【東條英機に嫌われた軍人たち】石原莞爾。阿南惟幾。武藤章。山下奉文。岩畔豪雄。
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- เผยแพร่เมื่อ 24 ก.ค. 2024
- こんにちは。『祖国日本』です。
主に日清戦争、大東亜戦争でどのような出来事が起こっていたのかという戦争史、昭和史を漫画によって配信していきます。週に2本ほど上げていく予定です。
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「仲の良い人に対しては人格者だった」というエピソードもあいまって、「まったくリーダーの器ではなかった」という感想がしっくりくる。
安倍と同じだな
@@newtons1969 げに
それを選んだ天皇に問題がある。まあ日中戦争を拡大させて日米戦争までにした東條にケツを拭かせるためだが。
まあ、日米開戦させて、首相の座に居座り続けた、軍部皆々がこりゃ負けるわいと、アメリカに停戦持ちかけ下こうしょう模索中の中でも本土決戦を主張して、皆々がこりゃ日本人は滅びるワイ、と皆々で首相を引きずり下ろした。結局は原爆2発くらいアメリカの無条件降伏を受諾した。あれが戦争長引かせて、甚大な被害を与えた。人格者もなにもねえ。A級戦犯で絞首刑にされたが、当然よな。一家の大黒柱を失った家庭がどんな苦渋を味わったか、あれがおかしな指示したから、組織はてっぺんがおかしいと滅亡するは古今東西同じ。
ドイツ、ヒトラー。イタリアムッソリーニ、中華清、西太后。
きちんとした考えを持っていた人材を、これだけ左遷させていれば、当然、戦争に勝てる訳が無いよな…。
今村均も秀逸な
指導者だったが
辺境に追いやられ
辛酸を舐めた
が彼の元で軍政を敷いた所は民心が懐き評価が高かった
戦時中、海軍には、『田舎侍』『こんな戦争、始めやがって』と言ってる上官もいたそうです。
祖父(海軍士官)は、相手の耳に入らないか、とても心配したそうです。
そりゃ少しでも国力を知ってれば 米英と戦争するのは下の下の下
日露戦争でバカは国力10倍のロシアに勝った なんて言ってましたが 当時は世界最強国家の英国が味方であった
確かに東條の腰巾着に、名将と云われる軍人はいないな😂
そもそもいつの時代も腰巾着は能力ではなく媚びへつらいが上手い人間ばかり
能力の伴わない人間が国のトップになると国民は大変な苦労をさせられる
戦時の東條英機しかり、現代の岸田しかり
歴代総理のほとんどが器ではなかったでしょうね
ある程度評価できるのは 中曽根まで それ以降は どうしよ~~もない
時代がそうさせたのでしょうね 常識も見識もあったはずの宮沢には一番がっかりしました それ以外は論外です だから失われた30年
首脳ではなく無能と言うべきだろうね。お二方とも。
岸田は無能者ではなく裏切り者と言うべきでしょう。
あそこまで愚かな政治はワザとやらない限り不可能です。
@user-fm2oq 当時の国のトップは昭和天皇です。
@@central162 一向に親政しないトップだったけどねw
というより、奈良時代以降、歴代天皇は神官王として行動していた。
ちなみに戦国終息が決定的になった時期の国のトップは正親町天皇だったけど。
別に正親町天皇が戦国を終わらせたと語る歴史家はいないよ。
ちなみに「東条上等兵」というのは「伍長(ヒトラー)に足りない」という洒落である。
あと、石原のコメントは「思想がない」ではなく「意見がない」じゃなかったっけ?
東條に左遷された人材がSSR級ばっかで逆に笑えない😂
嫌われていた人、全員有能な人材やん
有能だから嫌われますね。
武藤章が有能?
