飢えと死…極限状態のなか、父は日記を残した 現代技術で蘇る戦場の記憶
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- เผยแพร่เมื่อ 14 ส.ค. 2021
- 「ガ死ダ食モノナシ」
ある日本兵が戦場で遺していたのは、自分が餓死していく様子を克明に書いた日記でした。
優しい一人の父親が極限の状況でも伝えたかったのは、
愛する家族と、未来へのメッセージです。
(8月15日放送『戦後76年「つなぐ、つながる」SPへいわとせんそう ~戦場からのメッセージ~』より)
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餓死寸前の状態で「美味しい物が食べたい」じゃなくて
家族に向けて「美味しい物でもたべて」と残せるのがどれだけ家族を愛してたが伝わる…。
そう思える人間だったからこそ、家族のため国のためと言い命をかけたんだろうね。
この時とは時代背景はちがえども、見知らぬ他人のために思い遣る気持ちだけは、今生きている人も忘れちゃいけない感情だと思う。
南方の兵隊さん餓死させ過ぎて負けたとしか
おじいちゃんおばあちゃんが、お腹空いてない?っていつも聞いてきたり食べきれないほどご飯作ってくれたりするのはこういう経験をしてきたからなのかな
おなかいっぱい食べれるこの環境に感謝
成る程。
@@user-wg9zn3ej3j 自分が子供の頃の経験があるからじゃない?
戦後でもあり得るよ...戦後になってもお腹いっぱいにご飯が食べられた訳じゃ無いだろうし...
おなかいっぱいになるまで食べさせてくれるのはそういうことなんやろな
戦争に行っていたのは「銃を持ったこともない市民」だったんだなと実感した。「日本兵」ではなくて子供の成長を楽しみに日々を生きていた男性なんだな。
裕福な育ちのおぼっちゃまだった祖父が戦争に派遣された時、親戚のオバさんは「この人が駆り出されるんじゃ日本負けたな」と思ったらしいです。
痩せたいとか言いながら食べてしまう自分の悩みがどれだけ幸せな悩みか本当によくわかります。食べられる環境があることに感謝してこれからも生きていきたいです。
家族など身近な方々に自虐史観だけでない日本軍兵士の勇姿も伝えて下さい。
僕も今を残してくれた昔の人に経緯を評して食べまくって早死したいと思います…
@@machi554
空気読めないってあなたのことだと思うの。
いやいや人それぞれだし過食で悩んでる人の悩みも、その人にとったら辛いものなんだから贅沢な悩みとか言わなくていいと思う
@@user-fh2mh2pv1m 別によくねたくさん食べるんいいことだし、早く死にたい人もいる
飢えでじわじわと命が削り取られていくなんてどれだけ苦しかったのか想像もつかない
ひと月ほど飲まず食わずで過ごしてみては?w
メンション先ちげえw
会話してた相手が逃げたからそーみえるのだなw
@@dwiteyoke 私に言ったんじゃないのねw
びっくりしたーww
@@dwiteyoke 多分この人間違えたんだよねwびっくりw
こういう経験をしてきたからこそ「戦友」ていうのは特別な存在なんだろうな。うちのおじいちゃんにも毎年、ミカンを送ってくださる戦友さんがいて、おじいちゃんもその方にお米を送ったりして、おじいちゃんが死んでからも、僕達家族のことを気にかけてくださるような優しい方でした。
戦時中の方は、本当に命からがら、爆撃の中食べ物にも何にも苦労しているから、助け合いの何たるかを芯からわかっている方が多い、良く出来た方が多かったと、亡くなった赤木春恵さんがおっしゃってました(*^^*)
ですね…私のおじいちゃんも戦友がおり、飛行機で戦ってたらしく、戦友が落ちて行くのを見たと言ってました。家族でもないのに遺影を自宅に飾ってあり、俺が死んだら友達の遺影も一緒に棺に入れてくれと言ってました…。天国で戦友と会えてるといいなぁ…。
あと5分、あと10分この絵を描き続けていたい。
胸が痛いです。
どこの国のどんな戦争でも、もう戦争してほしくないですね。
「もうお腹いっぱーい」「残したらあかん!食べなさい!」
今では当たり前のように交わされている言葉だけど、実はとてつもなく幸せなこと。
食料が余るくらいあることがどれだけ恵まれていることか。
毎日3食食べれる現状に感謝したいと思います。
帰る家があって、厳しくて優しい家族が笑顔でいてくれて、好きなことをできる私の今は、当時の多くの人がほしいと思っていた時間なんだよな…
勉君どうしたかなーからがしんどすぎて…大切な家族がいるのに遠く離れた地で餓死とかつらかっただろうな…
孤立した島で飢えに耐えながらも日本の家族を思いやる気持ち。
島の生存者のかたが日記を持ち帰ってくれたのは冨五郎さんの人柄の良さを知っていたからでしょうね。
夫に敬語なの時代を感じる。
いつも善人が死んで悪人が生きてる
辛い
何をもって善人で何をしたら悪人なの?
