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数カ所、岩舟を岩船と誤変換しています、失礼しました。祖母の実家の最寄駅なのにお恥ずかしい
岩船だと新潟県村上市になってしまいますね。羽越本線・村上駅の南隣が岩船町駅です。
新海誠ファンにもやられちゃいますよ
@@真喜志宏美 「秒速5センチメートル」ですね。岩舟駅以外にも未踏の市町村で最後に出た鹿児島県中種子町(種子島)・中種子高校(現・種子島中央高校)も舞台ですね。まだ中種子町には行けてないのかな?
禊として(?)岩船町駅と岩舟駅を間違えた やってください!
いつも以上に素敵な旅でしたね。ありがとうございます。ふたつのハッピーおめでとうございます!
東足利駅の近くに母方の親戚が住んでいて、毎年夏休みに訪れていました。小学生の頃です。早朝・深夜のSLの汽笛が懐かしい、65年位前のことです。
父の実家が佐野なので子どものころから両毛線にはよく乗りました。*小野寺駅で列車がオーバーランして、ホームで待っていた人たちが慌てて駆け寄る幼いころの記憶。*客車列車に乗ったとき、小山駅発車後の「この汽車には止まらない駅があります。小野寺、犬伏…」延々と通過駅を伝える車内アナウンス。*ヨンサントオで小野寺、犬伏が廃止になった、というのでその区間を通過した時「駅跡は残ってるかな」と家族で車窓を眺めてたけど、見つからなかった思い出。余談ですが、ヨンサントオ前の両毛線は一日数本の客車列車(10両!)、ほかは気動車(3両)で一日数本の「快速宇都宮行き」の設定がありました。客車列車はともかく、気動車列車はいつでも混んでいました。あの頃、両毛線を「汽車」、東武線を「電車」と呼び分けていました。両毛線が電化されて70系が走り出しても、「汽車」の呼び方は変わりませんでした。
過去の話を知ってる人に聞くって新しい発見があって面白いですよね!私も最近祖母と話をして、祖母が樺太生まれと知り驚きました。
昔の駅を知ってる人に話を聞くのは、当時を知るのにとても大切ですね。ネットにある情報は、ほんの一部なので。うちの近所にある無人駅も、40年近く前までは駅長と駅員がいて、タブレット交換をしていたと聞いたことがあります。さらに昔は、貨物扱いをしていて貨物の引き込み線があったそうです。取り壊される前の古い駅舎には、使われなくなった鉄道荷物の窓口と秤がまだ残ってました。私が小学生くらいの時までは、駅員の方がセンターに電話して、手書きで特急券を発行してくれてました。
両毛線は10年前ぐらいは115・107系ばかりでしたが、いまは211系天国ですね。廃駅情報は初めて知りました。ありがとうございます
現役路線の廃駅を巡るって発想がすごいなぁと。貴重なお話も聞けてよかったですね。
北海道みたい。
普段はネットの情報か想像をする事しか出来ない廃駅巡りも、当時の利用者から直接証言を聞けるって貴重ですよね!しかもお婆ちゃんだったなんて羨ましいです!
いまは転勤で在金沢ですが、それまでは通勤で両毛線を使用していました。こんなに廃駅があったんですね。興味深かったです。
唐突に流れる軽快なBGMほんとすこ、新しい綿貫名物ですね。お祖母様の話はとても良かったです!
残してたら便利に使われそうな跡も多いですね国鉄時代はまだしもJR化のとき復活させられなかったのは残念です
両毛線にこんなに廃駅があるとは知りませんでした。電化や複線化で駅の痕跡を追いづらい中、お祖母様から当時のお話を伺うことができて良かったですね!お祖母様、これからもお元気でお過ごしください。
廃駅が多いのにも関わらず、最近になって新駅(足利フラワーパーク)が開業したと言うのも凄いですね。
私も子供の頃、両毛線界隈に住んでました、素晴らしいお話が聞けて良かったです。ありがとうございます
8:05 立 川 マ シ マ シ10:34 ラ ー メ ン あ か ぎ
両毛線のたくさんの廃駅、結構気になってたのでこの動画ありがたいです。
学生時代は通学で使ってました。当時からすでにそれほど利用者は多くなくて、地元民は車での移動が多いため、遠くの学校に通う学生ばかりだったイメージでした。だから廃駅が多いことを知ると少子化による利用者の減少が影響してるのかなあと思いました。森高千里の歌を聞くたびにに思い出す光景を懐かしく感じました。昔とほとんど変わらない景色。動画のアップありがとうございました。
祖母様 貴重な証言🚂 「蒸気機関車は通過で気動車が停車」 ディーゼル車の機動性に言及🤔 駅 「廃止の後は歩いた。」🚶🙂
両毛線にこんな廃駅あったのかい・・・この動画見なければ全くしらなかったw
それは北海道に似てる。
下増田駅、懐かしいです。まだ3、4歳だったはずですが親戚の家が近く何度かこの駅で降りました。まだ汽車が走っていて、客車の最後部のドアが開いて、そこから後部の景色を眺めるのをワクワクしたのを覚えてます。電車だけになって当時はつまらなく思いましたが、今はその電車がこの辺りを走っていた姿をすごく懐かしく感じます。
両毛線は小山佐野足利桐生伊勢崎前橋高崎と栃木群馬の主要都市(通っていない両県の主要都市は宇都宮と太田くらい)を結ぶ路線なのに利用者は通学する中高生くらいしかいないのが寂しい
高崎・前橋はそれなりに通勤客で混みあうよ。しかも相互に通勤圏になっているから上下線とも朝ラッシュのある珍しいパターン
6万人おめでとうございます!
