は、文化によるもので後天的に獲得するものだということですが、それは数に限らないことなのではないかということです。つまり、概念には、どの言語にも共通して存在する基礎的な概念(どの言語にもそれを表す言葉が通常存在する)がある一方、人が属する文化によってはじめて与えられる概念(その言語にしか存在しない言葉が創造される)があるのではないかということです。世界の言語の中で、高等教育をその国の言語で行える国は少数にすぎず、開発途上国では、高等教育は英語が中心で、その他はフランス語、ドイツ語、ロシア語などに限られます。欧米の言語以外でその国の言語で高等教育ができているのは日本語ぐらいしかないと思います(中国語も明治以降の日本漢字の輸入によって可能になったのではないかと思います)。私はその理由として、江戸時代後半から始まり明治時代以降も行われた欧米語の大量の翻訳のために新たに創造された漢字語が大きな役割を果たしているのではないかと思うのです。そもそも日本語が漢字使用言語でなければ、恐らく翻訳は不可能だったと思われます。そして、日本における漢字の使用の在り方もこれに貢献したように思います。すなわち、韓国やベトナムと異なり、日本では多くの漢字には音読みだけでなく訓読みも作られました。訓読みは、その性格は大和言葉への翻訳だと思います。漢字に訓読みを作ったことにより、日本では漢字二つ以上を組み合わせて新たな概念を表す造語を作ることが可能になりました。訓読みがあることにより、漢字が組み合わされて新たに作られた造語の概念が理解ができたからです(もちろん最初は朧げながらだったのでしょうが、やがて時間が経つにつれて、数字の4の理解のように、日本語の語彙として定着しました)。そして中国の遺産である膨大な漢字が使用可能であったことにより、日本語は、ほぼ無限の造語力を手に入れたのです。これが日本で高等教育を可能している土台ではないかと思われます。もし平安時代に日本でカナが発明されたとき、漢字を捨てていたとしたら、幕末明治において、日本語への翻訳はほぼ不可能であり、他の開発途上国と同様、日本の高等教育も英語、フランス語、ドイツ語で行われることになったのではないでしょうか。そして日本は今日でも他の開発途上国と同様の存在に止まっていた可能性があるように思います。
5:23Rを128段階に切り分けていることは恣意性がありますよね
コンピューターで扱うために2の累乗にしているし、2の累乗の中でも人間が区別できるギリギリを狙って128にしている(って感じだった気がする)
そして分けたところで、見る環境によって異なってしまうという不規則性もありますね。
今井先生ゲスト会から復習しに来ました。2人の距離感が付き合いたてのカップルかのようなドギマギ感がまだ残ってる気がしてとてもよい(そこじゃない)。
自分も復習しに来ました今井先生の新刊がKindleになるのを待ってる状況ですw
うぽつです。RGBは確かに「赤」みたいなくくりに比べれば多少具体的かもしれませんが、それでも256^3しか識別できていないし、条件によって人が認識する色は変わるはずです。色は心理物理量なので見る人によっても変わります。また、人間が3色型色覚なだけであって動物には5原色とか認識できるのもいるようです。表示するモニターや設定が異なれば発せられる可視光線の波長も異なるでしょう。それを同じとみなすのは色空間によって抽象化されていると言えるのではないでしょうか?自分が考えていることをうまく伝わるように言語化するのって難しいですね。
「目の光を受容する細胞は3種類あって云々」の話ですが赤色を受容する細胞だけ、血液型のように何種類かの型があって人によって受容できる赤の波長が微妙に違うようです。また、まれに4種の光受容細胞を持つ人もいると聞いたことがあります。女性に多いそうで、他の人より細かな色の違いが分かるらしい。
最近観たTVで、錐体細胞が2種類の人が男性に多いのは、狩猟をする時に獲物を正しく認識しやすいという利点があり、女性がたまに4種類の錐体細胞持つひとがいるのは、熟した果実を見分け易いということがあるそうです。へぇーと思いました。
@@nara3178 浅学で恐縮なんですが、「女性がたまに4種類の錯体細胞を持つこと」と「熟した果実を見分け易いこと」の間にはどんな因果関係があるんですか?
@@酔歩する男-t3h 4原色は紫外線も見えるから紫外線の反射率が違うのかも
@@pcm298 ?紫外線を見ることができる人がいるということ?そんな話あり得るの?
@@酔歩する男-t3h たしか、赤を感知する細胞はX染色体上にあって、片方のx染色体がいわゆる色覚異常のキャリアだと、赤の見え方の幅がひろがるらしいです。4種類だからよくわかるというわけじゃなくて(ごめんなさい間違いでした)、2種類しか働かないと、果実などの色を見つけ難かったのでは?というような話でした。(太古の狩猟採集時代に生き残り易かった説)
3まではいけるの話で漫画は漫画でもジョジョのジェイル・ハウス・ロック(4つ以上の物事を覚える事が出来なくなるスタンド)を思い出しました。というかジョジョの中のこの話は最後、解決する方法は『水溜りに映る風景を一つのものとして把握する』っていうものだし、何か恣意性とかに関する深い示唆を与えてるような気がしてシリーズを通して特に好きな回です。
『兄ふんじゃった!』の話が出た時点で、反射的に高評価。
この世界が左右・上下・奥行きの三次元でできていることも関係していそうですね。I II III IV、一、二、三、四1、2、3・・・カーブ0個、カーブ1個、カーブ2個、でも4でカーブ3個にはならないのも似ていますね。HiTo x2 = Huta、Mi x2 = Mu、Yo x2 = Ya、iTu x2 = Touこんな関係もあります。“いつ”の“い”は“いばら”、“うばら”、“むばら”系の無くなっていたかもしれない語頭かもしれないと思うとよりすっきりする。
「ばら」につく語頭は全て「ば」を発話しやすくするための意味のない音だと推測されます。濁音の前に小さい「ん」が入る形です。「五」は「五十(いそ)」など、「い」または「いつ」なので同様の省略可の語頭と捉えるのは無理があるかと思います。「十」は手(te)→toが指摘されていますが、「五」の「つ」は「ひとつ」「ふたつ」の「つ」と同じでしょう。
@@般若心経を写経するだけのチャ 「いつつ」の最後の「つ」は「ひとつ」「ふたつ」の「つ」と同じですね。1つ目の「つ」のことをあえて言っているのですか?