あなたが言う生き残った悪人たちが居なければ、今の環境さえなかったかもしれない。
その恩恵を受けて生きているのに、感謝するどころか悪人呼ばわり。
悲劇に浸ってそれっぽい言葉書いたって、所詮は付け焼き刃の文章。
せめて君が言う悪人が築き上げた世界のおかげで君は何不自由ない贅沢な暮らしが出来てる事を自覚して生きてくれや
誰の方向から見て言っているのでしょうか。これは持論ですけれど善人と悪人は紙一重ですよ。
視野を広げてみては如何でしょうか。
みんな厳しくて草。
視野広くしても同じや😂
その代表例が牟田口廉也(むたぐちれんや)司令官、1888年~1966年。【最終階級は陸軍中将】。盧溝橋事件や、太平洋戦争開戦時のマレー作戦や同戦争中のインパール作戦において部隊を指揮した。インパール作戦(史上最悪の作戦)においては兵士の食料も禄に調達せずに兵士たちは飢餓に苦しんだ。兵士たちが行軍した道は白〇骨〇街道と呼ばれた。私生活では毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に・・・。 牟田口はA級せん犯であったにもかかわらず自分の指揮した作戦を正当化していた。 そのひどさにおいて最たる例です!!!
つとむくんどーしたかなーでもう涙腺おわった
28歳まで何不自由なく生きてこれたのは御先祖さま達のおかげです、本当にありがとうございます。
ご冥福をお祈りします。
あなたの言う通りです。これからも感謝して生きて行こうと思います。
でも、戦争に負けたじゃん😅😅
極限状態で遺した記録が、戦争の時代にきちんと家族の元に届いて、そして何十年もの時を経ても最新の技術によって成長した息子に内容が伝わっている。すごく奇跡のようなことなんだろうなと思いました。
素晴らしいお父様です。
こんなに素敵な人たちが苦しい思いをして亡くなったっていうのがもう、ただただ悔しい。
当たり前に食料があることに今一度感謝します
もう80後半の僕のおばあちゃん。
戦時中は飢えに苦しんだらしく今でもいつの間にか一人では食べれない程の食料品を買い溜めしてしまう。やっぱり心の何処か奥の方には未だ昔の上に苦しんだ教訓が残っているのだろうと思いながら、僕と母が定期的に冷蔵庫の掃除をしている。
戦争は勝ち負け関係無く、どちらも消えないキズに苦しまされる、誰も幸せにならないものだと思う。
これを私たちだけじゃなく政府が1番見るべきですよね。国の上層部は傷ついてない……戦争ではないですが、コロナによっての貧しさも同じだと思いました。この頃から日本は変わってないんですね……。
戦争なんて絶対だめです、ほんとに。もう絶対…。やりたいならタイマンでやってください。
タイマンでやって下さい!本当に!!
ガース達はコロナにかかっても自分達、無能政治家達は受け入れ先があるだろうし
危機感がないんだよ!!
じゃなきゃ、この状況で明かりは見え始めてるなんて言えない!!!
