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阿波出身なので、阿波関連のテーマすごくうれしいです😊✨✨
諏訪大社に祀られている八坂刀売神は忌部氏の系譜で、千葉も忌部一族が開拓したことで有名、出雲で発掘された勾玉を削る砥石を島根大学が解析すると阿波の青石と同じ成分だった、ちなみに出雲の玉作湯神社には阿波の青石が奉納されている。伊勢神宮には吉野川から石を運んでると云う、京都の神社(名前忘れた)も吉野川から石を運んでると聞いたことがある。畿内の古墳には阿波の青石が石室に使われている。色んな神々の元社が阿波にある。ハニヤスヒメなど歴史から消されたイザナミの血筋の神々の痕跡が阿波に残っている。阿波にある相当数の古墳群や遺跡が破壊されている、川島の100以上にもなる古墳群、諏訪神社古墳群…。破壊された浮島八幡宮の祭神は天日鷲命、忌部の祖神である。筑波に所蔵されている阿波風土記に『麻植郡川田村神主早雲兵部所藏 天保十年三月木内茂臣が写せし本をもて校合』と書いてるけど、この早雲氏は忌部一族。イザナミの神陵があると言われる高越神社は、阿府志によると『伊射奈美神社小社美馬郡拝原村山之絶頂にあり、俗に高越大権現 祭神一座伊弉冉 別当高越寺神主早雲治部』とある。ここでも早雲の名前が。高越神社は川田八幡神社に一時合祀されていたが、この川田八幡神社は早雲一族の墓が多数ある神社で、元々は忌部三女神が祀られていたという。忌部は海人族である。崇神天皇の母を祀った神社が阿波にだけある、その弟が物部氏の祖神である。天村雲の村雲一族も早雲と同じく忌部の神官一族。阿波には忌部だけでなく海部氏、物部氏、秦氏等の数多の豪族が集まっていて、阿波で権力争いをしていた様子。邪馬台国やヤマト朝廷がどうかは知らないが、高天原は阿波にある。だから阿波から石を運び出すし、麻布以外にもかつては阿波産の食物だけを献上していた。西日本各地にある阿波発祥の地神塔は阿波の天皇陵や遺跡を破壊した神罰を恐れて建てられた物という説があるようで、神々の墓を破壊したことを恐れてその歴史を隠し怒りを治めるために大國魂神社を阿波に創建した、伊勢外宮に豊受大神を祀ったのも神罰を恐れてのことだと思う。明治天皇の代まで祟りを恐れて伊勢神宮に参拝できなかった理由はこれだと思います。どこかの時点で阿波で王朝か、天皇家の血筋が入れ替わったのだと思う。阿波は情報量が圧倒的すぎて理解するのが難しい。
素晴らしい、弟子入りさせてください
クソ長い
秦氏は関係無い
古代のロマンは謎が尽きませんね!
阿波国風土記が茨城で見つかったのは、とても意味のある興味深いことですね。
水戸光圀公がいらっしゃった茨城県から、阿波國風土記編輯雑纂が見つかる…何かの因果を感じるのは俺だけ?…🤔
阿波国風土記が実在していたら、新井白石や本居宣長等の国学者が言及してそうなものだが、何故阿波の人達以外からは気にもされていないのか
神代文字と一緒でないってことやねんな
風土記って古事記とかより事実に近いだろうかな?と思う。
みんな大好き剣山があるところだね
それにしてももし隠さなければならないルーツが在るとすればとは何なんだろう。
隠されてるわけじゃないから理由もない
明治の新政府である薩摩か阿波の神話を簒奪し、風土記を抹殺した霊感がある人は高千穂峡には行かない ニセモノなのを知ってるから あそこは逆に取り憑かれますよ 霧島に日向族がいたのは本当だと思うけど
皇室の出自に関するものしかなかろう。公式設定を覆す何かが書かれていたから抹消されたんだろう。
@@everseventeen 違うよ?
徳島といえば剣山剣山といえば…邪馬台国の候補地のひとつ邪馬台国とヤマト王権や大和一帯で血生臭い事が起きたであろう日本史の空白期間が書かれてたら?天皇家の根幹が血生臭かったら朝廷や徳川家も明治政府も秘匿しそう令和の現代でもエラい騒ぎになるだろうし歴史において阿波風土記関連が持ち上がる度に圧力がかかったのかなぁ、と。“物質的なモノ“はGHQが持っていったんだろうけど…2024年、5・6月は剣山周辺が大騒ぎするんだろうなぁ
元禄10年(1697年)11月19日、突然老中土屋相模守は徳島藩江戸留守居役を呼び出した上、覚書を手渡し「、阿波、淡路両国に在る古代天子葬之場を調査せよ」と極秘調査を命じています。これ以後徳島藩では普請奉行が中心となり、幕末まで阿淡二州の古代天子葬之場が続けられました。ここでまず大事なのは、江戸幕府首脳も徳島藩も天皇家の御陵が阿波、淡路両国に在るとの認識した上での調査だと言うことです。徳島藩は江戸時代、蜂須賀家が領主として阿波に入国しましたが、そこで阿波が天皇家の古代の聖地であることを知り、密かにいろいろと調査していて認識していたようです。一方では江戸幕府は、現在は幻となっている「阿波国風土記」を密かに入手し(またはもともと手に入っていたのか?)、その実態把握に乗り出したわけです現在淡路にある一宮、伊弉諾神宮は、そのときの調査報告をもとに、そこが伊邪那岐の御陵であると判断し、その跡地に社殿を建立したものなのです。徳島藩では、普請奉行猪子理五郎、森脇五兵衛、大原村千代が丸観音山にて一所懸命古墳調査をやったようです。この調査を受けてから、阿波国風土記に対する関心は、藩主や上級高取の間で当然のごとく起こり、他国から阿波へ入国した家中の連中も何年と調査を重ねるにつれ、阿波についていろいろなことがわかってきたわけです。伊邪那岐命、伊邪那美命を初め、数多くの古代天皇の古墳調査を幕命にて行ったことで、幕末の阿波国学者である池辺真榛、野口年長、新居正道、小杉榲邨らにつながっていくのです。
戦後にあの辺り(阿波)に有った神社が爆破された件も関係してるんでしょうねぇ。本当に爆破してますから。調べてみましょう。
徳川末期まで蜂須賀家が所有しているなら写本がいくらでも作られるんでは…?また蜂須賀家の所有なら阿波に入国した時に取得したのだろうから三好など没落した阿波や隣国の領主の子孫が持っていそう
確かに持って居ると
淡路って、「国の中央」から阿波へ行く路「阿波路」が基なんじゃないかなと思った。
昔はおのころ島ですよね。政権が奈良京都あたりに移ってから、名前を変えられたのでは?
