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仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
今回も本当に心の芯に突き刺さるようお話をありがとうございました。毎回拝聴させて頂いておりますが仏教という一つの宗教の奥深さに驚いております。本当にありがとうございました。
菊谷先生。深い素晴らしい仏教の教えをありがとうございました。🙏
菊谷様、いつも毎回、学びや教えに救われた思いで心が満たされます。本当にありがとうございます。
「やがて死ぬのになぜ生きる」をテーマに語る方々の話を聞いていて気になることは一つだけ。前置きが長く、結論が何であったのか分からない、ということ。今回のお話を聞いても同様に思いました。凡夫が最も知りたいことに『四門出遊』の話で答えられても、凡夫の一人である私には「何を説かれようとされているのか」が分からない。私も老いを実感し持病に悩んでおりますが、老いていても、病身であっても、自分に出来ることで誰かのお役に立ちたいと願って自分の行動を律しています。私の死とやらから「そろそろお前のところへ行ってもいいか?」と問われながら、「もうちょっと待ってくれんか。まだやることがあるんで。」と断っているような日々を過ごしております。「やがて死ぬのになぜ生きる」これを考えぬ日はありません。
アメリカ在住で主人も白人ですがこの様な素晴らしいお話を彼にも聞かせてあげたいです。英語の字幕が有れば最高です。🙏
菊谷先生、今回も大切なお話と有難い説法に心より深く感謝申し上げます。生の中に老病死がおさまります、生死一如の世界、それこそが仏教が後生の一大事を知る事に始まり後生の一大事の解決で終わる、所以ですね。いつも本当にありがとうございます。自然法爾の念仏〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
良い動画ありがとうございます。何事にも程があると常日頃から自分は感じております。特に日本の寝たきりの老人を半ば無理矢理に長生きさせるのには遺憾です。日本で暮らしていたら、長生きをするために生きていく事を美徳、正しい事と教えられます。ですが心から楽しむ事、一つの個人として生きていく事が自分は正しい事、そしてこの世に生まれた理由だと思います。長生きする事を目的として生きているならば、自分の命が途絶えた時あまりにも虚しすぎると思います。この国では難しい事だが、世間体を気にせず出来る限り心から喜びに満ち溢れた素晴らしい一つの個人として生きていく事を若者達に願います。人生100年は哀れで悲しい政治家の票集めキャンペーン。情けない。
死なない命は、ない。響きました。本当に、なぜいきるのだろうと思います。ありがとうございました。🙇♀️
いつもありがとうございます、先日鬼滅の刃を見ていまして煉獄杏寿郎さんが 「人間として老いる事も死ぬ事も 儚い生き物の美しさだ」と言ってました、もしかしたら 絶対の幸福になられた人はこんな気持ちになるのか?と思いました、私は まだまだ老いや死を美しいとは思えず 先延ばしにしたいと思っています
楽しいことも、老いや苦しみなどもありのままを受け入れることを目指すべきですね。
やがて死ぬから、生きるのだと思います。諦観・・・「諦める」とは「明らかにする」ことですよね。死とは、実相の世界に帰るだけのことです。しかし、現世で精一杯頑張ることが何よりも大切です。私は仏教を通して、以上のことを明らかさせていただきました。
人の苦しみは心の渇愛、妄執から来ます。お釈迦様の教えの真髄は心を欲求の対象に向けない点にあると言えます。心を束縛、煩悩から遠ざけ開放する事で、心は貪り、暗黒から抜け出せます。体を形成し動かしているのは心ですから、心の汚れを除く事で健康になり楽しく生きる事が出来るでしょう。
生老病死は本当に苦しみでしょうか?仏陀はあるものをありのままに観よと言われたと伝えられています。人は魂が肉体にいられなくなるまで、今を楽しく精一杯幸せに生きるを良しとしたいです。
生老病死は苦しみだと感じてお釈迦様は出家しましたが、それが苦しみではなく執着心だと気づいて悟られたのではないでしょうか。
生き死に以外のことも全部不思議過ぎてしまいます何なんですかねこれ
お釈迦様のこうした経験が、生きることや、死の追求になっていったのかぁと思いました。仏教はこういうところから始まった教えなんですね。
若きとて末を遥かに思うなよ 無常の風は時を選ばす幼い頃から他界した父の口癖でした。父が生きた歳に段々 近づくにつれありがとうって身体の不調は誰も変わってくれない 死ぬ為に生きているのだと思います♪苦の娑婆 そう父はいつか灰になる死をいつでも覚悟しろと今思えば教えてくれた動物だけは死を想い煩わないある日 突然 虹の橋日本旅だってゆく だから余計哀しいありがとうございました😊
怠らず精進せよ!が、釈迦の涅槃の言葉だが、これに尽きてしまう!