優しい人、素晴らしい人
ほんとに惜しい人を沢山亡くした
想像を絶する辛さに悲しみ涙しました。
最後の家族への言葉で泣いてしまった。なんと強いひとだろう。日本を守るために戦ってくれてありがとう。
この番組がずっと続いてほしい
雅さんが家に帰ってくることはありませんでしたで涙止まらん
家から戦場が片道切符なんて辛すぎる。
家族を思うとてもいい父親だったのがよく伝わりました。
髪型が今っぽいからなのか余計感じたけど、ほんとに今生きてるパパさんたちと同じなんだよな。
それがある日国からの命令でこんなに壮絶な人生を送ることになったなんて。
今の時代を生きてる私たちはこんな風に頑張れないと思う。
あと数ヶ月だけ、がんばったら…
って思うのにきっとその数カ月が永遠に感じるほど苦しかったんだろうと思う…
どうか安らかに
最後の最後まで家族を想い・・・
子供たちには、父の分までも母に孝行して下さいと最後まで願う父
涙がとまりません
出てくるCMは食べ物の事ばかりで。
さっき満腹になったばかりの自分がこれを見ている。
腹は満たされる日本になった。
心も満たされる日本、世界にしたい。
美味しいご飯を好きな時に好きなだけ食べれるこの時代。この人たちが命懸けで戦ってきてくれたお陰。
戦争を決して風化させてはいけない…
勉くんどうしたかなーから涙ちょちょ切れもんだよ
どんなに飢えに苦しんでいても家族、大切なことを考えること、尊敬でしかありません。こんなに悲しいことが繰り返してはならないと強く思います。絶対に戦争をしない。
冨五郎さん男前やし、優しいな🙏
餓死した戦友を食べて生き延びた人もいたくらい酷い環境だったという証言もありますね。
陸軍上層部には怒りしかありません。
貴重な若い命を奪いました。
戦争は何があっても起こしてはなりません。
コメント失礼します
多分若い命も駆り出さなければもっと悲惨なことになってるし上層部の方々も苦渋の決断だったでしょう
すみませんなにも知らないのに偉そうな口を聞いてしまい
飢餓に関しては海軍が悪い1943年まで護衛っていう概念すらなくて8割くらいの輸送船がアメリカの潜水艦に沈められてる
何があっても起こしてはなりません、ってのが薄っぺらい。
@@wkikoa6325 さんへ
潜水艦の襲撃+航空機による爆撃もありました。
そもそも開戦前から資源・物質が潤沢でないのに輸送・補給に関してあまりに脆弱な体制でした。
海軍は艦隊決戦がいちばんの命題だと決め付け、 海上ルートの確保(=輸送船団の護衛)は二の次にしていた。
そのセオリーだから、敵輸送船への破壊も及ばず、無傷で通過させている。
海上護衛に本腰を入れたのは戦争後半から。しかも味方船団を守るどころか自分の艦艇自体を攻撃から防ぐのもままならない(防空・対潜能力の乏しい)艦隊でした。
日米開戦前の3年間、欧州や大西洋での Uボートの活躍の報せは遠くとも日本に入ってきたはずなのに、帝国海軍は先見性が無さすぎの石頭としか言いようがない。
@@tanaka0228 何を求めてんだよ…
家族と穏やかに暮らすという当たり前すら叶わない。さぞお辛かったことでしょう。 今夫婦喧嘩真っ只中だけど自分から謝って早く仲直りしよう。「ごめんなさい」とか「有難う」を家族に直接伝えられる幸せに感謝しようと思います。
おじいちゃんが戦争の取り上げている番組が始まると険しい顔してテレビ消してて小さかったから理解できなかったけど、年齢を重ねる毎に多分昔の苦しい環境を思い出したくないんだなと分かるようになったなぁ。天国でお父さんと(戦死した曾お祖父さん)仲良く共に時間を過ごして下さい。
愛する夫が出征して餓死したなんて辛すぎる
辛いなんて言葉じゃ表せないほどの絶望だろう
比喩じゃなく涙が止まんない
6:50~
祖父が小学生だった頃の教師が、戦地で兵士をしていた時、食べる物がなくなってしまい、牛革のベルトを煮てそれで飢えをしのいだりしていたという話を思い出しました。
好きな時にご飯を食べて好きな時に遊んでってそういうの当たり前だと思ってる人多いし、自分もその1人だったけど、こういうの見るとほんとに当たり前じゃないし、有難いことだなと思う。
自分用
2:28
「描きたいから描いた」
3:06
「どの絵見ても優しいの」
普段絵を描く身だけど、これ聞くだけで泣けてくる。
本当に泣いた心の底から泣いた
同じく泣いた息が詰まるくらい泣いた
私もです。
なんの涙?
