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素晴らしい映像。鉄道車両だけを撮るのではなく、駅舎や周りの建物が上手く捉えられており、本当に北海道らしさが伝わってきます。今から思えば、夢のような映像です。ありがとうございました。
1957年生まれのオッサン、1970年代に北海道ワイド周遊券で道内各地を列車でまわり、YH(ユースホステル)に宿泊しました、大学に入ってからは、バイクで北海を周り、30過ぎてからは車で北海道を周ってます。
素晴らしい作品です。厳しい冬を過ごす人たち、雪に挑む鉄道員、みんな日々一生懸命生きていたのですね。
素晴らしい映像です。本当に細かく構内図もあり情景が良くわかります。知り合いが3年間限定で「別海町」の町おこし関係で別海町に移住しています。今年2月に日本遺産展示会で有楽町で会いました。
良いですね 内地の人間です幼少時道東の地域に1975年以降の記憶があり、五年ぶりお盆に記憶をたどり北海道に出かけてました 道東でも違う場所でしたがぐっとくるものがありました。素晴らしい構成で 当時の撮影とわいえ 貴重な写真、素晴らしいです。
ロマンを感じます✨
もう60年も昔に標茶~中標津~根室標津~(バスで尾岱沼)~西別~厚床と回りました。標茶から乗った気動車が、運転席で長いシフトレバーとクラッチを操作する形式、前面が丸い形でその姿は記憶に幻のような思いしか残っていない。その時は空知に住んでいて、夜行急行「まりも」に乗って深夜に狩勝峠の旧線を通ったけど、その三大車窓風景は見えなかった。そのリベンジに昨年秋に代行バスで新得~東鹿越を乗って、その帯広十勝平野の絶景を堪能した。北海道の廃線と言えば、羽幌線もその頃に乗って、当時は夜行列車が沢山あって、旅館代を節約する事が出来て助かった。「カニ族」が流行するもっと前の話。映像を拝見して当時の記憶が蘇った、感謝する。(著者と同名です)
ひたすら感激しました! 幼少の頃、深名線や天北線で過ごした記憶がまざまざと蘇りました。それにしてもキハ22は懐かしすぎますし、C11の群れには圧倒されました。そしてキハ12まで・・・西春別駅の規模が意外に大きかったことと、標津線がC11の最後の活躍場所だったことは初めて知りました。本当に素晴らしく貴重な画像を有り難うございました。
素晴らしい作品に出会えて嬉しいです。標津線の魅力を初めて知りました。ありがとうございます。
標津線沿線住民です懐かしすぎます😆
とても良く編集されていますね。幼かった時代の北海道の鉄道…なんか郷愁をかんじます
鉄路を介して人と人のつながりがあった時代ですね。標津線は人気のない山中を行く路線とは違い人の暮らしを感じる線区でした。夏の日差しの西春別のカラマツ林を行く気動車の旅は別世界でした。
昭和50年3月に標茶機関区を訪れましたが、写真を拝見するとこんなに広かったんだなと改めて確認しました。この年は大雪でしたね。根室標津の転車台はC11と共に保存されていますね。
この時代に生きた。携帯もないが何一つ不自由を感じてなかった。
おしゃるとおりです。時刻表と地図だけで、旅をしていました。田舎の駅にも、駅前食堂、旅館がありました。
成仏してくれめんす
中学の頃、写真集で見た風景がそのままですね!
