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いつも高頻度で斬新な動画楽しみにしています。山口県出身で年齢いってますが、長門鉄道知りませんでした‼️しかも江若鉄道とそんな因縁があったとは。。昨年用事で湖西線の大津京に行った時、江若バスを初めて見て「何じゃ?」と思って調べたら湖西線の元々あった鉄道だったと知りました。不思議な歴史を教えて下さりありがとうございます。
わわ!スーパーサンクスありがとうございます!!私も動画作成しながら気が付く発見がたくさんあるので楽しいです!これからもよろしくお願いいたします!☺️
ないすぱ!
もしかすると、近鉄のチョッパ制御3000系ステンレス車も意外に短命だったのではないでしょうか。阪急2200系も?E231は、確かに混雑時に6ドア車は画期的だったかもしれませんが、果たして編成の端の方に1両だけ6ドアって効果があったのかなあ。京阪の5000系みたいに編成全部が5ドアなら意味あると思うのですが。
定山渓鉄道のゲロ電ことモ2300形電車は?あれも5年で路線廃止で廃車という定鉄を終わらせた電車だった。
ゲロ電で酷いあだ名やな。しかし、ほんまに酷かったらしいですね。
下津井の例を見ると、ナロー則ち軽便鉄道は速度も出せず、余程地域の足と定着していなければ存続が難しいという事。三岐鉄道北勢線や四日市あすなろう鉄道の様に。
DD54形は、蒸気機関車が代走どころか、立ち往生して蒸気機関車に救援されるなんて事も発生していたらしいです。設計ミスなどによる事故や故障が頻繁し、当時の機関士はDD54には乗務したくないと言うほどだったと言われています。また、エンジン音は沿線住民からクレームが来るほど大きく、振動も酷くて、DD54牽引の列車の乗り心地は非常に悪かったそうです。最終的にはDD54よりも前に登場したDD51に置き換えられて全車引退。最も長く現役だった1号機でも登場から10年でした。欠陥機関車といわれ短期間で姿を消した悲運の機関車ですが、33号機の1両だけは解体されずに残り、現在京都鉄道博物館にて保存、展示されています。
あんなに大きなディーゼルエンジンを1BOXの車体に採用して。下方は防音せずに乗務員室とはドア1枚だけ。DD51のようなスタイルだと静かにできる。多気駅停車中のDD51のサイドカバーを無理は承知で頼んだら開けてくれましたが、意外に静かでした。ズンズンズンズンズンズンと低く響き、軽くカラカラカラと聞こえて、巨大な3段式オートミッションとか大きなセルモーター2基(一つは予備)など無理なく収まっていました。運転席には入れませんが静かとか。
0:22 京阪の5ドア車(5000系)は長らく運行されたが、2021年1月29日をもって営業運行を終了。
日本初の多扉車は日本最後の多扉車にもなったわけで。なお、5000系そのものの運用終了は2021年9月4日で、1月29日は5扉モードでの運用終了日。以後は3ドアモードで運用され、順次廃車されていきました。
京阪には2代目1800系が7年(82~89)の短命だった旧3000系の多くは20年持たなかった
京都駅みたくロープ上下式なら…
完成して試運転終わってすぐ解体された681系貫通先頭と陸送されて試運転したけど切り離されて陸送搬出されて行方知れずになってしまったメトロ21系中間車21564と21565と数年前に完成して登録後に瞬く間に陸送されて船便でメーカーに戻って解体されてしまった京急の新型は・・・・・
下津井電鉄の2000系「メリーベル号」を1991年当時に、引き取れる鉄道は、同じ762mmのナローゲージだった近鉄北勢線(現三岐鉄道北勢線),近鉄内部・八王子線(現四日市あすなろう鉄道),黒部峡谷鉄道のみでしたね⁉️しかし近鉄北勢線,内部・八王子線が、後に近鉄から経営分離されているので、すごく惜しいなあと思います⁉️😊
下津井電鉄は、瀬戸大橋開通で車両や一部の駅を整備したりして息を吹き返したかと思ったていたが、僅か数年で力尽きてしまった。皮肉にも瀬戸大橋開通が命取りになってしまった。バス部門もこれで経営が苦しくなり、鉄道を支える事が出来なくなったようだ。
それまで、バス部門で鉄道の赤字を埋めていたけど、瀬戸大橋線の開業でドル箱だった岡山〜児島線が大打撃を受けてしまったからね。鉄道を支えきれなくなった。
