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祖父はビルマ戦線を戦い生還した。亡き後、千人針の腹巻きを見たが、本当に鬼気迫るものがあった。興味があった幼少期の私が質問しても黙して語らず。どれほどの苦難を乗り越えて生還したのだろうと、今でも思う。
置き去りにせざるを得なかった傷病兵が、戦友を逃がすために機関銃で応戦し、撤退中にその音を聞いた兵士の述懐にいつも涙がこぼれます。残す方も残される方も胸が張り裂ける思いだったと拝察します。戦争は二度と起こすべきではありませんが、戦ってくれた将兵への感謝の念は忘れてはいけないと思う次第です。
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア…戦争の悲惨さを伝える、たいへん貴重な動画です。
初めまして。太平洋戦争への道には 非常に興味を持っています。しかし、今回のニューギニア戦線の映像は 初めて見ました。 有難う御座いました。これからも 検索して、続きを視聴させて頂きます。。。。。。後期高齢者の一人より。
@user-gg7xr3yl8q 初めまして。コメントありがとうございます!このシリーズ全話をTH-camに残すことが出来ず大変申し訳ないです。全話お望みの場合は概要欄のリンク先へどうぞ (^-^*)ご視聴ありがとうございます。
社会の授業では習ったことがない事実。自分で勉強して、知ってはいたけれど、こうやって改めて話を見たり聞いたりすると、その度に胸が締め付けられる。戦争って、敵味方に別れて戦う話なんだけど、この島で日本陸軍は、眼前の敵が相手ではなかった。戦って死んだんだとしたら、それこそ軍人の本望なのかもしれないが、それすらも出来なかったという話。戦争は、本当に惨いです。1日でも早く、世界のすべての国が平和になりますように…
私にとっては、父、母の時代の出来事ですが、近所にニューギニアへ、いった人が居ていつも親父と話してるのを聞いてました。こんな悲惨な、戦いだったとは、思ってもいませんでした。同じ連体だったのか、帰って来なかった人の話をしてました。ニューギニアは、特に悲惨な戦場だったんだと思うと、同じ苦悩のような、感情を持ちました。それにしてもなんと無謀な戦したもんだといつも戦争指導者への怒りと、兵士とその家族への哀悼の思いを感じざるを得ません。
私からすれば曽祖父母の時代です…祖父母が幼児〜小学生でした
日本って昔からブラックだったんだねその文化が今でも引き継がれている
辻、牟田口、河辺。この辺の将校はあまりにも浅はかすぎる。
辻参謀とインパールの牟田口中将この2人は万死に値する敗戦を悟った時に自決するのが普通やろ
正にザ日本。責任は取らないですね。
日本の根本的な弱点は現在も何も変わってないな
ソ連のT34中戦車と日本の豆タンクとの差は、スバル360とトラック程の差があったと親父が言ってました。
作戦失敗の責任を取らせない異常さ
この時の日本軍は同じ武器だった場合、紀元前の軍隊と戦っても勝てないレベル
ブラック企業で消耗する日本人に重なる…
全く相手になってない無駄死にさせられただけやな
国の言うことを聞くとこうなります。
そう‥‥帝国主義にはまっていた愚かな日本の選択に相応しい結果だな
極楽のジャワ地獄のビルマ死んでも帰れないニューギニアあまりにも無慈悲すぎる
スズメ蜂とかにおそわれたりしなかったのかな
この国力で、こんな太平洋の隅まで、大海原を隔てて戦線を広げる理由は、国民の生活向上という理由では、決断できないでしょう。国民不在の国家が見栄張って先進国に勝とうとするおろかな勝気な行為だ。戦は、防衛以外意味ないと考えるのが最も合理的であることが今なら良く解っただろうに。
日本の指導層は昔から国民は使い捨て無理な作戦!兵器や食糧は大和魂でなんとかなる!そのうち神風が吹く。合意的な連合軍に勝てる訳無い!指導部で責任を取ったなんと少ないことか
同時代に、ドイツでは一分間に1200発発射できる機関銃を開発していたと動画で知りました。この動画で撃っている機関銃は、3~5発毎秒程度=180~300発毎分、こんな武器で戦ったのか?連合軍は平均600~700発だそうです。歩兵銃、豆タンク、生産力、開発力もない国力、さらに経済力すべて劣る、ゼロ戦も優位だったのは半年ぐらい、戦艦大和は用なしだった。完全な劣等戦力、初戦の提灯行列が哀れに感じる。
そもそも資源に欠けてる国が近代戦しかける、そこがもう無理がありますわな
連隊が正解ですよ連体ではありませんので気おつけて下さい
日本のために、自分を犠牲にした御神霊に、何て失礼な。
とはいえ、戦死者たちに哀悼を捧げつつ戦略や作戦の悪かったところや過ちを真摯に検討しなければまたいつか日本が有事に巻き込まれた際に教訓とする事ができない。直視する事が大事。
祖父はビルマ戦線を戦い生還した。亡き後、千人針の腹巻きを見たが、本当に鬼気迫るものがあった。興味があった幼少期の私が質問しても黙して語らず。どれほどの苦難を乗り越えて生還したのだろうと、今でも思う。
置き去りにせざるを得なかった傷病兵が、戦友を逃がすために機関銃で応戦し、撤退中にその音を聞いた兵士の述懐にいつも涙がこぼれます。残す方も残される方も胸が張り裂ける思いだったと拝察します。
戦争は二度と起こすべきではありませんが、戦ってくれた将兵への感謝の念は忘れてはいけないと思う次第です。
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア…
戦争の悲惨さを伝える、たいへん貴重な動画です。
初めまして。太平洋戦争への道には 非常に興味を持っています。しかし、今回のニューギニア戦線の映像は 初めて見ました。 有難う御座いました。これからも 検索して、続きを視聴させて頂きます。。。。。。後期高齢者の一人より。
@user-gg7xr3yl8q 初めまして。コメントありがとうございます!
