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『生きている』の写真のチョイスは「人が詩的なものとして思わず目を惹かれてしまうすべてのエモさを1ミリも内包しないもの=多くの人がただのモノと認識していて、それゆえに気にもとめないもの」という基準で巧妙に選別してるように感じました。角を曲がる車、連なる植え込み、吉野家の看板、庭先のホース、の何もかもがエモさゼロで切り取られていて、でも「生きる」ってそんなものの集合でしかない、というメッセージに思いました。
当時高校生で2000年前後のマガジンハウスの雑誌relaxにて始めて写真家という人を意識して衝撃をうけました。巻頭ホンマタカシ、中ページグラビア佐内正史、巻末若木信吾今でも気になるお三方がレギュラーでした。relaxまた集めるかなぁ
この写真集がでた90年代中頃からはバブルが崩壊して景気が傾き出し、就職氷河期と呼ばれた時代。佐内は祭が終わってしまったあとの何もなさについて感受していてるように思えて、同世代の自分にはセンチな虚無がハマってしまうところがありました。何もないところにポエジーが宿るかどうかは見る人次第なのかもしれませんね。たや田村彰英は高度経済成長の最中に世の中が均一化していく空気感を嗅ぎ取っていた写真で諸行無常を感じてしまいます。
「生きている」をあらためて今見ると、アレック・ソスと共通した眼差しを感じます。(個人の感想です)田村彰英から佐内正史までの文脈に、大辻清司の「何でもない写真」や牛腸茂雄の作品を挟んで見ると、何となく佐内正史が評価された理由が分かる気がします。
その時代その時代で写真の捉え方も様々で大変有意義なお話が聞けました。ありがとうございます。
仰る通り90年代後半は激動の写真時代だった気がします。自分は97年に独立しましたが佐内さんの作品拝見した当時は写真を読むと言うより感じると言う印象だった気がします。パッと見た時何を感じたか。最初に何に目がいったのかを考えさせられる作品だった気がします。
音声良好です。
佐内正史とホンマタカシでは、佐内さんの撮るもののほうが圧倒的に肌感で共感できました。ホンマさんの写真は分かるんだけど、狙いすましたアザとさというか、戦略的に思えて、うまいことやってんなと感じた記憶があります。
私見ですが、田村彰英さんの写真と佐内正史さんの写真は、写真としては似てますが、全く別物だと思います。田村さんの写真は、外した写真だが、目が捉えたかっこいい。佐内さんの写真も、外した写真だが、心が捉えたかっこいい。のように感じます。根本が違うので、同じ系譜で写真を読み取ると、写真を見る眼がズレて育ってしまうと思います。
私は94年生まれですが,当時はこんな転換期だったんですね
佐内正史さんの写真集のお話ですが、佐内さんの写真を評価した方がいたということが重要だったのかなと思いました!
佐内さんってすごい人だったんですね。
佐内写真流行ったね、カメラ屋やってましたから中判カメラ使えば佐内写真になる、みたいな風潮には疑問感じてました。それまで手振れ、とか普通じゃない宴会の写真みたいなものが流行ってましたから。ただ佐内の受賞作(坂道の分かれ道の写真)はかなり評価高いですよ、今でも。
『40+1 P....』は購入したいです。でも、新品はもうないでしょうね。
いつも楽しみに拝見しています。次回の美術史講座の予定はありますか?ブログやHPを探したのですが、それらしき情報が見つけられなかったので。
ブログの記事を見つけました。今まさに開催中なのですね、失礼しました。
ありがとうございます。次回の美術史講座は10月頃から募集の予定です。
佐内さんがどんな機材とレンズで撮影されていたのか、とても気になります。田村さんといえば・・・
『MAP』は買わなきゃですね、佐内チルドレン(自称)の僕としては
写真業界の一番嫌いなところは、一度大きな賞とればそれ以降の写真全てに価値がつくところ。芸術として安っぽいこの文化が大っ嫌い。その人が撮ってるなら良い写真みたいなの一番ダサいよな。だっさい。音楽なら良い曲作れても、次の曲がダメなら人気なくなるが、写真は、、、
