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未完の幻路線名羽線の後を見せてくれてありがとうございました個人ではとても行けないので、本当に貴重なものです
ありがとうございます。熊の危険性も高いため、簡単には行けない場所だと思ってます。探索仲間は別に三毛別トンネルや上羽幌トンネルにも到達してましたが、自分は未だ行けずにいます。
貴重な映像ですね。もう二十年近くなり、もう探索は事実上不可能かと思うと、有り難い投稿です。
ありがとうございます。今でも定期的に訪れている方はいるようですが、誰でも見れるよう形では画像なり情報を出していないようですね。
1991年頃に第一中の二股トンネルに入りました。当時は入口は開閉できる腰高の門扉だけでした。中は100メートルくらいは完成していましたが、切羽の10メートルほどは上半分だけ掘削され、そして掘りかけで放置されていました。
貴重なお話ありがとうございます。トンネル密閉は沿線自治体へ土地の譲渡等が行われた1990年代中〜後半になるみたいですね。密閉前の画像等はほとんど出てないようで、当時の状況が知れて良かったです。資料によると、その第1中の二股トンネル工事中に中断とされているため、やはりその通りだったんでしょうね。朱鞠内側は手付かずでしたが、朱鞠内側から着手する前に工事が中断されたと思われます。
羽幌線や深名線など、80年代以降の多数の路線廃止の有様を見るにつけ、また、深名線の白樺・蕗ノ台が既に60年代のうちに無人地帯になっていたと聞くにつけ、「なんで名羽線はこの時期まで施工していたのだろう」という思いがあるが、逆に首都機能移転などの一大逆転劇があれば、北海道の過疎地域の有様も変わったものになっていたかもしれないと思うと、感慨深い。
橋梁の設計荷重が、羽幌側はKS-14、朱鞠内側はKS-16で違ってるんですね。羽幌側のほうが総じて新しい時期のようなので、途中でコストダウンのために計画を見直したんでしょうね。
名羽線の苫竜トンネルの存在を気になっていたのですが、やはり建設されずにいたのですね。
林野庁の森林計画図では、工事完了部分は鉄道用地だった部分と思われる記載が確認出来ますが、苫竜トンネルあたりは記載が全く無く、用地を取得してない可能性もあります。それらも含めて、建設されてないと判断していいと思います。
@@karikachitokachi 広報はぼろ1979年4月号によると、第2回定例町議会で羽幌町長が「最大のトンネル(3225m)である幌加内・羽幌間にある苫竜トンネルのボーリング及び測量費用が3400万円の決定をみております。」と報告しています。この時点で測量費用の予算が確保されているということは、用地の取得以前にルートの決定すらしていないとみて間違いないと思います。
@@akiosekiguchi1947 貴重な情報ありがとうございます。1981年秋まで工事が行われていたそうなので、ちょうどこれからという時期だったのでしょうかね。森林計画図においても、苫竜トンネルあたりの用地の囲みが一切なく、用地自体取得されてない可能性が高いと判断してました。2004年当時よりは機材が良くなったので、より詳細な報告を期待しているのですが、なかなか出てきませんね。
@@karikachitokachi 苫竜トンネルは、「新幌加内町史」でも未着工と書かれていますので、建設されていないことは間違いありません。前述の広報はぼろ1979年4月号によると、建設中の「第一中の二股トンネル」があと3年で完成、工費10億2200万円となっています。全長910mの「第一中の二股トンネル」が10億円超なら、苫竜トンネルの工費は30億円でも足りなかったはずです。最後まで苫竜トンネルに着工しなかったのは、工事費を無駄にしないという意味で正解だったと思います。
@@akiosekiguchi1947 工区では西10区の苫竜トンネル西、東6区の苫竜トンネル東が未着工のようですね。朱鞠内側は1969年に未着工の東6区を残し工事が終わり、その工事が終わる前あたりから羽幌側の工事が本格化したようですね。羽幌側では、中の二股トンネルの番号が一部抜けており、どのような経緯でそうなったのか気になります。
名羽線完成してほしかったですね。旧美幸線の第2大曲トンネルへ行きましたか?現在は道道美深中頓別線の天の川トンネルになっていま。仁宇布から線路跡地を眺めながら行けますよ。
石勝線と同じ規格で建設され、石勝線は都市間連絡のCD線幹線鉄道に位置ずられた結果名羽線は地方AB線になった結果国鉄再建法にひっかかって工事凍結になった悲運の路線ですね‼️。因みに開業していれば札幌、旭川~羽幌間を名寄経由の特急列車が走っていたかもしれませんね‼️。
建設中の時から炭鉱の閉山などで人口減になっており、工事休止となる昭和56年よりも、何年も前から状況はかなり厳しかったようですね。
