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旧名蓬莱山 新名富士山平安時代に、僧侶の寛輔が、「蓬萊山」とは富士山を指すと述べた。『竹取物語』にも、「東の海に蓬萊という山あるなり」と記される
進撃さん❤素晴らしいです🎉
進撃さんの考察は是非、書籍にして欲しい。まとめて本で読みたい。
嬉しいです!僕もいつか本は出してみたいと思っているので、そこを目指して頑張ります😊
私もそう思いました。が、むしろ昔のRPGツクールでプレイヤーに概要を旅させて土地に家系図や動画を埋め込んだりした物がやりたい。 又はゆっくりやささらなどボイスキャラに読み上げてもらう本なら寝るとき何度も聞けるから頭に入るかも。
さきたま古墳群の古墳は長軸方向が富士山方向にそろって並んでいる そのすぐ近くにある”さきたま神社は古墳の上に築かれている御祭神はコノハナサクヤヒメであるまた、この古墳の付近くには白山神社もあります
とても興味深い考察で楽しかったです!次回も楽しみにしています!
進撃さん、いつも興味深い考察をしていて凄いですね!「奈良」についてですが、一説にはハングル語で「なら→国」という意味らしく弥生人は朝鮮系由来の血統も含まれるのでそこから来てると論じる方もみえますね!ヘブライ語由来やハングル由来、アイヌ(縄文との混血)由来、日本の地名は面白いですね!あと、飛騨の話も出てきましたが遷都移り変わりの中で歴史がハッキリしてきている藤原京の辺りは橿原の地名になるより1000年以上前から飛騨の名を使用されてました。藤原宮殿が完成する以前とあります。藤原京が平城京へ移った後も残り、飛騨の名を現在までその地に残しています飛騨王朝(都)があったとされる辺りに杉崎廃寺跡地があります。何もなく、藤原京に名前がつくことは考えにくいですし、何より古事記は飛騨の人「稗田阿礼(後世に間違って伝わった呼び名と言われてます)、阿礼清一だと思いますが子孫は現在に飛騨地方に住んでるそうです。」によって語られたものを太安万侶が編纂したとあります。一説には飛騨口碑と出雲口伝をまとめて編纂したかったが藤原不比等によって改められたものになったとも。正当竹内文書にも飛騨の話は冒頭から出てきます。縄文遺跡からの出土も多いです。巨石文明に関することなら飛騨地方に行けば、その山々に延々と続く巨石群を見れば一目瞭然です。ほのめかしてる?はどういう意味で使われてるのかわかりませんが全てがホントじゃないにしても、今上天皇即位の際に持たれる笏が飛騨位山のイチイの木から造られてるのは御存じですよね。阿波の忌部氏が麁服を献上しているのと同等の天皇家との繋がりです。是非とも、ご出身の岐阜県飛騨地方へ考察の旅をオススメします。カタカムナ、正当竹内文書→ホツマツタヱ宮下文書→ウエツフミ、九鬼文書という順で読むと混乱しにくく理解しやすいと聞いたことがあります。その後に古事記、日本書記だと。途中で魏志倭人伝など中国史など絡むと更に混乱するとか、、、あくまでも私の聞いた説を纏めたものです。長々失礼しました。
アイコン変えたのですね。初めこんなチャンネル登録してたっけと思ってしまいました笑
横浜市と東京にまたがる地区(緑山スタジオ周辺)に奈良 三輪の地名があり遺跡が周辺にあります。ヤマトから移住した説や楢の木由来あります。(ナラが朝鮮語由来だとクニ、ナラ-スは縄文アイヌ語説もあります→横浜の奈良地区に高い山は無い)遺跡から現地で焼いた瓦が使用されたり鉄(くろがね)町名から周辺が製鉄 鋳造だとあり技術者集落だったのでしょう。バブルドラマ全盛期よく使われた田園都市線沿いは遺跡だらけ、センター北南開発で遺跡遺構潰されたそうです…各地ある奈良地名、共通点あるかもしれませんね。
ありがとうございます😊あの辺り、横穴墓がたくさんあるんですよね!近くに大山と秦野もあるので今回の動画とも繋がっていくと思います😊
進撃さん!お返事ありがとうございます♪秦野は養蚕 機織り…自治体公式でも秦氏由来説紹介していますね。日本の絹は上質で金と共に諸外国へ。シルクロード(学校ではオアシスロード?)は逆ルート説出てきています。横浜線開通は長津田-東神奈川間でシルク線と呼ばれていたそうです。
日本最古の王国・出雲王国と、徐福2回渡来を歴史学者が認めない限り、奈良時代以前の古代史は永遠に「記紀」記述が通説のままとなるでしょう。
徐福に関しても古史古伝に関しても学会で認められる事はないと思うので、そこは気にせずに自分の感性を信じて考察を続けて行こうと思っています😊
四天王寺さんには秋分の日に極楽門から石鳥居に沈む夕日を拝む日相観というお勤めがありますが、もともとは反対側の朝日に祈る仕掛けだったのかもなんて思ってしまいました。仏教による浄土信仰で西方浄土へ思いをはせるようになったのかもですね。古代においては四天王寺のある上町台地のすぐ西側は海だったようですし。ロマンがありますねぇ。次回も楽しみにしております!
