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オールクロス、座席自動転換装置と先進的な設備を備え、阪急・国鉄を顔面蒼白にさせた名車でしたね。6300系・117系を造らせるきっかけになった、とも言えます。地上時代の鴨川べりを走る姿は、京都の街に似合っていました。地下化でその光景が失われた時は、本当に残念に思いました。
名鉄パノラマカーに内装が追いつき追い越した感じか
もうあの頃の京都ー大阪間は阪急、国鉄の対決になってて京阪は諦めてたんとちゃう?遠回りやしカーブ多いから圧倒的に不利やし、何より阪急京都線はもともと新京阪やったんやから
小学生の時に、是非とも乗ってみたかった京阪3000系に初めて乗った時は、嬉しさのあまり舞い上がったものです。ブルーリボン賞を受賞出来なかったことだけが残念でしたが、今度富山に行って久々に富山地鉄に移籍した同車両に乗ってみたいです。
富山地鉄に3000系トップナンバーいるよ!探してみてください!10031f
キングオブ京阪は今も初代3000系ですね!!京阪もそれが解っているからさんぜん広場というものを作ったのだと思う
京阪時代によく見たり乗ったりした3000系...半年前に富山に行ったときにその姿を見ようと駅員さんに聞くと、老朽化で三両のうちのダブルデッカーは抜いて車庫に留置してあると言っていました。先頭車の二両は京阪色で走っているのですが、数年前にも富山に行ったときはまだダブルデッカーも走っていましたので、少し寂しさがあります...ダブルデッカー車は電鉄富山駅の隣の稲荷町駅に併設されている車庫に止まっていて、京阪時代や数年前の思い出がよみがえりました素晴らしい動画ありがとうございました
まぁ平屋の車両を無理矢理改造してダブルデッカーにした上、足回りも標準軌から狭軌に変更しているのであまり長持ちはしないだろうと思ってたが…
京阪特急の輝かしい歴史を形作った名車でしたね。3000系の機器が8000系に受け継がれていたとは知りませんでした。テレビのアンテナ設置の苦労もよく分かりました。地上の頃の三条駅の写真も懐かしいです。急行を降りる際特急の車両を通り抜けて行くのが不思議なものでした。
去年、富山地鉄に乗ってこの懐かしの京阪3000系乗ったよ。内装はかなりボロボロになってたけど、ええ味出してたわ。
それ、通算7代目の8000系を増備で最初に富山地鉄へ送った、2両編成6本の事だと思う。県内の輸送事情も在って、通勤使用でも転換クロスシートで十分だと。第2弾の「ダブルデッカー・エキスプレス」は、特急運用重きで使われていると思う。
一回だけながら。ヲタ席から、淀屋橋~鴨川土手を通り当時の終点三条までまさに 5:45 からの前面展望を楽しめたのは、今ここまで風景も車両も一変したことを思うといい機会でした。京阪3000系、阪急2000/2300系、国鉄キハ82系は、貫通型車両の3大美顔デザインと思う。
同感、私ならあと南海10000系、サザンのホロ付顔ですね。前パンタもあり完璧。
12:40 この構図は、対岸の阪急京都線でも発生していた。同時期に京都線特急増発による不足分を2800系増備ではなく、新車・6300系の導入で補完した結果、予想以上の大好評だったために6300系を増備して全車を置き換えることになった。それも、中間車増備により2800系全編成を8両化して僅か3年後のことだったのも事情がよく似ていた。
ダブルデッカー改造車は、まず浴槽のような形状の階下部分を車輌台枠下部に取り付け、車体の歪が出ないように特殊な治具で固定しておいてから、1階部分構築の邪魔になる既存の床面や、上部の不要な構造物を撤去して新たに2階部分を構築したと聞いたことがあります。当時雑誌で『バスタブ構造』と呼ぼれていたような。この時の改造データは、のちに8000系ダブルデッカー建造時に生かされることになります。
バスタブ構造そのものは JR東日本のダブルデッカーグリーン車🍀で先例がありましたが それを(鋼製車体とはいえ)自社『寝屋川工場』で施工した事や 完成後もトラブルなく運行出来た事そのノウハウを川重に提供した事も含めて やはり『技術の京阪』の健在振りを見た思いです。最近は『プレミアムカー』も連結されて 『ゴージャスな京阪特急』のイメージも維持していますね。
1971年3月に京阪入社から、7月に旧3000系がデビューし、また淀屋橋駅等の発車が、ベル音からメロディー(フィガロの結婚)に変わりる。私の車掌時代は、昭和50〜54年の約4年半程度でしたが、特急以外での1900系は数多くありますが、特急と言えば全て3000系でした。特急から普通まで、夜8時からは分割から3両で運転までの運用される。ライバル阪急2800(阪急運転士から不評)や6300系でも京阪3000系に勝てず、京阪3000系は戦闘機零戦の様に万能的な働きを示しました。今の8000系の台車の多くは…旧3000系からの流用品で、歴史的に京阪を支えています。
阪急2800系特急は長時間停車駅がないので2ハンドルーはきついと運転手さんから不評をいただいていたと聞きました。
京阪(旧)守口工場・(現)寝屋川工場は、下手な車両メーカーよりも自製能力が高いので、要求に沿うものはだいたい製作できます😤最近では10000系、過去には2600系の一部の新造車両や、現在入換機械としてつかっている70形などを製作した実績がありますね。そういえば70形は1500V昇圧にともなって機器を一新するのではなく、大型の電動発電機(MG)で発生させた電力で動いていますね。
