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「この高さでは助からない」と気づいてしまったときの彼らの気持ちが一体どんなものだったか、私には到底計り知ることができない
岩手出身です。普段なら建物の二階に上がれば大丈夫と思うだろうけど、あの日は今まで見たこともない大津波警報が出ていて、サイレンと防災無線がひっきりなしに鳴っていたはず。それをのんきに会社の書類まとめたり窓を閉めさせたり、指示を出した人間は本当に無知だったんだな。自分が遺族なら恨みます。何も持たずに真っ先に高台へ行けと誘導した経営者もたくさんいるのに、上司がどんな人間かで命までも落とす事があるなんてやりきれない。
お母さん……どれだけ辛かっただろう……。とても胸が締め付けられる。だけど、どうかご自分を責めないで欲しい……。お母さんは何も悪くない……。息子さんは本当によく頑張った。お母さんとお父さんもよく頑張った……。そう思って欲しい。
災害はいつ起こるかわからないからしっかりと準備しといた方がいいですね
ご両親の行動力が凄い。間違いなく今後救われる命が増えたと思いました。
私も宮城県の気仙沼市で被災しました。その時は小学一年生でした。私のクラスで生き残ったのがわずか15人。亡くなった同級生の親からは、なんであなたは生きていて、娘は死んだの?と何回言われたことか…。今でも友達が夢に出てくることが結構あります。3.11のことは忘れてはならないことだと思います。あの時間何人もの人が亡くなったでしょうか。これからも後世に地震の怖さ、いつ来るかわからない地震。いつ来るかわからない災害どうすれば少しでも多くの命を救うことが出来るのかを、考えて一人でも多くの命を救えるようにすることが大切だと思います。3.11をわすれません。生きられなかった人の分まで強く生きよう
かなり辛い思いをして立派な大人になられましたね。苦しかったでしょ……心の傷は残ってるとは思いますが貴方が親になった時に素敵な親になりそうです。そう願います。私は阪神淡路大震災の被災者です。神戸から応援しています。
どんなに自分が辛かろうと6、7歳の子供にそれを言ってしまった同級生の親は修羅の道に入ってしまったのだと思いますよ😢自然は怖い、そして大きな自然にむき出しにされる人間の醜さも怖い
きっとたくさん傷つかれたと思います。あなたは何も悪くないのに。幸せに生きてください。
同級生の親御さんのお言葉…あんまりじゃ無いですか?😑ここで言うても何がって訳でもありませんが…😑
人の心までも壊してしまうほどの出来事だったのでしょう。でも、子供の頃にそんなこと言われたら、傷つきますよね。あなたが生きててくれて、大きくなってくれて、喜んでいる人は沢山いると思います。ほんとに、生きているって奇跡ですよね。平凡な日々に感謝です。
こういう時は、クビになろうと、絶交されようと、自分だけでも逃げなければ。
遺体を見れなかったのも抱きしめられなかったのも亡くなったのを認めたくなかったんだよね。ほんっとに辛い…
先月まで死にたいって気安く思ってた気持ちが、嘘のように心にグッときました。やっぱり色んな人に伝えるべきだし、当たり前のように毎日一緒にいる家族や友達、親戚の人達といつ離れ離れになったり一生向き合うことの出来ないことが起こるか誰も予想できないし、わからない。こういう震災で亡くなった人達を考えると今自分が生きてること自体が幸せ。この東日本大震災で苦しんだ人達も動物も、当たり前のように暮らしてた日常が急に消えるなんて思ってなかったと思う。だからこそこの貴重な映像を見て、現実を色んな人に伝えて家族や友達の偉大さ、かけがえのない存在ということをこの生きてる人全員が今知ること、伝えることが大切だと思う。この3.11日だけではなく、今までの人の苦しみを目に添えて現実を受け止めてほしい。自分だけが幸せになれるとは思わないでほしい。自分も今の人生を大切にしていきたいです。
ただ涙が流れるばかりですが、高台避難の大切さが伝わりました。辛い中ありがとうございます。
上下関係が不幸を生むなんて真面目な方だったからこそ上司に従ったんだろうな
運命を他人に任せず自分の意思で動いた人が助かっています。
悲嘆にくれ引きこもる方も多いだろうと推測します。そんな中、震災の教訓を伝え続ける御両親、その想いに頭が下がります。きっと息子さんも誇らしく感じていることでしょう。災害時の行動、社員に対して業務より我が命を最優先で守ること徹底指導するべき。
あの時は本当にあんな津波が来るなんて全く想像できなかったし、それ以前にあの大きい震災直後のパニックでそれどころでもなかった。あれから12年になりますが、次が起きてほしくないけど起きた際は冷静になって身の安全を守れる行動や連絡ができるようにしたい。
宮城県民です。お父さんお母さん自分達をを責めないでほしいと思います。これからも後世に地震の知識を色々教えてあげてください頑張ってください😢
当事者です。今日で12年と言われますが、そんな簡単な事ではないです。。。苦しくて、切ない思いです。
お母さんの言われる通りです津波の危険が有れば少しでもより高い所へ避難するべきです そこに上司も部下も無いです 全員一律被災者なんですから より高い所へ高い所へ避難してもし何てこともなければ「大した事無くて良かった」と笑えば良いんです
聞いてて苦しくなる親の思い亡くなった健太さんの思い
助けられるはずだった。助けられただろう。って思いは苦しむ。震災被害者や遺族に対して侮辱的な言葉を放った高校生には本当に憤りを感じる。
トップの指示が人々の命を左右してしまう。これは大川小学校も同じ。命を守る行動を最優先できるよう大人が何度も学び直ししなくてはいけない。
お母さん、ご自分をどうか責めないで下さい。誰だって変わり果てた子供を見るのは辛いです。健太さんもわかってくれているはずです。
宮城県民です。あの日 暗闇の中 ラジオから “ 海岸に遺体がたくさん・・・”とのニュースを聞いて なんで?どうして? と思ったこと忘れません。地震から3日後 電気が通り映像を見て その意味がわかりました。あの時は 津波の怖さを知る人が少なかった、想像していた津波じゃなかった。家々が簡単に押し流され町民の目の前から町が一瞬にして無くなる、誰もが唖然としました。今では津波の怖さがわかりますが、あの当時 20mの津波がどんななのかわかっていれば・・・皆逃げたのに。と思います。
緊急事態の時ほど冷静にならなければならない。誰のせいでもない。パニックになって間違いを選んでしまうのも無理もない。人を信じず自分を信じて行動した方が悔いも残らない。
上司に刃向かって高台で避難したら助かったけど、大した津波にならなかったら出世コースから外れて窓際。上司もまさかあんな大きな津波が来るとは思わなかった。津波てんでんこと言われるように、避難は点でバラバラで責任問われない意識改革が必要だと思った。
無念の思いが、悔しい思いが、胸を締め付けられます、生きてるかぎり忘れる事なんて出来るはずがない、ただ息子さんは今お父さんとお母さんの胸の中で共に生きてらっしゃるとそうお伝えしたいです、だからお身体に気をつけられてそして少しでもお心が安らかになります様に祈っております。