西側の海の向こうを、と言うのは大いにありそうですよね😊
レスを失例します。昼と夜が等しくなる日、満月の美しい日に月の昇りを迎えるイメージが湧きました。月の神を信仰するために。冬に向かっては月光は大切になりますし、長い旅をしてきた部族には月や星は何か意味があるのかもしれません。
ドキドキ❤
老生の朧げな予想をこの動画シリーズでは的確に明文化映像化されていてとても感激です。自分で調べ上げるのはサボって多くのことをこの動画主に託します。
「つき」=「着き」初めてやってきたところ。「なら」羅これから向かうところ:「ひ(日)・むかし(向)」=「東」
そもそも、富士山が日本一高い山と認識されたのはいつなのか?確かに、キレイな形をした山ではあるけれど、それ以上の価値が認識されたのは後世になってからなのではないだろうか?
普通は活火山の麓に都は作らないですよね・・😥
なるほどです〜😊
富士山と筑波山の話蘇民将来の話と似てますね。
島田秀平の旅杯チャンネルで😅ムーの三上丈晴氏が出演して、系図的に継体天皇は秦氏だと解説していました。因みに三上姓も秦氏ですね😂富士山は呪物だそうです😱
富士山は呪物は言い得て妙だと思います😎
山体形象の歴史もそうだが神社聖地は岩盤が基本ですね新しい火山岩は軽石のようで岩盤でない
「ひ・なた」→「なた」→「なら」
古事記や日本書紀の時代は、まだ西日本を統一したばかりで、これから東日本に進出するという時期だから、富士山が出てこないのは、何の不思議もない。
遺伝子的にその話が成り立つのかどうかという視点を取り入れていってほしいです。
ここからは更に複雑になって行くのでひとまず色んな情報を出して、出揃った所からまとめて行こうと思っています😊その時点でDNAも絡めて整理する予定なので、まずは情報として一緒に見ていって頂けると幸いです🙇
富士山の麓に住んでます。浅間神社出てくるのかな?
最後部分の修正です。× 12代 垂仁天皇◎ 11代 むっちゃん先生の、命がけのディスクロージャーだと、● イエス=瓊瓊杵尊● イエスの最初の妻 このはな咲くや姫ですが、(後妻の玉依姫からの4男さんが、初代の神武天皇で、前のウガヤフキアエズ皇統の73代目 ラスト)なので、イエスは 70代目だと思いますが、UFO内の試験菅ベイビーなので、イエスは三つ子でした。人工授精って、三つ子になりやすいでしょ?。 木花咲くや姫は、イエスの言葉につまずいて、富士山に投身自殺しました 「たった一度の契りで、もう妊娠か?、別の男ではないのか?」←これで● その後にも、ここ富士山に アヌンナキのアヌ王の二男エンリルの子供の3人娘が住んでいて、長女 イナンナ世界女王と 江戸時代のUFO事件のウツさんが、双子で、それらの妹が、このはな咲くや姫ですが、↑これらの3女の解放に、私は昨年の6月に 富士山の周囲135kmを徒歩で祈りながら回り、世界の預言者が異口同音に、2023年の噴火を預言していましたが、そのタイムラインを変えました。噴火なしで、年越え、しかし・・・来年以降は、もう、止めきれません。噴火はあります。イエスの路程は、聖書のヤコブ路程の相似形に加工して、捏造で古事記には掲載されていて、ヤコブの場合には、ブスのレアと 美人妹のラケルとの婚姻でしたが、イエス瓊瓊杵尊の妻は、富士王朝は南北の2王朝で、古事記では?北から 岩永姫が嫁いだ風ですが、実際には?、岩永姫はイエスを断り、ふられた古事記では?