@@かるいし-l4p 確かに冷静に考えると疑問ですね。『語源海』には「ひ,ふ,み,よ,い(つ),む, . . .」と書いてあったのでそのように解釈していましたが実際のところどうなのでしょう。「御御御付け」などの例もありますから、この解釈は十分可能だと思われますが。。
最初の色のくだりの部分でクオリアについて思いをはせてました
定番の絵本「11ぴきのねことあほうどり」を思い出しました。 >(あほうどりが兄弟の数を数える時)「3ばと 3ばと 3ばと 2わのきょうだいでして」 というセリフがあり、あほうどりは3つまでしか数えられないということでした。小さい子どもの感覚を知っていたんですね。
ようやく最新回に追いついた……と思ったら水野さんに髭が無いので、ここから生配信回近辺に撮り溜めした動画が随時配信されるんだろうなぁ。本編の内容に関して言えば、人数を数える時は「ひとり」「ふたり」「さんにん」……なので、人は3が本能的に認識できる上限であり、2までは確実に認識できるんだろうなぁ……と思いました。
11:30 ここの例えすごいわかりやすい
すごくわかりやすい
23:05 1,2,3だけが特別の反例としては、アメリカやヨーロッパで使われる画線方があると思いました。4までが縦の棒で、5から斜めの線が入ります。
この動画見て4のヤバさを保育士の妻に語って聞かせたら、「親指だけたたむ動作が難しいから4を理解するのも難しいんじゃない?」って言われて目からコンタクト落ちた。
そうですね。私も若いころは虚数(二乗して負になる数)は「実在」しない数だと思っていたのですが、そもそも数はすべて抽象的な概念なので、実在しているわけではないと言えます。そう考えると、虚数というのも数の持つ性質(計算ができることと、その規則)にもとづいて拡張した概念なので、数として自然に受け入れられるようになりました。
3という数は安定を意味するって聞いたことあるな。天・地・人、現在・過去・未来、陸・海・空、数の占いでも1はリーダー、2は補佐、3は安定の意味があったような。そもそも1〜9までが3の倍数だし。「3人いれば社会」の言葉も。本能的感覚的に、3つで一まとまりになってるんでしょうかね。それ以上はなんか多い、と。
4以上がパッと見じゃ分かりづらいっていうの遊戯王カードで似たような感覚がありますw遊戯王のルールではモンスターのレベルは4が重要な位置付けにあるのでそこまではパッと見でも分かるのですが、5や6以上になると一旦数えないと星が多くて数を認識できない事が新カードを見た時に多々あります
この番組で数の数の話が出てくるとダースを毎回思い出します。4が生まれた後かとは思いますが、単位として沢山って意味から来ているような気がする。ダースも含めたグールーピンクする単位のお話しも聞いてみたいです。
新聞配達をしていた時に、必要な数の新聞を数える時も3ずつ数えていましたね。2、4、6、8で数えていた時に引き継ぎのおじさんが、3ずつ数えるのが早い、人間は3なら見てすぐにわかるからと教えてくれました。
店に行って何人か聞かれたとき、3人くらいなら即答できるけど、それより多いと人数を数えないとわからないことってありますよね
人間が3までは本能的に理解出来るのは納得感ありました。ただ、人間は指が5本あるのに(ピダハン達が)4や5を認識しづらいのは不思議だと思いました。5までなら数えられそうなものなのに。
ゆる言語学ラジオからゆる尿道ラジオ、そしてゆる文化論学ラジオへどんどん変化していて、とても楽しい動画でした。次回へのヒキもとても強く、一日も早い次動画の公開を待ち望んでおります。
冒頭のシモ言語学ラジオ好き
今回も面白かった〜次回待ってます🥰
dozen, duodecim, ダース(12, 12くらいの量)という数のセット概念がありますね。これは明らかに税や管理といった経済に紐づいて発展した。転じて、あいまいな数量感を表すときにも使われるようになった。
ジョジョ6部、ミューミューが使うスタンド『ジェイル・ハウス・ロック』を思い出しました笑
同志がいて嬉しい
16:56 幼稚園児の頃に小学校受験を経験したんですが、「小豆や賽の目を素早く数える」ような課題がありました。受験塾で教わったやり方は、1〜4くらいはすぐに分かるとして、それ以上の大きい数に関しては、5なら「2・2・1」、7なら「2・2・3」のように、2ごとに数えていく方法でした。園児が数えるためには本能的な何かを使うんだと思うので、この話と近いですね。
1=私、2=あなた、3以上=みんな or 常に(常識)、みたいな感じで複雑な人間関係や計画的な数量を扱う必要がない社会なら数の表現体系が発達しないとはならないでしょうか?
気になってピダハンの本読みました😊いつも通な話にクスッとしながら聞いてます。個人的にはカタルシス英語が好きです。インテリ慣用句ゲームも、お二人の嬉しがりのキャラクターが垣間見れて面白かったです。
兄ふん、大好きすぎてお二人が知ってるの嬉しい
棚卸の仕事をしてました。初めの慣れてない時は、まず一つ二つ三つと数えるんですね。次に2、4、6、8、10。そして3、6、9。4、8、12。5、10、15。みたいになる。ホントに能力が高い人になると20個くらいでも瞬時に認識出来ちゃう。私の場合、5単位で数えろと教わったせいもあって、5×A+αみたいな数え方をする習慣がつきましたけど、出来る人は私のような習慣を瞬時にしてるのか、本気でぱっと見でわかるのかまでは分からない。で、考えてみると2、4、6、8。は簡単だけど、3、6、9。になると少し難しくなり、4倍数はもう少し難しく、5倍数以上は訓練しないと難しい。多分に視覚認識なんで動画の内容とはズレてるかもしれませんけど、数を数えるという仕事だとこういう認識の仕方してるという話です。
19:04 漫画繋がりで、ジョジョの奇妙な冒険第6部にはジェイル・ハウス・ロックというスタンドが登場し、その能力を受けた者は「3つの事柄しか新たに記憶できない」状態にされます。文化的に4以上を識別出来る者を、生得的に持っている認識レベルまで落とす、と言えるのかも?
数の認識ができるのは人以外にカラスなどの鳥類が存在します。(蜂などの昆虫も認識できる説もあります)カラスは4までの数を認識できます。その実験として狩人を使ったものがあります。狩人が2人来て1人だけ帰って、もう1人がかくれている場合、2-1=1でまだ1人の狩人が残っていることがわかるので巣から出てこないようです。これを3-2、4-3と増やしても同じように巣に篭ったままだったそうです。しかし、5人来て4人帰ったときカラスの数認識の限界を超え、憐れカラスは巣からとびたってしまいました。他にも巣から卵が盗まれる時も5-1は気付きませんでしたが、4-1はそれに気付き怒るようです。カラスにも劣る数認識しか持たない人間が、どのように4を得てカラスに並び、5を得てカラスを超えたのか次回のゆる言語学ラジオがとても楽しみです。
逆に人間はなまじ『数字』や『数える』という行為を会得してしまったから、それに頼ってしまい認識がカラスより劣ってしまって、もしかしたら、もっと多くの数を『数える』ことなく認識できる他の動物とかいるかもしれませんね。
数人といった場合、最近では若い人を中心に2,3人と思う人が多いようです。しかし、私のような古い世代の人は4,5人と思う人も多く世代間ギャップの一つです。Web小説などを読んでいると混乱することもしばしば。古い世代としては、それほど多くないけど数えないと正確な数がわかりにくい4,5を指すのが適当じゃないかなぁと考えます。3ぐらまでならあいまいにする意味がないから。ただ、対象となる数が減ってきたのにも理由もあるんでしょうねぇ。
数ヶ月前にちょうどこんな話を兄としていました笑。直感的に3より上は人間には理解し難いですね。日本語では一番中心的に使われる数字の概念は1と3で、英語は2だったように思います。三人よれば文殊の知恵Two heads are better than one.など。
1,2,3の特別感!面白い!コメント欄も見させていただいてますが、みなさんの考察なども面白いですねー!
読書家とか新書をよく読む人って、出版社まで覚えてるのって当たり前なのか?学校の先生も、新書を勧めるときは必ず出版社まで教えてくれるんだけど、出版社によって違いとかあるのかな…?
本屋に買いに行くと出版社ごとに分かれて並んでいるところが多いので、探しやすいようにという親切心からじゃないでしょうか。あと、著作権切れの小説とかは色々な出版社から出たりしますが、注釈が違うとか、巻末の解説者が違うとか、多少の違いはありますね。
@@livrecolline6308 なるほど〜、そういった違いがあったのですね!自分は図書館で気になっている分野のを適当に取っちゃうので、出版社は全然気にしていませんでしたね笑自分の学校の先生が、学術書に限らず海外の作者の書籍を勧めるときに「A社出版のBが訳した方ではなく、C社出版のDが訳した方がオススメだよ」とおっしゃっていたのを聞いた時は、めちゃくちゃびっくりしました笑笑
出版社によって、社風やターゲット・ニーズが違うので、書き手の立ち位置が変わると思う。同じ先生でも、出版社でテーマや内容、アプローチ、掘り下げが違う。(マトリクス化したい)同じ文学作品でも、各出版社の紙質、フォント・ポイント、行間・文字間隔、印刷・装丁で印象が変わる。「ゆる言」でこの感覚を言語化・数値化して欲しい。
出版社によって傾向とかがあるので覚えちゃいますよね。音楽のレーベルとかテレビゲームのメーカーみたいな感じ。
そうそう、このことは以前から気になっていて、皆さんの返信で解決しました。本屋にて、「三島由紀夫」 は「作家名で名札化」されているけど、昨日今日の作家だと「出版社の名札」でしか探せないのか。
8:30水野「ホイなんだけど声調が違うんですって」堀元「ホイホイホイホイ」
3を示す特殊表現は、時代の流れとともに消えつつあるように思います。例えば、一人(ひとり)二人(ふたり)に比べて三人(みたり)と読める人はかなり少数なのではないでしょうか。十日(とおか)二十日(はつか)に対する三十日(みそか)も同様ですね。漢字一文字の表現にしても、三つの組を意味する鼎という字を知る人は一や二を示す単・独や双・対に比べて珍しいでしょう。この現象は日本語だけでなく英語にも言えそうなので(シン・エヴァンゲリオンの英題Thrice upon a timeのThriceはOnceやTwiceに比べて使用頻度は低い、など)それなりの説得力があるように愚考します
23:04反例になるかどうか分かりませんが、ロシア語では数詞が名詞と結合する場合、名詞が、1は単数主格(変化なし、そのまま)、2~4で単数生格、5以上で複数生格に格変化します。つまり、ロシア語でいわゆる「複数形」として扱われるのは、5以上の数、ということです。また、猿を使って、数を認識している際の脳の細胞活動領域(大脳頭頂葉の5野)を調べた研究では、4回目以上の動作に反応する細胞群の領域と、1回目から3回目までの動作に反応する細胞群の領域が、それぞれかなり明確に区分されるとのこと。
TH-camにあったピダハンのドキュメンタリーで見ましたが、4つ以上の釣り針が並んだときに数を聞かれて、ピダハンのおじさんの顔がなんとなく怪訝そうな表情になっていたのが印象にありましたが、そう考えるとなんとなく納得してまいました。single, double, triple Primary, secondary, tertiary なんかも、それ以降は語彙として存在するけど、あまり見かけないのは本能的に使いづらいからでしょうかね。他の語彙だと、対談 :二人で話すこと鼎談:3人で話すこと4人以上は会談でひとくくり?中国とかだともっと語彙があるのか気になる。キリスト教のトリニティ、trinity 三位一体も、4つ以上は認識しずらいから、もし4位一体な理論を元にする宗教だったらここまで広がらなかったかも、とか考えてしまいます。
5:35 ここで理系と文系がお互いに譲らないの好き過ぎるw
ゆる言語ラジオのコメント欄は、凄く丁寧な口調で、長文が多い気がするすげーなー
3色型色覚と光の三原色は別の話で、3色型色覚と言語としての色の捉え方もまた別の話な気がしますね(人間の認知を元に実験すると赤青黄緑の4色の方が良い結果が得られやすく、そのためコンピュータがRGBになって広まるまでは学者にも4色派が多かったとか)(またRGBですべての色を表現できるわけでもなく、デザイナーが使うソフトではαRGBとかその進化版とかが使われているし、ディスプレイはより鮮やかな色を出すためにRGB以外の色も利用していたりetc...)
