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少々捕捉しますと、初めて「離婚・再婚列車」となったのは、昭和34年に運転開始した「準急やくも」で、昭和35年9月に基本編成が山陰本線経由、付属編成が美祢線経由となり、下関で再連結して米子~博多間を運行。昭和36年10月に「準急しんじ」が運行区間を宇野~博多(伯備線経由)に延長し、基本編成が山陰本線経由、付属編成が山口線経由で下関で再連結し運行昭和40年10月には…①米子駅 - 博多駅間(山陰本線経由)で夜行急行列車「しまね」が運転開始。⓶米子駅 - 小倉駅間(山陰本線経由)で準急「なかうみ」が運転開始。③準急「やくも」の運転区間が延長され、米子駅 - 熊本駅間の準急「やえがき」に変更。④準急「あきよし」の運転経路が、浜田駅 - 東唐津駅間は山口線・筑肥線経由、石見益田駅 - 天ヶ瀬駅間は美祢線・日田彦山線・久大本線経由になり、厚狭駅 - 小倉駅間は両編成を併結⑤準急「しんじ」の運転区間が短縮され、宇野駅 - 小郡駅(現在の新山口駅)間は伯備線・山陰本線・山口線経由とし、山陰本線経由編成が廃止昭和43年10月に、「しまね」「なかうみ」「やえがき」が「さんべ」に改称で、01:21で山口線の小郡行は不定期運行で毎日では無い事も補足させて頂きます夜行「さんべ」の前列車名「しまね」も面白い経歴で、昭和39年9月迄は山陰本線には3本の夜行普通列車が運行しており…■京都22:05→下関16:27 817列車 1等車連結■大阪21:58→大社09:50・浜田12:32 717列車 1等寝台B連結(出雲市まで)■京都09:38→門司05:11 811列車 1等車連結其処で、昭和39年10月改正で817列車を大阪~大社(出雲市~大社は普通列車)の急行に格上げし「しまね」と命名。しかし、1年後に「しまね」は「おき」に改称し、そのまま811列車を急行格上げし「しまね」命名。しかし「しまね」の列車名の時はオロハネ10は連結されておらず二等寝台のみの連結「しまね」は夜行普通列車二つを急行にしてしまった列車として伝説になっていますオロハネ10は「利尻」「大雪」のイメージが強いですが、元々は寝台需要が僅かな準急・急行用に連結していました。昭和39年9月時点では冷房化工事済の「オロハネ10」は一等寝台B、冷房工事後の「ナロハネ10」は一等寝台C。この時点で「準急穂高」のみが「オロハネ10」、「準急きそ」が「ナロハネ10」北海道の「たるまえ」「利尻」「石北」はマロネロ38が連結、「急行まりも」はオロネ10が連結していました
子供の頃に停車中の夜行さんべのオロハネ10を何度も見ました。真ん中に乗車口がある個性派なデザイン。乗ってみたい車両の一つでした。
山陰本線は、非電化区間は国鉄時代より確実にサービス低下してるよなあ。
本当にそうですね…
殆どの駅が無人化されましたからね……😢
昼行の「急行さんべ」長門市←→下関間でのグリーン車連結メイン編成が山陰本線走行の方ではなく美祢線・山陽本線経由の方だったのは山陽本線区間での対九州急行としての役割も持たせた、ということでしょうかね?
というのもあるかもですね
昼のさんべの再婚列車は1985年廃止ですが、もう1本の地味な方のさんべは1997年まで残っていましたね...