2600系は全131両中103両が廃車となった2000系の車体や台車を再利用し、さらに後に6000系に採用される新製の界磁位相制御装置等を組み合わせた上で冷房化し、自社の寝屋川工場で製造されています(残り28両は川重製)。また大津線では石山坂本線に在籍している600形車両の全20両中12両が車体だけ還暦越えで活躍しています(こちらは自社の錦織工場製)。
@@rhscm989 2000系の代替新造の2600系は、車内の製造は「京阪電鉄寝屋川工場」と記してましたがその中でも2200系からの移籍組もあって、中々なカオスっぷりでした。1981年新造の2600系30番台は現在に至るまで塗装変更以外何も改造が施されてないようですが、どうなるんでしょうね。でも製造して2200系に挿入された2600系30番台と同じ仕様の付随車2380形(1985年製)が早々に廃車されたのはちょっと痛かったかも。(元々京阪沿線に住んでましたので大体の事は知っていますが)
14:35まかいぞう つくるで keihan で笑ったw
天皇賞や菊花賞勝った時は、淀→四条(祇園四条)で飲食いして→京橋までこれに乗ったものです。七条~京橋ノンストップで、たまにトイレがヤバい時もあったけど…楽しい時間でした(笑)
京阪が600Vだったのは京都市電と平面交差していた事情があります。そのため、京阪は600Vで運行していたのです。ですが、1978年(昭和53)年に京都市電が廃止されたことにより、その障害がなくなりました。それで京阪は1500Vへの昇圧に移行できたのです。
京阪電気鉄道が、渋沢栄一翁を中心とした実業家達の手で創立されて京阪本線第1期の工事認可を当局へ申請した当時は、国鉄と同じく「鉄道事業免許」を得る時にはあまりにも条件が厳しく、民間企業では最初から電化での申請すら困難だった事情が。南海電気鉄道ですら、最初は蒸気機関車による客車列車でしか認可が下りず。だから、先行した阪神電気鉄道も箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の直系母体)もそうだが、京阪電気鉄道も「軌道条例(後の軌道法)」で申請せざるを得なかった。それに、直流600Vしか当時の技術では電車を走らせられなかった事情も。日本で、直流1500Vでの電車運転を始めたのは後のJR東日本山手線が確か最初だったか。
国鉄、阪急と鎬を削ってた時代の名残りで3000系は当時の最先端技術が注ぎ込まれていたんですね😊
@@fumiya218 様牧野駅三条方は穂谷川越えの下り坂でセクション(架線切り替え)が有り、初代3000系はサイリスタ界磁位相制御の定速制御で回生ブレーキが掛かるので、よくスパークしていたのを思い出します。
走る窓から眺めたら ローラーコースター雲の上春はバラ色 枚方の秋は嬉しい 菊人形淀屋橋から三条へ
この列車にはホンマにお世話になりました😊京橋から七条間、好きやったけど途中で寝てまいますね😊
サムネは枚方市駅地上時代でしょうか。懐かしいですね。当時は枚方市駅は通過でした。樟葉駅で急行が特急待避、枚方市駅で普通が特急待避、香里園駅では普通が急行と緩急接続というパターンでした。
富山県民の鉄オタです。元京阪3000系、当初はダブルデッカーを中間車にした3両で走ってましたが、近年になりダブルデッカーは外され、先頭車のみの2両編成で特急列車運用に入ることもほとんどありません。
初代3000系今もおったらプレミアムカー繋げてたんやろな
実際新塗装化一歩手前まで行ってたらしい
3000系初代は大好きな車両でした。
8:10- 「かわはらちょう」はさすがに可笑しいですね
2012年にはクリスマスエクスプレスとして、樟葉→中之島の臨時特急が運行されましたね。中之島駅到着後、車内でグッズ販売がありましたけど、コンコースから車内までの行列は凄まじかったです。
旧3000系ダブルデッカー車は0から構体を新造した2階建部と依然として昭和レトロ感の残る車端部の世代間格差が歴然としていましたもんね。私はこの旧3000系のラストランに参加させて頂きました。初代📺TVカー📡1800系のデビューした昭和30年頃としては超画期的だった📺も、今日(こんにち)は家庭に普及しており、音は聞こえないし、🚇地下では📡受信出来ない…これじゃ時代錯誤感が否めなかったのでしょう……にしても、8000系デビュー時に旧3000系に8000系中間車が組み込まれたその姿は、現在13000系に新3000系余剰車が組み込まれたあの姿にそっくり🤭
♪淀屋橋から三条へ〜スピードで『阪急』には負けてたけど サービスやゴージャスさでは勝ってましたね。京阪流『定速制御』はクルマの『クルーズコントロール』と同じで あの時代で実現していたのはやはり『技術の京阪』ならではでしたね。後の『ダブルデッカー魔改造』も やはり『技術の京阪』らしさ。いつか『京成 AE100形』や『小田急 20000形』もやっていただけたらと思います🙇
一時期京阪は車輌性能の均一化が進んでいて旧型車はどの車両でも問題なく連結できたので、ある有名な口の悪い京阪ファンからは、『京阪ガラクタ編成』・『京阪チンドコ編成』と呼んだそうで、これを聞いた会社側は『標準化編成』と猛烈に反論したそうです。そういえば思い出しましたが一時期、普通車格下げ後の1900系に2600系を編成中に組み込んだ編成がありましたね。三つ子の魂百までですね~🤣
『技術の京阪』といえば、日本で最初に『シングルアーム式パンタブラフ』を試用したのも京阪でしたね🫡