@@user-np5re6ls3q いや米軍の高級将校が確かに頭脳優秀だと言っていたね。
戦前には判断を間違えていたが、アメリカの対日挑発外交が激化する頃には石原の言う通りだったと悔いていた模様。
北支事変拡大派 武藤章
北支事変不拡大派 石原莞爾
自分が出世するには目の前の有能な奴を排除していくのが合理的やからな
民間企業でも国家の中枢でも人事は好き嫌いで決まる。今も昔も
東條に嫌われた名将といえば栗林中将ですね。
栗林閣下はアメリカに留学してアメリカの軍事や工業力をよくわかっていたから対米戦に反対して嫌われてしまい陸軍中央での活躍が出来ませんでした。
逆に佐藤賢了は栗林閣下と同じアメリカ留学経験あるのに、歪んだアメリカ評価で東條の対米アドバイザーとして活躍しました。
結果は佐藤のいっていたチューインガムかんでダンスばかりしてるアメリカ軍に負けました。
そりゃ…勝てないです。規模が違い過ぎてどうしようもありません…じゃ、何も役に立てないからしょうがない部分もある…。
予想した結果を元に現実の政策においてどうすれば良いかを反映させる段階で躓いてしまうのでしょうね…。
佐藤がアメリカにいた頃は まさしくそんな雰囲気でしたよ
だから佐藤が感じたことは ある意味正しいとも
しかし表面上では(当時の米陸軍の常備兵力は日本と大差なし)そうかもしれないが その奥底は佐藤には分らなかった
山本提督が米国の油田や工業地帯を見てみろと口癖みたいに言っていた逸話がありますが佐藤賢了は米国駐在中に見学した事はなかったのかな?
馬鹿でなければ米国の凄さを少しは判った筈だと思いますがね。
配信をありがとうございます
やっぱ東條さんは戦時の総理ではなかったよね
平時でも無理でしょ。
岸田より酷い。
元々、陸相の本命が岡村寧次、多田駿、山下奉文、今村均とされる中、あくまで繋ぎ役として任命された人物ですからね……😅
@@NelsonSamoraErnestNujoma
年次で役職を決めると碌なことがない実例。
@@NelsonSamoraErnestNujoma
山下は皇道派に近く昭和天皇に嫌われてたし、多田は明らかに当時の主流から外れてたから陸相になれたかどうかかなり怪しい
気に入らない認定されると、翌日にカンボジアに飛ばされるとか、半沢直樹かよ。
自分の手下と思われる人たちには温かいし、人格者だと言われるけど、優秀な参謀や将軍たちからすると、煙たがられるだけで左遷させる嫌な上司ですね。こんな人が戦争指導できるわけがない。
こういった時代は優秀な人間は飛ばされ、上にこびへつらう人間が出世する。古今東西世の東西を問わず。戦争は本当に人をおかしくするな。
予備役落ちした石原莞爾にも会談の場を設けて考えがないか聞く耳を持ち、さらに数々の暴言を吐いても許されている…。
…これって身内以外にも人格者なのでは…?
あの非公式の会談でしょう?でも、とても家族には厳しい人だと評判ですね。東條さんは、一応意見を聞いてみたんでしょうね。自分にない頭脳を持っている人だからね。それで石原にひどいこと言われたんですよね。時期も時期ですから、こんな気持ちがあるなら、もっと優秀な参謀や将軍たちの意見をもっと取り入れる度量が必要なことは理解できるはずなんですがね。@@user-wm3mb9tg5m怪
@@CHAOS-qs5py 平和な時もそうだろう。実力主義になるのは国内で動乱が起こった時。明治維新や戦後が例。
こんな管理職、会社にざらにいるよ。特に最後の点。東條みたいな人物は、日本人にいっぱいいる。
それがトップだから手に負えない😭
配信を、ありがとうございます。
またまた、電車内で視聴中です!東急池上線長原駅通過🚃
祖国 日本 様、『❤』有り難う御座います‼️🙇
最後の「もし自分が生きて帰ってきたら、東京は焼け野原だろうね」はまさにその通りになった。
それどころか広島、長崎は核の炎に焼かれ全国的に見ても空襲の被害を受けてる。
やはりいつの時代も情報は凄く大事。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」とも言いますしね。
ナイス👍
