「なぜ多くの人が逃げ遅れてしまったのか」東日本大震災から13年…住民100人の避難行動を映像化 浮かび上がった“危険な避難行動” 生死を分けた津波避難の教訓【テレメンタリー】
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- เผยแพร่เมื่อ 21 พ.ย. 2024
- 東日本大震災で大津波が押し寄せ、被災した全国の自治体の中で最も多い約4000人が犠牲になった宮城県石巻市。
なぜ、これほど多くの人が逃げ遅れてしまったのか。
その理由を明らかにし、津波避難の教訓を後世に伝えようと、震災伝承団体が、生き残った住民約100人に当時の避難行動の調査を実施し、あの日の住民の動きをCGで再現した。すると、多くの住民に共通する危険な避難行動が浮かび上がってきた。
東日本大震災から13年。大津波を経験した住民の証言から、命を守る避難行動を考える。
ナレーター:鈴木奏斗(khbアナウンサー)
制作:東日本放送
#東日本大震災 #津波避難 #宮城県石巻市
【テレメンタリー】テレビ朝日系列の全国24社が共同で制作するドキュメンタリー番組。
週替わりで各局が制作を担当し、独自の視点で制作しています。
※地域ごとに放送時間が異なります。詳細はHPをご覧ください。
www.tv-asahi.c...
10:10 本当にこの方が言っている通りで、能登の地震のとき家族バラバラの場所(みんな海沿い)にいたけど普段から母が「津波が来たら自分だけでも高台に逃げること。自分で自分の命が守れたらまた家族みんなで会えるよ」と言ってくれていたおかげで津波到達の頃には全員避難できていました。
東日本大震災の教訓がかなり生かされてると感じますね。
東日本大震災の時は、一旦避難したものの、家族の安否や家の状態が気になって、家に戻った時に津波に襲われて、、、ってのをあちこちで聞いたので、我が子には「津波の避難誘導があったら、すぐに高い所に逃げろ。必ず父か母のどちらかが迎えに行く。どこにいても必ず迎えに行く」と伝えています。
そういう場面に遭わないのが一番ですが、災害はどこでも起きますからね。。。
あなたとあなたの家族が無事でほんとに良かったよ
日頃からそれぞれどうするか決めておくことが重要だと気づかされます
津波てんでんこ という言葉がありますね
被災地の者ですがやはり、家に通帳を取りに行った、家に家族を迎えに行った(家族は避難していていなかった)、コンビニに電池や懐中電灯を買いに来たお客さんと対応していたてんいさん、全て津波で亡くなりました。
家族や職場の人、友人などとは定期的に災害が起きた時どうするかどこに逃げるかなど話し合っておいた方がいいです。
自宅が高台にあって無事でも本人が津波を見に行って亡くなった方もいます。
みなさんが命を守れる行動ができますように
12年前のことですけど、日本ってまだ通帳があるんですか?海外居住ですけど通帳ないです。ほとんどネットです。ATMのカードの再発行もネットで出来ますし。一つでも家に戻る要因を減らした方がいいと思って書きました。ご家族のことも最近はスマホで確認出来ますし、当時とは状況が違うと思いますが。海外から日本の銀行に連絡するのにメールで対応してくれないとか、日本の銀行って本当にもっと努力するべきだと思います。メールで何故対応してくれないで電話でないとダメなのかと聞いたらハッキング防止のためって、そんな銀行のインターネットバンキングは危ないと元SEとして呆れます。イマドキZoomもあるし、むしろ相手の動画が取れて犯罪だったら、捜査しやすいと思うのに。
コンビニ店員とか、自由に逃げていいか分からず可哀想だよ
@@白浜愛-l2o私もそれを考えます。でも店員でも教員も1つだけの命です。
マニュアル化も欲しいけど、自分を守るために逃げて欲しいです。
私の自宅も南海トラフ地震では、完全にレッドゾーンに入っています。
そして子供達もレッドゾーンの各地に住んでいますので、お互いにハザードマップを確認し合って、どこの避難所に入りそうかの予測をお互いに知っておかねばな。と改めて考えさせられました。
@@白浜愛-l2o 結構お店の方などはそういう対応で逃げれず亡くなったそうです…。地震の時のお店や公共施設の避難誘導などマニュアルができればいいのですが
通帳、紛失したって再発行できる。口座番号の失念や印鑑紛失でも、後で金融機関でどうにでもなる。そういう事を知っていたら、通帳を取りに戻らなかったかも。命あっての物種なんです。命の危機を前にしたら、小事なのです。
いざという時には、日頃から固執している事柄を総て手放せるような精神が必要なのかもしれない。固執してしまうから、迷いが生じて判断を誤る。