、断られた瓊瓊杵尊と人類は、長命になれなかった逸話ですが、睦泰さんに依ると、岩永姫は、普通に美人でしたが、イエスからの求婚を断り、大分県の豪族に嫁いだそうで、富士王朝の南朝からの このはな咲くや姫がイエスに嫁ぐも、自殺になり、日本では、ヤコブ路程(勝利者イスラエル化)とは いかなかったみたいです。本来は、先にスサノオ勢力が日本に帰還したので、ニギハヤヒが長男の扱いで、瓊瓊杵尊が次男の扱いで、聖書のヤハウエになりすました悪魔のエンリルが、次男なので、ここまではイエス皇統を優遇しましたが、最後の この今の終末期には?、救世主とは? この長男に運勢が逆転する意味なので、ニギハヤヒの系譜、つまり 忌部氏か? 物部氏から、救世主 白い兄が出るのです。イエスは救世主ではなく、単なる 日本に21年間留学していた、武力王です。人類への、ひっかけ問題役ですね。聖徳太子の三論宗 98年時 導士 白い兄こと 髙原義仁より2024年9月3日㈫ 5:21 書き込み・
すいません!間違いのご指摘ありがとうございます🙏🙏
ナラだけでなく、ヤマトの語源も、中央アジアの弓月国から、秦氏が持ってきた、と考えれば、現在普通に使われているヤマト王権とは、奈良盆地を中心として発展した王権ですが、奈良盆地という場所である前に、秦氏が中心になって、天皇家を支えながら発展していった王権、ということにもなりますね。
この時代、富士山麓は日高見国で 蝦夷人が支配する地で大和人は まだまだ少数派だったのでは?
茨城だっけか?前方後円墳あったのでは?
南北朝のような状態だったのでしょう。
いつもありがとうございます。大月市が気になって地図を見たら「奈良子」「奈良子川」を見つけました。また「シロイハタ」という地名も。その3,4キロ圏内には「大山津見神」の祠もありました。…堀りがいがありそうなエリアですね♪
こちらこそありがとうございます😊全国の奈良という地名を探してみるのもまた面白いかもしれませんね!
邪馬台国阿波説をとると、繋がるね。
成立時にはまだ敵地で存在すら知らなかったから。
香具夜姫は大年の娘説も有りますよね?
宮下文書謎大き存在、ひとまず宮下文書の解説だったのですね。ら宮下文書は徐福が確か色んな人達から聞いたものをまとめたとされてますが、現存もせず秦の始皇帝の時代四国の応神天皇の時代その末裔がかき集めて作ったものですよね?そして噴火も平均60年平均なので当然今の300年も含めて噴火は徐々に長くなり昔は頻発してたと思われます人世代に一回以上おきる地域に王朝ができたとは考えにくくまた、徐福と武内宿禰や記紀での応神天皇が生まれる前の神功皇后の三韓征伐に謎が隠されているとも言われてますそれは秦の始皇帝の呂不韋との繋がり「史記」よりその物語がとても似てるのかまたこの武内宿禰でこれを呂不韋とした場合の神功皇后との子が応神天皇ウエフツミでも、秦の始皇帝が応神天皇徐福とは秦の始皇帝自身だったかもしれませんし、一緒にいた同族で徐の一族として実際に一緒に来たのかもしれません。富士山本当は不二山…とされ謎のままですもちろんは霊山でしょうけどもし、徐福と一緒に来てたまたは徐福が秦の始皇帝ならば紀元前200年ごろ富士山のことは知らないというのが正しく思えてきます。しかも写しで原本無し共通項を探すと秦の始皇帝は応神天皇そして月の神の一族の王素戔嗚なのでかつての日本では珍しかった鉄の剣、これは秦の始皇帝の時期に中国では青銅だけではなく特別なものだったみたいですが作る技術はありました。