上京した時に初めて6ドアを見た時は「わあ!こんなにドア無いと乗客さばけないなんて大都会だ!」とか勝手に感服してたもんだけど、しれっと消えたわね
ロープ昇降ホームドアを入れてれば今も残ってたかも
性能が尖っていても少数で共通運用できない車両は大体短命に終わってるように思う
そういう尖ってる車両私は好きなんですけど、やっぱり規格などを統一していく上では弊害になってしまいますね、、
9:18〜キハ285系開発中止が決まった中で送り出すことになった川崎重工の中の人の心中やいかに…?😢
下津井電鉄メリーベルはとてもスタイリッシュだったのに、路線そのものが廃止になって2年の命。鉄コレとかで模型化してほしい…
四日市あすなろう鉄道に譲渡されていたら⁉️
キハ285系、懐かしいな、、、、深夜まで作業して形が整って試験走行をって段階まで行ってた中の開発中止報道は本当驚いた深夜工場そばを通るとキハ285系のとこだけ明かりがついてて作業していたのが忘れられない仕事とはいえ使う事がない車両を完成までさせて見送った当時の工員さんはどういう思いで車両を見送ったんだろうね、、、
京浜東北線の205系も短命だったなぁ〜
横須賀線の211系なんか計画はあったらしいけど幻に終わった…
@@西島浩-n8q さんそうでしたね、確か鉄道模型では見たことがあったような
車両自体は埼京線に行ったんだっけ?
京浜東北線は101系やジュラルミン63系、209系500番台結構半端な車両が入っている。
285系は他のJR会社に譲り渡したらよかったのに…
寿命半分といわれながらも意外としぶとい209系
7:12 長門鉄道…?
キハ285系に乗ってみたかったな〜😢
JR北海道キハ130形もここに加えてほしい。こちらも短命に終わった黒歴史車両で、とんでもない失敗作。
日高本線の塩害。
キハ40の後継として導入したのに、軽すぎ、塩害、北海道の冬なめとんか、であっという間に老朽化して、追い出した筈のキハ40に置き換えられたんでしたっけ?
D,D54は広島電鉄のグリーンムーバーとおなじ運命ですね。
E331はどこ……?ここ……?多扉車の短命は仕方ない…安全運行の背に腹はかえられないからね
E331は運行より車籍自体は長かったのかな…?
まあ実験的な電車たがら。東日本だからできたような感じ。
@@木島ノ安岐 車籍だけなら2007-2014の7年間いた事にはなってますね。
E231系のサハは台車だけでも再利用されていなかったかな?
台車と床下機器は6扉車→4扉車に移植したと思います。
E331系が取り上げられると思ってたらさらに酷いのばかりだったあと長門鉄道は今回初めて存在を知った
この6ドア車は一部の人に客を家畜扱いしたとして、サカ230と呼んでいた人がいた。
「棒高跳びしちゃった機関車DD54」ですね…(写真等でしか見ていないですが…)。
最短は3年6ヶ月のもあった。高価すぎるし部品改良はできない。40両製造されたが残るのは1両だけ。まぁメキドロ式爪式クラッチのしんらいせいの低さ、マイバッハの82000cc4バルブツインカムエンジンの取り扱い方が慣れておらず、本国でのトラブルもあり、廃止に。
@@のぞみ500ジャパン さん、国会でも取り上げられたらしいですね。
@@kazuyakihata9216 さん、わりと早い段階でした。最後は総裁がクビに、お値段は当時の新幹線に匹敵するほど。最終は夜間に竹田駅に入る通常運行。それが現在の京都梅小路蒸気機関車館の隣の博物館にありますが、下廻りは見れません。背が高い人はエンジンが覗けます。170センチ僕にはギリギリ。最終列車さえお別れ運行の感じはなく、今で言う撮り鉄が駅にもいませんなさみしい終わり。因みに棒高跳びした車輌は修理されました。逆の上り列車にも推進軸にひび割れがあり、他の機関車に牽引されています。お召し列車牽引にも使ったそうですから、一応の目処はたったのかと。尚、DD51のパワーには届きません。運転されていた方(昨年89で亡くなられた)の話では運転したくなかった。ギヤが自動で切り替わりクラッチが繋がるとドスンと派手な衝撃で、椅子からおしり浮かせたと語ってくれました。一応エンジン回転は下がるようですが、このあたりに棒高跳びの推進軸破断可能性ありかなと思います。今の後輪駆動車のベンツもBMWも衝撃緩和するパーツが使われています。dd54はお気に入りのおえらいさんの一声で33号機のみ解体を逃れたわけです。長々とすみません。
