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史実を自分で実際に果敢に挑む歴史系RTAyoutuberの鑑
ワイの自宅の前の道(旧東海道)も結構東海道五十三次ウォークしてる人居るぞ歴史好きには「旧街道を行く」「古戦場を巡る」「推し武将と同じ道を歩いてみる」は人気コンテンツだったりする
自分も歩いたり散策するのが趣味で、多い時は30キロくらい歩行します。だいたいは単独ですが、友人と一緒のこともあります。そして思ったのですが「行軍」というのが、長距離の移動にプラスに働いたのかもしれませんね。一人だと「もうダルい」「疲れた」となりますが、皆が頑張っているとなるとサボるわけにもいきません。なにより「会話相手」もいますし励ましあったり、グチをこぼしあったり……戦友がそばに居るのは心強かったと思われます。
足軽たちに「姫路城まで行けばとりあえず金は貰える、とにかく姫路城までは行こう」とうまく心理を誘導できたのは流石
秀吉の恐ろしさは戦場での指揮よりも、戦になるまでの下準備とかを万全にして「最後の仕上げに戦闘をする」所にあるんだと思う
孫子でも「開戦したときには8割勝敗は決まってる」とありますし勝てる状況を作る天才なのでしょうね
戦略の基礎ではあります。基礎だから戦国の雄なら誰でも完璧にこなす…とはならない。
逆に何にも考えなくても戦えば必ず勝つのが項羽😂
漫画ドリフターズでは信長がそれ言ってて、真意を理解したのは秀吉だけだったとも言ってた
羽柴ジョセフ「中国の孫氏の兵法に書いてある...勝利とは戦う前に決定されているってなあ!光秀!オメーは戦う前に俺に負けてんのヨン」
NHKの歴史探偵で中国大返しの話をやってた時、武装は水上輸送で送り、食料は信長が移動する為に各地に置いてあった物を供出したので兵士はほぼ着の身着のままで走ったってやってましたね。それでも1日平均30キロは凄いですが……
たまに主さんみたいな長距離歩行に挑戦しては腰の痛みや足のマメに悩まされるので、高性能のザックや靴がなかった時代の人たちの大変さを思うと頭が下がります。
南北朝時代だと北畠顕家がこれよりもえげつない機動をやってるのが恐ろしい。何気に足利尊氏も京から鎌倉までの道程を17日で走破し、しかもただ走破しただけじゃなくてその間に7度の合戦を行って鎌倉を占領していた反乱軍を完全に崩壊させてるのがやばい。
お疲れ様でした。私も偶然6月に同様のルートで明石港から姫路駅まで歩きましたがほんとにキツかったです…これを七日間続けた行軍でまともに戦えるとは当時の兵士の体力は凄まじいですね…
東京駅から銚子まで108kmを33時間かけて歩いたことあるけど、本当に死にそうになった
忘れ去られたビッグモーターを思い出させたり、ハマスの風評被害を受けたハマス...はま寿司をアピールしたりうp主の優しさがしみる
42kmを2時間ちょっとで走りきるマラソンランナーってやっぱ凄まじいんだな
つい先日、大学駅伝を見に行ったのですが、みんなもの凄いスピードで走ってましたね。あれで10km以上走れるんかいと思うくらい。
因みに駅伝レベルだと通常のスピードが「時速12km」って言われてて、スパートかけるともっと速くなる、ぐらいらしいですね。時速12kmでも相当なもんですけど。
思いついたとしても普通実行できない検証を サラッと実行しちゃううp主凄すぎ!
古今東西、強い軍隊って行軍スピード早いですよね!古代ローマ軍から織田 秀吉 ナポレオン…部隊という一人一人が集まる集団でこの行軍ができるのがスゴいですね!!
待ってました!蜀軍もそうだけど、秀吉軍も大概体力が異常ですよね。でもこの時代の兵士ってたいていが農民だから、1日中座って仕事してる現代人に比べると、尋常じゃないぐらい1日中動いてたんでしょうね。
蜀軍は事前の念入りな準備で説明つくけど、突発でこれやった秀吉はわけわからん。
@@Plan7_lot 司馬懿の孟達攻めが時間と距離(ただし直線距離)的には大返しとほぼ同等なんですがむしろ緊急故皇帝への(出兵許可の)上奏とかすっ飛ばすことになったので結果孟達の計算(通常の手続き&準備の上で考えられる速攻)以上の速さになり結果的に戦略奇襲となったようです🙃
検証お疲れ様です。昔の人も武装、周囲警戒しながら長距離移動ってホントすごい。つわものと書いて兵士なのも納得。
信長が死んだっていう不安定な状況で、この強行軍を1週間命令する大将についていこうって思わせられたのが秀吉のすごいところですね
お疲れ様でした。四国遍路で愛媛県小松から土居まで大体40キロ歩いたのが自分の最長距離だったと思います。照り返しや道が固いために疲労がたまり、「アスファルトより土の道の方がはるかに歩きやすい」のをこれほど実感したことはなかったです。また国道、旧街道って住宅が建て込んでいて、自販機やコンビニの前で休憩…という訳にはなかなかいかなかったですね。
秀吉「本日は明石〜姫路RTAを走ります(物理)。レギュはany%、3カウントでスタートです」
それ考えると秦嶺山脈越えて魏に毎年のようにカチコミかけてた孔明率いる蜀軍が如何にイカれてたかが改めて分かるな…
冬の秦嶺山脈RTA!そういうのもあるのか
ナポレオン「良い兵隊とは良く歩く兵隊だ」
1日10キロが平均の時代に40~60キロ歩かせるフランス軍
@@あぼぼですう~んこれは良く歩く兵隊
RTA大変お疲れ様でした。当方は中学生のときに30km歩いたことがあるのが最高なのですが、やはり浸透襲撃様と同じように終盤死にそうになってその後2日間くらい行動不能でしたよ。昔の人は本当に凄かったと思いますね。これからも楽しい動画期待しております。
所属していたボーイスカウトの団で毎年40kmハイキング、と言うのを行なっていました。もう記憶も曖昧ですが中学生の体力は凄い物で完歩率は8割超えていたと思います。経路は往復で終わったらすぐに帰宅できる、大人が車で巡回して安全を担保している等の好条件は有ったものの、頑張って歩いた子達は褒めてあげたい、と言うか実際に褒めてあげました。
up主に申し訳ないがBGMが神曲すぎて脳内で勝手に歌が流れてきて頭に入ってこないw動画二周目してきます
昔の人は普通に歩いて連絡取ってたはずだよね、と思って名古屋城〜岡崎城間(35km強)を歩いたことあるけど、9時間かかって靴がボロボロになった幕末の偉人の移動距離とか移動ペースは本気でおかしすぎると思う
自ら体を張って検証する考察者の鑑。当時の環境を考えると、これに加えて移動日数分の食糧の確保でしょう?ルート上にどれくらい軍団規模での補給が可能な宿場町みたいなものがあったのでしょうねぇ…。
「20km超えたら疲労が一気にくる」のは本当にそう。25km超えると心理状態が無の境地に達して「歩き続けるロボット」と化します
まさに兵は神速を尊ぶ!お疲れ様でした。
明石から姫路まで徒歩の旅、お疲れさまでした!!まあ、昔の人の体力と頑丈さは現代人とは全然違ったんでしょうね。
「昔の人は頑丈だった」とか「秀吉の用兵力が凄かった」だけで片付けられない異常な行軍だったんですなぁ。何がどうなったらあんなん出来たんだろうか。現代に生まれてたらどれくらいの人になってたんだろう。だから次回は五胡十六国時代の大混乱ぶりをまとめてくださいお願いしますなんでもはしませんから!
