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冬は、雪で、両開きのドアが、雪でうまく閉まらないことに、時々、遭遇しました。雪国ならではのトラブルです。
田舎の車両には半自動ドアがありますね。ドアの横に開閉ボタンがあって、客がボタン押して開けたり閉めたりする。単線の待避駅や始発駅では長時間停車するので冷暖房の効率を上げるための仕様。
洗面台の近くに折り戸があると一気に洗面所感が増すな
小学生当時,阪急2000系が登場したが,両開きドア(阪急初)を見て子供心に時代の進歩を感じた.
アストラムラインも新型は外吊り式そういやノンステップバスでおなじみのグライドスライドドアは鉄道用にはないなあ
E993系.....
ガルウィングドア列車とかあったらなって思う😊
3:27の車両C381だ!海外はこういうの多い。
1970年代くらいの東北本線は画像にあるような開き戸だった気がするな
北海道は雪が多く、14系や北斗星、トワイライトエクスプレスは折り扉から引き扉に改造された
こうして見ると近鉄は特殊が多い😊
昔の東京の地下鉄でドアが閉まる時に「ダンッ、ダン、ダダ…」って何度か跳ね返りながら閉まるのが面白くて好きだった。銀座線?丸ノ内線?それとも…?
京成の初代スカイライナーと西武の初代レッドアローも折り扉だった
昼夜両用の583系も折戸でしたね。
かなり前にドア乗務員を見たことがあるな確かドア故障で扉が開きっぱなしになったときに紐で注意喚起しつつ乗客に近寄らせないために乗務員が開きっぱなしのドアの前に立ってそのまま運航してた
JR九州783は真ん中に扉&1扉ですよね
昔の両開きドアで互いに独立して動作するやつはバラバラに閉まるのが面白かった扉の上がやたら出っ張っているから異様な光景だったけれどまだ今でも結構残っているかも
清水港線にあった折戸駅は駅自体が開閉しました(うそです、30系客車は開けっ放し)
ライトレールでプラグドアが多いのは、プラグドアが一般的な欧州車両ベースのが多いのもあるだろうね…
外吊りドアと言えば非電化時代の八高線(南側)
外釣りドアは昔関西本線で山ほど観ました(^▽^;)
9:04 タクシー🚕の自動ドアは実際ドライバーの手動だからな。
セダン型の大半は手動ですが、ブレーキ倍力装置と同様にエンジンの負圧を利用したバキューム式もあるようです。最近のスライドドアは電動式ですね。
昭和の時代、安全より輸送を優先したせいか、閉まらなくなった103系のドアに職員が添乗していたのを見たなぁ窓ガラスが割れても、ガムテープで応急処置して走らせてたし
Acトレインも外吊ドアだった。
>>折戸は特別な列車なイメージがある尚719系や419系()
ホームで手近な車両のドアから乗って指定の座席番号まで歩いたから、降りようとしたらドアが無い!?りょうもう号に焦ったっけ、懐かしい。座席が増えて儲かるし私鉄は自由で面白いなと興味を持ったきっかけだった。
東武鉄道の5700系は乗務員扉が引き戸だったのが、初めて見た時の衝撃だったっ!!運転室内が狭くなるのと降りる時を考慮したのかなっ!!他の鉄道会社で採用例は有るのかなっ?
東武はほかに運転室と客室の仕切り戸も引き戸ですね。
バスも折り戸ですね
2:49 →懐かしい#小田急ロマンスカー#小田急線 #小田急#小田急グループ #懐かしい #優等列車 ٩(๑•ㅂ•)۶
ブルトレ客車で多用された折戸ですけど、北海道で使用する時には冬季は粉雪のせいでドアが開閉できないとが予想されたことから、引戸に改造されましたね。(ドアレールにヒーターを取り付けて凍結しないようにしていました。)
@@N--T 「折戸 雪」で検索かけると○のちゃんねるさんの面白い動画が出てくるのでぜひご覧ください。
24系「北斗星」もそうでしたね。
外釣りドア新交通システムに多いよね〜
高崎支社の旧型客車は自動開き戸で閉まるときだけ自動で閉まるので、まるで銀河鉄道999みたいでした。
泉北11000系って折戸なんですよ
07:16 JR北海道のキハ281系・キハ283系・智頭急行HOT7000系・JR四国2000系気動車は「高速バス」タイプのプラグドア。
京急はだいぶ頭で片開き扉だったけど、あのこだわりの理由は何だったのか。
急行の指定席でキハ58の戸袋窓部分に座らされていた人は料金を割引しても良かったと思う。常に窓が薄汚れてましたわ。
二人掛けのS席ですか?165系等の電車では、窓が汚いっていう記憶はなかったと思いますが、やはり気動車ですね。
もっぱら東北で広範囲に急行や間合いの鈍行に運用されたのを見てたので。清掃が追い付かなかったのかも、
折り戸のドアはキハ120
かつての京浜急行も片扉かありました。
800系までは全て片開きで2000系以降が両開きになった、2000系はクロスシートだったため戸袋窓を避けるために両開きにした模様、併せてヘッドライトの2灯化もこの形式から採用された。
当時の副社長のこだわりだったそうですね。両開き2灯ライトの2000系が登場したのはその副社長が退任した直後。
@@ebutuoy970800系の設計当時の正面デザイン案は後の2000系そのままだったな。
その後の1500形が、一般用の両開き扉のお初になりました。
懐かしい~キハ35系…昔は国鉄奈良線で走ってたなぁ
ウィングダァとかシヤッターはあるの?
