【激変】火縄銃で変わった合戦史!今までの常識が通用しなくなった時に日本人はどう対応した?【ずんだもん解説】

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  • เผยแพร่เมื่อ 3 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 12

  • @61mac73
    @61mac73 9 หลายเดือนก่อน +3

    種子島氏がポルトガル人から奪ったのでなく高い金を出して買い取った所が日本の素晴らしい所

  • @user-uk2dw6ks6f
    @user-uk2dw6ks6f 3 หลายเดือนก่อน

    13:55「刀剣や槍での一騎打ち戦法から~」
    一騎打ちとかやってたのは元寇以前の話(~1300年頃)で
    以降は普通に乱戦じゃなかったっけ?

  • @marinetakono9442
    @marinetakono9442 9 หลายเดือนก่อน

    三段撃ちは隊列が三段じゃなくて柵が三段。江戸時代に勘違いしたらしく隊列三段が間違って広まった
    戦場記録にも武田軍が二段まで柵を破った事がかかれている

  • @ssannhiro3686
    @ssannhiro3686 9 หลายเดือนก่อน +3

    この間、長篠の合戦場の現場検証とか、やってる番組があったなぁ…。
    そもそも柵が何重にもなってたり、破られるの前提で兵が配置されてたり、築城レベルの準備の場所に騎馬隊を引き込んでたとかで、単純な銃の活用法じゃなかったそうな。

  • @hiroyukiimai9495
    @hiroyukiimai9495 9 หลายเดือนก่อน +3

    弾丸ポロリ
    目からウロコでした😮

  • @りくせん-y8o
    @りくせん-y8o 9 หลายเดือนก่อน

    長篠の戦いで武田を破った信長の三段撃ちが、実は斜面に三段の馬防柵を設けて大量の鉄砲隊が各個射撃。武田にも鉄砲隊がいたが経済制裁で弾の鉛が少なく、早めに騎兵突撃に移り、その進撃ルートも3つに限られて織田側から狙いやすかったいう複数の要因があって勝利したのが最近の説です。

  • @abbtk14
    @abbtk14 9 หลายเดือนก่อน

    大坂の陣はじめ高台や櫓上から撃たれ大きな被害を出した例があるので、下に向けても撃てるよう紙栓をするなど弾込め一つとっても様々な工夫がされているんでしょうね。まあ弾も火薬もガンガンに突き固めるので下に向けても転げ落ちる事は無いという話もありますが。

  • @真小久保
    @真小久保 9 หลายเดือนก่อน

    もし本当に波動エンジン見せたら、1年で拡散波動砲作るだろうな日本人。

  • @yocco_su
    @yocco_su 9 หลายเดือนก่อน

    火縄銃って凄い武器だったってよくわかる!

  • @MASATAKA-r4g
    @MASATAKA-r4g 9 หลายเดือนก่อน

    正に現代の
    レールガン🎉

  • @piccadillylily
    @piccadillylily 9 หลายเดือนก่อน +1

    信長は自分の兵士が弱すぎたんで、戦術・戦法を発展させたんでしょ。
    武田は兵士が強かったんで、それに過信して戦略を見誤った。大日本帝国陸海軍。
    三段打ちって言っても、1万でいきなり飽和攻撃されたらダメダメ。3段打ちじゃなくても、1回毎の突撃数が少なければ確固撃破出来る。そういった戦力分散戦闘に誘導出来た戦術勝ちでしょうね。戦力二乗の法則。

  • @ねじまきどり
    @ねじまきどり 9 หลายเดือนก่อน

    別に魔改造はされたないだろ?
    鍛造で多少鉄が強くなり強度は
    上がったけど、白色火薬を
    開発したわけでもなく、硝酸さえ
    国内で生産できなかったのに。