【時速160キロの"485系"】速すぎて車体が耐えられなかった"青函トンネル高速試験"
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- เผยแพร่เมื่อ 5 ก.พ. 2025
- 485系は日本国有鉄道が1968年から製造した、交流50ヘルツ・60ヘルツ対応、交流直流両対応の特急型電車です。
1979年までに1453両が製造され、分割民営化された後も、日本各地で活躍してきました。
性能・車体剛性などバランスが取れた素晴らしい車体であるがゆえに、改造形式も多数存在しています。
中には、パワーがないのに、無理やり速度を上げた編成まで存在していました。
今回は、国鉄特急の王様である、485系電車を紹介します。
【映像を頂いた方々】
・SRDさん: / @srd-railway
・りっきぃさん: / @りっきぃ鉄道交通チャンネル
■チャンネル登録よろしくお願い致します。
/ sendaitoritetu
■Twitterフォローよろしくね(´ω`*)
/ tetudoub
一部画像引用:ja.wikipedia.o...
幼少期の頃、国鉄マンの父親に連れて行かれた上野駅、御徒町の電留線に並ぶ「いなほ」「はくたか」の方向幕を付けたピカピカの485系、行き止まりホームにずらりと並んだ「ひばり」「やまびこ」「はつかり」「ひたち」私が鉄道ファンになった瞬間でした。
海峡線の140km運転はあまりにも路盤が良く、本当に140でてるのかな?と思うほど安定してました。
いつか海峡線の列車に乗ることを夢見るものです。(もう新幹線になってしまいましたが)
海底にトンネルを掘るだけで大変なのに、140kmで安定する... 素晴らしいです。
by 補修費ケチるためにポイントを粗悪品に変更し特急列車の評定速度を下げるJR四国住民より
くろしおを長年見守ってきた人としては、この紹介動画は懐かしい思い出を掘り起こしてくれ、涙ものでした。
五十路のオッサンですが、中学の頃、どうしても特急に乗りたくて、わざわざ大阪から京都まで少ない小遣い使って乗ったのが、
485系雷鳥でしたね^^ 車窓から新快速が抜いていく様に、『こっちは特急なのに・・・』と思ったのを今でも覚えてます^^
もちろん、家族旅行で何度も乗車した雷鳥でしたので、今でもとても思い出深い車両です(#^^#)
その時代から新快速のほうかはやかったんですね(困惑)
@@dagashisuganosuke
新快速の方が速かった理由は線路の管轄にあった
特急や急行が走る外側線は東京鉄道管理局、所謂国鉄本社の管轄。一方普通列車の走る内側線は大阪鉄道管理局が管轄していた
関西の路線でありながらダイヤを東京の職員が決める事に腹を立てた大阪鉄道管理局の人間が新快速のダイヤを書き換え、特急より速い新快速を誕生させた。というエピソードがある
つまり、新快速は大阪鉄道管理局のプライドの表れであり国鉄本社に対するささやかな抵抗でもあったという訳だ
@@Cypher-stm 解り易い解説、ありがとうございます^^
@@dagashisuganosuke そうなんです(;´∀`)
ただ、途中に茨木や高槻へ停車するため、
所要時間的には特急のが早かったですよ^^
@@mozmoz7y.685
昔の新快速(ブルーライナー)時代は大阪から京都は無停車でした(新大阪もスルー)。
他の方のレスもありますが、列車線と電車線が明確に分かれていた時代なので、やむを得ない感じですね。
逆に、大阪を17時台に出る「日本海」で浴衣に着替えてビール飲みながら、並走する満員電車の客を見るのも優越感でした。
485系といったら やっぱり雷鳥のイメージが強いなぁ
情報が整理されて、とてもわかりやすい解説でした!
