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人間の営み全てが、4つの防衛機構のどれかに当てはまりそう。
シオランの表現、好きだなぁ
生と死のそのものの定義が心理学的というか概念的過ぎる事が4つの防衛機構というものに色濃く出ている気がします
最近、子供を作らない夫婦が多い理由として、子供を作っても不幸になるという意識があるのではないかと考えています。無意識的な反出生主義が背景にあるといえるかもしれない。ただ、反出生主義か出生主義か、どちらが正しいかを決める必要はないし、決められるはずもない。結局、どちらも人間の価値観が関与する恣意的な思考でしょう。
たしかに。私も反出生主義を意識する前から、「この世に生を受けない幸せもあるよな」と常々思っていました。このご時世、意識的または無意識的に、そう感じながら生きている人も多いのかもしれません。
現実的には単に経済的な問題な気がする笑結婚してるんだから生物的な欲求はあるもんね...
生きる苦しみは哲学の大きな命題だと思いますが、一つの答えとして筋が通っていると思います。とはいえ少しネガティブな気もしますし、人間以外が適合しているのかということも考えねばなりません。原書を読んでみたいと思いました。
さすが自然を愛する登山家ですね。すごく納得できる論理展開です。これは自然の中では著しく異質な存在であることを認識している人だから到達できた思想だろうと思います。最近、絶景を観るのが趣味なのですが、自然の美と、人間の醜さ、この対比を、強烈に実感しています。
91年間も生の苦しみに対抗できちゃったのはどう捉えてるんだろうか
僕の解釈ですが、未来に対して嘘をつき続ける→希望を持つことを91年もの間継続できたからではないかと思います。
そりゃあ死ななければ自動的に生きるからね自分で死ぬって大変なんだよ動画に出てた防衛機構が否が応でも機能して、死ぬまでの間それに抗い続けるわけだから
「人間と動物は本質的に違う」「人間の本質は個の意識」という前提に囚われすぎなのかなと思いました。またこのような思想が、個人や社会をリベラリズムやリバタリアニズムに誘導し、不安定化させてしまうおそれを感じました
エンデのモモにおける「灰色の男たち」は意識から注意を逸らすための③気晴らしに当たり、案外健康的な存在なのかもしれないと思いました。自分にとって本当に大切なものは実は存在しなく、自分とはあまりにも空虚で、何の意味もないのかもしれないと。
無理しない呼吸で、どう判断されても感謝して生きる🥲それに尽きると思うのです。人の考え方を肯定的だとか他力ではないか?だとか思うのも自由に楽しみ😁自分が、良かれと思う真意に動く。自分が嫌な方向へと進む事こそが大切など様々に気付きもあって、(身。口。意。)乱れぬ様に生きる事で、良いと思います。変な動きをしない様に🥲この世界の物質空間に普通は検知出来ない見えない世界のウイルスを詠み生きる時代です。様々な見解も思う事も何でも有りだと認識して上げるだけの事で良いのでは。と想います
筆をとる人の死んで残るものはおおよそ文面かと思います。反出生的に考えると、彼の邦訳が出ないのには趣深い事情があるかもしれない、と考えてみるのも楽しそうです。高度な意識が生死を意識させ、それを何らかの本質として、苦しんだり、気をまぎらわしたりする、という理解で正しければ…代替取替がきく機械部品として消費されたいと考えている私としては、(なんの本質か知りませんが)、その本質のために、むしろ出生を勧めるべきだと捉えられかねない考え方なのではないかと思いました
人間の意識が本当に発達していると言えるのか疑問です。人の言動にはテンプレートが有ります。例えばこの様な場面ではこの様に振る舞い、また、この様に言わなくてはならないという力が明らかに存在しています。したがって人の言動は、場面ごとに有るテンプレートの一選択に過ぎず、そのテンプレートを自動的に選択させている存在が人の意識であると考えられます。つまり、ザブフェの指す発達した意識とは、テンプレートの総量が多い事であると解釈することができます。しかし、無数のテンプレートとはいえ、有限の選択に過ぎず、例文を組み合わせて無理がない形にしただけの、無難なものでしかありません。テンプレートを用いる事は、能動的に思考せずにありあわせで済ますと言う事で有り、手抜きをしていると言うべきだと考えます。したがってテンプレートから抜け出してさえいない窮屈な意識については、ザブフェの主張は該当するかも知れませんが、テンプレート外の、より自由な意識においては苦悩1.2は該当しないのではないでしょうか。この論は、むしろ人の意識がテンプレートしか扱えない未発達な存在であるからこそ成り立つのではないかと思いました。