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さま空気ばね台車(KS-50)を 最初に実用化したのも『京阪』でしたね。技術に関しては『西の京阪 東の東急・営団』のイメージですが 旧型車を制限なく何でも連結しちゃうところや 優れた技術を持つ 自社車両工場を持っている所は『西武』的でもありました。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN おフランスのシングルアームパンタでしたね。お試しで使ったけど直ぐ元に戻されたとか。
@@toriri-service 石山坂本線の600系700系は旧車の車体に当時は空気ブレーキだったのが今や、電気指令式ブレーキ、レシプロ式小型コンプレッサを備えた「別物」になりましたね。その礎は大津線高性能化に寄与した500系が元祖でしたが、冷房化されずに廃車。もう廃車のカウントダウンの域に入った80系を冷房搭載の為にダクトを通したため屋根が盛り上がりパンタグラフの櫓が外されKマークを付けて、吊り掛け(ノーズサスペンション)駆動のまま京都市営地下鉄東西線開通まで碓氷峠に匹敵する蹴上~九条山の急こう配をモーターをガンガンに唸らせて走ってました。
叡山電鉄のひだまり号に乗りに行った時、引退の前日か1週間前の土曜日でした…懐かしい。
殆ど知らない事だった。勉強になった。
京阪の苦労は京都市電の巻き添えで昇圧と編成数の増加できなかったから可哀想な立場ではあったんだよね。京都市電の廃止でようやく解決したけどな。
3000系が登場した当時は、2400系に冷房装置が搭載されていました。そのため急行や普通運用の2400系に冷房装置があり、特急運用の1900系に冷房装置がないという現象が起きました。一般車運用に100%冷房運用がない時期でも特急運用に100%冷房運用がない状況が問題視されていました。さらに並行する阪急2800系も冷房改造が行われて、国鉄も冷房装置が搭載されている153系を新快速に充当するなどのサービスが行われていたのです。なので京阪としてもそれに対抗せざるを得なかったという事ですね。
阪急沿線民だから京都へ行く時は阪急を使っていたけど、6300系は窓の位置が高くて窓框に肘が置きにくくて嫌だった。他は全部良かったから余計に気になったのかもしれないけど、京阪3000系はそこはバッチリだったから良かったな。2階建て車が出て来てからは、わざわざ遠回りして京阪を使ったりもしたなぁ。
ありがとうございます
まぁ1900系の特急時代に乗った人ですゆえ、この車両も非常にお世話になりました。「まかいぞうつくるで」は笑ったw沿線民としてそれに慣れ過ぎて、例えば103系の3000番台の話も普通に受け入れたりできますw(京阪の戦前製の1000系のお話知れば、ねw その成れの果てがまだいるからねwww)
富山地方鉄道の10030系として、短編成で活躍中です!?ダブルデッカーエクスプレスは、京阪特急色ですが、それ以外は、富山地方鉄道色です。座席が、京阪特急時代の流用なので、良いです。
この車両は地鉄で乗りました
15:45急に(音声だけ)淀屋橋延伸の話になっとる
600V時代の京阪電気鉄道を代表する3000系、長きに渡り特急運用を担い、さらに1500V昇圧後も8000系と共に特急運用を担い、さらに後年には二階建て車両を組み込んで8000系の一部となり、特急運用を担った京阪電気鉄道を代表する名車、
なるほどアンテナが2本設置して切り替えたのか。幼少の頃から送信所の相対位置変わるのに映像乱れないのは何故だ?と思っていたけど。
3000系は何百回と見てるんですけど家が沿線なので今でこそ樟葉から特急乗ってますがほぼ3000系って乗った事が無いですね😢
8:13河原町→「かわはらちょう」ではなく,「かわらまち」ですよ。追記:追真の匠さんの動画はわかりやすいんだよなぁ
こんちは!今日は3000系お疲れ様でした。3000系は2M1Tで600Vのハンデイをくつがえし複巻モーターで速度範囲が広く起動加速こそ2km/h/s程度ですが100km/hでも1km/h/sの加速力がある俊足車です。50秒台で到達します。1900系併結ではデチューンでしたね。私の動画は今回近鉄800系のこと解説させていただいてます。よろしくご覧ください。(*^^*)
@@xyossiytrain 様高速域でも再加速の性能は半端無かったですね。初代3000系は高加速スイッチが有って常に切状態で、低加速がデフォルトでした。
@@やすおな さん、素晴らしい性能でしたね。(*^^*)
15:19急制動でぶっ飛んで行きそう
幼少期は京都に住んでたので3000系にはお世話になったなぁ(´;ω;`)
その3000系も8000系の人気に早々に一編成除いて手放すことになりましたね。富山地鉄と大井川鉄道に引き取られて大事にされたからまだよかったけど
オッサンだから京阪オリジナルと富山地方鉄道の両方乗った😁
ガキの頃、関西ブルトレにヘッドマークが復活したのと、EF58のお座敷きのくにが走るっちゅうて大阪駅と天王寺駅に同級生と撮りに行き、帰りの3000系の車内のテレビでロサンゼルスオリンピックの閉幕式を見たのがめちゃくちゃ思い出やわ一時期門真に住んでたけど遅くに寝屋川車庫に入庫する特急編成が萱島行きの各停になってて3000系やったら迷わず乗ったなぁ隣の列車が1900系やったらちょっと迷ったけどw
7:50 からのbgmは何ですか?