東足利駅のホーム跡側に親族が住んでいました。当時の面影は全く有りません。区画整理ですっかり見違えました。親族が住んでいましたのは足利銘仙の紋切り屋だったからで当時の両毛線は織物の貨物線。周辺には機織屋が密集していてガチャンガチャンと機織り機の騒音が響いていました。畳屋と和菓子屋は古くから有りましたが、文房具屋と動物病院は区画整理後に出来たものです。線路南側の文房具屋前の道が元の国道50号です。
チャンネル登録6万人おめでとうございます!
元前橋の住民です。小学生の時に両毛線が電化され汽車が無くなったのを覚えています。この時に廃止(実際には休止)された駅は全て片側ホーム一本だけの無人駅でした。結果的に交換駅だけを残した訳ですがネットダイヤを解消するために駅間が長い前橋~駒形と佐野~岩舟だけが複線化されました。前橋~駒形間は小山に向かって右側に線路を足したため東前橋駅は左側にありました。
いや~、廃駅巡り ご苦労様です。とても興味深く拝見しました。子供の頃、廃止になったもののまだ取り壊されていなかった東伊勢崎駅のホーム上にあった駅名板に、木の板が✖状態にくぎ打ちされていたのを車窓から見たことがとても印象に残っていまする!!
小山・思川・栃木・大平下・岩舟・小野寺・犬伏・佐野・富田・東足利・足利・西足利・三重・山前・葉鹿・小俣・東桐生・桐生・下新田・岩宿・間野谷・国定・東伊勢崎・伊勢崎・下増田・駒形・東前橋・前橋・新前橋。by 1960年鉄道地図
小山思川栃木大平下岩舟さの富田足利山前小俣桐生岩宿國定伊勢崎駒形前橋新前橋高崎By大正14年汽車時間表より
当時はアスファルトの道なんて無かったでしょうね。ダットラとかオート三輪が砂ぼこりをあげて走っている姿が頭に浮かびます。
今、仮に復活しても北海道や中国地方の田舎の駅よりは利用客多いでしょうね。少なくとも数十人は利用客見込めるでしょう。
実はもう一つ、足利市には公園下がありました。足利と山前の間、桜の名所として地元では有名な足利公園のすぐそばでした。
これを見て、今考えると犬伏などあったら便利な駅が多いですね、。町と一体と整備すれば、増えるかもしれないですね。両毛線によく乗るが、これを見て、かなり面白かったです。
昔の鉄道は今でいう道路だから人や荷物の積み込みが楽なように簡易なホームがあったと認識しています。
元々7番線ありました。6.8番線の思川よりに切欠ホームになってました。今は利用停止されてますけど
綿貫お婆ちゃんが乗っていた時代に、汽車と気動車で乗り場を分けたりした名残なのかな?
今は無いですがで小山⇔佐野・小山⇔足利(共に休日運休)の列車のためだったとか
@@spafarms932 かつて郵便輸送していて7番線使用してたとか爺ちゃんが言ってた
母方の実家へ行くのに、小野寺駅を利用しました。北も南も田畑でしたね。今有れば花センターまで、歩くかな?🙄
綿貫さん栃木の家系だったんですね
発行年は不明ですが、高崎車掌区乗務員発行の車内補充券を入手。両毛線の廃駅が記載してあった。追記、長野原線の太子駅も存在
亡き母が昔西足利と東足利の駅があったと話していました東足利駅は山川町のところに西足利駅は足利公園の近くにあったと教えてくれました
元地元民です。両毛線の複線化計画は今後難しいでしょうから、本数少なくて単線区間の桐生〜佐野間の駅、東桐生、葉鹿、三重、東足利あたりは復活してもいいんじゃないかと思います。高校時代駅間が長すぎて使いづらかった覚えがあります。駅舎なし、ホームと待合小屋、駐輪場で成り立んじゃないかな。
両毛線ってかなり駅の移り変わりがあったんですね~。駅好きなのですごく楽しめました!両毛線は廃駅が多い中でも最近では新駅も増えてるということで、次は東武桐生線との接続駅を作って欲しいんですよね。せっかく特急りょうもうは赤城まで走ってくれてるのに、両毛線との接続が悪すぎなのはもったいない気がしちゃうんですよねぇ・・・。あと、足利とかもあとちょっとで接続できそうなのにぃ~ってなっちゃいます。
初見でしたが身近のところだったので見入ってしまいました。東海道新幹線開業時期の復刻版時刻表で両毛線を見ると廃駅になった駅が現役で停車していたんだというのがわかりますね。
自分の育った町は、かつて栃木県足利郡の一部でしたが県境変更で群馬県桐生市に編入されたというちょっと珍しい歴史があります。沿線のむかしの様子を想像するのは楽しいですね。
菱町か。田沼の入飛駒も同様。
廃線とか廃駅って、なんでこんなにワクワクするのだろうか!
どの廃駅も車停めにくいところにありそうお疲れ様ですw
7:47 三重駅・・・かつての足利競馬場最寄り駅
両毛線って廃駅が多いんですね。知りませんでした。
所々妙な空間があると思ったらこういう事だと分かってスッキリ
下増田駅と東伊勢崎駅は復活してほしい
犬伏や小野寺はよくお世話になっている親戚の方々が住んでるので親近感湧きます。
地元民ですが、東伊勢崎駅ってもっと殖蓮小(伊勢崎駅)よりじゃなかったでしたっけ?なんか線路沿いに廃屋みたいなのがあったと思いますけど、それは違うのかな?