有り難う御座います。
これ病院の待合室で流すべき
こんにちは、昔 長寿の方は表彰者の対象でした、最近は90歳の方も多くなり一般的になりましたので100歳を超えても表彰状は、出ないかも?長老の方もその能力、ノウハウを若い人達へ伝へて行って欲しいですね。家にこもって寂しく老後を過ごすのもいいけどもっと生き生きとした生活を送って欲しいです
死に臨んでは、うろたえずこの世で出来た事、出来なかったことを静かに黙想したいです。
ここ1週間くらい、朝起きるときに”虚しさ”を感じるようになりました。子供達も既に独立しているし、妻を2年前に亡くしているが、その時には虚しさを感じることは有りませんでした。当時は、まだ、死が他人事の様に思えた。何故、最近虚しさを感じるか自問しています。多分、身近な先輩や同級生や昭和世代の有名人の訃報が増えたことが原因だろうと思います。”世界の人口の約8人に一人が、戦争や貧困で衣食住に困ってる”そうです。”平均健康寿命=平均寿命ー8年(何らかの病気に罹る)”、そうです。日本人の平均寿命も延びています。昔の人や世界の戦争と貧困で衣食住に苦しむ人々に比較すれば満ち足りている筈だが。。。”相対の幸せ”しか解っていないのが、虚しさの真因だとは思います。虚しさを解消するために、「絶対の幸福」の境地(信楽)に成りたいものです。聴聞に精進します。
知識としては為になるとは思いますが、菊谷さんの言われる絶対の幸福や生きる意味等悟りの境地に至る為の具体的な内容に触れておられないと感じます不立文字ですから、その入口やそこに至らない所迄でも良いのでかなり言及した動画を希望します
失礼ながら、ご意見申し上げます。“仏教は聴聞に極まる”と言われます。仏教は一度聴いただけでは分からない。何度も聞いて聞いて聞き抜くことが肝要ということです。つまり頭で知識として得ることだけではなく、本当に心に染み込む実感とすることが仏教の本質ではないでしょうか?このことは菊谷先生の過去動画でも説法されておられますので、ご覧になられては如何でしょうか?私も以前は貴殿のような思いを感じ、何度も説法を聴聞しております。得られること多しで、お勧めします!
2年ほど前、ケトアシドーシスという病気で意識不明重体。マイナスなことしか考えられないと医師がボヤいたのに対し、私は今でも生きております。本当に何故私が生きているのか私は分からないです。
神道と仏教に興味があります。神仏集合についてのお話が聞いてみたいです。お願い致します。
田中英道氏のお話はヒントになるのではないでしょうか
菊谷先生 ありがとうございます🙏
現代でも普通のひとは年取って病院に通うやうになって病老の恐怖感を実感するものなのに上級国民で若く元気な年頃に人生の意味とか病苦の恐怖感を考えることはなかなかできないもの
ありがとうございました。
人間はあくせくして生きることが一番大事な事です。そして旨いものを食べれるように。きれいな服が着れるように。更に家族がいれば楽しく過ごせるように。一人身であれば自由に遊ぶ「羨ましい」。病気の方は何とかして治るように頑張る。いずれ死ぬのだから云々なんてことを考えることは無意味なこと。死ぬ時は何も持っていけないのに何て余計なことを考えない方が良い。生きて行くと言うことは自分を生かすことに努力すること。人間は知らない内に気が付いたらこの世にいて食べるために働き、楽しみを求めあくせくして行く。それが生物凡て普通の事。熊も鳥も魚も鈴虫もみんな命を維持するため余計なこと考えずあくせくし、鮭も死なんて考えもせず生まれ故郷に帰って来るため、全力を以ってやって来る。余計な事を真実だと勘違いしてどうしたらいいか悩むことが一番人間にとって生きて行く上でダメなことです。悟ったからと言って誰でも知ってることを解説してくれても・・しかも空しいと。余計な事だと思いますけどね。今でも繰り返しでの修行をしている方いますけど、それこそ空しいと思いますけど。余計な事か・・真実とは真理とは本来あるがままに発露すること。こねくり回して出来上がったものは陰謀と策略の産物。特に人間社会においては策略の世界ですから、ユーチューブもです。今やそれが真実。あくせくしているでしょ。
後生は、阿弥陀仏を頼りにしていれば大丈夫だから、人間として生きてることが、幸せなことですよね。
ブッダは本当に死の苦しみを乗り越えたのでしょうか?
