ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
私は昔、マツダのディーラーで整備士として働いていました。なんと当時は、ロータリーエンジンのオーバーホールは無料で行われていたのです。半永久保証みたいな感じで。私はエンジンを車体から降ろして本社に送り、仕上がったエンジンを車体に載せる、みたいな作業をしてました。当時のマツダのロータリーエンジンへの、こだわりというか愛というのか・・本当に良い時代でした。
小学校5年生ころだったかなぁルーチェに憧れたなぁロータリーだぜあの顔でノチに後輩が買ったコスモAPエンジンは13Bだと思ったけどモォたぁーみたいに感じ速かったなぁ
私の初愛車もS102A(4ドア)でした。シグナルGPではスカイライン2000に負けた事は有りませんでした。4速では150㎞以上出なかったのに2速では160㎞まで引っ張れた謎の車でしたねぇ…後でリミッターが利いていたと知りました。4ドア車でもクーペに負けない楽しい車でしたよ。
とても懐かしく拝見させていぢきました。スカイライン50勝阻止のレース見にいってました。ワークスマツダはあの頃は力入ってましたね。片山さんが載るグリーンとイエローのRx3はダントツに速く今も忘れる事はないです。神戸の木の実レーシングから始まり長いロータリーエンジン開発に人生をかけた片山ありがとうごさいました。片山さんまだロータリーは健在ですよ❗夢をありがとうごさいました。
子供の頃近所の大工の兄さんがRX3乗ってたんだよね。 その頃スーパーカーブームだったんだけど、ワイは兄さんのRX3が大好きでいつも見に行ってわ。
日本名サバンナ、2台乗り継ぎました。最初は10AのGSⅡ、2台目に12AのGT。確かに直線では速かったが、ガソリンとオイルが減るのも早かったですw
RX-3ですか、小学生の頃親父の愛車でしたが「高速道路で負けたことない」って自慢してましたね、燃費の悪さとオイルの減りも最悪だったらしいですが😅スカイラインGTRよか安価で互角の速さで人気でしたが、今ではGTRよか入手出来ない車ですね。
サバンナはスカイラインの連勝を阻止したとよく解説されていますが、諸説あるものの、連勝を止めたのはミスタール・マンの寺田さんが駆るカペラとも言われていますな。寺田さん本人が「俺が止めたんだ!」と言っていました。
確かハコスカは71年頃からワークスが縮小していて寺田さんが勝ったレースもプライベーターメインだったはずです、あの連勝記録はワークスありきで編集されてるようですので当時幾つかあった地方のサーキットだったらファミリアにも負けたレースがあるはずです。
止めたって話は、マツダチームをアシストして勝たせたって事ですね。例の72年のマスターズ、71年の50連勝は武智さんサバンナ、72年増田さんカペラに阻止されています。これで、故意にぶつけた武智さん、二度とワークスGTR最後のレースだった元さんに顔向け出来ない状態になったらしいですね。
アクセルベタ踏みで背中がバックシートに押し付けられる感覚はRX3が一番でした。当時私はケンメリに乗ってましたが、友人のサバンナを羨ましく思ったものです。
私の父親がサバンナではありませんでしたが兄弟車のグランドファミリアクーペGFに乗っていたのを憶えています。
今から40年前にRX-3に乗ってました。エアコンもパワステも無い車でしたが、パワーだけは有って乗りやすかったですね。
私が修理工だった40年前、引き取り車にRX-3が有り社長から1日だけお借りしたキャブはウェーバーで電磁ポンプを2個着けていた3速チェンジ迄太いタイヤが泣いていました懐かしいサバンナもう一度試乗してみたいです
義理の伯母が45年前に乗っていました。伯母は国道をいつもスピード出して助手席でいつもヒヤヒヤした思い出があります(笑)男勝りで美人で仕事はダンプ運転手で今考えれば凄いですよね!あれから半世紀経ちました。とても記憶に残っている車です。