勉強になりました
どう見ても東条に嫌われた人の方がマトモ
何故 東条の方が上に立てたのか不思議でなりません😥
憲兵隊を使って、自分にたてつく人たちをどんどん不利な材料を仕入れこんで黙らせる方法がとられた。彼自身頭でっかちが嫌いで、努力する人間が好きなんですよ。メモ魔で昨日と今日の意見の食い違う将校のいうことは指摘して、お前さんはもういらないになる。
先見の明がある人と合わなかったのね。
すごく納得できる。
つまるところ”常識的すぎる人物”だったわけだ。
官僚として補佐をする能力はあっても、未知の状況に想いを馳せて決断する能力の方は無かった。
官僚向きな人で軍人向きな人では無いと思います
外交型より内政型向きの政治家の性格が強いような…
間違っても政権持たせたらいけないタイプな人ではないかと
典型的な人を見る目がないやつ
東條英機の良い点は、例え自分の考えに反していても上の命令をちゃんと聞いて実行する事だが、逆に言えば彼は部下は自分の命令にはどんな事情や考えがあっても意見や文句を言わず従うべきだと考えていたように思われる。この動画で挙げられている人物たちの内、山下奉文以外いずれも東條より地位が低かったり、部下だった時に彼に意見や反論を言った人たちばかりだし、山下奉文の方も総理大臣時代唯一自分の上司とも言うべき存在である天皇に忖度した結果だし、どうも彼は上下関係のあり方についてだいぶ硬直した考えを持っていたようだ。(総理大臣就任時も自分には向いていない役職だとわかってはいたが、当時は天皇の命令という形だったので断れず就任したらしいし。)
樋口季一郎将軍もオトポール事件の時に陸軍内の多数の抗議とドイツからの抗議が来たのでそれについて東條英機に呼び出されて問い詰められましたが、樋口季一郎将軍は自身の意見を率直に述べた上で筋を通した発言をしていますね。
東條英機はその意見に賛同し、樋口季一郎将軍は飛ばされる事はなくそのまま事件の処理を継続したそうで、後に樋口季一郎将軍は「東条は頑固者だが、筋さえ通せば話は分かる」と仰ったとの事です。
良い点など無い。東條は日本を滅亡に導いた愚かな軍人である。
全くそれ。
企業にもいるけど、およそ人の上に立つマネジメントとは真逆。
個人的感情で仕事しないこととか、大局的な観点から優先順位をつけるとか、凡そそういうのと程遠い。
まさに上等兵だよ。ガリ勉暗記馬鹿の上等兵。
東京裁判で首席検察官を勤めたキーナンをして「あの隻脚の平和主義者が禁錮7年とは…。彼は、どう見ても無罪が妥当だ」と言わしめた重光葵は、東京裁判中に巣鴨プリズンでしたためていた獄中日記の中で、東条をこう評している。
「戦前戦中と、東条には少なからず不快な思いをさせられたが、裁判にあたっては、覚悟を決めていることと思う。
法廷での休憩時間や、拘置所での運動時間などに、虚心に話をしてみると、確かに東条は頭が切れるし、物事の要点を掴む理解力と決断力は、たいしたものだ。
しかし如何せん、彼には国際的な感覚と常識が欠けている。もし、それらを微細でも持ち合わせていたならば、ここまで壊滅的な状況には至らなかっただろう」
戦陣訓のくだり、石原が筋道通ってて隙がない。たしかに勅諭あるのに将官風情が改訂版みたいなもんだしたら天皇に失礼だよね
それにしても絶望的なまでに人見る目がない
顔から、いいかげん男が溢れている
ウチにもオーナーに従順なダケが取り柄のトップがいた。人を見る目が絶望的に無くて、学歴が本人の頼れる唯一の判断基準だった。東條を見る度に、その人とタブって見える。
学歴なくて学歴コンプレックスも゙疲れるが、学歴だけでプライドだけも、疲れる。
東條首相が左遷した武藤陸軍中将ですが、なんの因果が最後は同じ東京裁判の被告になって共に絞首刑になってしまった。
今も日本はこうなんだろう。
どんな組織でも。だが、嫌われる者でも昇進させる度量は今よりましかもしれない。
東條は大佐クラスの支持が大変高くてそれが権力基盤になっていた。
「そんなことをしたらXX大佐のメンツがないだろう」
「そんなことをしたら〇〇大佐が困るだろう」
というような発言が多くて、首相付き運転手はこの人が一番いい首相だと思ったそうである。
