ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
手塚るみ子さんと田中圭一さんのプロレスは最高傑作
「ライオンキングは赦せても」www
確かにアレは帯を見て買いましたね「帯にも印税!」はその通りかもしれない(笑)
昭和41年生まれですが、サンライズ・アニメの時間帯を視聴していて、ダイターン3の最終回のあと、次回からは「機動戦士ガンダム」ってのがはじまるのか~って、そのままリアルタイムの第1話を体験したので、山田さんの言う「ガチヲタ」に相当するようです。
私も同じ、ひのえうま生まれです。当時はロボットマンガ(アニメって呼び方はまだレア)は小学生が見るモノって感じで、中1でガンダムにハマってた私達3人は、クラスでは『変なヤツ』扱いされてましたねぇ…変人扱いしてたヤツが、ブームになってからガンダム見だしたので『今頃かよ😂』って失笑してやった思い出。
自分も41年生まれですが、ガンダム放映時に布教しまくったが、皆にバカにされていましたが、劇場版始まると皆が掌返ししてガンダムブームが始まるw
自分は46年生まれだったのでダイターン3のストーリーも分からず超合金だけ遊んでいたのでガンダムは難解すぎて脱落していった方ですね。観たのはガンプラが流行りだしてからです。
私は42年生まれ、ガチヲタだったのですね…
ウチの地域はザンボット3、ダイターン3はやっていたのだが(多分放送局が少なくクロスネットということで一週間遅れで夕方放送だったと思う)そのあとのガンダムは直ぐに放送されず。そのうちあっちの都会の方ではガンダムっていうのが流行っているらしいぞってことで、子供雑誌にも載るようになり、放送局に嘆願した方がいたのか、我が地域でのガンダムの放送は一年遅れで、ようやくだった。
新潟では遅れて放映してましたが、リアタイで観てました。もちろん帰宅部でしたとも。
田中圭一さんドクター秩父山の時代からよんでいます本当に面白くて下品な漫画だなぁと大笑いしていました
アレ(ドクター秩父山)がアニメになった時は「マヂで?」でしたからねえ・・・
しかもOP、EDの作詞、歌がケラというw
流石にコシガヤバーガーの店長ネタはアニメには出来なかったという…
丙午です。本放送はザンボットの1話からテレビの前で正座して見てました。名古屋テレビ初のアニメ番組との触れ込みでしたが、マンガ少年の増刊号で知っていた「六方破れ君」が不憫でたまりませんでしたね。
いじくられもしないのは終わってる漫画家ネタになるのはまだ作品が生きているから美川憲一が自分を笑いネタにしてくれてるコロッケをむしろ優遇している話ですよ
高校一年生の時にガンダムの本放送を見ました。当時、ロボアニメは殆ど見てなかったんですが、新聞のテレビ欄で「機動戦士」の文字を見つけ「R・A・ハインラインの”宇宙の戦士”のアニメ化か!?」って勝手に思い込んで(笑)見たのがきっかけでした。「コレはパワードスーツサイズだ」と思い込んでたザクの胸から小さい人が出てきた時にはえっ!?ってなったんですが😅、第一話を見終わって「なんかスゴイもんが始まった」ってなって、翌日、学校で友達を捕まえて「ガンダム、見たか!?」って興奮気味に話したものです。ただ、数ヶ月後に運動系のクラブに入部したために毎回見ることは叶わず、その時点で「ガチオタ」の道からは外れていたように思います😅
富野作品は今までの勧善懲悪のありきたりのアニメではなく、相手にも正義があると言うところに興味が湧き、正義があっても何処かで手段を間違えると正義とは違うものに変質していくもの、今までと違う感じが良かった。でも過去にアニメ版『海のトリトン』を見た時と同じくらいの衝撃を受けたのを思い出した。で、調べたら… 監督がまさかの富野さんだった😳‼好きなアニメで他と一線を画しているストーリーのアニメには必ず富野さんの名前が何処かにあった。
メルモちゃんを「なんでママァちゃんじゃないんだ」と思いながら観ていた小学2年制の頃。裸シーンがあっても手塚作品だとなぜか親も何も言わなかった。
『あしたのジョー』最終回の翌週に『天才バカボン』で「あたしのジョー」というパロディかます赤塚不二夫すげえと思いましたよ。
ハタ坊だジョー
天才バカボンの途中に、「今ちばてつやが、明日のジョーどこまで書いてるのか気になる」とか書いてました
松本零士先生の漫画はヤカンにまでメーターが付いていたな、あと登場する機械類のシリアルナンバーや型式は9のゾロ目ばかりだった。
松本零士さんの絵って非常〜に独特ですけど、敢えて言うと、水木しげるさん系統ですよね。
今のコンテンツの誕生の瞬間の価値を否定しないのすごい。
でもね「宇宙戦艦ヤマト」をリアルタイムで観るには「アルプスの少女ハイジ」が観れなかったんだよ・・・。あの時代、あの日曜のあの時間帯に、家に1台しかないテレビで、親の目の前で姉貴を排除して「宇宙戦艦ヤマト」を観るなんて無理だったんだよ。ちなみにガンダムは塩の回だけリアルタイムで観ました。
自分は「猿の軍団」を見たがる弟と争って兄の特権でヤマト見てましたただクラスメイトはヤマト派がいなくて再放送でみんなが見るまで全然話ができなかったのを憶えてます
僕も妹2人と争ってました。結局2階の小さなTVで見ることが多かったなぁ。
@@unchainoz1猿の軍団を観続けたけど、全く後悔してませんねSFオタクだったから、老人会ジェットコースターとか最終回の切なさとかもうね
も少し下の世代だけど、チャンネル競争は負けっ放しだったなぁ。
自分も「猿の軍団」派 (´ー`)ノ でも他2つは結局いつでも見られる状態になったしw、最終勝ち組でしょう ♪ でも宝島最終回見たさに、サザエさん見たかった従兄弟を泣かせちゃったのごめんなさい
団塊ジュニアはTVゲームの創成期から進化の過程を見れたのでこっちはこっちで幸せだったなぁと思うのです。
山田玲司、島本和彦、岡田斗司夫、田中圭一この四人総出演のトークショーとかあったら、是非見たいwww