昔足利と山前の間に足利競馬場があったけど、三重駅があったら便利でしたね。調べたら駅が休止されてから競馬場が移転してきた模様。
現在は、日赤病院になってます。
わずか二十数年の間に、これほど大量に新駅が作られて、廃止されたというのは、両毛線くらいでしょうね。お祖母様が言っていたとおり、これらの駅に停車するのは一日数本の気動車だけだったようです。昔の両毛線は、貨物列車や上野直通の旅客列車も頻繁に走っていた幹線だったので、国鉄としては、本線並みの長い駅間距離のほうが良かったんでしょうね。今なら (特に三セクや地方私鉄だったら) ホームだけの簡易な駅舎が2~3kmおきにあってもおかしくないですね。
6万おめでとうございます
廃駅となった駅は1968年のヨンサントウダイヤ改正にて休止されたようですが、実質的にそれが廃駅となったようです。昔の時刻表に廃駅が沢山ありましたが、廃駅になった駅の停車本数はかなり少なく、おそらく廃駅のホームが短く、6両編成はドアカット停車せずに通過して、4両編成のみ停車だったのではないかと予想します。かつての水戸線の無人駅で、7両編成は通過していた小田林、東結城と同じ手法だったのではないでしょうか?
小山駅両毛線ホームは離れていて、発車ベルが鳴っていて列車にたどり着くのに焦った記憶があります。たくさん廃駅があったのは知りませんでした。
子供の頃、気動車や70系電車?に乗った記憶があります。廃駅は気動車の頃はまだあったような気がします。葉鹿駅は東桐生駅は覚えています。とにかく列車は遅くて時間がやたらとかかってました。犬伏駅は今思うと戦国時代の真田父子の犬伏の別れがあった場所でしょうか。。。
近郊電車しか走らない路線の割には駅間距離が長いので、残しておけば便利だったろうにって駅が多いですね。
両毛線、国定と伊勢崎の間に駅が復活するべきだな。特に上武国道との交差地帯に駅を作れば、スマークとの利便性も良くなりそう。
線路を共用して、低床車内精算のLRTを走らせる。ダメかな?上毛電鉄をLRT化して足利、前橋、渋川、群馬原町を結ぶなんて考えたりして。
@@kusatsu2gou708昔は軽便鉄道が高崎から前橋を経て渋川から伊香保温泉まで行っていて、上毛鉄道の前橋中央近くを通っていたが、バス転換したんだよなぁ。
@@見えないクン 沼田にも軽便鉄道の名残があります。
高崎〜新前橋の区間も、元々は浜尻駅と日高駅がありましたね
取材ありがとうございます。さて、ちょうど令和2年にJTBが復刻した1964年9月号の時刻表を見ていましたら(税込み1650円)、当時からかなりの列車(ほぼ非電化・電化は新前橋~前橋のみ)は快速天国でした。各駅停車は小山~桐生が5本ずつ、桐生~前橋9本・前橋~桐生8本ありましたが、それ以外はのきなみこれらの駅を通過しています。線内最速達が準急わたらせ(上野発小山経由高崎行き)で途中栃木・佐野・足利・桐生・伊勢崎・前橋停車。1時間31分で結んでいます。(新前橋は通過+5分程?)朝には八高線直通もあったようです。
小山のベックス懐かしい大回り乗車中の喫煙者にとってのオアシス
小山市民ですが両毛線に大量の廃駅があったなんて知らなかったです
5:00 犬伏駅跡、踏切から見た右側のコンクリ壁が駅入り口のスロープとそれに続くホームの切れ端に見えるのは気のせいだろうか?
小山駅を発着駅とする両毛線は廃駅がありましたが、同じく小山駅を発着駅とする水戸線は新駅ができました。鉄道沿線の人口は、水戸線より両毛線の方がとても多いのに。
13:52 下増田駅・・・実は、伊勢崎オートレース場に近い
幼い頃に親の実家に行く折など、両毛線は駅が多かった気がしてました。前橋大島の新設は、前橋市の市街地が東に拡がって宅地化が進んだことによるためでしょうね。車社会の群馬でも人が増えた地域は駅が出来るんですね。
下増田駅は線路の南側にあったような記憶がある。汽車は通貨で、ディーゼル車が停車。汽車が来ると嬉しかったな。
東武線側から織姫神社のほうに歩いて散策したときに見た小さい踏切が西足利駅だったとは…!
相野谷駅跡地近くに住居を構えて18年直近の駅は桐生競艇場近くの岩宿か国定と認識していましたが😅いつもの通勤路の踏切が駅跡地とは😢
高崎・新前橋間にも「両毛線」の廃駅がある。日高(井野・新前橋間)浜尻(高崎問屋町・井野間)高崎・新前橋間は、現在は鉄道要覧上、上越線の所属になっていて、両毛線は新前橋から高崎までは上越線に直通する形になっているが、1957年までは上越線と両毛線の重複区間だった。(本題から逸れるが、上越線に所属を統一したのに上越線の列車の多くが新前橋止まりに 改められ高崎へは新前橋で両毛線の列車に接続させる矛盾感…)所属路線の重複解消まで、複線ではなく上越線と両毛線の単線並列区間となっていて、上記2駅は両毛線側単線のみに乗降施設が設けられ、上越線の列車は勿論通過するし、両毛線の列車もガソリン気動車しか停車しなかった。いずれも、1937年に設置されるも1940年に廃止されていて非常に短命な駅だった。ちなみに井野は上記2駅廃止後の1944年に上越線側単線の信号場として設置され、戦後1948年に客扱いを開始したものの駅に昇格したのが、上越線と両毛線の単線並列解消の際。高崎問屋町駅は、浜尻駅の南100M程度の場所に2004年に設置されていて、東前橋と前橋大島の関係に似ている。
お婆さまの貴重なお話聞けてよかったですねー
犬伏駅は「学校かな」と言っていた側にあるコンクリートの部分がホームでした。通過する電車で高さを比べるとよくわかりますよ。駅舎はなかったように記憶しています。
小生幼少から高校卒業まで伊勢崎に住んでおりましたが、東伊勢崎と下増田という駅があったのは初めて知りました。もっとも東伊勢崎駅は小生が生まれる前、下増田駅が小生の生まれた年に廃止では無理もないのですが。小生の当時の実家は伊勢崎とはいっても、鉄道の便がほとんどない南部でしたので。