メキドロ式については、ドイツ国内に於いても「アフターサービス体制も十分じゃないのに、こいつを輸出するのはマズイんじゃない?」みたいな風潮があったようです。クラウス・マッファイ社は、DD54 とほぼ同時期にドイツ国外向けに液体式ディーゼル機関車を輸出していましたが(いわゆる MLシリーズ)、そのほとんどはフォイト社のトルコン切換式で、メキドロ式はごく少数派なんですよね...要は「メキドロ式は機械的に高効率でレスポンスも良い優れモノだが、ぶっちゃけ、構造が単純で酷使にも耐え、おまけに海外展開にも強いフォイト社製品の方が後々有利だろう」と考えられていた模様。結果、案の定であります。
@@YY-mt9zh なるほどです!事故は、推進軸が折れて、折れた推進軸が枕木(もしくはバラスト(砂利))にブッ刺さり、DD54がその勢いで宙を舞い、そのまま線路に叩き付けられて事故になったと言う事になりますね。カ―ブの場合、列車自体の横転もあったかも知れないですね。運転室が地面に叩き付けられる゙大事故だと機関士さんはひとたまりもないですね(その場合、セスナ機が地面に叩き付けられる゙事故と変わらないですね…。)。
関東私鉄の6扉車や5扉車も短命でしたね。
末尾が4の形式の機関車でまともなのはEF64、DD14くらいで、C54、DD54、ED54、ED74にはあまりいい印象がありませんね。
ED74形は最初は北陸本線に投入されたが、EF81形の増備で九州の日豊本線に転籍して、運用を終えた。
当時のJR北海道は、最高速度を落としたりするような状況で、少なくとも一時的な対応としては、最高速度を落とすことは仕方がないとも思っていましたが、キハ285系が、特急として走っていた世界線を見てみたかったと思います。この車両が、走っていたら、もう少しはシェアが取れていた区間もありそうとは思ってしまいました。最高速度を落として、移動時間が長くなったことを、指摘する声は多いように感じます。今でも、最高速度の引き上げを望む声も、多いようです。
わし山手線とか、京浜東北線の6ドアによう乗ったことがある。DD54は見た目はかっこよいが性能は悪かった。出雲を牽引しておった。
東武鉄道250系完全新製車両だが僅か14年(1998~2012)
東急の進5000系6ドア車も短命だった理由はE231系と同じ。
私が多数乗った「短命車両」は715系1000番台です。元特急用車両ということで乗り心地はよかったですがドアが狭いし定員も少ない、ということで鉄道ファン以外には不評だったようです。
そのとおりですが当時の国鉄は7〜8年もてばいいと考えてたみたいです。実際96〜98年に701系1000&1500番台新造で置き換えという措置が取られましたし。
581・583系からの改造車は715系と419系とで運命が大きく別れましたね。😮北陸の419系が21世紀まで生き延びた理由ですが、1.交直両用だったので米原・直江津方の直流電化区間への乗入れが可能だった。2.片側の先頭車がクモハ(制御電動車)で最小編成単位が3連だったので使い勝手が良かった。の2つに尽きるのでは?と思われます。もしも715系が419系と同様に片側の先頭車がクモハという編成構成になっていたら、東北では455系や417系及び717系、九州では475系と同じく3連を組成出来たので史実よりも多少長生きしていたかもしれませんね。東北の1000番台は仙山線や磐越西線、九州の0番台は日豊本線辺りで余生を過ごしていたかも…。🤔
〇DD54の故障話は当時途切れることがなかったぐらいの記憶あり(京都人の鉄ちゃんなら知らなきゃモグリwww)〇「長門鉄道」は山口県内の長門市内を走っていたのではなく、「長門市を目指した鉄道」だった←これホントDCをわざとポンコツ化してくれてやった話は超有名www〇下津井の「メリーベル号」は当初3両編成だったが程無く中間のサハが抜かれてしまっていた。一応噂として三岐鉄道北勢線に譲渡話があった模様。しかし現在は保存会の方々の手によって大切にメンテされています。〇JR北海道は結局DMVの実用化もかなわず…実用化は阿佐海岸鉄道が遂げましたね。以上失礼しました。
それにしても211系は長持ちしてるなぁ!