数の話は面白いですね、次回が楽しみです。ちなみに、以前、四には亖という漢字があったと聞いたことがあります。
ピアジェの認知発達段階で「前操作期」の子どもには、保存の概念が確立されておらず、密に並んだものを、疎に並べると多くなったと言うらしいです。ただ、写像的な関係なら理解できて、ボールがちょうど一つだけ入るカゴに、それぞれ全て一つずつボールが入っていて、それを取り出して、カゴは密に、ボールは疎に並べても同じ数だと言える子どもが多いことが知られています。
サイコロが一列に3つまでしか点がない(⚀⚁⚂⚃⚄⚅)のも、人間の数の認知と関係あるのかもしれませんね。
数の数え方が『ひとつ、ふたつ、みっつ、…』なのに、人数になると『ひとり、ふたり、さんにん、…』と、三番目から法則性が出るの変ですよね。
10個ずつものを袋詰めする作業してた時、5の集まりを2つ作って10を数えてたんですけど、5を作るときは2と3の組み合わせか1と4の組み合わせで認識してたつもりだったので4まではぱっと見でわかると自負してたのですがこれ見て実は4は2と2の組み合わせで認識してただけだったのかもと思いました。
三角形も四角形も「一つ」として認識できるので、4は数として認識していたのではなくて四角形が一つとして数えていた可能性がありますよ。図がないと伝わりづらいかもしれないですけど、、、
@@ika-f2l なるほど、もののある場所を無意識で頂点ととらえてたかもってことですね!テーブルの上に広げて数えてたのでありえそうです。
これを考えると12進数、ダースってのが使いやすいって思ったりもします。3.3.3.3って数えたら12になるけど、どうやっても2.3.2.3って数えて10を作るのは高度そう。銀行員は昔、お札を2.3.2.3で数えていたらしいと聞いたので、ついそれを思い出しました。
@@francescogatti3002 2,3,2,3,は手がもたついちゃいそうですね><10ってあんまり使い勝手いい数字じゃないですよね~
ベスト3とか金銀銅とか三つにまとめたがるのはそういうことなのか!
アラジンも願い事を3つ迄しか聞いてくれない。 4つ目のお願いは欲張り過ぎって事なんだろうな。
生得してるはずの3が分からんのにゴリゴリ文化の虞美人草と彼岸過迄を習得してるの草
自分趣味でマジックやってるんですけど、一度かんたんなマジック(何かが消える)を赤ちゃんに見つけたとき、かなり長く見つめてくれました
2と3って概念があれば以降の数は2と3の組み合わせ足し算で表現できる、という小ネタを使ってなんか上手いこと言いたかったけど思いつかなかったのでここに供養しておきます
鳥も3個までしか数を認識できない、みたいな話を聞いたことがあります巣の卵の数が4個以下になると騒ぎ出すけど、6個が5個になっても気づけない、というような共通のものを感じてなんだか不思議な気持ちになりました
人間に限らず、すべての動物に当てはまることなのか気になりますね。人間にも難しいのに鳥には難しそうですね。と、とっさに思ってしまいましたが、、もしくはむしろ逆で、動物は数字や『数える』ということに頼ることができないから、4つ以上を容易に認識する動物とかいるのかも、と妄想が止まりません笑
1.5倍の話と I II III IV の話は一つにできますね。2→3 までは1.5倍だけど、3→4 以上は1.5倍以下になってしまう。比率で認識してるんだなあ。
高頻度更新たすかる
この動画見てから『脳にはバグが潜んでいる』(D・ブオノマーノ)を読んでると、まさに今回のことに触れている箇所がありましたので、引用します。「進化の観点に立つと、数をたえず把握して手際よく処理するよりもパターンを認識できるように淘汰圧がかかったことは確実だろう。地面にヘビがいるのに一目で気づくことの方が、何匹いるかを特定するよりも重要だ。この場合、当然、「1、2、たくさん」システムがあれば事足りる。毒を持っているかもしれないヘビなら1匹でももうたくさんなのだから。」最後の"もうたくさん"が洒落てていいですね。
指は5本あるので5までは認識できるのかなあと思っていましたが、それも一旦「物の数」を抽象化して「指の数」と対応させるという高度な思考が必要だということですね。”抽象化を恐れないでください”ですね!
一応漢字でもローマ字数字では「亖」や「IIII」という文字でも表すことがあります。どちらも滅多に使われないでしょうが。話は変わりますが、漢数字で30を表すのに「卅」「丗」というのがあったりします。後者に関しては、人間が自分の子供に継がせるまでの期間である三十年を由来として「世」という漢字ができたとも言われているそうです。
「ビビらす実験」と聞いて不安になったけど、「釘付けにする」という意味で安心した。
人はぱっと見で3つまでしか認識できないと言う話を思い出しました。多くの人は「4」を認識するとき「2が2つ」もしくは「3が1つと1が1つ」で認識する。ごくたまにぱっと見で4以上を認識できる人がいて、戦時中、パイロットの適性を判断する基準になったみたいな話を聞いたことがあります。(一目で4を認識できると、敵機が何機いるかを認識するときに有利なため)
A「保育してて、青って言いながらりんご指差す子がいる。その子は3ぐらいまでしか言えない。その家庭は親が仕事仕事でちょっと…。他の子は10くらい言えるけど」オレ「(ゆる言語学ラジオのあれじゃん!)ちょっとこの動画(本動画)見て」A「じゃあ10数えたら風呂出ようね〜の文化は大事なのか」(要約)って出来事があってワクワクしました!