安全に住む場所があって、ご飯があって、好きなことが出来て、生きていられる環境があるってこと、当たり前ではないんだ。
勉くんどうしたかなーで毎回泣く
つらい。ただただ
本当に、、本当に戦争はダメ。優しい人達がこんなにも死ぬのは辛い、、、、、こんなにも辛い、、絶ッ対に戦争はやっちゃダメだ大切な人を亡くして辛くなるだけだよ、、、、、悲しみしかうまないんだよ。
当たり前のように仕事ができて
当たり前のように飯が食えて
当たり前のように家に帰れて
当たり前のように快適に過ごせて
当たり前のようにスマホを使える
豊かな生活ができる今に感謝
そして今の日本を守るために命を燃やした方々に、感謝
自分が死に直面したとき、このようなことを思える父になりたい
戦争で亡くなられた先人の方々の遺書や日記。いつも涙が出ます。
おじいちゃんとおばあちゃんがよくこれでもか!っていうぐらいの料理を作ってくれます。
何故こんなに沢山の料理をわざわざ作ってくれるのだろう…と思っていました。
ですが今日この動画を見てやっとわかりました。このような経験をしたからだと思います。そう考えると心が痛みます。
もっとおじいちゃんとおばあちゃんに感謝を伝えるべきでした。戦争で亡くなった方々心よりご冥福をお祈りします。
胸が詰まります。どんな才能も優しさも家族の愛も消えた。
戦争へ行くのは、自分よりも守りたいものがあるからだっていうコメントを見てすごく納得したし、感動したの覚えている。
ただただ涙が止まらなくなってくる
こうゆうのをちゃんと保存して生き続けて残してくれた美のあり方を知ってる方々にも感謝
勉さんを、思うお父さんの日記に感動しました🥲
食べ物残す人本当に許せないなって思ってしまうな…カフェで働いてた時も沢山残す人いました。それを店員達が捨てるんだけど捨てるのが心苦しかったです…
人には食える量ってのがあるの。無理に食べなくてもね?残してその次の日食べればね?いいの。なんで持ち帰りがだめなの聞きたい
@@ppppppppp7747 自分で考えな
@@ppppppppp7747 ゆえばほとんどの店はタッパーくれるぞ
@@roi3329 らしいです
そうね
だから
食べに行きたいなら
食べられるように
食べられる量を選択して
体調で無理なら持ち帰れるか交渉しよう
外食して普通に残すのはやめようね
どうして幸せに暮らしていた家族が引き裂かれ、父親が飢えに苦しみ死ななければなかったのか。
怒りと悲しみの行き場がなくて苦しい。
この時ばかりはあの世があってほしいと思う。
ばらばらになった家族があの世で再会できますように。
そして、こうした出来事が絶えず後世に伝えられ続けることを願います。
戦争の残酷さと辛さをとても感じました。
今、この現代社会で幸せに生きていけることを感謝して生きていきます。
どうしてこんな素敵な兵士さんたちが亡くなってしまったんだろう‥本当に、戦争なんて意味がない。それでも勇気を出したんだ‥私だったらできないのに‥本当にすごいな。一日一日を大切にしようと改めて思いました。
餓死かぁうちのご先祖様にも戦死した方がいる。還ってきた兵隊手帳には病死って書いてあるけど栄養失調だと思う。涙が出ます。今では食ロスが問題になるくらいなのに😢
次に繋げるために戦って下さったこと本当にありがとうございますとゆう言葉しか出てきません。
僕たちは平和に生かしてもらってるこの時間を大切に僕たちも次に繋げるように生きて行くことが大切ですよね。
自分の祖父は中国で終戦を迎え生きて帰って来てくれました。
祖父の予科練の先で出会って仲良くなった方達なのか、同じ部隊で生死を共にした仲間の物か分かりませんがプロマイドの様な写真が沢山家にあります。
皆、若くこんな戦争時代だったのにも関わらず軍服に身を包み笑顔で映っている写真も多く、一瞬の日常を写した物だったのだな…と思いました。
祖父のお墓の近くには「フィリピン沖で死ス」と綴られたお墓がありますこの映像の戦況下の中で落とされた命なのかと考えたら…涙が…極限の空腹状態で家族や赤ちゃんの事を気に掛けられる程愛情深く子煩悩なお父様。きっと家族を温かく見守ってくれているのでしょうね。
絵のタッチや色使いも凄く上手い本当に優しい方だったのが絵を見ても分かります。
11:35 からがなんとも言えない気持ちになった。