おばんでございます、ボンネットひたち懐かしい
ですね😊加速が早くて当時感動しました❗️
ひばりも同様です👍岩沼〜相馬、仙台〜白石
良く乗りました!実家が槻木なので位置的に
のめり込んだかも知れません⁉️感慨深い
仙鉄さんの動画はいつ観てもワクワクします
これからの発展を期待しております‼️
485系列は実に奥が深い。国鉄車両のなかでもあらゆる活躍を見せた名車の一つであることは確かだ。
他の系列から改造車があった、唯一無二の存在。編成にバラエティーがあり、飽きることがなかった。
俺が3歳か4歳の頃、上野で485系を見て以来485系の大ファンです
国鉄型特急が走るのも、そう長くは無いだろう
今のうちに乗れるものは乗っておきたい
ジョイフルトレインに改造された車両もいますからね。😃💡
子どもの頃京都市に住んでいて北陸本線の特急雷鳥や白鳥など485系電車に乗るのは夢でした。
大学時代、故郷と京都との往来で、485系「雷鳥」には大変お世話になった。ただ、鉄道には興味の無い頃だったので、型番とかは当時は全く知らなかったが。その時代、681系「サンダーバード」が出始めた頃で、両者が共存していた。当時の呼称は「スーパー雷鳥(サンダーバード)」だった。新しい車両(681系)に乗れればラッキー、とか思ってた。
JR化後に製造された3電源対応の旅客用電車にE653系・E655系・E001系(E001系は4電源)がありますが、それらすべてが在来線に60Hz区間を
持たないJR東日本の車両というのがおもしろいですね。
ボンネット好きでした。やまばとと1973年の有明の博多側のみボンネット編成の車両には乗りました。当時、入線時にボンネットが来ないとワクワクできませんでした。
485系懐かしいですね、子供の頃、尾張一宮~金沢によく乗りました。雷鳥が雷鳥、スーパー雷鳥、スーパー雷鳥サンダーバード(681,683系)と種別が3種類あったのがうらやましかったです。
加越ってのも乗ったことがあります。きらめきってのもありました。
走りだしのモーターの音が特殊で大好きでしたね。😃☀️
山陰本線に少し前まで183と381がいたので、国鉄特急がたくさん見れました。
まだ小さい頃だったからあまり覚えて無いけど、鉄道唱歌のチャイムまた聞きたいなぁ
山陰線だと気動車時代の記憶が
小浜線で115に乗換えてなんとなく日常に帰れたような安心感
カムの解説、秀逸ですね。
確か、青函トンネルに於ける485系の140km/h運転は下り勾配区間のみで、上り勾配は性能上106km/hが限界だったような。何にせよ、140km/h運転時のMT54の咆哮、一度聞いてみたかった。
特急型ギヤ比だから113系が110キロ位で走ってる音と一緒ぐらいかな?
ほくほく線はそこまで出してないからな
上り勾配は120km/hですね。12‰の均衡速度がそこになります。
@@みかん凶 さん 120km/h出せるんですか!485侮れませんね。
485系はまさに国鉄を代表する看板の特急車両でしたね。しかも全盛期の頃は最大12両で食堂車も連結されていて黄金時代でしたね。
うちだと、485系3000番台のはつかり号が印象深いですね。 子供の頃、地元の盛岡駅によく電車を見に行っていて、カッコいいなぁって思ってましたね(^^)
日本の様々な地域で活躍してきた485系を見ると万能特急電車なんだなと思いますが、やはり老朽化の並には逆らえずに置き換えするために製造された特急にスーパーの愛称が付いていていたあの時代が1番好きでしたね、図鑑なんかを見ても色々な特急が載っていて色々なカラーの485系もいて見ていて楽しかったです。
ちなみに私が好きだったのは485系九州色のRed Expressですね〜
私はみのり編成の3000番代
分かります。ボンネットも含め、悪くなかった。かもめ、みどりも同じように合っていた。後に組み替えられたのは避けられなかった。
レッドエクスプレスはお菓子のマリーみたいでいいね?次は、スーパー雷鳥。
SLと旧客は残されたけど、国鉄電車特急は編成単位の保存が無いことが惜しまれる。
小学生か中学生の頃、父の実家会津若松に父と向かうのに、確か「あいづ51号」のボンネット型1号車グリーン車に乗車。