人はいいのは認めるが、軍人としては間違った考え方だと思う。その最たる例がインパール作戦です
当時は男性の、ましてや生まれ育ちがいいというのは誇りであるとともに大変なプレッシャーだった。おそらく東條本人も、まさかと思う大変な高い地位につけられて苦労したのだろう。 それを思えば、どんな強硬な反対を受けてもおかしくない。しかしそれもなく、むしろ見守ってくれる大佐達に恩を感じて便宜を図ろうとするのは当然のことと言える。 また、この手のことに人脈を頼るのは今も同じ。 それを無視すれば、軍なんて一大無用の長物と化してしまう。そうなれば規制などきかず、ハチャメチャになることは目に見えている。 そうなれば戦争処の話ではない。 むしろ列強やアメリカは黄金の国ジパングをよだれを垂らして欲しがっていた。喉から手が出るほどだ。この時代、東アジアだけでなく、南海の真珠イタリアといい、富農のドイツといい、苦難を迎えたところは多かった。
東條は尉官佐官ら部下には優しかったからね
同じ将官クラスには好き嫌い激しかったけど
当時の陸軍にとって、真の敵は米英ではなく、優秀な人材を廃して凡人を贔屓する東條だったのかもしれませんね。
現自衛隊の宣誓文にある「政治的活動に関与せず」と明記された背景にある筆頭代表。
軍人勅諭にも書いてあったんだけどなぁ
@@heli7088
当時の軍人には 選挙権はありませんでした
それが鬱屈した形になったような気がする
ただし予備役になった軍人の中には立候補して議員になった人もいた
しかしそんな人は大概、軍に関しては厳しい立場で臨んだ
「だまれ」発言が有名ですね
なぜだろう、東条英機と岸田文雄が重なって見えてしまう
岸田さんを擁護するわけではないが、岸田さんは読書家だから思想はあるはず。
石原莞爾が東條さんを思想なしと馬鹿にしたのは本を読まなかったから。
ちなみに石原莞爾と武藤章も読書家。
永田鉄山も
全く同感。
方や戦陣訓で捕虜になることを禁じておいて手前は自決失敗で捕虜になり
方や日韓合意で慰安婦の件に10億円国庫から拠出した結果事実上反故で知らん顔。
ホンマ嫌悪感しかない・・・
安倍さんから始まり岸田さんへと続く縁故偏重人事に通じるとこがあります。(東條自身は「長州的縁故人事のアンチ」だったのが皮肉っちゃ皮肉)
今頃地獄で東條と石原が殴り合いやっているでしょう。
阿南惟幾大将は終戦時に全陸軍を代表し自決し詫びたが、東條は絶対国防線は絶対許されないと公言したが、サイパン戦終了後に内閣の延命を画策するなど、この期に於いて卑怯な真似をして自決もせずに無駄に生きて来て、米国MPによる戦犯逮捕寸前でピストル自殺をするという不可解な行動をしまた生き長らえた。
栗林閣下も東條英機に嫌われていたと聞いたことあります。エピソードあればよろしくお願いします。
その嫌われて前線に送られた場所で活躍した功績で偉人として歴史に残ってる人がチラホラという…。
有能な人材を嫌うは、無能人の特徴。
@@user-wm3mb9tg5m さん
ご存知だと思いますが
牟田口みたいな人を、東條英機はひいきしてたと聞いたことあります。
@@user-xc6yc6zf8d さん
あと辻正信も。
具体的なエピソードはありませんね
知米派で開戦に懐疑的な人物は嫌ってたフシがありますね
まあ栗林は陸軍本流の 幼年学校(中学出)、ドイツ留学・駐在(アメリカ駐在)、歩兵(騎兵)ではなかったし
本流でなく 亜流だから 重要視(眼中にない、メモ魔の東條でも名前も知らないかも)してなかったんでしょ
武藤が東條と一緒に絞首刑にされたのは本当に可哀想すぎる。全く別の道を進んでいたのに。
とはいえフィリピンでも色々やらかしはあったからなぁ
多田駿も東條には嫌われていた。直接に板垣大臣と話しをするのが気に入らなかったとか。
多田駿は石原系だったからね。
@@user-te2ot4tl8e さん
次官同士で出世のライバルだったのが多田に災いしたのです。
石原莞爾ズバズバ言い過ぎワロタw