多分、私は田中先生の一学年上ぐらいだと思う日本初の連続TV漫画のアトムと同い年記憶を辿ると、レインボー戦隊ロビンあたりから始まって鉄人28号、黄金バット、ウルトラQ、仮面ライダー、ウルトラマン、マジンガーZ、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムあたりを全部順番を追ってリアルタイムで観ていたある意味幸せな世代ガンダムはやっぱり学友3人ぐらいで色々話していたけれど内容はほぼ正確に理解していたと思うセイラ・マスとキャスバル兄さんのミドルネームがなんで違うんだろうと思っていた「悩ましのアルテイシア」は良い思い出wサンライズがそのものがゼロテスターからして当時先進的だったし、ザンボットの人間爆弾やダイターンの後だったので、ガンダムは革新的ではあったけれど「わりと正攻法で来たなー」という印象だったていうかこれ、出版社の忘年会の会話をそのまま映像化したみたいな内容だよねw
漫画・アニメだけでなく、パソコン、IT、インターネットの革新的発生〜発達〜普及を見てきた世代でもあり、もう『地球内における文明のビッグバン』をリアルに体験してきたと言えると思います。それが、昭和40年少し前辺りの世代の凄さ。(ボクはS.40年生まれ)
@@shibukazz TVがモノクロからカラーになったり、家に電話が付いたり、アニメは「テレビ漫画」だったり、ステレオって物(アンサンブル型)が出てきたり、ラジカセ、ウォークマン、ビデオ、ビデオカメラとともかく何でもわくわくした世代でしたね。幼稚園児の頃、カラーテレビの「砂の嵐」(微調整でチューニング中)が妙に好きでしたw
@@mid2007night さん、ホントにそうですね。ニンゲンという生物の文明開化の生き証人ですね。
手塚るみ子さん。ちょっとタイプ❤️
ピノコのモデルとか。
実際漫画の主役にもなったしな(マコとルミとチイ)・・・怒られたんじゃなかろうか手塚先生・・・
手塚さんちは親子関係良好そうですよね。
田中さんは喋りが達者だなぁ青島幸男やすぎやまこういちレベルですわ
ライオンキングは許せてもwwwwww
許すっていうより、取引したんだろ。ハリウッド版アトムを作るからと。結局作らなかったけど。
自分も1962年生まれのオタクなのですごく共感できる。
大阪芸大の漫研いたけど自分の世代は同級生でそれ町の石黒正数、先輩のコープスパーティーの祁答院慎 パンプキンシザーズの岩永亮太郎D4プリンセスの原田将太郎がいて、一緒にアニメつくったり同人誌描いたり 当時パソコンが普及したばかりのころで2D格闘ゲームツクールでオリジナルゲームつくったり楽しかったな
何それゴールデン・エイジ過ぎるやろ(-_-;)
@@oisyosan 他にも同級生で護くんに女神の祝福をや、お兄ちゃんはおしまい!の作画監督の佐藤利幸くんが自分達の世代の部長してた。佐藤くんと石黒くんは当事1回生でこいつらには絶対勝てないとおもわされながらも、負けるか!って対抗心燃やしながら作品つくってた 当事の同人誌いまでも手元に残ってるけどどれも100部も出回ってないけど 石黒くんの漫画はオリジナルもパロディでもめっちゃ面白かった あと印象深いのはうたわれるものとか、天体戦士サンレッドのシリーズ構成・脚本やってた上江洲誠先輩と漫画家のぶるまほげろー先輩かな とにかくみんな部室集まってクロッキー帖に落書きしたり実写PV撮影したりアニメーションもつくったり色々やったな
面白かったです!ありがとうございます!
漫画家の娘はやっぱりわかってらっしゃる、という事か。田中先生との軽快なトークのやり取りが漫才のようで絶妙。
ゆうきまさみの商業誌デビューってOUTのザ・ライバルだったかな?何気に高橋留美子共々漫画は必ずヒットしてるんだよなぁ。パンケア以外はw
四ページを二ページでデビューした。
くりぃむレモン久しぶりに聞いたわー。懐かしい
この手の対談で水木しげる先生の娘さん達vsドリヤス工場も実現希望。
トキワ荘のレジェンドをイジるのはある年代の漫画描きにとっては不敬行為になるっていうのが共通認識で、その昔「電脳なをさん」で「まんが道」のパロディをした時に出てきたチンチン丸出しの手塚オナ虫先生(しかも藤子不二雄タッチ)のコマの欄外ですいませんと謝罪する唐沢なをき先生のセンスには笑った
『神罰』初めて本屋で見かけたときは「秩父山を描いた漫画家と同じ名前だ~」と思ってましたね。まさか同一人物とは。田中先生はほぼ同い年なので、観てたものやハマったものが全く同じで面白いです。『ガムガムパンチ』もリアルタイムで読んでないですか?ギリギリの攻め、というスタンスがまた真面目な性格を表してますよね。
ファーストは’74、14歳リアルタイムです。あの時間帯はサンライズタイムでした。ザンボット3から始まる富野さんの系譜は最高でした。先輩のオタクにDAICONのオープニングを見た時に衝撃を覚えました。
くりぃむレモン懐かしいなぁ、、少し製作に関わった事を思い出す。。
ネジ式のパロディをアニメの「うる星」がやった翌日、一部(含むワイ)の盛り上がりがすごかった笑
銭湯のやつですねw龍之介親子のあしたのジョー2とエースをねらえ!のパロディー回も盛り上がりましたw
リアタイは裏の特撮ヒーローかなんかを見てた、1stは小学生か中学入りたてには難しくて。
闘将ダイモスでアニメって結構イケてないか?から高校合格できたから何か観てみるか、と思ったのがガンダムSFオタクからスライドしてハマったアニメージュの表紙で、あ特集してる!と雑誌も買い始めて、アウトとかアニメックとかセンチュリーとかそんな年末にカリオストロの城ですよ奥さん!もう沼でしょそれは
自分も田中圭一先生と同じ年の生まれで、ファーストガンダムをリアル視聴してました自分は、中高生にありがちのミリオタだったので、よりリアルに戦争を描こうとするガンダムには、とても興味を惹かれました
同じ方向だったので、ザクマシンガンが人間相当で45口径程度の薬莢が出るのにアムロの所に落ちるとドラム缶サイズになっていて「いやこれだとザクは180m無いとおかしいでしょ」と突っ込んでいたといってホールトマト缶ぐらいのがバラバラ落ちてきたら迫力無いけれどあの頃、何度手持ちのスターリングをザクマシンガンに改造しようと思った事か・・・
ブームに火が付いて畑違いの雑誌も特集組み始めた頃、その画像に「ガンダムはリアルなアニメだ。ガンダムがガンキャノンを発射すると空薬莢が出るのだ」と解説入ってて笑ったわ (*´∀`*)
「この枠空いてるから描かない?」って、まさか最初のサンデーの連載のことじゃなかろうな。あと、くりぃむれもんで上手いアニメーターが集まって云々というのは3作目のPOP CHASERのことですね。一作目の亜美シリーズはアニメーション的には平凡だった。
