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尾道転校生は邦画作品の中で一番好きな映画。今、改めて見ると、昭和の風景が懐かしくて泣きそうになります。聖地巡りの素敵な動画をありがとうございます。
こちらこそ、暖かいコメントありがとうございます。
皆さんは忘れているかもしれませんが、昨日2024年7月12日(金曜日)で「斉藤一美」は58歳になりました。一美の生年月日は「1966年7月12日」ですから、「丙午生まれの女性」ということです。これは、歌手の渡辺美里さんと同じです。大林宣彦監督が一美の15歳の誕生日を「1981年7月12日(日曜日)」に設定したことは、実は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」と深い関係があります。大林監督が「転校生」のクランクインを1981年8月に設定したことも、実は同様なんです。世間の人々によって多くは語られていませんが、「東京物語」のラストシーンには、香川京子さん演じる平山京子先生が筒湯小学校(尾道市東久保町)の教室の窓から汽車を見送るシーンがあるのですが、京子先生の背後に何気なく「1953年7月の暦」が映り込んでいます。その12日がいったい何曜日であるのか、注意深く確認してみてください。そして、一美と一夫が御袖天満宮の階段から転落した際入れ替わってしまった日は「1981年6月10日(水曜日)」であり、次の日の朝、二人は登校前に福善寺(同市長江一丁目)の境内で待ち合わせしました。実は、福善寺は、東山千榮子さん演じる平山とみの葬儀が執り行われた寺院です。そして、とみの三男である平山敬三が焼香前に席を外して行った先の縁側から直線で20メートルだけ離れた先の地に、なななんと、映画「時をかける少女」に現れる「タイル小路」があるのです。
昭和57年に尾道で産まれた者です。今は尾道には住んでいないのですが、18歳まで暮らしたふるさとです。今と産まれた頃の対比が懐かしさとか、こんなだったんだなと。動画をUPしてくださり、ありがとうございました。
暖かいコメントありがとうございます。「転校生」は、私のベスト1です!
尾道は昔も今も変わらぬ風景古き良き街並みは令和になっても色褪せないそんな尾道が好きです
私も、「転校生」が好きで18切符🎫を買い尾道に行きました。船着き場に坂を歩きました。✴️素晴らしい動画です。郷愁で涙が出ます。投稿ありがとう!
嬉しいコメントありがとうございます!
「転校生」大好きで何回も観ました。昨日、たまたま息子のライブで尾道に行って「転校生」のロケ地をあちらこちらと散策しました。こちらの動画を先に拝見させて頂いておけばもっと楽しめたと思います。ありがとうございます。また、尾道に遊びに行きたいと思います。
嬉しいご感想、ありがとうございます!
1982年劇場公開の映画「転校生」の主人公である斉藤一美は、一昨日2024年7月12日で58歳になりました。その生年月日は歌手の渡辺美里さんと同じで、1966年7月12日(火曜日)です。一美を演じたのは小林聡美さんでした。実は、「7月12日(日曜日)」という日は、映画「東京物語」のワンシーンに出てくるのですよ。それは、香川京子さんが演じた平山京子先生が筒湯小学校(尾道市東久保町)の教室の窓から汽車を見送る場面です。京子先生の背後に映り込んでいるカレンダーに注目してください。ななななななんと、「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は曜日配列が同一だったのです。大林宣彦監督は、1988年公開の「レースのカーディガンPV」で、なななななななんと「平山周吉の家」とされた戸田さんちの飼い犬まで出演させています。坂上香織さんによる「汽車の汽笛で目を覚ます」という冒頭ナレーションは、小津安二郎監督が尾道市東久保町で撮影した「東京物語」の蒸気機関車のことです。私は、「斉藤一夫の家」(尾道市尾崎本町)へ行く度に、今でも樹木希林さん、佐藤允さんがその地で笑顔を見せてくれている気がするのです。笠智衆さん、原節子さんが撮影された月日と同じ曜日配列の1981年8月、大林監督は、浄土寺の境内からわずか100メートルだけ離れた地において樹木希林さんと佐藤允さんのことを撮影してくれたのです。
この映画が大好きで映画見に行ったのが中1の時でした。どうしても尾道に行きたくて5年前に家族旅行でようやく行く事ができました。さびしんぼうにも出でくる賑やかな商店街を通ったらほとんど人も無く店もやっておらず 映画のシーンで見た風景の所だよね?とあまりの変わり様に時を感じ寂しく思いました。でもあちこちと撮影現場を観光しほんとに尾道は素敵な場所でした。
斉藤一美は、一昨日2024年7月12日で58歳になりました。
大林監督の映画は転校生から観るようになりました。本当に、懐かしい動画ですね。先日、尾道に行ってきましたが、千光寺からの景色は本当にいいですね
やはり名作何故か涙がとまらない
ラストシーンで小林聡美さんが走りながら手を振るところは、たまらなく胸が熱くなります。サムネで小林聡美さんが笑顔で映っているこの写真は、ラストシーンでスキップして帰ろうとしてまたカメラの方に振り向いて微笑んだ時の写真ですよね。映画では遠隔でぼやけていましたが写真だと鮮明に映っています。貴重な写真をありがとうございます。
「転校生のラストシーン」で小林聡美さんが演じた斉藤一美がトラックを追い駆けて走り出した地点は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオープニングシーンが撮影された地です。また、尾美としのりさんが演じた斉藤一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた地点は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」で乙羽信子さん、殿山泰司さんと二人の子役が「料亭旅館魚信」へ鯛を売りにやってきたシーンのロケ地です。そして、一美を演じた小林聡美さんは、実は、海岸通りを「斉藤一夫の家」の方角へ向かって走っているのです。これで「時間と空間の無限ループ」が完成しました。親と子の間の感情的なすれ違いは世代を超え、場所を超えて生じるものです。大林監督とそのスタッフは、小津安二郎監督が「東京物語」のモチーフにしたことを「転校生」のラストシーンで再現してみせたのです。その証拠に、海岸通りをトラックが走り抜ける場面には「栗吉木材店」と「竹村家本館」の看板を意図的に映し込まれています。
興味深く拝見しました。最初に行ったのは少し後ですが、再訪したのはちょっと前の監督没後すぐ。大体同じスパンで訪れ、島やお寺など同じところを巡っていました。マニアックにならずちょっとノスタルジックになる程度が心地よいです。
I love Onomichi and travelled there in 2005 and 2019. The video shows the town still haven't changed much and maintains its retro atmosphere. Thanks for the video!