このシリーズ全話をTH-camに残すことが出来ず大変申し訳ないです。全話お望みの場合は概要欄のリンク先へどうぞ (^-^*)
ご視聴ありがとうございます。
社会の授業では習ったことがない事実。
自分で勉強して、知ってはいたけれど、こうやって改めて話を見たり聞いたりすると、その度に胸が締め付けられる。
戦争って、敵味方に別れて戦う話なんだけど、この島で日本陸軍は、眼前の敵が相手ではなかった。
戦って死んだんだとしたら、それこそ軍人の本望なのかもしれないが、それすらも出来なかったという話。
戦争は、本当に惨いです。1日でも早く、世界のすべての国が平和になりますように…
私にとっては、父、母の時代の出来事ですが、近所にニューギニアへ、いった人が居ていつも親父と話してるのを聞いてました。
こんな悲惨な、戦いだったとは、思ってもいませんでした。同じ連体だったのか、帰って来なかった人の話をしてました。ニュー
ギニアは、特に悲惨な戦場だったんだと思うと、同じ苦悩のような、感情を持ちました。それにしてもなんと無謀な戦したもんだ
といつも戦争指導者への怒りと、兵士とその家族への哀悼の思いを感じざるを得ません。
私からすれば曽祖父母の時代です…
祖父母が幼児〜小学生でした
日本って昔からブラックだったんだね
その文化が今でも引き継がれている
辻、牟田口、河辺。この辺の将校はあまりにも浅はかすぎる。
辻参謀とインパールの牟田口中将
この2人は万死に値する
敗戦を悟った時に自決するのが
普通やろ
正にザ日本。責任は取らないですね。
日本の根本的な弱点は現在も何も変わってないな
ソ連のT34中戦車と日本の豆タンクとの差は、スバル360とトラック程の差があったと
親父が言ってました。
作戦失敗の責任を取らせない異常さ
この時の日本軍は同じ武器だった場合、紀元前の軍隊と戦っても勝てないレベル
ブラック企業で消耗する日本人に重なる…
全く相手になってない無駄死にさせられただけやな
国の言うことを聞くとこうなります。
そう‥‥帝国主義にはまっていた愚かな日本の選択に相応しい結果だな
極楽のジャワ地獄のビルマ死んでも帰れないニューギニアあまりにも無慈悲すぎる
スズメ蜂とかにおそわれたりしなかったのかな
この国力で、こんな太平洋の隅まで、大海原を隔てて戦線を広げる理由は、国民の生活向上
という理由では、決断できないでしょう。国民不在の国家が見栄張って先進国に勝とうとする
おろかな勝気な行為だ。戦は、防衛以外意味ないと考えるのが最も合理的であることが今なら
良く解っただろうに。
日本の指導層は昔から国民は使い捨て無理な作戦!兵器や食糧は大和魂でなんとかなる!そのうち神風が吹く。合意的な連合軍に勝てる訳無い!指導部で責任を取ったなんと少ないことか
同時代に、ドイツでは一分間に1200発発射できる機関銃を開発していたと動画で知りました。
この動画で撃っている機関銃は、3~5発毎秒程度=180~300発毎分、こんな武器で戦った
のか?連合軍は平均600~700発だそうです。歩兵銃、豆タンク、生産力、開発力もない国力、
さらに経済力すべて劣る、ゼロ戦も優位だったのは半年ぐらい、戦艦大和は用なしだった。完全な
劣等戦力、初戦の提灯行列が哀れに感じる。
そもそも資源に欠けてる国が近代戦しかける、そこがもう無理がありますわな
連隊が正解ですよ連体ではありませんので気おつけて下さい
日本のために、自分を犠牲にした御神霊に、何て失礼な。
とはいえ、戦死者たちに哀悼を捧げつつ戦略や作戦の悪かったところや過ちを真摯に検討しなければまたいつか日本が有事に巻き込まれた際に教訓とする事ができない。直視する事が大事。