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妻の仕事場が関西になった関係で、関西と縁遠かった私が関西私鉄を満喫させていただく機会ができました。鉄道ビジネスカジュアルさんなどの動画のおかげで、乗り鉄旅がものすごく楽しくなります。誠にありがとうございます。
Super chat ありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します
何重にも重ね塗りされて深みのあるマルーンが大好きだ!阪急はずっとこのままで良いと思います
6:18今津南線は3両編成です。今、阪急今津南線と甲陽線はワンマン運転で車両共用化されており、阪急の規約で、営業運転でワンマン運転をするのは「3両」となり、両線は3両編成の6000系ワンマン対応車両が使用されております。
他の方からも多数指摘があり概要欄にお詫びを記載しております。私が参考文献を読み間違えホームの有効長が4両で今津南線は3両です。
今津南線は4両編成ではなく3両編成です。(甲陽線も3両編成です。4両編成は伊丹線です。)
今日、初めてこの動画を知ったのですが、素晴らしい動画ですね。勉強になりました。これからの動画を楽しみにしてます
ありがとうございます。励みになります。
Oldman阪急です。神戸線と宝塚線を一括りにした「神宝線」「京都線」の違いについて、細かい部分は動画でお話をされていますが、本質的には路線建設の際に依拠した法律が、箕面有馬電気軌道→阪神急行電鉄の「軌道法」か、北大阪電気鉄道→新京阪鉄道の「地方鉄道法」によるものかで、事務手続き等で厳密に区別する必要があり、「神宝線」と呼ばれる区分が生まれて、その後、一般に膾炙したものと考えます。なお、「軌道法」によって建設された、宝塚線、神戸線とも、昭和53年(1978)3月には、「鉄道線」に改められて、法律的には全線が「鉄道線」に統一されています。🍀
阪急京都線はOsaka Metro堺筋線の車体幅に合わせてるから神宝線の車体幅より広いから分かれてるんだったけ?
関東住まいですが 公式You Tube『阪急電車ファン全員集合』のファンです。館長さんの喋りが おもろいわ。
あの動画時々みてます。館長さんって眼鏡の運転士さんですね。あのトークなかなかいいですね。今津線の宝塚~西宮北口は沿線を懐かしそうに語っていたのが印象的ですね
『 七不思議 』以上に『 阪急電鉄のタブー 』が、大阪梅田駅と神戸三宮駅に到着する際の車内アナウンスでは「 JR線は、お乗り換えです。」とは言わない事です。
こんばんは。阪急の伝統のマルーン塗装が好きです。末期の国鉄やJRが手っ取り早くイメチェンしようとして既存の車両に全く似合わない派手な塗装を施したのとは対照的ですね。
阪急は外装だけ出なく内装も伝統😅
めちゃくちゃ面白い!勉強になります!
不思議を調べると時代背景や列車運用の方式、町の成り立ちなど歴史から経済的発展の側面まで色々分かって楽しい。
阪急電鉄沿線者にすれば殆ど不思議ではなかったですね〜😅ありがとうございました🙌
おはようございます。阪急電鉄の不思議ですが。それは京都本線高槻市駅には阪急バスの路線バスが乗り入れてなくて京阪バスが乗り入れていることですね。なぜかというと阪急京都本線を開業させたのは阪急電鉄ではなく京阪電鉄なのでその名残なんです。また茨木市駅には阪急バスの他京阪バスと近鉄バス(近鉄バスは摂津市駅にも乗り入れてます。)の路線バスが乗り入れてます。また京都本線相川駅の吹田寄りに新京阪橋という橋がかかっているのですがそれも阪急京都本線を開業させたのは京阪電鉄であることの名残ですね。
Oldman阪急です。京都本線の開業について、少し違いますね。🤔昭和3年(1928)11月、京都本線(天神橋〜西院(仮))を開通させたのは、新京阪鉄道(京阪電気鉄道の子会社)です。昭和5年(1930)9月に新京阪鉄道は親会社の京阪電気鉄道に吸収合併され、京阪電鉄の新京阪線となりました。昭和6年(1931)3月、京阪電鉄の手によって(西院〜京阪京都(現、大宮))間の地下線が開通しました。その後、日本全体が戦時体制下に入り、昭和13年(1938)施行の「陸上交通事業調整法」に基づいて、昭和18年(1943)年、阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併し、京阪神急行電鉄が成立、戦後に京阪電気鉄道分離、京都線は阪急に残置されて現在に至っているのは、既にご承知の通りです。🍀
@@Midori-Clover さんこんばんは。そうですね。その通りですね。私は少し間違っていたかもしれませんね。
@@巻幡哲也-t4w さんOldman阪急です。いいえ、どういたしまして。😊
阪急電車憧れてます。ピカピカ✨で高貴で上品でとにかく美しい。いつかは大阪に行って梅田駅から乗車してみたいなぁ〜
京都線のネタ、洛中から見て西にあるから駅名に西が付くのは当たり前(西向日除く)だとか、もともと天六起点だった新京阪線を梅田乗り入れするため、宝塚線の複々線扱いにしたから中津駅が無いとか、知ってる話はもう書かれてた。皆さんさすがです。
はじめまして😄30年前の学生時代、扇町~山田まで利用してました❗懐かしいです😄淡路駅の高架化まだ出来ないんですね😅
はじめまして、はい、まだ工事中です。崇禅寺~淡路は橋脚の中に仮線があります。西鉄をみても最近の工法は進化しましたね。あの方法だったら仮線の土地確保しなくても済みます
阪急が恐るべしだったのは、国鉄が分割民営化する前の私鉄特急の表定速度ベスト5に入っていた事。1位は近鉄名阪ノンストップ特急、2位は東武DRCけごん浅草〜日光ノンストップ、3位が阪急梅田〜河原町特急。地元名鉄の豊橋〜名古屋〜岐阜特急は4位だった。さらに意外なのが5位は西鉄の天神〜大牟田特急。阪急は京都線がいかに高速化対応なのかが凄い。
あの頃の特急は十三を出たら大宮までノンストップでしたもんね。通勤特急でやっと高槻市停車。茨木市~西院間を急行で利用していた僕にとって、6300系は憧れでした。
阪急は京都線がいかに高速化対応なのかが凄い。これ、すごいのは京阪なんやけどな。カーブだらけで速達性に問題があった本線の反省で、一直線に線路を敷いたんやから。それを戦後のどさくさで京阪から堂々と強奪していったところは確かにすごいけどな。
梅田駅で「○号線に到着の列車は.....」って言っているのは好きです。それと、阪急は恐らく西武にはかなりの対抗心があると思います。茶屋町に当時西武系列のロフトができるときも新聞で話題になりました。西武が阪急村に殴り込みっていうような記事だったと記憶しております。
ロフト、茶屋町にありましたね。阪急イングスがあったとき、結構危機を感じられていました。
@@heitetsu4649 さま、新大阪線ができて南海と相互乗り入れが実現したら、狭軌のマルーン電車が大和川を渡って南海本線の堺とか岸和田とかを走っている姿も見たい気がします。
能勢電鉄が西武に買い取られかけた時に、阪急が関西の鉄道は関西の鉄道が支える!ということで、能勢電鉄を子会社化したということもあったみたいですよ。
江坂に東急ハンズができた時も東急?って思いました。
西武の創業者堤家は滋賀県出身で、近江鉄道の場合は単なる買収ではないと思う。
6:20 今津南線は3両編成ですね。
失礼いたしました。3両編成ですね。でも統合してほしいですね
ホームは、北口駅以外は、今津が5両分阪神国道は、今津宝塚直通時のままの長さ確保去れていますし北口駅も構造上今津宝塚直通再会出来る様に作られていますし北口駅の現行ホームも延長出来る構造に成っていますからね。
やはり阪急はマル-ンカラ-じゃないと落ち着かないよね〜
ですね。もう普通の感じです。マルーンは永遠に残してほしいですね。大邸宅にすんだら屋根は絶対マルーン色と決めております(笑)
それいいね〜www
Oldman阪急です。つい先日、英国のQEII👑女王陛下のご葬儀を視聴しておりましたが、何と王室の車両(霊柩車も含む)すべてが、「マルーン色」に塗られていました。(メタリックも入っていた様な)これを知ってから、ネタにしようと書かせて頂いた次第です。😅では、さいなら〜。💨💨😁🍀
神宝線と京都線の違い、「上り下りが逆」というのもあります。あと、京都線の車体は地下鉄堺筋線との相互乗り入れの際に変更されました。3300系以降ですね。2300系や2800系は神宝線と同じ大きさで、神戸線を走ったこともありましたよ。
他にも有名どころだと神宝線の手歯止め、京都線のハンドスコッチなど同じものなのに呼び方が違うものがありますね。
AWaさんおはようございます。神宝線と京都線の違い「上り下りが逆」なのはこれも阪急京都本線を開業させたのは京阪電鉄の名残ですね。
@@緑鬼-b7q さんおはようございます。神宝線と京都線とで同じものなのに呼びが違うのはこれも阪急京都本線を開業させたのは京阪電鉄の名残ですね。
Oldman阪急です。かって、都であった京都に「上る」という言い方はしても、京都に「下る」はありませんね。😅だから、京都本線は京都行きが「上り」だと、その昔、習いました。☝️千里線、嵐山線についても、北摂や洛西の山に向かって「上がる」イメージで、上下の区別が付けられています。反対に神戸線、宝塚線は、梅田方向が「上り」で、箕面線、伊丹線、甲陽線も本線との分岐駅に向かう方向が「上り」ですが、今津線だけは、ダイヤモンドクロスが存在し、今津〜宝塚間の直通列車が運転されていた当時から、今津行きが「上り」で、宝塚行きが「下り」、南北に線路が分断された後も、それは変わっていません。☝️🍀
阪急電鉄の色は変えさせない。まあ私は東京都住在ですけど。www
中津駅は普通だけじゃなくて宝塚線の準急もとまった気がする、、
桂駅には謎のホーム番号「C号線」がある
はい、漏れていました。すみませんでした
阪急京都線の大山崎~上牧の間は大昔、東海道新幹線の線路を走行してたらしいね。
①京阪は駅間がかなり短いが、阪急京都線は京阪が作ったのに駅間がかなり長いという不思議。②十三駅京都線6号線のホームがやたら広い。昔十三どまりの頭端式ホーム7号線があったらしい。③十三駅、花火大会の日だけ開ける改札口がある。東口の商店街に出やすいから普段から開ければ良いのになぜ開けないのか。
音楽は阪神電車なのに、内容が阪急電車なのは面白い。
鎌田浩宮さん作曲の、行き先案内前の予告音か、ホーム入線音を使ってもらいたかったな。
高速神戸~西代までは線路所有は神戸高速鉄道、運行は阪神電鉄の上下分離方式で(JR東西線と同じ)到着メロディも案内も阪神風になりました。同時に山陽電鉄は西代から新開地までの運行権を阪神に譲る形で退き、路線名も高速長田までは「阪神神戸高速線」と呼ばれています。西代駅は境界駅でも駅管理は山陽電鉄です。余談ですが山陽電鉄は阪神が筆頭株主です。
すいませんが間違いの指摘。天神橋筋六丁目駅は阪急・大阪メトロ共同使用駅ではありますが、共同管理駅ではありません。大阪メトロの単独管理です。高速神戸駅は現在阪神が管理しているようで(駅番号も阪神のHS**になっている)、それゆえに阪神式の〇番のりばという呼称を使用している模様。阪急今津南線は4両ではなく3両です。〇番線ではなく、〇番のりばと云ふ表現を使うのは、他に確か南海・JR西・JR四国・JR九州などもありますな。▽..*▽
トイプードルさんおはようございます。実は近鉄も大阪メトロが管理しているけいはんな線長田駅、京都市交通局が管理している京都線竹田駅を除いて何番乗場という案内になってますよ。
天六駅 運賃上 ここまでは阪急の運賃ルールが適用されますが切符の扱いは大阪メトロのルールが適用されるので要注意ですよ!ケース① 回数券2枚使用不可駅員対応・阪急用精算機 いずれも1枚しか利用できない精算機は2枚目入れるとエラーになりますケース② 未使用区間の扱い天六経由堺筋線他 大阪メトロ区間との阪急連絡切符を買った場合梅田で降りた場合は 阪急線内乗車駅から梅田までの運賃を引いた金額を案内所で返金してもらえます一方 天六で下車する場合は一切返金されません同様に 天六経由阪急線内の切符で梅田に行って下車する際も地下鉄区間の不足運賃だけはしっかり取って 阪急区間部分は返金してもらえません。梅田・天六・南方経由どれにしようか未定の場合は 最寄乗り継ぎ・乗り換え駅までの切符だけ買って出る時差額精算する方がいいでしょう
関空~阪急京都線は現状でも関西空港~嵐山・河原町を「天下茶屋~天神橋筋六丁目を堺筋線経由1250円」の割引きっぷ(天下茶屋のみ途中下車可能)があります。
もともとは阪急〜堺筋線〜南海を1本にする答申がありましたが南海が狭軌、阪急が標準軌でどっちにするかの駆け引き合戦があり最終的には阪急が勝ちました。さらに南海の天王寺支線も廃止され南海は阪急に対してあまりよく思っていませんでした。しかし今回のなにわ筋線は南海と阪急が仲直りしたみたいです。天下茶屋の乗り換えはかなり酷でしたですね、今回の動画制作で堺筋線も天下茶屋まで行きました。
能勢電の近江直通がオチちゃいますのんwおもろかったです。
阪急のなにわ筋線車両はおそらく南海8300系をベースにしたステンレス車両もしくは阪急伝統のアルミ塗装車両に南海8300系を合わしたような車両になるのでは、JRにも乗り入れを正式発表してるので、別にJR阪和線225系と阪急車両を合わした転換クロスシート車両も投入されるのでは、
ピッカピカのマルーンカラー ホームの黄色いブロックもくっきり車体に写り、まるで車体に黄色のラインが入ったのかと思うほどピッカピカ 子供の頃は光沢は無かった 阪急電鉄に勤めていた父は「ミミズ」と自虐して言ってました。 いつからこんなピッカピカになったんでしょうね そうそう父が勤めていた頃は「京阪神急行電鉄」でした 提出物に書く時、京阪?阪神?なかなか名前が覚えられませんでした 大阪の市章 神戸の市章 京都の野まとめたマークが好きでした
能勢電鉄の日生中央駅は能勢電鉄が作った駅ではないので駅名が変わる事はありませんなぜなら日生中央駅は日本生命が宅地開発の為出来た駅で日本生命が日生線を作りました地方鉄道がうらやましかつたと言う話です
阪急電車はだいたい10分に1本来るイメージですが、どうして嵐山線だけが15分に1本なのでしょうか?