神の土地への戸(神戸)から淡路島、そして阿波国(神の国)だと思ってる
「東南に100里で奴国、東に100里で不弥国に至る」。不弥国は北九州市の東岸にあります。ここから、再び船に乗って瀬戸内海へ出ます。「水行20日で投馬国に至る」。船で行く場合は、手漕ぎを基本にして、天候も考慮すれば、一日15キロぐらいだと言われます。水行20日だと300キロぐらいになります。 それに、瀬戸内海は潮の流れが複雑で、小さな木造船では通りにくい場所です。当時は、国東半島をまわり、大分から佐田岬を通って四国沿いに移動するのが一番安全でした。投馬国は愛媛県の今治市にあたります。「とうま」はアイヌ語で二つの半島という意味だそうです。今治の手前には二つの半島があります。 また、松山には古代の天皇が利用したとされる温泉があります。長旅の疲れをいやすため、ここの温泉を楽しみにして倭国までやってきたのでしょうか。「水行10日、陸行ひと月で女王国に至る」。船で150キロ行って香川県の東端あたりで上陸し、剣山の麓へ入ったと想定されます。四国と言えば、高い山が多く、道なき道を剣山まで行くにはひと月ぐらいかかる可能性はあります。 ここで、邪馬台国の姿を説明したいと思います。古代の中国、四国地方には高地集落が数多く存在しました。当時、遥か東の島々の日本列島を見つけ出しました。預言書の教えによって山々の頭としてそびえ立つ「主の神殿の山」を求めて、各地の山を上り詰め、その周辺に集落を作り続けました。イスラエル系の渡来人が訪れた四国や中国、近畿や中部に至るまで高地集落が広がりました。邪馬台国もその中の一つではなかったのかと考えられています。 剣山の初めとして多く山々の頂付近には、いまでも不自然な笹薮が見られます。本来、森林が生い茂る場所であったはずの山腹を切り拓き、集落が存在した痕跡とみられます。それが、有るとき、第2波で渡来した大和を中心とした天孫族に非難され、その集落はすべて焼き払われたと考えられます。徳島県名西郡神山町神領高根にある悲願寺、同じく名西郡神山町には高野山真言宗の寺院四国八十八か所の十二番札所の焼山寺があります。その時の悲劇を伝えているのでしょうか。
阿波国編輯雑簒が茨城のどこで見つかったかによっても背景の印象が変わりますね。水戸で見つかったなら水戸徳川家の影響を感じます。常陸太田で見つかったなら守護大名であった佐竹氏の影響でしょう。阿波とは関係ない一族ですけど。鹿嶋で見つかったなら鹿島神宮の関係者が持ち込んだのでしょう。常陸国風土記も鹿島神宮の蔵書です。
水戸光圀が持っていたらしいです。光圀は淡路、阿波を調査させていますね。
邪馬台国阿波説を推すつもりはないけど畿内説や九州説が説得力に欠ける中で阿波説だけをカルト扱いする人は都合よすぎる
個人的には、邪馬台国九州説支持で、邪馬台国と大和王権はつながりのない別物と思ってるので、大和王権の発端が畿内だろうが阿波だろうがどちらでもいいという感じですけどね。素人なので、なんとなくそう思ってるというレベルですが。
阿波説がカルト扱いされてるというより…阿波説を支持してる人の主流派が「邪馬台国も出雲も日本神話もすべて阿波が起源」と信じきっていてそれを強く主張するから、カルト扱いされるんじゃないかな
歴史上一度も中心になった事がない四国が何で強い地域だったと思うんですか?本州と比べて地域差は歴然としてるのでは
@@kei.suzuki淡路島は阿波路です、畿内より徳島、四国への道としての役割があります 和歌山より紀伊水道を通ってもいいと思いますが、わざわざ阿波国への道ですと名付けるには、阿波国に何かあるのではとも思います。中心であったと言いいたいのではありません、
徳島生まれ徳島育ちですが、個人的には畿内か九州のどちらかでいいので、そっとしておいて欲しいというのが正直な感想です😅
邪馬台国存在しない説のほうがしっくりくる。魏志倭人伝にしか出てこない。任那なら複数の国の書や石碑に出てるからまだわかる。
応神町という地名があるのですが、元々は住吉町でした。しかし応神天皇の誕生の地だから応神の名前をくださいと明治天皇に申し出た事から応神町になったのだとか。でもググったら応神天皇の誕生日の地は九州になっているんです。謎です
流石に阿波の国風土記は知らなかった。
香川 愛媛 高知無視なのが気になるわ。四国と言うより阿波 徳島 だけが特別な理由ある。。。!