お疲れ様です。編集、大変だったのでは。82年当時にロケ地巡りというのはかなり早いですね。俺もその数年後から何回か訪れて、ほとんどの道を歩いたつもりになってますが、もう体力的に無理ですねえ(~_~;)楽しませていただきました、ありがとうございます。
新しい風も尾道には吹いている 古きものも大切に守りながら 大好きな尾道
映画「時をかける少女」の中で、芳山和子の教室の黒板わきに「1983年4月のカレンダー」があることに気づきましたか。実は、映画「東京物語」の最後にも同様のシーンがあります。 尾道市立筒湯小学校に勤務する平山京子先生の背後に掲げられたカレンダーは「1953年7月のカレンダー」です。坂上香織さんの「レースのカーディガンPV」は、1988年7月1日から同月5日までの5日間で撮影されたものですが、それは、大林宣彦監督が「東京物語35年」を特に意識して行われたものです。同PVには「汽車の汽笛で目を覚ます」というナレーションがありますが、それが意味することは、当時15歳の大林宣彦少年が映画「東京物語」の尾道ロケに接して彼の人生に大きな影響を及ぼす衝撃を受けたということです。
懐かしく拝見しました。今から40年ぐらい前にこのロケ地巡りツアーをしました。階段が多くてしんどかったのを思い出しました。しかしロケ地にいれば映画に🎬入り込んだ気持ちになり、とっても楽しかったです。このロケ地巡りをきっかけに、他の映画の色んなロケ地に行きました。映画🎬「レオン」を見てニューヨークのルーズベルト島へのロープウェイ、映画🎞「ブリット」を見てサンフランシスコ、レンタカーを借りて運転、などなど。映画「イスタンブール」を見てイスタンブール、これがガラタ橋かとか。日本映画では「転校生」がやっぱり、一番👍😍です。あと行きたいところは007、「You only live twice」の鹿児島県のロケ地です。
それは貴重なものですね!どうりでネットにはないのも納得です。しかも、貴重というだけではなくとても素敵なショットですね。
ノスタルジーを感じる大好きな映画素晴らしい
コメントありがとうございます。何回見ても、当初の感動が色褪せない素晴らしい映画ですね!
@@動画作成大好き 映画「転校生」のラストシーンは、尾道市久保二丁目の「料亭旅館魚信」の前で撮影されています。その理由は、「料亭旅館魚信」の前は、新藤兼人監督が1960年に映画「裸の島」を撮影した地であるからです。小林聡美さんが演じた斉藤一美は、「斉藤一夫の家」の前からトラックを追い駆けますが、その直後のシーンは、小津安二郎監督が1953年に映画「東京物語」のオープニングシーンを撮影した地で撮影されています。そこは、1953年8月当時、「栗吉材木店」の看板と倉庫があった場所です。現在の「おのみち映画資料館」の正面玄関前ですが、同資料館の中にその事実を示す展示品はありません。ちなみに、大林宣彦監督が映画「時をかける少女」で撮影した「タイル小路わきの長屋」は福善寺(尾道市長江一丁目)の隣の敷地です。福善寺は、映画「東京物語」では平山とみの葬儀が執り行われた寺院です。一夫と一美が入れ替わった日の次の朝、二人は登校前に福善寺の境内で待ち合わせをしました。同寺は、一美の祖母の法事が執り行われた寺院でもあります。本動画の最後は国道2号線上で撮影されたものですが、そこはロケ地ではありません。大林宣彦監督とそのスタッフが仕込んだ「時間と空間の無限ループ」に気づいてください。
駅前とか港のあたりはずいぶん変わりましたが、山沿いや麓のあたりは当時と変わらない感じが嬉しいですね。
これだけの撮影は、さぞかし大変だった事でしょう。ご苦労様です。最近何度目かの「時かけ」を見て、今の尾道ってどうなんだろうって思っていたので、ありがたいです。随分前になりますが、尾道絵画展があった頃、描きに同僚と尾道に行きました。絵を描くのと、「転校生」のロケ地巡りが目的でしたが、とても回ることが辛くて、適当なところで絵を描く事にしました。でも今でも絵を描いた風景は、何も見なくてもスケッチ程度なら描けます。良い思い出です。40年近く前の事ですが^ ^
尾美君や聡美ちゃんが揃って大林監督の新作映画の主演者オーディションに合格して、あっという間に撮影して公開されて一躍時の人になって、一緒に稽古していた姉はかなりびっくりしていたようです。尾美君なんてよくお稽古さぼっていたし、聡美ちゃんは稽古場が自宅近くだったらしく、よく転校生のあのキャラで稽古場に出没してたらしく、転校生の斉藤一美そのものだったから、ほとんど地でやってるんじゃない?って思ってたらしい。この映画も然ることながら、古い邦画が小さい頃から好きだった私にとっても尾道は地元ではないのにもかかわらずノスタルジーの心境になりますね。
あ ん た の 姉 ち ゃ ん っ て 何 者 な の さ 。
尾道は独特の風情があり、大好きな街で、旅行で何度も行きました。最後に行ったのが2019年1月ですが、前年の西日本豪雨で被害を受けた民家(空き家)が手付かずのまま放置されていたり、人口減少の影響があちこちに見られたり、ちょっと寂しかったです。
6:20小林聡美さん演じる一美がトラックを追い駆けて走ったのは「国道2号線」ではありません。「竹村家本館」がある「海岸通り」です。「竹村家本館」は、1953年8月の尾道ロケの際、小津安二郎監督、原節子さん、笠智衆さん、香川京子さんと撮影スタッフが宿泊した宿です。
この映画のお陰で尾道に何度も車やバイクで足を運ぶ羽目になりました。^^; 主演の二人 いい歳になりましたね。アンダンテカンタービレがこの映画によく合います。
所々に設置されている白い立て看板って、もしかして映画ロケシーンの説明看板?もしそうだとしたら、ロケ地観光利用を頑なに認めなかった大林監督がよく許したなぁって意外に感じます。
もう一度見たいね転校生83年にテレビで放映されたけどね昔は映画館で上映終わってから2年位それからビデオレンタル開始から3年たたないとテレビ放映しなかったからね
最後の市役所前の一美のスナップショット、自然な感じで良いですね。