京の西に在る地名だから不思議でも無いよ
全て新駅が西の駅😅
大阪モノレールの摂津駅が先に開業したから「摂津市」駅にしたのかと推察しています。吹田駅は、吹田市駅にはならないな。阪急の駅では、発車表示器には「普通」と表示されるのに、自動音声アナウンスでは「各駅停車」と案内されるのが謎です。沿線的には、総じてお上品なのに、十三・天六・阪急東通商店街とかいう☓☓が…………あと、尼崎市内に駅が3つもあるのに、尼崎を冠する駅が1つも無い。(それがありがたい沿線民もいるらしいが)阪急沿線の大部分は他社線と競合しているが、能勢電鉄線は全く競合していない。とか、能勢電鉄は阪急電鉄より給与体系が低いとか、いろいろありそうです。
(追記)・阪急百貨店に最も近い駅は、阪急電鉄の駅ではない。(大阪梅田、神戸三宮、高槻)・神戸三宮ー京都河原町間の運賃は、神戸市のタクシー初乗り運賃に近い金額。・昼間の平日と祝日のダイヤを比べると、神宝線はほぼ同じくなのに、京都線は微妙に違う。・京都線普通抜かされすぎ。茨木市と相川でダブル退避とか。・全駅ホームドア設置→6300系完全引退?・雲雀丘花屋敷駅大阪梅田行きホームには、殆ど同じ種別同じ行き先の電車しか来ないのに、毎回フラップを回転する必要があるのだろうか?
阪急かぁ。思いつくのは京都河原町駅の1号線は京阪淀屋橋駅のように縦列停車する想定で造られたとか、早朝に洛西口始発大阪梅龱行き普通の設定がある(桂C号線より回送で出発→洛西口から営業列車。洛西口開業前は東向日始発で設定)くらいかなぁ
縦列停車ですね。淀屋橋は懐かしいですね。停車するときはATSなどはあったと思いますが結構技術が要りますね。
Oldman阪急です。現在、河原町駅1号線は、有効長264mのため、車長19mの阪急車両では13両分しか停車出来ず、昭和38年(1963)河原町延長当時は、更に2両分短いホームであった為、実際に縦列停車していたとの話は、諸先輩方からは聞いておりません。代わりに、日曜・祝日等の行楽期の混雑時に、特急を「二重停車」(梅田から到着した列車を、一旦手前で停めて、乗客を降車させた後、扉を閉めて前進させ、正規の停車位置に停めて旅客を乗車させる。)運用を行なっていたこともあり、現在は、平日ラッシュ時の10両編成列車が入線しています。余談ですが、ラッシュ時には、正雀下り出庫、または、東吹田出庫の相川始発の普通などもありました。🍀
特急を「二重停車」させるのは私が利用していた大昔では普通にありました。「降車」「クロスシート転換」「乗車」の順でした。また、一部の普通が一番線から出発していたように記憶しています。なぜなら、2番線の普通が「次発」だったことがあり、何度か「しまった!!」と残念がったことがあったからです。
阪急電鉄の車体塗色について私は未だにフルマルーンの方が好きですが、阪急電鉄ファンにはマルーンについての思いが強い方がいらっしゃられます。阪急阪神ホールディングスの株主総会で阪神タイガースの成績だけでなく、阪急電鉄のマルーンについても株主提案が有ればと思っています。
阪急電鉄はマルーンから帰るときの計画のカラー図案が阪急電鉄の博物館に飾られていたのをある動画サイトで見ました。とても世に出せるものではなくマルーンの方が絶対いいです。阪急が唯一変化させたのが京都線特急から採用した上部のアイボリーホワイトです。最初は京都線特急だけだったのがその後神宝線にも拡大していきました
Oldman阪急です。電車の塗色について、ネタをひとつ。阪神電車経営統合後の阪急阪神ホールディングス株式総会にて、電車の色について質問された株主の方がおられたそうです。聞くところによると、『阪神電車の特急、急行に使用されている電車の色が、何でオレンジ色のGYアンツカラーやねん❗️💢』と、仰ったそうです……。😅多分、この株主の方は、熱烈な🐯ファンであったと思われますが、阪神電車の色を、黄色と黒の縞模様に変更するように、株主提案されたかどうかまでは、寡聞にして知りません。😂🍀
これは有名なお話ですね。オレンジの車両は阪神大震災復興で普通列車の水色基調と赤胴車のオレンジ基調がセットでしたがこれが株主の反感を買いました。だからなんば線乗り入れ車両の新造の1000形と既存の9000形(もともと赤帯)を黒とビバーチェオレンジにして多少阪神タイガース色に近づけました。あの色も考えればオレンジですが。
能勢電車って阪急じゃなっかたんですね、知りませんでした。
阪急の「あずき色」とともに、近鉄特急の「紺色と橙色のツートンカラー」も維持してほしかったけど、変わってしまった😢
今津南線は甲陽線と共通運用で6000系3連ワンマンですよ。伊丹線は4連です。阪急で京都線が今の寸法になったのは、ご指摘の通り「大阪市営地下鉄」の寸法に合わせたからなんですが、「大阪市営地下鉄堺筋線開業前」に登場した2300系は、神戸線2000系、宝塚線2100系と同じ寸法です。そのため、2300系と特急車2800系は、堺筋線開業に合わせてステップが付けられた他、2300系が神戸線に貸し出されたこともあったり、2800系は神戸線でサヨナラ運転をしたり、阪神大震災で車両不足のときは2800系が他形式に挟まれて今津北線で走ったことがあります。
ありがとうございます。京都線の寸法が違うのは堺筋線の大阪市営地下鉄(当時)に合わせたためだったのですね。今津線に乗ればよかったが今回は時間の関係で乗らずに参照資料を鵜呑みにして今津南線の4両と書いてしまいました。失礼いしました。伊丹線は4連ですね。塚口駅で学生班をやったときカーブ上のホームに旧型の列車がとまっていたときはっきり覚えております
阪急沿線に生まれ育った身としては馴染みのある話ですね。マルーンカラーもそうですが、甲陽線のトンネル化反対(桜並木を走る景観を損ねることから)や、中吊り広告にゴシップ系週刊誌は載せない等、阪急らしい特徴があります。今は関西を離れていますが、関西に戻るなら阪急沿線にしか住みたく無いくらいに愛着があります。
阪急の人は昔からの私鉄を守りたかったんだろうなと。じゃなきゃライバルの私鉄を守ろうとしないですもんね。能勢電は乗るまでは知らなかったけど今は好きな私鉄です。雰囲気が凄くいい
「いまづなんせん」「いまづほくせん」って呼んでる人初めてみた
確かに七不思議ですが、今まであまり感じませんでした。しかし、京都線だけは、不思議でした?車番も今は共通ですが、1の位が、京都線だけは、1からは始まりますが、神宝線は、0から始まります。関西の鉄道は、個性が強いです。
Oldman阪急です。車両の車番(トップナンバー)が、「0」から始まる神宝線車両と、「1」から始まっていた京都線車両の違いは、よくご存知のように両線の生い立ちの違いによるものです。(神宝線:箕面有馬電気軌道→阪神急行電鉄、京都線:北大阪電気鉄道→新京阪鉄道→京阪電気鉄道)戦後も、永らくこの伝統は続いておりましたが、昭和47年(1972)登場の京都線5300系より、神宝線車両に準じて「0」から始まるようになり、両線の相違点が1つ解消されております。🍀
阪神の赤胴青胴は用途が限定されてしまうけど、何にでも対応できる阪急はかしこいなぁって思ってました。関西は派手好きと思われがちですが、関東の派手なタクシーに比べて関西は控えめな色が多いのも マルーンを愛する文化なのかもですね。
タクシーのモノトーンカラーは東京の従妹からも指摘された。落ち着いてていいって。当たり前に思えることも他所から見たら好ましいと思われることもあるのだなぁと気づかされる。
阪神の色分けは有用だよ。ジェットカーは普通にしか使わんから。
関西の私鉄グループは良くも悪くも伝統を大切にするとこが多い気がする
京都線に「西」が多いのは、むしろ当然とも言えますよね。京都の西を走ってますので、西の付く地名や場所が多いです。詳しくは知りませんけど。西向日だけはちょっと違って向日市にある2つの駅を東向日と西向日にしたから。西山・東山・北山、洛西・洛北・洛東・洛南、西京極・東京極。西院は淳和天皇の離宮、淳和院が内裏の西にあったから西院で、東院は存在しないらしい。
マルーンカラーを否定するような事を言ったら、そりゃ炎上🔥するでしょうね😁私も、沿線に住んでますから、部屋から目の前を通過するマルーンカラーの車体を見るのが大好きですし、沿線住民の誇りでも有ります😊内装も好きです。アンゴラ山羊のオリーブグリーンの椅子張り。住江織物製ですよね😀木目の壁に白天井。非常に高級感と創業時からの伝統を感じます。能勢電の運賃は、利用者からしたら、阪急能勢線にしてもらいたいですね。以前、川西市北部に住んでて、大阪市内迄通勤してた時には、高いなぁ😱と思いました🥶日生エクスプレスが出来た時には、やった~🎉と思いました🤩帰りの梅田駅では、座席争奪戦ですけどね😅
阪急電車の色は、私が子供の頃はもっと「焦げ茶」に近い「あずき色」だったように思ったんだけど、いつしかはっきりと「焦げ茶」とは縁を切った完全な「あずき色」になり、「マルーン」なんて、何語やねん? て言葉が出てきた。私の子供の頃は阪和線の普通は橙色が多くて焦げ茶もあったが、阪急電車は阪和線の普通の焦げ茶よりは「あずき色」に近い焦げ茶て感じだったと記憶している。……誰やねん、「マルーン」なんて舌かみそうな言葉考えたのは……
中津駅は梅田駅の隣の控え目な駅ですが寂しい駅ではありません平日昼前に利用しても全く人がいないわけではないし夕方は乗客を誘導したりするバイトの子もいますホームが狭いとか階段しかないとか言われてるけど唯一無二のたまらない駅ですよ
似たいような駅で神戸線の春日野道駅があります。阪神の昔の春日野道は列車待機は命がけでした。中津駅は淀川の花火大会で結構混雑すると聞いております。
元々中津駅は阪神電鉄北大阪線の乗り換え駅だったので結構利用客が多かった。父親が昔、使っていた両社線の連絡磁気定期券を久しぶりに見て思い出しました。
中津駅は色々ユニークなお店あって楽しいですね 耐震化の問題でなくなってしまったかも ですが道路高架下のユニークなカフェ ファンでした
@@heitetsu4649春日野道下車して行くご贔屓のお好み焼き屋さんが2件 どちらもそばめしがお勧めです 一軒はボリュームでもう一軒はアキレス腱入の美味しいそばめしです
阪急マルーンのブランド力凄いですね。名鉄は「ミュースカイ」みたいにスカーレット使わないものもできちゃいましたし。
ミュースカイのブルーですね。なかなか乗り心地はいいですね。マルーンブランドは確固たるものですね
名鉄ブルーがあるけどやっぱスカーレットなんだよなあ、
名鉄の赤は、スカーレットというよりも、フェラーリの『 ロッソ・コルサ 』に近い赤ですね✨
能勢電鉄は標準軌西武は狭軌ですので、西武からの払い下げは難しいかと
西武に買収って、当時の西武セゾングループなので西武鉄道は関係ありません。よって誤報。堤兄弟の確執から考えればあり得ないってことです。
大昔、北口のダイヤモンドクロスを渡りきる阪急電車がめっちゃかっちょよかった、
京都本線には快速特急、特急、通勤特急、快速急行、快速、準急、普通と種別がたくさんあるのに速達種別の基本である急行がないのが不思議。また、快速特急は停車駅は少ないが特急の後追いをしていて所要時間が同じ(もしかしたら遅い?)だから「快速」をつけるのはおかしい。
Oldman阪急です。40年程前の十三〜大宮間ノンストップ特急、15分ヘッド時代は、特急、(通勤特急)、急行、(準急)、普通のいたってシンプルな列車種別だったのですが、いつの間にかそんなに列車種別が粗製濫造されていますね。😅今の特急など、昔の急行停車駅から西院、大宮を抜いただけと思ってしまう爺ですwww。これ以上、どこかのKOの二番煎じみたいな「準特急」など、センスの無い種別を増やさないで欲しいものです。🍀
子供のとき関西にいたから親に京都連れてってもらった、京都線だけは豪華だなと感じた(6300系)今でも9300系がその血を継いでます
ビデオを拝聴させていただきました。ありがとうございます。2点ほど、指摘させてください。まず、高速神戸駅は、共同管理駅ではなく、神戸高速鉄道の駅です。阪急三宮駅~高速神戸駅間~西代駅(阪神元町駅~高速神戸駅)は、神戸高速鉄道です。それから、今津南線は、3両編成です。4両編成ではありません。
中津駅については、京都線はもともと京阪電鉄が作った路線だったことも関係していると思います。
Oldman阪急です。梅田〜十三間の京都本線に中津駅が存在しないのは、用地買収が非常に困難な場所だったからです。京阪電鉄の分離は、阪急による三複線化工事以前の事であり、京都線の中津駅とは何の関連もありません。☝️🍀
不思議6が最大値ですね。山口益生氏(阪急専務)の著作に出ていたが神宝線🆚京都線の相違は車両規格を超える奥深さがあるらしい。
10:55 西武百貨店は西武鉄道グループとは現在無関係ですこれ、けっこう誤解をしているひとが多いですね。たしかスーパー・西友もそうでしたが、私の家の近所の「西武なにがし」という会社もそうみたいですし、ロゴがあの野球ボールみたいなのから変わりました。
そうですね。今はそごうと同じセブンアンドアイホールディングスになっていやす。誤解を生むので西武の冠名を外してPARCOブランドにした方がいいと思います。ファミマも無印もいまはまったく関係ありません