米子~熊本なんて今じゃ考えられない
エーデル北近畿…………………………
小学生時代、重安駅周辺に住んでいたので毎日見ていた。グリーン車連結の4両編成でカッコよかったと思う。自分は、名列車だと思います。
羨ましいですな~
昼行のさんべは博多~熊本が廃止になった後、博多~西戸崎で朝のアルバイト運用をこなしてました。さんべ編成は香椎線としては長大編成でしたが、元が運炭線なだけに問題はなかった模様。なお、香椎線も両端がどこにも繋がってない等のネタ満載路線です。
最初に紹介されているDC急行に間違いがあります。ヨンサントオからの「さんべ3号」は客車編成で米子発は22:00です。紹介している10:00発は「さんべ2号」であり気動車7両編成です。6・7号車、米子ー小郡4・5号車、米子ー熊本、山陰本線経由1~3号車、米子ー熊本、美祢線経由です。因みに、44年から1往復が鳥取発着に、45年からは動画の説明どおりの8両編成になり、同年10月には1往復が3両編成で、米子ー小倉(グリーン車無し)もう1往復は、1~4号車、鳥取ー熊本、美祢線経由5・6号車、米子ー熊本、参院選経由7・8号車、米子ー小郡7両又は8両編成の2号車はグリーン車でした。
客レの頃は、門司下関間を除きDD51が牽引でした。機関車の運用の関係が理由だったようです。
西村京太郎トラベルミステリーで緒形拳が使ってましたね。
ですねー〜
懐かしい列車でした。友達と乗り鉄をした時に、「僕は美祢線!○○くんは山陰線!」と乗った事がありました。下関で合流して時に、コーラで乾杯した事が思い出です。
めっちゃそれやってみたいです笑
さんべは山口県内にも走っていたのはわかっていたけど、まさかあんな複雑な経路だったとは……。小学校の頃、昼行のさんべを見ていたけど鳥取~熊本間という行先表示にインパクトを感じた。夜行のさんべに乗ってみたかったな、特に寝台車。
確かに寝台車で乗りたい……山陰本線は特に
どっちのさんべにも乗りたいなぁ〜、そしてリゾートサル-ンフェスタに乗りたかったよ・・・
どんな感じだったんですかね笑
楽しいのは間違いなさそうだね
現在運転していたら乗ってみたいなあ。
ですね!
「や..やるな、幡生工場....。」(苗穂工場談)オロハネ10は急行「まりも」で、乗った事がある。【B・寝台・A】(入口の表示)
北海道のイメージ強いですよねー
オロハネ10と言えば大雪5号や利尻しか思い付かなかった!
自分も最初それしか思いつかなかったですー
しんじ・あきよし「こいつやべぇな……」さんべ「あんたらには言われたくない」他のアクロバティック急行一同「お前ら揃いも揃ってどっちもどっちだろ」てかさんべとあのフェスタ君繋がりがあったのか……
離婚再婚だけじゃないのが凄いんですよね………
山口線経由の列車も再婚できればなお良かったのでは、とふと思いましたがさすがにそれは無理があったのでしょう。
さすがに少し時間が…
国鉄のカオスかつ陰陽〜九州間の需要を賄う為の苦肉かつ効率を重視した運用とあの苗穂工場の傑作アルコン(アルファコンチネンタルエクスプレス)を参考にしたと言われるリゾートサルーン・フェスタが急行さんべで繋がっていたのとは、驚きました。面白い運用と列車がある裏には国鉄との運用と幡生工場の技術者が関わっていた事を忘れてはならない幡生工場我々は生粋の技術者であって、苗穂工場の様な変態ではない!苗穂工場誰が変態だ! 寧ろ! 幡生工場も変態じゃないか! 喋る列車なんて妙ちくりんな者を作って、だが、その技術力には脱帽したよ!