一美を演じた小林聡美さんが着用していたワンピースが「おのみち映画資料館」に保管・展示されていないことが残念です。「おのみち映画資料館」の正面玄関前は、1982年劇場公開の映画「転校生」のロケ地であるだけでなく、実は、1953年劇場公開の映画「東京物語」のロケ地でもあります。1983年7月16日劇場公開の映画「時をかける少女」で、原田知世さんが演じた芳山和子が「西方寺普明閣の石灯籠」に腰かけてニセの深町一夫から「タイムリープ」と「テレポーテーション」の原理について説明を受ける場面がありますが、実は、それも「東京物語」と深い関係があります。1983年3月から4月にかけて行われた尾道・竹原ロケの際、大林夫妻は知世さんのことを「尾道ロイヤルホテル」に宿泊させたそうですが、その真正面にあるのが「住吉神社」です。「西方寺普明閣の石灯篭」は、「時かけ少女」のエンドロールの最後にも出てきますが、それが「住吉神社の石灯籠」と「小津安二郎監督作品の東京物語」を連想させるための演出であったことは明らかです。
スナップショットは貴重ですね!レイアウトといい、『転校生』というアルバムを見せてもらった感じです✨ありがとうございます✨(´▽`*)
映 画 の 公 開 は 1 9 8 2 年 4 月 だ け ど 、 撮 影 が 行 わ れ た の は 1 9 8 1 年 7 月 か ら な ん だ ぜ 。
「映画 転校生」最後の言葉「小林聡美さん/一美」サヨナラわたし「尾美としのり氏/一夫」サヨナラ俺引っ越しの「トラック」に乗っている「尾美としのり氏/一夫」を追いかける「小林聡美さん/一美」その模様を8ミリフィルムで撮影している「尾美としのり氏/一夫」これだけで「映画 転校生」の全てが分かる言葉なのでしょう。
私は2016年に尾道に訪れました。私も大林宣彦監督の尾道映画のファンなので。電動自転車レンタルして「転校生」「時かけ」「さびしんぼう」「ふたり」のロケ地を蚊に刺されながら巡りました。また行きたいな。
コメントありがとうございます。尾道は、坂が多いので年寄りには聖地巡りは辛いです"(-""-)"
ロケ地めぐりをしていた、夏の日を思い出します。TOM、しゅうかえん、コモン。ありがとうございます
茶房「こもん」には、今も「北尾実加の譜面台」が置いてありますよ。「北尾実加の家」は、尾道市内に1箇所、三原市糸崎8丁目に1箇所ありました。糸崎8丁目交差点すぐそばにかつて存在した「ミカン倉庫」の中に組まれたセットです。どうして「ミカン倉庫」で撮影したのか。それは、ミカン倉庫の前に広がる瀬戸内海に「宿禰島」があるからです。「宿禰島」は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」の舞台となった無人島です。映画監督は新藤兼人さんです。「ミカン倉庫」の用地は、三原農協・尾道市農協によってすでに私人に売却されており、2023年11月にその跡地を再訪問したところ、N村さんの新居が建築中でした。信じられないことですが、1990年に大林監督が撮影した「石田ひかりさんの入浴シーン」は、1960年に新藤監督が撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。
映画転校生撮影時から変わらぬ風景 変わらぬ街並み 変わらぬレトロ感
尾道在住ですが、御袖天満宮も変わってませんし、尾美としのりの家に使われていたあのお宅もそのままです。私は商店街に住居がありますので、ほとんど変わってません。ただ、市役所や、駅、海岸通が変わった位です。
@水澤秀成 そうでも無いんですよ。商店街も結構汲み取りが多くて、外見は、良いようにしていますが、元々建物事態が古いですから😅
@水澤秀成 西国寺には、家のお墓があって、前は良く行っていたのですが、墓を移してからは、行って無いので詳しいことは分からないです。お役に立てずすみません😣💦⤵️
@@西原敬子-g8s 地元仲間がいた!お寺とか、改修とかはしたけど、いろいろ昔の風景が残ってますよねー。最近の建物は変わってますよね。山陽本線の尾道駅は見た目かわって改札とかは変わったけどホームとかあまりかわってないですよね。(なんかカタコトになりました笑)
市街地は70~90年代にかなり変わりました。でも山の辺りはかわってないですね。(*^^*)(カタコト)
@@Neko_sama そうですよね。私は、夕方何時も犬と兼吉渡のデッキでくつろいで居ます。ちなみに猫も飼って居ます。会えたら良いですね😃
一番時間の流れを感じたのが商店街の人出。他はあまり変わってないようですね。
神社とか階段とか、全体としての風情はそのまま何だって言う安堵感がある。
階 段 下 の 公 衆 ト イ レ は 意 外 に も 水 洗 だ っ た 。 お ケ ツ 洗 浄 機 能 つ き の な 。
細かい路地とかはそのままかもしれませんが駅前や海岸通など目立つところはすっかり変わってしまいました
ご返信ありがとうございます。私の書き方が悪かったのですが、このショットは映画本編の8mmをキャプチャしたものではなく、別のスチールのように見えて、これがどこにあったものか知りたくお伺いしたものです。
これは、昭和57年当時、尾道へ訪れた時に、当時の映画館の支配人からいただいた写真で、恐らく映画館に飾っていたものと思います。今でも、私の宝物です!
数十年前「ツアー旅行」で「山口/カルスト台地・大鍾乳石」「京都/三保の松原・金閣寺・三千院・清水寺・東寺」「広島/厳島神社・原爆ドーム・広島記念公園・尾道」二泊三日の旅行でしたが「映画 尾道三部作」【大林宣彦監督】「転校生・時をかける少女・さびしんぼう」で有名な尾道ですが、私が好きな映画は「転校生/小林聡美さん・尾美としのり氏」「瀬戸内海の海の静けさ・美しさ」そして「千光寺/ロープウェイ」で頂上まで上がり、降りる時「文学のこみち」巨石に広島ゆかりの「作家・詩人の作品を刻んだ石碑」を見ながら降りて来ました。【尾道三部作の中でも私が好きな映画は 転校生/小林聡美さん・尾美としのり氏ですね 】この映画に使われていた曲皆さん知っている「クラシク曲」をふんだんに使われて、映画でも「クラシク曲」が合うんですよ。
感無量です ありがとうございます
懐かしい感じがいいね。
ロケ地巡り自分もしてました 今は ロードバイクで島巡りしてます行く理由は、変わりましたが今も好きな所に変わり無いです
駅前桟橋も無くなってしまって、変わってしまいましたよねぇ〜!