お疲れ様でした! 数百年のひらきがあっても現地取材は興味深いですね。
ナイスガッツですな~。すごい!中国大返しの秀吉軍もさることながら、さらさら越えした佐々成政とか超人というかもう想像の彼方はるかですわ。
秀吉の中国大返しでこれだから未開の奥州から京都までを戦闘しながら半月で爆走した北畠顕家はイカれてる
ベルリンからモスクワまで、バルバロッサRTAとかどうでしょうか。ドイツ軍の人は徒歩じゃなくて自動車だったのかなあ。
当時と現在では環境や人間の生活様式の違いから来る基礎体力など違いは多々ありますが、それでも実践される姿勢はとても素晴らしく、今回の動画も興味深く視聴させて頂きました。リクエスト募集との事ですので、軍装での真冬の秦嶺山脈踏破もしくは水無し登山で山頂陣取り耐久……は危険なので観光を兼ねた古戦場跡地巡りなど如何でしょうか。
確かこの時の兵隊さんの装備って大体20kgくらいあった気がする…自衛隊も日本軍のフル装備も大体そのくらいだったような…?つまり、これ+20kgの重りを持って行軍するって…:(´◦ω◦`):
せっかくなので、これに「兵站」シリーズの話をトッピングしてみてください。
自分が市の領域、中心部イメージできる川崎市、藤沢市を考えると市境の看板見えても中心部が絶望的に遠い場合もあるんだよなあ。ご無事で何よりです。お疲れさまでした。ありがとうございます。
16世紀後半の日本は現在より雨が多かったといわれているうえ、梅雨真っただ中の時期でした。実際、姫路帰還までは暴風雨に見舞われていたようで今回の明石~姫路間踏破とは比べ物にならない難行軍だったのは想像に難くない
秀吉はこの雨すら「雨とは縁起がいい!!桶狭間で勝った時も雨、浅井朝倉を滅ぼした時も雨!!織田軍は雨が降った戦で負けたことはないのじゃ!!」と周りに言って戦意を鼓舞する理由付けにしたそうです
up主すごすぎる尊敬
いやすごい、お疲れ様でした。ここまでやったことは無いけど仕事で往復15km歩いた時も結構大変だったので検証と趣味とはいえ計40km越えはリスペクトしかないです
素晴らしい記録です。私も以前限界に挑戦して35kmでアウト。股ずれと筋肉痛で2日は引きずりました、、、明石姫路間(主に明石市内)は海岸線沿いを歩くと景色も良くてオススメです。
この動画の端々で現れるように武装してない一人の強行軍でも補給や休憩が必要でそれの調達に時間をかけては行軍速度はガタ落ちになるしかもそれを軍単位でやってる訳で秀吉って元々本能寺で変が起こる事も軍の長距離行軍もその直後にやる事も予見してて、物資集積や補給予定地に全て予め準備させてたんじゃなかろうか?って個人的な懸念はますます強まった
江戸の住んでる都会っ子の老若男女が歩きだけで伊勢参りしてたからなあ。昔の人の基礎体力って現在の何倍高かったんやろなあ
弱ければ成人前に亡くなる時代ですから、成人しているだけで選ばれた人たちですよ。
いやぁお疲れさまでした。たまに山歩きをしてる自分の経験からすると舗装路の方が足に疲労が溜まりますので、最後は本当に苦行だったと思います。ただし足元を無注意で歩ける歩きやすさは舗装路が圧倒的に楽ですけどね。普段運動をしていない成人ならだいたい2時間休みなく歩き続けたら(8~10km)足の痛みなどどこかに不調が出るでしょう。逆に言えば歩くのに支障のない人ならどんな人でも10kmぐらいなら後に残るダメージ無く移動はできると思います。どこかに不調が出た時点でリタイアするのが正解なのでしょうね。ダメージ残無く翌日回復できる距離が20kmという動画主はかなり歩き慣れている方かと。自分は六甲ー伊丹の約20kmを5時間ほどで歩いたことがありますが翌日回復は無理でした。 昔の人の体力は運動不足な現代人とは比べるべくもないほどに強いと思いますが、長距離移動に対する慣れがあったのかもしれませんね。おそらく1時間4km歩いて10分、20分休憩するなど「疲れる・傷む前に休む」を繰り返していたのではないかと推察します。
東日本大震災の時に職場から5~6時間かけて約20キロ歩いたことがあるが、翌日から一週間くらい階段が後ろ向きでないと降りられなくなったことがある。
道路は舗装されているかどうかより、もっと単純に「整備」されているかどうかが重要な気がする。高校時代の行事で10キロぐらい歩いたり陸自での行軍や弾薬庫歩哨、一時期プラントの運転員をやっていた時の経験からだけど、アスファルトで舗装された道より、整備された土道の方が足腰への負担は少ない気がする。土の道は比較的地面が柔らかいから衝撃が吸収されてアスファルトやコンクリよりダメージが少ないんだろうね。次に楽なのはアスファルトや石畳、その次がコンクリ、最悪なのは鉄板って感じ。
これ結果だけ見ると実際はもっと尋常では無い運用をされたようですね…①行軍目標はまず姫路までで、距離はおよそ100km②多少の落伍者が出たとしても…→この距離を2日到着説と3日到着説があるとされています💧③姫路で2日休息を取る④次の目標が現在の大阪府高槻までの約100km→前回よりは少し余裕を持たせたか(?)3日で到着⑤山崎の合戦に突入これだと100㎞3日だったとしても1日約33㎞を3日連続!動画のように一般人が軽装で20㎞の行軍ででボロボロになるので幾ら体力があっても普通は出来ないのでは?と考えます。相当に周到な計画と準備がないとこんな無茶苦茶な行軍は不可能なので恐らく備中で退却準備をしてる2日間に諸々準備をしたのでしょう。考えられる事は…①先遣隊を派遣して街道沿いの集落に応援要請をかけさせる②先行する『行軍隊』と後追いする『荷駄隊』に分ける③行軍隊は装備食料を荷駄隊に預けて足軽は褌一丁くらいの身軽さで行軍④途中の給水や食料は街道沿いであらかじめ準備された物を受ける⑤野営ポイントをあらかじめ決めておき、そこで荷駄隊の到着を持って野営する→①〜⑤の繰り返し×3日・2セットこれだけでも無茶なのに、その後決戦って…後世の創作的な作り話はあながち真実に近いのかも?
