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他社アソートというと、馬場時代のカトーショウルームでTomixDF50に同社50系客車6両セットなんてのも扱っていました。もちろんカトーの車両ケース入り。
馬場時代は経験ないですが、KATOは昔から「うちは鉄道模型のショップだから他社のも売るよ」って言ってましたね特に製品が自社だけでは揃わない時代は他社アソートも躊躇なくやってたあたりはさすがだと思います自分のテリトリーはしぐなるはうすまでで、高田馬場はちょっと遠すぎました…
トミックスも昔は蒸気機関車を出してない頃でもターンテーブルや扇形庫を販売してました。「中に並べる蒸気機関車はカトーや中村精密のを使ってね」と暗に言っているみたいでしたね。
あれ…コメント打ってたような気がしましたが、気のせいだったかしら…。縁があって、1980年当時物の381系を数年前に手にしました。KATOの現行車(381系パノラマしなの)と比べたらまぁ…とはなりましたが、当時としては本当頑張った製品だったんだなぁ…と実感します。ブルトレブーム当たりの製品…KATOの20系(ライト類は造形のみで機能なし、あけぼののHM貼り付け済み)、TOMIXの24系25形(ライト類は造形のみ…いや節穴状態か)辺りを手にしましたが…当時の子供鉄道などでは看板特急として活躍されていたのでしょうね…今のようにフル編成の意識がなく車番印刷済みなところも、いろいろ考えさせてもらった製品でした。今のところ手持ちのはケース内に編成で収めて静態保存状態ではありますが。TOMIXの品番2101のEF65-1100…23年くらい前に最初の1両を新車買いし、選択式ナンバー4種から「EF65 1127」を選択して貼り、貨物などの牽引に従事してましたね…細かな取り付けパーツが少なかったのは非常にありがたかった覚えがあります。それに比べたら、いろいろよくなっているとはいえ、ユーザー取り付けパーツが多い現行車種ときたらもう…。わがままですが、扱いやすさ的な面では2101時代のPF、2109のEF66辺りでいいっす…(おい
品番2101はディテールも良くて走行性能も良いのでかなり魅力的な製品ですよね。私は2台くらい持っています(笑)
2101はとにかくタフでレンタルレイアウトでのタフな走行でもしっかり期待に応えてくれますので今でも主力機関車として4両をとっかえひっかえ使ってますまあ、EF65と485系は何両あっても多すぎるということはありません
私が最初に買ったEF65はフジミのプラモデルでした。プラモデルとはいえ、良く出来てましたね。正規の鉄道模型のEF65で最初に買ったのは、トミックスの2101でした。
お疲れ様です。ブルートレインブームの頃に「はやぶさ」で単身、東京~西鹿児島を往復した身です。当時は小学5年生…はじめての一人旅が片道21時間の長距離行でした。実現したのは親が国鉄職員だったからでしょう。国鉄職員は運賃半額で子供はさらに半額になるようでしたので、通常価格の大人の片道分で往復できた計算になります。そんなことしてたせいもあり潰れた(失礼、民営化された)んだろうなと今なら思います(笑鉄道模型については当時はプラレールを卒業した頃で、Nゲージは近所の知り合いが持っている程度でした。プラレールはどんどんレールを買い足させてくれたのに、鉄道模型はまったく相手にしてくれませんでした。動画から察するにまだディテールが本職には甘いものだったのかもしれません。なので、動画を見て知り合いを羨ましく思ったなぁと思い出させていただきました。ありがとうございます。
こんにちは職割、ありましたね。国鉄職員の父を持つ友人が「職割」または「○職」小印入りの切符で旅行しているのを見て羨ましかったものです自分の周りではプラレールをやってる友達がいませんでしたね。小学校低学年で9mmゲージ鉄道模型のブームが来てみんなそっちに行ってしまった感じでした。自分で運転できるというのが魅力だったんだと思いますどちらかというとトミーのスーパーレールやバンダイのミニミニレールを遊んでる人が多かったですね
私の親もそんな感じでしたよ。プラレールには理解がありましたけど、さすがに鉄道模型はなかなか解禁してくれませんでしたね。父親が戦車や軍艦の模型をやっていたので、私も幼少の頃から模型店にはよく連れて行ってもらってました。それで幼稚園児の頃、Nゲージが欲しいと母親に言いましたが勿論答えはNO。小5の時に2度目の交渉をすると、中学生になったら買ってくれることに!中1の時のクリスマス、遂に念願の鉄道模型をゲットしました。ただ、親が援助してくれたのは最初だけで、其れ以後は少ない小遣いで車両を増やしてましたね。
キハ28かな? 当時買ったな。ボディがクリーム色成形色で安っぽかったのを覚えています。動力は関水金属キハ20系と混色編成にしてお安く済ませていました。西武レッドアローはギリギリ4量だけ買えました。ヨ8000も買いましたよ。あの時代にしてLEDテールライトが売りだったような。
こんばんは。当時クソガキの自分、コミックボンボン買ってたから少なくなったお小遣い貯めてやっと初めてのNゲージKATOのDD13買うのが限界で、このトミックス113系を親戚に買ってもらったと自慢してた友人F君にはイラッと殺意を持ったの憶えてますwブルトレも当時親に「ブルトレに乗りたい!!」とダダをこねるも「ブルトレ乗って行ける親戚いないでしょ!」と一蹴されました。なので現在はレイアウトは無くなったもののお店は営業してる上福岡のO本模型店ではレイアウトがあった当時、ブルトレばっか走り24系はブルジョワでしたので、自分は捻くれてトミックスDD51と12系を正月にもらったお年玉全部使って購入、気を紛らわせてました。クソガキの頃、中古扱っている店がどこにもありませんでしたしそういう情報得る手段も難しい時代でしたから、新車を今は亡き本川越駅近くのTま屋か、上福岡のO本模型店、愚兄の友人のT橋模型で入手するしかありませんでした。
岡本模型というと自分は上福岡のほうではなく東燃住宅のほうの2号店? にいってました。あとはサービス券がもらえるということで玉屋、そして当時は本川越駅前にあったおもちゃのおびつが主な購入先でしたね。ママンに買ってもらうときは丸広でしたが上福岡店の方にはレイアウトあったんですか。あの頃レイアウトというと連雀町の今は亡き福岡無線くらいしか自分の行動範囲にはありませんでしたわお金持ちの子どもは車両セットをポンポン買ってもらえるのが子供でしたので羨ましかったな…あの頃自分がもってる車両セットは西武5000系と117系くらいでした