夏休みの暑い時期なのに、冷房機器が故障して、途中から通路に氷柱を立てて会津若松まで向かった想い出があります。
ちなみに、隣の2号車指定席は冷房が、ガンガン効いていたなぁ😵
頭の上の前照灯を排し、髭ではなく横帯の181系「とき」が、SLで言うなら C57、新幹線車両なら500系に相当する、スレンダー美人でした。
新潟→上野 4時間切り 3時間54分を実現させ、東京駅乗り入れ後はさらに 1分短縮の 3時間53分、東京駅で 3時間57分。
あれを知っていると、485系より、信越本線碓氷峠越えの 489系に惹かれます。横川駅での EF連結・切り離しの 5分程度の間に、おぎのや(現・荻野屋)の峠の釜めし買いに走ったものです。
【とき】の181系はさんざん豪雪に痛め付けられて183系1000番台の登場となったわけですが、同世代の165系は平成の世までトップナンバーのトリオが生き延びましたな。(*´・∀・)
ボンネット型は181系も0系も「快適な高速走行」と言う同じ目的で造られた物だから
「似て当然」なのだと子供心に思っていました
交直両用機器の搭載で重くなってしまった485系よりも、軽い181系の方が加速が良く、制御回路の関係で再力行時のレスポンスも俊敏でキビキビ走れたと言う、運転士さんの話を聞いたことがあります。
???「やっとモーターのコイルが温まってきたところだぜ…」
元なんだっけ
@@MaruruHO2800 AKIRA
公開当時はモーター暖まったら焼けるからあかんがな、とツッコミ入れながら見てましたね
@@a.y.u.i.i.d4406
あぁDであったような気がしたけど気の所為か
マックのハッピーセットで485系が出た時はどうしても欲しくて通い詰めていたくらい印象の強い電車ですね〜
485系の前期型がボンネットの形式だったのは知らなかったです!!
古い車両でノッチを一回0に戻す動作の意味がわかりました。
16:23 しれっと混じる189系
485系と全く関係無い地域の住人だけど、幼少期に長野駅で停車中の特急「白山」を見て好きになったかな。
前後ボンネットに加えて食堂車付きのフル編成。屋根にはキノコ型クーラーが連なる美しさ。
民営化されてあんな色に(失礼)なってしまったが、やはり特急色に敵う者はありませんね。
そういえば、ほくほく線でも681系に負けじとカッ飛んでましたよねw
青函トンネルは20km以上の12‰連続勾配で上り勾配は120km/hに落としてたからなあ。
落とすというか、出ないんですよ。
交流区間の485系速度種別A20、正にそのものです。
私は学生時代に乗った九州から大阪に向かう電車寝台の「明星」(と、思います)に思い出がありますね。進行方向に並行して寝るので揺り戻しなどがなく、安眠できた記憶があります。
15:46 先頭車両のクロハ481とクハ481はもともとパンタグラフは付いてないはずですが?
485系は国鉄形特急車両の代表格ですね。
クハモハモハモハモハサロサシモハモハモハモハクハ
の12両編成時代が全盛期か
クハモハモハサロサロサシモハモハサハモハモハクハが全盛期の編成では?(雷鳥の編成)
俺は489系を思い浮かべる
しらさぎとか白山で使われてた記憶がある
国鉄特急形電車が1つも入線したことがないけどやっぱ485系
やはりこういうのを見ると、日本の国鉄、分割民営化後のJR各社が独自に持つ技術開発部の技術力と努力、蓄積されたノウハウというのはすごいものだなあと。 車両は日立などが作ったものを鉄道会社が買っているみたいに勘違いしている人もいるけど、彼ら車両製造メーカーは鉄道会社各社が開発した車両を量産製造させてもらっているだけなんだよな。 まあ開発協力もしているだろうけど。 日本の鉄道会社の特徴でありすごいところでもある。
485系はガキの頃は何処へ行っても乗れる車両だったし、名古屋でもしらさぎが683系の置き換えられるまで乗れた身近な車両だったが、車両も人間と同じで寿命があって、軽量化や技術の進歩で同一形式でマイナーチェンジしての車両更新は行わず完全新型で置換の時期が来て現存車がジョイフルトレイン2編成になったんだろうな。