数学者の岡清さんは、数学というのは人間が納得できるものを数という言語で表現しているだけだという趣旨のことをおっしゃっていましたね。方程式も一種の言語。一般的に理解するためには何語かの言語に翻訳する必要がありますが。
ヤンキーくんに漱石の三つ目の本として三四郎を読ませて脳をバグらせたい
漢字で、そもそも漢字の中に4本の横棒が並ぶことは結構稀ですよね。耕の、偏ってなんか変だなって、忘れるなぁって、思ってた理由がわかる。
シミュラクラ現象(3つの点が集まると顔に見えてしまう)とかもしかしたら関係あるのかもと思いました。他人の顔を認識するために3までは理解する必要があったとか。
兄ふんじゃった懐かしすぎるwwwなんかたまごっちみたいな背後霊いたよなwww
22:44 4の序数は fourth ですよ~。字幕は r が抜けています。
4:24 〜色のお話、ぜひ別の動画でやって欲しいです!クオリア?的な部分も解説して欲しいです。
人間が1.2.3までを本能的に理解するように進化したのは、私たちが3次元空間の生き物だからかなと思いました。次元とは変数なので、私たちの空間では3つの変数がわかれば対象の位置が想定できます。(高低、近遠、左右) そう考えると、4次元空間の生物は1.2.3.4までが本能で認識できそうですね。今回の話で改めて”0”っていうのは人間の本能的理解を超えたすごい発想の飛躍なんだなとーと思いました。 (ちなみに、前回話題に出たガロアが創始した群論では19万6883次元空間とかいうのが出てくるらしいです。その空間に生き物がいたら196883までは本能的に理解できるのかなとか妄想しました)
数が発明された中でも、区切り方が違うのが面白いですよね。日本語は千も万もあるけど英語はきっちり千単位(thousand, million, billion)だし、とはいえ両方十進数ベースだけどフランス語はそもそも二十進数だし。何かしら文化の影響がありそうですね。
日本語も万単位できっちりですよ。 万億兆に十百千を組み合わせる。
@@早川眠人 確かにそうですね!ただ、どちらにせよ言語によって区切り方が違うのは面白いなあと思います。
日本語というより万億兆は中国語由来でしょうか。日本では欧米の影響を受けて「1,000」など千単位や千倍の表記も一般化されてますが、中国では今でも桁数の多い金額など万億兆の表記が多いです。
【訂正】
22:46 fouth→fourth
【参考文献のリンク】
〇『数の発明――私たちは数をつくり、数につくられた』
amzn.to/2VRiRUp
今回の種本。ピダハン語研究で知られるダニエル・L・エヴェレットの息子による著作。数の発明にフォーカスする。
〇『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』
amzn.to/3yI9bKH
『数の発明』の著者ケイレブ・エヴェレットの父による、アマゾンの少数民族ピダハンのフィールドワーク記。キリスト教を布教しにいこうとしたら価値観揺さぶられすぎて結果的に神を信じられなくなり、妻とも離婚する羽目になった。
〇『人体-失敗の進化史』
amzn.to/2UeKaYD
耳の話はここから引いた。それ以外にも「出産は二足歩行と相容れないのでヤバい」みたいな話が出てきて楽しい。
〇『兄ふんじゃった!』
amzn.to/3AIm4VK
ヤンキーくんが登場するマンガ。深読みオジサンはどうぞ。
そういえば日本語でも2人なら対談、3人なら鼎談と単語だけで人数が特定できるのに4人以上なら会談とか座談みたいなざっくりした人数表現しかできないなぁと見てて思いました
保育士です。2歳ぐらいまでのこども達はよく「1.2.3.いっぱい」と言います…納得❗️
カービーのアニメでもワドルデュー隊長がそう数えてたな
ワドルドゥ定期
錦鯉の漫才でもまさのりさんがそう数えててこの動画見てから高度なボケだなと思ったw
かわいい
錦鯉が可愛いわけじゃない
22:00 ローマ数字で4はIVですが、
時計の文字盤で使われる場合だけIIIIというのが使われています
理由として、14世紀のフランス王シャルルV世が、自分の称号であるVからIを引くのは自らの治世がすぐに終わるようで縁起が悪い、と時計職人に指示をしたのが始まりだそうです
しかしそれが未だに採用され続けている理由は別にあって、枕元に置いた腕時計や、目覚まし時計を上下逆さまに見た時にIV(4)とVI(6)がわからなくなることを防げる為、今でもその形式が使われているらしいですね
ニカラグア手話は70-80年代に聾の児童をひとつの学校に集めたら学校内で独自の手話が自然発生し、
それが独立した言語として体系をなしている「世界で最も新しく誕生した自然言語」ですね。
これだけで動画一本作れる激アツテーマでは。
これ結構前にテレビ(確か世界丸見えとか)でやってましたね。前に雑談回で話してた「言語の起源」に絡めた水野さんの見解聞いてみたいですね。
「それ、聞いちゃいます? 話せば長くなるんですけど」となるかと思ったんですが、知らない分野のようでしたね。
それはやっぱり、言語は本能ということを示唆しているんでしょうか。
1000(ゼロ3つ)までは認識楽だけど10000とかになると途端に難しく感じるのこれか
ナルホド、だから3桁毎にカンマを打つのか。
@@早川眠人 天才
日本のナンバープレート4桁がXX-XXで区切られているのも、4桁は判読が難しくなるかららしいですね。
すげえ
少し昔までは、日本は4桁ごと単位が変わる際にカンマをうっていたようです。(万、億、兆)
3桁ずつカンマを置くようになったのは、外国語の単位が3桁ずつで変化することに由来するものみたいです。英語だとカンマより一番左側が1桁から3桁のうちどれか(one かtenかhundred)と、カンマが何個あるのか(thousandかmillionかtrillion)を見れば楽に理解できる仕組みになっていますね。
例えば、25,600,000は25million-600thousandと簡単に読めますよね。
個人的に、「拝」の右側に違和感を感じていましたが、
それは3までしか本能的に数えられないからかなとも思ったり
わかります!3本よりさらに一本多いという覚え方しかできませんでしたw
同じく、
「 華 」
の下部分が何本なのかいつも迷います
龍の右下も2画なのか3画なのか迷います
人がLogの感覚で認知する話は聞いたことある。ライオンが1匹から2匹になると威脅の変化を感じるが、100匹から101匹になったとしても威脅の変化が前者よりは増えない。
だから倍数(Log、対数)の感覚で認知する…
そもそも人の感覚器官(視覚・聴覚等)の感度が対数なので、認知も対数なのは自然では?
幼稚園の時、私は100まで数えられるようになり、「じゃあ」と、続けて199まで数え、その次は1000だと勘違いしてました。
200という概念がなかった。そしてそれを教わった時、1000まで数えるという道のりの長さに絶望した。
ウェーバー・フェヒナーの法則ですね。
照明の明るさの感知、音量の聞こえ方もそうだと教わったことがあります。
たしかに、視覚や聴覚みたいな数値的に認識できない感覚は対数感覚だって知識はあったけど、概念的に数としてはっきりするはずの数量についての感覚も線形ではないのかもしれないですね。興味深い。
うちの息子は1〜20まで言葉で順番に数えられるのですが、目の前に並ぶ個数やサイコロの目の数を聞くと1,2,3は即答なのですが、4以降は「ろく」「なな」「はち」などあてずっぽうに答えます。なんとなく4の壁があるのだなぁと感じていました。
左 ← ここ → 右
前 ← ここ → 後
上 ← ここ →下
過去 ← ここ → 未来
って感じで3は本能的に認識できるのではないか
それは凄い発見かも!
「ここ」を認識できること自体が「ゼロの発明」みたいに画期的な気もします!
臥薪嘗胆のもとになった漢文で「三戦三北」って表現が出てくるんですけど、これは「3度戦って3度敗れる」という意味ではなく「何度も戦って何度も敗れる」という訳し方をするらしく、これは三をたくさんという意味でとらえてるんじゃないかなーと思いました
これ!高校のときにそう習いました。
三には何度もという意味もあるよと。
再三とかですね
「烽火三月に連なり」
一日三秋もね。
「野生状態の人間が生涯で出産できる子供の数は3人が限界だと言われており、それ以上の数を認識する必要がなかったのかもしれない(尚、他の生物は多産多死か嗅覚や聴覚でカバーする)」というのが、生物学ガチ勢だった妻の立てた仮説です。
テレビゲームが好きなんですが、ゲームの開発者が複数人で協力するゲームを開発するためにデータを集めてたら、どうも多くの人は、味方が3人までならどこにいて何をやっているのか把握出来るけどそれが4人になると一気に全部わからなくなるという結果が出たという話を思いだしました
だからスマブラの4人対戦はあんなにエキサイティングなんですね
この前ボンバーマン3人でやったらクソつまらなかったのはそれのせいかもw
8人対決はもはやカオスの領域だったのだな…
東西南北・前後左右までは慣れれば大丈夫かも。ただ、自分を入れて4人までの認知が限界だと思う。
ワールドトリガーのチームも4人チームは少ないのはオペレーターの負担が大きいから…
漢字でも数の表現として、1は「単」「独」、2は「対」「双」、3は「鼎」がありますが、4以降は寡聞にして存じません。
また、勝手な妄想ですが、それぞれ1,2,3を表す漢字の種類は1が最も多く3が少なかったりしそうです。
『妻を帽子と間違えた男』というノンフィクションの中で発達障害で算数もろくにできないのに落としたマッチ棒の数を一瞬で把握して勝つそれを因数分解した数の組み合わせで表現した人が出てきて作者がそれを「数を見る」と表現していました。数は見ることができないものというよりも私たちに数を見る能力がないのではないでしょうか。
尿道ゆるいラジオでも僕は聴き続けます!!