さすがよくお判りでwwwww福岡無線!!懐かしいなぁその頃はNゲージに手を出す前で別の買い物で来店した時レイアウトがあったの憶えてます。自分は川越駅西口なので品揃えから主に玉屋でした。岡本模型、2号店なんてあったんですか!?知らなかったぁ!!自分はお朝馴染みが上福岡に引っ越してたまに東上線で遊びに行って上福岡駅西口からちょっと行った今はダイソーすぐ側のトコで走らせてました。今日ポポン川越にポイントとカトーのモーター買いに行ったらブルジョワなクソガ・・・お坊っちゃんがいました!瑞風フル編成・サフィール・E257系踊り子を2線レンタルして悠々自適に走らせてるの見て「大人パワー炸裂してやろか!!?」と思ってしまいました。でも同時に自分小さいなぁ~とも思いながら買い物して帰りました。
私なんて九州に親戚は居ましたが、ブルトレに乗せてもらうチャンスはありませんでした。親いわく「飛行機の方が早いじゃないか。夜行列車みたいなトロいものなど論外。百歩譲って新幹線だ」とよく言われましたね。夜行列車といえば中学校の修学旅行の帰路に乗ったきりです。其れもボックスシートの167系電車です。そんなこんなで夜行列車には縁がなく、今でも長距離の旅行は飛行機一択です。でないと家族に却下されてしまう。小学生など若年層で車両を沢山持ってるのは、大抵親も鉄道模型愛好家ではないでしょうか。
変遷を知るとうちのDF50・381系・193/443系をまともな目で見れなくなってしまう…それはそうと、コム1が"タイプ"って言われてた理由がやっと分かった…
コム1、初期香港製品を見慣れるとホント「タイプ」なんですよね。ものすごく間延びしているでも北海道で40両しか造られなかった貨車なので現物見てない人が多いから、あまり気にする人がいなかったのも堂々と「タイプ」で今でも通用している原因かもしれません
トミックス24系25型、紙パッケージ900円、カニ24、オシ24、オハネフ25車輪プラ室内灯不対応から買い、カトーPF4500円買って、オロネ25とオハネ25はプラケース室内灯対応になり1000円になった頃買いました。しかし室内灯付けるのにオプションで金属車輪に交換しなければならなかったと思います。カトーのトレインマーク変換装置のがとても羨ましかったです。トミックスはカニ240番代、カトーはカニ24100番代と棲み分けは出来ていたと思います。旧型客車もトミックスは35系、カトーは43系とこちらも長年棲み分けが出来ていたと思います。トミックスがPFを1100番代とつけて売っていたのは私はかなり違和感がありました。昭和52年第一次債務車で1092から1118のグループでしょうから。素直に後期型とかにすればいいのにと思いました。実際に小学生の時に良くみたのは1096、1098、1107、1109号機でした。113系も中学時代友人がトミックスで購入しましたがサロは112でこれも実車を見た覚えがありますがすぐにサロ110に代わってしまい、私は2000番代が発売されてから購入しました。その前くらいに紙のパッケージで湘南色と横須賀色で5輌セットを発売していた記憶があります。
当時のTOMIXはプラ車輪で走行が静かなのはいいのですが、室内灯取り付け用と思うと車輪も変えなくてはならんのがネックでしたね。そして現在、動画にも出ている381系は中間車用の集電板が入手できず室内灯の取り付けができない状況…KATOのトレインマーク変換装置、当時はすげーと思いましたけどさすがにそのために1700円を出すなんて小学生の自分には無理でした…TOMIXならあと100円出せばオハネフ+オハネが買えちゃうからどうしてもね…TOMIXの品番2101に関してはアレのせいでEF65に1100番台があるもんだと当時思ってました。香港製の品番2106にEF65-1000とつけてしまったので2101は1100になったなんてねえ…知りませんでしたよ当時ちなみに113系ですが、1981年以降ロットでMなしパンタのモハ112が入った6両セットもあったそうで、おっしゃられているサロ入り5両セットも含めいろいろあったみたいですね
KATOの当時の電気はスカートが台車と一緒に動くので嫌いでしたね。
わかります当時KATOのEF65Pを持っていましたが、スカートがカーブで動くのはどうにも好きではありませんでしたなのでTOMIXから品番2101のPFが出たときは「そうそうこれだよこれを待っていたんだよ」と思ったものです(当時香港製の品番2106は存在すら知りませんでした)
アゴ割れスカートですね。でもトミックスやエーダイだってスカートに大きな切欠きがあって、それも不満でした。
お久しぶりです。小学生の時は月の小遣いが700円で1~2か月に1回のペースでkatoの貨車をちまちま買っていました。牽引機は父のおさがりでtomixの品番2114 EF81-300を使っていましたが確かに音はうるさかったです。スローも聞かないしヘッドライトは運転席まで光る仕様でしたが出来は悪くなかったと思います。1970年代後半の製品でしょうか?これもブルトレブームの一環なのかなと思います。実車はわずか一駅間のみの牽引でしたが当時のTOMIXのカタログでは堂々とブルトレ引っ張テル写真が多いですね。
確かに300番台はけっこうカタログや広告で露出してましたね。それだけ自信作だったと思うし実際いい出来だったと思います初期の運転台の窓が黒いEF81は、ヘッドライトの光漏れを防ぐためにああしたとTOMIXの人が言ってましたが、評判悪くて品番2114(1980年ロット/動力改良品)では諦めてしまったのでしょうね。自分の世代だとその前の品番2104(1978年ロット/銀色スカート)になりますが、持ってる友人は自慢してましたし実際カッコよかったですね。113系なんかと比べても造型がとてもシャープでステンレスらしさがよく出てました
当方もスプリングウォーム仕様のパーイチ300番代を3両、いずれも前面ガラス透明化仕様のを中古で持っています。オリジナルの銀はナンバーモールド(リアルタッチマーカーのイエローを枠と文字に塗り金色っぽく)1両、選択式ナンバーの常磐線ローズ2両ですね。ローズは1両でよかったのですがナンバー欠品だったので、やむなくナンバーが残存しているのを探し追加しました。0番代も見つけました。出来栄えは現行品やボデマンTN初装備仕様に敵いませんが、高圧線を銅色にするだけでもかなり印象は変わると思います。
基本セット3にヨ8000。24系25型ブルトレ。何から何まで同じ感覚でした!本当に楽しい動画でした。お体にはお気を付けください。
基本セット3は憧れでした。もちろんうちは基本セット1でした…ED70+貨車3両のセット。これにヨ8000をつないでちぐはぐな編成を組んだりしましたね…ほかの動画でやったために、この動画では出さなかったのですが、あの当時の小学生ネタとして「手持ちの車両で組成するありえない編成」とかもありました