実況で楽しそうに語りますね。面白そう。
昔の時刻表で気になっていたものです。この手の駅で残っているのは会津若松ー喜多方間の4駅と、奥羽線の川部ー弘前間の撫牛子駅、五能線の五所川原ー川部間の一部に残っているそうです。やはり客車列車は止まらず気動車のみの停車だったようです。
東足利駅跡、ほぼ毎週横を通ってます。ちなみに西足利駅跡、緑橋跨道橋の向こう側に、あの「八雲神社」の1つがあります。あ、あと両毛線って必ず踏切の名前が表示されてるんですよね。おかげで全駅追跡できました。
道民からすれば廃駅にする意味がわからない立地ばかりw
犬伏駅跡地の近くにある学校らしき敷地は佐野東児童館という公共施設のようです。今の時世だと学校やフラワーパークのような集客施設がすぐ近くに無いと駅の新設(復活)は厳しいのかもしれませんね。
両毛線日中結構混むよ。学生多いからね
綿貫さん、ようこそ両毛線の廃駅巡りへ葉鹿は地元の近隣で、自分は葉鹿の助産婦院(今は無し)で生まれました下増田ですが近くに市営のサッカー施設が出来たので駅を復活させようかみたいな構想は有るようです
確かに駅間は長いですが、モータリゼーションが発達した北関東では、鉄道でニッチな需要を拾っていくやり方は厳しいんでしょうね(^_^;)
犬伏って関ヶ原の戦の際に真田親子の別れの地だったはず
身内に生き証人が居るのが凄い
これは貴重なお話ですね良かったですね私も勉強になりますね
親に聞いたら、昔父さんが子供の頃、東伊勢崎の駅があったんだよって教えてくれました。by旧東伊勢崎沿線民
乙です😊立川マシマシのマシライス(525g)旨いですよ🍛二郎系のタレ+ガーリックひき肉&山盛りご飯で二郎好きも納得の一品でオススメですぞ~😄アニメ日常の聖地巡礼で両毛線を良く使いましたよもう10年前かぁ・・
【悲報】1:43 3:45 4:14 岩船と岩舟の漢字変換を間違えた!【吉報】チャンネル登録者 60000人突破おめでとう🎉ございます!
私の母親も東足利と西足利の二駅があったことを話してもらいました足利公園の近くに西足利駅があったと言っていました
16:26地味にA36編成や(両毛線に1台しかいない211系の幕車)
両毛線だぁーーーーーーー!詳しい解説ありがとうございます!足利FP~岩宿くらいまではよく自転車とかでいくので馴染み深いですw
足利フラワーパーク駅は東足利駅の後継の駅みたいな感じと聞いたことあります
でも東足利と足利フラワーパーク4kmくらい離れてますよ
廃止された11駅、全てが1987年の4月廃止と書いているだけに、国鉄のJR再編に伴う廃止なのかなコレ…ただJR北海道の宗谷線みたいに下手に残すよりも主要駅に集約して使うという攻撃的な廃止とも取れそう。
両毛線の11の廃駅はJR化の直前1987年3月31日の廃止となっていますが、実際は両毛線の電化、複線化に際して1966年~1968年にかけて休止となっています。本来だったら電化でスピードアップするのですから、全列車新設駅に停車して利便性を上げたら良いのにと思ったのですが、そうは出来ない理由でもあったのでしょうか??
なるほど、ご指摘ありがとうございます。全然知らんかった。
1968年(昭和43年)10月1日に全線電化されて、それまで走っていた蒸気機関車と気動車(ディーゼルカー)に替わって電車が走るようになり、このときに廃止になったと記憶しています。私はよく東足利駅を利用していましたが、止まるのは二両編成のディーゼルカーのみでした。
18切符で先週初めて乗りました 伊勢崎で30分待ちでビビりました養蚕拠点を結んだのでジグザグしてますね
視聴させていただきました。最後に取り上げていた「東前橋」駅ですが,私のおぼろげな記憶(私は当時高崎在住で,駒形駅近くに母の実家があったので,何回も行き来していました)だと,動画に取り上げられていた踏切よりもひとつ東側(数百mくらい)の踏切付近,線路の北側にホームがあったと思います。途中で前橋ー駒形間が複線化されたため,下り線はホームに停まれましたが,上り線は下車できないので通過していたのではないかと思います。あるいは車掌室からハシゴか何かで下車していたかも。不確かな記憶で申し訳ありませんが,何かの足しになれば幸いです。
お婆様の話しは、大変興味深いですね
妻が足利出身で、東足利駅、西足利駅が存在していたことは知っていました。西足利駅は、妻の母が「アキレスの工場が近く(といっても数キロ離れてますが)にあって、そのためにあった」と言っていたと妻が教えてくれました。
大学時代の帰省や野球観戦の時に使ったりしてたけど、こんなに廃駅があったのは知らなかったです。全部50年代にできて60年代に廃止になってるのかな?自動車の普及が影響でしょうか?
小山駅6から8番線は切り欠きホームで7番線はディーゼル列車が止まってました。7番線は使われなくなりあるけど設定0状態。
Wikipedia開いて「停車場・施設・接続路線」の図を見ながら視聴しようかなと思ってWikipediaの両毛線の項開いたらありませんでしたあれあると便利なのに、下のほうの駅一覧の文字情報しかないんで、廃駅があることに気づきませんよね…
廃線はよくきくけど廃駅は初めてききました
時既に遅しの感多々あるが その面影を今貴殿が訪ねたことに せめてもの救いがある・・・
数カ所、岩舟を岩船と誤変換しています、失礼しました。
祖母の実家の最寄駅なのにお恥ずかしい
岩船だと新潟県村上市になってしまいますね。羽越本線・村上駅の南隣が岩船町駅です。
新海誠ファンにもやられちゃいますよ
@@真喜志宏美 「秒速5センチメートル」ですね。岩舟駅以外にも未踏の市町村で最後に出た鹿児島県中種子町(種子島)・中種子高校(現・種子島中央高校)も舞台ですね。まだ中種子町には行けてないのかな?