キハ30系列が外吊りドア🚪だったけど(通勤型)
路面電車だと3枚折り戸(名鉄770系とか880系)とか同じ方向に重ねて収納する2枚引き戸とかなんてのもあったな
戦後の都電は2枚引き戸が標準となり折り戸から改造された車両が多かったようです。
両開きドアのほうが一般的には乗降はスムーズではあるが、そのドアの幅や他の要素がいろいろと影響する面もある。国鉄の72系電車は、片開きの1000mmで、ドアの動作に若干の緩慢さがあったが、同じく片開きであった京王線の2000系や5000系は、1200mmの幅だったにもかかわらず、ドアの動きが素早かったので、ドアの動作自体や乗降では、両開きドアである国鉄の103系や113系等の両開き2枚で1300mmのものとそれほどの大差はない感じだった。
両開きのもうひとつのメリットは満員で閉める時片開きだと一枚のドアが全幅分移動しなければならないが、両開きだと左右から同時にドアが動きまた真ん中で閉まりきるので詰め込みやすい。
両開きの方がそれぞれのドアが動く速度が半分になるので安全というメリットがあります。
学生時代に停車中のキハ110を遠目で見たときに、プラグドアの存在を知らなくて「ドアが外れてる!」と吃驚した。こういうことだったのね。
ゼロドア車ってキハ391の中間車体かと思った(笑)
名鉄パノラマスーパーも折り戸で近所に走っててあんまり違和感がないけどよくよく考えたら面白いドアだねえ
5:50 ニューシャトル2020系、日暮里舎人ライナー330形もですね
この手の話に京阪5000系が出てこなくなったんだなぁ~乁༼☯‿☯✿༽ㄏ遠い目
外吊りドアは、満員状態で事故を起こした時。旅客が車外へ投げ出される恐れがあります。ヨーロッパの車両事故で旅客が投げ出されたことがあります。
カニ38や20系客車電源車の荷物室のドアは上昇式の巻き上げシャッターでした。
ゆりかもめとか外吊りのような
リニモも外吊り。
あとニューシャトルとか日暮里舎人ライナーとか
まさに鉄道車両版のナニコレ珍百景ですな(笑)😆。
折り戸、581、583系、キハ181系、キハ65系。後者はタブレットガードのため先頭車の前寄りの窓が潰されてた🙂
隙間風が入る気は35系は何と降雪地の新潟仕様さえありました。3:50タラコ色の編成の先頭のキハ35が正にそれ一応ドアと車体の間にゴムを付けて塞いでいたそうです。写真の車は越後線弥彦線電化で関東に移籍した車両。
キハ35系みたいなタイプのドアって落ちたりしないんですかね?
N700系とN700S系の内プラグドア。本来この車両はコストや信頼性の為と空気抵抗がさほど変わらなかった事で引き戸を採用しているものの、先頭車両の乗務員室扉横の扉だけ内プラグドアを採用。(1編成あたり4個所のレアドア)理由が乗車人数の維持したまま先頭形状の傾斜を700系よりも浅くした(尖らせた)結果、先頭形状の曲面がドアの所まで達してしまい、3次元形状の複雑な曲面を持ったドアになって、そのままでは引き戸にできなくなってしまったから。・6:23の500系のプラグドアと、9:12のN700S系のプラグドア。
E5系量産先行車U1も同じ。ただ量産車からは普通の引き戸。やってもデザイン性の問題でしかなく意味が無いから辞めた。
@@s.hr-vermouth656 E5系は乗車人数をがっつり減らして車両半分ぐらい先頭形状に使って扉が平面だから引き戸にできます。N700~N700Sは300系から座席配置据え置きであの傾斜。(座席のピッチまで削っている)乗務員室扉なんかすごい形になってる。この2つの扉は先頭形状を製作する時に一緒に作ってから切り離して扉にしてる。
@@岡田和浩-r1d N700Sは座席数違うぞ? シートをそこまで削って詰め込ませたのに席数が歪になって結局500系を追いだしたときの理由で今自分達が返金処理で面倒なことになってる。話がそれちゃった。もう座席定員の意味と定義がSの登場で崩れたから二次車は席削って引き戸にしてもいいんじゃない?
@@s.hr-vermouth656 Sはそうなってたんだ😲。ただ、2次車を引き戸にする為には先頭形状の変更か扉の位置を後退させる事になって、限りなく別車種になります。扉を後退させると乗車位置が変更になって500系問題の再来ですね。
JR西日本めげずにN500系作ってくれないかな。
昔、和田岬線はドアを外してて、人がドアから出たまま走ってたよね〜
交直両用の急行型451が出た当初、先頭の(運転台直後の)扉だけ外釣りだったという黒歴史が……あとキハ/キロ60も外釣りで出場したっけ。
乗降扉の両開き化構想は1937年頃からあったが、初めて試作されたのは1941年のサハ75。しかし当時の技術では両扉のシンクロが上手くいかず、実用化されたのは1957年登場の101系、20年の年月を要した。
戦後に東京で丸ノ内線が作られた際、ニューヨーク市地下鉄の車両を参考に当時の最新技術を詰め込んだ300形が1954年に導入され、これが日本の通勤電車における両開きドアの本格採用された最初の例だと思います。ただし、この300形は左右別々のドアエンジンがありました。
旧型客車の開戸、内開きなので混雑すると開けられなくなるんですよ。特に学校が半ドンだった土曜日は、通学に使える列車が一本しかなくて物凄い混雑でした。混雑が見込まれる列車では、扉を閉めてはいけない、閉まっている扉を見つけたら開けておく、という暗黙のルールがありました。余談ですが桜木町で燃えたモハ63は貫通路が内開き開戸だったため隣の車両に避難しようという乗客が殺到し、扉を開けることができなかったそうです。ドアコックが明示されていない乗降用ドア、中段が固定の窓とともに大参事に至った要因のひとつでした。
そこで混雑区間の安全のために作られた客車が50系レッドトレインで片開きの自動ドアが付いていた。
50系に一度乗ったことがあるけど、ドアを開けるたびに床下からギーーッっていう音がして耳ざわりだった
2:48名鉄1200系「解せぬ」
20m3扉 でもロングシート というちょっと昔の西武も思い出してあげてw
冒頭の片開き両開きのくだりで373系取り上げてくれたのが沿線民としてはかなり嬉しい
たしかに
昔の18きっぱーの憧れ
東武200系のトア無し車両は、200系新造当時の「りょうもう」の利用者が非常に多かったからでしょうね。浅草駅などのホーム長最大6両という制約の中で着席定員確保しないといけなかったから。
前車に座席数合わせるからああなった。
@@s.hr-vermouth656 おっしゃるとおりですね。wikipediaにもそう記載されていた。なぜ合わせないとないかという理由が当時の「りょうもう」の需要の高さですね。今なら少しぐらいなら定員減っても構わないですからね。
プラグドアといえば元祖ゆりかもめ車両(7000系初期車)と22000系〜しまかぜの代の近鉄特急を真っ先に連想する。ゆりかもめはブザーとプラグドアの組み合わせだった。