荷物電車の中には、国鉄末期の製造にもかかわらずに廃車解体された奴や、いざ製造されても、路線廃止によって廃車解体された、実働わずか数年のDD16形、無動力が仇となり実働年よりも、休眠期間が長かったキサロハ182-5500を思い出しておくれや
E231系はよくお世話になってました!6ドアか懐かしい!(今は4ドア)!
確か名鉄1600系のク1600形は10年持たなかったんだっけか
E231系のサハE231やE230形に短命で廃車が集中している。
211系でも宇都宮線・高崎線でのグリーン車🍀組込みの際に34輌のサハ211が一気に廃車されたけど、その中には民営化後の平成に入ってから製造された車輌も含まれていて、実働期間が15年前後の車輌もありました。
国鉄最末期に14系客車を改造したお座敷客車「みやび」(14系800番台)は、1986年4月に運転開始したけど、その年の12月28日に全車事故で大破(余部鉄橋転落事故)して廃車(正式な廃車日は翌年2月10日)。
短命ではなく末永く続いてほしい面白動画👍
当チャンネルは短命にならないとイイな。。。笑
@@yukkuri-localtrain 短命で終わらせてたまるか俺が応援するから👍
500系が短命でしたね。東海道では
キハ285系はマイクロがそろそろ模型化してくれる、と思う。
6ドア車捨てるなら西日本にちょうだいって思った。まじ新快速混みすぎる。
嵯峨野山陰線に入れるのも良いかも、、
野上電鉄の水間鉄道から買った車両も結局走らず廃車でしたね。😚
DD54など、国鉄の54形は短命機関車。蒸気機関車C54形は静態保存機が無い。
なおクモハ54とキハ54とED54とEF54
@@木島ノ安岐さんスロ54「俺も」
54は国鉄には不幸でしかない車番形式。
キハ54は例外ですけど。北所属の物に一部事故廃車が出た以外は全車健在。
名前に54が付いた機関車は呪われると言われ、c54に保存機がいないのはc55とc57の部品取りにされてしまったからだ。
山陽鉄道の「或る列車」は?
長門鉄道は意外だった
短命で儚い。
江若鉄道乙
5:55 5:57 5:57 5:57 5:57
E231知ってる乗った事ある
短命といえば静岡鉄道のDD501ディーゼル機関車もちょうど5年でした。
駿遠線の機関車でしたよねエンジンだけは船に 再利用されたとか
6扉車懐かしいですね、ホームドアの関係で置き換えられていたとは知りませんでした。当時の新聞の4コマ漫画で「確かこの辺りでしたねイスのない車両は」とサラリーマンが聞えよがしに話すと前に並んでいたオバサマ達が別の位置に並びなおすと言う皮肉が描かれていた記憶があります。
「6扉」は、E233系以降1両も制作してませんね。「E233系」のデビュー前から“ホームドア”の設置計画があったみたいです。
6ダアアアアアアアアアア
短命すぎゆっくり各駅停車最高
"一瞬"はちと大袈裟では?
長門鉄道を紹介するなら、浅倉軌道の車輌も紹介しないと片手落ちだろう? 尚、江若鉄道は、発展的解消でした。 「買収国電」で一本の動画を作れますよ? 宜しくご検討下さい!