もし戦争がなければ素敵なお父さんとして、家族みんなで過ごしていたんだろうな
人が人から理性、夢、さまざまなものを奪い塗り替えた時代。
間違っているからこそ忘れてはいけませんよね。
ペンや絵の具を持ちたい手に、銃や刃物を自分の意思に逆らいながら死を覚悟する
考えただけで息苦しい、、、。
色んな体験記を聞いてきたつもりだけど戦地で亡くなるまでの日記を見るのは滅多に無いことだろうな。最後の絶筆は衝撃でした
画学生の方がやりたかった事を中断して、お父さんは幼い子供たちを残して戦いに行ったけどほとんど飢えてしぬしかない状況だったのが本当に、とても、辛い
この感情をどうしたらいいのかたまに分からなくなる。日本の為に戦ってくれた英霊に感謝というのは勿論分かるけれど、この状況を聞くたびににそれだけでは済ませられない気がして…
どうしようもうない人間である私がこの人たちの為に出来ることって何にも無いのかな
勉さんが戦後の苦しい時代を生き抜いて、現代まで幸せに暮らしているのが、きっとお父さんの最後の希望だよね。
私はまだ高校生だけど、教科書を丸ごと暗記するだけじゃなくてその中にある数々のストーリーにも注目して歴史を勉強したい。
涙が止まらない、、、立派な人がたくさんいたのに
戦争なんて絶対に絶対に許してはならない
前線の兵士が倒れていく中
本土ではどの様な報道がされていただろう
過ちを繰り返さず真実の報道を願う
観ていて辛い。もっともっと生きたかったでしょう。
So sad. May he Rest In Peace
本当に…戦争は駄目だ…戦争はしちゃだめだ…涙
自分の置かれた立場がこんなにも苦しいのに最後の最後までご家族を想い…こんなに優しい方たちが死一択になってしまうなんて(涙)戦メリが悲しくも合っていて泣きました!
今が当たり前ではない。本当は奇跡の連続で生活が出来ている。
タイムスリップできたら今ある食べ物をたくさん届けにいけるのに😢
こういうのを後世にも伝え続けて、「戦争は絶対にしたらあかん!」という共通認識を(全世界で)持っておかないと。最近、余計に思う。
辛いだろうに、思い出して語ってくれてありがとうございます。
これを見ながらココア飲んでる自分がものすごく恥ずかしくなった。
当たり前のようにご飯や飲み物が出て、お腹空いたらあるもの食べて
小さい幸せなんだろうけどこの人たちにとって大きな大きな幸せだっただろうに
戦争にもならん。
戦う以前の問題。
可哀想でならない。
ご冥福をお祈りいたします
自分がどんな状態であろうと、家族のことを考えて思いやるその心は、家族をとてもとても愛していたんだなと思いました。
今後このような戦争が2度とないように祈り続けます。
家族を引き裂くようなことがない世の中であってほしいと強く思います。
食料があって、綺麗な飲水がある事って素晴らしい事なんだな。
寝るところも、お布団もあって今現代の生活って贅沢だよね
贅沢てはなく日常として普段通り。それがかなわなくなるほうが異常です。東日本大震災経験しましたが、二週間は食糧と水あつめに奔走しました。あれは異常でした。
家族へのメッセージで涙止まらん
うちの曽祖父もフィリピンに行きました。
曽祖父は帰ってきましたがやはり餓死はやばかったって言ってました。
自分が生まれる前に亡くなってしまったのではなしなどは聞くことができませんでしたが祖母から話を聞いたところこの世の終わりを見たと言われてました。
軍歴証明書を取得すれば軍隊での経歴(赴任地や階級など)がわかります。
ネットで調べれば申請方法が載っていますので、それを参考にしてみて下さい。
戦時中の話、日本兵の話、今の自分の生活、どれも現実で考えさせられます。
長崎出身ですが、祖父母共に戦時下を生きた二人です。祖父からは小さい頃から「一生懸命食べなさい」と言われてきました。いっぱい食べなさい、なら分かりますが、一生懸命と言われてピンときてませんでした。今なら分かります。まだ二人とも健在なので、大事にしたい。
涙が止まりません
自分が幼子の時祖母がよく米粒も残さず元気に食べてほしいわと言ってて、今でも食卓に出された料理は美味しく感謝しながら食べています。祖母は空襲経験者です。今こうして好きなものをありったけ食べることができる豊かな生活を感謝していきたいです。16歳より