ダブルデッカーエキスプレスは2021年10月に稲荷町の踏切待ち時間で南富山方面へ行く姿を見て以来見かけていませんね。地鉄特急の本格的運行復活を願います。ただでさえ少ない特急がまた消えました。
富山地鉄と,大井川鐵道にもいなかったっけ?(間違っていたらすいません)
富山地方鉄道は、かぼちゃ電車の愛称で走ってます、ダブルデッカー車も居ます、大井川電鉄は、残念ながら、引退して、ボロボロの状態で留置されてます。
3000系に6両と7両が混在していたのはそのような理由があったのか。
「男山付近を通過すると映らなくなるテレビカー」と思ってたけどアンテナの向きを切り替えるタイミングの場所だったのかな
富山地方鉄道のタブルデッカーエクスプレスの2階建て車両は外されて走ってます。
京阪と南海の乗車体験がなかったのハ残念首都圏ニハない豪華さデ差をつけられた
塗装が同じ1900系、3000系、8000系を見分ける京阪沿線民の洞察力はどうなってるんだか
富山地鉄に行った時こいつが走っててマジでビビった大阪府民です
5:39 京阪と松下電機との関りについて言及する箇所、「癒着」は言葉のチョイスとしていかがなものかと思う。
初代3000系は、慣例では電動台車が川崎車輛、付随台車が住友金属だったのが、何故か電動台車が住友金属、付随台車が川崎車輛になりました。軸バネのストロークが長い円筒案内式は電動台車で、軸バネのストロークが短い側梁緩衝ゴム式は付随台車で使用するべきで、京阪電鉄の失敗だと思っています。慣例通り電動台車が川崎車輛、付随台車が住友金属であれば評価はもっと上がったかも知れません。付随台車の評価が高かったので初代3000系引退後は付随台車は2600系30番代付随台車に再用されました。
1次車の付随台車は正確には汽車会社製ks-132(最もこの時は川崎重工の傘下になってましたが)2次車が川崎重工ks-132A。汽車会社が川崎重工に合併された後、円筒案内式はオイルを使わない乾式となって京阪6000型初期の電動台車、西鉄の5000型の一部、山陽の3000、5000型の一部、北総開発7000、住都公団9100、京急2000型以降(三代目600型を除く)に採用されました。現在では京急がこの流れを汲む円筒案内式を多く使用してます(京急は前身の湘南デ1から現在まで川崎車両・重工からの納入があり、大正の終わりから昭和戦前期は汽車会社からの納入が多く、住友金属の台車は採用された事がありません)
@@犬勘太 様ご返信及びご教示下さいまして有難う御座います。結構幅広く円筒案内式台車は使用されましたが、京阪6000系6012Fを皮切りに短腕軸梁式へ移行する中で京急は一部を除いて円筒案内式を死守していますね。確かに円筒案内式は乗り心地が良く、短腕軸梁式はビビリ振動が有るのです。京急と同じく電気機器を三菱、東洋電機と使い分けいる京成は住友金属を使用しているのが面白いです。もっと面白いのは電動台車を川崎重工、付随台車を住友金属で使い分けているおけいはんですが。
京阪3000系良き迫真の匠最高
富山地方鉄道10030形「あれ?おれどこの会社の車両だっけ? たしか京阪だったような...まいっか。」
誤:かわはらちょう 正:かわらまち。
川重
楠葉に住んでて、テレビカー一度乗りましたが、映りはボロボロ。ガッカリした記憶があるなぁ。
特急が樟葉駅に停まる様になった時には初代3000系も車齢を重ねて、8000系に取って代わられていましたからね。しかも、京都方面も大阪方面も市街地に近づくと地下に入るから余計に写りが悪くなるんですよね。
私も樟葉在住の頃がありました。特急が京橋から七条までノンストップだった頃は途中駅利用の方にとってはある意味恨めしいものでしたね。混雑する急行を後目に悠々と、しかもほとんど立つ人もなく快適な転換クロスシートの3000系が追い抜いていくのはいつも眼にする光景でした。それだけ阪急や国鉄とのバトルが凄まじかったこともあるのですが。
そもそも七条以北で地上を走ってたヤツが少ないやろな。
冷房化されたりシートの一斉転換装置が付いたとはいえ、外観や室内については1900系のマイナーチェンジの域は脱していない感じがする。
テレビカー、流してる番組がNHKの国会討論か囲碁しか流してないから観る価値殆どなかったわw
在阪民放局の一般番組やNHKの大相撲中継等も実際に流していましたよ。
阪急の2800けいは良かったうーん京阪はテレビカーが良かった
阪急の駅はかわはらちょうでなくかわらまちです
オールクロス、座席自動転換装置と先進的な設備を備え、阪急・国鉄を顔面蒼白にさせた名車でしたね。6300系・117系を造らせるきっかけになった、とも言えます。
地上時代の鴨川べりを走る姿は、京都の街に似合っていました。地下化でその光景が失われた時は、本当に残念に思いました。
名鉄パノラマカーに内装が追いつき追い越した感じか
もうあの頃の京都ー大阪間は阪急、国鉄の対決になってて京阪は諦めてたんとちゃう?遠回りやしカーブ多いから圧倒的に不利やし、何より阪急京都線はもともと新京阪やったんやから
小学生の時に、是非とも乗ってみたかった京阪3000系に初めて乗った時は、嬉しさのあまり舞い上がったものです。ブルーリボン賞を受賞出来なかったことだけが残念でしたが、今度富山に行って久々に富山地鉄に移籍した同車両に乗ってみたいです。
富山地鉄に3000系トップナンバーいるよ!