1:52 尿道ゆるいというか、うれしょん する感じなのかな?
どんなラジオだ…。
尿道を先にするから変になるのだ。
本来ならば、ゆるい尿道ラジオだろ。
…ヤバwwww
ゆるい尿道ラジオっていう名のラジオの視聴率ってめちゃくちゃ高くなりそうで困る…
「赤ちゃんビビらす実験」の語感がいい
ポーランド語を学んでいた者です。
ポーランド語でものを数えるときは
1+単数形
2.3.4+複数形
5以上+生格(イメージ的にはいっぱい)と
4までが別扱いになります。
3までルールとちょっと外れていて、おっ!となりました。
ポーランド語はロシア語と似ているのでロシア語系はもしかしたら4で区切りをつけているかもしれないですね。
漢数字とローマ数字の下りで
そういえばアラビア数字を描く時の位取りのカンマも3桁づつだよなと思いました
もちろん印欧語の桁の上がり方が10^3ごとにだから何でしょうが
人間の認知としても3桁づつで区切ったほうがわかりやすいというのも根本にはあるかもしれないですね
16:08 「少数を疎に並べたもの」と「多数を密に並べたもの」だと、多い方を選んでいるのか、密な方を選んでいるのかわからない疑惑。
私も「疎らな5個 vs 密な3個」も試したかどうかが気になってしまいました。
ニカラグア手話は言語の発生としてアツいから是非取り上げてください!
音声言語を持たない手話話者は別の言語体系を頭の中に持ってというのもおふたりに取り上げてもらうと楽しそうです。
【新語・流行語】(私選・加除歓迎)
0:11 エヴェレット
1:52 失禁しかけました
13:31 赤ちゃんビビらす実験
18:19 あの、全く関係ないんですけど
18:45 やべ「いぬまるだしっ」が干渉してくる
19:05 「兄ふんじゃった!だ」「兄ふんじゃった!!!」
21:00 深読みオジサン
21:35 「4は?」「スゲェ!」
21:44 「ホントだ!」「説明してあげて」
25:23 今ちょっと僕上の空だったんですけど
25:27 ポケットモンスターピダハン
27:48 もう次が気になってしょうがない
人間が「本質」を追い求める作用は、案外言葉通り本質に迫りたいのではなくて、単に大量の情報を処理するのが面倒くさいから単一の情報に収束させたいだけなのではないか、とかそんな事を思いました
コンテストや競技会なんかで表彰されるのも3位迄っていうのが結構ありますよね。
1位が表彰されるのはわかるとして、2位と3位が特別視される理由が不明瞭なのに、何故かあまり疑問に思ったこと無いんですよ。
3迄が自然に理解できるのって、3点を結ぶと初めて平面(三角形)ができて、4点になると立体(三角錐)が出来るなんてのも関係あったりするんでしょうか。
案外人間が空間を処理する時も三角形の平面を連ねた形状を計測しているのかも……なんて感じの妄想が出来て個人的に楽しい回でした。
おみやげか何かでお菓子を買う場合、1ホールのケーキではなく4つのショートケーキセットの方が、たくさん買ってきたように見えてウケがいいからそうしなさいと、昔ばあちゃんが言ってたのを思い出しました。
根拠のないおばあちゃんの知恵袋ではなくちゃんと人間の本能に基づいた知恵だったんですね。
4は縁起が悪いので、3か5にしなさいともいわれました。
@@block1948 4が死を連想させて縁起悪いという突拍子もない論はどこで生じたんでしょうね。
5:00
RGBは256の数で表されてるけど、例えば220と221の間の色だって存在する
だから例えば(100,120,150)というふうに“ピンポイント”で指定したとしても、それは厳密にはピンポイントではない
「220と221の間の色」は物理的に存在しますが、24bit色は人間の色識別能力よりもはるかに細かいので、堀元さんが「ピンポイント」という言葉を使うのは特にツッコむようなところではないような。
@@minami_alinko
なるほど
確かにそうですね!
水野さん:色の形容や単語の選択には恣意性があり、同じモノをみんなが同じ単語で表すわけじゃない
↑ミスターホリモト:RBG数を指定でいえばズレない(キリッ
↑ピダハン:RBG何それ?イビピーオじゃないから分からない。
数の概念は直感的には整数10までは理解できると思ってました(指が10本なので)。
first、second、thirdの下りは1、2、3、沢山を聞いたときに最初に思いました!
追記
昔、バイトでレジをやってるときに4~6千円までのお札のお釣りは、3・3、3・2、2・2に分けて見せると目の前で数えなくてもスムーズに進むってのを習いました。これも、パッと見では3までが限界ってのを示唆してる気がしますね。
出典どこだか忘れたが、人類が獣を追い回していた時代から「3」という数字が深く関わっていたと聞いたことがある。
基本狙うのは体格の小さい子どもだが、その親(雄親、雌親)に襲われないよう狩りをしていたため、標的+親2頭の計3頭の動きはしっかり認識できるようになった。しかし4頭以上は「群れ」の可能性が高く、親以外の成獣に襲われるリスクが高くなるから相手にしなかった。
うろ覚えだが、「3」と「4」の認識の違いはここから生じているかも。
なるほど
つまり3以下は区別する利点があったが、4以上は特になかったということですかね
@@めな-j9i 4頭だろうと5頭だろうと10頭だろうと、自分が死ぬ可能性が高いから狙わないと線引きしていたのかもしれませんね。まさに「1,2,3,たくさん」の感覚ですね。
元麻雀プロですが、昔は相手3人との点差を暗算・暗記しなくてはならず、空想電光板でやってました。
相手が3人までは何とかできるみたいです。
昔どこかで断片的に少しだけ聞いたか読んだかしたことのある話でしたが、体系的なお話を聞けたのは初めてです。非常に興味深い内容で勉強になりました。そこである考えが浮かびました。人間にとって、1から3までの概念は生得的だが、4以上の概念は、文化によるもので後天的に獲得するものだということですが、それは数に限らないことなのではないかということです。つまり、概念には、どの言語にも共通して存在する基礎的な概念(どの言語にもそれを表す言葉が通常存在する)がある一方、人が属する文化によってはじめて与えられる概念(その言語にしか存在しない言葉が創造される)があるのではないかということです。
世界の言語の中で、高等教育をその国の言語で行える国は少数にすぎず、開発途上国では、高等教育は英語が中心で、その他はフランス語、ドイツ語、ロシア語などに限られます。欧米の言語以外でその国の言語で高等教育ができているのは日本語ぐらいしかないと思います(中国語も明治以降の日本漢字の輸入によって可能になったのではないかと思います)。私はその理由として、江戸時代後半から始まり明治時代以降も行われた欧米語の大量の翻訳のために新たに創造された漢字語が大きな役割を果たしているのではないかと思うのです。そもそも日本語が漢字使用言語でなければ、恐らく翻訳は不可能だったと思われます。そして、日本における漢字の使用の在り方もこれに貢献したように思います。すなわち、韓国やベトナムと異なり、日本では多くの漢字には音読みだけでなく訓読みも作られました。訓読みは、その性格は大和言葉への翻訳だと思います。漢字に訓読みを作ったことにより、日本では漢字二つ以上を組み合わせて新たな概念を表す造語を作ることが可能になりました。訓読みがあることにより、漢字が組み合わされて新たに作られた造語の概念が理解ができたからです(もちろん最初は朧げながらだったのでしょうが、やがて時間が経つにつれて、数字の4の理解のように、日本語の語彙として定着しました)。そして中国の遺産である膨大な漢字が使用可能であったことにより、日本語は、ほぼ無限の造語力を手に入れたのです。これが日本で高等教育を可能している土台ではないかと思われます。もし平安時代に日本でカナが発明されたとき、漢字を捨てていたとしたら、幕末明治において、日本語への翻訳はほぼ不可能であり、他の開発途上国と同様、日本の高等教育も英語、フランス語、ドイツ語で行われることになったのではないでしょうか。そして日本は今日でも他の開発途上国と同様の存在に止まっていた可能性があるように思います。
5:23
Rを128段階に切り分けていることは恣意性がありますよね
コンピューターで扱うために2の累乗にしているし、2の累乗の中でも人間が区別できるギリギリを狙って128にしている(って感じだった気がする)
そして分けたところで、見る環境によって異なってしまうという不規則性もありますね。
今井先生ゲスト会から復習しに来ました。2人の距離感が付き合いたてのカップルかのようなドギマギ感がまだ残ってる気がしてとてもよい(そこじゃない)。
自分も復習しに来ました
今井先生の新刊がKindleになるのを待ってる状況ですw
うぽつです。
RGBは確かに「赤」みたいなくくりに比べれば多少具体的かもしれませんが、それでも256^3しか識別できていないし、条件によって人が認識する色は変わるはずです。
色は心理物理量なので見る人によっても変わります。
また、人間が3色型色覚なだけであって動物には5原色とか認識できるのもいるようです。
表示するモニターや設定が異なれば発せられる可視光線の波長も異なるでしょう。
それを同じとみなすのは色空間によって抽象化されていると言えるのではないでしょうか?
