【阿南惟幾の生涯】日本敗戦の八月一五日、自決を遂げた時の陸軍大臣。悲劇の主役として、戦史の最終章に登場した軍人。
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- เผยแพร่เมื่อ 16 ต.ค. 2024
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多摩霊園にある阿南さんの墓所でご子息である阿南元駐日大使ご夫妻とお会いしたことが有ります。当日は父の墓参に訪れ、その足で有名人の墓所にも行ってみようと特に計画なしに行ったのですが、まさにそこにいらっしゃいました。墓所を掃き清めてる姿を見ていたら、ご婦人にどうぞと声をかけていただき合掌。その後、ふと、もしかしたら阿南元駐日大使でいらっしゃいますか?と聞いたら、控えめな返答。思わず、ちょうどその数日前に見た阿南陸相の動画をもとに抱いた感想をお伝えし、こうした方がこの最終局面に登場して本当に良かったと思います、もっと多くの人に知ってもらいたいと個人的には思います、みたいなことをお伝えしたら、ご婦人がありがとうございますと、ご亭主も一礼していただきました。お二人が去った後、きれいになった墓石と新しい花を見て、まさかこんな出会いがあるとは…とびっくりしたものです。
多摩霊園にお墓があるならお参りに行きたいものです。陸上自衛隊幹部候補生学校に入学したとき、隊舎入り口の壁に「勇怯の差は小なり、責任感の差は大なり」と書かれた阿南大将の言葉がありました。以降の人生にその言葉が精神の軸になりました。
阿南大使ってあの中国の大使だった?
色々あった人だよね😅
鈴木内閣の組閣で阿南大将を陸軍大臣にしたのも鈴木首相が侍従長時代に阿南大将が侍従武官として四年間勤務していた時に鈴木侍従長が阿南武官の人柄をよく知っていたからですね
昭和天皇も親しく「アナン」と呼び、その誠実さと人柄を好まれていたようですね
自決の際の辞世「一死大罪を謝し奉る」の他に阿南武官が部隊へ転出の際に昭和天皇と会食を共にした時の感激を表す歌も遺されていますね
昭和天皇と侍従武官の会食は前例のなかった事だったらしいです
このナレーションは落ち着いて聞けるから良い
同感ですね。
東條も阿南も陸大に落ちまくった点は共通している。それでも多くの人材をパワハラで潰した前者と異なり、後者は山下奉文、今村均、田中静壱、山脇正隆、樋口季一郎、石原莞爾といった逸材と盟友になれた。やっぱり人間社会を生きていく上で、人格と懐の広さが重要なのだと考えさせられる。
梅津参謀総長は具体的に動かず、田中東部軍司令官もまた動かず、そして森近衛師団長も静観していた中で、阿南陸相の考えがたとえ本土決戦であったとしても陸軍全体としては一致団は難しかった。おまけに阿南は若かりし頃侍従武官を務めており、天皇は阿南を「アナン」と親しみを込めて呼び信頼関係は深かった。阿南は天皇の意思に逆らってまで本土決戦するつもりは毛頭なかったろう。鈴木首相もまた侍従武官の経験があり天皇の信頼は厚かった。
涙無しでは観られない素晴らしい動画でした。阿南大将こそまさにラストサムライです。
「これは乃木が与えた悲劇的な転機である」が切ない。
この人が、人事局長になった時、こんなに出世する人だと考える人は少なかった。彼が畑陸相を辞職させた張本人だと聞いている。これが三国同盟に賛成する陸軍主流の総意だったらしい。
これが米内内閣の総辞職につながり、三国同盟が成立することになったけど、その時の彼の心境を聞いてみたい。これは彼が尊敬する昭和天皇の意見とは真逆の意見だったからです。
戦争は始めるより終わらせる方が難しい。
敗戦間際になると抗戦派と降伏派の折り合いが付かなくて、取り返しの付かない負け方をして滅亡した国が歴史上沢山ある。
今回紹介されてる阿南大臣は、陛下や鈴木首相と共にその辺りの折り合いを上手く付けてくれたと自分は解釈してる。
タイミング的にも日本が連合国側に分割統治されずに済んだ。
もし分割統治なんてされてたら、呑気にこうやってコメント出来るような日本ではなかったかもしれない。
乃木さんと、こういう繋がりがあったのかぁ~。
石原さんと同期なのも初めて知りました❗
