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貴重なフィルムをありがとうございます。道にゴミが落ちてる様子が無く町並みも整然としていて美しい。男女とも猫背が居なくて品がある。本当に日本人は清潔なんでしょう。これからも古き良き物は大切にしたいです。
感謝申し上げます。
すごい!貴重!アップロードありがとうございます。万世橋駅の映像は貴重ですね。男はみんな帽子、女はみんなパラソル、男も女も和装、あちこち路面電車だらけ、等々、今と全然違ってて面白いです。100年前の暮らしが垣間見えますね。
月亭可朝も被ってたカンカン帽ですね。
関東大震災以前の映像は貴重ですね。東京がいかに美しい街であったかがわかります。
桜のシーンだけ、ピンクの画面になっているところが興味深かったです😊。あの震災で、映像にあった美しく緑豊かな町は灰燼と化してしまったがその後の復興もまた凄まじかったに違いない。
今よりずっと文化的で素晴らしい。すべて当時の建物に戻したい。
それはイヤ
パナマ帽やハット被ってる人が多くてびっくり!波平さんも会社に行く時かならず被ってるもんね。この時代の紳士の身嗜みを継承してるんだね。
明治35年生まれの祖父は昭和の終わりの晩年まで外出時は必ずハンチング帽を被ってました。父親が帽子被ってる姿の記憶はないんですが玄関には帽子掛けが置いてあり祖父と父の帽子が掛けてありましたね。
This archive film is a treasure. Thank you for sharing. Hoping that the intertitles have English subtitle.
活動写真通りや三社祭神輿の動画は熱気があっていいよね。
大正帝都の写真は知ってたのですが、映像は初めてで人が息衝いているのが、より実感できました特に通行人が、撮影カメラの方向を見た後、何を撮っているんだろ?と振り向くのを見るとそこに撮影者と被写体が存在する事をより実感でき、とても素晴らしいです!
和装がカッコいい!
増上寺の五重塔。大村益次郎の銅像の周りの大砲等今は見られない貴重なものばかりですね。
映画「帝都物語」の震災前シーンではもっと江戸時代風の街並みだったので復興後かと感じてしまうほど近代化が進んでいたのに驚きです。
1:55 宮城(皇居)前広場の大楠公銅像は今でもある。2:47 「厳めし館は警視庁」と、歌われた警視庁3:46 陸軍参謀本部とすると三宅坂か?6:34 今の迎賓館赤坂離宮だろう7:31 数年前、大村益次郎公の銅像台座に犬をのせている馬鹿がいた。8:25 「須田町」とあるが、神田須田町の事で、広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像があるから、万世橋のたもと つまり秋葉原の近くである。9:07 天下の東京帝国大学、今の東大であるが、今と比べものにならない位、帝大の入学試験は難しかった9:29 上野公園前は、大八車、馬車、自転車、自動車、路面電車といろいろな乗り物があって驚きだ。10:21 大西郷銅像、西郷南洲は100年後の日本を見て何と思うか?14:56 浅草六区は芝居小屋や活動写真館が立ち並んでいるから、すごい人出だ。しかし、この当時の動画を観ると、男性はほとんど帽子をかぶっている。桜の咲く頃だから気候的のそんなに暑くはないだろうし、帽子が流行なのか?それに、洋服姿の人は兵隊だけ、みんな着物当時の様子がわかって、興味深い。
赤坂見附に何もなくて感動
まだまだ洋装は少ないですねー。空も道路も広い。今の東京より住みやすそうに見える。
焼失前の万世橋駅舎の豪奢さが際立っていますね。
衆議院貴族院で「おや❓」っと思ったが今の国会議事堂の竣工は昭和11年だった😂💦
最後の方に映る浅草ですが、20世紀中に2度に渡って焼かれました。三社祭で映っているのは、江戸時代に作られて明治時代に国宝指定された神輿のイミテーションです。本物が国宝になって担げなくなったので作られたものです。残念ですが、20年3月の空襲で6基全て失われました。現在の神輿は、昭和20年代半ばに作られた神輿です。神輿の担ぎ方が今とは全く違いますが、これが浅草オリジナルの担ぎ方です。今の「江戸前」と呼ばれる担ぎ方は、東京以外から来た人達が昭和40年代になんとなぁ~く作ったものです。(でも作法が決められています)
2020 ??