いつも高頻度で斬新な動画楽しみにしています。山口県出身で年齢いってますが、長門鉄道知りませんでした‼️しかも江若鉄道とそんな因縁があったとは。。昨年用事で湖西線の大津京に行った時、江若バスを初めて見て「何じゃ?」と思って調べたら湖西線の元々あった鉄道だったと知りました。不思議な歴史を教えて下さりありがとうございます。
わわ!スーパーサンクスありがとうございます!!
私も動画作成しながら気が付く発見がたくさんあるので楽しいです!
これからもよろしくお願いいたします!☺️
ないすぱ!
もしかすると、近鉄のチョッパ制御3000系ステンレス車も意外に短命だったのではないでしょうか。阪急2200系も?
E231は、確かに混雑時に6ドア車は画期的だったかもしれませんが、果たして編成の端の方に1両だけ6ドアって効果があったのかなあ。京阪の5000系みたいに編成全部が5ドアなら意味あると思うのですが。
定山渓鉄道のゲロ電ことモ2300形電車は?あれも5年で路線廃止で廃車という定鉄を終わらせた電車だった。
ゲロ電で酷いあだ名やな。しかし、ほんまに酷かったらしいですね。
下津井の例を見ると、ナロー則ち軽便鉄道は速度も出せず、余程地域の足と定着していなければ存続が難しいという事。三岐鉄道北勢線や四日市あすなろう鉄道の様に。
DD54形は、蒸気機関車が代走どころか、立ち往生して蒸気機関車に救援されるなんて事も発生していたらしいです。
設計ミスなどによる事故や故障が頻繁し、当時の機関士はDD54には乗務したくないと言うほどだったと言われています。
また、エンジン音は沿線住民からクレームが来るほど大きく、振動も酷くて、DD54牽引の列車の乗り心地は非常に悪かったそうです。
最終的にはDD54よりも前に登場したDD51に置き換えられて全車引退。最も長く現役だった1号機でも登場から10年でした。
欠陥機関車といわれ短期間で姿を消した悲運の機関車ですが、33号機の1両だけは解体されずに残り、現在京都鉄道博物館にて保存、展示されています。
あんなに大きなディーゼルエンジンを1BOXの車体に採用して。下方は防音せずに乗務員室とはドア1枚だけ。DD51のようなスタイルだと静かにできる。多気駅停車中のDD51のサイドカバーを無理は承知で頼んだら開けてくれましたが、意外に静かでした。ズンズンズンズンズンズンと低く響き、軽くカラカラカラと聞こえて、巨大な3段式オートミッションとか大きなセルモーター2基(一つは予備)など無理なく収まっていました。運転席には入れませんが静かとか。
0:22 京阪の5ドア車(5000系)は長らく運行されたが、2021年1月29日をもって営業運行を終了。
日本初の多扉車は日本最後の多扉車にもなったわけで。
なお、5000系そのものの運用終了は2021年9月4日で、1月29日は5扉モードでの運用終了日。以後は3ドアモードで運用され、順次廃車されていきました。
京阪には2代目1800系が7年(82~89)の短命だった
旧3000系の多くは20年持たなかった
京都駅みたくロープ上下式なら…
完成して試運転終わってすぐ解体された681系貫通先頭と陸送されて試運転したけど切り離されて陸送搬出されて行方知れずになってしまったメトロ21系中間車21564と21565と数年前に完成して登録後に瞬く間に陸送されて船便でメーカーに戻って解体されてしまった京急の新型は・・・・・
下津井電鉄の2000系「メリーベル号」を1991年当時に、引き取れる鉄道は、同じ762mmのナローゲージだった近鉄北勢線(現三岐鉄道北勢線),近鉄内部・八王子線(現四日市あすなろう鉄道),黒部峡谷鉄道のみでしたね⁉️
しかし近鉄北勢線,内部・八王子線が、後に近鉄から経営分離されているので、すごく惜しいなあと思います⁉️😊
下津井電鉄は、瀬戸大橋開通で車両や一部の駅を整備したりして息を吹き返したかと思ったていたが、僅か数年で力尽きてしまった。皮肉にも瀬戸大橋開通が命取りになってしまった。バス部門もこれで経営が苦しくなり、鉄道を支える事が出来なくなったようだ。
それまで、バス部門で鉄道の赤字を埋めていたけど、瀬戸大橋線の開業でドル箱だった岡山〜児島線が大打撃を受けてしまったからね。鉄道を支えきれなくなった。