はじめまして😀京都線は、元京阪であったり地下鉄堺筋線乗り入れの関係もあり、神宝線とはかなり異質な文化を持ちますね。号線表示の件、神宝線は比較的整理されているようですが、京都線では???な場合がありますね。例えば淡路駅にはかつての配線変更の名残で1号線がありません。また、桂駅の嵐山線発着線は謎の「C号線」です。これは、やはり駅の改修工事の際に元々本線とは関係ない桂車庫の入換用引上げ線のA〜C号線のうちC号線に面してホームを作り、嵐山線折返し線に転用したからだと思われます。しかし、これは社内の呼称の問題であり、利用客が理解しやすく番号を整理しておくのが正しいのではないか?と思いますが、京都線の阪急電鉄への統合からかなりの年月が経っていても、現場の風習・習慣はまだ「新京阪」が根強く生き残っている(動画にもありました電装品のメーカーの件など)影響なんでしょうね。何でも、乗務員さんが宴会や社内の飲み会の際に飲むビールのメーカーまで神宝線と京都線は違うという話も聞いたことがありますw
これだったら銀行のように派閥ができる感じですね。みずほ銀行も第一勧業銀行出身、(宝塚線出身、神宝派)、富士銀行出身(京都線出身 新京阪派)のような。ビールですと京都線はキリンで、神宝線はアサヒ。実はここだけの話ですが、確かにありました。私は昔、塚口駅で学生班という押しやのアルバイトしておりました。1時間30だけなので給料はむちゃくちゃ安いですが阪急電車の無料定期券をもらいました。そのときはなぜか宝塚線、神戸線、今津線、伊丹線は乗れたのですが京都線だけ乗れなかったのです。
Oldman阪急です。淡路駅1号線は、天神橋(現、天六)〜京都(現、大宮)が京都本線だった頃、淡路〜十三間が支線の十三線で、区間内折り返し列車用に存在していましたが、戦後しばらくして無くなり、現在は駅舎等になっています。桂駅C号線(+1号線)のプラットフォームについては、新京阪線の開通当時(昭和3年(1928)11月)当時より存在していました。(1号線は、途中で線路が剥がされて、無くなっていた時期も存在しますが…。😅)ちなみに、今から約40年前の桂駅構内配線を西側から順に述べると、桂車庫出入庫線C線+1号線(ただし、線路無し)、京都本線上り2号線+3号線、嵐山線4号線+5号線、京都本線下り6号線+7号線の順番にプラットフォームが並んでおり、現在の京都線下り4号線+5号線の位置は、元嵐山線ホームであった訳です。(旧下り線ホーム6号線+7号線の位置には駅ビルが建っています。)各プラットフォームは、地下道で連絡され、東口の本駅舎の北側には乗務員詰所があり、良く出入りしていました。また、上り線は駅出発後、嵐山線の高架に向かうスロープの西側(現、桂車庫線)を膨らむように右カーブしながら、嵐山線と立体交差していました。(桂駅北側の「豆田第一踏切」付近で見える跨線橋がその名残りです。)旧上り線撤去後は、桂車庫線の拡張に用地が充てられました。個人的には、C号線で旅客扱いする事になった時点で、社内での呼称とお客様向けの表示を、敢えて分けても良かったのでは?と考えております。(乗り場表示の「C」の文字の線を少し延長して、見た目を「0」にするとか…😅)、仮に0号線ならば、一応数字なので違和感は少ないのでは無いでしょうか…。🤔(大阪駅にも0番ホームがありました。今の環状1番ホームです。)最後に、ビール🍺の話しはガセネタでしょう。😂(実際に、そのような話を聴いた事もありませんが、京都線のベテラン車掌さんの靴👞が、いつもピカピカ✨だったのは目にしています。😂)🍀
@@heitetsu4649 さんOldman阪急です。昔、学生班の方だったのですね、その節は、大変お世話になりました。(新京阪線ですが……😅)業務用の乗車証については、居住地と勤務地を勘案して乗車区間を絞ってあります。もし、神戸方面にお住まいで、勤務地が京都線沿線ならば、当然京都線も入っていたはずです。(その場合は、宝塚線が無かったかも😅🍀)
私も学生班をやってました私の住処は宝塚沿線、学校は京都沿線でしたその時頂いた乗車証は宝塚線とその支線、京都線とその支線が乗り放題になってたので、通学路線に合わせて支給されてたのだと思いますよ
@@CST-nr4vr さんOldman阪急です。あなた様も学生班だったのですね。その節は大変、お世話になりました。なるほど、おっしゃる様に、乗車証の乗車区間は、通学先も考慮されていたのですね。先の例ですと、自宅が神戸線沿線で、宝塚線の川能〜豊中辺りに勤務先があって、京都の学校に通学していたら、三線制覇出来ていたかも知れません。😅ところで、昔、学生班の方が着ているジャンパーが黄土色に近い黄色でしたが、いつの間にかマルーン色に代わっていたのを思い出しました。😁それと40年以上前、乗務中のところを写真に撮って下さった学生班の方がおられて、後でその写真を頂いた事を思い出しました。唯一の貴重な写真です。お撮り下さった方のお名前はもう忘れてしまいましたが、本当にありがとうございました。🤗🍀
阪急十三新駅は、もしかすると神戸線の真上に2層構造で作るかも知れません、その先、鉄橋で淀川を超えて、その先から地下に潜るほうが、建設費ははるかに安く建設できるのではないでしょうか、阪急は、南海に北進のルートを開く代わりに、自社の空港特急で南進を狙っていると思います。
阪急の駅で一番極狭い駅で有名になったねw逆に大阪梅田駅は9面10線の終端としては日本一。短い区間だけど大阪梅田から十三までは3複線なのも私鉄で日本一淀川花火大会の日だけは最寄りだから人ごみになるけどあまりにも駅が小さすぎるから人身事故の対策も兼ねて最寄り指定駅にしていない。昔は須磨浦公園まで直通列車もあったけど山陽線内は普通扱いになるから、現在の新開地が終点となった。
阪急の甲陽線や伊丹線、箕面線などはなんで直角分岐にしてるのでしょうねああいう線形は他の鉄道にはほとんど見ない
Oldman阪急です。神宝線とその支線は、開業にあたって軌道法によって建設された為、全くの想像ですが、支線と本線との連絡線の急カーブを厭わなかったせいかも知れません。🍀
阪急京都線の不思議は、堺筋線の車両基地が有ると言う不思議と 堺筋線の不思議元は、大阪市営地下鉄なのに車両基地が大阪市に無いと言う問題まで有る十三梅田間は、宝塚線の複複線走っているため正確な京都線は、十三京都河原町間で千里線嵐山線が支線扱いですからね。
Oldman阪急です。大阪地下鉄堺筋線の車両基地(東吹田検車場)が、阪急沿線に造られたのは、市内に適地が確保出来ない為、用地取得上の問題です。また、梅田〜十三間の京都線用新線については、戦後の高度成長期(昭和30年代)十三駅から宝塚線を利用して、京都線列車が梅田乗り入れを行っていましたが、線路容量の限界に達した為、宝塚線と京都線の列車分離を図る目的で梅田〜十三間に複線を増設することになりました。なお、建設に伴う工事申請に伴い、監督官庁への書類上、戦後すぐに運転を休止した「北野線」(梅田〜北野間の路面区間、地上時代の旧宝塚線の名残り、線路は残っていた。)の復活と、北野〜十三間「宝塚線増設線」新設を名目として申請されましたが、あくまで書類上のお話しであり、京都本線は、梅田〜河原町間(47.7km)が正しく、社内的にも一般のお客様にも、梅田〜十三間の増設線は、京都線として認知されております。🍀
@@Midori-Clover 其れは、詳細知ら無い人には、不思議ですが堺筋線は、初めから阪急千里線京都線と直通運転で作られた為正雀車庫迄回送する事も在りますよ。京都線は、天六から淡路が元元の路線で十三迄が後からで十三で折り返し梅田迄行くのと別れていた十三梅田間書類上は、宝塚線急行線です。だから十三駅の手前で京都線車輌も宝塚線神戸線に転線出来ます。
@@小山義一-x5e さん大阪地下鉄車両の東吹田検車場(正雀〜相川間)への入庫列車は、京都本線の下り線(大阪方面行き)から入場するため、上り(京都方面行き)の正雀行き、または、回送列車で正雀到着後、折り返し、下り回送列車として、東吹田検車場に向かいます。十三駅梅田方の折り返し線(9号線)は、神宝線車両の正雀工場への検査入場の為、神宝線車両が京都線に入線する際(あるいは検査後に戻る際)、その他に使用するものであり、(最近は、京都〜神戸間特急にも使用されていますが…。)十三〜梅田間の三複線建設とは、あまり関連性がありません。先のコメントでも述べましたので、重複は極力避けたいと思いますが、戦後の復興期から高度成長期に掛けて、宝塚線に乗り入れていた京都線列車との分離は、輸送力増強の為にも急務であり、十三〜梅田間の京都線専用線を建設する必要に迫られていました。その為、北野線の線路敷とか、宝塚線増設線等の名目で監督官庁への手続きは行なっておりますが、あくまで京都線列車の分離が目的で建設された事に違いは無く、三複線開通後、宝塚線の準急列車等が新線を通過していた事実はありますが、これも比較的短期間で中止されております。現在では、京都本線の起点も十三では無く梅田駅であり、梅田〜河原町間(47.7km)であることは事実です。少し専門的なお話しになりますが、沿線に建てられている「距離標」(キロポストとも)は梅田起点で書かれており、列車運転に必要な「閉塞信号機🚦」を管理する為の「閉塞信号機識別標識」も梅田起点の距離を基準にしておりますし、「京都線列車運行図表(ダイヤグラム)」にも、梅田〜十三間は「京都線」と明記されております。🍀
絹延橋駅は日本屈指の「響きが美しい駅名」の一つだと思ふ
俺は神宝線在住のアラフィフ子供の時から、京都線は何か違うという違和感が有った🤔もちろん、車体寸法や中津の件も知った上での話しなのだが……😅 当時は、6300系がデビュー間もない頃で、嫉妬感がありありでしたね😣 (笑)
>京都線は何か違うという違和感が有った元新京阪ですから駅の雰囲気も何か違っていますね。
そういえば、改良工事前の十三駅の宝塚線と地上駅時代の梅田駅には、現在京都線が使用している宝塚線線増部分(すくなくとも古本屋で買った手持ちの『鉄道要覧』ではそういう扱いでした)への複線の渡り線(淀川堤防改修工事の期間中に中津にあったものではありません)があった記憶があるんですが、その時期は頻繁に利用するような年齢(小学生低学年)ではなかったので、これが記憶どおりあったのか、あったとすれば実際に使用したことがあるのか、使用したことがあればどの列車が走っていたのか、モヤモヤしてたんでこの機会にどなたかご存じの方いらっしゃいませんか?
あくまでファン視点ですが、阪急はマルーンは絶対に捨てないで欲しい。分かる人には分かると思うが、例えば相互乗り入れ区間にてマルーン色の車両が来たら「あ。お母さん。阪急も乗り入れてるんだ!」ってなる。これ非常に大事なブランドイメージかと思います。
今津南線は3両です
阪急京都本線に中津駅がない理由、元々阪急京都本線の前進が新京阪電鉄で全然違う会社であった為です。だから、阪急京都本線の淀川鉄橋が宝塚本線や神戸本線より一段高いです。
車輌塗装変更をしようとしたのは、8000系の時に、地域住民や関係者なら反対があり、また塗装変更を試みたが、反対され仕方なく6001系で試験的にアイボリーをつけた。中津駅の説明間違っている。京都線は旧梅田駅の時は1号線と2号線は急行と特急のみが止まり、普通は十三止まりで今なき7号線が普通が止まっていた。その当時京都線は宝塚線の線路を使っていた。宝塚線のダイヤに支障が出てきたので、新たに線路を敷設。京都線の梅田~十三は京都線ではない。宝塚線の複線扱い。北大阪鉄道は十三~豊津間が開通。新京阪鉄道は天神橋現在の天六~高槻町まで開通。半年後に西院(仮駅)まで開通。昭和3年に京阪京都現在の大宮まで開通。西向日と東向日は昔は西向日町、東向日は東向日町。洛西口は戦後3年間だけ存在した物集女(もずめ)駅が存在した。
Oldman阪急です。他のコメントをされている方にも、同主旨の内容で書いておりますが、梅田〜十三間の京都線用新線については、戦後の高度成長期(昭和30年代)になって、十三駅から宝塚線を利用して、京都線列車が梅田乗り入れを行っていましたが、宝塚線の線路容量の限界に達した為、宝塚線と京都線の列車分離による輸送力増強を図る目的で、梅田〜十三間に複線を増設することになりました。なお、建設に伴う工事申請に伴い、監督官庁への書類上、戦後すぐに運転を休止した「北野線」(梅田〜北野間の路面区間、地上時代の旧宝塚線の名残り、線路は残っていた。)の復活と、北野〜十三間「宝塚線増設線」新設を名目として申請されましたが、あくまで書類上のお話しであり、京都本線は、梅田〜河原町間(47.7km)が正しく、社内的にも一般のお客様にも、梅田〜十三間の増設線は、京都線として認知されております。🍀あと、細かい話で恐縮ですが、車両の塗装でマルーンとアイボリーの2色に塗り分けたのは、昭和50年(1975)登場の6300系が最初であり、京都線特急車両ということから、唯一の塗り分けを行なっておりました。なお、歴史的には戦後、天神橋〜京都(現、大宮)間の特急列車復活の際、使用車両(P-6)の窓周りから上を橙色、下をマルーン色に2色塗装した他(部内では、「お稲荷さん」と俗称されていた。)、一般車に格下げされた新京阪線の元貴賓車(500→1500)を、西宮球場で開催された「アメリカ博覧会」の宣伝で黄色とマルーンの2色、あるいは同様に、神戸線800系が青色とクリーム色の2色塗装を施すなど、マルーン一色で無い列車も過去には存在していました。
阪急南海は比較的友好的なので可能性有りますね。お金の問題がやっぱり最大のネックでしょうね。昔四ツ橋線とも云々ってありましたからね!
