【阿波・徳島】邪馬台国・古事記ゆかりの地めぐり【後編】

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  • เผยแพร่เมื่อ 30 มิ.ย. 2024
  • 今回は邪馬台国・古事記に関連するスポットとして最近注目の
    徳島県・気延山付近に点在する史跡・古社をタビトレ!
    徳島の史跡や神社は車でしか行けない場所が多いのですが
    今回は路線バスと徒歩だけで巡れるコースをご紹介します
    この動画は[前編・後編]2回シリーズの後編です
    #阿波古事記 #阿波説 #邪馬台国
    #神社 #古事記 #徳島 #japan
    【チャプター】
    00:00 前回のダイジェスト
    01:04 宮谷古墳
    04:38 阿波史跡公園
    07:13 徳島市立考古資料館
    12:14 大御和神社
    【BGM】
    Music by Khaim: www.khaimmusic.com/
    ‪@khaim‬

ความคิดเห็น • 11

  • @user-od7uk5nq7t
    @user-od7uk5nq7t 4 หลายเดือนก่อน +3

    旅行会社の方ならば、もっと四国の有意義性を信じた方が良いかと思います。
    僕の見解ですが、四国は大和王権の配下に入った古代仏教の地です。
    古代仏教は上座部仏教で、現在の日本で展開されている仏教とは異なります。弥生時代以降に中華の戦乱から追われて逃れたブッダの教えを守るが故に安住と修験の地を求めて四国に辿り着いた人々の所に王権が配下におさめるために臣下の者達を送ったものと考えるのが矛盾もなく、後の空海による多数の修験場(寺院)発見に至っていると考えます。
    四国の忌部氏は内裏を出ているので、宮廷で云うところの陛下と口に出来る立場にはなかったと考えます。せいぜい殿下と口に出来る地位の者ではと思います。四国説を唱える方々が大嘗祭に使われる品々を造る事を主張しますが、それらを天皇位に就く者が自ら造る事は最上位にあるはずの方がやることではありません。臣下の栄誉ある仕事のはずです。
    四国にしてみれば、本来神社は侵略者の象徴と捉えなければならないと考えます。
    それでも歴史ある神社は多いはずです。西日本が戦乱に混乱した弥生時代から古墳時代に四国は平和な地であったとも考えます。神武東征と云う記述に四国が入らないのは平和まま王権配下に入り、乱れる九州北部、山陽地域と比べ何も変わらなかったと云う事です。

    • @tabitore
      @tabitore  4 หลายเดือนก่อน +3

      コメントありがとうございます。
      私のような浅薄な人間が作った動画に真摯にコメントを頂き大変恐縮しております。
      まず大前提としてこのチャンネルは会社とは全く関係がなく、“個人の趣味”として発信しているということをご理解下さいませ。
      最近、阿波説に関して批判的な意見がエスカレートして
      阿波説を紹介する人間をも批判する攻撃的で悲しいコメントをよく見かけます。
      正直に言うと私は邪馬台国がどこにあったか?などにはそれほど興味はございません。
      ただ阿波・徳島には知られざる謎が多いな。
      深掘りできそうなスポットが多いなと興味はあります。
      “四国や徳島をどうにかしてやろう”などと大それたことは考えておりません。
      阿波説に興味のある方々は大半がアマチュア古代史ファンで考古学者や歴史学者ではないはずです。
      そんな彼らが邪馬台国は阿波にあったかも?
      古事記の舞台は阿波だったのかも?
      と興味の対象としてワクワクしているのです。
      そんなワクワクした気持ちを他人が否定する権利があるのでしょうか?
      彼らの多くは学術的に邪馬台国や神話の舞台を追っている訳ではなく“個人の趣味”としてロマンを追っているのではないでしょうか?
      阿波・徳島には何かある!とワクワクする方が大勢いるということが既に徳島の有意義性、価値であると私は思います。
      最近、阿波説に対するアンチコメントを見るたびに思います。
      「何をそんなにムキになることがあるのか」と。
      「人が楽しんでいることに口を挟んで楽しいですか?」と。
      一度きりの人生、いくつになってもワクワクする気持ちを持ち続けたいと私は思っております。
      長文失礼いたしました。

    • @user-od7uk5nq7t
      @user-od7uk5nq7t 4 หลายเดือนก่อน +2

      こちらこそ、失礼しております。
      僕は四国説批判というより、合理的に考えてを前提としています。また、なぜ空海が中国留学から帰ってきて四国を巡り修験場を拓いていったのか?自分の出身地であり、青春時代に触れた地にある事が空海以前にあったはずと考えたのです。空海は巡った後、ここに留まらず高野山へと移り、修験者として身を投じます。なぜ地元に留まらず、紀伊山地に向かったのか?
      それは、青春時代に触れた修験道とは何だったのか?そして讃岐を出たあと様々な学問に行き着いた先に「仏教」があったのです。もしかしたらこれなのか?と云う閃きに、自費留学を選択してまでも中国で学び、帰国する事となります。そして地元に向かい、人生を導いてくれた地元の修験場をきちんとした修験場として恩返しをする為に、活動したのだと考えました。現在のお遍路八十八寺は江戸の時代の制定で、空海が巡った修験場はもっとあったとされています。
      四国はもっと古代古くからの仏教の聖地として歴史を誇るべきなのです。
      「四国仏教二千年」
      と言ってウソではないと考えます。
      日本で仏教信仰が四国から出なかったのは、中国から逃げ延びた人々の信仰が上座部仏教で、ブッダの教えが自己研鑽、修験道であったこと、教義も経典もまだなかった時代の仏教、そして仏教と云う単語がまだ成立していなかったのです。修験者は他の宗教と異なり、理解を求めません。また信仰者を増やそうとも考えません。それが理解されないのです。日本列島でも同じ事だったのです。ですが中華と日本が違うのは、追い出さなかった、迫害しなかったのです。
      まぁ僕は仏教信仰者ではありませんけども(笑)
      こういう見解、検証もあると頭の片隅に置いて今後も活動して頂けると、一つ広がりがあるのかなぁと思います。
      こちらも長文失礼致しました。

