ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
ありがとうございます!
菊谷先生の法話を聞きながら、外の仕事をしています🙇色々なテーマでお話されるので、大変勉強になります❗️1度もお礼していなくて、申し訳けありません🤗光に向かって進みます✨😌✨
ありがとうございます。
何回も、菊谷先生の動画を見ています。いつも、本当にありがとうございます。仏縁に出会えて感謝です。
菊谷先生😆心の学びになりました🙆ありがとうございました😉👍️✨🙇♂️
頼りになるものがない世の中、不安定な所へ向かっている自分、自灯明をたよりに生きる‼️と思っても自分の心こそ無常で頼りないように感じます。自分にふりかかった不幸を考え尽くすと、熟考し続けると不幸と思った出来事が実はありがたかった、と心から気付くということでしょうか。少しでも多く不幸のどん底だと思っていたことが、有り難かった🙇と心踊る人生を送りたいです😃
そうなんですね。自灯明、ということを実践すると、どういうことが知らされるか、以前ブログで書いた内容です。=====仏教に「自灯明(じとうみょう)」という言葉があります。お釈迦様が亡くなられる際に「自らを明りとせよ。自己をよりどころとせよ」と説かれた教えです。 親の期待に応えようと懸命に生きてきた人は、親を失った時、どうしていいかわからなくなります。会社に人生を捧げ、会社での仕事を生きがいにしてきた人は、退職した後に虚しくなります。子供の成長を命に生きてきた人は、子供が巣立ったとき、胸にぽっかり穴が空き、これを「空の巣症候群」といいます。自分以外の誰かを灯りとして、その人に前を照らしてもらって人生行路を歩いている人は、その人がいなくなったとき、真っ暗闇をさまようことになってしまうのです。 それでお釈迦さまは「自己を明りとせよ」「自分でよく考え、判断し、そして責任を持て」と教えられました。そうすると、今まで人に依存し、うまくいかないと人のせいにし、外にばかり目が向いていた自分が、「回れ右」で、自己の内面に目を向けるようになります。ここが仏教の出発点になります。 では自己を見つめていくと、何が知らされていくでしょうか。 今度はよりどころにならない、たよりない、弱い自分が見えてくるでしょう。こんな自分がどうしたら確固たるものになれるか、明りとなるのか、そこが必ず問題になります。まさにここに悩まれたのが親鸞聖人の求道でした。そしてその解決をし、生涯かけて教えられたのが親鸞聖人の教えであり、わたしが最も伝えたい内容でもあります。
菊谷先生、関連のブログをあげてくださりありがとうございます。一生をかけて自分の弱さと向き合う自分であると強く思っています。そして菊谷先生が最伝えたいその事を聞法させていただきます🍀もwww.hamadayama-p-dc.info/sp/clinic.html@@byBuddhism
いつも親鸞聖人の教えありがとう御座います。力強いお話しに惹きつけられます。
ありがとうございます。感謝します。南無阿彌陀仏
ありがとうございます。南无阿弥陀仏。
菊谷さん、こんばんは😊弘誓に仏地。弥陀の本願「疑い有ること無し」まで聴き求めたく思います。聴聞に極まる。いつも有り難うございます。南無阿弥陀仏🙏
弥陀の本願に疑心あることなき境地を「心を弘誓の仏地に樹て」と言われています。
いつも有り難うございます。現在は、色んな人に支えられ、守られて幸だと思っていますが…でも、諸行無常、何時かは崩れ去る日がくるんですね…怖いです、不安になります。弘誓の仏地!何があっても揺るぎない安心、変わらない幸。早く、聴かせて戴きたいものです❣️
その不安、ハッキリ晴れるまでお聞きください。
菊谷さんいつも有り難うございます。仏教を支えにします。🙇
いい動画でした。有難うございます。
いつも心の勉強をさせて頂いています。 毎日繰り返し聞かせて頂き感謝しております。 有り難うございます。
ありがとうございました。
心を弘誓の仏地に樹てる❣️揺るぎない幸✨様々な欲求に惑わされる事なく、いかなる事に対しても感謝の意を持って自分自身の人生を大切にします☘
