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当動画でのSLの数詞は過去動画の電機と合わせるため「台」で統一しています。理由は以下を参照下さい。(↓動画3:33あたり)th-cam.com/video/XoIdpA6FrMQ/w-d-xo.html
私の祖父は機関士でした。8620、C11、C58などに乗務していたそうです。残念ながら私が幼少の頃に他界したので、蒸気機関車の話を聞かせてもらったことは殆どありません。
岩見沢に居るB20、その昔は岩見沢市街地の公園に保存されていたのですが、いつの間にか旧万字線の朝日駅跡に移設されていました。岩見沢出身のボクとしては、市街地の公園に保存されていたときに、よく遊び相手になってもらってました。
現在c108は検査終わりで分解されたまま側線と新金谷車両区に別れて置かれています
C108はラサ工業の専用線がDL化後も車庫で解体せず保管…その後観光用で活用…その後大井川へ譲渡と運命的とも言えるかも…今の現存の車両も
ランキングだけでなく解説も細かく良い動画でした。
大井川鉄道で走っている『C10型8号』は、本当に貴重なSLだと思います。C11型の原型にして、大正から続いた工法を用いた経緯のあるタンク機関車であり、少数ながら1台だけ残っているゆえ、とても貴重なものです。個人的には鉄道重要文化財に指定するべきだと思いました。E10型はどちらかというと、峠越え向けに製造された、ある意味特殊な用途しか使われなかったSLですね。昭和30年代前半の北陸本線は当時、米原~田村間だけが電化されておらず、その区間だけ一時期はE10が活躍していたのを鉄道雑誌で見たことがあります。そして、昭和33年に電化されると、やはり早くもE10は消滅してしまいましたね。比較的新しい形式とはいえ、旧信越本線の横軽で活躍していたアプト式鉄道よりでさえ早く消滅してしまったようですね。
いつも動画見させてもらってます!B50にB10、C13は初めて聞きました… 個人的にはC54がカッコよくて大好きです!あの前に飛び出した給水温め器がたまらんのや〜w
C54のC53みたいに広いキャブ、2つに別れたドームと砂箱、それに対して新時代の機関車みたいなスマートな前面周りの形状。マニアからは新時代と旧時代のフュージョンなんて言われてますね。ただ空転癖が…いや、ナンデモナイアルヨ?
シロクイチって思ってたよりも貴重だったのか……試運転してるところを何年か前に数回見たが流石の迫力だった。
C62とはほぼ同時期デビューの兄弟マシンでしょうね。昔日豊線でも見ましたが、ダッシュ力はかなりありましたよ。一度だけC61牽引の旧客に乗りましたが、普通の電車と変わらない位の加速度でした。当時はまだまだ整備が十分だったんでしょうね。
C61はD51のボイラーにC57の足回りをつけて従台車を2軸にしたもので戦後のGHQ管理下の新製車両の製造を制限されていた時に改造名義で生産されました。貨物用機関車が戦時中は重要でたくさん作られましたが戦後は旅客用機関車が必要となりこういう改造が多数発生しました。ただし改造というもののボイラーこそ流用したもののほとんど新製で、後にボイラーも載せ替えられたものがあります。ちなみにC62は、D52のボイラーにC59の足回りを付けて従台車を2軸にしたものです。
GHQがいなけりゃ見れなかった機関車だよ!あと、幻の機関車に設計図だけ存在して実物は作られなかったC63 ( JR郡山駅に展示、毎年開成山公園を蒸気で走る! )がありますね
@@ジードォ確か余ってるD51のボイラーとC57の足回り(C62はD52のボイラーとC59の足回り)を使って作れば?と言ったのはGHQじゃないかという説もあったような
京都に住んでいた時、B20 復元プロジェクトというのに参加したことがありました。完成記念イベントに行ったとき、職員の人に「これでスチーム号引いたら面白いですね」と言ったら、「ブレーキ管がないので出来ない」とのことでした。岩見沢の方はブレーキ管がみえますね。こういう改造をすればスチーム号の牽引機になったのかなぁ・・・。
何も知らずに青梅の鉄道公園に行ってE形式の蒸気機関車があって吃驚した思い出。
青梅のE10関東に住んでいた時に観に行きました。また機会が有ったら会いに行きたい。
「C52」は、一時期、『セノハチ』で後補機として働いていました。
私の家の近所にはB10の改造元の5500形機関車(東武40号機関車)の静態保存車があるのでこの動画で珍しい機関車と言われていて少し嬉しくなりました。
この他に5300形から改造された960形と6270形から改造された1070形がありましたね。960形は977号(旧5307)のナンバープレートのみが保存ですが、1070形は1080号(旧6289)が京都の鉄道博物館に保存されています。
5:04 C54形は軽量化を限界ギリギリまで設計したことが仇となって空転が多発し、強度不足が問題となったため不評な機関車でしたか、日本で初めてデフレクターが付けられた蒸気機関車でもあります。
初めて積極的に溶接構造を取り入れた機関車でもあったのでは?
@@鉄道模型大好きおじさんC55形機関車が最初だったと思います。
今から50年前ですが、日豊本線を走るC61をよく見ました。まだSLも併用が通常の時代でしたから都心をはしる103系電車と存在感は同じくらいに均衡していました。営業客車も牽引していましたが、たまに宮崎県側から、整備済みの20系夜行列車を、西鹿児島駅へ牽引していく姿も見ました。図らずも、SL時代の夜行列車の姿を再現しているかの風景でした。
日豊本線といえばC55やC57も活躍していたのでは?確かC57は1次形から4次形まで揃ってたそうですね。私は54歳、一応蒸気機関車現役時代を知る最後の世代なんですが、残念ながら殆ど覚えてません。幼少の頃に父親の田舎でC11やC58、8620などを見ていた筈なんですが…
@@鉄道模型大好きおじさん 殿ご返信ありがとうございます。まあ、バカの一つ覚えみたいですが、確かにC57が24系客車を、まるで今の快速電車的な、爽快なハシリをしてたのも思い出しました。ただその他の形式には、目を配っていなかったと思います。他にはDFのディーゼル機関車もまだ現役でした。なぜか時々、トンネル内部の点検をする車両を、一両のみ牽引しているのも見たことがあります。
このマイナーな機関車のうち、B10、B20、B50以外はマイクロエースからNゲージで模型化されているという出来はともかく、痒い所に手が届くメーカーですな
まさかC52まで製品化するとは思いませんでした。確かNゲージでC52は後にも先にもマイクロ製品しかない筈です。
マイクロエースは壊れたり走らなくなったりしやすいがわりとSLは走ってくれたりします。文句言いながら結構買ってます。あとからやっぱり買っておけば良かったなぁって思うのもあります。汽車会社製造のC62、ワールド工芸はあるそうですが、普通にカトーなどからは出してないので発売してもらいたいところです。ゆうづる牽引機がもしやと思ってみたら汽車会社ではなかったです。これがないと銀河鉄道999の48号機が出来ません。
E10はDD50共々最終的には米原~田村の交直デッドセクションで運用され、普通列車から急行迄幅広く使われましたね。更にこの米原~田村はED30とか珍車両が短期間ではあるものの使用されてた歴史あるから、面白いですよね~