こんばんはブルートレインのお話しかと思ったら今回も香港TOMIXのお話しやった笑私もブルトレブーム世代でPFが一番好きですね
「485系とEF65は何両あっても困ることはない」と思ってるのでEF65は現在20両所有していますが、PFが大半を占めてますね。やはりブルトレブームのDNAがいまだに残っているのでしょう。EF66はやっぱり重量貨物を高速で引っ張る姿がかっこいい。せいぜい500t程度の客車を牽いてもなんかちょっとなあって感じでしたので、今でも動画にある通り仕立てた編成はPF牽引の『出雲』です
ブルトレ牽引機はやっぱりEF65ですよね。ガキンチョの頃はPFしか認めん!でしたが、後年20系を牽く500番台も魅力的に感じるようになりました。TOMIXには500番台のイメージがなかったのですが限定の高崎機関区セットを発売した時はびっくりしました。
TOMIX113系or kato153系と言われたら後者を選びますね、1000円差でライト点灯と良好な動力性能が付くのだから、ここまで差を縮められるKatoの企業努力はすごいと思いました。
当時からKATOは「いいものを安く」作っていて、DD13なんかはライトがついて3900円。しかも走りは最高というすごいクルマでした今でもKATOは走りに関してはすごくこだわってますね。287系のスロットレスモータにはちょいとやられましたが
お疲れ様です。24系、381系、193系とまさに自分が譲り受けた80年代製品で親近感が湧きます。実際に扱っていると現代に通じる規格が徐々に定まっていく過程が感じられますよね。24系に至っては現代のLED室内灯まで搭載しました。(オハネフはテールライト無し、カニに至ってはそもそも集電不可などまだまだ改良の余地ありでしたが…)機関車の牽引力に至っては現代よりさらにパワフルなのも実感しました。勾配レイアウトでDD51+24系出雲12両を走らせた時に2010年代の品番2219が登りきれなかった坂を1980年代の品番2211は登り切っていました。この様子を見るとPFも品番2101が欲しくなりますね。
あの24系に室内灯入れたんですか。それはすごい当時の室内灯はT車専用で、M車に入れられなかった(入れたところで動力機構がねえ…)し、何よりもブルジョアではないので導入はまったくできませんでした。今はM車にも普通に室内灯入ってホントすごいなと思います。スプリングウオーム衰退の原因のひとつではありますが当時の機関車がパワフルなのも同意です。うちでは品番2101が3両いますがどいつもこいつも余裕でコキ24両を単機で登坂可能です。KATOの3019-8あたりと比べると力持ちだなと感じますね
最近の機関車は運転台を再現するなどして、動力のダイキャストが軽量化されてるのも牽引力低下の一因かと思われます。
TOMIXのファン視点での歴史を語る動画、という感じで、多少は勉強になりました。当時の少年たちが何に興味を持ち、どういう消費活動をしていったのか、が垣間見られる感じでしたね。しかし当時の少年に経済格差があったのと同様いやそれ以上に現代の少年には経済格差が開く上に少子化で市場自体も縮小(高齢化といった方が正しいか)、当時の主様のような層の子どもはもはや鉄道にすら興味を持てなくなるという… ま実は鉄道好きの少年は高学力に育つ、的な書籍を先日見かけたのですが、経済的にも向学心的にもさもありなんと。
動画内で価格がやたら紹介されますが、これは「ほしくても買えない期間が長くてカタログを穴が開くほど読んだ結果価格を覚えてしまった」からなのです。今でもほしかった車両の価格は空で言えます現代はどうなんでしょうね。レンタルレイアウトでキッズが楽しくレンタル車両を走らせていますが、同じくらいの年齢だった自分は当時、安KATOと香港TOMIXばかりとはいえそれなりに車両持ってましたが今はなかなか買ってもらえない子もいるのかもですね鉄道好きの少年が高学力に育つ…どうなんでしょうねえ。昔は工学博士とかにそういう人がちょくちょくいましたけど
@@samantha-DAN564 さん.お年玉でも、貰える相手の家庭次第でも金額差がありましたね.ドラえもんのお正月のエピソードでは、あるあるネタですね❗今は、仮に入学祝い等に、1万円の図書カードをいただいても、消費税10%の為に、実質9000円分しか使うことが、できないですね❗
私はEF65よりもDF50の方が好きですよ。個人的には世界一美しい機関車だと思っています。あ、誤解の無いよう付け加えますが、EF65も嫌いではありません。
DF50は子どもの頃見たことない(すでに『紀伊』からも担当外れていました)のでなじみがないってのがありますね自分の場合。模型は持ってましたけど写真でしか見たことはありませんが、切妻のナハネフ23をしんがりにしたDF50の『富士』はかっこいいなと思います。20系の優美さと実に合うんですよ
実は私もDF50が走ってるところは一度しか見たことありません。小学生の頃に家族で紀伊半島をドライブしてたら、紀勢線でブルトレ紀伊を牽引してるところを見かけました。確か紀勢線が電化される直前頃でした。走ってるのを見たのは残念ながら其れが最初で最後でした。ただ、弁天町にあった交通科学博物館でなら何度も見ています。EF65やEF66、EF81はそれこそ目が腐るほど観てましたから飽きてました。
1コメ。お疲れ様です。香港製トミックス貨車の末裔が今でも生き残っているのは驚きですね。機関車はKATO、客車はトミックスという今風に言えばローハイミックスは当時の十八番でしたね。修羅場をうまく乗り越えられますように。また、運転会でご一緒したいものです。
今でもトラ55000形式なんかがポポンデッタで現役で売られていますね。何気に長寿です。あとTOMIX自体からは当時のまま売られているのがソ80形式ですね当時はカプラがみんなアーノルトカプラだったので混結は普通に行われていましたね。まあそれが行き過ぎて友人の中には22形新幹線+キハ35(M)なんて編成を組んでいるのがいましたが、まあ新幹線を編成でそろえるなんて当時はとてもとても…
初めてまして.トミックスの当時のキハ58系には、キユ28がありました.鉄道ジャーナル1986年8月号にはキユ28の写真掲載記事があり、わずか5両のみの製造で、四国地方のみ配置だったそうです.郵便車両自体が、1986年9月末で廃止になりました.このトミックスのキハ58系は、四国地方の急行列車をイメージしていたようですね.でも同じ急行型のキハ65が、製品化されていない不思議な状態でした?