探してみてください!10031f
キングオブ京阪は今も初代3000系ですね!!京阪もそれが解っているからさんぜん広場というものを作ったのだと思う
京阪時代によく見たり乗ったりした3000系...
半年前に富山に行ったときにその姿を見ようと駅員さんに聞くと、老朽化で三両のうちのダブルデッカーは抜いて車庫に留置してあると言っていました。
先頭車の二両は京阪色で走っているのですが、数年前にも富山に行ったときはまだダブルデッカーも走っていましたので、少し寂しさがあります...
ダブルデッカー車は電鉄富山駅の隣の稲荷町駅に併設されている車庫に止まっていて、京阪時代や数年前の思い出がよみがえりました
素晴らしい動画ありがとうございました
まぁ平屋の車両を無理矢理改造してダブルデッカーにした上、足回りも標準軌から狭軌に変更しているのであまり長持ちはしないだろうと思ってたが…
京阪特急の輝かしい歴史を形作った名車でしたね。3000系の機器が8000系に受け継がれていたとは知りませんでした。
テレビのアンテナ設置の苦労もよく分かりました。
地上の頃の三条駅の写真も懐かしいです。急行を降りる際特急の車両を通り抜けて行くのが不思議なものでした。
去年、富山地鉄に乗ってこの懐かしの京阪3000系乗ったよ。内装はかなりボロボロになってたけど、ええ味出してたわ。
それ、通算7代目の8000系を増備で最初に富山地鉄へ送った、2両編成6本の事だと思う。
県内の輸送事情も在って、通勤使用でも転換クロスシートで十分だと。
第2弾の「ダブルデッカー・エキスプレス」は、特急運用重きで使われていると思う。
一回だけながら。ヲタ席から、淀屋橋~鴨川土手を通り当時の終点三条までまさに 5:45 からの
前面展望を楽しめたのは、今ここまで風景も車両も一変したことを思うといい機会でした。
京阪3000系、阪急2000/2300系、国鉄キハ82系は、貫通型車両の3大美顔デザインと思う。
同感、私ならあと南海10000系、サザンのホロ付顔ですね。前パンタもあり完璧。
12:40 この構図は、対岸の阪急京都線でも発生していた。
同時期に京都線特急増発による不足分を2800系増備ではなく、新車・6300系の導入で補完した結果、予想以上の大好評だったために6300系を増備して全車を置き換えることになった。
それも、中間車増備により2800系全編成を8両化して僅か3年後のことだったのも事情がよく似ていた。
ダブルデッカー改造車は、まず浴槽のような形状の階下部分を車輌台枠下部に取り付け、車体の歪が出ないように特殊な治具で固定しておいてから、1階部分構築の邪魔になる既存の床面や、上部の不要な構造物を撤去して新たに2階部分を構築したと聞いたことがあります。当時雑誌で『バスタブ構造』と呼ぼれていたような。
この時の改造データは、のちに8000系ダブルデッカー建造時に生かされることになります。
バスタブ構造そのものは JR東日本のダブルデッカーグリーン車🍀で先例がありましたが それを(鋼製車体とはいえ)自社『寝屋川工場』で施工した事や 完成後もトラブルなく運行出来た事
そのノウハウを川重に提供した事も含めて やはり『技術の京阪』の健在振りを見た思いです。
最近は『プレミアムカー』も連結されて 『ゴージャスな京阪特急』のイメージも維持していますね。
1971年3月に京阪入社から、
7月に旧3000系がデビューし、
また淀屋橋駅等の発車が、
ベル音からメロディー
(フィガロの結婚)に変わりる。
私の車掌時代は、昭和50〜54年の約4年半程度でしたが、
特急以外での1900系は数多くありますが、
特急と言えば全て3000系でした。
特急から普通まで、
夜8時からは分割から3両で運転までの運用される。
ライバル阪急2800(阪急運転士から不評)や6300系でも
京阪3000系に勝てず、
京阪3000系は戦闘機零戦の様に
万能的な働きを示しました。
今の8000系の台車の多くは…
旧3000系からの流用品で、
歴史的に京阪を支えています。
阪急2800系特急は長時間停車駅がないので2ハンドルーはきついと運転手さんから不評をいただいていたと聞きました。
京阪(旧)守口工場・(現)寝屋川工場は、下手な車両メーカーよりも自製能力が高いので、要求に沿うものはだいたい製作できます😤
最近では10000系、過去には2600系の一部の新造車両や、現在入換機械としてつかっている70形などを製作した実績がありますね。
そういえば70形は1500V昇圧にともなって機器を一新するのではなく、大型の電動発電機(MG)で発生させた電力で動いていますね。
2600系は全131両中103両が廃車となった2000系の車体や台車を再利用し、さらに後に6000系に採用される新製の界磁位相制御装置等を組み合わせた上で冷房化し、自社の寝屋川工場で製造されています(残り28両は川重製)。
また大津線では石山坂本線に在籍している600形車両の全20両中12両が車体だけ還暦越えで活躍しています(こちらは自社の錦織工場製)。