昔寝台急行銀河に使用していた20系客車のドアは手動だったので、開けっぱなしで走行しててびっくりしたことがあります。車掌さんが手動で閉めてました。
近鉄10000系は折戸と片開き扉の両方採用していた
京急「ドアじゃねえ!ダァだ!」
タクシーは自動開き戸が多いプラグダァも増えてるけど
芸備線のドアは紐で引っ張る式ですね
ブルトレと言えばカニ・マニの荷物室はシャッター式だったよね。客用に使われた例はないのかなあ?荷物用と言えば、相鉄から日立電鉄へ行った旧小田急車を改造したモニ1000、日立では客用につかったので何と大きな両開き荷物扉の片方を固定して片開ドアでつかってたなあ。
南海電鉄、高野線に運用されている6000系のドアは片開きです。ちなみに1962年から運用されて今でも現役車両です。
伊予鉄の坊っちゃん列車の客車や函館のハイカラ號はそもそも側面に扉がないですね
広島電鉄には、折戸タイプ(3003号、1編成のみ低床車輌で、外吊りタイプ大正時代車輌で、扉無しタイプがいます。
低床車両は外吊りの次に出てくるプラグドアですねあと扉なしタイプは5車体低床車の中央(E車)でしょうか、車体両端がオープンデッキのタイプは今回紹介されていないので
広島電鉄の単車(ボギー車)では乗車用の中ドアが両開きの車輌も多いけど(700型や800型など)、その中でも「被爆電車」650型は現在でも木製の両開きドアを使用しているだけに異彩を放っていますね。一昔前までは元:大阪市電の750型も木製の両開きドアを使用していたけど、全車冷房化の際に鋼製ドアに交換されたんだったかな?🤔他に木製の両開きドアを維持し続けている車輌といえば阪堺のモ゙161型くらいですか…。
広電3000形は元西鉄福岡市内線1000形(筑鉄譲渡分を除く1201形・1301形、そして1101形の一部)で、一番前の扉が台車に干渉するからかそのまま残されたんですよね。元北九州線500形の600形は車体が長くてオーバーハングが比較的長かったから(それゆえ北九州線時代、前後を狭める改造を受ける前は急カーブで接触事故がよく起きた)引き戸に改造しやすかったんですけど。
折戸、外吊り戸も知らないで“俺様はスゲー鉄道TH-camr”とは草
初代のぞみ300系は最初期ロットだけプラグドアでした。大学の就職活動で名古屋から東京へ行くときに乗りました。一緒に乗った友人が「もうこの先二度と乗れない貴重な車両だ」と言ってました。現在、N700系先頭車のプラグドアを見るたびにこの言葉を思い出します。話は変わって、私の子供のころはまだSLが牽引する列車編成でした。(国鉄中央西線)ドアは一年中開け放たれていて、そもそも閉まっているところは一度も見たことありません。全開状態で固定されてるイメージでした。だからといって転落事故を聞いたこともないですね。
折り戸+両開き方式のタイプの車両が 伊豆急行線のリゾート21の 特別車両に設けられていた。
動画に「両開きドアは旅客の乗降時間の短縮」とありますが、乗降時間の短縮ではなく、「開閉時間の短縮」が目的ですね。京浜急行電鉄の車両は、ある役員のこだわりで、部品点数の削減やメンテナンスの簡素化を目的に両開きドアの車両を入れなかったんですが、この辺は停車時間や開閉時間、乗客の乗降時間を全て検証して出したとのこと。今はその役員もいなくなり、両開き当たり前になりましたが。
その役員、ドコゾの大手私鉄の車体色が時代錯誤なウンコ色にこだわっているのと同様に、前照灯が一灯とか、先頭車は電動車に限る、等の意味不明な事柄に固執してたようなw。
新快速の場合だと225系のAシートのドア幅は従来の両開きと同じなので開閉にかかる時間は両開きの2倍かかりますね。
@@tanoseason5013 さま 昔の京浜急行をほうふつとさせますね。500系ロマンスシート車もあんな感じでした。新快速の場合は乗降人数が少ないでしょうから、大きな問題にはならないでしょうけど、通勤時間帯の一般車じゃ結構響くでしょうね。
@@けん-o4y さま 先頭電動車だけは意味不明ではありませんよ。何年前か忘れましたが、京浜急行で追浜付近の大雨で土砂崩れしたところに乗り上げてしまいましたが横倒しにはならず、乗客•乗務員とも軽傷で済んでいます。先頭が制御車だったら、大事故になったかも知れません。ちなみに、乗り入れている都営地下鉄や京成電鉄の車輌にも、先頭電動車を強要?しています。
先頭に重い電動車を配置するのは意味がある
確か100系スペーシアにもプラグドア使ってたなまぁ東武はこの車両だけしか使わなかったけど
高崎の旧客は開き戸なのに「自動ドア」となっています
自動なのは閉まるときだけですね。
荷物や郵便車には両開きが採用されていますね。当然大きな荷物の積み下ろし作業を容易にする為です。意外に知られていないのは、旧型客車の荷物車の妻板側の扉は一部の例外を除き、開き戸ではなく片開き戸になっています。現存するオハニ36-11も荷物室側の車端扉は車掌室側への開き戸で、其の為に乗務員室窓がとても狭い窓となっています。
戸袋に窓が付いてる車両が好きです
実は西武6000系は東急東横線を走った唯一戸袋窓がある両開きドア車だったりします。
昔の阪神電車や山陽電車は片方の扉もあります。現在は両方の扉が開きます。
LSEのダアすき❤
キハ36好き
しかも、特急りょうもう号は東武動物公園駅と久喜駅では一部のドアが開かない。
和歌山電鐵貴志川線の車両は降車に配慮して、運転席側が片開き扉で、連結部側が両開き扉というユニークな形になっている。
久留里線に昔いた気動車もへんてこな扉配置だった記憶が
JR四国にも、両端が両開きで真ん中が片開きの車両がある
@@shigoroku-448JR四国の6000系電車ですね。初期は岡山まで進出していたけど瀬戸大橋の通行に支障が出て乗り入れを止めたと聞いた記憶がありますが、間違っていたらごめんなさい。特急用車両を改造したものですが、近鉄と京阪も同じような扉配置の車両がありました。こちらはとおに廃車されましたが初めて見た時は変なの…?て思いました。
@@nishimacchi1972 さん久留里線で一昔前まで走っていたのは「キハ37」ですね。現在は岡山県の水島臨海鉄道に譲渡されて朝夕を中心に活躍しています。(キハ37はJR西の加古川線や米子支社管内でも走っていたけど既に廃車済)ヘンテコなドア配置・窓配置で思い出したけど、JR西・福知山支社の113系5300番台(クモハ113+クモハ112)も先頭車化改造の際に元からのドアを新設した運転台側に移設したので(ワンマン運転対応のため)、戸袋窓が大小2枚並ぶヘンテコな窓配置に…。💦
関東鉄道の気動車は関鉄の伝統ともいえる両端運転席側が片開き、中央が両開きになっている。鹿島臨海鉄道の8000系も同型車。他の鉄道でもあるようです。
2:47 あれ、右側は折戸じゃないね
これは乗務員室扉ですよ! 車掌さんが乗り降りする場所ですね!