@@前田伴樹 TOMIXのこのラインナップでキハ65(とキハ58のMなし)があれば、確かに当時の『いよ9号』を再現できるんですよねただ当時は実車と同じ編成を再現しようって発想がなかったみたいで、「キハ65はキハ28と12系を切り継いでで作ってね」って感じでしたね四国専用車と言えばエーダイからキロハ28が出てましたね。あれもよりにもよって四国に1両しかいないマイナー車をなぜ製品化? と思いました
遂に、東北ずん子導入ですね。お仕事多忙期で大変ですが、御身体を大切になさって下さい🙏
VOICEBOXはこんな高機能なものが無料でいいのだろうかってくらい使い勝手がいいです仕事頑張ります
古い動画にコメントすみません!このブルトレブームの時に、川越市内のF岡無線の模型コーナーでバイトしてました(笑)クソガキ(良い表現)が万券握りしめて、正月にブルトレを買い漁りに来てましたね(^o^)
その時のクソガキの一人です。店内のレイアウトにあったいぬくぎクラブ(だっけ)の看板を見て、鉄道模型のクラブってどんなもんなんだろうと想像していました
投稿お疲れ様です!うちのジャンク銀河に使われているオロネ14が、初期の品番2524で集電機構無しのなかなか年代物かと思っていたんですが、TOMIXの歴史はそれをはるかに上回るとは恐れ多いものです…TOMIXのヨ8000に対比して、コム1形の辺鄙なデザインはこの頃から登場してて、KATOの一体型コンテナの世代と同じ頃でしょうか?バラバラでコンテナを楽しめる今に感謝しなきゃいけませんな!お仕事多忙になるとの事で、動画についてはサマンサさんのペース最優先なのはもちろんなのですが、どこか夕方以降で東京都内の貸レご一緒できる日ありましたらと思っております。久々な貨物談義もしたいのですが、実はお渡ししたいものもある所存です…笑
この動画の時代、14系はそもそもエーダイの14系15形しかありませんでした。つまり『さくら』はこの当時組成できなかった(けどシールは付属していた)んですよね…栄光の1列車なのにKATOの一体型コキ10000系は1967年発売、現在中古市場で出回ってるロットでは1973年ロットあたりが最古かなって感じです。TOMIX登場の10年前にあのデザインで登場してますコム1はコンテナ取り外しになったのはいいのですが、C10コンテナなのに12ftサイズにしてるのは子供心に許せないものがありました…そもそもコム1には12ft×2は搭載不可やろがい! と11月はちょっと予定が見えないので、年内でよければ12月とであれば確実に日程を抑えます
本当に昔のTOMIX製品はひどかったですね。とは言うものの私も113系湘南色と381系は持っていました。381系はヘッドマークが点灯で透ける感じのプラスチック製シールを切って貼るタイプでちゃちでした。現在はTOMIX製品の質も上がりましたが、KATOと並べると、TOMIXのオモチャ感は否めません。今、大人買いできるようになりましたが、できるだけKATOの車両を買い、将来的にもKATOで発売しなさそうな車両のみTOMIXを買うことにしています。
走りの質という意味で香港製品は本当に酷かったのでTOMIXにあまりいいイメージが子供のころはなかったのですが、西武5000系の走行性能の良さに見直した記憶がありますKATO製品は何ていうか、50年前の製品でもあまり整備してなくても車輪さえ磨けばそれなりに動いてしまうタフさに感心しております造型はTOMIXもすごいなと自分は思ってますが車両の走りはいまだKATOに一日の長があるな、とN700Sを両製品買ってみて思いました
投稿お疲れ様です。TOMIXの香港製品を手にしたことはありませんし、381系の造形も「こりゃ古いな・・・」と感じる人間ですが、今の世の中で言う初期ロット、旧ロットというのは今の製品からすると何とも言えない味があるんですよね。katoにも同じことが言えると思うのですが、台車の固定方法がスナップ式ではなくピン止めのものを手にすると、スナップ式がどうもまどろっこしくて堪らないんですよ・・・ただ、サスペンション機構は画期的で、初めてサスペンション機構付きを手にした時の衝撃は凄まじかったです。長文となりましたが、お仕事頑張ってください。ブログの方もちょこちょこ拝見させて頂きます。
今のクルマをいじって思うのは「分解しやすい!」ってことですね。KATO製品なんかドライバーいらずでモータまでアクセスできるのはすごいと思います。当時の動力車を分解してるとうんざりしますから…そして接点のわずかな曲げで走行性能がまるで変ったり…個人的にはこの動画の年代の後受験やらなんやらで鉄道模型から10年以上離れてしまいますが、戻ってきたときにTNカプラを見てたまげました。自分の中でいまだ最大の衝撃かもしれません
ついにtomixが黎明期から一皮剥けた時期ですね。国産体制の確立が大きかったのだと思います。まだKATOに一日の長はあるもののジワジワ追い続けている印象です。しかしキハ58系初代、細かな色挿しがないのでだいぶ見た目がショボく見えてしまいますね。前灯縁にサッシとHゴムに色挿しすればかなりマシになるし、案外造型が悪くはないのがわかります。KATO製20系寝台車みたいな感じです。少し先になりますがN'EX253系で造型は遜色なくなったと思います。当方も品番2101のPFを2両持っています。最新版に比べたら見た目は劣るかもしれませんが、他型式ともどもスプリングウォーム動力の堅牢さは貸しレイアウト乗り入れ運用の安全牌なのです。リアル中2時にブルトレの入門セットを妄想するも叶わず、DE10に貨車数両、ポイント2つ、ニューパワーユニット。これを揃えるのに1年近く掛かりました。確かに編成物の入門セットで始められるのはブルジョアですな…。最後になりますが、仕事の山場をつつがなく終えられることを祈ります。
実際113系にしてもキハ58にしてもスタイルは悪くない。なのでユーザーがちょっと手を加えれば化ける車両でしたね253系あたりになるとCADも入ってますし、KATOと造型面で完全にそん色なくなりましたね。ただ側面ロゴとかが印刷ではなくインレタ貼りなのが、コスト面で苦しいんだろうなと思いましたが。あとTOMIX製品の走りでたまげたのはED75ですね。あんなに滑らかに走る製品TOMIXじゃねえ!くらいに思いました品番2101は造型もいいし走りもいい。レイアウト向きの優秀な機関車だと思ってます。なので現在も3両をローテーションで回しております。PF重連なんて実車ではほとんど見られませんでしたが、模型では存分に楽しめますしね