禊として(?)岩船町駅と岩舟駅を間違えた やってください!
いつも以上に素敵な旅でしたね。ありがとうございます。ふたつのハッピーおめでとうございます!
東足利駅の近くに母方の親戚が住んでいて、毎年夏休みに訪れていました。小学生の頃です。早朝・深夜のSLの汽笛が懐かしい、65年位前のことです。
父の実家が佐野なので子どものころから両毛線にはよく乗りました。
*小野寺駅で列車がオーバーランして、ホームで待っていた人たちが慌てて駆け寄る幼いころの記憶。
*客車列車に乗ったとき、小山駅発車後の「この汽車には止まらない駅があります。小野寺、犬伏…」延々と通過駅を伝える車内アナウンス。
*ヨンサントオで小野寺、犬伏が廃止になった、というのでその区間を通過した時「駅跡は残ってるかな」と家族で車窓を眺めてたけど、見つからなかった思い出。
余談ですが、ヨンサントオ前の両毛線は一日数本の客車列車(10両!)、ほかは気動車(3両)で一日数本の「快速宇都宮行き」の設定がありました。客車列車はともかく、気動車列車はいつでも混んでいました。あの頃、両毛線を「汽車」、東武線を「電車」と呼び分けていました。両毛線が電化されて70系が走り出しても、「汽車」の呼び方は変わりませんでした。
過去の話を知ってる人に聞くって新しい発見があって面白いですよね!私も最近祖母と話をして、祖母が樺太生まれと知り驚きました。
昔の駅を知ってる人に話を聞くのは、当時を知るのにとても大切ですね。
ネットにある情報は、ほんの一部なので。
うちの近所にある無人駅も、40年近く前までは駅長と駅員がいて、タブレット交換をしていたと聞いたことがあります。
さらに昔は、貨物扱いをしていて貨物の引き込み線があったそうです。
取り壊される前の古い駅舎には、使われなくなった鉄道荷物の窓口と秤がまだ残ってました。
私が小学生くらいの時までは、駅員の方がセンターに電話して、手書きで特急券を発行してくれてました。
両毛線は10年前ぐらいは115・107系ばかりでしたが、いまは211系天国ですね。廃駅情報は初めて知りました。ありがとうございます
現役路線の廃駅を巡るって発想がすごいなぁと。貴重なお話も聞けてよかったですね。
北海道みたい。
普段はネットの情報か想像をする事しか出来ない廃駅巡りも、当時の利用者から直接証言を聞けるって貴重ですよね!
しかもお婆ちゃんだったなんて羨ましいです!
いまは転勤で在金沢ですが、それまでは通勤で両毛線を使用していました。
こんなに廃駅があったんですね。興味深かったです。
唐突に流れる軽快なBGMほんとすこ、新しい綿貫名物ですね。
お祖母様の話はとても良かったです!
残してたら便利に使われそうな跡も多いですね
国鉄時代はまだしもJR化のとき復活させられなかったのは残念です
両毛線にこんなに廃駅があるとは知りませんでした。
電化や複線化で駅の痕跡を追いづらい中、お祖母様から当時のお話を伺うことができて良かったですね!
お祖母様、これからもお元気でお過ごしください。
廃駅が多いのにも関わらず、最近になって新駅(足利フラワーパーク)が開業したと言うのも凄いですね。
私も子供の頃、両毛線界隈に住んでました、
素晴らしいお話が聞けて良かったです。
ありがとうございます
8:05 立 川 マ シ マ シ
10:34 ラ ー メ ン あ か ぎ
両毛線のたくさんの廃駅、結構気になってたのでこの動画ありがたいです。
学生時代は通学で使ってました。
当時からすでにそれほど利用者は多くなくて、地元民は車での移動が多いため、遠くの学校に通う学生ばかりだったイメージでした。
だから廃駅が多いことを知ると少子化による利用者の減少が影響してるのかなあと思いました。
森高千里の歌を聞くたびにに思い出す光景を懐かしく感じました。
昔とほとんど変わらない景色。
動画のアップありがとうございました。
祖母様 貴重な証言🚂 「蒸気機関車は通過で気動車が停車」 ディーゼル車の機動性に言及🤔 駅 「廃止の後は歩いた。」🚶🙂
両毛線にこんな廃駅あったのかい・・・
この動画見なければ全くしらなかったw
それは北海道に似てる。
下増田駅、懐かしいです。まだ3、4歳だったはずですが親戚の家が近く何度かこの駅で降りました。まだ汽車が走っていて、客車の最後部のドアが開いて、そこから後部の景色を眺めるのをワクワクしたのを覚えてます。電車だけになって当時はつまらなく思いましたが、今はその電車がこの辺りを走っていた姿をすごく懐かしく感じます。
両毛線は小山佐野足利桐生伊勢崎前橋高崎と栃木群馬の主要都市(通っていない両県の主要都市は宇都宮と太田くらい)を結ぶ路線なのに利用者は通学する中高生くらいしかいないのが寂しい
高崎・前橋はそれなりに通勤客で混みあうよ。
しかも相互に通勤圏になっているから上下線とも朝ラッシュのある珍しいパターン
6万人おめでとうございます!