251系はプラグドアで、通常は窓が付いてる5箇所のみ開閉し、窓がない残りのドアは河津桜祭りなど極めて多客の時のみ使ってました。
21000系UL含めて、それより前の近鉄特急なんて、全部折り戸やしね。駅着く前の車内放送で、「ドアは内側に開きます。ドアより一歩下がられましてお待ちください。」と必ず言うからなぁ。まぁ、今のUL場合だと、「1号車から6号車と、8号車の扉は内側に開きます。一歩下がられまして、お待ち下さい」となるが。折り戸は良い。何かしらの特別感がある。
名鉄でもパノラマスーパーならいうね。
南海の特急用車輌も「こうや」用の「デラックスズームカー」20001系を皮切りに30000系(「こうや」置換え用)、10000系(「サザン」用)、11000系(「りんかん」用)、31000系(「こうや」増発用)と長らく折戸が採用されていましたね。「ラピート」用50000系のプラグドアを経て「りんかん」「泉北ライナー」用の12000系で片引き戸に移行。
なんか船に乗ってる感じがするあとは南海こうや・りんかんとかキハ185とかもそうやな
JR東日本の旧型客車は自動の開き戸に改造されています。
3:09 ブルートレインなどで折り戸は使われていましたね。あまりドアに近づき過ぎると折り戸が開いたときに顔がぶつかるので要注意でしたが
後583系なんかも折戸でしたね
元祖ブルトレの20系客車にはドアエンジンがなく、旧客のような手動ドアでした。停車しても自動でドアが開くことはなく、乗客がドアの把手を持って開ける必要がありました。また、ドアを開けたままでも発車できました。旧客の手動ドアとの違いは、ドアのロック機構があったこと。車掌のスイッチ操作で、閉まっているドアを車内側から押さえるラッチが天井側から突き出し、ドアを開けられなくしていました。ドアを開けたままの発車後にドアを閉めると、次の停車で車掌がロックを解除するまで開けられないようにもなっていました。このスタイルは20系のみで、旧客の手動ドアと14系のような自動ドアの過渡期らしい装備でした。
@@hiroakiishii3986 魔改造した419系は自動で開かないので、どうやって乗るんだろう?と迷ったことがあります。後ろの人が紐を引っ張るんだと教えてくれました。
@@hiroakiishii3986 寝台やら機器を詰め込んだせいで戸袋を設けるスペースを捻出できなかったので折り戸になったとか。特急列車だから扉幅が狭くても問題にならなくて合理的とも言えた。後で近郊型に改造されたら、その折り戸の狭さが仇になるという皮肉。
@@Zeit-OSA 当時の寝台車は各車両ごとに「給仕」が乗っていたので発車時はドアの確認をしていたのだと思います。
8:41 なんならドアチャイムも鳴る
06:06 りょうもう号、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
鉄道はおろか、移動するものですら無いのですが、空港では開き戸の自動扉を見かけますね……
通勤電車🚃の4扉片引き戸の南海電鉄高野線6000系。
北海道の737系を4ドアに改造したい…。そうすれば乗り降りが楽になります。近郊型電車のつもりですが外観上は急行形電車に退化してる感じがしてしまってますので。
ワンマン運転のとき考えると無駄じゃねえか?だったら733とかでやろうよ@@monoeye4x489
片開きドアが4ヶ所というのは、悪名高き国鉄63系電車ではなく鶴見臨港鉄道のモハ220形・クハ260形が日本初でした。この車両は17m級だったので側面は戸袋窓ばかりで開く箇所の方が少なかったそうです。戦後も京急では普通列車用として17~18m級の片開き4ドア車を導入しています。63形改め73形に代表される20m級4ドア車は輸送力が抜群だったため戦後は通勤電車の標準形となりました。
南海繋がりで、紀勢線「きのくに」乗り入れ用キハ5500系が関東鉄道に移籍後、4ドア改造されたのがあったな。
南海キハ5500型はベース車の国鉄キハ55と同様に車体中央部に排気管が立ち上がっていたので増設ドアを中央に設けられず、結果として日本の気動車では唯一の4ドア車が爆誕。もう一つ、この車輌は南海時代に踏切事故で廃車となったものを西武所沢車両工場に持ち込んで修復したついでに4ドア化したといういわく付き。
ブルトレの折り戸は懐かしい。独特の特別感がある。
遠いところへの旅立ちを想起できるから私も折戸が好きです
東武のDRC、西武初代レッドアロー、京成初代スカイライナー、小田急のLSE・HISE・RSEも折扉でした。
私の亡弟は中学3年の修学旅行で長野から出発した列車は「集約臨」と称され,帰って来てから「バスみたいなドアがおもむろに開いて・・・・・・」等と話していたことから,おそらく12系の客車だったのではないかと推定される。
外吊り式のダァと言えば、某夢の国にも走ってますな。
お風呂場の折戸で電車ごっこした事ある
そして母親に怒られる😂
折戸…食パン電車が恋しくなります。
@@monoeye4x489 あんな醜いボロの車輌が??
閉まる直前でちょっと止めてゆっくり閉めるんですよね
浴室用の折戸でバス🚍ごっこをした事がある人もいそう(笑)
キハ100系のプラグドアが一番好き異論は認める
近鉄の特急車両ではアーバンライナーまで折戸、それ以降の車両はプラグドアのはず。
しかしひのとりは引き戸なんですよねえ。
@@Fanatia さんサンクス😆💕✨
アーバンライナーがデビューした頃、近鉄特急の一般車両は折戸なのにデッキがない車両が多く、ドア近くの席の乗客はラッシュ時の立ち客や冬場の冷たい空気が流れ込むなどで落ち着かなかったでしょうね。
@@Yoshin-Sashizume さん関係ないけど、南海のラピートは粋な演出のためか?駅に停車中はデッキとの仕切り扉も開いていて、発車時にドアが閉まると一緒に閉まるというのを聞いたことがあります。折角の特急車両の意味がない~。
南海ラピートの話題が出て来たので…。南海の特急用車輌も「こうや」用の「デラックスズームカー」20001系を皮切りに30000系(「こうや」置換え用)、10000系(「サザン」用)、11000系(「りんかん」用)、31000系(「こうや」増発用)と長らく折戸が採用されていましたね。「ラピート」用50000系のプラグドアを経て「りんかん」「泉北ライナー」用の12000系で片引き戸に移行。
冬は、雪で、両開きのドアが、雪でうまく閉まらないことに、時々、遭遇しました。
雪国ならではのトラブルです。
田舎の車両には半自動ドアがありますね。
ドアの横に開閉ボタンがあって、客がボタン押して開けたり閉めたりする。
単線の待避駅や始発駅では長時間停車するので冷暖房の効率を上げるための仕様。
洗面台の近くに折り戸があると一気に洗面所感が増すな
小学生当時,阪急2000系が登場したが,両開きドア(阪急初)を見て子供心に時代の進歩を感じた.