今になって東條を評価する人達というのは、結局、東條の人物像などどうでもよくて、あの戦争で日本だけが悪者であることをどうしても覆したくて、その象徴的存在である東條を持ち上げてるだけだと思う。とにかく、トップに立つ器ではなかった。個人的に一番腹立つのが、徹底抗戦を唱えながら、腹の中では終戦に持っていくことを決め、陸軍を抑えるには自分の自決しかないと覚悟していた阿南惟幾に対し、終戦が決まった御前会議の後で寄って行って「自分達は戦犯で裁かれるだろうから、その時は共に自分達の正義を主張しよう」などとトンチンカンなことを言ったこと。もう他の大将クラスの人物とは人間のレベルというかステージが違う。本人もそれが無意識では分かっていたから、動画のようなことをやったんだと思う。あの戦争の真の責任が東條にあるとは思わないが、自分の虚栄心を満たすために、軍をぐちゃぐちゃにした罰が下ったんだろう。もし、当時の日本人が裁いたとしても死刑だっただろう。
東條は大川周明とのエピソードが好きですね。
いくつかバリエーションがありますが、日独伊三国同盟締結後、
リッベントロップの仲介で蒋介石が打診してきた停戦交渉に反対した東條に対して、
「中国との戦争をやめたらどうか」と説得するも、「英霊に申し訳がない」と返答された大川は、
「英霊とは神だ!神がなぜ無意味な戦争を続けろなどというんだ!」みたいな反論をしたのがまぁ痛快でw
この交渉は蒋介石の時間稼ぎだと判断して反対したというのが通説かなと思いますが、
田中隆吉は阿部信行に反対されたからという説を言っていて、こっちの方が東條っぽいかなと思います。
物価統制令で無残に内閣が崩壊した阿部ちゃんに、汪兆銘政権特派全権大使というレガシーを残してあげたい、みたいな感じですかねw
まぁ戦後に大川本人が語ったところによると、「東條とはお互い『馬鹿野郎!』と怒鳴りあうように絶縁した」そうですが、
東京裁判の席上、ペチペチペチと頭を叩いた方と叩かれた方の大川と東條にはこういう因縁があるんですよね。
塚本清彦も戦局に関する直言をして東条の怒りを買い、即日、サイパンの参謀に追いやられ戦死してます。当直将校の時、東条の奥さんからの私用での車の要求を断ったのが伏線になっていたらしい。
東条のかみさんは某国粋カルトの熱烈な信者だったらしいですね。
東条の神がかった精神論はかみさんからの影響もあったのではないかと指摘する方も居られるようで。
東條英機、の奥さんは、北九州市小倉出身だが、出世欲が強く、東條英機出世専念がために、東京女子大を中退して、女の力は人生に多大な影響力がある。総理大臣となると国民に多大な影響力がある。
日本女子大だね😮
陸軍航空本部長として特攻に反対した安田武雄中将のことにも触れてください。
尺の都合もあるのだろうけれど、酒井鎬次も紹介して欲しかった。熱河作戦での戦車隊運用を巡っての対立から酒井を更迭、予備役に追いやったせいで陸軍の機械化近代化は著しく阻害されたと思っている。酒井は後年東條暗殺計画にも参与しているようだし。
酒井将軍が現役であり続けていたならば日本戦車性能はもっとマシであったと思えてなりませんね。
東城はホントにいらなかった
褒める点も無くはないけど、総論では愚将 トップがこいつでは無理
いますね、こういう管理職。今も。令和の今も。
こんだけ兼任していたら、仕事大変すぎて死にそうなんだがよく耐えれるよなこの人。
仕事が趣味
趣味が勤務日のメモ帳の整理の人だからね
でも家では猫を可愛がったり娘と甘いもの食べてたりと普通の家庭人
3人の息子には軍人にはなるなと言ってた(末の息子は親の反対押し切って陸軍に入ったけど)
嫌われ人事で東京裁判で助けられた方もいるから不思議なご縁です。
作者の深層心理が出てるのが残念ですが、無能な狂人が主語の「東條英機に嫌われた軍人たち」 ではなく、東條英機をバカにしていた軍人たちでしょうね。戦略がないというのは、英国の歴史家も指摘していますね。
サボタージュマニュアルを地で行くような人だ
ちょうど今、ジパング読んでたから良い動画見つけた🙆
今のキャリア官僚もこんな感じだろうなと思う。実際知ってるキャリアの人とかとてもよい人だもん。
あれ?
栗林忠道は含まれていませんのか?