当時でこれだけの写真をおとりになるとは。なかなか困難だったのではないでしょうか。標津線や別海村営軌道がこれだk見れるとは思いませんでした。
懐かしい写真アップ有難うございます。小生も昭和46年(1971年)の夏休み、北海道を周遊券で旅行しました。その折、標津線に乗車、中標津から厚床までC11が引っ張る客車に乗りました。C11ー133?か?厚床は寂しい乗り換え駅で、その後、根室へ向かいました。同じく、2年後の冬の旅ではSLに乗った記憶がありません。
随分とたくさん撮られているんですね。プロ並みですね。当時の生き生きした人々の写真もあり貴重な記録ですね。私も奥行臼にC11撮りに行ったことがあり、懐かしさでたまりません。
ありがとうございます。蒸気機関車の晩年は、ローカル線のC11を撮影してました。標津線もその一つで、原野を走る姿が気に入り、3回訪れました。ただ,待つ時間の長かったこと・・・。その間、周りを歩き、フィルム消費を気にしながら、情景撮影していました。奥行臼は、湿原を走るC11を、と思い、地図を見て訪れましたが、いま一つで、再度雪の時、訪れました。
素晴らしい映像を見られて、感謝感激です。標津線沿線もこんなに人や物流が多かった時代があったんですね。また、鉄道の重要性が本当に地域に受け入れられていたことを改めて感じました。そして、別海村営簡易軌道風連線も貴重な映像ですね。
ありがとうございます。確かに、最初に行ったとき、鉄道の貨物量の多さに私も驚きました。
撮影技術が高く、魅入ってしまいました。
C11227が出るかな?と思ってみていたら出てきて良かったです。静岡県の大井川鉄道にあります。40年以上前に大井川鉄道に復帰したころ並走して写真を撮りました。
懐かしい、根室のユースホステルでバイトをしてたことがありました。まだその頃は均一周遊券を持ち道東を旅行されているカニ族の方がいっぱいいましたね。
ご覧いただきありがとうございます。夜行で宿泊費を節約した後、ユースに泊り、ペアレントに迎えられ、風呂に癒やされ、白いご飯が美味しかった。翌日の活力が生まれたところでした。個性ある、スタンプも楽しかった。
冬に撮影されてる写真は貴重ですね
何かもうちょっとゆっくり観させて欲しいです
素晴らしい映像ありがとうございます。と共に、ここに写っている227号機と171号機が動態保存機として現存していることがスゴイと思います。
ご高覧ありがとうございます。おしゃるとおりです。標津線へ、無くなるC11を撮影に行ったのに、そのC11は残り、走っていた線路がなくなる、というは、皮肉なことです。
武佐岳、りっぱだよねぇ。
写真を寄せ集めて適当にBGM付けただけの動画かなと思って開いたら、とんでもない間違いだった。ごめんなさい。当時から美しい写真を撮るベテランの方だったのですね。素晴らしいです。武佐岳?の反射が芸が細かいw
ご高覧いただき、痛み入ります。
路傍に置かれたミルク缶はトラックで集荷し空缶を置いていきます。現在はタンクローリーで集荷します。
西春別駅、利用者でした✨昭和46年47年は小学生で、確実に待合室にいました✨駅員さん、丸通のおじさん、懐かしい‼️道路が春先はどろどろでしたよ‼️この写真から、みんなが飛び出して来そうで、とても素敵な写真、ありがとうございます🥰
ターンテーブルと©11が保存されたのは喜ばしい
標津のC11は部品取りされていますね。替わりに模造部品が付けられたそうですが。C11-171に取り付けられたそうです。
もとより鉱業と漁業であらう。どちらかが衰退すれば地域が廃れJRは廃線となる。
素晴らしい映像。鉄道車両だけを撮るのではなく、駅舎や周りの建物が上手く捉えられており、本当に北海道らしさが伝わってきます。
今から思えば、夢のような映像です。ありがとうございました。
1957年生まれのオッサン、1970年代に北海道ワイド周遊券で道内各地を列車でまわり、YH(ユースホステル)に宿泊しました、大学に入ってからは、バイクで北海を周り、30過ぎてからは車で北海道を周ってます。
素晴らしい作品です。厳しい冬を過ごす人たち、雪に挑む鉄道員、みんな日々一生懸命生きていたのですね。
素晴らしい映像です。本当に細かく構内図もあり情景が良くわかります。知り合いが3年間限定で「別海町」の町おこし関係で別海町に移住しています。今年2月に日本遺産展示会で有楽町で会いました。
良いですね 内地の人間です幼少時道東の地域に1975年以降の記憶があり、五年ぶりお盆に記憶をたどり北海道に出かけてました 道東でも違う場所でしたがぐっとくるものがありました。素晴らしい構成で 当時の撮影とわいえ 貴重な写真、素晴らしいです。
ロマンを感じます✨
もう60年も昔に標茶~中標津~根室標津~(バスで尾岱沼)~西別~厚床と回りました。
標茶から乗った気動車が、運転席で長いシフトレバーとクラッチを操作する形式、
前面が丸い形でその姿は記憶に幻のような思いしか残っていない。
その時は空知に住んでいて、夜行急行「まりも」に乗って深夜に狩勝峠の旧線を通ったけど、
その三大車窓風景は見えなかった。そのリベンジに昨年秋に代行バスで新得~東鹿越を乗って、
その帯広十勝平野の絶景を堪能した。
北海道の廃線と言えば、羽幌線もその頃に乗って、
当時は夜行列車が沢山あって、旅館代を節約する事が出来て助かった。
「カニ族」が流行するもっと前の話。
映像を拝見して当時の記憶が蘇った、感謝する。(著者と同名です)
ひたすら感激しました! 幼少の頃、深名線や天北線で過ごした記憶がまざまざと蘇りました。
それにしてもキハ22は懐かしすぎますし、C11の群れには圧倒されました。そしてキハ12まで・・・
西春別駅の規模が意外に大きかったことと、標津線がC11の最後の活躍場所だったことは初めて知りました。
本当に素晴らしく貴重な画像を有り難うございました。
素晴らしい作品に出会えて嬉しいです。標津線の魅力を初めて知りました。ありがとうございます。
標津線沿線住民です
懐かしすぎます😆
とても良く編集されていますね。幼かった時代の北海道の鉄道…なんか郷愁をかんじます
鉄路を介して人と人のつながりがあった時代ですね。
標津線は人気のない山中を行く路線とは違い人の暮らしを感じる線区でした。夏の日差しの西春別のカラマツ林を行く気動車の旅は別世界でした。
昭和50年3月に標茶機関区を訪れましたが、写真を拝見するとこんなに広かったんだなと改めて確認しました。この年は大雪でしたね。根室標津の転車台はC11と共に保存されていますね。
この時代に生きた。携帯もないが何一つ不自由を感じてなかった。
おしゃるとおりです。時刻表と地図だけで、旅をしていました。田舎の駅にも、駅前食堂、旅館がありました。
成仏してくれめんす
中学の頃、写真集で見た風景がそのままですね!