@@德夫羅昭和20
東京駅、増上寺大門、迎賓館、靖国神社なんかは今も見ることができるけど、大震災で灰燼と帰してしまう。残ったものも、空襲でなくなってしまったのを考えると、見たこともない異世界みたいですね。
この頃走ってる車ってどこのメーカー?
フォード等のアメ車、当時の国内メーカーは三菱自動車だけで、少量生産しかしてなかった。
東京駅は、このころは復元でなく元のかたちだったんだ。
帝都
2:55
“美しかった日本”悲しいことに失ってしまったものの代償は大きいです。
丸の内ビルがカッコいいな
高い建物の塔がいいなぁ。皇居も今より果てしなく広く感じる。政府機関の前で、ぼーっと見ていると、当時なら官憲に「おいっ!コラ!」って怒られるんでしょうね。
次の震災では、平成以前の東京も、残ってほしいと思います。
洋服を着ているのに着物を着ているかのような歩きかたをしている人が多いね
저이 화려한 건물을 1925년 전에 만들었다고
動物園のライオン、毛並み悪くストレスありそうです。
明治神宮が建立されて十数年しかたっていない大正末期
people had coloured skin
人が多く感じるのは、車に人が追いやられてないからなんでしょうね。すごい都会に感じます。文化レベルが高い印象を受けますね。ここから見ると今の東京は宇宙ですね。しかし、テロップが震災以前で1925年と思いっきり間違えてるのは何でろう。まとめたのが25年だと思うけど、その表記は意味がないし但し書きが必要かと。
×0,65
サクラ大戦
関東大震災は1923年です。この映像が1925年ならおかしい。記録映画のキャプションでは最も注意すべき事です。
公開が1925年なのでは?
1925年に、震災以前の記録を上演したもの。
2035年9月2日㉁のコロナ中心線は、…平壌…能登、糸魚川長野、上毛高原、日光、水戸に抜ける模様です。
タルタリア建築だよね
帝都直下型大地震?戦前の大日本帝国は、何か悪い事をしていたのですか?
アーカイブ映像ならフィルムの欠け部分もデジタルで修復すべきだろうね!!当時の映像編集技術は、今の比にならないぐらい稚拙だね。
선전용 프로파겐다 필름!!!!!!!!!
貴重なフィルムをありがとうございます。
道にゴミが落ちてる様子が無く町並みも整然としていて美しい。男女とも猫背が居なくて品がある。本当に日本人は清潔なんでしょう。これからも古き良き物は大切にしたいです。
感謝申し上げます。
すごい!貴重!アップロードありがとうございます。万世橋駅の映像は貴重ですね。男はみんな帽子、女はみんなパラソル、男も女も和装、あちこち路面電車だらけ、等々、今と全然違ってて面白いです。100年前の暮らしが垣間見えますね。
月亭可朝も被ってたカンカン帽ですね。
関東大震災以前の映像は貴重ですね。東京がいかに美しい街であったかがわかります。
桜のシーンだけ、ピンクの画面になっているところが興味深かったです😊。
あの震災で、映像にあった美しく緑豊かな町は灰燼と化してしまったがその後の復興もまた凄まじかったに違いない。
今よりずっと文化的で素晴らしい。すべて当時の建物に戻したい。
それはイヤ
パナマ帽やハット被ってる人が多くてびっくり!
波平さんも会社に行く時かならず被ってるもんね。
この時代の紳士の身嗜みを継承してるんだね。
明治35年生まれの祖父は昭和の終わりの晩年まで外出時は必ずハンチング帽を被ってました。父親が帽子被ってる姿の記憶はないんですが玄関には帽子掛けが置いてあり祖父と父の帽子が掛けてありましたね。
This archive film is a treasure. Thank you for sharing. Hoping that the intertitles have English subtitle.
活動写真通りや三社祭神輿の動画は熱気があっていいよね。
大正帝都の写真は知ってたのですが、映像は初めてで
人が息衝いているのが、より実感できました
特に通行人が、撮影カメラの方向を見た後、何を撮っているんだろ?と振り向くのを見ると
そこに撮影者と被写体が存在する事をより実感でき、とても素晴らしいです!
和装がカッコいい!
増上寺の五重塔。大村益次郎の銅像の周りの大砲等今は見られない貴重なものばかりですね。
映画「帝都物語」の震災前シーンではもっと江戸時代風の街並みだったので
復興後かと感じてしまうほど近代化が進んでいたのに驚きです。
1:55 宮城(皇居)前広場の大楠公銅像は今でもある。
2:47 「厳めし館は警視庁」と、歌われた警視庁
3:46 陸軍参謀本部とすると三宅坂か?