「願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず 仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず」「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」「念仏者は無碍の一道なり」「摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」「獲信見敬大慶喜」〜生きてよし死んでよしの絶対の幸福です。菊谷先生いつも本当にありがとうございます。〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
仰られたのはすべて絶対の幸福を高らかに宣言された親鸞聖人のお言葉ですね。南無阿弥陀仏。
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
菊谷講師ありがとうございました🙇
貴方は教行信証を読まれましたか?あれほど難解な書物はないです。それを読んで喜びにあふれているとは素晴らしい読解力ですね。
おはよう御座います(*^^*)名古屋駅でイヤホンして友達との待ち合わせまで聴いてます(*^^*)
ありがとうござざいます。ある方から声が小さいとありましたので、今後改善してまいります。
精神科医師が著書の中で「お金や容姿などを自信の根拠にすることは(三匹の子ブタの)藁の家のようなもで何かも拍子で簡単に吹き飛んでしまう」といてい自信に根拠はないほうが良いと言ってたのを思い出しました
釈迦は「火宅の如し」といわれています。同じ事ですね。
なんとかなる。根拠はない。でいきます。
グゼイノブッチ。何が起きても揺るぎのない安心を手に入れるにはグゼイノブッチに心を手たることできればよい。
ありがとうございます。不動のプッチでピントきました。^^
신란성인의 말씀은 정말 인간의 의표를 찌르는 데가 있는 것 같아요. 감사합니다.
ハングル読めないので、翻訳ソフトで読みました。親鸞聖人に関心をお持ちのこと、ありがたく思います。
三木清先生の無残な死には心が痛みます。
左手の法則~今みています。
本質に軽く触れるか触れないかの瀬戸際で毎回話を終わらせてるんですね 聞く前より余計モヤッとして毎回終わります。
恐らくそれが狙いなのではないですか?w教行信証を読むのが一番確実です。
教えには回答が与えられるのではなく、個人個人の心のアンテナの受信で、心を澄ませば感度は高まる経験を覚えます。私は心しずめてから聴聞し理解できなくとも続けています、感謝しつつ、、、。
先生、いつもありがとうございます。確かに人間、何か頼りにするものがないと、すぐ崩れてしまう弱い生き物だと思います。ただ、苦しい時に目に見えないものを信じていくのも、また厳しい道のように思えます。かと言って見えるものを信じてはいませんが😅なかなか、聴聞し続けていくのも大変ですが、ゆっくり、でも急いで頑張っていきたいと思います。有難うございました。
よくわかります。目に見えるものは確固たるように思いますが、夢幻になります。弥陀の弘誓は目に見えないので頼りなく思いますが、これ以上確固たるものはないとはっきりするときがあります。
教行信証に"喜ばしきかな"で始まり"喜ばしきかな"で終わる。 とお話しくださいましたがどこ辺りに書かれてありますか?捜し方が悪いのでしょう。捜せません。
仏法の教えとは関係がありませんが、「がん=死」という観念は変わりつつあります。それは、がん治療において、薬物治療が大きく進化し、ゲノム解析による「分子標的薬+免疫チェックポイント阻害薬(本庶佑氏のノーベル賞)」による個別化治療が大きく成果を上げており、ここ2-3年で生存年数が伸びて、完治する事例も出てきたとのことです。また、2021年に学会の標準治療ガイドラインも変更されています。ですから、「がん=死」という譬えは、現在では、正確ではないということです。
なぜ樹てれたのですか?
法然上人から本当の仏法を聞かれたからです。続けてお聞きください。
あなたのお話は回り道ばっかりしていて肝心の答えがはっきり分かりませんね… 。
ありがとうございます!