D61は国鉄最後の蒸気機関車の新形式、E10は国鉄最後の新造蒸気機関車、なので幸運にも保存されているんだろうなあ。
マイナーながらもいろいろなSLがあったのですね。SLはロマンですね
B20ちっちゃくてかわいい! 大型のSLもロマンだけど、極限まで小さいSLもまたロマンですよね。
D62の紹介BGMが「元祖ヤマトのテーマ」に噴いたw。C54は後のDD54と活躍エリアが被っていた(山陰線福知山近隣・播但線など)のも悲劇感を増してるんだよな
D51が1000両以上も作られたのに、改造されてC61やD62になった数は少ないのですね。意外でした。
その頃にはもう、電化やディーゼル化が進んでいたのも原因でしょうね。
C54が好きなのでキャプションがボカシ入っててもうれしいですw
C52、D62、D52、C54、E10現役で走ってるの見てみたかったなぁ特にC52とE10走ってるところ見たかった
筑豊本線の直方市出身者として黙々と石炭輸送に携わっていた9600(キューロク)D50(デゴマル) D60(デロクマル)達の姿は一生忘れない…旅客担当のC11やC55も❗
素敵でした(^^ とても蒸機機関車愛を感じます。D62のところでBGMが宇宙戦艦ヤマトになって、アメリカのビッグ蒸機のイメージが♪
留萌の公園で保存されているD61を見たことがあります。最初はデゴイチだと思っていましたが、留萌地区でしか見られなかったSLと知って貴重なものを見れた気分です。
1号機は当初、本州でも使用されたことがあるそうです。直ぐに北海道に移動したそうですが。
留萌本線(留萌〜増毛間は廃止)、羽幌線(既に全区間廃止)のみで使用された機関車ですので時間を作ってでも見たいですね。
@@特急日本海-m3n さん留萌本線は、なかなか時間を作らないと全線乗り鉄できないです。というよりも、来年以降 自治体とおそらくバス🚌転換に向けて、本格協議が始まります。早めに乗っておかないと取り返しがつかなくなるかもしれません‥‥。残念ですが💦
@@y--sizuki さん留萌本線についてですが、かつてSL[すずらん]が運転されていた頃に、現在は廃止されてしまった留萌〜増毛間についても乗り鉄しました。D61の保存場所と列車の時間の都合上、見に行けませんでした。深川〜留萌間が存続している間に訪問したいですが、駄目なら車を使用する以外に選択肢が無くなるでしょうね。
D62はSL保存事業が始まった当時まだ残っていたのに、D52からの改造機だからと積極的に保存対象に推す声が無かったそうで惜しい…。保存機巡りもしばらく行ってませんが、秋には出張ついでに青梅に寄りたいです。
東海道線や山陽線など第一線で活躍した機関車なのに、冷遇されてますよね。改造機が駄目と言うなら、C61やC62も駄目と言うことになるので矛盾してますね。個人的にはD62が、親戚にあたるC62やD52と並んで保存されてるのを見たかったです。
(高額ですが)HOゲージで模型も存在するのに…可哀想ですね
Nゲージもマイクロエースのがありますね😃
もったいない
@@鉄道模型大好きおじさん 幹線用からローカル用へ格下げしたからかな?
☆ C54はネコ・パブリッシングから出ている「RM Library」の54号で特集されています。この形式の最大の悲劇である播但線事故の生々しい記録もありました。
計画蒸気機関車は作られた機関車以上にかなりのマイナーだと思うので紹介してほしいです
10:52 免れてを本来の「まぬかれて」と呼んでるのポイント高い(重箱の隅)
D61の1号機は改造後最初の配置は中津川区だったと聞いたような1号機だけは極短期間本州で使われてたんですね
1号機だけが浜松工場の改造で中津川区に配置ですが実質は稲沢区で半年間使用された後に北海道へ渡ったようですね。他の5両は郡山工場で改造されそのまま北海道へ渡っています。
梅小路のC61 2は脱線事故から約3年経ってますが、未だに修理されておらず実質静態保存です。
あらためて大井川鉄道の偉大さを感じます。
そうだよね。ただ、保存しているSLは、どれも本当に替えの効かない貴重なもの‥‥考えてもしょうがないけど、トーマスに頼らなくても経営が赤字から脱却できれば、ヒロとかパーシーに見てくれが変わってしまった貴重な静態保存釜を元の姿に戻してほしい! (わりと切実)ナショナルトラスト所有だったC12の動態復元にカ●カ◯知事が補助金上げればいいのに……鉄道自体が、嫌いなのかな??
昭和50年頃から動態保存やってますね。当時はまだ、やまぐち号もなく日本で営業運転で乗れるのは大井川鐵道のみでした。母の弟の家族と一緒に連れて行ってもらった思い出があります。当時はC11227のみ。千頭から一駅の川根両国(うろ覚え)に2107号機(これも違うかも)が走っていたと思います。いっとき映画やドラマに出てくるSLといえば皆大井川鐵道に。
@@y--sizuki スウカア
@@y--sizuki かさかかいきさいさあしないあ
毛皮
長野県長野市豊野にある9600形は、台風被害でなくなったと聞いていましたが、今現在まだ健在でした。別に保存してあった連結機器だけが多分なくなっただけだと思います。私の勘違いでした💦
播但線でC55が入る前にC51と一緒に走ってたC54の思い出が有るよ、生野トンネルで事故した悲劇の釜だったけど
播但線といえばDD54の最後の仕事場でもありましたね。
現役のD61を見られた事は幸運だと今でも思っています。(D61-2はD51-555ゾロ目の改造、種車もレア)
仕事で留萌に行くようになってD61の存在を知りました。留萌駅からまっすぐ山に向かった方角にある見晴公園に静態保存されていて、近くで見ると恐怖を感じるくらい大きいです。おそらく、羽幌線が廃線になる前に見られてるのでしょうね。うらやましいです。
@@rinowru さん、まだ幼少の頃ですが、ナンバープレートの字数が少なく何かD51と違和感がるのでD61と気付きました。(子供はこういう事に気付く。)
D61型は留萌本線、羽幌線のみで使用された機関車ですから貴重な経験になりますね。
@@特急日本海-m3n さん、その事を知ったのはずーと後の事でした。
D61、1号機は短期間ですが本州でも使われたそうですよ。直ぐに北海道に移動したそうですが。
C52、アメリカンな雰囲気だなと思ったらやっぱりアルコ社製だった。
C10 8は数年前某アイドルユニットのファンクラブツアーで乗りました。(オハ35に乗車)なのでマイクロエースのこの車両、予約して買いましたよ。
C61 20は群馬県以外では東北本線、水郡線、奥羽本線の試運転列車の撮影に行きました。C10 8は現在は整備中ですが、大井川鐵道で形式入りプレート装着、通常プレート装着、ラサ工業での現役時代仕様と色々撮影しました。青梅鉄道公園がまだ入場料無料の頃と梅小路蒸気機関車館の時代に動画で紹介されている機関車は見て来ました。静態保存機のD61型をまだ見ていないので何処かで見に行きたいです。
コロナウイルスの脅威が収まったら、青梅鉄道公園、梅小路蒸気機関車館、碓井鉄道文化村等に行って来たいと思ってます。青梅鉄道公園内のSLで動態保存してもらいたいのは、自分的にはE10形です。
長野県内も結構SL保存多くあります。大半はD51が多いです。マイナーな保存SLとしては、豊野町にあった9600形がありましたが、去年の台風の洪水被害にあってなくなってしまいました。あとは、飯山駅前近くの公園と野辺山にあるC56かな?