♪ ロンリーロンリーロンリーロリ〜♪ヽ(´ー`)ノ は、またちょっと後の話w
手塚漫画にドップリ浸って育ったから、田中氏のパロディにもドはまりしたな。
私は『再会、母よ』と『光る宇宙』『脱出』だけ本放送リアルタイムで見てる。その内容は……小学生に理解出来るわけない😂
おいしいとこセンサー仕事してますね (^^)/
田中さんと同い年! (^^)/ うちんとこは遅れの火曜5時からだったけど、ダイターン最終回の週だけ「ダイターン(終)4時・ガンダム(新)5時」という表示を朝の新聞で見て、地獄の帰宅劇!><汽車!通学だったので、ガンダムになってからは帰宅を諦めて駅前のダイエー!のテレビ売場前で見る習慣になった。そしたら5時になると他校生がぞろぞろ集まるようになっちゃってw、学校差のない毎週のコミュニティーになっちゃったな (*´ω`*)みんなの学校は修学旅行でガンダム見れない週が出るってんで散々?だったが、修学旅行がないウチの高校は羨ましがられてたw
ガンプラが小学生でダグラムは六年生でした。ドクター秩父山に笑い転げながら、高校の友人とダイコンフィルム観てましたね🎵
COMIC CUE、好きで読んでたな。地元の小さな本屋じゃ売っていないから池袋のでっかい書店に行って手に入れてました。田中圭一さんの漫画ではガンダム第一話をパロッたどうしようもない(誉め言葉)話で息が出来ないくらい笑いました。
ゆうきまさみのデビュー作はoutの編集が中4枚を紛失したのだが意味が通るから載せた話しがあるなぁ、ちゃんと単行本化したのに追加で描いたりはしなかったのもあの頃だったからか?
同じみのり書房のランデブーに載ってたスターシマックも面白かった。超人ロックも掲載されてたし。
正確には「月刊OUT本誌に2Pの空きができたので代理原稿に預かっていたゆうきまさみ氏の4Pの漫画(から中2P を抜いて)使った(2P抜いても意味が通じた)」
やっぱ「ザ・らいばる」の事でしたよね (´∀`) そう、あれ2ページバージョンの方が全然面白いwたとえザクからゲルググに乗り換えていてもw
あぁ、確かにあの絵と帯で買いました!なにこれー(@@;って。これは間違いないやつだって直感で分かった気がしました
「ラララの娘」さんなんだ、初めて見た。
この世代が美味しいとこ全部持って行ったよなこっちは永久に見てるだけでさw
ガンダムは高校の時の文化祭の看板作りました。誰も知らなかった。桃谷のゼネプロも行きました懐かしい。
くりいむレモンはエロとは知らず絵が可愛くて憧れていた
今、配信されてるけど、18禁になってるのはいいかな。ロマンポルノが同じ配信で15年齢辺りになっている。
田中さんが、手塚プロにプロモーションに行くお話が好きです。田中さんの正体に気付いたスタッフの描写が、特に好きです。
ブラックジャック第一話のサブタイトル「医者はどこだ」も、ねじ式のパロディなんだよね。
つまりあなたがおっしゃりたいのは、こういうことですね。「イシャはどこだ」と。
コミックキュー 編集長江口寿史だったっけ あっという間に無くなったと思った
昆虫物語 ピースケの冒険でしょうもないwギャグマンガだな(誉め言葉)って思ったのが最初の出会い
エロアニメの元祖は、1973年封切の虫プロダクションの劇場用アニメ「哀しみのベラドンナ」が最初では?当時小6の私は、テレビの予告編を見て興奮した記憶があります。因みにファーストガンダムは高3受験シーズンで、共通一次の千葉市のビジネスホテルでガンキャノンをチラ見した覚えがあります。
田中圭一先生の一個下なのでほぼ同じ経験をしましたね。小学生の時はキングのワイルド7に嵌っていたのでそこは違いますがwPS:お名前間違えてたので修正。
ファーストガンダムが本放送されてた時、私は幼過ぎてよくかからなかったです。唯一の記憶が最終回でアムロが破壊されたガンダムを見て「まだ助かる」と言っていたシーンだけでした。
たしかゆうきまさみのはじめて商業誌に載った漫画って月刊OUTにのったガンダムのパロディでちたね✨
ぼくも相当な物好きの一人でしたw
手塚治虫がボボボーボ・ボーボボを見たらなんと言っていたか
土器手某のクレジットに笑っなぁ。
とり・みき先生のパロ漫画単行本持ってますよ❤
「臆病なプリンセス」最近なかなか耳にする機会がないですね。
カンダムリアルタイムで、見てて下にテロップが、流れて上映会の文字🎉大画面で、1話みて!クローバーのおもちゃ貰って帰りました🎉富野さんとか誰がいたか覚えてません🙄
漫画で血肉としてファーストブラッド食らったのは、ド根性ガエルえぇっ、漫画で恋を描いていいの!?というコメディの元祖だと思うそして楳図ウルトラマンのグロ、ワーストの最初期ゾンビパニック系、ハレンチ学園のエロとバイオレンス
ザンボット3から名古屋テレビ制作ロボットアニメは機甲戦記ドラグナーまでずっと見てました。ガンダムは小2で劇場版が小5から小6にかけてかな。ヤマトは愛の戦士たちを劇場で見て小学生だったけどラスト号泣した思い出
最初のガンダムは土曜日の5時半だった気がするが。地方局によって違うのかな?でも覚えてるのは宇宙戦艦ヤマト2の最終回も同じ日のハズなので、土曜日なのは確実。
ファーストガンダムは中3の時にリアルタイムで見てた。ザンボット、ダイターンと来てその流れで見てたな。ザクがモビルスーツの機種名って言うのやっぱ良くわかってなかったな。つか田中先生時期によって体重の増減が激しいけど今は痩せてるのね。
田中さんってクレバーだよね
田中先生、 『ピー助の冒険』が好きでした
ガンプラからでした😢
当時ガンダムうちの地域でやってたか不明だけど999はめっちゃ盛り上がってた。しっかし今にして思えば暗黒神話を少年ジャンプでやってたってのが信じられん。
星野之宣と諸星大二郎をジャンプで読めたのは幸せだった (*´∀`*) まぁ目当てはアストロ球団だったけどw
デビルマンとマジンガーZは同時に連載してたんだよね。
デビルマン執筆でいろいろ来るストレス?をマジンガーで発散できて良かった、みたいなのどっかで読んだな (´∀`)
中学生の時ファーストガンダムをリアルタイムで見てました。私以上にガンダムにハマった友人がガンプラが存在していない頃にプラモの兵士のフィギュアを魔改造してガンダムやザクなどのMSを作って私に自慢げに見せてくれたのを思いだしました。
ウゴウゴルーガの後か・・・スーパーミルクチャンとか?