津波の犠牲者たちが命をもって遺した教訓を決して忘れてはならない。
2万や1.8万という数字で語られることが多いけど、100人の方が逃げ惑う当時の再現を見ると、実際にそこには本当に多くの人命があったことを改めて思い知らされました
亡くなられた方のご冥福をお祈りしたいです
校長が有能で本当によかった
ありがとう^^
同じ市内の学校どうし結果が全く違う
@@atsushimito7356
校長が不在だったらしい。この差が大きく反映してしまったようだ。
@@daiginahitotomodachiyori校長がいても●能なら関係ないっしょ
俺が知ってる校長は一人しかいない
珠洲で被災しましたが、津波は頭によぎった。でも目の前で家族が家の下敷きになっている。というところで助けることに全力だった。津波来たら死ぬと思いながらもとにかく助けないとと、逃げませんでした。幸い津波はギリギリまで来なかったですが、1分での避難は結構大変。
三陸沿岸に住む人達は小さい頃から 「地震が起きたらまず高台に避難」 を繰り返し教わってきたはずで、「それでも避難せずに亡くなられる方々がいるのはなぜ?」 ということを検証・周知するこういう番組はとても価値があると思いました。
個人的にも 、自宅兼店舗に住む方々が高確率で亡くなられているというのは初めて知りました。「何も持たなくて良いからまず避難」 も、現実に災害に直面すると想像以上に難しいんだろうなと思います。胆に命じると共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
通帳が流されたら金は無くなるのだろうか❓
@@美智子-p1r現金は厳しいかもですが、通帳やカードは大丈夫じゃないですかね?
普通に小学生数百人を、発生からたった15分で集合・点呼・連絡・避難開始までいくってすごすぎるでしょ。
避難訓練を毎年実施していたからってことが大きいでしょうね。今では、ストップウォッチで時間を図ったりするそうです。
凄いですよね。
東京の小学校に通っていたのですが、毎回ストップウォッチで測っていましたね。
それで今回は何分でした。この前より早く避難できていました。的な話を聞いて避難訓練はおわります。たまに予告無し訓練といって、いきなり警報が鳴り避難という訓練もありました。3.11以降に入学したので、強化されたのかもしれないですね。
そこが全体主義の日教組の底力ですよ
私のいとこ家族は地震後津波が来るとは思わず家の中の片付けをしようとしていた親を引きずって避難所に取り敢えず行こうと避難して無事でしたが、ご近所さん達にも声をかけたけど、片付けしなあかんからと残った人達は津波で亡くなったそう。震災2年後に従姉妹を訪ねて実家のあった場所に連れて行って貰ったけど何にも無かった😢ホントに何にも。。。
まぁ、要は、「津波警報、避難勧告をシカトしてた人が亡くなった」って話に過ぎないのよね
思っても誰も言わない事だけど
@@芹澤藍葉 ??この動画をみてその感想???君やばいね。 それを踏まえてこうしようって動画だろ
@@芹澤藍葉
いるよね。
こういう俺ってみたいな奴。
愛されてないんだろうなぁ。
津波の危険性のある地域では「絶対に海の方へ戻るな」と呼びかけ続けることが大切かもしれませんね。
ご遺族の方々や被災された方々には、つらい気持ちの中でも取材や調査にご協力していただいて本当にありがとうございます
伝えてくださった思いは深く受け止めました
22:05の
「何で元旦に……」って言う声が悲痛すぎて突き刺さる
私も思いました
富山で津波は来ない地域ですが
本当に怖かったので
能登の人たちの心境が計り知れません
自然災害に元旦とかは関係ないからな。
10:05 「災害が起こる前に家族の信頼を深めていく」この言葉すごく重いですねえ。片付けをしたり誰かを待ったり迎えにいったりせずに家族全員がそれぞれが安全な場所に避難する、そして家族全員がそうしているとお互いに信頼して自分は安全な場所に逃げる、信頼っそういうことなんでしょうね。もちろんそうした結果、怪我で動けなかった人が津波にのみこまれるようなこともあるかもしれないけど、それでもそれが一人でも多く生き残ることにつながるんでしょうね。
23:10←「荷物を持ったとか掃除ではなくて体が大事 とにかく逃げよう それ一つ」
防災減災に関して物への備えを重要視している人もいるが、「逃げることができなければそれを使うこともできない」。
一分一秒でも早く動きはじめる。そしてより高いところを目指す。
小学校の校長のおばちゃん有能
子供たちが避難してるの見て自分も避難しようと思って救われた人も沢山いるんだろうね!