本当にどっちの工場もやばいすよ……笑
【さんべ】は離婚後、再婚することができたけど、【あかつき】は離婚後に「鳥栖」でニアミスあっても再婚はかなわなかった。残念。
それを舞台に生まれたのが、西村京太郎先生の名作「寝台特急あかつき○人事件」。
@@加藤毅浩-z1gそれもありますねーー
こいつだったのか。独り言を言っていたのを聞いたことがあります。今だったら会話できたかも。
少々捕捉しますと、初めて「離婚・再婚列車」となったのは、昭和34年に運転開始した「準急やくも」で、昭和35年9月に基本編成が山陰本線経由、付属編成が美祢線経由となり、下関で再連結して米子~博多間を運行。
昭和36年10月に「準急しんじ」が運行区間を宇野~博多(伯備線経由)に延長し、基本編成が山陰本線経由、付属編成が山口線経由で下関で再連結し運行
昭和40年10月には…
①米子駅 - 博多駅間(山陰本線経由)で夜行急行列車「しまね」が運転開始。
⓶米子駅 - 小倉駅間(山陰本線経由)で準急「なかうみ」が運転開始。
③準急「やくも」の運転区間が延長され、米子駅 - 熊本駅間の準急「やえがき」に変更。
④準急「あきよし」の運転経路が、浜田駅 - 東唐津駅間は山口線・筑肥線経由、石見益田駅 - 天ヶ瀬駅間は美祢線・日田彦山線・久大本線経由になり、厚狭駅 - 小倉駅間は両編成を併結
⑤準急「しんじ」の運転区間が短縮され、宇野駅 - 小郡駅(現在の新山口駅)間は伯備線・山陰本線・山口線経由とし、山陰本線経由編成が廃止
昭和43年10月に、「しまね」「なかうみ」「やえがき」が「さんべ」に改称
で、01:21で山口線の小郡行は不定期運行で毎日では無い事も補足させて頂きます
夜行「さんべ」の前列車名「しまね」も面白い経歴で、昭和39年9月迄は山陰本線には3本の夜行普通列車が運行しており…
■京都22:05→下関16:27 817列車 1等車連結
■大阪21:58→大社09:50・浜田12:32 717列車 1等寝台B連結(出雲市まで)
■京都09:38→門司05:11 811列車 1等車連結
其処で、昭和39年10月改正で817列車を大阪~大社(出雲市~大社は普通列車)の急行に格上げし「しまね」と命名。しかし、1年後に「しまね」は「おき」に改称し、そのまま811列車を急行格上げし「しまね」命名。
しかし「しまね」の列車名の時はオロハネ10は連結されておらず二等寝台のみの連結
「しまね」は夜行普通列車二つを急行にしてしまった列車として伝説になっています
オロハネ10は「利尻」「大雪」のイメージが強いですが、元々は寝台需要が僅かな準急・急行用に連結していました。
昭和39年9月時点では冷房化工事済の「オロハネ10」は一等寝台B、冷房工事後の「ナロハネ10」は一等寝台C。この時点で「準急穂高」のみが「オロハネ10」、「準急きそ」が「ナロハネ10」
北海道の「たるまえ」「利尻」「石北」はマロネロ38が連結、「急行まりも」はオロネ10が連結していました
子供の頃に停車中の夜行さんべのオロハネ10を何度も見ました。
真ん中に乗車口がある個性派なデザイン。
乗ってみたい車両の一つでした。
山陰本線は、非電化区間は国鉄時代より確実にサービス低下してるよなあ。
本当にそうですね…
殆どの駅が無人化されましたからね……😢
昼行の「急行さんべ」長門市←→下関間でのグリーン車連結メイン編成が山陰本線走行の方ではなく美祢線・山陽本線経由の方だったのは山陽本線区間での対九州急行としての役割も持たせた、ということでしょうかね?
というのもあるかもですね
昼のさんべの再婚列車は1985年廃止ですが、もう1本の地味な方のさんべは1997年まで残っていましたね...
