ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
対照的な生き方した親子で大河ドラマ化してほしい
同じように梟雄と呼ばれた斉藤道三、松永久秀のような悲惨な最後を迎えずにすんだのは処世術が彼らよりも優れていたのでしょう大河ドラマでは陣内孝則が演じていたのが印象深いです
久秀は突如理由不明で信長から離反して頑なに帰順拒否して自決したんだから悲惨な最期という話じゃないと思うが。
@@user-vn6rn8ef9y あなたが尊厳死を選んでも「悲惨な死に方」って言われたいですか?
晩年の信長は古くからの家来を片っ端から追放していたからびくびくしていただろう、光秀も秀吉も勝家も。久秀も同様。放り出される前におさらばを決めて織田を去ったのだと思う。
久秀は幕臣だから義昭の意向に従っただけだよ信長とはあくまでも協力関係久秀がしたと言われる暗殺も創作物以外何の根拠もなくむしろ忠臣と言えるものしかないんだよね
この人が三大梟雄の中で一番恐いかも(敵に回した時)
相手を正確に分析し、使える駒は何でも使って長期的な作戦を立てたからこそ、面白いように謀殺が成功していったんですね。
「宇喜多の捨て嫁」という小説、面白くてオススメ。ただ、史実からはかなり飛躍してるので許せる人のみ。
弟の忠家は直家に反旗を翻して城に立てこもったり、兄の重臣を斬殺したりといかにも坂崎直盛の父親らしい逸話が残っています。直家は織田信長と同じく家族には無茶苦茶甘い所があり、忠家の行動は自業自得ですね
暗殺や騙し討ち専門の人かと思いきや、明善寺合戦では、アスターテ会戦のラインハルトみたいな勝ち方してるんですよね。少なくとも、ただの狡猾で陰湿なだけの人物ではないですね。
暗殺は良い手だと思うなぜなら自分の地位と覇権を継続して持つことができたり安定する汚いと言われようが家を残すことが重要秀家より優秀な父直家人を見る目はあるので直家はとても有能
どんなに大河のネタが無くなっても、宇喜多直家だけには白羽の矢が立つ事は…無いですよね(^_^;)
暗殺、謀略の連発だから、大河の出来ん。なお、岡山も、宇喜多で、観光客呼ぼうしたものの、余りに非道過ぎて断念した。まだ、秀家の方が観光資源としては使えてる
宇喜多直家も母親譲りの美貌で、主君浦上宗景に寵愛されていたそうな。曰く「宇喜多の畳は表も裏も役に立つ」
殿様が戦に明け暮れるより暗殺三昧の方が領民にはうれしいっぺ(^o^)
面白い着眼点ですね!宇喜多直家が元服したのは、1世代上の智将毛利元就と、2世代上の智将尼子経久がやりあっていた頃ですよね。いずれはどっちかとやり合う日がくるという危機感が、直家にはあったと思うんです。もしかしたら、宇喜多直家も、貴方のように考え、私事で貴重な領民を失うわけにいかないと、暗殺でことを済ませる手を思いついたのかもしれませんね。
左馬浜名さん 恐れ入ります。私がこの時代に生きていても、やっぱり庶民だったと思うので(^o^)
上杉や武田などの生産力が低い領地の場合、他国への遠征に参加して略奪することで食えていたという話も……。
ウルトラ なるほど、そういう考え方もありますね。文化の中心の京都や肥沃な岡山で下手に争いをやって疲弊するのは得策ではありませんな。いまだ岡山県民に愛されてる理由が少しわかったような気がします。
一理ありますね。戦は領民に嫌われます。秀吉が来た時にも直ぐに降参した所など妙な清さがありますね。庶民は戦争嫌だからね。