1000年前に大津波があった事を先人達は後世に伝えて来た
それをよく理解してない方が沢山いたのはとても残念ですが、また1000年後の方達に伝えていく事が大事だと思います
つい先日に石巻市行ったけど、海岸沿いはすげー綺麗に整備されてた。経緯を知ってるから何とも言えない気持ちになったな。
地震が起きるたびに津波の事をニュースで伝えるけど東日本大震災までは「津波なんて大した事無いやろ」って思ってたからね
はっ?東電や自民党が津波の高さを15.7mから5.7mに歪曲して流布したからで。
1993年北海道南西沖地震な奥尻島の津波被害は知っていた。翌朝のTVで島一面が瓦礫で埋まっているという空からの映像を。
2004年スマトラ島沖地震も同様。浸水したホテルの映像。どちらも、事後の映像だったから、大型台風での河川氾濫や洪水のようなイメージでしかなかった。
海が真っ黒でとてつもない高さの壁で上陸すること、河川を遡って平野を舐めていくように浸水していく様をリアルタイムでTVで見て、初めて津波の恐ろしさを知ったと言っても過言ではない。
生涯を通して忘れられない天災だった。
@@janesmith6650 20年前30年前と違って皆が情報発信者になっていることがかなり大きい。事実の伝わり方が段違い。
@@janesmith6650 私も1993年の北海道奥尻島地震の津波を思い出しました。あの時のニュースを覚えてた人はこの東日本大震災の津波から回避できたと思います。それでも、これだけの犠牲者が出てしまったのは非常に残念です。😢
ホントそれな
正直なめくさってたよ
東日本の時はテレビの前から動けんくなってしまった
貴重品取りに戻る気持ちは、よくわかる。
火事場泥棒なんて、本当は許しちゃいけないんだよな。
13:30 逃げる準備して、がもうダメなんだよね
逃げるのに準備は必要ない
今すぐに高い所へ逃げるだけ、それ以外に何もしなくていい
「物」が惜しいか
「命」が惜しいか←どっちを選ぶのか❓💢
「物」無くしても、又作れる❗
「命」無くしたら、終る❗
貴方、貴女、どっちを選ぶのか❓
@@名無し権兵衛-r4b形見とかつい考えちゃうな、ものは後でまたとは言うが思い入れはそれしかないんだからな。
津波がくるから浸水区域に絶対行ってはいけないと頭ではわかってはいても家族が津波に飲まれる場所にいたら戻ってしまうのが人情
それが犠牲を増やしてしまう要因ではありますがあの時助けられたかもと一生後悔するかそこで一緒に死ぬかの選択に正解は無いんですよね
分かります。いくら
地震が来たとき、親が居なかったら自分達だけでも高台に逃げなさい!と子供に伝えていても、実際地震が来たら、子供達が家でいるかもしれないと思ったら、戻りますよね😢
海に近いところに住んでいる人達は、本当に苦渋の決断だと思う😢時間がないから😔
色々な事情で被害に遭われた方々の事を想うと残念です。
当時は、大混乱でしたからね。
こういう番組は、見ると辛いですが、忘れてはならない事、次に活かす為に制作されたと想いますので、関係者の方に感謝です。
じいちゃんばあちゃんもどんな事情あったのかなぁ…😢
私は石巻出身です。昨年門脇小学校に行って来ました。教室の光景を見た時子供達はどんなに怖かっただろうに本当に高台に避難して良かったと思いました。先生達の判断に脱帽です。大川小学校でもし高台に避難してたらと思うと、校庭に避難して逃げるには充分時間があったのに😢残念です。
門脇小の学区内の日和幼稚園は内陸の園児が乗る必要のない園バスで津波に(泣)
家族が心配で家に戻る気持ちはわかるな