尾道、最近だとネコの町としての認知度が上がっている。狭い急斜面の路地が、気に入っているのだと思う。
この頃は、猫ちゃん少なくなりました😿
@@西原敬子-g8s 不 妊 去 勢 手 術 を 施 さ な い と と ん で も な い こ と に な る か ら な 。
@@nobustation 私は、保護した子達は、みんな、避妊も去勢をしています‼️いわれの無い事で、非難しないでください。
@@nobustation 尾道市では、保護した野良猫たちは、去勢、避妊をして、桜猫として、みんなで世話をして居ますよ😺
一昨日2024年7月12日(金曜日)で斉藤一美は「58歳」になりました。一美が神戸から転校してきたのは「1981年6月10日(水曜日)」のことでした。一美の15歳の誕生日である「1981年7月12日(日曜日)」に、一美と一夫の二人は電車で福山城址公園へ行き、そこでヒロシとアケミに会いました。小林聡美さんが腰かけた松の木は既に伐採されており、現在はその根だけが残っています。私は、映画「転校生」の公開から40年以上、どうして7月12日が一美の誕生日なのか理解できずにいました。昨年2023年11月3日に小津安二郎監督の映画「東京物語」が劇場公開からちょうど70年経ったので、その記念に何気なく鑑賞しました。私は、1991年劇場公開の映画「ふたり」で、神永青年が千津子の部屋で執り行われた三回忌法要の場面にカレンダーが映り込んでいることは知っていたのですが、まさか小津監督の「東京物語」にも同様のシーンがあるとは思っていませんでした。ところが、香川京子さんが演じた平山京子先生が筒湯小学校の窓から汽車を見送るシーンに、教室のカレンダーがあることに気づきました。なななんと、そのカレンダーは「1953年7月の暦」であり、その12日が「日曜日」であることに初めて気づいたのです。
ありがとう。
転校生、もう一度見たいなあ❤どこにも、ないんだ❣️
@水澤秀成 くん。衛星劇場で放送された録画は持っている。画質がイマイチ。DVD買うしかないのか?御袖天満宮の方が、ロケ地巡りの観光客が減って困っているそうだ。転校生を知らない世代が増えている。放送は無理か?
@水澤秀成 くん。プレミアムで放送された、Blu-rayが見つかりました。ハイビジョン❣️
こちらの動画のサムネ左下、ラストシーン小林聡美のオフショットと思われる写真ってどこからとったのでしょう⁇
左側に写っている建物は旧尾道市役所だと思います。
私は尾道と言えば映画「さみしんぼ」です。
「 斉 藤 一 夫 の 家 」 の 前 に あ っ た 赤 い 郵 便 ポ ス ト は 撤 去 さ れ て し ま い ま し た 。2 0 2 2 年 6 月 1 0 日 に 現 地 を 訪 問 し て 驚 き ま し た 。映 画 の ラ ス ト シ ー ン で 斉 藤 一 美 が ト ラ ッ ク を 追 い か け る シ ー ン が あ り ま す が 、 そ こ は 映 画 「 東 京 物 語 」 の 冒 頭 映 像 で 「 栗 吉 材 木 店 」 の 看 板 が あ っ た 辺 り で す 。
尾美としのりさんも小林聡美さんも若いなあ(当たり前ですね)
一美の家が朽ち果て廃屋になってショックだった。一美の部屋がトタンで被さっていたな。
2023.5月3日、尾道に行きました。御袖天満宮の階段の下の交差点の大林監督の写真貼ってるところに、タイルに、白い字で、貼り付けました。裏に、アドレス書いてますので、なんか送って下さい。
一美58歳ですよ、昨日7月12日で。
4:45~ト ラ ッ ク の ド ア を 閉 め る 音 か ら 始 ま る こ の シ ー ン 、今 で も そ の 映 像 が ク ッ キ リ と 目 に 浮 か ぶ よ 。 な お 、 一 美 が ト ラ ッ ク を 追 い か け て 走 っ た 道 は 浄 土 寺 前 じ ゃ な い よ 。実 は 、 市 庁 舎 前 か ら 一 夫 の 家 方 向 に 走 っ て い る の さ 。現 地 を 訪 れ る と 、 ち ょ っ と だ け び っ く り す る け ど な 。
当時ガンダムブームでさあ、ガンダムの予告で、転校生やってたのよ。もう予告編だけでやられちゃって、どーしても見たかったんだけど、当時まだ、親に連れられて映画館に行ってた身だ。「私の体に、さよなら言わせて‥‥‥」あたりの件で、やらしい映画のような気がしてしまって、どーしても親に、この映画を見に行きたいと言えなかったんだよね‥‥‥あの時、リアルタイムで、多感な子供時代にもし「転校生」を見ていたら、僕はどう変わっていただろうかと、今でも悔やむね。
対比のアングルがいまいち
で 、 ど う な の よ 。キ ミ の 寿 命 の こ と も 少 し は 考 え て く れ よ 。あ れ か ら 1 年 、 令 和 4 年 2 月 に な っ ち ま っ た ぜ 。 ま ん 防 発 令 中 だ け ど 。
で 、 ど う す ん の よ 、 あ ん た 。緊 急 事 態 宣 言 が 延 長 さ れ ち ま う か も し れ な い け ど 、1 9 8 1 年 6 月 1 0 日 ( 水 曜 日 ) か ら ち ょ う ど 4 0 年 だ よ 、 来 月 1 0 日 は 木 曜 日 だ け ど 。
生 口 島 の 瀬 戸 田 港 そ ば の 住 之 江 旅 館 で 一 美 に 酒 を 飲 ま せ た の が 半 田 商 事 社 長 の 半 田 安 弘 さ ん だ 。1 9 8 5 年 公 開 の 「 さ び し ん ぼ う 」 で 半 田 さ ん は 因 島 で 魚 屋 を 営 ん で い る こ と に な っ て る ね 。社 長 の 職 を 解 任 さ れ た ん だ ろ う な 、 未 成 年 者 に 飲 酒 さ せ た か ら 。
福 山 城 は 修 復 中 で 中 が ま っ た く 見 え な か っ た だ ろ 、 あ ん た 。と こ ろ で 、 あ ん た 、御 袖 天 満 宮 の 階 段 を 登 り 切 っ た 本 殿 前 を 左 方 向 へ 徒 歩 1 分 ぐ ら い 進 む と 「 長 江 小 学 校 下 の 坂 道 」 が あ る ん だ ぜ 、 登 校 中 の 一 美 が ク ラ ス メ ー ト に ス カ ー ト を め く ら れ た シ ー ン の 坂 道 さ 。ま た 、 長 江 小 学 校 校 庭 の 片 隅 に あ る 桜 の 下 の 階 段 は 、 「 時 を か け る 少 女 」 で も ロ ケ 場 所 に 使 わ れ て い る 。 芳 山 和 子 が 福 島 先 生 の ネ ク タ イ を 素 敵 で す ね っ て 言 っ た シ ー ン さ 。
尾道転校生は邦画作品の中で一番好きな映画。今、改めて見ると、昭和の風景が懐かしくて泣きそうになります。聖地巡りの素敵な動画をありがとうございます。
こちらこそ、暖かいコメントありがとうございます。
皆さんは忘れているかもしれませんが、昨日2024年7月12日(金曜日)で「斉藤一美」は58歳になりました。
一美の生年月日は「1966年7月12日」ですから、「丙午生まれの女性」ということです。
これは、歌手の渡辺美里さんと同じです。
大林宣彦監督が一美の15歳の誕生日を「1981年7月12日(日曜日)」に設定したことは、実は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」と深い関係があります。
大林監督が「転校生」のクランクインを1981年8月に設定したことも、実は同様なんです。
世間の人々によって多くは語られていませんが、「東京物語」のラストシーンには、香川京子さん演じる平山京子先生が筒湯小学校(尾道市東久保町)の教室の窓から汽車を見送るシーンがあるのですが、京子先生の背後に何気なく「1953年7月の暦」が映り込んでいます。
その12日がいったい何曜日であるのか、注意深く確認してみてください。
そして、一美と一夫が御袖天満宮の階段から転落した際入れ替わってしまった日は「1981年6月10日(水曜日)」であり、次の日の朝、二人は登校前に福善寺(同市長江一丁目)の境内で待ち合わせしました。
実は、福善寺は、東山千榮子さん演じる平山とみの葬儀が執り行われた寺院です。
そして、とみの三男である平山敬三が焼香前に席を外して行った先の縁側から直線で20メートルだけ離れた先の地に、なななんと、映画「時をかける少女」に現れる「タイル小路」があるのです。
昭和57年に尾道で産まれた者です。今は尾道には住んでいないのですが、18歳まで暮らしたふるさとです。
今と産まれた頃の対比が懐かしさとか、こんなだったんだなと。
動画をUPしてくださり、ありがとうございました。
暖かいコメントありがとうございます。
「転校生」は、私のベスト1です!