余談ですが当時後に鉄人と称された某プロ野球選手がまだ若手なのにフォードの某車を買って注意され買い直したのはいいけど、ソレがハコスカGTで球団側からまたも「ウチの親会社に不義理する気か?!」とお叱りされたエピソードがあったそうです😂
ロータリー専用車の先駆けとんがったデザインはマツダにしては売れました街道レーサーのベースに使われほとんど残ってない、ワゴンまで出して頑張っていた。
大学生の時、友人から借りたRX-3で全線開通前の東北道をぶっ飛ばしていたら、その加速の凄さと共に燃料が減るのがメーターで視認できたのを思い出しました。
大学時代、友人のサバンナに乗せてもらったことがあったけど、加速はまさに「シートに沈み込む」勢いを体感しておったまげたものです。マツダは技術者の情熱を感じられるいい車を作っていて、いいメーカーだったんですけど、市場ニーズとのアンマッチングや販売の弱さがネックでしたね。東洋工業時代が懐かしいです。
サバンナRX3の名手は片山義美氏を筆頭に実弟の従野孝司氏、寺田陽次朗氏、増田建基氏、岡本安広氏、白鳥哲次氏、武智俊憲氏、関谷正徳氏、猪原理氏、中嶋悟氏と枚挙に暇がありません。彼らを育てたマシンがサバンナRX3でありロータリーエンジンだと言っても過言ではないでしょうね。
そうですね、本当にこの車で育ったレジェンドドライバーは多かった。
もう普通の中古屋には流れねえだろこんな伝説級の車
鉄板がもろかったからもう土に帰ってる固体が多いでしょうね
マツダサバンナRX3ですね。日産スカイラインの50連勝阻止したレジェンドカ一ですね。私はマツダサバンナRX3のデザインが大好きですね。ク一ペとセダンと後グランドファミリアがあるんです。このサバンナク一ペサバンナセダングランドファミリアのデザインが大好きです。ちなみにチャンネル登録しました。よろしくお願いいたします。
以前乗っていたコスモ13Bエンジンでしたが9.8km/Lは走りました。高速道路では負けたことありません。でもアコードは早かったですね。
友達が所有してる。カッコいいですよ!運転させてもらったけど熱くなりますね~アクセルベタ踏みしたくなる(笑)
今の広島大学郊外校舎が造成される前に、たくさんのマツダ車が積み上げられて捨ててありました。新車ですよ。
デザインは今以上にがんばってましたね。CADもプリンターもコンピューターも殆どなかった時代ですからね。
マルイの族シリーズのサバンナ良かったな600円だったかな
良い車でしたね。
よく見るとグリルの型が今のマツダ車と同じなのね。
大昔茅ヶ崎ゼロヨンで最速を誇っていたRX-3、ペリポートにチューニングされてアイドリング全く安定しないマシン…走らせると無敵でした
何年前ですか?茅ヶ崎でもゼロヨンやってたんですね、もしかして90年頃厚木にも来てたRX3と一緒かも。
昔昔先輩が乗っていた、燃費はリッター2㎞とか3㎞とか言ってたな。アクセルの空吹かしをしていると燃料計の針が動く(減る)って言ってたな。
かっこいいの一言。親父が自分が産まれる前に乗っていましたね。
FC3S FD3Sと言うなら初代RX7も SA22Cと説明して欲しかった
破壊も早かったよね探偵物語やマッドポリスで
ちょい前に圏央道でrx-3の群れを見ましたw 中身は、オッサンが多かったが、カッコよかった。
昔自分の親が前後スポイラーバフェンつけて乗ってましたがよく警察に停められてましたwww
今見てもスゴい存在感😱
40年チョイ前かな マツダ本社で 車の移動のアルバイトをしてました。RX3 なぜかたまにありました・・当時RX7の時代でした。RX3 数回乗りました・・今で思うに かっこよすぎ。RX7の輸出仕様 2シーターでトルクが太いなと・・噂では 13Bが 乗ってるとか・・アウトバーン仕様と言ってました?グラファン レシプロですが よくまわるエンジン・・マツダ 当時から 安全面 考えてましたね・・フロントガラス 今は あたりまえですが 合わせガラス(他社焼きガラス?)・・ぶつかれば へこむボデイなどと?