アストラムラインも新型は外吊り式
そういやノンステップバスでおなじみのグライドスライドドアは鉄道用にはないなあ
E993系.....
ガルウィングドア列車とか
あったらなって思う😊
3:27の車両C381だ!海外はこういうの多い。
1970年代くらいの東北本線は画像にあるような開き戸だった気がするな
北海道は雪が多く、14系や北斗星、トワイライトエクスプレスは折り扉から引き扉に改造された
こうして見ると近鉄は特殊が多い😊
昔の東京の地下鉄でドアが閉まる時に
「ダンッ、ダン、ダダ…」って何度か跳ね返りながら閉まるのが面白くて好きだった。
銀座線?丸ノ内線?それとも…?
京成の初代スカイライナーと西武の初代レッドアローも折り扉だった
昼夜両用の583系も折戸でしたね。
かなり前にドア乗務員を見たことがあるな
確かドア故障で扉が開きっぱなしになったときに紐で注意喚起しつつ乗客に近寄らせないために乗務員が開きっぱなしのドアの前に立ってそのまま運航してた
JR九州783は真ん中に扉&1扉ですよね
昔の両開きドアで互いに独立して動作するやつは
バラバラに閉まるのが面白かった
扉の上がやたら出っ張っているから
異様な光景だったけれど
まだ今でも結構残っているかも
清水港線にあった折戸駅は駅自体が開閉しました(うそです、30系客車は開けっ放し)
ライトレールでプラグドアが多いのは、プラグドアが一般的な欧州車両ベースのが多いのもあるだろうね…
外吊りドアと言えば非電化時代の八高線(南側)
外釣りドアは昔関西本線で山ほど観ました(^▽^;)
9:04 タクシー🚕の自動ドアは実際ドライバーの手動だからな。
セダン型の大半は手動ですが、ブレーキ倍力装置と同様にエンジンの負圧を利用したバキューム式もあるようです。最近のスライドドアは電動式ですね。
昭和の時代、安全より輸送を優先したせいか、閉まらなくなった103系のドアに職員が添乗していたのを見たなぁ
窓ガラスが割れても、ガムテープで応急処置して走らせてたし
Acトレインも外吊ドアだった。
>>折戸は特別な列車なイメージがある
尚719系や419系()
ホームで手近な車両のドアから乗って指定の座席番号まで歩いたから、降りようとしたらドアが無い!?りょうもう号に焦ったっけ、懐かしい。座席が増えて儲かるし私鉄は自由で面白いなと興味を持ったきっかけだった。
東武鉄道の5700系は乗務員扉が引き戸だったのが、初めて見た時の衝撃だったっ!!運転室内が狭くなるのと降りる時を考慮したのかなっ!!他の鉄道会社で採用例は有るのかなっ?
東武はほかに運転室と客室の仕切り戸も引き戸ですね。
バスも折り戸ですね
2:49 →懐かしい
#小田急ロマンスカー
#小田急線 #小田急
#小田急グループ #懐かしい
#優等列車
٩(๑•ㅂ•)۶
ブルトレ客車で多用された折戸ですけど、北海道で使用する時には冬季は粉雪のせいでドアが開閉できないとが予想されたことから、引戸に改造されましたね。(ドアレールにヒーターを取り付けて凍結しないようにしていました。)
@@N--T
「折戸 雪」で検索かけると○のちゃんねるさんの面白い動画が出てくるのでぜひご覧ください。
24系「北斗星」もそうでしたね。
外釣りドア新交通システムに多いよね〜
高崎支社の旧型客車は自動開き戸で閉まるときだけ自動で閉まるので、まるで銀河鉄道999みたいでした。
泉北11000系って折戸なんですよ
07:16 JR北海道のキハ281系・キハ283系・智頭急行HOT7000系・JR四国2000系気動車は「高速バス」タイプのプラグドア。
京急はだいぶ頭で片開き扉だったけど、あのこだわりの理由は何だったのか。
急行の指定席でキハ58の戸袋窓部分に座らされていた人は料金を割引しても良かったと思う。常に窓が薄汚れてましたわ。
二人掛けのS席ですか?165系等の電車では、窓が汚いっていう記憶はなかったと思いますが、やはり気動車ですね。
もっぱら東北で広範囲に急行や間合いの鈍行に運用されたのを見てたので。清掃が追い付かなかったのかも、
折り戸のドアはキハ120
かつての京浜急行も片扉かありました。
800系までは全て片開きで2000系以降が両開きになった、2000系はクロスシートだったため戸袋窓を避けるために両開きにした模様、併せてヘッドライトの2灯化もこの形式から採用された。
当時の副社長のこだわりだったそうですね。両開き2灯ライトの2000系が登場したのはその副社長が退任した直後。
@@ebutuoy970800系の設計当時の正面デザイン案は後の2000系そのままだったな。
その後の1500形が、一般用の両開き扉のお初になりました。
懐かしい~キハ35系…昔は国鉄奈良線で走ってたなぁ
ウィングダァとかシヤッターはあるの?