部隊を分けて段階的に撤退させれば何とかなりそうですよね。①先遣隊は本能寺の変の知らせを聞いた直後に出発させる②行軍隊は毛利との和睦が成立した直後に出発させる③荷駄隊は清水宗治の自刃を見届けてから出発させるただ、毛利が全力で追撃して来たときは全軍壊滅状態になる恐れもあったので秀吉の判断と決断力の速さが異常としか言いようがない。
次回の動画ですが、実際に足軽の装備(レプリカだけど重さは同じ)をつけて行ってみてはいかがでしょうか?しかも連続一週間とか?
うぽつです!うぷ主殿...ヤムチャしやがって....これ山歩きしたことがある人はわかると思うんですが、舗装された道路って滅茶苦茶歩きやすいんですよね
装備20kgの25km行軍なら3ヶ月程度訓練された若年男性はほぼパスできるんですよね。人間ってよく出来てるなあと行軍後の謎ハイポート(装備そのままの強制ランニング)で思いました。
中国大返しはこの行程を軍団を維持して帰ってきた凄さなんよねこれ配下の軍団が恐慌状態になったら秀吉の未来は無かったわ
うp主さん、お疲れ様でした。ものすごく面白かったです😂何回も見ました👀中国大返しが実感できて(見てるだけだったけど😓)、それをやってのけた秀吉軍がどれだけスゴいのか再確認できました。また、身体の変化とかその時その時の心情の実況が聞けて楽しかったです。解説のフランちゃんと美鈴ちゃんもありがとうございました😊
徒歩マラソン動画好きなので助かる。秀吉軍の中でも股ずれとかあったのかなと思うと当時の大変さを感じる
これだけ歩いただけで2100カロリー消費するのだから、それを賄う兵糧を用意するのは大変だったんだな、と。
おつかれさまでした!姫路駅周辺のお話が楽しかったです。路銀の足しにもなりませんが置いていきます。
あと季節は現在だと7月上旬くらいだからね、晴れたらかなり地獄な模様。17時頃のうp主の発想、登山で遭難して迷った挙げ句引けなくなって沢を下る心境になってるな。
逆にここら辺で土砂降りになってなかったっけ
次回のリクエストですが「秦嶺山脈越え」を うぷ主自身が体験してうぷしてみてください。
おいおい、アンタうぷ主に何か恨みでもあるのか?
@@hiron114 さん。孔明の罠です。
秀吉が、考えたのはとにかく自分1人でも早く帰り着くこと。わすがの供回りでも、帰還したには変わり無い。まずは姫路につき、そこで2~3日休憩と兵隊の帰りを待ちながら、この先の摂津方面、京都方面の情報と味方への勧誘をしてたのでしょう。実際、天王寺の戦いまでは10日程なのであまり落伍者も出ず、味方も増えたので安心。一番大きいのは摂津方面の武将がほとんど味方に着いたのが大きい。朝出発して夕方までだとしておよそ8時間、徒歩で平均時速4~5キロ程で1日、30キロメートル前後と思われる。実際の後の宿場町の間隔はもっと短く20キロメートル前後の様。
お疲れ様です!自分も似たようなことしたとき、ママチャリだったのでハンドル握る手のひらとシートに接する股間がひどいことになったことを思い出しましたwそのときは手にタオル巻いてハンドル握って、ヘロヘロ立ちこぎで最後までがんばりましたwリクエストなのですが、九州の桶狭間と言われてるとか言われてないとかの「木崎原の戦い」は面白いと思うのですがどうでしょうか?島津と伊東のやつです。次の動画も楽しみにしてます!!!