平成の終わりに生まれた我が子達は、東日本大震災を知りません。毎年、3/11が近づくとこういう事があったんだよ。災害の時は自分の命を1番にすぐ逃げようねと、伝えていこうと思います。警察官や自衛隊員、消防士になりたいと言われたら、覚悟を決めるまでですが...命をかけて産んだ子供が自分より先に死ぬこと、変わり果てた姿で対面してもしなくても辛い思いをするのは、自分が死ぬのの何倍もつらい。
これからも、健太さんの分まで、健康で長生きして下さい。私も、いつか宮城県に来た時は、2人から命の大切さを学びたいです。
いつか2人に会える日を祈ってます。
3.11でお亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りいたします。
今日で12年あっという間。いまだ行方不明の方々もいる。あの津波は誰にも予測出来なかったでしょう。いつもの地震なら津波もあれほど大きくなかったでしょう。今まで経験した事のない地震だったから災害も大きかった。あの日を忘れないで、あの大地震もきてくれるなと思いながら日々過ごしています。
毎年3.11付近に震災関連の動画を見てあの日を忘れないようにしています。動画を見て、健太さんは同じ大学出身で一つ下の後輩であると知りました。同じ学び舎で学んだ人の中にも犠牲になった方がいらっしゃるのだと思うと、本当に胸が痛いです。ご両親の活動は、きっと日本の未来のためになっていると思います。どうか自分を責めず、今の活動に誇りを持って健太さんの分まで元気に過ごしていただきたいです。きっと健太さんも天国から応援していると思います。
お母さん。申し訳ないとかないよ。。。健太さんそんな事思ってないですよ。。。こんなに辛い事もあった方達の胸中苦しいです。。。
けんたさん。生きてたら、37歳~38歳ですか。同じ年齢ですね。高台に行ってたら助かった可能性もあったろうに。無念です。自分も、熊本で地震を経験した。津波こそなかったが本当に怖かった。
命は尊い😢ですね亡き骸と対面できないのはとても辛いですね😢
先日、沖縄で人生初の津波警報を聞きました。実際、津波は30cm以下だったようですが、企業が率先して業務停止・避難指示・従業員家族の安否確認のための職場離脱を指示していたことに驚きました。そのお陰で、街中の人々も危機意識が働き、多くの避難行動に繋がっていたのを目にしました。危機意識の弱かった私もその集団行動に後押しされた1人です。一連の出来事を振り返り、3.11の教えがこうやって後世多くの命を救くっていくのだと思いました。ありがとうございました。亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
行員の生命より終了業務を優先させるあたりが、この銀行らしいと言える。地震の翌日すぐに、内陸の業者を使ってシートで支店を覆い隠させた。隣の建物から行員が流される様子を撮った人は動画を公開できなかったしね。
すみません。お尋ねしたいのですが、なぜ銀行はシートで建物を覆い隠したのですか。現金が盗まれるかもしれないということでしょうか。
この銀行の会社方針なのかぁ
まさかあれだけの波が来るとは誰も想像出来なかったのもあるけれど。息子さんは高台に逃げたかったと後から聞いてしまえば必ず後悔してしまいますよね。何とも複雑な心境になりますよね
我が子の死を認めたくなくて捜してた親御さん達が10日すると遺体を早くみたいに変わるの、想像しただけで胸が痛い
この地震があった時わたしは小学生で、津波って砂浜までチョット波うってる位のもんだと思ってたから怖いって意識が全くなかった。でも東日本大震災が起こってテレビで津波の映像が流れたのを見て津波は人の命を奪うものなんだって初めて思いました。日本にとってこの日の出来事は一生忘れてはいけないことだし、私みたいに同じことを思った人は少からずいると思います。この日を忘れないように。守れる命は守れるように。自分の子供、孫、ひ孫にも伝えていきたい。
以前女川で遺族の方とお会いして話を聞く機会があったけど今思うとその方は田村さんでした。こうした惨事に対し関係者はできる限り当日の状況説明を行い、再発防止に努めなければならないのに遺族ときちんと向き合わず保身や責任逃れに終始するからさらに苦しむ結果になる。
この銀行の支店長の責任大きいね。こういった危機管理に際しての危機管理マニュアルは作り直さねばならない。昔々軍隊から帰った人がよく言ってましたね、「バカな大将、敵より恐い」って。
銀行員であるの前に一人の人間なんだから、災害などの非常時に上司も部下もなく、人に指図されるいわれは無い。精神的に洗脳されてるか寝たきりの人以外は自力で判断し行動出来るのだから、自分の命を守れるのは自分だけ。もちろん意味不明な指図をする人間の責任も重いが、その指図を素直に聞くか反発するのかも最終的には自分で判断した訳だから、必ずしもこの支店長のみを責めるのも違うとは思う。日本人の生真面目さは素晴らしいことだが、時に仇となる。またマニュアルというものがそもそも非常時には適さないので作り直すというよりマニュアル不必要。マニュアル通りでないから非常時な訳で、マニュアルに固執することによって考え方が狭まってしまうことがある。ひとつの事象に対してならば対策は固めやすいが例えば、地震×津波×台風×雷なんてこともあるかもしれない。そんな時に津波だから高い場所に行けば安全かというと、向かった先の高い場所が土砂崩れや火災などで安全でないとなってしまう場合もあるかもしれないからね。不測の事態に対して、マニュアルにするなら絶対にしてはいけないことだけを明確化することしか出来なくて、対策に対しては臨機応変としか言いようがないのが非常時。自分の感覚、判断を信じて行動するのみ。
当時まだ幼稚園児でこんな大惨事が起こっているなんて思ってなかったです。ニュースばかりで好きなアニメ流れないなと。津波の講習会が学校で何度も行われていましたが、高いところに登れば大丈夫と。それだけで大丈夫とサラッと聞き流していましたこのような気持ちで講習会を開かれていたと思うと心が痛みます。辛い中後世に伝え続けてくれてありがとうございます
きっとこういう事は当時、いっぱいあったんやと思う。色んな所で「高台に逃げよう」って声を上げても、上の人間がそれを否定し続け、助かるはずの命が奪われた。結果論でしかないから上の人間を責めることは出来んかもしれんけど、被害者遺族は責めてしまいたくなるやろうし、そんな事は綺麗事でしかないけんね……南海トラフで同じ事が起こりそう。私の住む所は大津波の心配はないって言い切る人多くて……1人でも声を上げていこうと思います。
仕事なんか腐る程あるんだから命を大切にして欲しかったな。
ご遺体をまだ探してる家族もいて見つかったんだから抱きしめてあげれば、って自分を責めてしまうよね😢悔しい
宮城県女川町出身です、当時8歳でした。津波でお父さん、長男は亡くなりました。
どうして上司は屋上に行かせたのか、どうして早くここから出て高台に行けって言わないのか、上司ならこれからの若い命を守らなくちゃいけない立場でいいから逃げろって言わないのか、もしかして上司は生きてるのか?上司の言う通りにしないと、命がかかってるけど死守しなくちゃいけないのか?後から責められるのか?こんな大災害に、自分の命を守るのは上司じゃない、ほんとに自分しかいないし、上司より家族じゃないのか、身につけた物で確認するって何故なのか、疑問ばかり。