片山が二輪に専念していた時代にマツダから話があった時に四輪に興味は薄く絶対に契約出来ないであろう金額を吹っ掛けたら、その金額でOKが出て断れなくなったそうな。ちなみにサバンナですがルマン出場以前にマツダオート東京がRX3ベースの251というシルエットフォーミュラ規格のマシンを制作していて、これが後の252から始まるルマン挑戦シリーズの祖となってます。(ロータリーエンジンとしては74年のシグマMC74ですが)
70年にフランスのプライベーターがシェブロンに10Aの組み合わせで参戦してたそうです。
@@maruhiroya417 知ってます。マツダからの支援はありますがスポット参戦で後のマツダオート東京→マツダスピードの流れとは違う物として扱うのが通常だと思います。ちなみに「栄光のルマン」で実車を見れますよ。
子供の頃、片山ワークス仕様のプラモ作ってました。従兄がRX3に乗ってたので好きでしたね。
他に、童友社より1/24スケールも発売された。
RX3と言えば特攻の拓の萌子さん
現在一台だけカー〇ンサーに載っています。グレードの表記はありませんが12Aの車体ですね。
rx-3欲しいけど絶対売ってないんよの、、、、
やっぱりマツダのデザインはカッコイイねー。私は「カペラ」が好きです、バンダイの1/20も組み立てた。
富士のヘアピン名物、片山義美氏の片輪走行。実弟従野孝司氏を隣に乗せて、そのテクニックを直伝。ロールバーに肩を当てたりして、アンダー殺しなどを実演したが、弟から「兄貴、そんなこと俺出来んわ。」と、呆れられた。
従野さんと言えばカープカラーのマーチ76Sを思い出す。
そんな逸話があったんですね、凄い。👍
車世界のいぶし銀登場
ロータリーは燃費が悪いと言われたが、排気量や、馬力など考えると、なにか、レシプロ側のヘイトやネガティブキャンペーン的な気もするな。
上には上がいたようで、81年の鈴鹿1000kmではポルシェ935の方が燃費が悪くそこに付け込んであわや番狂わせという展開の末にRX-7が2位入賞。
当時のレギュレーションを誰か伝えて下さい!REは自動車税が、エンジンに何もしてなくも倍に換算され、レースでは2.2倍に換算されたのです!ボアアップなどしていませんでした! もっとも排気量を変えるには大変難しいエンジンでした事理解してください。
足回りの分、ハンドリングはカペラの方が良かった。ただサバンナは軽さが武器になった。レースでも寺田陽次郎がカペラを好んだのに対して片山義美はサバンナばかり乗っている。
そんな事ないですよ、富士などでは、片山さんも好んで4リンクのカペラ乗ってましたが、寄野さん考案のサバンナに4リンク改造したワットリンク付きになって軽量なサバンナで戦ってました。
@@loyalsniper 二人のインタビューを読み比べると、カペラへの評価がはっきり分かれるんですよ。寺田がカペラは脚回りがよくて一番好きだったと語っているのに対して、片山はカペラは重くてダメだとハッキリ言ってますから。
ロータリーを実際に運転していた48年前に❤戻って見たいですね~👍️ロータリーエンジン最高で~す
チャンネル名に偽り有りこの車が活躍したのは70年代じゃないか
映画「ヘアピン・サーカス」でトヨタ2000GTに勝った車
何年か前まで近所の畑で草ヒロしてましたね〜😳サバンナ
ロータリーを乗せたロードペーサーの照会がないね。
カペラの姉妹車として販売されて、当時、三菱GTOと人気の有った!オイルの減りも早かったなw
初代サバンナはカペラじゃなくて、グランドファミリアが姉妹車でした。
@@平田信也-d7g 勘違いしていたか!ファミリアの方だったのかw
ノーマル同士ではハコスカGT-RよりもギャランGTO後期の2Lの方が速かったとも聞きますな。(・ε・` )
0-400で15.6秒は早いタイムだよね。例えば1986モデルのホンダアコード2.0が16.0秒ホンダプレリュード2.0SIが15.7秒だったと思うので。
savannaGTあの頃セリカLBがアッハハですよねん…思います。