6:34 今の迎賓館赤坂離宮だろう
7:31 数年前、大村益次郎公の銅像台座に犬をのせている馬鹿がいた。
8:25 「須田町」とあるが、神田須田町の事で、広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像があるから、万世橋のたもと
つまり秋葉原の近くである。
9:07 天下の東京帝国大学、今の東大であるが、今と比べものにならない位、帝大の入学試験は難しかった
9:29 上野公園前は、大八車、馬車、自転車、自動車、路面電車といろいろな乗り物があって驚きだ。
10:21 大西郷銅像、西郷南洲は100年後の日本を見て何と思うか?
14:56 浅草六区は芝居小屋や活動写真館が立ち並んでいるから、すごい人出だ。
しかし、この当時の動画を観ると、男性はほとんど帽子をかぶっている。桜の咲く頃だから気候的のそんなに
暑くはないだろうし、帽子が流行なのか?それに、洋服姿の人は兵隊だけ、みんな着物
当時の様子がわかって、興味深い。
赤坂見附に何もなくて感動
まだまだ洋装は少ないですねー。空も道路も広い。
今の東京より住みやすそうに見える。
焼失前の万世橋駅舎の豪奢さが際立っていますね。
衆議院貴族院で「おや❓」っと思ったが今の国会議事堂の竣工は昭和11年だった😂💦
最後の方に映る浅草ですが、20世紀中に2度に渡って焼かれました。三社祭で映っているのは、江戸時代に作られて明治時代に国宝指定された神輿のイミテーションです。本物が国宝になって担げなくなったので作られたものです。残念ですが、20年3月の空襲で6基全て失われました。現在の神輿は、昭和20年代半ばに作られた神輿です。神輿の担ぎ方が今とは全く違いますが、これが浅草オリジナルの担ぎ方です。今の「江戸前」と呼ばれる担ぎ方は、東京以外から来た人達が昭和40年代になんとなぁ~く作ったものです。(でも作法が決められています)
2020 ??
@@德夫羅昭和20
東京駅、増上寺大門、迎賓館、靖国神社なんかは今も見ることができるけど、大震災で灰燼と帰してしまう。
残ったものも、空襲でなくなってしまったのを考えると、見たこともない異世界みたいですね。
この頃走ってる車ってどこのメーカー?
フォード等のアメ車、当時の国内メーカーは三菱自動車だけで、少量生産しかしてなかった。
東京駅は、このころは復元でなく元のかたちだったんだ。
帝都
2:55
“美しかった日本”
悲しいことに失ってしまったものの代償は
大きいです。
丸の内ビルがカッコいいな
高い建物の塔がいいなぁ。皇居も今より果てしなく広く感じる。
政府機関の前で、ぼーっと見ていると、当時なら官憲に「おいっ!コラ!」って怒られるんでしょうね。
次の震災では、平成以前の東京も、残ってほしいと思います。
洋服を着ているのに着物を着ているかのような歩きかたをしている人が多いね
저이 화려한 건물을 1925년 전에 만들었다고
動物園のライオン、毛並み悪くストレスありそうです。
明治神宮が建立されて十数年しかたっていない大正末期
people had coloured skin
人が多く感じるのは、車に人が追いやられてないからなんでしょうね。すごい都会に感じます。文化レベルが高い印象を受けますね。ここから見ると今の東京は宇宙ですね。しかし、テロップが震災以前で1925年と思いっきり間違えてるのは何でろう。まとめたのが25年だと思うけど、その表記は意味がないし但し書きが必要かと。
×0,65
サクラ大戦
関東大震災は1923年です。
この映像が1925年ならおかしい。
記録映画のキャプションでは最も注意すべき事です。
公開が1925年なのでは?
1925年に、震災以前の記録を上演したもの。
2035年9月2日㉁のコロナ中心線は、…平壌…能登、糸魚川長野、上毛高原、日光、水戸に抜ける模様です。
タルタリア建築だよね
帝都直下型大地震?
戦前の大日本帝国は、何か悪い事をしていたのですか?
アーカイブ映像ならフィルムの欠け部分もデジタルで修復すべきだろうね!!
当時の映像編集技術は、今の比にならないぐらい稚拙だね。
선전용 프로파겐다 필름!!!!!!!!!