『生きている』の写真のチョイスは「人が詩的なものとして思わず目を惹かれてしまうすべてのエモさを1ミリも内包しないもの=多くの人がただのモノと認識していて、それゆえに気にもとめないもの」という基準で巧妙に選別してるように感じました。角を曲がる車、連なる植え込み、吉野家の看板、庭先のホース、の何もかもがエモさゼロで切り取られていて、でも「生きる」ってそんなものの集合でしかない、というメッセージに思いました。
当時高校生で2000年前後のマガジンハウスの雑誌relaxにて始めて写真家という人を意識して衝撃をうけました。巻頭ホンマタカシ、中ページグラビア佐内正史、巻末若木信吾
今でも気になるお三方がレギュラーでした。relaxまた集めるかなぁ
この写真集がでた90年代中頃からはバブルが崩壊して景気が傾き出し、就職氷河期と呼ばれた時代。佐内は祭が終わってしまったあとの何もなさについて感受していてるように思えて、同世代の自分にはセンチな虚無がハマってしまうところがありました。何もないところにポエジーが宿るかどうかは見る人次第なのかもしれませんね。たや田村彰英は高度経済成長の最中に世の中が均一化していく空気感を嗅ぎ取っていた写真で諸行無常を感じてしまいます。
「生きている」をあらためて今見ると、アレック・ソスと共通した眼差しを感じます。(個人の感想です)
田村彰英から佐内正史までの文脈に、大辻清司の「何でもない写真」や牛腸茂雄の作品を挟んで見ると、何となく佐内正史が評価された理由が分かる気がします。
その時代その時代で写真の捉え方も様々で大変有意義なお話が聞けました。ありがとうございます。
仰る通り90年代後半は激動の写真時代だった気がします。自分は97年に独立しましたが
佐内さんの作品拝見した当時は写真を読むと言うより感じると言う印象だった気がします。
パッと見た時何を感じたか。最初に何に目がいったのかを考えさせられる作品だった気がします。
音声良好です。
佐内正史とホンマタカシでは、佐内さんの撮るもののほうが圧倒的に肌感で共感できました。ホンマさんの写真は分かるんだけど、狙いすましたアザとさというか、戦略的に思えて、うまいことやってんなと感じた記憶があります。
私見ですが、
田村彰英さんの写真と佐内正史さんの写真は、写真としては似てますが、全く別物だと思います。
田村さんの写真は、外した写真だが、目が捉えたかっこいい。
佐内さんの写真も、外した写真だが、心が捉えたかっこいい。
のように感じます。
根本が違うので、同じ系譜で写真を読み取ると、写真を見る眼がズレて育ってしまうと思います。
私は94年生まれですが,当時はこんな転換期だったんですね
佐内正史さんの写真集のお話ですが、佐内さんの写真を評価した方がいたということが重要だったのかなと思いました!
佐内さんってすごい人だったんですね。
佐内写真流行ったね、カメラ屋やってましたから中判カメラ使えば佐内写真になる、みたいな風潮には疑問感じてました。それまで手振れ、とか普通じゃない宴会の写真みたいなものが流行ってましたから。ただ佐内の受賞作(坂道の分かれ道の写真)はかなり評価高いですよ、今でも。
『40+1 P....』は購入したいです。でも、新品はもうないでしょうね。
いつも楽しみに拝見しています。次回の美術史講座の予定はありますか?
ブログやHPを探したのですが、それらしき情報が見つけられなかったので。
ブログの記事を見つけました。
今まさに開催中なのですね、失礼しました。
ありがとうございます。次回の美術史講座は10月頃から募集の予定です。
佐内さんがどんな機材とレンズで撮影されていたのか、とても気になります。田村さんといえば・・・
『MAP』は買わなきゃですね、佐内チルドレン(自称)の僕としては
写真業界の一番嫌いなところは、一度大きな賞とればそれ以降の写真全てに価値がつくところ。芸術として安っぽいこの文化が大っ嫌い。その人が撮ってるなら良い写真みたいなの一番ダサいよな。
だっさい。
音楽なら良い曲作れても、次の曲がダメなら人気なくなるが、写真は、、、