名羽線は最初から丙線規格で、1日に8往復の普通列車が運行可能と想定の上で着工がなされた路線です。(昭和28年頃の国鉄の資料・・うろ覚え)昭和37年に着工したものの、冬期には当時の土木技術では施工が難しく、工事は延び延びに(昭和45年ごろの全線開通を黙唱としていた)。平坦な区間の曙~三毛別間を国鉄所有の貨物線として暫定営業するのみで、運炭需要の見込める上羽幌地区の上流駅(仮称)まで開通する寸前で炭鉱が閉山。悪夢の昭和45年でした。用地買収は容易であったので、延々と工事が行われ、国鉄再建法が成立した翌年の昭和56年になって工事中止。苫竜トンネル(苫前郡と雨竜郡を結ぶ意味合いの名称)はついに工事は行われずじまいでした。悲劇である、壮大な無駄遣いである建設中断線だからこそ、妙な魅力があるのだと思います。私も、この地点には行ったことがありますが、ヒグマやスズメバチの襲来が怖かったです。
いやア、深名線の朱鞠内付近って、冬季は悪天候による運休もしょっちゅうだったそうですよ…(^_^;)
2023年5月のニュースで朱鞠内湖周辺で釣り客が熊に襲われる事件が発生。この未成線の羽幌側にはかつて三毛別羆事件のあった集落が付近にあると聞いています。本州の人間なので気休めにしか取られないでしょうが、散策は十分気をつけて下さい。
三毛別の現場は隣町の苫前町になるので、名羽線から離れては居ますが、熊の危険性は高い地域になります。音を出しても寄ってくる熊もいるらしいです。犬よりも熊は鼻がいいそうです。危険な地域なので、動画で楽しんでもらえればなと思ってます。
以前は第2二股トンネルの羽幌側なら公道から近かったので予約とかしなくても簡単に行けました。そこから先は一般人立ち入り禁止でダンプがひっきりなしに往来していたので無理でした。日曜日のみ貸切のタクシーで行ける所まで行けたのに行かなかった事が悔やまれます。今では動画に出ている場所のもっと手前から通行止めになっているので羽幌での未成線巡りは事実上不可能となっているようです…
撮影当時の2004年は、マキタ産業などに事前に許可を得てダンプ走行区間を経由して羽幌側の探索をしました。現在はマキタ産業の廃業から年数も経ちダンプ走行区間も状態が悪化してるようです。現在も定期的に現地に赴いてる方もいるようですが、TH-cam上も含め、誰でも見れる所にはなかなか上がってこないですね。
このピアノBGM何て言う曲ですか?
民主主義ではこういう代償も必要なのか………だから国鉄が崩壊したのは当然の話。
沈黙の路線
ここまでトンネルを掘り、橋脚も造ったのに未完成で放置とは?どんな計画だったんだろう。
未完の幻路線名羽線の後を見せてくれてありがとうございました
個人ではとても行けないので、本当に貴重なものです
ありがとうございます。
熊の危険性も高いため、簡単には行けない場所だと思ってます。
探索仲間は別に三毛別トンネルや上羽幌トンネルにも到達してましたが、自分は未だ行けずにいます。
貴重な映像ですね。
もう二十年近くなり、もう探索は事実上不可能かと思うと、有り難い投稿です。
ありがとうございます。
今でも定期的に訪れている方はいるようですが、誰でも見れるよう形では画像なり情報を出していないようですね。
1991年頃に第一中の二股トンネルに入りました。当時は入口は開閉できる腰高の門扉だけでした。
中は100メートルくらいは完成していましたが、切羽の10メートルほどは上半分だけ掘削され、そして掘りかけで放置されていました。
貴重なお話ありがとうございます。
トンネル密閉は沿線自治体へ土地の譲渡等が行われた1990年代中〜後半になるみたいですね。
密閉前の画像等はほとんど出てないようで、当時の状況が知れて良かったです。
資料によると、その第1中の二股トンネル工事中に中断とされているため、やはりその通りだったんでしょうね。
朱鞠内側は手付かずでしたが、朱鞠内側から着手する前に工事が中断されたと思われます。
羽幌線や深名線など、80年代以降の多数の路線廃止の有様を見るにつけ、また、深名線の白樺・蕗ノ台が既に60年代のうちに無人地帯になっていたと聞くにつけ、「なんで名羽線はこの時期まで施工していたのだろう」という思いがあるが、逆に首都機能移転などの一大逆転劇があれば、北海道の過疎地域の有様も変わったものになっていたかもしれないと思うと、感慨深い。
橋梁の設計荷重が、羽幌側はKS-14、朱鞠内側はKS-16で違ってるんですね。羽幌側のほうが総じて新しい時期のようなので、途中でコストダウンのために計画を見直したんでしょうね。
名羽線の苫竜トンネルの存在を気になっていたのですが、やはり建設されずにいたのですね。
林野庁の森林計画図では、工事完了部分は鉄道用地だった部分と思われる記載が確認出来ますが、苫竜トンネルあたりは記載が全く無く、用地を取得してない可能性もあります。
それらも含めて、建設されてないと判断していいと思います。
@@karikachitokachi
広報はぼろ1979年4月号によると、第2回定例町議会で羽幌町長が「最大のトンネル(3225m)である幌加内・羽幌間にある苫竜トンネル