それが天叢雲剣弥生時代の始まりははっきりしておらず、殷元これ倭国なりからしてインド経由の釈迦や祇園精舎の牛頭天王から殷から日本の四国へこれが出雲の中心として広まっていった、紀元前1000年付近からこれはクロスことカラスの民族でヤマトを目指したとあるようですがヤマトは現在の考察で四国だとおおむねうわさとして高まってきてますよねつまり紀元前200年ごろ応神天皇となり武神となった秦の始皇帝が誓をして天皇を引き継ぎ応神天皇となった竹内文書の著作は確か記紀には時間や場所が混ぜられてるという話があり単純に年代を信じるよりも人の流れを追った方が迷いと思われます。まつろわぬ神たちのための東征。宮下文書での重要点大山祇は月読の子(子孫とされていること)大三島は賀茂氏陽と忌部氏陰の和合とも言われており梅宮大社が社紋橘で大山祇からなのですがらなぜ木花咲耶姫が橘なのか?イワナガヒメなのでは無いか?大山祇は日本総氏神、津島神社の日本全国の天王総本社、祭神素戔嗚これで概ねわかりますよね月の神の信仰、星の信仰のものたちは強かった出雲は潰さずヤマト(神の民)を名乗った導いたのは頭八咫烏つまりクロスの同族十字の一族は原始キリスト教太陽神が最高神の月の神を信仰してた一族は、星の信仰のカラスも素戔嗚も最高神だから太陽神星の信仰の一族は宇宙の星々の信仰なので、遊牧では月を定住先は大洋を最高神としたが実は太陽神は素戔嗚すでに大化の改新から素戔嗚の系譜は隠され大海だった天武天皇が据えられてアマテラス取らされたつまり、本当の王家はこの頃より隠されており明治天皇の時にすり替えられたしかし、より暗号化され隠された明治天皇は素戔嗚の血糖値と結びつき、その子孫は四国で隠された明治以降の天皇の戦争はまかりの時代、そして今や権力や権威も奪われ、正直言って誰でも良いようになってしまっているように思いますこれがらフリーメイソンの影いつか復活させる為に隠し試練を与え帝王学を身につけたものが現れる隠されたのは四国の西秦氏こと賀茂氏で陰陽道を極めた陽の一族八咫烏だから隠されてると推測フリーメイソンと密接な関係があり守られていると思われます推理考察都市伝説❤
九州の奈良は奴国の西端ですね?阿波にも奈良という地名がありますね?
ヤマトの読みは?
旧名蓬莱山 新名富士山
平安時代に、僧侶の寛輔が、「蓬萊山」とは富士山を指すと述べた。
『竹取物語』にも、「東の海に蓬萊という山あるなり」と記される
進撃さん❤素晴らしいです🎉
進撃さんの考察は是非、書籍にして欲しい。
まとめて本で読みたい。
嬉しいです!
僕もいつか本は出してみたいと思っているので、そこを目指して頑張ります😊
私もそう思いました。が、むしろ昔のRPGツクールでプレイヤーに概要を旅させて土地に家系図や動画を埋め込んだりした物がやりたい。 又はゆっくりやささらなどボイスキャラに読み上げてもらう本なら寝るとき何度も聞けるから頭に入るかも。
さきたま古墳群の古墳は長軸方向が富士山方向にそろって並んでいる そのすぐ近くにある”さきたま神社は古墳の上に築かれている
御祭神はコノハナサクヤヒメである
また、この古墳の付近くには白山神社もあり
ます
とても興味深い考察で楽しかったです!次回も楽しみにしています!
進撃さん、いつも興味深い考察をしていて
凄いですね!
「奈良」についてですが、
一説にはハングル語で
「なら→国」という意味らしく
弥生人は朝鮮系由来の血統も含まれるので
そこから来てると論じる方もみえますね!
ヘブライ語由来やハングル由来、アイヌ(縄文との混血)由来、日本の地名は面白いですね!