自分の人生には何らかの意味があるはずだ🙄人間意識が原因の(欲望)を満たせない🤔人間は産まれただけで、そこに存在するだけで必要とされた価値がある。と想いますよね😁生きる意識の考え方(思想)の違いでしょうね。シオランやザフフェの時代の意識が現代とは違い苦悩に満ちる悲観思考の育みだったのでしょうね。いにしえの苦悩の上にある現代ですね。
難解な哲学の話題をわかりやすく解説いただきありがとうございます。コメントさせていただきます。この議論の前提には「世界は物理的に検知できるものがすべてであり、検知できないものは存在しない」があるような気がします。この前提はリスクがあります。なぜなら、「検知できないものは存在しない」とする論理的根拠がないからです。論理的であるならば、「検知できないものが存在する/しないはわからない」とするのが正しいと思います。そして、現代物理学は「物理的に検知できない世界がある」ことを示唆しています。もし、「物理的に検知できない世界がある」が正しいなら、この議論は前提から崩れてしまいます。
気晴らしの時間を死後について考える時間にどうしたら人がより良くあるのかを
この議論なら、強い淘汰圧がかかるから直ぐに進化して問題じゃなくなるんじゃない?
否定はどこから来たのか?絶対的な生(性)を肯定しているのがすべての生物だから自然から生まれてきたであろう言葉(反自然)によって苦しみを生じさせていると自分は考えます!毒(言葉)をもって毒(言葉)を制するしかないのでは?生(性)は悦んでいてほしい!
ここで言う“人間の意識”は「人間は自然界における種の頂点である」という慢心として考察しています。そして“永遠”は“安寧”を求める上での副産物でしか無く、自我の外に“安寧”を求めるであれば出生に善悪を見出す事は無意味になるかと…
実際自然界で一番賢いことは間違い無いよね。人間は動物と違って生殖活動を抑制できるし。それ故頂点に君臨しているという意識は傲慢だけれども、矢張り我々は他の動物とは明らかに違う生き物だよ。
人間の「死・生についての苦悩」より、動物の「自然界で毎日感じる苦痛」の方が、大きいような気がしてしまう。4つの防衛機構がある時点で、人間の方が世界に適合しているのではないだろうか。:今のところ調和はしてなさそうだが。
その防衛機構とやらもまやかしに過ぎないでしょ。死に行く自分から目を逸らしてる。
ホメオスタシスへの欲求は根源的だと思うが、もっと生きたいという欲求は根源的かどうかは疑わしい、なんでそう言えるんだろまた、人間は一般に、自身の生ないし人生全体に対して意味付けするものなのか?前提が欺瞞にしか思えない
面白いですね。こういう哲学者がいるとはじめてしりました。ただ個人的にそんな信仰心があるわけではないのですがこのような思想を「神への冒涜」的に感じてしまう自分はあまりにナイーブなのでしょうか。
反生主義いいと思います。
いつもとても分かりやすく哲学をご紹介してくださってありがとうございます。個人的には、人間のフォームを持ち、「意識」を認識できることで、愛と繋がり、真の愛を体験することができるのだと思っています。(短い文章に凝縮すると、なんだか宗教的な表現になってしまいますが^^)
人類補完計画やるしかないな
誰も傷つかない素晴らしい世界だと思う
子供の頃、ゼーレの人類補完計画を聞いて「何言ってんだ、こいつら」と思っていたのに、今になって、その趣旨や目的に共感できるようになってしまった。哀しきかな、人生
誰もに心当たりがある哲学だと思う紅白で「命に嫌われている」が歌われる位、日本ではより興味をもつ内容な気がする
ネガティヴな反芻思考は鬱の1原因ですので、苦しみを考え抜く上で鬱々としていくのはある種の職業病なのかもしれません。仏教をはじめ多くの宗教がこれらの防衛機構を与えてきたと思います。現代社会ではイデオロギーやマインドフルネスといったものがそれらに当たると思います。
