ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
やっぱりバランスが大事なんだと後年知った。当時はホンダV10 獲得でワクワクしましたけどね。
ジョーダン191と前年の019の活躍があったから大丈夫なのかって心配してました…
周囲は「中嶋悟の初表彰台、S.モデナの初優勝」と言われたが…。
1991年シーズンの開幕前名門復活を大いに期待したマシン
ブラウンのスポンサーが決まったのは開幕直前だったと思う。ホンダV10搭載で90年よりも好成績になるはずと営業をがんばって呼び寄せたスポンサーだったんだろう。
ティレルあるある。真っ白とかチームカラーの時はそこそこ走るのに、冠スポンサーが付いたら走らなくなる。NOKIAの時もそう。
この時点では希望の門出だったんだろうと推測できる。まさにこのシーズンは、ティレル暗転の年だったと思います。
中嶋さんのラストイヤー。前年のチャンピオンエンジン積んで期待が大きかったけど。マシンバランスの悪さやピレリタイヤのせいで思う様な成績は残らなかったマシンな印象。イルモアエンジン +グッドイヤータイヤの020Bか019に型落ちでもフォードのHB +グッドイヤータイヤで中嶋さんに走って貰いたかったなぁ
せめてタイヤだけGYにしていればポイント取れてたレースあったと思う。
中嶋さんの壮行会でグッドイヤー日本支社だったかな?激励されて開幕戦のアメリカに飛んでったらPIRELLIになってたと中嶋さんのインタビュー本で読んだ記憶がありますけ。
本当今も昔もピレリタイヤってさ…😅
ピレリ、いまだに買う気がしない。F1ファン30年前のアレルギー
2005年アメリカGPのトヨタもミシュランではなくブリヂストンタイヤだったら初優勝だったのでは
@@user-jx4ou3ij1s私もです。この時のイメージが強過ぎて。特に今のピレリは中国製ですから余計に候補から外れますね。
開幕前の期待は大きかったんだけどね…
光るところはあったけど、信頼性と後半戦の開発が…ポストレスウェイトの離脱も大きかったんだろうな…というかんじ
このカラーリングでシーズン前のテストしてた頃はどれだけ活躍したくれるんだろうとドキドキしてたんだけどなぁ。ブラウンカラーもカッコいいけど、このカラーリングがカッコ良くてタミヤのキットをこのカラーリングで作ったなぁ(笑)
当時のホンダパワー信仰はすごかった(実際にパワーも有った)からエンジンを鞍替えで戦績が飛躍すると期待したんだよね。実際はハイパワーだけど重量級のホンダV10エンジンでトータルバランスが悪くなったのと元からのピレリタイヤで思ったような成績が上げられなかった…自分もブラウンカラーよりシンプルな青白カラーにホンダロゴだった開幕前のバージョンがカッコいいと思う。
90年当時のティレルを考えればチャンピオンエンジン獲得は夢のような話。中嶋悟さんの存在のおかげで、そんな奇跡的な契約が実現してしまった事がティレルチームの不幸だった事は皮肉な話。当時はまだエンジンパワーこそが速さだという時代だったので、ケン・ティレルが飛びつくのも無理はないですね。しかし90年のティレルは資金難で91年用のマシン開発が出来なかったので、ホンダV10用シャシーは作れなかった。020という新シャシーナンバーだけど、実際は019にホンダV10を載せられるようにしただけの代物。当然重量バランスやパーツ剛性なんか考えられてなく、この冬のテストからトラブル続発。おまけに019が空力的に成功してしまったために020は空力も改良が進まず、91年からウイング幅が縮小された影響で空力も劣化。まあ空力劣化の話はフェラーリ642にも言えますが・・・ピレリタイヤに足を引っ張られたようにも見えますが、モナコでモデナが2位快走、カナダで2位表彰台はピレリだったからとも言える。夢のようなパッケージで注目と期待を集めたけど、張りぼてのような皮肉なマシンになってしまった不幸。
青・白のティレルにホンダとシェルのロゴがついてるだけで何かワクワクしてくる91年の成績は性能の低いピレリタイヤやらポスレルイウエイト離脱でマシンの開発が止まったり結局パッとしなかったけど・・・91年はブラウンカラーよりもテスト車同様シンプルな青白カラーのままでいてほしかった
この時と開幕戦までは、かなりの戦闘力だと思っていたんですけどね。1+1が2にならないマシンと良く言われてましたね。翌年タイヤをグッドイヤーに、エンジンはパワーは劣るが軽量なイルモアにしたら資金難にもかかわらず戦闘力が向上しましたからね。
great video!thanks for posting this!!
always liked Ken Tyrrell's team. These were the last good engines they had.