動画の最後にちょこっと紹介された、兄直家にビビりながら着物の下に鎖帷子を着込んでた弟忠家。けどいなくてはならない貴重な文武両道の副将。かなり信頼されてた存在だと思いますね。直家亡き後、秀家が宇喜多家の家督を次ぐまでの名代としての活躍は完璧ですし宇喜多家バージョンの小早川隆景だなぁと思います。
武田典厩信繁のイメージとも被りますよね
大河やったら開始1分で人が死んでそう
エルフィンリートみたいな展開ですね
新大河ドラマ【死神がくる】第一回【暗殺】
@@Okuhiro.Ochiki 題名いいっすねw
@@milano6440 アカン…
次週(被害者)予告とかになりそうですね(*_*)
謀略に生きた直家だったが彼の死後,織田勢が荒木村重,別所長治を攻略する間に-宇喜多は毛利勢の攻撃を単独で引き受ける苦しい戦いを強いられながら敵に寝返る家臣は居なかったと言います。それだけ家来からは人望は有った様です
この親父からどうして正直者ゆえに長生きするような息子が生まれるのか…育ての親が違ったからなのか,はたまた反抗心からなのか…
潜性形質が現れたのではないでしょうか
悪の限りを尽くして宇喜多家を乗っ取った直家だったが羽柴秀吉をリーダーにした織田信長の大軍勢には抗することもできなかった。息子の秀家を秀吉に託して死んだのだ。長子相続制もない時代に秀家が宇喜多家の主になれたのは秀吉の有する絶大な権力のゆえだった。恩義を感じた秀家は関ケ原西軍で1万5千もの宇喜多兵を指揮して東軍福島正則軍と戦いまくったのだ。「福島の太鼓丸と宇喜多の山道。両軍の旗が押したり押されたりで決着がつかなかった。」山岡荘八「徳川家康」関ケ原の巻。
乗っ取ったのは宇喜多家ではなく浦上家では?
もし宇喜多秀家が東軍だったら、この逸話はすべて歴史の闇に葬られていたはず。
宇喜多の捨て嫁という宇喜多直家の暗殺や謀略を題材にした時代小説がありましたね面白く読ませていただきました、
坂崎出羽守の狂気はこの伯父から受け継いだのかね?
昔、『信長の野望』で鉄砲2000装備させた直家さんに寝返りされました😢リセットボタンがすぐに押せる時代でした笑
お疲れ様でした。宇喜多と云えば第一に息子の宇喜多秀家を思い浮かべてしまう歴史音痴の自分がいたりして、このchは歴史音痴を修正してくれて有り難いです。戦国の謀略者、畳の上で亡くなったのですが直家の病は非常に重く大変苦しんだのが想像出来ます。直家関連の「備前軍記」には病名を「尻はす」と記されてます。気持ち悪くなってくるのでこの話題は止めときます。しかしながら、直家の妻で秀家の母は絶世の美女だったらしくて直家の死後に秀吉の寵愛を受けていたらしいです。その手腕は息子秀家が豊臣政権最高機関の五大老になるキッカケをつくったとも言われています。その名は「お鮮(お福・円融院)」女の武器?も狙いを外さないですね。
『備前軍記』って江戸時代後期(1764年から1782年)に作られたやつだぞ...(宇喜多直家が死んでから180年前に作られ初め、200年後に完成)そんなの信憑性低いわ。少なくとも同時代の資料じゃないとアカンぞ。
『備前軍記』は直家が死んでから200年後に出来た書物。
病気で死ななかったら
この人は家臣を大事にした人ですよ、息子は義理難い宇喜田秀家、ホントかどーかわからないけど宇喜田忠家は着物の下に鎖かたびらを着て拝謁したとも言われてるけど、会ってみたい1人です。
その逸話聞いたこと有ります、多分本当じゃないかと思います。
本能寺の変まで生きていれば・・・。秀吉どうなってたでしょうね。
領民からはどう思われてたのだろうか。
不作の年は領民と共に粗食を通し、なかなか慕われてたみたいです。
potetom4 領民の目線からしたらかなりいい領主のように感じますね