阿南閣下と東條の写真を比較すると阿南閣下は軍服がよく似合う厳格な軍人というイメージで、逆に東條はその辺のおじさんが無理して軍服きてるようなイメージですね。
やはり東條は軍人より地方の役所の中間管理職くらいが似合っていたと思います。
また、切腹して数時間も激痛に耐えて死んだ阿南閣下と、拳銃使っても死ねなかった東條と阿南閣下と東條は死に方も対をなしてます。
軍人人生の産声を「乃木の子」として挙げた彼が自決に至った事に、どこか運命めいたものを感じる。
陸相という立場上、バーンズ回答では確信が持てなかったが陛下の確信により終戦のハラを決めたと思う。
アメリカも立場上、あまりハッキリとは言えなかったから
陛下の洞察力はかなりの物だ。
長沙では盛大にやらかしたけど、この人が陸軍大臣でなければ日本はもっとひどいことになっていた。2.26の時の対応でもこの人の良識ぶりがよくわかる。
梅津が参謀総長であったのも良かった。阿南と梅津は陸軍の良識派。
遊就館に阿南閣下の遺書があります。
私は「日本で一番長い日」の映画を見て閣下を知りました。
阿南氏の事は映画になりました😢
阿南氏は、若き日の昭和天皇陛下にもバンと言える人だったのは有名でした😢
石原莞爾と阿南氏をうまく使ってたら、もっと世界は変わってたかもしれないけど・・・
でも、第2の東條みたいなのが現れ兼ねないから・・・
後は、視聴者の気持ち次第に任せます😢
バイト前に見るんじゃなかった。涙が止まらない
😆
この戦争の法則として立派な方から亡くなっていく。と、聞いたことがあります。
まさに真の侍なり。
介錯なしの切腹は素晴らしい。
天晴也。
負け逃げだろ
@@田中一朗-y2bへ
貴様、英霊に失礼だろ。謝罪しろ。
@@nobutarou192 東京裁判で言いたいこと全部言ってから堂々と絞首刑になるべきだった、と言いたいんだヨ。
@@田中一朗-y2b へ
あり得ない。侍に絞首刑とか。
武士なら潔く腹を切る。これが武士道なり。
@@田中一朗-y2b非国民
半藤一利氏の「日本のいちばん長い日」を読んで感動しました。再読しましました。阿南陸相は、色んなことを考えていたのだと思います。
それは、そうでしょう。虚心坦懐に色んな選択肢を考えるのは当たり前でしょう。旧帝国陸軍最後の陸相が阿南でよかったと、思うべきだな。
だからGHQ、マッカーサーが阿南陸相の最期をいったい、どういうふうに捉えていたのか、興味深いところが、まあ、推してしるべしか。
で、東条とはウマが合わない石原莞爾を指揮者にしていたら、まったく戦局は変わっていただろうと、と思う。IFですが。
皮肉
▪鈴木貫太郎氏は…2・26事件で撃たれが、奇跡的に回復する…戦争の終結に力を注ぐ
①阿南陸軍大臣は…東條氏の対立が激化する…石原元陸軍中将の処置後に異動命令が…東條内閣が総辞職、次ぎの内閣倒れ⇒鈴木内閣に…舵取りの難しい事業を挑む。見事に乗り越える…最後は自決。
②194504に…敵国の民主党政権のルーズベルト大統領が死去後に弔電を密かに打電する…民主党政権内に親日派が動き出す
戦後も生きてほしかったと思うのは平時の今を生きる我の勝手か。
そう思えるだけで十分素晴らしいと思いますよ
少なくとも自分はそう思いました
本物の軍人ですね。
東條と阿南。
年功序列の悲劇。
それは、海軍の南雲忠一と山口多聞のミッドウェイでの悲劇も同じですね!
山口多聞が司令官だったらミッドウェイ島攻略はこんな一方的大敗北はしなかったと思います。
上手く行けば、勝てたでしょうし、最悪でも差し違うくらいの五分五分の戦果になったと思います。
ただ戦争全体として見れば幾ら各戦闘で勝利した所で日本が勝てる見込みは無かったとも思います。
良くて休戦と思って居ます。
どこまで考えていたのかは分からないが、この人が自害したことで、陸軍があれ以上暴走しなかった。
答えは阿南陸相殿しか知らない。
ただし裕仁様、鈴木総理が最大限、信頼していた人物であり、その後の陸軍による反発を
最小限に留めた事は事実である。(最敬礼)
阿南は個人的に近代戦争史の中で2番目に好きな軍人1番好きなのは山下奉文将員かな
複雑な思いがします。
佐々木氏の著作に依ると大きな損害で得るところの少なかった第二次長沙作戦を「道義の戦い」と言う戦術とは異なる訓示で始めた事に不安を抱いたとの記述があります。
実戦よりも本土にあって軍政に勤しむべき方だったのでしょうか?
