【歴史解説】望遠鏡の歴史 Part 1

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  • เผยแพร่เมื่อ 17 พ.ย. 2024

ความคิดเห็น • 3

  • @yugureyamanaka2730
    @yugureyamanaka2730 ปีที่แล้ว +1

    こんにちは、『ボールペンの歴史』は、インク漏れとの戦いだったも検討してみてください。発明のキーマンは「ビーロー・ラースロー」でした。以前に、リクエストしていた望遠鏡の動画作成ありがとうございました。

  • @SatosiSuzuki-jk8xp
    @SatosiSuzuki-jk8xp ปีที่แล้ว +1

    レンズは古くから作られていたのですから、2枚組み合わせて「遠くのものが近くに見える!」と気付く人がいたと思うのですが、なぜ17世紀まで知られなかったのでしょうね? 遠くのものを近くに見ても、ただ面白いだけで何かの役に立てようなどと言う発想に至らなかったのでしょうか。望遠鏡の価値が知られるには、ガリレオのような天才の登場を待たなければならなかったのかも知れません。
    ケプラーも「ケプラー式望遠鏡」の原理を発表しましたが、彼自身は実際に製作しませんでした。ケプラーは幼少期に痘瘡(天然痘)を患って視力を悪くしたからかも知れません。
    光の波長は赤から青に向かって短くなり、それに伴って屈折率も大きくなるため、特に対物レンズを用いた屈折式望遠鏡では、像の周囲に虹色の「色収差」が起こり、素人目にはきれいに見えるかも知れないが、天体観測には非常に邪魔な現象でした。対物レンズの代わりに反射鏡(凹面鏡)を使った反射式望遠鏡では色収差を抑えられます。またガラスのレンズは大型の物を作るのが難しくて大口径の屈折式望遠鏡は作れませんが、反射鏡は大型化がたやすく値段も安いため(レンズに比べれば相対的に安価、という意味)、大口径の天体望遠鏡は皆反射式です。
    言われなくともご承知の事だと思いますが、コメ汚し失礼しました。

    • @Aisu_Rekishi_Ch
      @Aisu_Rekishi_Ch  ปีที่แล้ว

      コメントありがとうございます。色収差の話についてはそれを解決するために合わせてレンズ技術の発展の説明が必要であり、ご指摘のとおり最終的に光学式天体望遠鏡では反射式が主体となったことから割愛しました(私の知識レベルでは説明が難しかったこともあります)。江戸時代の日本で盛んだった望遠鏡作りが開国とともに消えてしまった理由の一つに、この技術的な差があったということで、重要な論点であることは理解しています。
      なお、ケプラー式望遠鏡に関してはその後のイエズス会やフランシスコ会の会士たちの研究グループに与えたインパクトについて言及したかったのですが、英語ですらない当時の文献を調べるのは難しく、簡単に触れる程度にしました。