当時は、陸上自衛隊にいました。九州から気仙沼に派遣され、1か月ほど滞在しておりました。街をいくら綺麗に復興したとしても、心の復興は、今でも続いてる。ご遺体の姿も私も拝見しました。親子さんの心中は、私の想像を絶するものだと思います。そんな中で、こうやって情報を発信して、「次の世代にバトンタッチしていければ」と仰る姿を見て、本当頭が下がる気持ちでした。本当に応援しています。頑張って下さい。
おっつー!笑
コメント失礼します。神戸からです30年近くになります。震災経験者です。亡くされたのは気持ちがわからないですが、私生き埋めでクラッシュシンドロームで足が不自由になりました。後遺症残っています。阪神大震災の時は他県から救援物資が沢山送られて来ました。私に何ができるかと考え、2011年の何年か前にも東北地震ありましたね。その時に雀の涙ほどですが、送らせて頂きました感謝の気持ちです。何日か後に役所からお礼の手紙頂きました。2011年の東北地震の時は、泣いた泣いた、大泣きです。震災経験しているからこそ気持ちがわかるんです。震災の映像見る度に胸が痛いし、涙が出てきます
辛いだろうな、、
「津波なんてこない」これはバカにしてはいけない。当時の俺ならそう高を括るに違いない。1時間ほど時間がありながら多くの方がそう思ったからあの惨事になったのもあるだろう。生かすしかない。
これからもみんなに伝えてこのようなことはないで欲しい、、、頑張ってください
あの時に20mの津波が来るとは予想出来なかっただろう、今まで経験したことがないことをどれだけ予想できたか
韓国のセウォル号沈没事故でも同じだったよね。上の者の、不条理な「その場にとどまれ」ってのがみんなの命を奪ってしまった常識が停止しまうんだよな…
来世で 再び 巡り会えますように😢
伝えていく義務がある。被災した私たちには。
「地元の企業も受けてほしい」「親孝行のつもりで選んだんだと思う」が、どうしても、、、😞
親であればそれもひっくるめて後悔があると思いますよ。
クビ覚悟で逃げるしかない。命あってのものだねだから
状況にそぐわないルール通りの判断をする組織に従うのではなく、非常時には自分で判断することの大切さでも銀行員とか公務員だと絶対できないよなあ…
カスだからなw
お亡くなりになった健太さんと同い年です。私は東日本大震災が起きてからも普通に生きてきましたが、本来なら健太さんも普通に生きていたはずなのに。すごく悲しくなりました。あの時赤ちゃんだった平成22年生まれの息子は今月小学校を卒業します。今の小中学生は東日本大震災のことを知らないので、小中学校でも震災学習を積極的に取り入れて行ってほしいです。私自身も11日に息子に東日本大震災のことを話しました。
いざ自分がその職場、環境にいたら自分の考えの方が正しいと思っていても大多数が間違った選択をしていたら行動に移すことできるのか自信がないです。でもご両親のお話、健太さんが勇気を出して高台に逃げようと提案したことこれがどれだけ大切なことなのか身に沁みました。これから南海トラフなど色々な大きな地震、富士山噴火など大災害もしもその時が来たら自分が正しいと思える選択肢があるならそれに従ってみよう。勇気を出してみようと思いました。そういった判断には知識が必要だと思います。訓練もそうです。最悪の事態を想定し、避難してみて何もなければあぁ、良かったね。と思えるように危機感を忘れないでいきたいです。東日本大震災当時は子供でしたが今は1人の親になりました。子供を守れるように、家族を守れるようになりたいです。
上が愚か者だと下は苦労するってやつだね。。そして、日本人特有のみんないたら安心、大丈夫みたいな、、団体心理もよくないよ。どっちにしろ、選択肢を相手に任せたら後悔に繋がる😢命に関わることであれば、尚更自分で選択した方がいいと思う。振り切ってでも。😢
お母様にどれほど後悔があるか私にはとうてい理解は出来ません。けど、けんたさんもお母さんに見つけてもらえただけで安心だったと思いますこれから生きていかなければならないご遺族にとって、遺体との直接対面は心の負担をふやしねません。元気だった姿を思い出してあげにくくなる。なので楽しかった元気だった姿を沢山思い出してあげて、長生きしてください
お母さん、どうか自分を責めすぎないでくださいね。いつでも息子さんである健太さんの魂はお母さんの心にありますよ。
想定を超えた災害が来たときは、結局、本能と合理性で動くしかないと思いました。マニュアルや日頃の社会関係に拘っていると命を失うんだなと感じさせられました。
正直、自分も鉄筋コンクリート製の2階建の屋上にいれば、「絶対助かるだろう」と考えてしまったと思う多くの命を無駄にしない様に教訓にしたい1分1秒でも最後まで、1cmでも高く登る
息子さんに申し訳ないなんて思わないで‥お母さん‥全国の子供がいる母親ならその気持ちがわかるから‥申し訳ないって思う気持ちもでも、気持ちがわかるから、そう思わないでって私達は声をかけたいのよ‥
お母さんも銀行が避難場所が徒歩1分の場所にあったので諦められないんでしょう。。。海の飲まれてしまったんでしょう。。なぜ1分の避難場にいかなかったのか、よくわかりませんけど。。。まさか自分たちが死亡するとは思わず過信していたのではないでしょうかね。。亡くなったことを受け入れ毎日健康で息子さんの分まで長生きしてください。
震災……明日で12年もう2度と経験したくないですあの日高校生で自宅に帰ってきた途端巨大地震そして停電寒い冬の日だった沿岸にいた親戚と話が取れたのも大分あとしかし親戚の旦那さんは行方不明になり数ヶ月後見つかったが………帰らぬ人となってしまった未だに受け入れられないし夢なんじゃないかとも思ってしまう助かった命だからこそ大切に生きて困ってる人のためになる仕事をしたいと思い医療につくことができた。複雑な心境です。皆さん命や他人を大切にして時にはその人の声にも耳を傾けてください。
地震がきたら高いところへ逃げるではなく、ただ単に高いところだと建物なら倒壊する可能性、山ならがけ崩れする可能性もあるので場所によってどういう避難をするべきかを調べておくのが一番です
泳ぐ!
宮城県民 震災の時はいわき市四倉で地震 津波も間近まで来てましたが何とか逃れた。身近な人は失っては居ませんが津波で亡くなってる方が居るのは同じ様に辛いですね。12年早く感じてます。でも忘れては居ません。二度と見たくない光景です あの時の事は忘れません
でも屋上なら安心だと思うよなこの地域で震災以前にどんな前例があって、どこまで津波が来たかを知らなかったら、わざわざ山まで行こうと思わないもん
銀行なんて保険掛けてるんだから、どーにでもなっただろうに…。自分勝手でも、上司の命令を振り切って逃げてたら…と考えてたら、親として悔やみ切れ無いでしょうね。
地震や津波は天災だけどその後の指示での結果は人災だよな。尊い犠牲の上に学んだ『自分の命を守るのは自分自身』がこの先の全ての人の教訓になりますように。🙏
支店長だけ屋上に残ればよかった
上司の命令で……書類確保? 逃げれる山は直ぐそこに……助かるはずだった命……親としてはいたたまれない、何かをしてないと崩れてしまいそうなんだろうね……ご遺体も戻られてない……他にもまだまだ行方不明な方々大勢おられる事を忘れてはいけないと思いました。
頑張れ✊‼️
災害が起これば仕事よりも自分の命を優先させる!