自分が考えていることをうまく伝わるように言語化するのって難しいですね。
「目の光を受容する細胞は3種類あって云々」の話ですが
赤色を受容する細胞だけ、血液型のように何種類かの型があって
人によって受容できる赤の波長が微妙に違うようです。
また、まれに4種の光受容細胞を持つ人もいると聞いたことがあります。
女性に多いそうで、他の人より細かな色の違いが分かるらしい。
最近観たTVで、錐体細胞が2種類の人が男性に多いのは、狩猟をする時に獲物を正しく認識しやすいという利点があり、女性がたまに4種類の錐体細胞持つひとがいるのは、熟した果実を見分け易いということがあるそうです。
へぇーと思いました。
@@nara3178 浅学で恐縮なんですが、「女性がたまに4種類の錯体細胞を持つこと」と「熟した果実を見分け易いこと」の間にはどんな因果関係があるんですか?
@@酔歩する男-t3h 4原色は紫外線も見えるから紫外線の反射率が違うのかも
@@pcm298 ?
紫外線を見ることができる人がいるということ?
そんな話あり得るの?
@@酔歩する男-t3h たしか、赤を感知する細胞はX染色体上にあって、片方のx染色体がいわゆる色覚異常のキャリアだと、赤の見え方の幅がひろがるらしいです。
4種類だからよくわかるというわけじゃなくて(ごめんなさい間違いでした)、2種類しか働かないと、果実などの色を見つけ難かったのでは?というような話でした。(太古の狩猟採集時代に生き残り易かった説)
3まではいけるの話で漫画は漫画でもジョジョのジェイル・ハウス・ロック(4つ以上の物事を覚える事が出来なくなるスタンド)を思い出しました。
というかジョジョの中のこの話は最後、解決する方法は『水溜りに映る風景を一つのものとして把握する』っていうものだし、何か恣意性とかに関する深い示唆を与えてるような気がしてシリーズを通して特に好きな回です。
『兄ふんじゃった!』の話が出た時点で、反射的に高評価。
この世界が左右・上下・奥行きの三次元でできていることも関係していそうですね。
I II III IV、一、二、三、四
1、2、3・・・カーブ0個、カーブ1個、カーブ2個、でも4でカーブ3個にはならないのも似ていますね。
HiTo x2 = Huta、Mi x2 = Mu、Yo x2 = Ya、iTu x2 = Tou
こんな関係もあります。
“いつ”の“い”は“いばら”、“うばら”、“むばら”系の無くなっていたかもしれない語頭かもしれないと思うとよりすっきりする。
「ばら」につく語頭は全て「ば」を発話しやすくするための意味のない音だと推測されます。濁音の前に小さい「ん」が入る形です。
「五」は「五十(いそ)」など、「い」または「いつ」なので同様の省略可の語頭と捉えるのは無理があるかと思います。
「十」は手(te)→toが指摘されていますが、「五」の「つ」は「ひとつ」「ふたつ」の「つ」と同じでしょう。
@@般若心経を写経するだけのチャ 「いつつ」の最後の「つ」は「ひとつ」「ふたつ」の「つ」と同じですね。1つ目の「つ」のことをあえて言っているのですか?
@@かるいし-l4p 確かに冷静に考えると疑問ですね。『語源海』には「ひ,ふ,み,よ,い(つ),む, . . .」と書いてあったのでそのように解釈していましたが実際のところどうなのでしょう。「御御御付け」などの例もありますから、この解釈は十分可能だと思われますが。。
最初の色のくだりの部分でクオリアについて思いをはせてました
定番の絵本「11ぴきのねことあほうどり」を思い出しました。
>(あほうどりが兄弟の数を数える時)「3ばと 3ばと 3ばと 2わのきょうだいでして」 というセリフがあり、あほうどりは3つまでしか数えられないということでした。小さい子どもの感覚を知っていたんですね。
ようやく最新回に追いついた……と思ったら水野さんに髭が無いので、ここから生配信回近辺に撮り溜めした動画が随時配信されるんだろうなぁ。
本編の内容に関して言えば、人数を数える時は「ひとり」「ふたり」「さんにん」……なので、人は3が本能的に認識できる上限であり、2までは確実に認識できるんだろうなぁ……と思いました。
11:30 ここの例えすごいわかりやすい
すごくわかりやすい
23:05 1,2,3だけが特別の反例としては、アメリカやヨーロッパで使われる画線方があると思いました。4までが縦の棒で、5から斜めの線が入ります。
この動画見て4のヤバさを保育士の妻に語って聞かせたら、「親指だけたたむ動作が難しいから4を理解するのも難しいんじゃない?」って言われて目からコンタクト落ちた。
そうですね。私も若いころは虚数(二乗して負になる数)は「実在」しない数だと思っていたのですが、そもそも数はすべて抽象的な概念なので、実在しているわけではないと言えます。そう考えると、虚数というのも数の持つ性質(計算ができることと、その規則)にもとづいて拡張した概念なので、数として自然に受け入れられるようになりました。
3という数は安定を意味するって聞いたことあるな。
天・地・人、現在・過去・未来、陸・海・空、数の占いでも1はリーダー、2は補佐、3は安定の意味があったような。そもそも1〜9までが3の倍数だし。「3人いれば社会」の言葉も。
本能的感覚的に、3つで一まとまりになってるんでしょうかね。それ以上はなんか多い、と。
4以上がパッと見じゃ分かりづらいっていうの遊戯王カードで似たような感覚がありますw
遊戯王のルールではモンスターのレベルは4が重要な位置付けにあるのでそこまではパッと見でも分かるのですが、5や6以上になると一旦数えないと星が多くて数を認識できない事が新カードを見た時に多々あります
この番組で数の数の話が出てくるとダースを毎回思い出します。4が生まれた後かとは思いますが、単位として沢山って意味から来ているような気がする。ダースも含めたグールーピンクする単位のお話しも聞いてみたいです。
新聞配達をしていた時に、必要な数の新聞を数える時も3ずつ数えていましたね。
2、4、6、8で数えていた時に引き継ぎのおじさんが、3ずつ数えるのが早い、人間は3なら見てすぐにわかるからと教えてくれました。
店に行って何人か聞かれたとき、3人くらいなら即答できるけど、それより多いと人数を数えないとわからないことってありますよね
人間が3までは本能的に理解出来るのは納得感ありました。
ただ、人間は指が5本あるのに(ピダハン達が)4や5を認識しづらいのは不思議だと思いました。5までなら数えられそうなものなのに。
ゆる言語学ラジオからゆる尿道ラジオ、そしてゆる文化論学ラジオへどんどん変化していて、とても楽しい動画でした。
次回へのヒキもとても強く、一日も早い次動画の公開を待ち望んでおります。
冒頭のシモ言語学ラジオ好き
今回も面白かった〜
次回待ってます🥰
dozen, duodecim, ダース(12, 12くらいの量)という数のセット概念がありますね。これは明らかに税や管理といった経済に紐づいて発展した。転じて、あいまいな数量感を表すときにも使われるようになった。
ジョジョ6部、ミューミューが使うスタンド『ジェイル・ハウス・ロック』を思い出しました笑
同志がいて嬉しい
16:56 幼稚園児の頃に小学校受験を経験したんですが、「小豆や賽の目を素早く数える」ような課題がありました。
受験塾で教わったやり方は、1〜4くらいはすぐに分かるとして、それ以上の大きい数に関しては、5なら「2・2・1」、7なら「2・2・3」のように、2ごとに数えていく方法でした。
園児が数えるためには本能的な何かを使うんだと思うので、この話と近いですね。
1=私、2=あなた、3以上=みんな or 常に(常識)、みたいな感じで複雑な人間関係や計画的な数量を扱う必要がない社会なら数の表現体系が発達しないとはならないでしょうか?