車がぐちゃぐちゃになってるのをみると改めて津波ってのはただの海水ではないってのがわかる
パニック状態の時に、周りを気にかけられる人は本当に凄い。
みんながみんなそう出来なくても、声をあげてる人の言葉を聞ける人でありたいよね。
12:49 年寄りの説得って難しいからね。子どもや子どもぐらい年の離れた者の言うこと聞かない人は置いていっても仕方ないんだよ。
年寄りでここまで津波は来ないから避難しないって言う人は置いて行っても仕方ないと思います。私の親戚が名取市のほうでしたが、じいちゃんが頑固で避難しないので高校生の孫がいったん避難したのに迎えに行ったそうです。それで二人とも津波の犠牲に。いまもお嫁さん(孫の母)は、ばあちゃんにチクチク言うそうですよ。あのときじいちゃんが避難してくれてたらって。
@@esda1748義母さん酷すぎる…涙
逃げ遅れた人達だって、こうなると判っていればすぐさま避難していただろうから、地震では大津波が起こり得ると繰り返し啓蒙し続けるしかない。
この震災で「正常性バイアス」という思い込みの危うさを知った。現地でお話を聞かせてくれた方々は「このような思いをするのは我々で最後にして欲しい」とよく言われたが自分たちはどこまで本気で受け止めているのか考えさせられる。
動画をみて「この人はこうしてギリギリ生き延びられたんだから、自分にも奇跡は起こるだろう」とどこかで考えてる自分自身に気がついて、救いがたいと思ってしまった。自分のような人間が有事に命を落とすんだろう。助ける人探す人に負担を掛けない、それだけのためにも逃げなければならないと肝に銘じた。
@@7gfkkgcvbnj気づいているのはすごいですよ
今もどんなに辛い思いをされている方がいらっしゃっても、身近に被災された方がいない人は簡単に忘れてくから、本当にこういう動画としつこいくらいの声がけが大事。。
貴重な情報を有り難う御座います。
拡散するべき動画だと思いました。
現在、かなり多くの方々が大地震や津波に不安を抱いていると思います。これこそ、教訓であり、海沿いに住む方々に見せるべき動画だと思います。
13年経ったいまでも、あの日の事だけは詳細に覚えている。これは一生忘れる事ないんだと思う
津波は危険って昔から聞いてた。わかってるけど、映像見てまさかここまでとはと、当時思ってました。実際の現場に居合わせたら、わかってても逃げられないかもしれない・・・
そうなんですよね。
当時テレビであの津波を見ても信じられなかった…
実際に遭遇したら冷静な判断はできないと思います。
生きていれば会えると希望を持って全力で高台に逃げるしかない
自分が地震の時に思った教訓
「年寄りの言う"大丈夫”だけは1ミリも信用するな」
100年単位で発生するものをたかだか8〜90年程度の経験則で計れるわけがない。
急にこんな津波に来られてもパニックになるのは仕方がない。
当時の、校長先生素晴らしいですね。
別の小学校では裁判になったんだけど どこでしたっけ?
@@iraqjapan 大川小学校ですね
@@esda1748 有難う御座います。そこが動画に出てくる校長さんの担当校だったら 違う結果になっていたのかなぁ・・・と
一言で言うなら津波を舐めてた、これに尽きる…実際俺もここまで津波の被害出るとは思ってもみなかった
経験してなかったわけだからね
これほどの絶望的な災害になるとはほとんどの人は思ってなかったはず
夜中に津波がきていたら一体何倍の命が奪われただろうか
夜10時17分発災の北海道南西沖地震で奥尻島の島民の約4%強が津波(一部火災、土砂災害)の犠牲となった事を思い出します。
夜中の方がよくないですか?