上京した時に初めて6ドアを見た時は「わあ!こんなにドア無いと乗客さばけないなんて大都会だ!」とか勝手に感服してたもんだけど、しれっと消えたわね
ロープ昇降ホームドアを入れてれば今も残ってたかも
性能が尖っていても少数で共通運用できない車両は大体短命に終わってるように思う
そういう尖ってる車両私は好きなんですけど、やっぱり規格などを統一していく上では弊害になってしまいますね、、
9:18〜
キハ285系
開発中止が決まった中で
送り出すことになった
川崎重工の中の人の心中やいかに…?😢
下津井電鉄メリーベルはとてもスタイリッシュだったのに、路線そのものが廃止になって2年の命。鉄コレとかで模型化してほしい…
四日市あすなろう鉄道に譲渡されていたら⁉️
キハ285系、懐かしいな、、、、
深夜まで作業して形が整って試験走行をって段階まで行ってた中の開発中止報道は本当驚いた
深夜工場そばを通るとキハ285系のとこだけ明かりがついてて作業していたのが忘れられない
仕事とはいえ使う事がない車両を完成までさせて見送った当時の工員さんはどういう思いで車両を見送ったんだろうね、、、
京浜東北線の205系も短命だったなぁ〜
横須賀線の211系なんか計画はあったらしいけど幻に終わった…
@@西島浩-n8q さん
そうでしたね、確か鉄道模型では見たことがあったような
車両自体は埼京線に行ったんだっけ?
京浜東北線は101系やジュラルミン63系、209系500番台結構半端な車両が入っている。
285系は他のJR会社に譲り渡したらよかったのに…
寿命半分といわれながらも意外としぶとい209系
7:12 長門鉄道…?
キハ285系に乗ってみたかったな〜😢
JR北海道キハ130形もここに加えてほしい。
こちらも短命に終わった黒歴史車両で、とんでもない失敗作。
日高本線の塩害。
キハ40の後継として導入したのに、軽すぎ、塩害、北海道の冬なめとんか、であっという間に老朽化して、追い出した筈のキハ40に置き換えられたんでしたっけ?
D,D54は広島電鉄のグリーンムーバーとおなじ運命ですね。
E331はどこ……?ここ……?
多扉車の短命は仕方ない…安全運行の背に腹はかえられないからね
E331は運行より車籍自体は長かったのかな…?
まあ実験的な電車たがら。東日本だからできたような感じ。
@@木島ノ安岐
車籍だけなら2007-2014の7年間いた事にはなってますね。
E231系のサハは台車だけでも再利用されていなかったかな?
台車と床下機器は6扉車→4扉車に移植したと思います。
E331系が取り上げられると思ってたらさらに酷いのばかりだった
あと長門鉄道は今回初めて存在を知った
この6ドア車は一部の人に客を家畜扱いしたとして、サカ230と呼んでいた人がいた。
「棒高跳びしちゃった機関車DD54」ですね…(写真等でしか見ていないですが…)。
最短は3年6ヶ月のもあった。高価すぎるし部品改良はできない。40両製造されたが残るのは1両だけ。まぁメキドロ式爪式クラッチのしんらいせいの低さ、マイバッハの82000cc4バルブツインカムエンジンの取り扱い方が慣れておらず、本国でのトラブルもあり、廃止に。
@@のぞみ500ジャパン さん、国会でも取り上げられたらしいですね。
@@kazuyakihata9216 さん、わりと早い段階でした。最後は総裁がクビに、お値段は当時の新幹線に匹敵するほど。最終は夜間に竹田駅に入る通常運行。それが現在の京都梅小路蒸気機関車館の隣の博物館にありますが、下廻りは見れません。背が高い人はエンジンが覗けます。170センチ僕にはギリギリ。最終列車さえお別れ運行の感じはなく、今で言う撮り鉄が駅にもいませんなさみしい終わり。因みに棒高跳びした車輌は修理されました。逆の上り列車にも推進軸にひび割れがあり、他の機関車に牽引されています。お召し列車牽引にも使ったそうですから、一応の目処はたったのかと。尚、DD51のパワーには届きません。運転されていた方(昨年89で亡くなられた)の話では運転したくなかった。ギヤが自動で切り替わりクラッチが繋がるとドスンと派手な衝撃で、椅子からおしり浮かせたと語ってくれました。一応エンジン回転は下がるようですが、このあたりに棒高跳びの推進軸破断可能性ありかなと思います。今の後輪駆動車のベンツもBMWも衝撃緩和するパーツが使われています。dd54はお気に入りのおえらいさんの一声で33号機のみ解体を逃れたわけです。長々とすみません。