@@rhscm989 2000系の代替新造の2600系は、車内の製造は「京阪電鉄寝屋川工場」と記してましたがその中でも2200系からの移籍組もあって、中々なカオスっぷりでした。1981年新造の2600系30番台は現在に至るまで塗装変更以外何も改造が施されてないようですが、どうなるんでしょうね。でも製造して2200系に挿入された2600系30番台と同じ仕様の付随車2380形(1985年製)が早々に廃車されたのはちょっと痛かったかも。(元々京阪沿線に住んでましたので大体の事は知っていますが)
14:35
まかいぞう つくるで keihan で笑ったw
天皇賞や菊花賞勝った時は、
淀→四条(祇園四条)で飲食いして→京橋までこれに乗ったものです。
七条~京橋ノンストップで、たまにトイレがヤバい時もあったけど…楽しい時間でした(笑)
京阪が600Vだったのは京都市電と平面交差していた事情があります。
そのため、京阪は600Vで運行していたのです。
ですが、1978年(昭和53)年に京都市電が廃止されたことにより、その障害がなくなりました。
それで京阪は1500Vへの昇圧に移行できたのです。
京阪電気鉄道が、渋沢栄一翁を中心とした実業家達の手で創立されて京阪本線第1期の工事認可を当局へ申請した当時は、国鉄と同じく「鉄道事業免許」を得る時にはあまりにも条件が厳しく、民間企業では最初から電化での申請すら困難だった事情が。
南海電気鉄道ですら、最初は蒸気機関車による客車列車でしか認可が下りず。
だから、先行した阪神電気鉄道も箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の直系母体)もそうだが、京阪電気鉄道も「軌道条例(後の軌道法)」で申請せざるを得なかった。
それに、直流600Vしか当時の技術では電車を走らせられなかった事情も。
日本で、直流1500Vでの電車運転を始めたのは後のJR東日本山手線が確か最初だったか。
国鉄、阪急と鎬を削ってた時代の名残りで3000系は当時の最先端技術が注ぎ込まれていたんですね😊
@@fumiya218 様
牧野駅三条方は穂谷川越えの下り坂でセクション(架線切り替え)が有り、初代3000系はサイリスタ界磁位相制御の定速制御で回生ブレーキが掛かるので、よくスパークしていたのを思い出します。
走る窓から眺めたら ローラーコースター雲の上
春はバラ色 枚方の
秋は嬉しい 菊人形
淀屋橋から三条へ
この列車にはホンマにお世話になりました😊京橋から七条間、好きやったけど途中で寝てまいますね😊
サムネは枚方市駅地上時代でしょうか。懐かしいですね。当時は枚方市駅は通過でした。樟葉駅で急行が特急待避、枚方市駅で普通が特急待避、香里園駅では普通が急行と緩急接続というパターンでした。
富山県民の鉄オタです。
元京阪3000系、当初はダブルデッカーを中間車にした3両で走ってましたが、近年になりダブルデッカーは外され、先頭車のみの2両編成で特急列車運用に入ることもほとんどありません。
初代3000系今もおったらプレミアムカー繋げてたんやろな
実際新塗装化一歩手前まで行ってたらしい
3000系初代は大好きな車両でした。
8:10- 「かわはらちょう」はさすがに可笑しいですね
2012年にはクリスマスエクスプレスとして、樟葉→中之島の臨時特急が運行されましたね。
中之島駅到着後、車内でグッズ販売がありましたけど、コンコースから車内までの行列は凄まじかったです。
旧3000系ダブルデッカー車は0から構体を新造した2階建部と依然として昭和レトロ感の残る車端部の世代間格差が歴然としていましたもんね。私はこの旧3000系のラストランに参加させて頂きました。初代📺TVカー📡1800系のデビューした昭和30年頃としては超画期的だった📺も、今日(こんにち)は家庭に普及しており、音は聞こえないし、🚇地下では📡受信出来ない…これじゃ時代錯誤感が否めなかったのでしょう…
…にしても、8000系デビュー時に旧3000系に8000系中間車が組み込まれたその姿は、現在13000系に新3000系余剰車が組み込まれたあの姿にそっくり🤭
♪淀屋橋から三条へ〜
スピードで『阪急』には負けてたけど サービスやゴージャスさでは勝ってましたね。
京阪流『定速制御』はクルマの『クルーズコントロール』と同じで あの時代で実現していたのはやはり『技術の京阪』ならではでしたね。
後の『ダブルデッカー魔改造』も やはり『技術の京阪』らしさ。
いつか『京成 AE100形』や『小田急 20000形』もやっていただけたらと思います🙇
一時期京阪は車輌性能の均一化が進んでいて旧型車はどの車両でも問題なく連結できたので、ある有名な口の悪い京阪ファンからは、『京阪ガラクタ編成』・『京阪チンドコ編成』と呼んだそうで、これを聞いた会社側は『標準化編成』と猛烈に反論したそうです。
そういえば思い出しましたが一時期、普通車格下げ後の1900系に2600系を編成中に組み込んだ編成がありましたね。三つ子の魂百までですね~🤣
『技術の京阪』といえば、日本で最初に『シングルアーム式パンタブラフ』を試用したのも京阪でしたね🫡
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さま
空気ばね台車(KS-50)を 最初に実用化したのも『京阪』でしたね。
