HOゲージ 昭和45年のキハ80(キハ82)系特急〘白鳥〙 鉄道開業150年記念 名列車追跡‼
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- เผยแพร่เมื่อ 14 ต.ค. 2024
- 名列車 特急〘白鳥〙の向日町運転所⇒大阪駅⇒青森駅を再現しました。資料が無い部分は妄想と推測で表現しました。解像度を上げて再アップしました。20:20あたりの青森到着前の列車編成が逆向きでした。すみません‼。
多くのご視聴ありがとうございます。1回目のクライマックスシーンは06:30辺りから始まる日本食堂の案内放送です。当時は多くの列車に食堂車が連結されており、鉄道の旅を楽しむことができました。帝国ホテル列車食堂、都ホテル列車食堂、ビュフェとうきょうも食堂車の営業をしていましたね。
いやーキハ82ってなんでこんなにカッコイイんだろう!!
前後、左右、上下、ななめ、どのフォルムも非の打ち所がない!!
その反面、JR後の車両に引かれたデザインは、残念ながら個人的には一つもない。
歌等と同じで生まれた時代もあるだろうが、それにしても国鉄車両を超えるものが出てこない。
この車両が走っていた頃、函館からのおおぞら号も13両編成だったのだろうか?
普通のお客さんなら、青函連絡船を乗り継いで、またこれかとなったのでしょうが
私なら、もう82系冥利でお宝路線です。
コメントありがとうございます。この時代、まさに特急とは特別な急行であり、国鉄の渾身の一品だったのでしょうね。たしかに国鉄時代は、現代のように中間車に運転席が付いているだけのデザイン無視、走るだけ!という車両は無かったですね。どれも味がありました。最近、昔の歌謡曲が若者の間では人気になっているようですよ。良いものは永遠に良いのです‼
昭和45年は15歳で当時北海道住でした。大学受験は列車と連絡船で東京に出てきましたが列車での長旅を思い出す懐かしい動画でした。
帰りの「はつかり」は485系になっていましたが道内が寝台急行「大雪」だったと思います。
社会人になって「北斗星」で上野~札幌を往復しましたが修学旅行、受験とキハ82系とは切っても切れないので大好きな車両です。
キハ82系は子供の時にカツミのHOを買ってもらって持っていました(先頭車と中間1両の2両だけでした・・・)。
HOでの13両編成、迫力が違いますよね。いまでも食堂車で食事をしたいなと思います。
コメントありがとうございます。懐かしく思って頂き嬉しいです。
素敵な動画をありがとうございました。
青森到着時には「さて、降りる支度をしなくては」と心の中で言っておりました。
世代的に、見たこともなければ乗ったこともない列車ですが、実際に列車に乗って旅をしている気分に浸りました。
列車の車窓、食堂車の賑わい、各駅での乗降客の姿、北陸・東北の街並み…
そして最後の青森の青函連絡船を待つ波止場。
どれも想像ではありますが、鮮やかにイメージしながら列車旅を楽しみました。
素敵です!
コメントありがとうございます。喜んで視聴して頂き嬉しい限りです。同じような動画をあげていますのでそちらも是非ご覧下さい。
すげー!82系ファンとしては最高の映像です!ありがとう!!!