私は香川県出身で徳島に来て三十年以上住んでいます。徳島の史跡等を見て回っていると、その圧倒的な歴史的古さを感じますね~♪香川県は弘法大師以降の歴史の様な気がして、とても若い県だと思わされてしますますよ♪徳島だけは、とても特別な存在だと思います♪
私が想うに風土記を持って居る土地は邪馬台国成立以前独立した文化を持った国であった可能性が高い❤播磨国、出雲国、常陸国😊
忌部系の海部氏が黒潮に乗り阿波〜紀伊〜伊豆〜房総半島と渡り最後に上総、下総の地に渡った!そして彼の地で麻の栽培に力を入れたのだとか‥(麻は成長が早くフサフサに茂ることから『総(フサ)の国』になったのだとか!現在では践祚大嘗祭で献上される麁服アラタエの麻は、北関東から種を頂いているのだとか‥過去と現在はリンクしますね!
阿波国風土記は皇室に保管されているようです❤
「日本語の隠された謎」は言葉の音、50音の意味を解読し言葉の意味に昔の日本人の経緯が隠れている事を書いていて、「日本語の隠された謎Ⅱ」では漢字をパーツにバラシ音の意味と漢字の意味で渡来人(弥生人)の経緯が隠されています。勿論西域に行った理由やキリストが天照に成った事や阿波(徳島)が最初の渡来人の国であった事も書かれています。
茨城県といえば、大日本史の編纂を行っている水戸藩のあるところだから、なんらかの繋がりはあったかもしれませんね。
あの〜阿波国風土記 筑波大学 の ディジタル・アーカイブで いつでも 誰でも 読めるんですけど
マジっすかwwwだから阿波説って、島根の考古学会からも鼻つまみにされてるんですねwww
@@110nari8 マジです、 まあ 阿波説関係者には、全然無視されてますけど
@@asdf-u5x9e さま本当に見れたしwwwwwなんで阿波説の人っておかしなことを言うんですかね。
@@110nari8 どうなんですかね〜 ひとつ言える事は"陰謀論者が 困ることは 真実が 解明される事ではなく、陰謀が なくなる事" と言うことでしょう。
筑波大学の国書データベースで見える「阿波國風土記(あわのくにふどき)」のことなら、正式書名を「阿波國風土記竝阿波國風土記編輯雜纂」(5冊組)というみたいです。本文中には「明治」の単語も見え、また、旧麻植郡に属し、1907年(明治40年)発足・2004年(平成16年)吉野川市に吸収合併された「川嶋町」の名前も見え(71ページ)、この動画で言う古風土記のこととは違いますよ。当動画でいう所の「阿波國風土記編輯雜纂」でしょうね。この「風土記」中の1冊は、その記載著者名に見える撰者「久富/憲明」の憲明という人の一つの説、という扱いにも見えます。私の感想ですが。
茨城で見つかったなら、多分光圀が絡んでそうと思うのは気のせいかしら?(´・ω・`)
謎の古文書神典形象(みふみかたどり)水穂伝(みずほのつたえ)安部文書斐陀文書蔵王紀
何故、茨城県かって、水戸藩が大日本史で集めたんやないの?
風土記に出てくる、佐伯、土蜘蛛、八束脛の正体を解明してしまいました。
徳川家の葵の紋は実は葵じゃない別のものがモチーフなんじゃないかと思ってる実際の葵の葉とも形が違うし見ようによっては葉ではなくて何らかの樹木に見える
阿波風土記が行方不明なのは特におかしいことじゃない他の風土記が現存してない理由を考えよう
神武がユダヤ系とバレてしまう?
阿波国風儀貫伝書…
これって偽書って言うコメントがあったけど・・・。
淡路島は国生みのはじまりの場所なので調査したのでしょう。当時の人たちは卑弥呼なんて知らないのでは?魏志倭人伝に書いてあるだけで当然日本の書物には登場してないんだし。
国は、徹底して奈良県内の古墳を調べるが、九州は、調べ無い
阿波国風土記に阿波国から阿岐の国の麻山の麓に(麻山・武田山の西が火山)忌部氏と共に移ったと書いてあった・・・麻の市が古市・・・そして 出雲大社や物部神社にも関わった毛利と共に山口の田布施町に一部が移った今の天皇家安芸津彦神社が南朝宮という明治維新に石碑以外元の地からも火事にしても消している・・・今は宅地になり消える手前大歳神社と安神社と安芸津彦神社(一応・・南朝宮?)孝明天皇を祝った片方の石灯籠碑文が明治維新の毛利の味噌だもう一方の石灯籠は移動した安芸津彦神社にある
そうそう 天日鷲命を始祖とする阿波忌部氏の家紋と大歳神社の家紋が同じで倭大国魂神社の事になり安神社の家紋は どこにもない不思議なものそして比治山神社と真幡神社と立専寺は 寸33で繋がりました
天叢雲剣。(  ̄- ̄)
阿波に古代天皇家の重要なファクターが在ったと言う事は分かる。但し、記紀の世界全て阿波と言うのはスケール的に無理だと思う。😊
文化財のデータベース作成をしている者です。出雲大社や諏訪大社、賀茂神社などの元宮(勧請元)が阿波にあるという説はすべてフェイクだと立証しました。 そもそも、近世以前の神社で、国宝指定は全国で42件、重要文化財指定は全国で558件あります。合計600件のうち徳島には重要文化財が2件あるだけです。一宮神社(式内大社天石門別八倉比売神社)の本殿と式内小社宇志比古神社の本殿です。 例えば、賀茂御祖神社(下鴨神社)は重要文化財としては1件ですが、その中に楼門・舞殿など31棟の建物が含まれています。八坂神社も重要文化財1件の中に楼門・舞殿など29棟の建物が含まれています。具体的な建物の数でみれば、全国数千棟のうち徳島には前述の2棟があるだけです。神社文化財「死国」である阿波・徳島から日本が始まったとはお笑いです。 寺院は私の専門外ですが、やはり国宝は皆無、重要文化財もお粗末のようです。多くの文化財を痕跡も含めて消すことはできません。話はいくらでも作れますが、文化財=物はそういう訳にはいきません。消されたのではなく、隠されたのでもなく、阿波・徳島には初めからなかったのです。フェイクと妄想があるだけです。
聖武天皇が自分の位牌を奈良にではなく阿波の国分寺に置かせた件は?阿波国分寺は、以前は7重塔がある広大な寺院だった。空海のせいで消失したけど。今ないからといってそんないい方は無礼でしょう。
@@Sasha-rf8bd ほんと❕☝️無礼千万!同感ですね‼️
@@Sasha-rf8bd いや聖武天皇のはふつうに全国26か国の国分寺におくられてて阿波は別に特別扱いなんてまったくされてないですけど
ゆっくりノリちゃんでちゅ。
❌引証 ○引用
小橋も何か関連が?