なんだなんだ、ワシのことか♪ワッハッハッハ
謀略であることがバレずに良く生き延びたと思う。運が良かったのか、相手がお人よし過ぎたのか。私の知り合いの浮田君は、宇喜田秀家の子孫だとか言ってたな。八丈島に流されてから、浮田と名乗ったそうだ
謀略と暗殺で、のし上がった宇喜多直家が、最期は息子の将来を、秀吉に託した。秀吉の寵愛を得る為に、ひたすら忠誠を尽くした。
京都から帰国中の安国寺恵瓊を茶席に呼んで捕虜にして戸川の息子を取り戻して織田に鞍替えした恵瓊さんとのお茶会事件もなかなかおもろいよw
部下を失なうより
直家 頭いい
まさかこの間のところで事故と見せかけて暗殺事件が起きるまで傷つける奴がいるとは、、、
音楽が邪魔です💦
13:58 毛利と通じていた…??毛利からすれば直家がいない方がいいだろうから、通じておきながら土壇場で裏切るべきだったのでは… 自分が毛利ならそうするなあ
吉川元春が実際に小早川隆景に対して「あんな信用できん奴と手を組むなんぞ俺は反対だ。今まで毛利に尽くしてくれた三村を軽んじるようなことだ」みたいなこと言って反対してたんだよなぁ。隆景に「山陽方面は俺の担当だから兄貴は口出すな」って反論されて元春の意見は通らんかったけど
@@ふぉるーさん 隆景と直家の知略はどちらが上か気になりますね直家はどちらかといえば元就と比較するべきかな
???「宇喜多の直ちゃんからお茶に誘われたんやが」
やめといたほうがええんちゃう?
パリピの直家様ですね
おお、ご先祖様が仕えていた宇喜多氏。もうちょっと頑張って家名を残してくれれば、ご先祖様も旭川の西中島で長屋暮らしせずにすんだのに(笑)。
父親の知略、謀略は息子に伝わりませんでしたね。残念です。
秀家も周りの人々に恵まれて人望あったから別の意味でいい人にはなった
MR でも伝わってたら多分現代まで浮田家は存続しなかったでしょうね。まあどっちがよかったのかわかりませんが・・・
こういう時代だから仕方ない部分はあるとしてもちょっとやりすぎに感じるんだよな、その割には同じ地方の元就や経久に比べると小物臭い
残念ながら大名としての宇喜多家は息子の代で終わりますが。この人なら幕府に大名として復帰するかと言われたら戻ったかも知れないですね。
直家の弟の家は残ったんじゃなかったけ?
チャンネルケツアゴ 滅んじゃいました。
この人の肖像画って昭和の写真感あるよね
木像があったらしいのですが、戦火?で焼失したのだとか。
@@potetom4 返信気づかなかった勉強になりました!
のぶやぼ戦国立志伝の下克上プレイ楽しむなら、おすすめプレイ武将RK入りでござる!
上田合戦の動画見れないですよー
最も好きな稀代の某将
なぜこれから秀家が生まれた‥?
今日のコメ欄にぎやかですね.
宇喜多直家の前に出る時は、実の弟でさえも、甲冑を着て参上した。斉藤道三や松永久秀の対人関係も、同様だったのだろう。その宇喜多直家は、暗殺犯や謀略実行者の尻は、持ってやった。だから、家来達は付いて来た。
秀家は親父みたいな残酷さはないから 直家は油断してたら殺されていた時代 その中で 領土を広げた たいしたことだ
後のファッションセンター島村ができたのもこの時代であった、、美少年の愛し方ってどうやるんだろ?脇差しという名のチヌコを突き立てたんです!w
ニューバージョン?自分の記憶では以前より表現が踏み込んでいるように思うけど気のせいかな?
岡山県民だけど,ほとんどこの人知られていない…森や池田の方が有名なんだよな…
でも地元では英雄視されてるのです。もっとも秀家の方が人気あると思うけど😂
毛利はこんなヤバイやつ何で放置してたんだ?