結果論ですが東条首相は陛下のご意志に適わなかった段階で辞任して別の人が新しく戦時内閣を組閣し その閣僚に阿南氏が就任すれば戦争も違った推移を辿ったのかも知れません。
出会い運命とは過酷なものです。
この動画を観る前に別の動画で観た久米島虐殺の鹿山正兵曹長はこの動画を観ても自分は帝国陸軍軍人と答えられるかを問いたい。
軍神が育て上げた最後の侍
😆😆
批判は誰でも出来る 覚悟を持って事を行う事 自らの命をもってその責を償う事は誰にでも出来る事ではない 偽りのない命懸けの事をやって来た先人に我々ごときが軽々しく評価する事自体おこがましいとつくづく思う
日露戦争にせよ対米英戦争にせよ、戦争の責務を背負う事は我が身を掛けての事だと痛感する。
同時期における戦犯ないし軍司令官の中でも自陣して責務を背負おうとした者は少ない。
阿南も乃木の自陣の旨を参考にしたのだろう。
陸軍の指導者がみなこの人のような性根であれば、我が国にとってはまた違った結末が待っていたのかな‥‥と思ってしまう
😆😆😆
ねーよ。
下の連中が勝手も暴走しまくって世論もそれを後押ししている。
指導者層からしてみれば抑えが効かない悍馬に乗っているような状態だったよ。
阿南君は暇乞いに来たんだよ…
阿南陸相が"陸軍の総意を代表して"と
鈴木首相に言ったのであれば
彼の本心は別の所にあったのでしょう。
もし彼も陸軍の総意と同じ考えだったら
別の言い方になっていたと思います。
本土決戦をしたら、日本は間違いなく滅びていただろう。この危機を救ったのが、昭和天皇と鈴木総理、阿南陸相の3人だったといえるだろう。その中でも、暴走しかねない陸軍を抑えて、終戦に導いた阿南陸相の手腕は光っている。責任の取り方も、切腹という痛みを伴うもので、ご自身の責任をとった。昭和天皇も、彼の悲報を聞いて涙流されたに違いない。私たち日本人が、忘れてはいけない偉人だと思う。
国民の命を無視して本土決戦を強行しようとする主張は人間として認められない。
だから最後は自分の主張に責任をとって自決したのだろう。醜く死にそこなって処刑された東条とは大違いだ。
映画 日本の一番長い日 オススメですよ。特に山崎努がいい。
阿南陸軍大臣の役を演じた、役所広司の演技を思い出しました。
深く、一礼を・・・。
バブルの時の軍国派はアメリカにしてやったりだったんだろうな。
24時間闘えますか?は月月火水木金金と同じ意味。
開戦時と終戦時に外相だった東郷茂徳は、鈴木首相から阿南陸相自刃の報に接したとき、秘書にこう漏らしたらしい。
*総理と阿南さんは、同時期に侍従長と侍従武官だったことから、天皇問題に関しては阿吽の呼吸だったんだよ。
*その関係性を考えれば、終戦決定にいたる重臣会議での阿南さんの発言は、本心ではなかったことと思う。
*もし阿南さんの発言が彼の本心から出たものであったとするならば、辞職して内閣を崩壊されていただろう。私も、とっくに暗殺されていたはずだよ。
軍事指揮官としては長沙で大失態を演じたが、結果論的に言えば終戦時陸相が「あなん」で良かった。
日本の一番長い日の映画の役所広司のイメージがありすぎる
安藤輝三
唯涙であります😭
阿南惟幾氏は、参謀本部の圧力と天皇の輔政大臣の立場で板挟みになったのではないのか?