栗林は別の動画で東條との対立を散々取り上げられてるよ😂
武藤と岩畔は統制派で東條と同じ派閥だったと言われているがそれは間違いで元々武藤も岩畔も軍務局長や軍事課長で絶大な権力を持っていて東條などはお構い無く独立して活躍していた。東條が陸軍大臣総理大臣と権力を握ってから関係性が出来たので武藤も岩畔も東條の事務処理能力は買いつつもその視野の狭い見識や人事能力などは分かっていて、侮蔑に近い感覚もあっただろう。後阿南は陸軍次官として東條を大臣に推挙したのは自分だとしてそれを終生の過ちと後悔していた😮
阿南ね…。あまりいい噂は聞かないね。むしろ裏では癒着ばかり起していたとか。 デマならいいのだが、どうしてそう言われるのだろうね?
ユダヤ人保護問題を東條英機に詰め寄って認めさせた樋口季一郎が特異だよなという。 あと、岩畔豪雄と東條との対立は怪しいと思う。
現代の霞ヶ関にも通じる、学閥派閥大好きの秀才官僚。
その一方で、東条英機は昭和天皇を尊敬してた。だから昭和天皇は「東条英機を首相にして戦争を避けたかった」という話もある。
東條さんが陸軍次官だったとき、大喧嘩した参謀本部次長の多田駿大将がはいっていないのが残念。
議論の分かれる東京裁判での(A級戦犯)絞首刑よりも、軍法会議での(軍部・内閣の私物化、天皇軽視による)絞首刑のほうが適当だったのではないか。
誰が東条英機を出世させたのでしょうか? ここが一番謎ですね。 どなたかわかる方おられますか?
この頃、影で政治を仕切っていたのは武藤章です
東條を次官&陸軍大臣に担ぎ上げたのも武藤章。
三国同盟反対だった米内内閣を潰したのも武藤章。
三国同盟賛成の近衛を首相に復帰させたのも武藤章。
彼は黒幕として暗躍してました。
川田稔さんの武藤章がお勧めです。
最終的には木戸内大臣だね
梅津美次郎だろうね。板垣と石原のコンビが陸軍を牛耳ろうとしたのに危機感を抱いた梅津が東條を起用して板垣石原の邪魔ばかりして暴れ回った。そして板垣石原を中央から追い払うことに成功する。このあたりから東條の名声が高くなり陸軍次官、陸軍大臣と出世し、ついには総理大臣になってしまった😮一つには東條には果断な実行力と事務処理能力があり、これが彼の思わぬ栄達に繋がった😮
梅津説には賛成ですね。2・26後に陸軍の人事を仕切ったのは次官だった梅津。あと、首相就任時には特定の人物というより、軍務局全体が東條で押しまくり、加藤泊次郎が木戸に乗り込み軍刀で脅しています。
面白いもは武藤を作戦課に引っ張ったのが石原という歴史の皮肉。
@@ぼんとんおちゃ
当時陸軍を牛耳っていたのは統制派。
そして統制派の理論的支柱が武藤章であり統制派の年長者が東條英機。
梅津は無派閥だったがたまたま統制派と利害が一致しただけなのでは?
