ナトコ映画「公民館」(1950年製作)【リニューアル版】

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  • เผยแพร่เมื่อ 24 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น •

  • @bicchinomune
    @bicchinomune ปีที่แล้ว +3

    貴重な映像をありがとうございます。

  • @船月-v3x
    @船月-v3x ปีที่แล้ว

    若き日の下元勉氏かなぁ?やはり塾年60代の下元勉は渋くて魅力が溢れてた!!

  • @MacMacうざMac
    @MacMacうざMac ปีที่แล้ว

    「○○にして排水を図ること」の部分は、高畝(たかうね、畝を高くすること)ではないかと思います。

    • @kominkan
      @kominkan  10 หลายเดือนก่อน

      なるほど・・・きっとそうですね!何度聞き直してもよくわからなかったのですが、それだと中味とも符丁が合いますね。次の改訂ではそのように反映させていただきたいと思います。誠にありがとうございました!
      ※お返事が遅くなってしまいまして、誠に申し訳ございませんでした。

  • @たけたけお-g3d
    @たけたけお-g3d ปีที่แล้ว

    闇が深いなぁ
    日本人を恐れて、アメリカ人が作った公民館、、
    アメリカの国防省が影響したと言うこの映画。。

    • @たけたけお-g3d
      @たけたけお-g3d ปีที่แล้ว

      日本人は、公民館ができるまでは自分の家から近いお寺や神社に集まっていた。
      そこで、道徳や愛国心を学んでいたのだ。
      けれど、戦争で並々ならぬ愛国心を恐怖に感じたアメリカは公民館を各地に置き、愛国心を薄れさせ、個人の感情が弱い国民を作ることに専念したのです。

    • @一ノ瀬-j6w
      @一ノ瀬-j6w 7 หลายเดือนก่อน

      @@たけたけお-g3d個人の感情を薄くしたいならむしろ地域の結束を強める公民館は逆効果じゃないか?

    • @-Akichi
      @-Akichi 5 หลายเดือนก่อน

      いや…公民館というのは昭和16年の水沢公民館(岩手県)を嚆矢とする、れっきとした大日本帝国を源流とする施設であるぞ。
      建てたのは読売新聞社社長の正力松太郎
      (読売の経営に当たって、水沢出身の後藤新平から有形無形の援助を受けたのでそのお礼として)
      「公民館」という名称にして理論武装したのは、商工省総務局長の椎名悦三郎、まさに「霞が関の論理」であるよ。

  • @hastuyuki0127
    @hastuyuki0127 ปีที่แล้ว

    なんだこれ