四苦八苦と言う言葉の解説ですね
かつての同僚の女性が自ら命をたちました。52歳でした。彼女にしか知り得ない何かがあったのかもしれません。合掌。
仏陀のお父さんも素晴らしい人だと聞きました、ゾロアスター教だかバラモン教を崇拝していたらしいのですが!仏陀のお父さんに関してのお話しをお聞かせ下されば、さいわいてす?
こう考えると生まれたら負けって考えてしまうな
負けと感じるのも生きていから。
太子の時代は「癌」や「老老介護」は無かったのに「老苦」と「病苦」はどんどん深くなって行くことを予知されていたのだと思います😃
初めまして。いつも大変興味深く拝見させていただいております。ひとつだけ禁断の質問をお許しください。菊谷先生はもう信楽の境地に到達されているのでしょうか?自分も生老病死にいつも不安を感じております。信楽の境地にたどり着きたいと真剣に念じております。興味本位の質問ではなく、その境地に至った後の人生に希望を感じているのです。是非、ご返答をお願いします。
やがて死ぬが、生きることにも、生まれてきたことにも、別に意気込み、意味があるわけではない。宇宙の循環、一部として生きている。それを釈迦は、本質的に悟った人で、ただ生きている上で、より良く、人間としての意味、生き方を追及されたしじょうしょうがくの人だと思う。宇宙の法則という観点から見れば、久遠実成というのだが。
悩み多き王子だったんだな
金から得られる機会や体験が欲しいのか金自体が欲しいのか
結局、解答は何ですか?
同意です有難いお話ですが、毎度抽象的でモヤモヤしてます感覚や修行の世界はやらないとわからないので、せめてその手前迄でも教えて頂きたいですよね
何のなめに、とか難しく考えずに産まれてきたのだから精一杯自分を大切に生きる。他の生き者を自分の利得や浴を満たす為に利用せずに一時一時真剣に自分なりに生きる。身体の終わりには純な魂しいを宙に羽ばたかせる、とわたしは本気でおもってる。です。
ヒントを自分なりに解釈して、解答は自身で考える事が、生きる意味なんでしょうかね。。
では老いと病と死の解決する方法ってなんですか?なぜ生きるのか?のサムネイルの疑問に一切答えていません。何のための動画なのか。ブッタがなぜ出家をしたのかくらいは若い時から本とかを読んだり聞いたりして知っています。でも病死老を超えた幸せになるのにはどうすればいいかなんて出家をしなきゃ出来ないわけですから一般人は永久に救われません。これが私が今まで仏教を見たり聞いたりして得た結論でございます!
解決???
全く同感です。ではどうするか?この続きはまた今度といつもなっていますのでまたこれかと思います。
死の解決って????
何故生きるのかの解決だよ!
なんじゃそりゃ
でもね。菊谷先生、先生にこんなこと!!お話するのは釈迦に説法ですけど。学歴。会社。お金👛結婚。子供👶成功。出身出世。これを甘く見るとミッドライフクライシスと言って40才から、、私の人生はなんだったのか?私は一体何をやって来たのか?私の人生は無駄じゃないか?と思い、重い精神疾患になるそうです!高齢者の多くはもっとやりたいこと!!をしておけば良かったと思っているそうです!😢😢😢😢😢😢😢😢
話は違うが、ボタンダウンシャツにネクタイは、正式な着こなしとしては違っている。
けっきょく どうしたら救われるんですか?