世代ってのはあるな。私は中学の時にエヴァと少女革命ウテナのアニメをリアタイしてて確実に性癖がおかしくなったというか解放されたというかw
私もリアルで見てました
不敬という意味で言えば父親が鍵かけてしまってた落書きまで人目に晒す娘も相当なもんだろ。
田中さんと同い年だからよく分かる^^
ファンロードの聖闘士ダ星矢を楽しみたい為にジャンプで聖闘士星矢を読んでた
世界初のエロアニメは手塚治虫のクレオパトラでは?
あの当時のテレビ深夜帯で5分ぐらいでしたけどエロアニメ、AVコーナーあったの覚えてる
レモンエンジェルですね。黄昏ロンリー歌ってた桜井智さん7〜8年前に引退発表あったけど結局声優業続けてるみたいですな。
リアルタイムでガンダム見て友人とガンダムごっこという名のチャンバラやってた小坊もガチオタに入るんだろうか?
パロディで一番商業的に売れたのはやはりチーズ蒸しパンの銀魂かなぁ😂
アニメキャラでエロを書いた、牧村みきが......いや何でも無いです......
田中先生の高校の六つ下の後輩です。ガンダムはザンボット→ダイターン→の流れでリアルタイムでした。勧善懲悪じゃないロボットアニメが新鮮で小五には難しかったけどハマりました。脱落した友達にキャッチボールに誘われても金曜日だけは断ってましたね。
1話は高専入学式の翌日からの宿泊学習で視られなくて2話からですわ。ファーストでリアルタイムで1話とアッサムリーダーだけは再放送で視たな
うそ~1962年生まれですがガンダムは高校生の頃じゃないですよもっと前です、、高校2年の頃はサザンオールスターズがデビューしてましたよ
ガンダムって79年4月放送開始ですけど62年生まれなら高校生の時期じゃないんですかね。サザンのメジャーデビューの翌年ですよ。
大阪は金曜だからみんな見れないのか。名古屋は土曜5時半なのでみんな見てたがや。
「父の絵を研究している方」大学で漫画学の教授やっているので間違いじゃない。
昭和40年生まれですが、ガンダムシリーズは絵柄が好きでなく未だに未視聴です。
「もう一度見る」に現れてサムネを目にして気付いたのですが、このお二人の顔が結構似ていると思いました。どうでもいいけどw
おれもファーストガンダム見たぜ。札幌で。
当時は版権意識もユルかったからなぁ
田中圭一の話は面白いけど…。山田玲司の、私見を一般論のように断言するノリは相変わらずなんだな…。とりあえず、くりいむが世界初のエロアニメというのは絶対違う。
ファーストをリアルタイムで見てた小学生。訳わからずトライダーG7のほうが好きだった。
ガンダムの本放送はかなりみんな見てたけどな。
自分たちが正義っていう価値観がどうもね?いい時代に生まれたってもはすごくわかるけどもw
ザクという鉱物資源を奪い合う戦いかー
ん? 初のエロアニメは、中島史雄原作「雪の紅化粧」(1984年2月リリース)でしょ?くりいむレモン「媚・妹・Baby」のリリースは1984年8月だから個人的には、1983年公開アニメ映画「ゴルゴ13」内のエロシーンのほうが圧倒的にエロいと思うけどね演出:出崎統、作画:杉野昭夫で金髪ボインボインがよがるんだから
もっというと、手塚治虫先生が、1970年代に大人向けアニメとして、濡れ場シーンを入れた「クレオパトラ」とかが先駆になるとは思います。
@@satoshimori2380 そうなると、虫プロのアニメラマ第一弾「千夜一夜物語」(1969)も外せないですねで、「クレオパトラ」(1970)、「悲しみのベラドンナ」(1973)と続きます
@@ばっとまんおじさん 仰る通りですね。で現在に直接つながるエロアニメとしては「雪の紅化粧」でしょうね。ただしキャラが美少女というにはちょっと微妙ですが😅
@@satoshimori2380 まあ、「雪の紅化粧」も、原作漫画は中島史雄で美少女マンガのハシリではありましたが、アニメ版は当時でも古臭い劇画タッチでしたよねええ当時、漫画エロトピアで中島さんの何日子ちゃんシリーズの大ファンだった私とすると、「なに、してくれてんだ!」と憤慨してましたw
なるほど、キンキー大学か。
否、そもそも、元祖エロティックアニメは手塚治虫先生が創られた、かなしみのベラドンナが、最初。
同じく62年生まれ。高2の4月にガンダム冬休みにスターウォーズ。(金)だから、急いで家に帰って、ガンダム見てました。るみ子さんは、ウランやピノコ、メルモちゃんのモデルって、聞いたことがある。みんなカボチャパンツ穿いてるんだよね🎵
くりいむレモンが世界初のエロアニメって言われるとちょっと首かしげるかも。というか手塚御大も70年代に作ってるでしょエロアニメは。劇場アニメで芸術寄りだけどさ。田中さんがそれ指摘しないのはちょっとアレだなぁ
今ちょっと調べたら哀しみのベラドンナって虫プロ制作だけどだけどすでに御大は関わってないのな。失礼した
仙人部落やっちまえ!辺りかな。
手塚るみ子さんと田中圭一さんのプロレスは最高傑作
「ライオンキングは赦せても」www
確かにアレは帯を見て買いましたね
「帯にも印税!」はその通りかもしれない(笑)
昭和41年生まれですが、サンライズ・アニメの時間帯を視聴していて、ダイターン3の最終回のあと、次回からは「機動戦士ガンダム」ってのがはじまるのか~って、そのままリアルタイムの第1話を体験したので、山田さんの言う「ガチヲタ」に相当するようです。
私も同じ、ひのえうま生まれです。