他社アソートというと、馬場時代のカトーショウルームでTomixDF50に同社50系客車6両セットなんてのも扱っていました。
もちろんカトーの車両ケース入り。
馬場時代は経験ないですが、KATOは昔から「うちは鉄道模型のショップだから他社のも売るよ」って言ってましたね
特に製品が自社だけでは揃わない時代は他社アソートも躊躇なくやってたあたりはさすがだと思います
自分のテリトリーはしぐなるはうすまでで、高田馬場はちょっと遠すぎました…
トミックスも昔は蒸気機関車を出してない頃でもターンテーブルや扇形庫を販売してました。
「中に並べる蒸気機関車はカトーや中村精密のを使ってね」と暗に言っているみたいでしたね。
あれ…コメント打ってたような気がしましたが、気のせいだったかしら…。
縁があって、1980年当時物の381系を数年前に手にしました。KATOの現行車(381系パノラマしなの)と比べたらまぁ…とはなりましたが、当時としては本当頑張った製品だったんだなぁ…と実感します。ブルトレブーム当たりの製品…KATOの20系(ライト類は造形のみで機能なし、あけぼののHM貼り付け済み)、TOMIXの24系25形(ライト類は造形のみ…いや節穴状態か)辺りを手にしましたが…当時の子供鉄道などでは看板特急として活躍されていたのでしょうね…今のようにフル編成の意識がなく車番印刷済みなところも、いろいろ考えさせてもらった製品でした。今のところ手持ちのはケース内に編成で収めて静態保存状態ではありますが。
TOMIXの品番2101のEF65-1100…23年くらい前に最初の1両を新車買いし、選択式ナンバー4種から「EF65 1127」を選択して貼り、貨物などの牽引に従事してましたね…細かな取り付けパーツが少なかったのは非常にありがたかった覚えがあります。それに比べたら、いろいろよくなっているとはいえ、ユーザー取り付けパーツが多い現行車種ときたらもう…。わがままですが、扱いやすさ的な面では2101時代のPF、2109のEF66辺りでいいっす…(おい
品番2101はディテールも良くて走行性能も良いのでかなり魅力的な製品ですよね。
私は2台くらい持っています(笑)
2101はとにかくタフでレンタルレイアウトでのタフな走行でもしっかり期待に応えてくれますので今でも主力機関車として4両をとっかえひっかえ使ってます
まあ、EF65と485系は何両あっても多すぎるということはありません
私が最初に買ったEF65はフジミのプラモデルでした。
プラモデルとはいえ、良く出来てましたね。
正規の鉄道模型のEF65で最初に買ったのは、トミックスの2101でした。
お疲れ様です。
ブルートレインブームの頃に「はやぶさ」で単身、東京~西鹿児島を往復した身です。
当時は小学5年生…はじめての一人旅が片道21時間の長距離行でした。
実現したのは親が国鉄職員だったからでしょう。国鉄職員は運賃半額で子供はさらに半額になるようでしたので、通常価格の大人の片道分で往復できた計算になります。そんなことしてたせいもあり潰れた(失礼、民営化された)んだろうなと今なら思います(笑
鉄道模型については当時はプラレールを卒業した頃で、Nゲージは近所の知り合いが持っている程度でした。プラレールはどんどんレールを買い足させてくれたのに、鉄道模型はまったく相手にしてくれませんでした。動画から察するにまだディテールが本職には甘いものだったのかもしれません。なので、動画を見て知り合いを羨ましく思ったなぁと思い出させていただきました。ありがとうございます。
こんにちは
職割、ありましたね。国鉄職員の父を持つ友人が「職割」または「○職」小印入りの切符で旅行しているのを見て羨ましかったものです
自分の周りではプラレールをやってる友達がいませんでしたね。小学校低学年で9mmゲージ鉄道模型のブームが来てみんなそっちに行ってしまった感じでした。自分で運転できるというのが魅力だったんだと思います
どちらかというとトミーのスーパーレールやバンダイのミニミニレールを遊んでる人が多かったですね
私の親もそんな感じでしたよ。
プラレールには理解がありましたけど、さすがに鉄道模型はなかなか解禁してくれませんでしたね。
父親が戦車や軍艦の模型をやっていたので、私も幼少の頃から模型店にはよく連れて行ってもらってました。
それで幼稚園児の頃、Nゲージが欲しいと母親に言いましたが勿論答えはNO。
小5の時に2度目の交渉をすると、中学生になったら買ってくれることに!
中1の時のクリスマス、遂に念願の鉄道模型をゲットしました。
ただ、親が援助してくれたのは最初だけで、其れ以後は少ない小遣いで車両を増やしてましたね。
キハ28かな? 当時買ったな。ボディがクリーム色成形色で安っぽかったのを覚えています。
動力は関水金属キハ20系と混色編成にしてお安く済ませていました。
西武レッドアローはギリギリ4量だけ買えました。ヨ8000も買いましたよ。
あの時代にしてLEDテールライトが売りだったような。
こんばんは。当時クソガキの自分、コミックボンボン買ってたから少なくなった
お小遣い貯めてやっと初めてのNゲージKATOのDD13買うのが限界で、
このトミックス113系を親戚に買ってもらったと自慢してた友人F君には
イラッと殺意を持ったの憶えてますw
ブルトレも当時親に「ブルトレに乗りたい!!」とダダをこねるも
「ブルトレ乗って行ける親戚いないでしょ!」と一蹴されました。
なので現在はレイアウトは無くなったもののお店は営業してる
上福岡のO本模型店ではレイアウトがあった当時、ブルトレばっか走り
24系はブルジョワでしたので、自分は捻くれてトミックスDD51と12系を
正月にもらったお年玉全部使って購入、気を紛らわせてました。
クソガキの頃、中古扱っている店がどこにもありませんでしたし
そういう情報得る手段も難しい時代でしたから、新車を今は亡き本川越駅近くの
Tま屋か、上福岡のO本模型店、愚兄の友人のT橋模型で入手するしかありませんでした。
岡本模型というと自分は上福岡のほうではなく東燃住宅のほうの2号店? にいってました。あとはサービス券がもらえるということで玉屋、そして当時は本川越駅前にあったおもちゃのおびつが主な購入先でしたね。ママンに買ってもらうときは丸広でしたが
上福岡店の方にはレイアウトあったんですか。あの頃レイアウトというと連雀町の今は亡き福岡無線くらいしか自分の行動範囲にはありませんでしたわ
お金持ちの子どもは車両セットをポンポン買ってもらえるのが子供でしたので羨ましかったな…あの頃自分がもってる車両セットは西武5000系と117系くらいでした
さすがよくお判りでwwwww
福岡無線!!