嬉しいコメントありがとうございます。82系は、もう一本、極寒の地で頑張った『おおぞら』もいつか再現したいのですが・・・。
素晴らしいものを作って下さり有難うございました。ディーゼル白鳥は本当に好きで、新潟にいた頃、遅延が多い到着を待ちわびた思い出があります。今回、リアルな車内放送も含め、感服しました。一点、13両編成のうち、4両は新潟切り離しだったのではないか、と思いますが、私の記憶違いでしたでしょうか。いずれにせよ、有難うございました。
ご覧頂きありがとうございます。おっしゃる通り、昭和40年代前半には新潟で4両切り離していた時期がありました。さらに、電車化直前には付属編成の連結位置が変わるなど色々変遷があったようです。
キハ82の特急「白鳥」、学生時代、昭和47年7月に乗車して、北海道20日間の旅に出ました。
当時特急券が1,200円で、今も記念に持っています。
約15時間の長旅で、旅行気分満点でした。
動画ありがとうございます、懐かしかったです(^^)/
コメントありがとうございます。昼間の長距離列車は寝台車のようにゴロンと出来ず大変疲れますよね。いい加減疲れたところで、まだ新潟かぁ、みたいな感じですよね。
カツミ模型のベストセラーの82系特急気動車ですね。
昔、京都から青森まで乗り通したのを思い出しました。 食堂車に何度も足を運び、旅を楽しみましたね。 青森到着前に、青函連絡船に乗船される方に、乗船名簿に記入するよう、用紙が配られました。 青森駅の長いホームを船まで歩いたのが懐かしいです。
コメントありがとうございます。残念ながら私は乗車の経験がなく、想像で動画を作成していますが、大体の雰囲気は出ていますでしょうか?青函連絡船の乗船名簿の件は貴重な情報です。そこまでは調べることが出来ませんでした。ありがとうございました。
聞き馴染みのある声で、車内放送とは!何かね、凄く嬉しい☺️
始発駅発車直後のアナウンスは「いよいよ旅が始まるぞ!」という高揚感を感じますよね。
古き良き昭和の長大編成、いいですね。
当時の北陸本線は「雷鳥」「しらさぎ」「加越」「白山」等々特急街道でしたが
やっぱり「白鳥」は別格でした。懐かしいです。
食堂車のダクトの汚れがリアルですね。
コメントありがとうございます。食堂車のダクトは確かに汚れてましたが、これはやりすぎですね。こんな、汚い食堂車だったら、日本食堂への営業妨害になりますね。(笑)
使い込まれた感じが歴戦の女王を
見事に表現している……😮
コメントありがとうございます。これらの車両にはマジで長い歳月遊んでもらいました。感謝‼です。
@@kumant1956
愛情を感じます…
大切になさってくださいね…
長い時間乗るんでね。昔は
大阪から青森市まで旅ですね。
コメントありがとうございます。大阪~青森間を15時間で走りました。乗る人も大変ですが、車両も整備の時間を含めると翌朝出発までほとんどエンジンを止めて休む暇もなかったのでこちらも大変ですね!
学生生活を生まれの大阪を離れて北海道で過ごしました。結局受験時からこれまで大阪ー北海道間で飛行機を使ったことはなく、帰省時には主に白鳥のお世話になってました。
私の頃は電車で所要時間も13時間弱くらいでしたかね。青森の先は、それに加えてはまなすの6時間があるのですが。
1度帰省時に、はまなすが遅れて白鳥の乗り継ぎに間に合わず、青森から盛岡まではつかり、盛岡から大宮、大宮から長岡まで新幹線。長岡で白鳥に追いついた、というのも良い思い出です
コメントありがとうございます。エコノミック症候群にもならずにご無事でよかったですね。帰省の度に白鳥に乗ることが出来たなんて羨ましいです。特に冬場は雪まみれになって大阪へ戻ってきたのでしょうか? はまなすから乗り継いで、青函連絡船から青森で大阪行き白鳥の席に着いた途端に安堵感から疲れがどっと出てきたのではないでしょうか? 良いご経験をされて羨ましい限りです。
特急白鳥、1度だけ乗った事がありました。既にディーゼルでは無くなっていましたが、懐かしいです。
コメントありがとうございます。私は、一度も乗ったことがありません。羨ましいですね。気動車時代に一度だけ米原で見たことがありますが、それでも感動したことを覚えています。「僕が起きる前に青森を出て、走り続けてきたのかぁ~」と。
@@kumant1956
自分は北陸住みなのですが、先週半ばにサンダーバードに乗って京都・奈良への1泊2日ミニ旅行に行って来ました。24年ぶりの電車での旅でした。
サンダーバード・しらさぎも北陸本線を走るのは今月の15日までらしいです。
窓にへばりついて景色を見ていました(笑)
@@naojan110様、本当にじわじわと在来線の名列車が目の前から消えて行きますよね。サンダーバード、しらさぎなどは、乗ったらすぐに終点!なんていうのも寂しいことです。
素晴らしい作品ですね!