おととしに東海道横断徒歩を自分もやりましたのでとても共感できる内容でした
15皿も寿司食べて良く動けますねw自分も2~5時間くらいひたすら歩くのが趣味ですけどお腹いっぱいだとしんどくて仕方ないです次回は股ずれ防止パンツ買って薩摩→関ケ原RTAに挑みましょう(提案)
建武の新政の時の北畠顕家12月22日 奥州を出発1月2日 鎌倉に進軍、足利義詮軍を撃破、鎌倉占領1月13日 大津で新田義貞、楠木正成と合流1月16日 大津の園城寺を攻略1月30日 足利尊氏軍を撃破、入京1か月ちょっとで山崎の戦い級の決戦を3回やりながら700km移動これに比べたらたかが180kmなんて大したことない
ま・・・まあ、あの頃の主力は騎兵だったから(震え声
長野から松本まで自転車で移動したこと思い出しました w山一つ越える必要があったとはいえ、自転車であれだけキツかったかのに歩きなんて考えられない笑いつか50キロチャレンジやってみたいです
古代ローマ…共和制末期レギオンの行軍速度は規格化されていて40キロの荷物をもって一日25キロ… あたまおかしい…なお最速記録は30時間で74キロ 盛ってるよな…?(恐怖)
すげぇ行動力だ
陸自に入って初めて15km行軍した際はやっぱりキツいと感じたけど、後期教育で30km行軍した時もキツかったです。半長靴に高くて良いソールを入れ、厚手の靴下を履いて歩いても足痛くなったのに、当時の履物は草履・足袋なんて思ったらもう。
他に行軍スピードが速いで有名なアレクサンダー大王軍、ローマ軍、ナポレオン大陸軍なら中国大返しはどの程度のスピードで進めただろうか?あと、モンゴル軍は規格外過ぎるので除外で。
ナポレオンのウィーン進軍はだいたい中国大返しと同じ速度でウルムからウィーンまで(備中から富士山ぐらいまで)進軍してますね(超戦略奇襲になったので無抵抗でめちゃくちゃ物資鹵獲したようです)さすがにウィーンでは2~3日(少なくて草)休憩してアウステルリッツに向かったようですが※怖いのはこれを『歩いて勝った』と言われる空前の機動戦略戦のウルムの直後に”追加”でやってるとこ笑
日本にはさらにぶっとんだ記録がある東北から京都まで半月訳600キロを半月で走破したとか言う北畠顕家という化け物がいるこれが国内で最長にして最速検証するのも馬鹿馬鹿しくなる1日50キロ以上を出したという狂った奴らがいる
今回も面白かったです!やっぱり中国大返しは凄まじいですね(^_^;)三国志ネタで、官渡の解説見てみたいです(^^)😊
トランザム、最高に楽しい動画でした!私も散歩好きなので挑戦してみたいです!
どこかで聞き覚えのある情熱的なBGMだと思ったら、やはり、「銀の意思」か!
ありがとうございます!
素晴らしい動画
おまけに現代の徒歩はスニーカーやウォーキングシューズ。当時は未舗装の道を草鞋……
明石から姫路まで徒歩!?車やバイク、自転車ですら結構厳しい土地(姫路市内は山に囲まれてる)だから。そんな距離を徒歩なんて無謀な行為を体を張って行うなんてすごい事です
市境≠市街地は今回の「行軍」の反対方向が解り易くそうですね明石市のJR朝霧駅直近のR2 にある「神戸市」市境標識から神戸駅or三宮まで20km以上と軽く4ねる距離という…
お疲れ様でした!
自分は備中高松城から秀吉が入城したと言われる城を順に訪ねながら大山崎&淀城まで歩いたことがあります。め~~~っちゃきつかったです。
歩行時間9時間半歩行距離47kmはマジで凄い6時間ぐらい歩いたことありますが、そこからもう3時間とか歩く気力が湧かないと思います貴重な体験ですね
えー、1日しか歩いてないのかよって書き込もうと思ったら想像を超える話にの連発だった
秀吉軍の人もきっと大多数の人が短パン破けてる状態で光秀軍と戦ってるよ
新作投稿ありがたい
1時間1里(約4km)が成人の徒歩距離なのでおおよそ9時間。駅前(周辺)のラブホなら平日宿泊7000~8000円なので、普通のビジホ泊まるよりいいと思うw(風呂が広いのが嬉しい)
【結論】加古川より向こうの人は甲子園の最終電車がでたら徒歩では本当に帰られへん
何回でも見れる
2国沿いをよく歩きましたね。私なら明姫幹線沿いに歩くかな。魚住あたりにあるどんぶり勘定ってお店の定食が美味しいのです。
もう20年くらい前の話になりますが、当時、航空自衛隊に所属していました。その際のカリキュラムに40km行軍というものがありました。2個教育中隊の約400人が個人装具と64小銃を担いで40kmを行軍するというものです。8時間で40kmを歩き切るというものですがかなりきつかったことを覚えています
草履は消耗品だから途中で履き替えないといけないし裸足の場合は地面が平坦で、木の根などがない道でないといけないそれを220キロ、二万人が移動したわけだから、明智方も「まさかありえない」と思って準備が間に合わなかったわけだしなあ
うちの親戚に加古郡から神戸まで朝イチ走ってきてお土産渡してじゃあ帰りますって家にも上がらずにUターンした猛者(当時60代マラソン上位常連)がいるので、足を日常的に使っていれば(酷使…?)また違う結果も出るんでしょうね。お疲れ様でした!
うぷ主へ完走おめでとうございます短パンとパンツの替えは用意した方が良いかと思います
食糧は信長主力軍の為に街道沿いに備蓄してあったのが幸いだとして、出発時に武具だけを別動隊に預けて身軽で移動したのではないだろうか、到着地でかき集めた可能性も。
枯れた話題(街路樹的な意味で)
草も生えない
こんばんは、お疲れ様です。行軍と言えば三国志の夏侯淵の行軍スピードもとんでもなかったりしますね。馬に乗ってると思いますけどそれはそれで負担が小さくないと思いますけどね。馬関係で。
その内、秦嶺山脈の踏破とかやったりしないだろうか(提案)
そうですね、是非やって欲しい(超他人事)水行十日とかも😅
こういう実践学問的なのって素晴らしいです❗️お疲れ様でした。なお、東日本大震災当日夜を思い出しました(関東民)
地元民ですが本当にお疲れ様でした。
GPSロガーで歩いたコースを記録しておいて職質されたときに見せればよかったかも
歩き慣れてないと厳しい・・・。戦国時代の足軽は、日常的に10km以上は普通に歩いてるんだろうから、かなり条件が違うんだろうな・・・。大返しした季節は梅雨時ってのが辛い。8:30発が遅いな・・・6:00には出ないと・・・長時間歩くのは体重軽くないと厳しい。
大返し当時はどのルートだったんですかね?やっぱ2国に近いルートだったんかな
6:47うp主さますごいです(おおまじめに個人的に行軍的な移動体験といえばA自宅から近鉄額田駅まで(約10㎞ 2時間半程度)額田から生駒山頂(90分程度)B自宅から尼崎市立歴史博物館(約14.5㎞ 3時間半程度)くらいしか最近は覚えがありませんがいづれも往路終盤でばてて復路は列車で自宅最寄り駅まで戻ってき翌々日から1週間ほど筋肉痛と腰痛で動けなくなりました8:25ちえええええええええん(狐が憑依)