あと、飛騨の話も出てきましたが遷都移り変わりの中で歴史がハッキリしてきている
藤原京の辺りは橿原の地名になるより1000年以上前から飛騨の名を使用されてました。藤原宮殿が完成する以前とあります。藤原京が平城京へ移った後も残り、飛騨の名を現在までその地に残しています
飛騨王朝(都)があったとされる辺りに杉崎廃寺跡地があります。
何もなく、藤原京に名前がつくことは考えにくいですし、何より古事記は飛騨の人「稗田阿礼(後世に間違って伝わった呼び名と言われてます)、阿礼清一だと思いますが子孫は現在に飛騨地方に住んでるそうです。」によって語られたものを太安万侶が編纂したとあります。
一説には飛騨口碑と出雲口伝をまとめて編纂したかったが藤原不比等によって改められたものになったとも。
正当竹内文書にも飛騨の話は冒頭から出てきます。
縄文遺跡からの出土も多いです。
巨石文明に関することなら飛騨地方に行けば、その山々に延々と続く巨石群を見れば一目瞭然です。
ほのめかしてる?はどういう意味で使われてるのかわかりませんが全てがホントじゃないにしても、今上天皇即位の際に持たれる笏が飛騨位山のイチイの木から造られてるのは御存じですよね。
阿波の忌部氏が麁服を献上しているのと同等の天皇家との繋がりです。
是非とも、ご出身の岐阜県飛騨地方へ考察の旅をオススメします。
カタカムナ、正当竹内文書→ホツマツタヱ宮下文書→ウエツフミ、九鬼文書という順で読むと混乱しにくく理解しやすいと聞いたことがあります。
その後に古事記、日本書記だと。
途中で魏志倭人伝など中国史など絡むと更に混乱するとか、、、
あくまでも私の聞いた説を纏めたものです。
長々失礼しました。
アイコン変えたのですね。初めこんなチャンネル登録してたっけと思ってしまいました笑
横浜市と東京にまたがる地区(緑山スタジオ周辺)に奈良 三輪の地名があり遺跡が周辺にあります。ヤマトから移住した説や楢の木由来あります。(ナラが朝鮮語由来だとクニ、ナラ-スは縄文アイヌ語説もあります→横浜の奈良地区に高い山は無い)
遺跡から現地で焼いた瓦が使用されたり鉄(くろがね)町名から周辺が製鉄 鋳造だとあり技術者集落だったのでしょう。
バブルドラマ全盛期よく使われた田園都市線沿いは遺跡だらけ、センター北南開発で遺跡遺構潰されたそうです…
各地ある奈良地名、共通点あるかもしれませんね。
ありがとうございます😊
あの辺り、横穴墓がたくさんあるんですよね!
近くに大山と秦野もあるので今回の動画とも繋がっていくと思います😊
進撃さん!お返事ありがとうございます♪
秦野は養蚕 機織り…自治体公式でも秦氏由来説紹介していますね。
日本の絹は上質で金と共に諸外国へ。
シルクロード(学校ではオアシスロード?)は逆ルート説出てきています。
横浜線開通は長津田-東神奈川間でシルク線と呼ばれていたそうです。
日本最古の王国・出雲王国と、徐福2回渡来を歴史学者が認めない限り、奈良時代以前の古代史は永遠に「記紀」記述が通説のままとなるでしょう。
徐福に関しても古史古伝に関しても学会で認められる事はないと思うので、そこは気にせずに自分の感性を信じて考察を続けて行こうと思っています😊
四天王寺さんには秋分の日に極楽門から石鳥居に沈む夕日を拝む日相観というお勤めがありますが、もともとは反対側の朝日に祈る仕掛けだったのかもなんて思ってしまいました。仏教による浄土信仰で西方浄土へ思いをはせるようになったのかもですね。
古代においては四天王寺のある上町台地のすぐ西側は海だったようですし。
ロマンがありますねぇ。次回も楽しみにしております!
西側の海の向こうを、と言うのは大いにありそうですよね😊
レスを失例します。昼と夜が等しくなる日、満月の美しい日に月の昇りを迎えるイメージが湧きました。月の神を信仰するために。冬に向かっては月光は大切になりますし、長い旅をしてきた部族には月や星は何か意味があるのかもしれません。
ドキドキ❤
老生の朧げな予想をこの動画シリーズでは的確に明文化映像化されていてとても感激です。自分で調べ上げるのはサボって多くのことをこの動画主に託します。
「つき」=「着き」初めてやってきたところ。「なら」羅これから向かうところ:「ひ(日)・むかし(向)」=「東」
そもそも、富士山が日本一高い山と認識されたのはいつなのか?
確かに、キレイな形をした山ではあるけれど、それ以上の価値が認識されたのは
後世になってからなのではないだろうか?
普通は活火山の麓に都は作らないですよね・・😥
なるほどです〜😊
富士山と筑波山の話
蘇民将来の話と似てますね。
島田秀平の旅杯チャンネルで😅ムーの三上丈晴氏が出演して、系図的に継体天皇は秦氏だと解説していました。因みに三上姓も秦氏ですね😂富士山は呪物だそうです😱
富士山は呪物は言い得て妙だと思います😎
山体形象の歴史もそうだが
神社聖地は岩盤が基本ですね
新しい火山岩は軽石のようで岩盤でない
「ひ・なた」→「なた」→「なら」
古事記や日本書紀の時代は、まだ西日本を統一したばかりで、これから東日本に進出するという時期だから、富士山が出てこないのは、何の不思議もない。
遺伝子的にその話が成り立つのかどうか
という視点を取り入れていってほしいです。
ここからは更に複雑になって行くのでひとまず色んな情報を出して、出揃った所からまとめて行こうと思っています😊
その時点でDNAも絡めて整理する予定なので、まずは情報として一緒に見ていって頂けると幸いです🙇
富士山の麓に住んでます。
浅間神社出てくるのかな?