涙が出ます
行員も全員亡くなり支店も津波に沈んだら、何も守ってないし。
ふと大川小学校のことを思った。あの津波で助かるはずの命はきっとたくさんあったのだろうと。てんでんこですね。徹底するべき。
沿岸に住むからには、津波は考えなければいけない。常日頃から家庭、学校、職場で話す事が大事だと思う。次は、次こそは皆逃げて欲しい。
地元に戻ってきて欲しいって言わなければ…って後悔してるだろうな😢
はっきり言って「七十七銀行の対応が悪かった」が原因。二階に避難しましたではなく「もっと高い所に逃げよう」の一言があれば助かる人もいっぱい居たはず。だって津波の到着まで50分の余裕があったのだから・・・本当に無念。
社会人として上司の指示は絶対だったのか?命がかかってるんだから社会人どうこうより、一人の人間として自分の命を守る行動を取るべき。
おっしゃる事は正しいと思いますでも自分が実際に同じ状況になったら…おっしゃる通りの行動ができるか微妙かもしれません正直な気持ちです
Heart breaking......
そうなんだよな、当時はなぜ高台に行かないんだ?って人がいたから犠牲が多かったんだよなおれは塩釜ですぐに高台に逃げれたけどなぜだったのか、、後悔しかない
まさかそんな津波が来るとはって感じじゃないあとは日本人特有の集団心理だろ
こんなところまで津波が来ると(多くの人が)思っていなかったのでしょうね不祥事という捉え方をしてしまうと恨みや怒りから逃れられない気がする
おかしいと思ったら言える人それだよなぁ
非情だけど、結果論だよ。まさか建物の高さを越える津波が来るだなんて思わなかっただろう。確か女川は1960年のチリ地震でも津波の被害を受けていたはず。日本どこでも地震はおこるけれど、台風の通り道、豪雪地帯、津波、、極力天災のリスクが高い場所を避けるというのも、生き延びる術かと思う。
ここまで大きな津波が来るってのは当時の多くの人が想定外だっただろうしね。
立派な日本の希望達が失われてしまったんだな
大川小学校の例(目の前に高台があるのに教師らが児童を校庭に留めおき逃げ遅れ7割近くが亡くなった)では、遺族らが証拠を集め実証実験などを行った結果、裁判で勝訴していました。多くの被害者が未成年だったからこその判決ですが、問題の構造としてはこの銀行も同じですよね。過労死にも似ていて、たとえ成人でも狭い縦社会の中で自分で考えて逃げる判断を下すというのが如何に困難か。上司の拙い判断に巻き込まれないためにも、正常性バイアスとか同調性バイアスとかは頭の片隅に入れておきたいと強く思いました。
大川小学校は校庭に留まるだけじゃなくてその後、海側にある高台に避難しようとさせた。津波が来ているという情報まで得ていたのに海に突撃させたんだ。逃げ遅れじゃなくて死にに行ったようなもの。
目の前に海後ろには山自分を信じるしかないなぁ
石巻、女川はホントに海面が陸繋がり満潮には海水が溢れてくる企業なら避難場所はきちんとしておくべき。命てんでこで1人でも動けば助かるべき命もある。勤務時間で上司の指示もあり従うという風習が根強いと逆らえない。それより命優先にしていかなければいけないとおもう。息子さんの判断は正しくその通りにしていれば全員助かったと思います。これは企業の判断が招いた悲劇だと感じます
自分の人生舐めプしたらいかんってことよね。平和が続けばいつかは忘れ行く災害だろうけど少なくとも経験した我々は忘れちゃいけない。全力で生きましょう!
この件は又同じ犠牲が出る。何故誰かの指示通りにしないといけないか?自分の命は自分で守る、誰かの指示では無いという事を学んだ。ここまでは津波は来ない、大丈夫と言う声に従わない様に。想定を超えたら命を失う。
年上や年配が正しいといった日本の悪い構造をみなおすべき機会にみえる
昔の飛行機のパイロットの話になりますが、先輩パイロット(事実上:上司)が墜落に繋がってしまうかもしれない間違いを犯した時に、後輩が気づいていたとしても強く言い出せずにそのまま墜落すると言う例が後をたちませんでしたね。。。こんな前代未聞の出来事だと尚更何が正しいのかワケわからなくなってしまっていたでしょう。。。責めるのは簡単ですがその場にいなければ分からない事はたくさんあると思います。海の様子を見てろと命令した上司さんもそうですが、自分の身を危険に晒してまで津波が迫ってきてる様子を動画に納めた人たちが居るくらいなので、皆津波を甘く見すぎていたんですね。二度と同じミスが起きないように、伝えていくしかないですね。。。
お母様の気持ちよくわります。残念です。悔しいです。
高台あったのに、、大川小学校も、銀行も。
私も、女川支店で、知り合いを亡くしました8月に、ご遺体が確認されましたが、それは帰って来てくれて、ありがとうと、悲しい現実です時は、流れないのです🌸
言い方が悪くなりますが、判断力に乏しい小さい子供ならまだしも、こうして自分で判断できるであろう成人している大人がその時の指示で命を落とす。遺族は怒りのやり場所がなく、その指示を出した人を恨んでしまう。こういった事が繰り返されるなかで未だに避難訓練は誰かの指示がでてから避難したり、毎回同じ避難場所で同じルートだったりして応用がきかないまま「訓練してるから大丈夫」という間違った安心感を植え付けたままって言うのが今の現状。確かに避難にはリーダーは必要だとは思う。でもなぜ必要なのか?と聞かれればいろいろ理由はあるけれどパニックになる人をださないって言うのが大部分だと思う。なぜパニックにならないように落ち着かせる必要があるのか?と聞かれたら避難行動に影響がでるからという事が1番大きいかもしれない。大勢が勝手に動き非常口に殺到すれば人の流れは滞り避難に悪影響がでる。そして同じ避難場所にでた場合は点呼等で安否確認はしやすいかもしれない。でも実際は人間誰でも最後は自分が大事であり、その焦りやパニックは当然起こる。落ち着いているように見えても焦っている人も多い。じゃあこれを当たり前で起こりえる事として考えていくと、非常口は大きく開く物にする。非常口の数を増やす。こういう準備が必要になる。先程も言った通り毎回同じ避難経路が通れるとも限らないから、非常口の数が多い方がいい。避難者が分散されればある程度殺到しても大きな非常口なら避難に影響がでる確率も下がる。各出口ででた人数を数えて、あらかじめ決め置いた第2の安全な集合場所に人数を報告する。これらができるように訓練した方がいいような気がする。耐震補強で建物丈夫にする工事は今では当たり前になってきているが、非常口の見直しはまだまだ不十分。数少ない狭い非常口に統率力ですんなり避難する方法を見直さないといけない。
「この高さでは助からない」と気づいてしまったときの彼らの気持ちが一体どんなものだったか、私には到底計り知ることができない
岩手出身です。普段なら建物の二階に上がれば大丈夫と思うだろうけど、あの日は今まで見たこともない大津波警報が出ていて、サイレンと防災無線がひっきりなしに鳴っていたはず。それをのんきに会社の書類まとめたり窓を閉めさせたり、指示を出した人間は本当に無知だったんだな。自分が遺族なら恨みます。何も持たずに真っ先に高台へ行けと誘導した経営者もたくさんいるのに、上司がどんな人間かで命までも落とす事があるなんてやりきれない。