尾道は昔も今も変わらぬ風景古き良き街並みは令和になっても色褪せないそんな尾道が好きです
私も、「転校生」が好きで18切符🎫を買い尾道に行きました。船着き場に坂を歩きました。✴️素晴らしい動画です。郷愁で涙が出ます。投稿ありがとう!
嬉しいコメントありがとうございます!
「転校生」大好きで何回も観ました。
昨日、たまたま息子のライブで尾道に行って「転校生」のロケ地をあちらこちらと散策しました。
こちらの動画を先に拝見させて頂いておけばもっと楽しめたと思います。
ありがとうございます。
また、尾道に遊びに行きたいと思います。
嬉しいご感想、ありがとうございます!
1982年劇場公開の映画「転校生」の主人公である斉藤一美は、一昨日2024年7月12日で58歳になりました。
その生年月日は歌手の渡辺美里さんと同じで、1966年7月12日(火曜日)です。
一美を演じたのは小林聡美さんでした。
実は、「7月12日(日曜日)」という日は、映画「東京物語」のワンシーンに出てくるのですよ。
それは、香川京子さんが演じた平山京子先生が筒湯小学校(尾道市東久保町)の教室の窓から汽車を見送る場面です。
京子先生の背後に映り込んでいるカレンダーに注目してください。
ななななななんと、「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は曜日配列が同一だったのです。
大林宣彦監督は、1988年公開の「レースのカーディガンPV」で、なななななななんと「平山周吉の家」とされた戸田さんちの飼い犬まで出演させています。
坂上香織さんによる「汽車の汽笛で目を覚ます」という冒頭ナレーションは、小津安二郎監督が尾道市東久保町で撮影した「東京物語」の蒸気機関車のことです。
私は、「斉藤一夫の家」(尾道市尾崎本町)へ行く度に、今でも樹木希林さん、佐藤允さんがその地で笑顔を見せてくれている気がするのです。
笠智衆さん、原節子さんが撮影された月日と同じ曜日配列の1981年8月、大林監督は、浄土寺の境内からわずか100メートルだけ離れた地において樹木希林さんと佐藤允さんのことを撮影してくれたのです。
この映画が大好きで映画見に行ったのが中1の時でした。
どうしても尾道に行きたくて
5年前に家族旅行でようやく
行く事ができました。
さびしんぼうにも出でくる
賑やかな商店街を通ったら
ほとんど人も無く店もやっておらず 映画のシーンで見た風景の所だよね?とあまりの変わり様に時を感じ寂しく思いました。
でもあちこちと撮影現場を
観光しほんとに尾道は素敵な
場所でした。
斉藤一美は、一昨日2024年7月12日で58歳になりました。
大林監督の映画は転校生から観るようになりました。
本当に、懐かしい動画ですね。
先日、尾道に行ってきましたが、千光寺からの景色は本当にいいですね
やはり名作
何故か涙がとまらない
ラストシーンで小林聡美さんが走りながら手を振るところは、たまらなく胸が熱くなります。サムネで小林聡美さんが笑顔で映っているこの写真は、ラストシーンでスキップして帰ろうとしてまたカメラの方に振り向いて微笑んだ時の写真ですよね。映画では遠隔でぼやけていましたが写真だと鮮明に映っています。貴重な写真をありがとうございます。
「転校生のラストシーン」で小林聡美さんが演じた斉藤一美がトラックを追い駆けて走り出した地点は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオープニングシーンが撮影された地です。
また、尾美としのりさんが演じた斉藤一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた地点は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」で乙羽信子さん、殿山泰司さんと二人の子役が「料亭旅館魚信」へ鯛を売りにやってきたシーンのロケ地です。
そして、一美を演じた小林聡美さんは、実は、海岸通りを「斉藤一夫の家」の方角へ向かって走っているのです。
これで「時間と空間の無限ループ」が完成しました。
親と子の間の感情的なすれ違いは世代を超え、場所を超えて生じるものです。
大林監督とそのスタッフは、小津安二郎監督が「東京物語」のモチーフにしたことを「転校生」のラストシーンで再現してみせたのです。
その証拠に、海岸通りをトラックが走り抜ける場面には「栗吉木材店」と「竹村家本館」の看板を意図的に映し込まれています。
興味深く拝見しました。最初に行ったのは少し後ですが、再訪したのはちょっと前の監督没後すぐ。大体同じスパンで訪れ、島やお寺など同じところを巡っていました。マニアックにならずちょっとノスタルジックになる程度が心地よいです。
I love Onomichi and travelled there in 2005 and 2019. The video shows the town still haven't changed much and maintains its retro atmosphere. Thanks for the video!