のボーリング及び測量費用が3400万円の決定をみております。」と報告しています。この時点で測量費用の予算が確保されているという
ことは、用地の取得以前にルートの決定すらしていないとみて間違いないと思います。
@@akiosekiguchi1947 貴重な情報ありがとうございます。
1981年秋まで工事が行われていたそうなので、ちょうどこれからという時期だったのでしょうかね。
森林計画図においても、苫竜トンネルあたりの用地の囲みが一切なく、用地自体取得されてない可能性が高いと判断してました。
2004年当時よりは機材が良くなったので、より詳細な報告を期待しているのですが、なかなか出てきませんね。
@@karikachitokachi
苫竜トンネルは、「新幌加内町史」でも未着工と書かれていますので、建設されていないことは間違いありません。
前述の広報はぼろ1979年4月号によると、建設中の「第一中の二股トンネル」があと3年で完成、工費10億2200万円となっています。
全長910mの「第一中の二股トンネル」が10億円超なら、苫竜トンネルの工費は30億円でも足りなかったはずです。
最後まで苫竜トンネルに着工しなかったのは、工事費を無駄にしないという意味で正解だったと思います。
@@akiosekiguchi1947 工区では西10区の苫竜トンネル西、東6区の苫竜トンネル東が未着工のようですね。
朱鞠内側は1969年に未着工の東6区を残し工事が終わり、その工事が終わる前あたりから羽幌側の工事が本格化したようですね。
羽幌側では、中の二股トンネルの番号が一部抜けており、どのような経緯でそうなったのか気になります。
名羽線完成してほしかったですね。
旧美幸線の第2大曲トンネルへ行きましたか?現在は道道美深中頓別線の天の川トンネルになっていま。仁宇布から線路跡地を眺めながら行けますよ。
石勝線と同じ規格で建設され、石勝線は都市間連絡のCD線幹線鉄道に位置ずられた結果名羽線は地方AB線になった結果国鉄再建法にひっかかって工事凍結になった悲運の路線ですね‼️。因みに開業していれば札幌、旭川~羽幌間を名寄経由の特急列車が走っていたかもしれませんね‼️。
建設中の時から炭鉱の閉山などで人口減になっており、工事休止となる昭和56年よりも、何年も前から状況はかなり厳しかったようですね。
名羽線は最初から丙線規格で、1日に8往復の普通列車が運行可能と想定の上で着工がなされた路線です。(昭和28年頃の国鉄の資料・・うろ覚え)
昭和37年に着工したものの、冬期には当時の土木技術では施工が難しく、工事は延び延びに(昭和45年ごろの全線開通を黙唱としていた)。平坦な区間の曙~三毛別間を国鉄所有の貨物線として暫定営業するのみで、運炭需要の見込める上羽幌地区の上流駅(仮称)まで開通する寸前で炭鉱が閉山。悪夢の昭和45年でした。
用地買収は容易であったので、延々と工事が行われ、国鉄再建法が成立した翌年の昭和56年になって工事中止。苫竜トンネル(苫前郡と雨竜郡を結ぶ意味合いの名称)はついに工事は行われずじまいでした。悲劇である、壮大な無駄遣いである建設中断線だからこそ、妙な魅力があるのだと思います。私も、この地点には行ったことがありますが、ヒグマやスズメバチの襲来が怖かったです。
いやア、深名線の朱鞠内付近って、冬季は悪天候による運休もしょっちゅうだったそうですよ…(^_^;)
2023年5月のニュースで朱鞠内湖周辺で釣り客が熊に襲われる事件が発生。この未成線の羽幌側にはかつて三毛別羆事件のあった集落が付近にあると聞いています。本州の人間なので気休めにしか取られないでしょうが、散策は十分気をつけて下さい。
三毛別の現場は隣町の苫前町になるので、名羽線から離れては居ますが、熊の危険性は高い地域になります。
音を出しても寄ってくる熊もいるらしいです。
犬よりも熊は鼻がいいそうです。
危険な地域なので、動画で楽しんでもらえればなと思ってます。
以前は第2二股トンネルの羽幌側なら公道から近かったので予約とかしなくても簡単に行けました。そこから先は一般人立ち入り禁止でダンプがひっきりなしに往来していたので無理でした。日曜日のみ貸切のタクシーで行ける所まで行けたのに行かなかった事が悔やまれます。
今では動画に出ている場所のもっと手前から通行止めになっているので羽幌での未成線巡りは事実上不可能となっているようです…
撮影当時の2004年は、マキタ産業などに事前に許可を得てダンプ走行区間を経由して羽幌側の探索をしました。
現在はマキタ産業の廃業から年数も経ちダンプ走行区間も状態が悪化してるようです。
現在も定期的に現地に赴いてる方もいるようですが、TH-cam上も含め、誰でも見れる所にはなかなか上がってこないですね。
このピアノBGM何て言う曲ですか?
民主主義ではこういう代償も必要なのか………
だから国鉄が崩壊したのは当然の話。
沈黙の路線
ここまでトンネルを掘り、橋脚も造ったのに未完成で放置とは?どんな計画だったんだろう。