宇喜多直家は娘婿まで、殺してたのかよ。「信長記」著者が言ってた通り。仇敵を婿にする。憎い敵を親友のように、扱う。
勝てばいい 戦国時代
まわりは敵ばかり
The pathetic distribution disturbingly fool because spain meteorologically crack besides a obsequious landmine. grateful gratis, sour observation
あの辺は田舎だから直家程度の凡愚でも幅利かせられたってだけの話だと思いますが。中小企業だと滅多に良材は集まらないので、そこそこまともな奴なら大事にされて天狗になってしまう。それと同じことだと。
直家を凡庸な将だと?的確な謀略とその実行力、普通の人ではおいそれと出来ることではないです
四六時中しつこくストーキングして相手の気が緩むのを待つことを謀略というのなら、そうだな。
@@setsussai その着想と実行力、凡庸であるわけがないです。
Tachibana Dousetsu 何で凡愚だと思うの?
暗殺や讒言は子供でも思いつくこと。非凡な発想ではない。讒言とはそもそもどういう意味か。欠点をあげつらって人を陥れることだが、暗殺や讒言を行う人物は、人格的欠点があるわけです。それで押し通そうというのだから、愚かです。非道な振る舞いを行うと敵を作る。簡単な例え話をすると、信長が道三を暗殺して美濃を奪えばどうなるか。今川も武田も上杉も、果ては浅井や朝倉まで結託して義龍を後押しし、信長をぶっ転がして美濃尾張は皆で美味しくいただくと、そうなるでしょうね。直家がそうならなかったのは、あの辺りが陸の孤島だから。岡山とか、本当に山以外なにもない。日本海側への街道すらない。例えて言えば、北朝鮮が非道の限りを尽くしても何となく生き残ってるようなものです。あえて被害を出してまで攻め取るような土地ではないのですな。小寺氏の姫路は街道があって交通上重要な拠点です。信長にいち早く臣従したのは、時勢を読む目があったというより、単に家中で孤立してるから信長にすがっただけだと思われる。これは田舎の所領さえ安堵されれば他は何もいらないという小市民の発想で、凡庸に過ぎます。お隣の姫路の官兵衛など、関ヶ原のどさくさに九州を掠め取ろうとしましたからね。本物の非凡な野心家とは、彼のような人物です。息子が親と対象的にお人好しであったのは、親と同類と思われたらやっていけないと思ったからでしょう。晩年膨張主義に走ったのは、孤立状況を打開するために力が必要だっただけでしょう。直家は欲深いだけで野心家ではない。ただの後先考えないアフォなだけです。田舎でなければぶっ殺されてたでしょうね。あのようなカスも居なくなるとパワーバランスが崩れてややこしいことになる。誰かが抜ければ他の誰かがその穴を埋めるわけで、その時誰かが勢力を増せば他の勢力を圧迫することになる。やがて争いになって、そのまま勝ちきって天下統一となればよいが、まずそうはならない。弱小勢力は合従連衡で対抗するからです。それで誰かが敗れればまた最初に戻るできりがない。核分裂の連鎖反応みたいなもんですな。乱とはそうしたものだが、直家にそのようなことを理解する見識があったとは思われない。信長のような天下人からすると、ああいうカスでも問題ない。管理する側からすれば、変に逆らったり、騒乱を起こされたりさえしなければ、少々領民を虐待したり、人格に見過ごし難い欠点があっても全然構わないもので、要するに自分のところに責任が回ってこなけりゃ何でもいいんですよ。むしろスネ傷者のほうが、従わせやすいので都合がいいぐらいです。行動力があるというのは、向こう見ずな衝動性のことを言うのではない。他人には見えない勝ち筋を見極めて、それに自分を賭けられることを言う。コロンブスは海を渡ることは当時、技術的に可能であることを知っていました。足りないのはお金だけです。それを知った上で資金を求めたわけで、成否も定かならぬ冒険に目を閉じて身を投じたわけではない。しかし当時の人間は、海など渡れるわけがないと思いこんでいたのですな。そうした常識の外に居たから、彼が特別な勇敢さを備えているように見えるだけで、実際は冷徹な計算の裏打ちのある理性的な行動をとっただけで、野蛮な衝動によってまぐれ当たりをゲットしたわけではない。直家は執念深いだけの凡愚です。
対照的な生き方した親子で大河ドラマ化してほしい
同じように梟雄と呼ばれた斉藤道三、松永久秀のような悲惨な最後を迎えずにすんだのは処世術が彼らよりも優れていたのでしょう
大河ドラマでは陣内孝則が演じていたのが印象深いです
久秀は突如理由不明で信長から離反して
頑なに帰順拒否して自決したんだから
悲惨な最期という話じゃないと思うが。
@@user-vn6rn8ef9y
あなたが尊厳死を選んでも
「悲惨な死に方」
って言われたいですか?