だありwww
平和の象徴?なん?
「歴史書」なんて「広告」みたいなもの。書いた人の意志が明確に反映されてるものだから。忖度もあるし。尊重はするけれど、妄信はできないよなぁ。(個人的には「記紀」すら「広報誌」だと思うわ。)出てきてないものを語るのはフェアではないので、推測として考えるべきだと思う。
少なくともどんなトンデモ論よりも史料・資料の方が重要で信頼されるべきなのは当然だしね
誤字が気になって内容がはいらん
見たか 聞いたか 伊勢ノ国心ウキウキ 噂の館その名も国際秘宝館
😊😊😊😊
忌部氏が中臣氏への当て付けで四国のあちこちに天皇と関係があるような宮を作った天皇への正当性のアピール(先祖含む自分と一族が神や天皇に一番近い存在だってね)を理由に中臣氏の勢いもあり忌部氏を中央に戻せない天皇は今までの忌部氏の功績を考慮し、せめてもと忌部氏との関係は断絶せず四国で採れた物(アラタエと特産品)を献上せよと命じ首の皮一枚のメンツを保たせる中臣氏への恨みは消える事は無く書物に記し子孫へ引き継ぐ後に関係が良好になった子孫達がこれまでの鬱憤を晴らすかの様に全国に散らばり、今に至る
邪馬台国の後裔の、豊国や徐福子孫の後裔の王族、越智氏や讃岐氏が居住した地です。
所謂邪馬台国とその後の大和王権と見られるところはだいぶ風俗に違いがあったようで、当時の漢の人達に倭と同一国家なのか疑問視されていたようだし、どこかのタイミングで天皇家の略奪のようなことが起こっていたとしてもおかしくはない。また古墳とかから何か文献が出てきたら面白いのにな。
末盧国はぜんっぜん確定していないですよ。むしろ諸悪の根源というか、「起点」「方角」「距離」のうち、壱岐から末盧国の記述のみ「方角」の記載がないので、勝手に「距離」を千里から五百里に改竄して唐津が比定されてます。ま、細かいことはどうでもいいので、シリーズ化を期待して登録🤣🤣
その一支国/一大国も壱岐国とは距離が違うけどね
「道は阿波より始まる」を紹介するなんて恥知らずな人もいたもんだ。読めばすぐにわかる。嘘しか書いてない。
こうやって残っててTH-camごときの動画にまでなってんだから抹殺されてないやんけw証拠がなくて相手にされてないだけやろ?W
阿波国風土記とはいえ卑弥呼の存在は無いと思いますたぶん阿波以外で山の向こうでしょうね!
邪馬台国は陳寿の妄想説は?
卑弥呼の鏡大分県日田市が卑弥呼の出生地かもなwww卑弥呼の田だからヒタかもなwww隣の福岡県朝倉市は昔から卑弥呼で町おこし卑弥呼はそこから佐賀に移動、さらに阿蘇かもなwww肥前と肥後は地続きじゃないwww卑弥呼前期、卑弥呼後期かもなwww天草…阿蘇…宮崎高千穂と淡路…畿内…伊勢をリンクさせたのかもなwww阿蘇の雄大な台地と山をみれば日本人ならヤマタイの意味が本能的にわかるかもなwww宮崎、高千穂には禊のもとになった阿波岐原や、天安河原もある天狗や高千穂にもある神楽の造形、体系的神話…古代キリストユダヤがいなきゃ無理かもなwww大分県耶馬渓や阿蘇、耶蘇教www大分県国東市、くにの東と書いてクニサキとよぶ。つまりクニの先端宮崎県日南市は真南じゃない我々と方向感覚が違うかもなwww卑弥呼、火を観る巫女、日を見る巫女。シャーマンだから、火山みたいに火が親しいほうがいいかもな宮崎県日向はヒムカとも読むwwwいきなり畿内なら昔々皇室はわざわざ困ったときは宇佐神宮に頼ったんだ?wwwそもそも阿波は阿蘇の倭かいなwww阿蘇の倭が、出雲を避けてたどった道だから淡路かいな?www古代都市は土地に関する争いがかなり激しかったはずだから、土地は昔々からきちんと区画されてたかもなwww阿蘇の大観峰から田んぼをみてごらんもちろん国造神社もあるwww
阿波出身なので、阿波関連のテーマすごくうれしいです😊✨✨
諏訪大社に祀られている八坂刀売神は忌部氏の系譜で、千葉も忌部一族が開拓したことで有名、出雲で発掘された勾玉を削る砥石を島根大学が解析すると阿波の青石と同じ成分だった、ちなみに出雲の玉作湯神社には阿波の青石が奉納されている。伊勢神宮には吉野川から石を運んでると云う、京都の神社(名前忘れた)も吉野川から石を運んでると聞いたことがある。畿内の古墳には阿波の青石が石室に使われている。色んな神々の元社が阿波にある。ハニヤスヒメなど歴史から消されたイザナミの血筋の神々の痕跡が阿波に残っている。阿波にある相当数の古墳群や遺跡が破壊されている、川島の100以上にもなる古墳群、諏訪神社古墳群…。破壊された浮島八幡宮の祭神は天日鷲命、忌部の祖神である。
筑波に所蔵されている阿波風土記に『麻植郡川田村神主早雲兵部所藏 天保十年三月木内茂臣が写せし本をもて校合』と書いてるけど、この早雲氏は忌部一族。