懐かしいなぁ
その頃はNゲージに手を出す前で別の買い物で来店した時レイアウトが
あったの憶えてます。
自分は川越駅西口なので品揃えから主に玉屋でした。
岡本模型、2号店なんてあったんですか!?
知らなかったぁ!!
自分はお朝馴染みが上福岡に引っ越してたまに東上線で遊びに行って
上福岡駅西口からちょっと行った今はダイソーすぐ側のトコで走らせてました。
今日ポポン川越にポイントとカトーのモーター買いに行ったら
ブルジョワなクソガ・・・お坊っちゃんがいました!
瑞風フル編成・サフィール・E257系踊り子を2線レンタルして
悠々自適に走らせてるの見て
「大人パワー炸裂してやろか!!?」
と思ってしまいました。
でも同時に自分小さいなぁ~とも思いながら買い物して帰りました。
私なんて九州に親戚は居ましたが、ブルトレに乗せてもらうチャンスはありませんでした。
親いわく「飛行機の方が早いじゃないか。夜行列車みたいなトロいものなど論外。百歩譲って新幹線だ」とよく言われましたね。
夜行列車といえば中学校の修学旅行の帰路に乗ったきりです。
其れもボックスシートの167系電車です。
そんなこんなで夜行列車には縁がなく、今でも長距離の旅行は飛行機一択です。
でないと家族に却下されてしまう。
小学生など若年層で車両を沢山持ってるのは、大抵親も鉄道模型愛好家ではないでしょうか。
変遷を知るとうちのDF50・381系・193/443系をまともな目で見れなくなってしまう…
それはそうと、コム1が"タイプ"って言われてた理由がやっと分かった…
コム1、初期香港製品を見慣れるとホント「タイプ」なんですよね。ものすごく間延びしている
でも北海道で40両しか造られなかった貨車なので現物見てない人が多いから、あまり気にする人がいなかったのも堂々と「タイプ」で今でも通用している原因かもしれません
トミックス24系25型、紙パッケージ900円、カニ24、オシ24、オハネフ25車輪プラ室内灯不対応から買い、カトーPF4500円買って、オロネ25とオハネ25はプラケース室内灯対応になり1000円になった頃買いました。
しかし室内灯付けるのにオプションで金属車輪に交換しなければならなかったと思います。
カトーのトレインマーク変換装置のがとても羨ましかったです。
トミックスはカニ240番代、カトーはカニ24100番代と棲み分けは出来ていたと思います。
旧型客車もトミックスは35系、カトーは43系とこちらも長年棲み分けが出来ていたと思います。
トミックスがPFを1100番代とつけて売っていたのは私はかなり違和感がありました。
昭和52年第一次債務車で1092から1118のグループでしょうから。
素直に後期型とかにすればいいのにと思いました。
実際に小学生の時に良くみたのは1096、1098、1107、1109号機でした。
113系も中学時代友人がトミックスで購入しましたがサロは112でこれも実車を見た覚えがありますがすぐにサロ110に代わってしまい、私は2000番代が発売されてから購入しました。
その前くらいに紙のパッケージで湘南色と横須賀色で5輌セットを発売していた記憶があります。
当時のTOMIXはプラ車輪で走行が静かなのはいいのですが、室内灯取り付け用と思うと車輪も変えなくてはならんのがネックでしたね。そして現在、動画にも出ている381系は中間車用の集電板が入手できず室内灯の取り付けができない状況…
KATOのトレインマーク変換装置、当時はすげーと思いましたけどさすがにそのために1700円を出すなんて小学生の自分には無理でした…TOMIXならあと100円出せばオハネフ+オハネが買えちゃうからどうしてもね…
TOMIXの品番2101に関してはアレのせいでEF65に1100番台があるもんだと当時思ってました。香港製の品番2106にEF65-1000とつけてしまったので2101は1100になったなんてねえ…知りませんでしたよ当時
ちなみに113系ですが、1981年以降ロットでMなしパンタのモハ112が入った6両セットもあったそうで、おっしゃられているサロ入り5両セットも含めいろいろあったみたいですね
KATOの当時の電気はスカートが台車と一緒に動くので嫌いでしたね。
わかります
当時KATOのEF65Pを持っていましたが、スカートがカーブで動くのはどうにも好きではありませんでした
なのでTOMIXから品番2101のPFが出たときは「そうそうこれだよこれを待っていたんだよ」と思ったものです(当時香港製の品番2106は存在すら知りませんでした)
アゴ割れスカートですね。
でもトミックスやエーダイだってスカートに大きな切欠きがあって、それも不満でした。
お久しぶりです。
小学生の時は月の小遣いが700円で1~2か月に1回のペースでkatoの貨車をちまちま買っていました。牽引機は父のおさがりでtomixの品番2114 EF81-300を使っていましたが確かに音はうるさかったです。スローも聞かないしヘッドライトは運転席まで光る仕様でしたが出来は悪くなかったと思います。1970年代後半の製品でしょうか?これもブルトレブームの一環なのかなと思います。実車はわずか一駅間のみの牽引でしたが当時のTOMIXのカタログでは堂々とブルトレ引っ張テル写真が多いですね。
確かに300番台はけっこうカタログや広告で露出してましたね。それだけ自信作だったと思うし実際いい出来だったと思います
初期の運転台の窓が黒いEF81は、ヘッドライトの光漏れを防ぐためにああしたとTOMIXの人が言ってましたが、評判悪くて品番2114(1980年ロット/動力改良品)では諦めてしまったのでしょうね。自分の世代だとその前の品番2104(1978年ロット/銀色スカート)になりますが、持ってる友人は自慢してましたし実際カッコよかったですね。113系なんかと比べても造型がとてもシャープでステンレスらしさがよく出てました
当方もスプリングウォーム仕様のパーイチ300番代を3両、いずれも前面ガラス透明化仕様のを中古で持っています。オリジナルの銀はナンバーモールド(リアルタッチマーカーのイエローを枠と文字に塗り金色っぽく)1両、選択式ナンバーの常磐線ローズ2両ですね。
ローズは1両でよかったのですがナンバー欠品だったので、やむなくナンバーが残存しているのを探し追加しました。0番代も見つけました。
出来栄えは現行品やボデマンTN初装備仕様に敵いませんが、高圧線を銅色にするだけでもかなり印象は変わると思います。
基本セット3にヨ8000。24系25型ブルトレ。何から何まで同じ感覚でした!本当に楽しい動画でした。お体にはお気を付けください。
基本セット3は憧れでした。もちろんうちは基本セット1でした…ED70+貨車3両のセット。これにヨ8000をつないでちぐはぐな編成を組んだりしましたね…