お疲れ様です。
編集、大変だったのでは。
82年当時にロケ地巡りというのはかなり早いですね。俺もその数年後から何回か訪れて、ほとんどの道を歩いたつもりになってますが、もう体力的に無理ですねえ(~_~;)
楽しませていただきました、ありがとうございます。
新しい風も尾道には吹いている 古きものも大切に守りながら 大好きな尾道
映画「時をかける少女」の中で、芳山和子の教室の黒板わきに「1983年4月のカレンダー」があることに気づきましたか。
実は、映画「東京物語」の最後にも同様のシーンがあります。
尾道市立筒湯小学校に勤務する平山京子先生の背後に掲げられたカレンダーは「1953年7月のカレンダー」です。
坂上香織さんの「レースのカーディガンPV」は、1988年7月1日から同月5日までの5日間で撮影されたものですが、それは、大林宣彦監督が「東京物語35年」を特に意識して行われたものです。
同PVには「汽車の汽笛で目を覚ます」というナレーションがありますが、それが意味することは、当時15歳の大林宣彦少年が映画「東京物語」の尾道ロケに接して彼の人生に大きな影響を及ぼす衝撃を受けたということです。
懐かしく拝見しました。
今から40年ぐらい前にこのロケ地巡りツアーをしました。
階段が多くてしんどかったのを思い出しました。
しかしロケ地にいれば映画に🎬入り込んだ気持ちになり、とっても楽しかったです。
このロケ地巡りをきっかけに、他の映画の色んなロケ地に行きました。
映画🎬「レオン」を見てニューヨークのルーズベルト島へのロープウェイ、映画🎞「ブリット」を見てサンフランシスコ、レンタカーを借りて運転、などなど。
映画「イスタンブール」を見てイスタンブール、これがガラタ橋かとか。
日本映画では「転校生」がやっぱり、一番👍😍です。
あと行きたいところは007、「You only live twice」の鹿児島県のロケ地です。
それは貴重なものですね!どうりでネットにはないのも納得です。
しかも、貴重というだけではなくとても素敵なショットですね。
ノスタルジーを感じる大好きな映画素晴らしい
コメントありがとうございます。
何回見ても、当初の感動が色褪せない素晴らしい映画ですね!
@@動画作成大好き
映画「転校生」のラストシーンは、尾道市久保二丁目の「料亭旅館魚信」の前で撮影されています。
その理由は、「料亭旅館魚信」の前は、新藤兼人監督が1960年に映画「裸の島」を撮影した地であるからです。
小林聡美さんが演じた斉藤一美は、「斉藤一夫の家」の前からトラックを追い駆けますが、その直後のシーンは、小津安二郎監督が1953年に映画「東京物語」のオープニングシーンを撮影した地で撮影されています。
そこは、1953年8月当時、「栗吉材木店」の看板と倉庫があった場所です。
現在の「おのみち映画資料館」の正面玄関前ですが、同資料館の中にその事実を示す展示品はありません。
ちなみに、大林宣彦監督が映画「時をかける少女」で撮影した「タイル小路わきの長屋」は福善寺(尾道市長江一丁目)の隣の敷地です。
福善寺は、映画「東京物語」では平山とみの葬儀が執り行われた寺院です。
一夫と一美が入れ替わった日の次の朝、二人は登校前に福善寺の境内で待ち合わせをしました。
同寺は、一美の祖母の法事が執り行われた寺院でもあります。
本動画の最後は国道2号線上で撮影されたものですが、そこはロケ地ではありません。
大林宣彦監督とそのスタッフが仕込んだ「時間と空間の無限ループ」に気づいてください。
駅前とか港のあたりはずいぶん変わりましたが、山沿いや麓のあたりは当時と変わらない感じが嬉しいですね。
これだけの撮影は、さぞかし大変だった事でしょう。ご苦労様です。
最近何度目かの「時かけ」を見て、今の尾道ってどうなんだろうって思っていたので、ありがたいです。随分前になりますが、尾道絵画展があった頃、描きに同僚と尾道に行きました。絵を描くのと、「転校生」のロケ地巡りが目的でしたが、とても回ることが辛くて、適当なところで絵を描く事にしました。でも今でも絵を描いた風景は、何も見なくてもスケッチ程度なら描けます。良い思い出です。40年近く前の事ですが^ ^
尾美君や聡美ちゃんが揃って大林監督の新作映画の主演者オーディションに合格して、あっという間に撮影して公開されて一躍時の人になって、一緒に稽古していた姉はかなりびっくりしていたようです。尾美君なんてよくお稽古さぼっていたし、聡美ちゃんは稽古場が自宅近くだったらしく、よく転校生のあのキャラで稽古場に出没してたらしく、転校生の斉藤一美そのものだったから、ほとんど地でやってるんじゃない?って思ってたらしい。この映画も然ることながら、古い邦画が小さい頃から好きだった私にとっても尾道は地元ではないのにもかかわらずノスタルジーの心境になりますね。
あ ん た の 姉 ち ゃ ん っ て 何 者 な の さ 。
尾道は独特の風情があり、大好きな街で、旅行で何度も行きました。最後に行ったのが2019年1月ですが、前年の西日本豪雨で被害を受けた民家(空き家)が手付かずのまま放置されていたり、人口減少の影響があちこちに見られたり、ちょっと寂しかったです。
6:20
小林聡美さん演じる一美がトラックを追い駆けて走ったのは「国道2号線」ではありません。
「竹村家本館」がある「海岸通り」です。
「竹村家本館」は、1953年8月の尾道ロケの際、小津安二郎監督、原節子さん、笠智衆さん、香川京子さんと撮影スタッフが宿泊した宿です。
この映画のお陰で尾道に何度も車やバイクで足を運ぶ羽目になりました。^^; 主演の二人 いい歳になりましたね。アンダンテカンタービレがこの映画によく合います。
所々に設置されている白い立て看板って、もしかして映画ロケシーンの説明看板?
もしそうだとしたら、ロケ地観光利用を頑なに認めなかった大林監督がよく許したなぁって意外に感じます。
もう一度見たいね転校生83年にテレビで放映されたけどね昔は映画館で上映終わってから2年位それからビデオレンタル開始から3年たたないとテレビ放映しなかったからね
最後の市役所前の一美のスナップショット、自然な感じで良いですね。
一美を演じた小林聡美さんが着用していたワンピースが「おのみち映画資料館」に保管・展示されていないことが残念です。
「おのみち映画資料館」の正面玄関前は、1982年劇場公開の映画「転校生」のロケ地であるだけでなく、実は、1953年劇場公開の映画「東京物語」のロケ地でもあります。
1983年7月16日劇場公開の映画「時をかける少女」で、原田知世さんが演じた芳山和子が「西方寺普明閣の石灯籠」に腰かけてニセの深町一夫から「タイムリープ」と「テレポーテーション」の原理について説明を受ける場面がありますが、実は、それも「東京物語」と深い関係があります。
1983年3月から4月にかけて行われた尾道・竹原ロケの際、大林夫妻は知世さんのことを「尾道ロイヤルホテル」に宿泊させたそうですが、その真正面にあるのが「住吉神社」です。
「西方寺普明閣の石灯篭」は、「時かけ少女」のエンドロールの最後にも出てきますが、それが「住吉神社の石灯籠」と「小津安二郎監督作品の東京物語」を連想させるための演出であったことは明らかです。
スナップショットは貴重ですね!