イザナミの神陵があると言われる高越神社は、阿府志によると『伊射奈美神社小社美馬郡拝原村山之絶頂にあり、俗に高越大権現 祭神一座伊弉冉 別当高越寺神主早雲治部』とある。ここでも早雲の名前が。高越神社は川田八幡神社に一時合祀されていたが、この川田八幡神社は早雲一族の墓が多数ある神社で、元々は忌部三女神が祀られていたという。忌部は海人族である。
崇神天皇の母を祀った神社が阿波にだけある、その弟が物部氏の祖神である。天村雲の村雲一族も早雲と同じく忌部の神官一族。阿波には忌部だけでなく海部氏、物部氏、秦氏等の数多の豪族が集まっていて、阿波で権力争いをしていた様子。
邪馬台国やヤマト朝廷がどうかは知らないが、高天原は阿波にある。だから阿波から石を運び出すし、麻布以外にもかつては阿波産の食物だけを献上していた。西日本各地にある阿波発祥の地神塔は阿波の天皇陵や遺跡を破壊した神罰を恐れて建てられた物という説があるようで、神々の墓を破壊したことを恐れてその歴史を隠し怒りを治めるために大國魂神社を阿波に創建した、伊勢外宮に豊受大神を祀ったのも神罰を恐れてのことだと思う。明治天皇の代まで祟りを恐れて伊勢神宮に参拝できなかった理由はこれだと思います。どこかの時点で阿波で王朝か、天皇家の血筋が入れ替わったのだと思う。
阿波は情報量が圧倒的すぎて理解するのが難しい。
素晴らしい、弟子入りさせてください
クソ長い
秦氏は関係無い
古代のロマンは謎が尽きませんね!
阿波国風土記が茨城で見つかったのは、とても意味のある興味深いことですね。
水戸光圀公がいらっしゃった茨城県から、阿波國風土記編輯雑纂が見つかる…
何かの因果を感じるのは俺だけ?…🤔
阿波国風土記が実在していたら、新井白石や本居宣長等の国学者が言及してそうなものだが、何故阿波の人達以外からは気にもされていないのか
神代文字と一緒でないってことやねんな
風土記って古事記とかより事実に近いだろうかな?と思う。
みんな大好き剣山があるところだね
それにしてももし隠さなければならないルーツが在るとすればとは何なんだろう。
隠されてるわけじゃないから理由もない
明治の新政府である薩摩か阿波の神話を簒奪し、風土記を抹殺した
霊感がある人は高千穂峡には行かない ニセモノなのを知ってるから あそこは逆に取り憑かれますよ
霧島に日向族がいたのは本当だと思うけど
皇室の出自に関するものしかなかろう。公式設定を覆す何かが書かれていたから抹消されたんだろう。
@@everseventeen 違うよ?
徳島といえば剣山
剣山といえば…
邪馬台国の候補地のひとつ
邪馬台国とヤマト王権や大和一帯で血生臭い事が起きたであろう日本史の空白期間が書かれてたら?
天皇家の根幹が血生臭かったら朝廷や徳川家も明治政府も秘匿しそう
令和の現代でもエラい騒ぎになるだろうし
歴史において阿波風土記関連が持ち上がる度に圧力がかかったのかなぁ、と。
“物質的なモノ“はGHQが持っていったんだろうけど…
2024年、5・6月は剣山周辺が大騒ぎするんだろうなぁ
元禄10年(1697年)11月19日、突然老中土屋相模守は徳島藩江戸留守居役を呼び出した上、覚書を手渡し「、阿波、淡路両国に在る古代天子葬之場を調査せよ」と極秘調査を命じています。これ以後徳島藩では普請奉行が中心となり、幕末まで阿淡二州の古代天子葬之場が続けられました。
ここでまず大事なのは、江戸幕府首脳も徳島藩も天皇家の御陵が阿波、淡路両国に在るとの認識した上での調査だと言うことです。
徳島藩は江戸時代、蜂須賀家が領主として阿波に入国しましたが、そこで阿波が天皇家の古代の聖地であることを知り、密かにいろいろと調査していて認識していたようです。
一方では江戸幕府は、現在は幻となっている「阿波国風土記」を密かに入手し(またはもともと手に入っていたのか?)、その実態把握に乗り出したわけです現在淡路にある一宮、伊弉諾神宮は、そのときの調査報告をもとに、そこが伊邪那岐の御陵であると判断し、その跡地に社殿を建立したものなのです。
徳島藩では、普請奉行猪子理五郎、森脇五兵衛、大原村千代が丸観音山にて一所懸命古墳調査をやったようです。この調査を受けてから、阿波国風土記に対する関心は、藩主や上級高取の間で当然のごとく起こり、他国から阿波へ入国した家中の連中も何年と調査を重ねるにつれ、阿波についていろいろなことがわかってきたわけです。伊邪那岐命、伊邪那美命を初め、数多くの古代天皇の古墳調査を幕命にて行ったことで、幕末の阿波国学者である池辺真榛、野口年長、新居正道、小杉榲邨らにつながっていくのです。
戦後にあの辺り(阿波)に有った神社が爆破された件も関係してるんでしょうねぇ。
本当に爆破してますから。調べてみましょう。
徳川末期まで蜂須賀家が所有しているなら写本がいくらでも作られるんでは…?