お母さん……どれだけ辛かっただろう……。とても胸が締め付けられる。だけど、どうかご自分を責めないで欲しい……。お母さんは何も悪くない……。息子さんは本当によく頑張った。お母さんとお父さんもよく頑張った……。そう思って欲しい。
災害はいつ起こるかわからないからしっかりと準備しといた方がいいですね
ご両親の行動力が凄い。間違いなく今後救われる命が増えたと思いました。
私も宮城県の気仙沼市で被災しました。その時は小学一年生でした。
私のクラスで生き残ったのがわずか15人。
亡くなった同級生の親からは、なんであなたは生きていて、娘は死んだの?と何回言われたことか…。今でも友達が夢に出てくることが結構あります。3.11のことは忘れてはならないことだと思います。あの時間何人もの人が亡くなったでしょうか。これからも後世に地震の怖さ、いつ来るかわからない地震。いつ来るかわからない災害どうすれば少しでも多くの命を救うことが出来るのかを、考えて一人でも多くの命を救えるようにすることが大切だと思います。
3.11をわすれません。
生きられなかった人の分まで強く生きよう
かなり辛い思いをして立派な大人になられましたね。苦しかったでしょ……心の傷は残ってるとは思いますが貴方が親になった時に素敵な親になりそうです。そう願います。私は阪神淡路大震災の被災者です。神戸から応援しています。
どんなに自分が辛かろうと6、7歳の子供にそれを言ってしまった同級生の親は修羅の道に入ってしまったのだと思いますよ😢
自然は怖い、そして大きな自然にむき出しにされる人間の醜さも怖い
きっとたくさん傷つかれたと思います。あなたは何も悪くないのに。幸せに生きてください。
同級生の親御さんのお言葉…
あんまりじゃ無いですか?😑
ここで言うても何がって訳でもありませんが…😑
人の心までも壊してしまうほどの出来事だったのでしょう。でも、子供の頃にそんなこと言われたら、傷つきますよね。
あなたが生きててくれて、大きくなってくれて、喜んでいる人は沢山いると思います。
ほんとに、生きているって奇跡ですよね。平凡な日々に感謝です。
こういう時は、クビになろうと、絶交されようと、自分だけでも逃げなければ。
遺体を見れなかったのも抱きしめられなかったのも亡くなったのを認めたくなかったんだよね。ほんっとに辛い…
先月まで死にたいって気安く思ってた気持ちが、嘘のように心にグッときました。
やっぱり色んな人に伝えるべきだし、当たり前のように毎日一緒にいる家族や友達、親戚の人達といつ離れ離れになったり一生向き合うことの出来ないことが起こるか誰も予想できないし、わからない。
こういう震災で亡くなった人達を考えると今自分が生きてること自体が幸せ。この東日本大震災で苦しんだ人達も動物も、当たり前のように暮らしてた日常が急に消えるなんて思ってなかったと思う。だからこそこの貴重な映像を見て、現実を色んな人に伝えて家族や友達の偉大さ、かけがえのない存在ということをこの生きてる人全員が今知ること、伝えることが大切だと思う。この3.11日だけではなく、
今までの人の苦しみを目に添えて現実を受け止めてほしい。自分だけが幸せになれるとは思わないでほしい。自分も今の人生を大切にしていきたいです。
ただ涙が流れるばかりですが、高台避難の大切さが伝わりました。辛い中ありがとうございます。
上下関係が不幸を生むなんて
真面目な方だったからこそ上司に従ったんだろうな
運命を他人に任せず自分の意思で動いた人が助かっています。
悲嘆にくれ引きこもる方も多いだろうと推測します。そんな中、震災の教訓を伝え続ける御両親、その想いに頭が下がります。きっと息子さんも誇らしく感じていることでしょう。災害時の行動、社員に対して業務より我が命を最優先で守ること徹底指導するべき。
あの時は本当にあんな津波が来るなんて全く想像できなかったし、
それ以前にあの大きい震災直後のパニックでそれどころでもなかった。
あれから12年になりますが、次が起きてほしくないけど起きた際は冷静になって身の安全を守れる行動や連絡ができるようにしたい。
宮城県民です。お父さんお母さん自分達をを責めないでほしいと思います。これからも後世に地震の知識を色々教えてあげてください頑張ってください😢
当事者です。今日で12年と言われますが、そんな簡単な事ではないです。。。苦しくて、切ない思いです。
お母さんの言われる通りです
津波の危険が有れば少しでもより高い所へ避難するべきです そこに上司も部下も無いです 全員一律被災者なんですから
より高い所へ高い所へ避難して
もし何てこともなければ「大した事無くて良かった」と笑えば良いんです
聞いてて苦しくなる親の思い亡くなった健太さんの思い
助けられるはずだった。
助けられただろう。
って思いは苦しむ。
震災被害者や遺族に対して侮辱的な言葉を放った高校生には本当に憤りを感じる。
トップの指示が人々の命を左右してしまう。これは大川小学校も同じ。命を守る行動を最優先できるよう大人が何度も学び直ししなくてはいけない。
お母さん、ご自分をどうか責めないで下さい。誰だって変わり果てた子供を見るのは辛いです。健太さんもわかってくれているはずです。
宮城県民です。あの日 暗闇の中 ラジオから “ 海岸に遺体がたくさん・・・”とのニュースを聞いて なんで?どうして? と思ったこと忘れません。地震から3日後 電気が通り映像を見て その意味がわかりました。あの時は 津波の怖さを知る人が少なかった、想像していた津波じゃなかった。家々が簡単に押し流され町民の目の前から町が一瞬にして無くなる、誰もが唖然としました。今では津波の怖さがわかりますが、あの当時 20mの津波がどんななのかわかっていれば・・・皆逃げたのに。と思います。
緊急事態の時ほど冷静にならなければならない。誰のせいでもない。パニックになって間違いを選んでしまうのも無理もない。人を信じず自分を信じて行動した方が悔いも残らない。
上司に刃向かって高台で避難したら助かったけど、大した津波にならなかったら出世コースから外れて窓際。上司もまさかあんな大きな津波が来るとは思わなかった。津波てんでんこと言われるように、避難は点でバラバラで責任問われない意識改革が必要だと思った。
無念の思いが、悔しい思いが、胸を締め付けられます、生きてるかぎり忘れる事なんて出来るはずがない、ただ息子さんは今お父さんとお母さんの胸の中で共に生きてらっしゃるとそうお伝えしたいです、だからお身体に気をつけられてそして少しでもお心が安らかになります様に祈っております。
平成の終わりに生まれた我が子達は、東日本大震災を知りません。
毎年、3/11が近づくとこういう事があったんだよ。
災害の時は自分の命を1番にすぐ逃げようねと、伝えていこうと思います。
警察官や自衛隊員、消防士になりたいと言われたら、覚悟を決めるまでですが...