当時でこれだけの写真をおとりになるとは。なかなか困難だったのではないでしょうか。
標津線や別海村営軌道がこれだk見れるとは思いませんでした。
懐かしい写真アップ有難うございます。小生も昭和46年(1971年)の夏休み、北海道を周遊券で旅行しました。その折、標津線に乗車、中標津から厚床までC11が引っ張る客車に乗りました。C11ー133?か?厚床は寂しい乗り換え駅で、その後、根室へ向かいました。同じく、2年後の冬の旅ではSLに乗った記憶がありません。
随分とたくさん撮られているんですね。プロ並みですね。当時の生き生きした人々の写真もあり貴重な記録ですね。私も奥行臼にC11撮りに行ったことがあり、懐かしさでたまりません。
ありがとうございます。蒸気機関車の晩年は、ローカル線のC11を撮影してました。標津線もその一つで、原野を走る姿が気に入り、3回訪れました。ただ,待つ時間の長かったこと・・・。その間、周りを歩き、フィルム消費を気にしながら、情景撮影していました。奥行臼は、湿原を走るC11を、と思い、地図を見て訪れましたが、いま一つで、再度雪の時、訪れました。
素晴らしい映像を見られて、感謝感激です。
標津線沿線もこんなに人や物流が多かった時代があったんですね。
また、鉄道の重要性が本当に地域に受け入れられていたことを改めて感じました。
そして、別海村営簡易軌道風連線も貴重な映像ですね。
ありがとうございます。確かに、最初に行ったとき、鉄道の貨物量の多さに私も驚きました。
撮影技術が高く、魅入ってしまいました。
C11227が出るかな?と思ってみていたら出てきて良かったです。静岡県の大井川鉄道にあります。40年以上前に大井川鉄道に復帰したころ並走して写真を撮りました。
懐かしい、根室のユースホステルでバイトをしてたことがありました。まだその頃は均一周遊券を持ち道東を旅行されているカニ族の方がいっぱいいましたね。
ご覧いただきありがとうございます。夜行で宿泊費を節約した後、ユースに泊り、ペアレントに迎えられ、風呂に癒やされ、白いご飯が美味しかった。翌日の活力が生まれたところでした。個性ある、スタンプも楽しかった。
冬に撮影されてる写真は貴重ですね
何かもうちょっとゆっくり観させて欲しいです
素晴らしい映像ありがとうございます。
と共に、ここに写っている227号機と171号機が動態保存機として現存していることがスゴイと思います。
ご高覧ありがとうございます。おしゃるとおりです。標津線へ、無くなるC11を撮影に行ったのに、そのC11は残り、走っていた線路がなくなる、というは、皮肉なことです。
武佐岳、りっぱだよねぇ。
写真を寄せ集めて適当にBGM付けただけの動画かなと思って開いたら、とんでもない間違いだった。ごめんなさい。当時から美しい写真を撮るベテランの方だったのですね。素晴らしいです。武佐岳?の反射が芸が細かいw
ご高覧いただき、痛み入ります。
路傍に置かれたミルク缶はトラックで集荷し空缶を置いていきます。
現在はタンクローリーで集荷します。
西春別駅、利用者でした✨
昭和46年47年は小学生で、確実に待合室にいました✨
駅員さん、丸通のおじさん、
懐かしい‼️
道路が春先はどろどろでしたよ‼️
この写真から、みんなが飛び出して来そうで、とても素敵な写真、ありがとうございます🥰
ターンテーブルと©11が保存されたのは喜ばしい
標津のC11は部品取りされていますね。替わりに模造部品が付けられたそうですが。
C11-171に取り付けられたそうです。
もとより鉱業と漁業であらう。どちらかが衰退すれば地域が廃れJRは廃線となる。