日中に仕事や学校で家族バラバラよりも、夜中であろうと全員揃ってた方が避難は早いよ
家や家族の心配する時間が避難を遅らせる
@@mihom8640停電で身動きとれない、とれても着替えや用意に時間がかかる、夜中はタクシーもバスも動かないから足がなくて詰む、津波がきていても目で確認できない可能性あり。早朝ならまだよかったかも。
@@みるく-w8l 昼間でもタクシーやバスはダメですね
歩ける人はとにかく走って逃げましょう
夜なんか停電する中で津波が見えるわけない。足元も見えない危険だらけ
しかも寝てる人や平和ボケで避難する人も少なくなるから一家心中するわ
ものすごく有意義な特集でした。
こうしてデータでみると、自分がいざという時にどういう行動をとるかイメージもできるしいざという時にどうすべきか対策もできます。
災害を単なる悲劇で終わらせずに、そこから学ぶことが大切ですよね。
だけどもうこんな辛い思いはしたくないですね…。
良い番組でした。
自分達がリアス式海岸に住んでいる自覚を持つことが必要だと思った。高校の地学の先生がリアス式海岸のところは危険⚠️だからと何十年も前に言っていたことを思い出す。
空前絶後の津波ですよね
いま見ても、絶望感があります
校長先生の指導が素晴らしい
普段からきちんと訓練することは大切だとあらためて思いました
津波なんて来るはずがないという思い込み、これに尽きるんだよな
明治三陸津波で38mの津波が来てたのに「来るはずない」訳無いやろ。
愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ。
吉村昭『三陸海岸大津波』を読んで痛感しました。教訓は無視しちゃダメ(´;ω;`)
@@豚丼太郎実際これほどの津波をこの時まで日本で経験した人なんて1人も居ないし広い場所で余震に気をつけながらいつも通り逃げるか…って思う人が大半やったやろ特にテレビとか見てない人にとっては
それな、チリ地震だかで津波来なかったからと油断してた人逝ったよ
東日本までは津波があそこまで来ると思ってた人は本当に少なかっただろうけど起きてから東日本の教訓で津波や地震の恐ろしさを知れた
だからこそ本当に東日本のことはこれから先も忘れてはいけない
先日の日向灘の地震、東北から引っ越して1ヶ月の出来事でした。どうしても東日本大震災の記憶が強く、震えながら高台に避難しましたが四国の方は大丈夫だと避難する方は少なかったです。指示が出たら逃げて欲しい。避難してなんてことなかったらそれでいい。よかったねって皆で笑えるので。逃げなければそれもできない。四国の温かい方々が同じような境遇にならずに済むようにこうして発信して、危機意識は共有していきたいです。
そうなんだよね、地震直後急にシトシトと雪が降ってきて悲しかったなぁ、寒さよりも虚しさがすごくて何が起こったんだ?なんでこんな追い打ちをかけるように雪なんか降るんだ?って
あの津波から逃げ遅れるなとか難易度高すぎ
石巻市で最も犠牲者が出たのは、被害が大きかったリアス式海岸地域で最も人口な多い都市だから。宮城県で2番目に人口が多い都市であり、市街地が海岸付近に集中していたのも大きい。
逃げる車の渋滞に巻き込まれて、犠牲になった人も多いという。
勿論人口関係なしに避難方法の確立は重要だが、人口が多い海岸地域にとって、避難経路の確保は大きな課題になるだろうな。
自分は被災地域のものです。
逃げ遅れた原因は、誰しもがこんな大きな津波が来ると思っていなかったし
見たことも聞いたこともなかったから。
津波に対する教育も伝承もされていませんでした。
毎回、津波注意報が出て、来ても何センチ程度の津波ばかり。
どうせまた大したことない、
それが当時の被災地の心境だったと思います。
実際、震災経験後、大きな地震があるたびに
みんな一斉に非難行動が見られます。
あの時も、みんなが一斉に非難していたら
あんなに大きな死者数にはならなかったでしょう。
普段から家族で話し合い
避難場所を決め
行動対策を決めておくことが、一番大事かなって思います。
どうしても立場の弱い世代が逃げ遅れてしまいます。
おなじ思いはしたくない。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
自分が避難するは簡単だけど家族がどうなってるか確認できないと難しいな
だから「津波てんでんこ」なんですよ
「確認」とかしてる場合ではないってことです
お互いがお互いを信じてそれぞれ避難するしかない
自分が「確認」行動とって4んでしまって、子供が生き延びてたとしたら、それはそれで子供が辛いわけですし
何十回見てもヤバい、ほんま悲しい。🙏
校長先生の指揮で子供達は助かったんですね。
日頃から家族と話し合って避難場所や行動を決めておくことは大事ですね。
我が家は海沿いではありませんが職場は海抜0メートル地域。そのときどうすべきか改めて考えたいと思います。
家族と連絡がつかなかったら、自分も絶対家を見に行ってしまうと思う。
動画の中で言われていたように、それぞれがちゃんと避難するという家族同士の信頼を深めておくことが大事だと思いました。
みんな薄着で寒かっただろうな。あの格好でどれほど過ごしたのか
戻ってはいけないと言われても海の近くに住んでいて自宅に子供がいるかも?!と私だったら戻ってしまうと思う…と言うか戻る…。
あの時間帯だと低学年の子は下校の時間と重なるし…。
これは学校や家で必ず見た方がいい〜必ず役に立つ番組!