キハ30系列が外吊りドア🚪
だったけど(通勤型)
路面電車だと3枚折り戸(名鉄770系とか880系)とか同じ方向に重ねて収納する2枚引き戸とかなんてのもあったな
戦後の都電は2枚引き戸が標準となり折り戸から改造された車両が多かったようです。
両開きドアのほうが一般的には乗降はスムーズではあるが、そのドアの幅や他の要素がいろいろと影響する面もある。
国鉄の72系電車は、片開きの1000mmで、ドアの動作に若干の緩慢さがあったが、同じく片開きであった京王線の2000系や5000系は、1200mmの幅だったにもかかわらず、ドアの動きが素早かったので、ドアの動作自体や乗降では、両開きドアである国鉄の103系や113系等の両開き2枚で1300mmのものとそれほどの大差はない感じだった。
両開きのもうひとつのメリットは満員で閉める時片開きだと一枚のドアが全幅分移動しなければならないが、両開きだと左右から同時にドアが動きまた真ん中で閉まりきるので詰め込みやすい。
両開きの方がそれぞれのドアが動く速度が半分になるので安全というメリットがあります。
学生時代に停車中のキハ110を遠目で見たときに、プラグドアの存在を知らなくて「ドアが外れてる!」と吃驚した。こういうことだったのね。
ゼロドア車ってキハ391の中間車体かと思った(笑)
名鉄パノラマスーパーも折り戸で近所に走っててあんまり違和感がないけどよくよく考えたら面白いドアだねえ
5:50 ニューシャトル2020系、日暮里舎人ライナー330形もですね
この手の話に
京阪5000系が出てこなくなったんだなぁ~
乁༼☯‿☯✿༽ㄏ遠い目
外吊りドアは、満員状態で事故を起こした時。旅客が車外へ投げ出される恐れがあります。ヨーロッパの車両事故で旅客が投げ出されたことがあります。
カニ38や20系客車電源車の荷物室のドアは上昇式の巻き上げシャッターでした。
ゆりかもめとか外吊りのような
リニモも外吊り。
あとニューシャトルとか日暮里舎人ライナーとか
まさに鉄道車両版のナニコレ珍百景ですな(笑)😆。
折り戸、581、583系、キハ181系、キハ65系。後者はタブレットガードのため先頭車の前寄りの窓が潰されてた🙂
隙間風が入る気は35系は何と降雪地の新潟仕様さえありました。3:50タラコ色の編成の先頭のキハ35が正にそれ一応ドアと車体の間にゴムを付けて塞いでいたそうです。写真の車は越後線弥彦線電化で関東に移籍した車両。
キハ35系みたいなタイプのドアって落ちたりしないんですかね?
N700系とN700S系の内プラグドア。
本来この車両はコストや信頼性の為と空気抵抗がさほど変わらなかった事で引き戸を採用しているものの、先頭車両の乗務員室扉横の扉だけ内プラグドアを採用。
(1編成あたり4個所のレアドア)
理由が乗車人数の維持したまま先頭形状の傾斜を700系よりも浅くした(尖らせた)結果、先頭形状の曲面がドアの所まで達してしまい、3次元形状の複雑な曲面を持ったドアになって、そのままでは引き戸にできなくなってしまったから。
・
6:23の500系のプラグドアと、9:12のN700S系のプラグドア。
E5系量産先行車U1も同じ。
ただ量産車からは普通の引き戸。やってもデザイン性の問題でしかなく意味が無いから辞めた。
@@s.hr-vermouth656 E5系は乗車人数をがっつり減らして車両半分ぐらい先頭形状に使って扉が平面だから引き戸にできます。
N700~N700Sは300系から座席配置据え置きであの傾斜。
(座席のピッチまで削っている)
乗務員室扉なんかすごい形になってる。
この2つの扉は先頭形状を製作する時に一緒に作ってから切り離して扉にしてる。
@@岡田和浩-r1d N700Sは座席数違うぞ? シートをそこまで削って詰め込ませたのに席数が歪になって結局500系を追いだしたときの理由で今自分達が返金処理で面倒なことになってる。
話がそれちゃった。もう座席定員の意味と定義がSの登場で崩れたから二次車は席削って引き戸にしてもいいんじゃない?
@@s.hr-vermouth656 Sはそうなってたんだ😲。
ただ、2次車を引き戸にする為には先頭形状の変更か扉の位置を後退させる事になって、限りなく別車種になります。
扉を後退させると乗車位置が変更になって500系問題の再来ですね。
JR西日本めげずにN500系作ってくれないかな。
昔、和田岬線はドアを外してて、人がドアから出たまま走ってたよね〜
交直両用の急行型451が出た当初、先頭の(運転台直後の)扉だけ外釣りだったという黒歴史が……
あとキハ/キロ60も外釣りで出場したっけ。
乗降扉の両開き化構想は1937年頃からあったが、初めて試作されたのは1941年のサハ75。
しかし当時の技術では両扉のシンクロが上手くいかず、実用化されたのは1957年登場の101系、20年の年月を要した。
戦後に東京で丸ノ内線が作られた際、ニューヨーク市地下鉄の車両を参考に当時の最新技術を詰め込んだ300形が1954年に導入され、これが日本の通勤電車における両開きドアの本格採用された最初の例だと思います。ただし、この300形は左右別々のドアエンジンがありました。
旧型客車の開戸、内開きなので混雑すると開けられなくなるんですよ。特に学校が半ドンだった土曜日は、通学に使える列車が一本しかなくて物凄い混雑でした。混雑が見込まれる列車では、扉を閉めてはいけない、閉まっている扉を見つけたら開けておく、という暗黙のルールがありました。余談ですが桜木町で燃えたモハ63は貫通路が内開き開戸だったため隣の車両に避難しようという乗客が殺到し、扉を開けることができなかったそうです。ドアコックが明示されていない乗降用ドア、中段が固定の窓とともに大参事に至った要因のひとつでした。
そこで混雑区間の安全のために作られた客車が50系レッドトレインで片開きの自動ドアが付いていた。
50系に一度乗ったことがあるけど、ドアを開けるたびに床下からギーーッっていう音がして耳ざわりだった
2:48名鉄1200系「解せぬ」
20m3扉 でもロングシート というちょっと昔の西武も思い出してあげてw
冒頭の片開き両開きのくだりで373系取り上げてくれたのが沿線民としてはかなり嬉しい
たしかに
昔の18きっぱーの憧れ
東武200系のトア無し車両は、200系新造当時の「りょうもう」の利用者が非常に多かったからでしょうね。浅草駅などのホーム長最大6両という制約の中で着席定員確保しないといけなかったから。
前車に座席数合わせるからああなった。
@@s.hr-vermouth656 おっしゃるとおりですね。wikipediaにもそう記載されていた。なぜ合わせないとないかという理由が当時の「りょうもう」の需要の高さですね。今なら少しぐらいなら定員減っても構わないですからね。
プラグドアといえば元祖ゆりかもめ車両(7000系初期車)と22000系〜しまかぜの代の近鉄特急を真っ先に連想する。
ゆりかもめはブザーとプラグドアの組み合わせだった。
昔寝台急行銀河に使用していた20系客車のドアは手動だったので、開けっぱなしで走行しててびっくりしたことがあります。車掌さんが手動で閉めてました。
近鉄10000系は折戸と片開き扉の両方採用していた
京急「ドアじゃねえ!ダァだ!」
タクシーは自動開き戸が多い
プラグダァも増えてるけど
芸備線のドアは紐で引っ張る式ですね
ブルトレと言えばカニ・マニの荷物室はシャッター式だったよね。客用に使われた例はないのかなあ?