自活自戦、永久抗戦、餓死…祖父も南方に戦争で行きました。祖父の戦友も何人も餓死していったと祖父が書いた本に書かれていました。餓死もそうですが祖父の本には感染症などについても書かれていました。祖父の本にはこんなことも書かれています。「戦時中の南方で、密林に向かって座り続ける人と知り合いになる。人々から離れた遠い地で、時給のためにささやかな畑を耕し、たった一人でジャングルを見詰めながら暮らしているこの人が忘れられず、ある日草木を分け入って長い道程を歩いて会いに行くのだが、行ってみると、その人は一本の木に背をもたせ掛けたまま、木乃伊のようになって死んでいた。がっくり首を落とした遺体の肩に手を掛けた途端に、その体は崩れていき、落ち窪んだ頬に笑いが張り付いたように口を開けたまま、暗い二つの穴になった目が、南国の青い空を仰いでいたのだろう。その遺体をじっと見入っている少年兵の姿まで私にははっきり見えた。」
祖父は重労働ののち抑留生活。復員後、栄養失調で歩くのがやっとの状態でした。
祖父は三年前に93歳で死去されました。言葉ではなく直接祖父の口から戦争のお話を聞きたかったです。
本当に戦う必要があったんだろうか。命を落とす必要があったんだろうか。
犠牲の上につくられた平和に感謝する、そんな言葉でこんなに才能溢れた方々が命を落とした戦争を片付けてしまっていいんだろうか。それはそうかもしれないけど
感情論より虚しさしか感じない。
今自分たちがこうして生きていられるのは、御先祖が辛い時代を生き、戦ってくれたからで、自分は生かされているのだと感じました。
「戦争」と、きくと戦いで亡くなられた人のことをいつも考えてしまうが、
こうやって餓死して亡くなられた人や
原爆を落とされて亡くなられた人もいるってことも考えなければいけないな。
当時の戦地の苦しさなんて現代の自分が想像してもしきれないものだったと思います。そんな環境の下での親の際限のない、ただ純粋な愛が真っ直ぐに伝わってきます。涙が溢れますが、本当に知れてよかったです。
みんなに会いたくてしかたなかっただろうな。餓死で1人寂しく死ぬのは辛かっただろうなぁ。
絵で泣いた。涙しょっぱかった。
ただただどうかあちらの世界で御家族皆さん会って美しい景色に囲まれて美味しいものを食べてやっぱり家族揃って笑顔で溢れた生活ができてるのを願うばかり
こういうテレビとかが今の平和を教えてくれるよね
死ぬ直前まで家族の事を思って綴った日記、文章から本当に家族の事愛してるのが伝わります。勉君大きくなったかな、最期の力を振り絞った文字が切ない。こうして今この日記を見れて心動かされることに感謝です。周りの人に優しく。家族を大事に。
平和に暮らせる時代に生まれてこれたことに感謝です。今の平和が続いてほしいです。
昔おじいちゃんが、お腹が空きすぎて戦友の革靴を食べてた話を聞いたけど本当だったんだな…
おじいちゃんはフリッピンのルソン島で長男はシベリヤ抑留で次男は満州で,よく三人とも生きて帰ってくれた。まさに奇跡です。
小さい時からいつも祖母から「豊かだと思いなさい」と言われきた
祖母は戦争や世界中を旅行した人だった
色々な国や人を見てどれだけ世界中の子供たちが貧しいか、苦しいのか、日本に住んでいるだけじゃ知らないことを沢山教えてもらった
祖母のおかげで人に感謝し、我慢強く、日常の幸せを幸せだと思える人になれました
認知症で祖母はもう忘れてしまったけれど、私はあなたの話してくれたことをまだ覚えています
あなたは小さな幸せを見つける天才でした
胸が痛いです。
戦争で多くの方が亡くなったことに、原爆や戦いや特攻だけでなく餓死が含まれているということは、恥ずかしながら初めて知りました。
どうか、どうか、こんな悲惨な現実を繰り返さないでほしい。
どんなに自分が苦しくても、家族の事を思うと苦しさが少しは紛れたのかな...
誰よりも家族思いのいいお父さんだっんだろうな……
高校の授業で日本史は1番好きだったけど、戦時中のことは1番つまらなかった勉強しようと言う気も起きなかった。どこで負けた、どこで勝った、どこが降伏したなどただ淡々と戦争の流れを解説するだけ。あとは申し訳程度の文化の説明。本当に必要なのはそこで何が起きていたかですよね。された事を詳しく言わない。そしてした事も詳しく言わない。ただの流れとして解説する。辛い内容ばかりですが今勉強している子達がこういった事実に触れる機会が増えることを願います。