菊谷先生の法話を聞きながら、外の仕事をしています🙇
色々なテーマでお話されるので、大変勉強になります❗️
1度もお礼していなくて、申し訳けありません🤗
光に向かって進みます✨😌✨
ありがとうございます。
何回も、菊谷先生の動画を見ています。いつも、本当にありがとうございます。仏縁に出会えて感謝です。
菊谷先生😆心の学びになりました🙆ありがとうございました😉👍️✨🙇♂️
頼りになるものがない世の中、不安定な所へ向かっている自分、自灯明をたよりに生きる‼️と思っても自分の心こそ無常で頼りないように感じます。自分にふりかかった不幸を考え尽くすと、熟考し続けると不幸と思った出来事が実はありがたかった、と心から気付くということでしょうか。少しでも多く不幸のどん底だと思っていたことが、有り難かった🙇と心踊る人生を送りたいです😃
そうなんですね。自灯明、ということを実践すると、どういうことが知らされるか、以前ブログで書いた内容です。
=====
仏教に「自灯明(じとうみょう)」という言葉があります。
お釈迦様が亡くなられる際に「自らを明りとせよ。自己をよりどころとせよ」と説かれた教えです。
親の期待に応えようと懸命に生きてきた人は、親を失った時、どうしていいかわからなくなります。
会社に人生を捧げ、会社での仕事を生きがいにしてきた人は、退職した後に虚しくなります。
子供の成長を命に生きてきた人は、子供が巣立ったとき、胸にぽっかり穴が空き、これを「空の巣症候群」といいます。
自分以外の誰かを灯りとして、その人に前を照らしてもらって人生行路を歩いている人は、その人がいなくなったとき、真っ暗闇をさまようことになってしまうのです。
それでお釈迦さまは「自己を明りとせよ」「自分でよく考え、判断し、そして責任を持て」と教えられました。
そうすると、今まで人に依存し、うまくいかないと人のせいにし、外にばかり目が向いていた自分が、「回れ右」で、自己の内面に目を向けるようになります。
ここが仏教の出発点になります。
では自己を見つめていくと、何が知らされていくでしょうか。
今度はよりどころにならない、たよりない、弱い自分が見えてくるでしょう。
こんな自分がどうしたら確固たるものになれるか、明りとなるのか、そこが必ず問題になります。
まさにここに悩まれたのが親鸞聖人の求道でした。
そしてその解決をし、生涯かけて教えられたのが親鸞聖人の教えであり、わたしが最も伝えたい内容でもあります。
菊谷先生、関連のブログをあげてくださりありがとうございます。一生をかけて自分の弱さと向き合う自分であると強く思っています。そして菊谷先生が最伝えたいその事を聞法させていただきます🍀もwww.hamadayama-p-dc.info/sp/clinic.html@@byBuddhism
いつも親鸞聖人の教えありがとう御座います。力強いお話しに惹きつけられます。
ありがとうございます。感謝します。南無阿彌陀仏
ありがとうございます。南无阿弥陀仏。
菊谷さん、こんばんは😊弘誓に仏地。弥陀の本願「疑い有ること無し」まで聴き求めたく思います。聴聞に極まる。いつも有り難うございます。南無阿弥陀仏🙏
弥陀の本願に疑心あることなき境地を「心を弘誓の仏地に樹て」と言われています。
いつも有り難うございます。現在は、色んな人に支えられ、守られて幸だと思っていますが…でも、諸行無常、何時かは崩れ去る日がくるんですね…怖いです、不安になります。弘誓の仏地!何があっても揺るぎない安心、変わらない幸。
早く、聴かせて戴きたいものです❣️
その不安、ハッキリ晴れるまでお聞きください。
菊谷さんいつも有り難うございます。仏教を支えにします。🙇
いい動画でした。有難うございます。
いつも心の勉強をさせて頂いています。 毎日繰り返し聞かせて頂き感謝しております。 有り難うございます。
ありがとうございました。
心を弘誓の仏地に樹てる❣️
揺るぎない幸✨様々な欲求に惑わされる事なく、いかなる事に対しても感謝の意を持って自分自身の人生を大切にします☘
「願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず 仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず」「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」「念仏者は無碍の一道なり」「摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」「獲信見敬大慶喜」〜生きてよし死んでよしの絶対の幸福です。菊谷先生いつも本当にありがとうございます。〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
仰られたのはすべて絶対の幸福を高らかに宣言された親鸞聖人のお言葉ですね。南無阿弥陀仏。
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
菊谷講師ありがとうございました🙇
ありがとうございます。
貴方は教行信証を読まれましたか?