予め股にワセリン塗っとくと股ずれ防止できて楽
次は美濃大返しですね(暗黒面
史実を自分で実際に果敢に挑む歴史系RTAyoutuberの鑑
ワイの自宅の前の道(旧東海道)も結構東海道五十三次ウォークしてる人居るぞ
歴史好きには「旧街道を行く」「古戦場を巡る」「推し武将と同じ道を歩いてみる」は
人気コンテンツだったりする
自分も歩いたり散策するのが趣味で、多い時は30キロくらい歩行します。だいたいは単独ですが、友人と一緒のこともあります。
そして思ったのですが「行軍」というのが、長距離の移動にプラスに働いたのかもしれませんね。
一人だと「もうダルい」「疲れた」となりますが、皆が頑張っているとなるとサボるわけにもいきません。
なにより「会話相手」もいますし励ましあったり、グチをこぼしあったり……戦友がそばに居るのは心強かったと思われます。
足軽たちに「姫路城まで行けばとりあえず金は貰える、とにかく姫路城までは行こう」とうまく心理を誘導できたのは流石
秀吉の恐ろしさは戦場での指揮よりも、戦になるまでの下準備とかを万全にして「最後の仕上げに戦闘をする」所にあるんだと思う
孫子でも「開戦したときには8割勝敗は決まってる」とありますし
勝てる状況を作る天才なのでしょうね
戦略の基礎ではあります。基礎だから戦国の雄なら誰でも完璧にこなす…とはならない。
逆に何にも考えなくても戦えば必ず勝つのが項羽😂
漫画ドリフターズでは信長がそれ言ってて、真意を理解したのは秀吉だけだったとも言ってた
羽柴ジョセフ「中国の孫氏の兵法に書いてある...勝利とは戦う前に決定されているってなあ!光秀!オメーは戦う前に俺に負けてんのヨン」
NHKの歴史探偵で中国大返しの話をやってた時、武装は水上輸送で送り、食料は信長が移動する為に各地に置いてあった物を供出したので兵士はほぼ着の身着のままで走ったってやってましたね。
それでも1日平均30キロは凄いですが……
たまに主さんみたいな長距離歩行に挑戦しては腰の痛みや足のマメに悩まされるので、高性能のザックや靴がなかった時代の人たちの大変さを思うと頭が下がります。
南北朝時代だと北畠顕家がこれよりもえげつない機動をやってるのが恐ろしい。何気に足利尊氏も京から鎌倉までの道程を17日で走破し、しかもただ走破しただけじゃなくてその間に7度の合戦を行って鎌倉を占領していた反乱軍を完全に崩壊させてるのがやばい。
お疲れ様でした。私も偶然6月に同様のルートで明石港から姫路駅まで歩きましたがほんとにキツかったです…これを七日間続けた行軍でまともに戦えるとは当時の兵士の体力は凄まじいですね…
東京駅から銚子まで108kmを33時間かけて歩いたことあるけど、本当に死にそうになった
忘れ去られたビッグモーターを思い出させたり、ハマスの風評被害を受けたハマス...はま寿司をアピールしたりうp主の優しさがしみる
42kmを2時間ちょっとで走りきるマラソンランナーってやっぱ凄まじいんだな
つい先日、大学駅伝を見に行ったのですが、みんなもの凄いスピードで走ってましたね。あれで10km以上走れるんかいと思うくらい。
因みに駅伝レベルだと通常のスピードが「時速12km」って言われてて、スパートかけるともっと速くなる、
ぐらいらしいですね。
時速12kmでも相当なもんですけど。
思いついたとしても普通実行できない検証を サラッと実行しちゃううp主凄すぎ!
古今東西、強い軍隊って行軍スピード早いですよね!
古代ローマ軍から
織田 秀吉 ナポレオン…
部隊という一人一人が集まる集団でこの行軍ができるのがスゴいですね!!
待ってました!蜀軍もそうだけど、秀吉軍も大概体力が異常ですよね。でもこの時代の兵士ってたいていが農民だから、1日中座って仕事してる現代人に比べると、尋常じゃないぐらい1日中動いてたんでしょうね。
蜀軍は事前の念入りな準備で説明つくけど、突発でこれやった秀吉はわけわからん。
@@Plan7_lot 司馬懿の孟達攻めが時間と距離(ただし直線距離)的には大返しとほぼ同等なんですが
むしろ緊急故皇帝への(出兵許可の)上奏とかすっ飛ばすことになったので
結果孟達の計算(通常の手続き&準備の上で考えられる速攻)以上の速さになり結果的に戦略奇襲となったようです🙃
検証お疲れ様です。昔の人も武装、周囲警戒しながら長距離移動ってホントすごい。つわものと書いて兵士なのも納得。
信長が死んだっていう不安定な状況で、この強行軍を1週間命令する大将についていこうって思わせられたのが秀吉のすごいところですね
お疲れ様でした。
四国遍路で愛媛県小松から土居まで大体40キロ歩いたのが自分の最長距離だったと思います。
照り返しや道が固いために疲労がたまり、「アスファルトより土の道の方がはるかに歩きやすい」のをこれほど実感したことはなかったです。また国道、旧街道って住宅が建て込んでいて、自販機やコンビニの前で休憩…という訳にはなかなかいかなかったですね。
秀吉「本日は明石〜姫路RTAを走ります(物理)。レギュはany%、3カウントでスタートです」
それ考えると秦嶺山脈越えて魏に毎年のようにカチコミかけてた孔明率いる蜀軍が如何にイカれてたかが改めて分かるな…
冬の秦嶺山脈RTA!そういうのもあるのか
ナポレオン「良い兵隊とは良く歩く兵隊だ」
1日10キロが平均の時代に40~60キロ歩かせるフランス軍
@@あぼぼです
う~んこれは良く歩く兵隊
RTA大変お疲れ様でした。当方は中学生のときに30km歩いたことがあるのが最高なのですが、やはり浸透襲撃様と同じように終盤死にそうになってその後2日間くらい行動不能でしたよ。昔の人は本当に凄かったと思いますね。これからも楽しい動画期待しております。
所属していたボーイスカウトの団で毎年40kmハイキング、と言うのを行なっていました。
もう記憶も曖昧ですが中学生の体力は凄い物で完歩率は8割超えていたと思います。
経路は往復で終わったらすぐに帰宅できる、大人が車で巡回して安全を担保している等の好条件は有ったものの、頑張って歩いた子達は褒めてあげたい、と言うか実際に褒めてあげました。
up主に申し訳ないがBGMが神曲すぎて脳内で勝手に歌が流れてきて頭に入ってこないw動画二周目してきます
昔の人は普通に歩いて連絡取ってたはずだよね、と思って名古屋城〜岡崎城間(35km強)を歩いたことあるけど、9時間かかって靴がボロボロになった
幕末の偉人の移動距離とか移動ペースは本気でおかしすぎると思う
自ら体を張って検証する考察者の鑑。
当時の環境を考えると、これに加えて移動日数分の食糧の確保でしょう?