晩年の信長は古くからの家来を片っ端から追放していたからびくびくしていただろう、光秀も秀吉も勝家も。久秀も同様。放り出される前におさらばを決めて織田を去ったのだと思う。
久秀は幕臣だから義昭の意向に従っただけだよ
信長とはあくまでも協力関係
久秀がしたと言われる暗殺も創作物以外何の根拠もなくむしろ忠臣と言えるものしかないんだよね
この人が三大梟雄の中で一番恐いかも(敵に回した時)
相手を正確に分析し、使える駒は何でも使って長期的な作戦を立てたからこそ、面白いように謀殺が成功していったんですね。
「宇喜多の捨て嫁」という小説、面白くてオススメ。
ただ、史実からはかなり飛躍してるので許せる人のみ。
弟の忠家は直家に反旗を翻して城に立てこもったり、兄の重臣を斬殺したりといかにも坂崎直盛の父親らしい逸話が残っています。直家は織田信長と同じく家族には無茶苦茶甘い所があり、忠家の行動は自業自得ですね
暗殺や騙し討ち専門の人かと思いきや、明善寺合戦では、アスターテ会戦のラインハルトみたいな勝ち方してるんですよね。
少なくとも、ただの狡猾で陰湿なだけの人物ではないですね。
暗殺は良い手だと思う
なぜなら自分の地位と覇権を継続して持つことができたり安定する
汚いと言われようが家を
残すことが重要
秀家より優秀な父直家
人を見る目はあるので
直家はとても有能
どんなに大河のネタが無くなっても、宇喜多直家だけには白羽の矢が立つ事は…無いですよね(^_^;)
暗殺、謀略の連発だから、大河の出来ん。なお、岡山も、宇喜多で、観光客呼ぼうしたものの、余りに非道過ぎて断念した。まだ、秀家の方が観光資源としては使えてる
宇喜多直家も母親譲りの美貌で、主君浦上宗景に寵愛されていたそうな。
曰く「宇喜多の畳は表も裏も役に立つ」
殿様が戦に明け暮れるより暗殺三昧の方が領民にはうれしいっぺ(^o^)
面白い着眼点ですね!
宇喜多直家が元服したのは、1世代上の智将毛利元就と、2世代上の智将尼子経久がやりあっていた頃ですよね。
いずれはどっちかとやり合う日がくるという危機感が、直家にはあったと思うんです。
もしかしたら、宇喜多直家も、貴方のように考え、私事で貴重な領民を失うわけにいかないと、暗殺でことを済ませる手を思いついたのかもしれませんね。
左馬浜名さん 恐れ入ります。私がこの時代に生きていても、やっぱり庶民だったと思うので(^o^)
上杉や武田などの生産力が低い領地の場合、他国への遠征に参加して略奪することで食えていたという話も……。
ウルトラ なるほど、そういう考え方もありますね。文化の中心の京都や肥沃な岡山で下手に争いをやって疲弊するのは得策ではありませんな。いまだ岡山県民に愛されてる理由が少しわかったような気がします。
一理ありますね。戦は領民に嫌われます。秀吉が来た時にも直ぐに降参した所など妙な清さがありますね。庶民は戦争嫌だからね。
動画の最後にちょこっと紹介された、兄直家にビビりながら着物の下に鎖帷子を着込んでた弟忠家。けどいなくてはならない貴重な文武両道の副将。かなり信頼されてた存在だと思いますね。直家亡き後、秀家が宇喜多家の家督を次ぐまでの名代としての活躍は完璧ですし宇喜多家バージョンの小早川隆景だなぁと思います。
武田典厩信繁のイメージとも被りますよね
大河やったら開始1分で人が死んでそう
エルフィンリートみたいな展開ですね
新大河ドラマ【死神がくる】
第一回【暗殺】
@@Okuhiro.Ochiki
題名いいっすねw
@@milano6440
アカン…
次週(被害者)予告とかになりそうですね(*_*)
謀略に生きた直家だったが彼の死後,織田勢が荒木村重,別所長治を攻略する間に-宇喜多は毛利勢の攻撃を単独で引き受ける苦しい戦いを強いられながら敵に寝返る家臣は居なかったと言います。