あれほど難解な書物はないです。
それを読んで喜びにあふれているとは素晴らしい読解力ですね。
おはよう御座います(*^^*)名古屋駅でイヤホンして友達との待ち合わせまで聴いてます(*^^*)
ありがとうござざいます。ある方から声が小さいとありましたので、今後改善してまいります。
精神科医師が著書の中で「お金や容姿などを自信の根拠にすることは(三匹の子ブタの)藁の家のようなもで何かも拍子で簡単に吹き飛んでしまう」といてい自信に根拠はないほうが良いと言ってたのを思い出しました
釈迦は「火宅の如し」といわれています。同じ事ですね。
なんとかなる。根拠はない。でいきます。
グゼイノブッチ。何が起きても揺るぎのない安心を手に入れるにはグゼイノブッチに心を手たることできればよい。
ありがとうございます。
不動のプッチでピントきました。^^
신란성인의 말씀은 정말 인간의 의표를 찌르는 데가 있는 것 같아요. 감사합니다.
ハングル読めないので、翻訳ソフトで読みました。親鸞聖人に関心をお持ちのこと、ありがたく思います。
三木清先生の無残な死には心が痛みます。
左手の法則~今みています。
本質に軽く触れるか触れないかの瀬戸際で毎回話を終わらせてるんですね 聞く前より余計モヤッとして毎回終わります。
恐らくそれが狙いなのではないですか?w教行信証を読むのが一番確実です。
教えには回答が与えられるのではなく、個人個人の心のアンテナの受信で、心を澄ませば感度は高まる経験を覚えます。私は心しずめてから聴聞し理解できなくとも続けています、感謝しつつ、、、。
先生、いつもありがとうございます。
確かに人間、何か頼りにするものがないと、
すぐ崩れてしまう弱い生き物だと思います。
ただ、苦しい時に目に見えないものを信じていくのも、また厳しい道のように思えます。
かと言って見えるものを信じてはいませんが😅
なかなか、聴聞し続けていくのも大変ですが、ゆっくり、でも急いで頑張っていきたいと思います。有難うございました。
よくわかります。目に見えるものは確固たるように思いますが、夢幻になります。弥陀の弘誓は目に見えないので頼りなく思いますが、これ以上確固たるものはないとはっきりするときがあります。
教行信証に"喜ばしきかな"で始まり"喜ばしきかな"で終わる。 と
お話しくださいましたがどこ辺りに書かれてありますか?捜し方が悪いのでしょう。捜せません。
仏法の教えとは関係がありませんが、「がん=死」という観念は変わりつつあります。それは、がん治療において、薬物治療が大きく進化し、ゲノム解析による「分子標的薬+免疫チェックポイント阻害薬(本庶佑氏のノーベル賞)」による個別化治療が大きく成果を上げており、ここ2-3年で生存年数が伸びて、完治する事例も出てきたとのことです。また、2021年に学会の標準治療ガイドラインも変更されています。ですから、「がん=死」という譬えは、現在では、正確ではないということです。
なぜ樹てれたのですか?
法然上人から本当の仏法を聞かれたからです。続けてお聞きください。
あなたのお話は回り道ばっかりしていて肝心の答えがはっきり分かりませんね… 。