当時はロボットマンガ(アニメって呼び方はまだレア)は小学生が見るモノって感じで、中1でガンダムにハマってた私達3人は、クラスでは『変なヤツ』扱いされてましたねぇ…
変人扱いしてたヤツが、ブームになってからガンダム見だしたので『今頃かよ😂』って失笑してやった思い出。
自分も41年生まれですが、ガンダム放映時に布教しまくったが、皆にバカにされていましたが、劇場版始まると皆が掌返ししてガンダムブームが始まるw
自分は46年生まれだったのでダイターン3のストーリーも分からず超合金だけ遊んでいたのでガンダムは難解すぎて脱落していった方ですね。
観たのはガンプラが流行りだしてからです。
私は42年生まれ、
ガチヲタだったのですね…
ウチの地域はザンボット3、ダイターン3はやっていたのだが(多分放送局が少なくクロスネットということで一週間遅れで夕方放送だったと思う)そのあとのガンダムは直ぐに放送されず。そのうちあっちの都会の方ではガンダムっていうのが流行っているらしいぞってことで、子供雑誌にも載るようになり、放送局に嘆願した方がいたのか、我が地域でのガンダムの放送は一年遅れで、ようやくだった。
新潟では遅れて放映してましたが、リアタイで観てました。もちろん帰宅部でしたとも。
田中圭一さんドクター秩父山の時代からよんでいます
本当に面白くて下品な漫画だなぁと大笑いしていました
アレ(ドクター秩父山)がアニメになった時は「マヂで?」でしたからねえ・・・
しかもOP、EDの作詞、歌がケラというw
流石にコシガヤバーガーの店長ネタはアニメには出来なかったという…
丙午です。本放送はザンボットの1話からテレビの前で正座して見てました。名古屋テレビ初のアニメ番組との触れ込みでしたが、マンガ少年の増刊号で知っていた「六方破れ君」が不憫でたまりませんでしたね。
いじくられもしないのは終わってる漫画家
ネタになるのはまだ作品が生きているから
美川憲一が自分を笑いネタにしてくれてるコロッケをむしろ優遇している話ですよ
高校一年生の時にガンダムの本放送を見ました。当時、ロボアニメは殆ど見てなかったんですが、新聞のテレビ欄で「機動戦士」の文字を見つけ「R・A・ハインラインの”宇宙の戦士”のアニメ化か!?」って勝手に思い込んで(笑)見たのがきっかけでした。「コレはパワードスーツサイズだ」と思い込んでたザクの胸から小さい人が出てきた時にはえっ!?ってなったんですが😅、第一話を見終わって「なんかスゴイもんが始まった」ってなって、翌日、学校で友達を捕まえて「ガンダム、見たか!?」って興奮気味に話したものです。
ただ、数ヶ月後に運動系のクラブに入部したために毎回見ることは叶わず、その時点で「ガチオタ」の道からは外れていたように思います😅
富野作品は今までの勧善懲悪のありきたりのアニメではなく、相手にも正義があると言うところに興味が湧き、正義があっても何処かで手段を間違えると正義とは違うものに変質していくもの、今までと違う感じが良かった。でも過去にアニメ版『海のトリトン』を見た時と同じくらいの衝撃を受けたのを思い出した。で、調べたら… 監督がまさかの富野さんだった😳‼
好きなアニメで他と一線を画しているストーリーのアニメには必ず富野さんの名前が何処かにあった。
メルモちゃんを「なんでママァちゃんじゃないんだ」と思いながら観ていた小学2年制の頃。裸シーンがあっても手塚作品だとなぜか親も何も言わなかった。
『あしたのジョー』最終回の翌週に『天才バカボン』で「あたしのジョー」というパロディかます赤塚不二夫すげえと思いましたよ。
ハタ坊だジョー
天才バカボンの途中に、「今ちばてつやが、明日のジョーどこまで書いてるのか気になる」とか書いてました
松本零士先生の漫画はヤカンにまでメーターが付いていたな、あと登場する機械類のシリアルナンバーや型式は9のゾロ目ばかりだった。
松本零士さんの絵って非常〜に独特ですけど、
敢えて言うと、水木しげるさん系統ですよね。
今のコンテンツの誕生の瞬間の価値を否定しないのすごい。
でもね「宇宙戦艦ヤマト」をリアルタイムで観るには「アルプスの少女ハイジ」が観れなかったんだよ・・・。
あの時代、あの日曜のあの時間帯に、家に1台しかないテレビで、親の目の前で姉貴を排除して「宇宙戦艦ヤマト」を観るなんて無理だったんだよ。
ちなみにガンダムは塩の回だけリアルタイムで観ました。
自分は「猿の軍団」を見たがる弟と争って兄の特権でヤマト見てました
ただクラスメイトはヤマト派がいなくて再放送でみんなが見るまで全然話ができなかったのを憶えてます
僕も妹2人と争ってました。結局2階の小さなTVで見ることが多かったなぁ。
@@unchainoz1猿の軍団を観続けたけど、全く後悔してませんね
SFオタクだったから、老人会ジェットコースターとか最終回の切なさとかもうね
も少し下の世代だけど、チャンネル競争は負けっ放しだったなぁ。
自分も「猿の軍団」派 (´ー`)ノ でも他2つは結局いつでも見られる状態になったしw、最終勝ち組でしょう ♪ でも宝島最終回見たさに、サザエさん見たかった従兄弟を泣かせちゃったのごめんなさい
団塊ジュニアはTVゲームの創成期から進化の過程を見れたのでこっちはこっちで幸せだったなぁと思うのです。
山田玲司、島本和彦、岡田斗司夫、田中圭一
この四人総出演のトークショーとかあったら、是非見たいwww