負かしたはずのハコスカGTRに比べてイマイチ伝説的な評価や現在の旧車人気が劣るのがねえ。。やっぱあの当時の直後のオイルショックとロータリー必然の燃費の悪さとかが、タイミング的にサバンナの立ち位置に悪影響あったのが不幸だったかなあ・・
近所にサバンナGTが何十年も、月極駐車場にずっと放置しています。動かないと思います。7000円も毎月払っているようです。
1972年富士マスターズは、新進サバンナに時代遅れのモンスターGT-Rがどう戦うのかが注目された。それでも軽量大排気量REにガンさんはハンデを跳ね返し互角に渡り合った。
まあ今みたいにバラストもリストリクターもない時代だっからね、 実際にはエンジンは日産有利でしたよ。ツインカム、4バルブの規定がなかったので決勝1万回転まで回してました。72年のマスターズは武智サバンナが故意に元さんにぶつけた事で潰されてしまいましたが。
自分の中のイメージですが(良い意味で)ハコスカが悪の華、サバンナは極悪の華って感じ
今でもサバンナの新車発表会での客とセールスのやり取りを思い出す、コロナのツードアの「客」ああ失敗したこのサバンナにすれば良かった「マツダの謙虚なセールス」いえいえコロナはコロナで良さがありますよ。それを傍で聞いていた自分は(断然サバンナだ)と思った。(燃費を考えるとマツダのセールスの言うのが正論だった?)今を去る事ウン十年前の思い出です。
直観サバンナ! 2022.11.22 22:07
MAZDAの創成期頃のレーサーがルマン優勝にも大いに関わっていたないて全く知りませんでした(お名前は存じていたけど)MAZDAって走り屋のイメージ強いけどずっと往年のレーサーと契約関係だったなんて良い話し…教科書に載せたい😃
寺田さんも成し得なかった日本人初のル•マン制覇を成し遂げた関谷さんも元々は静岡マツダのディーラーマンでしたね、「ロータリーメインのマツダではフォーミュラに乗れない」という理由で退社→渡欧→トヨタ
@@maruhiroya417 関谷さんは元マツダの社員さん…驚き😃情報ありがとう
@@三浦良之-b3n 静マツサバンナで検索したら当時の写真があるかもしれないですね。
@@maruhiroya417静マツには写真出てないです。当時はスポーツコーナーとしてスポーツパーツ販売していましたが、94年にdoエンジニアリングで白鳥氏が引きいて独立されました。現在はマツダスピードの田知本さんが99から引きついでます。
私の親戚のお兄さんがサバンナに乗ってましたね、
徳大寺有恒大先生の間違いだらけのクルマ選びで酷評されてたなぁ…
先生が一番間違えているww
あの本こそ間違いだらけ
庶民に手が届かないメルセデス・ベンツは、どんなモデルでも手放しで称賛するのに終始した。
とりあえず国産車を蔑めて欧州車を褒めて本が売れる
@@西野ま-くん だって徳さんは元ヨタですからwww
イイ(・∀・)
狼の皮をかぶった 羊。
🙂
サバンナの12Aはレシプロ換算2292㏄。いわばワンクラス上。GT-Rに勝って当たり前だと思う。
@@starhamu6376 レギュレーションって知ってる?
@@starhamu6376 あ~やっぱり知らないんだ~REはレースでは二倍換算なんですよ~
@@starhamu6376 だれがレギュレーションに通ってないと言ったんですか?私はただレースではREは二倍換算だと言っただけですが
@@starhamu6376 同じカテゴリーで排気量が違う事もありますが?1500㏄~2000㏄で1800と2000が戦う事もありますが?知らないの?
FIA規定ではRE換算573✕2✕2ですね。ただしREの吸気ポート拡大が許されなかったんですよね・・・GT-R現役時代はこの頃からRE虐めが始まってたんですね(嘘) アレ?全部消してる?
50連勝を止めたったって、サバンナGTはボアアップしたレシプロ換算2,292㏄。逆にそうでもしなきゃ1,989㏄のGT-Rに勝てなかったて事だろ?GT-RがL28積んでりゃ負けなかったよ。
当時まだ28は無かったですが、s20を2200にアップしたエンジンとL24はテストせれてましたが、結果速くなかったデータがありました。
@@loyalsniper 性能差で勝てないから、ぶつける作戦ですか?