子供が!生きるか死ぬかは!校長先生や!学校のトップ!1人の判断で、とどまる!避難する、で!分かれました、学校にとどまる判断ヲした!学校は!生徒がほとんど!亡くなった学校も有りますし!早く!高台に行こうと判断した!学校は!全員助かった、子供の判断では!学校は!避難できないのが!大きい!子供が逃げたくても!学校の校長がとどまる判断をしたら!逃げられない、子供が!裏山に逃げようと言って!学校にとどまる判断をして!結果!学校ヲ!離れて!下の川の方に避難して!その途中に!津波が来て!裏山の方に逃げて!裏山に登る生徒1人と!数人の少年だけが助かりました!裁判で完全な!学校の過失に成りました!学校の判断で全員助かるか!全員!死ぬ、と言う!だから!家族会!で学校と話し合いして!絶対に!とどまる判断をしない事を!日頃から話さないと!生徒全員死ぬなんて!時間は!有るのにあり得ない!
あれだけ東日本大震災の津波映像や番組が繰返し流され、また世界中に津波の恐ろしさを叩き込まれたと思ってました。自分自身もまだまだ自覚が足りないと感じました。日本に住んでいる以上、地震→高台に即刻逃げるよう習慣化しようと思いました。
震度7の地震に対して津波の発生の「可能性がある」と、ちょっと今では考えられないような表現が使われてるのも興味深いですね。今なら津波は確実に来るからただちに逃げるようにという言い方をするでしょう。この大震災や熊本地震を通してメディアも津波に対するアナウンスのしかたを変えましたよね。このときを教訓にして進歩したと思います。
この地域の小学校では常日頃から避難訓練は「高台へ」を基本に訓練していた。
卒業し、社会人になった人たちも学生の頃はそのように訓練していたはずなのに……
地震大国なんだから、やはり祝日のように「避難訓練の日」を設けて年1回でもやった方がいいよ
校長先生、生徒だけじゃなくて家族も助けてる。
もうとにかく沿岸部で大きい地震にあったら高台に逃げて、、
様子を見に行ったり、どうせ来ないでしょうという軽はずみな行動で何万人もの命が奪われるのは見てられない。諦めないで逃げてほしい。
9:53
「津波でんでんこ」だね。
お互いが自分の命に責任を持ち、事前に話し合いをして信頼を深めて、しっかり逃げる。
逃げ切って生きてたら、いつか会えるから。
子?
津波てんでんこ、です
てんでんばらばらに逃げろという事
「津波てんでんこ」です
緊急地震速報、防災無線多くの連絡手段があっても大丈夫 だろうが命を奪う。
今回の報道は逃げ遅れた原因の追求されて良い番組ですね。
北陸の地震には活かされていなかったのが残念です。
避難訓練の必要性、避難グッズの用意、そして何より「避難」すると言う教訓を生かして。「地震・津波による災害大国:日本」なのだから。こう言う動画こそ拡散されるべきですね。お亡くなりになった方々のご冥福を祈ります!