大砲修繕のエピソードを聞いて、小事に拘泥するゆえに大局が見えない人だったのではないのかと思った。ただ事務能力は相当高かったようなので、首相や参謀総長といったトップの役割には不適だったのかなと
思想がある石原莞爾と思想がない東條とが話が合うはずがないのは日を見るより明らかであった。東條の器はゴミ捨て場の袋をチェックしていたほどの小器で、せえぜえ区長クラスと言った有名作家の言葉がしっくりくる。
ここまでリーダーとして失格な東條英機こそ、二・二六事件で暗サツされるべきだったと思います。
もちろん二・二六事件を引き起こしてた青年将校たちのやり方には反対です。文民統制を揺るがす彼らのテロ行動は擁護できません。
けれど、仮に二・二六事件で暗サツされるべき人物を誰か必ず選ばなければならないとしたら、それこそ東條が選ばれるべきでした。
逆に永田鉄山は、相沢事件からも二・二六事件からも生き残るべきだった…
2.26事件の時点で、東條英機を暗殺する理由が無いし、その頃は序列も下の方で、その事件で上の階層がごっそり居なくなって、東條が望むとか望まざるに関わらず、昇進していった経緯があります。
青年将校は武藤章をターゲットにしていた。
東條は地方にいたはず。
東条は関東軍の憲兵隊司令官です。事件直後に「徹底討伐」を訴え、満州の皇道派系の人物を一網打尽にして、のし上がる契機としました。
統制派系の軍人なら片倉や辻を狙わなかった方が不思議。
ある視点から「暗サツされるべき」という考え方は、クーデターを起こした青年将校と同じ考え方です。
その時点では国に災厄をもたらしていない人物が、「暗サツされるべき」ですか? 繰返しになりますが、それはテロリストの論理です。
そもそも昭和天皇が東条尾を嫌っていたという事実が重要。
「マネージメント」という視点から、旧軍の失敗は非常に勉強になるところだと思っています。
東条は悪人ではない、とは思いますが、器ではない。
彼の行動は、マネージメントという視点から見ると「マイクロマネージメント」そのものだったように思えました。
ドラッカーに言わせれば「インテグリティがない」か。
他に語られているだろうが、栗林忠道もそのひとりだろう。クリントイーストウッドが監督した硫黄島からの手紙をみれば搭乗が死刑になったのが理解できなる。
小さい、心が。ノンキャリの係長クラスの器ですな。
戦争は終わりを見て戦略立てるのに
東條には何もなかったように
見える
東條に嫌われるのは軍人として大切なことです
中共外交部にクレームを付けられる考動・政策は、内容が良いと保証されたという事だ、と言うのとちょっと似たニュアンスですね。
@@hellowv2006 東條を悪人とは思ってないけどダメダメ上司だろうと踏んでいる、他の多くのエピソードからも察せられるもん
そして、ダメから好かれたり肯定されるのはダメグループ入りの場合が多いから
少なくとも腐敗した中国共産党から疎まれるのはむしろ自由で尊厳ある人間として誇るべき
無能な人間が権力を握ることを警戒しないと。
今の政治はそう悪いものではないが、大企業では無能が出世競争に勝ち残ることはよくあるでしょう。
逆に東條のお気に入りは
木村兵太郎
富永恭二
佐藤賢了
などの名が挙がっている。
東條を嫌った人物の方がはるかに多かったのと違う?中でも石原莞爾は文字通り蛇蝎のごとく嫌ったのは有名。昭和天皇でさえあまり好きではなかったそうだから。
それでも東條の頑張りを認めていたのか、『昭和天皇独白録』では彼のことを悪く言っていませんね。
間違ってたらすいませんが、石原莞爾は天才型 一方で東条英機は努力型 印象があります。
動画でも言ってましたが、そもそも思考力 考え方が違いすぎる。
恨む
▪東條英機元首相・陸軍大将は…父英教元陸軍中将は…日露戦争では参謀として活躍されず、陸軍に対する憎しみが
▪石原完爾元陸軍中将は優れた戦略家…お互い性格逢わず⇒出来れば参謀総長に…性格の不一致か、無理ですねぇ❗️
▪阿南唯幾陸軍大将
鈴木内閣で陸軍大臣で…ポッダム宣言の受諾に向けて尽力を尽くす、最後は自決。
東條とは石原元中将に巡り対立が…生じる。有能な方を…
▪武藤章陸軍中将
対米開戦には、反対するが…東郷外相の妥協案(2案に同意する⇒其が参謀部長以下の反感を買う)、開戦されるが早期終結に動くが…鈴木貞一、星野直樹と対立する。ゾルゲ事件で更迭
▪山下奉文陸軍大将
226事件で誤解を買う、東條氏が引き離す。ドイツ視察団で軍改革案を出すが…骨抜きされる。マレー作戦で成果を揚げる…シンガポール華橋粛清事件/首謀者は辻政信参謀。陸軍大臣の候補に…フィリピン攻防戦でマニラの戦いでは…陣地を離れること判断するが海軍が抵抗して、マニラに残る。マッカーサーは非常な判断を下す、都市攻撃を命じる
▪岩畔豪雄陸軍少将
諜報謀略機関の設立に尽力する/1936/S11~1941/S16
日米開戦回避に奔走するが…1941/S16/8月に転出命令が…陸軍大臣東條の名で⇒東京駅は何れは、戦火に巻き込まれると予見する。
▪5人に近衛内閣、東條内閣に小さき事に拘らず。日米開戦の回避は出来たかもしれない…
なぜ酒井稿次と井上芳佐が入ってない?