このカラーリングでもよかったのにな〜ステファノ・モデナも良いドライバーだった!もったいない事した。
ティレル020はホンダV10エンジンが重たかったせいか駆動系との相性が悪かったけど中嶋さんが乗ったマシンの中で一番カッコよかった。
020にはHBエンジンがベストだった。エンジン=パワーが終わる転換期だった。
前年019のコンセプトのままでエンジンがV8のフォードHBなら結構いい成績は残せたかなと思う。タイヤがピレリのままであっても。チャンピオンエンジンのホンダV10はパワーはあって魅力的に映ったけどDFRと比較したら相当に重くて大きいのが足を引っ張ってしまったね。
このティレル020は、V8エンジン仕様だったのに重いHONDAV10を無理矢理詰め込んだものだから、シャーシとタイヤが持たず、中嶋悟も苦労したマシンでした。だけど、スタイルは、好きだったので、ティレル020のプラモ作りました。
確かフロントウイングの幅も狭まって曲がらないと言ってました。
翌年のジョーダンもそうでしたね。
結局、019の良いところをエンジンの重さで食いつぶしてしまったのが、020ということか。空力パッケージマシンなのに、エンジンの重さでそのパッケージそのものを壊してしまった。馬力で補えるものでもなく、また弱小チーム特有のメカ二カル面での脆弱性も、020の悪化を助長した。でも好きなマシンには違いない。
翌年ティレルは金が無くて新車ではなく020の改造シャシーでイルモアエンジンに変えたら速さが戻ったのが何とも
今宮純さんが、90年の最終戦の解説だったか「ホンダエンジンを積む来季のマシンは、非常に斬新なスタイリングのものになる」と言われてて、新車発表がとても楽しみだった記憶があります。020発表時、あんま019と変わんねぇなぁ(汗)と思ったことも。ただテスト時の青白カラーにシェルのロゴの入ったマシンは好きでした。予定通りロスマンズがスポンサーについていたら、もっとカッコ良かっただろうなぁ。
実は軽量コンパクトなイルモア(後のメルセデス)のほうが相性が良かったという皮肉。
ホンダV10が載ると聞いて開幕を楽しみにしてました結局開幕戦だけホンダとモデナのスーパーコンビもあえなくフォードHBだったらと
ホンダエンジンはやたらと重かったと最近でたgpカーストーリーにてモデナが証言している。
昔も今もホンダは重いよね
You're welcome!!It is valuable coloring seen only at this time.