東足利駅のホーム跡側に親族が住んでいました。当時の面影は全く有りません。区画整理ですっかり見違えました。
親族が住んでいましたのは足利銘仙の紋切り屋だったからで当時の両毛線は織物の貨物線。
周辺には機織屋が密集していてガチャンガチャンと機織り機の騒音が響いていました。
畳屋と和菓子屋は古くから有りましたが、文房具屋と動物病院は区画整理後に出来たものです。線路南側の文房具屋前の道が元の国道50号です。
チャンネル登録6万人おめでとうございます!
元前橋の住民です。小学生の時に両毛線が電化され汽車が無くなったのを覚えています。この時に廃止(実際には休止)された駅は全て片側ホーム一本だけの無人駅でした。結果的に交換駅だけを残した訳ですがネットダイヤを解消するために駅間が長い前橋~駒形と佐野~岩舟だけが複線化されました。前橋~駒形間は小山に向かって右側に線路を足したため東前橋駅は左側にありました。
いや~、廃駅巡り ご苦労様です。とても興味深く拝見しました。子供の頃、廃止になったもののまだ取り壊されていなかった東伊勢崎駅のホーム上にあった駅名板に、木の板が✖状態にくぎ打ちされていたのを車窓から見たことがとても印象に残っていまする!!
小山・思川・栃木・大平下・岩舟・小野寺・犬伏・佐野・富田・東足利・足利・
西足利・三重・山前・葉鹿・小俣・東桐生・桐生・下新田・岩宿・間野谷・国定・
東伊勢崎・伊勢崎・下増田・駒形・東前橋・前橋・新前橋。by 1960年鉄道地図
小山
思川
栃木
大平下
岩舟
さの
富田
足利
山前
小俣
桐生
岩宿
國定
伊勢崎
駒形
前橋
新前橋
高崎
By大正14年汽車時間表より
当時はアスファルトの道なんて無かったでしょうね。
ダットラとかオート三輪が砂ぼこりをあげて走っている姿が頭に浮かびます。
今、仮に復活しても北海道や中国地方の田舎の駅よりは利用客多いでしょうね。少なくとも数十人は利用客見込めるでしょう。
実はもう一つ、足利市には公園下がありました。足利と山前の間、桜の名所として地元では有名な足利公園のすぐそばでした。
これを見て、今考えると犬伏などあったら便利な駅が多いですね、。町と一体と整備すれば、増えるかもしれないですね。
両毛線によく乗るが、これを見て、かなり面白かったです。
昔の鉄道は今でいう道路だから人や荷物の積み込みが楽なように簡易なホームがあったと認識しています。
元々7番線ありました。6.8番線の思川よりに切欠ホームになってました。今は利用停止されてますけど
綿貫お婆ちゃんが乗っていた時代に、汽車と気動車で乗り場を分けたりした名残なのかな?
今は無いですがで小山⇔佐野・小山⇔足利(共に休日運休)の列車のためだったとか
@@spafarms932 かつて郵便輸送していて7番線使用してたとか爺ちゃんが言ってた
母方の実家へ行くのに、小野寺駅を利用しました。北も南も田畑でしたね。今有れば花センターまで、歩くかな?🙄
綿貫さん栃木の家系だったんですね
発行年は不明ですが、高崎車掌区乗務員発行の車内補充券を入手。両毛線の廃駅が記載してあった。
追記、長野原線の太子駅も存在
亡き母が昔西足利と東足利の駅があったと話していました
東足利駅は山川町のところに西足利駅は足利公園の近くにあったと教えてくれました
元地元民です。両毛線の複線化計画は今後難しいでしょうから、本数少なくて単線区間の桐生〜佐野間の駅、東桐生、葉鹿、三重、東足利あたりは復活してもいいんじゃないかと思います。高校時代駅間が長すぎて使いづらかった覚えがあります。駅舎なし、ホームと待合小屋、駐輪場で成り立んじゃないかな。
両毛線ってかなり駅の移り変わりがあったんですね~。
駅好きなのですごく楽しめました!
両毛線は廃駅が多い中でも最近では新駅も増えてるということで、
次は東武桐生線との接続駅を作って欲しいんですよね。
せっかく特急りょうもうは赤城まで走ってくれてるのに、
両毛線との接続が悪すぎなのはもったいない気がしちゃうんですよねぇ・・・。
あと、足利とかもあとちょっとで接続できそうなのにぃ~ってなっちゃいます。
初見でしたが身近のところだったので見入ってしまいました。東海道新幹線開業時期の復刻版時刻表で両毛線を見ると廃駅になった駅が現役で停車していたんだというのがわかりますね。
自分の育った町は、かつて栃木県足利郡の一部でしたが県境変更で群馬県桐生市に編入されたというちょっと珍しい歴史があります。沿線のむかしの様子を想像するのは楽しいですね。
菱町か。田沼の入飛駒も同様。
廃線とか廃駅って、なんでこんなにワクワクするのだろうか!
どの廃駅も車停めにくいところにありそう
お疲れ様ですw
7:47 三重駅・・・かつての足利競馬場最寄り駅
両毛線って廃駅が多いんですね。知りませんでした。
所々妙な空間があると思ったらこういう事だと分かってスッキリ
下増田駅と東伊勢崎駅は復活してほしい
犬伏や小野寺はよくお世話になっている親戚の方々が住んでるので親近感湧きます。
地元民ですが、東伊勢崎駅ってもっと殖蓮小(伊勢崎駅)よりじゃなかったでしたっけ?
なんか線路沿いに廃屋みたいなのがあったと思いますけど、それは違うのかな?