米子~熊本なんて今じゃ考えられない
エーデル北近畿…………………………
小学生時代、重安駅周辺に住んでいたので毎日見ていた。
グリーン車連結の4両編成でカッコよかったと思う。
自分は、名列車だと思います。
羨ましいですな~
昼行のさんべは博多~熊本が廃止になった後、博多~西戸崎で朝のアルバイト運用をこなしてました。
さんべ編成は香椎線としては長大編成でしたが、元が運炭線なだけに問題はなかった模様。
なお、香椎線も両端がどこにも繋がってない等のネタ満載路線です。
最初に紹介されているDC急行に間違いがあります。
ヨンサントオからの「さんべ3号」は客車編成で米子発は22:00です。
紹介している10:00発は「さんべ2号」であり気動車7両編成です。
6・7号車、米子ー小郡
4・5号車、米子ー熊本、山陰本線経由
1~3号車、米子ー熊本、美祢線経由
です。
因みに、44年から1往復が鳥取発着に、45年からは動画の説明どおりの8両編成になり、
同年10月には1往復が3両編成で、米子ー小倉(グリーン車無し)
もう1往復は、1~4号車、鳥取ー熊本、美祢線経由
5・6号車、米子ー熊本、参院選経由
7・8号車、米子ー小郡
7両又は8両編成の2号車はグリーン車でした。
客レの頃は、門司下関間を除きDD51が牽引でした。機関車の運用の関係が理由だったようです。
西村京太郎トラベルミステリーで緒形拳が使ってましたね。
ですねー〜
懐かしい列車でした。
友達と乗り鉄をした時に、「僕は美祢線!○○くんは山陰線!」と乗った事がありました。下関で合流して時に、コーラで乾杯した事が思い出です。
めっちゃそれやってみたいです笑
さんべは山口県内にも走っていたのはわかっていたけど、まさかあんな複雑な経路だったとは……。
小学校の頃、昼行のさんべを見ていたけど鳥取~熊本間という行先表示にインパクトを感じた。
夜行のさんべに乗ってみたかったな、特に寝台車。
確かに寝台車で乗りたい……山陰本線は特に
どっちのさんべにも乗りたいなぁ〜、そしてリゾートサル-ンフェスタに乗りたかったよ・・・
どんな感じだったんですかね笑
楽しいのは間違いなさそうだね
現在運転していたら乗ってみたいなあ。
ですね!
「や..やるな、幡生工場....。」
(苗穂工場談)
オロハネ10は急行「まりも」で、乗った事がある。
【B・寝台・A】
(入口の表示)
北海道のイメージ強いですよねー
オロハネ10と言えば大雪5号や利尻しか思い付かなかった!
自分も最初それしか思いつかなかったですー
しんじ・あきよし「こいつやべぇな……」
さんべ「あんたらには言われたくない」
他のアクロバティック急行一同
「お前ら揃いも揃ってどっちもどっちだろ」
てかさんべとあのフェスタ君
繋がりがあったのか……
離婚再婚だけじゃないのが凄いんですよね………
山口線経由の列車も再婚できればなお良かったのでは、とふと思いましたがさすがにそれは無理があったのでしょう。
さすがに少し時間が…
国鉄のカオスかつ陰陽〜九州間の需要を賄う為の苦肉かつ効率を重視した
運用とあの苗穂工場の傑作アルコン(アルファコンチネンタルエクスプレス)を参考にしたと言われるリゾートサルーン・フェスタが急行さんべで
繋がっていたのとは、驚きました。
面白い運用と列車がある裏には国鉄と
の運用と幡生工場の技術者が関わっていた事を忘れてはならない
幡生工場
我々は生粋の技術者であって、苗穂工場の様な変態ではない!
苗穂工場
誰が変態だ! 寧ろ! 幡生工場も
変態じゃないか! 喋る列車なんて
妙ちくりんな者を作って、だが、その技術力には脱帽したよ!
本当にどっちの工場もやばいすよ……笑
【さんべ】は離婚後、再婚することができたけど、【あかつき】は離婚後に「鳥栖」でニアミスあっても再婚はかなわなかった。残念。
それを舞台に生まれたのが、西村京太郎先生の名作「寝台特急あかつき○人事件」。
@@加藤毅浩-z1gそれもありますねーー
こいつだったのか。独り言を言っていたのを聞いたことがあります。今だったら会話できたかも。