荷物用と言えば、相鉄から日立電鉄へ行った旧小田急車を改造したモニ1000、日立では客用につかった
ので何と大きな両開き荷物扉の片方を固定して片開ドアでつかってたなあ。
南海電鉄、高野線に運用されている6000系のドアは片開きです。ちなみに1962年から運用されて今でも現役車両です。
伊予鉄の坊っちゃん列車の客車や函館のハイカラ號はそもそも側面に扉がないですね
広島電鉄には、折戸タイプ(3003号、1編成のみ
低床車輌で、外吊りタイプ
大正時代車輌で、扉無しタイプがいます。
低床車両は外吊りの次に出てくるプラグドアですね
あと扉なしタイプは5車体低床車の中央(E車)でしょうか、車体両端がオープンデッキのタイプは今回紹介されていないので
広島電鉄の単車(ボギー車)では乗車用の中ドアが両開きの車輌も多いけど(700型や800型など)、その中でも「被爆電車」650型は現在でも木製の両開きドアを使用しているだけに異彩を放っていますね。
一昔前までは元:大阪市電の750型も木製の両開きドアを使用していたけど、全車冷房化の際に鋼製ドアに交換されたんだったかな?🤔
他に木製の両開きドアを維持し続けている車輌といえば阪堺のモ゙161型くらいですか…。
広電3000形は元西鉄福岡市内線1000形(筑鉄譲渡分を除く1201形・1301形、そして1101形の一部)で、一番前の扉が台車に干渉するからかそのまま残されたんですよね。
元北九州線500形の600形は車体が長くてオーバーハングが比較的長かったから(それゆえ北九州線時代、前後を狭める改造を受ける前は急カーブで接触事故がよく起きた)引き戸に改造しやすかったんですけど。
折戸、外吊り戸も知らないで
“俺様はスゲー鉄道TH-camr”とは草
初代のぞみ300系は最初期ロットだけプラグドアでした。
大学の就職活動で名古屋から東京へ行くときに乗りました。
一緒に乗った友人が
「もうこの先二度と乗れない貴重な車両だ」
と言ってました。
現在、N700系先頭車のプラグドアを見るたびにこの言葉を思い出します。
話は変わって、私の子供のころはまだSLが牽引する列車編成でした。(国鉄中央西線)
ドアは一年中開け放たれていて、そもそも閉まっているところは一度も見たことありません。
全開状態で固定されてるイメージでした。
だからといって転落事故を聞いたこともないですね。
折り戸+両開き方式のタイプの車両が 伊豆急行線のリゾート21の 特別車両に設けられていた。
動画に「両開きドアは旅客の乗降時間の短縮」とありますが、乗降時間の短縮ではなく、「開閉時間の短縮」が目的ですね。
京浜急行電鉄の車両は、ある役員のこだわりで、部品点数の削減やメンテナンスの簡素化を目的に両開きドアの車両を入れなかったんですが、この辺は停車時間や開閉時間、乗客の乗降時間を全て検証して出したとのこと。
今はその役員もいなくなり、両開き当たり前になりましたが。
その役員、ドコゾの大手私鉄の車体色が時代錯誤なウンコ色にこだわっているのと同様に、前照灯が一灯とか、先頭車は電動車に限る、等の意味不明な事柄に固執してたようなw。
新快速の場合だと
225系のAシートのドア幅は従来の両開きと同じなので開閉にかかる時間は両開きの2倍かかりますね。
@@tanoseason5013 さま 昔の京浜急行をほうふつとさせますね。500系ロマンスシート車もあんな感じでした。新快速の場合は乗降人数が少ないでしょうから、大きな問題にはならないでしょうけど、通勤時間帯の一般車じゃ結構響くでしょうね。
@@けん-o4y さま 先頭電動車だけは意味不明ではありませんよ。何年前か忘れましたが、京浜急行で追浜付近の大雨で土砂崩れしたところに乗り上げてしまいましたが横倒しにはならず、乗客•乗務員とも軽傷で済んでいます。
先頭が制御車だったら、大事故になったかも知れません。
ちなみに、乗り入れている都営地下鉄や京成電鉄の車輌にも、先頭電動車を強要?しています。
先頭に重い電動車を配置するのは意味がある
確か100系スペーシアにもプラグドア使ってたな
まぁ東武はこの車両だけしか使わなかったけど
高崎の旧客は
開き戸なのに「自動ドア」と
なっています
自動なのは閉まるときだけですね。
荷物や郵便車には両開きが採用されていますね。
当然大きな荷物の積み下ろし作業を容易にする為です。
意外に知られていないのは、旧型客車の荷物車の妻板側の扉は一部の例外を除き、
開き戸ではなく片開き戸になっています。
現存するオハニ36-11も荷物室側の車端扉は車掌室側への開き戸で、
其の為に乗務員室窓がとても狭い窓となっています。
戸袋に窓が付いてる車両が好きです
実は西武6000系は東急東横線を走った唯一戸袋窓がある両開きドア車だったりします。
昔の阪神電車や山陽電車は片方の扉もあります。
現在は両方の扉が開きます。
LSEのダアすき❤
キハ36好き
しかも、特急りょうもう号は東武動物公園駅と久喜駅では一部のドアが開かない。
和歌山電鐵貴志川線の車両は降車に配慮して、運転席側が
片開き扉で、連結部側が両開き扉というユニークな形になっている。
久留里線に昔いた気動車もへんてこな扉配置だった記憶が
JR四国にも、両端が両開きで真ん中が片開きの車両がある
@@shigoroku-448
JR四国の6000系電車ですね。
初期は岡山まで進出していたけど瀬戸大橋の通行に支障が出て乗り入れを止めたと聞いた記憶がありますが、間違っていたらごめんなさい。
特急用車両を改造したものですが、近鉄と京阪も同じような扉配置の車両がありました。
こちらはとおに廃車されましたが初めて見た時は変なの…?て思いました。
@@nishimacchi1972 さん
久留里線で一昔前まで走っていたのは「キハ37」ですね。
現在は岡山県の水島臨海鉄道に譲渡されて朝夕を中心に活躍しています。
(キハ37はJR西の加古川線や米子支社管内でも走っていたけど既に廃車済)
ヘンテコなドア配置・窓配置で思い出したけど、JR西・福知山支社の113系5300番台(クモハ113+クモハ112)も先頭車化改造の際に元からのドアを新設した運転台側に移設したので(ワンマン運転対応のため)、戸袋窓が大小2枚並ぶヘンテコな窓配置に…。💦
関東鉄道の気動車は関鉄の伝統ともいえる両端運転席側が片開き、中央が両開きになっている。鹿島臨海鉄道の8000系も同型車。他の鉄道でもあるようです。
2:47 あれ、右側は折戸じゃないね
これは乗務員室扉ですよ! 車掌さんが乗り降りする場所ですね!