それだけ家来からは人望は有った様です
この親父からどうして正直者ゆえに長生きするような息子が生まれるのか…
育ての親が違ったからなのか,はたまた反抗心からなのか…
潜性形質が現れたのではないでしょうか
悪の限りを尽くして宇喜多家を乗っ取った直家だったが羽柴秀吉をリーダーにした織田信長の大軍勢には抗することもできなかった。息子の秀家を秀吉に託して死んだのだ。長子相続制もない時代に秀家が宇喜多家の主になれたのは秀吉の有する絶大な権力のゆえだった。恩義を感じた秀家は関ケ原西軍で1万5千もの宇喜多兵を指揮して東軍福島正則軍と戦いまくったのだ。「福島の太鼓丸と宇喜多の山道。両軍の旗が押したり押されたりで決着がつかなかった。」山岡荘八「徳川家康」関ケ原の巻。
乗っ取ったのは宇喜多家ではなく浦上家では?
もし宇喜多秀家が東軍だったら、
この逸話はすべて歴史の闇に葬られていたはず。
宇喜多の捨て嫁という宇喜多直家の暗殺や謀略を題材にした時代小説がありましたね面白く読ませていただきました、
坂崎出羽守の狂気はこの伯父から受け継いだのかね?
昔、『信長の野望』で鉄砲2000装備させた直家さんに寝返りされました😢リセットボタンがすぐに押せる時代でした笑
お疲れ様でした。宇喜多と云えば第一に息子の宇喜多秀家を思い浮かべてしまう歴史音痴の自分がいたりして、このchは歴史音痴を修正してくれて有り難いです。
戦国の謀略者、畳の上で亡くなったのですが直家の病は非常に重く大変苦しんだのが想像出来ます。直家関連の「備前軍記」には病名を「尻はす」と記されてます。
気持ち悪くなってくるのでこの話題は止めときます。しかしながら、直家の妻で秀家の母は絶世の美女だったらしくて直家の死後に秀吉の寵愛を受けていたらしいです。
その手腕は息子秀家が豊臣政権最高機関の五大老になるキッカケをつくったとも言われています。その名は「お鮮(お福・円融院)」女の武器?も狙いを外さないですね。
『備前軍記』って江戸時代後期(1764年から1782年)に作られたやつだぞ...(宇喜多直家が死んでから180年前に作られ初め、200年後に完成)
そんなの信憑性低いわ。少なくとも同時代の資料じゃないとアカンぞ。
『備前軍記』は直家が死んでから200年後に出来た書物。
病気で死ななかったら
この人は家臣を大事にした人ですよ、息子は義理難い宇喜田秀家、ホントかどーかわからないけど宇喜田忠家は着物の下に鎖かたびらを着て拝謁したとも言われてるけど、会ってみたい1人です。
その逸話聞いたこと有ります、多分本当じゃないかと思います。
本能寺の変まで生きていれば・・・。秀吉どうなってたでしょうね。
領民からはどう思われてたのだろうか。
不作の年は領民と共に粗食を通し、なかなか慕われてたみたいです。
potetom4 領民の目線からしたらかなりいい領主のように感じますね
なんだなんだ、ワシのことか♪ワッハッハッハ
謀略であることがバレずに
良く生き延びたと思う。
運が良かったのか、相手がお人よし過ぎたのか。
私の知り合いの浮田君は、宇喜田秀家の子孫だとか言ってたな。
八丈島に流されてから、浮田と名乗ったそうだ
謀略と暗殺で、のし上がった宇喜多直家が、最期は息子の将来を、秀吉に託した。秀吉の寵愛を得る為に、ひたすら忠誠を尽くした。
京都から帰国中の安国寺恵瓊を茶席に呼んで捕虜にして戸川の息子を取り戻して織田に鞍替えした
恵瓊さんとのお茶会事件もなかなかおもろいよw
部下を失なうより
直家 頭いい
まさかこの間のところで事故と見せかけて暗殺事件が起きるまで傷つける奴がいるとは、、、
音楽が邪魔です💦
13:58 毛利と通じていた…??