GT-Rを追い落とした正に名車!何故正当な評価をされない?俺は後期型が好き何だけどなぁ〜(-_-;)
これのバンは?ww親父がこの車のあとにコスモまで。
5台くらいバン登録されたみたいですね。
大阪の叔父が乗っていました。
私は昔、マツダのディーラーで整備士として働いていました。
なんと当時は、ロータリーエンジンのオーバーホールは無料で行われていたのです。半永久保証みたいな感じで。
私はエンジンを車体から降ろして本社に送り、仕上がったエンジンを車体に載せる、みたいな作業をしてました。
当時のマツダのロータリーエンジンへの、こだわりというか愛というのか・・本当に良い時代でした。
小学校5年生ころだったかなぁルーチェに憧れたなぁロータリーだぜあの顔でノチに後輩が買ったコスモAPエンジンは13Bだと思ったけどモォたぁーみたいに感じ速かったなぁ
私の初愛車もS102A(4ドア)でした。シグナルGPではスカイライン2000に負けた事は有りませんでした。4速では150㎞以上出なかったのに2速では160㎞まで引っ張れた謎の車でしたねぇ…後でリミッターが利いていたと知りました。4ドア車でもクーペに負けない楽しい車でしたよ。
とても懐かしく拝見させていぢきました。スカイライン50勝阻止のレース見にいってました。ワークスマツダはあの頃は力入ってましたね。片山さんが載るグリーンとイエローのRx3はダントツに速く今も忘れる事はないです。神戸の木の実レーシングから始まり長いロータリーエンジン開発に人生をかけた片山ありがとうごさいました。片山さんまだロータリーは健在ですよ❗夢をありがとうごさいました。
子供の頃近所の大工の兄さんがRX3乗ってたんだよね。 その頃スーパーカーブームだったんだけど、ワイは兄さんのRX3が大好きでいつも見に行ってわ。
日本名サバンナ、2台乗り継ぎました。
最初は10AのGSⅡ、2台目に12AのGT。
確かに直線では速かったが、ガソリンとオイルが減るのも早かったですw
RX-3ですか、小学生の頃親父の愛車でしたが「高速道路で負けたことない」って自慢してましたね、
燃費の悪さとオイルの減りも最悪だったらしいですが😅
スカイラインGTRよか安価で互角の速さで人気でしたが、
今ではGTRよか入手出来ない車ですね。
サバンナはスカイラインの連勝を阻止したとよく解説されていますが、諸説あるものの、連勝を止めたのはミスタール・マンの寺田さんが駆るカペラとも言われていますな。寺田さん本人が「俺が止めたんだ!」と言っていました。
確かハコスカは71年頃からワークスが縮小していて寺田さんが勝ったレースもプライベーターメインだったはずです、あの連勝記録はワークスありきで編集されてるようですので当時幾つかあった地方のサーキットだったらファミリアにも負けたレースがあるはずです。
止めたって話は、マツダチームをアシストして勝たせたって事ですね。
例の72年のマスターズ、71年の50連勝は武智さんサバンナ、72年増田さんカペラに阻止されています。
これで、故意にぶつけた武智さん、二度とワークスGTR最後のレースだった元さんに顔向け出来ない状態になったらしいですね。
アクセルベタ踏みで背中がバックシートに押し付けられる感覚はRX3が一番でした。当時私はケンメリに乗ってましたが、友人のサバンナを羨ましく思ったものです。
私の父親がサバンナではありませんでしたが兄弟車のグランドファミリアクーペGFに乗っていたのを憶えています。
今から40年前にRX-3に乗ってました。エアコンもパワステも無い車でしたが、パワーだけは有って乗りやすかったですね。
私が修理工だった40年前、引き取り車にRX-3が有り社長から1日だけお借りした
キャブはウェーバーで電磁ポンプを2個着けていた
3速チェンジ迄太いタイヤが泣いていました
懐かしいサバンナもう一度試乗してみたいです
義理の伯母が45年前に乗っていました。伯母は国道をいつもスピード出して助手席でいつもヒヤヒヤした思い出があります(笑)男勝りで美人で仕事はダンプ運転手で今考えれば凄いですよね!あれから半世紀経ちました。とても記憶に残っている車です。