ご覧頂きありがとうございます。あのシーン、このシーンも、と編集してたら20分超となってしまいました。😅
当時の長距離特急は、おおぞら、白鳥、まつかぜ、全てグリーン車が2両も!ついています。当然食堂車も。すごい。
コメントありがとうございます。当時の特急は本当に特別な急行だったんですね。過去に遡れるのなら絶対に始発から終点まで乗りますね。
懐かしい車両ですね。
ご視聴ありがとうございます。鉄道の世界だけ、この時代に戻って欲しいですね。
コメントありがとうございます。懐かしく思って頂き嬉しい限りです。
素晴らしい なんちゅうカッコエエ
まつかぜやはまかぜ、あさしおもやって欲しい
コメントありがとうございます。山陰線のまつかぜ号などいいですね。時間があれば取り組みたい題材です!
@@kumant1956 地元なんで、よろしくお願いいたします
大阪から北海道まで繋がる良い時代でしたね、白鳥号は13両でキロX2+キシの特急と言うより特別急行の貫禄十分でした、485系もS53までは同じ感じを維持してましたが私が乗車できたのは485系新ニイの9両編成で新潟→直江津間だけでした、編成は寂しい物でしたが色だけはこだま色の頃に間に合いました。模型の80系は16番ゲージ(HO)のようですがメーカーはどちらでしょうか気になります。
コメントありがとうございます。おっしゃる通りDC時代の白鳥は本当に特別な列車でした。北陸線が不通の時は、富山~大阪を高山線経由で運行し、運休はしなかったというエピソードがあります。動画の列車はカツミの初代モデルでディテイル追加と動力の加工をしています。このひとつ前の動画でその内容をアップしていますのでご覧ください。
私の記憶では14両編成だったと思います。標準の特急が12両編成の時代で凄く特別感を持っていました。
圧巻です。すごい。キハ82ばかり。
コメントありがとうございます😊キハ80系は50年以上掛けて収集したものです。
いやぁ圧巻ですなぁ。昭和45年というと私はまだ小学校の5,6年生位でしたが、新潟駅を発車直後にすれ違えるEF81なら信越本線普通…そうそう無秩序に青/茶色が混じるんだ ^_^ 。と本題とは関係ないところに興味が行きました。(笑)でもアナウンスしてる最中くらいに上沼垂から白新線(当時まだ非電化のはず)に入るんでこのすれ違いは微妙なところだな…とも。(爆)
ご覧いただきありがとうございます。先日はお疲れ様でした。無事ご帰宅されたようですね。そうですね、どこでEF81を出すか迷ったのですが、白新線のど真ん中で大当たりするとは・・・。新発田~長岡付近は鉄道が入り組んで複雑ですよね。失礼しました。実は、比叡号とすれ違うタイミングも少し違うのです。視聴もカオスでお願いします。(笑)
上野着発併結時代もありましまネ 直江津で切り離し長野(信越本線)経由で上野へ~驚きなのは食堂車(キシ).二両連結なんて他に覚えがありません、それだけ長距離を走破する気動車特急でした。
大阪~青森 15:32 (下り)
大阪~上野 12:05 、
直江津~上野 5:10だから
約20時間42分(青森.上野)を含めた走行時間〜凄い! 今では考えられない鉄道旅
コメントありがとうございます。本当に長距離列車ですね。電車と違い気動車は燃料満タンでどのくらい走行出来るのでしょうか。惰性走行もかなりあるので、バス、トラックの燃費とはかなり違うのでしょうね。2両の食堂車は同じ日本食堂でも違う営業所が担当し、競いあっていたらしいです。