ただ、ポツダム宣言反対の立場が、陸軍大臣の立場での発言では「参謀本部からの同調」と思われたが、その後の国体護持つまり天皇制が消滅されるという恐れで反対したのではないのか?🤔
国が滅びかけても、手続やら国体やらで決断が遅れる国が、今くらいの危機で動けるワケないよな
〘小林よしのり〙の漫画《昭和天皇論》を読んで、阿南惟幾を初めて知ったが🤔石原莞爾との関係は知らなかった🙄
東条英機も阿南惟幾も平凡な軍人ではあったが…非凡な石原を認めていた阿南の方が、将器(将としての器)があって、指導者に相応しかったと思う😢
「米内を斬れ」はどういう意味合いだったのかな
ただ嫌い?
それともコミンテルン…?
米内はソ連でハニトラにでも…かな。
@@バイロー-z1v
子供がいた説はありましたね確か
まあそこまで危惧するほどは傾いてはないのかなとは思います
@@susa2439 末期あたり、ソ連へ海軍の軍艦を渡すかわりに石油を、と米内はいっていた。陸軍にとり最大の仮想敵であったソ連の内通者であった可能性がある。
歴史の結節点に向かって命が集結して仕事が終わると静かに去って行くんやな?
どこぞの東条とは大違いだからいいよね
逆に本土決戦までやっては
ボコられたドイツとか
よくあそこまで復興したよな、
あれ🇯🇵だったらどうなってたか
分からんぞ😂
阿南だろうが、東條だろうが、石原、近衛、松岡、山本だろうが、誰も開戦責任をとろうとしない。皆が皆、あの時は自分は無力だった、しょうがなかった…と言わんばかりに…
石原なんか日中戦争引き起こしながら、負けたら「ペリーを呼べ」だと。
情けない。
満州事変ですがね。そもそも大日本帝国自体がテロリストが官軍となり打ち立てている時点で覇権国。敗北は必至でした。靖国神社、護国神社へ賊軍とされた者等を合祀しなければならないです。
日本でいちばん長い日でみたな
国内に温存した兵力(海外軍人のほとんどが餓死または風土病死)を信じる軍と終戦決定の狭間で阿南大臣は自決せざるを得なかったのでしょう。本土決戦すれば勝てたという話は戦後しばらくは有力でした。1945年日本の核実験の成功を上奏した際に使用させなかった昭和天皇の英断も頭をよぎったのかもしれません。使用していたら我々の命はなかったかも知れません。戦時国際法を無視し卑怯極まりない連中だから。他国は。戦時中と言えども民間人を標的にした空爆は虐殺(ジェノサイド)。
おはようございます、ならば阿南さんにも生きて罪を償って欲しかったそれが若い人達を死なせた上の人間の責任の取り方だと思っています、恥を更しても生きて罪を償う事が本当だと思いませんか!?
リメイク版の日本のいちばん長い日
😆😆😆
国民の自由と生命の保護という軍人のあるべき姿を忘れ、国体保持だけに囚われた戦犯だと思うが、後から行くと言いつつのうのうと寿命を全うした腰抜けよりよほどマシだな
本当の戦犯はルーズベルト
阿南がこうでもいわなければ、早々にクーデターになってた。国体護持が図られなければ、陸軍は本土決戦を放棄しなかったしね。彼の言う国体護持とは、単に天皇を保護するだけでなく、それにより体制(治安)を維持する意図が含まれていたのではないか。
なぜ東条と対立する人は優秀の?阿南 石原 山下 栗林閣下
阿南が大罪を謝したのは裕仁に対してだし、裕仁は国民に謝しことはなかったし、どいつもこいつも狂っとる、この国は。
非国民
?
戦前の政治実務的に見て、戦争を始めたのは天皇でなく、軍と政治家だしね。それに有権者の少なからずが迎合したんだから、謝るのは戦争に賛同した政治家、軍人と有権者の方だわな。
自分の身を犠牲に国民を守ろうとした昭和天皇に何言ってんの?
腹を切れば済まされるという問題ではない。
しかし、腹を切らずにノウノウと生きてた人間よりは幾分ましだろう。
阿南大将の態度が
敗戦の将のごく普通の態度であり
東条英機があまりにも
武人にあらざるおこない
全く女々しかぎりだ
阿南大将は間違いなくA級戦犯で死刑になっていた。
死んで詫びれたと思うな❤
生きてること事態が罪の貴方よりマシ
現代にこの様な方が居られたら違う日本になっていただろう、英霊となられた今この国を見て嘆いておられるに違いない。
さすが、東条英機は指揮官としては最低だなぁ