なんかティレルはスポンサー探しが下手というか、そんな印象を受けちゃうロスマンズとの契約は破棄、ブラウンも1年だけだったね
結局マクラーレンに吸い上げられたみたいですね。
モデナはヤマハが嫌でティレルに来たが、結局翌年はヤマハエンジン搭載のジョーダンへ言ったが、ティレル時代より成績が悪かった。
無理やりV8サイズの車にV10積んで重量バランス崩れ長くなった分横置きミッション開発したがこれがさらに足を引っ張りとどめにピレリタイヤの耐久性の無さと期待を完全に裏切ったマシン。前半のサンマリノとモナコの快走がこの車の全てでしたね。
ブラウンカラーよりもティレル・ブルーの方がカッコイイね。ただ、もう少し戦闘力の有るマシンだったら・・非常に残念なシーズンだったよなぁ。
せめてタイヤがグッドイヤーだったら。そして幻のロスマンズがスポンサーになったカラーで戦って欲しかったです。
こなカラーリングのマシンで戦って欲しかったです。
この頃は欠かさずに見てました。90年の開幕時点でもっとスポンサーが付いていればタイヤもピレリにする必要もなかったし、シャシーの開発も出来て新しい020になっていただろうなーと思います。
ブラウンはもちろん大事なスポンサーだけどこっちのカラーリングの方がカッコいいホンダ、昭和シェルのロゴもこのカラーパターンに合ってる
ハッキリ言って今宮さんも言っていましたが、ティレル020はダメな車です。ドライバーとエンジンはよくても、シャシィーとタイヤがダメだったのとシーズン中にハーベイが他のチームに移籍したのが痛かった。
Go Stefano go
サンマリノで3位4位になったときにやっぱりすげーって思ったけど壊れてばかりだったな…
美しい。このままだったら勝てそう。
マシンを新設計する余裕があれば名門復活となっただろうに
確かに❕HONDAエンジン用に新設計出来れば良かったけどね……エンジンに見合うシャーシさえ作れば間違いなし❕という時代でしたしね。
ティレル・ホンダは、重いホンダV10エンジンのせいでピレリタイヤと駆動系との相性が悪かった
コスワースのまんまでタイヤがGYの方が良い成績を残せたのかも。でも途中ポストレスウエイトがチームから離脱したからどのみちマシン開発も滞っていい流れには行かなかっただろうね…
このカラーリングのままだったら、もっと成績良かったんじゃないかと(笑)。
タイヤの影響もあるが、中嶋の起用でホンダを手に入れたがためにマシンバランスが崩れた悲劇のマシン。
やっぱステファノはかっこいい!モデナを見てると可夢偉とだぶるんだが俺だけなんだろうか…同じように乗り合わせが悪くて選手生命を落とすような事になって欲しくないんだが…
モデナは古舘と川井のせいでイタリア人なのに暗いというレッテル張られたよなぁ
カナダGPあたりまでは戦える車だったけれどその後大きく失速。
当時はホンダ+中嶋悟でめちゃくちゃワクワクしたけど、結局ティレルだった・・・。
6輪だって、リアは007ぽいし、その後の011とかだってモノコック使い回し それでも昔はチャンピオン取れたんだからいい加減なもの、92年 0:42 右京のシャーシにナカジマって書いてあったんでしょ?ティレル好きだったから、失敗も折り込みずみ。018や023の表紙台は嬉しかった。
シャシィーもかえればな~。タイヤも
エンジンはホンダなのにコスワース製のギアボックス使うからリタイアが多かったんだよ。
ホンダではなく、フォードHBのV8がいいって誰かいってたな。
ハーベイさんでしたね。HBが欲しかったって。
1991年のティレルのマシンは、ホンダV10を載せるには小さすぎた。
当時のマシンちっちゃ
ホンダではなく、フォードHB-V8、タイヤはGYだったら結構面白いシーズンとなったのではないか?まっ、チャンピオンエンジンしかも、ホンダV10とくればわからなくもないが。結果は皆さんご存知の通り。ジョーダンがあれだけ活躍したからな~。ワークスのベネトンを食ったレースもあったし。中嶋さんのラストシーズンは非常に悔いの残ったシーズンでした。モデナもがっかりしたんじゃないかな。
個人的にはティレル020はこのカラーリングで出て欲しかった。まあ、スポンサーの関係もありましたから変わってしまいましたが。もちろんブラウンカラーも好きですよ。
タイヤ、駆動系がホンダV-10の広大なパワートルクに耐えられない。これでは走る以前の問題。
大きくて重いホンダのエンジンによって、重量バランスが崩れてしまったのは残念。当時はまだ、エンジンパワーありきで、トータルバランスが軽んじられていた時代。それがスタンダードになったのは1992年になってから。
タイヤに泣かされることになる。それとエンジンが強力になったためティレル製のギアボックスが持たない。エンジンも重かったしね。今と違ってステアリングは超重いし、フェラーリを除いてセミオートマチックなんてないしね。