また蜂須賀家の所有なら阿波に入国した時に取得したのだろうから
三好など没落した阿波や隣国の領主の子孫が持っていそう
確かに持って居ると
淡路って、「国の中央」から阿波へ行く路「阿波路」が基なんじゃないかなと思った。
昔はおのころ島ですよね。政権が奈良京都あたりに移ってから、名前を変えられたのでは?
神の土地への戸(神戸)から淡路島、そして阿波国(神の国)だと思ってる
「東南に100里で奴国、東に100里で不弥国に至る」。不弥国は北九州市の東岸にあります。ここから、再び船に乗って瀬戸内海へ出ます。
「水行20日で投馬国に至る」。船で行く場合は、手漕ぎを基本にして、天候も考慮すれば、一日15キロぐらいだと言われます。水行20日だと300キロぐらいになります。
それに、瀬戸内海は潮の流れが複雑で、小さな木造船では通りにくい場所です。当時は、国東半島をまわり、大分から佐田岬を通って四国沿いに移動するのが一番安全でした。投馬国は愛媛県の今治市にあたります。「とうま」はアイヌ語で二つの半島という意味だそうです。今治の手前には二つの半島があります。
また、松山には古代の天皇が利用したとされる温泉があります。長旅の疲れをいやすため、ここの温泉を楽しみにして倭国までやってきたのでしょうか。
「水行10日、陸行ひと月で女王国に至る」。船で150キロ行って香川県の東端あたりで上陸し、剣山の麓へ入ったと想定されます。四国と言えば、高い山が多く、道なき道を剣山まで行くにはひと月ぐらいかかる可能性はあります。
ここで、邪馬台国の姿を説明したいと思います。古代の中国、四国地方には高地集落が数多く存在しました。当時、遥か東の島々の日本列島を見つけ出しました。預言書の教えによって山々の頭としてそびえ立つ「主の神殿の山」を求めて、各地の山を上り詰め、その周辺に集落を作り続けました。イスラエル系の渡来人が訪れた四国や中国、近畿や中部に至るまで高地集落が広がりました。邪馬台国もその中の一つではなかったのかと考えられています。
剣山の初めとして多く山々の頂付近には、いまでも不自然な笹薮が見られます。本来、森林が生い茂る場所であったはずの山腹を切り拓き、集落が存在した痕跡とみられます。それが、有るとき、第2波で渡来した大和を中心とした天孫族に非難され、その集落はすべて焼き払われたと考えられます。徳島県名西郡神山町神領高根にある悲願寺、同じく名西郡神山町には高野山真言宗の寺院四国八十八か所の十二番札所の焼山寺があります。その時の悲劇を伝えているのでしょうか。
阿波国編輯雑簒が茨城のどこで見つかったかによっても背景の印象が変わりますね。
水戸で見つかったなら水戸徳川家の影響を感じます。
常陸太田で見つかったなら守護大名であった佐竹氏の影響でしょう。阿波とは関係ない一族ですけど。
鹿嶋で見つかったなら鹿島神宮の関係者が持ち込んだのでしょう。常陸国風土記も鹿島神宮の蔵書です。
水戸光圀が持っていたらしいです。
光圀は淡路、阿波を調査させていますね。
邪馬台国阿波説を推すつもりはないけど畿内説や九州説が説得力に欠ける中で阿波説だけをカルト扱いする人は都合よすぎる
個人的には、邪馬台国九州説支持で、邪馬台国と大和王権はつながりのない別物と思ってるので、大和王権の発端が畿内だろうが阿波だろうがどちらでもいいという感じですけどね。素人なので、なんとなくそう思ってるというレベルですが。
阿波説がカルト扱いされてるというより…阿波説を支持してる人の主流派が「邪馬台国も出雲も日本神話もすべて阿波が起源」と信じきっていてそれを強く主張するから、カルト扱いされるんじゃないかな
歴史上一度も中心になった事がない四国が何で強い地域だったと思うんですか?
本州と比べて地域差は歴然としてるのでは
@@kei.suzuki淡路島は阿波路です、畿内より徳島、四国への道としての役割があります 和歌山より紀伊水道を通ってもいいと思いますが、わざわざ阿波国への道ですと名付けるには、阿波国に何かあるのではとも思います。中心であったと言いいたいのではありません、
徳島生まれ徳島育ちですが、個人的には畿内か九州のどちらかでいいので、そっとしておいて欲しいというのが正直な感想です😅
邪馬台国存在しない説のほうがしっくりくる。魏志倭人伝にしか出てこない。任那なら複数の国の書や石碑に出てるからまだわかる。
応神町という地名があるのですが、元々は住吉町でした。しかし応神天皇の誕生の地だから応神の名前をくださいと明治天皇に申し出た事から応神町になったのだとか。でもググったら応神天皇の誕生日の地は九州になっているんです。
謎です
流石に阿波の国風土記は知らなかった。
香川 愛媛 高知無視なのが気になるわ。
四国と言うより阿波 徳島 だけが特別な理由ある。。。!