全てはエゴによるところである
と言うか、滅亡していきよると感じて久しい
反出生主義の主張には概ね同意出来るけど、人類は絶滅すべきってとこには同意出来ない。仮に人間が居なくなったとして、どうせ何処かで同じような知的生命体が生まれて同じような苦悩をする。それを宇宙が終わるまで繰り返す何てあほらしい。生命にどんな意味づけをしようと自由だけど、この主義を唱えてる人は意志に自信を持ちすぎてるように感じる。生命が生まれてしまうこの宇宙の構造に逆らうのは無理なんじゃない?生が苦痛だろうと快楽だろうとどうでもいい。どうせどうにも出来ないから。
ドイツの哲学者マインレンデルの『救済の哲学』に於ける『死の憧憬』を思い出しました。
サンテグジュペリの希望は病に似てますね
成熟した意識、かぁー
この動画の内容と中世と第一次的な絆の話th-cam.com/video/WKtBCCdKRAc/w-d-xo.htmlは私の性癖に刺さります。ありがとうございます。
愚か愚か。人間は愚か。
本当にいつもありがとうございます。本当にその通りだと思ってしまいました。だから、そもそも産まなければいい、というのは飛躍しすぎな気もしましたが、
もし「絶滅した方が良い」のであればその自然法則にしたがい絶滅するでしょうが、今現在はまだその時期じゃないとも言えます。4つの防衛機構がきのうしているということは生命が「生きよう」と欲しているからとも言えます。だから無理に滅亡に向かう必要もないと考えますね。結局「なるようにしかならない」でしょうから。
人間の意識を高く評価し過ぎなんじゃないでしょうか。むしろ人間を飛び越えて神になろうとして極端な二元論に陥っているのでは。自分個人の問題として処理しようとしてキャパオーバーしたみたいな。その意味ではキルケゴール的な感じもしますね。人間の意識が文明の速度に追いつけない軋みや痛みのようなものを感じます。基本は人間意識も文明もデザイン可能なものなので調整は可能だと思います。
非常に共感できます。しかし、人間の「苦痛」が、無駄かどうかを判断するのは、人それぞれでしょう...😄
@@かなたこなた-w2d 😄😄😄もちろん、私は“出来損ない”どす❗❗❗
だって...人間だもの😄
いやん。考えすぎ。絶望も行き着く先は、希望になると僕は思うな。お兄ちゃんは考えすぎだよ。^ - ^
人間の営み全てが、4つの防衛機構のどれかに当てはまりそう。
シオランの表現、好きだなぁ
生と死のそのものの定義が心理学的というか概念的過ぎる事が
4つの防衛機構というものに色濃く出ている気がします
最近、子供を作らない夫婦が多い理由として、子供を作っても不幸になるという意識があるのではないかと考えています。無意識的な反出生主義が背景にあるといえるかもしれない。ただ、反出生主義か出生主義か、どちらが正しいかを決める必要はないし、決められるはずもない。結局、どちらも人間の価値観が関与する恣意的な思考でしょう。
たしかに。私も反出生主義を意識する前から、「この世に生を受けない幸せもあるよな」と常々思っていました。このご時世、意識的または無意識的に、そう感じながら生きている人も多いのかもしれません。
現実的には単に経済的な問題な気がする笑
結婚してるんだから生物的な欲求はあるもんね...
生きる苦しみは哲学の大きな命題だと思いますが、一つの答えとして筋が通っていると思います。
とはいえ少しネガティブな気もしますし、人間以外が適合しているのかということも考えねばなりません。
原書を読んでみたいと思いました。
さすが自然を愛する登山家ですね。すごく納得できる論理展開です。これは自然の中では著しく異質な存在であることを認識している人だから到達できた思想だろうと思います。
最近、絶景を観るのが趣味なのですが、自然の美と、人間の醜さ、この対比を、強烈に実感しています。
91年間も生の苦しみに対抗できちゃったのはどう捉えてるんだろうか
僕の解釈ですが、未来に対して嘘をつき続ける→希望を持つことを91年もの間継続できたからではないかと思います。
そりゃあ死ななければ自動的に生きるからね
自分で死ぬって大変なんだよ
動画に出てた防衛機構が否が応でも機能して、
死ぬまでの間それに抗い続けるわけだから