251系はプラグドアで、通常は窓が付いてる5箇所のみ開閉し、窓がない残りのドアは河津桜祭りなど極めて多客の時のみ使ってました。
21000系UL含めて、それより前の近鉄特急なんて、全部折り戸やしね。
駅着く前の車内放送で、「ドアは内側に開きます。ドアより一歩下がられましてお待ちください。」
と必ず言うからなぁ。
まぁ、今のUL場合だと、
「1号車から6号車と、8号車の扉は内側に開きます。一歩下がられまして、お待ち下さい」となるが。
折り戸は良い。何かしらの特別感がある。
名鉄でもパノラマスーパーならいうね。
南海の特急用車輌も「こうや」用の「デラックスズームカー」20001系を皮切りに30000系(「こうや」置換え用)、10000系(「サザン」用)、11000系(「りんかん」用)、31000系(「こうや」増発用)と長らく折戸が採用されていましたね。
「ラピート」用50000系のプラグドアを経て「りんかん」「泉北ライナー」用の12000系で片引き戸に移行。
なんか船に乗ってる感じがする
あとは南海こうや・りんかんとかキハ185とかもそうやな
JR東日本の旧型客車は自動の開き戸に改造されています。
3:09 ブルートレインなどで折り戸は使われていましたね。
あまりドアに近づき過ぎると折り戸が開いたときに顔がぶつかるので要注意でしたが
後583系なんかも折戸でしたね
元祖ブルトレの20系客車にはドアエンジンがなく、旧客のような手動ドアでした。停車しても自動でドアが開くことはなく、乗客がドアの把手を持って開ける必要がありました。また、ドアを開けたままでも発車できました。
旧客の手動ドアとの違いは、ドアのロック機構があったこと。車掌のスイッチ操作で、閉まっているドアを車内側から押さえるラッチが天井側から突き出し、ドアを開けられなくしていました。ドアを開けたままの発車後にドアを閉めると、次の停車で車掌がロックを解除するまで開けられないようにもなっていました。
このスタイルは20系のみで、旧客の手動ドアと14系のような自動ドアの過渡期らしい装備でした。
@@hiroakiishii3986 魔改造した419系は自動で開かないので、どうやって乗るんだろう?と迷ったことがあります。
後ろの人が紐を引っ張るんだと教えてくれました。
@@hiroakiishii3986 寝台やら機器を詰め込んだせいで戸袋を設けるスペースを捻出できなかったので折り戸になったとか。特急列車だから扉幅が狭くても問題にならなくて合理的とも言えた。
後で近郊型に改造されたら、その折り戸の狭さが仇になるという皮肉。
@@Zeit-OSA 当時の寝台車は各車両ごとに「給仕」が乗っていたので発車時はドアの確認をしていたのだと思います。
8:41 なんならドアチャイムも鳴る
06:06 りょうもう号、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
鉄道はおろか、移動するものですら無いのですが、空港では開き戸の自動扉を見かけますね……
通勤電車🚃の4扉片引き戸の南海電鉄高野線6000系。
北海道の737系を4ドアに改造したい…。そうすれば乗り降りが楽になります。近郊型電車のつもりですが外観上は急行形電車に退化してる感じがしてしまってますので。
ワンマン運転のとき考えると無駄じゃねえか?だったら733とかでやろうよ@@monoeye4x489
片開きドアが4ヶ所というのは、悪名高き国鉄63系電車ではなく鶴見臨港鉄道のモハ220形・クハ260形が日本初でした。この車両は17m級だったので側面は戸袋窓ばかりで開く箇所の方が少なかったそうです。戦後も京急では普通列車用として17~18m級の片開き4ドア車を導入しています。63形改め73形に代表される20m級4ドア車は輸送力が抜群だったため戦後は通勤電車の標準形となりました。
南海繋がりで、紀勢線「きのくに」乗り入れ用キハ5500系が関東鉄道に移籍後、4ドア改造されたのがあったな。
南海キハ5500型はベース車の国鉄キハ55と同様に車体中央部に排気管が立ち上がっていたので増設ドアを中央に設けられず、結果として日本の気動車では唯一の4ドア車が爆誕。
もう一つ、この車輌は南海時代に踏切事故で廃車となったものを西武所沢車両工場に持ち込んで修復したついでに4ドア化したといういわく付き。
ブルトレの折り戸は懐かしい。独特の特別感がある。
遠いところへの旅立ちを想起できるから私も折戸が好きです
東武のDRC、西武初代レッドアロー、京成初代スカイライナー、小田急のLSE・HISE・RSEも折扉でした。
私の亡弟は中学3年の修学旅行で長野から出発した列車は「集約臨」と称され,帰って来てから「バスみたいなドアがおもむろに開いて・・・・・・」等と話していたことから,おそらく12系の客車だったのではないかと推定される。
外吊り式のダァと言えば、某夢の国にも走ってますな。
お風呂場の折戸で電車ごっこした事ある
そして母親に怒られる😂
折戸…食パン電車が恋しくなります。
@@monoeye4x489 あんな醜いボロの車輌が??
閉まる直前でちょっと止めてゆっくり閉めるんですよね
浴室用の折戸でバス🚍ごっこをした事がある人もいそう(笑)
キハ100系のプラグドアが一番好き
異論は認める
近鉄の特急車両ではアーバンライナーまで折戸、それ以降の車両はプラグドアのはず。
しかしひのとりは引き戸なんですよねえ。
@@Fanatia さん
サンクス😆💕✨
アーバンライナーがデビューした頃、近鉄特急の一般車両は折戸なのにデッキがない車両が多く、ドア近くの席の乗客はラッシュ時の立ち客や冬場の冷たい空気が流れ込むなどで落ち着かなかったでしょうね。
@@Yoshin-Sashizume さん
関係ないけど、南海のラピートは粋な演出のためか?駅に停車中はデッキとの仕切り扉も開いていて、発車時にドアが閉まると一緒に閉まるというのを聞いたことがあります。折角の特急車両の意味がない~。
南海ラピートの話題が出て来たので…。
南海の特急用車輌も「こうや」用の「デラックスズームカー」20001系を皮切りに30000系(「こうや」置換え用)、10000系(「サザン」用)、11000系(「りんかん」用)、31000系(「こうや」増発用)と長らく折戸が採用されていましたね。
「ラピート」用50000系のプラグドアを経て「りんかん」「泉北ライナー」用の12000系で片引き戸に移行。