個人的に国鉄型特急車両と言ったらやっぱり485系です。
白鳥とスーパー白鳥で青函トンネル渡る時の音が全然違った気がします。
Wikipediaでは185系の設計最高速度が160キロと載っていることにホンマかいなとは思います。
ウィキペディアは正確な情報が多いわけではないですね。
参考資料に沿った正確な情報も無いわけではないですが、鉄道に関しては特に個人の主観が強すぎて偏っています。
乗ったこと無いし、生で見たこと無いけど東北地方の特急列車と言えば485系の国鉄色だな~
俺が生まれる5年前くらいに収録された鉄道車両のDVD図鑑で何度か見たな~
まゆげみたいな横棒は貫通扉のガイドの名残だったのね。
掃除の時によじ登る足場なのかなってずっと思ってた。
九州にはその飾り帯を廃した後に、国鉄特急色に戻された車両も居ましたね
485系は、基本的にどこでも走れる車両だったのですよね(もちろん保安装置や建築限界の制限で、485系でも入線出来ない場所はありますが)。583系共々、オールラウンドプレーヤーとしての活躍がありました。会社をまたぐ臨時電車や貸切列車にはうってつけだったわけで。
今やE653系・E655系(なごみ)・E001形(四季島)しか、交流20KV・50/60Hzの両方に対応していません。
東海「交直対応車作るくらいならディーゼルのが安い」
東・西「お前のとこ関係ないやろ? そもそも交流区間無いし。」
@@masashiokabe2021 東海「交流25000Vならあるもん」
485系は181系よりは車高が高かったとおもいましたが、中央東線は入線できたのかな?(・ε・` )?
@@クモハ165 笹子トンネルがパンダ含めて高さ4200mmで381系が3960mmあったので大丈夫かと。
485系ですね
85年から91年まで毎年3回は乗って秋田の湯沢まで乗りました
どんな時代になっても元祖の国鉄型車両はありのままの姿で機器更新のみで走っていて欲しい
リゾートやまどりって485系だったんだ・・・。
485系が海峡線で160km/h出せたとしても青函トンネルの下り勾配だけなんでしょうね。
もし485系で160km/hの営業運転が実現していたとしたら後のスーパー白鳥の最高速度も160km/hになっていただろうし、北海道新幹線の新在共用区間の速度も当初から160km/hだったのかもしれませんね。
フルスピード研究悪戦苦闘❗️
お仕事お疲れ様でした‼️
本筋とは異なりますが、商業電源の周波数と鉄道のゲージ幅、そして車の通行方式(左側or右側通行)は先人の負の遺産ですね。
20kV交流電化も負の遺産ですね。余り物のトランス由来の電圧なので
古の国鉄型にはロマンが溢れていますね…
今でこそ100km/h以上で
安定して走行出来ている列車達ですが、
その裏にはひっそりと廃車されてしまった
試験車両が或ると言う事が分かりました。
新潟雷鳥を忘れてない?
「現状のモーターでは・・・・焼ききれる恐れ」のソースはどこ?
そんな話は初めて聞いた。空気抵抗と絶対的なパワー不足でMAX140km/hになったと思っていました。騒音はそのとおりで、789系では気密性を高め、騒音抑制しています。
その通り、そこが疑問ですね❗️
直流モータは同一ノッチでは回転数が高くなるほど電流値が小さくなり、しかも冷却ファンの風量が増えるわけですからモータ全体としての温度が下がりやすくなります。、
高回転で爆音(のような騒音)が出るため無理しているような誤解からくる誤解では無いかと。
もちろん弱界磁制御などを大きく取りすぎて定格出力を大幅に超えた状態が続くと温度は上がりますが、それは上り勾配が連続した時に起こりやすく回転数とは無関係です。
その他故障の原意となりうるのは整流子のフラッシュオーバ(整流子の周速が規定値を超えた時に発するスパークによるトラブル)が考えられますが、これは許容回転数を大幅に超えた時に起こるもので(空転など)それを見越しての最大許容速度が160㎞/hなんだなから、実用的には問題なかったものと思います。
仰る通り、焼き切れることはありえないです
あるとしたら、横軽で自然通風にして協調運転したときのみです
国鉄が無くなってJRになってからもう35年?