余談ですが当時後に鉄人と称された某プロ野球選手がまだ若手なのにフォードの某車を買って注意され買い直したのはいいけど、ソレがハコスカGTで球団側からまたも「ウチの親会社に不義理する気か?!」とお叱りされたエピソードがあったそうです😂
ロータリー専用車の先駆けとんがったデザインはマツダにしては売れました街道レーサーのベースに使われほとんど残ってない、ワゴンまで出して頑張っていた。
大学生の時、友人から借りたRX-3で全線開通前の東北道をぶっ飛ばしていたら、その加速の凄さと共に燃料が減るのがメーターで視認できたのを思い出しました。
大学時代、友人のサバンナに乗せてもらったことがあったけど、加速はまさに「シートに沈み込む」勢いを体感しておったまげたものです。
マツダは技術者の情熱を感じられるいい車を作っていて、いいメーカーだったんですけど、市場ニーズとのアンマッチングや販売の弱さがネックでしたね。東洋工業時代が懐かしいです。
サバンナRX3の名手は片山義美氏を筆頭に実弟の従野孝司氏、寺田陽次朗氏、増田建基氏、岡本安広氏、白鳥哲次氏、武智俊憲氏、関谷正徳氏、猪原理氏、中嶋悟氏と枚挙に暇がありません。
彼らを育てたマシンがサバンナRX3でありロータリーエンジンだと言っても過言ではないでしょうね。
そうですね、本当にこの車で育ったレジェンドドライバーは多かった。
もう普通の中古屋には流れねえだろこんな伝説級の車
鉄板がもろかったからもう土に帰ってる固体が多いでしょうね
マツダサバンナRX3ですね。日産スカイラインの50連勝阻止したレジェンドカ一ですね。私はマツダサバンナRX3のデザインが大好きですね。ク一ペとセダンと後グランドファミリアがあるんです。このサバンナク一ペサバンナセダングランドファミリアのデザインが大好きです。ちなみにチャンネル登録しました。よろしくお願いいたします。
以前乗っていたコスモ13Bエンジンでしたが9.8km/Lは走りました。高速道路では負けたことありません。でもアコードは早かったですね。
友達が所有してる。カッコいいですよ!
運転させてもらったけど熱くなりますね~アクセルベタ踏みしたくなる(笑)
今の広島大学郊外校舎が造成される前に、たくさんのマツダ車が積み上げられて捨ててありました。新車ですよ。
デザインは今以上にがんばってましたね。
CADもプリンターもコンピューターも殆どなかった時代ですからね。
マルイの族シリーズのサバンナ良かったな600円だったかな
良い車でしたね。
よく見るとグリルの型が今のマツダ車と同じなのね。
大昔茅ヶ崎ゼロヨンで最速を誇っていたRX-3、ペリポートにチューニングされてアイドリング全く安定しないマシン…走らせると無敵でした
何年前ですか?茅ヶ崎でもゼロヨンやってたんですね、もしかして90年頃厚木にも来てたRX3と一緒かも。
昔昔先輩が乗っていた、燃費はリッター2㎞とか3㎞とか言ってたな。アクセルの空吹かしをしていると燃料計の針が動く(減る)って言ってたな。
かっこいいの一言。親父が自分が産まれる前に乗っていましたね。
FC3S FD3Sと言うなら
初代RX7も SA22Cと説明して欲しかった
破壊も早かったよね探偵物語やマッドポリスで
ちょい前に圏央道でrx-3の群れを見ましたw 中身は、オッサンが多かったが、カッコよかった。
昔自分の親が前後スポイラーバフェンつけて乗ってましたがよく警察に停められてましたwww
今見てもスゴい存在感😱
40年チョイ前かな マツダ本社で 車の移動のアルバイトをしてました。
RX3 なぜかたまにありました・・当時RX7の時代でした。
RX3 数回乗りました・・今で思うに かっこよすぎ。
RX7の輸出仕様 2シーターでトルクが太いなと・・噂では 13Bが 乗ってるとか・・アウトバーン仕様と言ってました?
グラファン レシプロですが よくまわるエンジン・・
マツダ 当時から 安全面 考えてましたね・・フロントガラス 今は あたりまえですが 合わせガラス(他社焼きガラス?)・・ぶつかれば へこむボデイなどと?