そう言えば、型式番号54の呪いに当てはまらないのって、キハ54ぐらいですかね…。ただし、国鉄分割民営化決定後に導入されたので、国鉄の車両だった期間は、非常に短いけど😅
国電クモハ54型もお忘れなく
旧客グリーン車🍀の「スロ54」もありましたね。リクライニングシートを装備した「特ロ」の中で唯一冷房化された形式。
D61が増えなかった理由は動画に出たもの以外に軸重が減り、扱い方が難しくなったという理由もあるみたいです。(ちなみにD61の鉄道模型を所有しており、D51と重連運転させています)
デンデンさんの解説好きだわ。
ドマイナーなバークシャーD62や前照灯つらら切りがキュートなD61が出てきたので大変満足!個人的にはC53が1位ですかね〜国産3シリンダーの急客機、唯一残る45号機は事故車だったりしながらも梅小路に残ってるのは奇跡!……しかしこうして見ると、どの機関車も正に『奇跡的に』残ってたのがよく分かります。
私もC53が一番好きです。残念ながら走行しているところを見たことはありませんが。D62は東海道線や山陽線でも使われてましたから、一概にマイナーとも言えないのでは?D51やD52の影に隠れて、あまり目立たなかったのは間違いないのでしょうけど。個人的にドマイナーな蒸気機関車はC52だと思います。何しろ鉄道ファンでさえ、知らないという人が多いですからね。模型でも製品化に恵まれず、Nゲージだとマイクロエースからしか出てません。
@@鉄道模型大好きおじさん 返信ありがとうございます。確かに国鉄蒸機最終期に登場したD62は、見てる人はもちろん乗務された方がまだ存命されているでしょうから、レア度はC52になるやも知れませんね……。個人的には瀬野八改造前の8200形の姿がアルコらしさ溢れてて大好きです!
京都鉄道博物館のB20は日南線でのSLさよなら運転でB20+C55+C11+8620+旧客の編成で走った筈
実際に見た訳ではなく、TVでその映像を見て知りましたが、これが最初で最後の本線運転だったみたいです。
千葉の公園によくあるNUS2型というSLも少なかった気がしますね。
いつかc62唯一の動態保存機 スワローエンゼルをお願いします、c62 重連急行ニセコの64dendenさん解説.verも見てみたいです!
日本で保存されているレアな蒸気機関車を紹介して欲しいです!
リクエストなんですけど、電気機関車シリーズとディーゼル機関車シリーズとを気動車シリーズと電車シリーズと客車シリーズをやってほしいです!
お?新シリーズですかな?日本にはこれだけのSLがいるというのがよく分かりますね。経緯は色々ですがやっぱり格好いいですね。
お久しぶりです!うぽつです!
やはり勾配用に作られたE10板谷峠に老朽化した4110に変わって投入する予定だったが、直流電化されて行き場を失った。そして北陸本線の米原~田村間の交直デットセクションで活躍した。勾配用なので基本的にバック運転しか出来ない。
コロナ前の高崎公開でC6120にゆうづるヘッドマーク装着で展示されたのは忘れない
B50、初めて見たけど、日本のエドワードって感じ‼︎
E10について。戦後板谷峠の電化工事が始まったが、もし工事が予定通り終わらなかった場合に老朽化している4110だけでは奥羽本線がダウンしてしまう恐れがある為、敢えて製造した。電化完成後は他の路線で使用する計画だった。予定では10両製造予定だったが予算不足で5両に削減。廃車が鉄道開業90周年だったので運良く保存された。100周年は関係ない。
折角、最近留萌本線に乗りにいったのに、リサーチせずに行ってはD-61 3が、留萌市内の公園にあるのわかっていたらタクシー出して見に行けば良かったです‥‥😱
レアSL見たいなら、坂道登って青梅鉄道公園に行け!!!
あと京都鉄道博物館も忘れるな!!!
そんなとこより大鐵やろ
@@internationaleldorado1532 えぇ…
@@愛好家いずもとコッペルのことでしょ(適当)
やまぐち号のC571はATSなどついてないからまじで「素」に近いSL
国鉄時代から車籍の抹消履歴が全く無い貴重な機関車ですからね。(D51 200は一旦抹消されましたが、その後車籍復活、他の会社のSLは抹消されていた物をレストアして車籍復活になります)
静態保存されてる機関車も倉庫や屋根付きで厳重保管されてるのはほんの一部、老朽化で解体待ったなしもあるので今のうちに見に行くことオススメしますよ。
嵐山のD51 51号機も解体されてしまった…
SLはどれも素晴らしいですね。
C52は今はなき交通科学館にナンバープレートが展示されてたような?
ありましたね。
こうやってレアな方のカマ視点で見るとわかるD51の製造数の多さ……。形式規定変更後に製造されたカマの1/4占めてる……。そりゃ日本の蒸気機関車の代名詞になりますわ……。
鉄道ファンでない人など、D51しか知らない人も多いですからね。
撮影に行くとD51 498を待っている訳ではなくてもD51を待っているのか?と聞かれる事が良くあります。蒸気機関車の代名詞である事の証明とも言えますが。
D51は戦時中、一部が大陸でも使われたそうですね。戦後はソ連のサハリンに輸出されてますから、日本人以外でも知ってる人が居るでしょうね。
7100とB20は月に一回くらいターンテーブルにのせて展示する程度には動いているそうです何にせよ国宝級の車両なので無理をさせることは出来ないと整備の方が言っておられました
C54は先輪だけ生き残ってるぞ
E10は高崎で動態保存してもらいたい。真ん中の動輪にフランジが無いとか面白すぎる。
偏見だけどB20好きはロリコン
12系客車を牽引するC61カッコいい(そっちかよ)
個人的にはC61が格好良い。2-C-2の車輪配置いわゆるハドソンは日本ではこの形式とさらに巨体のC62だけ(あとC59改造のC60はあるが)。海外のNゲージの模型でもハドソンは確かドイツの05形しか記憶が無い。同じドイツの名機01形はC59とかと同じ2-C-1のパシフィックだから。
ドイツでハドソン形が少ないのは、日本と比べて軸重面で有利だったのも一因でしょうね。
私もスマートなC61が好きなのですが炭水車が短くてバランスが悪いと思いました。
C61のテンダーが短いのは、D51からの改造機だからでしょうね。
C61が台数が少なかったのは、皆様が言われる様にD51のボイラーを流用しての機関車だけど、D51は亜幹線でも活躍出来るので戦後のGHQからの勧告で「戦時中の貨物用を戦後の旅客用への転用」に対しては少数だったのでは。逆にD52は完全に幹線用なので余剰になり旅客用C62へのボイラー供出、山陽本線姫路電化による東北本線転出の際のD62への改造という運命を辿ったのだろう。
@@鉄道模型大好きおじさん ただマニアックな話題になりますが、ドイツの01形は急行型と言われますので日本では貴婦人C57と対比かと思いきやパワーではC59,C62並、では05形は?というスケール。当時のナチスが威信をかけたという噂もあるから。
簡単に言えば ( Bは知らん! )C61↓GHQの制約により、機関車を新造できなかったためD51のボイラー以外全てを無理やりC形に改造したやつ。C54↓C51同等の機関車を地方路線に入れるため軽くしたやつ。少ない編成を牽く目的だったのに、" なぜか不可解なことに " 重い編成を牽かされ空転多発、機関車のせいじゃないのに責任を押し付けられ、C55開発の犠牲となった被害車。C52↓国産3シリンダー機関車 ( C53 ) を作るためにアルコ社から " 無理やり " 6両だけ ( アメリカでは1ダース注文が基本 ) テンダー無し ( 国産を使用 ) で購入した機関車。分解してじっくりコトコトおいしく研究したはずが、真似したC53は ( まともに走らない ) あの始末。C10 ↓C11からデフを取りリベット溶接したやつD60・D61・D62↓それぞれ種車であるD50・D51・D52のデフを短く切って従輪を2軸に増やし、自動給炭機付けたやつ。E10↓日本のシエラネバダ ( 板谷 ) 越えに開発された国産キャブフォワード、その後無理やり通常のキャブ配置に魔改造されたため、長ボイラーと右運転台という前方視界もクソもない仕様となった。
2:26>6700形の製造年は1911年が正解です。
日本の蒸機って悲壮な運命を背負って生まれた型式多いよな。海外より小さくても渋い格好良さ感じるのはその所為かな。現在生き残ってる車体だけでも末永く活躍して欲しい・・感傷的になるのは歳食ったからなのかな?