ルート上にどれくらい軍団規模での補給が可能な宿場町みたいなものがあったのでしょうねぇ…。
「20km超えたら疲労が一気にくる」のは本当にそう。25km超えると心理状態が無の境地に達して「歩き続けるロボット」と化します
まさに兵は神速を尊ぶ!
お疲れ様でした。
明石から姫路まで徒歩の旅、お疲れさまでした!!
まあ、昔の人の体力と頑丈さは現代人とは全然違ったんでしょうね。
「昔の人は頑丈だった」とか「秀吉の用兵力が凄かった」だけで片付けられない異常な行軍だったんですなぁ。
何がどうなったらあんなん出来たんだろうか。
現代に生まれてたらどれくらいの人になってたんだろう。
だから次回は五胡十六国時代の大混乱ぶりをまとめてくださいお願いしますなんでもはしませんから!
お疲れ様でした! 数百年のひらきがあっても現地取材は興味深いですね。
ナイスガッツですな~。すごい!
中国大返しの秀吉軍もさることながら、さらさら越えした佐々成政とか超人というかもう想像の彼方はるかですわ。
秀吉の中国大返しでこれだから未開の奥州から京都までを戦闘しながら半月で爆走した北畠顕家はイカれてる
ベルリンからモスクワまで、バルバロッサRTAとかどうでしょうか。ドイツ軍の人は徒歩じゃなくて自動車だったのかなあ。
当時と現在では環境や人間の生活様式の違いから来る基礎体力など違いは多々ありますが、それでも実践される姿勢はとても素晴らしく、今回の動画も興味深く視聴させて頂きました。リクエスト募集との事ですので、軍装での真冬の秦嶺山脈踏破もしくは水無し登山で山頂陣取り耐久……は危険なので観光を兼ねた古戦場跡地巡りなど如何でしょうか。
確かこの時の兵隊さんの装備って大体20kgくらいあった気がする…
自衛隊も日本軍のフル装備も大体そのくらいだったような…?
つまり、これ+20kgの重りを持って行軍するって…
:(´◦ω◦`):
せっかくなので、これに「兵站」シリーズの話をトッピングしてみてください。
自分が市の領域、中心部イメージできる川崎市、藤沢市を考えると市境の看板見えても中心部が絶望的に遠い場合もあるんだよなあ。
ご無事で何よりです。
お疲れさまでした。ありがとうございます。
16世紀後半の日本は現在より雨が多かったといわれているうえ、
梅雨真っただ中の時期でした。
実際、姫路帰還までは暴風雨に見舞われていたようで
今回の明石~姫路間踏破とは比べ物にならない難行軍だったのは
想像に難くない
秀吉はこの雨すら「雨とは縁起がいい!!桶狭間で勝った時も雨、浅井朝倉を滅ぼした時も雨!!織田軍は雨が降った戦で負けたことはないのじゃ!!」
と周りに言って戦意を鼓舞する理由付けにしたそうです
up主すごすぎる尊敬
いやすごい、お疲れ様でした。
ここまでやったことは無いけど仕事で往復15km歩いた時も結構大変だったので検証と趣味とはいえ計40km越えはリスペクトしかないです
素晴らしい記録です。
私も以前限界に挑戦して35kmでアウト。股ずれと筋肉痛で2日は引きずりました、、、
明石姫路間(主に明石市内)は海岸線沿いを歩くと景色も良くてオススメです。
この動画の端々で現れるように武装してない一人の強行軍でも補給や休憩が必要でそれの調達に時間をかけては行軍速度はガタ落ちになる
しかもそれを軍単位でやってる訳で
秀吉って元々本能寺で変が起こる事も軍の長距離行軍もその直後にやる事も予見してて、物資集積や補給予定地に全て予め準備させてたんじゃなかろうか?って個人的な懸念はますます強まった
江戸の住んでる都会っ子の老若男女が歩きだけで伊勢参りしてたからなあ。
昔の人の基礎体力って現在の何倍高かったんやろなあ
弱ければ成人前に亡くなる時代ですから、成人しているだけで選ばれた人たちですよ。
いやぁお疲れさまでした。たまに山歩きをしてる自分の経験からすると舗装路の方が足に疲労が溜まりますので、最後は本当に苦行だったと思います。ただし足元を無注意で歩ける歩きやすさは舗装路が圧倒的に楽ですけどね。普段運動をしていない成人ならだいたい2時間休みなく歩き続けたら(8~10km)足の痛みなどどこかに不調が出るでしょう。逆に言えば歩くのに支障のない人ならどんな人でも10kmぐらいなら後に残るダメージ無く移動はできると思います。どこかに不調が出た時点でリタイアするのが正解なのでしょうね。ダメージ残無く翌日回復できる距離が20kmという動画主はかなり歩き慣れている方かと。自分は六甲ー伊丹の約20kmを5時間ほどで歩いたことがありますが翌日回復は無理でした。
昔の人の体力は運動不足な現代人とは比べるべくもないほどに強いと思いますが、長距離移動に対する慣れがあったのかもしれませんね。おそらく1時間4km歩いて10分、20分休憩するなど「疲れる・傷む前に休む」を繰り返していたのではないかと推察します。
東日本大震災の時に職場から5~6時間かけて約20キロ歩いたことがあるが、翌日から一週間くらい階段が後ろ向きでないと降りられなくなったことがある。
道路は舗装されているかどうかより、もっと単純に「整備」されているかどうかが重要な気がする。
高校時代の行事で10キロぐらい歩いたり陸自での行軍や弾薬庫歩哨、一時期プラントの運転員をやっていた時の経験からだけど、アスファルトで舗装された道より、整備された土道の方が足腰への負担は少ない気がする。
土の道は比較的地面が柔らかいから衝撃が吸収されてアスファルトやコンクリよりダメージが少ないんだろうね。
次に楽なのはアスファルトや石畳、その次がコンクリ、最悪なのは鉄板って感じ。
これ結果だけ見ると実際はもっと尋常では無い運用をされたようですね…
①行軍目標はまず姫路までで、距離はおよそ100km
②多少の落伍者が出たとしても…
→この距離を2日到着説と3日到着説があるとされています💧
③姫路で2日休息を取る
④次の目標が現在の大阪府高槻までの約100km
→前回よりは少し余裕を持たせたか(?)3日で到着
⑤山崎の合戦に突入
これだと100㎞3日だったとしても1日約33㎞を3日連続!