地震発生から逃げるまで意外と時間あったんだなって思ったけど、実際に体験したら冷静に行動できなさそうで怖い
私は当時関東住みで小学生でしたが、正直地震や津波をなめてました。学校出てしばらくしたら地震が発生して、みんな学校に呼び戻されていたらしいのですが気づかず、そのまま家に帰ってしまいました。関東で海なし県だったからよかったものの、津波があったら危なかったと思います。
東日本大震災を経験していない子たちの中には同じような行動をとってしまう子もいるのではないかと心配です。避難訓練や自然災害についての教育の大切さを知りましたね…
この記録を忘れないことや
自分の身は自分で守るしかない
生き延びれば何とかなる
貴重な資料ありがとうございます
どこで見たか忘れたけど、これを思い出した。
「幼かった私は、親に連れられて高台へ逃げていた。その途中で、何度も何度も海の方へ向かって走っていく車を見た。なぜ海へ向かうのか、逃げないのかと腹が立った。親になった今は、何故そうしたのか分かってしまった。大切な子供を、家族を置いて自分だけ助かることなんてできない。その車を運転する人達が、誰かにとってのかけがえのない親であったこと、誰かの子どもだったことが分かってしまった。」
これ「なぜ多くの人が逃げ遅れてしまったのか」と言っているけど、日本じゃなかったら津波による死者は数倍じゃ利かなかったと思いますよ。
自身や津波を知っている日本人ですら海岸から2㎞以上まで津波が来ると思っていた人はほとんどいなかったでしょう。
契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは 1000前のこの和歌を
本当の意味を知る人以外は。
あと季節も悪かった。
家毎を流されて屋根に避難したある家族が、周囲に同じように流されて屋根に避難している人達を10人以上見かけて励ましあっていたけど朝になった時に生きていたのは自分達だけだった、と言う悲痛な話は残酷過ぎました。
雪降る3月じゃ海水温も相当低いから5分の浸かっていたら低体温症で助からず、これがもし夏だったら、凍死者は3分の1以下だったと思います。
東海地震で過去に津波被害にあった地域に生まれ育ちました。子どもの頃、言い伝えでここまで津波が来たと教えてもらいました。
一生忘れずに後世に伝えたいと思ってます。
この当時の報道の生放送って津波がすぐそこまで迫っているのにも関わらず所謂「実況」だけで、避難や危険を促す事をしていないんですよね。
今になって振り返って映像を見るととても歯痒いですし、異様な感じさえしてしまいます。
その後の能登の震災ではアナウンサーの方も強い語気で避難を促すようになりました。
なにかの映像(スマホはあまり普及していない)で、高台から津波が来る方向になぜか車が行ってしまう映像がありました。行かないでーって、みんなで叫んでました。
荒浜小学校の黒板に書かれてあることを見た瞬間の人間の勇気を見せつけられたね
家族等が全員すぐに動くことができる人であれば避難場所を決めそこに逃げると話し合いはできますが、もし、高齢者や身体的にすぐ動くことができない人がいる場合は避難しなければと自宅に戻ってしまうというのはあると思います。
震災があった地域では言い伝えがあるようで逃げる人はすぐに逃げている中で油断があったのか事情があったのかも知れませんが、逃げていない人もいて残念に思いました。
どうせ来ないだろ、の油断しかない。100年スパンで来られるとどうしても危機感が薄まってしまう。
家族ともし連絡が取れて「今そこに行くから」と言うと待ってしまう。年齢が高い子どもほど待ってしまうとテレビで見ました。災害に遭って、場面によってどこを待ち合わせにするか3箇所家族で決めておかないといけない。連絡取れたら「私も逃げるから、あなたも逃げて」って言わなきゃいけないと。
やっぱり小中学校の避難訓練ってめちゃくちゃ大事なんやな
東日本大震災は色々な要因が重なってしまった結果だと思います。3.11の1週間前にも大きな地震があり津波も到達してたけど床下浸水程度で済んでしまっていたこと、地震が発生してから津波が来るまでに時間があったために戻ってしまった人が多かったことなど…港町だと漁業を生業にしてる人が多いと、どうしても戻りたくなる気持ちはわかるので
すぐに忘れられちゃうんだよな。ほんのちょっとのことで、亡くなったり、生き残ったり、
今を大事に生きよう、亡くなった人の分も、、
それしかできない、
見えない分からないが一番怖いから、見に行ってしまう。
車で幼い子供や家族を迎えに行って間に合わず亡くなった方々多いのでしょうと思ってました。
やはり後悔の思いが強い方がこれから少しでも穏やかに暮らせる心のケアをずっとしてほしいです。
こんな雪の中、何も持たずに投げ出されて、、何度見ても胸が痛いです。
実家も海岸線にあり、明日は我が身の気持ちです。
正直、お客さん居ても全員追っ払って、鍵を閉めて逃げるのが一番
?