呪いの54、気動車では全く発動しないのが凄いジンクス(キハ54はまだほとんど現役…)電車でもモハ54は旧型国電最末期まで残ってたかな
気動車や電車だとむしろ53な気が。キハ53は木次線で崖下に転落し、そのまま埋没処理。モハ53は鶴見事故で大破。
@@蛸焼魚々子さん鶴見事故で大破したのはクモハ53を3扉化したクモハ50(50006)ですね。(改造を受けて工場を出場してから日も経たぬうちに被災したとか…。)50で思い出したけど、SLではC50も1輌も保存されていない不運の型式だし、気動車・客車では「50」も個人的にはヤバい形式では?と思っています。😅①キハ50:10系気動車の一員で国鉄初の2エンジン車だけど、22mという長過ぎる全長が災いして2輌のみの製造に終わり、運用も関西本線のみ。後に片方のエンジンを降ろすと共に荷物室・郵便室を設けてキハユニ17として生まれ変わり、新潟に転じたものの、1964(昭和39)年に発生した新潟地震で2が崩落した陸橋の橋桁に押し潰されて大破・廃車に…😭(1は後に厚狭に転じて美祢線で使われたものの、1980年に廃車)②50系客車(オハ50・オハフ50他)旧型客車の置換え目的で1970年代後半から大量に製造されたものの、1986年の小荷物輸送全廃でマニ50・スユニ50は一部が救援車代用として残った他はほぼ全廃…。😢旅客車のオハ50・オハフ50もJR化後も引き続いた電車化・気動車化で大部分が製造後20年も経たないうちに廃車に…。😭快速「海峡」用に5000番台化されたり、「SLあそBOY」→「SL人吉」用に改造された個体はまだ幸せな部類かもしれませんね。真岡鐵道でC12と共に動態保存されている3輌については1日でも永く活躍して欲しいものです…。
新しめの機関車も良いですが、個人的に古典的なB型機関車が好きですね。車体も大きくないし、床下にも余裕があってスリムな印象がいいです。
Hello from the U.S. great video. Can I suggest a topic on the New Zealand Railway's Ka class 4-8-4 steam locomotives which is also 1067mm. Notably Ka number 949 as well.
b20が出てきたのが嬉しい
3:42D62は「マンモス」と呼ばれていた…
個人的にC62が一番好きです!
2:11神戸臨港線かな?
銀河鉄道999の影響、SLが好きです。
このランキングにおける最下位のデゴイチえぐすぎ
B形機関車なら東武博物館で1両だけ保存されています。
5号機と6号機の2両保存されています。
東武C11 123という国鉄形式と同一ながら一度も国鉄/JR所属歴のないレア度の高い機関車もあります。
0:40芸備鉄道と片上鉄道「C13っと聞いて」
逆に、国内に保存機が多いSL形式とかやって欲しいです
C612号機は、脱線事故以来3年も動いていません。動態保存機とは思えないほど、錆等がひどくなっているそうです。
このまま修理が出来なくなったら、群馬の20号機がC61としても唯一かつ最後の動態機になり、悲しい意味でレア度が上がってしまいますね…
脱線転覆事故や阪神・淡路大震災を乗り越えて、現在も活躍しているC57 1の例もあるので、あまり心配は無いのでは?
@@鉄道模型大好きおじさん C-571貴婦人さんってかなり損傷が、重症と噂で聞いておりますが、58654号機のように台枠が耐用不適とされてしまうのが、怖いですね。日本車輌でまた造って貰うとしても、かけた費用分ペイ出来るのかは、やはりコロナ明けに、稼頭の山陽新幹線に客が戻るかどうかですね❗😖💧
先日梅小路に行きました。屋外の線路に留置してあり、確かにロッドや車輪がひどく錆びておりました。お金や部品の不足で直せないのは仕方ないけど、錆くらいは落としてあげて欲しいなあ
日本は蒸気機関車保存に援助が少ないですからね。欧米などは国をあげて保存活動をしているそうですが…
どこまで時代をさかのぼるかですが保存しようと集めてた古典機が戦時中に供出されてしまったのは残念です。
B20は神だなぁ
私D -51が大好きです。bgmヤマト
レアな蒸機車輌ならば貝島炭鉱で頑張ってたドイツ製のコッペルか?
機関車を数えるときの数詞は「両」の方がいいんじゃなかろうか。「輛」でもいいね
難しいところで最初の方に作った解説動画では「両」で統一していましたが、2両で1台や、6両で1台になる電気機関車の解説動画に「台」を使用して、以後機関車を電機も蒸機も運転される単位を「台」で揃えるようにしています(SLの場合分割することはないですが機関車1両+炭水車1両で蒸機1台のような感じで)
@@64denden それも分かるんだけどね。日本語は難しい。これからも面白い動画を期待しております
@@64denden さん台でも輌でも可みたいですね。流石に1釜2 釜とはならないですがw
そう言えば俺って3年前から最低年1回はslに乗っているんだったなぁ でもこれが故に最低年1回は乗らないと落ち着かなくなって来ている・・・
いや近くに鉄道公園あるからランクインしてんのかな〜程度で見たら堂々の一位取ってて草
一番のレアはスーパーナメクジでは?それはさておき、E10は当初はバック運転主体で設計されたんですね。どうりでそういう写真が多いわけだ。E10といえば4110ですが、こちらは39両も製造されていました。
肥薩線は古い機関車ながら、パワーと地獄の矢岳の急勾配での粘り腰があって、つぶしの利く4110型の評判が良く、再生産してくれまであったとか。旧鹿児島本線だった当時の肥薩線は、幹線並みだったために、D51型が真っ先に入れられますが、横圧がありすぎて線路を破壊されるために保線からは嫌われていました。板谷峠から追い出されたE10型矢岳に投入されたものの、動輪部分の車輪にフランジがないために空転が続出。しかも後ろ向き運転前提のままだったために、ろくな運転も出来なかったそうで、結局線路も強化されたのでD51型でも使えるようになり、人吉の70号機みたいな重装備機が最後まで走ることに。
64という数字は、何か縁があるのですか?