ってことは国鉄電車って製造後もっとも若くても35年以上経ってるってことかァ~
35年以上経ってるのに今でも現役の特急や幹線の列車に使われてるって事が驚き
ずいぶん丈夫に作られてるんだなぁ
自動ノッチ戻しの説明良かったです、従来制御器はカム軸が一方向にしか回転しないからノッチ戻しができない、、なるほどそういう理由だったのですね。 従来の制御器で段階的にノッチを戻せない理由が謎でしたが、長年の疑問解決でした。
ちなみに、カム軸を回すためのカムモーターは正転と逆転、どちらもします。制御器内に抵抗制御カムと組合せ制御カムの2つがあり、正転と逆転でどちらが回るかが決まっています。CS15系制御器では、正転と逆転でどちらも両方のカム軸が回りますが、カム軸を停止させる機構が中にあって、それによりカム軸を固定してカム軸の逆転を実現しています。
いい日旅立ち つ~歌が似合う電車🎶
自分が思い浮かべる国鉄型特急電車はやはり781系
北海道に住んでるのもあるが、いろいろ思い入れがあるし
何より、様々な魔改造にも耐えたその基礎構造の高さを評価したい。
というか、令和のこの時代まで生き残った国鉄型車両はみんな頑丈だよな。
羽越本線のいなほ号好きだったので断然485系ですね✨
復活してほしいッス💦
白鳥の新潟の方向転換が懐かしい😗
いくら万能特急と言えど、流石に北海道の札旭特急の1500番台は早々に退場させられたのを見ると、北海道って厳しい環境なんだなと感じました(関係ない話)
冬の問題ですかね?
夏しか乗ってないけど
東北とかのしっとりした雪は対応してたんですが、北海道特有のサラサラした雪は対応出来ず、床下機器とかがモロにやられていたらしいです
抵抗制御の方が雪には強い印象だったが
VVVFに耐雪の方がと、なかなか以外
Tユニットが凍るのかな?
気温が違うから無理な運用なのは知ってたが
札幌↔旭川程度の距離ならば、711系にリクライニングシートをつけた程度でも良かったのでは?それでもロマンスシートのキハ82よりは俊足で快適だったでしょうに。(・ε・` )
高負荷状態が長時間続くと、排気エキゾーストマニホールドが異常過熱し、火災に至る危険があるのは納得。
このため、DMH17系エンジンを搭載した気動車は、全出力運転が短時間に限られました。
俗に、「5ノッチ・5分」と称されており、急坂での登坂では頃合いを見て、エンジンの回転を落とさねばなりませんでした。
気動車が好きなので、ついつい気動車で考えてしまいましたが、この電車も上記のような事情だったのであろうと考えられます。
MT46よりはMT54の方が出力大きく同じギヤ比でも耐えられると思ってたがMT58の381系の方が有利か
抵抗制御の電車の場合、挿入抵抗さえ抜けていれば5分どころか1時間 回せたはずです。ただそれまでに熱を持っていれば、その分回せる時間は減ります。おそらく青函トンネルでの高速度試験ではぶっ通しかつ、上り坂という条件もあったので、151系の160km/h試験よりも遥かに過酷だったと推察されます。
それを思うと新幹線0系電車に搭載のモーターは強制通風ながら通常1時間定格のところ「連続定格」180kW というバケモノモーターだったわけで、そこいらのモーターとは一線を画していました。
OVR(オーバーロード)が発生するという懸念だとは思いますが、抵抗は全て抜けている速度域なので、どちらかといえば動揺の基準値超えが原因でしょうね。
その証拠に強制通風式なので、横軽協調運転のような連続力行には強いんですよ、485系(空気ばねのパンク等設備を持ってるので489系でしたが)
@@naomiyamada8581
国鉄式に
クハ-モハ-モハ-モハモハ-サロ-サシ-モハ-モハ-モハ-モハ-クハ
サシ以外を耐寒耐雪構造の1000番台、1500番台で固めて12両で8M4Tで青函トンネルの場合想像してみた
特別急行の王道正道の定番車両・485系シリーズ🚃
津軽海峡線・青函トンネルでの最高速度が160㎞で試験走行するも、費用対効果で140㎞に落ち着く。きっと難燃対策で気配り目配りしても焼き付く恐れもあり得そうな話やろ✋
はくたかの北越急行線内でも485系は140Km/hに抑えられてました
@@坂本龍雄-l3f 485のほくほく線は130km/h制限です
ボンネットタイプの特急列車は丁度特急エンブレムが犬の鼻のように見えたので「ワンワン特急」と呼んでいました。
今でも好きな列車です。
381はしなので走ったことがありました
簡易貫通路タイプのクハ480や481-800で中期としての紹介は…?