酒井中将は機械化部隊の独立混成第一旅団長だった昭和12年にチャハル作戦に参加した東条と戦車部隊の運用方針の相違で対立し、予備役に追い込まれ部隊も解散。
井上芳佐中将も陸軍の機械化推進派だったものの東条から疎まれて離島の守備隊に左遷されてる。
できる人を避けたら負けるよね…
辻政信、服部卓四郎、
リーダーの器でない東條英機が首相になったことが、日本にとっての不幸。名将を上手く使えなかった東條英機の罪は重い。
日本国の進むべき方向を、残念にも大きく見誤らせた責任はあまりにも大きいと思う。
日米との国力差を、精神論でカバーできるとか、又中国とのニ正面戦争と言う暴挙に目をつぶって勝てると主観的に戦況を判断した点など々、そしてこの動画にもあるように有能な将軍を自らの好き嫌いなどの理由や自己の地位保全などで左遷して、戦況を取り返しのつかないようなことにしてしまった点など、首相も陸相も兼任などという権限がこの人物に集中してしまったのも日本人にとって最悪な結果をもたらしたとしか言いようがない。
トップに必要かつ性格は正か否の判断(否の9割が一時凌ぎ)
分不相応な立場に追いやられた悲劇の人だと思う。個人にしても組織にしても、責任を負いたくないとか、責任を放棄して逃げ出したりとかして、あいつは使えそうだ、と担ぎ上げられた感がある。
マッカーサーが恐れた石原莞爾を始め優秀な軍人ばかり、この方々が陸軍の中枢にいれば日本は勝てなくても負ける事も無かったかも。
当時の、効率的に物量をぶつけるアメリカには、矛を交えた時点でどんな有能な人材や戦略があろうとも必敗は必定
@@user-dm1kf2lp3tさん
この方々がいれば日本が有利なうちに早期講和出来たと思うよ。海軍の山本五十六も「半年から一年は暴れて見せましょう」と言ってるし
純粋に軍事的合理性にのみ基づいて人事や作戦指導していれば、勝てないまでも負けないうちに休戦に持ち込めた、に一票。
勝てなくとも、もう少し米国に一矢報いたと思う。
永田が存命なら永田が東條の下にいることはなかったろうし, もしいたとしたら有能な部下を毛嫌いする東條は永田を遠ざけたろう。ただ、永田の下で能吏として数字を扱うような仕事だけしていたら東條も日本軍の役に立ったろうが。
東京裁判の判決後、東條は武藤に対して「巻き添えにして済まない。まさか君が死刑になるとは思わなかった。」と声を掛けたらしい。
無能をトップに置いたのは『国民の民意』の責任ですね。
石原莞爾・・・私は支持する。
登場
東條でなければまだマシな結果になってたと思うと悲しいですね
東條英機の命で 許されるわけない
そんな話してない
剃刀と言われてたけど、頭のいい人ほど他の人が馬鹿に見えたのかも。
統制派としては永田が死んだのが痛かった。
側近に岸・・・・今の一族の政治 大丈夫か?
闇闇闇、嫌われて、戦死した方、戦犯で判決受けた人、不公平な時代
東條英機は、海軍左派とも仲が悪いと思われると思う!
誰か知っている人いますか?
豊田は海相を打診されたとき「首相はだれですか?」と及川?に尋ね「東条だよ」と聞かされると「私はカーキ(陸軍の軍服色)が嫌いだから務まりませんよ」と答えたらしい。まあ陸軍は陸軍で豊田を嫌って、無理やり辞退させてますが。
他にも菅原道大、酒井康次将軍がいる。全体的に近代戦争の出来る将軍が嫌われている。だが東絛さんも近代戦争で通じる後方兵站のプロだし。
決定的に欠けているのは平時と戦時の人事は違うという視点。戦時国はいつの時代どの国であっても独裁に近い体制を作る。迅速な意思決定が戦局に影響するから当たり前。現在、戦時のロシア、ウクライナ、イスラエルを見ればわかる。プーチン、ゼレンスキー、ネタニヤフ全て「挙国一致、戦時体制」がキーワード。戦争反対派など体制に入れるはずがない。保阪正康の残念なところは、このような当たり前の事を恣意的に無視するところだな。