最後部分の修正です。
× 12代 垂仁天皇
◎ 11代
むっちゃん先生の、命がけのディスクロージャーだと、
● イエス=瓊瓊杵尊
● イエスの最初の妻 このはな咲くや姫ですが、
(後妻の玉依姫からの4男さんが、初代の神武天皇で、前のウガヤフキアエズ皇統の73代目 ラスト)
なので、イエスは 70代目だと思いますが、UFO内の試験菅ベイビーなので、
イエスは三つ子でした。人工授精って、三つ子になりやすいでしょ?。
木花咲くや姫は、イエスの言葉につまずいて、富士山に投身自殺しました
「たった一度の契りで、もう妊娠か?、別の男ではないのか?」←これで
● その後にも、ここ富士山に アヌンナキのアヌ王の二男エンリルの子供の3人娘が住んでいて、
長女 イナンナ世界女王と 江戸時代のUFO事件のウツさんが、双子で、
それらの妹が、このはな咲くや姫ですが、
↑
これらの3女の解放に、私は昨年の6月に 富士山の周囲135kmを徒歩で祈りながら回り、
世界の預言者が異口同音に、2023年の噴火を預言していましたが、
そのタイムラインを変えました。噴火なしで、年越え、しかし・・・
来年以降は、もう、止めきれません。噴火はあります。
イエスの路程は、聖書のヤコブ路程の相似形に加工して、捏造で古事記には掲載されていて、
ヤコブの場合には、ブスのレアと 美人妹のラケルとの婚姻でしたが、
イエス瓊瓊杵尊の妻は、富士王朝は南北の2王朝で、古事記では?
北から 岩永姫が嫁いだ風ですが、実際には?、岩永姫はイエスを断り、ふられた
古事記では?、断られた瓊瓊杵尊と人類は、長命になれなかった逸話ですが、
睦泰さんに依ると、
岩永姫は、普通に美人でしたが、イエスからの求婚を断り、大分県の豪族に嫁いだそうで、
富士王朝の南朝からの このはな咲くや姫がイエスに嫁ぐも、自殺になり、
日本では、ヤコブ路程(勝利者イスラエル化)とは いかなかったみたいです。
本来は、先にスサノオ勢力が日本に帰還したので、
ニギハヤヒが長男の扱いで、
瓊瓊杵尊が次男の扱いで、聖書のヤハウエになりすました悪魔のエンリルが、
次男なので、ここまではイエス皇統を優遇しましたが、
最後の この今の終末期には?、
救世主とは? この長男に運勢が逆転する意味なので、
ニギハヤヒの系譜、つまり 忌部氏か? 物部氏から、救世主 白い兄が出るのです。
イエスは救世主ではなく、単なる 日本に21年間留学していた、武力王です。
人類への、ひっかけ問題役ですね。
聖徳太子の三論宗 98年時 導士 白い兄こと 髙原義仁より
2024年9月3日㈫ 5:21 書き込み
・
すいません!
間違いのご指摘ありがとうございます🙏🙏
ナラだけでなく、ヤマトの語源も、中央アジアの弓月国から、秦氏が持ってきた、と考えれば、
現在普通に使われているヤマト王権とは、奈良盆地を中心として発展した王権ですが、
奈良盆地という場所である前に、秦氏が中心になって、天皇家を支えながら発展していった王権、ということにもなりますね。
この時代、富士山麓は日高見国で 蝦夷人が支配する地で大和人は まだまだ少数派だったのでは?
茨城だっけか?前方後円墳あったのでは?
南北朝のような状態だったのでしょう。
いつもありがとうございます。大月市が気になって地図を見たら「奈良子」「奈良子川」を見つけました。また「シロイハタ」という地名も。その3,4キロ圏内には「大山津見神」の祠もありました。…堀りがいがありそうなエリアですね♪
こちらこそありがとうございます😊
全国の奈良という地名を探してみるのもまた面白いかもしれませんね!