阪急電鉄最大の不思議は何故ブレーブスを手放したか。
創始者小林一三氏の孫養子で社長業にも尽くされた小林公平氏が非常な文化人で逸翁美術館の整備や作詞家として活躍もされていましたが、大衆スポーツ特にプロ野球をあまり好まれなかったからだと聞いたことがあります。大阪府池田市建石町には長らく小林氏の御屋敷(とすぐ近くに小林公平氏宅も)がありましたが、すぐ隣の製薬会社創始者の塩野(義)宅の私有地内に桜並木があり一般の人にも開放されていました。私が小学生の頃そこで三角野球をして遊んでいたところボールが桜並木を超えて隣の小林邸の庭に飛び込んでしまいました。恐る恐る玄関のベルを鳴らしたところ中から上品な御婦人が出てこられて「ボールが庭に?どうぞどうぞお取りください。ところで坊ちゃん達、おやつ代わりにケーキでも召し上がりませんか?」ということで小学生4人が恐縮しながら洋風の応接間でケーキとジュースを戴きました。その後、家路に向かう4人は暫く夢見心地でしたが最初に口を揃えて出た言葉は「ああいうお屋敷にはいつでもケーキやジュースがあるんやなぁ~凄い!」でした。先日約四十年ぶりに池田を訪れた時はもうその小林邸も塩野義さんの桜並木も無くなっていましたが・・・🤣🤣🤣
阪急の電車見ると、東武30000系や東武10000系や東武10030型を想起しちゃうんだよな。
阪急京都線は河原町〜天神橋筋六丁目。淡路〜梅田は支線扱い。だったかな。阪急三本線は繋がっている。十三〜梅田の間に引込線があり、直通列車イベントもあった。何かの博覧会で派手な色になった事がある。
「西」についてですが、元々洛西口駅と西山天王山駅は無かったので、一駅おきでは無かったです。そもそも、新京阪時代の駅名と阪急時代の駅名の合作というのも正に不思議ですね。「西向日」「東向日」は、「向日町」という「町制」の時代にあった「東向日町」「西向日町」という駅名が、「市制移行」後に「町」が単純に取れた結果で不自然な感じの駅名になっています。駅名が代わった当時は、親父ギャグで、「東向け」「西向け」っちゅうのか、とよく言われました。
阪急沿線のひとですが、能勢電鉄と阪急の日成エクスプレスが直通運転がしてるノハシッテイマシタ❤
高速神戸は阪神管理、天六は大阪メトロ管理ですよ今津南線は3両ね中津には宝塚線の準急止まるよ
京都線の大阪梅田~十三の正式な線籍は宝塚線(急行線)です。そのため、中津駅が無いなんて意見も聞いたことがあり京都線の正式な大阪側起点が十三というのと合わせると合点が行きました。京都線は沿革を遡れば、京阪系列だった時代もあり少々不思議な点もありますね。
京都線は昔はなかったよ。千里線の前身北大阪鉄道が十三から豊津間で開業。京都線の前身新京阪鉄道京阪の子会社。天神橋現在の天六から高槻町まで開業させて、半年後には西院まで開業。新京阪は北大阪鉄道を買収。十三から梅田間は線路がないため宝塚線の線路を借りて運行していた。次第に宝塚線の運行にも支障が出てきたので、今の京都線の線路を増設。電圧にも違いがあった。今は1500V だが、それ以前が神宝線は600Vで京都線は1500V だった。3000系が登場した時には、600V1500V両用車だった。
Oldman阪急です。他のコメントをされている方にも、同主旨の内容で書いておりますが、梅田〜十三間の京都線用新線については、戦後の高度成長期(昭和30年代)になって、十三駅から宝塚線を利用して、京都線列車が梅田乗り入れを行っていましたが、宝塚線の線路容量の限界に達した為、宝塚線と京都線の列車分離による輸送力増強を図る目的で、梅田〜十三間に複線を増設することになりました。なお、建設に伴う工事申請に伴い、監督官庁への書類上、戦後すぐに運転を休止した「北野線」(梅田〜北野間の路面区間、地上時代の旧宝塚線の名残り、線路は残っていた。)の復活と、北野〜十三間「宝塚線増設線」新設を名目として申請されましたが、あくまで書類上のお話しであり、京都本線は、梅田〜河原町間(47.7km)が正しく、社内的にも一般のお客様にも、梅田〜十三間の増設線は、京都線として認知されております。なお、京都線に中津駅が存在しないのは、用地買収が非常に困難であったあった事が、一番の大きな理由です。🍀(かって線路北側に存在した、旧中津小学校のプールや講堂なども、移転する必要がありました。)
西宮北口駅の平面交差が今でもあったら8不思議になったのかな?
別に禁断の不思議じや無いような内容ですねえ
この動画でも紹介されていますが、どうも〇〇市駅という名称が京阪由来のように捉えている人が多いように思います。私も昔はそう捉えていましたが、実は京阪の◯◯市駅という名称は、戦後京阪神急行から分離独立以降に付けられたようです。戦前は守口や門真、寝屋川や枚方などは、市(町)とさえついておりませんでした。それどころか枚方などは今の枚方公園駅がそれに相当し、今の枚方市駅は旧名が「枚方東口」というものでした。一方阪急の茨木市や高槻市は市制になる前は「町(茨木町、高槻町)」という名称でした。(他にも現富田は「富田町、高槻市に編入後は現名称に変更。東西向日も元は「町(東向日町、西向日町)」がついていました。)旧国鉄との違いを明確にするために茨木や高槻は「町」または「市」を付けたのだろうと思います。摂津市は行政との関係で、新規に「行政を代表する駅名」として市を付けられたようです。摂津市駅開業時にはすでに大阪モノレールには「南摂津駅」が市役所のほぼ前に存在していましたが。。(多分イマイチマイナーな存在だったのでは?)一方京阪は元市駅だった「旧八幡市駅」が「石清水八幡宮駅」として改名してしまいました。なぜ、京阪が戦後にそれぞれ「市駅」として改名したかは不明ですが、おそらく地元行政との関わりで、それぞれ「代表駅」として位置づけるためだったのではないか?と思っています。(京阪は駅間距離が短いため同一市内に複数の駅が存在することによる?)ついでに和歌山市内でも、南海が「市駅」を名乗っていますが、これもJRの現紀和駅が元の和歌山駅であったことであり、後から開業した南海が区別するために「市駅」を名乗ったことに由来します。(JR阪和線堺市駅は逆に南海堺駅より後からできたことで区別するためです)なお、伊丹や阪神尼崎、阪神西宮が「市」とかを名乗らないのはイマイチ不明です。尼崎については、現在のJR尼崎駅は旧名が「神崎駅」です。元の国鉄尼崎駅は旧名称として現在は廃止された元福知山線の「尼崎港」(始発駅)だったようです。なので阪神の方が先?
ありがとうございます。確かに国鉄(お上)が先につけたものに同じ名前は追いそれ付けないので市とした経緯はあると思います。でも関西は平気で付けますね。京阪宇治や芦屋など。尼崎は東海道線は神崎という名前で尼崎港が尼崎という名前でしたが当時は尼ケ崎とヶが付いてました。国鉄はまた全国なので読み間違えしないように西宮も西ノ宮とつけたりしておりました。肝心の京阪ですが市をなのったのは戦後の市制に移ってからと思います。八幡も八幡市となのってまた駅名を変えました
通勤で東武を使っていますが、社内広告に阪急の広告を見るときが有ります。だいたい不動産関連ですが…。また、車両もアルナ工機製…。気になって調べたら、阪急と東武の創業者が師弟関係だったとか…。また、半蔵門線を経由して東急の車両も来ますが、SDGsトレインと言うものを東急、阪神、阪急で共同運行していました。こちらも東急の創業者がまたもや阪急の創業者と関係が有るとか…。小林一三さん、あんたどんだけ影響力持っとんねん!!
根津嘉一郎氏と小林一三氏は山梨県同郷のよしみがあったと聞いています。根津氏が師匠で小林氏が徒弟だったかなあ。だから小林氏の能勢電鉄救済は根津氏の哲学を引き継いだと思います。根津氏は東上鉄道や高野山鉄道も救済しました
1.は1067mmに戻るという気がw 2.はあり得るねw 3.は難しいかとw(関西人気質、それなら南海高野線や近鉄南大阪線の方が先にやってる気がする)4.は可能性大、5.は西友の土地使うより多分川西池田でJRとタッグ組んで再開発事業をやってると思う。近江鉄道7.はちと夢物語でしょw (京福の夢に近い=嵐山から北野白梅町から出町柳に出て、八瀬比叡山口からトンネル掘って江若鉄道使って福井県の手前まで来れる)
アルファベットが入った乗り場(桂駅C号線)番線は阪急だけなのでは??他社でもあるのかな??
京都線と神宝線の車両規格は違いますが、かつて2000系・2100系・2300系・2800系の車両規格は同じでした。3300系製造の際に堺筋線に乗り入れる大阪市の規格に合わせるようになりました。なので大阪市によって変えさせられたのです。もともと京都線は十三から梅田は宝塚線に乗り入れていました。そのため新幹線の新大阪駅開業に備えて淡路~新大阪~十三~梅田へのルートを考えて新大阪線の免許を取得したようです。ですが、おおさか東線の開業により淡路~新大阪のルートが出来たことにより現在は新大阪~十三のみ免許を維持しているようです。
西が連続するのは都から観て西なだけでむしろ東向日が存在することが奇跡
漢字のやつはただの思い込みw全部理由ちゃうでw
阪急なにわ筋..地図をよく見ればうめきたホームに繋ぐより中之島駅に直結の方が無理が無い様に見えるうめきたホームに直結すると伊丹線より急カーブが必要だと思う
阪急独自の言い回しで、車両を新造する事を「建造」と言いますね。
確か阪急電鉄の公式TH-camで館長が工場見学の際に建造とおっしゃっていました
京都線と神宝線では車両限界も異なるもんねえ。市交堺筋線天下茶屋延伸時の南海ー阪急の一悶着を思い出さざるを得ないね。
かなり揉めたのでなにわ筋線の阪急乗り入れを一番嫌がったのは南海でした。あんときの確執がありました。でも阪急さんも頭いいです。南海が新大阪乗り入れられないことを知っていて新大阪支線をちらつかせて合意をもらったようです。
中津駅に京都線のホームが無いのは…宝塚線の複々線であり、嘗てあった北野線の復活という事で免許が通りあのようになったという事です。だからもともと中津駅を造る予定はされなかったわけです。所謂大阪梅田まで乗り入れているのは形式上宝塚線のバイパス線を京都線の列車が走るという形になっています。阪急京都本線の起点は十三で、支線に当たる千里線の起点は天神橋筋六丁目です。
阪急北野線は梅田と北野(阪神バス停が残っている)のわずか数百メートルの市電ですね。京都線(宝塚線線増)を建設したときに中津駅を設置しようかとう議論もありましたが土地がなかったことと費用対効果であきらめたそうです
Oldman阪急です。京都線に中津駅が無いのは、現地の用地買収が非常に困難で、当時予定地の北側にあった中津小学校の敷地(講堂、プールがあった)を削ってまで、建設する必要があり、駅プラットフォーム部分で必要な用地が確保出来なかったからと聞いています。(小学校講堂、プールは、別に取得した用地に移転)十三〜梅田間の宝塚線に乗り入れていた、京都線列車の分離の目的で新線建設の際、仰るように建設上の書類上の手続きとして「宝塚線増設線」「北野線」という言葉はありましたが、三複線化の目的が京都線列車と宝塚線列車の分離にある以上、宝塚線の複々線などという文言は、一般には全く関係の無いお話しです。 また、京都線の歴史上、いつの時点での京都本線の起点を十三とされているのか、よく理解出来ませんが、少なくとも三複線化が完了した後の約20年後、私が京都線に乗務していた約40数年前には、既に梅田駅起点で距離表(キロポスト)が建てられ、「京都線列車運行図表(ダイヤグラム)」には、梅田〜十三間も京都線と記載されており、閉塞信号機🚦管理のため、信号機柱に記載されている「閉塞信号機識別標識」の数字も、梅田起点のキロ程を基準に名付けられていましたから、遅くとも昭和46年(1971)の梅田新駅への京都線乗り場移設(国鉄線北側への移転の為、キロ程が短縮された)時点で、京都本線の起点は梅田駅起点に変更され、お客様向けの各種ご案内も京都線との表現で行っております。🍀
京都線中津駅は元々宝塚線急行線なので、駅設置はそもそも認められていません
Oldman阪急です。その「宝塚線急行線」という言説は、正しくありません。(建設時の申請書類では、「宝塚線増設線」です。)線路用地の買収で困難があり、あえて京都線の中津駅は設置されませんでした。(旧中津小学校のプールや、講堂を移転した上で線路用地を取得しています。)これら、十三〜梅田間の京都線専用線増設までの経緯については、他のコメントに書いておりますので、宜しければご一読ください。🍀
京都線烏丸駅と京都河原町駅が地下道で繋がっている等も不思議だから。
そうですか。新開地と高速神戸も地下でつながっていますね。烏丸から河原町は前面展望で見ましたが500mくらいでしょうか
@@heitetsu4649 JR神戸駅から繋がっている巨大地下街と唯の地下歩道を較べるのは、どうでしょうね。
@Fox Movies Network Vietnam 彼処は、巨大地下街ですが河原町烏丸駅間は、唯の連絡通路ですよ。
入線曲は阪神やないかい❗️
高速神戸駅は阪神が管轄しているためですね
JRも阪急に乗り入れすることを正式発表している。
車掌が通過駅をしばらく指さししながら監視しているのは何でなんでしょうね?事故が無かったか確認しているのかな
阪急電車が大好きで、マルーンカラーとコーディネートした傘を持っていましたが、京阪沿線のとあるお店で盗まれました。すごく気に入ってたのに。
阪急電車は特別なのです(特に沿線に生まれ育った私たちにとって)車両もシートも色を変えてはいけないのです(とっても心穏やかになる色です)宝塚歌劇団も阪急に深くかかわるし中津駅は近くに古くからある済生会中津病院があるからなくせない病院が改築してもその場所で移動しないくらい大きいものだったし特に阪急宝塚線は職員も特別にきちんと統制された職員が受け持ちます
妻の仕事場が関西になった関係で、
関西と縁遠かった私が関西私鉄を満喫させていただく機会ができました。
鉄道ビジネスカジュアルさんなどの動画のおかげで、乗り鉄旅がものすごく楽しくなります。
誠にありがとうございます。
Super chat ありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します
何重にも重ね塗りされて深みのあるマルーンが大好きだ!阪急はずっとこのままで良いと思います
6:18
今津南線は3両編成です。
今、阪急今津南線と甲陽線はワンマン運転で車両共用化されており、阪急の規約で、営業運転でワンマン運転をするのは「3両」となり、両線は3両編成の6000系ワンマン対応車両が使用されております。
他の方からも多数指摘があり概要欄にお詫びを記載しております。私が参考文献を読み間違えホームの有効長が4両で今津南線は3両です。
今津南線は4両編成ではなく3両編成です。
(甲陽線も3両編成です。4両編成は伊丹線です。)
今日、初めてこの動画を知ったのですが、素晴らしい動画ですね。勉強になりました。これからの動画を楽しみにしてます
ありがとうございます。励みになります。
Oldman阪急です。
神戸線と宝塚線を一括りにした「神宝線」「京都線」の違いについて、細かい部分は動画でお話をされていますが、
本質的には路線建設の際に依拠した法律が、箕面有馬電気軌道→阪神急行電鉄の「軌道法」か、北大阪電気鉄道→新京阪鉄道の「地方鉄道法」によるものかで、事務手続き等で厳密に区別する必要があり、「神宝線」と呼ばれる区分が生まれて、その後、一般に膾炙したものと考えます。
なお、「軌道法」によって建設された、宝塚線、神戸線とも、昭和53年(1978)3月には、「鉄道線」に改められて、法律的には全線が「鉄道線」に統一されています。🍀
阪急京都線はOsaka Metro堺筋線の車体幅に合わせてるから神宝線の車体幅より広いから分かれてるんだったけ?