動画のように一般人が軽装で20㎞の行軍ででボロボロになるので
幾ら体力があっても普通は出来ないのでは?と考えます。
相当に周到な計画と準備がないとこんな無茶苦茶な行軍は不可能なので
恐らく備中で退却準備をしてる2日間に諸々準備をしたのでしょう。
考えられる事は…
①先遣隊を派遣して街道沿いの集落に応援要請をかけさせる
②先行する『行軍隊』と後追いする『荷駄隊』に分ける
③行軍隊は装備食料を荷駄隊に預けて足軽は褌一丁くらいの身軽さで行軍
④途中の給水や食料は街道沿いであらかじめ準備された物を受ける
⑤野営ポイントをあらかじめ決めておき、そこで荷駄隊の到着を持って野営する
→①〜⑤の繰り返し×3日・2セット
これだけでも無茶なのに、その後決戦って…
後世の創作的な作り話はあながち真実に近いのかも?
部隊を分けて段階的に撤退させれば何とかなりそうですよね。
①先遣隊は本能寺の変の知らせを聞いた直後に出発させる
②行軍隊は毛利との和睦が成立した直後に出発させる
③荷駄隊は清水宗治の自刃を見届けてから出発させる
ただ、毛利が全力で追撃して来たときは全軍壊滅状態になる恐れもあったので
秀吉の判断と決断力の速さが異常としか言いようがない。
次回の動画ですが、実際に足軽の装備(レプリカだけど重さは同じ)をつけて行ってみてはいかがでしょうか?しかも連続一週間とか?
うぽつです!
うぷ主殿...ヤムチャしやがって....
これ山歩きしたことがある人はわかると思うんですが、舗装された道路って滅茶苦茶歩きやすいんですよね
装備20kgの25km行軍なら3ヶ月程度訓練された若年男性はほぼパスできるんですよね。人間ってよく出来てるなあと行軍後の謎ハイポート(装備そのままの強制ランニング)で思いました。
中国大返しはこの行程を軍団を維持して帰ってきた凄さなんよね
これ配下の軍団が恐慌状態になったら秀吉の未来は無かったわ
うp主さん、お疲れ様でした。ものすごく面白かったです😂何回も見ました👀
中国大返しが実感できて(見てるだけだったけど😓)、それをやってのけた秀吉軍がどれだけスゴいのか再確認できました。
また、身体の変化とかその時その時の心情の実況が聞けて楽しかったです。解説のフランちゃんと美鈴ちゃんもありがとうございました😊
徒歩マラソン動画好きなので助かる。秀吉軍の中でも股ずれとかあったのかなと思うと当時の大変さを感じる
これだけ歩いただけで2100カロリー消費するのだから、それを賄う兵糧を用意するのは大変だったんだな、と。
おつかれさまでした!姫路駅周辺のお話が楽しかったです。路銀の足しにもなりませんが置いていきます。
あと季節は現在だと7月上旬くらいだからね、晴れたらかなり地獄な模様。
17時頃のうp主の発想、登山で遭難して迷った挙げ句引けなくなって沢を下る心境になってるな。
逆にここら辺で土砂降りになってなかったっけ
次回のリクエストですが「秦嶺山脈越え」を うぷ主自身が体験してうぷしてみてください。
おいおい、アンタうぷ主に何か恨みでもあるのか?
@@hiron114 さん。
孔明の罠です。
秀吉が、考えたのはとにかく自分1人でも早く帰り着くこと。
わすがの供回りでも、帰還したには変わり無い。
まずは姫路につき、そこで2~3日休憩と兵隊の帰りを待ちながら、この先の摂津方面、京都方面の情報と味方への勧誘をしてたのでしょう。
実際、天王寺の戦いまでは10日程なのであまり落伍者も出ず、味方も増えたので安心。
一番大きいのは摂津方面の武将がほとんど味方に着いたのが大きい。
朝出発して夕方までだとしておよそ8時間、徒歩で平均時速4~5キロ程で1日、30キロメートル前後と思われる。
実際の後の宿場町の間隔はもっと短く20キロメートル前後の様。
お疲れ様です!
自分も似たようなことしたとき、ママチャリだったのでハンドル握る手のひらとシートに接する股間がひどいことになったことを思い出しましたw
そのときは手にタオル巻いてハンドル握って、ヘロヘロ立ちこぎで最後までがんばりましたw
リクエストなのですが、九州の桶狭間と言われてるとか言われてないとかの「木崎原の戦い」は面白いと思うのですがどうでしょうか?島津と伊東のやつです。
次の動画も楽しみにしてます!!!
おととしに東海道横断徒歩を自分もやりましたのでとても共感できる内容でした
15皿も寿司食べて良く動けますねw自分も2~5時間くらいひたすら歩くのが趣味ですけどお腹いっぱいだとしんどくて仕方ないです
次回は股ずれ防止パンツ買って薩摩→関ケ原RTAに挑みましょう(提案)
建武の新政の時の北畠顕家
12月22日 奥州を出発
1月2日 鎌倉に進軍、足利義詮軍を撃破、鎌倉占領
1月13日 大津で新田義貞、楠木正成と合流
1月16日 大津の園城寺を攻略
1月30日 足利尊氏軍を撃破、入京
1か月ちょっとで山崎の戦い級の決戦を3回やりながら700km移動
これに比べたらたかが180kmなんて大したことない
ま・・・まあ、あの頃の主力は騎兵だったから(震え声
長野から松本まで自転車で移動したこと思い出しました w
山一つ越える必要があったとはいえ、自転車であれだけキツかったかのに歩きなんて考えられない笑
いつか50キロチャレンジやってみたいです
古代ローマ…共和制末期レギオンの行軍速度は規格化されていて40キロの荷物をもって一日25キロ… あたまおかしい…
なお最速記録は30時間で74キロ 盛ってるよな…?(恐怖)
すげぇ行動力だ
陸自に入って初めて15km行軍した際はやっぱりキツいと感じたけど、後期教育で30km行軍した時もキツかったです。
半長靴に高くて良いソールを入れ、厚手の靴下を履いて歩いても足痛くなったのに、当時の履物は草履・足袋なんて思ったらもう。
他に行軍スピードが速いで有名なアレクサンダー大王軍、ローマ軍、ナポレオン大陸軍なら中国大返しはどの程度のスピードで進めただろうか?