多分、私は田中先生の一学年上ぐらいだと思う
日本初の連続TV漫画のアトムと同い年
記憶を辿ると、レインボー戦隊ロビンあたりから始まって鉄人28号、黄金バット、ウルトラQ、仮面ライダー、ウルトラマン、マジンガーZ、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムあたりを全部順番を追ってリアルタイムで観ていたある意味幸せな世代
ガンダムはやっぱり学友3人ぐらいで色々話していたけれど内容はほぼ正確に理解していたと思う
セイラ・マスとキャスバル兄さんのミドルネームがなんで違うんだろうと思っていた
「悩ましのアルテイシア」は良い思い出w
サンライズがそのものがゼロテスターからして当時先進的だったし、ザンボットの人間爆弾やダイターンの後だったので、ガンダムは革新的ではあったけれど「わりと正攻法で来たなー」という印象だった
ていうかこれ、出版社の忘年会の会話をそのまま映像化したみたいな内容だよねw
漫画・アニメだけでなく、パソコン、IT、インターネットの革新的発生〜発達〜普及を見てきた世代でもあり、もう『地球内における文明のビッグバン』をリアルに体験してきたと言えると思います。それが、昭和40年少し前辺りの世代の凄さ。(ボクはS.40年生まれ)
@@shibukazz TVがモノクロからカラーになったり、家に電話が付いたり、アニメは「テレビ漫画」だったり、ステレオって物(アンサンブル型)が出てきたり、ラジカセ、ウォークマン、ビデオ、ビデオカメラとともかく何でもわくわくした世代でしたね。
幼稚園児の頃、カラーテレビの「砂の嵐」(微調整でチューニング中)が妙に好きでしたw
@@mid2007night さん、ホントにそうですね。ニンゲンという生物の文明開化の生き証人ですね。
手塚るみ子さん。ちょっとタイプ❤️
ピノコのモデルとか。
実際漫画の主役にもなったしな(マコとルミとチイ)
・・・怒られたんじゃなかろうか手塚先生・・・
手塚さんちは親子関係良好そうですよね。
田中さんは喋りが達者だなぁ
青島幸男やすぎやまこういちレベルですわ
ライオンキングは許せてもwwwwww
許すっていうより、取引したんだろ。
ハリウッド版アトムを作るからと。結局作らなかったけど。
自分も1962年生まれのオタクなのですごく共感できる。
大阪芸大の漫研いたけど自分の世代は同級生でそれ町の石黒正数、先輩のコープスパーティーの祁答院慎 パンプキンシザーズの岩永亮太郎
D4プリンセスの原田将太郎がいて、一緒にアニメつくったり同人誌描いたり 当時パソコンが普及したばかりのころで
2D格闘ゲームツクールでオリジナルゲームつくったり楽しかったな
何それゴールデン・エイジ過ぎるやろ(-_-;)
@@oisyosan 他にも同級生で護くんに女神の祝福をや、お兄ちゃんはおしまい!の作画監督の佐藤利幸くんが自分達の世代の部長してた。佐藤くんと石黒くんは当事1回生でこいつらには絶対勝てないとおもわされながらも、負けるか!って対抗心燃やしながら作品つくってた 当事の同人誌いまでも手元に残ってるけどどれも100部も出回ってないけど 石黒くんの漫画はオリジナルもパロディでもめっちゃ面白かった あと印象深いのはうたわれるものとか、天体戦士サンレッドのシリーズ構成・脚本やってた上江洲誠先輩と漫画家のぶるまほげろー先輩かな とにかくみんな部室集まってクロッキー帖に落書きしたり実写PV撮影したりアニメーションもつくったり色々やったな
面白かったです!ありがとうございます!
漫画家の娘はやっぱりわかってらっしゃる、という事か。田中先生との軽快なトークのやり取りが漫才のようで絶妙。
ゆうきまさみの商業誌デビューってOUTのザ・ライバルだったかな?
何気に高橋留美子共々漫画は必ずヒットしてるんだよなぁ。パンケア以外はw
四ページを二ページでデビューした。
くりぃむレモン久しぶりに聞いたわー。懐かしい
この手の対談で水木しげる先生の娘さん達vsドリヤス工場も実現希望。
トキワ荘のレジェンドをイジるのはある年代の漫画描きにとっては不敬行為になるっていうのが共通認識で、その昔「電脳なをさん」で「まんが道」のパロディをした時に出てきたチンチン丸出しの手塚オナ虫先生(しかも藤子不二雄タッチ)のコマの欄外ですいませんと謝罪する唐沢なをき先生のセンスには笑った
『神罰』初めて本屋で見かけたときは「秩父山を描いた漫画家と同じ名前だ~」と思ってましたね。まさか同一人物とは。
田中先生はほぼ同い年なので、観てたものやハマったものが全く同じで面白いです。『ガムガムパンチ』もリアルタイムで読んでないですか?
ギリギリの攻め、というスタンスがまた真面目な性格を表してますよね。
ファーストは’74、14歳リアルタイムです。あの時間帯はサンライズタイムでした。ザンボット3から始まる富野さんの系譜は最高でした。先輩のオタクにDAICONのオープニングを見た時に衝撃を覚えました。
くりぃむレモン懐かしいなぁ、、少し製作に関わった事を思い出す。。
ネジ式のパロディをアニメの「うる星」がやった翌日、一部(含むワイ)の盛り上がりがすごかった笑
銭湯のやつですねw龍之介親子のあしたのジョー2とエースをねらえ!のパロディー回も盛り上がりましたw
リアタイは裏の特撮ヒーローかなんかを見てた、1stは小学生か中学入りたてには難しくて。
闘将ダイモスでアニメって結構イケてないか?