レイアウトといい、『転校生』というアルバムを
見せてもらった感じです✨
ありがとうございます✨(´▽`*)
映 画 の 公 開 は 1 9 8 2 年 4 月 だ け ど 、
撮 影 が 行 わ れ た の は
1 9 8 1 年 7 月 か ら な ん だ ぜ 。
「映画 転校生」最後の言葉「小林聡美さん/一美」サヨナラわたし「尾美としのり氏/一夫」サヨナラ俺
引っ越しの「トラック」に乗っている「尾美としのり氏/一夫」を追いかける「小林聡美さん/一美」その模様を8ミリフィルムで
撮影している「尾美としのり氏/一夫」これだけで「映画 転校生」の全てが分かる言葉なのでしょう。
私は2016年に尾道に訪れました。
私も大林宣彦監督の尾道映画のファンなので。電動自転車レンタルして
「転校生」「時かけ」「さびしんぼう」「ふたり」のロケ地を蚊に刺されながら巡りました。また行きたいな。
コメントありがとうございます。
尾道は、坂が多いので年寄りには聖地巡りは辛いです"(-""-)"
ロケ地めぐりをしていた、夏の日を思い出します。TOM、しゅうかえん、コモン。ありがとうございます
茶房「こもん」には、今も「北尾実加の譜面台」が置いてありますよ。
「北尾実加の家」は、尾道市内に1箇所、三原市糸崎8丁目に1箇所ありました。
糸崎8丁目交差点すぐそばにかつて存在した「ミカン倉庫」の中に組まれたセットです。
どうして「ミカン倉庫」で撮影したのか。
それは、ミカン倉庫の前に広がる瀬戸内海に「宿禰島」があるからです。
「宿禰島」は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」の舞台となった無人島です。
映画監督は新藤兼人さんです。
「ミカン倉庫」の用地は、三原農協・尾道市農協によってすでに私人に売却されており、2023年11月にその跡地を再訪問したところ、N村さんの新居が建築中でした。
信じられないことですが、1990年に大林監督が撮影した「石田ひかりさんの入浴シーン」は、1960年に新藤監督が撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。
映画転校生撮影時から変わらぬ風景 変わらぬ街並み 変わらぬレトロ感
尾道在住ですが、御袖天満宮も変わってませんし、尾美としのりの家に使われていたあのお宅もそのままです。私は商店街に住居がありますので、ほとんど変わってません。ただ、市役所や、駅、海岸通が変わった位です。
@水澤秀成 そうでも無いんですよ。商店街も結構汲み取りが多くて、外見は、良いようにしていますが、元々建物事態が古いですから😅
@水澤秀成 西国寺には、家のお墓があって、前は良く行っていたのですが、墓を移してからは、行って無いので詳しいことは分からないです。お役に立てずすみません😣💦⤵️
@@西原敬子-g8s 地元仲間がいた!
お寺とか、改修とかはしたけど、いろいろ昔の風景が残ってますよねー。
最近の建物は変わってますよね。
山陽本線の尾道駅は見た目かわって改札とかは変わったけどホームとかあまりかわってないですよね。(なんかカタコトになりました笑)
市街地は70~90年代にかなり変わりました。でも山の辺りはかわってないですね。(*^^*)(カタコト)
@@Neko_sama そうですよね。私は、夕方何時も犬と兼吉渡のデッキでくつろいで居ます。ちなみに猫も飼って居ます。会えたら良いですね😃
一番時間の流れを感じたのが商店街の人出。他はあまり変わってないようですね。
神社とか階段とか、全体としての風情はそのまま何だって言う安堵感がある。
階 段 下 の 公 衆 ト イ レ は 意 外 に も 水 洗 だ っ た 。
お ケ ツ 洗 浄 機 能 つ き の な 。
細かい路地とかはそのままかもしれませんが駅前や海岸通など目立つところはすっかり変わってしまいました
ご返信ありがとうございます。
私の書き方が悪かったのですが、
このショットは映画本編の8mmをキャプチャしたものではなく、別のスチールのように見えて、これがどこにあったものか知りたくお伺いしたものです。
これは、昭和57年当時、尾道へ訪れた時に、当時の映画館の支配人から
いただいた写真で、恐らく映画館に飾っていたものと思います。
今でも、私の宝物です!
数十年前「ツアー旅行」で「山口/カルスト台地・大鍾乳石」「京都/三保の松原・金閣寺・三千院・清水寺・東寺」
「広島/厳島神社・原爆ドーム・広島記念公園・尾道」二泊三日の旅行でしたが「映画 尾道三部作」【大林宣彦監督】
「転校生・時をかける少女・さびしんぼう」で有名な尾道ですが、私が好きな映画は「転校生/小林聡美さん・尾美としのり氏」
「瀬戸内海の海の静けさ・美しさ」そして「千光寺/ロープウェイ」で頂上まで上がり、降りる時「文学のこみち」
巨石に広島ゆかりの「作家・詩人の作品を刻んだ石碑」を見ながら降りて来ました。
【尾道三部作の中でも私が好きな映画は 転校生/小林聡美さん・尾美としのり氏ですね 】この映画に使われていた曲
皆さん知っている「クラシク曲」をふんだんに使われて、映画でも「クラシク曲」が合うんですよ。
感無量です ありがとうございます
懐かしい感じがいいね。
ロケ地巡り自分もしてました 今は ロードバイクで島巡りしてます
行く理由は、変わりましたが今も好きな所に変わり無いです
駅前桟橋も無くなってしまって、変わってしまいましたよねぇ〜!