命をかけて産んだ子供が自分より先に死ぬこと、変わり果てた姿で対面してもしなくても辛い思いをするのは、自分が死ぬのの何倍もつらい。
これからも、健太さんの分まで、健康で長生きして下さい。私も、いつか宮城県に来た時は、2人から命の大切さを学びたいです。
いつか2人に会える日を祈ってます。
3.11でお亡くなりになった
皆様のご冥福をお祈りいたします。
今日で12年あっという間。いまだ行方不明の方々もいる。あの津波は誰にも予測出来なかったでしょう。いつもの地震なら津波もあれほど大きくなかったでしょう。今まで経験した事のない地震だったから災害も大きかった。あの日を忘れないで、あの大地震もきてくれるなと思いながら日々過ごしています。
毎年3.11付近に震災関連の動画を見てあの日を忘れないようにしています。
動画を見て、健太さんは同じ大学出身で一つ下の後輩であると知りました。同じ学び舎で学んだ人の中にも犠牲になった方がいらっしゃるのだと思うと、本当に胸が痛いです。
ご両親の活動は、きっと日本の未来のためになっていると思います。どうか自分を責めず、今の活動に誇りを持って健太さんの分まで元気に過ごしていただきたいです。きっと健太さんも天国から応援していると思います。
お母さん。申し訳ないとかないよ。。。健太さんそんな事思ってないですよ。。。
こんなに辛い事もあった
方達の胸中苦しいです。。。
けんたさん。
生きてたら、37歳~38歳ですか。
同じ年齢ですね。
高台に行ってたら助かった可能性もあったろうに。
無念です。
自分も、熊本で地震を経験した。
津波こそなかったが本当に怖かった。
命は尊い😢ですね
亡き骸と対面できないのはとても辛いですね😢
先日、沖縄で人生初の津波警報を聞きました。実際、津波は30cm以下だったようですが、企業が率先して業務停止・避難指示・従業員家族の安否確認のための職場離脱を指示していたことに驚きました。そのお陰で、街中の人々も危機意識が働き、多くの避難行動に繋がっていたのを目にしました。危機意識の弱かった私もその集団行動に後押しされた1人です。
一連の出来事を振り返り、3.11の教えがこうやって後世多くの命を救くっていくのだと思いました。
ありがとうございました。
亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
行員の生命より終了業務を優先させるあたりが、この銀行らしいと言える。
地震の翌日すぐに、内陸の業者を使ってシートで支店を覆い隠させた。
隣の建物から行員が流される様子を撮った人は動画を公開できなかったしね。
すみません。お尋ねしたいのですが、なぜ銀行はシートで建物を覆い隠したのですか。
現金が盗まれるかもしれないということでしょうか。
この銀行の会社方針なのかぁ
まさかあれだけの波が来るとは誰も想像出来なかったのもあるけれど。息子さんは高台に逃げたかったと後から聞いてしまえば必ず後悔してしまいますよね。何とも複雑な心境になりますよね
我が子の死を認めたくなくて捜してた親御さん達が10日すると遺体を早くみたいに変わるの、想像しただけで胸が痛い
この地震があった時わたしは小学生で、
津波って砂浜までチョット波うってる位のもんだと思ってたから怖いって意識が全くなかった。
でも東日本大震災が起こってテレビで津波の映像が流れたのを見て
津波は人の命を奪うものなんだって初めて思いました。
日本にとってこの日の出来事は一生忘れてはいけないことだし、
私みたいに同じことを思った人は少からずいると思います。
この日を忘れないように。守れる命は守れるように。
自分の子供、孫、ひ孫にも伝えていきたい。
以前女川で遺族の方とお会いして話を聞く機会があったけど今思うとその方は田村さんでした。こうした惨事に対し関係者はできる限り当日の状況説明を行い、再発防止に努めなければならないのに遺族ときちんと向き合わず保身や責任逃れに終始するからさらに苦しむ結果になる。
この銀行の支店長の責任大きいね。こういった危機管理に際しての危機管理マニュアルは作り直さねばならない。昔々軍隊から帰った人がよく言ってましたね、「バカな大将、敵より恐い」って。
銀行員であるの前に一人の人間なんだから、災害などの非常時に上司も部下もなく、人に指図されるいわれは無い。精神的に洗脳されてるか寝たきりの人以外は自力で判断し行動出来るのだから、自分の命を守れるのは自分だけ。もちろん意味不明な指図をする人間の責任も重いが、その指図を素直に聞くか反発するのかも最終的には自分で判断した訳だから、必ずしもこの支店長のみを責めるのも違うとは思う。日本人の生真面目さは素晴らしいことだが、時に仇となる。
またマニュアルというものがそもそも非常時には適さないので作り直すというよりマニュアル不必要。
マニュアル通りでないから非常時な訳で、マニュアルに固執することによって考え方が狭まってしまうことがある。
ひとつの事象に対してならば対策は固めやすいが
例えば、地震×津波×台風×雷なんてこともあるかもしれない。
そんな時に津波だから高い場所に行けば安全かというと、向かった先の高い場所が土砂崩れや火災などで安全でないとなってしまう場合もあるかもしれないからね。
不測の事態に対して、マニュアルにするなら絶対にしてはいけないことだけを明確化することしか出来なくて、対策に対しては臨機応変としか言いようがないのが非常時。自分の感覚、判断を信じて行動するのみ。
当時まだ幼稚園児でこんな大惨事が起こっているなんて思ってなかったです。
ニュースばかりで好きなアニメ流れないなと。
津波の講習会が学校で何度も行われていましたが、高いところに登れば大丈夫と。
それだけで大丈夫とサラッと聞き流していました
このような気持ちで講習会を開かれていたと思うと心が痛みます。
辛い中後世に伝え続けてくれてありがとうございます
きっとこういう事は当時、いっぱいあったんやと思う。
色んな所で「高台に逃げよう」って声を上げても、上の人間がそれを否定し続け、助かるはずの命が奪われた。
結果論でしかないから上の人間を責めることは出来んかもしれんけど、被害者遺族は責めてしまいたくなるやろうし、そんな事は綺麗事でしかないけんね……
南海トラフで同じ事が起こりそう。
私の住む所は大津波の心配はないって言い切る人多くて……
1人でも声を上げていこうと思います。
仕事なんか腐る程あるんだから命を大切にして欲しかったな。
ご遺体をまだ探してる家族もいて見つかったんだから抱きしめてあげれば、って自分を責めてしまうよね😢悔しい
宮城県女川町出身です、当時8歳でした。津波でお父さん、長男は亡くなりました。
どうして上司は屋上に行かせたのか、どうして早くここから出て高台に行けって言わないのか、上司ならこれからの若い命を守らなくちゃいけない立場でいいから逃げろって言わないのか、もしかして上司は生きてるのか?上司の言う通りにしないと、命がかかってるけど死守しなくちゃいけないのか?後から責められるのか?こんな大災害に、自分の命を守るのは上司じゃない、ほんとに自分しかいないし、上司より家族じゃないのか、身につけた物で確認するって何故なのか、疑問ばかり。
当時は、陸上自衛隊にいました。
九州から気仙沼に派遣され、1か月ほど滞在しておりました。
街をいくら綺麗に復興したとしても、
心の復興は、今でも続いてる。