初期形サハからの改造もあったからな~
デザインとしては中期以降だけどね
ですよね。くろしおで先頭車足りなくなったからやっつけ工事で貫通扉増設したから
当時はこんな不細工な顔にしないといかん位金欠なんだなと悲しくなった記憶があります
やまどりはいつ無くなるんだろうか
子供の頃、プラレールで持ってたな。懐かしい。
やはり583でしょ?
とにかく走行音がしない。
防音装置がしっかりしていて電車寝台特急にはこれ以外にはありえない。
特にバンタ下の上段ベッドは安くて、広くて、天井が高いからコスパ最高です。
サンライズなんて比べものにならない。
寝台の快適さは583>>>寝台列車>サンライズですね。
昼行の特急では乗客からは583系はあからさまに嫌われていたようですな。(´Д`|||)ホームで待っていて、青い車体が入線してくるのが見えると、ため息が出たとか。(ヽ´ω`)
485系が絶滅危惧種になるとは、子供の頃は思ってなかったなー。
小学生のころに親に買ってもらったKATOのNゲージは実家で眠ってるけど、動くのかな。
485系の設計最高速が160kmなのは、151系の高速試験の影響も受けてるんだろうか?
タイフォンカバーが地味にいいアクセントになってる車両と思う。
まさかの磐越西線の485が高速対応と思わなかった(笑)
昭和56年に乗車した特急白鳥は485系だったんでしょうね。
乗りましたよ大阪〜青森の往復13時間✕2www
目的地はさらにズット先の士幌線十勝三股駅。
まさに修行でした。
帰路は道内で当時記録となる豪雨で途中運転打切り、のち3日ほど国鉄運休のオマケ付き。
札幌で買った段ボール入り土付きジャガイモは配送付きで、
何と航空便だったので、買った本人帰れないのに先に自宅に到着と言う。土付き先着と言うオチつき。
話に落ち着かん。
00:31 国鉄内部では「よんはちご」と読んでた。「よんひゃくはちじゅうご」という読み方は非常に違和感感じる
00:46 481,483,485,489を含めた製造両数だよね。485になってからも489(横軽対策車)を除いて付随車は481のまま
01:36 「電圧を下げられる」からじゃないの?
02:21 デッドセクションの定義がおかしい。交流電化区間では「すべての架線切り替え箇所」がデッドセクションになる
07:21 鉄道の場合「惰行」って言わない?
あと489の解説が皆無
「白鳥」の青森→新潟でモハ484の自由席に乗ったけど、モハ484はパン2基のため通勤型と同じクーラー
風の当たり所が局所になるので「前の運用の乗客が貼ったと思われるボール紙での風除け」が印象的だった
1000キロ以上の旅程であの風受けるのは苦痛だよな・・・と思った
部内では「よんぱーご」だね。
交流区間相互の無電区間は「セクション」と呼ぶのが一般的(在来線)。
>「よんぱーご」そう呼んでる人もいただろうけど、「よんひゃくはちじゅうご」と読む人はいなかった。
「架線切り替え区間」は直流電化区間だと「エアセクション」になりますけど
それとの区別は国鉄内部はどうやってたの?
デッドセクション→必ず惰行で通過、停車禁止
エアセクション→力行可、停車は禁止
「よんひゃくはちじゅうご」はあっても「よんはちご」は無かったな。どこの管内?