ホンダにとってはV12がメイン、V10はセカンド扱いとなって、信頼性が落ちたのが痛かった。マシン自体の信頼性も低かったし。序盤のメカニカルトラブルがなければ表彰台獲得できたのに。
ボディがボテッとデブって嫌な予感がしてた…。それが当たってしまった…。
やっぱりバランスが大事なんだと後年知った。当時はホンダV10 獲得でワクワクしましたけどね。
ジョーダン191と前年の019の活躍があったから大丈夫なのかって心配してました…
周囲は「中嶋悟の初表彰台、S.モデナの初優勝」と言われたが…。
1991年シーズンの開幕前
名門復活を大いに期待したマシン
ブラウンのスポンサーが決まったのは開幕直前だったと思う。ホンダV10搭載で90年よりも好成績になるはずと営業をがんばって呼び寄せたスポンサーだったんだろう。
ティレルあるある。
真っ白とかチームカラーの時はそこそこ走るのに、冠スポンサーが付いたら走らなくなる。NOKIAの時もそう。
この時点では希望の門出だったんだろうと推測できる。まさにこのシーズンは、ティレル暗転の年だったと思います。
中嶋さんのラストイヤー。前年のチャンピオンエンジン積んで期待が大きかったけど。マシンバランスの悪さやピレリタイヤのせいで思う様な成績は残らなかったマシンな印象。イルモアエンジン +グッドイヤータイヤの020Bか019に型落ちでもフォードのHB +グッドイヤータイヤで中嶋さんに走って貰いたかったなぁ
せめてタイヤだけGYにしていればポイント取れてたレースあったと思う。
中嶋さんの壮行会でグッドイヤー日本支社だったかな?
激励されて開幕戦のアメリカに飛んでったらPIRELLIになってたと中嶋さんのインタビュー本で読んだ記憶がありますけ。
本当今も昔もピレリタイヤってさ…😅
ピレリ、いまだに買う気がしない。F1ファン30年前のアレルギー
2005年アメリカGPのトヨタもミシュランではなくブリヂストンタイヤだったら初優勝だったのでは
@@user-jx4ou3ij1s
私もです。
この時のイメージが強過ぎて。特に今のピレリは中国製ですから余計に候補から外れますね。
開幕前の期待は大きかったんだけどね…
光るところはあったけど、信頼性と後半戦の開発が…ポストレスウェイトの離脱も大きかったんだろうな…というかんじ
このカラーリングでシーズン前のテストしてた頃は
どれだけ活躍したくれるんだろうとドキドキしてたんだけどなぁ。
ブラウンカラーもカッコいいけど、
このカラーリングがカッコ良くてタミヤのキットをこのカラーリングで作ったなぁ(笑)
当時のホンダパワー信仰はすごかった(実際にパワーも有った)からエンジンを鞍替えで戦績が飛躍すると期待したんだよね。
実際はハイパワーだけど重量級のホンダV10エンジンでトータルバランスが悪くなったのと元からのピレリタイヤで思ったような成績が上げられなかった…
自分もブラウンカラーよりシンプルな青白カラーにホンダロゴだった開幕前のバージョンがカッコいいと思う。
90年当時のティレルを考えればチャンピオンエンジン獲得は夢のような話。
中嶋悟さんの存在のおかげで、そんな奇跡的な契約が実現してしまった事がティレルチームの不幸だった事は皮肉な話。
当時はまだエンジンパワーこそが速さだという時代だったので、ケン・ティレルが飛びつくのも無理はないですね。
しかし90年のティレルは資金難で91年用のマシン開発が出来なかったので、ホンダV10用シャシーは作れなかった。
020という新シャシーナンバーだけど、実際は019にホンダV10を載せられるようにしただけの代物。
当然重量バランスやパーツ剛性なんか考えられてなく、この冬のテストからトラブル続発。
おまけに019が空力的に成功してしまったために020は空力も改良が進まず、91年からウイング幅が縮小された影響で空力も劣化。
まあ空力劣化の話はフェラーリ642にも言えますが・・・
ピレリタイヤに足を引っ張られたようにも見えますが、モナコでモデナが2位快走、カナダで2位表彰台はピレリだったからとも言える。
夢のようなパッケージで注目と期待を集めたけど、張りぼてのような皮肉なマシンになってしまった不幸。
青・白のティレルにホンダとシェルのロゴがついてるだけで何かワクワクしてくる
91年の成績は性能の低いピレリタイヤやらポスレルイウエイト離脱でマシンの開発が止まったり結局パッとしなかったけど・・・
91年はブラウンカラーよりもテスト車同様シンプルな青白カラーのままでいてほしかった
この時と開幕戦までは、かなりの戦闘力だと思っていたんですけどね。
1+1が2にならないマシンと良く言われてましたね。
翌年タイヤをグッドイヤーに、エンジンはパワーは劣るが軽量なイルモアにしたら資金難にもかかわらず戦闘力が向上しましたからね。
great video!
thanks for posting this!!
always liked Ken Tyrrell's team. These were the last good engines they had.