技術に関しては『西の京阪 東の東急・営団』のイメージですが 旧型車を制限なく何でも連結しちゃうところや 優れた技術を持つ 自社車両工場を持っている所は『西武』的でもありました。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN おフランスのシングルアームパンタでしたね。お試しで使ったけど直ぐ元に戻されたとか。
@@toriri-service 石山坂本線の600系700系は旧車の車体に当時は空気ブレーキだったのが今や、電気指令式ブレーキ、レシプロ式小型コンプレッサを備えた「別物」になりましたね。その礎は大津線高性能化に寄与した500系が元祖でしたが、冷房化されずに廃車。もう廃車のカウントダウンの域に入った80系を冷房搭載の為にダクトを通したため屋根が盛り上がり
パンタグラフの櫓が外されKマークを付けて、吊り掛け(ノーズサスペンション)駆動のまま京都市営地下鉄東西線開通まで碓氷峠に匹敵する蹴上~九条山の急こう配をモーターをガンガンに唸らせて走ってました。
叡山電鉄のひだまり号に乗りに行った時、引退の前日か1週間前の土曜日でした…懐かしい。
殆ど知らない事だった。勉強になった。
京阪の苦労は京都市電の巻き添えで昇圧と編成数の増加できなかったから可哀想な立場ではあったんだよね。京都市電の廃止でようやく解決したけどな。
3000系が登場した当時は、2400系に冷房装置が搭載されていました。
そのため急行や普通運用の2400系に冷房装置があり、特急運用の1900系に冷房装置がないという現象が起きました。
一般車運用に100%冷房運用がない時期でも特急運用に100%冷房運用がない状況が問題視されていました。
さらに並行する阪急2800系も冷房改造が行われて、国鉄も冷房装置が搭載されている153系を新快速に充当するなどのサービスが行われていたのです。
なので京阪としてもそれに対抗せざるを得なかったという事ですね。
阪急沿線民だから京都へ行く時は阪急を使っていたけど、6300系は窓の位置が高くて窓框に肘が置きにくくて嫌だった。他は全部良かったから余計に気になったのかもしれないけど、京阪3000系はそこはバッチリだったから良かったな。2階建て車が出て来てからは、わざわざ遠回りして京阪を使ったりもしたなぁ。
ありがとうございます
まぁ1900系の特急時代に乗った人ですゆえ、この車両も非常にお世話になりました。
「まかいぞうつくるで」は笑ったw
沿線民としてそれに慣れ過ぎて、例えば103系の3000番台の話も普通に受け入れたりできますw
(京阪の戦前製の1000系のお話知れば、ねw その成れの果てがまだいるからねwww)
富山地方鉄道の10030系として、短編成で活躍中です!?
ダブルデッカーエクスプレスは、京阪特急色ですが、それ以外は、富山地方鉄道色です。
座席が、京阪特急時代の流用なので、良いです。
この車両は地鉄で乗りました
15:45
急に(音声だけ)淀屋橋延伸の話になっとる
600V時代の京阪電気鉄道を代表する3000系、長きに渡り特急運用を担い、さらに1500V昇圧後も8000系と共に特急運用を担い、さらに後年には二階建て車両を組み込んで8000系の一部となり、特急運用を担った京阪電気鉄道を代表する名車、
なるほどアンテナが2本設置して切り替えたのか。
幼少の頃から送信所の相対位置変わるのに映像乱れないのは何故だ?と思っていたけど。
3000系は何百回と見てるんですけど家が沿線なので今でこそ樟葉から特急乗ってますがほぼ3000系って乗った事が無いですね😢
8:13
河原町→「かわはらちょう」ではなく,「かわらまち」ですよ。
追記:追真の匠さんの動画はわかりやすいんだよなぁ
こんちは!今日は3000系お疲れ様でした。3000系は2M1Tで600Vのハンデイをくつがえし複巻モーターで速度範囲が広く起動加速こそ2km/h/s程度ですが100km/hでも1km/h/sの加速力がある俊足車です。50秒台で到達します。1900系併結ではデチューンでしたね。私の動画は今回近鉄800系のこと解説させていただいてます。よろしくご覧ください。(*^^*)
@@xyossiytrain 様
高速域でも再加速の性能は半端無かったですね。初代3000系は高加速スイッチが有って常に切状態で、低加速がデフォルトでした。
@@やすおな さん、素晴らしい性能でしたね。(*^^*)
15:19
急制動でぶっ飛んで行きそう
幼少期は京都に住んでたので
3000系にはお世話になったなぁ(´;ω;`)
その3000系も8000系の人気に早々に一編成除いて手放すことになりましたね。
富山地鉄と大井川鉄道に引き取られて大事にされたからまだよかったけど
オッサンだから京阪オリジナルと富山地方鉄道の両方乗った😁
ガキの頃、関西ブルトレにヘッドマークが復活したのと、EF58のお座敷きのくにが走るっちゅうて
大阪駅と天王寺駅に同級生と撮りに行き、帰りの3000系の車内のテレビでロサンゼルスオリンピックの閉幕式を見たのがめちゃくちゃ思い出やわ
一時期門真に住んでたけど
遅くに寝屋川車庫に入庫する特急編成が萱島行きの各停になってて3000系やったら迷わず乗ったなぁ
隣の列車が1900系やったらちょっと迷ったけどw
7:50 からのbgmは何ですか?