ほかの動画でやったために、この動画では出さなかったのですが、あの当時の小学生ネタとして「手持ちの車両で組成するありえない編成」とかもありました
こんばんは
ブルートレインのお話しかと思ったら
今回も香港TOMIXのお話しやった笑
私もブルトレブーム世代でPFが一番好きですね
「485系とEF65は何両あっても困ることはない」と思ってるのでEF65は現在20両所有していますが、PFが大半を占めてますね。やはりブルトレブームのDNAがいまだに残っているのでしょう。EF66はやっぱり重量貨物を高速で引っ張る姿がかっこいい。せいぜい500t程度の客車を牽いてもなんかちょっとなあって感じでしたので、今でも動画にある通り仕立てた編成はPF牽引の『出雲』です
ブルトレ牽引機はやっぱりEF65ですよね。ガキンチョの頃はPFしか認めん!でしたが、
後年20系を牽く500番台も魅力的に感じるようになりました。
TOMIXには500番台のイメージがなかったのですが限定の高崎機関区セットを発売した時はびっくりしました。
TOMIX113系or kato153系と言われたら後者を選びますね、1000円差でライト点灯と良好な動力性能が付くのだから、ここまで差を縮められるKatoの企業努力はすごいと思いました。
当時からKATOは「いいものを安く」作っていて、DD13なんかはライトがついて3900円。しかも走りは最高というすごいクルマでした
今でもKATOは走りに関してはすごくこだわってますね。287系のスロットレスモータにはちょいとやられましたが
お疲れ様です。
24系、381系、193系とまさに自分が譲り受けた80年代製品で親近感が湧きます。実際に扱っていると現代に通じる規格が徐々に定まっていく過程が感じられますよね。24系に至っては現代のLED室内灯まで搭載しました。(オハネフはテールライト無し、カニに至ってはそもそも集電不可などまだまだ改良の余地ありでしたが…)
機関車の牽引力に至っては現代よりさらにパワフルなのも実感しました。勾配レイアウトでDD51+24系出雲12両を走らせた時に2010年代の品番2219が登りきれなかった坂を1980年代の品番2211は登り切っていました。この様子を見るとPFも品番2101が欲しくなりますね。
あの24系に室内灯入れたんですか。それはすごい
当時の室内灯はT車専用で、M車に入れられなかった(入れたところで動力機構がねえ…)し、何よりもブルジョアではないので導入はまったくできませんでした。今はM車にも普通に室内灯入ってホントすごいなと思います。スプリングウオーム衰退の原因のひとつではありますが
当時の機関車がパワフルなのも同意です。うちでは品番2101が3両いますがどいつもこいつも余裕でコキ24両を単機で登坂可能です。KATOの3019-8あたりと比べると力持ちだなと感じますね
最近の機関車は運転台を再現するなどして、動力のダイキャストが軽量化されてるのも牽引力低下の一因かと思われます。
TOMIXのファン視点での歴史を語る動画、という感じで、多少は勉強になりました。
当時の少年たちが何に興味を持ち、どういう消費活動をしていったのか、が垣間見られる感じでしたね。しかし当時の少年に経済格差があったのと同様いやそれ以上に現代の少年には経済格差が開く上に少子化で市場自体も縮小(高齢化といった方が正しいか)、当時の主様のような層の子どもはもはや鉄道にすら興味を持てなくなるという…
ま実は鉄道好きの少年は高学力に育つ、的な書籍を先日見かけたのですが、経済的にも向学心的にもさもありなんと。
動画内で価格がやたら紹介されますが、これは「ほしくても買えない期間が長くてカタログを穴が開くほど読んだ結果価格を覚えてしまった」からなのです。今でもほしかった車両の価格は空で言えます
現代はどうなんでしょうね。レンタルレイアウトでキッズが楽しくレンタル車両を走らせていますが、同じくらいの年齢だった自分は当時、安KATOと香港TOMIXばかりとはいえそれなりに車両持ってましたが今はなかなか買ってもらえない子もいるのかもですね
鉄道好きの少年が高学力に育つ…どうなんでしょうねえ。昔は工学博士とかにそういう人がちょくちょくいましたけど
@@samantha-DAN564 さん.お年玉でも、貰える相手の家庭次第でも金額差がありましたね.ドラえもんのお正月のエピソードでは、あるあるネタですね❗今は、仮に入学祝い等に、1万円の図書カードをいただいても、消費税10%の為に、実質9000円分しか使うことが、できないですね❗
私はEF65よりもDF50の方が好きですよ。
個人的には世界一美しい機関車だと思っています。
あ、誤解の無いよう付け加えますが、EF65も嫌いではありません。
DF50は子どもの頃見たことない(すでに『紀伊』からも担当外れていました)のでなじみがないってのがありますね自分の場合。模型は持ってましたけど
写真でしか見たことはありませんが、切妻のナハネフ23をしんがりにしたDF50の『富士』はかっこいいなと思います。20系の優美さと実に合うんですよ
実は私もDF50が走ってるところは一度しか見たことありません。
小学生の頃に家族で紀伊半島をドライブしてたら、紀勢線でブルトレ紀伊を牽引してるところを見かけました。
確か紀勢線が電化される直前頃でした。
走ってるのを見たのは残念ながら其れが最初で最後でした。
ただ、弁天町にあった交通科学博物館でなら何度も見ています。
EF65やEF66、EF81はそれこそ目が腐るほど観てましたから飽きてました。
1コメ。お疲れ様です。香港製トミックス貨車の末裔が今でも生き残っているのは驚きですね。機関車はKATO、客車はトミックスという今風に言えばローハイミックスは当時の十八番でしたね。修羅場をうまく乗り越えられますように。また、運転会でご一緒したいものです。
今でもトラ55000形式なんかがポポンデッタで現役で売られていますね。何気に長寿です。あとTOMIX自体からは当時のまま売られているのがソ80形式ですね
当時はカプラがみんなアーノルトカプラだったので混結は普通に行われていましたね。まあそれが行き過ぎて友人の中には22形新幹線+キハ35(M)なんて編成を組んでいるのがいましたが、まあ新幹線を編成でそろえるなんて当時はとてもとても…
初めてまして.トミックスの当時のキハ58系には、キユ28がありました.鉄道ジャーナル1986年8月号にはキユ28の写真掲載記事があり、わずか5両のみの製造で、四国地方のみ配置だったそうです.郵便車両自体が、1986年9月末で廃止になりました.このトミックスのキハ58系は、四国地方の急行列車をイメージしていたようですね.でも同じ急行型のキハ65が、製品化されていない不思議な状態でした?