メキドロ式については、ドイツ国内に於いても「アフターサービス体制も十分じゃないのに、こいつを輸出するのはマズイんじゃない?」みたいな風潮があったようです。
クラウス・マッファイ社は、DD54 とほぼ同時期にドイツ国外向けに液体式ディーゼル機関車を輸出していましたが(いわゆる MLシリーズ)、そのほとんどはフォイト社のトルコン切換式で、メキドロ式はごく少数派なんですよね...
要は「メキドロ式は機械的に高効率でレスポンスも良い優れモノだが、ぶっちゃけ、構造が単純で酷使にも耐え、おまけに海外展開にも強いフォイト社製品の方が後々有利だろう」と考えられていた模様。
結果、案の定であります。
@@YY-mt9zh なるほどです!事故は、推進軸が折れて、折れた推進軸が枕木(もしくはバラスト(砂利))にブッ刺さり、DD54がその勢いで宙を舞い、そのまま線路に叩き付けられて事故になったと言う事になりますね。カ―ブの場合、列車自体の横転もあったかも知れないですね。運転室が地面に叩き付けられる゙大事故だと機関士さんはひとたまりもないですね(その場合、セスナ機が地面に叩き付けられる゙事故と変わらないですね…。)。
関東私鉄の6扉車や5扉車も短命でしたね。
末尾が4の形式の機関車でまともなのはEF64、DD14くらいで、C54、DD54、ED54、ED74にはあまりいい印象がありませんね。
ED74形は最初は北陸本線に投入されたが、EF81形の増備で九州の日豊本線に転籍して、運用を終えた。
当時のJR北海道は、最高速度を落としたりするような状況で、少なくとも一時的な対応としては、最高速度を落とすことは仕方がないとも思っていましたが、キハ285系が、特急として走っていた世界線を見てみたかったと思います。
この車両が、走っていたら、もう少しはシェアが取れていた区間もありそうとは思ってしまいました。
最高速度を落として、移動時間が長くなったことを、指摘する声は多いように感じます。今でも、最高速度の引き上げを望む声も、多いようです。
わし山手線とか、京浜東北線の6ドアによう乗ったことがある。
DD54は見た目はかっこよいが性能は悪かった。出雲を牽引しておった。
東武鉄道250系
完全新製車両だが僅か14年(1998~2012)
東急の進5000系6ドア車も短命だった理由はE231系と同じ。
私が多数乗った「短命車両」は715系1000番台です。元特急用車両ということで乗り心地はよかったですがドアが狭いし定員も少ない、ということで鉄道ファン以外には不評だったようです。
そのとおりですが当時の国鉄は7〜8年もてばいいと考えてたみたいです。実際96〜98年に701系1000&1500番台新造で置き換えという措置が取られましたし。
581・583系からの改造車は715系と419系とで運命が大きく別れましたね。😮
北陸の419系が21世紀まで生き延びた理由ですが、
1.交直両用だったので米原・直江津方の直流電化区間への乗入れが可能だった。
2.片側の先頭車がクモハ(制御電動車)で最小編成単位が3連だったので使い勝手が良かった。
の2つに尽きるのでは?と思われます。
もしも715系が419系と同様に片側の先頭車がクモハという編成構成になっていたら、東北では455系や417系及び717系、九州では475系と同じく3連を組成出来たので史実よりも多少長生きしていたかもしれませんね。
東北の1000番台は仙山線や磐越西線、九州の0番台は日豊本線辺りで余生を過ごしていたかも…。🤔
〇DD54の故障話は当時途切れることがなかったぐらいの記憶あり(京都人の鉄ちゃんなら知らなきゃモグリwww)
〇「長門鉄道」は山口県内の長門市内を走っていたのではなく、「長門市を目指した鉄道」だった←これホント
DCをわざとポンコツ化してくれてやった話は超有名www
〇下津井の「メリーベル号」は当初3両編成だったが程無く中間のサハが抜かれてしまっていた。
一応噂として三岐鉄道北勢線に譲渡話があった模様。
しかし現在は保存会の方々の手によって大切にメンテされています。
〇JR北海道は結局DMVの実用化もかなわず…実用化は阿佐海岸鉄道が遂げましたね。
以上失礼しました。
それにしても211系は長持ちしてるなぁ!