毛利からすれば直家がいない方がいいだろうから、通じておきながら土壇場で裏切るべきだったのでは…
自分が毛利ならそうするなあ
吉川元春が実際に小早川隆景に対して「あんな信用できん奴と手を組むなんぞ俺は反対だ。今まで毛利に尽くしてくれた三村を軽んじるようなことだ」みたいなこと言って反対してたんだよなぁ。隆景に「山陽方面は俺の担当だから兄貴は口出すな」って反論されて元春の意見は通らんかったけど
@@ふぉるーさん 隆景と直家の知略はどちらが上か気になりますね
直家はどちらかといえば元就と比較するべきかな
???「宇喜多の直ちゃんからお茶に誘われたんやが」
やめといたほうがええんちゃう?
パリピの直家様ですね
おお、ご先祖様が仕えていた宇喜多氏。
もうちょっと頑張って家名を残してくれれば、ご先祖様も旭川の西中島で長屋暮らしせずにすんだのに(笑)。
父親の知略、謀略は息子に伝わりませんでしたね。残念です。
秀家も周りの人々に恵まれて人望あったから別の意味でいい人にはなった
MR でも伝わってたら多分現代まで浮田家は存続しなかったでしょうね。まあどっちがよかったのかわかりませんが・・・
こういう時代だから仕方ない部分はあるとしても
ちょっとやりすぎに感じるんだよな、その割には同じ地方の元就や経久に比べると小物臭い
残念ながら大名としての宇喜多家は息子の代で終わりますが。この人なら幕府に大名として復帰するかと言われたら戻ったかも知れないですね。
直家の弟の家は残ったんじゃなかったけ?
チャンネルケツアゴ 滅んじゃいました。
この人の肖像画って昭和の写真感あるよね
木像があったらしいのですが、戦火?で焼失したのだとか。
@@potetom4 返信気づかなかった
勉強になりました!
のぶやぼ戦国立志伝の下克上プレイ楽しむなら、おすすめプレイ武将RK入りでござる!
上田合戦の動画見れないですよー
最も好きな
稀代の某将
なぜこれから秀家が生まれた‥?
今日のコメ欄にぎやかですね.
宇喜多直家の前に出る時は、実の弟でさえも、甲冑を着て参上した。斉藤道三や松永久秀の対人関係も、同様だったのだろう。その宇喜多直家は、暗殺犯や謀略実行者の尻は、持ってやった。だから、家来達は付いて来た。
秀家は親父みたいな残酷さはないから 直家は油断してたら殺されていた時代 その中で 領土を広げた たいしたことだ
後のファッションセンター島村ができたのもこの時代であった、、
美少年の愛し方ってどうやるんだろ?
脇差しという名のチヌコを突き立てたんです!w
ニューバージョン?
自分の記憶では以前より表現が踏み込んでいるように思うけど気のせいかな?
岡山県民だけど,ほとんどこの人知られていない…森や池田の方が有名なんだよな…
でも地元では英雄視されてるのです。もっとも秀家の方が人気あると思うけど😂
毛利はこんなヤバイやつ何で放置してたんだ?