冊子本くだ
死ぬのは他人ばかりぞな
シッダルタを知っとるか
仏陀は虫好きだったのかな
悪の発信 仏教だ
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。
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今回も本当に心の芯に突き刺さるようお話をありがとうございました。毎回拝聴させて頂いておりますが仏教という一つの宗教の奥深さに驚いております。本当にありがとうございました。
菊谷先生。深い素晴らしい仏教の教えをありがとうございました。🙏
菊谷様、いつも毎回、学びや教えに救われた思いで心が満たされます。
本当にありがとうございます。
「やがて死ぬのになぜ生きる」をテーマに語る方々の話を聞いていて気になることは一つだけ。前置きが長く、結論が何であったのか分からない、ということ。今回のお話を聞いても同様に思いました。凡夫が最も知りたいことに『四門出遊』の話で答えられても、凡夫の一人である私には「何を説かれようとされているのか」が分からない。私も老いを実感し持病に悩んでおりますが、老いていても、病身であっても、自分に出来ることで誰かのお役に立ちたいと願って自分の行動を律しています。私の死とやらから「そろそろお前のところへ行ってもいいか?」と問われながら、「もうちょっと待ってくれんか。まだやることがあるんで。」と断っているような日々を過ごしております。「やがて死ぬのになぜ生きる」これを考えぬ日はありません。
アメリカ在住で主人も白人ですがこの様な素晴らしいお話を彼にも聞かせてあげたいです。英語の字幕が有れば最高です。🙏
菊谷先生、今回も大切なお話と有難い説法に心より深く感謝申し上げます。生の中に老病死がおさまります、生死一如の世界、それこそが仏教が後生の一大事を知る事に始まり後生の一大事の解決で終わる、所以ですね。いつも本当にありがとうございます。自然法爾の念仏〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
良い動画ありがとうございます。何事にも程があると常日頃から自分は感じております。特に日本の寝たきりの老人を半ば
無理矢理に長生きさせるのには遺憾です。日本で暮らしていたら、長生きをするために生きていく事を美徳、正しい事と
教えられます。ですが心から楽しむ事、一つの個人として生きていく事が自分は正しい事、そしてこの世に生まれた理由だと思います。
長生きする事を目的として生きているならば、自分の命が途絶えた時あまりにも虚しすぎると思います。
この国では難しい事だが、世間体を気にせず出来る限り心から喜びに満ち溢れた素晴らしい一つの個人として
生きていく事を若者達に願います。人生100年は哀れで悲しい政治家の票集めキャンペーン。情けない。
死なない命は、ない。
響きました。本当に、なぜいきるのだろうと思います。ありがとうございました。🙇♀️
いつもありがとうございます、
先日鬼滅の刃を見ていまして煉獄杏寿郎さんが 「人間として老いる事も死ぬ事も 儚い生き物の美しさだ」と言ってました、もしかしたら 絶対の幸福になられた人はこんな気持ちになるのか?と思いました、
私は まだまだ老いや死を美しいとは思えず 先延ばしにしたいと思っています
楽しいことも、老いや苦しみなどもありのままを受け入れることを目指すべきですね。
やがて死ぬから、生きるのだと思います。諦観・・・「諦める」とは「明らかにする」ことですよね。死とは、実相の世界に帰るだけのことです。しかし、現世で精一杯頑張ることが何よりも大切です。私は仏教を通して、以上のことを明らかさせていただきました。
人の苦しみは心の渇愛、妄執から来ます。
お釈迦様の教えの真髄は心を欲求の対象に向けない点にあると言えます。
心を束縛、煩悩から遠ざけ開放する事で、心は貪り、暗黒から抜け出せます。
体を形成し動かしているのは心ですから、心の汚れを除く事で健康になり楽しく生きる事が出来るでしょう。
生老病死は本当に苦しみでしょうか?仏陀はあるものをありのままに観よと言われたと伝えられています。人は魂が肉体にいられなくなるまで、今を楽しく精一杯幸せに生きるを良しとしたいです。
生老病死は苦しみだと感じてお釈迦様は出家しましたが、それが苦しみではなく執着心だと気づいて悟られたのではないでしょうか。
生き死に以外のことも全部不思議過ぎてしまいます
何なんですかねこれ
お釈迦様のこうした経験が、生きることや、死の追求になっていったのかぁと思いました。仏教はこういうところから始まった教えなんですね。
若きとて末を遥かに思うな
よ 無常の風は時を選ばす
幼い頃から他界した父の口癖でした。父が生きた歳に段々 近づくにつれありがとうって
身体の不調は誰も変わってくれない 死ぬ為に生きている
のだと思います♪
苦の娑婆 そう父はいつか
灰になる死をいつでも覚悟しろと今思えば教えてくれた
動物だけは死を想い煩わない
ある日 突然 虹の橋日本旅だってゆく だから余計哀しい
ありがとうございました😊
怠らず精進せよ!が、釈迦の涅槃の言葉だが、これに尽きてしまう!