尾道、最近だとネコの町としての認知度が上がっている。
狭い急斜面の路地が、気に入っているのだと思う。
この頃は、猫ちゃん少なくなりました😿
@@西原敬子-g8s
不 妊 去 勢 手 術 を 施 さ な い と と ん で も な い こ と に な る か ら な 。
@@nobustation 私は、保護した子達は、みんな、避妊も去勢をしています‼️いわれの無い事で、非難しないでください。
@@nobustation 尾道市では、保護した野良猫たちは、去勢、避妊をして、桜猫として、みんなで世話をして居ますよ😺
一昨日2024年7月12日(金曜日)で斉藤一美は「58歳」になりました。
一美が神戸から転校してきたのは「1981年6月10日(水曜日)」のことでした。
一美の15歳の誕生日である「1981年7月12日(日曜日)」に、一美と一夫の二人は電車で福山城址公園へ行き、そこでヒロシとアケミに会いました。
小林聡美さんが腰かけた松の木は既に伐採されており、現在はその根だけが残っています。
私は、映画「転校生」の公開から40年以上、どうして7月12日が一美の誕生日なのか理解できずにいました。
昨年2023年11月3日に小津安二郎監督の映画「東京物語」が劇場公開からちょうど70年経ったので、その記念に何気なく鑑賞しました。
私は、1991年劇場公開の映画「ふたり」で、神永青年が千津子の部屋で執り行われた三回忌法要の場面にカレンダーが映り込んでいることは知っていたのですが、まさか小津監督の「東京物語」にも同様のシーンがあるとは思っていませんでした。
ところが、香川京子さんが演じた平山京子先生が筒湯小学校の窓から汽車を見送るシーンに、教室のカレンダーがあることに気づきました。
なななんと、そのカレンダーは「1953年7月の暦」であり、その12日が「日曜日」であることに初めて気づいたのです。
ありがとう。
転校生、もう一度見たいなあ❤どこにも、ないんだ❣️
@水澤秀成 くん。
衛星劇場で放送された録画は持っている。画質がイマイチ。
DVD買うしかないのか?
御袖天満宮の方が、ロケ地巡りの観光客が減って困っているそうだ。
転校生を知らない世代が増えている。
放送は無理か?
@水澤秀成 くん。プレミアムで放送された、Blu-rayが見つかりました。
ハイビジョン❣️
こちらの動画のサムネ左下、ラストシーン小林聡美のオフショットと思われる写真ってどこからとったのでしょう⁇
左側に写っている建物は旧尾道市役所だと思います。
私は尾道と言えば映画「さみしんぼ」です。
「 斉 藤 一 夫 の 家 」 の 前 に あ っ た 赤 い 郵 便 ポ ス ト は 撤 去 さ れ て し ま い ま し た 。
2 0 2 2 年 6 月 1 0 日 に 現 地 を 訪 問 し て 驚 き ま し た 。
映 画 の ラ ス ト シ ー ン で 斉 藤 一 美 が ト ラ ッ ク を 追 い か け る シ ー ン が あ り ま す が 、 そ こ は 映 画 「 東 京 物 語 」 の 冒 頭 映 像 で 「 栗 吉 材 木 店 」 の 看 板 が あ っ た 辺 り で す 。
尾美としのりさんも小林聡美さんも若いなあ(当たり前ですね)
一美の家が朽ち果て廃屋になってショックだった。
一美の部屋がトタンで被さっていたな。
2023.5月3日、尾道に行きました。
御袖天満宮の階段の下の交差点の大林監督の写真貼ってるところに、タイルに、白い字で、貼り付けました。
裏に、アドレス書いてますので、なんか送って下さい。
一美58歳ですよ、昨日7月12日で。
4:45~
ト ラ ッ ク の ド ア を 閉 め る 音 か ら 始 ま る こ の シ ー ン 、
今 で も そ の 映 像 が ク ッ キ リ と 目 に 浮 か ぶ よ 。
な お 、 一 美 が ト ラ ッ ク を 追 い か け て 走 っ た 道 は 浄 土 寺 前 じ ゃ な い よ 。
実 は 、 市 庁 舎 前 か ら 一 夫 の 家 方 向 に 走 っ て い る の さ 。
現 地 を 訪 れ る と 、 ち ょ っ と だ け び っ く り す る け ど な 。
当時ガンダムブームでさあ、ガンダムの予告で、転校生やってたのよ。
もう予告編だけでやられちゃって、どーしても見たかったんだけど、当時まだ、親に連れられて映画館に行ってた身だ。
「私の体に、さよなら言わせて‥‥‥」
あたりの件で、やらしい映画のような気がしてしまって、どーしても親に、この映画を見に行きたいと言えなかったんだよね‥‥‥
あの時、リアルタイムで、多感な子供時代にもし「転校生」を見ていたら、僕はどう変わっていただろうかと、今でも悔やむね。
対比のアングルがいまいち
で 、 ど う な の よ 。
キ ミ の 寿 命 の こ と も 少 し は 考 え て く れ よ 。
あ れ か ら 1 年 、 令 和 4 年 2 月 に な っ ち ま っ た ぜ 。
ま ん 防 発 令 中 だ け ど 。
で 、
ど う す ん の よ 、 あ ん た 。
緊 急 事 態 宣 言 が 延 長 さ れ ち ま う か も し れ な い け ど 、
1 9 8 1 年 6 月 1 0 日 ( 水 曜 日 ) か ら ち ょ う ど 4 0 年 だ よ 、
来 月 1 0 日 は 木 曜 日 だ け ど 。
生 口 島 の 瀬 戸 田 港 そ ば の 住 之 江 旅 館 で 一 美 に 酒 を 飲 ま せ た の が 半 田 商 事 社 長 の 半 田 安 弘 さ ん だ 。
1 9 8 5 年 公 開 の 「 さ び し ん ぼ う 」 で 半 田 さ ん は 因 島 で 魚 屋 を 営 ん で い る こ と に な っ て る ね 。
社 長 の 職 を 解 任 さ れ た ん だ ろ う な 、 未 成 年 者 に 飲 酒 さ せ た か ら 。
福 山 城 は 修 復 中 で 中 が ま っ た く 見 え な か っ た だ ろ 、 あ ん た 。
と こ ろ で 、 あ ん た 、
御 袖 天 満 宮 の 階 段 を 登 り 切 っ た 本 殿 前 を 左 方 向 へ 徒 歩 1 分 ぐ ら い 進 む と 「 長 江 小 学 校 下 の 坂 道 」 が あ る ん だ ぜ 、 登 校 中 の 一 美 が ク ラ ス メ ー ト に ス カ ー ト を め く ら れ た シ ー ン の 坂 道 さ 。
ま た 、 長 江 小 学 校 校 庭 の 片 隅 に あ る 桜 の 下 の 階 段 は 、 「 時 を か け る 少 女 」 で も ロ ケ 場 所 に 使 わ れ て い る 。
芳 山 和 子 が 福 島 先 生 の ネ ク タ イ を 素 敵 で す ね っ て 言 っ た シ ー ン さ 。