D62が残ってたらその使い勝手の良さから東北の色んな土地を回ってそうな…
D62が早い時期に引退した理由は軸重を軽く出来たものの、元々巨大なD52がベース故に全体の重量が増えて思った程のメリットが得られなかったからになります。
@@特急日本海-m3n そうでしたね…忘れてました…
@@井今智世 やっぱり重油炊きは強かったか…
これを出したら反則だけど、旅客会社では無い、考えようでは tdlのW リバー 鉄道の4輌の重油式 蒸気機関車とかも、充分にレアな車輌かもしれませんね。ちなみに、愛知県蒲郡のこどもの国には、協三工業が新製した小型蒸気機関車B12しおかぜ号が、まだなんとか走っています。鼠の国とは違い、ホンマもんの石炭で走るナローゲージの🚂です! 😆 🎶
C10-8は30年前に宮古で乗りましたね。よく大井川で生き残ったもんだ。機関車よりも沿線風景のガッカリ感と仮設ホームのショボさが最も印象に残ってます。
宮古市の臨港線での運転終了後、処遇に困っていた宮古市にSLの増備を考えていた大井川鐵道が譲渡を打診、宮古市が譲渡を承知して大井川鐵道に移籍、現在に至ります。
当動画でのSLの数詞は過去動画の電機と合わせるため「台」で統一しています。理由は以下を参照下さい。(↓動画3:33あたり)
th-cam.com/video/XoIdpA6FrMQ/w-d-xo.html
私の祖父は機関士でした。
8620、C11、C58などに乗務していたそうです。
残念ながら私が幼少の頃に他界したので、蒸気機関車の話を聞かせてもらったことは殆どありません。
岩見沢に居るB20、その昔は岩見沢市街地の公園に保存されていたのですが、いつの間にか旧万字線の朝日駅跡に移設されていました。
岩見沢出身のボクとしては、市街地の公園に保存されていたときに、よく遊び相手になってもらってました。
現在c108は検査終わりで分解されたまま側線と新金谷車両区に別れて置かれています
C108はラサ工業の
専用線がDL化後も車庫で
解体せず保管…
その後観光用で活用…
その後大井川へ譲渡と
運命的とも言えるかも…
今の現存の車両も
ランキングだけでなく解説も細かく良い動画でした。
大井川鉄道で走っている『C10型8号』は、本当に貴重なSLだと思います。C11型の原型にして、大正から続いた工法を用いた経緯のあるタンク機関車であり、少数ながら1台だけ残っているゆえ、とても貴重なものです。個人的には鉄道重要文化財に指定するべきだと思いました。
E10型はどちらかというと、峠越え向けに製造された、ある意味特殊な用途しか使われなかったSLですね。昭和30年代前半の北陸本線は当時、米原~田村間だけが電化されておらず、その区間だけ一時期はE10が活躍していたのを鉄道雑誌で見たことがあります。そして、昭和33年に電化されると、やはり早くもE10は消滅してしまいましたね。比較的新しい形式とはいえ、旧信越本線の横軽で活躍していたアプト式鉄道よりでさえ早く消滅してしまったようですね。
いつも動画見させてもらってます!
B50にB10、C13は初めて聞きました… 個人的にはC54がカッコよくて大好きです!あの前に飛び出した給水温め器がたまらんのや〜w
C54のC53みたいに広いキャブ、2つに別れたドームと砂箱、それに対して新時代の機関車みたいなスマートな前面周りの形状。マニアからは新時代と旧時代のフュージョンなんて言われてますね。ただ空転癖が…いや、ナンデモナイアルヨ?
シロクイチって思ってたよりも
貴重だったのか……
試運転してるところを何年か前に
数回見たが流石の迫力だった。
C62とはほぼ同時期デビューの兄弟マシンでしょうね。昔日豊線でも見ましたが、ダッシュ力はかなりありましたよ。
一度だけC61牽引の旧客に乗りましたが、普通の電車と変わらない位の加速度でした。
当時はまだまだ整備が十分だったんでしょうね。
C61はD51のボイラーにC57の足回りをつけて従台車を2軸にしたもので戦後のGHQ管理下の新製車両の製造を制限されていた時に改造名義で生産されました。貨物用機関車が戦時中は重要でたくさん作られましたが戦後は旅客用機関車が必要となりこういう改造が多数発生しました。ただし改造というもののボイラーこそ流用したもののほとんど新製で、後にボイラーも載せ替えられたものがあります。
ちなみにC62は、D52のボイラーにC59の足回りを付けて従台車を2軸にしたものです。
GHQがいなけりゃ見れなかった機関車だよ!
あと、幻の機関車に
設計図だけ存在して実物は作られなかったC63 ( JR郡山駅に展示、毎年開成山公園を蒸気で走る! )
がありますね
@@ジードォ確か余ってるD51のボイラーとC57の足回り(C62はD52のボイラーとC59の足回り)を使って作れば?と言ったのはGHQじゃないかという説もあったような
京都に住んでいた時、B20 復元プロジェクトというのに参加したことがありました。完成記念イベントに行ったとき、職員の人に「これでスチーム号引いたら面白いですね」と言ったら、「ブレーキ管がないので出来ない」とのことでした。岩見沢の方はブレーキ管がみえますね。こういう改造をすればスチーム号の牽引機になったのかなぁ・・・。
何も知らずに青梅の鉄道公園に行ってE形式の蒸気機関車があって吃驚した思い出。
青梅のE10関東に住んでいた時に観に行きました。また機会が有ったら会いに行きたい。
「C52」は、一時期、『セノハチ』で後補機として働いていました。
私の家の近所にはB10の改造元の5500形機関車(東武40号機関車)の静態保存車があるのでこの動画で珍しい機関車と言われていて少し嬉しくなりました。
この他に5300形から改造された960形と6270形から改造された1070形がありましたね。
960形は977号(旧5307)のナンバープレートのみが保存ですが、1070形は1080号(旧6289)が京都の鉄道博物館に保存されています。
5:04 C54形は軽量化を限界ギリギリまで設計したことが仇となって空転が多発し、強度不足が問題となったため不評な機関車でしたか、日本で初めてデフレクターが付けられた蒸気機関車でもあります。
初めて積極的に溶接構造を取り入れた機関車でもあったのでは?
@@鉄道模型大好きおじさん
C55形機関車が最初だったと思います。
今から50年前ですが、日豊本線を走るC61をよく見ました。まだSLも併用が通常の時代でしたから
都心をはしる103系電車と存在感は同じくらいに均衡していました。
営業客車も牽引していましたが、たまに宮崎県側から、整備済みの20系夜行列車を、西鹿児島駅へ
牽引していく姿も見ました。図らずも、SL時代の夜行列車の姿を再現しているかの風景でした。
日豊本線といえばC55やC57も活躍していたのでは?