    • @tabitore
      @tabitore  4 หลายเดือนก่อน +2

      こちらこそコメントの趣旨をきちんと把握もせず返信してしまい申し訳ありませんでした。
      私も空海の話しは好きですよ。
      貴重なお話しありがとうございます。
      色んな人の話しを聞き、たくさんの場所へ出かけ、自分の頭で考え、視野を広げていきたいと思います。

    • @user-od7uk5nq7t
      @user-od7uk5nq7t 4 หลายเดือนก่อน +2

      井原様
      動画への応援コメント、別に立てて頂きたかったですが、ありがとうございます。
      この世の中で唯一人の「四国古代仏教説」を考えています。この事から、阿波の日ユ同祖論、邪馬台国、高天原、天孫降臨説に関してはアンチ寄りです。
      「隠された」と思っているのは違うと思っています。正確には隠れたのです。まず言えるのは、空海が四国に根付いていたブッダの教えをイノベーションしたのです。
      僕が空海に注目する前に「鬼界カルデラ噴火」による大災害の古代における事実とこれから起きるであろう南海トラフ地震です。この大地震が過去に起きていないとは言えません。必ず縄文時代に大災害はあったのです。僕はファンタジーを信じてないので、現実的に災害の中心地付近に定住する事を選ぶかどうかなのです。
      一度災害により退避した後、避難先で生活が安定してしまったら…帰還するでしょうか?なかなか帰る選択をしないと思うのです。
      そして九州も同様で数百年から千年近く過疎化したと考えられます。
      弥生時代と言う年代に入り、九州に朝鮮半島と中国から渡来人が入って来ます。この中には弥生人と云う元縄文系の帰還民が居たと考えます。そして中華の戦乱で追われた人々、迫害されて逃げて来た人々と居たと思うのです。ちょうどその年代が中華は三国志の時代に当り、人々が逃げ惑う時代です。その中で仏教と云う信仰は道教や儒教が主流だった中華において異端の宗教です。その人々が日本列島に逃げて来たら…。
      そして空海に戻ります。空海は讃岐の出身です。地元に山に籠って修行をしている人々が点在する事を知っていたと思うのです。そうでなければ空海がその後伝来した仏教と出会い、傾倒し、私費留学をするまで決断するのです。それは青春時代に地元で触れた修験道、古代仏教が根底にあったのだと気付きました。
      阿波説は徳島に特化した説です。
      僕の四国古代仏教説は四国全土です。
      逃げて来た修験者にとって、確立した人々の営みのある所には足を踏み入れる事に躊躇すると思うのです。ですがお遍路の寺院は徳島にも存在します。他の三県と比べて所在の寺院の数が極端に少なければ、阿波説は有効ですがそうではないでしょう。
      また四国は平均的に低い山々ばかりですが、修験場としては絶好の地です。ここを仏教の聖地とせず、神道系に譲り渡すなどあってはならないと考えるほどです。
      まぁそれはそこそこに、四国ほど不思議かつ可能性が奥深い所はありません。
      阿波説の可能性を残しつつ、仏教の可能性も頭の片隅に残して頂けると幸いです。
      長文失礼致しました。

  • @user-cw8wj1ce5w
    @user-cw8wj1ce5w 4 หลายเดือนก่อน +1

    ありがたいですね❤🙏⛩️⚒️

  • @ernest-tachibana
    @ernest-tachibana 4 หลายเดือนก่อน +2

    地元の者ですが、邪馬台国の王城が置かれていた場所は恐らく徳島県の善入寺島(日本最大の中洲島)だったと考えてます。
    善入寺島は周囲を吉野川という自然の堀に囲まれていて城を築くにはもってこいの場所だと言えます。
    今は無人の島となっていますが、かつては約3000人が島の上で生活していて、卑弥呼の次女1000人に加え、色々な役職の人間が島の上で暮らして行く事が出来ます。
    この説は阿波説の中でも異端ですが、ぜひ一度善入寺島についても調べてみて下さい。

    • @tabitore
      @tabitore  4 หลายเดือนก่อน

      大変興味深いお話ありがとうございます!
      善入寺島ですね、ちょっと調べてみます

    • @ernest-tachibana
      @ernest-tachibana 4 หลายเดือนก่อน

      @@tabitore
      善入寺島を調べるなら「粟嶋史」という本がお勧めです。
      徳島の公立図書館なら置いていると思います。

  • @hu4263
    @hu4263 4 หลายเดือนก่อน +2

    八倉比売神社の石積みについて、博物館の学芸員に尋ねてみました? 面白い話が聞けたことでしょう。日本に神社なんてコンビニ、歯医者より多いと聞きます。論社は好き勝手な由緒を作るのです。阿波・邪馬台国説も町おこし、村おこしの一つのエンタメだと銘打ってやるなら罪はないのですが。

    • @tabitore
      @tabitore  4 หลายเดือนก่อน +1

      コメントありがとうございます!
      博物館というのは動画で紹介した考古資料館のことですか?
      学芸員の方とはお話ししていないのです。
      正直な話しをいうと
      「私はどうでもいい」です。
      皆さんが楽しんでいればそれでいいのではないでしょうか?
      捏造はいけませんけど、想像は個人の自由だと思います。
      私は無信仰者で神も仏も信じない人間ですので、、、😅