あと、モンゴル軍は規格外過ぎるので除外で。
ナポレオンのウィーン進軍はだいたい中国大返しと同じ速度でウルムからウィーンまで(備中から富士山ぐらいまで)進軍してますね(超戦略奇襲になったので無抵抗でめちゃくちゃ物資鹵獲したようです)
さすがにウィーンでは2~3日(少なくて草)休憩してアウステルリッツに向かったようですが
※怖いのはこれを『歩いて勝った』と言われる空前の機動戦略戦のウルムの直後に”追加”でやってるとこ笑
日本にはさらにぶっとんだ記録がある東北から京都まで半月
訳600キロを半月で走破したとか言う
北畠顕家という化け物がいる
これが国内で最長にして最速
検証するのも馬鹿馬鹿しくなる1日50キロ以上を出したという狂った奴らがいる
今回も面白かったです!やっぱり中国大返しは凄まじいですね(^_^;)
三国志ネタで、官渡の解説見てみたいです(^^)😊
トランザム、最高に楽しい動画でした!
私も散歩好きなので挑戦してみたいです!
どこかで聞き覚えのある情熱的なBGMだと思ったら、やはり、「銀の意思」か!
ありがとうございます!
素晴らしい動画
おまけに現代の徒歩はスニーカーやウォーキングシューズ。当時は未舗装の道を草鞋……
明石から姫路まで徒歩!?
車やバイク、自転車ですら結構厳しい土地(姫路市内は山に囲まれてる)だから。
そんな距離を徒歩なんて無謀な行為を体を張って行うなんてすごい事です
市境≠市街地は今回の「行軍」の反対方向が解り易くそうですね
明石市のJR朝霧駅直近のR2 にある「神戸市」市境標識から神戸駅or三宮まで20km以上と軽く4ねる距離という…
お疲れ様でした!
自分は備中高松城から秀吉が入城したと言われる城を順に訪ねながら大山崎&淀城まで歩いたことがあります。め~~~っちゃきつかったです。
歩行時間9時間半
歩行距離47kmはマジで凄い
6時間ぐらい歩いたことありますが、そこからもう3時間とか歩く気力が湧かないと思います
貴重な体験ですね
えー、1日しか歩いてないのかよ
って書き込もうと思ったら想像を超える話にの連発だった
秀吉軍の人もきっと大多数の人が短パン破けてる状態で光秀軍と戦ってるよ
新作投稿ありがたい
1時間1里(約4km)が成人の徒歩距離なのでおおよそ9時間。
駅前(周辺)のラブホなら平日宿泊7000~8000円なので、
普通のビジホ泊まるよりいいと思うw(風呂が広いのが嬉しい)
【結論】加古川より向こうの人は甲子園の最終電車がでたら徒歩では本当に帰られへん
何回でも見れる
2国沿いをよく歩きましたね。
私なら明姫幹線沿いに歩くかな。
魚住あたりにあるどんぶり勘定ってお店の定食が美味しいのです。
もう20年くらい前の話になりますが、当時、航空自衛隊に所属していました。
その際のカリキュラムに40km行軍というものがありました。2個教育中隊の約400人が個人装具と64小銃を担いで40kmを行軍するというものです。
8時間で40kmを歩き切るというものですがかなりきつかったことを覚えています
草履は消耗品だから途中で履き替えないといけないし
裸足の場合は地面が平坦で、木の根などがない道でないといけない
それを220キロ、二万人が移動したわけだから、明智方も「まさかありえない」と思って準備が間に合わなかったわけだしなあ
うちの親戚に加古郡から神戸まで朝イチ走ってきてお土産渡してじゃあ帰りますって家にも上がらずにUターンした猛者(当時60代マラソン上位常連)がいるので、足を日常的に使っていれば(酷使…?)また違う結果も出るんでしょうね。お疲れ様でした!
うぷ主へ完走おめでとうございます
短パンとパンツの替えは用意した方が良いかと思います
食糧は信長主力軍の為に街道沿いに備蓄してあったのが幸いだとして、出発時に武具だけを別動隊に預けて身軽で移動したのではないだろうか、到着地でかき集めた可能性も。
枯れた話題(街路樹的な意味で)
草も生えない
こんばんは、お疲れ様です。行軍と言えば三国志の夏侯淵の行軍スピードもとんでもなかったりしますね。馬に乗ってると思いますけどそれはそれで負担が小さくないと思いますけどね。馬関係で。
その内、秦嶺山脈の踏破とかやったりしないだろうか(提案)
そうですね、是非やって欲しい(超他人事)
水行十日とかも😅
こういう実践学問的なのって素晴らしいです❗️お疲れ様でした。
なお、東日本大震災当日夜を思い出しました(関東民)
地元民ですが
本当にお疲れ様でした。
GPSロガーで歩いたコースを記録しておいて職質されたときに見せればよかったかも
歩き慣れてないと厳しい・・・。戦国時代の足軽は、日常的に10km以上は普通に歩いてるんだろうから、かなり条件が違うんだろうな・・・。大返しした季節は梅雨時ってのが辛い。8:30発が遅いな・・・6:00には出ないと・・・長時間歩くのは体重軽くないと厳しい。
大返し当時はどのルートだったんですかね?やっぱ2国に近いルートだったんかな
6:47
うp主さますごいです(おおまじめに
個人的に行軍的な移動体験といえば
A
自宅から近鉄額田駅まで(約10㎞ 2時間半程度)
額田から生駒山頂(90分程度)
B
自宅から尼崎市立歴史博物館(約14.5㎞ 3時間半程度)
くらいしか
最近は覚えがありませんが
いづれも往路終盤でばてて
復路は列車で自宅最寄り駅まで戻ってき
翌々日から1週間ほど筋肉痛と腰痛で動けなくなりました
8:25
ちえええええええええん(狐が憑依)
予め股にワセリン塗っとくと股ずれ防止できて楽
次は美濃大返しですね(暗黒面