交流のセクション内も惰行運転で停車は禁止。念のために、up主の言う「デッドセクション」は交直切換区間のことを言うのが一般的なので違和感はない。広義では死電区間すべてを差すが、交交セクションはデッドセクションとは言わないな。
@@fukurayuza4921 標識に六角形の白地に斜め赤線の交直流切り替え死電区間標識があるが、これが今に続く明確な区別。
交交セクションも長方形白地に一本の斜め赤線で明確に分類。
死電区間予告表は丸い黄色地に黒斜め線で表記。
エアセクションはただの架線並列箇所なんで、最近でこそ電位差問題が出てきたけど、当時はただの通常架線扱い
@@ba-jh3ik さん
子どもの頃に読んだ鉄道関係の本で、一桁ごとに意味があるので「ゴーハチサン」系と読みますとの記述があり、ずっとそのように呼んでいたので、「ゴヒャクハチジュウサン」系というのは非常に違和感がありますな。(´Д`|||)
自分東北新幹線が出来る前の母実家に帰るとき良い思い出無いんですよね。
宮城で白石に停まるひばり號なのだが、ほぼ帰れる時間も分かるのに指定席も取らず乗れるひばり號に乗る。
そのせいで通路に数時間立ったまま。
小学校就学前なのにそれを我慢して座れない。
行ってからは楽しいけど、行くまでが全く楽しくない一回地獄を味わあないと辿り着けない凄~く微妙な場所でしたね。
特急だと485、489、183、189と
つくば行くときのひたちは、485だったな
485は非電動車が181の型番変更で白鳥にも入ってた気がする
「皆さんにとって国鉄特急型電車とは何系でしょうか?」…個人的には583系を真っ先に思い浮かべるし最高傑作だと思うが、少数派なのかな?
やはり始祖の151系かこの動画で取り上げられている485系を思い浮かべる人が多いのかな…
盛岡車両センターのジパングも485系じゃないかな。
北上に住んでいた時乗りました。モーター音以外は良かったです。
引退しちゃったけどね。
山口県の下関駅に485系特急が九州から乗り入れていた記憶があります。
その運用に交流専用化改造した編成を入れてしまい、門司駅で直流切替スイッチが無いのに気付いた話が有ったはず。
@@北の独居 さん
交流専用化ではなく、181系から改造した制御車で、直流区間への乗り入れを想定していなかったので、交直切り替えスイッチがそもそもついていなかったというオチだったかと。(・ε・` )ダメジャン
昔あいづライナーに乗る時に原型顔のA1+A2編成が来たら当たり、元・東武直通車A3+A4が来たらハズレだと思ってたの懐かしいな。
10:12東北新幹線の開業兼初期車(キノコクーラー車)置き換えですね。
私の記憶ですが485系かもめに乗った記憶があります。
485系初期型みたいな先頭の583系もあったらかっこいいとおもうんだけどなぁ
特急列車じゃないですが415系もサボでした。
私が子供の頃でした。
両扉を明けて係のおじさん達がサボを入れ替えてました。
今は幕式巻取り式方向幕やLED式方向表示機になりましたね。
Classic trains 👌🏻👌🏻
11:06 何故にかもめ/みどりの併結時に貫通扉使用しなかったのか、ご存じの方教えてください。
以下と推測しています.
・併結区間が1時間程度なのに貫通扉を繋げる(切り離す)のに5分(?)も余計に作業時間/手間を費やしたくなかった.
・そもそも短距離で食堂車もない列車なので「かもめ」⇔「みどり」間を行き来する乗客が無いこと
@@inojyou1 手間がかかるという理由で合ってます。でも理由はそれだけです。
なんだかんだで一番寿命長い電気釜・走る変電所の異名を持つ485系電車ですね。
160kmで連続運転するとフラッシュオーバーするのか。直流モーターならではだな。
ノッチ革命
Yes we can.
485系は貫通型とボンネット型が好きですね。
国鉄特急形車両と言えば485系のイメージがあるけど僕の場合は183系の特急形車両のイメージかな☺️
各地で活躍したのに保存車は初期のボンネットばかりで電気釜の300番台クハが消滅してるのが悔やまれる。
現状では新津に1500番台のクハが一両保存されているだけ。
スーパーはくたか代走の時489系は最高速度は落としてたのですか?