「人間と動物は本質的に違う」「人間の本質は個の意識」という前提に囚われすぎなのかなと思いました。
またこのような思想が、個人や社会をリベラリズムやリバタリアニズムに誘導し、不安定化させてしまうおそれを感じました
エンデのモモにおける「灰色の男たち」は意識から注意を逸らすための③気晴らしに当たり、案外健康的な存在なのかもしれないと思いました。自分にとって本当に大切なものは実は存在しなく、自分とはあまりにも空虚で、何の意味もないのかもしれないと。
無理しない呼吸で、どう判断されても感謝して生きる🥲それに尽きると思うのです。人の考え方を肯定的だとか他力ではないか?だとか思うのも自由に楽しみ😁自分が、良かれと思う真意に動く。自分が嫌な方向へと進む事こそが大切など様々に気付きもあって、(身。口。意。)乱れぬ様に生きる事で、良いと思います。変な動きをしない様に🥲この世界の物質空間に普通は検知出来ない見えない世界のウイルスを詠み生きる時代です。様々な見解も思う事も何でも有りだと認識して上げるだけの事で良いのでは。と想います
筆をとる人の死んで残るものはおおよそ文面かと思います。
反出生的に考えると、彼の邦訳が出ないのには趣深い事情があるかもしれない、と考えてみるのも楽しそうです。
高度な意識が生死を意識させ、それを何らかの本質として、苦しんだり、気をまぎらわしたりする、という理解で正しければ…
代替取替がきく機械部品として消費されたいと考えている私としては、(なんの本質か知りませんが)、その本質のために、むしろ出生を勧めるべきだと捉えられかねない考え方なのではないかと思いました
人間の意識が本当に発達していると言えるのか疑問です。
人の言動にはテンプレートが有ります。
例えばこの様な場面ではこの様に振る舞い、また、この様に言わなくてはならないという力が明らかに存在しています。
したがって人の言動は、場面ごとに有るテンプレートの一選択に過ぎず、そのテンプレートを自動的に選択させている存在が人の意識であると考えられます。
つまり、ザブフェの指す発達した意識とは、テンプレートの総量が多い事であると解釈することができます。
しかし、無数のテンプレートとはいえ、有限の選択に過ぎず、例文を組み合わせて無理がない形にしただけの、無難なものでしかありません。
テンプレートを用いる事は、能動的に思考せずにありあわせで済ますと言う事で有り、手抜きをしていると言うべきだと考えます。
したがってテンプレートから抜け出してさえいない窮屈な意識については、ザブフェの主張は該当するかも知れませんが、テンプレート外の、より自由な意識においては苦悩1.2は該当しないのではないでしょうか。
この論は、むしろ人の意識がテンプレートしか扱えない未発達な存在であるからこそ成り立つのではないかと思いました。
自分の人生には何らかの意味があるはずだ🙄
人間意識が原因の(欲望)を満たせない🤔
人間は産まれただけで、そこに存在するだけで必要とされた価値がある。と想いますよね😁生きる意識の考え方(思想)の違いでしょうね。シオランやザフフェの時代の意識が現代とは違い苦悩に満ちる悲観思考の育みだったのでしょうね。いにしえの苦悩の上にある現代ですね。
難解な哲学の話題をわかりやすく解説いただきありがとうございます。コメントさせていただきます。
この議論の前提には「世界は物理的に検知できるものがすべてであり、検知できないものは存在しない」があるような気がします。
この前提はリスクがあります。なぜなら、「検知できないものは存在しない」とする論理的根拠がないからです。
論理的であるならば、「検知できないものが存在する/しないはわからない」とするのが正しいと思います。
そして、現代物理学は「物理的に検知できない世界がある」ことを示唆しています。
もし、「物理的に検知できない世界がある」が正しいなら、この議論は前提から崩れてしまいます。
気晴らしの時間を死後について考える時間に
どうしたら人がより良くあるのかを
この議論なら、強い淘汰圧がかかるから直ぐに進化して問題じゃなくなるんじゃない?
否定はどこから来たのか?絶対的な生(性)を肯定しているのがすべての生物だから自然から生まれてきたであろう言葉(反自然)によって苦しみを生じさせていると自分は考えます!毒(言葉)をもって毒(言葉)を制するしかないのでは?生(性)は悦んでいてほしい!