荷物電車の中には、国鉄末期の製造にもかかわらずに廃車解体された奴や、いざ製造されても、路線廃止によって廃車解体された、実働わずか数年のDD16形、無動力が仇となり実働年よりも、休眠期間が長かったキサロハ182-5500を思い出しておくれや
E231系はよくお世話になってました!
6ドアか懐かしい!(今は4ドア)!
確か名鉄1600系のク1600形は10年持たなかったんだっけか
E231系のサハE231やE230形に短命で廃車が集中している。
211系でも宇都宮線・高崎線でのグリーン車🍀組込みの際に34輌のサハ211が一気に廃車されたけど、その中には民営化後の平成に入ってから製造された車輌も含まれていて、実働期間が15年前後の車輌もありました。
国鉄最末期に14系客車を改造したお座敷客車「みやび」(14系800番台)は、1986年4月に運転開始したけど、その年の12月28日に全車事故で大破(余部鉄橋転落事故)して廃車(正式な廃車日は翌年2月10日)。
短命ではなく末永く続いてほしい面白動画👍
当チャンネルは短命にならないとイイな。。。笑
@@yukkuri-localtrain
短命で終わらせてたまるか
俺が応援するから👍
500系が短命でしたね。
東海道では
キハ285系はマイクロがそろそろ模型化してくれる、と思う。
6ドア車捨てるなら西日本にちょうだいって思った。まじ新快速混みすぎる。
嵯峨野山陰線に入れるのも良いかも、、
野上電鉄の水間鉄道から買った車両も結局走らず廃車でしたね。😚
DD54など、国鉄の54形は短命機関車。
蒸気機関車C54形は静態保存機が無い。
なおクモハ54とキハ54とED54とEF54
@@木島ノ安岐さん
スロ54「俺も」
54は国鉄には不幸でしかない車番形式。
キハ54は例外ですけど。北所属の物に一部事故廃車が出た以外は全車健在。
名前に54が付いた機関車は呪われると言われ、c54に保存機がいないのはc55とc57の部品取りにされてしまったからだ。
山陽鉄道の「或る列車」は?
長門鉄道は意外だった
短命で儚い。
江若鉄道乙
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E231知ってる乗った事ある
短命といえば
静岡鉄道のDD501ディーゼル機関車もちょうど5年でした。
駿遠線の機関車でしたよね
エンジンだけは船に 再利用されたとか
6扉車懐かしいですね、ホームドアの関係で置き換えられていたとは知りませんでした。当時の新聞の4コマ漫画で「確かこの辺りでしたねイスのない車両は」とサラリーマンが聞えよがしに話すと前に並んでいたオバサマ達が別の位置に並びなおすと言う皮肉が描かれていた記憶があります。
「6扉」は、E233系以降1両も制作してませんね。
「E233系」のデビュー前から“ホームドア”の設置計画があったみたいです。
6ダアアアアアアアアアア
短命すぎ
ゆっくり各駅停車最高
"一瞬"はちと大袈裟では?
長門鉄道を紹介するなら、浅倉軌道の車輌も紹介しないと片手落ちだろう?
尚、江若鉄道は、発展的解消でした。 「買収国電」で一本の動画を作れますよ?
宜しくご検討下さい!