確かC57は1次形から4次形まで揃ってたそうですね。
私は54歳、一応蒸気機関車現役時代を知る最後の世代なんですが、残念ながら殆ど覚えてません。
幼少の頃に父親の田舎でC11やC58、8620などを見ていた筈なんですが…
@@鉄道模型大好きおじさん 殿
ご返信ありがとうございます。まあ、バカの一つ覚えみたいですが、確かにC57が24系客車を、まるで今の快速電車的な、爽快なハシリをしてたのも思い出しました。ただその他の形式には、目を配っていなかったと思います。他にはDFのディーゼル機関車もまだ現役でした。なぜか時々、トンネル内部の点検をする車両を、一両のみ牽引しているのも見たことがあります。
このマイナーな機関車のうち、B10、B20、B50以外はマイクロエースからNゲージで模型化されているという
出来はともかく、痒い所に手が届くメーカーですな
まさかC52まで製品化するとは思いませんでした。
確かNゲージでC52は後にも先にもマイクロ製品しかない筈です。
マイクロエースは壊れたり走らなくなったりしやすいがわりとSLは走ってくれたりします。文句言いながら結構買ってます。あとからやっぱり買っておけば良かったなぁって思うのもあります。
汽車会社製造のC62、ワールド工芸はあるそうですが、普通にカトーなどからは出してないので発売してもらいたいところです。ゆうづる牽引機がもしやと思ってみたら汽車会社ではなかったです。
これがないと銀河鉄道999の48号機が出来ません。
E10はDD50共々最終的には米原~田村の交直デッドセクションで運用され、普通列車から急行迄幅広く使われましたね。
更にこの米原~田村はED30とか珍車両が短期間ではあるものの使用されてた歴史あるから、面白いですよね~
D61は国鉄最後の蒸気機関車の新形式、E10は国鉄最後の新造蒸気機関車、なので幸運にも保存されているんだろうなあ。
マイナーながらもいろいろなSLがあったのですね。SLはロマンですね
B20ちっちゃくてかわいい! 大型のSLもロマンだけど、極限まで小さいSLもまたロマンですよね。
D62の紹介BGMが「元祖ヤマトのテーマ」に噴いたw。C54は後のDD54と活躍エリアが被っていた(山陰線福知山近隣・播但線など)のも悲劇感を増してるんだよな
D51が1000両以上も作られたのに、改造されてC61やD62になった数は少ないのですね。意外でした。
その頃にはもう、電化やディーゼル化が進んでいたのも原因でしょうね。
C54が好きなのでキャプションがボカシ入っててもうれしいですw
C52、D62、D52、C54、E10現役で走ってるの見てみたかったなぁ
特にC52とE10走ってるところ見たかった
筑豊本線の直方市出身者
として黙々と石炭輸送に
携わっていた9600(キューロク)
D50(デゴマル) D60(デロクマル)
達の姿は一生忘れない…
旅客担当のC11やC55も❗
素敵でした(^^ とても蒸機機関車愛を感じます。
D62のところでBGMが宇宙戦艦ヤマトになって、アメリカのビッグ蒸機のイメージが♪
留萌の公園で保存されているD61を見たことがあります。最初はデゴイチだと思っていましたが、留萌地区でしか見られなかったSLと知って貴重なものを見れた気分です。
1号機は当初、本州でも使用されたことがあるそうです。
直ぐに北海道に移動したそうですが。
留萌本線(留萌〜増毛間は廃止)、羽幌線(既に全区間廃止)のみで使用された機関車ですので時間を作ってでも見たいですね。
@@特急日本海-m3n さん
留萌本線は、なかなか時間を作らないと全線乗り鉄できないです。
というよりも、来年以降 自治体とおそらくバス🚌転換に向けて、本格協議が始まります。
早めに乗っておかないと取り返しがつかなくなるかもしれません‥‥。残念ですが💦
@@y--sizuki さん
留萌本線についてですが、かつてSL[すずらん]が運転されていた頃に、現在は廃止されてしまった留萌〜増毛間についても乗り鉄しました。
D61の保存場所と列車の時間の都合上、見に行けませんでした。
深川〜留萌間が存続している間に訪問したいですが、駄目なら車を使用する以外に選択肢が無くなるでしょうね。
D62はSL保存事業が始まった当時まだ残っていたのに、D52からの改造機だからと積極的に保存対象に推す声が無かったそうで惜しい…。保存機巡りもしばらく行ってませんが、秋には出張ついでに青梅に寄りたいです。
東海道線や山陽線など第一線で活躍した機関車なのに、冷遇されてますよね。
改造機が駄目と言うなら、C61やC62も駄目と言うことになるので矛盾してますね。
個人的にはD62が、親戚にあたるC62やD52と並んで保存されてるのを見たかったです。
(高額ですが)HOゲージで模型も存在するのに…可哀想ですね
Nゲージもマイクロエースのがありますね😃
もったいない
@@鉄道模型大好きおじさん
幹線用からローカル用へ格下げしたからかな?
☆ C54はネコ・パブリッシングから出ている「RM Library」の54号で特集されています。この形式の最大の悲劇である播但線事故の生々しい記録もありました。
計画蒸気機関車は作られた機関車以上にかなりのマイナーだと思うので紹介してほしいです
10:52 免れてを本来の「まぬかれて」と呼んでるのポイント高い(重箱の隅)
D61の1号機は改造後最初の配置は中津川区だったと聞いたような
1号機だけは極短期間本州で使われてたんですね
1号機だけが浜松工場の改造で中津川区に配置ですが実質は稲沢区で半年間使用された後に北海道へ渡ったようですね。他の5両は郡山工場で改造されそのまま北海道へ渡っています。
梅小路のC61 2は脱線事故から約3年経ってますが、未だに修理されておらず実質静態保存です。
あらためて大井川鉄道の偉大さを感じます。
そうだよね。
ただ、保存しているSLは、どれも本当に替えの効かない貴重なもの‥‥
考えてもしょうがないけど、
トーマスに頼らなくても経営が赤字から脱却できれば、
ヒロとかパーシーに見てくれが変わってしまった貴重な静態保存釜を元の姿に戻してほしい! (わりと切実)
ナショナルトラスト所有だったC12の動態復元にカ●カ◯知事が補助金上げればいいのに……鉄道自体が、嫌いなのかな??
昭和50年頃から動態保存やってますね。
当時はまだ、やまぐち号もなく日本で営業運転で乗れるのは大井川鐵道のみでした。
母の弟の家族と一緒に連れて行ってもらった思い出があります。
当時はC11227のみ。千頭から一駅の川根両国(うろ覚え)に2107号機(これも違うかも)が走っていたと思います。いっとき映画やドラマに出てくるSLといえば皆大井川鐵道に。
@@y--sizuki スウカア
@@y--sizuki かさかかいきさいさあしないあ
毛皮
長野県長野市豊野にある9600形は、台風被害でなくなったと聞いていましたが、今現在まだ健在でした。別に保存してあった連結機器だけが多分なくなっただけだと思います。私の勘違いでした💦
播但線でC55が入る前にC51と一緒に走ってたC54の思い出が有るよ、生野トンネルで事故した悲劇の釜だったけど
播但線といえばDD54の最後の仕事場でもありましたね。
現役のD61を見られた事は幸運だと今でも思っています。(D61-2はD51-555ゾロ目の改造、種車もレア)
仕事で留萌に行くようになってD61の存在を知りました。留萌駅からまっすぐ山に向かった方角にある見晴公園に静態保存されていて、近くで見ると恐怖を感じるくらい大きいです。
おそらく、羽幌線が廃線になる前に見られてるのでしょうね。うらやましいです。
@@rinowru さん、まだ幼少の頃ですが、ナンバープレートの字数が少なく何
かD51と違和感がるのでD61と気付きました。(子供はこういう事に気付く。)
D61型は留萌本線、羽幌線のみで使用された機関車ですから貴重な経験になりますね。
@@特急日本海-m3n さん、その事を知ったのはずーと後の事でした。
D61、1号機は短期間ですが本州でも使われたそうですよ。
直ぐに北海道に移動したそうですが。
C52、アメリカンな雰囲気だなと思ったらやっぱりアルコ社製だった。
C10 8は数年前某アイドルユニットのファンクラブツアーで乗りました。(オハ35に乗車)
なのでマイクロエースのこの車両、予約して買いましたよ。
C61 20は群馬県以外では東北本線、水郡線、奥羽本線の試運転列車の撮影に行きました。
C10 8は現在は整備中ですが、大井川鐵道で形式入りプレート装着、通常プレート装着、ラサ工業での現役時代仕様と色々撮影しました。
青梅鉄道公園がまだ入場料無料の頃と梅小路蒸気機関車館の時代に動画で紹介されている機関車は見て来ました。
静態保存機のD61型をまだ見ていないので何処かで見に行きたいです。
コロナウイルスの脅威が収まったら、青梅鉄道公園、梅小路蒸気機関車館、碓井鉄道文化村等に行って来たいと思ってます。青梅鉄道公園内のSLで動態保存してもらいたいのは、自分的にはE10形です。
長野県内も結構SL保存多くあります。大半はD51が多いです。マイナーな保存SLとしては、豊野町にあった9600形がありましたが、去年の台風の洪水被害にあってなくなってしまいました。あとは、飯山駅前近くの公園と野辺山にあるC56かな?
そう言えば、型式番号54の呪いに当てはまらないのって、キハ54ぐらいですかね…。
ただし、国鉄分割民営化決定後に導入されたので、国鉄の車両だった期間は、非常に短いけど😅
国電クモハ54型もお忘れなく
旧客グリーン車🍀の「スロ54」もありましたね。
リクライニングシートを装備した「特ロ」の中で唯一冷房化された形式。
D61が増えなかった理由は動画に出たもの以外に軸重が減り、扱い方が難しくなったという理由もあるみたいです。(ちなみにD61の鉄道模型を所有しており、D51と重連運転させています)
デンデンさんの解説好きだわ。
ドマイナーなバークシャーD62や前照灯つらら切りがキュートなD61が出てきたので大変満足!