ここで言う“人間の意識”は「人間は自然界における種の頂点である」という慢心として考察しています。
そして“永遠”は“安寧”を求める上での副産物でしか無く、自我の外に“安寧”を求めるであれば出生に善悪を見出す事は無意味になるかと…
実際自然界で一番賢いことは間違い無いよね。
人間は動物と違って生殖活動を抑制できるし。
それ故頂点に君臨しているという意識は傲慢だけれども、矢張り我々は他の動物とは明らかに違う生き物だよ。
人間の「死・生についての苦悩」より、
動物の「自然界で毎日感じる苦痛」の方が、大きいような気がしてしまう。
4つの防衛機構がある時点で、人間の方が世界に適合しているのではないだろうか。
:
今のところ調和はしてなさそうだが。
その防衛機構とやらもまやかしに過ぎないでしょ。
死に行く自分から目を逸らしてる。
ホメオスタシスへの欲求は根源的だと思うが、もっと生きたいという欲求は根源的かどうかは疑わしい、なんでそう言えるんだろ
また、人間は一般に、自身の生ないし人生全体に対して意味付けするものなのか?
前提が欺瞞にしか思えない
面白いですね。こういう哲学者がいるとはじめてしりました。ただ個人的にそんな信仰心があるわけではないのですがこのような思想を「神への冒涜」的に感じてしまう自分はあまりにナイーブなのでしょうか。
反生主義いいと思います。
いつもとても分かりやすく哲学をご紹介してくださってありがとうございます。
個人的には、人間のフォームを持ち、「意識」を認識できることで、愛と繋がり、真の愛を体験することができるのだと思っています。(短い文章に凝縮すると、なんだか宗教的な表現になってしまいますが^^)
人類補完計画やるしかないな
誰も傷つかない素晴らしい世界だと思う
子供の頃、ゼーレの人類補完計画を聞いて「何言ってんだ、こいつら」と思っていたのに、今になって、その趣旨や目的に共感できるようになってしまった。
哀しきかな、人生
誰もに心当たりがある哲学だと思う
紅白で「命に嫌われている」が歌われる位、日本ではより興味をもつ内容な気がする
ネガティヴな反芻思考は鬱の1原因ですので、苦しみを考え抜く上で鬱々としていくのはある種の職業病なのかもしれません。
仏教をはじめ多くの宗教がこれらの防衛機構を与えてきたと思います。
現代社会ではイデオロギーやマインドフルネスといったものがそれらに当たると思います。
全てはエゴによるところである
と言うか、滅亡していきよると感じて久しい
反出生主義の主張には概ね同意出来るけど、人類は絶滅すべきってとこには同意出来ない。仮に人間が居なくなったとして、どうせ何処かで同じような知的生命体が生まれて同じような苦悩をする。それを宇宙が終わるまで繰り返す何てあほらしい。生命にどんな意味づけをしようと自由だけど、この主義を唱えてる人は意志に自信を持ちすぎてるように感じる。生命が生まれてしまうこの宇宙の構造に逆らうのは無理なんじゃない?生が苦痛だろうと快楽だろうとどうでもいい。どうせどうにも出来ないから。
ドイツの哲学者マインレンデルの『救済の哲学』に於ける『死の憧憬』を思い出しました。
サンテグジュペリの希望は病に似てますね
成熟した意識、かぁー
この動画の内容と
中世と第一次的な絆の話
th-cam.com/video/WKtBCCdKRAc/w-d-xo.html
は私の性癖に刺さります。
ありがとうございます。
愚か愚か。人間は愚か。
本当にいつもありがとうございます。
本当にその通りだと思ってしまいました。
だから、そもそも産まなければいい、というのは飛躍しすぎな気もしましたが、
もし「絶滅した方が良い」のであればその自然法則にしたがい絶滅するでしょうが、今現在はまだその時期じゃないとも言えます。4つの防衛機構がきのうしているということは生命が「生きよう」と欲しているからとも言えます。だから無理に滅亡に向かう必要もないと考えますね。結局「なるようにしかならない」でしょうから。
人間の意識を高く評価し過ぎなんじゃないでしょうか。
むしろ人間を飛び越えて神になろうとして極端な二元論に陥っているのでは。
自分個人の問題として処理しようとしてキャパオーバーしたみたいな。
その意味ではキルケゴール的な感じもしますね。
人間の意識が文明の速度に追いつけない軋みや痛みのようなものを感じます。
基本は人間意識も文明もデザイン可能なものなので調整は可能だと思います。
非常に共感できます。
しかし、人間の「苦痛」が、無駄かどうかを判断するのは、人それぞれでしょう...😄
@@かなたこなた-w2d
😄😄😄
もちろん、私は“出来損ない”どす❗❗❗
だって...
人間だもの😄
いやん。
考えすぎ。
絶望も行き着く先は、希望になると
僕は思うな。
お兄ちゃんは考えすぎだよ。^ - ^