別に津波てんでんこに限らず、目の前に起きている事が危険であると理解する事が最も大事だと思います。
例えば、平成2年の普賢岳噴火も警告が出続けていたにも関わらず危険と思わなかった人が避難せず、火砕流に飲み込まれました。
こと災害に関しては「○○の状況なら危ない」と判断するトリガーを色々と持っておく事が大事なのかと思います。
あまりにも経験したことがないことが起きたから、、
致し方ない、、、
ここまでとは誰一人思わなかった、、、
分かる人は分かってたやろ、海溝型の地震で震度7が速報で出てたし、東京ですら5強、この時点でマグニチュード8を超える地震が発生したのは確定、そうなれば6〜10m級の大津波が来るのも予想つく
@@f.sage812 わからないって
あの日ワイは北海道生まれで都内にいた
私が東北にいたら逃げてない
今みたいにネットは普及してないし地方なんか尚更だ
@@いおうジャマイカアえて確かに当時は東京がどうこうは分からん人多かったかも知らんけど、大津波警報出てたんやから海溝型であるのは分かることやん、海溝型で6強、7クラスの揺れきてるんやからとんでもない地震が起きたのも分かることやん。そもそも大津波警報出た時点で最優先で高台目指すんは当たり前のことやで
@@f.sage812当時、あれだけの地震がおきてそこまで考えられるかな?
今だからそう言えるだけだろ
日本史上最大の震災
誰がそれを予想できるのか?
@@8003MORIKAWAあれだけの地震が起きたら普通に逃げよってなるやろ、ましてや大津波警報まで出てんのに。そりゃ家族迎えに行って逃げ遅れたとかやったら気の毒やけど、まずは高台に行くのを最優先にするんが当然やろ。
日頃からの訓練、迅速な避難の他に、保護者への引き渡しを避難後の山の上で行うことにしたのも良かったと思います。
既に小学校まで迎えに来ていた保護者もいた記憶ですが、この方法により地震発生時学校にいた児童は皆無事でした。
このような報道は当時を思い出すので控えてほしいと思っていましたが15年経たぬうちに能登半島地震が起こりこのような報道の大切さを知りました。
日本は、海に囲まれている国です。
海岸沿いの土地の看板に、地震時、身ひとつで高台へ避難する!を設置すべきだと思う。
避難詳細があれば尚可
この動画を観て、地震を怖がるだけでなく、その時どう動くかを考えさせられました。
実体験しないと、自分事として
考えないのが、多数
ほんとに数分で変わったんだなと実感
家族でGPS 共有はありと思う。
でも災害の時とかうまく機能するかな…
@@七初-k9g何もしないよりかはいいと思う
被害全く問題なかったです、
ふつうに仕事から帰宅しました。あの当時はいったい…、
家族皆問題ありませんでした
行方不明者の手がかりはちからをかします、
ここから私の使命がわきました。黙祷
すまない、
今回ばっかしは
必然的にはならないか…、
来年度で皇室の方々へ、
全て決まる。
この記憶を未来永劫、忘れてはならない。
一番、重要なのは地震が来たら必ず避難する、家族で安全な場所を決めておく、それが重要である。
危険に対する意識は個人差がかなりあると思う。
経験のない人ほど危険意識は低いと思う。
西日本の沿岸部に住んでいる人たち・・すぐに逃げよう・・と思う人たちは
どれくらいいるだろうか??
津波が来るかも知れない・・と思った時、
人の事を心配しますか??それとも自分自身の事を心配しますか??
東北には「てんでで」と言う言葉がある。この意味を何となく理解した。
これが真夜中の大雪時だったら4倍は無くなってただろうね
午後2時なんて1日で最も多数の人間が起きてる時に起きたことは神に感謝しかないわ
神…😂笑
海沿いに住んでいる人は、パッと持てる荷物を作っておいた方が良いね。
地震が来てから逃げる準備してたら遅れるね😮 写真などはネット上に保存しておくと良いね。
沿岸部に引っ越し禁止にしてほしい。
もしくは、鉄筋の高層マンションのみOK
校長先生が有能過ぎる