ご遺体の姿も私も拝見しました。
親子さんの心中は、私の想像を絶するものだと思います。
そんな中で、こうやって情報を発信して、
「次の世代にバトンタッチしていければ」
と仰る姿を見て、本当頭が下がる気持ちでした。
本当に応援しています。
頑張って下さい。
おっつー!笑
コメント失礼します。神戸からです30年近くになります。震災経験者です。亡くされたのは気持ちがわからないですが、私生き埋めでクラッシュシンドロームで足が不自由になりました。後遺症残っています。阪神大震災の時は他県から救援物資が沢山送られて来ました。私に何ができるかと考え、2011年の何年か前にも東北地震ありましたね。その時に雀の涙ほどですが、送らせて頂きました感謝の気持ちです。何日か後に役所からお礼の手紙頂きました。2011年の東北地震の時は、泣いた泣いた、大泣きです。震災経験しているからこそ気持ちがわかるんです。震災の映像見る度に胸が痛いし、涙が出てきます
辛いだろうな、、
「津波なんてこない」
これはバカにしてはいけない。当時の俺ならそう高を括るに違いない。1時間ほど時間がありながら多くの方がそう思ったからあの惨事になったのもあるだろう。生かすしかない。
これからもみんなに伝えてこのようなことはないで欲しい、、、頑張ってください
あの時に20mの津波が来るとは予想出来なかっただろう、今まで経験したことがないことをどれだけ予想できたか
韓国のセウォル号沈没事故でも同じだったよね。上の者の、不条理な「その場にとどまれ」ってのがみんなの命を奪ってしまった
常識が停止しまうんだよな…
来世で 再び 巡り会えますように😢
伝えていく義務がある。被災した私たちには。
「地元の企業も受けてほしい」「親孝行のつもりで選んだんだと思う」が、どうしても、、、😞
親であればそれもひっくるめて後悔があると思いますよ。
クビ覚悟で逃げるしかない。命あってのものだねだから
状況にそぐわないルール通りの判断をする組織に従うのではなく、非常時には自分で判断することの大切さ
でも銀行員とか公務員だと絶対できないよなあ…
カスだからなw
お亡くなりになった健太さんと同い年です。
私は東日本大震災が起きてからも普通に生きてきましたが、本来なら健太さんも普通に生きていたはずなのに。
すごく悲しくなりました。
あの時赤ちゃんだった平成22年生まれの息子は今月小学校を卒業します。
今の小中学生は東日本大震災のことを知らないので、小中学校でも震災学習を積極的に取り入れて行ってほしいです。
私自身も11日に息子に東日本大震災のことを話しました。
いざ自分がその職場、環境にいたら自分の考えの方が正しいと思っていても大多数が間違った選択をしていたら行動に移すことできるのか自信がないです。
でもご両親のお話、健太さんが勇気を出して高台に逃げようと提案したことこれがどれだけ大切なことなのか身に沁みました。
これから南海トラフなど色々な大きな地震、富士山噴火など大災害もしもその時が来たら自分が正しいと思える選択肢があるならそれに従ってみよう。勇気を出してみようと思いました。
そういった判断には知識が必要だと思います。
訓練もそうです。最悪の事態を想定し、避難してみて何もなければあぁ、良かったね。と思えるように危機感を忘れないでいきたいです。
東日本大震災当時は子供でしたが今は1人の親になりました。
子供を守れるように、家族を守れるようになりたいです。
上が愚か者だと下は苦労するってやつだね。。
そして、日本人特有のみんないたら安心、大丈夫みたいな、、団体心理もよくないよ。
どっちにしろ、選択肢を相手に任せたら後悔に繋がる😢
命に関わることであれば、尚更自分で選択した方がいいと思う。振り切ってでも。😢
お母様にどれほど後悔があるか私にはとうてい理解は出来ません。
けど、けんたさんもお母さんに見つけて
もらえただけで安心だったと思います
これから生きていかなければならない
ご遺族にとって、遺体との直接対面は
心の負担をふやしねません。
元気だった姿を思い出してあげにくくなる。
なので楽しかった元気だった姿を
沢山思い出してあげて、長生きしてください
お母さん、どうか自分を責めすぎないでくださいね。いつでも息子さんである健太さんの魂はお母さんの心にありますよ。
想定を超えた災害が来たときは、結局、本能と合理性で動くしかないと思いました。
マニュアルや日頃の社会関係に拘っていると命を失うんだなと感じさせられました。
正直、自分も鉄筋コンクリート製の2階建の屋上にいれば、「絶対助かるだろう」と考えてしまったと思う
多くの命を無駄にしない様に教訓にしたい
1分1秒でも最後まで、1cmでも高く登る
息子さんに申し訳ないなんて
思わないで‥お母さん‥
全国の子供がいる母親なら
その気持ちがわかるから‥
申し訳ないって思う気持ちも
でも、気持ちがわかるから、そう思わないでって私達は
声をかけたいのよ‥
お母さんも銀行が避難場所が徒歩1分の場所にあったので諦められないんでしょう。。。
海の飲まれてしまったんでしょう。。
なぜ1分の避難場にいかなかったのか、よくわかりませんけど。。。まさか自分たちが死亡するとは思わず過信していたのではないでしょうかね。。
亡くなったことを受け入れ毎日健康で息子さんの分まで長生きしてください。
震災……
明日で12年
もう2度と経験したくないです
あの日高校生で自宅に帰ってきた途端巨大地震そして停電
寒い冬の日だった
沿岸にいた親戚と話が取れたのも大分あと
しかし親戚の旦那さんは行方不明になり
数ヶ月後見つかったが………
帰らぬ人となってしまった
未だに受け入れられないし
夢なんじゃないかとも思ってしまう
助かった命だからこそ大切に生きて困ってる人のためになる仕事をしたいと思い医療につくことができた。
複雑な心境です。
皆さん命や他人を大切にして
時にはその人の声にも耳を傾けてください。
地震がきたら高いところへ逃げる
ではなく、ただ単に高いところだと
建物なら倒壊する可能性、山ならがけ崩れする可能性もあるので
場所によってどういう避難をするべきかを調べておくのが一番です
泳ぐ!
宮城県民 震災の時はいわき市四倉で地震 津波も間近まで来てましたが何とか逃れた。身近な人は失っては居ませんが津波で亡くなってる方が居るのは同じ様に辛いですね。12年早く感じてます。でも忘れては居ません。二度と見たくない光景です あの時の事は忘れません
でも屋上なら安心だと思うよな
この地域で震災以前にどんな前例があって、どこまで津波が来たかを知らなかったら、わざわざ山まで行こうと思わないもん
銀行なんて保険掛けてるんだから、どーにでもなっただろうに…。自分勝手でも、上司の命令を振り切って逃げてたら…と考えてたら、親として悔やみ切れ無いでしょうね。
地震や津波は天災だけどその後の指示での結果は人災だよな。
尊い犠牲の上に学んだ『自分の命を守るのは自分自身』がこの先の全ての人の教訓になりますように。🙏
支店長だけ屋上に残ればよかった
上司の命令で……書類確保? 逃げれる山は直ぐそこに……助かるはずだった命……親としてはいたたまれない、何かをしてないと崩れてしまいそうなんだろうね……
ご遺体も戻られてない……
他にもまだまだ行方不明な方々大勢おられる事を忘れてはいけないと思いました。
頑張れ✊‼️
災害が起これば仕事よりも自分の命を優先させる!