このカラーリングでもよかったのにな〜ステファノ・モデナも良いドライバーだった!もったいない事した。
ティレル020はホンダV10エンジンが重たかったせいか
駆動系との相性が悪かったけど
中嶋さんが乗ったマシンの中で一番カッコよかった。
020にはHBエンジンがベストだった。エンジン=パワーが終わる転換期だった。
前年019のコンセプトのままでエンジンがV8のフォードHBなら結構いい成績は残せたかなと思う。タイヤがピレリのままであっても。
チャンピオンエンジンのホンダV10はパワーはあって魅力的に映ったけどDFRと比較したら相当に重くて大きいのが足を引っ張ってしまったね。
このティレル020は、V8エンジン仕様だったのに重いHONDAV10を無理矢理詰め込んだものだから、シャーシとタイヤが持たず、中嶋悟も苦労したマシンでした。
だけど、スタイルは、好きだったので、ティレル020のプラモ作りました。
確かフロントウイングの幅も狭まって曲がらないと言ってました。
翌年のジョーダンもそうでしたね。
結局、019の良いところをエンジンの重さで食いつぶしてしまったのが、020ということか。
空力パッケージマシンなのに、エンジンの重さでそのパッケージそのものを壊してしまった。馬力で補えるものでもなく、また弱小チーム特有のメカ二カル面での脆弱性も、020の悪化を助長した。
でも好きなマシンには違いない。
翌年ティレルは金が無くて新車ではなく020の改造シャシーでイルモアエンジンに変えたら速さが戻ったのが何とも
今宮純さんが、90年の最終戦の解説だったか
「ホンダエンジンを積む来季のマシンは、非常に斬新なスタイリングのものになる」
と言われてて、新車発表がとても楽しみだった記憶があります。
020発表時、あんま019と変わんねぇなぁ(汗)と思ったことも。
ただテスト時の青白カラーにシェルのロゴの入ったマシンは好きでした。予定通りロスマンズがスポンサーについていたら、もっとカッコ良かっただろうなぁ。
実は軽量コンパクトなイルモア(後のメルセデス)のほうが相性が良かったという皮肉。
ホンダV10が載ると聞いて開幕を楽しみにしてました
結局開幕戦だけ
ホンダとモデナのスーパーコンビもあえなく
フォードHBだったらと
ホンダエンジンはやたらと重かったと最近でたgpカーストーリーにてモデナが証言している。
昔も今もホンダは重いよね
You're welcome!!
It is valuable coloring seen only at this time.