気になってピダハンの本読みました😊
いつも通な話にクスッとしながら聞いてます。
個人的にはカタルシス英語が好きです。
インテリ慣用句ゲームも、お二人の嬉しがりのキャラクターが垣間見れて
面白かったです。
兄ふん、大好きすぎてお二人が知ってるの嬉しい
棚卸の仕事をしてました。初めの慣れてない時は、まず一つ二つ三つと数えるんですね。次に2、4、6、8、10。そして3、6、9。4、8、12。5、10、15。みたいになる。ホントに能力が高い人になると20個くらいでも瞬時に認識出来ちゃう。私の場合、5単位で数えろと教わったせいもあって、5×A+αみたいな数え方をする習慣がつきましたけど、出来る人は私のような習慣を瞬時にしてるのか、本気でぱっと見でわかるのかまでは分からない。
で、考えてみると2、4、6、8。は簡単だけど、3、6、9。になると少し難しくなり、4倍数はもう少し難しく、5倍数以上は訓練しないと難しい。多分に視覚認識なんで動画の内容とはズレてるかもしれませんけど、数を数えるという仕事だとこういう認識の仕方してるという話です。
19:04 漫画繋がりで、ジョジョの奇妙な冒険第6部にはジェイル・ハウス・ロックというスタンドが登場し、その能力を受けた者は「3つの事柄しか新たに記憶できない」状態にされます。
文化的に4以上を識別出来る者を、生得的に持っている認識レベルまで落とす、と言えるのかも?
数の認識ができるのは人以外にカラスなどの鳥類が存在します。(蜂などの昆虫も認識できる説もあります)
カラスは4までの数を認識できます。
その実験として狩人を使ったものがあります。
狩人が2人来て1人だけ帰って、もう1人がかくれている場合、2-1=1でまだ1人の狩人が残っていることがわかるので巣から出てこないようです。
これを3-2、4-3と増やしても同じように巣に篭ったままだったそうです。
しかし、5人来て4人帰ったときカラスの数認識の限界を超え、憐れカラスは巣からとびたってしまいました。
他にも巣から卵が盗まれる時も5-1は気付きませんでしたが、4-1はそれに気付き怒るようです。
カラスにも劣る数認識しか持たない人間が、どのように4を得てカラスに並び、5を得てカラスを超えたのか次回のゆる言語学ラジオがとても楽しみです。
逆に人間はなまじ『数字』や『数える』という行為を会得してしまったから、それに頼ってしまい認識がカラスより劣ってしまって、
もしかしたら、もっと多くの数を『数える』ことなく認識できる他の動物とかいるかもしれませんね。
数人といった場合、最近では若い人を中心に2,3人と思う人が多いようです。しかし、私のような古い世代の人は4,5人と思う人も多く世代間ギャップの一つです。Web小説などを読んでいると混乱することもしばしば。
古い世代としては、それほど多くないけど数えないと正確な数がわかりにくい4,5を指すのが適当じゃないかなぁと考えます。3ぐらまでならあいまいにする意味がないから。ただ、対象となる数が減ってきたのにも理由もあるんでしょうねぇ。
数ヶ月前にちょうどこんな話を兄としていました笑。直感的に3より上は人間には理解し難いですね。
日本語では一番中心的に使われる数字の概念は1と3で、英語は2だったように思います。
三人よれば文殊の知恵
Two heads are better than one.
など。
1,2,3の特別感!面白い!
コメント欄も見させていただいてますが、みなさんの考察なども面白いですねー!
読書家とか新書をよく読む人って、出版社まで覚えてるのって当たり前なのか?
学校の先生も、新書を勧めるときは必ず出版社まで教えてくれるんだけど、出版社によって違いとかあるのかな…?
本屋に買いに行くと出版社ごとに分かれて並んでいるところが多いので、探しやすいようにという親切心からじゃないでしょうか。
あと、著作権切れの小説とかは色々な出版社から出たりしますが、注釈が違うとか、巻末の解説者が違うとか、多少の違いはありますね。
@@livrecolline6308
なるほど〜、そういった違いがあったのですね!
自分は図書館で気になっている分野のを適当に取っちゃうので、出版社は全然気にしていませんでしたね笑
自分の学校の先生が、学術書に限らず海外の作者の書籍を勧めるときに
「A社出版のBが訳した方ではなく、
C社出版のDが訳した方がオススメだよ」
とおっしゃっていたのを聞いた時は、めちゃくちゃびっくりしました笑笑
出版社によって、社風やターゲット・ニーズが違うので、書き手の立ち位置が変わると思う。
同じ先生でも、出版社でテーマや内容、アプローチ、掘り下げが違う。(マトリクス化したい)
同じ文学作品でも、各出版社の紙質、フォント・ポイント、行間・文字間隔、印刷・装丁で印象が変わる。
「ゆる言」でこの感覚を言語化・数値化して欲しい。
出版社によって傾向とかがあるので覚えちゃいますよね。音楽のレーベルとかテレビゲームのメーカーみたいな感じ。
そうそう、このことは以前から気になっていて、皆さんの返信で解決しました。
本屋にて、「三島由紀夫」 は「作家名で名札化」されているけど、昨日今日の作家だと「出版社の名札」でしか探せないのか。
8:30
水野「ホイなんだけど声調が違うんですって」
堀元「ホイホイホイホイ」
3を示す特殊表現は、時代の流れとともに消えつつあるように思います。
例えば、一人(ひとり)二人(ふたり)に比べて
三人(みたり)と読める人はかなり少数なのではないでしょうか。
十日(とおか)二十日(はつか)に対する三十日(みそか)も同様ですね。
漢字一文字の表現にしても、三つの組を意味する鼎という字を知る人は
一や二を示す単・独や双・対に比べて珍しいでしょう。
この現象は日本語だけでなく英語にも言えそうなので
(シン・エヴァンゲリオンの英題
Thrice upon a timeのThriceは
OnceやTwiceに比べて使用頻度は低い、など)
それなりの説得力があるように愚考します
23:04反例になるかどうか分かりませんが、ロシア語では数詞が名詞と結合する場合、名詞が、1は単数主格(変化なし、そのまま)、2~4で単数生格、5以上で複数生格に格変化します。つまり、ロシア語でいわゆる「複数形」として扱われるのは、5以上の数、ということです。
また、猿を使って、数を認識している際の脳の細胞活動領域(大脳頭頂葉の5野)を調べた研究では、4回目以上の動作に反応する細胞群の領域と、1回目から3回目までの動作に反応する細胞群の領域が、それぞれかなり明確に区分されるとのこと。
TH-camにあったピダハンのドキュメンタリーで見ましたが、4つ以上の釣り針が並んだときに数を聞かれて、ピダハンのおじさんの顔がなんとなく怪訝そうな表情になっていたのが印象にありましたが、そう考えるとなんとなく納得してまいました。
single, double, triple
Primary, secondary, tertiary
なんかも、それ以降は語彙として存在するけど、あまり見かけないのは本能的に使いづらいからでしょうかね。
他の語彙だと、
対談 :二人で話すこと
鼎談:3人で話すこと
4人以上は会談でひとくくり?