から高校合格できたから何か観てみるか、と思ったのがガンダム
SFオタクからスライドしてハマった
アニメージュの表紙で、あ特集してる!と雑誌も買い始めて、アウトとかアニメックとかセンチュリーとか
そんな年末にカリオストロの城ですよ奥さん!もう沼でしょそれは
自分も田中圭一先生と同じ年の生まれで、ファーストガンダムをリアル視聴してました
自分は、中高生にありがちのミリオタだったので、よりリアルに戦争を描こうとするガンダムには、とても興味を惹かれました
同じ方向だったので、ザクマシンガンが人間相当で45口径程度の薬莢が出るのにアムロの所に落ちるとドラム缶サイズになっていて「いやこれだとザクは180m無いとおかしいでしょ」と突っ込んでいた
といってホールトマト缶ぐらいのがバラバラ落ちてきたら迫力無いけれど
あの頃、何度手持ちのスターリングをザクマシンガンに改造しようと思った事か・・・
ブームに火が付いて畑違いの雑誌も特集組み始めた頃、その画像に「ガンダムはリアルなアニメだ。ガンダムがガンキャノンを発射すると空薬莢が出るのだ」と解説入ってて笑ったわ (*´∀`*)
「この枠空いてるから描かない?」って、まさか最初のサンデーの連載のことじゃなかろうな。
あと、くりぃむれもんで上手いアニメーターが集まって云々というのは3作目のPOP CHASERのことですね。一作目の亜美シリーズはアニメーション的には平凡だった。
♪ ロンリーロンリーロンリーロリ〜♪ヽ(´ー`)ノ は、またちょっと後の話w
手塚漫画にドップリ浸って育ったから、
田中氏のパロディにもドはまりしたな。
私は『再会、母よ』と『光る宇宙』『脱出』だけ本放送リアルタイムで見てる。その内容は……小学生に理解出来るわけない😂
おいしいとこセンサー仕事してますね (^^)/
田中さんと同い年! (^^)/ うちんとこは遅れの火曜5時からだったけど、ダイターン最終回の週だけ「ダイターン(終)4時・ガンダム(新)5時」という表示を朝の新聞で見て、地獄の帰宅劇!><
汽車!通学だったので、ガンダムになってからは帰宅を諦めて駅前のダイエー!のテレビ売場前で見る習慣になった。そしたら5時になると他校生がぞろぞろ集まるようになっちゃってw、学校差のない毎週のコミュニティーになっちゃったな (*´ω`*)
みんなの学校は修学旅行でガンダム見れない週が出るってんで散々?だったが、修学旅行がないウチの高校は羨ましがられてたw
ガンプラが小学生でダグラムは六年生でした。
ドクター秩父山に笑い転げながら、高校の友人とダイコンフィルム観てましたね🎵
COMIC CUE、好きで読んでたな。地元の小さな本屋じゃ売っていないから池袋のでっかい書店に行って手に入れてました。
田中圭一さんの漫画ではガンダム第一話をパロッたどうしようもない(誉め言葉)話で息が出来ないくらい笑いました。
ゆうきまさみのデビュー作はoutの編集が中4枚を紛失したのだが意味が通るから載せた話しがあるなぁ、ちゃんと単行本化したのに追加で描いたりはしなかったのもあの頃だったからか?
同じみのり書房のランデブーに載ってたスターシマックも
面白かった。超人ロックも掲載されてたし。
正確には「月刊OUT本誌に2Pの空きができたので代理原稿に預かっていたゆうきまさみ氏の4Pの漫画(から中2P を抜いて)使った(2P抜いても意味が通じた)」
やっぱ「ザ・らいばる」の事でしたよね (´∀`) そう、あれ2ページバージョンの方が全然面白いw
たとえザクからゲルググに乗り換えていてもw
あぁ、確かにあの絵と帯で買いました!
なにこれー(@@;って。これは間違いないやつだって直感で分かった気がしました
「ラララの娘」さんなんだ、初めて見た。
この世代が美味しいとこ全部持って行ったよな
こっちは永久に見てるだけでさw
ガンダムは高校の時の文化祭の看板作りました。誰も知らなかった。桃谷のゼネプロも行きました懐かしい。
くりいむレモンはエロとは知らず絵が可愛くて憧れていた
今、配信されてるけど、18禁になってるのはいいかな。
ロマンポルノが同じ配信で15年齢辺りになっている。
田中さんが、手塚プロにプロモーションに行くお話が好きです。
田中さんの正体に気付いたスタッフの描写が、特に好きです。
ブラックジャック第一話のサブタイトル「医者はどこだ」も、ねじ式のパロディなんだよね。
つまりあなたがおっしゃりたいのは、こういうことですね。「イシャはどこだ」と。
コミックキュー 編集長江口寿史だったっけ あっという間に無くなったと思った
昆虫物語 ピースケの冒険でしょうもないwギャグマンガだな(誉め言葉)って思ったのが最初の出会い
エロアニメの元祖は、1973年封切の虫プロダクションの劇場用アニメ「哀しみのベラドンナ」が最初では?
当時小6の私は、テレビの予告編を見て興奮した記憶があります。
因みにファーストガンダムは高3受験シーズンで、共通一次の千葉市のビジネスホテルでガンキャノンをチラ見した覚えがあります。
田中圭一先生の一個下なのでほぼ同じ経験をしましたね。
小学生の時はキングのワイルド7に嵌っていたのでそこは違いますがw
PS:お名前間違えてたので修正。
ファーストガンダムが本放送されてた時、私は幼過ぎてよくかからなかったです。
唯一の記憶が最終回でアムロが破壊されたガンダムを見て「まだ助かる」と言っていたシーンだけでした。
たしかゆうきまさみのはじめて商業誌に載った漫画って月刊OUTにのったガンダムのパロディでちたね✨
ぼくも相当な物好きの一人でしたw
手塚治虫がボボボーボ・ボーボボを見たらなんと言っていたか
土器手某のクレジットに笑っなぁ。
とり・みき先生のパロ漫画単行本持ってますよ❤
「臆病なプリンセス」最近なかなか耳にする機会がないですね。
カンダムリアルタイムで、見てて下にテロップが、流れて上映会の文字🎉大画面で、1話みて!クローバーのおもちゃ貰って帰りました🎉富野さんとか誰がいたか覚えてません🙄
漫画で血肉としてファーストブラッド食らったのは、ド根性ガエル
えぇっ、漫画で恋を描いていいの!?というコメディの元祖だと思う
そして楳図ウルトラマンのグロ、ワーストの最初期ゾンビパニック系、ハレンチ学園のエロとバイオレンス
ザンボット3から名古屋テレビ制作ロボットアニメは機甲戦記ドラグナーまでずっと見てました。ガンダムは小2で劇場版が小5から小6にかけてかな。ヤマトは愛の戦士たちを劇場で見て小学生だったけどラスト号泣した思い出
最初のガンダムは土曜日の5時半だった気がするが。地方局によって違うのかな?