宇喜多直家は娘婿まで、殺してたのかよ。「信長記」著者が言ってた通り。仇敵を婿にする。憎い敵を親友のように、扱う。
勝てばいい 戦国時代
まわりは敵ばかり
The pathetic distribution disturbingly fool because spain meteorologically crack besides a obsequious landmine. grateful gratis, sour observation
あの辺は田舎だから直家程度の凡愚でも幅利かせられたってだけの話だと思いますが。中小企業だと滅多に良材は集まらないので、そこそこまともな奴なら大事にされて天狗になってしまう。それと同じことだと。
直家を凡庸な将だと?
的確な謀略とその実行力、普通の人ではおいそれと出来ることではないです
四六時中しつこくストーキングして相手の気が緩むのを待つことを謀略というのなら、そうだな。
@@setsussai その着想と実行力、凡庸であるわけがないです。
Tachibana Dousetsu 何で凡愚だと思うの?
暗殺や讒言は子供でも思いつくこと。非凡な発想ではない。
讒言とはそもそもどういう意味か。欠点をあげつらって人を陥れることだが、暗殺や讒言を行う人物は、人格的欠点があるわけです。それで押し通そうというのだから、愚かです。
非道な振る舞いを行うと敵を作る。簡単な例え話をすると、信長が道三を暗殺して美濃を奪えばどうなるか。今川も武田も上杉も、果ては浅井や朝倉まで結託して義龍を後押しし、信長をぶっ転がして美濃尾張は皆で美味しくいただくと、そうなるでしょうね。
直家がそうならなかったのは、あの辺りが陸の孤島だから。岡山とか、本当に山以外なにもない。日本海側への街道すらない。例えて言えば、北朝鮮が非道の限りを尽くしても何となく生き残ってるようなものです。あえて被害を出してまで攻め取るような土地ではないのですな。小寺氏の姫路は街道があって交通上重要な拠点です。
信長にいち早く臣従したのは、時勢を読む目があったというより、単に家中で孤立してるから信長にすがっただけだと思われる。これは田舎の所領さえ安堵されれば他は何もいらないという小市民の発想で、凡庸に過ぎます。お隣の姫路の官兵衛など、関ヶ原のどさくさに九州を掠め取ろうとしましたからね。本物の非凡な野心家とは、彼のような人物です。
息子が親と対象的にお人好しであったのは、親と同類と思われたらやっていけないと思ったからでしょう。晩年膨張主義に走ったのは、孤立状況を打開するために力が必要だっただけでしょう。直家は欲深いだけで野心家ではない。ただの後先考えないアフォなだけです。田舎でなければぶっ殺されてたでしょうね。
あのようなカスも居なくなるとパワーバランスが崩れてややこしいことになる。誰かが抜ければ他の誰かがその穴を埋めるわけで、その時誰かが勢力を増せば他の勢力を圧迫することになる。やがて争いになって、そのまま勝ちきって天下統一となればよいが、まずそうはならない。弱小勢力は合従連衡で対抗するからです。それで誰かが敗れればまた最初に戻るできりがない。核分裂の連鎖反応みたいなもんですな。乱とはそうしたものだが、直家にそのようなことを理解する見識があったとは思われない。
信長のような天下人からすると、ああいうカスでも問題ない。管理する側からすれば、変に逆らったり、騒乱を起こされたりさえしなければ、少々領民を虐待したり、人格に見過ごし難い欠点があっても全然構わないもので、要するに自分のところに責任が回ってこなけりゃ何でもいいんですよ。むしろスネ傷者のほうが、従わせやすいので都合がいいぐらいです。
行動力があるというのは、向こう見ずな衝動性のことを言うのではない。他人には見えない勝ち筋を見極めて、それに自分を賭けられることを言う。
コロンブスは海を渡ることは当時、技術的に可能であることを知っていました。足りないのはお金だけです。それを知った上で資金を求めたわけで、成否も定かならぬ冒険に目を閉じて身を投じたわけではない。しかし当時の人間は、海など渡れるわけがないと思いこんでいたのですな。
そうした常識の外に居たから、彼が特別な勇敢さを備えているように見えるだけで、実際は冷徹な計算の裏打ちのある理性的な行動をとっただけで、野蛮な衝動によってまぐれ当たりをゲットしたわけではない。
直家は執念深いだけの凡愚です。