関東住まいですが 公式You Tube
『阪急電車ファン全員集合』のファンです。
館長さんの喋りが おもろいわ。
あの動画時々みてます。館長さんって眼鏡の運転士さんですね。あのトークなかなかいいですね。今津線の宝塚~西宮北口は沿線を懐かしそうに語っていたのが印象的ですね
『 七不思議 』以上に『 阪急電鉄のタブー 』が、大阪梅田駅と神戸三宮駅に到着する際の車内アナウンスでは「 JR線は、お乗り換えです。」とは言わない事です。
こんばんは。阪急の伝統のマルーン塗装が好きです。末期の国鉄やJRが手っ取り早くイメチェンしようとして既存の車両に全く似合わない派手な塗装を施したのとは対照的ですね。
阪急は外装だけ出なく内装も伝統😅
めちゃくちゃ面白い!
勉強になります!
不思議を調べると時代背景や列車運用の方式、町の成り立ちなど歴史から経済的発展の側面まで色々分かって楽しい。
阪急電鉄沿線者にすれば殆ど不思議ではなかったですね〜😅ありがとうございました🙌
おはようございます。阪急電鉄の不思議ですが。それは京都本線高槻市駅には阪急バスの路線バスが乗り入れてなくて京阪バスが乗り入れていることですね。なぜかというと阪急京都本線を開業させたのは阪急電鉄ではなく京阪電鉄なのでその名残なんです。また茨木市駅には阪急バスの他京阪バスと近鉄バス(近鉄バスは摂津市駅にも乗り入れてます。)の路線バスが乗り入れてます。また京都本線相川駅の吹田寄りに新京阪橋という橋がかかっているのですがそれも阪急京都本線を開業させたのは京阪電鉄であることの名残ですね。
Oldman阪急です。
京都本線の開業について、少し違いますね。🤔
昭和3年(1928)11月、京都本線(天神橋〜西院(仮))を開通させたのは、新京阪鉄道(京阪電気鉄道の子会社)です。
昭和5年(1930)9月に新京阪鉄道は親会社の京阪電気鉄道に吸収合併され、京阪電鉄の新京阪線となりました。
昭和6年(1931)3月、京阪電鉄の手によって(西院〜京阪京都(現、大宮))間の地下線が開通しました。
その後、日本全体が戦時体制下に入り、昭和13年(1938)施行の「陸上交通事業調整法」に基づいて、昭和18年(1943)年、阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併し、京阪神急行電鉄が成立、戦後に京阪電気鉄道分離、京都線は阪急に残置されて現在に至っているのは、既にご承知の通りです。🍀
@@Midori-Clover さんこんばんは。そうですね。その通りですね。私は少し間違っていたかもしれませんね。
@@巻幡哲也-t4w さん
Oldman阪急です。
いいえ、どういたしまして。😊
阪急電車憧れてます。ピカピカ✨で高貴で上品でとにかく美しい。いつかは大阪に行って梅田駅から乗車してみたいなぁ〜
京都線のネタ、洛中から見て西にあるから駅名に西が付くのは当たり前(西向日除く)だとか、もともと天六起点だった新京阪線を梅田乗り入れするため、宝塚線の複々線扱いにしたから中津駅が無いとか、知ってる話はもう書かれてた。皆さんさすがです。
はじめまして😄30年前の学生時代、扇町~山田まで利用してました❗懐かしいです😄淡路駅の高架化まだ出来ないんですね😅
はじめまして、はい、まだ工事中です。崇禅寺~淡路は橋脚の中に仮線があります。西鉄をみても最近の工法は進化しましたね。あの方法だったら仮線の土地確保しなくても済みます
阪急が恐るべしだったのは、国鉄が分割民営化する前の私鉄特急の表定速度ベスト5に入っていた事。1位は近鉄名阪ノンストップ特急、2位は東武DRCけごん浅草〜日光ノンストップ、3位が阪急梅田〜河原町特急。地元名鉄の豊橋〜名古屋〜岐阜特急は4位だった。さらに意外なのが5位は西鉄の天神〜大牟田特急。阪急は京都線がいかに高速化対応なのかが凄い。
あの頃の特急は十三を出たら大宮までノンストップでしたもんね。通勤特急でやっと高槻市停車。茨木市~西院間を急行で利用していた僕にとって、6300系は憧れでした。
阪急は京都線がいかに高速化対応なのかが凄い。
これ、すごいのは京阪なんやけどな。カーブだらけで速達性に問題があった本線の反省で、一直線に線路を敷いたんやから。それを戦後のどさくさで京阪から堂々と強奪していったところは確かにすごいけどな。
梅田駅で「○号線に到着の列車は.....」って言っているのは好きです。それと、阪急は恐らく西武にはかなりの対抗心があると思います。茶屋町に当時西武系列のロフトができるときも新聞で話題になりました。西武が阪急村に殴り込みっていうような記事だったと記憶しております。
ロフト、茶屋町にありましたね。阪急イングスがあったとき、結構危機を感じられていました。
@@heitetsu4649 さま、新大阪線ができて南海と相互乗り入れが実現したら、狭軌のマルーン電車が大和川を渡って南海本線の堺とか岸和田とかを走っている姿も見たい気がします。
能勢電鉄が西武に買い取られかけた時に、
阪急が関西の鉄道は関西の鉄道が支える!ということで、能勢電鉄を子会社化したということもあったみたいですよ。
江坂に東急ハンズができた時も東急?って思いました。
西武の創業者堤家は滋賀県出身で、近江鉄道の場合は単なる買収ではないと思う。
6:20 今津南線は3両編成ですね。
失礼いたしました。3両編成ですね。でも統合してほしいですね
ホームは、北口駅以外は、今津が5両分阪神国道は、今津宝塚直通時のままの長さ確保去れていますし北口駅も構造上今津宝塚直通再会出来る様に作られていますし北口駅の現行ホームも延長出来る構造に成っていますからね。
やはり阪急はマル-ンカラ-じゃないと落ち着かないよね〜
ですね。もう普通の感じです。マルーンは永遠に残してほしいですね。大邸宅にすんだら屋根は絶対マルーン色と決めております(笑)
それいいね〜www
Oldman阪急です。
つい先日、英国のQEII👑女王陛下のご葬儀を視聴しておりましたが、何と王室の車両(霊柩車も含む)すべてが、「マルーン色」に塗られていました。
(メタリックも入っていた様な)
これを知ってから、ネタにしようと書かせて頂いた次第です。😅
では、さいなら〜。💨💨😁🍀
神宝線と京都線の違い、「上り下りが逆」というのもあります。
あと、京都線の車体は地下鉄堺筋線との相互乗り入れの際に変更されました。3300系以降ですね。
2300系や2800系は神宝線と同じ大きさで、神戸線を走ったこともありましたよ。
他にも有名どころだと神宝線の手歯止め、京都線のハンドスコッチなど同じものなのに呼び方が違うものがありますね。
AWaさんおはようございます。神宝線と京都線の違い「上り下りが逆」なのはこれも阪急京都本線を開業させたのは京阪電鉄の名残ですね。
@@緑鬼-b7q さんおはようございます。神宝線と京都線とで同じものなのに呼びが違うのはこれも阪急京都本線を開業させたのは京阪電鉄の名残ですね。
Oldman阪急です。
かって、都であった京都に「上る」という言い方はしても、京都に「下る」はありませんね。😅
だから、京都本線は京都行きが「上り」だと、その昔、習いました。☝️
千里線、嵐山線についても、北摂や洛西の山に向かって「上がる」イメージで、上下の区別が付けられています。
反対に神戸線、宝塚線は、梅田方向が「上り」で、箕面線、伊丹線、甲陽線も本線との分岐駅に向かう方向が「上り」ですが、
今津線だけは、ダイヤモンドクロスが存在し、今津〜宝塚間の直通列車が運転されていた当時から、今津行きが「上り」で、宝塚行きが「下り」、南北に線路が分断された後も、それは変わっていません。☝️🍀
阪急電鉄の色は変えさせない。
まあ私は東京都住在ですけど。www
中津駅は普通だけじゃなくて宝塚線の準急もとまった気がする、、
桂駅には謎のホーム番号「C号線」がある
はい、漏れていました。すみませんでした
阪急京都線の大山崎~上牧の間は
大昔、東海道新幹線の線路を走行してたらしいね。
①京阪は駅間がかなり短いが、阪急京都線は京阪が作ったのに駅間がかなり長いという不思議。
②十三駅京都線6号線のホームがやたら広い。昔十三どまりの頭端式ホーム7号線があったらしい。
③十三駅、花火大会の日だけ開ける改札口がある。東口の商店街に出やすいから普段から開ければ良いのになぜ開けないのか。
音楽は阪神電車なのに、内容が阪急電車なのは面白い。
鎌田浩宮さん作曲の、
行き先案内前の予告音か、
ホーム入線音を使ってもらいたかったな。
高速神戸~西代までは線路所有は神戸高速鉄道、運行は阪神電鉄の上下分離方式で(JR東西線と同じ)到着メロディも案内も阪神風になりました。同時に山陽電鉄は西代から新開地までの運行権を阪神に譲る形で退き、路線名も高速長田までは「阪神神戸高速線」と呼ばれています。西代駅は境界駅でも駅管理は山陽電鉄です。余談ですが山陽電鉄は阪神が筆頭株主です。
すいませんが間違いの指摘。
天神橋筋六丁目駅は阪急・大阪メトロ共同使用駅ではありますが、共同管理駅ではありません。大阪メトロの単独管理です。
高速神戸駅は現在阪神が管理しているようで(駅番号も阪神のHS**になっている)、それゆえに阪神式の〇番のりばという呼称を使用している模様。
阪急今津南線は4両ではなく3両です。
〇番線ではなく、〇番のりばと云ふ表現を使うのは、他に確か南海・JR西・JR四国・JR九州などもありますな。
▽..*▽
トイプードルさんおはようございます。実は近鉄も大阪メトロが管理しているけいはんな線長田駅、京都市交通局が管理している京都線竹田駅を除いて何番乗場という案内になってますよ。
天六駅 運賃上 ここまでは阪急の運賃ルールが適用されますが
切符の扱いは大阪メトロのルールが適用されるので要注意ですよ!
ケース① 回数券2枚使用不可
駅員対応・阪急用精算機 いずれも1枚しか利用できない
精算機は2枚目入れるとエラーになります
ケース② 未使用区間の扱い
天六経由堺筋線他 大阪メトロ区間との阪急連絡切符を買った場合
梅田で降りた場合は 阪急線内乗車駅から梅田までの運賃を引いた金額を
案内所で返金してもらえます
一方 天六で下車する場合は一切返金されません
同様に 天六経由阪急線内の切符で梅田に行って下車する際も
地下鉄区間の不足運賃だけはしっかり取って 阪急区間部分は
返金してもらえません。
梅田・天六・南方経由どれにしようか未定の場合は 最寄乗り継ぎ・乗り換え駅までの
切符だけ買って出る時差額精算する方がいいでしょう
関空~阪急京都線は現状でも関西空港~嵐山・河原町を「天下茶屋~天神橋筋六丁目を堺筋線経由1250円」の割引きっぷ(天下茶屋のみ途中下車可能)があります。
もともとは阪急〜堺筋線〜南海を1本にする答申がありましたが南海が狭軌、阪急が標準軌でどっちにするかの駆け引き合戦があり最終的には阪急が勝ちました。さらに南海の天王寺支線も廃止され南海は阪急に対してあまりよく思っていませんでした。しかし今回のなにわ筋線は南海と阪急が仲直りしたみたいです。天下茶屋の乗り換えはかなり酷でしたですね、今回の動画制作で堺筋線も天下茶屋まで行きました。
能勢電の近江直通がオチちゃいますのんw
おもろかったです。
阪急のなにわ筋線車両はおそらく南海8300系をベースにしたステンレス車両もしくは阪急伝統のアルミ塗装車両に南海8300系を合わしたような車両になるのでは、JRにも乗り入れを正式発表してるので、別にJR阪和線225系と阪急車両を合わした転換クロスシート車両も投入されるのでは、
ピッカピカのマルーンカラー ホームの黄色いブロックもくっきり車体に写り、まるで車体に黄色のラインが入ったのかと思うほど
ピッカピカ 子供の頃は光沢は無かった 阪急電鉄に勤めていた父は「ミミズ」と自虐して言ってました。 いつからこんなピッカピカになったんでしょうね
そうそう父が勤めていた頃は「京阪神急行電鉄」でした
提出物に書く時、京阪?阪神?なかなか名前が覚えられませんでした 大阪の市章 神戸の市章 京都の野まとめたマークが好きでした
能勢電鉄の日生中央駅は能勢電鉄が作った駅ではないので駅名が変わる事はありません
なぜなら日生中央駅は日本生命が宅地開発の為出来た駅で日本生命が日生線を作りました
地方鉄道がうらやましかつたと言う話です
阪急電車はだいたい10分に1本来るイメージですが、どうして嵐山線だけが15分に1本なのでしょうか?