なんかティレルはスポンサー探しが下手というか、そんな印象を受けちゃう
ロスマンズとの契約は破棄、ブラウンも1年だけだったね
結局マクラーレンに吸い上げられたみたいですね。
モデナはヤマハが嫌でティレルに来たが、結局翌年はヤマハエンジン搭載のジョーダンへ言ったが、ティレル時代より成績が悪かった。
無理やりV8サイズの車にV10積んで重量バランス崩れ長くなった分横置きミッション開発したがこれがさらに足を引っ張りとどめにピレリタイヤの耐久性の無さと期待を完全に裏切ったマシン。前半のサンマリノとモナコの快走がこの車の全てでしたね。
ブラウンカラーよりもティレル・ブルーの方がカッコイイね。
ただ、もう少し戦闘力の有るマシンだったら・・非常に残念なシーズンだったよなぁ。
せめてタイヤがグッドイヤーだったら。そして幻のロスマンズがスポンサーになったカラーで戦って欲しかったです。
こなカラーリングのマシンで戦って欲しかったです。
この頃は欠かさずに見てました。
90年の開幕時点でもっとスポンサーが付いていればタイヤもピレリにする必要もなかったし、シャシーの開発も出来て新しい020になっていただろうなーと思います。
ブラウンはもちろん大事なスポンサーだけど
こっちのカラーリングの方がカッコいい
ホンダ、昭和シェルのロゴも
このカラーパターンに合ってる
ハッキリ言って今宮さんも言っていましたが、ティレル020はダメな車です。ドライバーとエンジンはよくても、シャシィーとタイヤがダメだったのとシーズン中にハーベイが他のチームに移籍したのが痛かった。
Go Stefano go
サンマリノで3位4位になったときにやっぱりすげーって思ったけど壊れてばかりだったな…
美しい。このままだったら勝てそう。
マシンを新設計する余裕があれば名門復活となっただろうに
確かに❕HONDAエンジン用に新設計出来れば良かったけどね……エンジンに見合うシャーシさえ作れば間違いなし❕という時代でしたしね。
ティレル・ホンダは、重いホンダV10エンジンのせいで
ピレリタイヤと駆動系との相性が悪かった
コスワースのまんまでタイヤがGYの方が良い成績を残せたのかも。
でも途中ポストレスウエイトがチームから離脱したからどのみちマシン開発も滞っていい流れには行かなかっただろうね…
このカラーリングのままだったら、もっと成績良かったんじゃないかと(笑)。
タイヤの影響もあるが、中嶋の起用でホンダを手に入れたがためにマシンバランスが崩れた悲劇のマシン。
やっぱステファノはかっこいい!
モデナを見てると可夢偉とだぶるんだが俺だけなんだろうか…
同じように乗り合わせが悪くて選手生命を落とすような事になって欲しくないんだが…
モデナは古舘と川井のせいでイタリア人なのに暗いという
レッテル張られたよなぁ
カナダGPあたりまでは戦える車だったけれどその後大きく失速。
当時はホンダ+中嶋悟でめちゃくちゃワクワクしたけど、結局ティレルだった・・・。
6輪だって、リアは007ぽいし、その後の011とかだってモノコック使い回し それでも昔はチャンピオン取れたんだからいい加減なもの、92年 0:42 右京のシャーシにナカジマって書いてあったんでしょ?ティレル好きだったから、失敗も折り込みずみ。018や023の表紙台は嬉しかった。
シャシィーもかえればな~。タイヤも
エンジンはホンダなのにコスワース製のギアボックス使うからリタイアが多かったんだよ。
ホンダではなく、フォードHBのV8がいいって誰かいってたな。
ハーベイさんでしたね。HBが欲しかったって。
1991年のティレルのマシンは、ホンダV10を載せるには小さすぎた。
当時のマシンちっちゃ
ホンダではなく、フォードHB-V8、タイヤはGYだったら結構面白いシーズンとなったのではないか?まっ、チャンピオンエンジンしかも、ホンダV10とくればわからなくもないが。結果は皆さんご存知の通り。ジョーダンがあれだけ活躍したからな~。ワークスのベネトンを食ったレースもあったし。中嶋さんのラストシーズンは非常に悔いの残ったシーズンでした。モデナもがっかりしたんじゃないかな。
個人的にはティレル020はこのカラーリングで出て欲しかった。まあ、スポンサーの関係もありましたから変わってしまいましたが。もちろんブラウンカラーも好きですよ。
タイヤ、駆動系がホンダV-10の広大なパワートルクに耐えられない。これでは走る以前の問題。
大きくて重いホンダのエンジンによって、重量バランスが崩れてしまったのは残念。
当時はまだ、エンジンパワーありきで、トータルバランスが軽んじられていた時代。
それがスタンダードになったのは1992年になってから。
タイヤに泣かされることになる。
それとエンジンが強力になったためティレル製のギアボックスが持たない。
エンジンも重かったしね。
今と違ってステアリングは超重いし、フェラーリを除いてセミオートマチックなんてないしね。
ホンダにとってはV12がメイン、V10はセカンド扱いとなって、
信頼性が落ちたのが痛かった。マシン自体の信頼性も低かったし。
序盤のメカニカルトラブルがなければ表彰台獲得できたのに。
ボディがボテッとデブって嫌な予感がしてた…。それが当たってしまった…。