中国とかだともっと語彙があるのか気になる。
キリスト教のトリニティ、trinity 三位一体も、4つ以上は認識しずらいから、もし4位一体な理論を元にする宗教だったらここまで広がらなかったかも、とか考えてしまいます。
5:35 ここで理系と文系がお互いに譲らないの好き過ぎるw
ゆる言語ラジオのコメント欄は、凄く丁寧な口調で、長文が多い気がする
すげーなー
3色型色覚と光の三原色は別の話で、3色型色覚と言語としての色の捉え方もまた別の話な気がしますね
(人間の認知を元に実験すると赤青黄緑の4色の方が良い結果が得られやすく、そのためコンピュータがRGBになって広まるまでは学者にも4色派が多かったとか)
(またRGBですべての色を表現できるわけでもなく、デザイナーが使うソフトではαRGBとかその進化版とかが使われているし、ディスプレイはより鮮やかな色を出すためにRGB以外の色も利用していたりetc...)
数の話は面白いですね、次回が楽しみです。
ちなみに、以前、四には亖という漢字があったと聞いたことがあります。
ピアジェの認知発達段階で「前操作期」の子どもには、保存の概念が確立されておらず、密に並んだものを、疎に並べると多くなったと言うらしいです。
ただ、写像的な関係なら理解できて、ボールがちょうど一つだけ入るカゴに、それぞれ全て一つずつボールが入っていて、それを取り出して、カゴは密に、ボールは疎に並べても同じ数だと言える子どもが多いことが知られています。
サイコロが一列に3つまでしか点がない(⚀⚁⚂⚃⚄⚅)のも、人間の数の認知と関係あるのかもしれませんね。
数の数え方が『ひとつ、ふたつ、みっつ、…』なのに、人数になると『ひとり、ふたり、さんにん、…』と、三番目から法則性が出るの変ですよね。
10個ずつものを袋詰めする作業してた時、5の集まりを2つ作って10を数えてたんですけど、
5を作るときは2と3の組み合わせか1と4の組み合わせで認識してたつもりだったので
4まではぱっと見でわかると自負してたのですが
これ見て実は4は2と2の組み合わせで認識してただけだったのかもと思いました。
三角形も四角形も「一つ」として認識できるので、4は数として認識していたのではなくて四角形が一つとして数えていた可能性がありますよ。図がないと伝わりづらいかもしれないですけど、、、
@@ika-f2l なるほど、もののある場所を無意識で頂点ととらえてたかもってことですね!テーブルの上に広げて数えてたのでありえそうです。
これを考えると12進数、ダースってのが使いやすいって思ったりもします。3.3.3.3って数えたら12になるけど、どうやっても2.3.2.3って数えて10を作るのは高度そう。銀行員は昔、お札を2.3.2.3で数えていたらしいと聞いたので、ついそれを思い出しました。
@@francescogatti3002 2,3,2,3,は手がもたついちゃいそうですね><
10ってあんまり使い勝手いい数字じゃないですよね~
ベスト3とか金銀銅とか三つにまとめたがるのはそういうことなのか!
アラジンも願い事を3つ迄しか聞いてくれない。 4つ目のお願いは欲張り過ぎって事なんだろうな。
生得してるはずの3が分からんのにゴリゴリ文化の虞美人草と彼岸過迄を習得してるの草
自分趣味でマジックやってるんですけど、一度かんたんなマジック(何かが消える)を赤ちゃんに見つけたとき、かなり長く見つめてくれました
2と3って概念があれば以降の数は2と3の組み合わせ足し算で表現できる、という小ネタを使ってなんか上手いこと言いたかったけど思いつかなかったのでここに供養しておきます
鳥も3個までしか数を認識できない、みたいな話を聞いたことがあります
巣の卵の数が4個以下になると騒ぎ出すけど、6個が5個になっても気づけない、というような
共通のものを感じてなんだか不思議な気持ちになりました
人間に限らず、すべての動物に当てはまることなのか気になりますね。
人間にも難しいのに鳥には難しそうですね。と、とっさに思ってしまいましたが、、
もしくはむしろ逆で、動物は数字や『数える』ということに頼ることができないから、4つ以上を容易に認識する動物とかいるのかも、と妄想が止まりません笑
1.5倍の話と I II III IV の話は一つにできますね。2→3 までは1.5倍だけど、3→4 以上は1.5倍以下になってしまう。
比率で認識してるんだなあ。
高頻度更新たすかる
この動画見てから『脳にはバグが潜んでいる』(D・ブオノマーノ)を読んでると、まさに今回のことに触れている箇所がありましたので、引用します。
「進化の観点に立つと、数をたえず把握して手際よく処理するよりもパターンを認識できるように淘汰圧がかかったことは確実だろう。地面にヘビがいるのに一目で気づくことの方が、何匹いるかを特定するよりも重要だ。この場合、当然、「1、2、たくさん」システムがあれば事足りる。毒を持っているかもしれないヘビなら1匹でももうたくさんなのだから。」
最後の"もうたくさん"が洒落てていいですね。
指は5本あるので5までは認識できるのかなあと思っていましたが、それも一旦「物の数」を抽象化して「指の数」と対応させるという高度な思考が必要だということですね。
”抽象化を恐れないでください”ですね!
一応漢字でもローマ字数字では「亖」や「IIII」という文字でも表すことがあります。どちらも滅多に使われないでしょうが。
話は変わりますが、漢数字で30を表すのに「卅」「丗」というのがあったりします。後者に関しては、人間が自分の子供に継がせるまでの期間である三十年を由来として「世」という漢字ができたとも言われているそうです。
「ビビらす実験」と聞いて不安になったけど、「釘付けにする」という意味で安心した。
人はぱっと見で3つまでしか認識できないと言う話を思い出しました。
多くの人は「4」を認識するとき「2が2つ」もしくは「3が1つと1が1つ」で認識する。
ごくたまにぱっと見で4以上を認識できる人がいて、戦時中、パイロットの適性を判断する基準になったみたいな話を聞いたことがあります。
(一目で4を認識できると、敵機が何機いるかを認識するときに有利なため)
A「保育してて、青って言いながらりんご指差す子がいる。その子は3ぐらいまでしか言えない。その家庭は親が仕事仕事でちょっと…。他の子は10くらい言えるけど」
オレ「(ゆる言語学ラジオのあれじゃん!)ちょっとこの動画(本動画)見て」
A「じゃあ10数えたら風呂出ようね〜の文化は大事なのか」(要約)って出来事があってワクワクしました!
数学者の岡清さんは、数学というのは人間が納得できるものを数という言語で表現しているだけだという趣旨のことをおっしゃっていましたね。方程式も一種の言語。一般的に理解するためには何語かの言語に翻訳する必要がありますが。
ヤンキーくんに漱石の三つ目の本として三四郎を読ませて脳をバグらせたい
漢字で、
そもそも漢字の中に4本の横棒が並ぶことは結構稀ですよね。
耕の、偏ってなんか変だなって、
忘れるなぁって、思ってた理由がわかる。
シミュラクラ現象(3つの点が集まると顔に見えてしまう)とかもしかしたら関係あるのかもと思いました。他人の顔を認識するために3までは理解する必要があったとか。
兄ふんじゃった懐かしすぎるwwwなんかたまごっちみたいな背後霊いたよなwww
22:44 4の序数は fourth ですよ~。字幕は r が抜けています。
4:24 〜
色のお話、ぜひ別の動画でやって欲しいです!
クオリア?的な部分も解説して欲しいです。
人間が1.2.3までを本能的に理解するように進化したのは、私たちが3次元空間の生き物だからかなと思いました。次元とは変数なので、私たちの空間では3つの変数がわかれば対象の位置が想定できます。(高低、近遠、左右) そう考えると、4次元空間の生物は1.2.3.4までが本能で認識できそうですね。今回の話で改めて”0”っていうのは人間の本能的理解を超えたすごい発想の飛躍なんだなとーと思いました。 (ちなみに、前回話題に出たガロアが創始した群論では19万6883次元空間とかいうのが出てくるらしいです。その空間に生き物がいたら196883までは本能的に理解できるのかなとか妄想しました)
数が発明された中でも、区切り方が違うのが面白いですよね。
日本語は千も万もあるけど英語はきっちり千単位(thousand, million, billion)だし、
とはいえ両方十進数ベースだけどフランス語はそもそも二十進数だし。
何かしら文化の影響がありそうですね。
日本語も万単位できっちりですよ。 万億兆に十百千を組み合わせる。
@@早川眠人 確かにそうですね!
ただ、どちらにせよ言語によって区切り方が違うのは面白いなあと思います。
日本語というより万億兆は中国語由来でしょうか。
日本では欧米の影響を受けて「1,000」など千単位や千倍の表記も一般化されてますが、中国では今でも桁数の多い金額など万億兆の表記が多いです。