私は香川県出身で徳島に来て三十年以上住んでいます。徳島の史跡等を見て回っていると、その圧倒的な歴史的古さを感じますね~♪香川県は弘法大師以降の歴史の様な気がして、とても若い県だと思わされてしますますよ♪徳島だけは、とても特別な存在だと思います♪
私が想うに風土記を持って居る土地は邪馬台国成立以前独立した文化を持った国であった可能性が高い❤
播磨国、出雲国、常陸国😊
忌部系の海部氏が黒潮に乗り阿波〜紀伊〜伊豆〜房総半島と渡り最後に上総、下総の地に渡った!そして彼の地で麻の栽培に力を入れたのだとか‥(麻は成長が早くフサフサに茂ることから『総(フサ)の国』になったのだとか!
現在では践祚大嘗祭で献上される麁服アラタエの麻は、北関東から種を頂いているのだとか‥過去と現在はリンクしますね!
阿波国風土記は皇室に保管されているようです❤
「日本語の隠された謎」は言葉の音、50音の意味を解読し言葉の意味に昔の日本人の経緯が隠れている事を書いていて、「日本語の隠された謎Ⅱ」では漢字をパーツにバラシ音の意味と漢字の意味で渡来人(弥生人)の経緯が隠されています。
勿論西域に行った理由やキリストが天照に成った事や阿波(徳島)が最初の渡来人の国であった事も書かれています。
茨城県といえば、大日本史の編纂を行っている水戸藩のあるところだから、なんらかの繋がりはあったかもしれませんね。
あの〜
阿波国風土記
筑波大学 の ディジタル・アーカイブで いつでも 誰でも 読めるんですけど
マジっすかwwwだから阿波説って、島根の考古学会からも鼻つまみにされてるんですねwww
@@110nari8 マジです、
まあ 阿波説関係者には、全然無視されてますけど
@@asdf-u5x9e さま
本当に見れたしwwwww
なんで阿波説の人っておかしなことを言うんですかね。
@@110nari8
どうなんですかね〜
ひとつ言える事は
"陰謀論者が 困ることは 真実が 解明される事ではなく、陰謀が なくなる事" と言うことでしょう。
筑波大学の国書データベースで見える「阿波國風土記(あわのくにふどき)」のことなら、正式書名を「阿波國風土記竝阿波國風土記編輯雜纂」(5冊組)というみたいです。本文中には「明治」の単語も見え、また、旧麻植郡に属し、1907年(明治40年)発足・2004年(平成16年)吉野川市に吸収合併された「川嶋町」の名前も見え(71ページ)、この動画で言う古風土記のこととは違いますよ。当動画でいう所の「阿波國風土記編輯雜纂」でしょうね。この「風土記」中の1冊は、その記載著者名に見える撰者「久富/憲明」の憲明という人の一つの説、という扱いにも見えます。私の感想ですが。
茨城で見つかったなら、多分光圀が絡んでそうと思うのは気のせいかしら?(´・ω・`)
謎の古文書
神典形象(みふみかたどり)
水穂伝(みずほのつたえ)
安部文書
斐陀文書
蔵王紀
何故、茨城県かって、水戸藩が大日本史で集めたんやないの?
風土記に出てくる、佐伯、土蜘蛛、八束脛の正体を解明してしまいました。
徳川家の葵の紋は実は葵じゃない別のものがモチーフなんじゃないかと思ってる
実際の葵の葉とも形が違うし見ようによっては葉ではなくて何らかの樹木に見える
阿波風土記が行方不明なのは特におかしいことじゃない
他の風土記が現存してない理由を考えよう
神武がユダヤ系とバレてしまう?
阿波国風儀貫伝書…
これって偽書って言うコメントがあったけど・・・。
淡路島は国生みのはじまりの場所なので調査したのでしょう。当時の人たちは卑弥呼なんて知らないのでは?魏志倭人伝に書いてあるだけで当然日本の書物には登場してないんだし。
国は、徹底して奈良県内の古墳を調べるが、九州は、調べ無い
阿波国風土記に
阿波国から阿岐の国の麻山の麓に(麻山・武田山の西が火山)
忌部氏と共に移ったと書いてあった・・・麻の市が古市・・・
そして 出雲大社や物部神社にも関わった
毛利と共に山口の田布施町に
一部が移った今の天皇家
安芸津彦神社が南朝宮という
明治維新に石碑以外元の地からも
火事にしても消している・・・今は宅地になり消える手前
大歳神社と安神社と安芸津彦神社(一応・・南朝宮?)
孝明天皇を祝った片方の石灯籠碑文が明治維新の毛利の味噌だ
もう一方の石灯籠は移動した安芸津彦神社にある
そうそう 天日鷲命を始祖とする阿波忌部氏の家紋と大歳神社の家紋が同じで
倭大国魂神社の事になり
安神社の家紋は どこにもない不思議なもの
そして比治山神社と真幡神社と立専寺は 寸33で繋がりました
天叢雲剣。(  ̄- ̄)
阿波に古代天皇家の重要なファクターが在ったと言う事は分かる。但し、記紀の世界全て阿波と言うのはスケール的に無理だと思う。😊
文化財のデータベース作成をしている者です。出雲大社や諏訪大社、賀茂神社などの元宮(勧請元)が阿波にあるという説はすべてフェイクだと立証しました。
そもそも、近世以前の神社で、国宝指定は全国で42件、重要文化財指定は全国で558件あります。合計600件のうち徳島には重要文化財が2件あるだけです。一宮神社(式内大社天石門別八倉比売神社)の本殿と式内小社宇志比古神社の本殿です。
例えば、賀茂御祖神社(下鴨神社)は重要文化財としては1件ですが、その中に楼門・舞殿など31棟の建物が含まれています。八坂神社も重要文化財1件の中に楼門・舞殿など29棟の建物が含まれています。具体的な建物の数でみれば、全国数千棟のうち徳島には前述の2棟があるだけです。神社文化財「死国」である阿波・徳島から日本が始まったとはお笑いです。
寺院は私の専門外ですが、やはり国宝は皆無、重要文化財もお粗末のようです。多くの文化財を痕跡も含めて消すことはできません。話はいくらでも作れますが、文化財=物はそういう訳にはいきません。消されたのではなく、隠されたのでもなく、阿波・徳島には初めからなかったのです。フェイクと妄想があるだけです。
聖武天皇が自分の位牌を奈良にではなく阿波の国分寺に置かせた件は?