昔足利と山前の間に足利競馬場があったけど、三重駅があったら便利でしたね。調べたら駅が休止されてから競馬場が移転してきた模様。
現在は、日赤病院になってます。
わずか二十数年の間に、これほど大量に新駅が作られて、廃止されたというのは、両毛線くらいでしょうね。お祖母様が言っていたとおり、これらの駅に停車するのは一日数本の気動車だけだったようです。
昔の両毛線は、貨物列車や上野直通の旅客列車も頻繁に走っていた幹線だったので、国鉄としては、本線並みの長い駅間距離のほうが良かったんでしょうね。今なら (特に三セクや地方私鉄だったら) ホームだけの簡易な駅舎が2~3kmおきにあってもおかしくないですね。
6万おめでとうございます
廃駅となった駅は1968年のヨンサントウダイヤ改正にて休止されたようですが、実質的にそれが廃駅となったようです。
昔の時刻表に廃駅が沢山ありましたが、廃駅になった駅の停車本数はかなり少なく、おそらく廃駅のホームが短く、6両編成はドアカット停車せずに通過して、4両編成のみ停車だったのではないかと予想します。
かつての水戸線の無人駅で、7両編成は通過していた小田林、東結城と同じ手法だったのではないでしょうか?
小山駅両毛線ホームは離れていて、発車ベルが鳴っていて列車にたどり着くのに焦った記憶があります。
たくさん廃駅があったのは知りませんでした。
子供の頃、気動車や70系電車?に乗った記憶があります。廃駅は気動車の頃はまだあったような気がします。葉鹿駅は東桐生駅は覚えています。とにかく列車は遅くて時間がやたらとかかってました。
犬伏駅は今思うと戦国時代の真田父子の犬伏の別れがあった場所でしょうか。。。
近郊電車しか走らない路線の割には駅間距離が長いので、残しておけば便利だったろうにって駅が多いですね。
両毛線、
国定と伊勢崎の間に駅が復活するべきだな。
特に上武国道との交差地帯に駅を作れば、スマークとの利便性も良くなりそう。
線路を共用して、低床車内精算のLRTを走らせる。ダメかな?上毛電鉄をLRT化して足利、前橋、渋川、群馬原町を結ぶなんて考えたりして。
@@kusatsu2gou708
昔は軽便鉄道が高崎から前橋を経て渋川から伊香保温泉まで行っていて、上毛鉄道の前橋中央近くを通っていたが、バス転換したんだよなぁ。
@@見えないクン 沼田にも軽便鉄道の名残があります。
高崎〜新前橋の区間も、元々は浜尻駅と日高駅がありましたね
取材ありがとうございます。さて、ちょうど令和2年にJTBが復刻した1964年9月号の時刻表を見ていましたら(税込み1650円)、当時からかなりの列車(ほぼ非電化・電化は新前橋~前橋のみ)は快速天国でした。各駅停車は小山~桐生が5本ずつ、桐生~前橋9本・前橋~桐生8本ありましたが、それ以外はのきなみこれらの駅を通過しています。線内最速達が準急わたらせ(上野発小山経由高崎行き)で途中栃木・佐野・足利・桐生・伊勢崎・前橋停車。1時間31分で結んでいます。(新前橋は通過+5分程?)朝には八高線直通もあったようです。
小山のベックス懐かしい
大回り乗車中の喫煙者にとってのオアシス
小山市民ですが両毛線に大量の廃駅があったなんて知らなかったです
5:00 犬伏駅跡、踏切から見た右側のコンクリ壁が駅入り口のスロープとそれに続くホームの切れ端に見えるのは気のせいだろうか?
小山駅を発着駅とする両毛線は廃駅がありましたが、
同じく小山駅を発着駅とする水戸線は新駅ができました。
鉄道沿線の人口は、水戸線より両毛線の方がとても多いのに。
13:52 下増田駅・・・実は、伊勢崎オートレース場に近い
幼い頃に親の実家に行く折など、両毛線は駅が多かった気がしてました。
前橋大島の新設は、前橋市の市街地が東に拡がって宅地化が進んだことによるためでしょうね。車社会の群馬でも人が増えた地域は駅が出来るんですね。
下増田駅は線路の南側にあったような記憶がある。汽車は通貨で、ディーゼル車が停車。汽車が来ると嬉しかったな。
東武線側から織姫神社のほうに歩いて散策したときに見た小さい踏切が西足利駅だったとは…!
相野谷駅跡地近くに住居を構えて18年直近の駅は桐生競艇場近くの岩宿か国定と認識していましたが😅いつもの通勤路の踏切が駅跡地とは😢
高崎・新前橋間にも「両毛線」の廃駅がある。
日高(井野・新前橋間)
浜尻(高崎問屋町・井野間)
高崎・新前橋間は、現在は鉄道要覧上、上越線の所属になっていて、
両毛線は新前橋から高崎までは上越線に直通する形になっているが、
1957年までは上越線と両毛線の重複区間だった。
(本題から逸れるが、上越線に所属を統一したのに上越線の列車の多くが新前橋止まりに
改められ高崎へは新前橋で両毛線の列車に接続させる矛盾感…)
所属路線の重複解消まで、複線ではなく上越線と両毛線の単線並列区間
となっていて、上記2駅は両毛線側単線のみに乗降施設が設けられ、
上越線の列車は勿論通過するし、両毛線の列車もガソリン気動車しか
停車しなかった。
いずれも、1937年に設置されるも1940年に廃止されていて非常に短命な駅だった。
ちなみに井野は上記2駅廃止後の1944年に上越線側単線の信号場として設置され、
戦後1948年に客扱いを開始したものの駅に昇格したのが、上越線と両毛線の単線並列解消の際。
高崎問屋町駅は、浜尻駅の南100M程度の場所に2004年に設置されていて、
東前橋と前橋大島の関係に似ている。
お婆さまの貴重なお話聞けてよかったですねー
犬伏駅は「学校かな」と言っていた側にあるコンクリートの部分がホームでした。通過する電車で高さを比べるとよくわかりますよ。駅舎はなかったように記憶しています。