ダブルデッカーエキスプレスは2021年10月に稲荷町の踏切待ち時間で南富山方面へ行く姿を見て以来見かけていませんね。
地鉄特急の本格的運行復活を願います。
ただでさえ少ない特急がまた消えました。
富山地鉄と,大井川鐵道にもいなかったっけ?(間違っていたらすいません)
富山地方鉄道は、かぼちゃ電車の愛称で走ってます、ダブルデッカー車も居ます、大井川電鉄は、残念ながら、引退して、ボロボロの状態で留置されてます。
3000系に6両と7両が混在していたのはそのような理由があったのか。
「男山付近を通過すると映らなくなるテレビカー」と思ってたけどアンテナの向きを切り替えるタイミングの場所だったのかな
富山地方鉄道の
タブルデッカーエクスプレスの2階建て車両は外されて走ってます。
京阪と南海の乗車体験がなかったのハ残念
首都圏ニハない豪華さデ差をつけられた
塗装が同じ1900系、3000系、8000系を見分ける京阪沿線民の洞察力はどうなってるんだか
富山地鉄に行った時こいつが走っててマジでビビった大阪府民です
5:39 京阪と松下電機との関りについて言及する箇所、「癒着」は言葉のチョイスとしていかがなものかと思う。
初代3000系は、慣例では電動台車が川崎車輛、付随台車が住友金属だったのが、何故か電動台車が住友金属、付随台車が川崎車輛になりました。軸バネのストロークが長い円筒案内式は電動台車で、軸バネのストロークが短い側梁緩衝ゴム式は付随台車で使用するべきで、京阪電鉄の失敗だと思っています。慣例通り電動台車が川崎車輛、付随台車が住友金属であれば評価はもっと上がったかも知れません。付随台車の評価が高かったので初代3000系引退後は付随台車は2600系30番代付随台車に再用されました。
1次車の付随台車は正確には汽車会社製ks-132(最もこの時は川崎重工の傘下になってましたが)2次車が川崎重工ks-132A。汽車会社が川崎重工に合併された後、円筒案内式はオイルを使わない乾式となって京阪6000型初期の電動台車、西鉄の5000型の一部、山陽の3000、5000型の一部、北総開発7000、住都公団9100、京急2000型以降(三代目600型を除く)に採用されました。現在では京急がこの流れを汲む円筒案内式を多く使用してます(京急は前身の湘南デ1から現在まで川崎車両・重工からの納入があり、大正の終わりから昭和戦前期は汽車会社からの納入が多く、住友金属の台車は採用された事がありません)
@@犬勘太 様
ご返信及びご教示下さいまして有難う御座います。結構幅広く円筒案内式台車は使用されましたが、京阪6000系6012Fを皮切りに短腕軸梁式へ移行する中で京急は一部を除いて円筒案内式を死守していますね。
確かに円筒案内式は乗り心地が良く、短腕軸梁式はビビリ振動が有るのです。京急と同じく電気機器を三菱、東洋電機と使い分けいる京成は住友金属を使用しているのが面白いです。もっと面白いのは電動台車を川崎重工、付随台車を住友金属で使い分けているおけいはんですが。
京阪3000系良き
迫真の匠最高
富山地方鉄道10030形「あれ?おれどこの会社の車両だっけ? たしか京阪だったような...まいっか。」
誤:かわはらちょう 正:かわらまち。
川重
楠葉に住んでて、テレビカー一度乗りましたが、映りはボロボロ。ガッカリした記憶があるなぁ。
特急が樟葉駅に停まる様になった時には初代3000系も車齢を重ねて、8000系に取って代わられていましたからね。しかも、京都方面も大阪方面も市街地に近づくと地下に入るから余計に写りが悪くなるんですよね。
私も樟葉在住の頃がありました。
特急が京橋から七条までノンストップだった頃は途中駅利用の方にとってはある意味恨めしいものでしたね。
混雑する急行を後目に悠々と、しかもほとんど立つ人もなく快適な転換クロスシートの3000系が追い抜いていくのはいつも眼にする光景でした。
それだけ阪急や国鉄とのバトルが凄まじかったこともあるのですが。
そもそも七条以北で地上を走ってたヤツが少ないやろな。
冷房化されたりシートの一斉転換装置が付いたとはいえ、
外観や室内については1900系のマイナーチェンジの域は脱していない感じがする。
テレビカー、流してる番組がNHKの国会討論か囲碁しか流してないから観る価値殆どなかったわw
在阪民放局の一般番組やNHKの大相撲中継等も実際に流していましたよ。
阪急の2800けいは良かったうーん
京阪はテレビカーが良かった
阪急の駅はかわはらちょうでなくかわらまちです