10:09 1982年は東北新幹線の「大宮~盛岡開業」では?
子供の頃、その列車の速度計に記された最高速度まで出せると思っていました。後に必ずしもそうでない事を知りがっかりしましたが、モハ1485系などや、キハ181系はなんて正直なんだろうと思いました。
電気機関車初の160Km/h表記の速度計を搭載されたEF66も、最高設計速度が160Km/hなので、規則を無視して本気を出せば、485系などと同様に160Km/h出ます。185系やFF65・EF81など中速域の車両と違い、181系や485系、EF66は、90Km/h以上の速度領域に棲む車両なので、正しい特急型と言えます。
いつも楽しく拝見しております!
この動画等に採用されているBGMはなんでしょうか?ご教示頂けると幸いです!
視聴者の方もご存じの方がおられましたらご教示下さい!
よろしくお願い致します!
一番身近だったのが189と485なんだよね
MT54の採用は、151系、161系の改造である181系からがはじめちゃんだと思います。
115、165系が最初(1963年)
国鉄の特急型車輌としては、
と言う意味では 181系が初、
で間違ってはいないと思います。
115系…水上~長岡間各駅停車
165系…急行「佐渡」
161系載せ替え181系…特急「とき」
上越国境越えの清水トンネル, 新清水トンネルを走行する時に、フルパワー炸裂❗
新潟 → 上野 4時間切り 3時間54分実現。
@@Oh-iy5bw さん
聚楽が営業するサシ181に乗ってみたかったですな。(*´・∀・)
485系「やまどり」編成が、4月15日(金)の午前中に、東北線仙台→長町間を走行しているのを見ました。
北陸本線の485系雷鳥ラストランが、東日本大震災の日だったんだよな……。ダイヤが乱れたおかげでたまたま乗れたけど。
業務系スーパーとかで売ってる商品パッケージと同じ塗装!
俺はホリデー快速で乗ったかいじ色の485系かな中央線の山の中にいながらも爆走モータが良いですね
始めまして、お早う御座います。最近は温かく成りましたね。巷では、🌸が、満開になりましたね。又、新幹線も、古いものは、埼玉県の大宮市に、鉄道博物館に、収納されていますよね。でわこの辺で失礼致します。令和四年4月(4日筆記。😞🤔🤹🌻🌺☘️🥰🥳🌹💐🍍😁🌼🍀😻🧏😆🌌👨👨👧🧙🌴🏔️🌈👼🎉👯🌸💓🧀🍉🛹🏵️🚴😚✌️🙋
11:52 会津若松じゃないか
なつかしいなぁ
7:33 ここに興味が湧きました。制御器の逆転を抑止する、電気工学的な理由があると思います。
それがわかる文献に到達できそうな検索ワードを、どなたかご存じないでしょうか。
(色々検索しましたが、見つけられませんでした・・。)
推測でしか無いですが、カムを回転させるPLモーターに対する電気指令構造だと思います。
ON、OFFのみのSWであれば、回路上一方向にしか電流が流れないために、カムのPLモーターは同一方向のみの回転しか出来ない。
そこで、もう一つのPLモーターを設置するか、逆方向への電源を構成すれば、逆方向へ回転することが出来るという理屈です。
国鉄時代の制御器は、概ね抵抗制御カムと組合せ制御カムの2本が内蔵されています。CS12系などのノッチ戻しが無い制御器のカムモーターも正転と逆転、どちらもします。ただし、正転と逆転で回るカム軸が異なります。これに対してCS15系は、カムモーターの正転と逆転のみでは2本のカム軸が同時に回りますが、それでは都合が悪いため、2本のカム軸とカムモーターからの駆動軸が差動ギアで繫がっていて、他にカム軸を停止させる機構が備わっています。この機構により、動かしたくないカム軸は停止とすればカムモーターの正転と逆転で動かしたいカム軸が正転と逆転をすることが可能となっています。この仕組みでノッチ戻しを実現しています。