個人的にはC53が1位ですかね〜
国産3シリンダーの急客機、唯一残る45号機は事故車だったりしながらも梅小路に残ってるのは奇跡!
……しかしこうして見ると、どの機関車も正に『奇跡的に』残ってたのがよく分かります。
私もC53が一番好きです。
残念ながら走行しているところを見たことはありませんが。
D62は東海道線や山陽線でも使われてましたから、一概にマイナーとも言えないのでは?
D51やD52の影に隠れて、あまり目立たなかったのは間違いないのでしょうけど。
個人的にドマイナーな蒸気機関車はC52だと思います。
何しろ鉄道ファンでさえ、知らないという人が多いですからね。
模型でも製品化に恵まれず、Nゲージだとマイクロエースからしか出てません。
@@鉄道模型大好きおじさん
返信ありがとうございます。
確かに国鉄蒸機最終期に登場したD62は、見てる人はもちろん乗務された方がまだ存命されているでしょうから、レア度はC52になるやも知れませんね……。
個人的には瀬野八改造前の8200形の姿がアルコらしさ溢れてて大好きです!
京都鉄道博物館のB20は日南線でのSLさよなら運転でB20+C55+C11+8620+旧客の編成で走った筈
実際に見た訳ではなく、TVでその映像を見て知りましたが、これが最初で最後の本線運転だったみたいです。
千葉の公園によくあるNUS2型というSLも少なかった気がしますね。
いつかc62唯一の動態保存機 スワローエンゼルをお願いします、c62 重連急行ニセコの64dendenさん解説.verも見てみたいです!
日本で保存されているレアな蒸気機関車を紹介して欲しいです!
リクエストなんですけど、電気機関車シリーズとディーゼル機関車シリーズとを気動車シリーズと電車シリーズと客車シリーズをやってほしいです!
お?新シリーズですかな?
日本にはこれだけのSLがいるというのがよく分かりますね。
経緯は色々ですがやっぱり格好いいですね。
お久しぶりです!
うぽつです!
やはり勾配用に作られたE10
板谷峠に老朽化した4110に変わって投入する予定だったが、直流電化されて行き場を失った。そして北陸本線の米原~田村間の交直デットセクションで活躍した。勾配用なので基本的にバック運転しか出来ない。
コロナ前の高崎公開でC6120にゆうづるヘッドマーク装着で展示されたのは忘れない
B50、初めて見たけど、日本のエドワードって感じ‼︎
E10について。戦後板谷峠の電化工事が始まったが、もし工事が予定通り終わらなかった場合に老朽化している4110だけでは奥羽本線がダウンしてしまう恐れがある為、敢えて製造した。電化完成後は他の路線で使用する計画だった。予定では10両製造予定だったが予算不足で5両に削減。廃車が鉄道開業90周年だったので運良く保存された。100周年は関係ない。
折角、最近留萌本線に乗りにいったのに、リサーチせずに行ってはD-61 3が、留萌市内の公園にあるのわかっていたらタクシー出して見に行けば良かったです‥‥😱
レアSL見たいなら、坂道登って青梅鉄道公園に行け!!!
あと京都鉄道博物館も忘れるな!!!
そんなとこより大鐵やろ
@@internationaleldorado1532 えぇ…
@@愛好家
いずもとコッペルのことでしょ(適当)
やまぐち号のC571はATSなどついてないからまじで「素」に近いSL
国鉄時代から車籍の抹消履歴が全く無い貴重な機関車ですからね。
(D51 200は一旦抹消されましたが、その後車籍復活、他の会社のSLは抹消されていた物をレストアして車籍復活になります)
静態保存されてる機関車も倉庫や屋根付きで厳重保管されてるのはほんの一部、老朽化で解体待ったなしもあるので今のうちに見に行くことオススメしますよ。
嵐山のD51 51号機も解体されてしまった…
SLはどれも素晴らしいですね。
C52は今はなき交通科学館にナンバープレートが展示されてたような?
ありましたね。
こうやってレアな方のカマ視点で見るとわかるD51の製造数の多さ……。形式規定変更後に製造されたカマの1/4占めてる……。そりゃ日本の蒸気機関車の代名詞になりますわ……。
鉄道ファンでない人など、D51しか知らない人も多いですからね。
撮影に行くとD51 498を待っている訳ではなくてもD51を待っているのか?と聞かれる事が良くあります。
蒸気機関車の代名詞である事の証明とも言えますが。
D51は戦時中、一部が大陸でも使われたそうですね。
戦後はソ連のサハリンに輸出されてますから、日本人以外でも知ってる人が居るでしょうね。
7100とB20は月に一回くらいターンテーブルにのせて展示する程度には動いているそうです
何にせよ国宝級の車両なので無理をさせることは出来ないと整備の方が言っておられました
C54は先輪だけ生き残ってるぞ
E10は高崎で動態保存してもらいたい。
真ん中の動輪にフランジが無いとか面白すぎる。
偏見だけどB20好きはロリコン
12系客車を牽引する
C61カッコいい(そっちかよ)
個人的にはC61が格好良い。2-C-2の車輪配置いわゆるハドソンは日本ではこの形式とさらに巨体のC62だけ(あとC59改造のC60はあるが)。海外のNゲージの模型でもハドソンは確かドイツの05形しか記憶が無い。同じドイツの名機01形はC59とかと同じ2-C-1のパシフィックだから。
ドイツでハドソン形が少ないのは、日本と比べて軸重面で有利だったのも一因でしょうね。
私もスマートなC61が好きなのですが炭水車が短くてバランスが悪いと思いました。
C61のテンダーが短いのは、D51からの改造機だからでしょうね。
C61が台数が少なかったのは、皆様が言われる様にD51のボイラーを流用しての機関車だけど、D51は亜幹線でも活躍出来るので戦後のGHQからの勧告で「戦時中の貨物用を戦後の旅客用への転用」に対しては少数だったのでは。逆にD52は完全に幹線用なので余剰になり旅客用C62へのボイラー供出、山陽本線姫路電化による東北本線転出の際のD62への改造という運命を辿ったのだろう。
@@鉄道模型大好きおじさん ただマニアックな話題になりますが、ドイツの01形は急行型と言われますので日本では貴婦人C57と対比かと思いきやパワーではC59,C62並、では05形は?というスケール。当時のナチスが威信をかけたという噂もあるから。
簡単に言えば
( Bは知らん! )
C61↓
GHQの制約により、機関車を新造できなかったためD51のボイラー以外全てを無理やりC形に改造したやつ。
C54↓
C51同等の機関車を地方路線に入れるため軽くしたやつ。少ない編成を牽く目的だったのに、" なぜか不可解なことに " 重い編成を牽かされ空転多発、機関車のせいじゃないのに責任を押し付けられ、C55開発の犠牲となった被害車。
C52↓
国産3シリンダー機関車 ( C53 ) を作るためにアルコ社から " 無理やり " 6両だけ ( アメリカでは1ダース注文が基本 ) テンダー無し ( 国産を使用 ) で購入した機関車。分解してじっくりコトコトおいしく研究したはずが、真似したC53は ( まともに走らない ) あの始末。
C10 ↓
C11からデフを取りリベット溶接したやつ
D60・D61・D62↓
それぞれ種車であるD50・D51・D52のデフを短く切って従輪を2軸に増やし、自動給炭機付けたやつ。
E10↓
日本のシエラネバダ ( 板谷 ) 越えに開発された国産キャブフォワード、その後無理やり通常のキャブ配置に魔改造されたため、長ボイラーと右運転台という前方視界もクソもない仕様となった。
2:26>6700形の製造年は1911年が正解です。
日本の蒸機って悲壮な運命を背負って生まれた型式多いよな。海外より小さくても渋い格好良さ感じるのはその所為かな。
現在生き残ってる車体だけでも末永く活躍して欲しい・・感傷的になるのは歳食ったからなのかな?