@@前田伴樹 TOMIXのこのラインナップでキハ65(とキハ58のMなし)があれば、確かに当時の『いよ9号』を再現できるんですよね
ただ当時は実車と同じ編成を再現しようって発想がなかったみたいで、「キハ65はキハ28と12系を切り継いでで作ってね」って感じでしたね
四国専用車と言えばエーダイからキロハ28が出てましたね。あれもよりにもよって四国に1両しかいないマイナー車をなぜ製品化? と思いました
遂に、東北ずん子導入ですね。お仕事多忙期で大変ですが、御身体を大切になさって下さい🙏
VOICEBOXはこんな高機能なものが無料でいいのだろうかってくらい使い勝手がいいです
仕事頑張ります
古い動画にコメントすみません!
このブルトレブームの時に、川越市内のF岡無線の模型コーナーでバイトしてました(笑)
クソガキ(良い表現)が万券握りしめて、正月にブルトレを買い漁りに来てましたね(^o^)
その時のクソガキの一人です。店内のレイアウトにあったいぬくぎクラブ(だっけ)の看板を見て、鉄道模型のクラブってどんなもんなんだろうと想像していました
投稿お疲れ様です!
うちのジャンク銀河に使われているオロネ14が、初期の品番2524で集電機構無しのなかなか年代物かと思っていたんですが、TOMIXの歴史はそれをはるかに上回るとは恐れ多いものです…TOMIXのヨ8000に対比して、コム1形の辺鄙なデザインはこの頃から登場してて、KATOの一体型コンテナの世代と同じ頃でしょうか?バラバラでコンテナを楽しめる今に感謝しなきゃいけませんな!
お仕事多忙になるとの事で、動画についてはサマンサさんのペース最優先なのはもちろんなのですが、どこか夕方以降で東京都内の貸レご一緒できる日ありましたらと思っております。久々な貨物談義もしたいのですが、実はお渡ししたいものもある所存です…笑
この動画の時代、14系はそもそもエーダイの14系15形しかありませんでした。つまり『さくら』はこの当時組成できなかった(けどシールは付属していた)んですよね…栄光の1列車なのに
KATOの一体型コキ10000系は1967年発売、現在中古市場で出回ってるロットでは1973年ロットあたりが最古かなって感じです。TOMIX登場の10年前にあのデザインで登場してます
コム1はコンテナ取り外しになったのはいいのですが、C10コンテナなのに12ftサイズにしてるのは子供心に許せないものがありました…そもそもコム1には12ft×2は搭載不可やろがい! と
11月はちょっと予定が見えないので、年内でよければ12月とであれば確実に日程を抑えます
本当に昔のTOMIX製品はひどかったですね。
とは言うものの私も113系湘南色と381系は持っていました。
381系はヘッドマークが点灯で透ける感じのプラスチック製シールを切って貼るタイプでちゃちでした。
現在はTOMIX製品の質も上がりましたが、KATOと並べると、TOMIXのオモチャ感は否めません。
今、大人買いできるようになりましたが、できるだけKATOの車両を買い、将来的にもKATOで発売しなさそうな車両のみTOMIXを買うことにしています。
走りの質という意味で香港製品は本当に酷かったのでTOMIXにあまりいいイメージが子供のころはなかったのですが、西武5000系の走行性能の良さに見直した記憶があります
KATO製品は何ていうか、50年前の製品でもあまり整備してなくても車輪さえ磨けばそれなりに動いてしまうタフさに感心しております
造型はTOMIXもすごいなと自分は思ってますが車両の走りはいまだKATOに一日の長があるな、とN700Sを両製品買ってみて思いました
投稿お疲れ様です。TOMIXの香港製品を手にしたことはありませんし、381系の造形も「こりゃ古いな・・・」と感じる人間ですが、今の世の中で言う初期ロット、旧ロットというのは今の製品からすると何とも言えない味があるんですよね。katoにも同じことが言えると思うのですが、台車の固定方法がスナップ式ではなくピン止めのものを手にすると、スナップ式がどうもまどろっこしくて堪らないんですよ・・・ただ、サスペンション機構は画期的で、初めてサスペンション機構付きを手にした時の衝撃は凄まじかったです。
長文となりましたが、お仕事頑張ってください。ブログの方もちょこちょこ拝見させて頂きます。
今のクルマをいじって思うのは「分解しやすい!」ってことですね。KATO製品なんかドライバーいらずでモータまでアクセスできるのはすごいと思います。当時の動力車を分解してるとうんざりしますから…そして接点のわずかな曲げで走行性能がまるで変ったり…
個人的にはこの動画の年代の後受験やらなんやらで鉄道模型から10年以上離れてしまいますが、戻ってきたときにTNカプラを見てたまげました。自分の中でいまだ最大の衝撃かもしれません
ついにtomixが黎明期から一皮剥けた時期ですね。国産体制の確立が大きかったのだと思います。まだKATOに一日の長はあるもののジワジワ追い続けている印象です。
しかしキハ58系初代、細かな色挿しがないのでだいぶ見た目がショボく見えてしまいますね。前灯縁にサッシとHゴムに色挿しすればかなりマシになるし、案外造型が悪くはないのがわかります。KATO製20系寝台車みたいな感じです。
少し先になりますがN'EX253系で造型は遜色なくなったと思います。
当方も品番2101のPFを2両持っています。最新版に比べたら見た目は劣るかもしれませんが、他型式ともどもスプリングウォーム動力の堅牢さは貸しレイアウト乗り入れ運用の安全牌なのです。
リアル中2時にブルトレの入門セットを妄想するも叶わず、DE10に貨車数両、ポイント2つ、ニューパワーユニット。これを揃えるのに1年近く掛かりました。確かに編成物の入門セットで始められるのはブルジョアですな…。
最後になりますが、仕事の山場をつつがなく終えられることを祈ります。
実際113系にしてもキハ58にしてもスタイルは悪くない。なのでユーザーがちょっと手を加えれば化ける車両でしたね
253系あたりになるとCADも入ってますし、KATOと造型面で完全にそん色なくなりましたね。ただ側面ロゴとかが印刷ではなくインレタ貼りなのが、コスト面で苦しいんだろうなと思いましたが。あとTOMIX製品の走りでたまげたのはED75ですね。あんなに滑らかに走る製品TOMIXじゃねえ!くらいに思いました
品番2101は造型もいいし走りもいい。レイアウト向きの優秀な機関車だと思ってます。なので現在も3両をローテーションで回しております。PF重連なんて実車ではほとんど見られませんでしたが、模型では存分に楽しめますしね