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こんにちは、昔 長寿の方は表彰者の対象でした、最近は90歳の方も多くなり一般的になりましたので100歳を超えても表彰状は、出ないかも?長老の方もその能力、ノウハウを若い人達へ伝へて行って欲しいですね。家にこもって寂しく老後を過ごすのもいいけどもっと生き生きとした生活を送って欲しいです
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ここ1週間くらい、朝起きるときに”虚しさ”を感じるようになりました。
子供達も既に独立しているし、妻を2年前に亡くしているが、その時には虚しさを感じることは有りませんでした。
当時は、まだ、死が他人事の様に思えた。
何故、最近虚しさを感じるか自問しています。多分、身近な先輩や同級生や昭和世代の有名人の訃報が増えたことが
原因だろうと思います。
”世界の人口の約8人に一人が、戦争や貧困で衣食住に困ってる”そうです。
”平均健康寿命=平均寿命ー8年(何らかの病気に罹る)”、そうです。
日本人の平均寿命も延びています。昔の人や世界の戦争と貧困で衣食住に苦しむ人々に比較すれば
満ち足りている筈だが。。。
”相対の幸せ”しか解っていないのが、虚しさの真因だとは思います。
虚しさを解消するために、「絶対の幸福」の境地(信楽)に成りたいものです。聴聞に精進します。
知識としては為になるとは思いますが、菊谷さんの言われる絶対の幸福や生きる意味等悟りの境地に至る為の具体的な内容に触れておられないと感じます
不立文字ですから、その入口やそこに至らない所迄でも良いのでかなり言及した動画を希望します
失礼ながら、ご意見申し上げます。
“仏教は聴聞に極まる”と言われます。仏教は一度聴いただけでは分からない。何度も聞いて聞いて聞き抜くことが肝要ということです。
つまり頭で知識として得ることだけではなく、本当に心に染み込む実感とすることが仏教の本質ではないでしょうか?
このことは菊谷先生の過去動画でも説法されておられますので、ご覧になられては如何でしょうか?
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本当に何故私が生きているのか私は分からないです。
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菊谷先生 ありがとうございます🙏
現代でも普通のひとは年取って病院に通うやうになって病老の恐怖感を実感するものなのに上級国民で若く元気な年頃に人生の意味とか病苦の恐怖感を考えることはなかなかできないもの
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人間はあくせくして生きることが一番大事な事です。そして旨いものを食べれるように。きれいな服が着れるように。更に家族がいれば楽しく過ごせるように。一人身であれば自由に遊ぶ「羨ましい」。病気の方は何とかして治るように頑張る。いずれ死ぬのだから云々なんてことを考えることは無意味なこと。死ぬ時は何も持っていけないのに何て余計なことを考えない方が良い。生きて行くと言うことは自分を生かすことに努力すること。人間は知らない内に気が付いたらこの世にいて食べるために働き、楽しみを求めあくせくして行く。それが生物凡て普通の事。熊も鳥も魚も鈴虫もみんな命を維持するため余計なこと考えずあくせくし、鮭も死なんて考えもせず生まれ故郷に帰って来るため、全力を以ってやって来る。余計な事を真実だと勘違いしてどうしたらいいか悩むことが一番人間にとって生きて行く上でダメなことです。悟ったからと言って誰でも知ってることを解説してくれても・・しかも空しいと。余計な事だと思いますけどね。今でも繰り返しでの修行をしている方いますけど、それこそ空しいと思いますけど。余計な事か・・真実とは真理とは本来あるがままに発露すること。こねくり回して出来上がったものは陰謀と策略の産物。特に人間社会においては策略の世界ですから、ユーチューブもです。今やそれが真実。あくせくしているでしょ。
後生は、阿弥陀仏を頼りにしていれば大丈夫だから、人間として生きてることが、幸せなことですよね。
ブッダは本当に死の苦しみを乗り越えたのでしょうか?
四苦八苦と言う言葉の解説ですね
かつての同僚の女性が自ら命をたちました。
52歳でした。
彼女にしか知り得ない何かがあったのかもしれません。
合掌。
仏陀のお父さんも素晴らしい人だと聞きました、ゾロアスター教だかバラモン教を崇拝していたらしいのですが!仏陀のお父さんに関してのお話しをお聞かせ下されば、さいわいてす?
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太子の時代は「癌」や「老老介護」は無かったのに「老苦」と「病苦」はどんどん深くなって行くことを予知されていたのだと思います😃
初めまして。いつも大変興味深く拝見させていただいております。
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自分も生老病死にいつも不安を感じております。信楽の境地にたどり着きたいと真剣に念じております。
興味本位の質問ではなく、その境地に至った後の人生に希望を感じているのです。是非、ご返答をお願いします。
やがて死ぬが、生きることにも、生まれてきたことにも、別に意気込み、意味があるわけではない。宇宙の循環、一部として生きている。それを釈迦は、本質的に悟った人で、ただ生きている上で、より良く、人間としての意味、生き方を追及されたしじょうしょうがくの人だと思う。宇宙の法則という観点から見れば、久遠実成というのだが。
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