邪馬台国阿波説をとると、繋がるね。
成立時にはまだ敵地で存在すら知らなかったから。
香具夜姫は大年の娘説も有りますよね?
宮下文書謎大き存在、ひとまず宮下文書の解説だったのですね。ら
宮下文書は徐福が確か色んな人達から聞いたものをまとめたとされてますが、現存もせず
秦の始皇帝の時代
四国の応神天皇の時代
その末裔がかき集めて作ったものですよね?
そして噴火も平均60年
平均なので当然今の300年も含めて噴火は徐々に長くなり
昔は頻発してたと思われます
人世代に一回以上おきる地域に王朝ができたとは考えにくく
また、徐福と武内宿禰や
記紀での応神天皇が生まれる前の神功皇后の三韓征伐に謎が隠されているとも言われてます
それは
秦の始皇帝の呂不韋との繋がり「史記」より
その物語がとても似てるのかまた
この武内宿禰でこれを呂不韋とした場合の神功皇后との子が応神天皇
ウエフツミでも、秦の始皇帝が応神天皇
徐福とは秦の始皇帝自身だったかもしれませんし、一緒にいた同族で徐の一族として実際に一緒に来たのかもしれません。
富士山本当は不二山…とされ謎のままです
もちろんは霊山でしょうけどもし、徐福と一緒に来てたまたは徐福が秦の始皇帝ならば
紀元前200年ごろ
富士山のことは知らないというのが正しく思えてきます。
しかも写しで原本無し
共通項を探すと
秦の始皇帝は応神天皇
そして
月の神の一族の王素戔嗚
なのでかつての日本では珍しかった鉄の剣、これは秦の始皇帝の時期に中国では青銅だけではなく特別なものだったみたいですが作る技術はありました。
それが天叢雲剣
弥生時代の始まりははっきりしておらず、殷元これ倭国なり
からして
インド経由の釈迦や祇園精舎の牛頭天王から殷から日本の四国へ
これが出雲の中心として広まっていった、紀元前1000年付近からこれはクロスことカラスの民族でヤマトを目指したとあるようですが
ヤマトは現在の考察で四国だとおおむねうわさとして高まってきてますよね
つまり紀元前200年ごろ応神天皇となり武神となった
秦の始皇帝が誓をして
天皇を引き継ぎ応神天皇となった
竹内文書の著作は確か記紀には時間や場所が混ぜられてるという話があり
単純に年代を信じるよりも人の流れを追った方が迷いと思われます。
まつろわぬ神たちのための東征。
宮下文書での重要点
大山祇は月読の子(子孫とされていること)
大三島は賀茂氏陽と忌部氏陰の和合とも言われており
梅宮大社が社紋橘で大山祇からなのですがらなぜ木花咲耶姫が橘なのか?イワナガヒメなのでは無いか?
大山祇は日本総氏神、津島神社の日本全国の天王総本社、祭神素戔嗚
これで概ねわかりますよね
月の神の信仰、星の信仰のものたちは強かった
出雲は潰さずヤマト(神の民)を名乗った
導いたのは頭八咫烏
つまりクロスの同族
十字の一族は原始キリスト教
太陽神が最高神の月の神を信仰してた一族は、星の信仰の
カラスも素戔嗚も最高神だから太陽神
星の信仰の一族は宇宙の星々の信仰なので、遊牧では月を定住先は大洋を最高神としたが
実は太陽神は素戔嗚
すでに大化の改新から素戔嗚の系譜は隠され
大海だった天武天皇が据えられてアマテラス取らされた
つまり、本当の王家はこの頃より隠されており
明治天皇の時にすり替えられた
しかし、より暗号化され隠された
明治天皇は素戔嗚の血糖値と結びつき、その子孫は四国で隠された
明治以降の天皇の戦争はまかりの時代、そして今や権力や権威も奪われ、正直言って誰でも良いようになってしまっているように思います
これがらフリーメイソンの影
いつか復活させる為に隠し試練を与え帝王学を身につけたものが
現れる
隠されたのは
四国の西秦氏こと賀茂氏で陰陽道を極めた
陽の一族
八咫烏だから隠されてると推測
フリーメイソンと密接な関係があり守られていると思われます
推理考察都市伝説❤
九州の奈良は奴国の西端ですね?
阿波にも奈良という地名がありますね?
ヤマトの読みは?