京の西に在る地名だから不思議でも無いよ
全て新駅が西の駅😅
大阪モノレールの摂津駅が先に開業したから「摂津市」駅にしたのかと推察しています。吹田駅は、吹田市駅にはならないな。
阪急の駅では、発車表示器には「普通」と表示されるのに、自動音声アナウンスでは「各駅停車」と案内されるのが謎です。
沿線的には、総じてお上品なのに、十三・天六・阪急東通商店街とかいう☓☓が…………
あと、尼崎市内に駅が3つもあるのに、尼崎を冠する駅が1つも無い。(それがありがたい沿線民もいるらしいが)
阪急沿線の大部分は他社線と競合しているが、能勢電鉄線は全く競合していない。とか、能勢電鉄は阪急電鉄より給与体系が低いとか、いろいろありそうです。
(追記)
・阪急百貨店に最も近い駅は、阪急電鉄の駅ではない。(大阪梅田、神戸三宮、高槻)
・神戸三宮ー京都河原町間の運賃は、神戸市のタクシー初乗り運賃に近い金額。
・昼間の平日と祝日のダイヤを比べると、神宝線はほぼ同じくなのに、京都線は微妙に違う。
・京都線普通抜かされすぎ。茨木市と相川でダブル退避とか。
・全駅ホームドア設置→6300系完全引退?
・雲雀丘花屋敷駅大阪梅田行きホームには、殆ど同じ種別同じ行き先の電車しか来ないのに、毎回フラップを回転する必要があるのだろうか?
阪急かぁ。思いつくのは京都河原町駅の1号線は京阪淀屋橋駅のように縦列停車する想定で造られたとか、早朝に洛西口始発大阪梅龱行き普通の設定がある(桂C号線より回送で出発→洛西口から営業列車。洛西口開業前は東向日始発で設定)くらいかなぁ
縦列停車ですね。淀屋橋は懐かしいですね。停車するときはATSなどはあったと思いますが結構技術が要りますね。
Oldman阪急です。
現在、河原町駅1号線は、有効長264mのため、車長19mの阪急車両では13両分しか停車出来ず、昭和38年(1963)河原町延長当時は、更に2両分短いホームであった為、実際に縦列停車していたとの話は、諸先輩方からは聞いておりません。
代わりに、日曜・祝日等の行楽期の混雑時に、特急を「二重停車」(梅田から到着した列車を、一旦手前で停めて、乗客を降車させた後、扉を閉めて前進させ、正規の停車位置に停めて旅客を乗車させる。)運用を行なっていたこともあり、現在は、平日ラッシュ時の10両編成列車が入線しています。
余談ですが、ラッシュ時には、正雀下り出庫、または、東吹田出庫の相川始発の普通などもありました。🍀
特急を「二重停車」させるのは私が利用していた大昔では普通にありました。「降車」「クロスシート転換」「乗車」の順でした。また、一部の普通が一番線から出発していたように記憶しています。なぜなら、2番線の普通が「次発」だったことがあり、何度か「しまった!!」と残念がったことがあったからです。
阪急電鉄の車体塗色について私は未だにフルマルーンの方が好きですが、阪急電鉄ファンにはマルーンについての思いが強い方がいらっしゃられます。阪急阪神ホールディングスの株主総会で阪神タイガースの成績だけでなく、阪急電鉄のマルーンについても株主提案が有ればと思っています。
阪急電鉄はマルーンから帰るときの計画のカラー図案が阪急電鉄の博物館に飾られていたのをある動画サイトで見ました。とても世に出せるものではなくマルーンの方が絶対いいです。阪急が唯一変化させたのが京都線特急から採用した上部のアイボリーホワイトです。最初は京都線特急だけだったのがその後神宝線にも拡大していきました
Oldman阪急です。
電車の塗色について、ネタをひとつ。
阪神電車経営統合後の阪急阪神ホールディングス株式総会にて、電車の色について質問された株主の方がおられたそうです。
聞くところによると、『阪神電車の特急、急行に使用されている電車の色が、何でオレンジ色のGYアンツカラーやねん❗️💢』と、仰ったそうです……。😅
多分、この株主の方は、熱烈な🐯ファンであったと思われますが、阪神電車の色を、黄色と黒の縞模様に変更するように、株主提案されたかどうかまでは、寡聞にして知りません。😂🍀
これは有名なお話ですね。オレンジの車両は阪神大震災復興で普通列車の水色基調と赤胴車のオレンジ基調がセットでしたがこれが株主の反感を買いました。だからなんば線乗り入れ車両の新造の1000形と既存の9000形(もともと赤帯)を黒とビバーチェオレンジにして多少阪神タイガース色に近づけました。あの色も考えればオレンジですが。
能勢電車って阪急じゃなっかたんですね、知りませんでした。
阪急の「あずき色」とともに、
近鉄特急の「紺色と橙色のツートンカラー」も維持してほしかったけど、変わってしまった😢
今津南線は甲陽線と共通運用で6000系3連ワンマンですよ。伊丹線は4連です。
阪急で京都線が今の寸法になったのは、ご指摘の通り「大阪市営地下鉄」の寸法に合わせたからなんですが、「大阪市営地下鉄堺筋線開業前」に登場した2300系は、神戸線2000系、宝塚線2100系と同じ寸法です。そのため、2300系と特急車2800系は、堺筋線開業に合わせてステップが付けられた他、2300系が神戸線に貸し出されたこともあったり、2800系は神戸線でサヨナラ運転をしたり、阪神大震災で車両不足のときは2800系が他形式に挟まれて今津北線で走ったことがあります。
ありがとうございます。京都線の寸法が違うのは堺筋線の大阪市営地下鉄(当時)に合わせたためだったのですね。今津線に乗ればよかったが今回は時間の関係で乗らずに参照資料を鵜呑みにして今津南線の4両と書いてしまいました。失礼いしました。伊丹線は4連ですね。塚口駅で学生班をやったときカーブ上のホームに旧型の列車がとまっていたときはっきり覚えております
阪急沿線に生まれ育った身としては馴染みのある話ですね。
マルーンカラーもそうですが、甲陽線のトンネル化反対(桜並木を走る景観を損ねることから)や、中吊り広告にゴシップ系週刊誌は載せない等、阪急らしい特徴があります。
今は関西を離れていますが、関西に戻るなら阪急沿線にしか住みたく無いくらいに愛着があります。
阪急の人は昔からの私鉄を守りたかったんだろうなと。じゃなきゃライバルの私鉄を守ろうとしないですもんね。
能勢電は乗るまでは知らなかったけど今は好きな私鉄です。雰囲気が凄くいい
「いまづなんせん」「いまづほくせん」って呼んでる人初めてみた
確かに七不思議ですが、今まであまり感じませんでした。しかし、京都線だけは、不思議でした?車番も今は共通ですが、1の位が、京都線だけは、1からは始まりますが、神宝線は、0から始まります。関西の鉄道は、個性が強いです。
Oldman阪急です。
車両の車番(トップナンバー)が、「0」から始まる神宝線車両と、「1」から始まっていた京都線車両の違いは、よくご存知のように両線の生い立ちの違いによるものです。(神宝線:箕面有馬電気軌道→阪神急行電鉄、京都線:北大阪電気鉄道→新京阪鉄道→京阪電気鉄道)
戦後も、永らくこの伝統は続いておりましたが、昭和47年(1972)登場の京都線5300系より、神宝線車両に準じて「0」から始まるようになり、両線の相違点が1つ解消されております。🍀
阪神の赤胴青胴は用途が限定されてしまうけど、何にでも対応できる阪急はかしこいなぁって思ってました。関西は派手好きと思われがちですが、関東の派手なタクシーに比べて関西は控えめな色が多いのも マルーンを愛する文化なのかもですね。
タクシーのモノトーンカラーは東京の従妹からも指摘された。落ち着いてていいって。当たり前に思えることも他所から見たら好ましいと思われることもあるのだなぁと気づかされる。
阪神の色分けは有用だよ。ジェットカーは普通にしか使わんから。
関西の私鉄グループは良くも悪くも伝統を大切にするとこが多い気がする
京都線に「西」が多いのは、むしろ当然とも言えますよね。
京都の西を走ってますので、西の付く地名や場所が多いです。
詳しくは知りませんけど。
西向日だけはちょっと違って向日市にある2つの駅を東向日と西向日にしたから。
西山・東山・北山、洛西・洛北・洛東・洛南、西京極・東京極。
西院は淳和天皇の離宮、淳和院が内裏の西にあったから西院で、東院は存在しないらしい。
マルーンカラーを否定するような事を言ったら、そりゃ炎上🔥するでしょうね😁私も、沿線に住んでますから、部屋から目の前を通過するマルーンカラーの車体を見るのが大好きですし、沿線住民の誇りでも有ります😊
内装も好きです。アンゴラ山羊のオリーブグリーンの椅子張り。住江織物製ですよね😀木目の壁に白天井。非常に高級感と創業時からの伝統を感じます。
能勢電の運賃は、利用者からしたら、阪急能勢線にしてもらいたいですね。以前、川西市北部に住んでて、大阪市内迄通勤してた時には、高いなぁ😱と思いました🥶
日生エクスプレスが出来た時には、やった~🎉と思いました🤩
帰りの梅田駅では、座席争奪戦ですけどね😅
阪急電車の色は、私が子供の頃はもっと「焦げ茶」に近い「あずき色」だったように思ったんだけど、いつしかはっきりと「焦げ茶」とは縁を切った完全な「あずき色」になり、「マルーン」なんて、何語やねん? て言葉が出てきた。
私の子供の頃は阪和線の普通は橙色が多くて焦げ茶もあったが、阪急電車は阪和線の普通の焦げ茶よりは「あずき色」に近い焦げ茶て感じだったと記憶している。
……誰やねん、「マルーン」なんて舌かみそうな言葉考えたのは……
中津駅は梅田駅の隣の控え目な駅ですが寂しい駅ではありません
平日昼前に利用しても全く人がいないわけではないし
夕方は乗客を誘導したりするバイトの子もいます
ホームが狭いとか階段しかないとか言われてるけど
唯一無二のたまらない駅ですよ
似たいような駅で神戸線の春日野道駅があります。阪神の昔の春日野道は列車待機は命がけでした。中津駅は淀川の花火大会で結構混雑すると聞いております。
元々中津駅は阪神電鉄北大阪線の乗り換え駅だったので結構利用客が多かった。
父親が昔、使っていた両社線の連絡磁気定期券を久しぶりに見て思い出しました。
中津駅は色々ユニークなお店あって楽しいですね 耐震化の問題でなくなってしまったかも ですが道路高架下のユニークなカフェ ファンでした
@@heitetsu4649春日野道下車して行くご贔屓のお好み焼き屋さんが2件 どちらもそばめしがお勧めです 一軒はボリュームでもう一軒はアキレス腱入の美味しいそばめしです
阪急マルーンのブランド力凄いですね。名鉄は「ミュースカイ」みたいにスカーレット使わないものもできちゃいましたし。
ミュースカイのブルーですね。なかなか乗り心地はいいですね。マルーンブランドは確固たるものですね
名鉄ブルーがあるけどやっぱスカーレットなんだよなあ、
名鉄の赤は、スカーレットというよりも、フェラーリの『 ロッソ・コルサ 』に近い赤ですね✨
能勢電鉄は標準軌
西武は狭軌
ですので、西武からの払い下げは難しいかと
西武に買収って、当時の西武セゾングループなので西武鉄道は関係ありません。よって誤報。堤兄弟の確執から考えればあり得ないってことです。
大昔、北口のダイヤモンドクロスを渡りきる阪急電車がめっちゃかっちょよかった、
京都本線には快速特急、特急、通勤特急、快速急行、快速、準急、普通と種別がたくさんあるのに速達種別の基本である急行がないのが不思議。また、快速特急は停車駅は少ないが特急の後追いをしていて所要時間が同じ(もしかしたら遅い?)だから「快速」をつけるのはおかしい。
Oldman阪急です。
40年程前の十三〜大宮間ノンストップ特急、15分ヘッド時代は、特急、(通勤特急)、急行、(準急)、普通のいたってシンプルな列車種別だったのですが、いつの間にかそんなに列車種別が粗製濫造されていますね。😅
今の特急など、昔の急行停車駅から西院、大宮を抜いただけと思ってしまう爺ですwww。
これ以上、どこかのKOの二番煎じみたいな「準特急」など、センスの無い種別を増やさないで欲しいものです。🍀
子供のとき関西にいたから親に京都連れてってもらった、京都線だけは豪華だなと感じた(6300系)
今でも9300系がその血を継いでます
ビデオを拝聴させていただきました。ありがとうございます。2点ほど、指摘させてください。まず、高速神戸駅は、共同管理駅ではなく、神戸高速鉄道の駅です。阪急三宮駅~高速神戸駅間~西代駅(阪神元町駅~高速神戸駅)は、神戸高速鉄道です。それから、今津南線は、3両編成です。4両編成ではありません。
中津駅については、京都線はもともと京阪電鉄が作った路線だったことも関係していると思います。
Oldman阪急です。
梅田〜十三間の京都本線に中津駅が存在しないのは、用地買収が非常に困難な場所だったからです。
京阪電鉄の分離は、阪急による三複線化工事以前の事であり、京都線の中津駅とは何の関連もありません。☝️🍀
不思議6が最大値ですね。山口益生氏(阪急専務)の著作に出ていたが神宝線🆚京都線の相違は車両規格を超える奥深さがあるらしい。
10:55 西武百貨店は西武鉄道グループとは現在無関係です
これ、けっこう誤解をしているひとが多いですね。たしかスーパー・西友もそうでしたが、私の家の近所の「西武なにがし」という会社もそうみたいですし、ロゴがあの野球ボールみたいなのから変わりました。
そうですね。今はそごうと同じセブンアンドアイホールディングスになっていやす。誤解を生むので西武の冠名を外してPARCOブランドにした方がいいと思います。ファミマも無印もいまはまったく関係ありません
はじめまして😀
京都線は、元京阪であったり地下鉄堺筋線乗り入れの関係もあり、神宝線とはかなり異質な文化を持ちますね。
号線表示の件、神宝線は比較的整理されているようですが、京都線では???な場合がありますね。