阿波国分寺は、以前は7重塔がある広大な寺院だった。空海のせいで消失したけど。
今ないからといってそんないい方は無礼でしょう。
@@Sasha-rf8bd ほんと❕☝️無礼千万!同感ですね‼️
@@Sasha-rf8bd いや聖武天皇のはふつうに全国26か国の国分寺におくられてて阿波は別に特別扱いなんてまったくされてないですけど
ゆっくりノリちゃんでちゅ。
❌引証 ○引用
小橋も何か関連が?
だありwww
平和の象徴?なん?
「歴史書」なんて「広告」みたいなもの。書いた人の意志が明確に反映されてるものだから。忖度もあるし。
尊重はするけれど、妄信はできないよなぁ。(個人的には「記紀」すら「広報誌」だと思うわ。)
出てきてないものを語るのはフェアではないので、推測として考えるべきだと思う。
少なくともどんなトンデモ論よりも史料・資料の方が重要で信頼されるべきなのは当然だしね
誤字が気になって内容がはいらん
見たか 聞いたか 伊勢ノ国
心ウキウキ 噂の館
その名も国際秘宝館
😊😊😊😊
忌部氏が中臣氏への当て付けで四国のあちこちに天皇と関係があるような宮を作った
天皇への正当性のアピール(先祖含む自分と一族が神や天皇に一番近い存在だってね)を理由に
中臣氏の勢いもあり忌部氏を中央に戻せない天皇は今までの忌部氏の功績を考慮し、せめてもと忌部氏との関係は断絶せず四国で採れた物(アラタエと特産品)を献上せよと命じ首の皮一枚のメンツを保たせる
中臣氏への恨みは消える事は無く書物に記し子孫へ引き継ぐ
後に関係が良好になった子孫達がこれまでの鬱憤を晴らすかの様に全国に散らばり、今に至る
邪馬台国の後裔の、豊国や徐福子孫の後裔の王族、越智氏や讃岐氏が居住した地です。
所謂邪馬台国とその後の大和王権と見られるところはだいぶ風俗に違いがあったようで、当時の漢の人達に倭と同一国家なのか疑問視されていたようだし、
どこかのタイミングで天皇家の略奪のようなことが起こっていたとしてもおかしくはない。
また古墳とかから何か文献が出てきたら面白いのにな。
末盧国はぜんっぜん確定していないですよ。むしろ諸悪の根源というか、「起点」「方角」「距離」のうち、壱岐から末盧国の記述のみ「方角」の記載がないので、勝手に「距離」を千里から五百里に改竄して唐津が比定されてます。
ま、細かいことはどうでもいいので、
シリーズ化を期待して登録🤣🤣
その一支国/一大国も壱岐国とは距離が違うけどね
「道は阿波より始まる」を紹介するなんて恥知らずな人もいたもんだ。読めばすぐにわかる。嘘しか書いてない。
こうやって残っててTH-camごときの動画にまでなってんだから抹殺されてないやんけw
証拠がなくて相手にされてないだけやろ?W
阿波国風土記とはいえ卑弥呼の存在は無いと思いますたぶん阿波以外で山の向こうでしょうね!
邪馬台国は陳寿の妄想説は?
卑弥呼の鏡
大分県日田市が卑弥呼の出生地かもなwww卑弥呼の田だからヒタかもなwww
隣の福岡県朝倉市は昔から卑弥呼で町おこし
卑弥呼はそこから佐賀に移動、さらに阿蘇かもなwww
肥前と肥後は地続きじゃないwww
卑弥呼前期、卑弥呼後期かもなwww
天草…阿蘇…宮崎高千穂と
淡路…畿内…伊勢をリンクさせたのかもなwww
阿蘇の雄大な台地と山をみれば日本人ならヤマタイの意味が本能的にわかるかもなwww
宮崎、高千穂には
禊のもとになった阿波岐原や、
天安河原もある
天狗や高千穂にもある神楽の造形、体系的神話…古代キリストユダヤがいなきゃ無理かもなwww
大分県耶馬渓や阿蘇、耶蘇教www
大分県国東市、くにの東と書いてクニサキとよぶ。つまりクニの先端
宮崎県日南市は真南じゃない
我々と方向感覚が違うかもなwww
卑弥呼、火を観る巫女、日を見る巫女。シャーマンだから、火山みたいに火が親しいほうがいいかもな
宮崎県日向はヒムカとも読むwww
いきなり畿内なら昔々
皇室はわざわざ困ったときは宇佐神宮に頼ったんだ?www
そもそも阿波は阿蘇の倭かいなwww
阿蘇の倭が、出雲を避けてたどった道だから淡路かいな?www
古代都市は土地に関する争いがかなり激しかったはずだから、土地は昔々からきちんと区画されてたかもなwww阿蘇の大観峰から田んぼをみてごらん
もちろん国造神社もあるwww