呪いの54、気動車では全く発動しないのが凄いジンクス(キハ54はまだほとんど現役…)
電車でもモハ54は旧型国電最末期まで残ってたかな
気動車や電車だとむしろ53な気が。
キハ53は木次線で崖下に転落し、そのまま埋没処理。モハ53は鶴見事故で大破。
@@蛸焼魚々子さん
鶴見事故で大破したのはクモハ53を3扉化したクモハ50(50006)ですね。
(改造を受けて工場を出場してから日も経たぬうちに被災したとか…。)
50で思い出したけど、SLではC50も1輌も保存されていない不運の型式だし、気動車・客車では「50」も個人的にはヤバい形式では?と思っています。😅
①キハ50:
10系気動車の一員で国鉄初の2エンジン車だけど、22mという長過ぎる全長が災いして2輌のみの製造に終わり、運用も関西本線のみ。
後に片方のエンジンを降ろすと共に荷物室・郵便室を設けてキハユニ17として生まれ変わり、新潟に転じたものの、1964(昭和39)年に発生した新潟地震で2が崩落した陸橋の橋桁に押し潰されて大破・廃車に…😭
(1は後に厚狭に転じて美祢線で使われたものの、1980年に廃車)
②50系客車(オハ50・オハフ50他)
旧型客車の置換え目的で1970年代後半から大量に製造されたものの、1986年の小荷物輸送全廃でマニ50・スユニ50は一部が救援車代用として残った他はほぼ全廃…。😢
旅客車のオハ50・オハフ50もJR化後も引き続いた電車化・気動車化で大部分が製造後20年も経たないうちに廃車に…。😭
快速「海峡」用に5000番台化されたり、「SLあそBOY」→「SL人吉」用に改造された個体はまだ幸せな部類かもしれませんね。
真岡鐵道でC12と共に動態保存されている3輌については1日でも永く活躍して欲しいものです…。
新しめの機関車も良いですが、個人的に古典的なB型機関車が好きですね。
車体も大きくないし、床下にも余裕があってスリムな印象がいいです。
Hello from the U.S. great video. Can I suggest a topic on the New Zealand Railway's Ka class 4-8-4 steam locomotives which is also 1067mm. Notably Ka number 949 as well.
b20が出てきたのが嬉しい
3:42
D62は「マンモス」と呼ばれていた…
個人的にC62が一番好きです!
2:11神戸臨港線かな?
銀河鉄道999の影響、SLが好きです。
このランキングにおける最下位のデゴイチえぐすぎ
B形機関車なら東武博物館で1両だけ保存されています。
5号機と6号機の2両保存されています。
東武C11 123という国鉄形式と同一ながら一度も国鉄/JR所属歴のないレア度の高い機関車もあります。
0:40
芸備鉄道と片上鉄道「C13っと聞いて」
逆に、国内に保存機が多いSL形式とかやって欲しいです
C612号機は、脱線事故以来3年も動いていません。動態保存機とは思えないほど、錆等がひどくなっているそうです。
このまま修理が出来なくなったら、
群馬の20号機がC61としても唯一かつ最後の動態機になり、悲しい意味でレア度が上がってしまいますね…
脱線転覆事故や阪神・淡路大震災を乗り越えて、現在も活躍しているC57 1の例もあるので、あまり心配は無いのでは?
@@鉄道模型大好きおじさん
C-571貴婦人さんってかなり損傷が、重症と噂で聞いておりますが、58654号機のように台枠が耐用不適とされてしまうのが、怖いですね。
日本車輌でまた造って貰うとしても、かけた費用分ペイ出来るのかは、やはりコロナ明けに、稼頭の山陽新幹線に客が戻るかどうかですね❗😖💧
先日梅小路に行きました。屋外の線路に留置してあり、確かにロッドや車輪がひどく錆びておりました。お金や部品の不足で直せないのは仕方ないけど、錆くらいは落としてあげて欲しいなあ
日本は蒸気機関車保存に援助が少ないですからね。
欧米などは国をあげて保存活動をしているそうですが…
どこまで時代をさかのぼるかですが保存しようと集めてた古典機が戦時中に供出されてしまったのは残念です。
B20は神だなぁ
私D -51が大好きです。bgmヤマト
レアな蒸機車輌ならば
貝島炭鉱で頑張ってた
ドイツ製のコッペルか?
機関車を数えるときの数詞は「両」の方がいいんじゃなかろうか。「輛」でもいいね
難しいところで最初の方に作った解説動画では「両」で統一していましたが、2両で1台や、6両で1台になる電気機関車の解説動画に「台」を使用して、以後機関車を電機も蒸機も運転される単位を「台」で揃えるようにしています(SLの場合分割することはないですが機関車1両+炭水車1両で蒸機1台のような感じで)
@@64denden それも分かるんだけどね。日本語は難しい。これからも面白い動画を期待しております
@@64denden さん
台でも輌でも可みたいですね。
流石に1釜2 釜とはならないですがw
そう言えば俺って3年前から最低年1回はslに乗っているんだったなぁ でもこれが故に最低年1回は乗らないと落ち着かなくなって来ている・・・
いや近くに鉄道公園あるからランクインしてんのかな〜程度で見たら堂々の一位取ってて草
一番のレアはスーパーナメクジでは?
それはさておき、E10は当初はバック運転主体で設計されたんですね。どうりでそういう写真が多いわけだ。
E10といえば4110ですが、こちらは39両も製造されていました。
肥薩線は古い機関車ながら、パワーと地獄の矢岳の急勾配での粘り腰があって、つぶしの利く4110型の評判が良く、再生産してくれまであったとか。
旧鹿児島本線だった当時の肥薩線は、幹線並みだったために、D51型が真っ先に入れられますが、横圧がありすぎて線路を破壊されるために保線からは嫌われていました。
板谷峠から追い出されたE10型矢岳に投入されたものの、動輪部分の車輪にフランジがないために空転が続出。しかも後ろ向き運転前提のままだったために、ろくな運転も出来なかったそうで、結局線路も強化されたのでD51型でも使えるようになり、人吉の70号機みたいな重装備機が最後まで走ることに。
64という数字は、何か縁があるのですか?
D62が残ってたらその使い勝手の良さから東北の色んな土地を回ってそうな…
D62が早い時期に引退した理由は軸重を軽く出来たものの、元々巨大なD52がベース故に全体の重量が増えて思った程のメリットが得られなかったからになります。
@@特急日本海-m3n そうでしたね…忘れてました…
@@井今智世 やっぱり重油炊きは強かったか…
これを出したら反則だけど、
旅客会社では無い、
考えようでは tdlのW リバー 鉄道の4輌の重油式 蒸気機関車とかも、充分にレアな車輌かもしれませんね。
ちなみに、愛知県蒲郡のこどもの国には、協三工業が新製した小型蒸気機関車B12しおかぜ号が、まだなんとか走っています。鼠の国とは違い、ホンマもんの石炭で走るナローゲージの🚂です! 😆 🎶
C10-8は30年前に宮古で乗りましたね。よく大井川で生き残ったもんだ。
機関車よりも沿線風景のガッカリ感と仮設ホームのショボさが最も印象に残ってます。
宮古市の臨港線での運転終了後、処遇に困っていた宮古市にSLの増備を考えていた大井川鐵道が譲渡を打診、宮古市が譲渡を承知して大井川鐵道に移籍、現在に至ります。