涙が出ます
行員も全員亡くなり支店も津波に沈んだら、何も守ってないし。
ふと大川小学校のことを思った。あの津波で助かるはずの命はきっとたくさんあったのだろうと。てんでんこですね。徹底するべき。
沿岸に住むからには、津波は考えなければいけない。常日頃から家庭、学校、職場で話す事が大事だと思う。次は、次こそは皆逃げて欲しい。
地元に戻ってきて欲しいって言わなければ…って後悔してるだろうな😢
はっきり言って「七十七銀行の対応が悪かった」が原因。二階に避難しましたではなく「もっと高い所に逃げよう」の一言があれば助かる人もいっぱい居たはず。
だって津波の到着まで50分の余裕があったのだから・・・本当に無念。
社会人として上司の指示は絶対だったのか?
命がかかってるんだから社会人どうこうより、一人の人間として自分の命を守る行動を取るべき。
おっしゃる事は正しいと思います
でも自分が実際に同じ状況になったら…おっしゃる通りの行動ができるか微妙かもしれません
正直な気持ちです
Heart breaking......
そうなんだよな、当時はなぜ高台に行かないんだ?って人がいたから犠牲が多かったんだよな
おれは塩釜ですぐに高台に逃げれたけどなぜだったのか、、
後悔しかない
まさかそんな津波が来るとはって感じじゃないあとは日本人特有の集団心理だろ
こんなところまで津波が来ると(多くの人が)思っていなかったのでしょうね
不祥事という捉え方をしてしまうと恨みや怒りから逃れられない気がする
おかしいと思ったら言える人
それだよなぁ
非情だけど、結果論だよ。
まさか建物の高さを越える津波が来るだなんて思わなかっただろう。
確か女川は1960年のチリ地震でも津波の被害を受けていたはず。
日本どこでも地震はおこるけれど、台風の通り道、豪雪地帯、津波、、極力天災のリスクが高い場所を避けるというのも、生き延びる術かと思う。
ここまで大きな津波が来るってのは当時の多くの人が想定外だっただろうしね。
立派な日本の希望達が失われてしまったんだな
大川小学校の例(目の前に高台があるのに教師らが児童を校庭に留めおき逃げ遅れ7割近くが亡くなった)では、遺族らが証拠を集め実証実験などを行った結果、裁判で勝訴していました。
多くの被害者が未成年だったからこその判決ですが、問題の構造としてはこの銀行も同じですよね。
過労死にも似ていて、たとえ成人でも狭い縦社会の中で自分で考えて逃げる判断を下すというのが如何に困難か。
上司の拙い判断に巻き込まれないためにも、正常性バイアスとか同調性バイアスとかは頭の片隅に入れておきたいと強く思いました。
大川小学校は校庭に留まるだけじゃなくてその後、海側にある高台に避難しようとさせた。津波が来ているという情報まで得ていたのに海に突撃させたんだ。逃げ遅れじゃなくて死にに行ったようなもの。
目の前に海
後ろには山
自分を信じるしかないなぁ
石巻、女川はホントに海面が陸繋がり満潮には海水が溢れてくる
企業なら避難場所はきちんとしておくべき。命てんでこで1人でも動けば助かるべき命もある。勤務時間で上司の指示もあり従うという風習が根強いと逆らえない。それより命優先にしていかなければいけないとおもう。
息子さんの判断は正しくその通りにしていれば全員助かったと思います。これは企業の判断が招いた悲劇だと感じます
自分の人生舐めプしたらいかんってことよね。平和が続けばいつかは忘れ行く災害だろうけど少なくとも経験した我々は忘れちゃいけない。全力で生きましょう!
この件は又同じ犠牲が出る。何故誰かの指示通りにしないといけないか?自分の命は自分で守る、誰かの指示では無いという事を学んだ。ここまでは津波は来ない、大丈夫と言う声に従わない様に。想定を超えたら命を失う。
年上や年配が正しいといった日本の悪い構造をみなおすべき機会にみえる
昔の飛行機のパイロットの話になりますが、
先輩パイロット(事実上:上司)が墜落に繋がってしまうかもしれない間違いを犯した時に、後輩が気づいていたとしても強く言い出せずにそのまま墜落すると言う例が後をたちませんでしたね。。。
こんな前代未聞の出来事だと尚更何が正しいのかワケわからなくなってしまっていたでしょう。。。責めるのは簡単ですがその場にいなければ分からない事はたくさんあると思います。
海の様子を見てろと命令した上司さんもそうですが、自分の身を危険に晒してまで津波が迫ってきてる様子を動画に納めた人たちが居るくらいなので、皆津波を甘く見すぎていたんですね。
二度と同じミスが起きないように、伝えていくしかないですね。。。
お母様の気持ちよくわります。残念です。悔しいです。
高台あったのに、、大川小学校も、銀行も。
私も、女川支店で、知り合いを亡くしました
8月に、ご遺体が確認されましたが、それは
帰って来てくれて、ありがとうと、悲しい現実です
時は、流れないのです🌸
言い方が悪くなりますが、判断力に乏しい小さい子供ならまだしも、こうして自分で判断できるであろう成人している大人がその時の指示で命を落とす。遺族は怒りのやり場所がなく、その指示を出した人を恨んでしまう。
こういった事が繰り返されるなかで未だに避難訓練は誰かの指示がでてから避難したり、毎回同じ避難場所で同じルートだったりして応用がきかないまま「訓練してるから大丈夫」という間違った安心感を植え付けたままって言うのが今の現状。
確かに避難にはリーダーは必要だとは思う。でもなぜ必要なのか?と聞かれればいろいろ理由はあるけれどパニックになる人をださないって言うのが大部分だと思う。なぜパニックにならないように落ち着かせる必要があるのか?と聞かれたら避難行動に影響がでるからという事が1番大きいかもしれない。大勢が勝手に動き非常口に殺到すれば人の流れは滞り避難に悪影響がでる。そして同じ避難場所にでた場合は点呼等で安否確認はしやすいかもしれない。
でも実際は人間誰でも最後は自分が大事であり、その焦りやパニックは当然起こる。落ち着いているように見えても焦っている人も多い。
じゃあこれを当たり前で起こりえる事として考えていくと、非常口は大きく開く物にする。非常口の数を増やす。こういう準備が必要になる。先程も言った通り毎回同じ避難経路が通れるとも限らないから、非常口の
数が多い方がいい。避難者が分散されればある程度殺到しても大きな非常口なら避難に影響がでる確率も下がる。各出口ででた人数を数えて、あらかじめ決め置いた第2の安全な集合場所に人数を報告する。これらができるように訓練した方がいいような気がする。
耐震補強で建物丈夫にする工事は今では当たり前になってきているが、非常口の見直しはまだまだ不十分。数少ない狭い非常口に統率力ですんなり避難する方法を見直さないといけない。