でも覚えてるのは宇宙戦艦ヤマト2の最終回も同じ日のハズなので、土曜日なのは確実。
ファーストガンダムは中3の時にリアルタイムで見てた。ザンボット、ダイターンと来てその流れで見てたな。ザクがモビルスーツの機種名って言うのやっぱ良くわかってなかったな。つか田中先生時期によって体重の増減が激しいけど今は痩せてるのね。
田中さんってクレバーだよね
田中先生、 『ピー助の冒険』が好きでした
ガンプラからでした😢
当時ガンダムうちの地域でやってたか不明だけど999はめっちゃ盛り上がってた。しっかし今にして思えば暗黒神話を少年ジャンプでやってたってのが信じられん。
星野之宣と諸星大二郎をジャンプで読めたのは幸せだった (*´∀`*) まぁ目当てはアストロ球団だったけどw
デビルマンとマジンガーZは同時に連載してたんだよね。
デビルマン執筆でいろいろ来るストレス?をマジンガーで発散できて良かった、みたいなのどっかで読んだな (´∀`)
中学生の時ファーストガンダムをリアルタイムで見てました。
私以上にガンダムにハマった友人がガンプラが存在していない頃にプラモの兵士のフィギュアを魔改造してガンダムやザクなどのMSを作って私に自慢げに見せてくれたのを思いだしました。
ウゴウゴルーガの後か・・・スーパーミルクチャンとか?
世代ってのはあるな。私は中学の時にエヴァと少女革命ウテナのアニメをリアタイしてて確実に性癖がおかしくなったというか解放されたというかw
私もリアルで見てました
不敬という意味で言えば父親が鍵かけてしまってた落書きまで人目に晒す娘も相当なもんだろ。
田中さんと同い年だからよく分かる^^
ファンロードの聖闘士ダ星矢を楽しみたい為にジャンプで聖闘士星矢を読んでた
世界初のエロアニメは手塚治虫のクレオパトラでは?
あの当時のテレビ深夜帯で5分ぐらいでしたけどエロアニメ、AVコーナーあったの覚えてる
レモンエンジェルですね。黄昏ロンリー歌ってた桜井智さん7〜8年前に引退発表あったけど結局声優業続けてるみたいですな。
リアルタイムでガンダム見て友人とガンダムごっこという名のチャンバラやってた小坊もガチオタに入るんだろうか?
パロディで一番商業的に売れたのはやはりチーズ蒸しパンの銀魂かなぁ😂
アニメキャラでエロを書いた、牧村みきが......いや何でも無いです......
田中先生の高校の六つ下の後輩です。ガンダムはザンボット→ダイターン→の流れでリアルタイムでした。勧善懲悪じゃないロボットアニメが新鮮で小五には難しかったけどハマりました。脱落した友達にキャッチボールに誘われても金曜日だけは断ってましたね。
1話は高専入学式の翌日からの宿泊学習で視られなくて2話からですわ。ファーストでリアルタイムで1話とアッサムリーダーだけは再放送で視たな
うそ~1962年生まれですがガンダムは高校生の頃じゃないですよもっと前です、、高校2年の頃はサザンオールスターズがデビューしてましたよ
ガンダムって79年4月放送開始ですけど62年生まれなら高校生の時期じゃないんですかね。サザンのメジャーデビューの翌年ですよ。
大阪は金曜だからみんな見れないのか。名古屋は土曜5時半なのでみんな見てたがや。
「父の絵を研究している方」大学で漫画学の教授やっているので間違いじゃない。
昭和40年生まれですが、ガンダムシリーズは絵柄が好きでなく
未だに未視聴です。
「もう一度見る」に現れてサムネを目にして気付いたのですが、このお二人の顔が結構似ていると思いました。どうでもいいけどw
おれもファーストガンダム見たぜ。札幌で。
当時は版権意識もユルかったからなぁ
田中圭一の話は面白いけど…。山田玲司の、私見を一般論のように断言するノリは相変わらずなんだな…。とりあえず、くりいむが世界初のエロアニメというのは絶対違う。
ファーストをリアルタイムで見てた小学生。
訳わからずトライダーG7のほうが好きだった。
ガンダムの本放送はかなりみんな見てたけどな。
自分たちが正義っていう価値観がどうもね?
いい時代に生まれたってもはすごくわかるけどもw
ザクという鉱物資源を奪い合う戦いかー
ん? 初のエロアニメは、中島史雄原作「雪の紅化粧」(1984年2月リリース)でしょ?
くりいむレモン「媚・妹・Baby」のリリースは1984年8月だから
個人的には、1983年公開アニメ映画「ゴルゴ13」内のエロシーンのほうが圧倒的にエロいと思うけどね
演出:出崎統、作画:杉野昭夫で金髪ボインボインがよがるんだから
もっというと、手塚治虫先生が、1970年代に大人向けアニメとして、濡れ場シーンを入れた「クレオパトラ」とかが先駆になるとは思います。
@@satoshimori2380
そうなると、虫プロのアニメラマ第一弾「千夜一夜物語」(1969)も外せないですね
で、「クレオパトラ」(1970)、「悲しみのベラドンナ」(1973)と続きます
@@ばっとまんおじさん 仰る通りですね。で現在に直接つながるエロアニメとしては「雪の紅化粧」でしょうね。ただしキャラが美少女というにはちょっと微妙ですが😅
@@satoshimori2380
まあ、「雪の紅化粧」も、原作漫画は中島史雄で美少女マンガのハシリではありましたが、アニメ版は当時でも古臭い劇画タッチでしたよねええ
当時、漫画エロトピアで中島さんの何日子ちゃんシリーズの大ファンだった私とすると、「なに、してくれてんだ!」と憤慨してましたw
なるほど、キンキー大学か。
否、そもそも、元祖エロティックアニメは手塚治虫先生が創られた、
かなしみのベラドンナ
が、最初。
同じく62年生まれ。
高2の4月にガンダム冬休みにスターウォーズ。
(金)だから、急いで家に帰って、ガンダム見てました。
るみ子さんは、ウランやピノコ、メルモちゃんのモデルって、聞いたことがある。
みんなカボチャパンツ穿いてるんだよね🎵
くりいむレモンが世界初のエロアニメって言われるとちょっと首かしげるかも。というか手塚御大も70年代に作ってるでしょエロアニメは。劇場アニメで芸術寄りだけどさ。田中さんがそれ指摘しないのはちょっとアレだなぁ
今ちょっと調べたら哀しみのベラドンナって虫プロ制作だけどだけどすでに御大は関わってないのな。失礼した
仙人部落
やっちまえ!
辺りかな。