小生幼少から高校卒業まで伊勢崎に住んでおりましたが、東伊勢崎と下増田という駅があったのは初めて知りました。もっとも東伊勢崎駅は小生が生まれる前、下増田駅が小生の生まれた年に廃止では無理もないのですが。小生の当時の実家は伊勢崎とはいっても、鉄道の便がほとんどない南部でしたので。
実況で楽しそうに語りますね。面白そう。
昔の時刻表で気になっていたものです。この手の駅で残っているのは会津若松ー喜多方間の4駅と、奥羽線の川部ー弘前間の撫牛子駅、五能線の五所川原ー川部間の一部に残っているそうです。やはり客車列車は止まらず気動車のみの停車だったようです。
東足利駅跡、ほぼ毎週横を通ってます。ちなみに西足利駅跡、緑橋跨道橋の向こう側に、あの「八雲神社」の1つがあります。あ、あと両毛線って必ず踏切の名前が表示されてるんですよね。おかげで全駅追跡できました。
道民からすれば廃駅にする意味がわからない立地ばかりw
犬伏駅跡地の近くにある学校らしき敷地は佐野東児童館という公共施設のようです。
今の時世だと学校やフラワーパークのような集客施設がすぐ近くに無いと駅の新設(復活)は厳しいのかもしれませんね。
両毛線日中結構混むよ。学生多いからね
綿貫さん、ようこそ両毛線の廃駅巡りへ
葉鹿は地元の近隣で、自分は葉鹿の助産婦院(今は無し)で生まれました
下増田ですが近くに市営のサッカー施設が出来たので
駅を復活させようかみたいな構想は有るようです
確かに駅間は長いですが、モータリゼーションが発達した北関東では、鉄道でニッチな需要を拾っていくやり方は厳しいんでしょうね(^_^;)
犬伏って関ヶ原の戦の際に真田親子の別れの地だったはず
身内に生き証人が居るのが凄い
これは貴重なお話ですね良かったですね
私も勉強になりますね
親に聞いたら、昔父さんが子供の頃、東伊勢崎の駅があったんだよって教えてくれました。
by旧東伊勢崎沿線民
乙です😊
立川マシマシの
マシライス(525g)旨いですよ🍛
二郎系のタレ+ガーリックひき肉
&山盛りご飯で二郎好きも納得の
一品でオススメですぞ~😄
アニメ日常の聖地巡礼で
両毛線を良く使いましたよ
もう10年前かぁ・・
【悲報】
1:43 3:45 4:14 岩船と岩舟の漢字変換を間違えた!
【吉報】
チャンネル登録者 60000人
突破おめでとう🎉ございます!
私の母親も東足利と西足利の二駅があったことを話してもらいました
足利公園の近くに西足利駅があったと言っていました
16:26
地味にA36編成や
(両毛線に1台しかいない211系の幕車)
両毛線だぁーーーーーーー!
詳しい解説ありがとうございます!
足利FP~岩宿くらいまではよく自転車とかでいくので馴染み深いですw
足利フラワーパーク駅は東足利駅の後継の駅みたいな感じと聞いたことあります
でも東足利と足利フラワーパーク4kmくらい離れてますよ
廃止された11駅、全てが1987年の4月廃止と書いているだけに、国鉄のJR再編に伴う廃止なのかなコレ…
ただJR北海道の宗谷線みたいに下手に残すよりも主要駅に集約して使うという攻撃的な廃止とも取れそう。
両毛線の11の廃駅はJR化の直前1987年3月31日の廃止となっていますが、
実際は両毛線の電化、複線化に際して1966年~1968年にかけて休止となっています。
本来だったら電化でスピードアップするのですから、
全列車新設駅に停車して利便性を上げたら良いのにと思ったのですが、
そうは出来ない理由でもあったのでしょうか??
なるほど、ご指摘ありがとうございます。
全然知らんかった。
1968年(昭和43年)10月1日に全線電化されて、それまで走っていた蒸気機関車と気動車(ディーゼルカー)に替わって電車が走るようになり、このときに廃止になったと記憶しています。私はよく東足利駅を利用していましたが、止まるのは二両編成のディーゼルカーのみでした。
18切符で先週初めて乗りました 伊勢崎で30分待ちでビビりました
養蚕拠点を結んだのでジグザグしてますね
視聴させていただきました。
最後に取り上げていた「東前橋」駅ですが,私のおぼろげな記憶(私は当時高崎在住で,駒形駅近くに母の実家があったので,何回も行き来していました)だと,動画に取り上げられていた踏切よりもひとつ東側(数百mくらい)の踏切付近,線路の北側にホームがあったと思います。途中で前橋ー駒形間が複線化されたため,下り線はホームに停まれましたが,上り線は下車できないので通過していたのではないかと思います。あるいは車掌室からハシゴか何かで下車していたかも。不確かな記憶で申し訳ありませんが,何かの足しになれば幸いです。
お婆様の話しは、大変興味深いですね
妻が足利出身で、東足利駅、西足利駅が存在していたことは知っていました。西足利駅は、妻の母が「アキレスの工場が近く(といっても数キロ離れてますが)にあって、そのためにあった」と言っていたと妻が教えてくれました。
大学時代の帰省や野球観戦の時に使ったりしてたけど、こんなに廃駅があったのは知らなかったです。全部50年代にできて60年代に廃止になってるのかな?自動車の普及が影響でしょうか?
小山駅6から8番線は切り欠きホームで7番線はディーゼル列車が止まってました。7番線は使われなくなりあるけど設定0状態。
Wikipedia開いて「停車場・施設・接続路線」の図を見ながら視聴しようかなと思ってWikipediaの両毛線の項開いたらありませんでした
あれあると便利なのに、下のほうの駅一覧の文字情報しかないんで、廃駅があることに気づきませんよね…
廃線はよくきくけど廃駅は初めてききました
時既に遅しの感多々あるが その面影を今貴殿が訪ねたことに せめてもの救いがある・・・