片山が二輪に専念していた時代にマツダから話があった時に四輪に興味は薄く絶対に契約出来ないであろう金額を吹っ掛けたら、その金額でOKが出て断れなくなったそうな。
ちなみにサバンナですがルマン出場以前にマツダオート東京がRX3ベースの251というシルエットフォーミュラ規格のマシンを制作していて、これが後の252から始まるルマン挑戦シリーズの祖となってます。(ロータリーエンジンとしては74年のシグマMC74ですが)
70年にフランスのプライベーターがシェブロンに10Aの組み合わせで参戦してたそうです。
@@maruhiroya417 知ってます。マツダからの支援はありますがスポット参戦で後のマツダオート東京→マツダスピードの流れとは違う物として扱うのが通常だと思います。ちなみに「栄光のルマン」で実車を見れますよ。
子供の頃、片山ワークス仕様のプラモ作ってました。
従兄がRX3に乗ってたので好きでしたね。
他に、童友社より1/24スケールも発売された。
RX3と言えば特攻の拓の萌子さん
現在一台だけカー〇ンサーに載っています。
グレードの表記はありませんが12Aの車体ですね。
rx-3欲しいけど絶対売ってないんよの、、、、
やっぱりマツダのデザインはカッコイイねー。
私は「カペラ」が好きです、バンダイの1/20も組み立てた。
富士のヘアピン名物、片山義美氏の片輪走行。実弟従野孝司氏を隣に乗せて、そのテクニックを直伝。ロールバーに肩を当てたりして、アンダー殺しなどを実演したが、弟から「兄貴、そんなこと俺出来んわ。」と、呆れられた。
従野さんと言えばカープカラーのマーチ76Sを思い出す。
そんな逸話があったんですね、凄い。👍
車世界のいぶし銀登場
ロータリーは燃費が悪いと言われたが、排気量や、馬力など考えると、なにか、レシプロ側のヘイトやネガティブキャンペーン的な気もするな。
上には上がいたようで、81年の鈴鹿1000kmではポルシェ935の方が燃費が悪くそこに付け込んであわや番狂わせという展開の末にRX-7が2位入賞。
当時のレギュレーションを誰か伝えて下さい!
REは自動車税が、エンジンに何もしてなくも倍に換算され、レースでは2.2倍に換算されたのです!ボアアップなどしていませんでした! もっとも排気量を変えるには大変難しいエンジンでした事理解してください。
足回りの分、ハンドリングはカペラの方が良かった。ただサバンナは軽さが武器になった。レースでも寺田陽次郎がカペラを好んだのに対して片山義美はサバンナばかり乗っている。
そんな事ないですよ、富士などでは、片山さんも好んで4リンクのカペラ乗ってましたが、寄野さん考案のサバンナに4リンク改造したワットリンク付きになって軽量なサバンナで戦ってました。
@@loyalsniper
二人のインタビューを読み比べると、カペラへの評価がはっきり分かれるんですよ。寺田がカペラは脚回りがよくて一番好きだったと語っているのに対して、片山はカペラは重くてダメだとハッキリ言ってますから。
ロータリーを実際に運転していた48年前に❤戻って見たいですね~👍️ロータリーエンジン最高で~す
チャンネル名に偽り有り
この車が活躍したのは70年代じゃないか
映画「ヘアピン・サーカス」でトヨタ2000GTに勝った車
何年か前まで近所の畑で草ヒロしてましたね〜😳サバンナ
ロータリーを乗せたロードペーサーの照会がないね。
カペラの姉妹車として販売されて、当時、三菱GTOと人気の有った!オイルの減りも早かったなw
初代サバンナはカペラじゃなくて、グランドファミリアが姉妹車でした。
@@平田信也-d7g 勘違いしていたか!ファミリアの方だったのかw
ノーマル同士ではハコスカGT-RよりもギャランGTO後期の2Lの方が速かったとも聞きますな。(・ε・` )
0-400で15.6秒は早いタイムだよね。例えば1986モデルのホンダアコード2.0が16.0秒
ホンダプレリュード2.0SIが15.7秒だったと思うので。
savannaGTあの頃セリカLBがアッハハですよねん…思います。
負かしたはずのハコスカGTRに比べてイマイチ伝説的な評価や現在の旧車人気が劣るのがねえ。。やっぱあの当時の直後のオイルショックとロータリー必然の燃費の悪さとかが、タイミング的にサバンナの立ち位置に悪影響あったのが不幸だったかなあ・・