例えば淡路駅にはかつての配線変更の名残で1号線がありません。また、桂駅の嵐山線発着線は謎の「C号線」です。これは、やはり駅の改修工事の際に元々本線とは関係ない桂車庫の入換用引上げ線のA〜C号線のうちC号線に面してホームを作り、嵐山線折返し線に転用したからだと思われます。
しかし、これは社内の呼称の問題であり、利用客が理解しやすく番号を整理しておくのが正しいのではないか?と思いますが、京都線の阪急電鉄への統合からかなりの年月が経っていても、現場の風習・習慣はまだ「新京阪」が根強く生き残っている(動画にもありました電装品のメーカーの件など)影響なんでしょうね。
何でも、乗務員さんが宴会や社内の飲み会の際に飲むビールのメーカーまで神宝線と京都線は違うという話も聞いたことがありますw
これだったら銀行のように派閥ができる感じですね。みずほ銀行も第一勧業銀行出身、(宝塚線出身、神宝派)、富士銀行出身(京都線出身 新京阪派)のような。ビールですと京都線はキリンで、神宝線はアサヒ。
実はここだけの話ですが、確かにありました。私は昔、塚口駅で学生班という押しやのアルバイトしておりました。1時間30だけなので給料はむちゃくちゃ安いですが阪急電車の無料定期券をもらいました。そのときはなぜか宝塚線、神戸線、今津線、伊丹線は乗れたのですが京都線だけ乗れなかったのです。
Oldman阪急です。
淡路駅1号線は、天神橋(現、天六)〜京都(現、大宮)が京都本線だった頃、淡路〜十三間が支線の十三線で、区間内折り返し列車用に存在していましたが、戦後しばらくして無くなり、現在は駅舎等になっています。
桂駅C号線(+1号線)のプラットフォームについては、新京阪線の開通当時(昭和3年(1928)11月)当時より存在していました。
(1号線は、途中で線路が剥がされて、無くなっていた時期も存在しますが…。😅)
ちなみに、今から約40年前の桂駅構内配線を西側から順に述べると、桂車庫出入庫線C線+1号線(ただし、線路無し)、京都本線上り2号線+3号線、嵐山線4号線+5号線、京都本線下り6号線+7号線の順番にプラットフォームが並んでおり、現在の京都線下り4号線+5号線の位置は、元嵐山線ホームであった訳です。(旧下り線ホーム6号線+7号線の位置には駅ビルが建っています。)
各プラットフォームは、地下道で連絡され、東口の本駅舎の北側には乗務員詰所があり、良く出入りしていました。
また、上り線は駅出発後、嵐山線の高架に向かうスロープの西側(現、桂車庫線)を膨らむように右カーブしながら、嵐山線と立体交差していました。
(桂駅北側の「豆田第一踏切」付近で見える跨線橋がその名残りです。)
旧上り線撤去後は、桂車庫線の拡張に用地が充てられました。
個人的には、C号線で旅客扱いする事になった時点で、社内での呼称とお客様向けの表示を、敢えて分けても良かったのでは?と考えております。
(乗り場表示の「C」の文字の線を少し延長して、見た目を「0」にするとか…😅)、仮に0号線ならば、一応数字なので違和感は少ないのでは無いでしょうか…。🤔(大阪駅にも0番ホームがありました。今の環状1番ホームです。)
最後に、ビール🍺の話しはガセネタでしょう。😂(実際に、そのような話を聴いた事もありませんが、京都線のベテラン車掌さんの靴👞が、いつもピカピカ✨だったのは目にしています。😂)🍀
@@heitetsu4649 さん
Oldman阪急です。
昔、学生班の方だったのですね、その節は、大変お世話になりました。(新京阪線ですが……😅)
業務用の乗車証については、居住地と勤務地を勘案して乗車区間を絞ってあります。
もし、神戸方面にお住まいで、勤務地が京都線沿線ならば、当然京都線も入っていたはずです。
(その場合は、宝塚線が無かったかも😅🍀)
私も学生班をやってました
私の住処は宝塚沿線、学校は京都沿線でした
その時頂いた乗車証は宝塚線とその支線、京都線とその支線が乗り放題になってたので、通学路線に合わせて支給されてたのだと思いますよ
@@CST-nr4vr さん
Oldman阪急です。
あなた様も学生班だったのですね。その節は大変、お世話になりました。
なるほど、おっしゃる様に、乗車証の乗車区間は、通学先も考慮されていたのですね。
先の例ですと、自宅が神戸線沿線で、宝塚線の川能〜豊中辺りに勤務先があって、京都の学校に通学していたら、三線制覇出来ていたかも知れません。😅
ところで、昔、学生班の方が着ているジャンパーが黄土色に近い黄色でしたが、いつの間にかマルーン色に代わっていたのを思い出しました。😁
それと40年以上前、乗務中のところを写真に撮って下さった学生班の方がおられて、後でその写真を頂いた事を思い出しました。
唯一の貴重な写真です。
お撮り下さった方のお名前はもう忘れてしまいましたが、本当にありがとうございました。🤗🍀
阪急十三新駅は、もしかすると神戸線の真上に2層構造で作るかも知れません、その先、鉄橋で淀川を超えて、その先から地下に潜るほうが、建設費ははるかに安く建設できるのではないでしょうか、阪急は、南海に北進のルートを開く代わりに、自社の空港特急で南進を狙っていると思います。
阪急の駅で一番極狭い駅で有名になったねw
逆に大阪梅田駅は9面10線の終端としては日本一。
短い区間だけど大阪梅田から十三までは3複線なのも私鉄で日本一
淀川花火大会の日だけは最寄りだから人ごみになるけど
あまりにも駅が小さすぎるから人身事故の対策も兼ねて
最寄り指定駅にしていない。
昔は須磨浦公園まで直通列車もあったけど
山陽線内は普通扱いになるから、現在の新開地が終点となった。
阪急の甲陽線や伊丹線、箕面線などは
なんで直角分岐にしてるのでしょうね
ああいう線形は他の鉄道にはほとんど見ない
Oldman阪急です。
神宝線とその支線は、開業にあたって軌道法によって建設された為、全くの想像ですが、支線と本線との連絡線の急カーブを厭わなかったせいかも知れません。🍀
阪急京都線の不思議は、堺筋線の車両基地が有ると言う不思議と 堺筋線の不思議元は、大阪市営地下鉄なのに車両基地が大阪市に無いと言う問題まで有る十三梅田間は、宝塚線の複複線走っているため正確な京都線は、十三京都河原町間で千里線嵐山線が支線扱いですからね。
Oldman阪急です。
大阪地下鉄堺筋線の車両基地(東吹田検車場)が、阪急沿線に造られたのは、市内に適地が確保出来ない為、用地取得上の問題です。
また、梅田〜十三間の京都線用新線については、戦後の高度成長期(昭和30年代)十三駅から宝塚線を利用して、京都線列車が梅田乗り入れを行っていましたが、線路容量の限界に達した為、宝塚線と京都線の列車分離を図る目的で梅田〜十三間に複線を増設することになりました。
なお、建設に伴う工事申請に伴い、監督官庁への書類上、戦後すぐに運転を休止した「北野線」(梅田〜北野間の路面区間、地上時代の旧宝塚線の名残り、線路は残っていた。)の復活と、北野〜十三間「宝塚線増設線」新設を名目として申請されましたが、あくまで書類上のお話しであり、京都本線は、梅田〜河原町間(47.7km)が正しく、社内的にも一般のお客様にも、梅田〜十三間の増設線は、京都線として認知されております。🍀
@@Midori-Clover 其れは、詳細知ら無い人には、不思議ですが堺筋線は、初めから阪急千里線京都線と直通運転で作られた為正雀車庫迄回送する事も在りますよ。
京都線は、天六から淡路が元元の路線で十三迄が後からで十三で折り返し梅田迄行くのと別れていた十三梅田間書類上は、宝塚線急行線です。
だから十三駅の手前で京都線車輌も宝塚線神戸線に転線出来ます。
@@小山義一-x5e さん
大阪地下鉄車両の東吹田検車場(正雀〜相川間)への入庫列車は、京都本線の下り線(大阪方面行き)から入場するため、上り(京都方面行き)の正雀行き、または、回送列車で正雀到着後、折り返し、下り回送列車として、東吹田検車場に向かいます。
十三駅梅田方の折り返し線(9号線)は、神宝線車両の正雀工場への検査入場の為、神宝線車両が京都線に入線する際(あるいは検査後に戻る際)、その他に使用するものであり、(最近は、京都〜神戸間特急にも使用されていますが…。)十三〜梅田間の三複線建設とは、あまり関連性がありません。
先のコメントでも述べましたので、重複は極力避けたいと思いますが、戦後の復興期から高度成長期に掛けて、宝塚線に乗り入れていた京都線列車との分離は、輸送力増強の為にも急務であり、十三〜梅田間の京都線専用線を建設する必要に迫られていました。
その為、北野線の線路敷とか、宝塚線増設線等の名目で監督官庁への手続きは行なっておりますが、あくまで京都線列車の分離が目的で建設された事に違いは無く、三複線開通後、宝塚線の準急列車等が新線を通過していた事実はありますが、これも比較的短期間で中止されております。
現在では、京都本線の起点も十三では無く梅田駅であり、梅田〜河原町間(47.7km)であることは事実です。
少し専門的なお話しになりますが、沿線に建てられている「距離標」(キロポストとも)は梅田起点で書かれており、列車運転に必要な「閉塞信号機🚦」を管理する為の「閉塞信号機識別標識」も梅田起点の距離を基準にしておりますし、「京都線列車運行図表(ダイヤグラム)」にも、梅田〜十三間は「京都線」と明記されております。🍀
絹延橋駅は日本屈指の「響きが美しい駅名」の一つだと思ふ
俺は神宝線在住のアラフィフ
子供の時から、京都線は何か違うという違和感が有った🤔
もちろん、車体寸法や中津の件も知った上での話しなのだが……😅
当時は、6300系がデビュー間もない頃で、嫉妬感がありありでしたね😣 (笑)
>京都線は何か違うという違和感が有った
元新京阪ですから駅の雰囲気も何か違っていますね。
そういえば、改良工事前の十三駅の宝塚線と地上駅時代の梅田駅には、現在京都線が使用している宝塚線線増部分(すくなくとも古本屋で買った手持ちの『鉄道要覧』ではそういう扱いでした)への複線の渡り線(淀川堤防改修工事の期間中に中津にあったものではありません)があった記憶があるんですが、その時期は頻繁に利用するような年齢(小学生低学年)ではなかったので、これが記憶どおりあったのか、あったとすれば実際に使用したことがあるのか、使用したことがあればどの列車が走っていたのか、モヤモヤしてたんでこの機会にどなたかご存じの方いらっしゃいませんか?
あくまでファン視点ですが、阪急はマルーンは絶対に捨てないで欲しい。分かる人には分かると思うが、例えば相互乗り入れ区間にてマルーン色の車両が来たら「あ。お母さん。阪急も乗り入れてるんだ!」ってなる。これ非常に大事なブランドイメージかと思います。
今津南線は3両です
阪急京都本線に中津駅がない理由、元々阪急京都本線の前進が新京阪電鉄で全然違う会社であった為です。
だから、阪急京都本線の淀川鉄橋が宝塚本線や神戸本線より一段高いです。
車輌塗装変更をしようとしたのは、8000系の時に、地域住民や関係者なら反対があり、また塗装変更を試みたが、反対され仕方なく6001系で試験的にアイボリーをつけた。
中津駅の説明間違っている。
京都線は旧梅田駅の時は1号線と2号線は急行と特急のみが止まり、普通は十三止まりで今なき7号線が普通が止まっていた。
その当時京都線は宝塚線の線路を使っていた。宝塚線のダイヤに支障が出てきたので、新たに線路を敷設。
京都線の梅田~十三は京都線ではない。宝塚線の複線扱い。
北大阪鉄道は十三~豊津間が開通。
新京阪鉄道は天神橋現在の天六~高槻町まで開通。半年後に西院(仮駅)まで開通。昭和3年に京阪京都現在の大宮まで開通。
西向日と東向日は昔は西向日町、東向日は東向日町。
洛西口は戦後3年間だけ存在した物集女(もずめ)駅が存在した。
Oldman阪急です。
他のコメントをされている方にも、同主旨の内容で書いておりますが、
梅田〜十三間の京都線用新線については、戦後の高度成長期(昭和30年代)になって、十三駅から宝塚線を利用して、京都線列車が梅田乗り入れを行っていましたが、宝塚線の線路容量の限界に達した為、宝塚線と京都線の列車分離による輸送力増強を図る目的で、梅田〜十三間に複線を増設することになりました。
なお、建設に伴う工事申請に伴い、監督官庁への書類上、戦後すぐに運転を休止した「北野線」(梅田〜北野間の路面区間、地上時代の旧宝塚線の名残り、線路は残っていた。)の復活と、北野〜十三間「宝塚線増設線」新設を名目として申請されましたが、あくまで書類上のお話しであり、
京都本線は、梅田〜河原町間(47.7km)が正しく、社内的にも一般のお客様にも、梅田〜十三間の増設線は、京都線として認知されております。🍀
あと、細かい話で恐縮ですが、車両の塗装でマルーンとアイボリーの2色に塗り分けたのは、昭和50年(1975)登場の6300系が最初であり、京都線特急車両ということから、唯一の塗り分けを行なっておりました。
なお、歴史的には戦後、天神橋〜京都(現、大宮)間の特急列車復活の際、使用車両(P-6)の窓周りから上を橙色、下をマルーン色に2色塗装した他(部内では、「お稲荷さん」と俗称されていた。)、一般車に格下げされた新京阪線の元貴賓車(500→1500)を、西宮球場で開催された「アメリカ博覧会」の宣伝で黄色とマルーンの2色、あるいは同様に、神戸線800系が青色とクリーム色の2色塗装を施すなど、マルーン一色で無い列車も過去には存在していました。
阪急南海は比較的友好的なので可能性有りますね。お金の問題がやっぱり最大のネックでしょうね。昔四ツ橋線とも云々ってありましたからね!