近所にサバンナGTが何十年も、
月極駐車場にずっと放置しています。動かないと思います。
7000円も毎月払っているようです。
1972年富士マスターズは、新進サバンナに時代遅れのモンスターGT-Rがどう戦うのかが注目された。それでも軽量大排気量REにガンさんはハンデを跳ね返し互角に渡り合った。
まあ今みたいにバラストもリストリクターもない時代だっからね、 実際にはエンジンは日産有利でしたよ。
ツインカム、4バルブの規定がなかったので決勝1万回転まで回してました。
72年のマスターズは武智サバンナが故意に元さんにぶつけた事で潰されてしまいましたが。
自分の中のイメージですが(良い意味で)ハコスカが悪の華、サバンナは極悪の華って感じ
今でもサバンナの新車発表会での客とセールスのやり取りを思い出す、コロナのツードアの「客」ああ失敗したこのサバンナにすれば良かった「マツダの謙虚なセールス」いえいえコロナはコロナで良さがありますよ。それを傍で聞いていた自分は(断然サバンナだ)と思った。(燃費を考えるとマツダのセールスの言うのが正論だった?)今を去る事ウン十年前の思い出です。
直観サバンナ! 2022.11.22 22:07
MAZDAの創成期頃のレーサーがルマン優勝にも大いに関わっていたないて全く知りませんでした(お名前は存じていたけど)MAZDAって走り屋のイメージ強いけどずっと往年のレーサーと契約関係だったなんて良い話し…教科書に載せたい😃
寺田さんも成し得なかった日本人初のル•マン制覇を成し遂げた関谷さんも元々は静岡マツダのディーラーマンでしたね、「ロータリーメインのマツダではフォーミュラに乗れない」という理由で退社→渡欧→トヨタ
@@maruhiroya417
関谷さんは元マツダの社員さん…驚き😃情報ありがとう
@@三浦良之-b3n
静マツサバンナで検索したら当時の写真があるかもしれないですね。
@@maruhiroya417静マツには写真出てないです。当時はスポーツコーナーとしてスポーツパーツ販売していましたが、94年にdoエンジニアリングで白鳥氏が引きいて独立されました。
現在はマツダスピードの田知本さんが99から引きついでます。
私の親戚のお兄さんがサバンナに乗ってましたね、
徳大寺有恒大先生の間違いだらけのクルマ選びで酷評されてたなぁ…
先生が一番間違えているww
あの本こそ間違いだらけ
庶民に手が届かないメルセデス・ベンツは、どんなモデルでも手放しで称賛するのに終始した。
とりあえず国産車を蔑めて欧州車を褒めて本が売れる
@@西野ま-くん
だって徳さんは元ヨタですからwww
イイ(・∀・)
狼の皮をかぶった 羊。
🙂
サバンナの12Aはレシプロ換算2292㏄。いわばワンクラス上。GT-Rに勝って当たり前だと思う。
@@starhamu6376 レギュレーションって知ってる?
@@starhamu6376 あ~やっぱり知らないんだ~
REはレースでは二倍換算なんですよ~
@@starhamu6376 だれがレギュレーションに通ってないと言ったんですか?
私はただレースではREは二倍換算だと言っただけですが
@@starhamu6376 同じカテゴリーで排気量が違う事もありますが?
1500㏄~2000㏄で1800と2000が戦う事もありますが?知らないの?
FIA規定ではRE換算573✕2✕2ですね。ただしREの吸気ポート拡大が許されなかったんですよね・・・GT-R現役時代は
この頃からRE虐めが始まってたんですね(嘘) アレ?全部消してる?
50連勝を止めたったって、サバンナGTはボアアップしたレシプロ換算2,292㏄。
逆にそうでもしなきゃ1,989㏄のGT-Rに勝てなかったて事だろ?
GT-RがL28積んでりゃ負けなかったよ。
当時まだ28は無かったですが、s20を2200にアップしたエンジンとL24はテストせれてましたが、結果速くなかったデータがありました。
@@loyalsniper 性能差で勝てないから、ぶつける作戦ですか?
GT-Rを追い落とした正に名車!何故正当な評価をされない?俺は後期型が好き何だけどなぁ〜(-_-;)
これのバンは?ww親父がこの車のあとにコスモまで。
5台くらいバン登録されたみたいですね。
大阪の叔父が乗っていました。