阪急電鉄最大の不思議は何故ブレーブスを手放したか。
創始者小林一三氏の孫養子で社長業にも尽くされた小林公平氏が非常な文化人で逸翁美術館の整備や作詞家として活躍もされていましたが、大衆スポーツ特にプロ野球をあまり好まれなかったからだと聞いたことがあります。
大阪府池田市建石町には長らく小林氏の御屋敷(とすぐ近くに小林公平氏宅も)がありましたが、すぐ隣の製薬会社創始者の塩野(義)宅の私有地内に桜並木があり一般の人にも開放されていました。私が小学生の頃そこで三角野球をして遊んでいたところボールが桜並木を超えて隣の小林邸の庭に飛び込んでしまいました。恐る恐る玄関のベルを鳴らしたところ中から上品な御婦人が出てこられて「ボールが庭に?どうぞどうぞお取りください。ところで坊ちゃん達、おやつ代わりにケーキでも召し上がりませんか?」ということで小学生4人が恐縮しながら洋風の応接間でケーキとジュースを戴きました。その後、家路に向かう4人は暫く夢見心地でしたが最初に口を揃えて出た言葉は「ああいうお屋敷にはいつでもケーキやジュースがあるんやなぁ~凄い!」でした。先日約四十年ぶりに池田を訪れた時はもうその小林邸も塩野義さんの桜並木も無くなっていましたが・・・🤣🤣🤣
阪急の電車見ると、東武30000系や東武10000系や東武10030型を想起しちゃうんだよな。
阪急京都線は河原町〜天神橋筋六丁目。
淡路〜梅田は支線扱い。
だったかな。
阪急三本線は繋がっている。
十三〜梅田の間に引込線があり、直通列車イベントもあった。
何かの博覧会で派手な色になった事がある。
「西」についてですが、元々洛西口駅と西山天王山駅は無かったので、一駅おきでは無かったです。そもそも、新京阪時代の駅名と阪急時代の駅名の合作というのも正に不思議ですね。「西向日」「東向日」は、「向日町」という「町制」の時代にあった「東向日町」「西向日町」という駅名が、「市制移行」後に「町」が単純に取れた結果で不自然な感じの駅名になっています。駅名が代わった当時は、親父ギャグで、「東向け」「西向け」っちゅうのか、とよく言われました。
阪急沿線のひとですが、能勢電鉄と阪急の日成エクスプレスが直通運転がしてるノハシッテイマシタ❤
高速神戸は阪神管理、天六は大阪メトロ管理ですよ
今津南線は3両ね
中津には宝塚線の準急止まるよ
京都線の
大阪梅田~十三の正式な
線籍は宝塚線(急行線)です。
そのため、中津駅が無い
なんて意見も聞いたことがあり
京都線の正式な大阪側起点が
十三というのと合わせると
合点が行きました。
京都線は
沿革を遡れば、
京阪系列だった時代もあり
少々不思議な点もありますね。
京都線は昔はなかったよ。
千里線の前身北大阪鉄道が十三から豊津間で開業。
京都線の前身新京阪鉄道京阪の子会社。天神橋現在の天六から高槻町まで開業させて、半年後には西院まで開業。新京阪は北大阪鉄道を買収。
十三から梅田間は線路がないため宝塚線の線路を借りて運行していた。
次第に宝塚線の運行にも支障が出てきたので、今の京都線の線路を増設。電圧にも違いがあった。
今は1500V だが、それ以前が神宝線は600Vで京都線は1500V だった。
3000系が登場した時には、600V1500V両用車だった。
Oldman阪急です。
他のコメントをされている方にも、同主旨の内容で書いておりますが、
梅田〜十三間の京都線用新線については、戦後の高度成長期(昭和30年代)になって、十三駅から宝塚線を利用して、京都線列車が梅田乗り入れを行っていましたが、宝塚線の線路容量の限界に達した為、宝塚線と京都線の列車分離による輸送力増強を図る目的で、梅田〜十三間に複線を増設することになりました。
なお、建設に伴う工事申請に伴い、監督官庁への書類上、戦後すぐに運転を休止した「北野線」(梅田〜北野間の路面区間、地上時代の旧宝塚線の名残り、線路は残っていた。)の復活と、北野〜十三間「宝塚線増設線」新設を名目として申請されましたが、あくまで書類上のお話しであり、
京都本線は、梅田〜河原町間(47.7km)が正しく、社内的にも一般のお客様にも、梅田〜十三間の増設線は、京都線として認知されております。
なお、京都線に中津駅が存在しないのは、用地買収が非常に困難であったあった事が、一番の大きな理由です。🍀
(かって線路北側に存在した、旧中津小学校のプールや講堂なども、移転する必要がありました。)
西宮北口駅の平面交差が今でもあったら8不思議になったのかな?
別に禁断の不思議じや無いような内容ですねえ
この動画でも紹介されていますが、どうも〇〇市駅という名称が京阪由来のように捉えている人が多いように思います。私も昔はそう捉えていましたが、実は京阪の◯◯市駅という名称は、戦後京阪神急行から分離独立以降に付けられたようです。戦前は守口や門真、寝屋川や枚方などは、市(町)とさえついておりませんでした。それどころか枚方などは今の枚方公園駅がそれに相当し、今の枚方市駅は旧名が「枚方東口」というものでした。一方阪急の茨木市や高槻市は市制になる前は「町(茨木町、高槻町)」という名称でした。(他にも現富田は「富田町、高槻市に編入後は現名称に変更。東西向日も元は「町(東向日町、西向日町)」がついていました。)
旧国鉄との違いを明確にするために茨木や高槻は「町」または「市」を付けたのだろうと思います。
摂津市は行政との関係で、新規に「行政を代表する駅名」として市を付けられたようです。摂津市駅開業時にはすでに大阪モノレールには「南摂津駅」が市役所のほぼ前に存在していましたが。。(多分イマイチマイナーな存在だったのでは?)
一方京阪は元市駅だった「旧八幡市駅」が「石清水八幡宮駅」として改名してしまいました。
なぜ、京阪が戦後にそれぞれ「市駅」として改名したかは不明ですが、おそらく地元行政との関わりで、それぞれ「代表駅」として位置づけるためだったのではないか?と思っています。(京阪は駅間距離が短いため同一市内に複数の駅が存在することによる?)
ついでに和歌山市内でも、南海が「市駅」を名乗っていますが、これもJRの現紀和駅が元の和歌山駅であったことであり、後から開業した南海が区別するために「市駅」を名乗ったことに由来します。(JR阪和線堺市駅は逆に南海堺駅より後からできたことで区別するためです)
なお、伊丹や阪神尼崎、阪神西宮が「市」とかを名乗らないのはイマイチ不明です。尼崎については、現在のJR尼崎駅は旧名が「神崎駅」です。元の国鉄尼崎駅は旧名称として現在は廃止された元福知山線の「尼崎港」(始発駅)だったようです。なので阪神の方が先?
ありがとうございます。確かに国鉄(お上)が先につけたものに同じ名前は追いそれ付けないので市とした経緯はあると思います。でも関西は平気で付けますね。京阪宇治や芦屋など。尼崎は東海道線は神崎という名前で尼崎港が尼崎という名前でしたが当時は尼ケ崎とヶが付いてました。国鉄はまた全国なので読み間違えしないように西宮も西ノ宮とつけたりしておりました。肝心の京阪ですが市をなのったのは戦後の市制に移ってからと思います。八幡も八幡市となのってまた駅名を変えました
通勤で東武を使っていますが、社内広告に阪急の広告を見るときが有ります。
だいたい不動産関連ですが…。
また、車両もアルナ工機製…。
気になって調べたら、阪急と東武の創業者が師弟関係だったとか…。
また、半蔵門線を経由して東急の車両も来ますが、SDGsトレインと言うものを東急、阪神、阪急で共同運行していました。
こちらも東急の創業者がまたもや阪急の創業者と関係が有るとか…。
小林一三さん、あんたどんだけ影響力持っとんねん!!
根津嘉一郎氏と小林一三氏は山梨県同郷のよしみがあったと聞いています。根津氏が師匠で小林氏が徒弟だったかなあ。だから小林氏の能勢電鉄救済は根津氏の哲学を引き継いだと思います。根津氏は東上鉄道や高野山鉄道も救済しました
1.は1067mmに戻るという気がw 2.はあり得るねw 3.は難しいかとw
(関西人気質、それなら南海高野線や近鉄南大阪線の方が先にやってる気がする)
4.は可能性大、5.は西友の土地使うより多分川西池田でJRとタッグ組んで再開発事業をやってると思う。
近江鉄道7.はちと夢物語でしょw (京福の夢に近い=嵐山から北野白梅町から出町柳に出て、八瀬比叡山口からトンネル掘って江若鉄道使って福井県の手前まで来れる)
アルファベットが入った乗り場(桂駅C号線)番線は阪急だけなのでは??
他社でもあるのかな??
京都線と神宝線の車両規格は違いますが、かつて2000系・2100系・2300系・2800系の車両規格は同じでした。
3300系製造の際に堺筋線に乗り入れる大阪市の規格に合わせるようになりました。
なので大阪市によって変えさせられたのです。
もともと京都線は十三から梅田は宝塚線に乗り入れていました。
そのため新幹線の新大阪駅開業に備えて淡路~新大阪~十三~梅田へのルートを考えて新大阪線の免許を取得したようです。
ですが、おおさか東線の開業により淡路~新大阪のルートが出来たことにより現在は新大阪~十三のみ免許を維持しているようです。
西が連続するのは都から観て西なだけでむしろ東向日が存在することが奇跡
漢字のやつはただの思い込みw
全部理由ちゃうでw
阪急なにわ筋..地図をよく見ればうめきたホームに繋ぐより中之島駅に直結の方が無理が無い様に見える
うめきたホームに直結すると伊丹線より急カーブが必要だと思う
阪急独自の言い回しで、車両を新造する事を「建造」と言いますね。
確か阪急電鉄の公式TH-camで館長が工場見学の際に建造とおっしゃっていました
京都線と神宝線では車両限界も異なるもんねえ。市交堺筋線天下茶屋延伸時の南海ー阪急の一悶着を思い出さざるを得ないね。
かなり揉めたのでなにわ筋線の阪急乗り入れを一番嫌がったのは南海でした。あんときの確執がありました。でも阪急さんも頭いいです。南海が新大阪乗り入れられないことを知っていて新大阪支線をちらつかせて合意をもらったようです。
中津駅に京都線のホームが無いのは…
宝塚線の複々線であり、嘗てあった北野線の復活という事で免許が通りあのようになったという事です。だからもともと中津駅を造る予定はされなかったわけです。所謂大阪梅田まで乗り入れているのは形式上宝塚線のバイパス線を京都線の列車が走るという形になっています。阪急京都本線の起点は十三で、支線に当たる千里線の起点は天神橋筋六丁目です。
阪急北野線は梅田と北野(阪神バス停が残っている)のわずか数百メートルの市電ですね。京都線(宝塚線線増)を建設したときに中津駅を設置しようかとう議論もありましたが土地がなかったことと費用対効果であきらめたそうです
Oldman阪急です。
京都線に中津駅が無いのは、現地の用地買収が非常に困難で、当時予定地の北側にあった中津小学校の敷地(講堂、プールがあった)を削ってまで、建設する必要があり、駅プラットフォーム部分で必要な用地が確保出来なかったからと聞いています。(小学校講堂、プールは、別に取得した用地に移転)
十三〜梅田間の宝塚線に乗り入れていた、京都線列車の分離の目的で新線建設の際、仰るように建設上の書類上の手続きとして「宝塚線増設線」「北野線」という言葉はありましたが、三複線化の目的が京都線列車と宝塚線列車の分離にある以上、宝塚線の複々線などという文言は、一般には全く関係の無いお話しです。
また、京都線の歴史上、いつの時点での京都本線の起点を十三とされているのか、よく理解出来ませんが、少なくとも三複線化が完了した後の約20年後、私が京都線に乗務していた約40数年前には、既に梅田駅起点で距離表(キロポスト)が建てられ、「京都線列車運行図表(ダイヤグラム)」には、梅田〜十三間も京都線と記載されており、閉塞信号機🚦管理のため、信号機柱に記載されている「閉塞信号機識別標識」の数字も、梅田起点のキロ程を基準に名付けられていましたから、遅くとも昭和46年(1971)の梅田新駅への京都線乗り場移設(国鉄線北側への移転の為、キロ程が短縮された)時点で、京都本線の起点は梅田駅起点に変更され、お客様向けの各種ご案内も京都線との表現で行っております。🍀
京都線中津駅は元々宝塚線急行線なので、駅設置はそもそも認められていません
Oldman阪急です。
その「宝塚線急行線」という言説は、正しくありません。
(建設時の申請書類では、「宝塚線増設線」です。)
線路用地の買収で困難があり、あえて京都線の中津駅は設置されませんでした。
(旧中津小学校のプールや、講堂を移転した上で線路用地を取得しています。)
これら、十三〜梅田間の京都線専用線増設までの経緯については、他のコメントに書いておりますので、宜しければご一読ください。🍀
京都線烏丸駅と京都河原町駅が地下道で繋がっている等も不思議だから。
そうですか。新開地と高速神戸も地下でつながっていますね。烏丸から河原町は前面展望で見ましたが500mくらいでしょうか
@@heitetsu4649 JR神戸駅から繋がっている巨大地下街と唯の地下歩道を較べるのは、どうでしょうね。
@Fox Movies Network Vietnam 彼処は、巨大地下街ですが河原町烏丸駅間は、唯の連絡通路ですよ。
入線曲は阪神やないかい❗️
高速神戸駅は阪神が管轄しているためですね
JRも阪急に乗り入れすることを正式発表している。
車掌が通過駅をしばらく指さししながら監視しているのは何でなんでしょうね?事故が無かったか確認しているのかな
阪急電車が大好きで、マルーンカラーとコーディネートした傘を持っていましたが、京阪沿線のとあるお店で盗まれました。すごく気に入ってたのに。
阪急電車は特別なのです(特に沿線に生まれ育った私たちにとって)
車両もシートも色を変えてはいけないのです(とっても心穏やかになる色です)
宝塚歌劇団も阪急に深くかかわるし
中津駅は近くに古くからある済生会中津病院があるからなくせない
病院が改築してもその場所で移動しないくらい大きいものだったし
特に阪急宝塚線は職員も特別にきちんと統制された職員が受け持ちます